Tumgik
traumerei-l · 7 years
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(ノートの切れ端)
望んだ未来は揺蕩い沈んでく 埋葬するようにゆっくりと湖へ 手向けの花はいらない 静寂が満ちていく 水鏡に映る自分の姿 移ろいでいく季節 変わらないまま 何も変わらないまま 日は登り沈んで 逝き先は誰も知らない 遠く彼方 あなたは何も知らない 遠い記憶 ただ瞬き一つ、夢から醒める。
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traumerei-l · 7 years
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逃避
夢を見ている、ずっと。 現実よりもたくさんのことが出来る。 宙に浮かんで、空を飛べたり、走り回って、私は何にでもなれる。悪夢さえ、悪夢ではなくなった。起きなくても、巻き戻しが出来るようになった。宙に浮かぶのは少しコントロールがいる。うっかりすると飛びすぎて、下りるのが大変になる。高めた集中力をゆっくりを静めていかないと、エレベーターから落下したような不快感に襲われるから。戦う時に手から光の玉を出す時に、左手にキュッと力を凝縮させると強い攻撃が出来ることも覚えておく。現実では、波のある飢餓感と食欲の無さに辟易して、目眩と立ちくらみを誤魔化しながら、水と薬を飲み、少しのご飯を詰め込んで、煙草を吹かして、気を紛らわせている。くつろげる場所など何処にもない。ベッドの中でさえ、重苦しく、思考を放棄して死体のようになっている。健康とは程遠い。何がいけないんだろう、答えはわかっているのに、また日付けが過ぎる。今日がやってきてしまう。
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traumerei-l · 7 years
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それは麻酔みたいに浸透していく
のたうちまわるような辛さ、胸が重くなる苦しみもなく、ただ呆然と立っている。 薬のおかげだろうか、死にたい病は治ったのだろうか。じゃあ、今の私はなんなんだ。 食事をし、咀嚼するのが少し辛い、まで回復した。水も飲めない有様から進歩したと思う。それでも憂鬱なものでしかない。身体が飢餓を訴えれば、ものを口にしないと、立ちくらみや目眩に襲われる。生理現象にも抗いたいようなしんどさだ。 小説を読もうとすると頭の中に入ってくる前にふわふわ浮かんで、するするとすべっていく。本当はとっておきのイチゴパフェみたいに、一口ずつ味わいたいのに。 ずいぶんと長いあいだ侵食した病は、そう簡単には私を解放してくれないのだろうか。楽しい。わくわくする。それすらもペラペラの紙のように感じてしまう。感情がすり減らされて、なにも感じない人間になってしまったんじゃないかと思う。 会話という会話を、しない。 私を含めて四人が同じ屋根の下で暮らしているのに。全く会話が無いとはいいきれないけれど、殆どが義務的である。 たまにお母さんのかまって病(あれ見て〜これ見て〜とテレビをつける)が発動すると、それなりに相槌を打つけれど、お母さんが楽しんでいるだけなのだと気づかないのだろうか。ちなみに私が楽しい話はちんぷんかんぷんなんだとお母さんは言う。理解できないと言う。それなのに一日中お母さんと家にいるのは実に憂鬱だ。 私にとってリビングは寛げる場所じゃない。唯一は換気扇のしたの椅子くらい。かといって自分の部屋では死体のように寝転がっているだけだ。 世の中の理不尽も夢も希望も生も諦めかけた人間に、輝かしい未来を描くだけのエネルギーが無いだけだ。不足は自分自身の所為だとわかっている、その遣る瀬無さも麻酔を打たれたみたいに溶けて消えていく。 死にたくなくなったら、健康なのか。 ときどき、考える。 血みどろの腕はポタポタと”私”を滴り落としていた。ティッシュペーパーに染み込んいく、少しカーペットに零れてしまったので、今度からは七枚くらい重ねておこう。ああ、痛みはない。べつに理由もなかった、と思う。綺麗にまとめた血みどろティッシュを好奇心で軽く絞ってみたら、血液がじゃーっと机にひろがった。 多分心因性であろう嘔吐もストレスの原因がわからない。いつもビニール袋を手に取れる位置に置いてある。 いままでの辛くてもがき苦しんだ末の手段だったのに、箱にしまって鍵をかけてられて鈍感になっているのかもしれない。 痛みの無い自傷も、心因性の嘔吐も、よほどの時だけだった。 それでいいのだろうか、わけのわからないストレスも今の私には感じないのだから。
