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#加領郷小学校
amiens2014 · 1 year
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琵琶ヶ滝/高知県奈半利町【名勝】廃校となった加領郷小学校のアート展を鑑賞してから立ち寄った美しい滝
琵琶ヶ滝とは 琵琶ヶ滝(びわがたき)は、加領郷小学校(かりょうごうしょうがっこう)にほど近い滝だ。 落差15mの滝だ。 高知県奈半利町に位置する琵琶ヶ滝は、落差15mの小ぶりな滝ですが、滝の規模と比較して大きな滝壺や、高知県東部に独特のタービタイト層からなる周辺環境など、なかなか個性的な滝です。 琵琶ヶ滝一番の特徴は、その名前の由来でもある琵琶に似た形状の滝壺で、直径は15m程度、滝の規模からするとかなり大きな滝壺と言えます。 琵琶ヶ滝|落差15m|直径15mの滝壺・独特の地質 から引用 琵琶ヶ滝 高知県安芸郡奈半利町甲319 (more…)
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774 · 3 months
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古代より、千束池・姫ヶ池がこの地に広がっていた。 中世には、浅草天王町(現在の浅草橋三丁目付近)あたりから千住大橋あたりの広い範囲を千束郷と称した。千束の名は、千僧供料あるいは千束分の稲田を寺領にしたことに由来するという。近世には千束村となった。 明暦の大火の後、幕府の命で吉原が人形町通り東側の辺り(現在の日本橋人形町二・三丁目、日本橋富沢町の一部)から地名ごと浅草寺裏の日本堤付近、千束田んぼの真ん中(現在の千束三丁目・四丁目の一部)に移転させられた。以後、この地を吉原、若しくは元有った人形町付近を元吉原、対する様に新吉原と呼ぶ様になった。 1889年(明治22年)、東京市の成立とともに千束村は浅草区(千束町など)、下谷区、北豊島郡南千住町(大字千束)に編入された。 浅草区当時の千束町は、現在の千束一丁目から三丁目(吉原遊郭地内を除く)に、浅草二丁目から五丁目の一部(西側)を加えた範囲に相当する。 千束小学校は現在の浅草四丁目24-11に所在する。また、千束小学校の東方にある南北方向の道路(言問通りに面するひさご通りのアーケードの先から土手通りの地方橋交差点まで)を千束通りと呼んでいる。このあたりもかつては千束町であった。 明治時代に建てられた浅草十二階は浅草区千束町二丁目で、その周辺は銘酒屋街(十二階下)となり、東京最大の私娼窟として有名であった。十二階と銘酒屋街はともに関東大震災で壊滅した
千束 - Wikipedia
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gonotoki · 1 year
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伊達つながり
 『碁の時NEWS』は、伊達氏発祥の地、福島県伊達市から発信しています。
 川崎伊達家300年記念フォーラム「仙台藩の一門と要害~川崎伊達家を中心に~」が11月23日に宮城県柴田郡川崎町で開催され、参加してきました。定員150名の事前申込制です。伊達つながりとはいっても、川崎伊達家のことは全く知りませんでした。
 仙台藩は、ご承知のように、伊達氏17代の独眼竜政宗こと伊達政宗(1567ー1636)が初代藩主です。川崎伊達家は、かの伊達騒動時の仙台藩4代藩主伊達綱村(1659ー1719)の2歳違いの弟、伊達村和(1661ー1722)が2千石の知行と川崎要害を与えられ、伊達一門に列せられたことに端を発し、村和の子、伊達村詮〈むらあき〉(1697ー1744)が野村(仙台の泉)から川崎に移った1722年に始まるといいます。以後幕末まで、その子孫(7代継承)が知行2千石と川崎要害を拝領し、「川崎伊達家」と称されるようになりました。
 自宅のある伊達市から川崎町までは、一般道で1時間10分です。フォーラム開始(午後1時)の1時間半前に会場(役場隣にある川崎町山村開発センター)に到着しました。まずは腹ごしらえです。スタッフに紹介された食堂で、温かい川崎そば(熱々の天ぷら5点盛り付き)を食べました。フォーラム参加者とおぼしき人が次々と入ってきて、店内は満席になり札止め状態でした。雨模様の肌寒い日でしたので、そばと天ぷらが身に染みました。
 フォーラム開始まで1時間ほどあったので、事前に確認していた城山公園に向かいました。会場から北方面に歩いて5分ほどです。この城山公園が、前川城址(川崎要害)でした。
 前川城址(川崎要害)への上り口です。
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 前川城址(川崎要害)の本丸跡です。向こうに見えるのは、二の丸跡に建つ川崎町立川崎小学校です。
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 前川城址(川崎要害) の南側は、川崎町の中心街になっています。中央付近に会場の建物が見えます。 
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 フォーラムでは郷土史家と大学教授による講演を聞き、川崎伊達家の歴史と西の藩境近くに配置された川崎要害の役割について、基本的な知識を得ることができました。
 川崎町は、蔵王連峰の東方に位置する人口8千人余りの山あいの町ですが、仙台藩当主の舎弟筋にあたる本流への意識が脈々と受け継がれ、その時代に舞い戻ったかのような雰囲気を醸し出していました。
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ari0921 · 3 years
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
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中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
 中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
A.基本戦略・任務・手段
A-1.基本戦略
 我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。
A-2.解放工作組の任務
 日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
 ハ.日本人民民主共和国の樹立 ・・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)
 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第口項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。
A-3.任務達成の手段
 本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。即ち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使喉者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、全て対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
 駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
 これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する
 「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
 との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。
 この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
 第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ���平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高まらせることである。
 我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
 スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
 全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設し、教師を無報酬で派遣する。
 教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
 中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。
 申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。
 しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加していくものである。
C.委員会開設。
 「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
 尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
 偉大なる毛主席は
 「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
 と教えている。
 田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。
 日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
 新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。
 雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
B.「民主連合政府」について。
 「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。
 「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。
