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#東急不動産だまし売り裁判
kennak · 3 months
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なんだか小学校の国語の時間のようでカッコワルイが、自分の日本での言論の自由についての考えをまとめるためにも「報道の自由」と「自由な報道」は違う、ということから書こうと思います。 「報道の自由がない」という表現が通常意味するのは国家が自由な報道を許さない、という意味です。 高度な文明が発達している国のなかで、オダキンが述べる「報道の自由」がない国の典型は、衆目の一致するところ中国でしょう。 歴史をほんの少し遡って80年代までの韓国と台湾も「自由な報道なんて、とんでもない。そんなことをしたら殺される」国で、百数十人の死者を出した韓国での光州事件(1980年)や二・二八事件から始まって、1987年に戒厳令が解除されるまでの白色テロ(Terreur blanche)が頻発した台湾の「李登輝以前」の時代を見れば明らかだと思います。 日本では、どうか。 日本では韓国のような民衆の蜂起によるものでも、より妥協的で、選挙とデモによった台湾のようなやり方でもなく、1945年8月、強圧的な軍事政権が「米英」を中心とした民主社会国と共産主義独裁ソビエトの連合軍によって国そのものもろとも破壊されることによって「自由」がやってきました。 この「自由」は実はかなり徹底的なもので、アメリカでは居所が得られない多くの急進的リベラル人が、アメリカ合衆国に愛想をつかして、いわば日本に新天地を求めるようにして、GHQに潜り込んで理想主義的な国家制度をつくったのは、よく知られていると思います。 世界でも一、二を争う言論や報道の自由を保証した日本の世界中のリベラルが「ほんまかいな」とおもうような急進的な自由主義の戦後日本社会は、こうして出来上がった。 「自分たちの血を流さなければ真の自由社会は得られない」という意見は、もっともらしくはあっても、歴史を見ればほんとうとは言えない。 フランス革命もロシア革命も、革命としては「輝かしい失敗」とでもいうべきもので、現代の人間は歴史をふり返り、検証し、理解を共有することによって暴力による革命は結局はうまくいかないことを、すでに学んでいるとおもいます。 「革命」に対する憧れは、日本の体制側の「西洋列強」への近代化された軍事力への憧れと対をなすもので、日本の民衆のなかで知的な層は、「革命」に、いわばロマンティックな執着を感じてきたように見えます。 閑話休題 近代日本には「保守」が存在しない、という特徴があります。 日本の政治世界の歴史で西洋的な意味における「保守」は、例えば昭和天皇が、それにあたるでしょう。 戦後も左派と右派は存在したが「保守」と言える勢力は存在しなかった。 では、政治力学上の保守がいなかったかというと、複雑に思えるかもしれませんが、最大勢力として存在して、その中枢はワシントンDCにありました。 「アメリカ合衆国」という「保守」が、日本を実効支配してきたのだと、世界中の人が判っていると思います。 日本は、その日本の現実を支配するアメリカ合衆国という保守勢力に、反発したり追従したりして戦後80年を過ごしてきました。 おおざっぱに言ってしまえば、そういうことですが、この「見えない保守勢力」にも、戦後80年のあいだには重要な変化があって、もともとは保守の中枢がアメリカ軍であったのが、70年代と80年代に日本がアメリカの国家としての想像力を遙かに上廻る経済発展を遂げた結果、軍の手には負えなくなって、ホワイトハウスに移行します。 最近、ようやく日本の人の意識にのぼるようになった「日米地位協定」に判りやすく現れているのは、いまの「民主主義日本」をつくったのはアメリカ合衆国ですらなくて、アメリカ太平洋軍なのです。 軍人は、もちろん民主制とはなにか、自由社会とはなにか、というような問題にはたいした興味を持ちません。 要は、自分たちの任務のために日本という、アメリカからひっきりなしの援助を必要とせずに、自前の工業を持ち、いわば基地運営のための「環境」をもった自力で維持される巨大な基地+兵站が恙なく動いてくれれば、それでいいんです。 南ベトナムでも、中東でもうまくいかなかったことを、たいした問題も起こさず(といっても、日本の人にとっては砂川闘争、60年安保闘争、戦車搬入搬出闘争と、おおきな闘争を繰り広げたつもりだったが、アメリカ側からみれば、予想された以下のかすり傷程度でしかなかったようです)80年、営々と運営して、太平洋支配の要の役割を果たし続けて来てくれた日本の努力をアメリカ軍は実際奇特なことだと考えているのは、アメリカ太平洋軍の若い将校と(妙な言いがかりを避けるために付け加えると、ガールフレンドとして)付き合いがあったあいだ、何度も聴いて、判っているつもりです。 日本には「報道の自由」は制度として守られているのに、自由な報道をめざすジャーナリストがほぼ存在しないのは、以上の理由・背景によるのでしょう。 遠くなった戦後の記憶として、日本の「自由社会」の正体が、「軍政」であることを知っているからです。 いまでも、ほんとうのことを報道すると「消される」ことになるのかどうか、そこまでは、ぼくには判りません。 日本は真相に近付いた人間が世間に公表する決意をすると、都合良く「自殺」したり、あるいは切羽詰まると、外聞もなく刺殺されたり銃殺されたりする国ですが、個々のケースを見ていくと、組織犯罪の都合であることが殆どで石井紘基にしろ伊丹十三にしろ、国家が直截殺害を企図したようには見えません。 日本社会の言論封殺は、もっと巧妙で、新聞記者を例に挙げれば、日本の大新聞の記者は、社会的には「有名企業のエリート社員」で、その内心は例外なく新聞記者と会社員の二面で構成されていて、内々で会社員としての個人に脅しをかければ新聞記者の顔は引っ込む、という仕組みになっているように思えます。 「紙面」を、よく注意してみれば判る事で、最近は特に顕著で、見出しと記事がおおきく乖離している記事が増えて、どうやら見出しの向こう側には自社社員を厳しく管理統制していこうとする「上司」の顔が並んでいるようです。 さて、ここまで書けば、いささか単純でドンキホーテ的な正義漢であるオダキンの言葉の正体が判ったとおもいます。 それが示しているものは、単純な国語力の不足であるよりも、やや深刻で、背後の、「戦後民主主義」が隠匿してきた重大な欺瞞が原因であるようにおもえます。 わが友オダキンにとっては、ごく自然にジャーナリストが「体制側の人間」と意識されていて、だから「日本には報道の自由がない」という表現になるのでしょう。 日本の報道が腐り始めるのは1930年代に、少しでも「英米との戦争は避けるべきだ」「戦争はやめるべきだ」と述べると、販売部数があっというまに部数が下がって経営危機を迎えるせいで、国民の希望どおり、読者が聴きたいニュースだけを流すほかなくなった新聞が「支那膺懲」「鬼畜米英殲滅」と連日書き立てたからでした。 日本は世界に稀な大衆社会なので、あとからふり返って衆愚に陥っていたことが判明しても、 「国民が悪い」とは絶対に口外できない国です。 いまの日本社会でも、太平洋戦争でアメリカと戦うという、ちょっと現実味を欠いているほどの愚かな選択をして、ついには核攻撃を受け、国土がそのまま原野にもどされ、兵士も国民も大量に餓死するような未曾有の事態に至ったのも、諸外国の人間にとっては、「日本国民が愚かだった」ことが自明でも、日本の国内では、その事実を認めたり、まして口外するのは、タブー中のタブーです。 そんなことを述べたら日本の社会では抹殺されてしまう。 「政府がやった」 「軍部がやった」 我々は欺かれただけだ、と現実ではないことを述べあっていて、「あれはおれではない他者がやったことだ」ということにして、真実が報道されないことも、その伝で、 「日本には報道の自由がない」と繰り返すのが日本社会の掟なのでしょう。 そんなことばかりやっていて、社会が変わるわけはないのではないか、とおもうが、 そこから先は、日本人でないものが言うことではない「余計なお世話」なので、この辺で黙ることにします。 (オダキン、これで判りにくければ、あとはDMで訊いてくれ。きみは人間が頑迷で、見た目ほど他人の話に納得しているわけではないのは判っています。まあ、あとで)
XユーザーのJames F. ガメ・オベールさん
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)8月20日(日曜日)
    通巻第7871号
 恒大集団、在米資産差し押さえを懼れ、破産申請
  とうに破産しているのにゾンビはまだ命脈を保っているのは何故?
************************
 8月17日、恒大集団はニューヨークの���判所に、米連邦破産法の適用を申請した。外国企業の破産手続きを要請する米連邦破産法15条が適用されると、外国企業は、債権者による訴訟ならびに資産差し押さえを防御できる。恒大集団の外貨建て社債の債権者は米国ファンド筋である(ただし中国系アメリカ人のファンドだろう)。
 
 碧桂園の海外展開で一番目立ったのはマレーシアだが、オーストラリア、インドネシアなどでも不動産開発、さらにインド、ベドナム、タイへ進出を予定していた。碧桂園も外貨建て社債の金利支払いができなくなって、デフォルトは時間の問題といわ���る。
 筆者は2020年ごろから警告してきたが、ゾンビが不死身なのは生命維持装置を無理矢理稼働させているからである。西側の常識ならとうに倒産している。全体主義システムでは、株、債券、不動産などが値下がりしそうになれば「売るな」と命じる。2015年8月の上海株式暴落の時も、「株を売るな」「悪質な空売りは罰する」などと無茶な命令を出して、なんとか最悪事態を回避できたのだ。そうした無理がかえって債務残高を膨らませたのである。
 中国の不動産ゾンビの倒産連載はいずれ「リーマン・ショックの十倍規模になるだろう」と過去の著作の殆どで筆者は予測してきた。
 中国国家統計局の発表する公式数字は三割水増しがほぼ常識。中国全土の不動産価格は15%程度値下がりしていると発表した。国際的な都市は外国人が実際に部屋を借りたりしており、不動産屋の看板を見たりしているから実態は公式数字からかけ離れていることを知覚している。
 無錫が拠点の「国連証券」のデータが比較的客観的と言われ、それでも「好意的」な数字が並ぶのだが、一応の目安として下記に掲げてみよう。
 下記は主要都市の不動産の値下がり率(2018年ピークから23年3月の比較)
 都市名   値下がり率と地区の特賞
 ~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~~
西安    27%(陝西省は景気がどん底。玄宗皇帝ゆかりの地だが)
太源    23%(山西省は日本仏教界との交流も疎遠となり過疎地となった)
天津    20%(この国際都市は北京の犠牲となった側面)
煙台    19%(山東省は軍人が多いし、対岸は韓国)
哈爾浜   19%(東北の貧困地区の代表とされた)
瀋陽    18%(日本時代の奉天。西武など撤退)
鄭州    18%(古都もかたなし)
長春    18%(日本時代の新京。韓国企業が目立ったが)
南昌    17%(南昌蜂起の革命原点だが)
昆明    16%(期待したラオス新幹線が低迷)
青島    16%(韓国企業の撤退がめだつ)
武漢    15%(コロナ発生の地。日本企業が規模縮小)
南寧    13%(広西チワン自治区のバブルの中心だった)
杭州    12%(アリババ本社付近は15%下落)
大連    11%(万達集団も風前の灯火か)
広州    11%(華僑の本場だが、冴えない)
仏山     9%(ここが碧桂園の本社)
廈門     8%(台湾から投資が急減)
成都     7%(四川省も外国企業の撤退が相次いだ)
 「普通の国」の統計では不動産業界全体の取引実態から価格変化を調べるが、中国は作為的な選択から取引の表の価格をピックアップしているだけである。
実際の値引き分などを公表しない。
したがって本当の下落率は分からないのだ。恒大、碧桂園、緑地、世茂集団など大手がデフォルトとなってバブル崩壊は明らか。その余波が年明けから香港の不動産市場に影響し、世界一高い相場も崩れる兆しがある。
通常、バブル崩壊となると、「半値八掛け二割引き」、つまり68%の下落となるはずである。
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yotchan-blog · 9 days
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2024/4/18 11:01:43現在のニュース