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traumerei-l · 7 years
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かみさま
「人間の寿命とは、いったい誰が決めるのですか?」 答えてよ、返ってくることもない問いを、私は勝手に神様におしつける。 誰も教えてくれない。正しい答えなんて。答えられるはずがない、そうでしょう? 私は私の”かみさま”以外、信じない。 それは自分の意志で生きるということ。 人はどうしようもないことを、神様という答えで納得させようとする。それは自己防衛なのかもしれない。 盲信的に縋れるなら、それで救われるのかもしれない。救われると信じられることで、人はすでに救われているのだから。私も、そうでありたかったのかも知れない。 自分の意思とは関係なく、日々は過ぎていく。私が今日、倒れたのも、私が望んだからでも、なにかしたわけでも無い。 立ち上がった、その時。 真っ暗になった意識の中で、咄嗟にテーブルにつかまろうとした。けれど、手は宙を切り、鈍く重い音と共に顔面に痛みが走る。床に倒れた私に、母が揺すって呼びかける。声は聞こえているのに身体に力が入らない。出来うる限り早く、大丈夫と返答し、目を開けると母は気が動転していた様だった。 打ったのか、鼻が痛い。唇が切れて血が出ていると母が言った。前歯が痛い。見ると木のテーブルの端が歯型と共に木目にそって欠けていた。 痛みはあったけれど、頭痛も吐き気も痺れもない。今日はお医者さんの日だったので、倒れたことと入院中の愚痴を少しばかり、でもないかもしれない。お話した。 起立性低血圧。たぶん、と私も思っていた病名だった。手術後で、まだ身体が元に戻っていないのだろう。 私が倒れるようなことあれば心配し、ひと時甲斐甲斐しい母だけれど、少しばかり経てば、ため息ばかりで、心配性を怒りにかえて当ててくるのは御免被りたい。心配をしてくれているのはわかるし、感謝もしているけど、私だって、好きで倒れたわけじゃない。 どこが痛いのかもわからなくなった身体を布団に潜り込ませて、心のもやもやをやり過ごす。答えの無い問いを繰り返す。内臓の、腎臓の無くなった身体。考えてみれば、医療の発達で死から遠ざけられる人も増えたであろう。きっと、私もそのひとり。 じゃあ、人間の寿命とは、いったい誰が決めるのか。私はまだ、自分の最期を考えあぐねている。
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traumerei-l · 7 years
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とりかえばや
さいとうちほさんの『とりかえばや』という漫画がある。平安時代のお話で、権大納言藤原丸光の二人の妻が同じ日に子を産む。西の屋には沙羅双樹と名付けられた姫君が、東の屋には睡蓮と名付けられた若君が。 同じ日に異母から産まれた二人は双子のようにそっくりであった。 沙羅双樹の姫君は成長すると男のように駆け回ることを楽しむが、睡蓮の若君は女のように屋で遊ぶことを楽しむ。 やがて、沙羅双樹は男として元服をし、睡蓮は女として裳着の儀式をする。 とりかえばや。 ああ、私にも分かるのだ。鏡にうつる私にもうひとりの私を。 以前から、書けずにいる物語。 ”僕”として生きる女の子が、鏡の前でウィッグをかぶり、白いワンピースを着て。 僕は私になりたい、私は僕になりたい。 鏡に映る自分の姿を見て、”僕”は鏡を殴って粉々にするのだ。「こんなのは違う」 なりたい自分がそこにいるのに、なろうと思えばなれるのに、”僕は君になれない”。 私の中ではいつもせめぎあっている。ふたつの異なる思考が。なににもなれない、のではなく、なににもなりたくない、のだろうか。それでも、私は、僕は、望む。
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traumerei-l · 7 years
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ストレス社会?