 「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
 本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
 これは否定すべきであるか? もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
 「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形の否定が望ましい。
C.強調せしむべき論調の方向
① 大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
② 朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
③ 政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべきである。  大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
④ 人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
 具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
 前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさせる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せしめる。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せねばならない。
 特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議すると共に、出版社主、編集責任者、著者を告��して根絶を期すべきである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」として、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言う。
 彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなして接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
 日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである。
 1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。
 しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するに留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この2点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となることは明らかである。
 自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
 本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
 共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作でなければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
 下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。 ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
 金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
 敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
 上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
 但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむるよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ旅行せしめねばならない。
 自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
 自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。
 これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
 従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
 自民党内派閥の対立を激化せしめる。
① 自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。
 今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。
② 派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。
 政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDへ、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄もない。
③ 先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
① 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
② 日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
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petapeta · 3 years
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「次室士官心得」 (練習艦隊作成、昭和14年5月) 第1 艦内生活一般心得 1、次室士官は、一艦の軍規・風紀の根源たることを自覚し、青年の特徴元気と熱、純  真さを忘れずに大いにやれ。 2、士官としての品位を常に保ち、高潔なる自己の修養はもちろん、厳正なる態度・動  作に心掛け、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を養うことは、武人のもっとも  大切なる修業なり。 3 宏量大度、精神爽快なるべし。狭量は軍隊の一致を破り、陰欝は士気を沮喪せし  む。忙しい艦務の中に伸び伸びした気分を忘れるな。細心なるはもちろん必要なる  も、「コセコセ」することは禁物なり。 4 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。次室士官は「自分は海軍士官の最下位で、何に  も知らぬのである」と心得、譲る心がけが必要だ。親しき仲にも礼儀を守り、上の   人の顔を立てよ。よからあしかれ、とにかく「ケプガン(次室士官室の長)を立てよ。 5 旺盛なる責任観念の中に常に生きよ。これは士官としての最大要素の一つだ。命令を下し、もしくはこれを伝達す  る場合はは、必ずその遂行を見届け、ここに初めてその責任を果したるものと心得べし。 5 犠牲的精神を発揮せよ、大いに縁の下の力持ちとなれ。 6 次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前になり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。 7、次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前にをり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。公私を誤  りたるくそ勉強は、われらの欲せざるところなれども、学術方面に技術方面に、修練しなければならぬところ多し。  いそがしく艦務に追われてこれをないがしろにするときは、悔いを釆すときあり。忙しいあいだにこそ、緊張裡に修  業はできるものなり。寸暇の利用につとむべし。   つねに研究問題を持て。平素において、つねに一個の研究問題を自分にて定め、これにたいし成果の捕捉につと  め、一纏めとなりたるところにてこれを記しおき、ひとつひとつ種々の問題にたいしてかくのごとくしおき、後となり   てふたたびこれにつきて研究し、気づきたることを追加訂正し、保存しおく習慣をつくれば、物事にたいする思考力  の養成となるのみならず、思わざる参考資料をつくり得るものなり。 8、少し艦務に習熟し、己が力量に自信を持つころとなると、先輩の思慮円熟をるが、かえって愚と見ゆるとき来るこ  とあるべし、これすなわち、慢心の危機にのぞみたるなり。この慢心を断絶せず、増長に任じ人を侮り、自ら軽ん   ずるときは、技術・学芸ともに退歩し、ついには陋劣の小人たるに終わるべし。 9、おずおずしていては、何もできない。図々しいのも不可なるも、さりとて、おずおずするのはなお見苦しい。信ずる  ところをはきはき行なって行くのは、われわれにとり、もっとも必要である。 10、何事にも骨惜L誤をしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみをするよう  になる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならない。いかなるときでも、進んでやる心がけか必要だ。身  体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。 11、青年士官は、バネ仕掛けのように、働かなくてはならない。上官に呼ばれたときには、すぐ駆け足で近づき、敬  礼、命を受け終わらば一礼し、ただちにその実行に着手するごとくあるべし。 12、上官の命は、気持よく笑顔をもって受け、即刻実行せよ。いかなる困難があろうと、せっかくの上陸ができなか   ろうと、命を果たし、「や、御苦労」と言われたときの愉快きはなんと言えぬ。 13、不関旗(他船と行動をともにせず、または、行動をともにできないことを意味する信号旗。