Tumgik
#家族の皆様に大感謝
dropsofmoonlightzine · 11 months
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🌸 Hi all you wonderful supporters and fandom friends!!
It’s been a few months since our last update, and we wanted to keep everyone in the loop with where we’re at with the Zine.
We’ve been able to order and have received most of the merchandise but unfortunately faced an unexpected setback with one of our vendors. This has delayed our ability to move into the process of collecting shipping fees until we resolve the issue. We also ran into several hiccups with Booth due to production delays, and are trying to resolve the multiple issues that arose from this production delay. We’re not entirely sure yet how long it will take, but we will share it once we are ready to collect shipping fees and move into the shipping phase. 
There’s literally tons of merchandise that’s waiting in one of our Mods living rooms… she wants them gone as much as you wish to receive them! Your Zine will arrive safely, it’s just a matter of time as we are working hard to get the Zine out to you as quickly as possible while also balancing our own lives. Recently, we’ve come across life-changing events (going through unplanned surgeries, temporarily relocating to another country, taking care of family issues, and no longer working from home). We do apologize for the delay and ask that you continue to be patient with us, as we are all volunteers doing this for charity and love for Sailor Moon. Thank you for your patience and your continued faith in this Project.
🌸 サポーターの皆さま、ファンダムの皆さま、こんにちは!
前回の更新から数ヶ月が経ちましたので、ZINEの制作状況について皆さんにお知らせしたいと思います。
ほとんどの商品の注文を終え完成品を受け取ることができましたが、残念ながらベンダー一社と予期せぬ事態に直面しました。このため、問題が解決するまでは次のプロセスに移行することができません。またBOOTHでも発送の遅れによりいくつかの問題が発生しており、複数の問題を同時に解決しようとしています。現時点では解決までどれくらい時間がかかるか確実なことは言えませんが、次の段階に移行する準備が整いましたら、皆さまにお知らせします。
現在主催メンバーのリビングルームには、文字通り足の踏み場もないほどの大量の商品が届いており、注文者の皆さまの元へ届けるために待機しています。主催メンバーも皆さまと同様にさまざまなライフイベント(予定外の手術、一時的な海外転勤、家族の問題、在宅勤務の廃止など)に直面していますが、皆生活と両立させながら、できるだけ早くZINEを皆さんにお届けするため尽力しています。私たちは皆、セーラームーンへの愛とチャリティーのために活動しているボランティアです。遅れをお詫びするとともに、もうしばらくお待ちいただきますようお願いいたします。
プロジェクトへのご理解と長期にわたるご協力に感謝いたします。🌸
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ari0921 · 5 months
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桜林美佐の「美佐日記」(240)
黙ってスマホをいじるだけの無機質な生き物……
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、240回目となりま
す。
よく「価値観の違い」という言葉が言われますが、
最近ちょっと気が付いたことがあります。
プライベートな集まりの中に自衛官がいると、例え
ば誰かが困っているような場面で、自衛官はだいた
い立ち上がったり、何らかの行動によって助けよう
とするということです。探しているものを一緒に見
つけようとする、といったかんじで。
一方、最近の若い人は(年寄りの常套句ですが!)、
何かを手伝う行為として、スマホを取り出していじ
り始めるケースが多い。これは、協力する気がない
のではなく、彼や彼女なりに最大の努力をしようと
しているのです。Google(ぐぐる)という形で。
私はこの、無言で何か調べているという行動には全
く感心しなかったのですが、確かに考えてみれば、
より効率的な人助けなのかもしれません。
私はよく自衛隊の批判をしますが(特に陸!)、人
に寄り添う姿勢には心打たれることが多く、なんだ
かんだ言って自衛隊的なやり方が好きなのです。東
日本大震災の時、もう、どんなに探しても見つから
ないと分かっていても行方不明者の捜索を続け、そ
れが人々にとってどんなに励ましになったか。
ムダだと分かっていても、非効率だと言われても、
何かをしようとする気持ちを持っているということ
が本当に素敵だと思います。
ただ、気になるのは、日本人全体が黙ってスマホを
いじっている、結論はそこにしかないかのような無
機質な生き物になっているように見えることです。
鹿児島の屋久島沖で米空軍のオスプレイが墜落し、
乗員8人全員の死亡が認定されました。2人はまだ行
方不明のままです。
米空軍は「自衛隊や海上保安庁、屋久島のボランテ
ィアの人たちが捜索活動などを支援してくれている
ことに心から感謝したい」と表明しました。もし、
自衛隊の事故なら数か月単位で捜索を続けますが、
米軍は日本の感覚ではいつもかなり早い打ち切りを
決めます。これは四十九日という結節がある日本人
との文化、宗教的価値観の違いだと思います。
そうした中、非常に残念で仕方がないのは、日本側
の報道などが相変わらず米軍への批判に終始してい
ることです。
裏で政府に苦情を言っても補償を要求しても結構で
すが、せめて公には哀悼の意を示すことはできない
のでしょうか。
8人のうち、2人は沖縄の嘉手納基地、6人は東京の横
田基地所属でした。まだ長い将来が残っているはず
だった若い人たちが、故郷から遠く離れた日本の海
で息を引き取ったのです。本当に、やりきれない思
いです。
感謝祭が終わり、12月に入るとどこの基地でもクリ
スマスツリーの点灯式が行われます。軍楽隊の演奏
と子供たちの声が、飾り付けられた大きなツリーを
囲むのです。愛する人を亡くした家族はどんな気持
ちでいるでしょうか。
そういう気持ちに寄り添えない、日本人は本当に落
ちぶれてしまったのかと、こうした事故が起きる度
に悲しくて仕方がありません。
無機質と言えば、最近またYouTubeでイスラエル問題
について、前回書きましたように、国際���治学の先
生からのご批判を受け、それに応じる形での企画を
収録しました。
私は司会として、自衛隊の将官OBの皆さんの知見を
お聞きしたのですが、そんな中でも頭をよぎったの
は、法の下で動く自衛隊は別としても、では多くの
日本人は、いったい、何を拠り所として物事の判断
をしているのだろうということです。
国際法だ、などという人は少数派でしょうし、では
憲法か?といえば、そうとも思えない。信仰でもな
いし、民族固有のアイデンティティーみたいなもの
も見えない。53年前に三島由紀夫が檄文で「その
場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込
んでゆく」と表現しましたが、今はそれよりも53
年分の退化をしているということをはっきりと感じ
てしまうのです。
2683年の自国の成り立ちを捨て、万世一系の国
体までも放り出そうとする国民は、どうなっていく
のか、と思いますし、また、数千年前の教えや約束、
預言を大切にする人々に我々が意見するのは僭越と
しか私には思えません。
 10.7のハマスによる襲撃で何があったのか。
子供たちは親の目の前で指を全て折られ、目をえぐ
られ、母親はその場でレイプされ、足は全て折られ
て射殺されました。赤ちゃんをオーブンに入れて焼
死させ、その横でテロリストたちは食事をする、そ
んなことが各戸で行われていたのです。入植による
被害者であるとか、全く関係ない所業です。
 そして、ハマスはガザの人々を人間の盾にし、イ
スラエルが避難を呼びかけても逃げられないように
しているのです。
 何としても自国民を守る、それが独立国家の責任
であり使命です。800人はいると言われる拉致被