ジョージアの次はポーランドの味を 松屋が期間限定メニュー | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/18 11:00:58) 割安EVに熱視線、アフリカ業者も 中国広州の貿易商談会 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 11:00:42) 美容目的のボトックス注射で入院相次ぐ 一部は偽造品 米CDC調査(毎日新聞, 2024/4/18 10:59:38) トラックなど大型車にAT免許導入へ 2026年4月から順次(毎日新聞, 2024/4/18 10:59:38) 米国土安保長官の弾劾裁判、事実上の無罪 「不法移民の急増」で訴追 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/18 10:54:58) アメリカのバイデン大統領「中国補助金で被害」 鋼材の制裁関税3倍へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:54:29) 県民性も関係? 大阪3位・京都38位 コスト高の「価格転嫁率」(朝日新聞, 2024/4/18 10:51:13) 自民長谷川岳氏への一斉「お礼メール」 タイミングも全庁で配慮、北海道「不適切だった」([B!]産経新聞, 2024/4/18 10:48:13) 埼玉に空港? 群馬県境市町で構想([B!]産経新聞, 2024/4/18 10:48:13) 星野リゾート、「界 奥飛驒」の予約開始 9月5日開業 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) ソニー、TV梱包で発泡材廃止 カネカの環境素材で代替 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) 大型車にAT免許導入へ ドライバー裾野拡大、27年にも - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) アダストリア、「ジョージズ」など雑貨2ブランド取得 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) サイゼリヤ・吉野家など外食大手22社の純利益4.5倍 12〜2月期、コロナ前上回る - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) ライドシェア、大手損保が専用保険 本格普及前に先手 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) 手術中の「助手」はAI 厚生労働省がスタートアップのシステム承認 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) 「膵臓がん5年後生存率を6割に」 高知大学准教授が起業 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) ナイキ却下で世界ブランドに、On創業者「負けから反発」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) キッコーマン・日清食品など食品大手に値下げ圧力 コスト高で鈍る成長 2024年度の業績展望④ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) 三井物産の水素供給網、ノルウェーのタンク世界大手軸に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) 東芝、再建まず一歩 リストラに識者「成長戦略も示せ」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:43:04) 立民・泉代表、カジノ整備反対「生活破綻の日本人増加」([B!]産経新聞, 2024/4/18 10:42:54) 女子は「ピンクね」にモヤっ 小中学生が違和感の言葉、大人も考えて(朝日新聞, 2024/4/18 10:41:59) 愛知・一宮市、全ての小中学校で男女混合名簿 遅れたけど今年度から(朝日新聞, 2024/4/18 10:41:59) UNRWAめぐり安保理で対立 イスラエル「ハマスの武器の一部」(朝日新聞, 2024/4/18 10:41:59) 俳優全員、還暦オーバー 30年ぶりの舞台「本当にやりたいことを」(朝日新聞, 2024/4/18 10:41:59) 熊本県知事退任 くまモンが別れ惜しむ([B!]読売新聞, 2024/4/18 10:38:59) 目指せ関空の新名物 「泉佐野ギョーザ」中学生が地元野菜で開発へ(毎日新聞, 2024/4/18 10:37:14) 郵便ポストが“太閤”仕様に 秀吉の大河ドラマ決定は「たまたま」(毎日新聞, 2024/4/18 10:37:14) 【千葉】ベイシア、津田沼激戦区参戦 「都市型店舗展開の先陣役」 千葉コロナ後 消費最前線 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:36:34) インバウンド、円安で「コト消費」沸騰 3月最多308万人 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:36:34) ソニー、動画配信でテレビ復権狙う 新「ブラビア」映画に合わせ最適画質 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:36:34) 楽天がスマホ決済アプリ統合 10兆円市場、利用者に恩恵大きく - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/18 10:36:34) 小田原城にプロのダイバーが出動 お堀の底まで潜って清掃活動(朝日新聞, 2024/4/18 10:34:38)
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shintani24 · 3 months
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2024年1月23日
2024シーズンのJリーグ、金曜の広島vs浦和&名古屋vs鹿島で開幕。計13試合が国立競技場で開催(GOAL)
Jリーグは23日、2024シーズンの明治安田Jリーグの日程を発表した。
すでにホーム開幕カードが発表されていた2024シーズンのJリーグ。J1は2月23日、サンフレッチェ広島 vs 浦和レッズとフライデーナイトの名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズで幕を開ける。
昨季に悲願のJ1初優勝を飾ったヴィッセル神戸は24日の土曜日、1年でJ1復帰を果たしたジュビロ磐田のホームに乗り込んで初戦を迎える。また、25日の日曜日には、16年ぶりにJ1に戻ってきた東京ヴェルディ対横浜F・マリノスという、Jリーグ元年の1993年開幕節の再現カードが国立競技場で組まれている。
なお、今季は「THE国立DAY」と銘打たれ、J1リーグ12試合、J2リーグ1試合の計13試合が国立競技場で開催される予定。J2のカードは9月28日の第33節、清水エスパルス対横浜FCとなっている。
能登地震で原発周辺400人8日間孤立 避難計画機能せぬおそれ(朝日新聞)2024年1月23日
北陸電力志賀原発から北に約10キロの国道249号は、片側が大きく陥没し、通行できなくなっていた=2024年1月5日午後、石川県志賀町、佐々木凌撮影
能登半島地震のあと、北陸電力志賀原発(石川県志賀町)の半径30キロ圏内で、最大8地区約400人が8日間孤立状態になっていたことがわかった。原発事故時には5キロ圏の住民は30キロ圏外に避難、5~30キロ圏はまず屋内退避し、放射線量が上がった場合に圏外に避難するが、この避難計画が機能しないおそれがある。
【画像】「避難計画は絵に描いた餅」 志賀原発差し止め判決の元裁判長の警句
内閣府などによると、地震を受け、志賀原発の5~30キロ圏の輪島市の7地区と穴水町の1地区が8日時点で、道路の寸断などで車での人や物資の移動ができない孤立状態だったという。9日以降順次解消されたが、最長で2週間程度かかった地区もあったとみられる。5キロ圏での孤立はなかった。
原子力規制委員会が定める「原子力災害対策指針」では、5キロ圏は放射性物質の拡散前に避難する「予防的防護措置準備区域(PAZ)」、5~30キロ圏は屋内退避し、状況に応じて避難する「緊急時防護措置準備区域(UPZ)」としている。
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セルフレジは社会的に失敗だった? 有人レジに戻す動きも(Gizmodo 1月21日)2024年1月23日
コロナ期を経て、ますます導入が進んだセルフレジ。お店の人を介さず、自分で商品をピっとスキャンしてお会計する仕組みです。好き嫌いはあると思いますが、社会的試みとして失敗なのではという声が聞こえてきました。
セルフレジ(ロボットレジ)失敗説が膨らんでいる欧米。BBCの報道によれば、従来のレジに戻した店舗も増えており、消費者にとっても店舗にとってもセルフレジはカオスであるという認識がアナリストや業界関係者の間で主流になりつつあるといいます。
もちろん、今すぐセルフレジがなくなるわけではないでしょうが、セルフレジのみ・セルフレジが主な店舗は今後少なくなると見られています。
セルフレジにブレーキをかける欧米
2023年、アメリカで広い層に人気の小売店ターゲットは、セルフレジの利用に、購入アイテムが10点以下の場合という制限を設けました。ウォルマートは、一部店舗でセルフレジを廃止。イギリスのスーパーBoothsは、セルフレジを完全廃止しました。
アメリカ版100円ショップDollar Generalは、2022年セルフレジプロジェクトに大きな期待をかけたものの、最近になってプロジェクトは失敗だったと発表。CEOのTodd Vasos氏は、昨年12月の決算報告にて、店舗のスタッフ数、特にレジ担当を増やし、レジ業務を以前のスタイルに戻すと語りました。
セルフレジをあてにしてきましたが、今年(2023年)はそれに頼りすぎていると感じています。セルフレジはあくまでサブであり、主要レジであるべきではないのです。
セルフレジ最大の問題点
セルフレジの最大の問題点は、万引きです。人がいないレジでモノを盗むのはとても簡単。悪意ある人なら、盗まない方が難しいほど。有人レジよりも無人レジの方が21倍も品物を盗む傾向にあるのだとか。さらに、意図しない万引きが発生してしまうのも問題です。
意図しない万引きとは、つまり盗むつもりがなかったのに、結果的にお金を払っていない商品がまぎれ混んでしまったパターン。セルフレジのシステムが複雑で、うっかり未払いアイテムが発生しているのです。ある調査では、消費者の5人に1人が、この意図しないうっかり万引きを経験しているといいます。ちなみに、同調査でセルフレジにて意図した悪意ある万引きをしたことがあるのは7人に1人となっています。
セルフレジによって万引き率があがるうえ、人件費もあがっているという報告も。レジの仕事がなくなり別の作業を担当しているスタッフが、作業の手をとめセルフレジのトラブル対応をしなくてはいけないからです。で、このトラブル対応がけっこう複雑で時間をとられちゃうのだとか。
結果、全体的な人件費がアップ。セルフレジという高額システムを導入して人件費削減するつもりが、人件費まであがって涙目。
消費者はどっちのレジが好き?
2021年の調査では、消費者の60%はセルフレジの方を好むという結果に。また、67%の人がセルフレジの利用経験あり。しかし、昨今は、万引き疑いやシステムエラーで返って時間をとられトラブルになると、セルフレジを敬遠する消費者も増えているようです。
一方で、米Gizmodoの記事には300を超えるコメントがついており、「セルフレジさいこー!」という人も少なくありません。スピーディで簡単で不要な会話しなくてすむのに、最近減ってきて困っているという声も。セルフレジそのものではなく、レジエリアに人を十分に配置していない店舗側のスタッフ配置システムこそ問題だと指摘する人もいます。
「悪政は当たり前」という諦め それでも変えられるのは市民だけ(朝日新聞)2024年1月23日
「政治とカネ」がまた問題になっています。一生懸命パーティー券を売り、裏金をためる政治家の姿に、政治に声を届けようと運動する市民は何を思うのでしょうか。インボイス制度の反対運動に取り組む小泉なつみさんに話を聞きました。
強い者を向く政治
インボイス制度に反対する運動を2年前に始め、国会議員へのロビー活動や署名の提出などをしてきました。こんな運動をしている私ですら、今回の裏金問題を見て「まあ、そんなもんだよね」という感じです。
それほどまでに、「悪政は当たり前」という考えが身に染みついてしまっていることに気づかされました。政府や与党はお金でも権力でも、強い者の方を向いている。そういう「お友達」の輪の中で物事が決まっていく。そこに、驚きはもうないんです。
メディアにも問題
同じことが報道機関にも言えるのではないでしょうか。運動を始めてからずっと、メディアに取り上げてもらえないことが悩みでした。導入スケジュールなどのオフィシャルな情報は流すのに、小規模事業者の小さな声をすくわず、制度の是非を追及することもない。開始が近づき、反対署名の数が猛烈な勢いで増え、ようやく報じられました。
今回の裏金問題は、公開資料を調べた「しんぶん赤旗」と大学教授が暴いたもので、大手メディアもやろうと思えばできたはずです。「おかしい」という小さな声や違和感を元に、制度や仕組みの構造的な問題を問う視点が欠けているように感じます。
インボイス導入で、事業者は苦境に立たされています。私たちが制度開始後に行った意識調査には、3千人が声を寄せています。その中には、「脱税」「ネコババするな」といった誹謗(ひぼう)中傷の言葉を浴びせられた免税事業者がいました。すでに廃業した方もいました。インボイス制度による増税で死を考えるといった、命に関わる書き込みも14件ありました。
もっと怒っていい
事業者は1円単位でお金を管理させられ、確定申告を控えた今、ことさらに煩雑な作業に追われています。生産性のない事務負担と増税を実質押しつけられている市民はもっと怒っていいし、巨額のお金がかかる政治のあり方に声を上げる時ではないでしょうか。
自民党政治への諦めとともに、「変えられるのは市民しかいない」という希望もあります。昨年10月1日の制度開始は止められなかったけれど、反対運動に官邸がぴりぴりしたり、最終盤でメディアが大きく報じたりしたのは、やっぱり市民一人ひとりの声があったからです。この期に及んでも安倍派がずらっと並ぶ自民党の「政治刷新本部」の人選に怒っている人もたくさんいます。私たち一人ひとりがアクションを起こせば、仲間がそばにいることに気づけるかもしれません。(聞き手・田中聡子)
こいずみ なつみ 1983年生まれ。フリーランスのライター・編集者。SNSなどでつながった仲間とインボイス制度反対運動に取り組む。
コメントプラス
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 記事で指摘されている、「おかしい」「変えなければ」という考え方のためには、「あるべき姿」「目指す方向」といった、理念や目標、構想が必要である。
しかし、日本の中で往々にしてありがちなのは、周りを見て「どうやらそういうことになっているようだ」「多くの人がそうするのならそうなのだろう」といった、現状維持的で情勢に大きく影響される「現実的」な感じ方・考え方が先に立ってしまうことである。
それは、これまで権力や財力を握ってきた立場に従う傾向にもつながる。既存の関係や仕組みを前提として、その範囲内で「うまくふるまう」ことが重視される。
その結果、多くの古い慣習や制度・政策が是正されずずるずると存続し、結局はマクロな国政や経済全体でも、メゾレベルの組織でも、ミクロレベルの個々の対人関係でも、活力が失われ停滞や鬱屈が蓄積している。
「いやだ!」「〇〇でありたい!」という、内臓感覚にまで及ぶような、生き方の根本が問われているように思う。
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【海外地震情報】 日本時間の1月23日(火)23時34分頃、海外で地震がありました。震源地は南太平洋(バヌアツ諸島)で、地震の規模はM6.5と推定されます。
この地震による津波被害の心配はありません。
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shimadasyouzi · 7 months
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島田 秀次:日本の通貨政策の歴史と植田和男の関わり
島田 秀次:日本の通貨政策の歴史と植田和男の関わり
植田和男が正式に日本中央銀行総裁を就任、日本経済はどこに向かうのですか?
