Tumgik
#山田唯菜
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
8th Single BACKS LIVE!! (2024.05.10) (2)
9 notes · View notes
tokyo-akb48 · 2 years
Photo
Tumblr media
14 notes · View notes
15eg12en · 2 years
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
別格特異 1位 岸みゆ ※
1位 今田美桜
2位 古田愛理 ※
3位 佐藤美希 ※
4位 山崎真実 ※
5位 田村保乃
6位 水崎綾女 ※
7位 えなこ
8位 新谷姫加 ※
9位 吉岡里帆
10位 森日菜美 ※
11位 御寺ゆき ※
12位 長澤まさみ
13位 長濱ねる
14位 浅倉唯
15位 井桁弘恵
16位 逢沢りな ※
17位 有村架純
18位 奥山かずさ
19位 いけちゃん ※
20位 ロン・モンロウ ※
690 notes · View notes
kaoriof · 14 days
Text
(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前にスタッフルームに入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけどね、富士山に関係している話なの。それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれるの。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無��で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の文化祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近はめがねがこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにそのつど救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。家族のことはそれなりにはすきだけど、一緒に暮らすことだけは大きらいなのでふつーにしにてーと思った。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。この人とはしんでもキスとかセックスとかできないなと思う。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにスタバでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花が欲しい、誕生日に花なんて一輪も貰えなかったし。北海道の僻地とか一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになるの。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
大学に入ってからみんなかわいくなっていって、わたしだけ取り残されているような気分。東京のど真ん中にすんでるから?みんなほそくて、白くて、髪から爪先までケアが行き届いていて己の恥が浮き彫りにされる。その一瞬はたのしいとかんじても、その背後にはいくつもの積み重ねられた気苦労があって帰りの電車の中でぐったりする。恋人のこと、しばらくは気にしないでおこうと思っていたのにこういう、心がげんなりしているときにその輪郭はいっそうまぶしく点滅する。とりあえず5キロ痩せる。いつかはだれかの手のひらサイズに収まる砂となってしまうのに、変なの、と思いながら、それでも毎朝まつ毛をあげる。でも、悲しくなったり辛くなったりはしなくなった。ひとりでもだいじょうぶなのだと思えるようになった。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと思う、自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。でもそれってそんなにいけないことかな?インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。美しいから隠すというのもとても素敵だけど、なんで美しいから見せるのはだめなんだろう。美しいと分かればわかるほど人は傷つけたくないという気持ちになるのに。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、一人だけじゃなくて、みんなに、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分らは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。これのどこが罪深いんだろう?とおもってしまった。みんなほんとうは弱いんだとしってなんでも許せるような気分だった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、なにも怖がることはないと思うの。本当はたまにすごくこ��くなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付��、気づいてあげられる。寂しいときも��れしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主かショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。てをつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいなかなしいなとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛てあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
eighteen, mytears
最近歩くのがはやくなった。暑さで腐っていく弁当箱の中の唐揚げ、毛を剃り続けて痛んだ腕。砂時計みたいにどんどん浪費されていくばかりの時間、人生を、客観的になって眺めてみると、なんて滑稽なものだと思うけれど、与えられたものをそれなりに消費していくことでしか自分のことを殺せない。まいにち山手線に乗ってる、ぎらぎらした太陽の光の下で蛇みたいに動いている列車。窓枠に空の青だけが切り取られるとまるで宙を浮いているみたいに感じられて死にたくなってしまう。こんな文章を書いていいほど、自分のことをうつくしいとだきしめて愛でてあげることができない。ブログを更新しなくなったらファンがたくさん減った。文章を書く行為ってとても勝手でずるくて逃げてるかんじがする。だからすきなのに、それをすきと言う自分のことを認めてもっとすきになるのに勇気がいる。ぜんぶそう。わたしは勉強のことを口にしていいほど頭も良くないし、外見にしろ性格にしろ友達との関係や恋愛においても尚更そう。参考書の羅列された文字をいくら追っても脳味噌が大きくなっていく感じがしないし、わたしの未来があかるくなっていくかんじもしない。あなたよりもつらい人は沢山いるから、ね。あなたの不幸なんてちいさなものだから、という言葉がどれだけ傷な言葉かわかってほしい。どこをみても善を装った暴力ばかりが転がっていて、本当はたぶんみんな何かに託けてマスクの下で舌打ちしているんだと思う、絶対そうだと思う。小さな四角い箱の中でみんな泣いている。夏にいちばんちかい記憶の底でみんな寂しがっている。勉強の意味の裏付けにあの子は一体なにを置いているんだろ。変なの。もう文章も書けなくなった。夏になると賑わう燕の巣を確認することもなくなった。野良猫をていねいに撫でなくなった。恋人ともうまくいかない。どれもこれもおまえ(わたし)のせい、がむしゃらに鳴いている蝉だって求愛のためにあんなに人の生活を邪魔することをゆるされるのに、わたしがそれをすると暴力だのめんどうくさいだの、そんな価値のないものに成り下がってしまうのはどうして。ただの自傷になってしまうのはどうして。だれも捕まえてくれない。あなたのことを好きで、それが結果的にあなたのことをくるしめてしまっても、それを俺もすきだからという理由だけでぜんぶゆるしてほしい。泣きすぎてお腹空いた。自分自身の未来に対しても過去に対しても、これを読んでくれているあなたに対しても、友人にも、恋人にも、両親にも、苦しくさせてごめんなさいという想いばかりあって、それを受け止めてくれた優しさに対してのありがとうばかりある。受験死ね、と最後に書こうかなとおもったけどちゃんとした日本語じゃないし縁起がわるいのでやめた。すぐにじゃなくても良いから最後にはみんな幸せになれますように、おやすみなさい。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少し��つ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わ��しはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだ��で、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人��お願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
15 notes · View notes
Text
smi********さん
2016/1/25 18:18
なかよし・・・1990年代末まではりぼんと並ぶ名門で、メディアミックスでは紛れも無くNo.1だった雑誌。しかし1990年代に大ヒットした美少女戦士セーラームーンとカードキャプターさくらの影響が悪い方に作用し、編集部がオタクの嗜好と女児の嗜好を取り違えて、いつしか美少女戦士やら魔法少女ばっかり重視するようになり、それが描ける作家はCLAMPとか征海未亜とか外部作家やフリー作家を連れてきたりして優遇する代わりに、描けない作家は大ベテランのあさぎり夕であろうが高瀬綾であろうが川村美香であろうが引退を突き付けて『粛清』し、「アニメ」ではなく「少女漫画」を求めていた読者から見放されて自爆した雑誌。 現在では「美少女戦士・魔法少女=アニメオリジナル・園児向けのプリキュア」(一応なかよしで連載しているけどね)という図式が定着した影響で少女漫画での魔法少女漫画の需要がなくなったせいで、遠山えまや鳥海ペドロらを『調教』してちゃおを"卒業"した子やその路線になじめない子狙いでコミックス売上狙いでエロ路線に走っている(とはいえ、エロのレベルは一時の少女コミック・Cheese!と比べりゃ微々たるもの)けれど、一部を除く女児には不評。ちゃおほどメディアミックスに熱心できる状況ではなく、りぼんほどコミックスが売れる作家が多いわけでもなく、コミックスのスペースもかつてのちゃおが味わった苦汁のごとく年々削減されて、セーラームーンとCCさくらの貯金を取り崩しながら破滅に近づいている状況。 りぼん・・・2000年代までは少女漫画売上No.1で、マーガレットの妹分。恋愛漫画も充実。メディアミックスはヒット作に全く恵まれずに消極的なおかげでなかよしと比べると少女漫画の品位は保たれているし、ちゃおよりも少女漫画らしい誌面。ただし1990年代から2000年代前半はメディアミックスではなかよしを追い抜こうとした時期があり、姫ちゃんのリボンをテレビ東京系でもいいからアニメ化したり、秋元康に頼んでナースエンジェルりりかSOSを立ち上げたり、赤ずきんチャチャを魔法少女モノに改変したり、どちらかと言うと原作は鬱要素が強いこどものおもちゃを子供向け路線に改変してアニメ化された影響で、誌面はタイアップバリバリだった。