Tumgik
#白いブランコ
Photo
Tumblr media
あ❗️ 本日1月15日でデビュー54周年です❗️ #ビリーバンバン #ビリバン #菅原孝 #菅原進 #デビュー日 #デビュー54周年 #白いブランコ https://www.instagram.com/p/Cnbyv9ZpPLC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note · View note
hanaoetepice · 2 years
Photo
Tumblr media
#白馬マウンテンリゾート ✨。 雨予報だったのに、着いたら晴れてるからテンション上がり、上までわんずと行ってきました‼️ * そして、ハイジのブランコ、乗ってきました😄👍 「教えて〜おじいさん〜♪」をBGMにフルコーラス、その間乗っていられます。 わんずが騒ぐかと思ったら「ふーん…何やってんの?」的に傍観された😅 ブランコこぎが下手になっていて、ちょっとガックリ。 まぁ当然ですね。 しかし、ダーは衰えてなかったな。チェ。 * ちなみに、ゴンドラはガッツン、と音立てて揺れるのが驚きだったみたいで、ガッツンの音と同時に3匹私の膝にジャンプしてきました。愛しい…😍 でも、意味がわからないだろうから、リフトはやめて下山しましたよ。 * 雲がかかって山の上まで見晴らすことはできなかったけど、雨降り覚悟で行った身としては、文句なし!雲が夏らしくて、気持ち良かったです。また行きたいな。 * We went to Hakuba in Japan, Nagano prefecture. It was supposed to rain, but it cleared up, so we felt good 😊 But our dogs didn't seem to like the gondola that much.😅 * Have a happy day. #犬かわいい #犬ばか部 #犬がいないと生きていけません #元保護犬 #ミントとフィズとプリュノ #マルヨーキー #シーズー #マルチーズ #ヨーキー #ミックス犬 #わんず #犬とお出かけ #ハイジのブランコ #笑う犬 #doglovers #ilovedogs #nodognolife #malyorkie #mintandfizzandpruneau #rescueddog #tripwithdogs #smileydog #shihtzu #maltese #mixdog #tokyolife #mylove https://www.instagram.com/p/CgEHhbIPK0H/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ryotarox · 1 year
Text
この本がスゴい!2022: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
さらに「白」という言葉そのものに注意を向ける。白は、ロマンス語圏でどう言われているかを次々と挙げる。 フランス語ではブラン(blanc) ポルトガル語ではブランコ(branco) イタリア語ではビアンコ(bianco) スペイン語ではブランコ(blanco) 英語でブラック(black) black は「黒」だから、意味と音が真逆になっている!?ボルヘス曰く、これらは元々同じ意味、すなわち「色が無いこと」を示すらしい。色が無いことが、影の方に転んで、ブラックが黒になったのが英語になる。一方で、光の方、澄明さに転んだのが、ロマンス諸語になるというのだ。
- - - - - - - - - - - - - - - -
「white」はどこから来たんだろう。「wh」で始まる言葉に関連は。 こういうことらしい。
https://gogen-ejd.info/white/
「白い(hwitaz)」がこの単語のコアの語源。 中期英語 whit(白い)⇒ 古期英語 hwit(白い)⇒ 西ゲルマン祖語 hwit(白い)⇒ ゲルマン祖語 hwitaz(白い)が語源。 英語 wheat(小麦)と同じ語源をもつ。
wh から始まる英単語の語源は何ですか?何かの派生語ですか? - Quora
55 notes · View notes
macrosoft98 · 3 months
Text
Tumblr media
ドクター・ワグナー - メキシコのレスラー
マヌエル・ゴンサレス・リベラ(Manuel González Rivera、1936年4月13日 - 2004年9月12日)は、メキシコのプロレスラー、またはリングネーム「ドクター・ワグナー」で最もよく知られているルチャドールであった。 ゴンサレスは 1961 年にプロレスラーとしてデビューし、キャリアの大半をメキシコのプロレス団体エンプレサ・メキシカーナ・デ・ルチャ・リブレ(EMLL)で過ごしました。 ドクター・ワグナーとして、彼はキャリアのほとんどをエンマスカラド、または覆面レスラーとして働き、1985年にエル・ソリタリオにマスクを失いました。ゴンサレスはアンヘル・ブランコとともに、ラ・オラ・ブランカと呼ばれる1960年代と1970年代の最高のタッグチームの1つを結成しました。 (スペイン語で「白い波」)。 彼の息子の1人はドクター・ワグナー・ジュニアという名前でプロレスラーとして活動し、もう1人の息子は2019年に亡くなるまでシルバー・キングとしてレスリングを続けた。孫の1人は2009年にエル・イホ・デ・ドクター・ワグナーという名前でレスリングデビューした。 ジュニアまたはワグナー三世博士。