ストレス、とは一体なんだろう。 頭痛、関節痛、幻覚、幻聴、目眩、食欲が無い、吐き気、体が重く、やる気が起きない。 なにもかもが「ストレス」で終わってしまう。私に一体なんのストレスがかかっているというの。 違う、わかってる。いや、わかりたくない。 出来合いのものが並ぶ食卓は、あの頃を思い出す。いや、手作りのものだって、今は食べる気がしない。 空っぽの冷蔵庫。生卵をご飯にかけて食べる日々。胃に流し込むだけの味気ない食事。ソファーに横になり、イライラするお母さん。気まぐれに怒鳴られ、リビングでは電気を点ける権利も無く、息を殺して過ごす。自分のへやが無いから二段ベッドの上だけが私の空間。 起きなさい!…学校へ行きたくない。なんで!?…外に出たくないから。どうして!?わからない。なんで自分のこともわからないの!??わからない、わからない。 平手が、拳が降ってくる。最初は痛いと言って避けていたのも、次第にこれは罰なんだと、お母さんの気の済むまで無言で殴られる。私は避けない。これは罰だから。お母さんのぶち撒けた怒りは、もはや感情のままに、私を”叱って”いるのでは無いと気がついていても。 お互いに行き場のない思い。わかってるよ、お母さんの思い。私をちゃんとまともにしたいんでしょう?その心にはちゃんとお母さんの優しさがあるのでしょう? でも、ある日、殴られている最中にポツリと言った。「…殴られて、学校に行きたくなると思う?」答えはなかった。ただ、痛む箇所が一つ増えただけだった。 義務は果たさなければいけない。それだけの為に、あの日々をギリギリ過ごしてきたように思える。中学の頃は生徒会、高校の時はバイト。お母さんが休職していた、半年ほどに家に入れたお金は返って来ないんだろう。10万程度。それは私が迷惑をかけた額に多いのか少ないのか。 少ないんだろうな、「そんなこと」で済まされてしまうくらいに。あの血の滲む日々を、「そんなこと」で、済まされてしまうくらいに。学校帰りに5時間働き、帰る頃には11時前。ご飯を食べて、お風呂に入るか、疲れて寝てしまう時には朝は6時半に起きてシャワーを浴びる。8時に家を出る。それの繰り返し。少しは足しになればいいと思っていた。これで自立できればと。 きっと、限界値は何度か超えていた。わかってた、ずっと重りが胸の中にあった。お父さんは毎日のお酒を飲んでいる、11時前に私は帰って来て、ご飯を食べる。向かいでお父さんがふと言った。「自分のこと���自分でやれよ」 いつもの口癖のようなものだった。なのに、なんでもないのに涙が溢れて止まらなくなった。なんの感情も動いていないのに。 私は笑って取り繕った。まさか、お父さんの言葉がキッカケで泣き出したとは思わないだろう。「なんだろ、止まらないや、あはは…ご飯食べてるのにね、困っちゃう…」 それ自体がダメだったわけじゃなかった、ただ、ジェンガが崩れていくように崩壊してしまっただけだ。 もういいや、もういいや。何度も諦めたけれど、たまにこうして虚無感に襲われると思い出してしまう。それに対しての感情は無い。ただ、吐き出したいだけ。 幼い頃もお母さんは私たちを叩いていて、背の大きなお友達が肘をあげると、咄嗟に腕を頭の上に構えてしまう癖とか、お父さんはDVをしてて、借金を抱えていたこととか、お母さんがそれに関してピリピリしていたこととか、両親の怒鳴り声の喧嘩に怯えて、いつ終わるのかと妹と布団に潜って震えていたこととか、舅と嫁(母)の仲が悪いこととか、デキ婚だったとか、全部、全部。 私は知っていて、抱えていて。ずっと、諸悪の根源は私だと思っていた。私が出来たから、私が産まれたから。 でも、20なんねん越しに、それは違うと否定されたけれど、もう私の中ではどうしようもなくなっていた。お互いの悪口を聞かされあい、憎み合っていたとすら思った両親は実は仲が悪くないなんて。私が、妹がいるから離婚なんて出来ないって、お母さん、言ったでしょう? もう、なにも信じられないよ。 もう、気まぐれに優しくなんてしないで。 もう、死なせて… お母さんの声を聞くだけで吐き気がした、もう耐えらなかった。この家にいることがストレスなの? もちろん、不幸せだったわけじゃない。歯車が、タイミングが、悪かっただけ。こうして何も出来なくなった私を、ゴミ箱にも出来なくった私を生かされているだけ、幸福であることを私はわかってる、そして、甘えてるんだ。 私は不幸では無かった。ただ、理不尽な目にも散々な目にもあったけれど、私に足りなかっただけなんだ。力も選択する勇気も。なにもかも。