植田和男が正式に日本中央銀行総裁を就任、期間は2023年4月9日から5年間です。
1951年9月20日生まれ、1974年に東京大学理学部を卒業後、1980年に米国マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得しました。東京大学経済学部教授を長く務め、2017年から日本の共立女子大学教授を務めており、金融政策の理論に精通しています。 10年にわたり日銀の舵取りを担ってきた金融緩和の守護神・黒田東彦がカーテンコールをする中、上田和男は日本経済の潮流をどこに流しますか?
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コラムで植田和男の通貨政策理念を発見
植田和男は共立女子大学教授として、日本経済新聞のコラム「経済教室」に過去5年間で6回にわたり寄稿し、日本の金融政策や日本経済の発展についての理解を示すとともに、中央銀行のデジタル通貨や脱炭素経済など、世界経済の新たな現象を観察・考察してきました。
2022年7月6日に発表された「日本は物価上昇の段階で軽率に通貨政策を引き締めることを避けるべきだ」という主な観点は、日本が持続可能な2%のインフレ率を実現していないことです。金利を上げて円が弱くなると経済が悪化しないように、世界経済の停滞は通貨政策の変化に影響を及ぼします。
2021年12月22日に発表された「マクロ影響のモニタリングと予測、中央銀行の使命と気候変動」が提出した主な観点は、中央銀行の深い介入または物価安定目標の実現に不利です。市場の機能不全に対する反応は主に財政政策に集中しています。脱炭素による供給の衝撃に注目します。
2020年12月23日に発表された「持続的な債務再融資、リスクの高いコロナ危機と財政拡大」の主な観点は、COVID-19に対応するために、実施された拡張財政政策によって各国の公共財政が著しく悪化し、巨額の政府債務が潜在的成長率にマイナスの影響を及ぼし、継続的な再融資や重大な損失危機が発生することです。
中央銀行デジタル通貨(CBDC)について、植田和男は2020年5月19日の「金融システムへの影響に注目し、中央銀行デジタル通貨の未来」の主な観点は、中央銀行が民間デジタル通貨の進展に脅威を感じていることです。 一方的な中央銀行デジタル通貨の成���にも懸念があります。中央銀行口座の使用範囲を拡大することは一つの選択肢です。
2019年4月16日発行され「金融政策正常化への困難な道のり(上)資産価格変動、不安定の種」主な見識は、日本のインフレ率は依然として低く、インフレ予測は低水準で安定していること、米連邦準備制度理事会(FRB)が検討している平均インフレ目標という政策は疑わしいこと、危機に対応した金融緩和が次のバブルの種になる可能性があります。
2018年8月20日に発表された「日本中央銀行の脱退の困難な道(上)緩和政策の効果と副作用をめぐる相反する焦点問題」の要点は、長期と短期の金利操作とETF買い入れの副作用への懸念、実際の前向きな指導が非常に弱いこと、価格の低迷が長く続くほど、これらの措置の副作用は強くなります。
金融緩和、マイナス金利政策への思い
2012年末、安倍晋三首相(当時)は日本中央銀行(日銀)に対し、積極的な金融緩和を求めるかつてない強い圧力をかけ始めました。
日銀は2013年4月初めに「量的質的緩和(QQE)」を発表し、長期日本国債(JGB)やETFを大量に買い入れるとともに、2年以内に2%のインフレ目標を達成するため、ベースマネーを100%増やすことを約束しました。
2013年6月、植田和男は「安倍経済下における金融政策への資産価格反応」という論文を発表し、前述の金融政策がもたらした円相場と日本株式市場の変化について述べました。2012年11月中旬から2013年5月中旬の間、円相場は25%円安に、 日経225指数は80%上昇しました。 それ以来、両市場は大幅に調整されました。
植田和男の論文によれば、「この反発は外国人投資家による投機的な売買が主導していますが、国内投資家はほとんど傍観しています。 前例のない政治的圧力により、日銀による大胆な措置への期待が高まっています。 しかし、日銀がさらに行動を起こす余地があるのは、ターゲットを絞ったヘリコプター・マネーのばらまき政策とでも言うべきものに加えて、日銀がさらに行動を起こす余地はかなり限られていることを述べました。 投資家の行動は経済のファンダメンタルズに基づいていない可能性があります」と言いました
この時期の資産価格の変化について、植田和男は論文の結論で「いずれにせよ、どの説明が最も妥当かを判断するのはまだ早いです。 資産市場の急激な調整にもかかわらず、それらはまだ経済に無視できないプラスの影響を与えうる水準です。 その結果、太陽黒点理論のように、経済は悪い均衡から良い均衡に移行するかもしれません。」と述べています。
2016年、日本中央銀行は史上初のマイナス金利政策を実施しました。 日銀はこの年、世界的にも前例のない新たな金融緩和政策を導入し、短期金利をマイナス水準に引き下げ、長期金利を0%前後に維持しました。 植田和男の論文によると、彼はマイナス金利政策の副作用について「冷静」な認識を持っています。 2016年10月、植田和男は論文「マイナス金利政策の採用とその���害」を発表し、2013年以来の量的緩和と質的緩和の政策目的と効果が、マイナス金利政策の導入とその長所と短所を検討しました
マイナス金利政策の採用とその利害
植田和男の論文では、マイナス金利政策の "由来"について、「外国人投資家の政策の有効性に対する信念は、緩和政策を数値化することで円安と株価が予想外に大幅に上昇した要因の一つかもしれません。しかし、インフレを先取りする政策効果が実現するまでは、人々は政策の継続性に懸念が生じています。特に長期国債の購入に関して、このような環境下で、新たな措置としてマイナス金利政策が導入されました"
「マイナス金利導入のメリットとデメリットを比較すると、メリットの一つは、中長期市場金利の低下が大方の予想を大きく上回ったことです。 しかし、メリットよりもデメリットが上回る可能性も指摘されています:非伝統的金融緩和の結果として、貸出・預金利ざやが大幅に縮小した国内金融機関の収益がさらに悪化することです。メリットよりもデメリットの方が大きくなる可能性も指摘されています。 金融機関の預金手数料や、日銀のマイナス金利での金融機関への貸し出しなどで、こうしたメリットのマイナス面を減らすための提案がなされていますが、どちらの政策にも制限的な要件があることも指摘されています。" 植田和男論文はこう指摘しています。
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zubaban · 1 year
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ニュース 01/07〜01/13
2021- 09の記事だが
「ワクチンを打つと将来何か起こるんじゃないか、不妊になるんじゃないか、という心配をされているかもしれません。根拠のないデマです」
これはデマだろ。将来的なことは誰もわかっていない
山中伸弥氏「多くの人がワクチン接種を」 若者向けの動画公開 | 毎日新聞
非正規労働者ら対象の子育て給付創設、少子化対策で政府方針…社会保険から拠出金(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
自民・麻生副総裁 “防衛費増額”へ増税に理解求める…ロシア、中国を念頭に(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース
インフルエンザとの同時流行に気をつけろ、ワクチン打てって言ってるよね? 医療現場逼迫してるんでしょ?
それで旅行行けって?
脳みそに虫湧いてるの?
「全国旅行支援」きょうから再開 割引率20%に引き下げ(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース
出産育児一時金の増額にあわせて、産院の便乗値上げが続出 SNS「ただの病院へのお布施」「無意味な少子化対策」(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース
日本の「超過死亡」急増の実態 6日のコロナ死者数が過去2番目の476人 「医療逼迫」で治療受けられず?「ワクチンの副反応」指摘の声も(1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
薬害事件、違反を繰り返すファイザー社の裁判の歴史
非正規比率上げてんだから意味ねーよ
ファストリ、最大で年収4割上げ 国内従業員、人件費15%増(共同通信) - Yahoo!ニュース
「非正社員をこの5年で増やした」500社ランキング | 企業ランキング | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
日本終わっとんな
→すでに日本を追い越した、厄介な韓国の諸事情 2023年から大きく変わる韓国の5つの制度とは(1/4) | JBpress (ジェイビープレス)
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 5月20日(木) #大安(癸酉) 旧暦 4/20 月齢 19.3 年始から140日目(閏年では141日目)にあたり、年末まではあと225日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 10分早いのに乗ったのに後から来る 快速に抜かれてしまうと云うのだ💢 私としては理不尽じゃねーのって💦 途中駅で7分も待たされて、その快速 に乗らねばならんと目的地まで早く辿 リ着けないという💢なんで、こんな 面倒臭い事するんですか❓10分早く 出たんだから、そのまま行きゃ良い じゃんと思いませんか😡確かそれも 5分だか10分早く到着する変なカラクリw 10分待って5分早く着くか10分早く 乗って5分遅く着くかなんですが💦 これって意味合いは違うかも知れない が「早起きは三文の徳」のセオリーに反 してますよね🤚おみくじでもよくあ る「急ぐがよろし」ってのにも😅💦 こういう変なひねくれた事をしてる から曲がった思想の奴らが増えるんだ ろうね⤵️私はストレートに行きたいよ😆 寝坊した奴の幇助してるみたいな💢 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #疑わしきは罰せず.  1975(昭和50)年5月20日(火)の白鳥事件の再審請求で最高裁が請求を棄却した。  「疑わしきは罰せず」の原則を再審請求にも適用するという新たな基準(白鳥決定)を示し、再審の門戸を広げた。 .  白鳥事件(シラトリジケン)とは、戦後の世相で「逆コース」の最中に発生した事件であり、1952(昭和27)年1月21日(月)に  勤務を終え自転車で帰宅途中の白鳥警部に向けて背後から拳銃を発砲し心臓に銃弾を受け絶命した北海道札幌市で  発生した警察官射殺事件であり、実行犯の仲間が逮捕され監獄に入れられた腹いせの怨念を晴らす為の犯行である。  自転車上で片手で拳銃を発射し一撃で急所に命中させるという、極めて難易度の高い犯行であった。 日本共産党による謀殺を主張する検察に対し、冤罪を主張する同党や自由法曹団が鋭く対立した中であった為に  実行犯と目された人物らは日本共産党の幇助により国外逃亡した村上国治が主犯格が上がり逮捕された。  直接の下手人をはじめ共謀したとされた党員らは、日本共産党の密航船群「人民艦隊」で不法出国し、当時日本と  国交が無かった中華人民共和国へ逃亡している。 .  こんな背景の中、証拠不十分であり「疑わしきは被告人の利益に」の意味で判決が無罪を下されたミステリーな事件。 . #大安(ダイアン). 陰陽(おんよう)道で、旅行・結婚など万事によい日。 一切合切(イッサイガッサイ)が良いとされる日。「大いに安し」の意味。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 . #世界計量記念日. . #信濃の国の県歌制定の日. . #電気自動車の日. . #水なすの日. . #こんにゃく麺の日. . #ローマ字の日. . #新東京国際空港開港記念日(#成田空港開港記念日). . #ガチ勢の日. . #味の素新発売. . #シチューライスの日(毎月20日). . #発芽野菜の日(毎月20日). . #キャッシュレスの日(毎月0の付く日). . #三国祭(福井県坂井市三国町). . #酒田祭り( 山形県酒田市). . #キューバ独立記念日. . #東ティモール独立記念日. . #カメルーン建国記念日. . . ■本日の語句■. #鉄は熱いうちに打て(テツハアツイウチニウテ) 【解説】 英語の「Strike while the iron is hot.」を訳したことわざ。 鉄は熱してやわらかいうちには、打っていろいろな形に出来る事から云う。 人間も、純粋な心を失わず、若く柔軟性のあるうちに心身を鍛えることが大事である。 また、物事をなすときにも、熱意が盛り上がっているうちに実行することが大事であると云う事。 人は柔軟性のある若いうちに鍛えることが大事だと云う教え。 . . 1970(昭和45)年5月20日(水) #河村隆一(#かわむらりゅういち) 【ミュージシャン、歌手/LUNA SEA】 〔神奈川県大和市〕 . . (流山おおたかの森駅) https://www.instagram.com/p/CdwY7hWhQu3Wek-ua5-2fS1tdzXk9RyxACj2uc0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hangorin · 2 years
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2022年2月25日は明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償訴訟 第14回期日!
