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#静岡県指定名勝
sayakalaine · 2 years
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@dsk.o #guitarist #小島大介 さんとの #リハ Sam Cooke / (What a) wonderful world 先週「この曲を一緒に歌いたいです〜♪」と言ったら 「すぐに伴奏できるよ〜」と言ってくださり こちらがFirst take . 先日の ”Port of notes” in Billboard live YOKOHAMAにて 1st ステージで話題にのぼってました #テレサテン の #別れの予感 も練習しました♪ まだ、音合わせ2度目かな。 どちらも もちろんオリジナルも素敵なのですけど どちらも 大介さんの arrangements と 爪弾く #guitar の #phrase と #音色 が美しくって好き♪ さて、次回の 私達 #YURUTTO の演奏は、 #静岡県 #三島市 #三島駅前 にございます #国指定 #天然記念物 #名勝 #楽寿園 という公園にて✨ 8月7日(日)13:00より “Rocks Forchille みしま”のステージでございます。 お気軽にお越しくださいませ😊 #レネ紗矢香 #singer #vocalist #vocal #musicians #music #musicunites #musicmakesmehappy #musiclife #伊東市 #伊豆 #伊豆半島 #伊東温泉 (Izu Kogen) https://www.instagram.com/p/CgmxNL6B6Qf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 1 month
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取り調べ中の拷問を告発した現職警察官 本稿で紹介する「二俣事件」は、警察に不利益な証言(拷問の告発)をした警察官を、捜査当局が偽証罪で逮捕・勾留し、挙句の果ては、「妄想性痴呆症」という病名をつけて社会から抹殺してしまった恐ろしい事件である。 事件は、1950(昭和25)年1月に発生した。それは、静岡県二俣町で親子4人が惨殺され現金約1300円が奪われるという強盗殺人事件であった。捜査当局は、目星をつけた素行不良の少年Sさん(当時18歳)を、当初、別件の窃盗容疑で逮捕し、本件強盗殺人について取り調べた。 Sさんは、窃盗自体はすぐに自白したが本件(強盗殺人罪)は完全否認した。しかし警察は、本件について厳しい取調べを続け、4日後、Sさんは自白に落ちる。そして、多数の自白調書を作成されて起訴されるに至った。 ただ、Sさんと犯行を結びつける証拠は自白だけだった。Sさんに対する取調べは、外部に音の漏れない土蔵内(柔道の練習場にもなっている)で長時間行われた。Sさんは、後に公判廷で、この土蔵内の取調べで、殴る蹴る、髪の毛を引っ張る、引きずり回すなどの拷問をされたと生々しく供述している。 被告人がこのような供述をしても、捜査官側がそれを認めることはまずない。本件でも同様であった。ところが、本件においては、捜査の途中まで関与していた現職の警察官(Yさん)が、新聞紙上で拷問の告発をした。 現職警察官であるYさんは、Sさんの無実を信じるものの、さすがにそのような行動に出ることを躊躇ちゅうちょしていた。しかし、Yさんは、Sさんに死刑が求刑されたのを知って、良心の呵責かしゃくに耐えかね、敢然と決断したのである。 偽証罪で逮捕され職を失ってしまう さらに、Yさんは、弁護側の証人として、「当時、警察では、拷問を行う時は、音が外部に漏れない土蔵でしていた。本件でも、上司が『Sさんに相当なヤキを入れなければならない』などと指示していた。『ヤキを入れる』とは拷問を意味している」等の証言をした。まさに、衝撃的な行動といわなければならない。 しかし、Yさんに続いて証言台に立った二俣警察署長は、「Yは、日ごろの勤務がでたらめで、性格は変質的。今回の捜査でも、命じられた捜査に従わず、勝手な行動が多かったので途中から係を変えた」と証言した。 その結果、①裁判所は、Sさんの弁解やYさんの証言を認めず所長や取調べ警察官の証言を信用し、S自白の任意性を認めて信用性も肯定し、Sさんに死刑を言い渡した。それだけでなく、②Yさんは、即日、偽証罪で逮捕・勾留された上、鑑定留置された。 Yさんは、名古屋大学医学部教授の精神鑑定の結果、「妄想性痴呆症」という病名をつけられ、偽証罪は不起訴とされたものの、③免職となって警察官の職を失ったばかりか、運転免許証まで取り上げられてしまった。 Sさんに対する死刑判決は、控訴審である東京高裁では支持されたが、最高裁によって破棄された。最高裁は、拷問の有無については判断を示さなかったが、自白の信用性に疑いを抱いたのである。 被告人が真実を訴えても捜査官の証言が重視される 差戻しを受けた静岡地裁は、「自白の任意性に疑いがある」として、Sさんに無罪判決を言い渡した。これに対し検察官は控訴したが、控訴審である東京高裁はこれを棄却した。 最高裁の破棄差戻判決は、自白の任意性や拷問の有無について黙して語らなかったが、差戻審である静岡地裁は、取調べ状況について詳細な審理を遂げた。その上で、静岡地裁は、「警察官らの証言は、Sさんの弁解やY証言などに照らし信用性に疑問がある」として、自白の任意性を否定した。 日章旗と裁判官の木槌写真=iStock.com/SomeMeans※写真はイメージです 判文は読み応えがあり、差戻し前の有罪判決と比べ、はるかに説得力に富むものである。かくしてSさんは、辛うじて最終的に無罪とされたが、その陰には、警察官人生を棒に振ったYさんの貴重な自己犠牲があった。 密室内での取調べの状況などに関し、被告人と捜査官の供述が対立すると、被告人がいくら真剣に真実を訴えても、多くの裁判官は、捜査官の言い分に軍配を挙げる。 本件の差戻し前の一・二審では、現職の捜査官であるYさんがSさんの供述を支持する証言をしているのに、拷問の事実を否定する警察署長らの証言を信用して、Sさんの弁解を平然と排斥した。 そればかりか、平成の時代になっても、同様の論法を駆使して取調べに関する被告人側の主張を平然と排斥する裁判例は後を絶たない(例えば、天竜林業高校事件に関する静岡地裁浜松支決平成28年10月24日〈再審請求棄却〉、東京高決令和3年3月31日〈即時抗告棄却〉)。 冤罪を生み出す「宣誓神話」 その場合に裁判官が挙げる理由は、 ① 被告人は罪を免れようとして嘘をつく動機があるが、捜査官にはない ② 捜査官は宣誓の上証言しているが、被告人は宣誓もしていないから、嘘をついても処罰されない ③ 捜査官が偽証罪で処罰される危険を冒してまで嘘をつくはずがない というものである。私は、これを「宣誓神話」と呼んでいる。しかし、この「宣誓神話」は、とんでもない誤りである。 まず、論拠①であるが、捜査官にも嘘をつく動機は十分にある。自分たちが捜査の過程でやり過ぎてしまった場合、それを正直に証言すれば、組織内における自分の立場を悪くする。 次に論拠②③も誤りである。宣誓には、捜査官の虚偽証言を阻止する効果はなく、それはむしろ偽証を助長すると考えるべきである。捜査官が仮に法廷で嘘をついたとしても、それが捜査側・検察側に有利なものである限り、検察官がその捜査官を偽証罪で起訴することはあり得ない。 逆に、本件におけるYさんのように、捜査官が自分たちのした違法捜査を正直に証言した場合には、その捜査官は偽証罪で身柄拘束の上取調べを受け(起訴されるかどうかは別として)、組織から確実に放逐される。 それだけではない。捜査官が被告人を犯人であると信じている場合、「真実を述べたら、せっかく自白させた真犯人まで取り逃してしまう。そんなことはしたくない」と考えるのは、ごく普通の人間心理である。私は、裁判官退職後のことであるが、ある大物検察官OBから、以下のような衝撃的な話を直接聞いたことがある。 「取り調べの可視化」が進むだけでは問題は解決しない その方は、「われわれは、検事に、法廷では多少の嘘をついてもよいと指導してきた。なぜなら、その結果真犯人が処罰されるのであれば、その嘘は大きな意味で正義にかなうからだ」と言われたのである。これは、「検事が起訴した被告人は必ず犯人である」という独断を前提とした驚くべき発言であるが、第一線の検察官の意識はこれと大差のないものではないかと思う。 法曹として高い教養を有するはずの検察官にしてそうである。裁判官は、警察官が法廷で嘘をつくことなどなんとも思っていないと考えるべきである。裁判官が、愚かな宣誓神話を信奉している限り、冤罪を根絶することはおよそ不可能である。 裁判官のこのような「愚かな盲信」に業を煮やした弁護士層からは、取調べの場面をビデオ映像として残す、つまり「可視化する」のが唯一の解決策であるという主張が、強く行われるようになった。そして、郵便不正事件(村木事件)を契機として立法化の動きが強まり、法務省も遂に重い腰を上げた。 その結果、2019年から、裁判員裁判事件などごく一部の事件についてではあるが、捜査官は、取調べを可視化しなければならなくなった。 しかし、現実に成立した可視化法は、義務的な可視化対象を裁判員裁判事件や検察独自捜査事件に限定しているだけでなく、任意取調べの場面は可視化の対象から除外されるなど、はなはだ不十分なものである。その上、近時の心理学者の研究によって、現在のように、被疑者を正面から撮影した映像は本質的にある種のバイアスをもたらすことが明らかにされてきた。 したがって、可視化映像さえあれば、取調べ状況を正確に認定できると考えるのは幻想に過ぎない。取調べ状況を正確に認定するためには、裁判官が前記①ないし③のような誤った宣誓神話から、一刻も早く脱却する以外にない。
殴る蹴るの拷問で自白を引き出す…不良少年を殺人犯に仕立て上げた"あり得ない捜査" 拷問を告発した警察官は懲戒免職に | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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oniwastagram · 2 years
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📸沼津御用邸記念公園 / Numazu Goyotei Memorial Park, Numazu, Shizuoka ② 静岡県沼津市の国指定文化財庭園『沼津御用邸記念公園』が素敵…! 明治時代に造営され、大正天皇・昭和天皇・上皇陛下も度々訪れ長く利用された皇室/皇族の別邸“沼津御用邸”…圧巻の広さの明治時代の近代和風建築にインテリアと、駿河湾を望む“旧沼津御用邸苑地”として国指定名勝のランドスケープ。 ...... 続き。で、ここから「西附属邸」について。「附属邸」という名前だけれど、めっちゃくっちゃ広い…。日本各地には新旧多くの別荘があるだろうけど、「附属屋」がここまで広い別荘はさすがに無いかも。 . 本邸・東附属邸に次いで1905年(明治38年)に後の昭和天皇のために設けられた西附属邸。その一部は元々は前述の川村純義伯爵の別荘として建てられていたものなので、建築年代は更に古い。 . その別荘を買い上げた上で順次増築を重ね、大正11年に御玉突所(ビリヤード場🎱)の増築をもって現在の姿となりました。 . その部屋数は26、平屋建ての建築の広さは1,270平方メートル。庭園みたいな広さの単位。 全体的には純和風建築で、近代和風建築によくある数寄屋風の凝った意匠…とかはほぼ見られないのですが、シャンデリアなど洋風のインテリアで飾られた“謁見所”、庭園に面しソファーの置かれた“御座所”等からはその格式の高さが伝わってくる! . 西附属邸から駿河湾へ向けて庭園が広がります。ザ・日本庭園というよりは比較的シンプルな庭園で… 海の中の島々を表現するかのような庭石が配されてはいるけれど、それらの主張も強くなく(唯一、温暖さを感じさせるソテツだけ主張が強め)、松林の景観を最大限に活かつつ、松林越しに駿河湾〜対岸の山々をのぞむ眺望が重要視された庭園。 . 公式サイトの昭和年代の写真で見ると建物の前はも少し芝生の広場って感じだったのかな。 . なお2016年に文化財指定を受けた際に名前が「庭園」ではなく「苑地」となったのは、建築から眺められる庭園だけでなく、松林や駿河湾の眺望といったランドスケープ全体、貴重な御用邸の石積なども含め評価・保存の対象となったため。 . 明治時代の和風建築も重要文化財級の価値がきっとあるんだろうけど、国指定名勝で公園全体を保護することで建築も対象になっている…的な事例です。 東附属邸に続きます。 . 静岡・沼津御用邸記念公園(西附属邸)の紹介は☟ https://oniwa.garden/numazu-goyotei-memorial-park/ // 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 \\ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscape #landscapedesign #ランドスケープ #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #静岡庭園 #静岡旅行 #静岡観光 #近代和風建築 #近代建築 #文化財 #文化財庭園 #おにわさん (沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/Ch_8apNPdw9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yotchan-blog · 4 days
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2024/5/30 14:01:28現在のニュース
野村不とJR東日本、東京・芝浦で複合開発 オフィス充実 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/30 14:00:31) イラン政府系メディア、対フーシ軍事支援を明言 イスラエルに圧力か(朝日新聞, 2024/5/30 13:58:04) 横断歩道の白線、間隔広げてOK 45~50センチ→90センチに | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 13:57:52) 沖縄知事「運用の明確化を」 国の指示権拡大に地方から懸念の声 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 13:57:52) 沖縄知事「運用の明確化を」 国の指示権拡大に地方から懸念の声(毎日新聞, 2024/5/30 13:57:40) 「想定外」の要件あいまい 乱用歯止めも不透明 国の指示権拡大 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 13:52:03) 常磐道走行中のトラックに矢が刺さる 助手席ドア、クロスボウか | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 13:52:03) 那須雪崩高校生ら8人死亡 引率教諭3人に実刑判決 宇都宮地裁 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 13:52:03) テレビ東京が「激録・警察密着24時!!」で謝罪 「鬼滅の刃」巡る事件で不適切表現([B!]産経新聞, 2024/5/30 13:51:06) 91歳女性を暴行死、両足をタオルで結束か 容疑で69歳長男ら家族3人逮捕([B!]産経新聞, 2024/5/30 13:51:06) 歯科治療中に呼吸止まる 障害者施設の入所男性が死亡 職員5人で押さえ、胸など圧迫か([B!]産経新聞, 2024/5/30 13:51:06) 「想定外」の要件あいまい 乱用歯止めも不透明 国の指示権拡大(毎日新聞, 2024/5/30 13:50:25) 野宿者立ち退き命令が確定 大阪あいりん地区、最高裁(毎日新聞, 2024/5/30 13:50:25) スタートアップのリプロ、ウェブサイト表示を高速化 平均30%改善 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/30 13:48:24) 栃木県那須町の雪崩8人死亡事故 教諭ら3人に禁錮2年 宇都宮地裁(朝日新聞, 2024/5/30 13:43:00) 映画「天上の花」の脚本改変巡る訴訟 原告の脚本家が一部勝訴の判決(朝日新聞, 2024/5/30 13:43:00) テレビ東京が謝罪 「激録・警察密着24時!!」で事実誤認など(毎日新聞, 2024/5/30 13:43:00) 東海テレビなど名古屋の民放3社減益 24年3月期決算、CM苦戦続く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/30 13:42:30) 福岡の民放5社のうち増収は3社…3月期、ネットに押され視聴率低下も放送以外の分野で補う([B!]読売新聞, 2024/5/30 13:39:18) 粉飾決算25年、融資28億円返済されず…元専務「引くに引けなくなった」([B!]読売新聞, 2024/5/30 13:39:18) 子育て支援金 「負担」は明記する?しない?岸田首相なお微妙な答弁(毎日新聞, 2024/5/30 13:35:21) 那須雪崩高校生ら8人死亡 引率教諭3人に実刑判決 宇都宮地裁(毎日新聞, 2024/5/30 13:35:21) 大阪・交野市長「意向調査やり直すべきだ」 万博の子ども無料招待(毎日新聞, 2024/5/30 13:35:21) 災害時などに国の「指示権」拡大 地方自治法改正案が衆院通過(毎日新聞, 2024/5/30 13:35:21) 自民・福岡氏が税控除認める 2022年、200万円を党支部に寄付(毎日新聞, 2024/5/30 13:35:21) JR東海社長「密接に意思疎通を」 静岡新知事は水位低下に「不信」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/30 13:33:13)