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traumerei-l · 7 years
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変化とは突然にやってくるもの
まずはリハビリから始めよう、だなんて。きっかけを待つなんて、臆病な弱言だけれど、これでなにか変わるなら、そんな期待もしているの。 人間らしく生きたい。 そう思った矢先の去年の梅雨につまづいてしまったのだけど。派遣先で救急車で運ばれるという失態をおかしてね。それでも、復帰出来るように私は頑張った。でも、無理がたたって、また倒れた。 それから、自信を無くして、閉じこもっていたところに先天性の病気が見つかった。 具合の悪いこと、全てその病気の所為にしてしまいたいけれど、そうもいかない。だけど、これで何か変わればと、そう願っている。 入院して、家から離れれば落ち着くこともあるだろう。少し前は家にいることがストレスで水も飲むのも一苦労なんてしまつで、別の入院なんて話も出てたところなんだから。 どうして、こんなに弱くなってしまったのだろうと思う時もある。でも、今は毎日が重苦しい時よりもマシなのかもしれない。私は私を過大評価しすぎてしまっていたのかもしれない。まだ出来る、頑張れる、そう思って生きてきた。 ギリギリを綱渡りして、精神をすり減らして、それでも私は普通の女の子でいたかった。 いや、それは普通のことなのかもしれない。幸せそうな人だって悩みがないなんてことないんだもの。ただ、私は折れてしまっただけのこと。 私は私の選択に後悔はしていない。確かにもう少し頑張れば、なんてこともあったけれど、その前に私はダメになっていただろうから。でも、言われたの。今はそれで自分を納得させているけれど、いつかは思う時が来るかもしれないって。 だけど、今の私は納得しているんです。それで落ち着いているならいいと思うんです。いつか後悔する時が来ても。 他人任せにしていたら、いつまでも悩んでたいたでしょう。あんなことをしなければ、壊れることもなかったかもしれない。 けれど、それが精一杯で、私は精一杯に生きてます。 もう少し頑張れればっていつも思う。意志が足りないって。骨折した骨がくっ付くように、いつか私も自分の足で立って歩ける日がくることを願います。
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traumerei-l · 7 years
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永遠に未完成
色彩が足りず、形にできない。頭の中のもやもやは煙草の煙のように溜まっていく。私は表現者でありたい。絵も言葉も音も歌も光も全て。そして、私自身が、私の人生が作品であると、胸をはって言えるように。 五感は錆びていき、世界の煌めきを感じなくなった時、私の心は死ぬのであろう。それは現実の死と同じ。 ひとつも完成できない。私には足りない。ずっとずっと飢え渇いている。それこそが私の動力源であり、満たされた時、私は何も書けなくなるだろう。 それならば花氷のように、永遠に未完成のまま閉じ込められてしまいたい。それこそが危うい美しさを放ち、青い鉱石になれる術。未完成のまま、完成されるのだ。 ああ、私がどうか可愛ければ額縁に閉じ込められてしまえば良かったのに。ああ、私がどうか美しければ、ガラスケースの中に閉じ込めてられてしまえば良かったのに。 昔の建築物は未完成のままに”完成”とされたという。完成すれば、それはいずれ壊れるから。 その心はとても良くわかるのだ。最後の一ピースはあなたの心に。もしも、私が未完成のまま”完成”したら、あなたが筆をとって、青い絵の具を添えて。 形あるものはいずれ壊れる。生きてるものはいずれ死ぬ。私は永遠がほしいのです。