害者を放置している国には、ちょっと難解なのかも
しれませんが・・。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様にとって良い1週間でありますように!困難の中
にいる全ての人のために祈り、あらゆる紛争の犠牲
者を悼みながら。
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入���院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめ��な」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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recoo-tomioka · 1 month
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まとめ。これも誰かに向けてではなく、5年前まで使っていた父性の富岡と両親から与えてもらった名前とDJ名と。一人称を色々使うことが多く、基本的には英語ではIです。日本語、難解ですが、本名も同じくらい大切。
芸名で活躍されてる方もいます。人それぞれ。自認というか、芸名での活動のなかで。
DJ始めた時期、人それぞれ前提ですが、フランキー・ナックルズというDJが
※概念の話。DJを始める前の友人を大切に、という言葉を残していて、自分という存在を実感させてくれる、知っていてくれる、見失わないようにいてくれる存在は本当に大切です。
学生時代も人それぞれですが、俺は1人だけ。本当に救われてます。
突然、数年振りに連絡がきた友人もいます。飲みに行ってみようかなとも思ってますが。
お酒、過ぎないというか、度を越さないことですね。楽しく酒を飲むという当たり前に帰って来れそうです。公共の意識は持ちます。
多感と呼ばれる時期は色々あるものです。これも人それぞれ。殆どクラブカルチャーが出会いの場でした。一個人としては。
アイコン 苔玉
自分の誕生花のうちのひとつ。苔。他にも誕生花はありますが、花言葉がとても気に入っています。
正直、視野をもっと広く保ててたら、もっと良い文章かけていたのかな、と実感してます。しかし、この場所で続けること以上に、丁寧な形を取ることが最も適切かと思います。
一個人として自律も大切なことでした。。
そして、生まれ持ったものや、何か事故など天気のように、選ぶことのできなかった環境や、助けが必要な人には、率先して手を伸ばすという行為。よくで動く人もいるので、行動というか、受け入れる塩梅が難しいところもあります。信用、というものは本当に難しいです。
社会に対して、訴える必要のあることも。正直、社会派とは言えない立場です。
素直な気持ちと、意識と、傍観しないことなのかなと思いますが、薄っぺらくならない、言葉を意識的に選ばせていただきたいです。
近い感覚の意識として、そして敬意も必要なことなので。この話に限った次第ではございません。
そして、昨年から音楽で作品作りを始めた大きな理由として
自信を持つことが今までできていなかったので、少しづつですが、やっと自分を見つけられ、これから新しく始められるのかなと。。
かなり長い期間、作品と作家くらいしか信じることができていなかったのかもしれません。
今まで長い時間、最も寄り添ってくれたのが作品と作家ですが、
今まで、人に頼れなかった部分というか。事前に相談したりできて自ら進んで行うこと、文体の配慮。
作品作りが第一優先の一年になってしまいました。
内容として、社会との意識を外さないと作れなかった部分もあります。
最も偽ることのできない形なので。社会の中で必要な調和、というものをよく考える実感があります。
環境と作品につきましては、後日書かせていただきます。
自分を信じられるようになるには、一個人としては必要なことでした。進むために、未熟な自分を変えるべく。
自信があり過ぎるのも問題だとも思います。。
自信があることが決して良いことでもなかったりします。普遍と変化と。面白さと。
家族も友達も動物も身近な存在を少しづつ信じられるようになったのも、去年から大きく変わりました。やっと実感に至ったくらいです。身近でも疑うことも必要です。それが助けになることもあります。きょくたんに全員を信じ過ぎた教訓。塩梅
わるい人って表にもいると思います。皆さんも気を付けてほしいです。社会の外側と内面ばかりの日記より。
私自身がたどうであることも、抱えているものも、昨年に初めて自認に至りました。そして自分の人生を生き始めたくらいの実感もあります。一つずつ、コミュニケーションの形を模索してます。
これに関しては、具体的にまた別の形で。
理解や認識、気付くという行為に時間がかかってしまうので、どういう言葉を選ぶか、慎重に選ぶ必要があります。事前に信頼できる、傍にいてくれる友人がいるのに、独断が続いてしまいました。
決断は常に自分自身ですが。。
素直さ、というのはとても危ういもので、世の中、本当に色々な人がいますし、自分は今までクラブカルチャーばかりで、日中の生活をされている方たちとの接点が少なく、今までわかっていなかったことがとても多いです。
言葉の危険性というものは、受け取り方もそうですが、言葉を発信することにも、善性やわるい影響以外にも、気を付けないといけないこともあります。
英語にすると両面的ですが、コントロール、凄い力ですから。お袋が親父と祖母を守って管理してくれた。母、強し。様々な家庭があると思います。
逆に、開き直った人というのは、本当に見かけによらぬもの。身近な人の言葉がきっかけで何か変わっていくこともあると思います。
言い訳は仕方なかったですが、これに関してはもう迷いません。
そして、共感や、寄り添いのなかにも、個人として繊細さと豪快さの両方を抱えながら、塩梅をとれるような人になれるように進みたいですね。
ロールモデルになるようなきっかけを与えてくれる先人たち、クラブカルチャーにも沢山います。恵まれた環境に感謝し続けてます。優しい人も沢山います。それだけじゃないのが、夢とリアルですね。
油断しないで生きていきたいです。
リリースする前に長くならないようにと、言葉を残させていただきました。
これは富岡と肥後、両親の苗字のフィードバックとして3つのSNSを相互作用させていた部分もあります。厳し過ぎない優しさを取り戻す為。良い影響の与え合いがやっぱり最高。そしてそれだけじゃない部分、身近にいないと、そがいかんの強さがある人のセーフティネットとして活用できる場所、としてはSNSにも救済の側面もあるのではないでしょうか。
弱さも強さも両方とも、人それぞれのバランス。
俺はあくまで音楽や創作が軸なので、ケアに至っては、お医者さんやカウンセラーのプロに任せたほうがいいと思います。少しづつですが、生きやすくなってきました。
どうみられて���、自分は自分。そして、俺、個人の話。それでも誰かの為。 
タイムラインのあるSNSは全部チェックできておりません。。しんどい時は無理しないことにしてます。
忍耐は美徳ですが、誰も我慢を選ばず犠牲にならない世界になることを願っております。表面的かもしれませんが、たまには綺麗事くらい。。
誰でもって言葉、難しいですね。差別にならないような意味合いでは倫理観のもと、ということになるのでしょうか。。
以上になります。
読んでくださった方々、ありがとうございました。感謝しております。
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774 · 6 months
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皆様へ BUCK-TICKのボーカリストとして多くのファンに愛され続けていた櫻井敦司が 10月19日KT Zepp Yokohamaにてコンサート中に 体調不良により病院に救急搬送されましたが 令和5年10月19日午後11時9分 脳幹出血のため 息を引き取りました 57歳というあまりに早すぎる旅立ちでした 葬儀はご遺族の意向により近親者にて家族葬として執り行われました 葬儀後の発表となり 皆様にご報告が遅れましたことを深くお詫びいたします 故人の冥福を祈りつつ ここに謹んで御通知申し上げます なお ご弔問及びご香典 弔電 ご供花などのお気遣いは固く辞退させていただきます 何卒ご理解をお願い申し上げます 今年デビュー35周年で精力的に活動を行い9月には故郷 群馬音楽センターにて35周年を締め括る コンサートを行いました そして36年目を歩み始めた矢先でした あまりにも突然の事に いまだ信じられない思いがいっぱいで 気持ちが混乱しており  メンバー スタッフ共に 言葉に表すことができないほどの深い悲しみです 後日 ファンの皆様と故人を偲ぶ場を設けたいと思っております 現在発表されておりますコンサートに関しまして 主催者及びコンサートを楽しみにお待ちいただいていた ファンの皆様に ご迷惑をお掛けする事を深くお詫び申し上げます これまで櫻井敦司を応援していただいたファンの皆様 関係者の皆様に心より感謝申し上げます
 令和5年10月24日 有限会社バンカー BUCK-TICK
大切なお知らせ|BUCK-TICK オフィシャルサイト
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powerinpraise · 9 months
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祈りのネットワーク
イトコからリクエストがあって
イトコの息子くんのお祈りの課題を
祈りのネットワークに回していただきました。
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息子くんは高校2年生で、
学校の部活の時に、近くで寝ていた同級生の手を3回引っ張ったら、むち打ちになったと言われて50万円の示談金を請求されて、
(その3日後にその同級生は球技大会に出ていたという事でした)
→弁護士さんが診断書を送ってもらえる様に相手の方に伝えたら、
封筒が無いから送れないと言って来られたり!