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yokoham · 2 months
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雑記20240402
僕の周囲では話題にならなかった春の選抜、いつのまにか群馬の健大高崎が優勝したという話だけ聞いた。前々から名前は聞いたことがある「健大高崎」という学校、おそらく「健大」の付属高校なんでしょうけど、「健大」の違和感が強くて、かつ「健康大学(絶対違う)」という解釈しかできない自分自身の語彙や発想力の貧困さに気付かされる名前。なんだこの長い一文。
なんか健康麻雀を思い出すんだよな。たぶん健康福祉大学みたいな名前なんだと思うんだけど、あえて正確な名称は調べないまま、僕の中では「健康大学高崎」でいきたいと思います。
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今はとにかくポジションを軽くして、自分でがっつりと稼ぐことより多少の手数料を払ってでもインカムゲインが取れる投信・ETFに資産を転換しています。ちょっと疲れてきちゃったから、のんびりしたい。
なんか右目のぴくぴくがね、休んでも休んでもおさまらないのよ。ちょっと間、何も考えずに生きていきたい。
今年は5月のNVIDIAの決算、日米の金利差縮小、大統領選、これが年末の手前まで詰まっていてテールリスク、暴騰と暴落のどっちかに行くんじゃないかって。僕は楽観的なので上に跳ねるんじゃないかと思っていますけど、もしもには備えないと。
日本株の状況については、もしかしたらここから年末くらいまでレンジ相場に入るのかなという雰囲気も感じています。大体、今までが急すぎたし。目先は下降トレンドですけど、長期の上昇トレンドは継続しているとは思っています。
問題は、これからドル円がどうなるのか。いまの152円に接近する動きっていうのは神田さんが言うような「投機的」な動きではないと思っているので、152円はそのうち抜けちゃうんじゃないかなって。とりあえず期初はなんとか収まりましたけど、通貨防衛のために金利差の縮小を急ぐ動きが出てくると、株式市場への大きな影響は避けられません。
ただ、岸田政権としては新NISAが起動した今年、いろいろと考えているなと見ているので、極端に日本に不利な状況は醸成されないんじゃないかと楽観もしています。
そうは言っても、アメリカ市場との関係性もあって、油断できない状況だとは思います。音楽が鳴り続ける間は踊り続けなければいけないのが市場参加者の宿命とは言え、綱一本の上で踊っているような状況かもしれない。まあ、ザマギでも聴いて落ち着いてくれよ。
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資産の5分の1くらいは米ドルになりました。円安だからなかなか進まないね。ドルでドルを稼ぐようにすれば、資産も安定してくると思うんですけどね。
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僕がいま買っているのは、いわゆるFIREを目指すような人たちからよく買われている、毎月分配型のETFですね。ティッカーで言うとRYLD、QYLD、JEPQ、JEPI、SRLNを買っています。毎月分配型は運用効率がよくない、という見方もあるし、実際リターンを見たらもっと良いETFはあります。
ただ毎月分配型は機動性が高いので、長期保有が前提のETFよりパフォーマンスが劣ったとしても、それを上回るメリットがあると思うんですよね。利益を取りながら、さっと売って他に資産を移動させることができるっていうのは、先が読みづらい状況にはちょうどいいETFなんじゃないかなと。
僕はS&P500の銘柄や投信はちょっと持ってますけど、NASDAQやRussellはほぼノーマークなので、そこをカバーする意味でもいいかなっていう感じ。せっかく盛り上がっているなら、ちょっとはおすそ分けが欲しいよね。
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なんか、物議を醸していた静岡県知事が今度の議会で辞任するそうですね。なんだかんだ4期も務めているんだから、昔は優秀な人だったんでしょうけど、さすがにもう限界なんだろうと思います。
僕は常々言っていますが、失言しようが悪党であろうが、贈収賄をしようが裏金を作ろうが、有能で日本国民と日本に利益をもたらす人物であれば、政治家であって構わないと思っています。無能で害悪をもたらす善人の政治家なんて、必要ありません。そんなあまっちょろい人物、海千山千の世界の政治家たちと渡り合えますか?
それはともかく、静岡県知事がJR東海と揉めていた件は、リニアが日本の国益になるのかどうかは別として、なんか「耄碌したただの頑固じいさんの強��」で見るに堪えませんでした。論理的にも破綻していた。単純に、人として劣化が激しかった。加齢の現実でしょうね。
引き際は美しくありたいものです。明日はJR東海の株価、騰がるのかな? 結局そこが気になるんよな。
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sakumakou · 4 months
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20240205
0205 きままなTV・メディア情報です
「『2024年度のテレビ、ラジオ営業収入見通し』を発表」(民放連:添付あり)
https://j-ba.or.jp/category/topics/jba106183
「AMラジオ34局、1日から順次運用休止。FM転換目指す」(Impress)
「日テレHD株ストップ高 名簿外の外国人株主に配当で」(日経)
「出川哲朗『TXと結構もめた』と告白 『充電…』G帯進出時にルール変更めぐり」(ニッカン)
「日本シナリオ作家協会、原作者と脚本家の関係語った動画について謝罪、釈明も」(デイリー)
「『セクシー田中さん』作者急死 原作改変絶えぬトラブル、過去にも日テレで異例の事態」(産経/フジ)
「『ブス』『ケツバット』…昭和の死語が令和親子に大ウケのドラマ『不適切にも…』」(産経/フジ)
「テレ朝『関ジャム』名称変更検討中 CXはすでに新名称”SUPER EIGHT”に変更」(ニッカン)
「NHK、受信料を経営悪化のローカル局救済に投入か…二元体制維持に600億円」(BJ)
「リニア:川勝静岡県知事にJR東海が異例の反論…政治家なのに人の話を聞く気がない」(新潮)
「KDDI、個人向けスターリンクを国内販売 今春以降」(日経)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC021O70S4A200C2000000/
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thesunabar · 1 year
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弥生十五日(水) ⁡ ✝️いつまでもあると思うな親と店✝ 89㎏⤵️⤴️ポンコツ肥満は今日もぼんやり ⁡ ⁡ 咀嚼するのが面倒なので、「痩せちゃう😭」って思っていたのに、一日で2kg⤴️ 全くもってワガママぼでい… ⁡ 今週土曜日3/18は緊急臨時店休日なのですが、今のところ今週は非常に涼しいです🫠 肥満の顔面神経に喝を‼️ おシャンもたんまりございます🍾 ⁡ 季節外れの赤鬼と青鬼も降臨👹🎭 ⁡ ソリレスのピカタカレー風味、桜海老とカラスミのたまご蒸し、などあります ホタルイカは、焼きそばや素麺やたまご蒸しなどにもトッピングできますよ😘 ⁡ よろしくどうぞ🙏🙇‍♂️🙏 ⁡ 4/29(㊗️土)は、 【🎧NYFSうるとらREBORN🎧】 GW初日は2年ぶりのうるとら♬ sweet & mellowな昼下がりを🍶 ゆっくり鯨飲馬食も ちょっと1杯だけでも 是非ともおまんちしております💋 ⁡ ⁡ 【🌸NYFSのお花見2023🌸】 今年も開催🍶 4/9(日)です✨ ※参加資格は2022/04/11(月)から2023/04/8(土)までにご来店のお客様となります🤲 ⁡ 詳細は… 今宵も、おまんちしております💋 ⁡ ⁡ 宮城県 一ノ蔵、3.11未来へつなぐバトン 秋田県、10周年の農醸ささにごり 福井県 田辺酒造、優勝 革命君バージョン 長野県 岡崎酒造、信州亀齢 ひとごこちと山田錦 新潟県 新潟第一酒造、鬼山間 赤と青 山形県 髙木酒造、十四代 本丸 本生おりがらみ ⁡ 他にも色々ございます🍶 ⁡ ⁡ ちょいと一杯のつもりが… でしたら【唎酒コース】が激しくお🉐 小鉢がついて1杯90ml×で5杯程 1時間で二合半(こなから)です🍶 ⁡ お酒は肥満のオススメ💡 1時間1本勝負でも、延長戦でもご気分次第でごゆっくりお楽しみください🤲 ※ご予約不要、1名様から4名様まで ⁡ よろぴこどうぞ🙏🙇‍♂️🙏 ⁡ ⁡ ⁡ 日めくりカレンダーによれば「静中の静は真の静にあらず」だそうです🤔 ⁡ ⁡ 牡蠣は北海道厚岸🦪 ⁡ ふぐ皮とカラスミの卵蒸、重慶飯店の麻婆豆腐、トマト卵炒め、ウインナーたまご🥚 生ハム ハモン デ テルエル切落とし、エ・イ・ヒ・レ😘 ⁡ 生ハムと青とうがらしの包みピザ、豚ロースの味噌生姜焼き、セセリ串葱蒸し焼き、も、おススメです💡 ⁡ 〆ものは、 クミン焼きそば 広島菜と紫蘇の混ぜごはん焼おにぎり カラスミ稲庭素麺 ⁡ ⁡ 【弥生の店休日】 5(日) 12日(日) 18日(土)緊急臨時店休日 19日(日) 21日(㊗️火)※ご予約あれば営業します‼️ 26日(日) ⁡ 【🚨唎酒コース🚨】 ・最初の1時間は3300円(4〜5杯) ・延長は1時間毎に1100円(状況に応じて) ※税込、小鉢付き ※グラス交換制 ※お酒は肥満のおススメを順に ※1組1名から4名迄 ⁡ 【⚠️予約制⚠️フードセット】 ・2名様から ・¥7700(税込) ・150分制(ラストオーダーは30分前) ・ガリ、突き出し、生ハム、卵、魚、肉、〆 ・肥満おススメ日本酒をご提供(4〜5杯) ⁡ ◎お席のご予約、貸切(8名様から)、承ります →お気軽にお問い合わせください📞📲 ※貸切予約はご来店ください🍶 ⁡ https://sunabar.thebase.in/ 視野を広く裾野を広く🌋 ご理解ご協力の程よろしくお願いいたします🙏 ⁡ ◎手洗いと手指消毒の励行🥷 ◎無駄な大声(地声含む)は永遠に自粛🙅 ◎マスクや距離感など優しいキモチ👼 ⁡ アタシ 待つは ⁡ どうぞ よしなに ⁡ かしこみ かしこみ ⁡ #新四谷舟町砂場 #the_neo_sunabar #四谷舟町砂場 #舟町砂場 #the_sunbar #日本酒スナック #NYFS #荒木町 #四谷三丁目 #舟町 #日本酒 #焼酎 #ワイン #麦酒 ⁡ ♨️新四谷舟町砂場(Neo Yotsuya Funamachi Sunabar) 〒1600007 東京都新宿区荒木町6 ルミエール四谷1FA 0333545655 [email protected] 17時頃から24時入店(変更の可能性有り) ※ラストオーダーは気分次第よ責めないで😘 不定休 facebook.com/NeoYFS facebook.com/the.sunabar instagram.com/the_sunabar twitter.com/_sunabar (新四谷舟町砂場) https://www.instagram.com/p/CpzYKWKShxI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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taikospirit · 1 year
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アルバム『波』について(文章:伊藤暁里)
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1. 椅子の椅子
 まずタイトルが気に入っている。1曲目にして正解だったなあと思うはじまり感のある曲。アルバムの出だしが「東大の親戚」っていいなあと。
 完成系になるまで二転三転した。ギター2本の十六分の絡みにも試行錯誤したし、ドラムパターンも岡田君のアイデアでほぼ全編頭打ちにパターンになった。もとは今の間奏前のパターンが基本パターンだった。ベースも途中で歪ませた。フレーズ含めワイルドで良い。
 面白いと思うのはBメロに入っているクラップ。最初は割とふざけて入れていたが、ありなんじゃないかっていう話になってきてそのまま採用。こういうのをOKにしだしたあたりから、アルバム全体に色んなアイデアが入れられるようになった気がする。ちなみにクラップやその他パーカス音に使っているのはYAMAHAのRX17というドラムマシン。再評価の兆しが全然ない安い機材。そういうものをどんどん使っていきたい。
 椅子の椅子。高く積みあがった椅子に対峙しているイメージ。この椅子の連なりを崩すのにはどれくらい時間がかかるのだろうかというある種の諦観。だけど一つ一つ積み下ろしていくしかないとは分かっている。諦めているわけではない。松田青子の『スタッキング可能』のイメージが少しあるかもしれない、今思えば。
2. リフト
 Robert Wyatt『Shleep』収録の「Alien」を聴いて、作った。ピアノで弾くと現代音楽~ミニマル・ミュージックっぽくなるような繰り返しのフレーズ。
 そのフレーズに、冒頭「雪を掻いてコーンを立てる/張り詰めて清冽な朝だ」という詩の断片としてメモしていたものがハマッたので、そこから先まで作っていった。なので一応、詩先。というか今作は全て詩先。「いいばい」という地元福岡県の方言が出てくるが、英語のbyeやbyのイメージで、ナチュラルに聴こえるのではないかと思って初めて歌詞に方言を入れてみた。
 アルバム制作に向けてアレンジのアイデアを出していきましょうとバンドで話してから、最初にこの曲の間奏のシンセアレンジがバチッと決まった。アルバム全体でシンセがかなり使われているが、この曲からそういう雰囲気は出来始めた気がする。