2 notes · View notes
moshgsh · 4 months
Text
2023年
お風呂でSNSでみんながそれぞれに発する1年間の成果や反省を読みながら、去年の自分についてやっと振り返りたくなって急いで湯船から上がって髪を乾かした。
釘は熱いうちに打て。っていうからね。もう十分遅いんだけど。
2023年は、一番メンタルブレブレの一年だったと思う。その理由まで自分で何となくはわかってる。私と同じような生き方をする10個上のおじさんが現れて、「君は人たらしだね。」って言われたところから、私のお豆腐メンタル劇場は幕を開けた。今まで何にも考えてこなかった、他人にとって自分がどういう存在なのか、ということについて考えることになった。
その時の私はなぜだかわからないけど、バイトや大学のみんなから引っ張りだこだった。こんなこと恐れ多いからいつもは黙ってるんだけど、tumblrだからいいよね。あの時は人生のピークかもしれないくらいに思ってた。そんな時に、私と同じような、というか私以上に引っ張りだこな人が現れて、「○○ちゃん(当時の私の一番の親友)のことどう思ってるの。」って言われたところから、私のお豆腐メンタル劇場は第二楽章に入る。その時感じていた違和感を、その人にぶつけるうちに、「なんでこんなに自分を犠牲にしているんだろう。」と思い始めた。その人は、なんで自分が引っ張りだこなのかをわかっていたし、そのためにどうふるまうべきなのか。ということを知り尽くした人だった。
結局、その違和感は、自分がその子に利用されているという感覚だった。その感覚をぶら下げながら、その子の話を聞くと、恋愛の話は全てただ私が仲がいい人も結局は○○ちゃんのことの方が好きだという自慢だし、私の話は、面白がって本気で相談に乗ってくれていないことだって思うようになっていった。肝心な時にありがとうとごめんねを言ってくれずに、いつも見下される感じが、本当にしんどかった。いざという時義理がない人って信頼できないんだなって知った。こんなこと気が付かない方が幸せだったかもしれないと思う一方で、気が付いたからには、本当に仲いい人っていうのを改めて考えようという思いが募った。
私はその子から、思い切り距離をとった。ここからがお豆腐メンタル劇場のサビ。その子は、私の紹介で仲良くなった子と私以外で遊んで、その子たちをSNSに「大親友」として載せまくった。私があえてあいていない日に遊びを計画し、私に断らせ、私以外でのグループを作り、そのメンバーを「このメンバーが最高」という投稿をしまくった。私は、悲しかった。マジで利用してるだけじゃん。っていうことに気が付いたから。これを高校とか大学の子(〇〇ちゃんとは関わりがない子)とか引っ張りだこマスターに話しては、メンタルを救ってもらってた。
○○ちゃんに一回だけ、距離をおくことを伝えようかと思ったことがある。そのために二人でご飯に誘った��最近気まずい私から誘われて、何かを察したのかすごい距離を詰めて、大好き!って来られた。裏で悪口いわれてるのはもうさんざん聞いている時期だった。SNSにもほかの「親友」が載せられまくっている時期だった。もう怖かった。でも伝えたかった。元親友として、最後に心から向き合ってほしかった。だから、切り出した。「最近さ、ちょっと思うことがあって」って。その子は故意か無意識かは知らないけど、その話をぶった切った。そしてまた、自分の恋愛の自慢話を始めた。なんかもう自分だけ頑張っているのが馬鹿らしくなった。諦めた。親友でいることを。悲しくて、帰りに一人でブランコで揺られながら泣いた。
浅すぎるから嫌いと言っていたAちゃんと本音がわからないから仲良くなれないといってたBちゃんとその子は仲良くし始めた。Bちゃんから、最近○○ちゃんとなんかあった?って聞かれたことがある。Bちゃんを巻き込みたくはないから、「いや、ん~、マンネリ化じゃない?」って言って流した。Bちゃんのことは大好きだし、本音で話したいのにまたしても○○ちゃんに人間関係が壊されているのを感じて、つらくなった。それでも表面上平和史上主義だから、黙ってた。その悲しさより、○○ちゃんが私から離れて早くほかの仲良しを見つけてほしかった。まあその結果Bちゃんに○○ちゃんを押し付けたことで私はまた、メンタルブレイクしたんだけど。
当時こんなお豆腐メンタルをもってしても、私はまだ○○ちゃんと仲良くできる方法を考えていた。メンタルぼろぼろになりながら、バカみたいなこと考えて、さらに崩れていく私を救ったのは、今の彼氏だった。「お前さ、○○ちゃんのことが嫌いなんだよ。」って。いわれて気が付いた。親友を嫌ってもいいんだって。「○○ちゃんとなんでそんなに仲良くしたいかわかんない。俺はお前を傷つけるから大嫌い。」って。あー、嫌いになっていいんだって思うだけで、楽な気持ちになった。てか、この子に使う時間があるんだったら、もっと自分が好きな人たちに時間を費やそう。って思えた。