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traumerei-l · 7 years
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混線
時々、眠り姫病を起こす。12時間以上目が覚めない。脳の負荷を軽減させるためか、はたまた、夢の間に私は肉体から何処かへ逃げ出しているのか。 夢のチャンネルが合うと”感じる”時、それはラヂヲのように聞いている。 話し声が聞こえてくると、ぼんやりと姿がなんとなくイメージされているのか、見えているのか。 そのラヂヲを聞きながら、これは私の夢ではないと感じるのだ。だから、これは夢のチャンネルが合っている、と表現したい。誰かの夢のチャンネルに。 夢とは不思議なもので、現実よりも様々なものを”みせる”。そして、私は体験する。その時に感じたものも私にとっては”本当”なのだ。夢での感情は偽物か否か。 ただし、どんなに美しい花火を心に描いたとて、本物には美しさ以外の何かがある。それが私の心を震わすのだろう。 ゆめかううつかなど、問題では無く、私が見たもの、感じたもの、思ったことすべてが私の中での”本当”だから。 だから、君も”本当”なんだよ。
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traumerei-l · 7 years
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16.12.23
 夕焼けを見ていた。世界を祝福しているような黄昏だった。束の間の夢みたいなその緋色は、美しい珊瑚とおなじ色で、だから少女の爪のごとき色だった。爪は少女がもっている宝石のひとつだと思う。彼女たちはその身の内に、すばらしいジュエリーをたくさん所有している。黒曜石の瞳もそう、真珠色の歯だって、蛋白石の皮膚だってそうだ。少女は宝石からできている。
 だからわたしは夕焼けを見ながら、わたしのなかの少女を想った。彼女たちが薔薇の色の指が、あの雲の合間から見えるようだった。綿飴のようにふわふわした、甘くて口のなかで溶けてゆくような時間を過ごしたあとは、ほんの少し淋しい。
 雨が降ったら『雨ふり』を歌ってね。傘をもってわたしが迎えにいくからと、それがあの子とのはじめての約束だったような気がする。ともに叶えたい願いがあっても、わたしたちは約束はしなかった。いつか達成できたらいいことは、その願いを《希望》と口にすることを暗黙の了解として、「約束」という言葉は使わなかった。それがわたしたちなりの流儀だったから。
 わたしは雨が好きだけれど、雨はあの子のからだに悲鳴をあげさせる災厄だと知ってから、雨がふるとあの子を想いだすようになった。あの子のためにはやくお空が晴れればいいと祈るようになった。
 きのう、やっぱり雨が降っていた。わたしは迎えにいくわね、といって菫色の傘をもって家を出た。あの子に辿りつくまえに、雨はやんだ。わたしの祈りを、空にいる誰かが聞き届けてくれたのかしら。雨、やんじゃったわね。わたしたちは笑いあって、そして歩きだした。わたしたちの《おうち》にむかって。
 きょうの夕焼けのあの美しい色は、わたしにあの子と過ごした時間の余韻を想いださせた。あの薔薇色の指は、わたしにとっては彼女の指だった。あすはまた、誰か異なるひとの指かもしれない。でもきょうこの日、あの夕焼けは彼女の指だった。
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traumerei-l · 7 years
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Charlotte Bird『おうちにかえろう』
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traumerei-l · 7 years
