Tumgik
#恐怖は底無しに深化する
kennak · 1 day
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イギリスで、病原菌に汚染された血液が治療に使われ、多くの患者が感染してきた問題が大きく注目されている。リシ・スーナク首相は20日、当局の失敗を謝罪した。 この日、このスキャンダルに関する公的調査報告書が公表された。それによると、汚染された血液を使った治療により、3万人がエイズウイルス(HIV)や肝炎ウイルスに感染。このうち約3000人がすでに亡くなったという。 医師や政府、国民保健サービス(NHS)がこの問題を隠蔽(いんぺい)し、被害者を受け入れがたいリスクにさらしていたことも明らかになった。 報告書はまた、被害者らが当局や患者の安全に責任を負う人々から「一度だけでなく何度も」失望させられていたと指摘した。 スーナク氏は20日の議会で、政府の失敗について「本当に申し訳ない」と謝罪。また、この日は「イギリス国家の恥ずべき日」だと表現した。 「本日発表された報告書では、我々の国民生活の中心で、数十年にわたるモラルの欠如があったことが示された。心の底からはっきりと謝罪したいと思う」 スーナク氏はまた、被害を否定してきた態度は理解しがたいもので、「我々の永遠の恥だ」と述べるとともに、被害者への補償を「どれだけの代償があっても」行うと約束した。補償内容は21日に発表される予定だ。 最大野党・労働党党首のサー・キア・スターマーも謝罪し、このスキャンダルはイギリス史上「最も深刻な不正義」の一つだと説明。被害者らは「言葉にならない苦しみ」を味わったと述べた。 NHSイングランドのアマンダ・プリッチャード最高経営責任者(CEO)も、NHSを代表して謝罪を表明。何万人もの患者が「ひどい失望」を味わったと述べた。 「生活を変え、生命を短くするような病気を引き起こした行為だけでなく、患者への明確な伝達、調査、リスク軽減の失敗についても謝罪したい」と、プリッチャード氏は付け加えた。 血液感染スキャンダルとは 血液感染スキャンダルは、NHSで起きた最大の治療による惨事とされている。 調査では、1970年代以降、汚染された輸血や血液製剤によって何千人もが感染した事件をめぐる、50年以上にわたる意思決定を検証した。 5年にわたる調査の結果、意思決定において安全性が優先されていなかったことが明らかになった。 血液や血液製剤によるとウイルス感染のリスクは、NHSが設立された1948年から知られていたと指摘した。それにもかかわらず、患者らは以下のような「認めがたい危険性」にさらされていたと、報告書は指摘した。 ・血液療法で自国の血液のみを使うと約束していたにもかかわらず、リスクの高い供血者のいるアメリカなど外国の血液製剤を輸入し続けたこと。アメリカでは過去、囚人や薬物中毒者が売血していた ・認証当局が、上記のような血液製剤は安全でなく、使用許可を出すべきではなかったと認識しなかったこと ・イギリス国内でも1986年まで、囚人などのリスクの高い対象からの献血を採用し続けていたこと ・1982年からリスクが確認されていたにも関わらず、HIVを排除するための血液製剤の熱処理に1985年末までかかったこと ・政府が1983年、イギリスを代表する感染症専門家の一人であるスペンス・ガルブレイス医師から受けた、HIVのリスクが「払拭(ふっしょく)」されるまでアメリカからの輸入血液製剤を全てNHSから撤退させるべきとの警告を無視したこと ・1970年代以降、肝炎のリスクを低減する試験が欠如していたこと。イギリスはC型肝炎の正確な検査法が発見された後も、先進国の中で最も遅くスクリーニングを開始した国の一つ ・C型肝炎のスクリーニング開始後も、以前に感染した人々の追跡が試みられるまでに4年の遅れがあったこと。C型肝炎は潜伏期間が何十年にもわたる可能性があり、何百人もが診断されないままだと推定されている 調査を主導したサー・ブライアン・ラングスタッフは、スキャンダルの規模は「末恐ろしい」もので、当局はリスクに対応するのが遅すぎたと指摘した。 スキャンダルはどのように隠蔽されたのか スキャンダルの隠蔽についてサー・ブライアンは、「真実を隠した」という言葉がぴったりだと述べた。 隠蔽では、情報開示や調査、説明責任の欠如に加え、文書の破壊など「あからさまな欺瞞(ぎまん)」があったという。 サー・ブライアンはまた、意図的な隠蔽だけでなく、中途半端な真実を伝えたり、人々に何を知る権利があるかを伝えなかったこともあったと指摘。これには、治療におけるリスクや別の選択肢に加え、時には、治療によって感染したという事実を知る権利も含まれると述べた。 そのうえでサー・ブライアンは、このスキャンダルは人々の「生活や夢、友情、家族、そして生計」を破壊しており、今も週を追うごとに死者数が増えていると指摘した。 「この大惨事は事故ではない」 「医師や血液サービス、そして歴代の政府といった権力者が、患者の安全を第一に考えなかったために感染症が起きた」 報告書によると、出血性疾患の子供約380人が、血液製剤を投与された結果、HIVに感染した。 その多くが、本来ならその年齢で直面することのない痛みと恐怖に耐えた末、幼少期や青年期に亡くなっている。 また、本人や両親によるインフォームドコンセント(十分な説明の上での同意取得)がないまま治療を受けた者もおり、報告書はこれを不当としている。 「組織の保身」が被害を悪化させた サー・ブライアンはさらに、公的調査の開始が遅れたことを批判した。 調査は2017年、当時のテリーザ・メイ首相が政治的圧力を受けて発表した。 これほど時間がかかったのは、スキャンダルの主要人物が死亡したり、衰弱して証拠を提出できなくなったりしたためだと、サー・ブライアンは指摘。また、NHSや政府機関、医師らによる「組織の保身」が被害を拡大させたと述べた。 サー・ブライアンは特に、1970年代から1980年代にかけてイギリスを代表する血液学者とされ、1992年に亡くなったカーディフ血友病センター所長のアーサー・ブルーム教授を挙げた。 報告書によると、ブルーム教授の見解は、後天性免疫不全症候群(AIDS、エイズ)の出現に対する政府の見方に「過度な影響」を与え、出血性疾患を持つ人々への脅威が軽視された。 被害者はどんな人たちか このスキャンダルの影響を受けた人々は、主に二つのグループに分かれる。 一つ目は、血友病や、血液が凝固しない希少性遺伝疾患の患者だ。 1970年代に、血液凝固に関わる第Ⅷ(8)因子と第Ⅸ(9)因子が、提供された人間の血漿(けっしょう)から製造できるようになり、これらの患者に血液製剤が使われるようになった。 二つ目のグループは、出産や事故、あるいは治療で輸血を受けた人たちだ。 これらの患者への輸血には、輸入されたものは使われていなかったが、一部が主にC型肝炎ウイルスに汚染されていた。 血液製剤の画像画像提供,GETTY IMAGES 2022年7月と2023年4月にサー・ブライアンが発表した中間報告書では、被害者と家族への補償を勧告している。 これを受けてイギリス政府は、生き残った被害者と亡くなった被害者の家族について、1件あたり10万ポンド(約200万円)の中間補償を支払った。支払いは4000件に上った。 イギリスの血友病協会のクライヴ・スミス氏は、 隠蔽工作があったことは「私たちのコミュニティーにとって驚くことではない」とし、政府が今すぐ行動を起こすことが重要だと述べた。 (英語記事 PM apologises after infected blood scandal cover-up
英首相、血液感染スキャンダルの隠蔽を謝罪 3万人が輸血や血液製剤でHIVや肝炎に - BBCニュース
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onishihitsuji84 · 11 days
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月��読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば、それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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poetohno · 3 months
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混沌の洪水 6 おまけトーク(仕事についての考察)
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「濁流」
濁流 飲み込まれ 溺れ 左右 上下が反転し
圧倒的に迫り来る 求めても藻掻くだけ 出口は閉ざされている 決して触れられはしない 失望
何もできない ただ呼吸を求めるだけ
孤独と混沌の中で手を伸ばす
奔流から抜け出ようと 手を伸ばし求めるだけで 痛みが奔る 広げた手は何も掴めはしない
手を伸ばすことを諦めることは 死ぬことと同じだった 絶望し 死を待つことと等しかった
できるはずがないと 恐怖で狂いそうになりながら 深淵の底で叫ぶ
―こんな人生を求めてはいない―
理由さえも分からないというのに
人生は何だったのか 広げ続けた手を虚しみが覆っていく
何も掴めないよりはまし―
簡単に押しつぶされて 手の中で黒い塊となる
手に宿すのではなく 心に巣くう魔物
憎しみ 胸を掻きむしりながら溺れていく
耐えきれずに開いてしまった口に 容赦なく水が注ぎ込まれる
……… 沈んで 飲み込まれて
苦しみに吐き出そうとも体内に入り続ける 己を食らい尽くすように
内なる混沌と衝突し業火となる 幻想は黒い炎によって灼かれ
力尽きた手が下がる 身体は底へと目指すかのように沈んでいく
出ることは叶わない 望むことを諦めたのだから
気づけば彷徨っている 永遠の雨の下を
降り注ぐのは雨という名の記憶 感情
今まで手にして抱いてきた数々のものが 無惨に捨てられていく
雨を終わらせることはできない 自分の世界であるというのに
たまらなくなって笑い始める
顔を押さえて笑い声は留まらなくなる ついに狂ってしまった
この人生は 滑稽で あまりに無意味であり
なぜ生きてきた 何を求めて全てを手にしてきた
まるで道化師 手品は終わり劇の幕は閉じたのか
雨の下で目的もなく彷徨い歩く がらくたとなった残骸を踏みつぶしながら
どこへ行こうとどこにも行き着くことはない 雨はやがて世界を沈ませる
無価値なものに埋められて死ぬなら 実に自分らしい
歩くことさえも意味がない 静かに立ち止まり朽ちていけばいい
足を止めた足下に 何かが舞い降りた
感情と思い出はなぜ今まで生きてきたのかを問いかけた
しかし問いには答えられない
一体何のために生きていたのか
過去の全てが終着するなら
答えも落ちるのではないのか
―探さねばならない
生きた意味など今更求めはしない
死ぬ場所はここではない気がする
見つけた場所が終わりの時
世界が閉じる前に出会わなければならない
命の結末を
大地は彩りを失い 空は崩れ落ちそう 世界を探し歩く 過去を拾うためではない
未来に何を残すのかを 知らなければならない 無意味な人生が 終焉し何が始まるのかを…
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0nce1nabluemoon · 1 year
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
  「青べか物語」 -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
「夏の闇」 P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
 「夏の闇」 P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
 「夏の闇」 P.