そう思って自分の周りを見ていると、私をメンタルブレイクの沼から引っ張り出そうとしてくれる友人がたくさんいることに気が付いた。てか、それまで気が付かなくてごめん。あまりにも自分しか見えていなかった。そこからは、その子たちに感謝して、仲良くさせてもらうことで救われた。心がちょっとだけ強くなった。
年の末、○○ちゃんの恋愛話はウソだらけであることが分かった。何も事情が知らない研修医になった先輩に2年ぶりにあった時、「あいつと仲良くしてあげるのはお前の自由だけど、俺はいつ距離をおいてもお前のせいじゃないと思う。」って言われた。ついこの前、高校の時のその子の友達に会った。「ねえ、〇〇と縁切った?頑張ったね。」っていわれて抱きつかれた。この3件が重なったとき、○○ちゃんって本当にかわいそうだし、孤独だって思ってしまった。ざまあみろとは思えなかった。あの子に私はさんざん見下されてたけど、そんなことに構ってる自分の時間が無駄だった。
恋愛のウソも、先輩が感じていた客観的視線も、私は気が付かないくらいには鈍感な人間だって気が付いた。それが平和に結びつくこともあれば、気が付かないうちに自分を不幸に陥れているときもあると思う。それに気づかせてくれた引っ張りだこマスターにはずっと感謝してる。(笑)あの人は、そう言うことに気がつきながら、自分の振る舞いを決めることが大事ってことを知ってた。
あの子はこれからも都合の良い利用できる人を見つけては、見下して生きていくんだろうと思う。それを救うことは、私の力ではできなかった。もうこれ以上仲良くもなれないし、あの子の人生に私は必要ない。都合よく利用できない、都合の悪い人間になってしまったから。
そんなわけで、私は他人からどう思われているのか、っていうことを考えまくった一年を送った。確実にこれからの人生で必要な一年だった。大切な人が誰だかを学んだ一年だった。大切なことに気がつかせてくれて、お豆腐メンタルまで救ってくれた引っ張りだこマスターありがとう。
今まで好き~って来てくれる人とばかり受け身で仲良くしてきた人間だから、愛を伝えるのは下手だけど、これからはちゃんと好きな人に愛を伝えて、自分が大切にすべき人を大切にできるようにしたいと思う。
長くなったけど、これが2024年の目標。
2023年は、23年間の人生で一番人間やってたな。笑
2023年、ありがとう。関わってくれたすべての人への感謝を込めて。
2 notes · View notes
kennak · 7 months
Quote
今、中国では川端康成文学の出版ラッシュが続いています。その人気ぶりはまるで一つの社会現象が起きていると言っても過言ではありません。長年、中国と日本の双方で著述や翻訳などを続けている私も少し驚いているほどです。先日、中国から日本を訪れてきた約二十人の観光客を、大阪の茨木市にある川端康成文学館にご案内いたしました。みなさんは日本文学の愛読者で、川端ゆかりの地を巡るツアーに参加している人々でした。文学館の館長先生も「ブームのおかげでたくさんの中国の方々が来るようになった」と言いました。しかし、なぜ今になって、中国で川端文学がブームになったのでしょうか。これは実に興味深いものがあります。 その理由はいくつかありますが、ひとつは今年、川端康成の死から五〇年を迎えたということで彼の作品の著作権保護期間が切れたためでした。 著作物の保護期間については、日本や中国を含む主要国が加盟する「ベルヌ条約」で作者の死後50年としています。しかし、実際のところ、国によって定めている期間は異なります。欧米では70年が主流です。日本は旧著作権法で50年としてきましたが、環太平洋パートナーシップ協定発効に伴う同法��正により、2018年12月、70年に延長されました。保護期間が切れると、著作物は「パブリック・ドメイン」となり、許諾を受けたり使用料を払わなくても、原則的にだれでも利用できるようになります。 ここでは、50年とする中国の著作権法では「著作者の死後50年目の12月31日に満了する」と定めています。川端康成は1972年4月16日に逝去したため、日本では保護期間内が続いていますが、中国では今年1月からパブリック・ドメインとして扱われるようになりました。 そして、各社が競うように川端作品を出版し始めたのです。翻訳本としてこれだけ一気に噴き出すのは、稀なことです。その中でもっとも多く刊行されたのは名作『雪国』で、私が知って��る限りでは、もう二〇以上の中国語訳バージョンが激しく競い合っています。 中国の書籍販売サイトで検索すると今年1月に入ってから、川端作品の出版点数は今後の予定を含め80冊を超えています。 実をいいますと、2021年に三島由紀夫が没後50年を迎えた時も、やはり三島ブームが起こりました。しかし今回の川端ブームはその比ではありません。この差はかならずしも二人の作品の優劣といったようなことではなく、現在の中国の社会情勢に大きく関係していると、私は考えています。 中国では2013年の習近平政権誕生以来、言論政策における統制色が強まってきました。出版物に対する管理の厳しさも増す一方で、特に海外からの書籍などは今まで以上に細かく検閲されています。