そのおかげで姫ちゃん~こどちゃがアニメ化されていた頃は低年齢層を掴んで1994年には少女漫画最高記録の255万部/月を達成するが、こどちゃ以降はアニメ化に恵まれず、新人を猛プッシュした種村有菜のアニメ化作品が神風怪盗ジャンヌ・満月をさがしてとともに不振だったり、Cookieの分離創刊を機に吉住渉、矢沢あい、小花美穂ら古参作家を放出させ、春田なな、酒井まゆ、槇ようこら絵柄重視で新人作家を猛プッシュしたりした影響でやっぱり古参読者が離れて部数が激減、一時は3誌で最下位になるものの、その後のなかよしの大自爆により2位に浮上。 現在では春田なな・槙ようこが看板格に育ち、雪丸もえのひよ恋がスマッシュヒットしたが、最盛期には遠く及ばず、また夢色パティシエールの大爆死以降はちびまる子ちゃんを除くメディアミックスも一切なく、中高生向け少女漫画と同じくコミックスで生き残りをかける格好。 ちゃお・・・1990年代中盤までは売上・人気面でボロボロで10万部台の頃もあり。起死回生を図るために1993年に(当時キャンディキャンディの版権問題で水木杏子・講談社と揉めていた)いがらしゆみこを招聘してムカムカパラダイスをアニメ化して以来、漫画よりもアニメとのタイアップを中心に捉えてきた。2000年代初頭まではタイアップ先(特にバンダイがメインスポンサーの女児アニメ)がちゃおを敬遠していたこともあり、ポケモン、少女漫画ウテナ、デ・ジ・キャラットにょ、電脳コイルといったオタク層や男性(男児)向けの作品が比較的多く、その漫画版が載っていた1997~2003年頃のちゃおはカオスな雰囲気を醸し出していた。しかし2002年のわがままフェアリーミルモでポン!のヒットで少女漫画売上No.1になるとオタク向け路線は徐々に一掃され、ChuChuの分離創刊(現在は廃刊)であらいきよこ・おおばやしみゆきらベテランが放出されるが、ミルモ・恋プリ・ちびデビ・ちいちゃんと児童向け路線で4作続けてヒットを出す篠塚ひろむと、男ショタキャラの魅力でちゃおを卒業した読者もコミックスに安定して取り込む八神千歳の存在は頼もしく、3誌の中で唯一世代交代に成功したといえる。2000年代後半からはアイドル物に力を注ぎ、きらりん☆レ��リューションで中原杏を猛プッシュ。関連商品の売上は上がるが、デッサン力・画力は決して高いとはいえない彼女を起用したおかげで、高学年を中心に読者離れが起きて本誌の売上は下がる。 現在では売上は下落の一途だけど前述のアイドル路線を引き継いだアイカツ・プリパラと、妖怪ウォッチのタイアップで華はある印象。そのおかげでスーパーやコンビニ・書店では月末には真っ先に売り切れる。それらのタイアップ作品に流されやすい女児には堅調で、それに流されにくい女児は早々と逃げられ、女児の間で評価が分かれる(後者は早めに少女コミック・マーガレット・花とゆめなど中高生向け雑誌に移行することが多い)。あと女装ショタや性教育エロ路線では鉄板で、1991年の水色時代でのレギュラー化から現在のドーリィ♪カノンまで25年間もちゃお・学年誌に居座り続けているやぶうち優はいろいろな意味で化け物。 マーガレット・・・当たり前だが、りなちゃ3誌よりは少女漫画らしい雑誌。少女コミックス・花とゆめを含めた3大隔週誌の中では王道路線であり、アタックNo.1、ベルサイユのばら、エースをねらえ!、花より男子のヒットを築く。しかし、花より男子が終了した2000年代後半には部数が激減し、10万部を割り込む。近年はメイちゃんの執事がヒットするが、部数減に歯止めがかからず5万部台で推移、りぼん・なかよしと同じく主戦場は完全にコミックスに移行。
参考になる
4
ありがとう
0
感動した
0
面白い
10 notes · View notes
kennak · 2 years
Quote
井上陽水(73歳)は2019年の50周年記念ライブを最後に表立った活動をしていない。 吉田拓郎(76歳)は6月29日発売予定の8年振りのオリジナルアルバム「ah-面白かった」を ラストアルバムと決め、音楽活動に終止符を打つ。 高橋真梨子(73歳)は最後の全国ツアーと銘打って開催したツアーが コロナによって中止となり、今年改めて再スタートを切っている。 同じく中島みゆき(70歳)も最後の全国ツアー「結果オーライ」を道半ばで中止せざるを得ず おそらく本人も不本意ではあろうがライブアルバム「結果オーライ」をリリースした。 ツアー再演の話は無さそうだが、映像や音源の収録があっただけでも良しとするべきなのだろう。 美空ひばりや堀内孝雄などへの提供曲でも知られる小椋佳(78歳)も、今年が最後の公演となるらしい。 小椋佳は古希を迎えた2014年に「生前葬ツアー」を開催済みなので 唐突に引退を発表したわけではなく、着々と進めてきた店仕舞いの準備が今年終わるといった印象。 一方活動的なのは小田和正(74歳)で、この6月より史上最年長記録である74歳8ヶ月で全国ツアーを開始したばかり。 女性では松任谷由実(69歳)が現在も「深海の街」ツアーを続行中。 全国のFM局と連動したリクエスト企画も立ち上げ、秋には企画で多数の票を獲得した曲だけの ベストアルバムをリリースする予定。 ニューアルバムをリリースしたばかりの山下達郎(69歳)も3年振りの全国ツアー 「山下達郎 PERFORMANCE 2022」を開催中。 矢沢永吉(72歳)、浜田省吾(69歳)、桑田佳祐(66歳)や玉置浩二(63歳)らもライブ活動を継続中。 細野晴臣(74歳)は今月大阪中之島でライブを行うなど、大規模な活動こそしていないが 箱の大小を問わずマイペースにやりたいことをやっていて楽しそうだ。 大瀧詠一、筒美京平、小坂忠など、既にこの世を去った日本の音楽界のパイオニア達も多い。 演歌と歌謡曲しかなかった日本の音楽シーンに、ロックやポップスの種をまき 数え切れないほどの花を咲かせてきた彼(彼女)達には感謝しかないし 細野を敬愛する星野源や、ユーミンへの愛を語るaikoら 後続のミュージシャンも生まれていなかったかも知れない。 私が幼い頃、50代どころか40代の歌手には演歌勢ぐらいしかいなかった。 しかし、本人は未だ隠遁生活を送っているが今年40周年を迎えてマスコミが盛り上がっている中森明菜ですら56歳。 不幸を乗り越えてツアーを再開した松田聖子は60歳である。 こんな日本を、昔の私は想像だにしていなかった。 良い時代になったと思う反面、別れの時期が近づいていることを嫌でも自覚してしまう。 今でも心残りがあり、たまに検索してしまう山本潤子(72歳)は 小田和正が唯一「あの人には勝てない」と認めたボーカリストであり 日本でも最高峰のシンガーだと思っているのだが、2014年に突然活動休止を宣言したまま 既に8年が過ぎようとしている。彼女ほどのビッグネームであれば どこからか情報や消息が漏れ伝わってくるものだが、噂話も含め全く出てこないことを考えると かなり厳しい箝口令が敷かれているのではないかと思う。 交流のある小田やユーミンが知らないわけは無い。 せめてお元気でいてくれると良いのだが。 達郎&まりや夫妻、ユーミンや中島みゆきらシンガーソングライターは 重ねた年齢を楽曲に投影することでさらなる深化を遂げている部分もあり 新譜が出ると聞けばやはり気になるし、ライブをやるなら観にも行きたい。 しかしそういったことも、あと10年は続かないような気がする。 巨人達が最終コーナーを迎えているということは、 彼(彼女)らの音楽と共に生きてきた自分自身も最終コーナーに差し掛かっているということ。 陽水のように極自然に年を重ねて、90歳になってもギターをつまびきながら タモリと笑い合っているようなイメージの巨人が急に音信不通になると 色んなことを考えてしまう。 老いに対して「あの人だけは大丈夫」は通用しない。 そんなことは百も承知で、でもまた元気な姿が見たい。
日本の音楽シーンを支えてきた巨人達が迎える最終コーナー、他 - 忍之閻魔帳
18 notes · View notes
Text
2/4(土)「エルダンジュ」楽曲配信決定!
主人公・ヒナノたちのライバルであり、
圧倒的な強さと美しさを持つチーム「エルダンジュ」の楽曲配信が
2/4(土)に決定しました!✨
各キャラクターに沿って書き下ろされた楽曲、
ぜひチェックしてください!
★「Queen of Fairy Sky」
御子白ユカリ(CV.南條愛乃)
作詞:マイクスギヤマ
作曲・編曲:田山里奈
▼配信先▼
avex.lnk.to/polpri_queen
※各配信サイトのリンクは配信開始時より有効となります。
Tumblr media
★「Avaricious Heroine」
紫藤サナ(CV.⽇⾼ ⾥菜)
作詞:マイクスギヤマ
作曲・編曲:マスティ=DC
▼配信先▼
avex.lnk.to/polpri_avaricious
※各配信サイトのリンクは配信開始時より有効となります。
Tumblr media
★「眩暈の波紋」
蒼唯ノア(CV.早⾒ 沙織)
作詞:マイクスギヤマ
作曲・編曲:東大路 憲太
▼配信先▼
avex.lnk.to/polpri_hamon
※各配信サイトのリンクは配信開始時より有効となります。
Tumblr media
3 notes · View notes
wizardlq · 1 year
Photo
Tumblr media
不知不觉又到了年尾,时光就是这样,日升日落,四季轮回,不知不觉间就被偷走了一天又一天,从始到终。外面的天空时而澄明晴朗时而灰蒙阴沉,它的广阔本属于自由的鸟儿,但如今却只能用苍白来述说这一年。今年本来不想写总结了,但网络上还是有人提醒我这档子事,加之某宝催着年更,也就这么写了。 2022年的1月,元旦跟某人吃了个海鲜自助就算是跨年了,成年人的世界无非是吃吃喝喝,行行摄摄,精准防控下的上海某奶茶店成了全国最小的风险区,某人恰好去了那家网红奶茶店成了次密接,连带被封控在家,门口贴了封条,有大爷在门口守候,还有大白上门做了核酸,还好有惊无险,两天后揭去封条,像被压五行山下的孙大圣一般重获自由,但还是居家自我监测健康两周,用了好多年的飞利浦电话机终于更新成了步步高,同样用了好多年的外网电脑P键坏掉了修了修继续用还是没有更换…… 2022年的2月,YQ几年了,无论ZF还是单位总是倡导非必要不外出,建议原地过年,但我觉得春节就应该多陪陪家人,回家一趟很有必要,只想问什么叫非必要,什么叫砖家建议,谨慎起见还是没敢坐高铁,搭了一个顺风车折腾一天到家,贴春联、准备年夜饭、逛灯会、登青云山、柴汶河怀古、拜访妹妹新家,整个春节也算安乐祥和,家里添置了几件西洋老物件、装裱了几幅小画,把家收拾的更加文艺典雅了,月末去临港参加了一个重要的项目评审,没想到成了今年唯一一次的出差…… 2022年的3月,风声渐紧,超市和菜场的货架开始空起来,小区断续出现阳性,时解时封,初次用上了抗原自测,收到了单位送来的蔬菜大礼包…… 2022年的4月,浦东浦西以黄浦江为界变作鸳鸯锅的模样先后封控,但没说是封城,被封在家的日子里,有些无所适从,生怕什么时候就断粮了,感到了一种真切的生存恐惧,还好有我的团长我的团,团到了面粉、雪碧、白玉枇杷等略显奢侈的战略物资,解锁了煎鸡蛋饼、烙葱油饼等新技能,社会上微博上若干大事件,剧烈的动荡和不安全感,无尽的流言让人只想躲进小楼成一统,失去表达欲,激动的心颤抖的手,标书最后一次机会的最后两秒拍中了沪牌,也算百��压抑下的普大喜奔了…… 2022年的5月,继续封控在家,不再焦躁,慢慢进入安心改造阶段,为了对抗无聊、散漫、烦闷与虚无,强迫自己按照规律恢复生活和工作的秩序感,完成了山东大馍馍和糖夹子的手作试验,熬了猪油、种了小葱,吃到了时令水果杨梅和荔枝,全面提升了居家办公的效率,闲暇时间读了四书,想深入了解一下古典文化,接续传统,五经有点大部头实在读不下去,暂时搁置,启用了几枚新印,数易其稿,从孟春到初夏,着实不易,YT上观看了俄罗斯纪念卫国战争77周年的红场阅兵,感慨了一下苏维埃的宏大理想何以沉沦至此,月末看到了解除封控的希望,从三月份滞留的快递终于收到了,小区开始办理临时出入证…… 2022年的6月,突如其来的解封有点措不及防,疯长四个月的头发终于被收拾利索,给泰安诗词学会投稿了一篇七言绝句,被收录在公共号上,时隔数月终于在父亲节与某宝同框,终于可以正经去逛商场了,某人给买了ALLbirds的鞋子,不是很懂却很适宜,时隔半年,印章和装裱店的因素才收集齐全,卧室里挂上了一幅浅绛青绿山水,室内装饰暂告一段,太难了…… 