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
 「非暴力の力」(ジュディス・バトラー)P.33
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manganjiiji · 8 months
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点���苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、この辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは言明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税控除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用に関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に絶望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達はいなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けてきた。素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲けなのは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ」と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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alaephoenicis · 1 year
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死後に何が起こるのか?🕯️
前世の記憶があるロビン・カイザーさんの話
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オリジナル動画:https://youtu.be/dQARYL3BdCc
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
死が訪れた後、何が起こるのでしょうか。
誕生と死は、あなたの魂の旅において最も本質的な2つの転機であり、この境界を越えるときに起こる変容のプロセスは、通常、あなたが生涯で経験したどんなことよりも深淵で変容的なものです。
地上での身体的実体から離れたとき、転生した意識が何を経験することになるのか、その全体像を知るための旅に皆さんをお連れしたいと思います。
以下のシナリオはすべて違った形で表現され、体験されることもあるでしょう。なぜなら、死後に体験しうることの範囲は、根本的に地上世界での体験の範囲をはるかに超えているからです。
かつて地上には、死ねばどうなるのか問うことなど全くしない時代がありました。それは、自分の人生がそれらの世界からの延長線上で続いていることを当然のように洞察していたからです。
この問いが、多くの思想や思索、宗教的概念の出発点となったのは、人間が徐々に自己を忘れ去っていったからに他なりません。
多くの宗教は、人が魂の旅を続ける世界について洞察を欠き、それに応じて地上での生涯を枠にはめてしまうことに基づいています。
現代人が落ち着きや人生の方向性を完全に失ったのは、自らの転生の仕組みがわからなくなってしまったからです。
こうして、方向性が失われた状況の中で、少数の者たちには利益がありました。
地球上の人生なんて80年経てば終わるし、今まで生きてきたこと、経験してきたことはすべて無に帰する、と思っている人は、当然、自分の存在に不安を抱くでしょう。
また、自分がしてきた本質的な経験の層から、その意識というものを切り離すことが出来ていないと、輪廻転生についての疑問を投げかけたりは出来ません。
転生に関する知識には科学的な証拠がありますが、これらの議論は、自ら創り出した経験世界の眠りから意識を目覚めさせるには、ほとんど役に立ちません。
というのも、地球上であなたを導く転生ゲームの魅力の一つは、まさにゲームのボード上の限界を見極めることができないことにあるからです。
あなたは、ボード上で転生へと導いてくれる道を心得ているし、また、あなたが亡くなった後に開かれる道も、すでに何千何万回と歩んできた道なので、熟知しています。
同じスーパーにもう1000回も行っていれば、次に買い物に行くとき、いったいどうやって行くんだろう、買い物から帰ってきたらどうなっているんだろう、と思うことはないでしょう。
たとえ道中の経験が変わりやすく、他の存在に出会うなどして、毎回異なる自分を経験したとしても、道は常に同じです。
大袈裟な言い方をすれば、すべての魂は、人間として生まれるために、同じ宇宙の針の穴をくぐらなければならないのです。
そして、その入り口と地上の経験によって、出口となる門がどこなのか、その門からどのような道が展開されるのか、が決まります。
一生の間に経験したことはすべて、その人の退場の仕方に反映されます。このようにして、閾値の移行期に多くの人が表現する「人生の映画」現象が発生するのです。
意識は早送りで人生の主要な出来事に導かれ、個々の場面を健全な距離で再び観察するチャンスを与えられます。
人生映画は線状に構成されているわけではなく、人生の場面をその感情のエネルギーの連鎖の中で見せてくれるので、観察している意識にとっては、なぜある事柄がその人生の中で別の事柄につながったのかが明確になるのです。
ほとんどの場合、この段階にはすでにソウルグループからのガイドがいて、一緒に人生の連鎖を振り返ることができます。
この世の世界とあの世の間には、いわゆるバルド*と呼ばれる中間世界があり、意識は、それに応じて転生の用意をしたり、振り返って反省するために、そこを通過しなければなりません。
*Bardo :和訳は『中陰(ちゅういん)あるいは中有(ちゅうう)』:チベット仏教の教えで、現世と来世の間で起こりうる意識の状態を指す言葉。
生前に精神的、感情的な硬直状態に陥った人は、この中間領域に長い間留まり、魂が旅を続けられなくなることがあります。
例えば、肉体生活におけるある側面への強い執着が死後も意識の中にある場合、意識はそのレベルの経験に縛られたままになります。奇妙な話ですが、このように意識を肉体世界に閉じ込めている、非常に地上色の強い人の中には、肉体の死を全く意識せず、自分の死を否定することで生前のように暮らし続けている人もいます。
幽界からは物理的なものを動かせなくなったこと、そして他人に見られたり聞かれたりすることがなくなったことは、自らの死を受け入れることがあまりにも耐え難いため、単に無視されることになります。
もし、肉体がなくなるとすべてが終わると強く信じている上で、自分の死を否定してはいないなら、その考え方が原因となって、何も存在せず何も起こらないバルドに移動し、その魂は旅の途中でこのバルドから非常に長い間、抜け出せないままでいることがあります。
人為的に無にされているバルドに魂が逃げ込んでいる時、それは一種の遊休駅のようなもので、高次元の存在と混同してはならないものです。そこでは特別なものは存在しないし、特別な何かが起こることもありません。
経験を積もうと転生した魂の向上願望は、遊休駅に長く滞在することによって低迷し、自己否定の度合いを高めてしまうこともあります。
基本として、地上でその存在が具現化されている最中なのか、それとも他の状態にあるときなのかにかかわらず、存在自身に起こることは常に本人の信念によるものなのです。
そして、地獄行きを硬く信じてい生きている人ならば、そこで煉獄観を修正するのに大抵はそれほど長くはかからないとしても、自分が抱いた観念がすぐに結果として現れることを経験するので、死後に何が起こるかは明白なはずです。
つまり、永遠の煉獄というものは存在しないのです。
また、人間が生前に意識的・無意識的に魂を売ったり、ある契約を結んだとしても、その契約が有効であると信じなければ、その契約は超次元的な効力を持つことはありません。
物理的な次元を離れた存在が再び入ることのできる経験世界は無数にありますが、それでも大抵の場合、自分の内なる意識の状態に最も近い世界へと自動的に導かれます。
むしろ、前の地上界と同じような構造をしている近くの幽界に入る可能性の方が高いのです。
それは、地上での記憶がこの経験世界を作り出しているからであり、宇宙的カルチャーショックを引き起こすような経験世界に直面しないように、世界はとても慈悲深いものになっているからです。
ほとんどの世界では、突然その中に身を置いてしまうと、人間は深く揺さぶられ、怯えることになり、高次の天界にさえ恐怖心を抱いて反応し、自らのエネルギーシステムを閉じてしまうのです。
地上での活動を終えたばかりの存在のエネルギーシステムがある程度オープンであるためには、慣れ親しんだ環境が必要であり、ソウルガイドは、超自然的な美しさと慣れ親しんだ環境を兼ね備えた世界に新しく亡くなった人を招き入れ、そこでさらなる旅路の可能性を伝えることに熟練しています。
死後、海辺のビーチで美しい夕日を眺めるという体験的な空間に移動する人もいます。
また、山の高いところなど、生きている間に同じような体験をした自然の中にいる人もいます。
また、多くの愛する人々が登場する場合も多く、最初はただ地上の状況について語るだけだったのが、徐々に全く異なるレベルの経験が広がっていることが分かってくるようになります。
幽体を通して得られる官能体験は、少なくとも肉体を通して得られる体験と同じ鮮明さ、鋭さのあるリアリティを持っています。
初期の順応段階を経ると、終わったばかりの人生のフラッシュバックが何度も起こるもう一つの現実があり、すべての経験を魂レベルで統合するために、精神と情緒のレベルで人生を徹底的に解明することが目的となります。
死後、地上での経験は、意識作業によって、魂が吸収できる情報形式に変換されます。
経験豊かな魂であればあるほど、この統合と転換のプロセスはスムーズに行われ、人は高い意識からもう一度、地上での経験を歩むことができるのです。
人生の場面はどこでも何度でも再生できますし、そのとき、自分の目からではなく、その場面にいる他人の目から眺めるという体験ができる特別な機能もあるのです。
地上での経験を統合することの一端は、自分が自分の振る舞いについて帰結を導き出すために、相手の経験的な観点から自分が経験したすべてを追体験することです。
ある程度の自覚と洞察力があるならば、どの強姦魔も自分の行いを被強姦者の皮膚から体験することを自由意志で選択するでしょう。
そして、この視点の転換によって、それに伴う学習プロセスが始まり、カルマの均衡がもたらされるのです。
生きている間に、自分の言動をすべて相手の目から認識する者は、二元的な経験における片寄りから脱却することができるでしょう。
これ以上カルマを積み重ねることことなく、統合意識へより深く到達することができます。
自分本位で多面的に捉えることができない者は、転生後、人生のすべての場面をまさにその同時多面的に経験する意識に導かれます。
その意味で、死後、審判や評価の権威が存在することはなく、あなた自身が、拡張された知覚、すべてを包括する視点に基づいて自分の行動を評価し、あなたの価値観に従って、新たな人生設計を記すことになります。
もしかすると、転生後に自分が社会的、感情的な面で悲惨な失敗をしたことに気づき、特にその経験を克服することを含む来世の人生設計をすることになるかもしれないのです。
人生と人生が直列に擦り合わされるのではなく、自分自身でいくつもの人生をデザインし、いくつもの体験レベルに同時に浸り、それに応じて死んだ後で自分自身に出会うということもあり得るのです。
死後、他の世界で体験した自分自身と、何とも言えない深いつながりを感じる分身に出会う可能性が非常に高いのです。
魂の旅には、転生後に定期的に集まり、それぞれの世界での体験を伝え合う俯瞰的な場があるのです。
だから、あなたには死後、地上での経験を変換する任務があるだけでなく、それを共有し、あなたの多次元的存在の別の側面に地上での経験を伝える、という名誉も与えられているのです。
そして、これだけはすでに言えることです。地球学校を卒業した存在は、その完成度の高さから、宇宙の他の場所でも尊敬され、評価されます。
なぜなら、地上での体験は他のレベルの創造物にとって超然たる高い価値を持っているからです。
ある意味で、そしてある種の世界では、あなたが戻ってきたとき、祝福されることでしょう。
死の後、あなたの魂はずっと前からあなたの帰還の祝宴の用意をしているかもしれません。
この饗宴で、あなたは転生の旅の苦しみから完全に立ち直ることができますが、野心的で成長を望む魂の存在の中には、非常に早く別の具現化を決心する者もいます。
あの世の暦はまるっきり違うので、この世の暦で死んだ人が何日か後にまた転生してくるということもあり得ます。
しかし、魂が転生するのは平均して一世紀に一度程度です。
地球での生活が過酷なものであればあるほど、あの世での回復と再生の期間も長くなり、2世紀、3世紀を平気で飛び越えてしまう人もいるかも知れません。
ここで、もう一度強調しておきたいのは、異世界の多くは時間をも超越しており、昇天した者はどの時代に新しい人生を送るかを自由に選択できることです。
つまり、「いつ」「どこで」というのは、常にその人生設計に対応したものになるわけです。
人生設計とは、人がその可能性を現実するために、そして自らの潜在能力を実現するために、自己を滑り込ませることができる経験としての可能な枠組みのようなものです。
しかし、人生設計で重要なポイントが満たされなければ、次の人生設計に持ち越されます。 転生に高度なカルマを持ち込んだ人の多くは、長い人生設計に過去の転生でおろそかにしたポイントを抱えています。
人生設計のあるポイントを達成するために、魂からある種の圧力がかかることがありますが、その尺度は常に対処可能な範囲にとどまり、該当者が壊れてしまうほど高度なものになることはありません。
もし、人生における重圧が過度に耐えがたいものに思えるなら、その重圧はあなたの魂から来るものではなく、あなた自身が作り出したものであると断定してよいでしょう。
魂は、地上での経験をまったく別の目で見ています。なぜなら魂にとって、すべての経験は経験に過ぎず、あなたがどう評価しようとも、すべての経験はそれ自体で価値があるものだからです。
そして、肉体がなくなった後に再び利用できるようになるのは、まさにこの魂の景色なのです。
もしあなたが生きている間に、魂のレベルで観察することになるなら、とりわけあの世であなたに寄り添ってくれるような体験シーンが見えてくるはずです。
魂レベルとの結合は、この世とあの世の間の分離のベールを剥がし、特に肉体の逝去によって、私があなたに明かすすべてのことが、身体的存在としてのあなたに開示されるようにしてくれます。
もし生前のあなたが、魂的なレベルで物事を眺めていれば、あなたには、特にあの世に行ってから身近にもたらされるような経験の側面が見せられることでしょう。
魂レベルでの結合は、この世とあの世を隔てるベールを取り払い、特に身体的存在の逝去に伴って明らかになるすべてのことを、あなたに開示するようにしてくれます。
このため、魂との神秘的な結合は、常に死のプロセスのように描写されます。
死後はどうなるのかという問いに対する答えは、魂との結合という「錬金術の結婚*」にあるのです。
*『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』:参考🔗
また、肉体の中で魂の生活を営む者は、肉体から離れても死ぬことはありません。
身体的な死のプロセスが始まると、人間という存在は自分をクラウン・チャクラを通して身体からリズミカルに押し出そうとします。
肉体に入ろうとするときも、肉体から最終的に離れようとするときも、人は針の穴のようなところを通らねばなりません。
そして、そこを通り抜けるには、それなりに労力が要るものなのです。
あなたをこの世の具現的姿へと生み出したエネルギー的ポータルである産道を、あなたは逆方向へ通って去っていきます。
そして、死は終わりに小さな光がある長い暗いトンネルである、と表現する人はすべて、このエネルギー的な誕生経路のことを指しているのです。
さて、皆さんの中には、死ぬ間際にこの光に焦点を合わせ、その中に入っていくべきだという説があります。
また、そこには輪廻転生の罠のようなものが隠されているから、光の中には一切入ってはいけないという説もあります。
幽界には、死者を地球の近くに留めておくために作られた、一種の捕獲網、あるいはエネルギーグリッドが確かに存在しています。
そして、特に地上のしがらみや 執着が残っていると、亡くなった人はそのグリッドにはまり込んでしまい、高次の領域が閉ざされたままになってしまうのです。
肉体が亡くなれば、魂レベルとのつながりが即座に完璧な形で実現されるわけではなく、人間は死後、やはり自分が生前に築き上げていた魂レベルに、ほぼ相当するつながりの深さを許容するしかないのです。
つまり、エネルギー的なアストラルグリッドや低い波動の存在圏から抜け出せるのかという基盤は、生きている間にすでに築かれています。なぜなら、具現化された状態からしか変えられないものが、確実にあるからなのです。
サッカーの得点も、休憩時間ではなく、試合中にしか変えられません。
あの世での休止期間中に、自分の人生のインサイダープレーを根本的に反省し、新しい戦略や計画を考案することはできても、人生をマスターするためには、具現化された土俵の上でしかそれらを実践できないのです。
ワンハーフが終わって光の方へ行くか行かないか、あるいは休憩中に何をするのか、それは次のハーフに間接的な影響を与えるだけです。
トンネルの先にある光は、幽界のグリッドが仕掛ける誘惑の罠ではありません。
そして、自分自身が純粋で、心がもつれていない人は、これらの層を問題なく突き進むことができるのです。
しかし、それは暗いトンネルでもありません。なぜなら、この世とあの世のあらゆる内的な感覚的現象は、意識から生み出されるからです。
あなたの生と死に寄り添う最も確かな道しるべは、あなたの心の声なのです。
そして、その心の声と深く結びついている者は、来世においても、あらゆる心のもつれや罠を乗り越えて、それに導かれていきます。
しかし、もしあなたが生きている間に、何度も何度も盲目的な自己忘却の罠に陥り、自分自身から自分を切り離していたのなら、自分自身と再結合することを学ぶ道に、あなたは死後、捕えられるのかもしれません。
あの世ではある程度の内なる分離が許されますが、その量が多すぎると、あなたは引っ捕まって地上の土俵に直に投げ出されてしまうことになるかもしれません。
人によっては、回想と再統合のための時間を比較的短く済ませることができる者もいます。
一方、輪廻転生を繰り返しながら、自己統合の道をミリメートル単位で進んでいる人もいます。
魂の旅は、8000メートル級の山々を上った道と同じ程度の距離であり、一度転生するたびに、その一歩を踏み進めたことになります。
したがって、海辺の砂粒の数は、あなたが具現化した魂の数よりも少ないのです。
それでもなお、自分の内なる魂と神秘的に結ばれることで、この旅を完成させる義務が。あなたにはあるのです。
そして、あなたが自らを忘れて生きる、ということは、もともと想定されていたことではありません。
元々、すべての経験は、一つの身体から次の身体へと引き継がれていくものでした。
そして、あなた方は自分の���現化したものが相互に関連し、どのように成り立っているのかを意識できていたのです。
それなのに、輪廻転生を介した学習と記憶の糸が極めて規則的に遮断されることで、あなたの具現化体験は全く異なったものとなってしまうのです。
具現化状態に入るとき、あなたの意識を覆ってしまう忘却のベールは、前述したエネルギーグリッドと関係があり、これはあなたの地球の周りに人工的な磁場を張り巡らせています。
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この磁場を中を魂がさまようことは、ある種の削除ボタンのようなもので、そのボタンがあるレベルで過去のすべての経験を記憶から抹消し、より高い波動のレベルへと移行させるのです。
冒頭でお話したバルドは、地球を取り巻く磁界層に存在する意識を抹消する空間です。