その影響で、民間の出版プロダクションや国営の出版社も含めて、さまざまなジャンルの作品を選定するのに神経を使います。いかにして検閲を通すのか、あるいは内容的にダメだという自己規制で諦めるのか、いろいろと工夫をしなければなりません。 最近、私が翻訳したある日本の学術書も過激な主張はないにもかかわらず、なんだかの理由で出版することができませんでした。しかし川端康成の文学は、「世離れ」をしています。日本の大正から昭和にかけての、戦争がない平和な期間を舞台にしているものが多い。作品の多くが反体制運動や戦争をテーマにしていないので、検閲に通りやすいのです。 さらに、こうした規制による不自由な社会で、人々は川端文学の美しく詩的な情景描写に「癒し」を求めはじめています。元々、中国では川端康成の類まれな表現力について評価が高く、2012年ノーベル文学賞を受賞した作家の莫言さんも『雪国』の美しい描写に大きな影響を受けたと公言していました。そして書き上げたのが後に、映画にもなった小説『白い犬とブランコ』でした。1999年の秋、莫言さんははじめて日本を訪れてきた時に、川端康成が執筆した宿に泊まりたいと言いました。私は彼を伊豆の天城湯ケ島温泉の旅館までご案内いたしました。とても喜んでいました。 現在の中国は、例えば、軍のスローガンをネタにしただけで、コメディアンに二億円の罰金が課されるなど、小説よりも現実社会のほうがもっとも魔術的で、エキサイティングな出来事が次々と起こるような社会です。残念ながら、小説がそのような現実の刺激には勝てないのです。そのため、人々は文学に物語の筋立てというよりむしろ、川端文学のように心を豊かにし、生活に潤いを与えるような美しい言葉を求めています。彼らは文学をまるで「癒しグッズ」のように消費するということで、日々の不満や生きづらさを解消しようとしているのです。 また、優れた若手翻訳者が多くいるという点も、ブームに拍車をかけていると言えます。最近、言論空間がますます厳しく制限され、作家を志す才能がある人でも言論統制による出版禁止や、場合によっては逮捕されるそのリスクまで考えなければなりませんから、ものを書くことを避ける人が多くなりました。彼らの中には、海外文学の翻訳者に転身する人も少なくありません。元々は作品を生み出す能力がある人ですから翻訳のクオリティは高く、大勢のファンがついている翻訳者もいます。さらに、若い彼らはソーシャルメディアを駆使した作品のアピールにも長けていて、翻訳者兼プロモーターの役割を積極的に果たしているのです。 そして今回の川端ブームは、中国の出版社の戦略勝ちという側面も大きいでしょう。日本の出版社と比べて中国の出版社は非常にビジネスに対して貪欲で、著作権保護期間が切れることや、検閲を通りやすい作品が多いことを見越し、準備を進めていたのです。私もある中国の出版社から数年前に川端作品の翻訳を頼まれたことがありました。 さらに、中国の出版社は装丁のデザインやノベルティといった、本の中身以外にも力を入れています。中国の書店には質感の高いデザイン性を誇る本が並び、コーヒーカップやトートバッグとセットで売られている本もあります。その力の入れようは、私にはやや病的にも思えるほどですが、多くの人々がスマートフォンやタブレット端末で本を読む今現在、逆に紙の本に求められているというのは、それを持っているだけで自分の価値を高めてくれるものと信じ込んでいるからです。川端ブームに乗っている人の中には、作品は大して読まず、流行の川端文学を手に持つことで時代の最先端をいく自分を演出する人もいます。 川端文学が素晴らしいことは言うまでもありませんが、現在の中国では、教養のためというより、心を癒し生活の質を向上させるために川端作品が選ばれているのです。
毛丹青「川端ブーム」広がる中国 NHK解説委員室
2 notes · View notes
mari8log · 5 months
Text
2023/11/14
ジェイデッカー時代のアニメディア良すぎる。ほしい……。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
男性ブランコがトレンド入りしていたのでなにかと思って見たらウエラン単独に来られていたと!あちこちオードリーで見たいと言っていたの、ホンマだったんだ…。
youtube
3回戦のナイチンゲールダンス、めちゃめちゃ面白いので見てください!
1 note · View note
tamanine · 1 year
Text
2023.4.2の日記
ビル・ナイ主演、カズオ・イシグロ脚本「生きる LIVING」を見に行く。黒澤明の方を見てる人にはネタバレはないと思う。
朝から体調は悪く、家の物理的なあれこれに関するやり取りの担当者さんが間が抜けていて数字のチェックのため寝不足であり、映画館のチケットは直前のキャンセルもできるため映画に行くかどうか迷う。
だけどずっと家にいてもろくなことがなく、自転車でどこかに出かけてもこの調子の場合はあまりうまくいかなかったことがあり、体調が微妙な時に大したメイクも服もかためずに一人で暗闇に座っていられる映画館はわりといい。
家を出る直前に、観に行く映画の座席の埋まり具合を見ても二つ空き以上のゆとりで見られそうで、渋々出かけた。