2022年的7月,时隔数月,首次出去堂食,某人开着车,坐在副驾的我慌得一匹,陪某宝去了前滩太古里,本来想好好逛逛,结果买了几本书,喝了一杯奶茶就匆匆离开,强迫自己健身,跳绳太过剧烈,感觉不太适合,还是想仔细研究一下道教医学,以静制动估计也很好,用手持望远镜观测了超级月亮,画下了当日的月相图,感慨自己作为一名曾经的粒子宇宙学考研者居然没有一个真正的天文望远镜,久未临帖,试写行书,还是找不到感觉,去苏州河和复兴路的江边兜了一圈,感觉自己像一个驾着驽马的拙劣骑手游荡在都市的丛林里…… 2022年的8月,时隔四个月,终于结束居家办公回到单位上班,时封农历生日遇,某人加餐给点了外卖,送了几只荷花,感觉被自己瓶插玩坏了,集团公司廉洁文化征稿,获得二等奖奖品是一个九阳豆浆机,某人用电动推子在一个夜��风高的辰光深一刀浅一刀的给自己理了个发,心有余悸,阳历生日当天签下了全新林肯Z,向往着远方的星辰大海,像博物学家一样生活,下班途中见到了很多久违的动物和植物,但蜗壳一直没找到,大抵前几个月被消杀殆尽了吧,陪老妈去了一趟徐汇滨江,面对滔滔江水,感慨了一番秋风萧瑟…… 2022年的9月,加了一个神交已久的博主,学习到了很多文人的生活趣味,入了古砖,种了菖蒲、插了灵芝、磨了如意、添置了竹鞭印章、枯木山子、鱼鳞水石、青铜水仙盘、插花竹筒、果盘提篮等一批文房雅器,在一个专业高端玩家的指导下组建了一个原生水族箱,集齐了来自无锡、湖州、阜阳、丽水、衢州、娄底、红河、合肥、广州的粘皮、方氏、麦氏、黄唇等鱼、蚌、蚬、螺,真是认识一个人就是���识一种生活方式啊,绞尽脑汁逃避核酸检测,但人算不如天算还是在台风梅花过境的当天晚上,冒着狂风大雨骂骂咧咧的去社区医院排队做了核酸;陪老妈去了郊野公园、闵行文化公园、武康路网红街、七宝老街,体味了一下久违的自然田园、都市风光,在某人的教唆下,四十年来第一次洗牙,有点恶心,临时牌照申请下来,并赶在国庆前提到了新车…… (在 魔都上海) https://www.instagram.com/p/CnMazDPrVkh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
chumolandham · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
星の降る森(2022.10.29~30) 紅葉ベストシーズンにつき、どこのキャンプ場も満サイト。 唯一空いていたのが、暖炉のある山小屋。良さそうな予感。 沼田ICで下りたら、まずはベイシア&カインズで買い出し。 激混みの「川場田園プラザ」でお昼を食べてキャンプ場へ。 テント&タープの設営がないと楽ちん。すぐにデッキでBBQ。 眼下に見えるテントサイトが綺麗だった~。星も同様に~。 暖炉のおかげで就寝時もポカポカ。朝までみんなぐっすり。 チェックアウトしたらリンゴ狩り。「山口果樹園」オススメ! 道の駅で野菜買って、とんかつ街道でとんかつ食べて帰宅。 土日の混雑と小屋泊キャンプの良さを知った週末でした。
2 notes · View notes
uchandazo · 3 days
Text
0 notes
ms18e · 16 days
Text
雅 オールスターズ ( 2枚組み)
雅 オールスターズ ( 2枚組み) スタジオ: オリエンタルドリーム シリーズ: 雅 エレガンス 時間: 480分 女優: 中里愛奈 相澤唯衣 持月真由 白石ひより 広瀬奈央美 岩下美季 稲森麗奈 草蒔紅葉 AYA 坂下ななえ 上原絵理花 飯島直愛 白瀬あいみ 望月れいか 麻生沙紀 森高えみ ゆうか 相田はるか まい つつみあまね 愛内みさき 榊梨緒 真山潤 遠山若菜 伊沢涼子 水野朋美 内藤花苗 日高マリア 葵あげは ツバキハウスの「雅」レーベルといえば、白石ひより、持月真由、葵あげは、日高マリア、稲森麗奈、広瀬奈央美などなど美人女優ばかり。その「雅」から総集編的DVDが登場っ!その名も「MIYABI ALL STARS」( ミヤビオールスターズ)。これまでの「雅」レーベルの人気作品ばかりを集め480分に収録しなおした超お買い得盤。是非どうぞっ! ***********************************
Tumblr media
【DVDハッピー】 https://dvd-happy.com/ ストリーミング・ダウンロード・DVD $1.49~ 正規品最安値保障 ***********************************
0 notes
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
8th Single BACKS LIVE!! (2024.05.10) (1)
8 notes · View notes
tokyo-akb48 · 2 years
Photo
Tumblr media
15 notes · View notes
bailonglee · 18 days
Text
Natural 〚自然回帰〛
人間は、窮地、危機、悲劇、病気、不幸、に立つ時、ようやく頭脳は進化する。
つまり、そんなネガティブが無い限り、脳は進化しないw🤣
美男美女が、なぜ詐欺に走るか?
馬鹿だからだw🤣
そうは言っても、ネガティブストレスがゼロの人は、存在しないw🤣
だって、赤ちゃんで全員誕生した。
いきなり肺呼吸になる、20時間くらい、断食してオートファジーする、70億人、全員そのストレスは、食らったw🤣
さて、
グローバリズムを始め、SDGs、コンプライアンス、Made In China or PRC、一体何がいけない、何が間違いであるか、細分化し、考察しましょう。
〚人は同じではない〛
これが、1つ。
「人なんて、皆同じなんだから!」
…かなり乱暴で無神経、つまり、めちゃくちゃである。
この考えは、
「人は皆、神の元平等である」
という宗教観の、とんでもない誤解釈である…
比較、という観点、『鳥と、人』、明らかに、違う。
大きさ、形、生活エリア、生き方、全てが違う。
比較の観点にて、人はだから、人と人は同じだという、“大分類”の観点だ。
人は、それぞれ全員、違う。
だから、(子育て)は、この世で1番難しい。。
人は、皆違う。
まず親になり、赤ちゃんに何するか?
『自分が嬉しい事』を、母親はまずトライする。
赤ちゃんは、泣き出してしまう…
その時初めて、[自分が嬉しい事は、相手も必ず嬉しいとは限らない]を、母親は、学ぶ。
そこからは、“トライ・アンド・エラー”になる…
《どうやったら、泣かせないで、上手く関係築けるかしら?》
母親とは、この世界で最も難しく、最も大切な職業だ。
孤児ですら、乳母さんいなきゃ、死ぬ。
人が皆母が好きなのは、どんな偉い人、悪い人、恐い人も、母により、育ったからだ。
会社、政治、家族、あらゆるコミュニティにおいて、《母親的視点》これがいかに大切か。
『いいからやれ!』
という命令直下型思考が、あらゆるコミュニティを、破壊してきた、破壊して、いる。
70億種類への対応なんて、物理的に不可能。
模索と対話
しか、解決の道はない。
長い歴史上、この面倒くさいプロセスは、無視されてきた。。
仁徳天皇、イエス・キリスト、聖徳太子、田中角栄、
《民の声を聞いた偉人》
は、こんなもんくらいしか、いない…
命令直下、十把一絡げ、これは手抜きだ。
〚持続可能なStaticは存在しない〛
持続可能な発展?w🤣
その“発展”とは、何に対する、発展?🤣
そこを、見落としてはいけないw🤣🤣🤣
グローバリストの言う“発展”とは何か?
国連の言う“発展”とは、何か?w🤣
その物差しからして、間違えているw🤣
彼らの“発展”とは、自動車が走り、高いテクノロジー、インターネット、飛行機で世界飛び回る、国連の発展とは、それ。
あくまで、自分らが、“発展”と考えてる事。
彼らの言う“ゴール”とは何か?
宇宙を自由に飛び回り、新しい“未開”を見つけては、侵略、破壊、永遠に征服を繰り返す事が、“ゴール”な訳だ。
ある文化がある。
シンプルを好むゆえ、衣服はあまり纏わない。
小さな部落が、いくつか、ある。
部落は離れていても、“村長”はサイキッカーであり、近隣地域と、テレパシーでやりとり出来る。
つまり、村長は人間として、“発展”した人間だった。
集落全員が、サイキッカーではない。
そこにグローバリストが、現れる。
衣服を作る技術も“発展”してない、「阿呆たちの未開の部落」と、決めつける。
しかし、村長を(リーダー)とした、素晴らしいネットワークが形成されており、コミュニティ全体のバランスは、最高に取れていた。
グローバリストとは、自分達だけが、世界で唯一絶対の存在だという、自分勝手な妄想集団である。
しかし世界を回ってみたら、違う世界観が存在した…
太古テレパシーは存在したらしいが、グローバリスト達は、この能力を失っている。
つまり、脳が“退化”してしまった
これを取り戻したくて、天に祈り、宇宙人呼んで、小手先の技術を沢山学んだ。
だがしかし、脳は“退化”したままw🤣🤣🤣✨
船開発し、海わたり、未開人を発見したと、狂喜乱舞したw🤣
ところが、村長たちと出会い、驚いた…
村長たちは、“進化”していた…
グローバリストがやったのは、単純、
村長たちを皆殺しにした。
それでいけしゃあしゃあと、
SDGs
と、我ら庶民に言わせ、グローバリストへの服從を、強要しようとする。
〚コンプライアンスとは、暴力だ。〛
「それはコンプラ上、実行出来ない。」
「コンプラに反するから、不採用。」
かつて、ここまで酷い言葉の暴力はあったろうか?
意味不明に、他人を否定する。
新しい意見を、入り口にすら、立たせない…
あったね、戦時中…
「貴様それでも日本男児か!!」
「畏れ多くも天皇陛下!!!」
これを言いさえすれば、罪のない一般人は、いくら殴っても構わない、それが、“憲兵”だ。
悲しいかな、頭悪すぎな日本人…
戦時中と同じ過ちを、再び繰り返してる…
もう、人間ではなく、バッタや昆虫と、同じ程しか、知能が無い日本人…
かなりの、必殺技だ、コンプライアンス…
一撃必殺、年配者を愚弄し、若者を侮蔑し、金を独り占めし、人を見下し、その場限りの砂上の楼閣を作り出す、魔法の呪文、“コンプライアンス”。
[Made In China]
何が間違いか?
やりたくない人間にやりたくない事やらせても、何もいい結果は生まない。
全ては、それだよ。。
中国のとある山奥、1日働いて500円しか給料払わないと、マイクロソフトがすっぱ抜かれた記事があった。
かなり前。
私達は、今までにはない低価格で、チャイナ製を手にする。
「なんだ、じゃあ今までの日本製はぼったくってたのか!」
いや、違う。
このメカニズムを作り出したのが、グローバリストたちだ…
中国の山村の文化が、ある。
父親は木こり、娘は14歳で子供を産み、家族は大人数。
それがその村の文化であり、誰か部外者が、批判したり、批評するものではない。
最も、“自然”な形。
グローバリストが、侵入した。
「ああ…。娘は学校もろくに出ていない、大家族を養う収入を、父親は得ていない!!なんとかわいそうな、“未開人”なんだ…!」
グローバリストは、中国山村に工場を建て、金をちらつかせ、人を募集した。
元来、その集落はそんなに金に関わりは、ない。
となり近所仲良く、米と野菜、野菜と衣服、物々交換が慣例であり、太陽を愛し、風を楽しんでいた。
つまり、グローバリストが考える“未開人”では無かったわけだ。。
何が起きたんだ?現状?
簡単だ。
堕落
だ。
村に、必要以上の“金”など、要らない。
村に新しい工場と、新しいバーも出来た。
村人たちは、金を余らせた。
余った金で、バーに行ってみる。
うまい飯、きれいな女、酒…
やる必要ない工場仕事をやり、持つ必要ない金は、堕落のための経費へと、消えてゆく…
グローバリストの視点からは、
『ああ素晴らしい!我々の力で、田舎の山村を発展させれた!!』
youtube
Temu。
まるでハエ🪰のように、広告打ちまくる…
Amazon中華粗悪品。
なぜこんな事起きた?
グローバリストは、自分達は世界的慈善事業を達成したと、狂喜乱舞している。
Made In Chinaは、永久に低クオリティーだ。なぜ���ら、彼らは“やりたくない事を、金のためだけに、やってるからw🤣”だ。
わかるだろうか?