こうした消去空間において、存在は真に自分に属さないものはすべて失うことになります。
そして、自分自身の内なる意識の深いところに生き、自分自身と一体になった存在だけが、消去空間で自分を見失うことなく通過することができるのです。
異空間では、生前に自分と繋がれていたのかどうかが試され、繋がっていない場合は、再び具現化へと戻されることになります。
あなた方の大半は、自分の輪廻転生の記憶の糸についてほとんど認識していないにもかかわらず、あなた方の今生は、この糸とドッキングしている、あるいはそれを引き継いでいるのです。
そして、記憶の糸全体があなたの意識の中に再び現れる時は来るでしょう。
人生は常に途切れている形態では限られた意味しかなしません。あなたの記憶の糸が放つ光を、すべての人生の原点まで遡れば、あなたの存在の意味は疑いなく開かれていくことでしょう。
あなたの地球上での遊び場の境界が、磁気消去領域とともにどんどん溶けてくることで、あの世の記憶があなたの元へやってくるようになります。
閾値を越える際の遷移が、よりスムーズになりつつあり、かつては大きな一歩だったものが、現時点ではほとんど負荷がなくなっています。
この世とあの世、地上のものと霊的なものが今、あなたの中で統合されようとしています。
そして皆さんは、具現化した後に自分を待ち受けているものが何なのかも、無言のうちに深く洞察することができるようになるでしょう。
皆さんの中に生じる「死後はどうなるのだろう」という疑問が静かな内なる確信へと変わり、その疑問がまったく生じなくなるような感覚になれるよう、私たちの言葉をもって寄り添うことができたことを、心から願っています。
あなたという存在が、この確信に深く満たされますように
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saritamix · 2 years
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違和感
8/27
深夜~朝
子の泣き方がいつもと違うことに気付く。お腹が空く(通常2~3時間間隔)と怪獣のように泣いて主張⇒ゾンビ飲みをするのに泣かない。起こしてミルクを飲ませる。
体温が高めで測ると38.5°Cを越える。色々調べて薄着にさせたり室温を下げる。体温下がる。
熱がまた上がる。泣き方も弱々しいし、オムツ替えの時の暴れもない(いつもは足をバタバタさせて泣くことが多い)。ミルクを飲みながら苦しそうに唸る。
●今回の発熱についての懸念点
子の面倒は平日の夜間は私、休日は夫と共に面倒を見ていた。平日の昼~夕にかけては義実家(上の階)に預けていた。第二子を出産して里帰りしていた義姉も面倒を見てくれていた。第一子は保育園に通っている。この日の昼、里帰りを終える義姉の引越し手伝いのため、子と私と夫の3人で上の階に向かう。義姉は発熱のため別室で寝ていた(コロナかどうかは不明だった)
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⇒夕飯を食べながら経過を見ていたが、怖くなり#8000に発信
⇒私がかけた時は繋がらず、少し時間を置いた後に夫がかける
⇒いつも通っている大学病院に電話をした方が良いと勧められる
⇒マスクが出来ない、ワクチン未摂取の子どもは熱がある場合、問答無用でNに入院しなければいけない
⇒大学病院のNの空きがないので、家の近くの総合病院に連携される
⇒タクシーに乗って緊急外来へ向かう
ぐったりした子と共にタクシーで病院に向かった。病院はタクシーで20~30分の距離にあった。本当はいつも通っている大学病院の方が安心感はあるが、空きがないならどうしようもない。せめて良い病院であることを祈りながら子の手を握っていた。
病院は想像よりも大きかった。インターホンを押して名前を伝えると、緊急外来は別の入口だと伝えられる。グルっと大きく外周させられて入口に向かう。あまりの遠さに苛立つ。やっとのことで入口に辿り着き、インターホンを押して再度名前を伝える。看護師に扉を開けられ部屋に通された。
コロナ陽性の疑いを強く持たれているとここまで徹底された対応をされるのか、と思うくらい看護師の対応は冷ややかだった(医療従事者が倒れたら大変なのは承知している)(人によるのかもしれないが指示や口調そして表情、あまりの冷たさに驚いた)
しばらく待つと小児科医(M先生)が入室して来た。看護師があまりに冷たかったのでこの病院に対して早くも不信感が芽生えていたが、M先生は柔らかく丁寧な口調で対応してくれ安心した(後に知ったがM先生は大学病院でお世話になっているI先生と繋がりがあるらしい)
診察と検査を進めるに当たって先生と私と夫で話したが、驚いたのは子の情報だけではなく私の病気についても細かく連携されていたことだった。私が8月末に再入院して、9月に手術があることまで伝わっていた。M先生からは 「お子さんにはコロナの疑いがあるので、免疫力が低下しているお母さんが一緒にいるのは危険。感染したら手術が受けられなくなるし、今の体では重症化する恐れもある。これ以上同じ空間に居ない方が良いから、お母さんだけ先に帰宅して下さい」 と優しくも毅然とした口調で伝えられた。戸惑い渋ったが、先生と夫に強く促され仕方なく1人でタクシーを呼び先に帰宅した。
帰路に着く車内では複雑な気持ちだった。子が苦しんでいるのに、一緒に居て見守ることも出来ない親なんて…私が来た意味は何だったのだろう。でも、先生の言っているリスクも分かる。これでもし、コロナに自分がかかったら全てのスケジュールが一旦白紙になる。それだけは避けないといけない。頭では理解していたが、あまりにも悔しかった。
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8/28~8/31
結論、子はただの風邪だった。子は8/31に退院し、私は8/30に入院したので入れ違いになった。
術後、問題がなければ退院予定は9月中旬。それまではしばらくお別れ。
今しか見れない成長を夫と一緒に見れないのは寂しいけど…どうか健やかに過ごしていてね。
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bailonglee · 13 days
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巨万の富
今や誰しも知る、この地球に、スターシードと、地球由来の人間、そして“犬の魂”が人間になっているw🙂
そして私、李白龍は、アセンデッドマスターの一人、天から声が聞こえたのは、本人すらビビッたw🤣🤣🤣✨
それは、畏怖ではなく、威厳でもない、宇宙の計画に過ぎず、羨望も、要らない。
巨万の富、ルシファーらの再戦、パンデモニウム神殿と、金。。
アセンデッドマスターなのに、何故貧困のどん底にまで落ちたか?w🤣
ちゃんと、聖書に書いてあるw🤣🤣🤣✨
『右手或いは、額に666の無い者は、飲む事も、食べる事も、買う事も出来なくなるw』
まさに、予言通りw🤣
アセンデッドマスターは、沢山いる🙂
それは、私達には、理解出来ない。
恐らく今の人間の大脳皮質では、絶対理解出来ないだろうw🤣
さて、そんなスピリチュアルは、別の機会w🤣
巨万の富について、話をしたい。
深田萌絵さんが、初任給12万円だった話を、公開してくれた。
あれは決して大袈裟ではなく、本当にそんな時代…
僕は高校時代、西麻布のスーパーで働いた🙂✨
高校は規則でアルバイト禁止、大学受験のため、高校3年の時期、特に通わなくて良い時期があった。
もはや卒業間近だし、春日部の高校生が、西麻布��働きに行くのを、教師が確認する術はないw🤣
僕��とり、初めての社会経験🙂✨
最初は、品出し。
でも雑務慣れ、レジ打ちも教えてもらった🙂✨
楽器大好き人間、“慣れる”はお手のものw🤣
というのも、1980年代当時、レジほ指で入力するタイプの物が大半🤣
そして西麻布というお土地がら、飲食店が沢山買い物に来る。
だからレジ打ちだけではなく、〚重い物が下、軽い物が上、商品は豆腐だろうが、絶対壊さない、お客様が持ちやすいよう、お酒混じっても、破れぬよう、袋に入れながら、レジを打つ。〛
ま、こんな複雑な事が、普通に要求されたw🤣
『君器用だね!』
社長にも褒められ、ピーク時間も任せてもらうように、なった。
スーパーマーケットって、総合職。
品出し、接客、レジ、全部やる。
それは、「仕事ってなぜやるの?」を学べた。
頭に来て商品を雑に扱えば、お客さんの信用を、店が失う。
なぜ先入れ後出しみたいな面倒な事するか、1円単位でも、利益確保、そういうシビアな面もある。
まあ、勉強になった。
そんなに一生懸命やっても、時給は950円とか。
決して巨万の富など、得れない。。
ロスジェネか。。
よくわからんし、そうなのかも知れないが、ただの言い訳と言えば、それも正しいw🤣
ただ、
“フリーアルバイター”なる言葉が出来たのも、その時代。
僕は音楽関係がやりたかったが、親には許されなかった。
「これからの時代は弱電(コンピューター分野を、昔はそう呼んだ)の時代だから、弱電関係の仕事に、つきなさい。理系の大学に、行きなさい。」
姉は、見事、工学部合格。
僕高校3年になり、何だか馬鹿馬鹿しくなったw🤣
なんでこんな受験みたいな馬鹿げたこと、やらにゃならん?
坂本龍一がやってること、渡辺香津美がやってる事、マイケル・シェンカーがやってる事、よっぽど意味や価値があると、思ってた。
だから、18歳で父と決裂し、家出少年になってしまったんだがw🤣
今支配層の連中、今や年収何億、そんな金持ちたち、彼らはどう見ても、
『クラスを引っ張る、明るい小学生』
、ではない人ら、クラスを盛り上げるリーダーを、ただ見つめてて、リーダーの子らが話しかけても、ただニコニコ笑うのが精一杯、そんな人らが、世界の表舞台に立っていますw🤣
そしてある意味、良かったw
僕はいじめられっ子を助けたり、クラスで大人しい奴らに、よく話しかけたw
弱々しく笑い、鉄道が好き、だの、電気が詳しかったりして、
なんだ、普通に出来るやん!、って感じてたw🤣
イーロン・マスクの一連の行動を見て、
劣等感の塊やん、としか感じないw🤣
まあただ、
巨万の富だけを持つ意味の無さを再発見出来たし、金があっても、一向に有効な事出来ないのは、所詮いじめられっ子の復讐心の塊は、ばら撒くっていう素晴らしさを、知らないんだね。。
やはり富とは、私達の内側にあり、それは宇宙と繋がっていて、札束だけを追いかけても、そのうち、札束は紙切れに化け、価値も意味も、失うと、知った。
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nemosynth · 20 days
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NHKスペシャル 山口一郎 “うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~
以下、わたくしごとです。過去の経験談
息をするのも辛い 呼吸しているだけで無限の徒労 毎秒毎秒が25mプール、泳ぎきれない
筋力ない、マッスル使えない 波の浮き沈みとともに浮かぶブイみたいに息遣いとともに上下しながら、筋肉の力ではなく自然な自重の重たさとややもすると沈みかかる自然の浮力だけでのこぎりの歯を上下させてなんとか少しずつ木材を切っていくような、仕事として切るように定められた木材を切っていくような
ただただ息をしているだけ
昔から呂宋助左衛門ごっこというのがあって、激務で疲労困憊してる月曜日の朝、波打ち際に横たわりながら、上陸するでもない海に流されて溺れてしまうでもない、どっちともつかないところを疲れ果てて力もなく寄せては返すひねもす波とともに腕の先っちょとか上下しながら、それでも口開けて半眼で「ぁあぁあぁああああぁあぁぁぁぁぁ」と力無く漂うような漂着したまんまの漂流者気分で居続ける
それがもっと永遠に近い長さで、ずっと息しているだけでも辛くてそれでも惰性でずっと倒れているような生き様というのか、そんな時間、いつ終わるともしれない
極度に強い予期不安もあった 親しい人であろうと来訪者があったり、とにかく予定を組まれるともうダメ、本番恐怖症、予定を万全で果たさなきゃという期待に勝手に自分で押しつぶされてえずいて吐き倒して予定をキャンセルして脱走する、まさに本番恐怖・症 飛び込み出来てくれたほうがまだ火事場の馬鹿力で対処できる、ただし30分くらいまで、それも1日にせいぜいひとつだけ
嬉しいことも辛いことも、プラスマイナス関係なく感情の振れ幅の絶対値に応じてしんどい。再婚できた嬉しさでかえって調子悪くなってしまって、妻が自分のせいなのかと悲しげに怒ってきたこともあった
他にもさまざまにままならない強い拒否に突き動かされること多数
きっかけはパワハラ
もともとカミソリみたいな男だった。触るな危険。やばいやつ
そんな僕だったからこそ記者発表から何からエースプレゼンテーターとして任されていたし、難しい商品とかになると世に出るか出ないか存亡が私の双肩にかかっていたから、僕がなんとかしなければ文字通り世界が変わらないから、これが刺さる人々が僕を僕が発する声を待ってくれていたから、全宇宙が僕を待っていたから、そう思ってた
でもダブルクリックしたら安定してプレゼンを再生してくれる、みたいな扱いでどんどん「え、それやるんですか?」とエスカレートする職務。無理ですと言うと出来る出来ないじゃない、やれ、という話になり、自分もその通りだそれがプロだと思っているからそれに応じて疑問も抱かず、どんなに疑問があってもプロなんだからと自分を鎮圧軍の戦車みたいに圧殺して頭から特攻
だから予期不安、極度の本番恐怖症
ある日、足元が崩落 まさにプレゼンせんとすという瞬間、足元が崩落、必死で椅子を引っ掴んでそこに尻もち、奈落へと引き摺り込まれかかるのを椅子にしがみついてプレゼン開始、それがまさに氷山がごろんとひっくり返った瞬間、まったく裏返ってしまう自分のキャラ、見たこともない知らない自分が顔を出す。 帰宅途上、音楽という音楽が大嫌いに。なんという傲慢、なんと言う自己顕示欲、なんというマウンティング、その塊にしか聞こえない。
医者からもカウンセラーからも不治の病という診断、一生治りません
そもそも最初はきっと物理的な病気に違いないと思って神経科へ受診したけど先生の表情がどんどん怪訝になっていくので「これって精神科ですか?」って聞いたら「そりゃそうでしょう、だって原因が明らかなんだから」と。
で、行った精神科は予約不要だったけど薬を処方するばかり。とはいえ薬で結構楽になったからまだまだ仕事できると思って服用しながらエースプレゼンテーター続行。自分もそうしたかったし、自分がやるしかないんだ自分しかやれるやつがいないんだ、でもなんで結局いっつも俺一人で世界を牽引してんだよなんで俺一人しかいないんだよ
でも2年たってもある一定の線からどうしても浮上せず頭打ち。埒あかないのでセカンドオピニオンを聴きにいったら、薬とカウンセラーとを併用したほうがいいという診察になり、そっちに鞍替え
仕事もいきなり��される、それがまた衝撃。だから職場の給湯室の隅っこでよく目を両手で覆って頭を抱える。息をするのも辛い日々が始まる。
不安障害
行きつ戻りつ、揺り戻しの日々。生きていくのはなんと辛いことかと
一生治らないって言われたのに、結局16年半で治った
還暦のころ寛解できてたらいいね、だったのに、本当に16年半で治った。治った原因は誰にも分からない。人事担当者によると、あれはネモさんだから治ったんだと言う。なんやそれ
徐々に治ったのでもない 最後の1年位かけて急速に浮上してった
そもそもの最初は2、3年かけて急速に悪化。そこから底を這う深海魚みたいに横ばい。時に真っ暗な海溝がぱっくり口を開けてさらに引き摺り込まれてぐんぐん沈没。揺り戻し。あらがいたいけど、あらがうこともできない。電池切れ。生きていくための電池切れ
リハビリがてら地道な仕事していると、仕事を覚えないというので先輩に怒られてさらに沈没 でも私にとって優秀になるということは再び経営陣に叩かれるという恐怖なので、優秀になることを否定しなければ生きていけない
ままならぬ、わがこころをかかえつつ しなやか、したたか、生きてゆきたき
十年近くたったころ、DAWを学んでなんやしらん作品をつくりはじめた。気分を落ち着かせるために写経するみたいな気分。でもそれは静かな生きた証でもあった。なによりもかつてensoniq VFX-SDとRoland VS-1680とで作品を作って以来、すんごく久しぶり。録音してみよう、そのためには今のメソッドとしてDAWを学ぼう、という気になったことそのものが、そもそもの進歩
そのうち経営がおかしくなり、外部からコンサルが来て社員インタビューしたいというので真っ先に僕が選ばれた。おびえて突き動かされながら言いたい放題言ったら「心が不安定かもしれませんが、おっしゃっていることは正しいです」と言われた
その数年後、1年かかって少しずつ力がもどってくるとともに同時に不安も強くなりつつも、徐々に薬を間引き、飲む間隔を伸ばし、最後に飲むのをやめたら、数日のちに坂道を転がり落ちるみたいに調子悪化。それを世間では離脱症状と呼ぶのだと後追いで知った。 やっぱダメかまた薬漬けに戻るのか結局一生これかとがっくりしたが2ヶ月かかってまた良くなってきたので、もっぺん減薬して最後にやめてみたら、今度は本当に治った
治り始めると逆の不安もあった。それまで薬という杖をついて生きてきたわけで、それが突如としてぱぁ〜ん!と取っ払われた気分。おろおろする。で、用心しながら足を踏み締めて歩く
未だに治ったのが嘘じゃないかと思える あんなしんどかったのに。心もままならなかったのに
元のヤバいやつに戻るのではない。一部それを期待してる向きもあったけど、あっさり降りた。新しい自分になる。ドタキャンもできるようになった。セイフティネットが先。無駄な我慢もしなくなった笑。明鏡止水なことが増えた。 そして何よりも妻に感謝して何度も話して何度も食事にも連れてった
自分に必死すぎて16年半の記憶がほぼない。でもそれはそういうもんなんでしょう
もし職場にて「あやつは深淵から生きてかえってきよった」そう思われてるならどうぞ。仕返しはしない。でも、言わんとあかんことは今度こそはっきり言うから
LA在住カナディアン上司に笑顔で言ったことがある 「Like "Heaven gave me the second chance"(天は二度目の機会を与えたもうた、みたいな)」 したら笑顔で 「Yeah, and I'm happy to see your phoenix moment.(せやな、ほいであんたの不死鳥モーメントに立ち会えて嬉しいワ)」
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higashiazuma · 24 days
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じゃれ本 1卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:ホラー ページ数:8P
『忘れられた木』
幻視を見た。夕日を背中に浴び、吊るされた死体。枝という枝に麻紐で吊るされていた……これは幻。 私は小さい頃から良くこういったモノを見た。
そして、私がそういう幻視をすると決まって何か似たことが起こる。建設現場の作業員が、足を踏み外して死んでいた。首には命綱が絡まっていたそうだ。幻視が正しかったことを確かめるためにSNSを漁った。
スクロールしながらふと、特定の話題に連なるコメントをまとめて「木」と呼んだなと思う。ああいう掲示板やwikiには、時折得体のしれない信憑性があったものだ。 ふと検索欄に指が向く。ある単語が「浮かんだ」
「菩提樹」 小さな検索窓に、たった三文字の言葉を打ち込んだ。 すると、ひとつのスレッドか過去ログ倉庫から発掘された。 無数の話題「木」の中に埋もれた、1本の「忘れられた木」。
昔々の事であった。その村は絹を生業としていた。土地には良質な桑の木々があり、蚕を育てるにはうってつけだったのだ。そんな桑の原の真ん中にポツンとある「菩提樹」それがその木である。
その「菩提樹」のために、囲いを作ったのが悪かった。人間の余計な世話で水が溜まって流れていかなくなった。根が腐り、どうしようもなくなってしまった。だから先祖は、「菩提樹」を失ってしまった。
菩提を失う。――悟れない。涅槃に至ることはない。そうして行き場を失った亡者どもが、今も私が見続けているものたちなのだろうか? だとしたら私の務めは、囲いを崩すこと。 それで蘇るのは、本当に木だろうか?