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弁護士さん曰く、もしかしたら相手の方と警察に何か連携があるかもしれないとの事だったり、民事から刑事になり、8月1日の1時から3時の間に警察署で事情聴取があるとの事でした。
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学校の先生や他の同級生達は、息子くんが悪く無い事は分かっていてくれてるそうですが、
学校側としての必要な対応なのか、
息子くん1人で特別授業を受けたり、
息子くんは部活も辞めようとしているとの事でした。
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もう1人の息子くん(お兄ちゃん)も困難の中にあったりして、、
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毎週イトコ夫婦とFaceTimeでお祈りしているのですが、イトコの顔が陰っていて、、
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💡皆んなで感謝しています‼︎
(相手のご家族のためにもお祈りしています‼︎)
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事情聴取が守られる様に、
速やかな最善の解決が導かれるように
一言でもお祈りいただけましたら幸いです。
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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
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ローマ人への手紙 8章28節
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July 30,2023
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orotimike · 2 months
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R05/09/27 の記録
パンケーキという食べ物はもはや眼(まなこ)で食べるものなのかしらん、などと思いつつ、山のように積まれたふわふわの〝それ〟を見つめながら、いよいよ出発の日になってしまった避けようのない事実にすでに疲れを感じていた。家族が羽田空港まで見送りに来てくれたのは大正解で、きっとひとりだったら何もかも分からずインフォメーション前でくたばっていただろう。2泊3日のひとり旅行と言っても、もう20年以上の付き合いになる友人の結婚式に参加しに行くのであって、これはただの旅行ではないのだ。式までに頑張ったダイエットのお陰でカロリーを気にせず食べられるのは嬉しいことだけれど、雲の如く膨らんでいるホイップクリーム、大きめに切られたバナナが極まってしまい、これからぼっちで飛行機に乗る恐怖に負け結局のところ3分の2ほど残してしまった。
1人きりになってからは、時計と睨めっこで、やっとこ無事に飛行機に乗り込めたと思えば到着間際でガタガタと揺れ始め、この揺れは問題皆無といった冷静なアナウンスが流れても、後ろのババアどもは騒ぐしガキは金切り声をあげるものだからこのまま死んだらどうしよう、などといった具体的な死が想像され率直につらかった。目的地に到着してからは空港内のコンビニで煙草を買い喫煙所で数年ぶりに深々と吸った。割と期待はしていたのだけれど、さほどよろめくこともなく、ただただニコチンを摂取しただけだった。駅からはまっすぐホテルに向かって歩きチェックイン、部屋になんとか辿り着き、窮屈だった靴やらズボンやら服を脱いでラフな格好になり、部屋に向かう途中で買ったサッポロクラシックを飲みながらまたも一服。iPhoneでKとビデオ通話しつつ煙草を片手にビールを飲む姿を見せると、悪だ!と笑うものだからそこでようやく無事に着いたことを実感する。
夕方からは友人たちに会い、地元の美味しい料理に舌鼓を打ちながらビールをぐいぐい飲み、トイレで嘔吐するまでには酔っ払った、とっぷりとしたほとんどの夜中、カツカツ慣れないヒールを鳴らしつつKに電話をする、たちの悪い酔っ払いに付き合ってくれた彼には感謝の気持ちでいっぱいで、叱られながらも着いた部屋はどことなく暖かった。
2日目は結婚式。終始柔らかな空気を纏って穏やかに進んだ。誓いのキスを冷やかす年齢でもなく、むしろ泣いてしまう涙腺のもろさ!白くきれいなドレス姿の友人が皆から祝福を受けて照れ笑いをして様々な感情をひた隠すたびに、ああ、この場に招待してもらえて、今でもその嬉しさに胸がギュッとなる。その後の2次会3次会にも参加させていただき、久しぶりに集まった友人たちの、今まで離れていた分のエピソードをつまみに酒を飲んだ。それぞれが夫や子どもとの生活を想い、毎日頑張っていることが痛いくらい伝わって、時間がゆるす限り、わたし達は懸命にしゃべり続けた。何も変わっていなくて、もしかしたら全てが変わってしまったのかもしれない、それでもまだこうして繋がりがある喜びを知った長い長い1日だった。アルコールで酔いつつも、わたしはもっと〝これから〟を大切にしようと思った。
もう既に、希望もどん底も知っている。美しいことばかりではない世の中だけれど、それでもわたし達はめげずに生きることを選択し続けてゆくだろう。それは大切な人たちの為でもあるし、己の為でもあるのかもしれない。帰りの家に向かいながら、そう色々なことを考えた。
自宅に着くと、Kと娘が出迎えてくれた。ただいま、と少し疲れながら笑い、2人が、おかえり、と言って笑った。
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1994mj700v2c · 2 years
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このような素晴らしい若者がまだ日本に居る。
国連スピーチされた事に心より感謝申し上げます。
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水田 安美さん 国連スピーチ全文(日本語版)
今日、私は日本の若者を代表してここへ来ました。
私が伝えたいのは、日本は素晴らしい国だから、自虐史観に終止符を打ちたいこと、そして皆さんと共に地球規模で幸せを実現するために、力を合わせていきたいということを伝えるために日本からやってきました。
今から日本の素晴らしさを皆さんに伝えます。
まずは、日本の国旗です。
 
このように一見、シンプルな白色の真ん中に赤い丸という国旗です。
この赤い丸は「太陽」だと言われており、日本の信仰の象徴でもあります。
それは、「太陽信仰」といって、天照大神という存在が国家の神として認められて、日本全体がそれを承認し、今の日本にある皇室制度が成り立っています。
それは「百二十五代」続いています。
その間、途切れずに続いており、系図もはっきり遺っています。
そしてその史実は、少なくとも二千年近い歴史があることは、ほぼ確実です。
「統一王朝として、二千数百年存在する」ということを考えると、これだけ連綿と続いた国家があるのは、すごいことです。
「世界史のなかの奇跡」と言っている人もいます。
私もそう思います。
もう一つは、日本の神話です。
古事記や日本書紀など日本人が古くから大切にしている伝統や書物があります。
そのなかに描かれている象徴的なものから「生き方」を学べます。
嘘をついてはいけない、勤勉に生きる、人に優しくするなどといったことが今では、お爺ちゃんやお婆ちゃんの口から二千年も語り継がれているのです。
なので、東日本大震災などの大きな災害があっても、お互い譲り合ってできるのです。
このように、日本には「統一王朝や日本の神話が二千数百年の長きに渡って現在まで大切にされてきたこと」ということは、本当に素晴らしいことで、これは「世界遺産に匹敵する」ことくらい、すごいことだと私は思います。
そして最後に、アジアの植民地解放、アジアやアフリカ諸国の独立に貢献したということです。
第二次世界大戦の敗戦後、天皇陛下の一言で日本人は一斉に武器を捨てました。
そして、その後も日本に帰らず、戦いの現地に残ってその国の独立のために武器の使い方を教え、共に戦った日本人が多く���ます。
何故だと思いますか?