全ては、グローバリストの傲慢極まりない、立ち居振る舞いのせいだ。
じゃあ私達はどう生きるか?
簡単だ。
“自然回帰”でいいでしょ。
重たいパブリックイメージを��て、土に還り、水に還る、つまり“母”に還る。
こんな安楽さは無い…
もはやグローバリストが言う“何か”に、なるプレッシャーは、無いw🤣
金を追いかけず、自由に生きる。
元来、私達はそうやって生きていた。
この何千年、グローバリストはやりたい放題やってきた…
まただ、それが“試金石”になることを、壮大な宇宙のリーダーたちは、知っていた🙂✨✌️😎✨
実際、グローバリストの正体とは、
《震える、か弱き、美しい、亡霊たち》
それは火星で絶滅した人ら、星ごと吹っ飛んたイトカワ、そんな亡霊たち、長年犬やってきた魂たち、それを地球にぶち込んだw✨🤣✨
そんな、実は劣等感の塊のグローバリストの暗躍、そして再び、グローバリスト達の、自滅、絶滅…
反面教師だね、壮大なねw🤣🤣🤣
だからそれを許す事出来る人らしか、この先の世界を見れないw🤣
実に良く出来た、宇宙の意識w🤣🤣🤣✨
私達がすべきは、自然回帰だけw🤣🤣🤣✨🙂✌️😎✨
0 notes
rsauke0509 · 29 days
Text
山樱之落 贰 东山道与北陆道之行 9
行山路时,视觉中的距离总是近于实际上的距离,他们又循着蜿蜒的山路骑行了好一会儿才接近多鹤野。而在接近多鹤野时,伊万留意到与藏田川町、犬舞见之里不同,多鹤野村最宽阔的、将森林与农田隔开的道路并未通往更远处的群山中,而是顺着湿原边缘延伸进与村落相对的一处丘陵上,根据山脚下的鸟居可推测有神社隐藏在茂密的树林之内。
他们在村落外下了马并牵马走入多鹤野内——考虑到村中最宽阔的那条道路都仅有一人多宽,这是避免踩踏农田的绝佳防御措施——坐在民居前的空地上的几名妇女对樱说了句听起来不太像日语的、伊万一个词都没听懂的什么,而樱也回了句话,从其中一名妇女抬手转身指向树林,伊万猜樱是问了她们一个问题。樱点点头,一面领着伊万向那名妇女所指的方向走去,一面对伊万说:“我们得先去见一见这里的巫女,现在她们没呆在神社而是呆在村落内。而多鹤野的神社修建在那座山的山顶上,”她指了指山脚下有鸟居的那个丘陵,“我们今晚就住那儿。”
伊万点点头,打量着四周说:“这儿和我见过的村落很不同,通常人们会砍伐森林以清理出修建村庄的空地。可这里的人们选择将房屋分散修建在树林中,”牠望着那些零散分布在森林边缘的民居以及窄小蜿蜒的路,“这里的人们不担心遭遇野兽袭击吗?而且不清理出空地的话,即便在村庄内行走也非常不方便。”
“可这是对自然环境伤害最小的一种定居方式。”樱小心地踏上通往树林内的民居的、大约为了防滑而间或铺着木板的泥土路,道路两旁时有高及人膝的野草弯曲倾斜着挡在道路上方,“至于野兽,山中的确生活着野猪、熊等动物,但也许是受钤姬庇佑,它们从未袭击过任何犬舞见内的人类聚居地。”
进入森林里后,伊万发现村落里不止有干栏式建筑,还有那种在地上挖一个约半人高或更深的坑、再在坑上搭建短墙壁和屋顶的坑洞房屋[1]。“那是仓库吗?”伊万用下巴指了指坑洞房屋,“我们那儿也有这样的屋子,用来在夏日储藏冬天收集的冰块,以及储藏其它诸如牛奶等易变质的食物。”
“它具有仓库的功能。”樱说,“不过在冬季,多鹤野的人们会从建在木柱上的房屋转移至这种建在坑洞里的、其名为洞居的房屋以度过每年最为寒冷的三个月。由于海拔高度,这儿的冬季非常寒冷,我第一次在冬季来这里时,みこだ让我住在她家里,可我只待了半日就觉得这种不透光又不透风的洞居住起来着实让人难以忍受,”樱用好笑的语气说,而伊万推测みこだ应是某个女人的名字,“于是我执意跑去夏日住过的多鹤野神社里居住,结果由于太冷,傍晚我就被冻感冒了,只得又灰溜溜跑下山回到みこだ的家中。半埋在地里的洞居住起来的确不如树居、即搭在木柱上的屋子舒适,尤其是整个冬季洞居里的壁炉从不熄灭,使得洞居一直被木柴和碳燃烧后的烟雾笼罩,但洞居的御寒保暖性远超过树居或其它修建在地面上的建筑。”
“可洞居看起来修建了供烟雾外流的出口。”伊万看着三角形屋顶尖角处特意留出的洞口说。
“是的,大部分烟雾会从墙壁最上方的洞口冒出,或至少上升并滞留在屋顶处,然而整个屋子都弥漫着炭火的气味,碳和木柴燃烧后产生的灰烬还会粘在墙壁和人的身上,这让我感到我像块被封在木箱里接受柴禾烟熏的熏肉。”樱抱怨说,“所以自那以后我很少选择在冬季拜访多鹤野。”
森林里的房屋不算多,村内的居民则更少,仅有两名妇女正合作切割一头倒挂在树干上的、瞧上去刚死去没多久的鹿,另有一名少年坐在树居前的木制阶梯上用非常有柔韧性的草编织着某种近似虫子外形的东西。伊万好奇其余村民去了哪儿,以及那些村民的性别比,就方才碰见的在湿原水中摸索着螃蟹、田螺的孩子和进村后遇见的村民来看,伊万猜测也许此处与藏田川町、犬舞见之里同样受某种奇异的因素影响故女性的数量多于男性。
最终,樱在一栋外观与别的房屋相同的树居前停下,她高声对那栋树居说了句什么,树居里传来句回应,十多秒后,木门被从内打开,屋里走出一个身形略佝偻的、发色黑白间杂的女人,从表情上来看,她不曾想过樱会在今日拜访她,但显然她欢迎樱的到来。伊万见那个女人瞅了眼牠和菊,随即对樱说了什么,而樱回应她后回头向伊万介绍说:“这是たつるみこだ,是多鹤野最年长的巫女,也是多鹤野的三名管理者之一。”樱再次对みこだ说了句什么,みこだ露出母辈看孩子通常会露出的喜爱神情,点着头回应樱后慢悠悠朝屋内走去。
“现在我们去神社吧。”樱说,“等吃晚饭的时候再来村子里,今天人们会聚在一起吃饭,然后伊万君就能问村民们你想问的民俗怪谈了。”
于是他们又牵着马,三人排作一队列小心翼翼踩着吱呀作响的、表面生出些青苔的、铺在泥土上的木板走出森林向神社所在的那座山走去。“说起来,菊听不懂这里的人们说的方言吗?”伊万问,牠之所以这样问,是因依照牠对樱、菊的了解,往常这种时候菊都会在樱与多鹤野村民用着牠听不懂的方言交谈时充当翻译。
“我听不懂。”菊承认说,“这还是我第一次来多鹤野,这里的人们所使用的方言与犬舞见别的地区的方言都截然不同,虽然我听她们说话会觉得某些词语听起来耳熟,可实际上我根本听不懂她们在说什么。”
“这里的方言的确难以听懂。美加惠——就是弥惠子的母亲,也是阿母的女官。”樱对伊万介绍说,“在阿母病逝的那年,美加惠陪伴我造访此地时,她不得不时刻陪伴在我身边翻译此地居民的方言,返回犬舞见后我又每日向她学习此地的方言,如此过去三年后我才能不依靠她的翻译直接与多鹤野的村民交谈。”
“你每年都会拜访多鹤野吗?”伊万询问樱道。
“是的。虽然这里的神社供奉的不是钤姬,多鹤野村内以及附近的地区也未修建那种位于道路旁的、供人们祭拜钤姬的摄末社,可多鹤野的创建者与宏姬颇有些渊源,也留下了一些必须遵从的传统,例如本田家家主每年得至少造访多鹤野一次并率领多鹤野的巫女举行一次祭拜钤姬的仪式,唯一值得庆幸的是举行仪式的时间不受限制,故历代本田家家主大多选择在夏季举行那一仪式,顺带在多鹤野住上几天以避暑。”樱露出回忆的表情,“而且夏季这里有许多鸟,是全年鸟种类最多的时候,所以也是最好的观鸟时节。冬季则相反,大多数鸟类都迁徙去了别处,只有零星的山雀和极少数鹤留在湿原里。为了照顾缺少食物的山雀与鹤,多鹤野的人们在冬季每隔几日就会喂一次鸟,而且冬季恰是鹤繁殖的季节,所以冬季来多鹤野的话能参与喂鸟的活动,近距离观察山雀与鹤,尤其是鹤的求偶舞,这里的山雀与鹤不像别处那般怕人。”
樱的介绍声传入伊万耳中后引起一连串灵感的火花,“所以,たつる写作汉字的话会是意味着有许多鹤的多鹤!”牠思索着樱口中たつるや的读音,突兀又恍然大悟地说。
“此地地名的含义正如伊万君所说。”樱点了点头,“不过,多鹤野这一地名也不完全是在最初的村民移居过来后才定下的。事实上,多鹤野最初的居民就是因钤姬死亡而过于悲痛到无法继续留在犬舞见神社故离开的巫女们,在她们离开前,宏姬告诉她们‘往北去,鹤所停留的地方就是你们的归处’。于是巫女们一路北上,跟着在路上遇见的鹤来到这里的湿原,在发现这里居住着鹤群后决定在此处定居并命此地为多鹤野。”
‘听起来迁徙来多鹤野的巫女们也经历了一段奇异的旅程。’伊万想,尽管牠认为在现实中,依靠双脚行走的、穿行于群山之中的人类没有跟踪飞翔在天空中的鹤的能力,不过这类半混合着神话传说半混合着真实的历史的故事总是引起伊万的兴趣和注意。牠被这类故事吸引,就像上个世纪的淘金者被美国或西伯利亚所吸引一样,牠也如拿着筛子筛河沙的淘金者那样试图用由自己的认知、智慧和思考编制的网将藏在神话传说里的历史筛出来。
多鹤野神社——假如这座神社的名字是多鹤野神社的话,伊万不知多鹤野的神社的名字,因樱每次提及时仅称其为神社——比犬舞见神社小得多,尽管由于位于平缓的山顶,理论上多鹤野神社有着更宽阔的建筑空间。神社里的所有建筑也比犬舞见神社的建筑更小、更朴素,供巫女们居住的房屋竟与神乐殿相连,拜殿似乎与本殿融合为一栋房屋。供本田家的人居住的房屋位于神社入口不远处,靠近神社入口鸟居的方向还修建了一个较为简陋的马厩。
“天气寒冷的时候,这种马厩不会让马被冻坏吗?”伊万一面将马辔取下一面问樱。
“伊万君不必担心。”樱笑了笑,她把马辔挂在木钩上,随后摸了摸她面前的马的额头,“虽然现在马厩是半敞开的,可伊万君瞧,马厩外侧的屋檐下方有着凹槽状的结构,那是可将一种近似障子的木板镶嵌上去并滑动的结构。只不过马厩封闭起来后,内部光线会过于昏暗,气味也不太好闻。对了,”樱似忽然想起了什么,“等会儿下山后得记得去村子的仓库里拿喂马的饲料。村中应该储藏有野菜和豆子,将其混合后就能喂马了,野草的话得等明日村民去附近的上山割取才有。”
他们并未立即下山,而是先放置、整理了行李,接着樱带着伊万、菊游览了神社。伊万留意到这里的神社与犬舞见神社一样没有在拜殿前摆放赛钱箱,不同之处则在于这里的神社连本坪铃都没有。伊万还未来得及问出自己的困惑樱就开始解释:“这是因为多鹤野的居民不算是有真正信仰、祭祀的神明。迁徙至此处的巫女们虽然修建了神社,但她们原本所信仰的钤姬已死亡,而她们又与宏姬乃至留在犬舞见的人们的观念相反,不认为钤姬在死后以另一种方式活着并守护整个日本岛,故她们不再祭拜钤姬。可同时她们又感激自己获得了另一个可安稳生活的地方,感谢宏姬替她们指引了方向,于是她们修建了新的神社,只是这座神社不供奉任何神明,她们也不再信仰任何具体的神明,而是如更古老的日本人那样崇拜无人格的山野、河流以及一些自然现象。”
“既然是巫女们建立了这个村庄,为什么她们还将神社修建在远离自己住宅的地方呢?”伊万不解地问,游览东京、犬舞见的神社后,牠本以为巫女与欧洲的神职人员一样会居住在宗教建筑里,然后围绕宗教建筑修建村落。
樱愣了愣,“唔,我从来没想过这个问题。大概是因为……习惯?我们习惯将神社修建在离人们的住宅有一段距离的地方,伊万君游览过的、位于东京的汤岛神社,建成之时附近也是没有民居的,只不过后来天皇、幕府皆搬迁至东京,原本的江户城的范围也不断外扩,逐渐江户城与附近的町村相连,城、町、村间不再有明显的分界线,最终使得汤岛神社附近建满了民居与商铺。”
伊万扫视了一下四周,“我还是无法理解为何要将神社建在远离村落的山顶上,我们那儿的教堂,除非是那种现在已消失的、��个世纪前曾存在过的用于收留或软禁某些特定人群的修道院,否则教堂总是建在村庄或城市内以便于人们做礼拜。以及,自从我们抵达神社后就未遇见过其他人,目前神社里没有其他人吗?巫女们都下山了吗?”