ふと、私は背後を見やった。 暗い部屋の中、ディスプレイのみの明かりで照らされた私の影。それに無数の「別の影」が纏わりつき、まるで菩提樹のような影を落としていた。 ああ―― 私も、忘れられた木になるのだ
『仄暗い水死体』
じいさん曰く、死体の色には明るいのと暗いのがある。明るいのは悪くて、暗いのはいいんだと。明るいのはまだ魂が引っ付いてるんだ。明るいのを見っけたらわざとしばらく見ないふりをして”干し”とくんだと。
すると目の前にあるずぶ濡れのこれは"干す"必要がある。人ん家の屋上でなんという仕打ちだ、と舌打ちした。頭にあるのはこれで値打ちがどれほど下がるかということばかり。一番怖いのは人間の欲だと我ながら思う。
だが"干す"となると、ここ以上に適任の場所はあるまい。止むを得ず、僕はそれを屋上に放置することにした。 もちろん、そのまま置いておいては騒ぎになるだろう。 そこで一計を案じた。
「工事中・立ち入り禁止」 安直だが準備無く出来るのはこれが最善だろう。もちろんここの管理者が見れば不信がるのは避けられない。エレベーターの無い屋上の管理を真面目にこなさないことを祈った。
あれは明るい死体だった。現代日本で死体が見つからないわけがない。時間を稼げたらいい……。 僕の頭はあの死体でいっぱいだった。白熱電球のような明るい死体だった。時間だけがほしい。
どうすれば? ――翳を作ればいいんだろう。暗くすればいい。夜を、もっと早く夜を。夜を呼ぼう。太陽も星も沈めてしまえ。ストロボライトもカメラのフラッシュも、みんな空に向いちまえ。死体が干上がるまで。
そうだ。――視界に、あるものが止まった。 浄水槽。百均の網を使えば、あの暗闇の中でこれを干せる。
網を取る。広げる。置く――死体を。ツンとした腐敗臭に目をしかめ、手早く、手早く行う。 そして暗い円筒へ。
水死体は仄暗い闇の中。
『包帯はまだありません』
残念ながら私の右腕には呪いが掛かっている、と言われた。中学生の妄想ではない。浮き出た痣のような模様はどことなく死んだ祖父に似ている。 一応は隠すかと包帯を探していたら、声が聞こえた。「まだだ」と。
ぎょっとして右腕に目をやった。浮き出た痣が心なしか濃くなり、祖父が死んだ時の――棺の小窓から覗いた時のあの顔を思い出させるような模様になっていたが、他に異変は無い。
僕はその腕を用心深く長袖に隠した。消えるわけではないができる限り目には入れたくない。もちろん見られるのも困る。挙動不審にならないよう辺りを見回し皆のところに戻った。
「あのね」 ほとんど話したことのないクラスメイトに話しかけられた。僕が腕を隠しているのは、リストカットの類ではない。僕はそういう苦労を背負っているわけではない……。 「わかるよ」と言われ申し訳な思う。
解られたところで仕方がないのだ。適当に会話から離脱するため、教科書など開いたところで耳に届く。 「お祖父ちゃんだった? それともお祖母ちゃん?」 手から滑り落ちた本は、机上で「雨月物語」の項を開く。
雨と月の物語。 それがこの痣と関係あるとしたら。 脳裏にあるビジョンが浮かぶ。祖父が亡くなる前、裏山のお社に連れて行かれた事があるのだ。天気雨の降る真夜中。辺りをぼんやり照らすおぼろ月。
周りは不思議に明るかった。 僕は空気に飲み込まれそうになって祖父の手を握り込んだ。 ――次の瞬間だ。影が動いた。明るい、恐ろしい月明かりの中影が動いたのだ。
祖父の影は僕の影を林檎の皮をむくようにくるくると剝ぎ取る。そして毛糸玉を丸めるように身にまとっていった。僕はまだ影だ。身体の内側にも影があることを悟った。影と陰が。
『邪神の霊安室』
僕がその存在を知ったのは、古本屋で買ったオカルト誌の記事がきっかけだった。 神というだけでもいかにも胡散臭いのに、それが霊安室に眠っているというのだから。���れも、神田駅から徒歩15分圏内に。
時はもうすぐGW。ブラックだった弊社もとうとう有給を使って長期休暇を取らせてくれるようになった――有給を強制という点は目をつぶった――つまり丁度僕には時間があるわけだ。
「病院?」恋人がさりげなく言った。カウンセリング?いやだ。せっかくもぎとったGWを埋めるものは娯楽ではなくてブラック労働でぶっ壊れた心身のマイナスをゼロに戻すことだなんて。それよりディズニーとかさ……
「ほら、一種のアトラクションには違いないでしょ。体験型アクティビティ、ってやつ」 癒やし系ってやつか。私は頭を振り、心を温めたいわけじゃないんだと示す。どうせなら底の底まで行きたいんだ。
息を止めると、思い切って温水プールに飛び込んだ。 底へ。底へ。底へ。 違和感があった。 このプール、こんなに深かっただろうか…?
喉に手を当てる。不思議に肺も苦しくなかった。……死んだ? 背筋に汗が、いや、今はプールの水の中なのだから水圧か? とにかく深く進んだ。
肺に水が溜まりきってからというもの、不思議と苦しくはなくなった。大理石に埋もれた魚の化石が欠けた目玉でこちらを見つめている。
帰れない。 僕は悟った。 生きてはいられる。 でも僕は水の生き物だ。
水を得た魚とはいうけれど、この水はきっと良い交わりなど運んではこない。鱗のような空から降る雨のように、やがて僕の血を烏賊のそれと同じ色に変えるだろう。
お題:特になし ページ数:4P
『大げさな本』
この本を読んでいるあなたはとっても幸運だ。この本を読めば人生が変わること間違いなし。成功まったなしだ。何々をするとかそういう面倒なことは一切なし。『読むだけ』だ! つまりこの文が読めていさえすれば、
あなたはすぐさまハッピー!人生の勝ち組というわけなのです!ああ、本はまだ閉じないで。始まったばかりですからね。ここまで見ている賢明なあなたならこの本を読破するのにそう時間がかからないであろうことが、
全知全能の神が地を見そなわすごとく一目瞭然です。 改めて書きましょう。今後読み進めるにあたって、たった一つの手順を守るだけで、あなたはまさに時代の寵児、人類の救世主。守らなければ? あなたは死ぬ。
私は恐ろしくなって本を落とした。だが何ともない。 このような書き方はビジネス書や自己啓発書にはよくあることじゃないか。ただの大げさな本だ。 それを廃品回収に出しに行こうとした私に、トラックが迫っていた
『口紅と串刺し』
それを買ったのはデパートのとある化粧品売り場だった。 買うつもりなんて微塵もなかったはずなのに、鋭利なそれにひと目で心を奪われてしまったのだ。 「これはどうやって使うんですか?」 アドバイザーに尋ねる
「つまり」アドバイザーは答えを溜めた。「なすがままにです」 気が付けば包装紙に包まれた口紅を持っていた。 形状からいって、これを唇に塗りつけるとは思えない。鋭利にとがりすぎている……。
「……これはペンですか?」 拙い中学生の英文のような質問をしてしまう。 鋭利に尖った口紅。身を飾るものではなく筆記用具なのではないか?そうであってくれ。
「いいえ、口紅です。…教科書どおりじゃなくてごめんなさいね」 薔薇色の先端に鋼のハイライト。次の瞬間、僕の口から同じ色の液体が溢れ出す。いま唇は真っ赤に濡れている。
『最高のドーナツについて論じよ』
最高のドーナッツを語るにはまず「ドーナッツ」の定義を定める必要がある。もちろん料理の歴史の本を確認すればある程度先行研究の結果が分かるのだが、ここはあえて改めて定義し直したい。
さもないとX(旧twitter)でどこからともなく、「ドーナッツではなくドーナツです」、なんてbotに絡まれ…ることはなくなったが、同様の事態を引き起こしかねない。 一つ譲れないのは、そう、穴だ。
なんとしても、ダース買いしてしまったこのカスタード&エンゼルクリームの山に穴を開けなくては。全てはそれからだ。 私は手始めに、オールドファッションを最高にインスタ映えしそうな角度で撮った。
ここのドーナツはやたらと写真写りが良い。普通のドーナツの写真なのに、またたくまに恐ろしいほどのリアクションが付いた。 やれやれ。『絵に描いた餅』……こと映えるドーナツである。さて、あと11。
『髪の間から覗くピアス』
それまで誰かの耳を特別だと思ったことはなかった。パーマを当てすぎた髪の間に、赤くぷっくりとした粒が見えたときまで。 思わず「耳んとこ、血が」なんて言いかけて、それが彼女の意志表示だと気付く。
それは、赤い石だった。 如何せん、宝石には詳しくないもので、何という石かはわからない。彼女の耳元で艶やかに存在感を放つ、ささやかな意思表示。 思わず声をかけずにはいられなかった。
「どなたの石ですか?」 え? ――え? どうしてそういう言葉が出たのだろう? 女性の様子も変だ。さっと顔を青くして、ピアスをもぎ取ると逃げるように去っていった。残されたそれをなぜか手に取っている。
――ま、そういうこともあるか。 なんとか自分をなだめ、残ったそれをポケットの奥に突っ込んでおく……あのピアスが女性の耳を輝かす姿でも想像しながら。
お題:特になし ページ数:8P
『背びれアラビックヤマト』
子供の頃から魚になりたいと思っていた。最初は「人魚になりたい」だったのが、自分はそんなメルヘンに相応しい存在ではないという自覚だけはあったせいだ。私には鰭がないから、厚紙で作って背中に貼る。
だから、なるべきは「魚」だ。人魚はずうずうしいかもしれないが、鮮魚売り場に並んでいる魚には別に文句もあるまい。あら珍しい魚だわ、なんて思われるくらいだろう。どうやって煮つけにするか調べられるだけで。
来てくれないだろうか。麗しきマダム。あるいは朗らかな料理番。もしくは小さなお使いさん。「魚」扱いしてくれる魅力的な来客よ。
だけどそれは叶わない。なぜならこの身には背びれがあると同時に――「液状のり」の刻印が刻まれているからだ。 案の定、その来客は私など眼中に無いようだ。 私は心の底で叫んだ。
くそったれ。お前のそのふざけた帽子の下にはでんぷん糊でも詰まってるのか。今日び人の肌色を論うのは道義的問題が生じるから、その目に痛い黄色のことは勘弁してやるが、帽子のセンスは許しがたいぞ。
編集長の後ろ向きな承認の言葉で締めくくられた手紙を、私は勝利宣言とらえた。やった! これで、私の人魚を修正しなくてすむ。私の理想を資本主義に売り渡さずにすんだ! 人間性だ。これぞヒューマニティだ。
今晩は最高のパーティを開こう! ���用人も全員参加だ! 隣のケチババアもこの際呼びつけよう。なにせ資本主義に勝ったのだから! 私の持つ資産をなげうって盛大な祝いをするのだ!