それは、他国を侵略したいと思ってないからです。
先ほども述べた日本人の考え方のなかに「困っている人がいたら助けたい」という、思いがあるからです。
それがよくわかる「インパール作戦」を例に挙げます。
日本ではインパール作戦というと、一番残酷で失敗の作戦だったと習います。
ですが、インドではこのように言われています。
インド国軍50周年記念で現地の方がこう言われたと、実際その場所に行かれた日本の人に聞きました。
「インパール作戦であれほど日本軍が自分たちの犠牲を払って戦ってくれたから今この日を迎えられます。そのことに感謝、尊敬しています」
当時の日本人は同じアジア民族としてある民族だけが、肌の色が違うだけで虐待されるのが許せず、黙って見てられなかったのです。
それは、日本の上の人だけではなく、日本国民が皆そう思っていました。
そうした、神様が見られる視点・地球的正義感を日本人は持っていました。
そしてそのアジア独立に感化されたアフリカも独立への動きに変わっていきました。
そんな日本をインドも、アジア諸国の人も尊敬しています。
以前、マレーシアに行ったとき、現地の人に手を握られ、涙を流しながら「アリガトウ、アリガトウ」と言われたことを今でも覚えています。
私は、それがすべてだと思います。
私は日本に生まれたことを誇りに思います。
なので、日本という国はもっと自信を持ってもいいのです。
この国自体が「世界の誇り」であり、「世界遺産そのもの」そう思っていいはずであります。
これを知るだけでもこの素晴らしい日本に生まれた日本人が「自虐史観」で、自分の国が嫌いという考え方を変えなければならないということが、はっきり分かってくるはずです。
他にも数えきれないくらい、日本の素晴らしいところがたくさんあります。
今、日本は誇りと自信を失いかけています。
なぜなら日本は悪い国だと他の国に言われ、また学校の先生に、そう教えられているからです。
私自身も、お婆ちゃんから教えてもらっていた日本の歴史と学校から教わった歴史があまりにも違っていたことから歴史の勉強を始めました。
そして自信を無くした子供たちは、いじめや犯罪に走ります。
私自身も、学生時代いじめられた経験があります。
日本にはあまりにも自分のことが嫌いな子供が多すぎます。
しかし、日本には素晴らしい文化や思想、伝統がたくさんあります。
日本国内でその声を挙げても小さな声にしかなりません。
なので、皆さん一人ひとりが自分の国を愛するように、日本のことも愛してください。
幸福を祈ってください。
その思いが、日本の子供たちの命を救います。
日本の人々の勇氣になります。力になります。
誇りと自信に繋がります。
もう、日本の自分の国が嫌いという考え方「自虐史観」に、この戦後70周年の今、終止符を打ちたいのです。
日本が再び誇りと自信を取り戻すことはもちろん、日本だけではなく世界各国がそれぞれの国で誇りと自信を持ち、地球規模で幸福と平和と安らぎが実現する未来を私は本氣で祈っています。
このスピーチが世界の幸福の一助になることを願います。
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reportsofawartime · 4 months
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【被災した方へ】 1月6日(土)の10時〜15時に、民宿あおまさで食事と温泉の提供を無料で行います。氷見市だけでなく、石川県や高岡市の方も遠慮なく! 大きな浴槽ではないので、待ち時間があるかもしれませんが、それでも良ければご利用ください。 また、必要とされている方がいる間はずっとこの活動を続けたい気持ちはあるのですが、家族や従業員、自分の生活を守るため、1月7日(日)から民宿は通常営業に戻らせていただきます。日帰り入浴は可能ですが、無料ではありませんので、心苦しいのですがご理解をお願いいたします。 【皆様にお願い】 今後民宿では支援物資の受け入れができません。宿に米や野菜、お水、おかずなどを提供してくださった皆様、本当にありがとうございました。 本来はご協力くださった皆様それぞれに連絡し感謝を伝えなければいけないのですが、本当に多くの皆様から連絡を頂いているので、こちらでお伝えさせていただきます。
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hirasen · 2 years
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#ひらせん食堂 の #超豪華ディナー ( #笑 )は、 #道の駅かくだ で #買った 、 #魚やたけだ (http://www.at-ml.jp/?in=56744/) #さん の #はらこ飯 で #ございます ! #鮭の不漁がとっても心配です が、 #宮城の秋の味覚は絶品 #です !! #そのほか 、 #シャレオツな器 に #入った #ナスのみそ汁 や #イカリング #など 、 #本当サイコー ♪ #家族の皆様に大感謝 #です♡ https://www.instagram.com/p/CipWcSdulZy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hachirow-duckfield · 4 months
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2023年 加茂野やや大きいのすべて。
みなさんい、サウナ、こんばんはー。
この1年、俺は頑張りました。本気で。そんな想いを込めて、この一年の活動を網羅的に振り返っていこうと思います。
1/14(土)@高円寺HIGH
In Case vol.9
WRENCH、MOZU、computer fight
痛郎さんからお誘いいただいた。吉祥寺NEPOでの、たしかAKUTAGAWA FUNCLUBとのライブの際に声をかけていただいてからの縁で(違ったらすいません)、それからずっと目をかけてもらっている。本当にありがたい。WRENCH、MOZUという90年代オルタナの大先輩たちの共演を前に何かできることはないかと、チャレンジな取り組みとしてライブ用イヤホンをつけて練習や本番に挑んだりしたが、全然意味がない上に変なミスを招きかねないので辞めた。間近で見る菅野さんのドラムがとにかく強烈で、シンプルなフレーズでも音量やキレが自分とは比べ物にならないほど良かった。
2/19(日) @西荻窪FLAT
「毎日何にもすることなくて啓蒙している」
computer fight、the bercedes menz、din remoter、タオル
同時に、suburban bluesのフィジカルリリースも行った。ベルセデス、ディンリモは既知だったが、タオルのライブには度肝を抜かれた。最小限で、なのに必然性に溢れた音の群れ。俺は甚く胸を打たれ、後日の浜松TEHOM参加の際の動機にもなった。
4/22(土) @吉祥寺NEPO
MYFUNERAL INC. presents【TOKYO SWING special】
PANICSMILE、トリプルファイヤー、[O.A] computer fight
今思うと、ありえんくない?というイベントにOAで出演。いまだに後悔しているのは、次の日、職場のしょーもないイベントに参加するためにPANICSMILEの演奏をほとんど拝見できなかったこと。眼前で凄まじい演奏が行われている中、機材を背負ってライブハウスを出た時、自分は何になりたいんだと混乱した。そしてそんな混乱も、船の出航時間が近づくにつれて睡眠への不安に置き換わってしまうのが嫌だった。
この頃は、島での団体活動の長になり(そうしないと団体が無くなる危機だった)、さまざまな人間の要望を聞いては日夜ペンを走らせてイベントの企画などをしていた。もちろん業務外である。本当に辛かった。
そして、ずっと一緒に暮らしていたデグーのたわしが亡くなった。今でも思い出すだけで涙が出てくる。かわいいかわいい、世界一の相棒だった。最後は家族で看取ることができたが、本当はもっと長く一緒にいられたのに、俺のせいで早くいなくなってしまったのではないかと繰り返し自問して、火葬したお骨を持って家に帰る道中は、自分の不甲斐なさに怒りと切なさでいっぱいだった。島で楽しく暮らしているすべての人間が憎かった。
この件がきっかけで、俺は島での団体活動とは一線を引くことにした。たわしが最期にどう思っていたかは定かではないが、幸せに逝けたことを願う。
5/13(土)@静岡県浜松市TEHOM
「ROOMPARTY」
computer fight、やっほー、SUPERMOURNING、タオル
初の遠征ライブ。TEHOMはすごくソリッドな音のする箱で、我々の演奏と相性が良かったと思う。諦念くんはこのライブを「至っていた」と評していて、俺も今でも聴き直しては、当時の体制での内向性や情動、演奏力を再確認している。やっほーさんのライブがめちゃめちゃ面白くて、シンバルキックを3回やって3回失敗していた。楽曲のクオリティーが高くてしっかり聞けるライブだったことも最高だった。鈍行列車で岡山から浜松まで来たらしい。世の中は広いと思った。
5/14(日)@西荻窪FLAT
ハイパーパンチ自主企画ライブ「鋼の拳」@西荻窪FLAT
ハイパーパンチ、ヘクトーよるをまもる