転じてそっぽを向くこと  をいう)を揚げるな。一生懸命にやったことについて、きびしく叱られたり、平常からわだかまりがあったりして、不  関旗を揚げるというようなことが間々ありがちだが、これれは慎むべきことだ。自惚があまり強過ぎるからである。  不平を言う前に已れをかえりみよ。わが慢心増長の鼻を挫け、叱られるうちが花だ。叱って下さる人もなくなった   ら、もう見放されたのだ。叱られたなら、無条件に有難いと思って間違いはない。どうでも良いと思うなら、だれが  余計な憎まれ口を叩かんやである。意見があったら、陰で「ぷつぷつ」いわずに、順序をへて意見具申をなせ。こ  れが用いらるるといなとは別問題。用いられなくとも、不平をいわず、命令には絶対服従すべきことはいうまでもな  し。 14、昼間は諸作業の監督巡視、事務は夜間に行なうくらいにすべし。事務のいそがしいときでも、午前午後かならず  1回は、受け特ちの部を巡視すべし。 15、「事件即決」の「モツトー」をもって、物事の処理に心がくべし。「明日やろう」と思うていると、結局、何もやらずに  沢山の仕事を残し、仕事に追われるようになる。要するに、仕事を「リード」せよ。 16、なすべき仕事をたくさん背負いながら、いそがしい、いそがしいといわず片づければ、案外、容易にできるもので   ある。 17、物事は入念にやれ。委任されたる仕事を「ラフ」(ぞんぎい〕にやるのは、その人を侮辱するものである。ついに    は信用を失い、人が仕事をまかせぬようになる。また、青年士官の仕事は、むずかしくて出来ないというようなも   のはない。努力してやれば、たいていのことはできる。 18、「シーマンライク」(船乗りらしい)の修養を必要とす。動作は「スマート」なれ。1分1秒の差が、結果に大影響を    あたえること多し。 19、海軍は、頭の鋭敏な人を要するとともに、忠実にして努力精励の人を望む。一般海軍常識に通ずることが肝要、   かかることは一朝一夕にはできぬ。常々から心がけおけ。 20 要領がよいという言葉もよく聞くが、あまりよい言葉ではない。人前で働き、陰でずべる類いの人に対する尊称    である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。 21、毎日各室に回覧する書類(板挟み)は、かならず目を通し捺印せよ。行動作業や当直や人事に関するもので、    直接必要なる事項が沢山ある。必要なことは手帖に抜き書きしておけ。これをよく見ておらぬために、当直勤務   を間違っていたり、大切な書類の提出期目を誤ったりすることがある。 22、手帖、「パイプ」は、つねに持っておれ。これを自分に���っとも便利よきごとく工夫するとよい。 23、上官に提出する書類は、かならず自分で直接差し出すようにせよ。上官の机の上に放置し、はなはだしいのは   従兵をして持参させるような不心得のものが間々ある。これは上官に対し失礼であるばかりでなく、場合により   ては質問されるかも知れず、訂正きれるかも知れぬ。この点、疎にしてはならない。 24、提出書類は早目に完成して提出せよ。提出期口ぎりぎり一ぱい、あるいは催促さるごときは恥であり、また間違   いを生ずるもとである。艦長・副長・分隊長らの捺印を乞うとき、無断で捺印してはいけない。また、捺印を乞う    事項につい��質問されても、まごつかぬよう準備調査して行くことが必要。捺印を乞うべき場所を開いておくか、   または紙を挾むかして分かりやすく準備し、「艦長、何に御印をいただきます」と申し出て、もし艦長から、「捺して   行け」と言われたときは、自分で捺して、「御印をいただきました」ととどけて引き下がる。印箱の蓋を開け放しに   して出ることのないように、小さいことだが注意しなければならぬ。 25、軍艦旗の揚げ降ろしには、かならず上甲板に出て拝せよ。 26、何につけても、分相応ということを忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として。少尉、中尉、   各分あり。 27、煙草盆の折り椅子には腰をおろすな。次室士官は腰かけである。 28、煙草盆のところで腰かけているとき、上官が来られたならば立って敬礼せよ。 29、機動艇はもちろん、汽車、電車の中、講話場において、上級者が来られたならば、ただちに立って席を譲れ。知   らぬ顔しているのはもっとも不可。 30、出入港の際は、かならず受け持ちの場所におるようにせよ。出港用意の号音に驚いて飛び出すようでは心がけ   が悪い。 31、諸整列があらかじめ分かっているとき、次室士官は、下士官兵より先にその場所にあるごとくせ。 32、何か変わったことが起こったとき、あるいは何となく変わったことが起こったらしいと思われるときは、昼夜を問わ   ず第1番に飛び出してみよ。 33、艦内で種々の競技が行なわれたり、または演芸会など催される際、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が    一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。 34、短艇に乗るときは、上の人より遅れぬように、早くから乗っておること。もし遅れて乗るような場合には、「失礼い   たしました」と上の人に断わらねばならぬ。自分の用意が遅れて定期(軍艦と陸上の間を往復し、定時にそれら   を発着する汽艇のこと)を待たすごときは、もってのほである。かかるときは断然やめて次ぎを待つべし。    短艇より上がる場合には、上長を先にするこというまでもなし。同じ次室士官内でも、先任者を先にせよ。 35、舷門は一艦の玄開口なり。その出入りに際しては、服装をととのえ、番兵の職権を尊重せよ。雨天でないとき、   雨衣や引回しを着たまま出入りしたり、答礼を欠くもの往々あり、注意せよ。 第2 次室の生活について 1、我をはるな。自分の主張が間遠っていると気づけば、片意地をはらす、あっさりとあらためよ。  我をはる人が1人でもおると、次室の空気は破壊される。 2、朝起きたならば、ただちに挨拶せよ。これが室内に明るき空気を漂わす第一誘因だ。3、次室  にはそれぞれ特有の気風かある。よきも悪きもある。悪い点のみ見て、憤慨してのみいては   ならない。神様の集まりではないから、悪い点もあるであろう。かかるときは、確固たる信念と決心をもって自己を修め、自然に同僚を善化せよ。 4、上下の区別を、はっきりとせよ、親しき仲にも礼儀をまもれ。自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないよ  うな精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人の仕事にも理解を持ち便宜をあたえよ。 5、同じ「クラス」のものが、3人も4人も同じ艦に乗り組んだならば、その中の先任者を立てよ。「クラス」のものが、次  室内で党をつくるのはよろしくない。全員の和衷協力はもっとも肝要なり。利己主義は唾棄すべし。 6、健康にはとくに留意し、若気にまかせての不摂生は禁物。健全なる身体なくては、充分をる御奉公で出来ず。忠  孝の道にそむく。 7、当直割りのことで文句をいうな。定められた通り、どしどしやれ。病気等で困っている人のためには、進んで当直を  代わってやるぺきだ。 8、食事に関して、人に不愉快な感じを抱かしむるごとき言語を慎め。たとえば、人が黙って食事をしておるとき、調理  がまずいといって割烹を呼びつけ、責めるがごときは遠慮せよ。また、会話などには、精練きれた話題を選べ。 9、次室内に、1人しかめ面をして、ふてくされているものがあると、次室全体に暗い影ができる。1人愉快で朗らかな  人がいると、次室内が明るくなる。 10、病気に羅ったときは、すぐ先任者に知らせておけ。休業になったら(病気という程度ではないが(身体の具合い   が悪いので、その作業を休むこと)先任者にとどけるとともに、分隊長にとどけ、副長にお願いして、職務に関する  ことは、他の次室士官に頼んでおけ。 11、次室内のごとく多数の人がいるところでは、どうしても乱雑になりがちである。重要な書類が見えなくなったとか  帽子がないとかいってわめきたてることのないように、つねに心がけなければならぬ。自分がやり放しにして、従  兵を怒鳴ったり、他人に不愉快の思いをきせることは慎むべきである。 12、暑いとき、公室内で仕事をするのに、上衣をとるくらいは差し支えないが、シャツまで脱いで裸になるごときは、   はをはだしき不作法である。 13、食事のときは、かならず軍装を着すべし。事業服のまま食卓についてはならぬ。いそがしいときには、上衣だけ  でも軍装に着換えて食卓につくことになっている。 14、次室士官はいそがしいので一律にはいかないが、原則としては、一同が食卓について次室長(ケプガソ)がはじ  めて箸をとるべきものである。食卓について、従兵が自分のところへ先に給仕しても、先任の人から給仕せしむる  ごとく命すべきだ。古参の人が待っているのに、自分からはじめるのは礼儀でない。 15、入浴も先任順をまもること。水泳とか武技など行をったときは別だが、その他の場合は遠慮すべきものだ。 16 古参の人が、「ソファー」に寝転んでいるのを見て、それを真似してはいけない。休むときても、腰をかけたまま、  居眠りをするぐらいの程度にするがよい。 17、次室内における言語においても気品を失うな。他の人に不快な念を生ぜしむべき行為、風態をなさず、また下士  官兵考課表等に関することを軽々しく口にするな。ふしだらなことも、人秘に関することも、従兵を介して兵員室に  伝わりがちのものである。士官の威信もなにも、あったものでない。 18、趣味として碁や将棋は悪くないが、これに熱中すると、とかく、尻が重くなりやすい。趣味と公務は、はっきり区別  をつけて、けっして公務を疎にするようなことがあってはならぬ。 19、お互いに、他の立場を考えてやれ。自分のいそがしい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難した   いような感情が起こるものだが、度量を宏く持って、それぞれの人の立場に理解と同情を持つことが肝要。 20、従兵は従僕にあらず。当直、その他の教練作業にも出て、士官の食事の給仕や、身辺の世話までするのであ   るからということを、よく承知しておらねばならぬ。あまり無理な用事は、言いつけないようにせよ。自分の身辺の  ことは、なるべく自分で処理せよ、従兵が手助けしてくれたら、その分だけ公務に精励すべきである。釣床を釣っ  てくれ、食事の給仕をしてくれるのを有難いと思うのは束の間、生徒・候補生時代のことを忘れてしまって、傲然と  従兵を呼んで、ちょっと新聞をとるにも、自分のものを探すにもこれを使うごときは、わがみずからの品位を下げゆ  く所以である。また、従兵を「ボーイ」と呼ぶな。