“大部分巫女都住在山下的村子里。”樱顿了顿,补充道:“准确来说,多鹤野的女性村民理论上都是巫女,她们小时候皆会跟随她们的母辈学习有关巫女、神道的一切。而随着年龄增长,对神道更感兴趣的女孩会将精力更多的分配给神道并逐渐开始主持多鹤野村的各类祭祀,对神道不感兴趣的女孩则更多的学习耕种、编制、医术等技能。最终成为负责祭祀的巫女的女性,也可以说从氏子晋升成巫女的女性会在名字前添加みこ、即巫女的巫字,也因此,这里的女孩子的名字与本田家相同,皆取单字。例如我们之前见到的みこだ,她原名为だ,汉字写作‘雫’,”樱说着在空中写下她所说的汉字,“据巫雫所说,她的母亲择此字为她的名是因她出生的那日一整天都在下雨。至于住在神社里的巫女,通常是较为年轻巫女们交替着在神社里住一段时间维护神社,不过据巫雫所说,偶尔也有讨厌与大家一起居住的、或与村民们发生了矛盾而暂且想独自居住一段时间的巫女住进神社接过维护神社的职责。”
“听起来多鹤野比起村庄更像是一个亲人们都生活在一起的大家族,”伊万一面回忆着自己幼时的经历,一面若有所思地说,“就像我家,仅是我这一代就有四个孩子,再加上佣人和护卫,我和我的姐妹、弟弟都有过想避开所有人独自呆一会儿的时候。奥利娅最会躲藏,她藏起来时连妈妈和伊努夏嬷嬷都找不到她。我则喜欢躲在俄罗斯炉上,你们知道俄罗斯炉吗?”牠问樱、菊道,见樱、菊摇头,牠抬手比划着俄罗斯炉的轮廓描述说:“是一种火炉,不过较为巨大,上半部分有着可供人们睡觉的平台。过去平民会睡在上面以借助做完饭后未冷却的火炉温度御寒,现在仍有些极为贫穷的或住在未接通——”牠因不知该如何将自己知道的俄语单词以日语说出而卡顿一瞬,“——一种能让屋子变温暖的家具的人们仍使用俄罗斯炉取暖。天气暖和的时候我则偏爱躲在花园里,虽然我们在莫斯科城里的宅邸不算大,但我们的花园有一处与邻居们的花园相连的、植物繁盛且被园丁忽略的角落,躲在那里就好像来到一个小小的、只剩你和周围的植物以及昆虫的世界里。”伊万说着叹息一声,“不过当我进入成长期后,很快我的身高就成为我躲进俄罗斯炉和花园角落的阻碍了,所幸那是我已经长得足够大到能独自离开家去别的地方,例如河边或一些,嗯,允许人们进入并游览内部的、种满了植物或摆放有各种工艺品的建筑,用英语来说就是park和museum。”
樱、菊露出明悟的表情点点头,“伊万君说的是こうえん和はくらんかい吧。”菊说。
“也许?”伊万的语气非常不确定,去年牠来日本留学时恰遇上刚举办没多久的平和纪念东京博览会[2],奥列格陪着牠去游览过那个博览会,可因有着懂日语的奥列格向牠介绍博览会里的各类事物,牠完全没留意博览会在日语中该怎么说写。也正因那次经历,伊万意识到假如牠仅与在日欧美人交往的话牠很难提升自己的日语水平、增进对日本的了解更遑论搜寻日本的民俗怪谈,故牠拒绝了奥列格提出的与自己同居或在欧洲人聚居区里租一套公寓的建议,转而托奥列格在东京大学附近寻找了一户住在传统日式房屋里的、口音接近标准日语的人家借宿。
“说回藏起来独处的话题,”伊万继续说,“娜塔申卡和科利亚通常喜欢躲在屋子里的各处角落,例如阁楼或衣柜里。但有时他们选择的躲藏地点有些奇怪,”伊万回想起自己妹妹、弟弟的行为仍感到既无奈又好笑,“他们不止会躲在自个儿的衣柜里,或者说,他们更偏向躲在我、奥利娅和妈妈的衣柜里。偶尔他们还会躲进我的床底下,好几次夜晚我睡在床上听见床下传来唏嗦声还以为是老鼠,结果掀开垂至地面的床单往床底一瞧,就撞上直勾勾瞅着我的娜塔申卡或科利亚,每次都能吓我一跳。而且可能是孪生子有着相同的喜好吧,极少数时候他俩会同时想要独处,选择的独处地点也不幸的相同,可他俩又都不肯把看中的地点让给对方,便会因此吵起来甚至打起来。”伊万说着摇摇头。
在下山时,伊万特意将离开犬舞见前三嘉原御所的仆从替牠准备的笔记本、钢笔以及墨水瓶带上——顺带一提,菊在笔记本上写下了こうえん和はくらんかい的汉字写法,分别是公園与博覧会——笔记本附带一个嵌有可将笔记本夹住的、比笔记本略大的、可手持的木制机关的木板,樱介绍说这是某代本田家家主发明的,为的是便于她巡查自己领地内其它町、村或外出游玩时记录她想记录的东西。
“这很精妙。”伊万端详着木板上的机关说,“如果你们愿意的话,完全可以用一些绘有浮世绘的纸张与印有日式花纹的布带当包装将其包裹起来,然后将其出口至欧洲,这类有着异国风情的、可当作小摆件的文具总是很受人们的欢迎。”
“也许我们会的。”樱沉思着说,“不过要想出口商品,我们是不是得先成立一家公司?可本田家及本田家的家臣没人学过现代商业……”
“又或者你们能与那些已经在与欧洲进行贸易的日本公司合作?”伊万提议道,“你们提供产品,他们负责出口?”