 僕は小学校と高校でサッカー部に所属していた(中学はバスケ部)。フィジカルとメンタルが強くなかったが、足元の技術は多分そんなに悪くなく、リフティングは得意だった。リフティングは1000回できればあとは一緒、という1000回の壁みたいなものがあって、小学校の頃はよく1000回目指して練習していた。リフティングの調子がいいのは、大体早起きできた冬の朝だった。気持ちがスンとして神経が研ぎ澄まされて、周りのことは気にせず、集中できた。
3. えんえい
 2020年7月から諸々の状況を踏まえて実家に帰っているのだが、「えんえい」は実家に帰って最初にできた曲。家のピアノに久しぶりに触っているうちに、できた。この曲ができて、アルバムのイメージが広がった気がする。あたらしいものになる感じがした。アレンジも��ンバーの個性がすごく出ていると思う。どのパートもいいと思うが、とくにドラムのパターンが好き。
 ちなみにこの曲は、もともと冒頭~「待っている」くらいまで違うコードとリズムで何となく曲ができていたものを、ピアノを触りながら作り変えた。これ以外の曲にも作り変えた曲は多い。「椅子の椅子」もそう。基本的に詩先なので、コードやメロを優先せずよりフィットするものを探している感じ。
 TETRAのみんなや岡田君、澁谷さんと本格的に制作が始まりだした頃、最初に岡田君のプロディース視点でのエディットが入ったのがこの曲だった。バンドのアレンジの精度がグッと上がったような、各々の意図を汲みながらクオリティが増幅されたような、そういうものが返ってきて、みんなで「めっちゃいいねー!」となったのをよく覚えている。「岡田君とすごくいいものが作れそうだ」と思った。
 この曲も小学校の頃のイメージ。そこから現在に至るまでの時間について、そしてこれからも進んでいく時間について。過去への憧憬ではないが、時々、小学校の下駄箱の先に今も僕が立っているような気分になる。もし彼と話せたら、僕は何を話すだろうか。彼は僕にどんな言葉を返すだろうか。そういう気分は、これからもずっと続いていくのだろうと思う。
4. コーンクリーム
 インタールード的な、めちゃくちゃ短い曲をやりたいと思って作った曲。Frankie Cosmos『Close It Quietly』収録の「Self-Destruct」という45秒の曲を聴いてこういうのいいなあと思った記憶がある。
 コード進行がアンニュイで切なくて気に入っている。実はかなり長い間温めていたというか何度も曲で使おうとして使えていなかったもの。ようやく形にできて嬉しい。ちなみにFrank Oceanの『Blonde』の中にもこれに近いコードの曲が2曲あって、初めて聞いた時彼もこれが好きなのかと嬉しく感じた。
 歌詞は、コロナ禍でとくに外出に敏感だった頃、毎日書いていた数行の短詩シリーズの中のひとつ。狙ったわけではないが、4曲目で4行詩になっていて少し気持ちいい。「渦中」という言葉を使うにふさわしい時期に、ある種まっすぐすぎる表現になっているのかも知れない。だけど、これまでの人生の中で今こそまっすぐであるべき時代はなかったような気がしている。まっすぐでいい。
 もともとはアウトロがあってもう少し長い曲で、その尺で録音していたのを、ミックス最終段階で削った。
5. 合間
 もともとギターで作っていた曲を岡田君サジェストでシンセに換えた曲。ジョンレノンの暗い曲みたいなイメージで、いい感じになった。ギリギリのラインなダサさのシンセが気に入っていて、ANTI RECORDSのあまり人気じゃないバンドのようなイメージを勝手に抱いている。絶妙な気持ち悪さのあるギターも良い。
 この曲も、短詩シリーズに歌をつけたもの。生活の中でふと訪れる合間のような瞬間について。自分でも面白いと思うが、「コーンクリーム」も「合間」も、特に歌を想定せず書いた詩であるにも関わらず、一言一句変えることなくそのまま歌にできている。一方で、全然歌にならない詩もある。やっぱり、自分の中で歌に近いフィールや語感で書いている詩と、それとはまた違う詩があるのだろうと思う。いずれにしても、今作を通じて自分の作曲の「型」が出来てきたような気はする。
 ちなみにメインのコードで使っているシンセは、Rolandのα-Juno。「椅子の椅子」「リフト」「えんえい」含め、今作全般で多用している。いわゆるFM系のデジタルな味のあるシンセだが、同類の流行っているシンセに比べて人気も知名度も低い、ゆえに安価。そうでありながら、色々調べているとシンセ好きの間では結構評価は高いらしい。こういう機材ばかり持っている。
6.火遊び
 B面頭の一曲。当初は前半に入れようと話していたが、岡田君の提案でこの位置に持ってきた。いい転換ポイントになっていて、正解だった。「火遊び」「青梅」「椅子の椅子」「リフト」の4曲は、2019年末のワンマンライブ「talkback」で披露した。このワンマンは2部制をとったもので、後半の部では新曲を7曲程やった。『波』に入っていない曲もあり、それらは『石』に入っている。そういう意味では、この新曲群がアルバムの土台になっていると言える。「talkback」フライヤーの裏面に書いた文章にもあるように、この新曲群を作っていた頃、これまでのタイコとちょっと違うぞ、というあたらしい風が吹いていたような感じがする。
 「火遊び」は、タイコとしては結構テンポの速い曲。狙って速くしたとか、何かに影響を受けて...という感じではなく、冒頭アコギで弾いているリフから作っていったと記憶している。アレンジは完全にバンド内完結で、岡田君の手は入っていない。タイコらしい、フレーズが絡み合ってぶつかり合うアレンジ。
 幼少期に、近所の工事現場で火遊びをして火事を起こしてしまい、消防車や警察が来る騒動になったことがあった。結構ちゃんとした火事である。その時のことを描いた歌詞。そして。2番では、「いま」のことを歌っている。
7.青梅
 ドラムの録り音が非常にいい。『波』の中では一番いい。静かな曲なので、細いスティックとモフモフした何かがついたビーター(バスドラムを押し叩くやつ)を使ってドラムを演奏してもらったのだが、その音色とセッティングがベストマッチしたのか、とても奥ゆかしいきれいな音が録れた。ちなみにドラムとベースを録音したのは浅草橋にあるツバメスタジオ。当初岡田君が「北野映画の事務所みたいなところだよ」と言っていたので、よほど殺伐とした空気が漂っているのかなと少々不安だったが、ビルの7階にある、ベランダからの景色が気持ちいい、良いスタジオだった。
 曲の展開も気に入っている。例えばよくある「A⇒B⇒サビ⇒2A⇒2B⇒サビ」などのように、同じ展開に戻ってくるのではなく、まっすぐ進んでいくもの。「A⇒B⇒C⇒D」で終わる感じ。詩先で曲を作るようになってから、ポップミュージックの一般的な構成に縛られたくない、という気持ちが強くなった。曲になることを想定せず、詩の赴くままに曲が展開していく、そういうものを作りたいと考えるようになった。「青梅」は、その一つの成果だと思う。
 アレンジは、あるタイミングでガラッと変わった。スタジオで合わせた段階で「これではつまらない」という感じになったので、いくつかの違う気分でのテイクをボイスメモに録音した。その中に、これはいけそうだ、というのがあり、そこからデモを再度制作し、現在の形になっていった。
 この曲もエディットなしのバンド内完結。シンプルで、あまり無駄のないアレンジになっていると思う。間奏が特に気に入っていて、よく人からもいいねと言われる。ずらしてスキマを埋めるようなやり方。これもタイコの持ち味の一つ。前半と間奏あたりを中心に、割とヨレ気味というかいささか間延びしたノリになっている感じだが、この曲に関してはそれも味かなと思う。
 歌詞は、終電を逃しましたっていうだけの話といえばそれまでだし、それだけではないといえば、それだけではないのかも知れない。
8.たましい
 ボツになっていたのを2、3回作り直した曲。実はこの曲も2019年のワンマンでやろうとしていて、スタジオでアレンジを試みていたがうまくいかなかった。その時点でもすでに色々試してはいた。メロディやコードは悪くないしうまく形にしたいなと感じながらも、ボツにしたままアルバム制作が始まった。
 今年タイコが『波』『石』の2枚のアルバムを出して、「急にどうした」と思われている方もおられるかも知れないが、もともと、2020年に本格的に制作を始めた段階では、16~18曲入りのアルバムを作りたいと話していた。まずワンマンで演奏した7曲があって、それ以外に「えんえい」「ぽっち」「コーンクリーム」を含むデモ4曲(1曲ボツった)、それから『ありあけ』に入れた「たった一本」も含めて、合計で12曲はあります、という体でもって、録音と同時並行で曲作りを進めて18曲までもっていこうとしていたのだ。今思えば結構見切り発車ではある。まあでもアルバム制作ってこんな感じで始まることが多い気もする。
 で、たましいをもう一度テーブルの上に持ってきたのは初回のツバメスタジオでの録音を終えた後だった気がする。「えんえい」「ぽっち」と、ピアノでの曲作りに慣れてきて、「たましい」のコード感はピアノでもいけそうだなと思ったのでリアレンジした。思った通り、うまくハマッた。そこから諸々のアレンジを開始した。
 この曲は、二重にも三重にもエディットが入っていて、今作におけるデータやり取りをベースにした制作手法が結実したものだと思う。ピアノの方向性ができたあと、まずはリズムパターンをのぞみんに入れてもらった。この時点で、自分とは違う拍の解釈(三拍子を四拍子で捉える)で返ってきたのでおおっと思ったのだが、ここで一回そのリズムパターンを伊藤がエディット。エディットというか音を抜いて、三拍子にも四拍子にも聞こえるようにした。加えて、ピアノのボイシング(和音の置き方)を調整したうえで、他の楽器を入れていった。シンセ(伊藤)、ギター(樺山)、ノイズ(大堀)。この曲では大堀さんはベースを弾いておらず、代わりにノイズみたいな音を入れている。まあ樺山のギターもノイズみたいなものだが…。シンセに関しては、「えんえい」や「リフト」のアレンジで岡田君と話していたことがとても参考になった。それは、音の減衰をズラしていくこと。拍の頭や終わりで音が切れることが多いと単調に聴こえるので、なるべくランダムっぽく、音の繋がりを分かりづらくすると、アブストラクトに聴こえる、と。こういう学びは大きかった。その意味では、録音と曲作りを同時並行に進めたのも意味はあった。
 そうこうしてバンド側である程度アレンジが見えたものを岡田君に渡して、そこにまたエディットや追加のシンセが入った。中盤、リズムマシンの刻みが細かくなって畳みかけるところや、クリスタルな音色のシンセ、等々。レトロなニューエイジ感とはまた違う、Visible Cloaksのようなデジタルな質感のシンセがあたらしい、キラキラしていて。アウトロも、一旦は刻みが細かくなる岡田ver.になったのだが、ここは自分の趣向でこばやしver.に戻した。まさに四拍子で捉えているのがハッキリわかる箇所だから、残したかった。こんな経緯で、完成形に至った。
 この曲のもうひとつ面白いところは、デモ制作とレコーディングの堺が曖昧なところ。例えば、「えんえい」のピアノは場所を借りてちゃんと録ったのに対して、「たましい」のピアノはデモで入れていた実家のピアノがそのまま本番テイクになっている。また中盤に入っているライドシンバルは、「えんえい」のデモ段階で入れた近所のスタジオのドラムセットの音を切り取って使ったもの。狙ったわけではなく、制限がある中で可能なリソースを使っていき、その過程がそのまま作品になっている感じ。そのため、録音する時にもこれが実際の音源に使われるか分からない状態でやっている。とりあえず曲作りを進めている感じで、結果それがそのまま録音物になる。自分としては、このあり方は理想形だと考えている。音楽に、練習と本番はない。「練習」としての演奏であってもそこに固有の何かが必ずあるはずだ。レコーディングの現場で、そういうものを捉えるのは中々難しい。現場では、「技術」や「演奏力」や「経験」などが必要で、それらをクリアしたうえではじめて、現場でしか生まれないものが出てくる感じがする。それよりも、家の自室でああでもないこうでもないと考えながらテイクを重ねたり音を打ち込んだりする営みを記録することの方が、今の自分には大事だ。そういう意味で、今作、とくに「たましい」では、理想形のひとつに近づけたと思う。
9.ラッキーG
 『ありあけ』を作った時、新曲を一曲入れようと決めていたのだが、その候補として最初に作ったのが「ラッキーG」だった。結果としては、「たった一本」を新曲として入れることになり、「たましい」同様「ラッキーG」も一旦ボツに。とはいえ、アルバムの制作を進めるにあたってとにかく曲を増やさないといけなかったから、必然的にボツ曲を掘り返すことになった。「ラッキーG」も改めて使えないか考えてみたが、バンドアレンジにするイメージが全くなく、もし入れるなら聴かせるポイントが何か必要だなと思っていた。そんな時にふと、い��か岡田君が「18曲もあるなら1曲のぞみんが歌うとかもいいかもね」と言っていたのを思い出した。....確かそうだった、と今久しぶりに思い至る。そうして、デモっぽい荒い質感のまま、のぞみんボーカルにして、全体的な味わいで聴かせられるのはないかと考えるようになった。岡田君には本当に感謝である。
 そういう方向性で、バンドとしてもイメージできた気がしたので、データやり取りで制作に取り掛かったものの、これも中々最終形に行くのが難しかった。曲自体が相当に単調なので、デモの質感や女性ボーカルの味で聴かせるといっても、ただただショボい曲になってしまう。第一段階として各楽器とボーカルを入れてデモを作ったが、「これはいけるのか...?」という不安を拭えない感じで、どうしようかと悩んでいた。
 ちなみにこの曲の制作を進めていた時期は「たましい」よりも後。「合間」「コーンクリーム」も形が見えていて、なおかつ、録音のリスケが重なるなどがあり先行きも見えないので「アルバムを2つに分ける」という路線が固まった後だった。できている曲を、先に出してしまおう、と。で、曲の分け方と仮の曲順を考えて、全体像を見るために先に出すアルバム(通称「アルバムA」)をひとまず並べてみて、まだ不安な「ラッキーG」を最後に置いたのだった。そのまとまりを各所に聴いてもらったのだが、夏目さんは「この曲いる?」と言い、そして澁谷さんは「名盤を辞退してますね(笑)」と言っていた。まあ確かに、そういう印象になる状態ではあったと思う。で、「ラッキーG」をどうするかという話にバンドでもなったが、絶対に入れるべきという思いは強かった。バンドとしても、「たましい」で終わるのはきれいすぎるよねという感覚はあったようで、どうにか「ラッキーG」をブラッシュアップしようと色々と試みた。
 その時に自分の念頭にあったのは、Frank Oceanの『Blonde』だったと思う。『Blonde』全体に漂っているあの内省的な雰囲気と生々しさ、ドキュメント感。ジャンルや曲自体の雰囲気は全然違うが、最後に「ラッキーG」を持ってくる意図は、アルバム全体としてそういう生々しさを出したいというのもあった。その観点で、リズムマシンと伊藤ギターをラインではなく自室のアンプから出し、マイクで録ってみた。録音前後の物音も残して、粗雑な印象に、あとはベースのコードやテンポなども調整して、どうにか、形になったという感じ。
 「ラッキーG」とは、昔実家で飼っていた「ラッキーゴンタ」という犬の名前。歌詞にある通り、姉と父で意見が割れたので合わせて「ラッキーゴンタ」と名付けることになった。結果、みんなは「ラッキー」と呼んでいるのに父だけが「ゴンタ」と呼び続けるという、謎の状況になってしまったが…。『波』全体に通底するテーマだが、過去とどう向き合うか、どう付き合うかということをよく考えていた。過去に引っ張られるでもなく、過去のことを忘れるのでもないようなあり方。ひとり出版社「夏葉社」の島田潤一郎さんが出版社を立ち上げるに至る経緯のようなものを著した『古くてあたらしい仕事』という本がある。そこで島田氏は「あたらしさ」について、「いまの時代に忘れられがちなもの、いまの時代に光があたっていないものが、ある日ふと新鮮なものとしてこの目にうつる」と述べている。それが、絶版本の復刊を主要な生業とする彼の仕事である、と。僕はこの言葉にとても共感したし、広く過去のこと、古いことを考えるときにも、同じことが言えるのではないかと思った。忘れていたことさえも忘れていたような昔のことが、あるいはつとめて忘れるようにしていたことが、ある日ぽんとこころの中に浮かぶ。それは、ただの記憶の断片なのかもしれないが、一方では、いまの自分にあたらしい気持ちや気分をもたらしてくれることもある。昔の出来事の意味が後から分かることもある。言い方を換えれば、わたしたちは過去の意味をまだ全て分かっていない。その意味では過去の出来事だってあたらしい。