21、夜遅くまで、酒を飲んで騒いだり、大声で従兵を怒鳴ったりす  ることは慎め。 21、課業時のほかに、かならず出て行くべきものに、銃器手入れ、武器手入れに、受け持ち短艇の揚げ卸しがある 第3 転勤より着任まで 1、転勤命令に接したならば、なるべく早く赴任せよ。1日も早く新勤務につくことが肝   要。退艦したならば、ただちに最短距離をもって赴任せよ、道草を食うな。 2、「立つ鳥は後を濁さず」仕事は全部片づけておき、申し継ぎは万遺漏なくやれ。申し  継ぐべき後任者の来ないときは、明細に中し継ぎを記註しおき、これを確実に託し   おけ。 3、退艦の際は、適宜のとき、司令官に伺候し、艦長・副長以下各室をまわり挨拶せよ4、新たに着任すべき艦の役務、所在、主要職員の名は、前もって心得おけ。 5、退艦・着任は、普通の場合、通常礼装なり。 6、荷物は早目に発送し、着任してもなお荷物が到着せぬ、というようなことのないようにせよ。手荷物として送れば、早目に着く。 7、着任せば、ただちに荷物の整理をなせ。 8、着任すべき艦の名を記入したる名刺を、あらかじめ数枚用意しおき、着任予定日時を艦長に打電しおくがよい。 9、着任すべき艦の所在に赴任したるとき、その艦がおらぬとき、たとえば急に出動した後に赴任したようなと時は、  所在鎮守府、要港部等に出頭して、その指示を受けよ。さらにまた、その地より他に旅行するを要するときは、証  明書をもらって行け。 10、着任したならば、当直将校に名刺を差し出し、「ただいま着任いたしました」ととどけること。当(副)将校は副長に   副長は艦長のところに案内して下さるのが普通である。副長から艦長のところへつれて行かれ、それから次室  長が案内して各室に挨拶に行く。艦の都合のよいとき、乗員一同に対して、副長から紹介される。艦内配置は、   副長、あるいは艦長から申し渡される。 11、各室を一巡したならば、着物を着換えて、ひとわたり艦内を巡って艦内の大体を大体を見よ。 12、配置の申し継ぎは、実地にあたって、納得の行くごとく確実綿密に行なえ。いったん、引き継いだ以上、全責任  は自己に移るのだ。とくに人事の取り扱いは、引き継いだ当時が一番危険、ひと通り当たってみることが肝要だ。  なかんずく叙勲の計算は、なるべく早くやっておけ。 13、着任した日はもちろんのこと、1週間は、毎夜巡検に随行するごとく心得よ。乗艦早々から、「上陸をお願い致し  ます」などは、もってのほかである。 14、転勤せば、なるべく早く、前艦の艦長、副長、機関長、分隊長およびそれぞれ各室に、乗艦中の御厚意を謝す   る礼状を出すことを忘れてはならぬ。 第4 乗艦後ただちになすべき事項 1、ただちに部署・内規を借り受け、熟読して速やかに艦内一般に通暁せよ。 2、総員起床前より上甲板に出で、他の副直将校の艦務遂行ぶりを見学せよ。2、3日、当直ぶりを注意して見てお   れば、その艦の当直勤務の大要は分かる。しかして、練習艦隊にて修得せるところを基礎とし、その艦にもっとも  適合せる当直をなすことができる。 3、艦内旅行は、なるぺく速やかに、寸暇を利用して乗艦後すぐになせ。 4、乗艦して1ヵ月が経過したならば、隅々まで知悉し、分離員はもちろん、他分隊といえども、主たる下士官の氏名  は、承知するごとく心がけよ。 第5上陸について 1、上陸は控え目にせよ。吾人が艦内にあるということが、職責を尽くすということの大部である。職務を捨ておいて   上陸することは、もってのほかである。状況により、一律にはいえぬが、分隊長がおられぬときは、分隊士が残る  ようにせよ。 2、上陸するのがあたかも権利であるかのように、「副長、上陸します」というべきでない。「副長、上陸をお願いしま   す」といえ。 3、若いときには、上陸するよりも艦内の方が面白い、というようにならなけれぱならない。また、上陸するときは、自  分の仕事を終わって、さっぱりした気分で、のびのびと大いに浩然の気を養え。 4、上陸は、別科後よりお願いし、最終定期にて帰艦するようにせよ。出港前夜は、かならず艦内にて寝るようにせよ。上陸する場合には、副長と己れの従属する士官の許可をえ、同室者に願い、当直将校にお願いして行くのが慣例  である。この場合、「上陸をお願い致します」というのが普通、同僚に対しては単に、「願います」という。この「願い  ます」という言葉は、簡にして意味深長、なかなか重宝なものである。すなわち、この場合には、上陸を願うのと、  上陸後の留守中のことをよろしく頼む、という両様の意味をふくんでいる。用意のよい人は、さらに関係ある准士   官、あるいは分隊先任下士官に知らせて出て行く。帰艦したならば、出る時と同様にとどければよい。たたし、夜   遅く帰艦して、上官の寝てしまった後は、この限りでない。士宮室にある札を裏返すようになっている艦では、か   ならず自分でこれを返すことを忘れぬごとく注意せよ。 6、病気等で休んでいたとき、癒ったからとてすぐ上陸するごときは、分別がたらぬ。休んだ後なら、仕事もたまってお  ろう、遠慮ということが大切だ。 7、休暇から帰ったとき、帰艦の旨をとどけたら、第1に留守中の自分の仕事および艦内の状況にひと通り目を通せ。  着物を着換え、受け持ちの場所を回って見て、不左中の書類をひと通り目を通す心がけが必要である。 8、休暇をいただくとき、その前後に日曜、または公暇日をつけて、規定時日以上に休暇するというがごときは、もっと  も青年士官らしくない。 9、職務の前には、上陸も休暇もない、というのが士官たる態度である。転勤した場合、前��轄から休暇の移牒があ  ることがあるけれども、新所轄の職務の関係ではいただけないことが多い。副長から、移牒休暇で帰れといわる   れば、いただいてもよいけれども、自分から申し出るごときことは、けっしてあってはならぬ。 第6部下指導について 1、つねに至誠を基礎とし、熱と意気をもって国家保護の大任を担当する干城の築造者たることを心がけよ。「功は部下に譲り、部下の過ちは  自から負うは、西郷南洲翁が教えしところなり。「先憂後楽」とは味わうべき言であって、部下統御の機微なる心理も、かかるところにある統御者たるわれわれ士官は、つねにこの心がけが必要である。石炭  積みなど苦しい作業のときには、士官は最後に帰るようつとめ、寒い  ときに海水を浴びながら作業したる者には、風呂や衛生酒を世話してやれ。部下につとめて接近して下情に通せよ。しかし、部下を狎れしむるは、もっとも不可、注意すべきである。 2、何事も「ショート・サーキット」(短絡という英語から転じて、経由すべきところを省略して、命令を下し、または報告する海軍用語)を慎め。い  ちじは便利の上うたが、非常なる悪結果を齋らす。たとえば、分隊士を抜きにして分隊長が、直接先任下士官に命じたとしたら、分隊士たる者いかなる感を生ずるか。これは一例だか、かならず順序をへて命  を受け、または下すということが必要なり。 3、「率先躬行」部下を率い、次室士官は部下の模範たることが必要だ。物事をなすにもつねに衆に先じ、難事と見ば、 真っ先にこれに当たり、けっして人後におくれざる覚悟あるべし。また、自分ができないからといって、部下に強制  しないのはよくない。部下の機嫌をとるがごときは絶対禁物である。 4、兵員の悪きところあらば、その場で遠慮なく叱咤せよ。温情主義は絶対禁物。しかし、叱責するときは、場所と相  手とを見でなせ。正直小心の若い兵員を厳酷な言葉で叱りつけるとか、また、下士官を兵員の前で叱責するなど  は、百害あって一利なしと知れ。 5、世の中は、なんでも「ワソグランス」(一目見)で評価してはならぬ。だれにも長所あり、短所あり。長所さえ見てい  れば、どんな人でも悪く見えない。また、これだけの雅量が必要である。 6、部下を持っても、そうである。まずその箆所を探すに先だち、長所を見出すにつとめることが肝要。賞を先にし罰を  後にするは、古来の名訓なり。分隊事務は、部下統御の根底である。叙勲、善行章(海軍の兵籍に人ってから3  年間、品行方正・勤務精励な兵にたいし善行章一線があたえられ、その後、3年ごとに同様一線あてをくわえる。  勇敢な行為などがあった場合、特別善行章が付与される)等はとくに慎重にやれ。また、一身上のことまで、立ち  入って面倒を見てやるように心がけよ。分隊員の入院患者は、ときどき見舞ってやるという親切が必要だ。 第7 その他一般 1、服装は端正なれ。汚れ作業を行なう場合のほかは、とくに清潔端正なるものを用いよ。帽子がまがっていたり、「  カラー」が不揃いのまま飛び出していたり、靴下がだらりと下がっていたり、いちじるしく雛の寄った服を着けている  と、いかにもだらしなく見える。その人の人格を疑いたくなる。 2、靴下をつけずに靴を穿いたり、「ズボン」の後の「ビジヨウ」がつけてなかったり、あるいはだらりとしていたり、下着  をつけず素肌に夏服・事業服をつけたりするな。 3 平服をつくるもの一概に非難すべきではいが、必要なる制服が充分に整っておらぬのに平服などつくるのは本末  顛倒である。制服その他、御奉公に必要をる服装属具等なにひとつ欠くるところなく揃えてなお余裕あらば、平服  をつくるという程度にせよ。平服をつくるならば、落ちついて上品な上等のものを選べ。無闇に派手な、流行の尖   端でもいきそうな服を着ている青年士官を見ると、歯の浮くような気がする。「ネクタイ」や帽子、靴、「ワイシャツ」  「カラー」「カフス」の釦まで、各人の好みによることではあろうが、まず上品で調和を得るをもって第1とすべきであ  る。 4、靴下もあまりケパケパしいのは下品である。服と靴とに調和する色合いのものを用いよ。縞の靴下等は、なるべく  は���ぬこと、事業服に縞の靴下等はもってのほかだ。 5、いちばん目立って見えるのは、「カラー」と「カフス」の汚れである、注意せよ。また、「カフス」の下から、シャツの   出ているのもおかしいものである。 6、羅針艦橋の右舷階梯は、副長以上の使用さるべきものなり。艦橋に上がったら、敬礼を忘れるな。 7 陸上において飲食するときは、かならず一流のところに入れ。どこの軍港においても、士官の出入りするところと、  下士官兵の出入りするところは確然たる区別がある。もし、2流以下のところに出入りして飲食、または酒の上で  上官たるの態度を失し、体面を汚すようなことがあったら、一般士官の体面に関する重大をることだ。 8、クラスのためには、全力を尽くし一致団結せよ。 9、汽車は2等(戦前には1、2、3等の区分があった)に乗れ。金銭に対しては恬淡なれ。節約はもちろんだが、吝薔  に陥らぬよう注意肝心。 10、常に慎独を「モットー」として、進みたきものである。是非弁別の判断に迷い、自分を忘却せるかのごとき振舞い  は、吾人の組せざるところである。
hiramayoihi.com/Yh_ronbun_dainiji_seinenshikankyouikugen.htm
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liliyaolenyeva666 · 2 years