 ハイパーパンチでも、自主企画を打った。このライブではとにかく対バン探しに苦労した。準備って大事。その中でも出演を快諾してもらったヘクトーには感謝している。我々の演奏としてはかなり荒削りではあったものの、楽曲の持つアイデアやユーモア、ポップセンスは披露できたんじゃないかと思う。
5/18(木)@恵比寿BATICA
RINGOOO A GO-GO
Haze / サトビ / Y's CAMP / ハイパーパンチ / HALLEY / PHOEBE
オーディションに出ましょう!ということで参加、特に思い入れはないけど、とにかくPHOEBEがめちゃくちゃ良かった。なんというか信念が見えるライブというか、背景が滲むライブというか。めっちゃいいねー!とダダンダンと話していたら、りんご音楽祭本戦にも出場していて、自分のように嬉しかった。
5/20(土) @調布Cross
mwmw、SleepInside、Uztama、computer fight、カルト3
5/21(日)@落合 soup
EXECUTE
Pot-pourri 、computer fight
島で所用があり、代役で田辺さんにお願いして出演してもらった。
俺はこの頃、バンド活動と、ペットの治療費にお金を注ぎ込んだ結果、貯金を使い果たして、家族に借金をするほどやばい状態だった。この日は島で用事があったというのもあるが。今現在は、借金も返済して��んとかなったが、当時はなかなかに苦しかった。
 この頃、本名くんと実験くんの脱退が決まった。訳あって俺は少し遅れて報告を受けたのだが(これは、本当にちゃんとした理由があって遅れて報告を受けた)、すごく動揺した。受験に落ちたときのような、取り返しのつかない取りこぼしがあったような気持ちになった。2人が辞めて、島で働いていて活動を制限している俺が残っていいのか?と一瞬考えたが、本当に一瞬だった。やめるとか考えられないなぁとぼんやり思うほど、ドラムは、バンドはとても楽しい。みんなおすすめだよ。
そして、畠山くんと喉笛くんが加入した。畠山くんはボーカルの公募に応募してくれて、その他応募してくれた皆様と同様に、諦念くんとスタジオに入って面接(?)がてらセッションを行い、その動画を共有してもらったのだが、佇まいというか、フロントマンとしての素質をあらあらと感じたのを覚えている。おまけにトランペットも吹けるときた。楽器こそ違うが、james chanceの文字が頭によぎった。ほぼ満場一致で畠山くんをお迎えすることになったこの数週間後、彼には住む家がなくなってしまうのだが、それはまた別のお話…。
喉笛くんは、実は俺が島に行ってしまう前にも一度諦念くん喉笛くん俺の3人で歌モノをやるバンドをしましょう!ということでスタジオに入ったことがある。その計画自体は頓挫してしまったのだが。その時にもボーカルを公募して、候補者6名に対して1曲ずつ渡せるようにと、喉笛くんが諦念くんのリフをもとに1日で6曲作ってきたのが印象的だった。喉笛くんのベースは、弾くと殴ると削るのちょうど中間を、ぎゅっと束ねて一本にしたような、途切れることなく押し寄せる現象のような音がする。そして諦念くんと同じくらいピッキングが早い。実験くんの時にストロークで弾いていた楽曲の一部は、喉笛くんのダウンストロークでまた違うテイストになったと思っている。
6/23(金) @秋葉原CLUB GOODMAN
【Fantastic Attack Types. 3】
bossston cruizing mania、LOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTS、computer fight、THE WAMEKI、デーメーテール
新生computer fightの初ライブ。ボスクルのカシマさんとMYFUNERAL.INCのハヤセさんはcomputer fightをとてもよく評価してくれていてありがたい。このライブもメンバー交代前にお声がけ頂いたのだが、ライブまでの間にメンバーが変わってしまったものの、快く参加を受け入れてくれた。結成初期なので当然ではあるのだが、かなり演奏が粗かったのを覚えている。ただ、パフォーマンスという意味では今までのcomputer fightとは打って変わって、引き寄せるものからこちらから引き摺り込むようなテイストに変わった、転換を感じさせるライブだった。
7/23(日)@下北沢SHELTER
突然少年TOUR 秘宝2023
突然少年、computer fight、DJ: theodora katz
畠山くんの前身バンド(?)、pine shop時代からの縁で実現したライブ。未来.EPの発売ツアーの初日という、記念すべき場に呼んでもらった。決まった時は奮えたなぁ、俺は突然少年の火ヲ灯スという曲が大好きで、特に離島で暮らすことになって、船や飛行機で内地に戻り、これからライブだ!という時によく聴いていた。そんなバンドと対バンできるなんて、得難い幸福だ。
話は変わって、この夏は俺の住んでいる離島にはたくさんの友達や家族が来てくれた。しかし、なぜか悉く来訪の日程と俺のライブの日程が被ること被ること!突然少年のライブも、前日から親友の夫婦が島に遊びに来てくれていて、リハギリギリに会場に着く飛行機で内地に帰ったりした。これははっきりと原因があって、俺が友人や家族の皆皆様に「おいでよ!東京の離島!」と宣伝をかけたからである。来年は程々にしようと誓った。
8/27(日)@下北沢THREE
New LP "schedars" Release Party
schedars、SPOILMAN、computer fight
DJ:daizo、ueda、chun chun
こちらはschedarsのボーカル、sioさんからお誘いいただいた。schedarsとcomputer fightは音楽のルーツやフィーリングが重なる部分もあり、諦念くんからも「このライブは絶対出よう!」とグッと来られていた。先日のライブ同様、この日は大学の頃の親友たちを島に招いていたのだが、ライブに間に合わせるために彼らを島においての帰省となってしまい、流石に申し訳なかった。
 schedars、対バンしてみて改めて思ったけどすごいバンドだ。自由度をもってインダストリアルに奏でるギターベースドラムと枠内で狂うサックス、そしてフロントマンとして責任を全うするsioさんのボーカル(この表現で失礼はないか心配である)は、操り人形のように、バレリーナのように、歪んだ引力を持っていた、と思う。
9/9(日)@法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎地下1階多目的室1
FREE FOR ALL
THE GUAYS、computer fight、5kai
 法政大学の企画団体、YADORANGのお誘いで実現したライブ。久しぶりの大学(というか法政大学は入るのすら初めて)はやや緊張した。そして同時に、大学でのライブは歓迎され招かれた上でアウェーで演奏するものであるということを知った。
9/15 EP「gushagushavinyl」リリース
 新体制での初音源リリースをした。録音は隙を見て行った。振り返ってみると、よく録音まで行けたよな〜と思う。6月にレコーディングした当時は「新体制を世に知らしめるために絶対必要!!」と意気込んでいた。ちなみにこのEPのうち2曲は実験くんが作曲し、ベースで参加している(NGUYHC、思わない)。このほかにも実験くんの作曲曲はいくつかあるが、どれかは秘密。
10/26(木)@下北沢CLUB QUE
“In Case vol.13”
MOZU、computer fight+山崎春美、SPOILMAN
 痛郎さんからのお誘いで実現したライブ。諦念くんから「山崎春美さんのバックで演奏しないかと言われている」と聞いた時、びっくりしたなぁ。バンド加入時に諦念くんから手渡されたガセネタの荒野は彼のバイブルであり、付き合いは浅いながらも彼の信念の一端に触れられたと思った。そんなわけで活動初期は「まあまあ、ビールでも飲んでエンジョイしなよ」の件にあやかって共演者がバコバコ飲酒してるのを指を咥えて眺めてみたり、バンド結成の同期を聞かれた時に「なりゆきで…」などと答えたりしていた。
 俺の頭の中の山崎春美は、過激で過剰、時には全てを時にはインタビュアーを問い詰めてしまうような人だった。スタジオでリハをした時に、扉を開けて山崎春美がスッと入ってきた時は、なんと言うか、抜き身の刃物を構えられたようなピリッとした気持ちになって、勝手に身構えてしまった。実際にお会いした春美さんは、想像より何倍も柔らかい物腰の方だった。…冷静に考えたら、俺の引用する山崎春美は30-40年も前の情報なわけで、今現在も全く同じなはずがない、先述の通り冷静に考えればわかることなのだが、それほどに当時の自分は浮かれていた。もちろん浮かれていたのは俺だけではない。リハーサルでも本番でも、諦念玲奈が今まで見たことのない笑顔でギターを弾いていて、こちらまで嬉しくなってしまった。
 ライブでは、父ちゃんのポーがきこえる、社会復帰(リハビリテーション)の2曲を披露した。コピー自体はガセネタの4曲全て行っていたが、ライブの尺の関係もあり全部はやらなかった。いつか披露できたらいいなーと思う。楽屋や終演後の打ち上げでは、ガセネタの荒野やTACOの話、書物でのみ見聞きした場所の話を本人の口から聞けると言う貴重な体験をした。そしてこの日、現メンバーに交代してから初めて、ライブでガッチリ演奏がハマった。よくパズルのピースがハマったなどと形容されるそれは、まだ途上の我々の中で何かが完成される感覚があったことを意味する。その完成がこの日であったことは、決して偶然ではないと思う。