自分で決めて自分のペースだけで行く映画館でも渋々、としか言いようのない気持ちになることがある。でも一人だから大丈夫、ムッとしたまま、映画も合わなければ誰にも何の感想も言わないままムッツリと帰ったっていいのだ。だから渋々、少しだけ電車に乗る。
「生きる LIVING」、黒澤明の元作は見ていない。
カズオ・イシグロのことは好きだけれど予告で見た、年配男性が若い女性に慰められていそうな場面が引っかかって見るかどうか迷っていた。
見た結果、年配男性が若い女性に勝手に慰められている場面には引っ掛かりはするものの、ビル・ナイなのでかなりギリギリ好きが嫌いかの境界にあった。
あのウサギのぬいぐるみかわいいね、でもとても歳上の人が若い人にあまりにも重い話をすると緊張してしまう。
映画、黒澤明のあらすじも知らなかったので、「そういう映画なんだ」「え、そんな映画なんだ」「へぇ、そんな映画なんだ」「そういう映画なのか!」が重なり、最後のひとつ以外の「そんな映画」はそんなに好きな展開ではなかったのだけど、最後のシーンに虚を衝かれた。
とても有名なこの映画はこんな話なのか。
もとの映画でも同じ気持ちになるんだろうか。
彼は一般的なシス男性的夜遊びにそこまでの生きがいを感じず、仕事をサボってもサボりかたもあまりおぼつかず、息子のことも好きなのに話をきちんと打ち明けることもできない。(それが息子にも影になる)
最後の彼の幸福、小さい頃の心残りや寂しさと、今の彼の虚しさを満たしてくれるブランコ。
夜、坂本龍一さんの訃報を知る。
大きくて美しい神宮の木の伐採、完成しない辺野古、きっとまた事故を起こす原発、戦争を避けようとしない自公政権。
坂本龍一さんのラジオを聴いていて、落ち込んだ時に聞くライブのBlu-rayがあって、いつも軽やかで、ずっとかっこよくて、そして尊敬できる大人。いつもなにかを面白がりながら、美しいものを知っていて、政治の発言も大きくして、ご自分の思う美しい次の音を見つけようとしてくれてた。
映画の中のビル・ナイのラストシーンみたいに、ご自身のための美しいものを取り出せる人。
フィクションの中の人よりももっと魅力的だけれど、同じ日付に重なる景色。
2009年のWORLD HAPPINESS に行ってYMOの音楽を聴いたよ。音楽を聴いたあとの夜の道、音楽を記憶に残したままずっと
5 notes · View notes
wwwwwwwwwwww123 · 1 year
Quote
男性ブランコは誰も傷つけず強い言葉も使わず音符を運んでいただけだったのに、、面白かった、、
さとう三保さんはTwitterを使っています
3 notes · View notes
Photo
Tumblr media
スタジオぶっ壊れて色々バタバタしましたが笑、無事携帯で配信しました! 楽しかったです! リンクのお知らせできなくて申し訳ありませんたでした💦 ビリーバンバン菅原進の完全なるテスト配信 / ニコ生番組 https://live.nicovideo.jp/watch/lv339050812 #ビリーバンバン #菅原進 #ニコ生 #ニコニコ生放送 #たべるんごのうた #あんなに一緒だったのに #また君に恋してる #白いブランコ #歌ってみた https://www.instagram.com/p/CkVgFavp-6E/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ichijimak · 2 years
Text
R4/8/27
真夏のピークが去ったかな?今年の、そして20代最後の夏休みは九州に旅行に行った。
1日目
福岡から乗り込んだ。先輩に車で拾ってもらい、なんとなく海の綺麗な糸島に行った。当然カップルと家族連れしかいないが、ブランコで写真を撮って欲しそうなカップルを撮ってあげたら(動画)、代わりに私達も撮ってもらった。後で見たらすごく楽しそうだった。
佐賀の呼子がイカで有名だと言うので向かったが、どの店もあまりにも混んでいて入れないので、評価の低い店なら空いているんじゃないかと、Googleであり得ないくらい点数が低い"イカ太郎"という店を見つけた。これはぜひ見てほしいが、「今まで行った飲食店のなかで最悪」「油はギトギト、飯はべちゃべちゃ」「『悪質なクレームは通報します』という貼り紙がある」「クソ太郎」などと面白いくらいの低評価が並んでいた。しかし結局その店も混んでいて入ることができなかった。クソ太郎がどんなもんか見たかったな。別の町に行ってイカを食べた。
夕飯は福岡の町で奥様と合流して魚介類を食べる予定だったが、福岡で見たいものが一個もなく、かつ先輩も福岡愛がゼロのため行く場所がなくなり、夕方には先輩の家に行ってテレビを見るなどした。夕飯に出かける際、宿が決まっていなかったので、「とりあえず荷物は置いて行きます!」言って、予定調和で泊めさせてもらった。感謝であります。
2 notes · View notes
ricax-t · 2 years
Text
Tumblr media
MIX CD Nidanaをリリースしてから4か月半が経ちました。お買い求め下さった方、応援して頂いている皆さま、本当にありがとうございます。