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明治公園オリンピック追い出しを許さない国賠訴訟
第14回期日がいよいよ2月25日(金)です!
13:00東京地裁前集合  13:30傍聴券抽選  14:00開廷
東京地裁706号法廷にて
今回は、「国立競技場周辺で暮らす野宿生活者を応援する有志」共同代表と、明治公園で野宿してきた当事者原告が出廷します。ぜひご注目ください。
その前に前回、2021年12月14日、第13回期日の内容を法廷メモを元におさらいしたいと思います。前回も原告側証人による証人尋問で、憲法学者の内藤光博教授、野宿者支援団体の渋谷のじれん、そして反五輪の会のメンバーが出廷しました。
<憲法学者・内藤光博さんによる証言>
※まず、裁判所が憲法学者を証人として採用すること自体が異例のこと。私たちの訴えを、憲法や国際人権法の観点から本質的に判断されることを期待します。
―居住の権利とはどんな権利か?
憲法学では一般的に憲法22条「経済的自由権」や35条「住居の不可侵性」、刑事人権における自由権としてとらえられてきた。 しかし、日本では住居は極めて貧困な状態である。衣食住は基本的人権の基礎的なものであり、自然権思想からも導き出される基本的権利であることから、憲法13条や25条のような生存権的意味合いも持つとの認識が80年代以降高まってきた。居住権とは自由権的な側面と社会権的側面を併せ持っており、それらは不可分である。自由権的な意味での居住空間を奪われない権利、社会権的な意味での住居を政府に要求する権利、どちらもそろって初めて居住権が保障されているといえる。みだりに居住を奪われない。強制立ち退きは行われてはならないというのが現在の到達点である。
―強制立ち退きを受けない自由について、国際人権法上の位置づけは?
国際人権規約A規約(社会権規約)11条1項では、締約国は、適切な生活環境を維持保障することが義務付けられている。
Cf. 第十一条  1 この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める。締約国は、この権利の実現を確保するために適当な措置をとり、このためには、自由な合意に基づく国際協力が極めて重要であることを認める。
社会権規約委員会は、締約国に具体的な施策を求め5年ごとに意見書を出しているが、特に1991年に出された「一般的意見4」と1997年に出された「一般的意見7」が重要で、強制立ち退きを受けない権利、強制立ち退きからの自由について述べている。1997年の一般的意見7では、自由権的側面を強調しており、強制立ち退き(Forced Eviction)からの自由について述べている。強制立ち退きは原則禁止としている。強制立ち退きはもともとは戦争状態を想定されていたが、「大規模開発や、オリンピックのような大きなイベントの開催で強制立ち退きがおこる」ということや、強制立ち退きは私的団体が行うこともあり締約国は私的団体による強制立ち退きから人々を保護しなければならないということについても述べられている。そして、やむを得ず強制立ち退きを行う場合には合理的根拠や誠実な協議など、適切な手続きを踏まなければならない。
Cf.国際人権規約社会権規約委員会一般的意見7
7.その他、開発の名の下に強制立ち退きが行われる場合がある。立ち退きは、土地の権利をめぐる紛争、ダムやその他の大規模なエネルギープロジェクトの建設などの開発・インフラプロジェクト、都市再生、住宅改修、都市美化計画、農業目的の土地の開墾、野放しの土地投機、オリンピックなどの大規模スポーツイベントの開催に関連して行われることもある。
6.また、この法律は、国の権限の下で行動する、または国に対して説明責任を負うすべての代理人に適用されなければならない。さらに、一部の国では政府が住宅部門における責任を大幅に縮小する傾向が強まっていることを考慮し、締約国は、適切な保護措置なしに民間の個人または団体によって行われる強制退去を防止し、適切な場合には処罰するための立法措置およびその他の措置が適切であることを確認しなければならない。
―この国際人権規約は住居を持たない野宿生活者の人々にも該当するのか?
すべての人に適用されることが大原則である。1999年の一般的意見4号では非定型的な占有に基づく居住であっても、住居の保有に対する保護の対象になると謳っている。
Cf.国際人権規約社会権規約委員会一般的意見4
8.(a)法的な保有権の保障保有には、賃貸住宅(公的および私的)、協同組合住宅、リース、持ち家、緊急用住宅、土地や不動産の占有を含むインフォーマルな居住地など、さまざまな形態がある。居住の形態にかかわらず、すべての人は強制退去、嫌がらせ、その他の脅威に対する法的保護を保証する、ある程度の居住の保障を持つべきである。締約国はしたがって、現在そのような保護を受けていない人および世帯に、影響を受ける人および集団と真に協議して、在地の法的保障を付与することを目的とした措置を直ちに講じること。
強制立ち退きは居住を根底から奪うもの。野宿生活者の人々は最も自由が守られなければならない。社会的、経済的な様々な事情から住居を持たない人々を排除することは、生存基盤をなくすことになってしまう。野宿者はコミュニティをつくって生存基盤を作っている。居住権を奪われるだけでなく、コミュニティを壊されることは根底的に生きる基盤を奪うことであり、大変大きな権利として尊重されなければならない。
政府は日本国憲法、国際人権規約を考慮する必要がある。日本は国際人権規約を批准しているので、国際的な原則を加味しながら、一般的意見における立ち退きの禁止、手続きの遵守(真摯な説明や協議)、十分な財産の提供などを行わなければならないが、これに不備を生じている。協議も欠けている。居住権という観点からして違憲、違法である。
―本件で直接仮処分申請をしたのはJSC(独立行政法人日本スポーツ振興センター)だが、日本国憲法や国際人権法違反になるのか?
JSCは独立行政法人であり政府に近い存在、准政府と考えられるため憲法が直接適用されるし、民法上の不法行為等の違法性を加味する必要性がある。そして断行の仮処分を決定した被告の裁判所も政府機関であり、国際人権規約では強制排除から保護する立場。被告の東京都は廃園後、JSCに無償で土地を提供し公園の管理を担わせた。また、国や都は私的団体について強制立ち退きをさせない義務があり、その義務を果たさなかった不作為がある。不作為による違憲違法というふうに考える。
社会権規約委員会は2001年日本政府に対する勧告書の中で、野宿者への強制立ち退きが仮処分で行われる可能性について懸念があると述べられているが、それに対して20年以上応えていない。国際法上問題がある。
<渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合「のじれん」による証言>
のじれんは1998年に結成し、週1回の炊き出し、夜回り、生保申請、行政への申し入れ、排除への抗議などの野宿者支援活動を行っている。(このあと弁護士の質問に添い、広報、構成員、活動内容など細かい部分について証言。)
2011年には渋谷区立宮下公園で、区が公園のネーミングライツをナイキに売却し公園を作り変えるいわゆる「ナイキ化」の際に、野宿者に対する強制排除が起こり、国賠訴訟を提起している。その際、原告として認められている。
のじれんでは長期に渡って明治公園も夜回りをしており、四季の庭、霞岳広場、高架下、東京体育館などを訪問していた。2001年には50名、2005年には最大で80名が野宿していた。四季の庭には90年代には10軒弱のテントがあった。区境があるため、都区の役人が接触する機会がなかった。2004年から行われた東京都による地域生活移行支援事業(いわゆる3000円アパート事業)の対象にもなっていない。夜しかいられない渋谷に比べて安定した場所であった。2016年の強制執行の際には、支援のために貸し出していた物資を持ち去られたため、毎週土曜日に行っていた野宿者支援活動に支障が出た。しかし、物だけでなく、野宿当事者との関係を作っていた場が失われたことが最大の損失だ。人間は誰でも体を横たえる場所が必要だ。しかし、国や自治体は福祉の不在が生じているし、JSCは窓口があることを伝えただけだ。野宿者は生保の窓口での拒否、劣悪な施設での保護など、原告を含めよく知った上で路上で暮らさざるを得ない。先週、四季の森を追い出された人が亡くなった。一方的に追い出すことは命を奪う暴力だった。
※被告による反対尋問で国、JSCは「規約を制定したのはいつか?」「所在地は賃貸か?」など、団体の体裁にまつわる質問のみを繰り返した。一方東京都は、生活保護はどの区に申請しているのか、野宿者が申請すると施設保護を勧められるということか?などの質問があった。このため、野宿者が生活保護の窓口で申請を拒否されたり、施設を強要されたりという水際作戦が行われていることについても証言の機会を得ることができた。
<反五輪の会による証言>
(反五輪の会からの証人は、オリンピック反対の意思を示すTシャツを、傍聴席から見えるよう後ろ前に着用して登場した。)
―反五輪の会とは
2013年1月に結成。東京都は2016年五輪招致に落選したあと、2011年3月11日、12日の東日本大震災や原発事故が起こって半年もたたないうちに2020年招致の話を始めた。ありえないという思いだった。このままではまずいと少人数で都庁前でビラまきをはじめた。15人くらいだった。原発のことに取り組んでいる人々、野宿をしている人々などが参加していた。
―反五輪の会が明治公園の野宿者に関わる経緯
2013年1月の段階で霞ヶ丘アパート(400世帯)の立ち退きを聞いていた。国立競技場の建て替えは、2019年ラグビーワールドカップやオリパラのために進められていた。明治公園はフリマ、デモ、集会など広く活用されてきた。そこが丸ごと敷地になる。長く暮らしてきた野宿の人たちもいる。その人たちが立ち退きを告げられたことを人づてに聞いていた。これらはオリパラに関係したことである。これまでのオリパラ開催都市でも貧困者の立ち退きが起こっており、東京でも起こるのではないかと警戒していたので、関わることになり、今に至る。野宿者の追い出しをやめさせなければならないと考え、定期的によりあいやデモを行い、JSCや東京都が来るたびに立ち会った。できることはすべてやったと思う。
2014年からはJSCとの交渉を行った。証人は、旧国立競技場の軒下で行われた第1回目の交渉から反五輪の会の代表として関わっていた。JSC(日本スポーツ振興センター)側は、新国立競技場建設の責任者である高崎氏、斉藤総務部長に加え、下水道設計担当者が現れ、下水管を拡張する工事があると聞いた。図面を出して説明していたが、テントに影響があるかわからない、バックヤードとして必要だと言うが、追い出す必要はないのでは?と思える内容だった。入札をかけたいから説明させてくれとも言われた。野宿者や支援者は「追い出しではないか?いきなり言われても困る」と訴えた。JSCは説明したからいいだろうという態度だった。一見丁寧だが、私たちの話は聞かない。「行き場もないのに出ていけない。オリンピックのために野宿者排除をするのか?」と問うと、一度は帰ろうとしたJSC斎藤氏が「住んでいるあいだは工事はしません」「話し合いで解決する」と言った。
2014年~2015年は、四季の庭での関連工事が行われ、住むところがどんどんなくなっていった。同じころ、オリンピックとは関係ないという顔をして東京都建設局が追い出しを迫ってきた。野宿者1人に対して15~6人が、勤務時間外であるはずの夕方や夜間に押しかけてきて、移動しろと言う。まるでおどしに近いやり方だった。団交はJSC、追い出しは東京都という役割分担がされているように感じた。
2016年1月27日に明治公園が廃園になるという「お知らせ」が貼られ驚いた。住んでいる人がいるのに何も言ってこないので、どうするつもりなのかと思っていた。この頃、野宿者たちに頻繁に会いに行っていた。1月27日当日、JSCがヘルメット姿で出入口に立ちふさがり、突然、閉鎖工事をはじめ、3か所の出入口が塞がれた。何を聞いても無言だった。JSCは抗議をしている当事者や支援者の頭上にクレーンで資材を吊るして工事をしていた。大変危険な行為で衝撃的だった。抗議して出入りはできるようになったが、野宿者が孤立してしまうことをおそれ頻繁に通った。
そのかん3月2日に応援する有志の仲間が逮捕され、不起訴となった。3月18日に仮処分の申立書が送られてきてびっくりした。持たざる者である野宿者に対して仮処分を行うということに驚いた。人道上ありえない。
4月16日強制執行当日、連絡をうけてかけつけた時には中の人は追い出され、荷物を返せと抗議をしていた。返してくれると思っていた。現場ではトラックが出てくる直前に暴力的にどかされた。反五輪の会の別のメンバーも、法生社(執行補助者)の作業員に押しのけられ、肋骨を折るケガをした。公園内では製作途中だった反五輪の会の壁画が奪われた。オリンピック・パラリンピックで公共空間が再開発され、金持ちに奪われた。そして貧乏人が追い出された。貧しいものこそ公園を使うし、命をつなぐ場であった。そうあるべきだった。オリパラで奪われた。明治公園を含め、オリパラに関連して186名の野宿者が寝場所を失った。本来、生存権を保障しなければならない行政が積極的に奪ってオリパラに供与した。命を奪われた人、命の危機にあった人もたくさんいる。壁画はそういった状況の中、公共空間をみんなで使うために壁画は描かれた。返してほしい。著作権がある。公共空間を奪い、貧しい人を追い出して、金持ちのための仕組みに作り替えるためにオリパラは招致されている。それを素晴らしいことであると喧伝し続けられることは本当に許しがたい。(裁判長に「もういいですね、やめてください」と止められる)
※被告側の反対尋問は、2人目ののじれんの証人の時と同様、規約、所在地、会議など団体の体裁に関する質問に終始し続ける
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takahashicleaning · 3 years
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TEDにて
キンバリー・モトリー: いかに法の支配を守るか
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
弱者は皆、その国の法律によって守られるべきです!