10/28(土)@吉祥寺NEPO
ハイパーパンチ自主企画「PRO ACTION REPLAY」
ハイパーパンチ、カタカナ、プールと銃口、Mimi cries
 ハイパーパンチ2度目の自主企画。音楽のルーツを同じくする先輩バンドであるカタカナ、ダダンダンの盟友であるジンくんのプールと銃口、大学の先輩後輩で結成されたMimi criesをお呼びして行った。今後活動するにあたって、これまでサポートメンバーに入ってもらっていた農協(chatoe)とセキユウシくん(highty-tighty)から、新たにザッキーとけーさん(ex.the super charm)を招いての活動となった。
ザッキーは大学の後輩で、ベーシストでありメタラーである。俺はメタルに疎いが彼のベースと演奏に対するメンタリティが大好きで、大学の時は快速東京やガガガSPのコピーバンドをした。今年行われた大学軽音サークルでのOBライブでLAST ALLIANCEを披露していたのだが、そこで見せたパフォーマンスが良かったと言うのも、今回お誘いする動機となった。
けーさんは、先述した諦念喉笛やーさんポップスバンド計画に応募してくれた6人のうちの1人である。俺はその歌声に甚く感銘を受けて、何かバンドでお誘いできる場面があったら絶対呼ぼう!と決めていたので、すぐに声をかけた。けーさんがギター以外にどんな楽器をできるかなどは分かっていなかったのだが、歌が500000000点なのでそれ以外は練習すればいけるっしょ!という無責任なお誘いを、快く受けてくれてありがたい。
メンバー交代や新曲の披露と、練習期間も短い中ではあったが、個人的にはめちゃめちゃいいライブができたと思っているが、それは楽曲が素晴らしいと言うことに尽きる。あとは我々のパフォーマンスが良くなればなるほど、もっといいバンドになっちゃうよなぁ!?!?
11/11(土)@桜台POOL
"TOKYO SWIPE“
computer fight 、HAIZAI AUDIO 、HYPER GAL、PICNIC YOU 、Ruins alone、ZVIZMO 、高倉健、DJ :土屋光、SHOP:光るヒナ子
高倉健の企画に出演した。桜台POOLは工場の一部を打ち抜いたようなソリッドな作りで、客席とステージの境目の少ないフロアは、我々の演奏スタイルと合っていた。そして何よりお客さんの盛り上がりが凄まじくて、1バンド目の高倉健から最後の我々まで絶叫と振動、蕩揺が止まらなかった。ギターを弾きながら持ち上げられる諦念玲奈を観れるのはこれが最後だったかもしれない。他の出演者では、吉田達也さんの意味のわからないドラムと、HAIZAI AUDIOさんのパフォーマンスが素晴らしかった。特にHAIZAI AUDIOさんは、日本中のスクラップ置き場と持ち主不在のゲーム部屋を切り貼りして作ったパッチワークをブラウン管のテレビに繋いで、音声だけを無相応にデカいアンプと接続して出しているような、バリバリと響く音楽だった。
computer fight+山崎春美「社会復帰(リハビリテーション)、父ちゃんのポーが聞こえる」ライブ音源リリース
先日のライブを録音した音源を発売した。これはそれ以上でもそれ以下でもない。自分でも良く聞き直すが、1発撮りとは思えないすごいクオリティである、と自画自賛しておく。
12/10(日)@秋葉原CLUB GOODMAN
【Fantastic Attack Types. 6】
bossston cruizing mania、Anderson、H Mountains、左右、SPOILMAN、schedars、酩酊麻痺、computer fight、ギニョルズ、NA/DA
ボスクルのカシマさん、MYFUNERAL.INCのハヤセさんにお誘いいただいた企画。今回も島での業務都合と、ちょっと体調を崩していたこともあって田辺さんにサポートをお願いした。すごくいい対バンだったのでぜひ出たかったのだが…来年はこういう、いいライブをスカしてしまうことは避けるように、なんとか仕事を頑張っていきたいと。
12/24(日)@西荻窪FLAT
computer fight自主企画 終わりなき日常を生きろ
computer fight、TACO (山崎春美+森田潤)
一年の最後を飾る自主企画。1月のライブで(厳密にはもっと前からだが)痛郎さんと共演して山崎春美さんの話を聞き、その後メンバーの変遷を経て、新旧の縁から経験を重ね、10月には憧れの存在と共演することとなった我々が、最後にはTACOとの対バンが実現した。カルト3の疎過くんは「継続することの力を実感した」と呟いていた。ありがとう。
 TACOのライブの直前に、春美さんから自分をガムテープや器具で拘束するようにお願いされ、畠山くんがその役割を担っていた。特にその理由は語られなかった(し、わざわざ聞くのは野暮すぎる)が、パレスチナ問題への提起であることは間違いない。恥ずかしながら、10月の共演以降に改めてパレスチナ問題について本を読んだり、解説動画を見るなどして、改めて勉強し直して、この世の地獄があることを知った。ステージで政治について、世界情勢について、語ることの意味や価値を俺はあまり重く考えてこなかったが、春美さんと共演してからその考えは少しずつ改まっている。というか、今のこの景色は何を意味するのか?何を表したいのか?を、この一年で、手探りではあるが自分から考え調べるようになったと思う。それはバンドメンバー、特に諦念くんのおかげであり、共演者の皆様のおかげでもある。
 computer fightはこの日のライブで、今年演奏した16曲、新曲2曲の計18曲を披露した。尊敬する先駆者に対して、文字通り今出せる全てを出したつもりだ。45分近くに及ぶ演奏は体の全てを消耗し、past manの直前では腹筋が殴られたかのように痛んだし、終演後は腕は指先から肩の付け根まで全部筋肉痛になった。足の親指の付け根は擦り切れて、脛は夜中の船の中で攣ってしまいうまく寝付けなかった。本当に、いいライブをしたと思う。息をする間もなく、どこ見ればいいのかわからないほど脈打ち痙攣し全てがそこに存在するような素晴らしいライブだった。
俺にとって、演奏とは誠実さが全てで、誠実は後悔しない。準備してきたものを吐き出して、すっからかんになってまた一からやり直す。初めからずっと最後の1曲のように、終わり、終わり、終わりを繰り返す。粉砕機に太い伐採木を繰り返し押し込むように、分厚く���ながりのある塊が、俺の演奏を経由して粉々に砕けていく感覚。この誠実を得るために、毎日はかくも苦しく、かくも卑怯で、かくも思い通りにいかなくても、耐え忍び疲弊して摩耗して圧潰されることを受け入れているのだ。それが俺はとても誇らしい。
そして、この日も業務都合でライブが終わった瞬間に船に飛び乗って島に帰るやーさんなのであった。打ち上げで春美さんの話をもっと聞きたかった。トホホ、あたしゃもうイキそうだよ。
以上が2023年の俺の全てだ。この一年、大切な家族を失ってすごく辛かったし、諦念くんとは少なからずギスギスとなった。島と東京を行き来する生活は心身ともにかなり消耗して、体調を崩したことも1度あった(1度で収まっているのがおかしいという説もある)。俺は苦しくなるたびに、andymoriの「愛してやまない音楽を」の一節を思い出す。
「本気になるなら 喧嘩もするし たまに嫌になることもあるだろう」
今年は1年間、バンドに本気だった。来年も引き続き島から本気でドラムを叩きにきます。computer fight、およびハイパーパンチを引き続きよろしくお願いします。
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kc-trading · 1 year
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こんにちは KCtrading店長です。
WEKFESTも終了し、来日中の沢山の外国人も帰宅の途へ就いております。
期間中はイベント中心の生活となり、皆様にもご迷惑をお掛けいたしました。
ただ全ての皆様のサポートにより自分でも信じられないような力を発揮出来
色々な方からも称賛を頂き恐縮しております。
決して一人で出来た事では無く、皆様の支えと家族の支えに尽きる次第です。
日本とアメリカの架け橋を作れるようなイベントをしたいと言う膨大な夢から
始まったWEKFEST 日本で10年アメリカで15年の大きな組織へと成長中ですが
あくまで皆様、家族の支えがあっての 実現であることを絶対に忘れません。
改めて 皆様に感謝しております。
この10年間走り続けることができたのも、
これから走り続けることが出来るもの全て自分一人の力ではありません。
感謝の念を持ちつつ、引き続き友達や家族に支えられ精進したいと思います。
写真はAFフレディ、彼も既に長い付き合いの一人です。
常に私の裏で支えてくれ、何でも相談できる友達の一人です。
前にも綴りましたが、言葉は無くても気持ちは思いっきり通じますw
この先の時代、ますますグローバルになる事は承知の事実です。
せっかく親から貰った人生です。
色々な経験の一つとしてカーコミュニティの扉を開くもの