“与其它公司合作吗?”樱的表情告诉伊万她不太认可此事,“可能吧,这种听起来就很麻烦的事我更希望等我毕业后再去处理。”
颇出乎伊万的意料,晚餐并不是在巫雫的家中举行,相反,樱带领牠和菊前往一个位于森林更深处的、下午时伊万未留意过的树居。此树居与别的树居的区别在于它有着一对位于墙壁正中的双开门,而别的树居的门皆靠近某一处墙角,同一面墙所留出的空间则开了扇由木格与纸制作的窗户。伊万不得不弯下腰以防进门时撞着头,树居内部的空间仍不高,只有正对三角形屋顶尖角下方的区域才够让牠站直身子,然而也仅是不会碰着头,牠总觉得屋顶距离自己近到似乎自己打个喷嚏都能震落几根作为屋顶材料的稻草。
树居内的光线非常昏暗,伊万几乎看不清房间另一端的角落里摆放着什么杂物,树居的内部面积也不算大,仅够人们胳膊贴着胳膊、腿挤着腿绕着屋子中间的火炉坐成一圈。昏暗的光线、较为逼仄的空间让伊万下意识以为屋子里会弥漫着由陈腐的物什、长期不洗澡的人的体味等组成的气味,幼时牠跟着妈妈拜访过自家领地里一个整日酗酒的男农民的家中就是那样的味道。然而与伊万以为的相反,整个屋子都被一股炖煮得软烂的肉汤味占据,待牠深深吸入一口气后,还能嗅到一丝藏在肉汤味之下的、草叶和树枝被彻底晒干的清香。
巫雫以及另两名年龄瞧上去与她相近的女人坐在伊万对面,另有一些年纪更小些的女人坐在伊万与巫雫之间,而樱、菊坐在伊万两侧。“村里的孩子们没来吗?”伊万问,牠发觉下午见到的、在湿原里玩耍的孩子们以及湿原边编制容器的女人们似乎皆不在这里。
“是的,孩子们年龄还小,哪里知道此地的民俗怪谈呢?他们的母辈也得照顾他们。”樱解释说,“约有三分之一的村民参与这次——”她说着露出苦恼的表情,“嗯,我不知该怎么用日语说那个方言中的词,那个词的发音接近标准日语的まむたがなし。如这般大家聚在一起吃饭并聊一些涉及神道的故事与怪谈,在多鹤野算一种半仪式性的宴会,因为此地的人们认为口述那些故事不但能传授孩子知识,还能让人们与自然、与具有神秘的力量的存在联系得更紧密。孩子们没来,另一部分原因是因这座树居的面积不够所有村民参与这次的まむたがなし,平日举办まむたがなし时,大多也仅是年长的巫女与孩子们参与。”
伊万觉得依照樱的介绍,まむたがなし有些像时间缩短了许多的托儿所,牠思索着多鹤野是否有托儿所——没准儿下午牠在耕田边遇见的那几名正在编织的女人就是在照看村里的孩子们——瞅着巫雫拿出把长柄木勺探入悬在篝火上方的铁锅里搅动数下。巫雫身边的女人开始分发木筷,“那位是巫恵,”樱介绍道,而伊万侧头看了樱一眼以确定她介绍的正是自己方才瞧的那名正在分发木筷的女人,“另一个坐在巫雫身边的是巫珈,她们三人共同管理着多鹤野村。”樱又依次介绍了剩下的女人们,她刚介绍完,巫雫就看着她说了、或从语调判断更像是问了句什么。樱回答了巫雫,随即告诉伊万:“巫雫在问你的年龄。まむたがなし中分发食物是按照年龄递增顺序分发的,年龄最小的人最先得到食物。”
伊万眨眨眼,牠一面看着巫雫舀了碗肉汤递给巫惠,巫惠再将肉汤递给身侧的女人以将肉汤传递给牠,一面低声问樱道:“所以,这里和你跳完舞后大家分食舞台上的食物一样吗,年幼的孩子最先分到食物?”牠接过盛有肉汤的瓷碗,尽管不知巫雫是否听得懂标准日语,牠依旧对巫雫说了声“谢谢”,“你们这里对年龄与地位的看法似乎与日本别的地区不同。”
“是挺不同的。”樱接过递给她的肉汤,又伸手拿了支用木签串在火边烤的、表面似乎刷了层深色的酱汁的年糕,她将那串年糕递给伊万说:“火边烤着的食物是可随意拿取的,伊万君。在犬舞见,尽管人们也尊敬年长的人,但不是因他们的年龄而是因他们的年龄所带给他们的经验和阅历,假如某名年长的人不具备与年龄匹配的经验、阅历且性格惹人讨厌的话,人们不但不会尊敬他们,还会将他们赶出所居住的町村。我小时候处理过一起那样的事件,”樱咽下口中的年糕回忆着说,“一个中年时决定携家人定居在藏田川町定居的小商人,年老后被邻居发现牠偷窥年轻女孩儿们洗澡并偷窃年轻女孩儿们的贴身衣物,于是人们决定将牠驱逐出藏田川町流放进森林里,并告诉牠的妻女假如她们决定维护牠那么她们也会被驱逐。那商人的妻子本想跟随牠,不过被牠的女儿阻止,所以最后只有商人被流放进森林。”
“流放进森林是什么?”伊万好奇地问,牠取下一串牠认不出种类的蘑菇咬了口,尽管蘑菇只单纯撒了盐,但略焦的表面以及被锁在蘑菇里的汁水依旧让烤蘑菇变得非常美味。
“是一种名为逐森审处罚。针对那些做了坏事可未恶劣到触犯法律的人。”樱喝了口肉汤,“人们会绑住被流放者的双眼、双手,由对森林极其熟悉的猎户把被流放者带进森林深处然后释放被流放者。”
“不允许被流放者携带食物、饮水和工具吗?”伊万颇诧异地问,“听起来被流放者活着走出森林的可能性很小。”
“也许吧。我们认为这样做是让钤姬审判被流放者,假如钤姬认为牠该活下去,那么钤姬会指引牠前往别的町村。不过据家史记载,似乎从未有过成功抵达其它町村的被流放者,至少犬舞见县内没有。”
伊万猜那些被流放者们应皆在被带入森林深处的数日内就死掉了,幼时牠和姐妹、弟弟听姥姥讲述年轻时的经历时姥姥曾不止一次告诫过他们必须永远对自然抱以敬畏的心态,任何轻视自然的人都将因自己的轻视而付出代价。娜塔莉亚入读军事学院后也回家转述过她的老师们时常告诫她们得小心任何如森林、草原等非人类聚居的自然区域,因为,用娜塔莉亚的教官的话来说是“每隔几年总会有自大的蠢货以为自己能靠匕首和指南针征服自然,结果在野外训练中与队伍失散并迷路后摔断了腿或吃了不干净的东西而腹泻到脱水以至于差点儿丧命”。
“我们那儿对偷窥姑娘的男人的处理方式倒是比你们更直接。”伊万说,���人们通常会报警,在俄罗斯,偷窥别人是犯法的,罪犯会被判处几十卢布的罚款以及三至五年的监禁。不过偶尔罪犯遇上不好惹的姑娘会遭遇更多的损害。几年前在下诺夫哥罗德区,有个男人偷窥后被牠偷窥的姑娘逮住,结果那姑娘踢碎了牠的睾丸导致牠就那样被痛死了。”坐在另一侧的菊轻轻抽吸一声,“那个案件还引起了人们的争论,关于那名姑娘是否该为她的行为间接导致男人死亡而受罚,连谢妮娅·亚历山德拉诺娃都关注了那个案件——你们知道谢妮娅·亚历山德拉诺娃吧?她是现任俄罗斯沙皇。”
“那个案件的判决结果是什么?”樱颇急切地问。
“判决结果是那姑娘的行为是正当防卫,不需为那男人的死亡负任何责任。不过判决结果出来后对那姑娘的行为的讨论也未立即停止。一些报刊甚至特意开辟了一个专栏登载读者们寄给报社的、涉及此案的信件,一些读者还隔着报刊吵了起来,吵那姑娘算不算过失杀人,吵偷窥究竟是否恶劣到应该死掉,吵正当防卫的定义以及是否该限制防卫的手段等等。”伊万回忆着那段混乱的时日,半是有些想笑半是心有余悸。那段时间奥尔加和娜塔莉亚不但皆通过向报社寄信、参加学校里的辩论会等方式参与了对案件的讨论,回到家后还时常以激烈的、偶尔涉及脏词儿的语句咒骂那些认为应该判处受害者过失杀人或提偷窥的男人辩解的男人们,而伊万和尼古拉受限于自己与偷窥犯相同的性别,并不是很敢在奥尔加、娜塔莉亚咒骂时插嘴,只能用点头一类的肢体语言附和自己的姐妹。
樱轻吁一口气,仅凭这一声,伊万便知樱对那个案件的看法与牠的姐妹一样。菊倒是没流露出什么特别的情绪,只是伊万不知是自己的错觉还是什么的,菊的身形相比方才似乎佝偻了些,具体来说,即牠在保持跪姿不变的前提下略缩起了原本挺直的胸肩,捧着碗的双手也微微下沉似欲挡在自己的下腹前。
很难说晚餐结束的时间,即便人们喝完了肉汤,悬在篝火上的铁锅也被取下放在屋子角落中,可每有一串插在篝火边的、串在木签上烤的食物被取走后便有村民从某个藤编容器内拿出另一串已预先穿好的食物插在空出的位置上。伊万瞅了眼那几个容器里装着的食物,认为根据肉串、年糕串与蔬菜串的数量来看,很可能今晚直到まむたがなし结束——坦白说,即便樱简单介绍了まむたがなし,牠仍不太明白まむたがなし究竟是什么,牠猜大约是人们围绕篝火一边吃烤串一边讲故事的活动——那些食物也吃不完。
樱说了句什么,多鹤野的村民们点点头,随后樱侧头看向伊万说:“大家要开始讲述怪谈了,伊万君。她们说一句,我翻译一句,这样可以吗?”
伊万点点头并拿出笔记本、墨水瓶和钢笔,随后方才分发木筷的、据樱介绍名为巫惠的女人开口以较为缓慢的语速讲述着什么,她每说一小段在伊万听起来几乎不像日语的音节后就会停下来等待樱翻译。
“在多鹤野,大多数传说都与鸟有关。”巫惠说,“最著名的一则传说的主角是鹤,这则传说也流传于日本别的地区,只是发生的事与结局因地区而有所区别。我们这儿的版本是:曾经有个懒惰的猎人,牠没有耐心耗费几日乃至十几日在森林里狩猎鹿、野兔、髭羚等动物,也懒得采摘森林里的野菜、捕捉河里的鱼或耕田。为了获取食物,牠违背禁令偷偷狩猎白鹤,而此地的白鹤因一直与人们生活在一起,并不恐惧村民,故猎人总是非常轻易就能猎杀它们。
某日,猎人又跑入森林去狩猎离开湿原的、落单的白鹤。牠挽弓射伤了正在飞行的鹤的翅膀,可当牠循着血迹找去时,却没能找到鹤的尸体而发现了一个身穿由白色的羽毛制作的衣服的、手臂被利箭贯穿的女人。猎人不再想吃掉鹤,牠转而希望鹤能成为牠的妻子,牠抢走鹤的衣服,把鹤绑起来带回家中。牠的父母瞧见牠扛着一个浑身赤裸的女人都非常惊讶,询问牠发生了什么事,牠说‘这是我射伤的鹤,我饶过她的性命,让她当我的妻子。’并把挂在腰间的、白鹤的衣服交给父亲让父亲去烧掉,这样鹤就不再能变回鹤的形状飞走逃跑。猎人的父亲去烧掉鹤的衣服,猎人的母亲则被猎人违背禁令的行为吓得不停祈祷,希望猎人能放走白鹤。猎人便问牠的母亲道‘没有女人愿意当我的妻子,难道你不想要孙子吗?’猎人的母亲被猎人说服了,她去翻找家中的藤条、稻草,打算制作一根牢固的绳索以将白鹤拴在家中。
可直到猎人的母亲将绳子编好,猎人的父亲也仍未回到家中。猎人的母亲出门寻找,结果如猎人的父亲那样也未再回来。猎人感到疑惑又害怕,这时,被捉住后一直不曾说话的白鹤突然对猎人说‘我的同伴来了’。闻言猎人扑向家中的柴刀,然而突然垮塌的屋顶阻止了猎人,猎人还未看清随着垮塌的房梁、稻草屋顶一起落入房里的是什么,牠就被一股巨力掀起摔在地上,随即被折断了四肢,并被扯着腿拖出屋子。