 「ラッキーG」を最後の曲にしたのは、正解だった。
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月18日(火) #先勝(甲辰) 旧暦 9/23 月齢 22.2 下弦 年始から291日目(閏年では292日目)にあたり、年末まであと74日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . いよいよ💦恐れて居た事が遂にって 感じになって来ました✋そんな危機 を察知してか、昨日に魘されて目が 覚めた「夢」のようなスタイルになって 来ました。。。_| ̄|○...「夢」の ようにって良い事ばかりじゃありま せんね😅💦完璧に年���に帰京は⤵️⤵️⤵️ お正月にも帰れるかなって気にも💦 本日も「お手柔らかにお願い」🤣😆🤣 やっぱ、嫌な夢は告る方が良いかも✋ . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #西口彰事件(ニシグチアキラジケン).  1963(昭和38)年10月18日(金)仏滅.福岡県の山道で会社員と運転手の2人が殺害されているのが発見される。  「戦後最悪の連続殺人」の発端で最初の被害者である。  「西口彰事件」と云われ、1963(昭和38)年10月から1964(昭和39)年1月にかけて起きた連続殺人事件。  犯人は、前科4犯の西口 彰(ニシグチ アキラ)で福岡県で二人を殺害し27万円を奪い逃走する。   指名手配されるのが判ると、瀬戸内海の連絡船で靴をおいて書置きを残して投身自殺を偽装する。  その後、同年の11月には静岡県浜松市で旅館の経営者親子の二人を殺害し再び逃亡を図る。  12月頃から弁護士を騙る(カタ・ル)ようになり、逃走を続け千葉県、北海道、東京都、栃木県で詐欺を  続けては、12月29日には東京都豊島区で弁護士を殺害して熊本県に逃走をし翌年の1月2日に弁護士を  騙り、冤罪事件防止に取り組む教戒師・古川泰龍宅を訪問するが古川の11歳の娘が、逃亡犯の西口と  知り警察に通報され翌日の1月3日に逮捕される。  西口は殺人5件、詐欺10件、窃盗2件で起訴され裁判では「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と検察の  論告され地裁の判決文では「悪魔の申し子」と形容された。  検察は死刑を求刑され、福岡地裁では死刑判決され控訴するが福岡高裁で控訴棄却され上告取り下げ  死刑確定された。1970(昭和45)年12月11日(金)大安. 福岡拘置所で西口の死刑が執行される(44歳没)。 この事件は、世相にセンセーショナル性があり事件を題材にした映画やテレビドラマにもなりました。 . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . . #デドバの日. #ZENRING DAY(#世界ウェーブストレッチリングの日 ). #ドライバーの日.#キャディーの日.#フラフープの日. #統計の日.#木造住宅の日.#ミニスカートの日.#冷凍食品の日. #すきっ戸の日.#大隈遭難事件. . . #防犯の日(毎月18日).#頭髪の日(毎月18日). #アラスカデー(#アメリカ合衆国アラスカ州).#世界メノポーズデー. . . ■本日の語句■. #敵に塩を送る(テキニシオヲオクル). 【解説】 戦国時代の武将・上杉謙信の逸話で武田信玄の領国の甲斐が塩の不足に苦しんでいると知り、甲斐へ塩を送らせたという故事。 ただし、上杉が塩を送った、武田が塩を受け取ったという記録は残っておらず、この話は後世の創作と考えられている。 日本古来の人間味の溢れた伝統でしょう✋現在の話に置き換えれば、戦国の武士とは軍隊の兵隊で武将とは士官の大将です。 戦(イクサ)又は争いから離れたのなら一人の同じ人間と考えて居たのでしょう✋困ってる者には手を差し伸べよと云う日本の 伝統の教えであり教訓なのでしょう✋そこが、世界大戦を引き起こした白人との考えが違うところなんでしょう。 白人は民間人も何も関係なく皆殺しです温情も情状酌量もあったものではありません↷↷↷弱い者から全てを奪う奴隷を作るのが 大好きな人種ですψ(`∇´)ψケッ!現在も正々堂々と繰り広げられてる悲しい社会になりました↷↷↷ . . 1955(昭和30)年10月18日(火)大安. #郷ひろみ・(#ごうひろみ) 【歌手、俳優、タレント、実業家、アイドル】 〔福岡県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Cj1ESwlh_zLhsxzLu1ED4PrM2q7gVsyllwgmog0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kisanebacci · 2 years
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六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編第十巻患者会運動」 所収原稿 患者会運動の資料を史料として残すための羅針盤として
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六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編第十巻患者会運動」 所収原稿 患者会運動の資料を史料として残すための羅針盤として   Ⅰ. 資料の大海を渡る羅針盤  歴史とは、無残なものである。無慈悲なものである。それは勝者によって書かれ、勝者にとって最大の利用価値として残されるからである。精神病患者会運動の『勝者』とは何者であろうか。患者会運動とはキチガイのセーカツそのものなのではないのか。この二つの奇妙でキョーレツな問いが「資料の大海を読み解く羅針盤」となる。全国「精神病」者集団的・全精連的な在り方と、地を這う患者会・キーサン患者会的な在り方との対比が、羅針盤である。セーカツとウンドーを対比しつつそのバランスが羅針盤となる。  この資料集成そのものは、おそらくは、敗者のためにある。何故って、精神医療改革運動為るものは、厚生省と精神病院経営者と精神医の学会によって散々に敗北をさせられてきたからである。だからこそ後世のために残すことそのものに意義がある。だが、精神医療改革運動の中で当事者運動は、もっと言えば『精神病患者会』ほどないがしろにされてきたものはない。当事者運動の中で最も大きな顔をしてきたのは、全家連を中心とする家族会であり、活動家団体としての全国「病」者集団であり、精神医良心派改革派のプシ共闘なのであり、それこそ、運動体としてのナンタラ共闘会議ドウタラ連絡会議等々全国ナンタラ日本ドウタラ等々であった。もちろん、その意義は一定程度はあったのだと想う。特に政治的運動的には。そもそも、そう「当事者運動」と云うのなら、家族も精神医も看護士も当事者だ。だが、そうだからこそ、我々のようなキチガイのキチガイによるキチガイのための「精神病患者会」為る在り様からの異議もまたアッタのである。 Ⅱ. 地を這う患者会列伝  大体が、名前からして全く違う雰囲気を醸し出している。愛媛松山の「ごかい」(言わずと知れた「わしらの街じゃあ」「天上天下病者反撃」のキーサン患者会の親分である。キーサン患者会、地を這う患者会の希望の星であった)静岡藤枝の「藤枝友の会」(地元の精神病院内の患者自治会から発展して地域患者会として作業所に変化も拒否し、徹底して会員の会費だけでたまり場を維持し続けている類まれな患者会である)神戸の「ニューカトレア会」(阪神三人衆と言われたカチコミの親分達が言っていた、山本深雪氏が大阪人権センターだの大精連だのと目立ち始める前は、ここにパラシュートして来て元々から居るような顔して、クスリ飲んでるとこなんかいっこも見たことない、と)博多の「福岡わらびの会」(今現在に至っても手書きの会報を発行し続けている凄いトコロである)東京亀戸の「新松橋亭」(しんまつと親しみを込めて呼んでいた。東京の下町で、「天上天下病者反撃」を読んで感動して作ったのだとのことで、クボタクリニック脱藩組の支援者たちもナカナカの人物である)大阪高槻の「灯会」(言わずと知れた精神病患者会の老舗中の老舗、俳句を作り続けている)堺の「ガンバロー会」(全国各地にあった精神病院の患者自治会出身の会である。このころは、浅香山病院、岩倉病院、光愛病院等々の全開放を目指した病院には、もれなく患者自治会があったものである)住吉の「旅立ちグループ」松江の「つぼみ会」「麦の会」山形の「こまくさ会」信州の「プチノマド」「ひなたぼっこの家」広島の「モスク」(南座を惜しむすき者の会の頭文字をとったそうである)名古屋の「雑草会」清瀬の「一寸五分の会」(ここの会報は毎回面白いものだった)岡山の「すばる」鹿児島の「わかち会」土佐の「西風の会」北海道の「すみれ会」(回復者クラブと自称し始めた最初だと想う。道回連も名乗っていたかも。その後セルフヘルプグルーブだのマインドだのと、イロイロな名乗りがうまれたが、その後どうなったのだろうか。但しココは、セーカツの匂いはとてもしていたと想う)東京の「友の会」(患者会の元祖かもしれない)富山の「ルナの会」福井の「らばの会」いや「ろばの会」だったか記憶が定かではない。  キリスト教系を前面に打ち出した「心の泉会」(各地の教会に集う月一くらいのたまり場をたくさん網羅していたので、考えてみれば、ココこそがある種実質的な全国的連合体だったかもしれない)全国「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」京都分会「ひまわりの会」全精連の県連としてあった「松ぼっくりの会」(ココは本当に患者会としてのセーカツの実質があった)全精連とは独立した立場の「兵精連」(全精連系の活動家が名乗る前に勝手に名乗ってしまおうと云うノリであった。実質はあったのかなかったのか)「大精連」(「病」者集団とも全精連とも独立した第三の制度政策提言路線政治大好き山本深雪氏の牙城と言っていいだろう)などもある。  そして我が京都山科の「前進友の会」(1976年十全会病院を脱走した病者、命からがら退院した患者、アルバイトスタッフだった学生たちで結成した。初期のころは学生部隊の反十全会闘争と多彩なレクに特徴があった。88年からは、患者会が設立母体で運営主体である共同作業所も運営しつつ)である。こうやって、ココに想い付く限りの患者会の名前を並べ得ただけでも、書かせてもろうただけでも、ありがたいことなのである。地を這うように70年代から80年代にかけて、精神病患者同志のレクと食事会とたまり場から澎湃としての沸き起こり活動を続け、全国ドウタラとか少しもかかわりも持たず、90年代少しづつ減っていきそして大方は21世紀には、消えていた。 Ⅲ. 全国「病」者集団的なるものとの対決  ところが不思議なことに全精連為る団体が93年に、厚生省の役人を発足大会に来賓として迎え、鳴り物入りで出来上がってくるのである。何が不思議かと言えば、各地の特色ある患者会は段々と活動を縮小していっているときに全国の連合体が出来ていったのである。ご丁寧なことには、県連と云うものもできていった。本当に実態があったのだろうか。現在の全精連の現状を考えてみれば、答えはおのずから明らかであろう。もう一つおまけには「病」者集団はこの動きに対して「歴史的な意義がある」として賛成しその宣伝ビデオに赤堀さんまで出演させてしまった。当時、不思議でかなわんかった。だって、全国「精神病」者集団と云う歴史ある全国組織があるのだから、結集したければソコに結集すれば良いことだったから、、、「地を這う」ように各地にあった患者会は、結局はその「病」者集団にも、新手の全精連にも積極的に合同していこうと云う動きには為っていかなかった。では何故にそうはならなかったのか。結論から言えば、このあたりから、「ごかい」「藤枝友の会」「前進友の会」と云う「キーサン患者会」「地を這う患者会」と自称していた我々と「病」者集団との対立が決定的になっていったのである。それは、当事者運動総体の歴史から見れば、ある種不幸なことだったかもしれない。もちろんその責めはえばっち自身もキーサン患者会も負わねばならぬが、また、大野萌子氏も「病」者集団も負わねばならぬだろう。  ここで重要なのは、本質的には、大野萌子氏と対立していたのであって、山本真理氏と対立していたと云う事ではない事だ。山本氏は大野氏の『代貸』に過ぎなかったのだから、当然であろう。90年代を通して我々が対立していたのは大野萌子氏の路線であった。70年代80年代、偉大な先駆者であり指導者だった大野氏は、誰もが敬い「世話になった」と言うほどの存在であった。それは確かなことだと想う。当事者としての大野氏の存在がどれほどのものだったのか、全国精神「病」者集団がどれほどの存在であったのかは、筆者が書く必要もあるまい。この資料集成のそこかしこにちりばめられているはずである。だが、その「偉大なる」大野萌子氏も、赤堀さんを奪還して以後は決定的に路線を誤った、とそう想う。90年代以降、個人的にも運動体としても誰もが逆らい得ななかった大野氏に面と向かっておかしいと言い始め、問い続けたのが、キーサン患者会だったわけだ。  はっきりとした対立軸は、ナンだったのだろう。全精連をどう規定するかは、大きかった。キーサン患者会は「アリャ御用団体だ」とそう公言していたところに、「病」者集団は「歴史的意義がある」と、言ってしまった。手帳制度の問題も大きかった。大阪での手帳のヒアリングを「ごかい」がカチコミを掛けて、完全に粉砕してしまったぐらいだった。我々は反対の立場だった。保安処分の『監察札』になってしまうぞ、と言っていた。一方「病」者集団は精神障害者にも手帳をとばかりその名も『赤い手帳』が欲しいと、ニュースに書くありさまだった。大野氏の路線だった。この辺から「制度政策提言路線」に急速にはまり込んでいく。その延長線上に山本真理氏や関口明彦氏らの活動家が、30万を超える入院中の患者を、圧倒的なナニも知らずに呻吟している病者を鉄格子とあの厚い鉄の扉の向こうに『置き去りにしたまま』国会の参考人になったり与党か野党か知らんが政党の検討委員やナンかの公的な機関の審議委員やあまつさえ精神医の学会の理事に為ったりしていった。 それどころか、自分に敵対する者の口を封じるのに刑訴や民訴や第三者機関やらの権力に売り渡すことまで平然として、他の患者を脅しながら自分から手を挙げて国会の参考人になりに行くという桐原尚之氏のような若手を作り出してしまった。大野萌子氏の「病」者集団型制度政策提言政治活動家論客路線の当然の帰結であろう。  しかし、そもそもの対立軸は、根本的な精神病患者会の存在自体をどうとらえるかと云う点にあったと想う。「病」者集団の立場は、つまるところ、大野萌子氏は、常々こう言っていた。「医者が作ったものは、患者会とは認めない、だから「ごかい」や「藤枝友の会」は、患者会では、ないのだ」と。これは、筆者が、「病」者集団の事務局会議に参加していたときに、直接そう聞いた。コレを聞いたとき、チガウなぁぁぁぁぁーーと想った。実際に「藤枝友の会」や「ごかい」の食事会に参加させてもらっていて、ソウ感じた。デモ、なんとなく、少しは、少しは、当たっているようにも想えた。「ごかい」と笠陽一郎医師との関係や「藤枝友の会」と中江清員医師との関係のことを言っていたのだろうが、そうはっきりと斬って捨てられるような薄ぺらたいものではないんですよ。だが、その上で、笠医師も中江医師も、精神医たちは相当強く患者会の意思決定に影響を与えているのもまた事実であった、と、そう想う。それを全否定してしまうのもまた、事実とはチガウと想うのである。今にして想えば、相互にその微妙なトコロを理解し合えていれば、と、そう想う。患者会とはキーサンのセーカツと病状と支援者のノリの上に微妙に成り立っているものなんですよ。  