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📛 1454 「仮面ライダー」 #90, 91。
いつかの今週も 「仮面ライダー」 のお時間がやって参りました。今回は 「恐怖のペット作戦 ライダー S・O・S!(第90話)」 というお話です。オープニングのうたが変わっていて (“ライダーアクション”) やや驚きと違和感を感じますけれど、それはさておき、先週にちょこまかとしていた怪人が 今回の目玉のやうです。我らがアクションバカ一代 滝和也をぐるぐると回して投げ飛ばしたネズミなコンドルことネズコンドルな禰󠄀豆子は 空中で和也を上手にキャッチした仮面ライダー第1号を見! 「ライダー!よくも邪魔してくれたなあ」 と悔しがり 「ライダー行くぞぉっ!」 と飛び掛かります。飛行するには やや短めな気もしますけれど、そんな細かいことは気にしてはいけない 禰󠄀豆子の やや短めな翼から スッと飛び出した刃物で 滝和也の右手をザクッと切り裂いたネズミは 「覚えておれ!」 と “ゆくぞ!” と啖呵を切ったばかりだというのに スタコラサッサと逃げて行きます。そんな禰󠄀豆子が逃げ帰ったアジトでは 「ブラック将軍、第1次ペット作戦をさっさと開始せよ!」 とかどうとかを 首領が 中間管理職なブラック将軍に命じています。「東京都民を不安と恐怖のどん底に叩き落とします」 と、ゲルショッカーが動かなくても 不安と恐怖のどん底だったりする東京都民を 更なるどん底に叩き落とすらしい、意気込みだけは心強いブラック将軍。「東京中にペスト菌をばら撒け!東京をしの町にするのだ!」 とブラック将軍。「任せておけ!と禰󠄀豆子。手始めに いつもの団地で暮らす若奥さまを狙う禰󠄀豆子。そこへ帰宅した息子と旦那さんを次々に毒牙に掛ける、禰󠄀豆子に噛まれてペストンを喰らった若奥さま。救急車で運ばれている途中、救急隊員をも毒牙にかける若奥さまは ジョージ・A・ロメロもびっくりな その仕事の早さで瞬く間にペスターを増やしていきます。そんな知らせを知ったか否か 「東京中が、いや、日本中がペストに襲われるぞ!」 と少年仮面ライダー隊隊長な和也。ペスト?と本郷猛。そんな中、おやっさんの元に “ゲルショッカーに襲われているぞ!” との連絡が入ります。急行する ふたりのバイク乗り。そんなふたりが現場に到着して ペスターに襲われている様を どこかの定点カメラからモニターしているブラック将軍に 「ペット作戦第2号を開始するのだ!」 と銭形警部似な声の首領。「ふふふふふふ」 と小さなカゴの中のハツカネズミを見つめるブラック将軍は 暗い場所でひとり “アルジャーノンに花束をごっこ” を楽しんでいるやうです。そんなころ、いつもの公園らしき公園で遊んでいるこどもたちにそんなハツカネズミを配る 一般人に扮装中な戦闘員の姿が。そんなハツカネズミを大事さうに少年仮面ライダーに まんまと持ち帰って来る 呑気な少年仮面ライダー隊員。「ハツカネズミか。ほう、可愛いな」 と こちらも呑気な猛は、本部からの帰り道に ふと 「ネズコンドルって怪人だが、ネズミに似てないか?あのハツカネズミはまさか!」 と気づくのが少し遅かった感はありますけれど、霊感ヤマカン第六感が働き 「戻って見やう」 と急ぎ足で戻ります。そんなころ、変身を白煙とともに解いた禰󠄀豆子は 就寝中のおやっさんにグワッと襲い掛かります。すんでのところで殺気に気づき、禰󠄀豆子に枕を八つ裂きにされはしたものの 頭部の八つ裂きは免れた 運動神経グンバツなおやっさんは 側にあったゴルフクラブで応戦します。チュウチューとおやっさんを襲うけれど 時間が掛かっている禰󠄀豆子。そんなところに割って入った この番組の主役な本郷猛。「覚えてろっ!」 と捨て台詞を吐いて姿を消す禰󠄀豆子。「こんなもので騙しやがって!」 とハツカネズミの入った小さな青いカゴをバッと投げ捨てた、猛といっしょに何となく戻って来たらしい滝和也。団地妻を狙った意外は 大した成果を上げていない禰󠄀豆子はアジトにて 「まあ見ていてください!改造ネズコンドルの威力を!」 と意気込みだけは立派です (口裂けたオオカミ顔が くちばし状に変わりました)。そんなこんなで近場で手柄を立てやうと、その辺の工事現場のおじさんをチュウチュウする禰󠄀豆子。襲われたおじさんは そのペスターな感染力の速さから別のおじさんに襲いかかり、そのままお知らせに入ります。お知らせが明け、病院で牙を生やしながら(どうして牙が生えのかは不明です) 悶え苦しむ工事現場のおじさんは、ペスト菌ではないもの、変異株がどうしたこうしたしたのか、それとも遺伝子操作を加えたのかどうなのか、治療方法がまるで無いさうですけれども、若奥さまの “それ” を見習うやうに 次から次へと人に噛みつき噛みつかれで患者は増える一方で 「ワクチンはないんですか?」 と医者に尋ねるものの、無いということが分かった猛は 早速ワクチンの製作に取り掛かります。無茶です。そんな中、病院に到着した救急車にも魔の手が襲い掛かり、救急隊員が ダン・オバノンの 「バタリアン」 さながらに襲われている中、マスク姿の猛とおやっさんは たった数分 (物語の中では もしかしたら 数ヶ月から数年経過していたのかもしれませんけれど) で、ワクチンっぽいものを拵えてしまいます。喜びも束の間、走る電車のケーブルがネズミか何かに食いちぎられたとのことで橋の上で静止画っぽく停止している電車の現場に向かう 白衣を脱いだ猛と和也。そこに現るは チュウチュウ禰󠄀豆子。「本郷!お前の目をくり抜いて二度と戦えなくしてやる!」 と、猛の左目をくちばしでグサリと突く禰󠄀豆子。左目を左手で押さえながら絶叫する本郷猛。「脱出だ!」 とその場を離れて和也のバイクで逃走するふたりは ひとまず病院 (改造人間を診てくれる病院が都内にあるのかどうかはさておき) に向かいます。「いや、目の表面に傷がついただけだ、大丈夫だ」 と 大丈夫なのかどうなのかよく分からないことを言う猛。「ワクチンがもうすぐ出来るはずだ」 と おやっさんと猛でワクチン開発に勤しんでいたのに おやっさんがそこにいるってことは 他の誰が作っているのでせうかなんてことは言ってはいけない、そんな気不味い病室で ハツカネズミに指を食い付かれるおやっさん。それなりに不衛生な病院のやうですけれど、その食い付きネズミが持っていたメモ書き “滝は預かっている” というメモを読んだおやっさんの声に 「まだかすかに見えている限り戦えます!」 と目に包帯をぐるぐる巻きにしながら病室を飛び出し、自動運転か何かで病院の前で待っていたっぽい 電人ザボーガーのやうなバイクを運転する本郷猛は、両目を包帯でグルングルンに巻きながら公道をひた走っています。ある意味ゲルショッカーよりもずっとずっと無謀で危険な男 本郷猛は、包帯をスッと外しながら 縄で巻かれた滝和也と禰󠄀豆子の待つ現場に どうにかこうにかたどり着きます。そんな猛に 「お前の目は失明寸前だ!」 と禰󠄀豆子。「その身体で戦えるとでも思っているのか!」 と禰󠄀豆子。「俺は並の人間とは違う、お前の毒に冒されるやうな人間じゃない!」 と元も子もないやうなことを言う、ピントがぼやけたままの主役。それでも変身してしまえばこちらのものよと 「ライダー 変身!とぅっ!」 と逆光な高台で 仮面ライダーに変身をキメます。緩めな縄で縛られた和也の縄をバッと切り、自由になった和也に 戦闘員の半分の相手を任せる自由な第1号は チュウチュウ!とくちばしに口を変えてもチュウチュウと発する器用な禰󠄀豆子と揉み合う中で 「目が見えない!」 と急に見えなくなった左目 (または立ちくらみを起こした) を庇いながら、側にあった 大きめな鉄パイプを ぶんぶん振り回してゲルショッカーで無くても近付き難いヤバミ感を漂わせます。そんな正義のヒーローに うわっと怯んだ禰󠄀豆子の隙を見つけた第1号は 「ネズコンドル行くぞ!ライダー月面キック!」 を 心の余裕もないままに突然にライダーなキック浴びせます。キックを真面に喰らい吹き飛んだ先で大爆発を起こす憐れな禰󠄀豆子。変身を解除した猛に駆けつける滝和也。「あ、あ、何も見えん!」 と目目をグワッと開いて ゲルショッカーの新怪人ばりに 見えないアピールをする物凄い形相の猛。そんな新怪人猛に 「本郷!ワクチンが完成したぞ!これでお前の目も治るぞ!」 と、もしかしたら猛に内緒で 岩本博士か誰かに頼んで作って貰ったのかもしれないワクチンを片手におやっさんが向こうから喜びの表情で現れました。
つづいて
今週も 「仮面ライダー」 のお時間がやって参りました。今回は 「ゲルショッカー 恐怖学校へ入学せよ!! (第91話)」 というお話です。オープニングのうたが違っていて (“ライダーアクション”) まだ違和感を感じますけれど、それはさておき、静まり返った夜、女の子の部屋に めちゃキモなゲルダムの怪人が現れます。「いまからムカデタイガーの恐怖学校へ入学する。いいな!」 といきなり現れた めちゃキモ怪人は 寝惚け眼な女の子に無茶苦茶な編入をけしかけます。そんなところへ フツーに部屋に入って来た 何も知らない両親。そこにいるキモいのを見て驚きます。「何をする気だ!」 と 部屋の灯りも点けずに叫ぶパパ。「見た通りだ!このカワイコチャンは ゲルショッカーの一員になるのだ!」 とムカデ。翌る日か たぶんその辺り、事件の匂いを嗅ぎつけた 展開の早さとアクションだけは 誰にも負けないふたりのアクション好きは、とりあえず現場へ急行しやうと、何だか道路とは呼べないやうな とんでもない道をバイクでブロロロロッと駆け抜けます。と、そこへ岩に化けていたゲルダムの戦闘員が道とも呼べないやうな道を塞ぎます。「戦闘員がいるところ必ず改造人間がいるはずだ!」 と感の鋭いアクション好き。と、そんな彼らの前に 「本郷猛!俺の名はムカデタイガー!」 と名乗りたがりな年頃なのかもしれないキモ怪人がヌワッと現れ、そして 「ゲルショッカーに新しい組織ができた!その組織をお前にぶつける!恐怖学校第一期生だ!」 と、帽子を被った アンガス・ヤング軍団を主人公らの前に それっと並ばせ 「少年ゲルショッカー隊を紹介しやう!ムヒョー!」 と ゲルダムの戦闘員ふうな格好に早着替えさせた少年少女らを、どうだ!凄いだろっ!ワイルドだろっ!と この番組の主人公らに見せつけます。「恐怖学校で教えた通りやれ!」 とムカデ。恐怖学校で学んだ通りな少年少女らに囲まれ襲われる��たり。側から見ると サイン攻めに遭っているスタアさながらで、身体的ダメージは殆ど無ささうです。それでも こども向けテレビ番組ですから 「ムカデタイガー!こどもたちを元へ戻せ!」 とさけぶ猛。「悔しいか!本郷猛!」 と 少し調子付いたムカデは 「少年ライダー隊に魔の手が伸びている!」 と、うっかり口を滑らせます。それはいけずと 「ライダー 変身!とうっ!」 と変身をキメ込む猛は、変身早々 「ライダーキック!」 をムカデに浴びせます。対するムカデは 「ムカデパンチ!」 なる技を繰り出します。