等猎人从剧痛中回过神来,牠发现将他拖至屋外的以及站在屋子前方的空地上的皆是穿着白色羽毛制作的衣服的女人,而牠的父母躺在不远处,两人都因折断脖子而死。
‘你毁掉了我的衣服。’手臂上仍插着箭的白鹤对猎人说。
‘请您饶恕我,我再也不敢狩猎白鹤了。如果您饶恕我,我愿意为您塑神像,向其他人传颂您的神名,余生都供奉您。’
可猎人的话没能打动白鹤,‘为了变回鹤,我需要一件新衣服。’白鹤说,她的同伴取下她手臂上的箭,用眼泪治好了她手臂上的伤口并将柴刀递给她。白鹤接过柴刀,她先是走至猎人的父亲身前,用柴刀将猎人父亲尸体上皮剥下来,她似乎过去不曾用过刀,剥皮的技术非常生疏,剥下来的皮也破破烂烂的。‘这张皮不能制成我的衣服。’白鹤说着,又走至猎人的母亲身前,开始用柴刀剥猎人母亲尸体的皮,这次她剥皮的技术熟练了许多,但皮上仍有一些不小心划破的开口。‘这张皮也不够好。’白鹤说,她走至猎人身前。猎人已被吓到说不出话来,只能躺在地上任由白鹤剥下自己的皮。‘这张皮倒是不错。’白鹤举着猎人的皮说,失去了皮的猎人看见白鹤将牠的皮展开披在自己的身上,紧接着白鹤的身形逐渐与披在身上的皮相融并缩小,最终化作一只头顶有一团红色羽毛的鹤,而周围的女人也化作了白鹤,与那只头顶有红色羽毛的鹤一同振翅飞走了。”
[1]竪穴式住居
[2]平和纪念东京博览会
0 notes
chengbingdeyudian · 1 month
Text
山河恋(柯哀新志古风同人)
第十五章 一线希望
“不是我!”柴田恭子惊得倒退一步,瘫倒在椅子上。
新一知道服部虽未与静华夫人说话,但难保这满院的捕快中有人认得他,以他身份不便开口,左右自己戴了面具,所以径自说道:“方才这位三枝捕头已经说过了,吉川先生若想杀死者,任何时候皆可,不至于非要赶在这时动手,动手后又主动带服部夫人进到柴田家中。但死者也不可能不顾客人在,只管自己吃喝,任由客人四处走动。能做到在死者用饭时四处走动,让他毫无防备的,普天下仅只一人,便是死者之妻。”
三枝守老调重弹,又说起柴田恭子的人证来。
新一道:“这个其实不难。方才我的两位同仁已经说了,米饭放置的时间较原本以为的要久,死者亦非卯时三刻后遇害,至少可提前至卯时正。”志保接了一句:“最早还可再往前推半个时辰,延至寅时二刻。”吉川竹造突然说:“我们推牌九,散的时候是寅时一刻。”新一点头道:“若按此节点计,死者吃了一半的怕不是早饭,而是宵夜了。柴田夫人当是备好宵夜,趁夫婿吃饭之际,自后下手杀害于他。然后佯作出门买菜,连走多家店铺,给自己找下了时间上的证人。”
闻听此言,静华夫人难以相信地转向柴田恭子:“你叫我来,难道是为了让我做这个疑凶?”柴田恭子慌忙摇头:“不,不是,我没有……我也没杀夫君……”
“你所说无非推测而已。小哥,可有证据?”三枝守忽道。
志保轻轻翻转死者右手手掌,那上面染满干涸了的血渍,靠近指根处却仍干干净净。新一叹道:“柴田夫人,想必尊夫骤然被袭,先是捂住伤口,继而曾本能挣扎,扯走你身上一件东西吧?你怕留下物证,在他死后拼命把东西取回,却未料到他手掌上沾血,仍留下了那样物品的印记。”说到这里,蓦然惊觉志保身子陡然一僵,像是突遇什么极可怕之事,急忙细看,原来是一干捕快让开道路,一群丫鬟、家丁拥着一位精神健硕的老人走进院内。
那老人当是极有地位,大泷悟郎、三枝守均上前见过。新一等三人名义上是大泷悟郎的护卫,只得跟着过去见礼,志保身子微微颤抖,走在最后,新一暗暗焦急,怎奈当此情形不能直接询问,只能悄悄握住了她手。他掌心的温暖一直渗到了志保心里,她感觉一股力量在心底慢慢滋生,莫说是感知到的那种阴寒之力,便是千难万险,亦粉身不殆。
从大泷悟郎对那老人的称呼,新一知他乃敏学司前任尚书俵芳治,亦是前一晚与吉川竹造、柴田四朗一道推牌九之人。另一个参与推牌九的亦是朝中退仕的重臣,听说是夜晚回家感染了风寒,不能前来,而俵芳治是三枝捕头请他前来作证的。
这位俵大人任职于敏学司,自是满腹经纶的饱学之士,自大泷悟郎以下,人人皆对他十分恭敬。俵芳治面容虽严厉了些,为人倒无甚架子,他要作的证亦十分简单,无非是四人何时聚于吉川竹造家中,何时开局,何时散场,中途有无人因故离开,是否有所争执此类。述说证词已毕,他转而看向新一:“这位小哥,你刚刚正在帮忙断案?莫要被我打断了,快继续吧。”
新一匆匆看了一眼志保,见她似是平静了些,略觉放心,这才续道:“柴田夫人,尊夫抓住的那件物品,应是你颈中佩戴的吊坠吧?这个五瓣花型的印记正好与你吊坠上的花型相合。可以想见,你定是擦拭过了的,可是你那吊坠的链子纹理细密,时间又短,想来擦也未必擦得干净,定能找出当时留下的血迹。何况即便一时不能找到,尊夫手上的印记也可作为证明。我是不知市井间一样的吊坠有多少,但有此吊坠却能令尊夫失却防范心者,却唯有你一人。”
柴田恭子心智突然崩坏,猛地站起身,乱叫乱嚷:“牌九,牌九,除了去学里点卯,一天到晚尽是牌九,输得俸禄倒欠下几年的,家中破败如斯,还是要推牌九!都是你!”愤而指向吉川竹造,“如果不是你教他推牌九,你们这些人——”使劲一甩胳膊,那是连俵芳治一并算在内了,“他怎么会把我们这个家都输空了?”说到这里,回身要跑,三枝守忙叫:“别让她逃了!”哪知柴田恭子是去抢了一把菜刀,对准自己咽喉就要捅下。
在场众人唯有静华夫人对这位昔日同窗最为熟悉,早就防备着这一手,一个上步,右手击她臂弯,柴田恭子手肘一麻,菜刀落地,放声大哭。有捕快上来给她带了枷锁。静华夫人道:“蝼蚁尚且偷生,怎可轻弃生命?恭子,你这事衙门应有公断,切不可自暴自弃。”
三枝守虽接连闹得没趣,但有两位大人在场,不好发作出来,令人押了柴田恭子,告退而去。大泷悟郎遂向俵芳治道:“劳烦老大人走这一趟,晚辈实感惭���。”
“哎~”俵芳治满面笑容,“大泷啊,又不是你请了老夫过来的,何必这么客气呢?对了,你那几名护卫可都是年轻有为啊,不知跟在你身边多少时日了?”
大泷悟郎一怔,不好答,又不能不答,只得含糊道:“时日尚短,年轻人有些礼仪不周之处,老大人莫怪。”“怎会?”俵芳治兴致颇高,“那位江户川小哥,破案可是老道得很啊,连三枝守亦比下去了。”
服部听得着急,俵芳治曾在敏学司,虽已退隐,想来也能称得上桃李满天下,学生在朝野不知凡几,他是不敢轻易出头,免得引起朝廷中人注意来,可是以新一的身份更加不能啊!一急之下,在后偷偷给了大泷悟郎腿弯一脚。大泷站立不稳,险些一个踉跄,好不容易稳住身形,看着老大人面带不解,只能打个哈哈糊弄过去,又说起在掌刑司的诸般不易,不知得罪了多少江洋大盗,为怕有了被贼人拿捏威胁的把柄,到了如今的年纪连成家立业也不敢,只好广纳人才,多招揽护卫防身之属。
如此这般说来说去,俵芳治转过话题,不再提及护卫等语,从大泷悟郎到服部等人才算松下一口气来。
大泷悟郎谢过俵大人,让人恭送老大人回府,又训斥了吉川竹造一顿,令其不得过度沉迷此等细枝末节,害人害己。看处置得差不多了,才让人封了柴田家的院子,见四下里已无外人,逐提出要送静华夫人等回去。
新一遂道:“服部,今日就此分别吧,过几日,我得空回庄上取行李。”服部多少猜到了新一和志保必是有事,只是不曾料得如此仓促,点头道:“那好。”然则总归有些担心,忍不住又问:“你们可有了落脚之处?”新一说道:“以京师之大,找家客栈就好,过后我再去看租赁房屋之事。”
服部灵机一动,提议道:“既然还没定下,不如就去大泷叔父那里权且栖身,一来不致泄露行迹,二来我要联络你也方便些。”志保下意识地道:“可是……”新一知道她的意思,跟着道:“你心中清楚,我俩在何处栖身,绝非叨扰那般简单。莫要牵累了大泷先生。”
大泷悟郎忽道:“江户川小哥,我是不知你与灰原姑娘是何身份,但你们是平次少爷的友人,今日又为夫人解了围,我知你们是好人。便算天大的麻烦又能如何?我家中除了几名从父辈就跟随在身边的老仆并无他人,不必担心连累旁人,你们若有什么事情只管去做,也不会引动店伙计的闲言碎语,怕什么?只要不嫌弃寒舍简陋,尽管来住就是。”
话说到了这个份上,新一再不好推辞,唯能谢了大泷先生仗义,与服部母子分手之后,和志保一道,随他前往掌刑司尚书宅邸。
大泷府上距此处不甚远,亦是在城西一般官员常居的街道上,占地并不甚大,是个颇为小巧的两进院落。却有一样甚好,因大泷宅在巷子最深处,这条巷子是个死膛,大泷家院墙的一边是砌实了的墙壁,再往那边的隔壁巷子相邻处是一所空宅,因此只有西面一户邻人。说巧不巧,西面那户是朝中一个小官为父母置的宅子,那对老夫妇年老耳背,又喜好清净,家中只有四、五个烧饭、浆洗衣物的仆妇,人口简单。大泷悟郎家中亦仅仅四名仆人,均有了一定年纪,且追随他多年。这确是难得的清净地方。
大泷悟郎带新一和志保回到家中,让下人收拾客房出来,虽用了护卫的名义,一样不忘叮嘱等闲不得在外提及府中来了新护卫。几名老仆自然无不遵从。
新一在自己房间收拾停当了,推开窗子,探身向一旁厢房门前一瞧,见志保的房门打开,知她当是也准备稳妥了,是以过去她屋中,问起方才在柴田家时的情景。
志保沉默半晌,缓缓说道:“不知为何,我总觉当时乌鸦教中人就在附近。”新一一惊,再看志保神色庄重,知她所说是实,霎时间转过诸多念头:志保的直觉不会出错,此人到底是谁?三枝守为人纵傲慢跋扈了些,可志保见到其时并无异常,当不计在内,以此而论,最初在场的众人皆无嫌疑。难道是俵芳治?这人倒是真的嫌疑最重,不过随同他前来的那些家丁、下人,还有去接人的捕快,亦不能全然确认无辜就是了。
然则无论如何,久荣克俊亦不知那个曾与大冈善吉联络的退隐重臣姓甚名谁,俵芳治是唯一线索,亦是破解劫官银一案、还明美姐姐清白的一线希望。
不管是公是私,新一均不可能视此一线机会于无物,当下便与志保议定,夜探俵府一查究竟。他幼时曾住在京师,虽不知有个俵芳治其人,但对城中大体布局还是了解的,知道文武官员各有喜好的居住所在,敏学司尚书大致应住在哪个位置。为求稳妥,还特地询问了大泷府上的仆人,问的是去衙门护卫大人该走哪条路,不过沿途观察,细细推敲,与人攀谈问路,一样问出了俵府的所在。