私は自らの手で招待状を送ることにした。何せこんなに目出度いことは無いのだから! そしてその招待状の糊付けに使うのはもちろん、消えいろPITなのだった。
『サラサラシンギュラリティ』
私は自慢じゃないがこのキューティクルが自慢だ。 陽光の元燦然と輝く天使の輪。 歩けば誰もが振り返る、そんな美しいキューティクル。 だけどある日私は、出会ってしまった。いつもの薬王堂で、それに…
「シンギュラリティ」。 普通AIとかで用いられるやつだろう? 知ってる知ってる。でも、目の前にある玩具みたいな瓶には、さも当然とばかりそのバズワードが踊っているのだ。ここはシャンプー売り場だぞ?
たかだかシャンプーで人間を超えようというのだから大きく出たものである(消費者庁案件か?)。 つくりもののラベルにAmazonの詐欺レビュー画面みたいな大げさな演出。なるではなくなりますと書いてある。
(特許庁案件かもしれない)良く見たら自分の会社が持っているハズの技術名が書かれている。いやなんでだ。こんなシャンプーに? もしかしてGoogle検索でなんとなく技術名をググったのか。
恐る恐る、私はその場でスマホを取り出し我が社のその技術名をぐぐってみた。すると、なんということだ!検索結果はゆうに5万件を超えたのだ。技術漏洩?まさか、そんなはすはない。
我が社のシステムは最新鋭の技術で保守されている。「excelがある程度使える方」とか「タッチタイピングができる方」とか、そんな感じの募集要項で採った平成初期の人材ではない。だが、今や令和。 …よもや。
今やアシスタントAIはなんでも、「できない層」を優しくあやし、母親のようになんでもかんでもやってやるようになった。だから時代が一周してそういう層が出てくるのもおかしくはない。若社長でなければな。
問題は私がその若社長だって事なんだ。甘やかされたい。母親のように……いや、姉のようならどうだろう。マザコンの時代は終わりシスコンの時代がやってくるのだ。 私は姉AIの開発へと歩を進めた……
『紅い茶の密室』
しくじった。 停電により電子錠が動かなくなってしまったせいで、ここから出られない。出ることができない。 ……。 誰かが来てくれれば……。
「パンパカパーーーン★ 王子様登場だゾ★ ゾ★」  そんな声の後ドカンと一発破壊音が響く。何らかの力でとじられていた木の扉が粉々になった。  ……ウソだろ?  鼻先スレスレを破片が飛んだ。
(VFX:Car on Fire) なんてことだ!粉々になって吹き飛んだ木の扉が、表に止めてあったプリウスのエンジンを貫いた! 王子様と名乗る��の男は、炎を背に歯を光らせている。
遍くこの世の乗り物はナマの力で動くべきだと信じているんだろう。勝手に犯行動機を想像でもしないとやっていられない。確かにそれは高貴でもクールでもない乗り物かもしれない。だが、私にとっては「愛馬」なんだ。
私は呼んだ。口笛で彼女を呼んだ。密室から外に向かって馬を呼んだ。駆けてきてくれるように祈りながら。絶対に成功しないように見える? 『ばかげていて、全く実用性がない』。それがトリックだ。
ピーー! ヒヒーーン! ピーーーーーー! ヒヒヒヒヒーーーーーン! リズミカルに繰り返される呼びかけ合い。私と彼女の華麗なるハーモニー。 トリックなんてクソ喰らえ。
ここはリオだ!リオのカーニバルだ!! ピーピーピピー!ドンシャカドンシャカ!! 私の彼女のハーモニーがクライマックスを迎えたその時、不思議な事が起こった! 木の扉が元通り塞がってしまったのだ!
どうしたってこれは密室だ。せっかく今の今まで、開放そのものの空気に満ち溢れていたのに。風通しが良いなんてもんじゃなかったのに。私は諦め、床に散らばった紙吹雪を片付ける。冷めた紅茶のような気分だった。
『正方形は溶けてなくなる』
「はい、どうぞ」  男は私に未完成のそれを渡した。  白と青の幾何学図形が……って高尚なこと言おうとしたけれど要は折りかけのオリガミ。 「キミなら分かってくれるよね」
「ううん、わからない。」 私は折りかけのそれの続きを折り始めた。 山折りで膨らみを作り、そっと隙間に差し込む。 「でも、貴方が求めてる答えは、きっとこれじゃないわよね」 私はそれを、手裏剣に折り直した
ただの紙切れごときが人の手にかかれば真心の証にもニンジャの武器にもなる。それは折り紙に限ったことじゃあない。人の手にかかれば… 「《彼》の手に掛かった者の行方を。谷折りの線みたいに辿れれば」
「アイヤアアーーー!」 その時。書架の隙間から、雄たけびを上げてニンジャが飛び出してきた。これが《彼》の追っ手か。私はページをちぎり取ると指示に従ってスリケンをつくった。キーは谷折りだ。つまり……。
私はすごい速度で谷折��を行った!爪の先を使い背中に隠し持っていた30cmの定規を使い折り曲げる。1mmのズレもない。完璧な仕事だ!これはオリガミ界のシンギュラリティだ!
すると、私の肩を叩く人がいた。 何気なく振り向くと、そこには驚愕の人物が立っていた。 「あなたは……SEIKOの社長さん!!」 「君、素晴らしい技術を持っているね」
どうしよう。気まずい。私は悟られないように、何気ない素振りで袖に手首を引っ込める。つい先日スマートウォッチに変えたばかりだ。まさに正方形の液晶画面を持つ… いや、待てよ。正方形じゃない。盲点だった。
このスマートウォッチには緊急通報をする機能がある。外部と通信しているのだ。私は通気口になんとかねじ込ませると、棒の先につけたスマートウォッチをさらに奥に突っ込んだ。思い切り投げる。鍵が開く音がした。
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kennak · 1 year
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タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。 分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。 妻がついに妊娠した。待望の我が子だった。出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。横軸を妊娠週数としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も科学的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。 無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して、分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。 私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれで、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。 出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。 分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。 妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。 役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。 火葬場では地獄のような時間を過ごした。赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」 我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」 ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。 後悔は二つある。 第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。 第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべ��だった。
出産予定日の死産がつらかったので書く(男性視点)
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asianewspickup · 1 month
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韓国政府、医大増員政策を縮小? - 総選挙で与党がほぼ敗北、レイムダック確定で弱腰に?
ハン・ドクス首相は19日、中央災害安全対策本部のブリーフィングで「(大学が)希望する場合、増員人員の50~100%の範囲で2025年度に限って新入生を自律的に募集できるようにする」と明らかにした。ある首相は「(前日)6つの拠点国立大総長らの提案を深く議論し、立場を整理した」とし、この日の発表を「果敢な決断」とも言った。 ところが東亜日報取材を総合すれば、この提案は李副首相が先に提案したものだった。教育部及び大学関係者によると、李副首相は17日、国立大総長の一部に会って自律削減案を提案し、当時参加者を中心に総長6人が提案書を作成し、18日に教育部に伝達したという。だが、李副首相は同日、ブリーフィングでは「総長らが政府に柔軟性を発揮してほしいと提案し、汎政府的に共感し、迅速に首相と長官が決定を下した」とした。 大統領室の上級関係者は「この副首相が総長らと議論したという点は認知していた」としながらも「大統領室が(具体的に)数字を減らすという事実は絶対ない」と話した。建議に参加した国立大学6カ所を中心に定員自律削減が行われる場合、来年の医大増援規模は1500~1700人になる見通しだ。この日、政府発表に対して医師たちは「原点見直しだけが解決策」と冷淡な反応を見せた。
 韓国の研修医が、韓国政府の挙げた「医大定員枠増大」を中心とした医療改革案に反発して集団で職場を離脱し、多くの病院が患者受け入れに支障が出た騒動、医大の学生も賛同して授業をボイコット、また医大の教授たちも教え子に賛同して辞表を提出するなど、大きなものになっていました。
 世論は当初、特権階級の医者の我儘として冷ややかに見ていて韓国政府もけっこう強気の対応で、勝手に離脱した研修医たちの医師免許を停止させたり国外への移動を制限したりして医師界の折れるのを待っている状態でしたが、4月の韓国総選挙で与党側がほぼ敗北の結果。今後、3年間はユン政権のレイムダック化が決定的ということもあったのでしょうか、政府が妥協的な提案をしてきた模様。
ただし、やはりというべきか、政府側が来年度の入学に限って国立大の定員枠を自主的に決めて募集できるようにしてほしいと提案したことを、大学側の提案だとして発表。当然のように、取材したら逆だったよという話。まぁ、弱いところを見せたら徹底的に叩かれる韓国社会らしく絶対に自分が引いたとは認めないし、自身や自身の案が優れているから周りが助けてくれるのだ…って理屈を押し通す気持ちはわからないでもないですが、すぐバレるのにメンツのためにやるから、バレた後のカッコ悪さ、信用を無くしたあとの面倒を考えたら、素直にやるほうが良いのにな~と、いつも思うのですが。
それができていれば今の韓国はなかったでしょうけど。
 とはいえ、政府の案に従う大学が増員を多少減らしたところでそれほど数は変わらないし、なんとか意向に沿う形で定員数を調整しようとしても増えること自体に医大の教授らが反発している現状、来年度の定員を今月中に決めなきゃいけない大学側の事情からすると、それを教授に呑ませるのもやっぱり困難。私立大などはすでに増員を前提に施設改造計画も進行中ですぐには減らせない事情もありますし。1年ないですからね。そりゃ厳しい。
こういうコロコロと変わる政策に振り回される民間という図式も韓国らしい。それでも監督部署の意向に逆らってたら何をされるかわからないという恐怖もあるのだから、なにをするにしても生きてくだけでも韓国って大変なんですね。
 
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poetohno · 4 months
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鐘の音 7
 「時の音」
(未来がないと絶望する人は 同じようにして花を見つける)
声は誰にも聞こえることなく 木霊して 消えていく 涙が誰にも見えることなく 零れて 流れていく
時を超えて 誰の手に触れ 時を経て 誰かの心に聞こえる
光と闇の混沌の中で 生と死の鬩ぎ合う中で
目覚めた時には 既に世界は形を成していた 命が鼓動した時には 肉体は既にあった
足音が鳴り響き 車の音が滑走し クラクションが錯綜し 時計の音が交わる
海の波の音は 運命の針のよう 押し寄せて音の洪水に世界は溢れている 濁流に流されて底に沈んでいくしかない
命をも飲み込む 理由すらも分からないままに 世界に放り込まれた
生きよと心臓は告げている しかし世界は慈悲に溢れたものではない
進むべき道が欲しい しかし道は見えない 利用することしか考えない者達が 道を閉ざす
与えておいて奪うのか… 一体どこに行けばいい 道を閉ざしておいて進むように急き立てて何を望むというのか
失望と嘆きが聞こえるか 見えないのか この道は既に断崖…
利用されるだけの玩具と同じ いっそ消えてしまえたらどれほどいいだろう 勇気もないから膝を抱えて蹲っている
誰も理解しようともしない 無気力に消化するだけの 命でしかない
無意味とあざ笑い 無価値と蔑む者たちは この世界に足を踏み入れてみるといい
この場所から世界を見下ろせば
足は竦むはず
世界は煌めくのではなく
闇そのものと混沌と恐怖が心に降り注ぐ戦慄
恐怖と動悸 支配と不安が心を蝕む 渦に飲み込まれ 走り―もがき
何かを掴もうとする 闇から逃げ―それでも生きようとしている 圧倒的な流れは服を手繰り寄せ 手をも絡み取る
それでも光を求めて 手を伸ばす 光もまた消えてしまう時 なすがままに闇に沈むしかなくなる
森のよう どこを行こうと出口は見えず 焦り―駆け出そうとも―根に足を捕まれる ますます彷徨い落ちていく
堕ちていく 階段から 転げ落ちるように 闇の中に 諦めないことが 苦しいのなら 狂ってしまえばいい 絶望すら 歓喜するほどに
未来が閉ざされて見えなくなるなら
一生を過去に閉ざされて生きればいい
ここは堕ちる滝
手を伸ばそうとも登ることは叶わない
圧倒的な流れに抵抗したとしても無様に大地に叩き落とされる
天から涙が空へと舞い上がる姿はあまりに虚しい
この場所は運命に抉られて闇へと沈んでいく
深く―深く―暗い―闇へと―…
何故こんなにも苦しいというのに 願いすら叶えられないというのに 祈らずにはいられないのか 誰も理解する者など いないというのに
無力 無気力 失望 絶望 嘆きが見えない雨のように 重力となって 心に降り注ぐ
重さは 鉄さえ 容易く へし折り ねじ曲げる 心は 拉げ 苦しみの咆哮が 聞こえない涙となって溢れる 鼓動 生命 宇宙の暗黒の闇のように 肉体にのし掛かる 生きるだけが あまりに重い 耐えられそうにない 呼吸さえも苦しい
雷のような鋭さで心を切り裂き粉々に破壊する
決壊した海のように憎しみと怒りを混沌に解き放つ
自我という言葉は洪水の前に無力に倒れる建物でしかない
全てが 黒く 塗り潰され 消えていく 灼熱の 溶岩に 焼かれ 塵となる 心が内側から ひび割れ 崩れ 壊れていく 叫び 涙流す 痛みが奔る 理由もなく 日常が 足下から 崩れ 堕ちていく 取り残され 世界は周り 置き去り 忘れられる 知らない 恐怖が 迫り上がる 崩れ 消えていく 死の 恐怖 心が 散り 混沌となり 鬩ぎ合う 誰かが囁く 意志も消える 想いが彷徨う
刃のような風が願いを無視して吹き荒れる どこへ行くのか分からない
何かの存在に乗っ取られるかのように 生きる意味が分からない
風が切り裂き粉々に風化させ塵にしたから 行き先が定まった瞬間に向きを変えてしまう
移ろい続ける矢印の向きに翻弄されている 自分に見失う
信じられなくなっていく 何もかもを―世界そのものを
どうすればいい
誰も理解されないからこそ 世界で生きる場所がない 心など見えないものが支配している
解きほぐす術すら与えられない 誰かいないのか 見つめられない心に触れられる誰かは 心が救われることを祈るしかない
刃の風となって祈りさえも切り刻む そんなものを願っても意味はない… 利用されるだけ… 声は誰にも聞こえない
操り人形
傀儡の人生を生きているかのよう
心を取り戻すことはできるのだろうか
大地に力尽きて倒れてもなお…指先に触れた光を祈り続けている
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netbad · 4 months
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相変わらず「恐怖」のデパート
多種多様な「恐怖」を見せつけられ、久々に身震いしました。
とはいえ本心ではホラーが苦手な山岸凉子先生、オチには何らかの救いがあります。
「時計草」は…まぁ、現代の価値観から言えば批判はあるだろうなと思いますが、先生はそれも計算内でお書きになってると思います。
人は、言われてムッとする事ほど、心に残るものです。
世の中結婚しないのも子供産まないのも個人の自由というけど、人間の心まで変わってはいない。