今回は、Nidanaについて、色々な観点から、書いてみようと思います。
書きたいことが溢れており、3回に分けてNidanaへの想いを綴っていきます。
ご興味のある方は、どうぞお付き合いください♪
【第一章】
Nidanaは、サンスクリット語で「因縁」という意味です。
この言葉を聞いて皆さんは、どう感じるでしょう。重みがある言葉だと思う方も多いかと思うのですが、まさにその通りで、仏教において意味深い言葉でもあるんです。ただ、ネガティブな意味ではなく"意味づけられている"という事なんです。
生きている中で、どうして私はこんな目に遭わなきゃいけないんだろう?とか、どうしてこの道を選んでいるんだろう?とか、良い意味でも悪い意味でも、疑問は誰にでも浮かぶことは、あると思いますが、この体験は全て自分が望んだ事なのです。「そんな訳ないでしょ?」って思うのは当然で、人間は生まれ変わる時に前世の記憶が消されて生まれてくる約束なので、覚えていないだけなのです。
苦しみや喜び、今いるコミュニティにいる意味など、全て自分の魂が「今度、生まれ変わったらこうなりたい!」って、思っていた事を現在において、体験しているだけなのです。
Nidanaとは、どう足掻いても変わらない運命を手放してしまいたいけれど、それは、全て自分が今世に持ってきた課題であり、この人生を学ばなければ、前世の願いをクリアできない、その為に今がある。この事を理解出来た時に、この選曲になりました。
命の誕生から、現在にいたるまでの人生を私なりに、Nidanaで表現した、そんな感じなんです。
ちょっとスピリチュアルな視点から入りましたが、このメッセージが響いて頂けた方は、Nidanaから学ぶ事があるのかもしれません^_^
さて、曲の紹介に進みたいと思いますが、一曲目は、私の拙いピアノで始まります。
これは生体に魂が宿るイメージ、人生のスタートを表現しています。
そして二曲目は、The john hicks trioのyenenja。1980年のアルバム「Hells Bell」の一曲目の曲です。yenenjaとは海(水)の女神という意味で、地獄のベルからの海の女神、なんだか意味深いですよね笑。ジョン・ヒックスのお父さんが牧師さんだった影響もあるのかなw お聴きになっている方には、ご存知の通り、素晴らしいピアノトリオです、それもそのはず、ジョン・ヒックスは、ジャズ・メッセンジャーズやファラオ・サンダースに参加していたピアニスト。ジャズファンの方々には有名どころの人物のピアノトリオ。タイトルのように、美しさ強さしなやかさを感じさせる一曲です。
ここには、揺籠のようなイメージを作りました。
三曲目は、Tino contrerasのLa noche de los dioses。メキシコのジャズ・ドラマー、ティノ・コントレラスの最後のアルバム"La Noche de los Dioses"からアルバムと同タイトルの曲で、"神々の夜"という意味だそうで、いかにも目に見えない宴のようなイメージが感じられます。若い頃の彼の作品は、明るく楽観的と思える、音曲を多く聴いていた為、このアルバムでは180度違うイメージを受けた素晴らしく衝撃的なアルバムからの選曲。
ここには、この先の運命の行方というイメージを作りました。
四曲目は、Blanco y negroのSomething personal。2018年のアルバムとなります。キューバとスカンジナビアのジャズを融合したバンド、ブランコ・イ・ネグロ(白と黒)。キューバ、スエーデン、デンマークと国を超えたからこその音の織りなすセッションのアツさが素晴らしい。
ここには、動き出した運命をイメージしました。
五曲目は、Barney McAllのYemaya one。驚く事、偶然にも二曲目とシンクロしていて、タイトルは「海(水)の女神」を表しています。曲先行で選曲していたから、文字起こししている時に、2曲もイマンジャが入っている事に自分でもビックリでしたね笑。
この曲が収められているアルバム「MOTHER OF DREAMS AND SECRET」はキューバのスタジオ録音らしく、アフロ・キューバンとジャズや色々な音楽要素を織りなした作品。ジャケットの海(カリブ海かな?)の絵も素敵です。
ここには、運命が動き出し、荒波になったり、平穏になったりという動きをイメージしています。
と、長々と書き込んでおりますが、ここまでお付き合い頂いた皆さま、ありがとうございます。第二章もまた書きあげましたら、アップしようと思っています。
では、今日はこのあたりで^_^
2022.7.6
3 notes · View notes
snowglobeeyes · 2 years
Text
2022年 6月26日
今日は絵の具の水色をそのまま原色で塗ったような快晴。日光を浴びたくなったから散歩をすることにした。タンクトップを着て音楽を聴きながら歩いていく。風が生温かったけど気持ちがいい。上を見ると近くを飛行機が飛んで行った。その瞬間更に白いものが私の目の前を飛んで行き驚いた。白い蝶だった。天使のようだった。小さく色とりどりに咲く花達の周りにはミツバチが飛んでいた。だけど猛暑のせいか、人はほとんど見かけなかった。