新一、志保在掌刑司耽搁半晌,接了大泷悟郎收工回家。三人皆是乘马,离了衙门不多远,一个六七岁的男童忽然跑到街中捡球,抱着球直起身来,恰好看到三乘马迎面而来,竟似是吓傻了,一动不动。事出突然,大泷悟郎大急,新一早勒住了马,飞身跃至马前,抱起了那个孩子,足尖一点,飘至街边。他给爱驹雪狮子也做了伪装,不致那般显眼,不过良马自是非同凡响,他这一连串动作固然如同行云流水,雪狮子一样是伶俐得很,乖乖驻足,毫无暴躁之态,没等路边的百姓回过神来,幼童早已安然脱险。
男童的母亲奔上来道谢不提,新一只挥挥手,走回待要再上马,余光倏然注意到街角站了一人。这个时辰,街道两旁皆有摊贩忙着生意,普通百姓或是急着收工,或是忙着买菜,成人中少有无事街头闲站的。而且此人有几分眼熟,像是才见过。新一蓦然回身,那人急忙扭头就走。就是这一扭头,新一记了起来,这人是俵芳治的家丁,午间曾随他一起到柴田家去过的。是以不动声色,佯作毫无觉察,只与志保和大泷先生继续前行。
大泷悟郎见识过志保验尸时的医术,此刻又见了新一绝佳的轻身功夫,大是佩服,赞不绝口之余,问及二人师承。新一代志保答话,推说二人师父曾有严令,未做出一番事业之前不许提及他老人家名字,免得有辱师门。这在江湖上确也是常事,大泷悟郎不以为异,又想起服部来,暗忖能与平次少爷为友的,当然不是凡俗之人。
一天余下无话。当夜过了子时,新一换上夜行衣服,走出房门,志保已在安然等待着他。两人相视一笑,纵身而起,轻飘飘落在屋顶上,往俵府方向而去。
俵芳治虽是告老的官员,府中依旧奢华不输当朝风头正盛的大员。数重院落之中,什么正房、厢房、偏房、抱厦,还有应是其安置姬妾的绣楼,储物的仓库,客卿所在的居所,层层叠叠,一进连着一进,处处皆有用意。饶是新一出身皇族,见过按规制起的深宅大院,分辨不同院落的房舍格局安排还可,然则不知俵芳治当晚去找第几房姬妾,或者又是在哪里与人宴饮,照样弄得不知所措。
志保有心抓名下人问问,新一附在她耳边悄声道:“不可如此,这种深宅大院下人虽多,管事往往看得也严,一旦以为手下有人偷懒,立即便要寻找,容易走漏风声。宁肯辛苦多来几遭,探熟此地环境再动手,也莫要冒这个险。”他说话时的热气吹在志保耳内,志保只觉得耳中痒痒的,耳尖上泛红,忍不住动了动,微微有些战栗,却是有种说不出的感受,只得硬撑作无事应道:“听你的。”
她动人的情态被新一看在眼里,忍不住心神一荡,随即想到身处险地,努力克制。
二人遂不再执着于立见分晓,只借着夜色,在俵府的各处走了一遭,看准不同方向位置的路径,眼见时候不早,逐先回大泷府邸去了。
次日清早起来,尽管大泷悟郎一再推辞,新一说道:“如今衙门里都知道我二人是先生的护卫,等闲哪能离岗呢?”与志保一起,护送他到衙门。不过大人到了衙门,他二人便无事一身轻,索性将坐骑也存放在衙门,在京师里随意逛逛,多打探一些情况。
两个人信步沿街而行,这时已近初冬,若在伊豆,正是百姓辛劳一年,预备闲适过冬,也是商家买卖兴隆的好时机。但纵使京师较之其他地方已好过不少,仍是一片萧条。接连几条街的转角处,均有打短工者聚在一起,等着雇主前来挑人。就是道两边的摊贩、商家,也是人人无精打采,只有菜贩的生意还算过得去。
志保因见一位白发苍苍的婆婆在风中卖糖葫芦——这时节里人都要吃不饱饭了,哪有那个闲钱给孩儿买零嘴,接连几个幼童经过,都是被当娘的硬拽着走的,婆婆站在风中叫卖,白发被吹得凌乱,插糖葫芦的垛子上只有一个缺口——所以上前,摸出一锭银锞子,将整垛的糖葫芦买了下来。
婆婆千恩万谢走了。新一倒不意外志保的举动,然而这么多糖葫芦,就凭他们两人,要吃到什么时候?由不得犯了难。碰巧一个三四岁的男童随娘亲买菜经过,看着满垛红艳艳的糖葫芦,求道:“娘,给小聪买一个吧。”做娘的衣着朴素,当是出身普通人家,不禁为难,把孩子抱在怀里哄道:“小聪乖,等你爹爹赚了钱回来……”话未说完,一串糖葫芦塞到了小聪手里,抬头看时,那个拿着糖葫芦的姑娘看似相貌平凡,微笑起来却似带了一种极美的风采:“这是给孩子的,不要钱。”
小聪拿了糖葫芦自是开心,他娘连连道谢。道路那一头又跑来几个孩童,志保索性半蹲下身子,看到一个孩子过来,就塞一根糖葫芦。那些幼童有的拿着糖葫芦急不可耐就往嘴里送,有那腼腆的,小小声道一句谢,志保看着他们笑。正在这时,身侧忽有一个女子声音叫道:“喂,你安的什么心?平白给孩子们糖葫芦,莫不是要打什么鬼主意吧?”
新一正想反驳,一见来人,顿时头大了一圈,如非做了改扮,险些拉起志保就跑。
出声的少女十七八岁年纪,一头长发微微带了棕色,正值青春可人的年华,面貌颇有几分娇媚,神色举止却自有一股泼辣劲头,朝着这边指指点点地叫嚷。在她身边,一个美目灵动、干净利落的翠衣少女,新一认得是远山和叶,另一边的姑娘如水样温柔,正是毛利兰。
志保自幼与人接触甚少,哪想得到那么些弯弯绕,正待解释,第一眼就认出了毛利兰,但见她打扮与在文昌王府时又有不同,一身名贵的藕色锦缎皮袄,领口处露出一块貂皮,端的是富丽华贵,与另外两名少女平分秋色。纵使不认得她那两个朋友,忆及在神奈川时与服部的谈话,猜也猜到了其余二人是谁。
要论泼辣、口无遮拦,铃木家二小姐铃木园子若认第二,普天下怕是再也无人敢认第一。
志保纵不怕,却不欲在这追查乌鸦教的关口横生枝节,只得逼紧了嗓子好生解释。毛利兰搭话道:“园子,咱们刚刚都看到了,你就不要为难人了。”铃木园子哈哈一笑,脸变得倒是像六月的天,一忽儿就转了晴,大力拍着志保肩膀:“哈哈,别怪,别怪,开了玩笑而已。我们看了全程,你这姑娘是好人。”接着又问,“我以前可在这一带没见过你。你叫什么名字,是新搬来的吗?”
和叶在旁搭话:“就算这里有你家的酒楼,也不至于连附近的住家都人人认识呐。”毛利兰笑着摇头:“园子喜好交际,她是又想认识新友了。”
没奈何,新一只得以气驾驭改变嗓音,说道:“咱们江湖中人,四海为家,无非是偶然漂泊到了京师,明日又不知将去往何方了,怎好打扰小姐?”随即拉起志保的手,“花花,走吧。”看似信步,实则几乎是逃也似的,能走多快就有多块。
二人身后,园子还颇为惋惜:“可惜了的。他们要是江湖中的侠客就更好了,阿真一定有心结交。怎么走这么急……”
新一带着志保一口气走出两条街外才停下,夸张地擦一擦汗,看看志保手中的糖葫芦还剩下小一半,干脆直接喊过路边玩耍的幼童们,一人分给一串。最后还剩两串,干脆与志保你一串,我一串,左右阿笠博士这面具做得极为精细,口唇的部分是活动的,不妨碍人正常进食,两人遂举着糖葫芦边吃边在街上闲逛。
注意到志保戏谑的目光,新一也觉汗颜,讪讪解释:“招惹上那个大小姐少不得要耽误正事,还是三十六计走为上得好。”虽则如此,以铃木家的名望,不需专门打探消息,街头巷尾自然传遍。原来铃木家大小姐铃木绫子将与兵部侍郎富泽哲治之子富泽雄三订亲,铃木家财大气粗,早早传出了消息,辖下产业皆要搭建十里长棚,当街摆酒,请四下邻舍连带着当日路过的百姓,都来喝一杯喜酒。既是摆出了这般大的阵仗,自然就要做得全里全面,完美无瑕,不能因稍有疏忽丢了面子。所以这些日子以来二小姐铃木园子没少带着朋友在自家的各处酒楼转悠试菜,就为甄选出绝佳的上品菜肴宴客。
“果然是千金小姐的做派。”志保想起方才见到的铃木园子,由不得感慨。新一只觉得脑后一大滴汗,暗暗腹诽:“那家伙哪里像个千金小姐……”
两人看似信步而行,实则连兜了几个大圈子,皆在俵府左近。中途经过铃木家的又一处酒楼,这里是现任铃木家当家夫人铃木朋子亲自前来挑选菜品。新一虽知这位夫人素来高傲,不至于像园子那般当街乱晃,但这位夫人他幼时亦是见过的,只怕意外撞见不当心露出什么马脚来,只能远远绕着走。如此一来,本是打算详加看过俵府周围地势的,多一半路程都花在了各种绕远上。
看看时候不早,新一逐与志保转回掌刑司衙门,接了大泷悟郎回府。三人回到府中,服部已等了多时。原来他在家中待得气闷,又惦记着新一定是发现了什么方才决意提前离开,所以借着过来送行李的名义,顺便问个究竟。
新一自是知道黑炭的打算,双眼不自觉地变成了半月形。大泷悟郎看到平次少爷很是高兴,问起服部平藏和静华夫人,知道二人并未受到昨日案件影响,也就��了心。几人一道用了午饭,因鸟越苗路的“精灵泪”来路不正,铃木次郎吉逐搁下了那边,却又另寻名贵珠宝,誓要与基德一决高下,所以缉盗司的中森银三忙得不可开交,连带着大泷悟郎亦不得安生,只能饭后早早回衙门去处理相关事宜。
服部正好逮到机会,抓住新一逼问他到底发现了什么,以致突然改变主意。新一心知将来与乌鸦教争锋,服部的助力不可或缺,若执意瞒他反倒是生分了,然则俵芳治一事究竟尚未明确,此时不宜把服部牵扯进来。可服部哪里肯放下,新一越是不说,他就越笃定了必然有所发现,一行追问,一行冲着志保道:“志保小姐姐,你得空也管管工藤,什么大事都瞒我,这还当不当我是兄弟了?”
新一被说得脸上发烫,飞快溜一眼志保,但见她虽带了面具,目光中却闪过一丝羞俨,正想怼服部几句,志保已先开了口:“新一——今日咱们遇见的那位姑娘,可是叫远山和叶?”服部一怔:“你们见着和叶了?”
“街上偶然遇见的,她和小兰、园子在一起。”新一看着服部面上神情暗自好笑,听闻此言黑炭也皱起了眉:“她和那个大小姐在一起?”实则他二人皆知铃木园子为人仗义热忱,不能算作恶人,然而一想到这位豪门闺秀惯于自说自话,自有一套认知的理论,绝不肯听人述说道理,就忍不住大皱眉头。
服部与新一、志保二人一道回来,之前虽亦在家中住了些日子,但一则相助大泷悟郎查访基德一事,二则受和叶她们那几个闺中密友声讨新一的连累,几乎便是躲着几个姑娘走,因此并未听闻铃木家嫡长女订亲的大事。这时自新一口中听来,逐多了几分无可奈何,想起到时参加喜宴又觉麻烦得头疼,少不得抱怨几句,话题便被揭过了。
送走服部之后,新一和志保下午各在房间养精蓄锐,并未出门。到了晚间,推说要养气练功,二人晚饭后亦是早早回了房间。待到过了子时,才又悄然出门,相携往俵府而去。
二探此地,志保心中那股感知愈发强烈,似有一种极阴冷之感渗到心底。这种感觉与琴酒、伏特加狭路相逢时亦曾有过,绝非一般喽啰可比,到了此时,已有九成可以断定,有问题的那个正是俵芳治本人。然而两人来得不巧,虽找到了俵芳治,可正逢府中宠姬做寿,备下了酒菜请他过来,这二人饮酒作乐大半个时辰,接着驱散了下人就要吹灯。眼看不能再等下去,又不能贸然掐灭这一线曙光,只好再度无功而返。
0 notes