たとえ、その法律が忘れられ無視されていようとも。アフガニスタンなどで活動するアメリカ人訴訟弁護士キンバリー・モトリーは、国際的な弁護士活動の中から3つの事例を紹介し
その国の法律でどれだけ正義と公正さ(法律をその立法目的である「保護」のために使うこと)をもたらせるか語ります。
思うに、行政府のないアフガニスタンのような場所で公正さを実現するのは難しく、それには3つの理由が挙げられます。
行政府のない状態がどのようになるか?スティーブン・ピンカーが言う所のジョンロックがすでに解決しています。
1つ目の理由は、簡単に言えば、人々が自らの法的権利についてあまり知らないということで、これはグローバルな問題だと思います。
2つ目は、きちんと法律があったとしても、しばしば、部族慣習が優先され法律が無視されます。ちょうど、最初のジグラがナグマを売ると決めたようにです。
公正さを阻む3つ目の問題は、たとえ素晴らしい法律があっても、こうした法律にもとづいて戦おうとする人(弱肉強食?銃による暴力?)も弁護士もいないことです。
それこそ、私がしていることで既存の法律。多くは使われていない法律を使い、クライアントの利益のために法律を活用するのです。
私たちは、人権というグローバルな文化を創り、グローバルな人権経済に投資する必要があります。こうした意識を持つことでグローバルな規模で公正さを大きく向上させられます。
法律は、私たちのものです。民族や国籍、性別、人種にかかわらず私たちのものなのです。正義のために戦うことは、狂気の沙汰でも何でもありません。企業もこの取組みに本腰を入れるべきです。
企業が人権に投資をすれば、事業上の資本利得となります。ビジネスやNGO、個人であろうと法の支配は、私たち皆のためになります。同じ考えのもと協���することで人々や民間・公共部門の垣根を越えて
人権を尊重するグローバル経済を創造し、皆で人権保護を支持するグローバル投資家になるのです。そうすることで私たちは「公正さ」を共に手にできるかもしれません。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
ベーシックインカムを導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
ベーシックインカムを導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
ベーシックインカムを導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
正義については、マイケル・サンデルも言うように、ジョンロールズの言葉が良い手本になるかもしれません。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として���職の禁止が挙げられるが、その���、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
スティーブン・ピンカー: 暴力にまつわる社会的通念
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
アダム・フォス:検察官が訴える、これからの刑事司法制度の姿!
<提供>
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kennak · 7 months
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ジャパンライフ(株)(TSR企業コード:291624898)の倒産処理が終わった。  磁気治療器などのオーナー商法で高齢者を中心に約8,000人を巻き込んだジャパンライフは9月4日、東京地裁から破産終結の決定を受けた。2018年3月、東京地裁の破産開始決定から5年半を要した。配当率は1.203%だった。 約8,000人から1,500億円以上を集めた  ジャパンライフは、磁気ベストやバンドなど100万円以上する高額な磁気治療器を高齢者などに販売し、それを預かって第三者にレンタル。レンタル料を顧客へ支払う「預託契約」を締結する形態で急成長した。  また、集客や販売実績に応じてボーナスを得ることができる会員制の連鎖販売も手掛けた。破産管財人の資料によると、約8,000人に債権届出書を送付し、普通破産債権は1,500億円以上にのぼった。 社会問題化、被害弁護団が設立  2016年以降、ジャパンライフは消費者庁から特定商取引法違反などで4度の行政処分を受けていた。預託金の返済が滞り、社会問題化すると被害弁護団が全国で立ち上がり、同弁護団が破産を申し立てる異例の展開を辿った。破産開始決定後の2018年9月、警視庁などが山口隆祥元会長などを詐欺容疑で逮捕し、懲役8年の実刑が確定している。その他の幹部も有罪判決を受けた。  この間、破産管財人は、ジャパンライフの売掛金や不動産などの資産換価や消費税の還付金などで30億円強を回収。順次、配当手続きを進めていた。 破産開始から5年半を経過し、破産終結の決定でジャパンライフの破産事件は区切りを迎えた。
ジャパンライフの破産手続きが終結、配当率は1.203% | TSRデータインサイト | 東京商工リサーチ
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ari0921 · 9 months
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我が国の未来を見通す(78)
『強靭な国家』を造る(15)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その5)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 最近、意外なニュースで驚いたのは、7月4日、
埼玉県川口市で市内に住む100人を超えるクルド
人が病院に殺到し、救急が5時間半もストップし、
県警機動隊が出動する騒ぎになったということでし
た。そのきっかけは、女性をめぐるトラブルでトル
コ人同士が争い、刃物による怪我で病院に救急搬送
されたことだったようです。
現在、川口市内には市民約60万人の6.5%に相
当する約3万9千人の外国人が住んでおり、東京都
新宿区を抜いて全国で最も外国人住民が多い自治体
になっていますので、よけいにこのニュースが気に
なったのです。
前回、「人口」が「国力」に及ぼす影響を取り上げ
ましたが、現在、国内に滞在する外国人は全人口1
億2330万人の2.5%に相当する約314万人
(うち、7万人は不法滞在)だそうですが、外国人
労働者や移民政策を推進し、仮に外国人比率が川口
市と同じくらいになれば、国内には現在の2.5倍、
約800万人の外国人が滞在することになります。
現時点において、未来の我が国の姿を予測するのは
時期尚早ですが、川口市の事案などはまだまだ序の
口で、現在、欧米諸国などで発生している移民をめ
ぐる様々なインシデントが社会を揺るがしていると
いう“現実”を知ると、人口減の対策として軽々に
外国人労働者とか滞在者を増やすことには抵抗があ
ることでしょう。
この点も我が国の「歴史」や「文化」の問題ですが、
将来的には外国人が増えることを前提としながらも、
人口の何%ぐらいが限界なのか、あるいは、せめて
現状程度の治安や平穏な生活を維持するためにいか
なる処置を講ずればよいのか、などについても様々
知恵を働かせる必要があると考えます。
川口市の事案自体は、さほど取り立てて騒ぐほどの
ことではないとは思いますが、何か我が国の未来の
姿を“先取り”したようで、一抹の不安感が脳裏を
かすめましたので、あえて紹介しました。出典の
「『移民』と日本人」(産経新聞7月31日、1・
3面)も、最後に「日本人人口そのものが減ってい
く中、私たちは彼ら(外国人)とどのように向き合
っていくのか」の1文で結ばれていました。本文で
も触れますが、仮に有事になれば、“異次元のイン
シデント”を覚悟する必要もあるのです。
外国人との向き合い方に留まらず、我が国の厳しい
未来に立ち向かうためには、大河ドラマの「どうす
る家康」ならぬ「どうする日本」の“連続”という
気がします。前回の「人口」に続き、今回は「領土」
を取り上げましょう。
▼「領土」が「国力」に及ぼす影響(前段)
「国力」の要素としての「領土」に関する国際比較
は、すでに紹介しましたように、面積とか地政学的
位置とか国土の特性など「領土」の持つマクロな要
素が重視されますが、「領土」は「国力」の“指
標”でも“象徴”でもあり、それを死守することが、
時代の変化にかかわらず「国益」そのものになり、
国防の直接の目的になることから、実際にはこれら
と違った要素も入ってくると考えます。
特に、「領土」が「人口」「食料・エネルギー資源」、
「安全保障」など、実際の「国力」の維持・増大
(あるいは低下)の直接の原動力となり、なおかつ
複雑な歴史的経緯を含むような場合、「領土」は、
いわゆる“核心的利益”に格上げされ、武力をもっ
てしてもそれを“手に入れる”ことを企図するレベ
ルまで格上げされます。
人類の歴史は、かつての植民地主義のように、武力
に物を言わせて一方的に「領土」拡大を企図するか、
はたまた、互いの「領土」争奪を目的とする「戦争」
の繰り返しでした。そして今なお、ウクライナ戦争
のように、武力をもって「領土」を拡大する国があ
り、かつ“隙あらば”と領��拡大を目論んでいる国
もあるという事実を私たちは強く認識する必要があ
るのです。
このような国は、時に、史実を歪曲してでも自国に
有利な歴史戦を展開して、領土獲得の正当性を主張
するのが常道ですし、相対する国と“相対的な力関
係”が逆転したような場合は、過去の“怨念”のよ
うなものも手伝って、領土問題はますます熾烈さを
増すことも歴史が教えるところです。
我が国は現在、歴史的にも国際法上も日本固有の領
土である北方領土、竹島、そして尖閣諸島と3つの
領土問題を抱えています。北方領土と竹島は不法占
領下にあり、尖閣諸島は一応、我が国の施政下にあ
るものの、ほぼ毎日のように、中国が領海・領空侵
犯を繰り返し、我が国の漁船などの接近を拒み、
「実効支配」の既成事実化を企んでいます。
一般に、領土問題は当事国同士が外交で解決するの
が最も望ましいとされていますが、そう簡単に円満
な解決ができないことは言うまでありません。それ
だけ、どこの国であっても、また取るに足らないよ
うな辺鄙な岩礁などであっても、「領土」の取得や
保全を“核心的利益”として「国益」の中心に据え
ているのです。
「当事者同士の外交で解決」や「軍事力による解決」
以外にも、領土問題は、(1)経済力を活用した解決、
(2) 国際司法裁判所(IJC)などに付託するなど
国際社会の支援を得た解決、(3)文化交流や人的交流
を通じた理解の促進、などの多様な解決策があると
言われています。
(1)経済力を活用した解決については、1803年に
フランスがアメリカのミシシッピ川流域の広大な地
域のルイジアナ(現在は15州にわかれています)
を1500万ドルでアメリカに売却したり、186
7年にロシアがアラスカを720万ドルでアメリカ
に売却したような例もありますが、経済力を活用し
て平和裏に領土問題を解決した例は数えるほどしか
ありません。
北方領土についても、ソ連崩壊後のひと時、日本に
返還される可能性が膨らんだ時がありました。その
後もビザなし交流などの文化交流や人的交流も盛ん
に行なわれ(私も2度参加しました)、日本は島民
との和睦のために努力をしてきました。最近も、度
重なるプーチンー安倍会談によって再び返還に向け
た気運が盛り上がった時期がありましたが、このた
びのウクライナ戦争によって、また“振り出しに戻
った”と考える必要があるでしょう。
また、(2)国際社会の支援を得るという観点で言えば、
フィリピンは、中国が主張する「九段線」について
国際仲裁裁判所に訴え、2016年、裁判所は「国
際法上の法的根拠はなく、国際法に違反する」
(「南シナ海裁判」と呼ばれています)の判断を下し
ましたが、中国が、裁決は無効、「紙くずにすぎな
い」として拒否したため、何らの解決に至りません
でした。
同盟国の支援についても触れておきましょう。アメ
リカは、日本が絡む領土問題については、例えば尖
閣諸島については「日本の施政下にある」としなが
らも「日本の主権」については明確にしていません
し、北方領土についても、「日本の主権」を明言し、
日本の立場を支持したのは、つい最近、2022年
の3月でした。
大東亜戦争末期の「ヤルタ会談」密約によって、ソ
連参戦の条件として千島列島などをソ連領土とする
ことを認めた手前、なかなか明言できなかったので
しょう。もっとも、当時のルーズベルト大統領は、
「千島列島の中に、“歴史的に日本固有の領土であ
る北方領土が含まれている”とは認識していなかっ
た」との分析もありますが、“あとのまつり”であ
り、その勢いで北海道まで占領する意図を持ってい
たスターリンに“してやられた”のでした。
尖閣列島のように、「施政権は持っている」と認め
ても「日本の主権」については明言を避けている理
由は、“第三国間の領域紛争に巻き込まれたくな
い”というアメリカの伝統的外交方針から、「特定
の立場を取らず、あいまいな立場を維持している」
との見方が一般的ですが、米国にとっては、東アジ
ア外交戦略上、日本が周辺の3国と領土問題を抱え
ることが「国益」になるとの分析もあります。
米国の“あいまいさ”が、実際に、アメリカの東ア
ジア政策を狂わせるほどの日中接近を拒み、中国に
“付け入る隙”を与えていることから、日米同盟と
いえども、「領土問題」の解決の“手助けにはなら
ない”ことを私たちはよく認識する必要があるので
す。
▼「領土」が「国力」に及ぼす影響(後段)
同様なことは台湾問題についても言えるでしょう。
台湾問題も複雑な経緯があります。少し長くなりま
すが、安倍元総理が「台湾有事は日本有事」と発言
して話題になったように、地理的にも歴史的にも民
主主義という政治体制的にも日本と近い台湾問題は
即、日本の安全保障や「領土」保全と直結する問題
なので、少し触れておきましょう。
かつては、中華民国(台湾)が中国を代表する国家
として国際連合に加盟し、安全保障理事会の常任理
事国でもありました。第2次世界大戦の終末時、本
来「連合国」と訳すべき「United Nations」設立の
主旨からして当然だったのです。
それが変わったのは、アメリカが米ソ対立の冷戦下
において、泥沼のベトナム戦争の最中でした。戦争
の早期解決に向けて、アメリカは対中政策の根本的
再検討を迫られていました。一方当時は、中国とソ
連も対立し、中国は、対ソ政策上、アメリカにアジ
アに留まってもらいたいと望んでいたことから、1
971年、電撃的なキッシンジャーの中国訪問が実
現しました。その延長で、第2758決議(「アル
バニア決議」と呼称されます)によって、中華民国
は国連から追放され、中国を代表する中華人民共和
国が国連に加盟、安全保障理事国の地位も獲得しま
した。
この決議は、正式には「蒋介石の代理人」の追放で、
中華民国が追放されたわけではなかったので、例え
ば「台湾」と名称を変更して国連に残る選択肢もあ
ったようですが、中華民国は国連を脱退しました。
アメリカは、1979年に「台湾関係法」を制定し、
台湾との非公式な関係を維持しながら、中国政府と
正式な国交を結びました。この法律により、アメリ
カは「一つの中国」政策を順守し、中国政府のみを
承認することになったのです。
このような歴史的背景もあって、アメリカは「台湾
問題は国内問題」とする中国に表立った反論ができ
ないまま時が流れました。かのトランプ前大統領で
さえ、多数のF-16戦闘機や戦車、対空ミサイルなど
を含む総額100億ドル規模の台湾向け武器輸出は
承認していましたが、面と向かって「台湾を防衛す
る」と明言はできませんでした。