キーサン患者会、全国の地を這うような患者会とは、本当に、重たい病者中心のセーカツ共同体的な側面が強かった。だからこそ、レクと食事会であった。一緒によく飯を喰った。患者会には患者会独自の味があるのです。「藤枝友の会」の駿河親子は、うまかった。「ごかい」で食べたあのカレーの味は忘れられない。「福岡わらび」のあの博多水炊きは激ウマだ。「しんまつ」で食べた、あれはナンだったのか冷しゃぶだ、美味しかった。たしか「ごかい」でも食べた。みんなで、お皿を回して、あれは高知全家連大会にカチコム前日の夕食だったか帰ってきてからの夕食だったか。だから、「病」者集団の食事会に参加させてもらっていた時に、コレは患者会の食事会じゃないな、会議参加者の休憩時間だなとは想ったし、「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」の食事会は、確かに患者会の食事会にはチガいないものの、参加者全員が大野萌子氏に過剰なくらいのおべっかを使いながら食べているのがよく分かった。本当に過剰なまでの阿諛とお追従に満ち満ちていた。味なんか忘れてしまった。そうそれは、患者会の食事会ではなかったのだ、まさしく、大野萌子氏を囲む会だったのだし、大野萌子氏の食事会であった。  だから、「病」者集団は、活動家集団から、一歩も出ずじまいだった、のだ。本当に重たい病者中心の患者会ナンて、出来るはずがない。本当に口の重い身体の重い病状の重いクスリの重い病者たちが集まってくるには、そう、やはり精神医は必要なことだったのだ。重たい病者たちは、活動家風の健病者風の患者を、最初のとっかかりには決して信用はしないのだ。だって、部屋長と配膳係と、そしてすぐに退院していくヤツ等なんだから、、ソコのトコロを分かってはいないと、キレい事風の活動家集団になるだけのコトだ。そしてそのキレい事が、大野萌子氏の独裁体制を担保していた。ジッサイのところ、本当に患者会を作り、維持し、活動し、セーカツし続けていくのは、ムズカシイことなのだ。その最初のとっかかりに、そしてその継続にも、精神医や医療従事者や、健常者や健病者達は、必要だったのだ。モンダイは、その後、患者会側と、精神医とが、どのような関係性を構築するか、なのだ。特に、主治医ー患者関係にある精神医が、患者会の設立メンバーである場合には、その関係性によって、患者会側の主体性と精神医側の医療内容が、問われることに為るの、だ。患者会を維持するにあたっても、実は、健常者も、精神医も、そして、健病者も、居る必要があるのだ。だって、維持するには、ケッコウな金も、パワーも、手仕事も、必要になってくる。精神病患者会とは、結構な手間ひまと気力体力が必要なのである。その時の役割分担を考えてみたら、よい。モンダイは、分裂病圏、うつ病そう病躁鬱病圏、精神医はじめ支援者達、AC気味不登校気味やノイローゼや神経症圏の屈折した青年健病者達、四者の関係性に在るのだ。役割分担の在り方と、発言力の調整と、人間関係にアルのだ。支援者としての、形式会員でよい我が医療の監視をしてくれ、口は出さぬが手は貸そう、口も出さぬしカネも出さぬがヤレルことはヤルと云う精神医、看護婦看護士、ワーカーが必要なのだ。だが、発言力に制限を設けねばならぬ、そして、ドウいうなかまたちの意向が、まず優先なのか、、、、なのだ。ソコの微妙なトコロを分かり合えなかった「病」者集団も伝えきれなかったキーサン患者会も相互に誤っていたのだ。今なら、両方の誤りが見える、気がするのだが、、、、えばっちの妄想か幻覚か、、、  ハナシを戻そう、それでいて、大野萌子氏は、プシ医師達からの積極的カンパを当てにしていた。精神神経学会での募金箱を持っての金集めには、ビックリした。学会最終日の総会議場でのあの光景は、実に異様なモノだった。アレじゃあ確かに、総会の壇上占拠ナンて出来るはずはない。理事会や運営委員会に、当事者を入れろと云う方向に走るハズである。一方キーサン患者会の側は、90年代を通じて、学会レク「カチコミ」をぶちまかしていた。松山学会、長崎学会、大阪学会、長岡学会、仙台学会、高知全家連大会、静岡全家連大会、大阪手帳ヒアリング、我々にとってはレクだった。シンドいキビシい病状を掛けたレクだった。クルシカッタ。精神病患者の病状を伴った怒りの爆発をソノマンマ、レクとして壇上占拠して叫び続けるのである。「造反無理」であった。造反するものに理屈は無いのである。大野萌子氏は「論客になって論破せよ」とのことであった。それが出来得る精神病患者がどれだけ居ると云うのだ。「造反有理」と「造反無理」の対立であった。 Ⅳ. 岡田さんとの出会い、それは羅針盤の意味  最後に岡田さんとの出会いと驚きを書いておこう。それが「羅針盤」の意味となろうから、、、あれは、15年の春、八王子ホットスペースの20周年記念の御祝い会の場で同じテーブルに座ったのが、キッカケだった。どちらが先に声を掛けたか記憶が定かではない。たった3年前のことなのに。戦後版の精神医療資料集成をしているとのことだった。その後、手紙のやり取りから、反十全会市民連合の資料などを送るようになった。その中で、これほどの資料を残そうとしている人が、なんと精神病患者会の会報を何一つ持っていないことが分かった。驚愕した。「ごかい」のあの大部の「3冊セット会報縮刷版」も、「藤枝友の会」が毎年23号にわたって作り続け、病地学会で一冊一冊手売りしていた「ひとりぐらしのうた」も、前進友の会の「兄弟だろ」も「友の会通信」も、各地のたくさんの「地を這う患者会」の会報を、実物を何一つ持っていないとのことだった。精神病当事者団体で、ちゃんと持っているのは「病」者集団関係のモノだけ、とこれは電話口で言われたのか、その時の驚きは本当に曰く言い難い。なんというコトだと、参ってしまった。だからこそ、即座にミカン箱一箱に、友の会の事務室で目につくものはあらあら送った。「興奮している」と云うお返事を頂いた。ぎりぎりで間に合ったのだと想った。助かったとそう想った。これで、少しは遺せそうだと想った。ただ、これだけ「地を這う患者会」があって、それぞれ特色ある会報を出し続け、「キーサン患者会」がバクチクをぶん鳴らし、叫びまくって学会の壇上占拠をし続けていたが、歴史史料として、残すことがどれだけ難しいことか、想い知った。この出会いがなければ、全国にこれほどの「地を這う患者会」が活動をし続けていたことが、忘れ去られていくだけであっかもしれない。この資料集成に、いかばかりかでも精神病患者会の会報が掲載されたことは、感謝のみである。我々「キーサン患者会」が『敗北』していったとは、実に、こういうことではなかろうか。「病」者集団の方は、桐原尚之氏はじめ、国会の参考人として、17年の国会は勝利だ勝利だと大宣伝中である。我々の方は、高齢化し、亡くなる者はみんなあちらに行き、精神病院へ死にに戻っていく、そして、最終的に患者会なるものは、ほぼ無くなっていくことだろう。バラバラになりつつである。そも、どのくらいの会が今の日本で残って活動しているのだろうか、とも想う。『敗者』とは実にこう云うことではなかろうか。  この資料集成を読むにあたって、研究するにあたって、キーサン革命の鬼からの「羅針盤」が、以上である。これが羅針盤に当たらないと思われる方々は、出来得る限り、せめて作業所や精神病院やデイケアや診療所などといった直接に精神病患者と付き合うような場には来ないで頂きたい。コンなコトを言いつのっているのだから『敗北』するはずである。  「キーサン」とは、「ヤクザ」が「ヤーサン」なら、わしら「キチガイ」は「キーサン」やと云う誇りを持った生命の底で居直り、セーカツの底で居直り、街に居座り精神病院で生き延びるための自尊自衛自主自立の自称である。 キーサン革命バンザイ!!!!! 献呈 この拙文を故桜庭章司さんに献呈したい 桜庭章司さんは、僕が知る限り、唯一の、たった一人の『精神医に直接的実際的オトシマエをつけた偉大な先輩病者』である。若い時分、短期間の間文通させていただき、拘置所からのご本人の依頼で、何回か裁判資料などを全文コピーさせて頂くと云うお手伝いをしたことがある。少しは、お力になれたのだろうか。桜庭さん、桜庭さんの『オトシマエ』には、及ばないかもしれませんが、えばっちの『オトシマエ』は、患者会を維持し続け、最も身近な精神医療と福祉に文句を言い続け、精神病患者会のことを世間様に遺し続けるのが、僕の『オトシマエ』ですよ。ゆっくり眠ってください。キーサン患者会は、叫び続けます。 六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編第十巻患者会運動」 所収原稿 2017年11月14日 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所 あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起 前進友の会やすらぎの里のホームページ http://yuinoumi.web.fc2.com/2022-index.html えばっちのはてなブログ https://ebacciblog.hatenablog.com/ 前進友の会えばっちのフェイスブック  https://www.facebook.com/people/%E5%89%8D%E9%80%B2%E5%8F%8B%E3%81%AE%E4%BC%9A-%E3%81%88%E3%81%B0%E3%81%A3%E3%81%A1/100078050322315/ えばっちのタンブラー https://kisanebacci.tumblr.com/ えばっちのホームページ 乾坤一擲 http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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kennak · 1 year
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プロ将棋界の2023年は、藤井聡太王将に羽生善治九段が挑戦する第72期王将戦挑戦手合七番勝負で事実上の開幕を迎える。2017年、藤井がデビューからの29連勝を達成した時、羽生は「檜舞台で顔を合わせる日を楽しみにしています」という言葉を贈った。その時は、誰もが王者・羽生に若き挑戦者・藤井が立ち向かう構図を思い浮かべたはずだが、そこから5年半、ずいぶんと形を変えたものの、いよいよ1月8日、静岡県掛川市でその幕が開こうとしている。将棋のタイトル戦としては極めて珍しい、両対局者への前日記者会見がネットで中継され、ニュースに様々な記事が踊り、メディアの空気はずいぶんとそわそわしている。視聴法先にこちらを書いておいたほうがいいかもしれない。王将戦は普段のようにabema将棋チャンネルで無料で対局を見ることができない。CSの囲碁・将棋チャンネルが独占放映権を持っているからだ。以下の方法のいずれかを選択することになる。スカパー、またはCATVで囲碁・将棋チャンネルを契約するすでにチューナーとアンテナを持っている人、またはCATVに加入している人にとってはこれが一番確実だろう。CATVによっては、契約の基本セットに入っていて追加料金無しで視聴できるかもしれない。abemaのPPVを購入する今回はabemaでは「1局ごとの有料課金」というかたちで囲碁・将棋チャンネルの番組をそのまま配信している。abemaのチャット欄が好きだという人はこれを選ぶのがよいかも。YouTubeの「囲碁将棋プラス」で視聴する囲碁・将棋チャンネルのYouTubeの有料チャンネル「https://www.youtube.com/@igoshogiplus 囲碁将棋プラス」でも月額390円の課金で視聴ができる。こちらは第1局が無料配信のため、おすすめできる。番勝負の展望これについては、率直に言えば多くの将棋ファンはそこに期待していない。羽生の奪取を「信じている」ファンはもちろんそれなりの数がいるが、他方でそれを「期待している」ファンの数はそこまで多くない。メディアが沸き立つこの番勝負に、ファンが大きな楽しみを抱きつつも、熱量が沸騰しそうになっていないのもそこが理由である。両者の現在の実力を示す指標であるeloレーティングによる期待勝率が示す番勝負結果のケース別発生確率にそれがよく現れている(出典:第72期王将戦(シミュレーション) 将棋連盟 棋士別成績一覧(レーティング)2023/1/7 現在)。藤井聡太4-0羽生善治47.00%藤井聡太4-1羽生善治32.34%藤井聡太4-2羽生善治13.91%藤井聡太4-3羽生善治4.78%藤井聡太3-4羽生善治0.99%藤井聡太2-4羽生善治0.60%藤井聡太1-4羽生善治0.29%藤井聡太0-4羽生善治0.09%もしブックメーカーがこの勝敗で賭けをしようと思ったら、仮に本命である藤井4勝0敗のオッズを1.05倍に設定したとしても、控除率を50%にしないと儲けが期待できないことになる。もちろん本場イギリスのブックメーカーはそんなに高い控除率は設定しないので、これはやるだけ胴元が損するたぐいの賭けにしかならない。だが、往年の絶対王者が、競合揃いの王将戦リーグを6戦全勝で勝ち上がったのに、これほど圧倒的な差が本当にあるものなのだろうか?2022年度、羽生復調の理由2021年度にプロ入り後初の年度での負け越しを経験した羽生が、2022年度に勝率を6割5分にまで戻してきた理由については様々な考察がされているが、ここでは明確な説明がされているものとして、プロ棋士のhttps://www.youtube.com/watch?v=6PYg7IpYucg 中村太地の解説を紹介したい。要約すれば次のようになる。不利な後手番では、敢えて勝率が低いとされる戦術を採用するその上で、相手方に難しい選択を迫らせるようにしてミスを待ち討ち取るスポーツファンなら、モハメド・アリがジョージ・フォアマンを相手に自らロープを背負う不利を負いながら、フォアマンの疲れを待って一気に逆襲に転じて勝った「キンシャサの奇跡」を想起するかもしれない。いかに自らが有利な条件にあるからといって、アリや羽生ほどの実力者を相手に有利をそのまま拡大していくのは極めて難しい。そこに逆転の余地が生じる。羽生がこういう戦法を選択するようになったのは、「将棋AIが強くなった時代において、プロ棋士はいかに自らの身を処すべきか」というテーマに向き合った末のひとつの答えに辿り着いたという意味合いがある。将棋AIの示す最善を追求するだけではなく、敢えて不利とされる順に自ら入っていっても、それでも勝負に勝つことができる程度には将棋は自由なものであるし、それを示すのが人間の生きる道であろうということを、自ら結果を出すことで証明しているようにすら見える。藤井聡太の凄味ところが、この方法は藤井聡太には通じない。デビューから6年を過ぎてなお生涯勝率が8割3分を保つ藤井の強みは、たまに話題になる「AI超え」ではなくて、むしろ選択の難しい局面でAIが最善とする手を正しく選び取っていくその確実さにある。こうなると、わざわざ自分を不利にしてまで複雑な場面を作っても意味がない。そのまま有利を拡大されて押し切られてしまう。羽生は2022年度、藤井と2局戦って2敗している。1局は後手番で、上記の動画で解説されていた「横歩取り」戦法を採用し、1手の疑問手を正確に咎められて完敗した。もう1局は先手番で正攻法を挑んだが、中盤戦の何気ない自然に見える1手、ただしAIに言わせれば選ばない、そんな手をきっかけにじわりじわりと藤井が優勢を拡大し押し切られてしまった。かつて「コンピュータ対人間」の対決として行われた電王戦のときに「コンピュータに勝つための準備は人間に勝つための準備と全く違う」と言われた。今、同じことが藤井について言われている。曰く「藤井さんに勝つには他の棋士に勝つのと全く異なる準備が必要になる」と。あくまでも現段階においては、羽生が藤井相手にどういう手札を切ってくるのか、そこが最大の興味になっているのは、自然なことなのである。もちろん、この先の成り行き次第で、そこは大きく変わることになる。羽生の「初めての」挑戦なので、あくまでも現段階では、勝敗以外のところにそれぞれの楽しみを見出すような状況になっている。私が楽しみにしているのは、138回目のタイトル戦にして、初めて羽生が「明確な挑戦者」として迎える、というそのシチュエーションそのものである。羽生は、タイトルを獲得する前の段階において、すでに実力では棋界でトップであった。以来、同格の相手と争うことはあっても、自分よりはるかに強い相手と戦うということはついぞここまでなかった。つまり、もうすぐ40年に届こうとする羽生の棋歴の中で、これはまぎれもなく初めての状況なのである。そういう未知の状況にあっては、過去のことを材料にした分析はそこまで意味をなさない、むしろ真っ白な頭でこの誰も見たことのない景色を楽しむに尽きる、そういう姿勢でこの第1局を見てみたいと思っている。なお、逆のシチュエーション、つまり羽生が実力的に懸絶していると見られていた状況でタイトル戦に負けたことがあるか、というと、これがある。以下に、タイトル戦が始まった日において羽生が対戦相手よりeloレーティングで250以上上回っていて敗れた例を示したい(なお現在の藤井と羽生のレート差が273である)。1996年度第67期棋聖戦:対三浦弘行(レート差272 )羽生が七冠を独占し無人の野を進むがごとくの進撃を続け、誰が羽生の牙城を崩すのかに興味が集まっていた中、それをなしたのは当時としては意外な伏兵の三浦弘行だった。2年連続で羽生の棋聖位に挑戦しており、すでに単なる有望な若手の域ではなかったにせよ、羽生に勝つにしてもここではないだろうという見方が一般的な中での快挙だった。2012年度第70期名人戦:対森内俊之(レート差283)、2013年度第71期名人戦:対森内俊之(レート差255)前年の2011年度に羽生から4勝3敗で名人位を奪取した森内だったが、この年度は名人戦以外の成績が全くふるわず、年度勝率.345を記録して2ch将棋板では「3割名人」なる蔑称をつけられるに至った。これに対し捲土重来を期す羽生はA級順位戦を9戦全勝で制して森内の名人位に襲いかかる。結果は火を見るよりも明らかと思われていたが、名人位防衛の準備を進めていた森内が4勝2敗で防衛する。羽生は翌2013年も森内に挑戦するが1勝4敗で名人戦で3年連続で森内に敗れる��星数だけでなく年々内容も悪くなる一方で羽生の威光に翳りかとも見られたが、翌2014年に4年連続の顔合わせで羽生は4勝0敗のスイープで名人位を奪還する。絶対的な強者に対して「失うものがない」立場で応じる側が強者であるということを、羽生ほど経験してきた棋士はほかにいない。その立場を羽生は今回初めて逆転して勝負に臨むことになる。これはきっと面白いことになる、それは間違いないだろう。id:BigHopeClasicでした。