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16.12.06
 Charlotte Birdの『おうちにかえろう』という絵画を、わたしに教えてくれたのは迷子のLです。
 LOSTのL。彼女はこの世界の迷子。
 どこかに帰りたいと願っても、その「どこか」がわからない。だからどこにも還れず、それが彼女のかなしみの根源的なところを、おそらくは占めている。わたしにもたぶん、彼女の気持ちが理解できる。わたしは幼いころから、自分をこの世界の孤児だと思って生きてきた。
 かぐやひめに羨望を抱いた。なぜなら彼女には、月という帰還すべき《故郷》があるのだから。かぐやひめは���の罪びと。その罰として、地球へと派遣された。それならばどんな咎によって、わたしたちはこの青い星に生まれてきたのだろうと、ときどき考える。誰もが迷子となり、孤児となるこの世界に。
 わたしたちは雪女なのかもしれない。
 友人にこんな話を聞いたことがある。
 雪女の正体は雪の精だといわれたり、雪のなかで行き倒れになった女の霊などと様々な伝承があるけれど、ある地方の説話では、雪女はほんとうは月世界の姫であり、退屈な生活から抜けだすために雪とともに地上に降りてきたが、月へ帰れなくなったため、雪の降る月夜に現れるのだと、そんな話を。
 たしかに雪には月と共通する冷ややかさと美しさがある。月に帰れなくなった雪女。還れなくなってしまったから、いつまでも雪のなかを彷徨っている。彼女もまた「迷子」なのだ。
 “いづくへか帰る日近きここちして この世のもののなつかしきころ ”
 与謝野晶子のこの歌は、いつでもわたしの胸を締めつける。いつか迷子のLも雪女も、「いづくへか」帰ることができたらいい。世界の孤児であり、だから自分の起源を探しつづけるわたしたちが、この青い星で、求めていた人に、場所に、空間に、言葉に出逢い、そうしてそこに「おうち」が見つかればいい。この星で。
 わたしたちは《月》に焦がれつづけた。あの完全な円のなかに還ること。それがいつだってわたしたちの祈りだった。月に帰りたかった。でもわたしたちが《月》に還るのは、まださきのことだ。ずっとずっとさきのこと。そうでありたい。わたしはこの青い星で、生きると決めたのだから。
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traumerei-l · 7 years
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16.12.05
 王女。
 その言葉を思い浮かべるとき、想起する物語がある。
 伊藤裕美さんの『寄宿舎の秘密』
 この物語に魅入られた夏、わたしの運命はまわりはじめた。そんな気がしてならない。
 “「寄宿舎に隔離された少女たちは、専門の医療を受け、教会で祈り、学問を学び、美しい言葉遣いや立ち居振る舞いを躾けられます。春はそよ風とともに歌い、夏は秘密の花園で涼み、秋は落ち葉のベッドで眠り、冬は雪の世界に怯え……。守られた世界で育まれ、胸の疾患を治して寄宿舎を去って行く頃には、少女たちは完全なる美と清らかさ、誇りとやさしさ、慈しみと気高さ、そして邪まなものへのほのかな憧れをしこまれた、立派な王女になっているのです」”
 わたしが一瞬で奪われた作中の言葉です。
 少女と乙女の物語である本書。少女と乙女の違いとはなにかと、わたしはいまでもこの胸に残る物語の余韻のなかで考えます。
 少女とは、まだおのれの美しさを知らない者。
 乙女とは、まだおのれの穢なさを知らない者。
 わたしの大切な友人である《少女》、迷子のLが、こんなことをいっていた。「少女は空を飛べるの。乙女は夢を見れるの」——そう、それなら彼女はたしかに《少女》なのだろう。彼女はまだ自身の美しさを知らず、空を飛べない自分は少女ではないのではないかと悲しんでいる。それこそが《少女》のあかし。
 少女とは、まだおのれの美しさを知らない者のこと。そして乙女とは、まだおのれの穢なさを知らない者のこと。「まだ」というのが重要であり、だから「いつか」は知る。そのとき「彼女」は少女でも乙女でもなく、女になるのだろう。女とは、おのれの美しさと穢なさを知る者のことだと、わたしは思うのです。