一方、バイデン大統領は、2022年5月、日本に
おける演説の中で「中国が台湾を攻撃した場合、米
国は軍事的に介入して島を守る」と警告しました。
ホワイトハウスは、「米国の長年の台湾政策に変更
はない」と否定するという奇妙な一幕もありました
が、当時、バイデン大統領は、「ロシアのウクライ
ナ侵攻と台湾には類似点をあることを主張したかっ
た」のだと報道されました。
いずれにしても、アメリカの台湾防衛の“本気度”
が中国の武力行使の「抑止力」になることは明白な
ので、“お互いの腹を探るつばぜり合い”が今後も
展開されることでしょう。
さて一時、「尖閣列島の領有権の争いなどよりも日
中経済交流が大事」と盛んに言われていた時期があ
りました。このような主張を繰り返す人たちは「国
力」、そして「国力」の要素としての「領土」の意
味を全く理解してないということで、外国であれば、
“処刑者”でしょう。
そして、今なお、「領土」の「国力」に及ぼす影響
をなんら顧みない現象の現れが「外国資本による土
地の購入」です。本メルマガでもすでに取り上げま
したが、太陽光発電などの用地として、分かってい
るだけで広島県ほどの面積がすでに中国など外国資
本下にあります。その一部は、我が国にとって重要
なインフラの近傍に所在しています。
ようやく、2021年に制定された「土地取引規制
法」によって、重要施設周辺や国境離島等など「特
別注視区域」近傍の土地取引には事前届出が義務付
けられましたので、米軍基地が自衛隊施設の近傍の
土地取得には制限がかかりました。
しかし、現在の我が国の法律では、私有地の中に簡
単に立ち入ることができないため、平時有事を含め、
この私有地を活用して“様々なことが行なわれる”
ことを覚悟する必要があるでしょう。
巷には、「水源地」として活用されることへの懸念
や電波妨害やライフラインの遮断などは取沙汰され
ていますが、その気になれば、小型ドローンにより
周辺の重要インフラ等への局地攻撃なども簡単に実
施できるでしょう。
つまり、台湾有事と絡めた南西諸島への脅威などに
留まらず、“戦場”は全国各地に及ぶ可能性がある
のです。冒頭にも述べましたように、平時有事を問
わず、目的が解明できない滞在者と「外国資本の領
土」に繋がった場合の国防上の懸念は、このような
事態を「ハイブリッド戦」と呼ぼうが呼ぶまいが、
想像を絶するのです。
中国には2010年から施行されている「国防動員
法」があり、中国人は外国に滞在してもこの法律に
より緊急時の動員を強制されます。一方、中国は、
最近話題になっている「半スパイ防止法」によって
国内に滞在する外国人を常時監視しています。
そして、中国の土地はすべて国の所有物であり、中
国人が取得できるのは「土地の使用権」のみです。
外国人は、この「使用権」でさえも単独名義で取得
することはできず、だれか中国人のパートナーを探
し、「合弁」という形の共同名義のみが認められて
います。外国人が国内に滞在することや土地取得に
絡む“危険性”を熟知しているからでしょう。我が
国も中国のような国に対しては、外交上の「相互主
義」を貫くべきなのです。
「領土」だけではないですが、政治家や官僚、そし
てほとんどの有識者たちの「国力」とか「国益」に
対する無頓着さが、やがて“取り返しのつかない問
題”に発展する可能性があります。最大の問題点は、
それらに対してほとんどだれも警鐘を鳴らさないこ
とにあると考えます。私は、「国力」を顧みない
「領土」に対する認識こそ、“能天気の極み”と考
えます。
繰り返しますが、「領土」を防衛することは、国防
の目的そのものです。上杉謙信が言い始めた言葉と
される「寸土を軽んずるもの、全土を失う」を戒め
として、私たちは、“寸土”といえども「領土」を
守りぬくこと、そして歴史の事実なき不法占拠には
断固として立ち向かうこと、さらには、国内の土地
を外国資本に売却する“危険性”を再認識し、必要
な処置を講ずる必要があるのです。
私自身は、将来の厳しい情勢に備えるためには「憲
法改正待ったなし」と考えていますが、憲法改正前
に「やるべきこと」「できること」が山ほどあるこ
とも事実でしょう。いい加減に目を覚ましてほしい
と切に願う昨今です。
「強靭な国家」を造るために「国力」に焦点を充て
て分析していますが、いずれも“宿題”を残しつつ、
ようやく「人口」と「領土」が終わりました。「強
靭な国家を造ることは容易なことではない」ことを
再認識せざるを得ません。まだまだ続きます。読者
の皆様も“我が事”としてぜひ一緒に考えて頂きた
いと願っています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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yotchan-blog · 29 days
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2024/3/28 20:59:17現在のニュース
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xf-2 · 4 years
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★ 精査の必要あり 
石破茂氏が自民党総裁選への立候補を正式表明しました。今回勝利は難しいものの「次の首相にふさわしい人」世論調査で首位に立ち菅官房長官を大きく引き離しています。いずれ首相になる可能性が十分あり、これまで噂のように語り継がれてきた北朝鮮ハニトラ疑惑を徹底検証すべきと思います。 「虎ノ門ニュース」でジャーナリストの大高未貴先生が取り上げてくれました。
もしも精査を怠った状態で石破氏が首相になれば、諸外国から機密情報がもたらされなくなり我が国が危険な状態に陥ることが考えられます。テロリストの情報が入らなくなり、国内で大規模テロ事件が起きて大勢の日本人が殺される可能性が高まるのです。産経新聞によれば英語圏5ヶ国の機密情報共有枠組み「ファイブアイズ」に日本は招待されていて「シックスアイズ」になるかも知れないとのことですが、せっかく菅政権で加盟しても石破氏が首相になった瞬間に外されることもありえます。石破氏が国際水準のセキュリティ・クリアランス(機密情報取扱適格性)を通るかどうか明確にすべきです。
昨年11月20日付の拙ブログで解説したように、アメリカ政府が細川護煕首相に「武村正義官房長官は北朝鮮スパイだ」と通告した事件が1994年にありました。あまり知られていませんが20世紀最大のスパイ事件の一つだと思います。 あのときはスパイ容疑者が官房長官だったので上司の首相に通告することができましたが、首相自身に容疑がかかったら不可能です。諸外国は理由も告げずに日本と距離を置くようになり、我が国の国際的地位は急低下します。そうなると中国は尖閣諸島を電撃占領する誘惑にかられます。同盟国・友好国の信頼を維持することは国家の安全に直���する最重要課題です。
石破茂氏(画像:さかおり)
「女系天皇の可能性も敢えて追求し、早急に解をもとめるべきものと思料する」
(石破茂「
天皇陛下のご生前ご譲位について
」2017)
★ 隠し撮り
石破氏ハニトラ疑惑を最初に報じたのは『週刊文春』2003年5月1・8日合併号「高官が私に告白した―北朝鮮で女をおねだりした『拉致議連』代議士」という上杉隆氏の記事です。北朝鮮高官の次の証言が紹介されています。 「拉致議連に所属するある議員は女の人が大好きです。彼が共和国に来たときは、『女、女!』と要求してみなを苦笑させました。それでもしつこく要求してきて、結局その議員は女の子と夜を過ごしました」
記事では匿名になっていますが、同じ年に出た『噂の真相』が石破氏だと明らかにしました。石破氏側は「(女性との関係は)五百パーセント、千パーセントない」と反論しています。
より具体的な情報が出たのは『週刊現代』2008年3月15日号「元東ドイツ秘密警察幹部が爆弾証言『石破茂防衛相は北朝鮮で美女をあてがわれた!』―盗撮されたビデオと写真も!」です。 ベルリンの壁崩壊で職を失った秘密警察シュタージ元幹部が北朝鮮に渡り、1993年までの3年間に国家安全保衛部などに盗聴、盗撮、尾行、脅迫といったスパイ技術を教えていました。週刊現代取材班はベルリン郊外で元幹部に接触して証言を得ています。 それによれば92年4月に日本の議員が大挙して訪朝したとき、高麗ホテルに宿泊していた議員たちを北朝鮮側がカラオケに誘い容姿端麗な女性を近づけました。石破氏が女性の腰に手を回してデュエットするなど一番積極的で、カラオケが終了したとき名残惜しそうにしていました。そこで石破氏お気に入りの女性をホテルの部屋に送り込んで計3時間にわたって一部始終をビデオに収めたとのことです。 取材班は写真を見ています。記事を引用します。 「にわかには信じがたい話だ。だが、この元シュタージ幹部は数枚の写真を見せてきた。そこには、カラオケ店で石破氏がチマチョゴリ姿の美女と仲睦まじげに写った姿や、石破氏とおぼしき人物が美女とベッドにいる姿などが写っていた」 記事最後で上杉隆氏が、週刊文春記事の情報源は孫哲秀日本副局長と李成浩日本課長だと明らかにしました。
石破氏が宿泊した高麗ホテル(画像:ニコール)
これらはすべて北朝鮮側が一方的に言っていることであり、事実だと述べているわけではありません。もしも石破氏が一貫して北朝鮮に強硬姿勢をとっているなら無視していいことだと思います。しかし現実には石破氏は親北朝鮮といっていい姿勢を示すようになりました。
私は2012年8月に何人かで石破氏に面会し北朝鮮政権を崩壊させるべきだと力説しましたが、石破氏は「北朝鮮にどんどん援助すべきだ。そうすると食糧や物資があふれてインフレ状態になり、配給の有難みが薄れて政権が権威を失う」と言っていたので非常に驚きました。恐らく北朝鮮住民が1990年代の「苦難の行軍」以後配給に頼っておらず、市場(チャンマダン)で食糧を調達していることを知らなかったのだと思います。石破氏が北朝鮮に援助したいと強く願っていて、後付けで理由を探した印象を受けました。
★ 欧米の受け止め方
昭和時代の国会議員が外遊先で現地プロ女性と遊んでいたことは公然の秘密でした。騒ぐほどのことでないという考え方もあるかも知れません。しかし問題は、同盟国アメリカや重要な友好国であるイギリスやオーストラリア、EU諸国がどう捉えるかです。
参考になるのは映画にもなった1963年のプロヒューモ事件です。イギリスのジョン・プロヒューモ陸軍大臣が友人に紹介されてモデル兼売春婦のクリスティーン・キーラーと数週間関係をもったのですが、キーラーがソ連海軍武官でGRU所属のイワノフ大佐とも肉体関係があることが判明しました。軍事機密漏洩の可能性があると大問題になり世論は沸騰し、プロヒューモ陸相は親密な関係にあったことを認めて辞任しました。さらにマクミラン内閣総辞職や保守党大敗にもつながりました。20世紀最大のイギリス政界スキャンダルとされています。
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kedama-o · 3 years
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では最後の党中央委員会と、その後の流れをまとめていく。最初から割と暗雲立ち込めてる感が強かった戦前の日本共産党もいよいよクライマックスを迎えていく。この時代の出来事や事件の多くは、戦後の日本社会に影を落とすことになる。
1933年12月 宮本・袴田・逸見による会合により、大泉・小畑へのスパイ査問を行うことで同意。宮本が査問委員長を務める。
11月に検挙された野呂が大泉を信頼して庇っていたために野呂時代では大泉の査問は出来なかった。野呂が逮捕されたことで宮本・袴田が党内のスパイ摘発へ本格的に取り組んでいくことになる。しかしその過程で疑心暗鬼に陥り、スパイでないものにも嫌疑をかけてしまう…。
1933年12月15日 大泉・小畑を査問するアジト設営に失敗。
1933年12月16日 「大串雅美リンチ事件」 10月の印刷所手入れの情報を流したスパイとして大串雅美を監禁した事件。大串は隙を見て逃走、当局に自首をした。
1933年12月23日 「大泉・小畑リンチ事件」 党中央部の大泉と小畑にスパイの嫌疑がかけられてリンチされた事件。大泉は自らも認めるスパイだったが、小畑はスパイではなかったとされる。小畑が疑われた理由は「天皇制打倒」の綱領を降ろした頃の全協のキャップが彼だったから(党の方針は正しいのだから、それに反対するのはスパイである小畑に全協が操られているからに違いないという理屈)というスパイ認定するには弱いものだった。結果として小畑は死亡し、大泉は逃走の後に自首している。大泉が逃走する前にでたらめにあげた党内のスパイの中に全協の小高保委員長・東京市委員会のキャップ荻野増治・そして小畑の3人がいた。
1933年12月26日 宮本顕治検挙
前日に宮本・逸見と会った荻野が2人の様子から自分もリンチされると察知して自首後に宮本を当局に売り渡した。これにより党内では大泉のでたらめスパイリストが信憑性をもち、党内清掃活動が活発化する
1934年1月7日〜(37日間) 「波多然リンチ事件」 大泉スパイリストにあった波多然にスパイの嫌疑がかかり、リンチされた事件。37日間3つのアジトを転々とされ、自らも「死ななかったのが不思議」と言うくらい凄惨なリンチをうけた。そして波多然はスパイではなかった。
1934年1月11日〜(37日間) 「大沢武男リンチ事件」  財政部で小畑の下にいた大沢武男にスパイの嫌疑がかかり、リンチされた事件。波多然同様、彼も凄惨なリンチを受け、そしてスパイではなかった。
このリンチ事件の数々をきっかけとして党組織は瓦解してゆく。元々中央部以外の党員は組織に関して限られた情報しか持っていなかった。それは当局に誰が捕まっても漏れ出す情報を制限するためだった。党員はお互いに"党"というだけでお互いを信頼していたが、リンチ事件が明るみに出ることで自分が繋がっている党員がスパイではないかとの疑心がつのり、党員同士の連絡が断ち切れてしまった。
1934年1月15日 大泉が査問アジトを逃亡。これにより「大泉・小畑リンチ事件」が発覚する。
1934年2月 党は全協に大泉・小畑の査問を説明し、2人と関わる人物を全協の中央から追い出し、党が全協の権力を握るようにすると通告。全協は反対し、結果全協委員長小高保がスパイとして疑われる。
1934年2月17日 党中央委員候補木島が検挙される。木島は党と全協を繋いでいた最後の線だったため、これ以降2つの組織は連絡を取れなくなる。
小高保の査問ができなくなった党は赤旗で全協を激しく批判する記事を掲載し、それに全協も応酬し対立してしまう。
1934年2月19日 野呂栄太郎極中で病死
1934年2月 プロレタリア作家同盟(ナルプ)解体。蔵原惟人・小林多喜二・宮本顕治らの指導した「政治の優位性」を批判し、みずから解体を決議した。
「政治の優位性」が指導されたことで、文学団体なのに政党・労組の活動という危険なことをやらされたり、文学的活動をしない人間が入ってくるといった事態になった。結果創作活動の低下を招いた。「政治の優位性」は事実をもってその破綻を証明されたとしてナルプの解体を決議した。
1934年2月27日 逸見重雄検挙
1934年3月 共産党系の大衆団体としてまだ力を残していた全農全会派が「△△××細胞会議」の声明文を発表。賛同団体が集まる。
リンチ事件のとき、会員のなかに紛れ込むスパイを見つけ出すため逸見が全農全会のキャップである宮内勇に詳細な会員名簿を提出するように指示した。しかし宮内はこれにより情報が漏洩することを危惧、これを拒否する。その後大泉の脱走から宮本は党中央にいまだスパイがいるのではという疑いを強くもつ。
同じように名簿提出を拒否して切られた団体や、そもそも名簿提出の指令が届かなかった団体が集まり「多数派」になっていく。
1934年4月2日 党中央委員秋笹政之輔検挙。党中央は袴田だけになってしまう。