空中でぶつかり合うふたり。が、しかし! 「どうだ!オレの力はライダーより上だ!」 と、どうしてさうなっのかは 良く分かりませんけれど、ライダーを崖から えいやっ!と落とすムカデ。"仮面ライダー" は 次回の放送から “ムカデタイガーに任せタイガー” に変更されてしまうのでせうか!あやうしバッタ仮面っ!なんて テレビの前のよい子たちがハラハラ増し増しているころ、一足先に本部に帰った滝和也は、怪しげなお茶をぐいっと飲んで 急に具合がぐいっと悪くなってしまいます。そんな和也を余所に 視線がギラってしている 本部の皆さん。「少年ゲルショッカー隊の隊長だ!」 と 和也に名乗る おやっさんは 「隊員になるのだ!」 と和也にゲルダム隊を勧められますけれど、隊長から隊員に格下げされるのはゴメンだ!と その場で うっと気を失います。そんなころ、場面は変わり 「どうしたんですか!」 と大怪我を負った本郷猛が いきなり家に どうかしたんです!と押しかけて来て どうしたらいいのかと 驚きの表情を見せる その家の姉と弟。「逃げろ!逃げるんだ!いいな!」 と自宅にいる少年ライダー隊の一員に どこに逃げろと言うのか本郷猛は 裏の小屋のやうな場所に連れて行かれ、そこで匿って貰います。そんなところに都合良く現るるは キモいムカデ。この番組の主人公のやうな男を見なかったか?とキモムカデ。正直に言わないと 弟もキモくしてやると脅され 「裏の小屋に」 とバラす姉。「姉さんのバカ!」 と弟。物事が上手く捗り バラサバラサと 「新入生にしてやる!」 と喜ぶムカデは 「本郷猛!小屋もろとも焼け死ぬのだ!」 と、外からウヒョーと火を放ちます。痛めた左腕を抱えながら絶体絶命の猛。火の勢いは物凄く、まるで 永遠の24才な引田天功さんの大脱出を見ているかのやうな有様です。これはたまらんと 透かさず 「ライダー 変身!」 と変身をキメ込み、床をぶち抜かうと頑張る第1号の大脱出がとても気になりますけれど、とりあえず お知らせに入ってもらいます。お知らせが明け、目覚めた姉は 弟の名を呼びながら 燃え尽きた小屋を見て愕然とします。「許してください本郷さん。間違っていた」 と涙する姉。すると 「間違っていない!」 と目の前に現れた改造人間。「あなたは?」 と姉。名を名乗るバッタ人間。そんなバッタ男が “仮面ライダー” ということを知る姉。舞台は変わり、ゲルダムのアジトでは 鉄の掟のゲルパー薬 (3時間置きに飲まないと次週の仮面ライダーの時間までいきていられない) は おそるべき薬で ああのどうのとブラック将軍が説明をしています。そんなゲルパー薬を輸送途中のゲルダム一味。そんな一味を追う第1号はサイクロンを駆り 「やはりこの中に少年たちがいるのか」 と怪しげな建物に踏み込みます。そんな中 「ゲルショッカーに忠誠を誓え!」 と授業中のムカデと ゲルダムの派手派手な戦闘服を着ながら ムカデ先生の授業を熱心に聞くこどもたち。そんなこどもたちに給食の時間が訪れます。「今日は特別料理だぞ」 とムカデ先生。ゲルパー薬入りの食事 (のみ) がきちんと用意されます。おそるべき薬を口に入れるこどもたち。おっかなびっくりな表情で こどもたちを見つめるムカデ先生。がしかし!こどもたちに何の異変も起きません。とそこへ 「こどもたちが飲んだのはただの粉だ!」 と言いながら颯爽と現れた、粉すり替えライダー第1号。ただの粉を何処でどう手に入れて サササッと給食とすり替えたのかは 時間の都合で省略しますけれど 「滝!お前までも!」 と操られているアクション隊長の変わり果てた姿を見て愕然とする第1号。そんな第1号に追い討ちをかけるやうに 「貴様の仲間はひとりもいない!」 と淋しいことをいう和也とこどもたちと戦闘員に ごっちゃになりながら襲われ続けている それなりにピンチな第1号。「しねっ!ライダー!」 と、和也の長い足とラッパズボンが第1号の命を狙います。そんな中、いつもの崖の上で ずらりと勢揃いするこどもたちの姿が。「命令であの小僧たちはしぬ!」 とムカデ先生。ムカデと話し込みながら ムカデ先生の要求を静かに飲む第1号。その間、崖の上で突っ立ったままだったりする こどもたち。「よし分かった!勝手にしろ!」 と第1号は 派手な戦闘員らから 殴る蹴るの暴行を激しく受けます。いなくなる滝和也。「最後のトドメはオレがやる!」 とムカデ先生は 第1号に向けて ウヒョー!と火炎放射をボボボーッと放ちます。それが熱かったのか 反撃を喰らわす第1号は 「ライダー ハンマーキック!」 をムカデ先生に浴びせます。"勝手にしろ!" なんて言っておきながら 飛び蹴りを浴びせてきた小癪なバッタ男に怒り心頭なムカデ先生は 「飛び降りろ!飛び降りろっ!飛び降りるんだぁ!」 と、流るる滝の上で勢揃いしています こどもたちに飛び降りを命じます。けれども それなりの高さがあるからでせうか、なかなか飛び降りないこどもたち。PTAも黙ってはいないでせう。唖然とするムカデ先生。そんな先生の隙を見つけて ��とぅっ!」 とムカデ先生ごと崖から飛び降りる第1号。当りどころが悪かったのか 爆発を起こすムカデ先生。「悪い夢を見ていた」 と不意に何処からともなく現れた和也は 第1号がいないことにハッと気づき 「みんな!探さう!」 とムカデ先生が爆発したことで我に帰ったキッズたちと第1号を探し始めます。そんな中 ゲルダムのアジトでは 「仮面ライダーはムカデタイガーとともにしんだ!」 なんて言っているブラック将軍。おしまいに おかしなマフラーの仮面ライダーらしきシルエットと、主人の帰りを待つ 置いてきぼりなサイクロンが寂しく映りながら 次回につづきます。
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amiens2014 · 1 year
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なはり古民家・廃校ART&LIVE/高知県奈半利町【ウォーキング】奈半利町役場〜高田屋〜なはりの郷〜藤村製絲〜正覚寺〜濱田家
なはり古民家・廃校ART&LIVEとは なはり古民家・廃校ART&LIVEは、高知県安芸郡奈半利町(こうちけんあきぐんなはりちょう)で開催されているイベントだ。 高知県東部・奈半利町にのこる古民家と廃校を会場に、約2週間のアートイベントを開催。 今回は港町にある加領郷小学校を会場に加え、県内外・国内外で活躍のアーティスト16名の作品をお楽しみいただけます。 なはり古民家・廃校 ART&LIVE 2022 | イベント情報検索 | 高知県観光情報Webサイト「こうち旅ネット」 から引用 (more…)
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cuttercourier · 4 years
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の��客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、��家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係��たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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一 はじめに
(日本オリンピック)  五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に、国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則(よしのり)さんでした。  八月六日広島生まれ。十九歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って、高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました。  「日本オリンピック」。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。  半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。  本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。
(新しい時代へ踏み出す)  「日本はもう成長できない」。七年前、この「諦めの壁」に対して、私たちはまず、三本の矢を力強く放ちました。その果実を活かし、子育て支援、教育無償化、更には働き方改革。一億総活躍社会を目指し、まっすぐに進んでまいりました。  厳しさを増す安全保障環境を直視しながら、平和安全法制を整備し、防衛力を抜本的に強化しました。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、世界を駆け回り、ダイナミックな日本外交を展開してきました。  我が国は、もはや、かつての日本ではありません。「諦めの壁」は、完全に打ち破ることができた。その自信と誇りと共に、今、ここから、日本の令和の新しい時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
二 復興五輪
 二〇二〇年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィレッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。  常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これに合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。  浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃��とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。  津波で大きな被害を受けた、宮城県を訪れる外国人観光客は、震災前の二倍を超えました。岩手県では三倍となっています。昨年九月に陸前高田市で開業したばかりの道の駅では、僅か一か月で十万人の観光客が訪れ、賑(にぎ)わいを見せています。  来年度で復興・創生期間は終了いたしますが、次のステージに向け、復興庁を司令塔に、政治の責任とリーダーシップの下で、福島の本格的な復興・再生、東北復興の総仕上げに、全力で取り組んでまいります。  九年前、ファーディーさんは、ラグビーチームの一員として、釜石で、東日本大震災を経験しました。  「ここで帰ったら後悔する」  オーストラリア大使館から避難勧告を受け、家族から帰国を勧められても、ファーディーさんは、釜石に残り、救援物資の運搬、お年寄りや病人の搬送。困難に直面する被災者への支援を続けました。  その感謝の気持ちと共に、本年、釜石は、オリンピック・パラリンピックに際し、オーストラリアのホストタウンとなります。岩手県野田村は台湾、福島県二本松市はクウェートなど、二十九の被災自治体が、支援を寄せてくれた人々との交流を深めます。  心温まる支援のおかげで力強く復興しつつある被災地の姿を、その目で見て、そして、実感していただきたい。まさに「復興五輪」であります。  東日本大震災では、百六十三の国と地域から支援が寄せられました。我々が困難の時にあって、温かい支援の手を差し伸べてくれた世界の方々に、改めて、今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したいと思います。