面白いかもですね。
私の戯言のご拝読ありがとうございました。
KC TRADING INC
Hiro Ueda
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kennak · 2 months
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おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する.私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。.絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…���りあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。.そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。すごく綺麗な姿をしていた。きれい、なのだがおばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」.おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。私は車から仕事道具を持ち込みながら言った.「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」.葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。気がつくと、他の親���たちからの目線どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。.その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。..翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。.そんなこんなで、本番。お経が終わって、孫代表の弔辞。名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。葬儀屋さんも泣いていた。私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。.葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。どんな仕事でも、活躍の場があるということ。なんだか、ありがたい経験だった。弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。.そして、おじいちゃんありがとう三回忌法要、お参りにいくからね
祖父のお葬式で無双した
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soshibokumovie · 1 year
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12月5日(月)完成披露試写会レポート
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この度、本作の完成披露試写会を実施しました。主演の藤ヶ谷太輔さんをはじめ、前田敦子さん、中尾明慶さん、香里奈さん、原田美枝子さん、豊川悦司さん、三浦大輔監督が初の揃い踏み!
共演者からみた見た裕一の魅力や1シーン、数時間にも及んだ過酷な撮影時のエピソード、更に「人生を賭けた逃避劇」にかけて豪華キャスト陣にそれぞれ「今年一番 “逃げ出したくなった話”」などを語っていただきました。
以下、イベントレポートと写真をお届けします!
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平凡なひとりのフリーターの人生を賭けた逃避劇を描く映画『そして僕は途方に暮れる』(2023年1月13日公開)の完成披露試写会イベントが12月5日都内ホールで行われ、主演の藤ヶ谷太輔、共演の前田敦子、中尾昭慶、香里奈、原田美枝子、豊川悦司、そして三浦大輔監督が登壇した。
第33回東京国際映画祭でのワールドプレミアに続いての、待望の完成披露試写会。自堕落なフリーター・菅原裕一役の藤ヶ谷は「撮影は約2年前だったので、やっとこうして皆さんに見ていただけるのは本当に嬉しいです」と喜びを言葉にして、完成作には「一生懸命な滑稽さとクズぶりは笑えるし、自分ってこんな表情をしていたのかと改めて感じました。新しい一面を引き出していただけた」と新境地開拓を実感していた。
本作の撮影において、三浦監督はテイクを重ねるなどかなりのこだわりを発揮したという。裕一と5年間同棲をしている恋人・鈴木里美役の前田は「三浦監督は謝り上手。すみません…と言いながら何テイクも重ねるんですよ。監督のこだわりを近くで見ることができて嬉しかった」と証言。裕一の幼なじみで親友・今井伸二役の中尾も「素敵な作品を作っていただけましたが…まあ撮影が終わらない!(笑)」とぶっちゃけると、10年前に家族から逃げてしまった裕一の父親・菅原浩二役の豊川も「まあ、終わらないね!」と苦笑して「僕がM気質なのか三浦監督のこだわりが気持ち良くなってくる瞬間があって、この人のために何ができるだろうか?と親みたいな気持ちになった」と笑わせた。
北海道で1人暮らす裕一の母親・菅原智子役の原田はそんな豊川のダンディな父親ぶりに「豊川さんのお父さんぶりが素晴らしくて…(長い撮影でも)救われました」とうっとり。裕一とはなかなかそりが合わない姉・菅原香役の香里奈は、十数年ぶりの共演となる藤ヶ谷を「大ちゃんが人間としても役者としても物凄い経験を積んできたというのがお芝居にも表れていて、頼りになる座長でした」とリスペクトしていた。
藤ヶ谷はベテランの豊川&原田との共演に「刺激も沢山いただきました。大先輩のお二人と三浦組を戦い抜いたことを誇りに思っています」と感激。豊川とは炬燵で肩を並べたが「監督からなかなかOKが出ないのでずっとこたつに入っていました。15年分くらいはこたつに入っていたはず」と明かし、その豊川は「チョコレートビスケットは100個くらい食べて、カップ麺も5杯くらい食べました」と三浦監督からの撮り直しの嵐を回想すると、藤ヶ谷は「みなさん、この後に出てきますよ!」と上映前の観客に見どころの一つだとアピールしていた。
そんな藤ヶ谷は撮影の思い出を聞かれると「メールグループを作ろうという楽しいテンションでもなかったし、今振り返ると…楽しい思いでは一つもないです(笑)」とバッサリ。三浦監督から「撮影の合間に焼き肉食べなかった?」などと楽しいエピソードを振られると「20分くらいで食べたやつですよね?きっと自分の口から楽しいエピソードとして出なかったということは、そんなに楽しくなかったのかも」とぶっちゃけつつ「しっかりと芝居をやるという意味では最高で凄く楽しい現場でした」と撮影の充実を口にしていた。
責められる一方の三浦監督は「本当に申し訳なかったという思いが募る一方ですが、皆さんの苦労の結晶はスクリーンに映っているはずです」と平謝りも、手応え十分。藤ヶ谷曰く三浦監督は「クランクアップの際は凄くテンションが高くて『やった!やった!』と飛び跳ねていた。過酷な現場だったので自分もどういう気持ちになるのかと思ったけれど、それを先に監督にやられてしまうと…。そういう可愛げがあって愛くるしいのが三浦さん」となんだかんだ愛されていた。
また作品にちなんで「2022年で1番逃げ出したかったこと」を聞かれた前田は「夏にベランダで涼んでいたゴキブリが飛んできた。それ以来ベランダから出ていません」とG災難告白。中尾は「ほろ酔い気分で自宅に帰ったら、うちの妻から『え?酔ってんの?』と言われた」と夫婦あるある。豊川は「ディズニーランドで子供とコーヒーカップに2回乗ったら気持ちが悪くなった。子供から3回目と言われたときは逃げたくなった」といいパパの表情。原田は「三浦監督の現場」と笑わせ、香里奈は「2021年の大掃除から逃げた」と照れ笑いだった。
そして藤ヶ谷は「逃げ出したかったのは今日の舞台挨拶。僕を含めて2年ぶりくらいに楽しい思い出が一つもない方々が集まるわけです。でも関係者の方々は『盛り上げて!』と好き勝手言ってくる。直前まで逃げ出したかった」と肩を落としつつも「ワールドカップの記事もいいですが、ぜひこの映画の記事も大きく太字で紹介宜しくお願いいたします!」としっかりと主演作をアピールしていた。
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終日タイトなスケジュールの中、久々にお会いになったキャストの皆様は「楽しい思い出がいっこもない」「何テイクやったんだろう」と撮影中を振り返りつつも、とても楽しそうで和やかな雰囲気でした。
当日実施させていただきましたインタビューやご取材については、公開に向けてご紹介していきますので、ご期待ください!
プロフェッショナルな皆さんの、この作品ならではのチームワークの良さを感じた素晴らしい完成披露試写会だったと思います。
ご来場いただきました皆様もありがとうございました。