1934年5月20日 中央奪還全国代表者会議(多数派)結成。「△△××細胞会議」を読んだ全国の団体が結集し、党中央を奪還しようと試みる。
1934年10月〜11月 多数派一斉検挙。これにより多数派は勢力を落とし、唯一残った関西の組織が活動を受け継いでゆく。
1934年3月4日 袴田里見検挙。中央委員会は壊滅し、戦前最後の日本共産党は終わりを迎える。
1935年7月25日 コミンテルン第7回大会 反ファッショ人民���線方針決定。 
ナチス・ドイツが独裁を成立させたことで、彼らがソ連に対して侵略行為をしてくる危険性が生まれた。それに伴いコミンテルンはファシズムに対抗するため「反ファッショ」の一点が一致するあらゆる政治勢力と手を組む方針に切り替えてゆく。階級闘争は民主主義擁護に、プロレタリア国際主義は民族主義に切り替えられた。
1935年8月 野坂参三、多数派運動を分派と批判。全ての分派組織の即時解散を命ずる。
1935年9月 多数派関西地方委は会議を開き、解散を決議。袴田が逮捕されているため共産党関西地方委と名を変え活動を維持してゆく。
1936年2月20日 野坂参三・山本懸蔵「日本の共産主義者へのてがみ」発表。コミンテルン第7回大会を踏まえて「天皇制打倒」スローガンを「セクト主義的誤謬」と自己批判。あらゆる大衆団体の中に入り、反ファッショ人民戦線を作る方針をとること。全協の非合法活動は無意味なので解体して全員が合法労働組織に入り、日常要求闘争をし、その左翼化を勝ちとっていくべきとした。
1936年2月26日 「二・二六事件」 皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが起こしたクーデター事件。その影響で陸海軍大臣現役制が復活し、軍部が内閣の生殺与奪権を握る。
1937年7月7日 「盧溝橋事件」 中華民国北京西南の盧溝橋で日本軍と中華国民革命軍が衝突した事件。これを機に泥沼の日中戦争が始まってゆく。
そして日本は本格的に軍事国家となり、日本共産党は表舞台から姿を消してゆく……。
感想的な 長かったけどやっと終わったー!それにしても急な坂道を転げ落ちるようにどんどん状況が悪化していって、本を読んでいるときも暗い気持ちになってしまった。リンチ事件の章で作者も書いていたけど、リンチしてもしなくても党が壊滅してしまうのは避けられないあたり、本当に「詰み」だったんだなぁと。その後分派した方が勢力が大きかったり、国内の事情を知らないモスクワから好き勝手言われたりと災難しか起きない。「日本の共産主義者へのてがみ」は本当に遅すぎて、もう今更そんなこと言われてもどうするんだよ感しかない。
この本を読んでまとめて思ったのは、誰がどんな政治信条を持とうが自由だけどその信条に対して責任感を持つべきなんだなということ。戦前の共産党も右翼勢力もソヴィエトなり国体なりを盲信してたけど、思想や象徴に盲信するとそれに対する責任転嫁が発生しやすい。「自分はこの理論(または国家)に従って行動しただけで自分に責任はない」というような。そうして結局は「この理論は完璧なんだから間違えるはずはない、現実がおかしいのだ」とか「お国のために戦う我々が負けるはずはない。戦場の兵士がだらしないからだ」と現実を正しく認識出来なくなってしまう。その先に訪れるのは悲惨な結果しかない。
長々と書いたけど、これで「日本共産党の研究」全3巻のまとめはおしまい。次回からはまただらだらと日常を書いていきます。では
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tomtanka · 4 years
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かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を信用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」 「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動物、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
  僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。 でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いているのは何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではなく僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレー��ョンのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられた言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今度は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ、あまつさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ。主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれないからである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た世界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震えるほどに間違う
価値観がひとつに固まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
 短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会を革める力ももたない。  私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。  短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の有効性を考え得られようか。  マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまうだろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口調を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定の声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること���説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
 「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文章を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」を隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語なのだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて、死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるものだろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同一性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、老成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる人となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの出来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
 文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。  文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。  すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。  逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読者や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをどう捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が直接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから。
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「三十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌��ある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んでいなくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場所で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り返る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれどもこの歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合いがあるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか、という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」 「穴がわたしの代わりに泣くの」 「はるまきがみんなほどけてゆく夜」 「僕が一致してない」 「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」 「振り下ろすべき暴力」 「着陸はない 着陸はない」 「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」 「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、 くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、 しかも寄道していてシャンデリア。 青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。 卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。 教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。 まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのはあなただけね。 ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。 〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1 穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」 座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引き��ておく。 大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」 伝兵「サア、おじゃいのふ。」 ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。 …… …… 宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」 新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」 宮蔵「せいよ。」 新左「して見せう。」 ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。 『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁 本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考文献】 ・短歌 内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年) 大森静佳『てのひらを燃やす』(角川書店、2013年) 大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年) 木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年) 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年) 斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年) 笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年) 瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年) 塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収) 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年) 東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年) 平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号) 平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号) 山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年) 同人誌『率』9号(2015年11月23日) 同人誌『外出』二号(2019年11月23日) 同人誌『外出』三号(2020年5月5日) 『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年) 沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年) カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可塑性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年) 小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年) 小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年) ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(鵜飼哲訳、みすず書房、1998年) 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事 伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」 佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」 平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