羽生善治の「初」挑戦を前に
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oniwastagram · 2 years
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📸沼津御用邸記念公園 / Numazu Goyotei Memorial Park, Numazu, Shizuoka 静岡県沼津市の国指定文化財庭園『沼津御用邸記念公園』が素敵…! 明治時代に造営され、大正天皇・昭和天皇・上皇陛下も度々訪れ利用された皇室の別邸“沼津御用邸”…圧巻の広さの明治時代の近代和風建築と、“旧沼津御用邸苑地”として国指定名勝のランドスケープ。 静岡・沼津御用邸記念公園(西附属邸)の紹介は☟ https://oniwa.garden/numazu-goyotei-memorial-park/ // 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 \\ ...... 「沼津御用邸」は明治時代に造営され昭和中期まで皇室・皇族の静養の場として利用された別邸。 現在は『沼津御用邸記念公園』として一般公開されており、2016年には『旧沼津御用邸苑地』として国指定文化財(国指定名勝)となりました。日本の歴史公園100選。 . 2022年7月に約6年ぶりに訪れました!前回は大雨☔️で急ぎ足で見たんだけど、今回改めて訪れるとめちゃくちゃ広くて見応えあるなと…。写真も多くなったので「西附属邸」と「東附属邸」を分けて紹介します。 ここでは入場受付やバス停🚏から近い「西附属邸」とその庭園を紹介。 . その歴史について。1893年(明治26年)に当時皇太子だった大正天皇のご静養のために造営が開始。 駿河湾🌊に面し富士山🗻も望むこの地は景色も良く気候も温暖で、先に西郷従道/大山巌/川村純義といった陸海軍の大臣の別荘が建てられていたそう。川村純義は後に昭和天皇の養育係もつとめました。 . 景勝地としても知られた“千本松原”🌴の中を縫うように造営された沼津御用邸。現在見学できる「西附属邸」と「東附属邸」の間にも広大な園地が広がりますが(その中に『沼津市歴史民俗資料館』も)、元はこのスペースに一番最初に建築された「本邸」が存在しました。 . 残念ながら本邸は太平洋戦争の空襲で焼失。本邸に付随する洋館は片山東熊・河面徳三郎が担当していたそう。 本邸と「東附属邸」の間には防空壕の跡も残ります…それを思えば西附属邸・東附属邸が被害を受けず、明治時代の建築を和風建築を今に伝えるのは不幸中の幸いとも言える。 . 本邸焼失の後は西附属邸が本邸の役割を果たしていましたが、1969年(昭和44年)に沼津御用邸は老朽化などもあり廃止。 . 幼少期や皇太子時代から沼津御用邸に滞在する期間が長かった昭和天皇・皇后両陛下は最後の年にも訪れ、お別れの時間を過ごしたそう。そんな昭和天皇と共に現在の上皇陛下もたびたび沼津を訪れていました。 . 廃止の翌年1970年には沼津市に無償で貸与され、都市公園「沼津御用邸記念公園」として開園。先の老朽化については平成年代の1993年〜98年に再整備が行われて現在に至ります。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #landscape #landscapedesign #ランドスケープ #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #造園 #静岡庭園 #静岡公園 #静岡旅行 #静岡観光 #近代和風建築 #近代建築 #文化財庭園 #おにわさん (沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/Ch_P9eTPJZM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yotchan-blog · 2 months
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2024/4/5 20:59:54現在のニュース
離党勧告の塩谷氏、衆院選出馬に意欲 処分理由は「事実誤認」(毎日新聞, 2024/4/5 20:55:27) 最後の海軍大将・井上成美が隠せい生活、横須賀の邸宅解体…英語塾開設し子どもらに教える([B!]読売新聞, 2024/4/5 20:54:14) ライドシェア、8日から都内でスタート…ウーバーは配車アプリに「自家用」追加([B!]読売新聞, 2024/4/5 20:54:14) ペットのウサギが手術中に死ぬ、動物病院側に賠償命令…リスク説明が不十分と認定「絶望感察するに余りある」([B!]読売新聞, 2024/4/5 20:54:14) 北大研究室がクマ調査でCF、生態解明でクマと共生する未来を目指す(朝日新聞, 2024/4/5 20:51:44) 国連人権理事会、イスラエルに「重大な懸念」表明 戦争犯罪の可能性(朝日新聞, 2024/4/5 20:51:44) 飼っていたウサギ、手術中に死ぬ 動物病院に66万円の賠償命令 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/5 20:51:35) JABA静岡大会 ヤマハ、トヨタ、JFE東が2連勝(毎日新聞, 2024/4/5 20:48:24) 北海道知事、長谷川岳参院議員の威圧的発言を確認 職員に聞き取り(毎日新聞, 2024/4/5 20:48:24) 紅こうじ原料の供給受けた173社の自主点検 健康被害の報告なし(毎日新聞, 2024/4/5 20:48:24) 「僕のヒーローアカデミア」が累計1億部突破、4割が海外…「最高のヒーロー」目指す高校生描く([B!]読売新聞, 2024/4/5 20:48:17) 2月の消費支出、実質0.5%減 - 日本経済新聞([B!]日経���聞, 2024/4/5 20:48:13) なだ万、京都に初のうどん専門店 「老舗の味」を手軽に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/5 20:48:13) 北海道知事、新幹線函館乗り入れ「解決すべき課題がある」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/5 20:48:13) 春到来、大阪の風物詩にぎわい 造幣局「桜の通り抜け」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/5 20:48:13) 経済安保めぐる国の身辺調査、法案が衆院委で可決 なお残る懸念(朝日新聞, 2024/4/5 20:43:25) 列車内で女子プロレス 関東鉄道が14日開催 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/5 20:42:41) 静岡・川勝知事 次の知事に“注文” 「謙虚でいれば失態は…」(毎日新聞, 2024/4/5 20:41:19) 日経平均、大幅反落 3週間ぶり3万9000円割れ(毎日新聞, 2024/4/5 20:41:19) JR肥薩線復旧、国の支援拡充でも重い選択 識者「数十年の負担」(毎日新聞, 2024/4/5 20:41:19) 警察捜査の事件で初の司法取引適用 兵庫県警の融資金詐欺事件で(毎日新聞, 2024/4/5 20:41:19) 潜伏、国外脱出…ミャンマーのアーティストは国軍の目を逃れ発信し続ける 祖国を思う作品が東京で次々公開:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/5 20:36:54) 大阪万博、食品持ち込みOKに 要望受け禁止撤回 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/5 20:36:47) 徳島県、ご当地養殖サーモンを「阿波さつき」と命名 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/5 20:36:47) 熊本県「TSMCで機運ある」 国とJR押し切り、鉄道復旧合意(毎日新聞, 2024/4/5 20:33:42) 飼っていたウサギ、手術中に死ぬ 動物病院に66万円の賠償命令(毎日新聞, 2024/4/5 20:33:42)
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nodatan · 3 years
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もう一度行きたいラーメン屋2020
今年も発表します、のだたんが選ぶ、もう一度行きたいラーメン屋、2020!
どうもこんばんは、ラーメン語りマン、のだたんです。
このランキングは、年間100杯近くラーメンつけ麺油そば食べてる俺が、独断と偏見で選ぶ、宮城のラーメンランキングでございます!
今年はとても大変な一年となりましたが、みんなもここで気になるラーメン屋見つけたら、ぜひ行ってみてくださいね!
それと、実は今年から、インスタにラーメンアカウントを別で作りました。
コメントはそこのをほぼコピペしております。記録って大事ね。
気になる方は、@nodatanmen を探してみてね。
さーそれでは、10位からいきたいと思います。
第10位!
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嘉一(二日町)
みんな大好き鶏中華そばの嘉一がランクイン。
なんと今年、食べログのラーメンEAST100名店に、宮城でただ唯一選出!
屈指の名店でございます。
結構鶏油がきいてて、このコリッコリの鶏チャーシューがですね、噛めば噛むほど、じゅわあーと甘みが無限に染み出してきます。
サイドメニューの鶏飯がこれまた絶品で、前に行った時は売り切れちゃってたのね。これがないと、めちゃくちゃ切ない。なんというか発射台がない立花兄弟みたいな。この鶏飯にワンバンして食うのが最高なんです。超並ぶけど鶏飯にワンバンしてラーメン食いましょう。
第9位〜!
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三福(利府)
利府にある屈指の名店がランクイン!!おめでとうございます!
三福(みふくと読む)ですが、この辺りは久兵衛、本竈がかなり近くにあって、昔から利府のラーメン四天王というなんというかちょっとあいたたなネーミングがついている、らしいのです。しかも四天王なのにもう一店舗はハッキリしてないw
昔からあってたまには行ってたんだけど、今年久しぶりに行ってみて、尊さを再認識。めちゃくちゃに美味かったです。
油分は少なめの直球系、大きな海老ワンタンから、海老の甘みがじゅわあ〜!塩スープに合いすぎ。低温鶏チャーシュー丼は絶品。
本竈も美味いけど、なんだかこっちはプレミア感あって好きです。駐車場も狭いので、ワンチャン行けそうだと感じたら、突撃してみてください。店内テーブルあるので1人以外でもおすすめ。
第8位!!
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すみ田(一番町)
なーーんと!12月19日にオープンしたばかりの新店が、いきなりランクイン!!
旧ラーメンパンチのとこにそのまま入りました。どうもまだかなり並んでるようです。
このお店ですが、東京にあるはやし田という超人気店による監修のお店らしく、監修というよりほぼチェーン店で、かなり味もそっくりらしい、はやし田は行ったことないのでよくわからないのだけど。
実はたまたまオープン日、街中にいたので、突撃してきたのだけれど、いやあこれやばいよ。デビュー初日からこの仕上がりは、ちょっと無慈悲なまでに、東京からエリアの覇権を取りに来た気合いを感じました。
醤油は少々苦味、やや甘み。鶏と低温調理チャーシューどちらも美味しいけど、単純に麺とスープのクオリティがすごい。多分だけどつけ麺もすごいんだと思う。地元店の奮起にも期待しつつ、立地的にも新名所誕生の予感です、絶対行ってほしい。
第7位ー!
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吟(榴岡)
今年初ランクイン!というより初めて行きました。
フラサンでライブの時、目の前の駐車場にとめたりするから、あるのはわかってたんだけど行ったことはなかったんだよね。
この坦々麺専門の吟ですが、まじで、口に入れた瞬間、飛びました。間違いなく飛んだ、という伝説の名実況のように、羽根が生えました。うますぎ。
まあ白胡麻坦々麺って、どうやっても美味くなるんだろうけど、ここのは帆立とエビかな?上品なスープと挽肉は、たぶん好みあるかもだけど、俺は超絶ストライクでした。
今年は個人的に坦々麺の当たり年だったんだけど、最上位です。
あとね、餃子を頼んでください。これまた、もうね、無慈悲。ビール飲んでも優勝なんだと思う。東口に行く際には、ここの坦々麺で飛んでください。
第6位!!
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暗黒中華そば雷電(明石台)
今年も県内有数のクレイジーなこちらのお店がランクイン。中山の魔界ラーメン月光の2号店です。
明石台の北側に行ったところにあります。店内は広々、乃木坂のDVDが流れていて乃木坂ごと好きになってきます。
メニューはいろいろあるんだけど、俺は写真の、懐かしの平成中華そばというメニューがイチオシ。雑な言い方だと、要はとろろ昆布ラーメンなんだけど、モモチャーシューと、仕上がり◎の煮卵、梅干し、全てのパラメータが高く、オーソドックスだけど100点の一杯だと思います。だけども新しい、すごい。
店主はコロナ禍で、ツイッターでお店のレシピを有料で公開したり、業界に一石を投じるスタイル、今後の動向も目が離せません!