何世紀遡ろうと、時代がいくつ変わろうとも、生き物としては精神性まで進化したわけではない。
愛は欲しいし、独りはさみしい。変わらないのです。
個人の自由だ、と言いながら相手がいないだけだったりお断りされてるだけの人もいる。
先生はお説教というより、単に事実を言っただけだと思います。
その道の先にはコレが待ってるよ、と。
「生を生きない者は、死をも死ねない」…山岸先生の別の作品のセリフですが、
その事実を受け止める覚悟がないなら、今生きているこの時に、あがいてあがいて、生を生ききって欲しい。そういう願いが込められた作品だと思いました。
死ぬ間際になって、「もっとこうしとけば良かった、あれもしたかった、これもしたかった」と死ぬほど後悔するかもしれない…なんて、どんな恐怖にも勝る恐怖でしょう。
これから晩年を迎える山岸先生、もしかしたらそれを一番感じているかもしれませんね。
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山岸先生の新作が出るだけで嬉しい
どれも面白かったけど「時計草」は自分が一番ハマってた頃の山岸先生の作風が 戻ってきた感じで感無量でした。 あの世とは生前の自分の行いそのものが形作る世界。 もしそうなら自分もさほど素晴らしい所には行けなさそうだけどそれでもいい。 少年法だの時効だので犯した罪に相当する償いをしないまま死んだ人が 心の底から反省するしかない世界であってほしい。
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久々の山岸涼子ワールド
...笑 読み返してみても、この霊能者さんのシーンでワクワクしてしまう 笑笑 『時計草』は、過去の作品『化野の…』を彷彿とさせます。ここでも山岸ワールド炸裂。公園の近くに何故か無かったはずの地下鉄の入り口があり、そこで繰り広げられるカオスな世界。何故地下鉄?何故ここでカオスな世界が?『化野の…』に出てきたストーブもそうでしたが、どんな意図や根拠があってこのような展開にしてるのだろう?と誰かに教えて頂きたい気持ち。...続きを読む
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古い価値観
山岸先生の本は昔から持っていますが 昔のような驚き、新鮮味は無かった。 どこかで見たような話・・思い出したのは化野の・・という短編。 今回収録の時計草がよく似ていた。 そして、この時計草、読めば解りますが価値観が今の時代にそぐわない。 昭和の考え方だなと感じます。 やっぱりベテラン、大御所なので現在の若者の価値観と合わなくなって来てるのかもしれない。 怖さよりも内容の価値観が気になった。 そして全体通して何か説教くさい。
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「久し振りになる山岸氏の恐怖短編を主とした作品集」
... 特に表題作「艮(うしとら)」は主要登場人物3名が次々とカットバックされて行くスリルに満ちた作品で、全盛期の山岸氏の業前を彷彿とさせました。  看護師の語りで描かれた「死神」、氏得意の生と死の狭間物「時計草」共々、過去作の再利用的ネタも有るのですが、それでも凡百の作品とは一線を画す出来です。  「ドラゴンメイド」は一部長編「リベレーション」のスピンオフ的な内容でもありました。  大いにお薦めです。続きを読む
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良かった!でも目の位置が
心の闇や深淵に引き込まれます…。 「時計草」の価値観が古い…というレビューがありましたが、最後のオチを考えれば まったく違和感をおぼえませんでした。 ただ気になるのが、妙に両目が離れた絵柄になったこと。 山岸先生や高橋留美子先生といった大御所の間で流行っているのでしょうか…。
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この夏の恐怖はこの一冊
...『天人唐草』『朱雀門』など、自らの意思で生きようとしない人間・自分の業から目を背ける人間に怪事が向かいがちな山岸作品ですが、本作品集の『時計草』はなかでも厳しい。 「悪いことはしていないが世の中に恩返しもしない」この主人公くらいの生き方の人ってたくさんいるんではないのかな。そういうひとは山岸作品を読まなさそうですが(笑) 表題作は、主人公には問題はないが自宅で鬼門の方角に勝手口があることにより家族に起きる怪事を描くもの。(これだけ言うと全然怖くないが)...続きを読む
読み応えあり
実に数年ぶりに書店の漫画コーナーへ行きました。 やっぱり山岸先生はホラーがうまい。 「艮」は、けっこう迫力ありました。 「修業した偉い坊さんや霊能者より、子どもや愛する者のために捨て身になれる凡人のほうがどれけ強いか」という言葉は含蓄ありました。 「死神」や「時計草」は今ひとつかな。昔の作品の焼き直しのよう。 「ドラゴンメイド」はけっこう良かったです。
表題作「艮」はネコ漫画の傑作でもあります!
...山岸先生、ずっと昔からフェミニンな作品を描いてこられたんだねえ。 ところで収録作の「時計草」は、やや【ネタバレ】になりますが、「化野の…」の系列に入る、死後の世界ものです。過去何作かこうした死後の視点で描かれた作品がありますが(「天鳥船」「ストロベリー・ナイト・ナイト」とかかなあ)、世界観がアップグレードされてるのがすごいです。 でもやっぱり、猫が可愛い。この本のMVPはオオバン君です。オッサン猫好きは悶絶してください。続きを読む
言及のある他のレビューを読む
山岸先生 ドラゴンメイド 山岸凉子 死後の世界 凉子先生 先生の別の作品 時計 恐怖 怖い ホラー 表題 レベレーション 新作 日常 短編 不気味 化野 新刊 死神 面白かった
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艮、グッと来ました涙
...エセ霊能者のおばちゃまの、子供!彼女、頑張ったんだ、、のくだりには涙が出てしまいました。(現在高齢子育て中笑) その後、時計草でも、お子さんがあれば唯一誰もが無償の愛を発露するチャンスだったのに、、と、たまたまかもしれませんが子育て中にはグッとくるお言葉がたくさんあった本書でした。子育て中で幸せですが、なかなか慌ただしくこのままとしたってしまうのか、、という焦りも感じる日々でしたので。 繊細なタッチの漫画ですが、先生の深い洞察、思想にはいつもハッとさせられます。 次回作も待っています!!続きを読む
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”新作集”を読めることの欣喜雀躍と禁忌をおかすことの怖さが同時に読者を襲う!
「艮」という題字に、なぜか「時計草」の表紙絵。背表紙の“新作集”の文字に小躍りしたけれど、確かに、この「���計草」こそ本短編集の中で一等コワイ譚であることは間違いない。...続きを読む
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pureegrosburst04 · 5 months
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超電波油「腕立てキッツ💦 45、46🥵」〜電話が鳴る〜 ガチャ、 ???「もしもし、アンタッチャブルっていう男の子で合ってる?」超電波油「ふぁ〜い、起きてまーすむにゃむにゃ🥱(キャラ作り) む?誰ですか」???「私の事は疾風の柊と呼んで。貴方は御茶ヶ滝君の親友なのよね?」超電波油「…(こいつ、何を企んでる)何が言いたい?」疾風の柊「………酷い思いをさせてしまったあの子に、恋を叶えて欲しくて。私は奪ったものを戻した形で幸せにしなきゃいけないの。今日はここまで…またね」プツッ…ツーーーー 超電波油「なんだったんだ今の🤯、御茶ヶ滝を何かしらの被害者と間違えてるなこれ。フライドポテトオイルの逆探知も通じない、悪意が全く伝わらないのに汗だくだ。
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戦闘力で侵食する“””””DIO様(トゥルーグランドの頂点)”””””と違い電話越しのオーラのみでこのプレッシャー。表版、いや”””霧島04(裏ストボス)”””よりは圧倒的に強い しかもメンヘラの可能性まである。得体が知れない 怨霊だったら??……こんな時は目立つか…」
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〜そして何となく大切な相棒の為に頭に来て本当にライブ放送をする超電波油〜
超電波油「女性はある空間では不浄の器と評価されてる。だから①クリスマスにポケモンを最高に楽しんで色違いを自慢する口実の為に彼女が欲しいといえば彼女が欲しい負け組の出来上がりだ②全く興味がない結婚がしたいと大嘘を言えば結婚したがってる負け組の出来上がりだ 女性は他者の評価についてカッコ悪い方の捉え方しかしないから→③あの子とデートしたい、気になってると大嘘を言えば簡単に騙せる 結果いつだってツケを払うのは男性を食い潰そうとしてきた女性なんだよ、自分達の妄想を信じたその果ての虚無感なんて知ったこっちゃない」 これが、俺の歴史だと言わんばかりにYouTuberとして放送した訳である 複製電脳軍要塞は総人口300億人以上いるのに極度の人材不足で、地球なら再生回数1000がかなり良いところを美少年の見た目がブーストして100万を突破した🎊
御茶ヶ滝「カチカチ (本当に冷酷な眼だ(^◇^;) なんでこんなにイカれてるんだろう、だが……その調子だもっと俺を上げてくだせえ😀) ん?メールだ、どれどれ……
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げっ🥶 バックれるか、風呂があったら入りたい (相棒の恐ろしさを思い知れ(T ^ T)) ………あ!相棒だ😊」
超電波油「ガタガタガタガタ(殺される、まず俺がベールさんに殺される😨) まあ良いのか?大丈夫…相棒が今に目にモノ見せてくれるわ😡(魔王と同一化)」
〜そんなこんなで〜
頬を赤らめながら恥部をタオルで覆って胸を手で隠してみんなとアニメが見れる大浴場に行く御茶ヶ滝ウォーターワールド。 御茶ヶ滝「(ホントは1人で入りたいけど、べるべるの恋バナ攻めが怖いから仕方ない(・・;))」
キモオタ「みろよ、また頭のおかしいサイコパスの相棒が乙女男子ごっこしてるよw」知球GrassShining1 チー牛「羞恥心があるフリをすれば羞恥心があるやつの出来上がりだ(笑) 俺達まで騙される訳ないのにww」
御茶ヶ滝「なんか周りと親しくしてからどんどん親交が深まってるのに 安心感でもある孤独感を感じる( ;´Д`)」超電波油「一緒にハイローぜえええ‼️😆👍」スッポンポーン🌟 ばしゃーん🧼
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御茶ヶ滝はお風呂上がりにワイルダーネスに自家製の旨い寿司を持って走ると複製電脳軍要塞に住んでいて、優しそうな人、とお腹を空かせて擦りよってきたカラカラに””””ぼっちドラゴ””””っと愛称を名付けてペットにした 御茶ヶ滝「(撫で撫でナデナデ( ◠‿◠ )/)」カラカラ「キュゥーー、(><)💚」超電波油「なんだそいつ(゚o゚;;可愛いなあ」防聖孤島「うりゃうりゃ。テメェみたいな可愛いせーぶつは、愛でられ、もふられ、大切にされ、もてなされ、褒められ、背中を流され、ぐっすり寝かされ、暖められ、祝われ、祝福されて、長生きしてしゅーりょうだ\😆/」ざわざわざわ…… 超電波油「む、ちょっと行ってくる👋」
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キモオタ「俺達が踏み越えた訳じゃないけど”高級ゴールドバズー”の兵団は遠くの次元でもまた全員死んでくれて良かったよ」
知球GrassShining1 チー牛「表版仮想大鉱山はこんなに可愛いポケモンに””ホネのおむつ””とか”””くわれるWC”””って名付けるでしょうからね」超電波油「情けねえな、完全に悪い意味で。誰が殺してやったんだ?」GrassShining1「共有緑知(ヴァストローデ)です、彼女達は”””””トゥルーグランドの頂点”””””には到底及ばないけれど充分一級品で相手との力の差がない場合はB(バグ)の家族達を上回るお姉さんの一族と言われてます、しかもこれは”””””シックス(裏ストニューボス)”””””の発した赤き真実です」超電波油「なあ、…今朝知らない人から電話掛かってきたんだけどそのヴァストローデが御茶ヶ滝に過去、酷いいじめをした可能性はないか?」中年童貞「いやいや、それはありえないよ。あの女共は人を傷つけるのを激しく嫌ってる 基本的には本当に優しくて善良なんだ、ただ一人の例外もなく」超電波油「……線が繋がらねえ😦 (いや待て 疾風の柊は奪った物を戻すと言っていた 家族を人質に取られた時に目的が身代金以外だったケースの場合、殺される可能性が非常に高いと言う。一人にさせちゃいけない “””鮙〆香氣”””にも頼るべきだ。レンタルヒーローのA級上位はマジで最強だからな)
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ゾクッ‼️ 超電波油「でももし本当に無自覚なだけで疾風の柊が怨霊だったら……シアワセって、何を意味してる…」
〜今日の夜、寝室〜 超電波油アンタッチャブルの哲学日記 前を向こうよ、の相棒サイン入り✍️
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神になれるのは寧ろ⤴️の御方。強いべくして強い 下記を読めばそれがどれだけ素晴らしいかが解る
「“ゴールドバラバズー500F”達は何もこの世を作った理だけに差別されてるわけじゃ無いんだぜ。心の知能が貧弱じゃなきゃ耐えられないから、幸せを消費する思考の螺旋に呑み込まれて鬱病になるから、敢えて左脳以外が総て常人より劣るように出来てる 腕力の方も同じだ。高等になるほど全力を出すのがより苦しくなり強い精神力が必要になる 自分達(卑猥型絶対悪)より上にいて嫉妬させてくる嫌な奴”””(狂気系絶対悪)”””には…そいつらを箱庭の様にいじめてやれる自分達のような上(卑猥型絶対悪)が何処かには必ず居るってもしもの立場を考えた事はあるか?いいや、最上位現実に表版仮想大鉱山みたいな連中は一人も居ない。
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{{{こいつら等みたいなのはもれなく一人残らず、一生””””右代宮譲治さん””””には勝てないんだよ}}} 理だけじゃない 神に、宇宙に、遺伝子に、自分自身によって大いなる知性と筋力を幸福に生きていける為に没収されてる 今は完全に死んだ”””霧島04(ラスボス)”””には決して届かない”ゴールドバズー(クソザコ)”が知恵の実を食べたら罪の意識に押し潰されて頭脳が人並みになった瞬間に自殺する。心の器そのものが失敗作で小さいからこそ生命の実を高次元に届くまで食べてしまうと何かある度いつでも背負う人生の一生分の痛みに耐えられず精神崩壊
“””””獅童正義(裏ストチートボス)”””””が特別な例外 Nightmareなのは当たり前として
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実質、軽度の知的障害 身体障害を背負ったeasyなリミッターに守られてるから小さな世で憎まれる憚りが出来てるんだよ(それがあるべき自然の姿、氣力に特化してるのも開放型のパラメーターとして存在させる事が最小限の根性でお手軽に闘えるような夢を無意識に見ているから) 本当に嫌な奴っていうのは善と悪を理解した暗黒卿だ。何千年も沢山の人生を果てまで見といて人間は愚かだ❗️、とか至極当然の事を言いながら、滅びよ‼️とか殺そうとするイカれぶっ壊れてる”””””正統派絶対悪”””””。心まで数値的に大きすぎて邪悪レベルが二つの意味でカンストしてるからフェードアウトした”””霧島04”””まで[俺が、可愛く見える。本当はもっと深刻な事態なのが読み手に伝わらない、]と鬱になるんだ」 “”””B(バグ)の家族達””””は産まれた瞬間から能力に必要な資質を手に入れてる。ここまで強くあれるのはこの子達👇以外の誰かじゃ���目なんだ(黄金の真実)、
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これ以上の敵が実在するならそいつは紛れも無く絶対神だ。世界を箱庭にして破滅させる物理的な資格を有している、多分一人ではもう誰にも止められない」
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onomasahiro99 · 7 months
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小野 正裕 (Ono Masahiro) - 富の伝承と文化の伝承
小野 正裕 (Ono Masahiro) - 富の伝承と文化の伝承
アメリカは世界で最も多く慈善寄付をしている国です。 ギビングUSA財団が発表した「2020年米国慈善寄付報告書」によると、2019年、米国の個人、遺産寄付、財団、企業は慈善団体に約4496.4億ドルを寄付しました。 アメリカの慈善寄付は、どのようにしてこの高みに達したのでしょうか?