それは私にとってはラッキーなことだった。なぜなら家の下にある公園を独り占め出来るから。私はPrincess ChelseaのIce Reignを聴きながらブランコに乗ることにした。なんだか急に映画の中にいる感覚になった。私は退屈な町に住んでいて、孤独だけど夢と野望を持っている役。ブランコを漕ぎ始めるとあの絵の具の空に投げ出され、太陽に見つめられて地球を感じた。それは紛れもない自由だった。見ているのは地球だけ。
そしていつの間にか刈られてしまった木達の中で生き残った大木に愛を伝え、家に戻った。
Tumblr media Tumblr media
3 notes · View notes
derspericher · 4 hours
Text
旅に出る理由 #Palau
初めてこの国を出たのは、まだ小学生の頃だった。
私は子供の頃、市の友好青年使節団の研修へ参加し、主に日本と戦時中に関わりがあった幾つかの国々を訪れた。友好青年使節団の渡航準備は、まず半年をかけた研修から始まる。定期的にフォーラムに参加し、渡航先と日本がどのように関わり合っていたのか、彼らの文化はどのようなものなのか、戦時中何が起きたのか。事前に相手の国へ行く目的をはっきりさせてから行った。文化交流の一環として、相手の国民的な歌を覚えて合唱曲を互いに送り合ったり、時にはホームステイもした。「言語の壁を越えていく適応力」と「互いの歴史的・文化的背景を知り、多角的な視点を持って相手に歩み寄ること」をここで着実に学んだように思う。
そして私が使節団として渡航した最初の国が、パラオ共和国だ。
パラオは西太平洋に位置する、500以上の島が集まってできた共和国だ。日本とは歴史的な関わりが非常に深く、第一次世界大戦後に日本の統治領土として一時的に統治されていたことが大きく影響している。(パラオ共和国の国旗は、日本の国旗のオマージュとも言われているが、製作者は否定しているとのこと)パラオ語の中には日本語が混ざっていることで有名だ。
私はパラオ無人島体験のプログラムに参加した。参加時はもちろん戦地学習としてぺリリュー島などの激戦地には行ったのだが、無人島で過ごした時間が衝撃的すぎて全く覚えていない。大人より子供の多い無人島サバイバルツアーが組まれ、今となっては考えられないようなプログラムが組まれていた。子供達のメンバーはうろ覚えだが、明るい子、教室の隅にいるような子、不登校の子、など、決して外交的な人間だけが揃えられたのではなかった。大人はマジシャン、理科講師、主催者、現地のツアーガイド数名だった。「理科」「エンタメ」「現地民」「計画者」、そしてさまざまな性格の子供たち。今思うとほぼ漂流教室だ。やばすぎる。
プログラムがスタートしてパラオのコロール市に数泊した後、小さな無人島へ皆でボートで向かった。日中、干潮の時間に水の中をじゃぶじゃぶと歩きながら島へ上陸したのを覚えている。足元を見ると、白い砂浜を米粒ほどの小さなヤドカリがウヨウヨと歩いていた。島に入ってすぐ見えるヤシの木には、前年度のプログラム参加者が作ったお手製の木のブランコがかかっていた。
無人島生活は、まずシュノーケリングから始まった。小判鮫がウヨウヨいる海を泳いだ。ずっと向こう側まで澄み切っている海を泳ぎ、横をスイスイと泳ぐ魚たち、とサメ。サメサメサメ。サメばかり。とはいえど、小判ザメだ。人間を襲いにくる様子もなく、ちいさな群れを成して悠然と泳いでいた。最初は怖くて仕方がなかったが、何もしてこないとわかると俄然楽しくなったのを覚えている。
午後はテグスと小さな針のみで魚釣り。釣った魚はその日の晩御飯になると聞き、みんな果敢に挑戦し、小判ザメを釣ったり、小さなミノカサゴを釣ったり。「食べなければ生き残れない」という無意識のもとで命を獲り、それを食べる。今思うと「人間という動物」らしい瞬間だ。海に生きとし生けるものと一つになって泳ぎ、その群像の一つを食べて生きる。そんなサイクルを体感した。
日が沈んだ頃、壁のない木の小屋に集まり、釣った獲物の鍋を突いた。マジシャンがマジックを披露していた最中、その向こう側からふらっと現れた巨大なヤシガニに一同騒然とした。ヤシガニはマジックのタネではなかった。ガイドが木の枝を使って捕まえて、理科講師が「ヤシガニのハサミは人の親指をパチンと切る」と言っていた。鍋で煮て食べた。捕食者でよかった。私の指は残った。ヤシガニのハサミは美味しかった。
ひとしきり食べ終わった後、みんなで浜辺で焚き火をした。ここで理科講師「おじい」が星の名前を教えてくれた。一つも覚えていないが、南十字星という、南の島でしか見れない星が稀にあることだけは覚えた。私たちは見ることができなかった。
あの時、まだ10代になったばかりの子供達だったが、焚き火を囲みながら、夜なべして将来の話をしていた。6年生の男の子がすごく悩んでいたような気がする。そのあとは硬い木の床にみんなで雑魚寝した。お風呂なんてもちろん入っていない。肌が砂でざらつき、湿気でベタついていた。風を感じた。月が大きかった。『時間』という概念を忘れていた。何もかもが自然の流れと共にあった。
夜明けに不意にとんでもない光を感じて起き上がり、理科講師おじいを起こした。「あれは何?」と聞いた時に「あれはね、朝と夜の間にしか見えない金星という星だよ」と教えてもらった。金星が太陽の限りなく近くにいたからなのか、眩しくて仕方がなかったのを覚えている。その光を、いまだに、確かに、覚えている。