はい、ここまでやってきました。
ここで今年の特別賞。
ランクインは逃したけれども紹介したい一杯でございます。
今年はいくつかあって、今年は上述のように「坦々麺」が当たり年でした。
というか宮城にいくつか専門店がオープンし、波が来てるように感じます。
てことで、今年は坦々麺を特集します!
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まずはこちら、担坦麺屋たけうち(古川)です。
今年は写真の8月限定、レモン香る冷静トマトチリ坦々麺しか食べれてないんだけど、これがほんと、美味すぎ大問題で。
つまりは冷製パスタ×坦々麺なんだけども、レモンとトマトの爽やかさ美味さ辛さで語彙力崩壊。締めのライス投入で挽肉トマトまみれの大ギルティー飯が完成します。
古川は新店ラッシュだけどここは絶対におさえてほしいです。
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続いてはこちら、175°DENO担々麺(錦町)です。
ひゃくななじゅうごどでのたんたんめんと読みます。なんのこっちゃですが、本店は北海道で、この度めでたく仙台に支店がオープン。
写真の汁なし坦々麺を頼んだんだけど、最初は辛さ控えめ。卓上のラー油とトッピングの温泉玉子混ぜながら、ベスポジを探して、途中痺れポイントやナッツもあらわれてとても愉快な道中。ラストはライス投入でハッピーエンド!
ただオーダー時に辛さとスープのタイプ選べたり、分岐点が色々あって一度食べただけでは何もわからない奥深さを感じます。
あと雰囲気含め接客は恐らく地球上で最大級に良いです。シチュエーション的には2人で行くのも楽しそうかもね。
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ラストはこちら、ガリデブチュウ(河原町)です。
坦々麺専門店ではないけど、麻婆拉麺と坦々麺を推してまして。
初めてはまずこの麻婆拉麺をオーダー。
一応あくまでラーメンなので、坦々麺みたいなドロドロスープじゃなくさらさら。汗は滝だったけどそこまで辛くはないです。
麺を食べたらライスと卵を投入、この卵がめちゃくちゃ良いアクセントになっていて、一気に大優勝。元々が居酒屋の方らしくメニューはラーメン以外もいろいろ豊富、ちょい飲みもOKみたいです。
あー、麻婆豆腐とビールですかあ、この記事のせいで河原町今頃激混みかもですすみません。
ということで今年の特別賞は、気になる坦々麺!でした。
ランキングに戻ります。
第5位!
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こもれ美(大衡)
今年もランクイン、大衡村のランドマーク!
このブログと同じくらい影響力のある、ラーメン王子GPって番組があるんですけど、そこで今年紹介されたのもあって、おそらくさらに激込みが予想されますが、マストGOなお店です。
(今年はあまり小ボケが少なくネタとして成立したかわからず震えている俺だがあえて投稿するスタイル)
写真の特製背脂塩そばですが、元々は限定メニューだったものがレギュラーメニューに昇格という経緯の通り、あらゆる人にリーチできる、感動的な美味さ。
トレブリーなしょっぱめ塩を背脂でロー持ち上げ、シャッキシャキなネギで完璧なチューニング。あっさり×こってりの黄金配合は、今年のジャパンカップに出走しても勝ち負けだったかもしれないくらいの一杯です(アーモンドアイありがとう)。
第4位ー!
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熊坦(小松島)
以前から俺の中でポテンシャルが話題となってたこのお店が、ついにランクイン!
実はこのお店も坦々麺のお店、なのですが、今年くらいからレギュラーで登場した、つけ麺がですね、衝撃でした。
俺、年間100杯近く食べてるけど、ちょっと食べたことない味だったので…。
スープは非ドロドロ系だけど、味は濃い目。麺はつるっつるのストレートで美しい見た目同様、感動的なおいしさ。
スープ割で、薬剤師免許を持つ店主の技が炸裂、スパイスなんだろうね、汗も吹き出るけどすっげえーーーー美味い。感服しました。
坦々麺も当然最高だったんだけど、その時はお昼だったからライスはいかなかったのね。ライスやってたら、昇天したんだと思う。
ゴリゴリゴリゴリ推しのお店です。お腹を空かせてGO。
あ、てか坦々麺の躍進目立つけど、ライス投入がマストだから、みんなお腹空かせてから行ってね。あとゼロカロリーどころか1000カロリーは確実オーバーするだろうから食ったら走ろうね、ラーメンアンドビューティーがモットー。
はい、ここまできましたが、皆さんの推し麺は入ってましたか?
ここで、11位から20位までを、一気に垂れ流し。せーの、カウントアップ!
11位 碁飯(名取)
12位 たけうち(古川)
13位 中華亭分店(五橋)
14位 みの家(柴田)
15位 桜木製麺所(五橋)
16位 とがし(南光台)
17位 いちむら(塩釜)
18位 いぶし(名取)
19位 伊藤商店(古川)
20位 自家製麺くまがい(吉成)
以上です。15位までは、正直ランキングのところと同じくらいの評価が自分の中であります。次点が以降といった感じです。
さあー、ここからベスト3の発表です!
第、3位ーー!
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遊大(富谷)
3連覇中のチャンピオンですが、今年は首位の座を明け渡すこととなりました。しかしそれでも宮城3番目ののだたん推し!!ラブ!!!
富谷イオンの向かい側方面にあります、車ないとちょっと遠いかもね。タンメンの専門店でございます。
舌触りなめらかツルツルストレート麺は、始め固めだけどからあげ愛でてる間に程よい感じに。スープうめえ、チャーシューうめえ、野菜超うめえ!って巡回してるうちに、いつの間にか愛と感動のスープ全飲み。
以前より油分は少なめだと思います、でもちょうどいいんだろうなあ。あと一周回ってからあげ宮城イチうまいっす。
第、2位いいーー!
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つけ麺和(広瀬通)
ぬおおおお!今年オープンの新店が、いきなり2位にランクイン!!!
行ったことある人ない人いると思いますが、アーケードを本町側に行ったとこにいきなりあらわれた行列店、あそこがそうです。
以降泉中央、東口と続々と展開してますが、このお店も、元々は東京の人気店。一気に三店舗進出という、いわば黒船!
宮城はそんなに甘くないぜ、というプライドを(勝手に)胸に、いざ入店したのですが…。
ごめんなさい。退店後にはすっかりこのザマです…完全にファンになって帰ってきました。
麺、スープ、トッピング全てが圧倒的、特に麺かなあ。中盤一度、重さで完全に箸が止まったが、卓上の案内通り、フルーツ酢投入で再加速。超満足です。
ちなみに後日、泉中央店で、カレーつけ麺の方を食べたんですが、そっちもレギュラーつけ麺に迫る仕上がり。意外と空いてて泉中央と東口は狙い目かもです。
というわけで、2020年、のだたんランキング1位を発表します!
今年の第1位は…!!!!!
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きく屋(丸森)に、決定しました!!!!!!
新王者誕生です!!!!
実は、今年はかなり悩みました。
きく屋に行ったのがほんの数日前で、ただそのポテンシャルは知っていたので、つけ麺和との一騎打ちになるだろうなあと。
そんな、ギンギンに上がったハードルを乗り越え、見事に差し切り勝利、宮城が誇る名店が関東の刺客を抑え込みました!
きく屋ですが、宮城最南端の丸森にあります。スープすすった瞬間、座布団から身体浮きました。
今年に入ってからメニューがリニューアルされたんだけど、以前の清涼スープから油分は結構加わって、こってり寄りのあっさり煮干しスープ。さすが以前の店舗では宮城のこってりファンを魅了してただけある仕上がり。
麺量は多め。まぜごはんはハーブ?これまた思わず声が出るベスポジサイドメニューで、もう一回身体浮きました。
あと接客がめちゃくちゃ丁寧なのも愛される理由なんだと思います、年内最終営業日も、老若男女問わず行列を作ってました。ちょっと遠いけどみんなもドライブにどうぞ!
ということで、2020年の1位はきく屋に決定しました。
今年は飲食店にとって本当に大変な一年だったんじゃないかと思いますが、こんなにも美味しいラーメンが食べられることに、本当に感謝です!
全ての飲食店にリスペクトしつつ、締めたいと思います。今年もありがとうございました!
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thesunabar · 1 year
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弥生十三日(月)大安吉日❤️ ⁡ ✝️いつまでもあると思うな親と店✝ 89㎏⤵️⤴️ポンコツ肥満は今日もぼんやり 右顔が硬直、左顔面が弛緩のあしゅら男爵状態w ⁡ ⁡ お久しぶりのお湿り☔️ しっとり艶めかしい場末です ⁡ WBCは続きます⚾️ 日本戦は週末ですね… ⁡ NYFS開いてます空いてます🚪 お席座りたいホーダイです ⁡ 先週とはガラリと肥満向けの涼しさ 寒暖差ご自愛くださいませ ⁡ 今週土曜日3/18は緊急臨時店休日ですから、前倒しでご来店願います🙏🙇‍♂️🙏 ⁡ ソリレスのピカタカレー風味、桜海老とカラスミのたまご蒸し、などあります ホタルイカは、焼きそばや素麺やたまご蒸しなどにもトッピングできますよ😘 ⁡ よろしくどうぞ🙏🙇‍♂️🙏 ⁡ 4/29(㊗️土)は、 【🎧NYFSうるとらREBORN🎧】 GW初日は2年ぶりのうるとら♬ sweet & mellowな昼下がりを🍶 ゆっくり鯨飲馬食も ちょっと1杯だけでも 是非ともおまんちしております💋 ⁡ ⁡ 【🌸NYFSのお花見2023🌸】 今年も開催🍶 4/9(日)です✨ ※参加資格は2022/04/11(月)から2023/04/8(土)までにご来店のお客様となります🤲 ⁡ 詳細は… 今宵も、おまんちしております💋 ⁡ ⁡ 宮城県 一ノ蔵、3.11未来へつなぐバトン 秋田県、10周年の農醸ささにごり 福井県 田辺酒造、優勝 革命君バージョン 長野県 岡崎酒造、信州亀齢 ひとごこちと山田錦 新潟県 新潟第一酒造、鬼山間 赤と青 山形県 髙木酒造、十四代 本丸 本生おりがらみ ⁡ 他にも色々ございます🍶 ⁡ ⁡ ちょいと一杯のつもりが… でしたら【唎酒コース】が激しくお🉐 小鉢がついて1杯90ml×で5杯程 1時間で二合半(こなから)です🍶 ⁡ お酒は肥満のオススメ💡 1時間1本勝負でも、延長戦でもご気分次第でごゆっくりお楽しみください🤲 ※ご予約不要、1名様から4名様まで ⁡ よろぴこどうぞ🙏🙇‍♂️🙏 ⁡ ⁡ ⁡ 日めくりカレンダーによれば「静中の静は真の静にあらず」だそうです🤔 ⁡ ⁡ 牡蠣は北海道厚岸🦪 ⁡ ふぐ皮とカラスミの卵蒸、重慶飯店の麻婆豆腐、トマト卵炒め、ウインナーたまご🥚 生ハム ハモン デ テルエル切落とし、エ・イ・ヒ・レ😘 ⁡ 生ハムと青とうがらしの包みピザ、豚ロースの味噌生姜焼き、セセリ串葱蒸し焼き、も、おススメです💡 ⁡ 〆ものは、 クミン焼きそば 広島菜と紫蘇の混ぜごはん焼おにぎり カラスミ稲庭素麺 ⁡ ⁡ 【弥生の店休日】 5(日) 12日(日) 18日(土)緊急臨時店休日 19日(日) 21日(㊗️火)※ご予約あれば営業します‼️ 26日(日) ⁡ 【🚨唎酒コース🚨】 ・最初の1時間は3300円(4〜5杯) ・延長は1時間毎に1100円(状況に応じて) ※税込、小鉢付き ※グラス交換制 ※お酒は肥満のおススメを順に ※1組1名から4名迄 ⁡ 【⚠️予約制⚠️フードセット��� ・2名様から ・¥7700(税込) ・150分制(ラストオーダーは30分前) ・ガリ、突き出し、生ハム、卵、魚、肉、〆 ・肥満おススメ日本酒をご提供(4〜5杯) ⁡ ◎お席のご予約、貸切(8名様から)、承ります →お気軽にお問い合わせください📞📲 ※貸切予約はご来店ください🍶 ⁡ https://sunabar.thebase.in/ 視野を広く裾野を広く🌋 ご理解ご協力の程よろしくお願いいたします🙏 ⁡ ◎手洗いと手指消毒の励行🥷 ◎無駄な大声(地声含む)は永遠に自粛🙅 ◎マスクや距離感など優しいキモチ👼 ⁡ アタシ 待つは ⁡ どうぞ よしなに ⁡ かしこみ かしこみ ⁡ #新四谷舟町砂場 #the_neo_sunabar #四谷舟町砂場 #舟町砂場 #the_sunbar #日本酒スナック #NYFS #荒木町 #四谷三丁目 #舟町 #日本酒 #焼酎 #ワイン #麦酒 ⁡ ♨️新四谷舟町砂場(Neo Yotsuya Funamachi Sunabar) 〒1600007 東京都新宿区荒木町6 ルミエール四谷1FA 0333545655 [email protected] 17時頃から24時入店(変更の可能性有り) ※ラストオーダーは気分次第よ責めないで😘 不定休 facebook.com/NeoYFS facebook.com/the.sunabar instagram.com/the_sunabar twitter.com/_sunabar (新四谷舟町砂場) https://www.instagram.com/p/CpuRgClyskw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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xf-2 · 4 years
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1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。
 自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。
 その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。
 その間、ヘリコプターからのリぺリング降下(ロープを使った垂直降下)による迅速な現場進出の必要性から、第1空挺団の出番となり、第12師団に配属しての災害派遣が翌早朝までに決していたのでした。
 朝5時前には「命令受領ラッパ」が鳴り響き、営内に残っていた我々は即座に出動準備を整えて集合、V-107という大型ヘリ6機に乗り込み、7時54分、習志野を出発しました。準備といっても、装備を詰めた背のうは常に用意してあるので、出発前に地図と乾パンを支給されたくらいです。
 6機のヘリのうち、1番機には第1空挺団派遣部隊指揮官である普通科群長以下の「救助部隊本部」の要員が、2番機から6番機にはそれぞれ隊員12名が乗り込みました。12名のうち1名は衛生隊員なので、私は3番機の小隊長として、自分の部下から10名を選抜しました。
 小隊長である私のサポート役として、普段の演習でも常に一緒に行動していた作間2曹は、もちろん真っ先に指名しました。ヘリのパイロットたちもいつになくピリピリしていて、張り詰めた空気が漂っていました。
 現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。まず1~3番機の隊員が現場に降り、4~6番機は麓の相馬原(そうまがはら)でいったん待機することになりました。空挺部隊には指揮官が“先頭降下”するという伝統があって、3番機では私がリーダーですから、最初にロープを伝って山の斜面に降り立ちました。私の次に降りたのは作間2曹です。