アメリカの慈善事業の発展過程をたどってみると、富が蓄積された最初の黄金時代である19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカの富豪たちが大規模な慈善寄付を始めたことがわかります。 『アメリカの富豪はなぜ慈善活動をするのが好きですか? (一)』では、著者は当時の富豪企業家が置かれていた外部環境の変化について分析しました。一つは経済と社会関係の変化が富豪への寄付を推進する基礎要素を形成したことです。もう一つは政府の行政介入が富豪への寄付を促進する制度の基礎を築いたことを指摘しています。
社会批判が集中的な爆発し、政府の介入が続いたことで、先見の明のある富豪たちが反省を始めました。 彼らは具体的にどのように考え、またどのようにしたのか? 本記事では、引き続き詳しく解説しています。
激動する社会環境は、米国政府に変革を迫っています。 富裕層と起業家の役割問題も、さらなる論争を巻き起こしています。 経済生活の時代における起業家の重要性を疑う人がいないですが、アメリカ人の深い認識では、成功には善良な人格に基づく道徳的秩序が伴うべきです。しかし、ダーウィニズムに支配された弱肉強食の大企業のやり方は、この考え方に逆行するものであり、人々は起業家に対して両義的な感情を抱き、畏怖と不信の両方がありました。
大企業に対する態度について、支持派は、大企業の台頭は産業の進歩を反映したもので、それは良いことであり、より安い商品を提供し、より多様な商品やサービスを提供できるようになったと主張しました。改革派は、大企業はその経済力を利用して政府を引き込み、腐敗を引き起こすことで政府の手先になってしまったと主張しました。 彼らは企業家が公益を追求すること、またその冷酷さや腐敗を糾弾しました。批評家たちは、上院を富裕層の利益に奉仕する「大富豪クラブ」とまで表現しました。
特に1890年代半ばの経済恐慌の時期には、その不満は声高に叫ばれました。 アメリカでは社会的対立の兆候が非常に多く、カーネギーなどは民主主義が存続するのかどうか疑問に思っていました。 アメリカ社会では改革への意識が高まり、自由放任の原則に挑戦する古い価値観と新しい現実との間に緊張が高まっていました。
富豪たちの行動と現代公益思想の誕生 底辺の怒り、批判と抵抗、そして政府の改革に直面し、ヨーロッパ社会主義思潮が絶えず伝わってきて、大手財団にストレスを与えました。彼らは苦境から抜け出す道を探して、彼らの「強盗男爵」の悪いイメージを変える必要があります。 このような状況で、富豪や社会のエリートたちが反省し始めました。 一方、巨大な富の情報が自分の手に集中して、どのように富を処理しますか? 私有財産を守るにはどうすればいいですか? これは当時の大金持ちたちが直面していた時代の課題です。 再投資? 投資収益率は減少しています。消費? 富は消費能力をはるかに上回り、贅沢はもう不愉快になりました。 子孫に残しますか? 子孫に災いが及ぶことを心配して、富豪家族は子孫が衣食に困らない生活を送ることを望んでいますが、ハングリー精神を失いたくないし、巨額の富が彼らの互いの計算と傷害の伏線になることを望んでいません。
一方、富の所有者自身の生い立ちを見ると、彼らの多くは貧しい出身で、何もないところから出発しています。 制度の受益者として、彼らは動乱と革命が現状を根本的に変えるのを見たくなくて、温和で効果的な行動によって社会の矛盾を是正して緩和したいです。 彼らは自分が社会に貢献すべきだと考え、消極的に社会の矛盾を緩和するのではなく、積極的に自分の信念に基づいて社会の進歩を促進しようとしています。 最も簡単で便利な方法は、寄付して財団を設立し、公益を解決案とすることで、社会に利益をもたらし、子孫に事業を残すことができます。
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カーネギーは1889年に発表した「富の福音」の中で、慈善活動を富の創造過程で急激に出現した社会問題を解決する方法としています。 「私たちの時代の問題は富を合理的に管理することであり、裕福な人と貧しい人の間は兄弟のような調和関係であるべきだ」と本は述べています。 彼は富の集中による貧富の格差の拡大は文明の進歩にとって避けられない代償であり、金持ちは社会に対して避けられない責任を持っており、社会が安定し、自分にとっても有利であると考えています。 財を集めるには散財と同様に高度な経営能力が必要であり、富豪は生前に適切な運営を通じて富を公共に利益をもたらす事業に使うべきだと主張しています。
どうやって公衆に利益をもたらしますか? カーネギーはまた続編『公益寄付の最良の分野』を書きました。彼は富を寄付する鍵となる要件は、被援助者に自己救済に不利な傾向です。例えば怠惰、不真面目、救済に頼るのではなく、人々を鼓舞し、自分の努力に頼って行動し、現状を改善できるようにすべきだと考えています。 このポイントに基づいて、カーネギーは富を寄付する6つの「最良の分野」を提案しました。大学、無料公共図書館、公園、公共プール、教会を建設し、病院などの医療機関を設立または拡大します。
カーネギーのこの二つの文章はアメリカ公益事業の古典的な作品と呼ばれ、20世紀のアメリカ現代基金の発展の思想基礎を築きました。 同時代のロックフェラーの基本的な考え方と行動はカーネギーと一致しています。
二、寄付して財団を設立することは富豪たちが選んだ組織方式です。 財団は公益事業の重要なキャリアであり、富豪たちは財団という組織形態を通じて、社会環境の改善を目指しています。 発展の歴史から見ると、財団は通常、社会で推進者、協力者、触媒の3つの役割を果たしています。私たちは20世紀初頭の3つの財団からこれらの役割の影を見ることができます。20世紀初頭に設立された最初のリーダーシップのある財団は3つあります。それぞれ1907年に設立されたセッチ財団、1911年に設立されたカーネギー財団、1913年に設立されたロックフェラー財団です。彼らは理念、経営方法、寄付モデル、寄付分野の選択において模範的な役割を果たし、その後の財団の発展基盤を築いています。
三大財団はいずれも、理事会の設置やプリンシパルの任命など、企業の運営方式を導入しており、理事会は意思決定権を持ち、財団のニーズに応じて業務プログラムや優先順位を調整することができます。 それ以来、財団の経営は専門化に向かって発展し始め、常勤の職員も大幅に増え、次第に独立した産業となりつつあります。また、鉄道や通信手段が発達したおかげで、財団の視野はもはや寄付者のコミュニティ、宗教に限定されず、アメリカ全土、さらにはアメリカ国外にまで目を向けるようになりました。 寄付の分野では、大多数の財団が教育、医療、農業、物理学、化学、生物学、天文学などの科学研究分野に投資しています。スタンフォード大学、ジョンズ・ホプキンス大学、コーネル大学、ヴァンダービルト大学、シカゴ大学など多くの大学は、アメリカ南北戦争後の寄付によって設立されました。 同時に財団は、ニューヨークのMOMAやロンドンのV&Aなど、美術分野への寄付も好んで行っています。
企業家が公益事業を寄付する動機について、一般的な見解では、慈善寄付の免税はアメリカの富豪が財団を設立する重要な理由の一つであると考えられています。 これは、米国財団の発展の過程で、税収政策の調整が慈善寄付に重要な役割を果たしていることを否定するものではないです。 しかし、本論文で述べたタイムノードで、特に前述の3つの財団が設立されたとき、米国には明確な慈善税優遇政策はないです。 アメリカは1913年から個人所得税を徴収し始め、1917年まで慈善寄付免税の税法がありました。 そのため、「米国財団の発達は政府税制の奨励に由来し、脱税は創立者の主な動機である」という認識は正確ではないです。
しかし、一つ指摘できるのは、この時期の企業家は慈善寄付には寛大に見えますが、労��者の労働条件を改善し、労資矛盾を緩和するなど、企業の社会的責任の面ではコントラストが大きいことです。金持ちと貧しい労働者との間はずっと対立状態にあります。カーネギーを例にとると、彼は他の業界リーダーと同様に、労働者に困難で危険な労働条件を与え、労働者スト運動を鎮圧し、彼の工場で労働組合を設立することに断固反対しました。 一方で、彼は不幸者に対する関心はまた真実で、1919年に亡くなる前に、累計は3億3000万ドルを寄付して、自分の巨大な富を社会福祉分野に投入しました。 ロックフェラーの箴言は、「手に入るものはすべて手に入れ、与えるものはすべて手に入れる」というコントラストの表れとも言えます。
統計によると、1913年から1919年にかけて、アメリカの実質賃金は上昇するどころかむしろ低下し、1日8時間労働制が確立されたにもかかわらず、それが企業で普遍的に実施されるにはほど遠かったです。 8時間労働を求める闘いは、ロックナー訴訟によって一時中断しました。 ロックナーはベーカリー経営者で、労働者に1日10時間以上の労働を要求し、ニューヨーク州ベーカリー法に違反したとして訴えられました。 この法律は、ニューヨークのパン職人組合とマスコミによる絶え間ない闘争の末、1895年にようやく成立しました。 裁判所はロックナーに直ちに50ドルの罰金を支払い、50日間の服役を命じました。 ロックナーは、ベーカリー法は労働者階級を優遇する階級偏重の法律であり、憲法修正第14条の平等保護条項に違反すると主張し、判決を不服として連邦最高裁判所に上訴しました。 ロックナーに勝訴の見込みはないと誰もが思っていました。 しかし結局、高裁はロックナーを支持する判決を下しました。 原判決は次のように述べています。「この法律は、雇用主と被雇用者の間で契約を結ぶ権利、すなわち雇用主のパン工場における被雇用者の労働時間に関する権利を必然的に妨害するものであります。 自分のことに関して契約を結ぶ一般的な権利は、連邦憲法修正第14条が保護する個人の自由の権利の一部です」。 それ以来、「ロックハートイズム」が優勢となり、数十年にわたる労働争議と労働者運動を引き起こしました。
もちろん、8時間労働制を実施している企業もあります。 1914年、ヘンリー・フォードは比較的大胆な措置を講じて、労働者の給料を1日5ドル、勤務時間を9時間から8時間で、つまり「5ドル勤務日」に減らすことにしました。 当時、自動車業界では一般的に日当が2-3ドルでした。 このようにした結果、フォード社の労働者欠勤率は下がり、離職率も0.5%以下に下がり、同時に採用事務室の入り口には長い列ができました。 また、自動車の生産規模の拡大に伴い、自動車の生産量は急速に向上し、コストの低下は明らかで、有名なt型車の出荷価格は1950ドルから290ドルに下がりました。 フォードは「給料を1日8時間5ドルにすることは私がこれまでにしたことのない最もきれいな管理決定であり、それを6ドルに引き上げることは、私がその上でさらにきれいな管理決定である」と誇りに思っています。 この決定は、フォードが技術的に熟練した忠実な労働力を得ただけでなく、一部の労働者の給料を上げることで自動車を買うことができる大衆消費者を育成しました。 しかし、パイプラインの労働者は依然として疲れ果てており、革新効果は次第に減少しています。フォードの試みは結局、一部の企業活動が暴露した道徳問題や、鋭い階級対立、環境汚染、社会不安などの問題を解決することができませんでした。
もちろん、大富豪やその財団の公共福祉に対するアメリカの世論は必ずしも肯定的ではなく、批判は続いています。 一方では、財団がその富を利用して教育や医療制度、さらにはアメリカ社会全体の野心をコントロールし、最終的には一般市民を混乱させ、麻痺させ、地域社会に深刻な脅威をもたらすと批判されています。ある人々は、大富豪たちの「寄付」は利己的な喜びであり、恩着せがましく、優越感に満ちている、あるいは贖罪意識からくるもので、善行とはみなされないと批判しています。またある人々は、こうした公共の福祉は本質的に、自分たちの財産を守るための大コンソーシアムによる脱税であると非難しています。 善行です。また、これらの公共の福祉は本質的に、財産を守るための重要な方法である税金の支払いを回避するためのコンソーシアムであり、さらには、移転の犯罪を「清算」するための寄付を通じて不正な利得を求める不適切な手段の使用であると非難する者もいます。
では、富豪寄付基金の効果はどうでしょうか? これは非常に重要で評価が難しく、また答えなければならない質問です。 資中筠さんはかつて非常に重要な観点を述べました:「一つの社会の継続と発達はどのように発展と平等のバランスを取るかにある」。 この観点から、アメリカの財団は両方の面で積極的に貢献しています。 同時に、大資本家は基金会を設立することで税収減免と富の移転と継承による利益を享受し、基金会の資金運営によって大きな資本利益を得ました。
三.社会的な力としての財団は、新しいタイプの政府と企業の関係に貢献します まず、米国財団は社会的矛盾を緩和する上で大きな役割を果たしていることを認めなければなりません。 20世紀初頭、アメリカ社会の矛盾が鋭く、大規模な調整と改良が必要な時、財団は政府より先に教育、医療などの分野で救助を行い、先駆的な役割を果たしました。
1929年の大恐慌は、アメリカ社会のパニックと空前の激動を引き起こし、問題の深刻さは民間救済では解決できず、さらに起業家も危機で深刻な傷を負いました。 ルーズベルトの当選とニューディール政策の登場に伴い、アメリカの社会福祉は新しい時代に入りました。 「ニューディール政策」は社会保障体系を確立し、労働者の自由組織の権利と代表を選ぶ権利を保障しました。 また、民間寄付を大いに奨励し、大企業の寄付に対して一部の免税待遇を与え、民間寄付を奨励することを士気を高め、社会的結束力を高める手段としています。 このような状況の中で、いくつかの大財団は政府ができる限り社会を救うことに協力して、ルーズベルト新政は政府の介入政策と民間の寄付行為との対立を避けて、政府の行為が民間の慈善事業に完全に取って代わられないようにしました。