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chikuri · 4 years
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“No.1143 韓国の思想的内戦 ~『反日種族主義』を読む
 韓国内では、朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との命運をかけた政治的・思想的内戦が展開されている。
■1.朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との戦い<br /><br />
 10月3日、9日と二度にわたって、文在寅政権に反対する50万人規模のデモがソウル中心部に発生した。韓国の保守リーダーたちは、これを「文明勢力」と呼んでいる。自由、人権、民主主義、市場経済、法治を信条とする近代文明を守ろうという勢力である。
 彼らが反対している文在寅政権は、韓国を日米から離反させ、北朝鮮、中国の仲間入りさせようとしている。中朝とも中華型の全体主義体制をとっており、皇帝独裁を支える伝統的な朱子学と親和性が高い。
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つまり、いま韓国で展開している戦いは朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との体制の命運をかけた、妥協が不可能な戦いなのだ,[1]
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 とは、麗澤大学客員教授・西岡力氏の総括である。韓国内だけではない。日米 対 中朝の争いも、同様に両勢力の命運を賭けた戦いである。これに負ければ、我々日本国民も自由、人権、民主主義を失う。そういう戦いが目の前で展開されているのである。
 この「朱子学的全体主義勢力」の本質を学問的に明らかにした『反日種族主義』[2]が、韓国で10万部を超えるベストセラーとなり、日本語版も発売2週間で20万部を超えている。
 これを読むと、韓国内の前近代的な「種族主義」、すなわち思想的文化的に閉ざされた集団に閉じこもり、他集団を敵とする古代呪術的体制が学問的に解剖されており、こういう集団には、史実も学問的議論も国際常識も通用しない事がよく判る。
 こういう種族主義的勢力に対抗して、生命の危険をかけても学問的に正しい事実を伝えようとする著者・李栄薫氏のような「文明勢力」がいることを知ると、少しは希望も湧いている。
■2.「日帝をどのように批判したらいいのか分からなくなる」
『反日種族主義』では、「従軍慰安婦」「徴用工」「植民地化」など韓国の訴える「反日」について、史実を踏まえて、その「嘘」が暴かれている。講義を聞いた韓国の学生たちは次のような感想を漏らすという。
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「今まで教科書で習って来たことが事実ではないという点を受け入れると、日帝(JOG注: 日本帝国主義)をどのように批判したらいいのか分からなくなる」
「日帝の植民地支配を正当化してしまうのではないかと怖くなる」[2, 827]
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 この感想自体が、韓国での研究も教育も非学問的なレベルのものである事をよく現している。というのは学生たちは「日帝は批判すべきもの」という前提を信じ込んでいるからだ。すなわち「日帝とは悪魔のように呪詛すべきもの」という「呪術的信仰」が暗黙の前提となっている。これがまさに「反日種族主義」の正体である。
■3.「日帝の所業に間違いない」
「呪術的信仰」の典型が「鉄杭騒動」である。日本は朝鮮を併合した後、土地調査のため、朝鮮の歴史上初めての近代的測量を行った。その過程で測量基準点の標識を朝鮮全土の高い山に設置した。
 朝鮮では、土地には人体のように気脈が流れているという古代中国起源の風水の自然観が信じられていた。近代的測量の目的も技術も知らない当時の朝鮮人たちは、大地に打ち込まれた鉄杭を見て、「倭人たちが朝鮮に人材が出ないように穴(急所:つぼ)を塞ぎ回っている」と噂し、それを広めた。住人たちは夜、山に登っては、この棒を抜いて、金槌で砕いたという。
 この迷信を国策に利用したのが、金永三政権が1995(平成7)年2月に始めた「光復50周年記念力点推進事業」だった。大統領の指示を受けた内務省が全国の地方自治体に公文を送り、日帝が打ち込んだ鉄杭を見つけて抜くよう指示をした。6ヶ月間で全国から439件の申告があり、うち日帝が打ち込んだ鉄杭だとして除去されたものは18本だった。
 当時、『月刊朝鮮』の記者だった金容三氏は、この18本の鉄杭除去現場を訪ね、事実を調査した。慶尚道亀尾市の金烏市で除去された鉄杭を鑑定したのは、易術人・閔(ミン)スンマン氏だった。彼は「金烏山に鉄杭が打たれている場所は風水学的に明堂(優れた場所)だ」と言った。「龍が天に向かって立ち上がる場所に仏が横たわっており、その額の部分に鉄杭が打たれていた」と言う。
 金氏が「仮にそうだとしても、この鉄杭が日帝が打った、という科学的で客観的な証拠は何ですか」と訊くと、彼は「証拠はないが、金烏山は風水的観点からして非常に重要なので、日帝の所業に間違いないと推定した」と答えた。
■4.「日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと」
 忠清北道永同郡で除去された鉄杭に関しては、郡庁の担当公務員が「日帝が打ったと言う根拠がなく、そうなのかどうなのか迷いながら抜いた」と語った。しかし、同年6月5日午後、盛大な山神祭とともに除去された。その行事は、日本のNHKやTBSも取材に来て、撮影したという。
 同じ地方の永春面(JOG注: 面は日本の村に相当)でも3本の鉄杭が発見され、情報提供者たちは「1984年頃、永春面で抗日義兵と日本軍の間で大きな戦争が起こった。それで、抗日運動が再び起こらないように、日帝が将来、将軍の生所となる場所に鉄杭を打ち込んだのだ」と主張した。
 永春面の前・面長であった禹ゲホン氏は、「それは日帝が打ったものではなくて、解放後住民たちが北壁の下に舟の綱を結ぶために打ち込んだものだ」と証言した。禹氏は「郡庁の人たちにこの事実を何度も説明したけれど、どんなに話をしても聞き入れてくれず、日帝が打った鉄杭に化けてしまった」と、虚しく語った。
 江原道揚口郡では3本の鉄杭が除去された。それは表面に錆もなく、あまりにも新しくきれいなので、最近作られたものに間違いないと、金氏は思った。もしも日帝の仕業でなかったらどうしようかと、と心配した人々が「専門家の考証を受けた後で除去するのがよさそうだ」という意見を出したが、無視された。
 この鉄杭も、マスコミの大々的な注目を浴びながら引き抜かれ、ソウル国立民族博物館で開かれた光復50周年記念の一部として展示された。そこには次のような説明文がつけられた。
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 民族抹殺政策の一環として、日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと、全国の名山に鉄杭を打ったり、鉄を溶かして注いだり、炭や瓶を埋めた。風水地理的に有名な名山に鉄杭を打ち込み、地気を押さえ人材輩出と精気を抑え付けようとしたのだ。[2, 2974]
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■5.「祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果」
 住民たちが舟の綱を結ぶために打ち込んだ鉄杭まで持ち出して、それを「日帝」が「民族の精気と脈を抹殺」するために打ったものだとする。何の証拠もなく、自分たちの古代的信仰をそのまま日本への糾弾に使う。それは事実ではない、という地元の証言も聞き入れない。
 しかも、それを首都の国立民族博物館という、学問的な権威が必要とされる場所で堂々と語る。ここには、近代的学問の論理的な姿勢はまるでない。そしてそれがいかに恥ずかしい事か、という認識もない。
 李永薫教授は、韓国の教科書を執筆した歴史家は、日帝には「土地だけでなく食料も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された、と教科書に書いてきました。その全てがでたらめな学説です」と述べている。その精しい内容は実証的な事実によって『反日種族主義』で検証されているが、「でたらめな学説」が横行している理由について、こう述べる。
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 歴史家たちがでたらめな学説を作り出したのは、何かしらの邪悪な意図からというよりは、無意識による、幼い頃から彼らが呼吸して来た、祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果だと言えます。[2, 556]<br />
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 すなわち「鉄杭」神話は、風水説という「伝統文化」に引きずられて生み出され、広められたものである。そこには史実も合理性も学問的検証もない。ただ空理空論で世界のあるべき姿を追求した朱子学的世界観である。李栄薫教授ら「文明勢力」が戦っているのは、このような前近代的思考に閉じこもった人々なのである。
■6.風水で朝鮮総督府庁舎も解体
 金永三大統領は、鉄杭の除去に留まらず、旧朝鮮総督府の庁舎と総督官邸の解体まで指示した。その理由も、風水研究家が次のような主張をして、世論をリードしたからだった。
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 北岳はソウルの主山だが、その優れた気脈が景福宮の勤政殿まで伸び、その血脈を広げ、そこから国中に白頭山の精気を分け与えるというのが、伝統地理家たちの考えだ。
ところが倭人たちが国土を強占した後、北岳の精気が景福宮に続く所に彼らの頭領である朝鮮総督の宿所を造り、気脈の首を絞め、国気の出発点である景福宮南側に総督府の庁舎を造り、首を絞め、口を塞ぐはめになった。当然二つの建物を撤去し原状復旧することが風水の正道だ。[2, 2139]<br />
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 文化界の有名人氏たちも「日帝が朝鮮王朝の景福宮を破壊し、そこに朝鮮総督府の建物を建てたため、国の脈が切れて国土が分断され、同族を殺し合う悲劇が訪れた」と賛同した。朝鮮戦争まで、風水で説明する。
 1995年8月15日の光復50周年慶祝式で、朝鮮総督府庁舎の撤去作業が始まり、翌年11月13日、建物の地上部分の撤去が完了した。朝鮮総督府は日本統治時代に10年の工期を費やして完成した建物で、当時はイギリスのインド総督府やオランダのボルネオ総督府を凌駕する東洋最大の近代式建築物だった。
■7.「恥ずかしく清算すべき歴史」
 朝鮮総督府庁舎は、戦後も大韓民国の重要な歴史が刻まれた舞台だった。1945年9月9日、ここで第9代朝鮮総督・阿部信行が米第24軍軍団長ジョン・ホッジ中将に降伏文書を手渡した。ソウルに進駐した米軍は、ここを米軍政庁として使った。
 1948年5月31日、中央庁の中央ホールで大韓民国の国会が開かれ、同年7月17日には憲法がこの場で公布された。続いて7月24日には大韓民国の初代大統領の就任式が、8月15日には大韓民国政府の樹立の宣布が、中央庁の広場で行なわれた。
 この建物は1950年10月7日まで国会議事堂として使われ、その後は李承晩大統領の執務室となり、朝鮮戦争で火を放たれたが、1962年11月22日、復旧され、その後、中央行政府の庁舎として使用されてきた。
 朝鮮総督府庁舎は、大韓民国の建国以来の歴史の中心的舞台だったのである。それを風水で「国の脈が切れて国土が分断され」た事を理由として、解体撤去するというのは、どういう心理だろう。風水を信ずる多くの韓国民は快哉を叫んだが、金永三大統領の真の目的は別の所にあった。
 金泳三大統領の秘書官・金正男は、『月刊朝鮮』におけるインタビューで「金泳三大統領は、中央庁の建物で展開された韓国現代史が、自分の政権の正統性とはほど遠い恥ずかしく清算すべき歴史なので、その建物に対し愛着を感じなかったようだ」と発言している。
 今までの韓国現代史を「恥ずかしく清算すべき歴史」とするのが、金永三大統領の歴史観だった。それは現在の文在寅大統領にも継承されている。その歴史観を李永薫教授は、次のように要約してる。
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 日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った」 (『大韓民国の物語』文藝春秋)。[3]<br />
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 すなわち現在の大韓民国とは、「日帝時代の親日勢力」の残党がアメリカと結託して建てた国であり、本来の正統的国家は北朝鮮だというのである。3代続いている北朝鮮の金王朝こそ、朝鮮の正統な支配者であり、またその背後にある習近平の独裁政権も、伝統的な中華帝国の支配者と見る。
 中国も北朝鮮も、それぞれの前近代的な伝統に基づく独裁国家である。そこには自由、人権、法治、市場経済という文明的概念はない。こういう東アジアの朱子学的全体主義勢力と戦っているのが、韓国内の自由民主主義文明勢力なのである。
■8.「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」<br /><br />
 この夏、8月15日にもソウルで反文在寅の「太極旗デモ」が行われ、参加者は「日本は敵ではない」「反日は反逆だ」などのスローガンを大声で叫んだ。演説会でも「文在寅政権の反日は親北容共で韓国に有害だ」「反日は愛国ではなく反逆、利敵だ」「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」という発言が相次ぎ、参加者が大声で唱和した。[3]
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 現在の韓国の反日は、文政権とその支持勢力が主導する「親北反日」で、それを見抜いた韓国の自由民主主義勢力がアンチ反日運動に立ち上がって、韓国内で激しい政治的、思想的内戦を展開しているのだ。[3]
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 西岡力教授の結論である。香港のデモも本質は同じだろう。自由な日本と台湾のすぐ隣、大陸との境界では、「激しい政治的、思想的内戦」が起こっていることを我々は認識しなければならない。『反日種族主義』が韓国でベストセラーになったのは、自由民主主義文明勢力の反撃の狼煙なのである。(文責 伊勢雅臣)”
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