思い切り自然を楽しみきった私は、無人島から帰る時、「帰りたくない」と駄々をこねた。ガイドさんに「残るか?」と聞いてもらったのを覚えている。育てていたポケモンのたまごなんて、もうどうでも良くなっていた。「ここがいい」と思っていた。泣く泣くホテルに帰り、夕方にレストランで食べたコウモリのスープは、シャケの味がした。ホテルに帰ってベッドで寝ても、食事だけは相変わらずビーストモードだった。
パラオでの無人島体験は、地球と邂逅した時間だった。
当時、日本の児童館でPCで毎日フラッシュ倉庫やYouTubeを漁っていたザ・インターネット女児の私にとって、すでに情報の海はみじかなものであった。タイピングも上手くなってきた頃に、予想だにもせぬ提案を母親から受け、全ての電子機器を置いて無人島に行った私は、人間社会の皮を被っていない地球そのものに、完全に魅せられてしまった。
インターネットは今でも大好きだ。今はさまざまな情報をもっともっとインターネットで簡単に得られる時代だ。なんだって知ったような気になれる。
でも如何せん、地球は大きく、広く、丸く、そして変化し続ける命だ。その未来には私たちと同様、死も待っている。四角いフレームや文字の羅列で切り取れるようなサイズの事柄は、最初から世界にはない。知り尽くせない文脈が、地球の血脈だ。毛細血管の如く地球上にぐるぐると広がっている。本物を知りたければ、自身の身体を持って、本物に触れなければいけないと、思う。そのアクションはとてもパワーがいる。エネルギーがいる。ただその分、私の問いに世界は言葉なく応えてくれる。
旅という行為に興味はない。私は、この世界に興味がある。この世界で起きたこと、起きていること、起きるであろうこと、その全てに、魅せられ続けている。遺跡、美術、絶景、人物、動物、エンターテイメント、文学、音楽、どれにしたって、「概要」を知っていても、本物に触れることとは天と地ほどの差がある。本質や真実そのものが伝わってくる。そして感覚がまたひとつ、新しくこの体に生まれる。「そういうことだったのか」と、言葉にならない体験的な知の財産を得る。なんならタイムスリップをすることだってできる。
この「知る喜び」こそ、私が旅に出る理由なのだ。
0 notes
cherr-blossom · 1 month
Text
Storia dei sogni(749)③
Tumblr media
(第二部)
さくら変奏曲(戎先生)
春がきた(彼女,合同オケ)
さくら横ちょう(私,合同オケ)
さくらさくら(月娘,合同オケ)
花(モリアム,合同オケ)
朧月夜(嬌児,合同オケ)
早春賦(エリス,合同オケ)
春よ来い(玉楼,合同オケ)
どこかで春が(ボニータ,合同オケ)
春が来た(雪娥,合同オケ)
春の小川(シェル,合同オケ)
たんぽぽ(金蓮,合同オケ)
からたちの花(彼女,合同オケ)
花の街(私,合同オケ)
春に
(雙月,旦,福真,梨花,秋菊,春梅,小欒
桂姐,小香,信春,葉芳,合同オケ)
チューリップ,ちょうちょ,ぶんぶんぶん
こいのぼり,背くらべ
(珉々,合同オケ)
夏はいずこに,星の界(彼女,合同オケ)
初恋,さくら貝の歌(私,合同オケ)
浜千鳥(モリアム,合同オケ)
浜辺の歌(月娘,合同オケ)
椰子の実(エリス,合同オケ)
われは海の子(嬌児,合同オケ)
砂山(ボニータ,合同オケ)
夏は来ぬ(玉楼,合同オケ)
夏の思い出(シェル,合同オケ)
茶摘み(雪娥,合同オケ)
みかんの花咲く丘(金蓮,合同オケ)
ほたるこい
(朝日さん,黒澤先生,黒田さん,駒井先生
坂口さん,坂本さん,佐藤(篤)さん
佐藤(路)さん,清水さん,せいあさん
高橋さん,前川さん,村松さん,和田さん)
君とみた海
(雙月,旦,福真,梨花,秋菊,春梅,小欒
桂姐,小香,信春,葉芳,合同オケ)
海(珉々,合同オケ)
美しき天然(森永さん,合同オケ)
ブランコ(彼女,合同オケ)
落葉松(私,合同オケ)
霧と話した(月娘,合同オケ)
赤とんぼ(モリアム,合同オケ)
宵待草(嬌児,合同オケ)
荒城の月(エリス,合同オケ)
秋の月(玉楼,合同オケ)
月の砂漠(ボニータ,合同オケ)
里の秋(雪娥,合同オケ)
ちいさい秋みつけた(シェル,合同オケ)
紅葉(金蓮,合同オケ)
庭の千草(彼女,合同オケ)
この道(私,合同オケ)
村祭
(雙月,旦,福真,梨花,秋菊,春梅,小欒
桂姐,小香,信春,葉芳,合同オケ)
証城寺の狸囃子
(朝日さん,黒澤先生,黒田さん,駒井先生
坂口さん,坂本さん,佐藤(篤)さん
佐藤(路)さん,清水さん,せいあさん
高橋さん,前川さん,村松さん,和田さん)
うさぎ,七つの子
松ぼっくり,どんぐりころころ
(珉々,合同オケ)
十点鐘(彼女,合同オケ)
鐘がなります(私,合同オケ)
冬景色(モリアム,合同オケ)
雪の降る街を(月娘,合同オケ)
ペチカ(エリス,合同オケ)
たき火(嬌児,合同オケ)
冬の夜(ボニータ,合同オケ)
すてきな雪景色(玉楼,合同オケ)
白い道(雪娥,合同オケ)
雪山讃歌(金蓮,合同オケ)
トロイカ,冬の歌
(雙月,旦,福真,梨花,秋菊,春梅,小欒
桂姐,小香,信春,葉芳,合同オケ)
雪(珉々)
ふるさと(全員)
0 notes