三 地方創生
(観光立国)  全体で五百近い市町村が、今回、ホストタウンとなります。これは、全国津々浦々、地域の魅力を世界に発信する、絶好の機会です。  北は北海道から、南は沖縄まで。アイヌの皆さんが受け継いできた伝統音楽や食文化、琉球舞踊など、我が国が誇る全国各地の地域文化に触れていただく「日本博」を、本年、開催いたします。  国の文化財を積極的に活用できる制度を設け、地域のアイデアによる観光地づくりを後押しします。自家用車による有償の運送サービス制度について規制緩和を行い、外国人観光客の皆さんの地方での足もしっかりと確保いたします。  首里城の一日も早い復元に向け、全力を尽くします。三月には、那覇空港第二滑走路の供用を開始します。発着枠を十万回以上拡大することにより、アジアのゲートウェイとして、沖縄の振興に取り組んでまいります。  オリンピック・パラリンピックに向けて、サイバーセキュリティ対策、テロなど組織犯罪への対策に万全を期すことで、安全・安心をしっかり確保いたします。五年後の大阪・関西万博も視野に、多言語化、Wi‐Fi環境の整備など、観光立国の基盤づくりを一気に進めます。高い独立性を持った管理委員会の下、厳正かつ公平・公正な審査を行いながら、複合観光施設の整備に取り組みます。  更には、外国人観光客の多様なニーズに応える宿泊施設など世界に冠たる観光インフラを整え、二〇三〇年六千万人目標の実現を目指します。
(農産物輸出)  世界に目を向けることで、地方に新しいチャンスが広がります。  昨年、EUへの牛肉やコメの輸出は、約三割増えました。TPP諸国への乳製品の輸出も、二割を大きく上回る伸びとなりました。甘い「紅はるか」は、シンガポールやタイで大人気です。さつまいもの輸出は、昨年、四割以上増加しました。  先月、中国への牛肉輸出について、解禁令が発出されました。今月発効した日米貿易協定も活かし、おいしくて、安全な、日本の農林水産物の世界への挑戦を、力強く後押しいたします。  農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます。販路開拓など海外への売り込みを支援します。  神戸牛、ルビーロマン、ゆめぴりか。農家の皆さんの長年にわたる努力の結晶である、日本ブランドを、海外流出のリスクからしっかりと守ります。  CSF対策を一層強化します。野生動物の感染が発見された場合にも、家畜伝染病予防法に基づき、移動制限などのまん延防止措置を実施できるようにします。ASFについても、海外から持ち込まれる肉や肉製品の検疫を強化し、水際対策を徹底します。
(地方創生)  昨年の台風十九号では八ッ場ダムが利根川の被害防止に役立ちました。水力発電や農業用水などを目的とするダムについても、緊急時には省庁の縦割りを打破し、一元的に活用するための対策を、全ての一級河川を対象に、この夏までに取りまとめます。  相次ぐ自然災害の教訓を活かし、全国で、川底の掘削、堤防の整備、無電柱化を進めます。送電線の計画的な更新、電力会社、自衛隊、自治体の平時からの連携などにより、強靱(じん)な電力供給体制を構築します。防災・減災、国土強靱(じん)化を進め、災害に強い故郷(ふるさと)を創り上げてまいります。  東京から鉄道で七時間。島根県江津市は「東京から一番遠いまち」とも呼ばれています。二十年以上、転出超過が続き、人口の一割に当たる二千八百人が減少した町です。  しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。  原田真宜(まさのり)さんは、パクチー栽培を行うため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉を行ったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。  「地域みんなで、手伝ってくれました」  地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、原田さんの移住の決め手となりました。  「地方にこそ、チャンスがある」。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります。東京から地方に移住して起業・就業する場合に最大三百万円支給する制度を、更に使いやすくします。「移住支援センター」を全国一千の市町村に設置し、移住へのニーズを実際の人の動きへと���なげてまいります。  都市に住む皆さんの地方での兼業・副業を促すため、人材のマッチングや移動費の支援を行う新たな制度を創設します。関係人口を拡大することで、将来的な移住につなげ、転出入均衡目標の実現を目指します。  企業版ふるさと納税を拡充し、地方における魅力ある仕事づくりを一層強化します。独占禁止法の特例を設け、まちづくりの基盤である地方の金融サービス、交通サービスをしっかりと維持・確保してまいります。地方の創意工夫を、一千億円の地方創生交付金で、引き続き応援します。  若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
四 成長戦略
(中小・小規模事業者)  「東洋の魔女」が活躍したバレーボール。そのボールを生み出したのは、広島の小さな町工場です。その後、半世紀にわたり、その高い技術を代々受け継ぎ、今なお、五輪の公式球に選ばれ続けています。  全国各地の中小・小規模事業者の皆さんが、長年培ったオンリーワンの技術で、地域経済を支えています。しかし、経営者の多くが六十歳を超え、事業承継は待ったなしの課題であります。そして、若い世代の承継を阻む最大の壁が、個人保証の慣行です。  この春から、先代の経営者と後継者から個人保証を取る、いわゆる二重取りを原則禁止いたします。商工中金では、今月から、年間三万件、二兆円の新規融資について、個人保証なしの融資を原則とする運用を開始しました。  信用保証協会では、個人保証なしで後継者の皆さんの融資を保証する新制度を、四月からスタートします。経営の磨き上げ支援も行い、専門家の確認を得た後継者には、保証料をゼロとします。個人保証の慣行は新しい世代には引き継がないとの強い決意で、あらゆる施策を総動員してまいります。  七年前、十年ぶりの大改正を行った下請振興基準を、更に改正し、対象を拡大します。大企業に対しても、新たに金属産業、化学産業で、自主行動計画の策定を求めます。業界ごとの取引慣行に詳しい専門人材を下請Gメンに採用し、下請取引の更なる適正化に取り組んでまいります。  デジタル技術の進歩は、中小・小規模事業者にとって、販路拡大などの大きなチャンスです。デジタル取引透明化法を制定し、オンラインモールでの出店料の一方的引上げなど不透明な取引慣行を是正します。
(規制改革)  IoT、ビッグデータ、人工知能。第四次産業革命の大きな変化の中で、デジタル時代の規制改革を大胆に進めます。  本年から、無人自動運転を解禁し、中山間地域の皆さんに、安全で便利な移動手段を提供します。自動制御ブレーキを備えたサポートカーに限定した新たな免許制度を設け、その普及を拡大します。  AIが解析するデータのボリュームが、競争力を左右する時代です。個人情報を匿名化し、その詳細な分析を可能とすることで、ビッグデータの世界をリードしてまいります。  フィンテックによる多様な決済サービスが登場する中、金融分野の業法による縦割り規制を抜本的に見直します。マイナンバーカードの取得を促し、来年度中に健康保険証としての利用を開始します。あらゆる行政手続の電子化を進め、対面での確認が必要なものなどを除き、二〇二四年度までに完了いたします。  技術の進歩による急激な変化に対し、消費者の安全・安心を確保していきます。個人データの利用停止を可能とするなど、個人情報保護を強化します。あおり運転を刑罰の対象とし、道路へのカメラ設置などにより、悪質な運転者の取締りを徹底します。空港施設へのドローン飛行を禁止し、飛行経路の安全を確保してまいります。
(イノベーション)  吉野彰(あきら)先生のノーベル化学賞受賞を、心よりお慶び申し上げます。  吉野先生に続く、未来を担う若手研究者に、大胆に投資します。自由な発想で挑戦的な研究に打ち込めるよう、資金配分を若手に思い切って重点化します。安定的なポストを確保し、海外留学を含めたキャリアパスを確立することで、若者が将来に夢や希望を持って研究の世界に飛び込める環境を整えます。  変化のスピードを先取りし、これまでにない価値を生み出す鍵は、ベンチャー精神です。大企業などからベンチャー企業への投資を税制で支援し、いわゆる自前主義からの発想の転換を図ります。国の研究機関によるベンチャー企業への出資を促すことで、蓄積された研究成果や技術を新しい産業へと成長させてまいります。  第四次産業革命がもたらすインパクトは、経済のみにとどまらず、安全保障をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな影響を及ぼします。国家戦略としての取組が必要です。  その基盤インフラは、通信です。5G、ポスト5G、更にその先を見据えながら、大胆な税制措置と予算により、イノベーションを力強く後押しします。安全で安心なインフラが、これからも安定的に供給されるよう、グローバルな連携の下、戦略的に取り組んでいきます。  次世代暗号などの基盤となる量子技術について、国内外からトップクラスの研究者・企業を集める、イノベーション拠点の整備を進めます。  月を周回する宇宙ステーションの整備、月面での有人探査などを目指す新たな国際プロジェクトに、我が国として、その持てる技術を駆使し、貢献いたします。将来的な火星探査なども視野に、人類の新たなフロンティアの拡大に挑戦します。  Society 5.0の時代にあって、教育の在り方も、変わらなければなりません。本年から小学校でプログラミング教育を開始します。四年以内に、全ての小学生、中学生に一人一台のIT端末を揃(そろ)えます。企業エンジニアなど多様な外部人材を登用することで、新しい時代の教育改革を進めます。