 それでゆくと、迷子のLが、わたしを「かなしいくらいに《乙女》」だと、いったの���頷ける。わたしはおのれを知らなすぎる。また、迷子のLも、おのれを知らず、だからわたしたちは、自分たちの背中に翅があっても、それに気づくことはないのだろう。わたしの翅は夢をみるための白い翅、彼女の翅は空をとぶための青い翅。
 「いつか」あのこの青い翅でともに空を飛ぶ。
 「いつか」わたしの白い翅でともに夢を見る。
 それがきっとわたしたちの《希望》となる。
 『寄宿舎の秘密』は、少女と乙女が《王女》になる物語。
 そして《王女》とは、誰よりも美しい女の象徴。
 わたしは《王女》になりたいのです。《女》になることを忌避し、嫌悪しつづけながら、それでも自分の穢なさを直視したい。それがわたしの救われるみちだと思うから。
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traumerei-l · 7 years
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表現者
饐えた匂いをさせ、飢えた獣のように眼をギラつかせて。足りない。まだ足りない。喰らい尽くすまで、羽根をもぎ取り、血を啜り、臓物を抉ぐる。私の作品は未完成のまま終わるのだ。それは死をもって完結となる。 どうだ、まだ足りないだろう。悪魔が囁く。血濡れた獣は唸る。そうだ、満たされやしない。この身体は未だ内側���狂気を持っている。 嗤い声が聞こえる。お前の正体は飢え渇く獣だ、お前の喰らったものはお前の養分のなる。未知へ手を伸ばせ、深淵へと。お前は堕ちるのだ。お前のいるべき所は天国では無い、地獄だ。 地獄の焔に焼かれ、もがき苦しむことこそが、お前を完成へと導くであろう。私は吼えた。肉体を震わせ、慟哭した。それはまごう事なき、獣だった。
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traumerei-l · 7 years
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寝言と幻覚と幻聴の話
最近、寝言を言っているのがわかる。私は睡眠中はそれは静かで、たまに生きてるのか確認されるくらい。 けれど、この頃は夢を見ながら、とても重要なこと、口に出して言わなければ、と思うことをたぶん喋っている。夢うつつにいても、鼓膜を通して聞こえる声がわかるから。 
これはとっても幻聴に似ていると思う。幻聴とは本人には本当に聞こえているのだ。だから、幻聴の判断がつかない。 ただし、幾分か正気でいれば、ここに居ない人の声を本物だと思い込まないようにはできる。幻聴も幻覚も本人には本当に見えていて、ここに存在しないものと判断を下さない限り、それはその人の中で”本当”になる。 幼馴染と夜にベランダで通話をしていた時、電線で首を吊る上半身だけの男の人や寝そべってる?這いずってる人。木の上でカップルが逢瀬をしていたり、ベランダの角には悲壮感漂う小太りのサラリーマンらしき人など、実況していたら、ホラー実況みたいだからやめてくれ、と言われて笑った覚えがある。(その割に幼馴染は稲川淳二が好きだったりする) 
私には本当に見えているものを喋っただけなのだけれど。私も宙に浮くようなアレらが本当だとは思っていなかったし、こちらに危害を加えることはなかったので、ただ、ただ、観察していた。あの頃が幻聴や幻覚の絶頂期だったらしく、色んなものを見たり、聞いたりした。 中にはちょっと怖かったものも見たりした。横になっている時、天井からタランチュラほどの蜘蛛が吊り下がってきて、最初はとんでもなくびっくりしたけれど、ここまでの大きさは…と少し冷静になりかけた時にそれは女の人の顔になった。 前正面だけで、後頭部は煙のように揺らめいている。顔自体ははっきり見えない。何故なら顔面に藁の様なものがみっちりと張り付いているからだ。 