 空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました。ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触があったんです。「なんだろう?」と思って足下を見ると、そこにあったのは人の“耳”でした。ご遺体を踏んでしまったことに気づき、すぐに“申し訳ございません”と心の中で謝りました。
 降下後、普通科群長が命令を下達しました。我々の任務は、「生存者の救出」と「地形の偵察」です。2番機の小隊と共に生存者を捜索しながら尾根を登っていきました。私と2番機の小隊長を中心に、左右各人5~10メートルほどの間隔で横一列に広がって斜面を登るのです。
■「生存者発見!」
 息を飲む光景でした。航空機燃料が燃える独特の臭いがして、岩肌には人の内臓がベタッと張り付いている。見上げると、髪の毛が付いた頭皮が木からぶら下がっていました。傾斜がきつく、木の幹に掴まりながら登るのですが、触った瞬間に滑る感じがする。見ると木全体が血と肉片で真っ赤に染まっていました。私の後ろを歩いていて、やはりその“赤い木”を触ってしまった隊員が「ギャーッ」と大声で叫びました。
 その時に私が感じたのは、「職業選択を間違えた」ということです。地獄絵図のような現場を目の当たりにして、私は「戦場の光景というのは、多分こういうものだろうな」と考えました。とても耐えられない、おれはこの仕事に向いていない、そう思いました。部下の前では表情にこそ出さないものの、それが本音でした。御巣鷹は私にとって初めての災害派遣だったのです。翌朝には慣れて、そういう気持ちは払拭されたのですが。
 同時に、隊員の誰もが「こんな悲惨な状況で、生存者なんているわけがない」と感じていました。斜面を上がれば上がるほど、まともな形を残したご遺体も少なくなっていきます。あるのは手や足だけの部分遺体や、肉片、皮膚ばかり。あまりに凄惨な場所でした。こんな事故で、到底人間が生きていられるはずがない、と。
 生存者を見つけられないまま尾根を登り、今度は別の方角に向かって下りながら捜索を続けようとした時です。無線から驚くべき情報が流れてきました。「生存者発見!」。耳を疑いました。「えっ?」と他の隊員と顔を見合わせました。
 無線を送ってきたのは、4~6番機から降りたグループでした。当初、相馬原で待機を命じられた3機は、我々のおよそ1時間後、9時45分に現場へ来て降下を開始しました。我々が降下地点から尾根を登って行ったのに対し、彼らは群長の命令で逆方向に下りながら捜索をしていたのです。そして、「スゲノ沢」と呼ばれるあたりで、麓から徒歩で登ってきた地元の消防団や松本駐屯地の第13連隊と合流し、そこで4名の生存者を発見したのです。
 尾根の上にいた我々には、「降下地点に戻れ」と指示がありました。急峻な山の中で、その辺りがかろうじて平坦になっていたからでしょう。その付近から生存者をヘリに吊り上げることになりました。降下地点に戻り暫くすると、下から生存者が運び上げられてきました。たしか事故機のトイレのドア等を担架がわりにして運んできたと思います。
 生存者4名は、あの悲惨な現場で一晩発見されずにいたので、当然かなり衰弱していました。そのうちの一人の少女、後で川上慶子さんと知ったのですが、彼女に「頑張れ!」と声を掛けると「うんうん」と頷くようなリアクションがありました。それを見て「大丈夫だ、助かる」と思いました。
 でもそこからが長かった。救出用のヘリがなかなか来ないのです。こちらからは何度も要請しているのに一向に来ない。報道陣のヘリも含め、多くの航空機が上空に飛来していたため、二次災害の危険もありました。
 結局、生存者が吊り上げ地点に搬送されてから、ヘリへの収容が完了するまで1時間近くかかりました。ヘリを待つ間、誰もがイライラしていて、そのうち、現場に到着された赤十字の女性の看護師さんから、ものすごい剣幕で怒鳴られたんです。私の顔をキッとにらんで、「もしこの人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね!」と。それはよく覚えています。「おれだってどうしようもないんだ」という気持ちでしたね。
 ヘリを待ちながら、現場ではホイスト(ヘリからのワイヤによる吊り上げ)準備をしていました。赤十字の医師から、「隊員が直接抱えて上げたほうがいい」と言われて、自衛隊の茶色い毛布で生存者の体を包みました。最初に吊り上げたのは、吉崎美紀子さん(当時8歳)です。毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。
 次が当時14歳だった川上慶子さん。彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。「何をするんだ!」と怒りましたが、もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。
 3人目の吉崎博子さん(美紀子さんの母、当時34歳)と4人目の落合由美さん(当時26歳)は、担架に乗せた状態で吊り上げました。というのも、抱えて吊り上げるには脱力した大人は相当重たく、途中で落下する恐れもあり、危険だと判断したのです。
 ここで我々はミスを犯してしまいました。3人目の吉崎さんのお母さんを乗せた担架が、ヘリから吹き下ろされる風を受けて、吊り上げた途端にグルグルと回転してしまったのです。すごいスピードで回転して、いまにも担架から体がずり落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。私は真下で両手を広げて、「万が一落ちてしまったら、絶対に受け止めなくては」と覚悟していました。
 結果的には無事に収容できたのですが、これは我々の本当に初歩的なミスです。本来、担架の把手にロープを付けて、担架が回転しないように地上の隊員がロープを保持すべきなのです。基本的な作業ですが、やはり異様な現場に平静でいられなかったのでしょうか、あの非常時に誰もそれに気づかないまま吊り上げてしまった。今でも思い出すたびに血の気が引きます。最後に落合さんを収容する際は、きちんと補助ロープを付けました。
 生存者の救出を終えたのが、13日の13時29分。そこから次の任務が命じられました。ヘリポートの構築です。獣道すらない急峻な山に、人員や救助物資を迅速に送り込むにはヘリを使うしかない。我々は上空からロープで降下できますが、以後の作業にはヘリを着陸させることが必須でした。
 普通科群長は私に、大型ヘリ(V-107)用を一つと中型ヘリ(HU-1H)用を一つ、あわせて二つのヘリポートを構築するよう命じました。我々は訓練・演習で簡易ヘリポートを作りますが、その際、なるべく広くて平坦な場所を探します。そこで私は、日航機の主翼が落ちていた辺りに目をつけました。その辺りは比較的広くて平らだったからです。ただ、航空機事故ですから、事故原因の究明のために現場検証も必要です。勝手に現場の状態を変えるわけにいかないので、現場を管轄する群馬県警の責任者を探しました。
 周りにはたくさんの警察官がいましたが、長野県警だったり警視庁だったりで、なかなか群馬県警の責任者が見つからない。ようやく見つけて交渉したところ「ダメだ」の一点張り。仕方なく、現場検証を要しない下方の地点に決定し、周辺の木を切り倒して斜面を掘削し、削った岩石や土を下側に盛るやり方で、中型ヘリ用ヘリポートのみを作ることにしました。
 我々がヘリポートを作っている間にも、続々とご遺体が運ばれてきます。やがて夜になり、13日の深夜にはヘリポートの大枠ができました。暗い中では細かい仕上げができないので、その日はその場で仮眠することにします。そして翌14日の朝3時頃から作業を再開し、7時頃にヘリポートが完成しました。
■“モミジ”
 ただ、この仮眠がつらかった。翌朝からヘリで搬送するべく、ヘリポート付近にはご遺体が集められていました。その隣で横になって眠るのですが、真夏の暑さで傷んだご遺体は、死臭を発しているんです。何度も目を覚ましました。
 14日は、完成したヘリポートを使って朝から何度もヘリが往来し、15時くらいまでに計121のご遺体を搬送しました。この数字に関しては苦い思い出があります。この日、上級部隊から連絡幹部が現場にやってきたのですが、ヘリポートの運用を指揮していた私を見るなり、「今日は何体運んだ?」と聞くのです。私は返答に窮しました。
 ご遺体といっても、五体満足なものは少なくて、手だけ、足だけといった部分遺体も多い。それを現場では努めて早く収容すべく、個別に包装した部分遺体の何体かを一緒に毛布に包んで“1包み”として搬送していました。そういう状態で“121包み”搬送したのであって、「何体か」と聞かれてもわからないのです。
 ところ���連絡幹部は、即答できない私を見て、「���れでも責任者か!」と叱責したのです。ロクに寝ていなかったせいもあるでしょうが、さすがに頭に来て、部下の一人に「おい、そこの毛布を開けろ!」と命じました。そして「あなたには、このご遺体が“何体”かわかるんですか!?」と聞き返すと、相手も黙ってヘリに乗って帰っていきました。
 今思い出しても、いちばんつらかったのは「モミジ」です。ご遺体の搬送準備中、ビニール袋に入った何かが運ばれて来ました。赤くて小さくて、最初はモミジの葉のように見えました。でもそれは、血に染まった小さな子どもの掌だったのです。徐々にご遺体を見ることにも慣れていたのですが、あれは衝撃的でした。本当にかわいそうで、堪らない気持ちになりました。
 14日の15時過ぎから天候が悪化し、ご遺体の搬送作業はそこで中断しました。雨がしとしと降る中、その夜も前日と同じようにご遺体の隣で仮眠し、翌15日の朝、我々空挺部隊は任務を終えてヘリで習志野に帰投しました。ですから、私が御巣鷹山にいたのは13日の朝から15日の朝まで、48時間くらいです。睡眠も食事も不十分なまま過酷な状況にいたので、今思えばかなりストレスが溜まっていたのでしょう。
 警察と喧嘩もしました。自衛隊のヘリが運んでくるのは、ツルハシやスコップなどの工事用器材、ご遺体収容のための毛布だとか、任務に直結するものばかりです。ところが警察のヘリは、弁当やタバコ、寝袋やらをたくさん運んでくる。
 ある時、広げたままの寝袋が、ヘリの風圧で巻き上げられそうになり、近くにいた私の部下が慌てて飛び乗って押さえた。すると警察官が彼に向かって「おい自衛隊さん、寝袋に穴開けないでくれよな」と言い放ったのです。部下は休憩中だったのでタバコをくわえていました。警察官には、彼がふざけて寝袋に寝っ転がったように見えたのでしょう。私はその警察官に「馬鹿野郎! 寝袋が巻き上げられてローターに接触したら、ヘリが墜落するだろうが!」と怒鳴りつけました。
 マスコミにも腹が立ちました。川上さんの毛布を剥ぎ取ったこともそうですが、遺体の写真ばかり撮る輩もいて、思わず「いい加減にしろ!」と叱ったこともあります。とはいえ、14日の昼頃、ある新聞記者が持ってきた朝刊を見た時は、やっぱり嬉しかった。そこには、川上さんを抱えてヘリに向かう作間2曹の写真が1面に載っていたのです。
 今でこそ災害時の自衛隊の活動はメディアでも取り上げられますが、当時の自衛隊はある意味、日陰者でした。マスコミが現場にいるのは認識していましたが、我々の活動が大々的に被写体になるなんて私自身は想像もしておらず、とにかく驚きました。それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。
 ただ5年前、事故から30年ということであるテレビ局の取材を受けた際、ディレクターから開口一番、「なぜ自衛隊の到着が遅れたんですか」と聞かれたのは心外でした。そもそも当時の災害派遣は、要請を受けて初めて出動できる仕組みでした。勝手に現場に向かうことはできません。
 また、「夜のうちに現場へ行けなかったのか」などという人もいます。我々空挺部隊・普通科部隊は深夜の現場であっても救助活動することは可能ですが、輸送に任じた当時の自衛隊のヘリには暗視装置が装備されておらず、暗夜における未知の山地・森林の飛行は危険極まりないものでした。一方で12師団隷下部隊は、夜を徹してまさに暗中模索で現場に向かって山を踏破していたのです。自衛隊はできる限りのことをやったと私は今も確信しています。
■ストレス障害
 御巣鷹での経験は、私のその後の自衛隊人生にも影響を与えました。一番大きいのは、「ストレス障害」について身をもって学んだことです。実は習志野に戻った後、私は不眠症に悩まされました。
 昼間仕事をしている時はなんともないのですが、夜アパートに帰ると、暗い場所があるのが苦痛に感じられるのです。寝室はもちろん、トイレや風呂の電気もつけっぱなしにしておかないと落ち着かない。そして就寝中にふと窓に目をやると、ベランダにたくさんの人が並んで私を見ているのです。ほぼ全身の人もいれば、上半身のみの人、炭化した人など、全員、御巣鷹の現場で我々が後送に関わったご遺体のお姿そのものでした。
 もちろん幻覚だと自分自身納得しています。彼らが現れることに恐怖心を覚える反面、それほど不快には感じなかった。ただただ、「なんで現れるんだ」という気持ちでした。結局、ウイスキーをガブ飲みしないと眠れない状態が1カ月ほど続きました。
 この間は肉類も全く食べられませんでした。でも、当時の私はそれを仲間の誰にも言えなかった。あの頃の自衛隊には、まだストレス障害という概念もなかった。空挺団は、男の中の男が集まった猛者ぞろいの精鋭部隊です。年上の部下を統率する若手幹部として、弱みは見せたくなかった。上司に相談しても「頭がおかしくなったのか? 病院に行ってこい」と言われるだけだと思うと、誰にも相談できなかった。
 ただ、御巣鷹に出動した者の中で、外泊を申請して出掛けたはずの営内居住隊員が、“不気味に感じる”と言って駐屯地に帰ってきて皆と一緒に寝ているという話を聞いた時は、妙に安心しました。私はその隊員に向かって「情けない奴だ」と笑ってやったのですが、内心、「おれだけじゃない、みんな同じなんだ」とホッとしたことを覚えています。
 それからずっと後の、私が1等陸佐として連隊長を拝命した2003年、自衛隊がイラクに派遣されました。私も派遣に備えて、部隊指揮官としてストレス障害に関する教育を受け(結局私自身はイラクには行かなかったのですが)、更にその後の勤務でも、指揮官・幕僚にとって必須の知識として学びました。
 そこで、当時26歳の私が御巣鷹山から帰って体験したことが、まさに「急性ストレス障害(ASD)」の典型例だったと気付いた。それ以来、ようやく自分の経験を他人に話せるようになりました。ちなみに、ASDの状態が1カ月を超えて続く場合は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」とされます。
 戦場や大規模災害の被災地などの過酷な状況下では、どんなに強い人間でもストレス障害になり得る。それを私は、知らないうちに自ら経験していたのです。たった48時間の任務で、私の心は壊れかけてしまった。そしてそれをひたすら隠し、一人で悶々と悩んでいた。
 現在の自衛隊では、海外派遣や災害派遣のたびにメンタルヘルスに関するケアを体系的に行っています。任務終了後の隊員を一人でストレス障害に立ち向かわせるような状態に放置することはありませんし、仮にあったとすればその指揮官は失格です。そういった意味で、この貴重な体験は私自身にとって、指揮官として大勢の部下を率いて任務を完遂する上で大きな糧となりました。
 あの悲しい事故から35年を迎える今、改めて犠牲者のご冥福と、生存者やご遺族の方々の人生に幸多からんことを、心からお祈り申し上げます。
岡部俊哉(おかべとしや) 元陸上幕僚長 昭和34年、福岡県生まれ。元陸上自衛官(防大25期)。第6師団長、北部方面総監などを経て、2016年、第35代陸上幕僚長に就任。2017年8月に退官。
「週刊新潮」2020年8月13・20日号 掲載
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