ニューディール政策の後、富裕層と一般大衆の妥協は成功し、経済は大きく成長し、所得格差は着実に縮小しました。1940年代から1970年代にかけて、アメリカの上位1%の富裕層の所得シェアは、1940年の約16%から1970年には7%にまで低下しました慈善事業も強力な力となり、ある分野では社会のアジェンダにも影響を与えることができます。例えば、ゲイツ氏は2014年のインタビューで、財団の活動の目的は、政策立案者に直接何をすべきかを指示することではなく、政策立案者が選択できる選択肢を増やすこと述べました。
その後、アメリカ政府の福祉政策は企業、民間公益寄付と並行して矛盾せず、相補的な新しい政商関係を形成しました。 政府にとって、財団は政府の遺棄を補い、政府が「していない、できない、またはしたくない」ことをすることができます。 一方、財団は政府の公益事業資金の不足を補い、政府が社会の矛盾を緩和し、社会福祉を満足させ、文化教育を発展させるのを助けることができ、またアメリカの価値観とイデオロギーを輸出する有効なキャリアとなり、政府外交政策の「見えない手」となります。 基金会にとっても、政府との関係は政府の意思決定への影響を増やし、自分の影響力とコントロール力を拡大することができます。 ロックフェラーが指摘したように、「ワシントンの国務院は私たちの最大の助っ人であり、多くの大使と部長たちは私たちが世界で最も遠い隅に新しい市場を開拓するのを助けてくれました」。
社会組織である財団と政府との間の人員移動もよく見られます。 アメリカの多くの政府高官は財団と密接な関係を持っています。 例えば、ロックフェラー財団だけでも、国務長官を務めた政府高官が3人います。 第一は、ラスク(Dean Rusk)は、トルーマン政権で国務次官、ジョンソン政権で国務長官を務め、2回の政府職務の間にロックフェラー財団の会長を務めました。 第二は、ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)はロックフェラー財団の会長職を退き、アイゼンハワー政権で初代国務長官を務めた後、カーネギー平和財団の会長を務めました。第三は、サイラスヴァンス(Cyrus Vance)で、ロックフェラー財団の会長職から退任した後、カーター政府の国務長官を務めました。このように、この財団は「影の内閣」とも呼ばれています。
慈善寄付は社会の進歩を推進する重要な原動力となっています 20世紀以来の基金会は、アメリカ社会の改良を推進する三つの力の一つとみなされ、世界経済の発展を促進し、社会の進歩を推進し、貧困を減らし、健康を促進し、貧富の格差を解消する重要な力です。 彼らはグローバル財団の発展をリードし、今日でもグローバル文明を推進する上で重要な役割を果たしています。
財団の教育、科学研究に対する強力な支援、および知識の伝播と文化学術交流に対する熱心な提唱は、社会生産力の発展に積極的な推進作用を果たしました。 同時に財団は社会的弱者にも注目しています。 アメリカの特定の条件下では、人種の矛盾と貧富の差は常に深刻な社会問題ですある。 慈善基金は社会の不平等を根本的に解消することはできませんが、アメリカの1世紀以来の矛盾の先鋭化を防ぐ重要な力を構成しています。
特に、自然科学でも社会科学の分野でも、いくつかの新しい発明や研究は、最初の肝心な時に財団の助成に役立つことが多いです。成功が自信がない場合や、実際の利益が明らかでない場合、一般政府や企業はリスクを冒したくないからです。 この助成金の割合は小さいですが、「無から有へ」の推進作用を果たしています。
ロックフェラー財団を例にとると、1928年、ロックフェラー財団は英国人フレミングによるペニシリンの発見に資金を提供しました。ロックフェラー医科大学の設立後、数年以内に鉤虫症、流行性髄膜炎、ポリオ、黄熱病、梅毒の研究が飛躍的に進み、鉤虫症だけでも6500万米ドルが投資されました。1930年、ロックフェラー財団は近代的な職業・精神医学研究の先駆者となりました。ロックフェラー・ウイルス研究所に勤務していたテイラーは、黄熱病に対するワクチンの開発でノーベル医学・病理学賞を受賞しました。ロックフェラー財団は、フォード財団やその他の財団と共同で「緑の革命」プログラムを立ち上げ、米やその他の作物の収量を倍増させました。また、当時最先端であった遺伝学、生物物理学、生化学の飛躍的進歩や、検出器ミラーやX線分解装置などの研究機器の改良と発明も、すべて財団の支援によって実現しました。
同時に、財団が始めた新しいプロジェクトが、後に新たな政策として政府に引き継がれることも多かったです。 例えば、フォード財団のスラム対策「グレーゾーン」プロジェクトは、ジョンソン政権の「貧困との戦い」プログラムの先駆けとなりました。カーネギー財団の公共図書館と大学教員の年金プログラムは、公共の福祉に分類されました。ロックフェラー財団の公共図書館と大学教員の年金プログラムは、公共の福祉となりました。カーネギー財団は、公共図書館や大学教員の年金プログラムを開始し、これらは公的給付として分類されるようになりました。ロックフェラー財団は、第二次世界大戦後のアメリカにおける人口動態の変化を初めて分析しました。
今、主要な財団は、経済発展と平等のバランスを世界的に維持する上で重要な役割をしています。 例えば、ゲイツ財団は、世界保健機関、世界銀行、ユニセフと協力して、グローバルワクチン免疫連合(Gavi)を設立し、各国政府と関連機関に共同で資金調達してワクチンを購入し、低所得国の子供たちに提供するよう呼びかけています。 2019年までに、Gaviは7億1300万人以上の子供のためにワクチン接種し、1300万人の子供の死亡を回避しました。 この機関はまた、より多くのワクチンと物資をより安い価格で市場に導入することに成功しました。例えば、1剤で5種類の致命的な感染を予防できる5連ワクチンは過去の価格で3.65ドルでしたが、現在では1ドル未満に下がっています。
財団の設立と管理は富の分配と継承の構成構造となっています 現在、米国には特別で独立した慈善法はなく、憲法、税法、会社法、非営利団体法などの連邦および州の法律法規に慈善に関する規定と条項が散在しています。 米国の法律による基金会の税収規定は、基金会を富豪たち脱税のための有効な道具とし、財産を長期的に保存するための重要な手段の一つとなっています。
『アメリカ連邦国内税収法典』第501条(c)項(3)項の規定に従って、登録された基金はすべて所得税を免除する優遇政策を享受することができます。 慈善団体の収入は、私立財団の純利益に消費税を徴収し、目的に関係のない商業収入に課税することを除き、免税です。 また、慈善団体に寄付した組織と個人に税金控除を与え、個人が享受できる税金優遇はその年の税前収入の60%に達し、会社は税前収入の25%に達します。これは慈善寄付を大いに奨励しています。
米国国税庁は財団に対し、毎年財団の投資資産の時価総額の5%に相当する金額を慈善目的のために、支出することを義務付けており、余剰分は翌年度の最低支出額に対して積み立てることができ、最長5年間繰り延べられます。その結果、ほとんどの財団は、毎年わずかな部分のみを慈善目的に支払い、多額の資金を財団に留保しています。様々な投資を通じて、財団は「保全と感謝」という目的を容易に達成することができ、財団の財源が持続可能な発展を達成し続けるようにすることができます。ルンドバーグが言ったように、「財団を通じて、創設者はより多くの資金を得ることができ、より多くの資金を残すことができる」のです。
アメリカには慈善団体の支出比率をハードに規定する法律がなく、慈善団体の中には慈善の看板を掲げて私利をむさぼる人もいます。 統計によると、アメリカの数十の慈善団体の管理支出は70%を超え、一部は90%を超えています。 例えば2015年に明らかになったがん財団のスキャンダルでは、「アメリカがん基金」という慈善団体が受け取った1ドルの寄付金のうち、実際にがん患者に寄付したのはわずか3セントでした。 慈善基金はアメリカの現在の「贈収賄」方式の一つになっており、クリントンやトランプなどには自分の名前をつけた慈善基金があるとの告発もあります。 利益グループがある役人に賄賂を贈りたいとき、慈善基金に寄付することができ、基金は「個人の金庫」になります。 彼らはほんの一部を慈善活動に使うだけで、残りのお金は日常の花屋に使うことができ、その名の通り「行政費用」です。 このように、財団は発展の中で、富豪家族が財団を利用して利益を求める、財団と企業が互いに利益を求める、財団が不正に投資するなどの問題がよく発生し��います。
米国政府は税制上の免除を提供する一方で、慈善団体に対する入会基準や運営上の要件を定めています。税法では、財団は毎年、その財務および運営活動の状況を文書化した詳細な年次報告書、フォーム990(公的慈善団体の場合)またはフォーム990-PF(私的財団の場合)として知られています。慈善活動の詳細が記載され、特定の質問に対する回答には、文書や説明資料の添付が義務付けられています。フォームの必須項目には、利益相反を回避し、慈善団体の資金の不正使用を防ぐために、団体の管理者の個人情報、相互関係、給与についても規定されています。慈善団体が免税を受けられるのは、申請書が内国歳入庁によって審査され、承認された後です。
米国政府はまた、法律ハードルール基金を通じて社会公衆の問い合わせ要求を満たし、社会監督を受けなければなりません。そうでなければ、国税庁は厳しい処罰を与えます。 税法によると、免税資格を取得した慈善団体は、免税資格申請書とすべての添付資料、年度財務諸表が公共書類であり、社会全体に公開して、公開して閲覧できるようにしなければなりません。一部の組織は厳しい鑑査を受けなければなりません。情報の透明性は慈善団体を監督する多くの機関を生みました。 これらの機関は慈善団体が提出した公開情報の抽出を簡素化し、財政状況、説明責任能力、透明性などの指標を用いて慈善団体を評価採点し、寄付者に参考を提供し、社会監督の目的を達成しました。 慈善資金を慈善事業に投入することを奨励するため、2021年1月『フォーブス』は過去のフォーブス400慈善ランキングの評価方法を変えました。 このランキングでは、ランキングメンバーが一生の間に財団に投資した資金を計算するのではなく、これらの財団からの寄付金に加えて、追跡できる直接の寄付金を集計し、フォーブス400ランキングのメンバーが実際にどのくらい寄付したかを試算しました。
慈善寄付が家族の伝承に与える積極的な役割は主に富の伝承と文化の伝承の2つの側面に現れています。 富の継承の観点から見ると、一方で、国家の巨額の遺産税の存在により、家族の富を基金会に移すことで富の最大の残存が実現し、「敗者」の出現により巨額の財産が急速に浪費されることも防止されています。 一方、慈善事業は家族に分散投資の機会を提供し、すべての財産を家庭の主要な経営業務に投入する潜在的リスクを回避します。 文化伝承の観点から見ると、慈善活動は「裕福な世代」たちの個人と家族に対する価値観の基本的な表現で、慈善活動が家族リーダーの存在の価値観を実践に追い込むのです。 アメリカでは、慈善活動は裕福な人々に子供と外部との接触を奨励する重要な手段とみなされています。 家族は慈善活動を通じて富の真の意味を理解し、親や先祖が行っている慈善事業に誇りを感じ、家族への更なる賛同を形成しています。 多くの後輩はこれによって先人の慈善事業を継続し、さらにはそれをより広い分野に広げました。 子孫に受け継がれるのは富の管理だけではなく、家族の慈善精神もあります。
慈善活動を通じて、家族の社会的価値も向上しました。 慈善事業への投資を通じて、ロックフェラーやカーネギーなどは自分のイメージの再構築を成し遂げただけでなく、アメリカ社会のあらゆる面で家族の影響力を高めました。 例えば、ロックフェラー家は長年ブルッキングス学会などのアメリカのトップレベルのシンクタンクを支援して、連邦政府の決定に直接影響しています。マンハッタン東区の土地を寄付することで国連本部をニューヨークに移転した話はさらに美談になりました。 国際交流では、フォード財団に代表される家族財団がアメリカ外交の先駆者となり、海外で直接または間接的にアメリカの利益を推進しています。
現在、ロックフェラー家族は第6世代に発展しています。 百年を経て、ロックフェラー���子孫たちは文化、衛生、慈善事業に積極的に参加し、大量の資金を大学に投資し、病院を運営し、社会全体で彼らの富を共有できるようにしました。 家庭の富の内部伝承に加えて、ロックフェラー家は彼らの富を使って社会に貢献し、家族の影響力を世界各地に浸透させました。
以上のことから、アメリカの慈善寄付の現代的発展の歴史を分析すると、慈善寄付は社会各界が合意を得ることができる事業であり、国、人種、宗教、文化を問わず、さらには異なる組織でも合意を得ることができ、参加者も積極的に行動します。 将来の発展には、より長期的な社会問題に対応して解決し、人類の進歩を促進するために、富の所有者と政府、司法機関、学界、新たに出現した業界協会などの様々な進歩エリートとの間に協力関係を築く必要があります。
アメリカの富豪が最初に財団を設立した寄付の動機を見ると、彼らが寄付を始めた目的は、自分たちが置かれている社会環境を変え、社会の矛盾を緩和し、さらに社会全体の環境を変え、社会の進歩を促し、教育、医療、芸術分野での寄付がより高い社会構造を示していることがわかります。 彼らの慈善活動は、すべての人の利益を最大化し、社会的矛盾を解決することです。 全体的に見ると、「いかなる慈善的動機に基づいても、慈善事業自体の目的は人類文明の福祉、幸福、文化を推進することである」。
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