迫ってくる顔面に、対処の仕様が無く困り果て、目の前に…というところで、手で払ってみた。そうすると、一瞬、藁色の煙は霧散し、また集合して、女の人の顔面を形作っていく。私はまた払う。顔面が現れる。払う。迫ってくる。私は払うのにも疲れて、御守りを持って目を閉じた。いいかげんにしてくれという気持ちだった。 脳の異常というのは不可思議なものだなあと、私は思う。存在しないものを見る。私にとっては存在しているのに、みんなには見えないのだ。 友人は私の幻聴を体験済みである。友人が「やったー」というので、「良かったね」と返すと、返事がなかった。私はふと、背中側を見た。それはそうだ、寝ているから。腑に落ちない心地で寝ていると、友人が「ねえねえ」と話しかけて、肩をたたく。私は「んー?」と雑に返事を返しても返答が無い。 
友人に「ねえ、今話しかけた?」と聞いたら、「話しかけてないよ」とのこと。最初の「良かったね」も「んー?」もずいぶんハッキリした寝言だと思ったらしい。 こんな体験も笑い事で済むのは、私がまだそこまで情緒不安定じゃなかったからだと思う。そうでなければ「言ったでしょ!?」なんて錯乱していただろう。 頭の中で女の子があ゛ーあ゛ー言いながら、這いずって、辛いという感情を伝えてくる、なんてことも、呪いの言葉を吐きかけてくるのも。酷い時はしばらく続いてこちらが参ってしまいそうだった。 頭の中はずいぶん落ち着いたみたいだけれど、前の投稿の様にたまに勝手にジャガジャガやるのとかは勘弁してほしい。 まだ書きたいことはあったのだけれど、今日はここまでにしておこうと思う。そのうち、夢のチャンネルの話を書きます。
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traumerei-l · 7 years
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雨露霜雪
風が強く吹き付ける音がする。雨が窓に当たって弾ける音がする。世界中の物が揺れて、激しく音を立てる。ああ、寒い夜。寒い夜だ。こんな日はひとりぼっちでいることをひとしお感じるものだ。 ガタンガタン、音は止まない。私は雨吹き荒ぶ外界にいるわけではないのに。安寧な、雨風凌げる家の、私の部屋の、布団の中に潜り込んでいるのに。どうしたって、なにが怖いの。 いつ終わるかわからないこと、それも永遠と言うのでしょうか。それならば、私は一瞬の永遠に閉じ込められているのだと感じます。
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traumerei-l · 7 years
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体力を付けたい。
今日はお父さんとバドミントンへ。 寝たきりで筋力も低下しているけれど、薬のおかげか気力は少しだけ復活したみたい。飛び交うシャトルを追いかけて、ラケットを振る。その時は何も考えていないから。その瞬間が好き。息を切らす、たまに飛び越える向こう側が見える。 昼間は車のタイヤを変えるお父さんを見ながら、猫を構って膝の上で撫でていた。こういう日常から取り戻して行きたい。 そよぐパンジー、木の枝に止まる目白の囀り。ほどよくあたたかい太陽の光。少し冷たい風。五感を使って自然を感じる。膝の上の猫の温もり。にゃあと鳴くと、私もチチッと返事をする。 まだ、全快とは言えない。病院も検査も残っている。その後には手術が。 だけど、日にちの感覚も無いような、息をする死体ではいつまでもいられないから。 最近は黒(もしくは白)のタートルネックが欲しいなと思ってる。あと、ボロボロに履きつぶしてしまったショートブーツも。機嫌の良い時ならお母さんも連れて行ってくれるのを許してくれるはずだから。 ゆっくり、ゆっくり健康になっていきたいなと思います。まだ初詣も済ませていないから、時間が取れたら合間に行こうかな。 自分の身体の限界を良く考えて行動すること。今年の抱負かな。
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