「そして僕は途方に暮れる」1月13日(金)公開まで、楽しみにお待ちください。
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monthly-ambigram · 9 months
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2023-8月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。 詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/@2r96
◆今月のお題は「ジャングル」です◆
今月は参加者の皆様に「ジャングル」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  密林をめぐる逆さ文字の数々を暑気払いのお供にご覧ください。
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「未踏」回転型:.38氏
人跡未踏のジャングル。字画密度の違いを吸収する手法が見所です。作字としても遊びがあって楽しいですね。
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「荒地」鏡像型:いんふぃにてぃ氏
ジャングルは、ヒンドゥスターニー語のjangal(荒地)に由来しています。荒れたような書体が効果的です。似た解釈(旋回型)の作例がありますので比較してみてください。
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「地球の肺」回転型:douse氏
ジャングルは地球の肺である、とよく言われます。堂々とした文字でゲームのロゴのようにも見えますね。文字の境界の切り替わりが自然で見事です。
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「自然界」図地反転回転重畳型:化学氏
ジャングルは自然界で最も重要なエリアの一つです。回転重畳に図地反転を絡めた複雑な作品です。
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不思議な輪郭がパズルのようにうまく組み合わさってできていることが分かります。
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「熱帯雨林」図地反転型:海氏
熱/帯、雨/林 がネガポジ関係にあるアンビグラム。アンビグラム的にも作字的にもたいへん優れた名品です。「雨林」の字にジャングル味を強く感じます。ステキです。
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「じゃんじゃんぐるぐる」旋回型:kawahar氏
一つのグリフがぐるぐる回っていてじゃんじゃんぐるぐるな作品です。��点の位置がポイントですね。
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「孤立部族」鏡像型:螺旋氏
アマゾンのジャングル奥地にはたくさんの孤立部族が居住していると言われます。少し傾けているのが字画のバランスをとる上で重要のようです。「立」はこの対応付けだと苦労するところだと思いますが読みやすいと思います。
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「インコ」回転型:peanuts氏
ジャングルの動物といえばインコが真っ先に思い浮かぶ人も多いでしょう。単純化が素晴らしいのですが特に「イ」がカッコイイです。ロゴデザインの完成度におどろきます。
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「猛獣」図地反転回転型:いとうさとし氏
猛/獣 の字がネガポジ関係にあります。いとうさとし氏はこのような作品「ネガポ字」を大量に制作していて 図地反転アンビグラムのレジェンドです。
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「野獣」鏡像型:ぺんぺん草氏
「口」「田」の閉ざされた領域を塗りつぶしても判読できるのを利用して「一」などと対応付ける技術が使われています。ややパースをとっていることで「ツ」部分が自然になるようになっています。
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「食物連鎖」回転型:YesOK氏 × 意瞑字査印氏 
食/連、物/鎖 それぞれ180°回転対応で連鎖配置にしているところがミソですね。 本作はコラボ作品で アイデアはYesOK氏、作字は意瞑字査印氏が担当しています。このようにアンビグラム制作は複数で共作すると面白いです。
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「野生動物」図地反転型:いとうさとし氏
野生/動物 で図と地を分け合っているネガポ字です。 シマウマの縞模様を想起する楽しい作字になっています。
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「迷彩」回転型:増池誠史氏
迷彩で最もメジャーなのがジャングル用迷彩でしょう。作例はありますが、より自然な対応解釈がとられています。
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「国立公園」図地反転型:いとうさとし氏
 国/園、立/公 が図地反転関係にあります。折り紙で切り絵をしたような趣の字形が良いですね。また囗部(くにがまえ)同士の構造も面白いです。
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「商業伐採」鏡像型:mishima氏
森林破壊の最大の原因。傾けた「商」や大胆な字形の「業」などが見所ですが、作字としての仕上がりがステキです。
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「コンクリートジャングル」図地反転型:ヨウヘイ氏
ひび割れたコンクリートのようにも見えてきます。細かい足し引きひよる図地の調整はドット図地反転ならではの表現力を生かしていますね。
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「冷たい混凝土の密林で芽生えたくすんだ郷愁」鏡像型:Σ氏
コンクリートジャングル(混凝土・密林)を起点に展開される文字列生成型の作品。対応がぴったりで自然すぎてアンビグラムだとは思えないぐらいです。ぜひ一文字ずつじっくりかみしめてみてください。
 最後に私の作品を。
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「無法地帯」旋回型:igatoxin
1文字で4面相のアンビグラムです。左90°回転で順々に「無」→「法」→「地」→「帯」と 字面が変わる寸法です。
ジャングルがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょう。 お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。また ひきつづき炎天につき くれぐれもご自愛のほどお祈りいたしております。
さて次回のお題は『日本史』です。締切は8/31、発行は9/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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patsatshit · 7 months
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
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小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
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各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
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私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
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そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんも��ったんやとびっくりしました���。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
youtube
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