(アベノミクス)  今般取りまとめた新しい経済対策は、まさに、安心と成長の未来を切り拓くものであります。事業規模二十六兆円に及ぶ対策を講じることで、自然災害からの復旧・復興に加え、米中貿易摩擦、英国のEUからの離脱など海外発の下方リスクにも万全を期してまいります。  日本経済は、この七年間で十三%成長し、来年度予算の税収は過去最高となりました。公債発行は八年連続での減額であります。経済再生なくして財政健全化なし。この基本方針を堅持し、引き続き、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化を目指します。  この六年間、生産年齢人口が五百万人減少する一方で、雇用は三百八十万人増加しました。人手不足が続く中で、最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となり、史上初めて全国平均九百円を超えました。足元では、九割近い中小企業で、賃上げが実現しています。  雇用環境が好転している今、就職氷河期世代の皆さんの就業を、三年間集中で一気に拡大します。この世代に対象を絞った求人を解禁するなど、あらゆる施策を講じ、意欲、経験、能力を活かせるチャンスを広げていきます。  兼業や副業をやりやすくするため、労働時間に関するルールを明確化します。労働施策総合推進法を改正し、大企業に中途採用・経験者採用比率の開示を求め、多様で柔軟な働き方が可能となるよう、改革を進めます。  経済社会が大きく変化する中、ライフスタイルの多様化は時代の必然であります。今こそ、日本の雇用慣行を大きく改め、働き方改革を、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
五 一億総活躍社会
(全世代型社会保障)  この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用を更に広げてまいります。三千億円を上回る、ものづくり補助金、IT補助金、持続化補助金により生産性向上への支援、社会保険手続の負担軽減を行いながら、従業員五十人を超える中小企業まで段階的に拡大します。  高齢者のうち、八割の方が、六十五歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保します。  こうした働き方の変化を中心に据えながら、年金、医療、介護全般にわたる改革を進めます。  年金受給開始の選択肢を、七十五歳まで広げます。在職老齢年金についても、働くインセンティブを失わせることのないよう、見直しを行います。  二〇二二年には、いわゆる団塊の世代が七十五歳以上の高齢者となる中で、現役世代の負担上昇に歯止めをかけることは、待ったなしの課題です。  年齢ではなく、能力に応じた負担へと見直しを進めます。七十五歳以上であっても一定以上の所得がある方には、窓口での二割負担を新たにお願いすることを検討します。併せて、かかりつけ医機能の強化を図るため、大病院の受診に定額負担を求めることで、現役世代の負担上昇を抑えます。  医療や介護について、予防への取組を強化することで、いつまでも健康で、活躍できる社会づくりを行います。  子どもたちから、子育て世代、現役世代、そしてお年寄りまで、全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」を目指し、本年、改革を実行してまいります。
(子育て支援)  子どもたちの未来に、引き続き、大胆に投資してまいります。  昨年の幼児教育・保育の無償化のスタートに続き、この四月から、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。私立高校の実質無償化も実現し、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることができる社会を創り上げてまいります。  保育の受け皿整備を進め、待機児童ゼロを実現します。これまでの取組により、待機児童の数は、昨年、調査開始以来、最少となりました。いまだゼロが実現できていない自治体には、保育ニーズに応じた整備計画の策定を求め、取組を強化していきます。  妊娠、出産、子育てへの切れ目ない支援を行います。来年春までに、子育て世代包括支援センターを全ての市町村に設置します。所得の低いひとり親世帯への支援を拡大し、子育てしやすい社会づくりを更に強化します。「希望出生率一・八」の実現を目指し、深刻さを増す少子化の問題に真正面から立ち向かってまいります。
(一億総活躍社会)  我が国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。全ての女性に活躍のチャンスを創り、その持てる可能性を十二分に開花することができれば、日本の経済社会は一変するはずです。  この六年で、女性の就業者数は、新たに二百九十万人増加しました。就業率は、二十五歳以上の全ての世代で米国を上回っています。M字カーブは確実に解消に向かっています。引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ、女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取組を一層進めます。更に、民間シェルター支援によるDV対策などに取り組んでまいります。  女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る。一億総活躍社会の実現こそが、まさに少子高齢化を克服する鍵であります。  バリアフリー社会の実現に向けて、公共交通機関における取組を強化します。耳の聞こえない方に対する、無償で手話通訳を利用できる電話リレーサービスを整備します。重度障害者の皆さんの就労の意欲を後押しするための仕組みを強化します。  「その能力は磨けば無限である。」  中村裕(ゆたか)医師は、長年、障害者雇用に熱心に取り組んでこられました。  「身障者の社会進出のためにもスポーツを奨励しなければならない。」  中村先生の情熱によって、一九六四年、東京パラリンピック大会が実現しました。その後、パラリンピックは四年おきに継続的に実施されるようになりました。中村先生の思いは受け継がれ、半世紀以上の時を経て、再び、日本へと帰ってきます。  本年のパラリンピックを、世界中の人々に夢や感動を与える、素晴らしい大会とする。障害のある皆さんが、世界で最もいきいきと生活できる国・日本を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
六 外交・安全保障
(積極的平和主義)  日本が、初めてオリンピック精神と出会ったのは、明治の時代であります。その時の興奮を、嘉納治五郎はこう記しています。  「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」  オリンピック・パラリンピックが開催される本年、我が国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる一年であります。  日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。  もとより、我が国の国民の生命と財産を守るため、毅(き)然として行動していく。その方針はしっかりと貫いてまいります。米国、韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。  北東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、近隣諸国との外交は、極めて重要となっています。韓国は、元来、基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国であります。であればこそ、国と国との約束を守り、未来志向の両国関係を築き上げることを、切に期待いたします。  プーチン大統領と長門で合意した、元島民の方々の航空機によるお墓参り、そして四島での共同経済活動は、着実に前進しています。一九五六年宣言を基礎として交渉を加速させ、領土問題を解決して、平和条約を締結する。この方針に、全く揺らぎはありません。私と大統領の手で、成し遂げる決意です。  日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、共に大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。
(安全保障政策)  いかなる事態にあっても、我が国の領土、領海、領空は必ずや守り抜く。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。  この春から、航空自衛隊に「宇宙作戦隊」を創設します。更には、サイバー、電磁波といった新領域における優位性を確保するため、その能力と体制を抜本的に強化してまいります。  昨日、日米安全保障条約は、改定の署名から六十年を迎えました。日米同盟は、今、かつてなく強固なものとなっています。その深い信頼関係の下に、二〇二〇年代前半の海兵隊のグアム移転に向け、施設整備などの取組を進めます。抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に、一つひとつ結果を出してまいります。  日米同盟の強固な基盤の上に、欧州、インド、豪州、ASEANなど、基本的価値を共有する国々と共に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指します。
(国際社会の課題解決)  この七年間、八十の国・地域を訪問し、八百回を超える会談を重ねてまいりました。各国首脳との信頼関係の上に、国際社会が直面する共通課題の解決に向け、世界の中で、主導的な役割を果たしていく覚悟です。  中東地域における緊張の高まりを深く憂慮します。我が国は、全ての関係者に、対話による問題解決と自制的な対応を求めます。これまで培ってきた中東諸国との友好関係の上に、この地域の緊張緩和と情勢の安定化のために、これからも、日本ならではの平和外交を粘り強く展開いたします。エネルギー資源の多くをこの地域に依存する我が国として、こうした外交努力と併せて、自衛隊による情報収集態勢を整え、日本関係船舶の安全を確保します。  自由貿易の旗手として、二十一世紀の経済秩序を世界へと広げてまいります。EUから離脱する英国とも、速やかに通商交渉を開始します。TPPの更なる拡大や、インドを含めたRCEP交渉を主導します。データ流通の新たな国際ルールづくりを、大阪トラックでリードしていきます。  G20で合意したブルー・オーシャン・ビジョンには、既に五十九の国から賛同を得ています。この流れを更に世界へと広げていくことで、二〇五〇年までの海洋プラスチックごみによる新たな汚染ゼロの実現を目指します。  我が国は、五年連続で温室効果ガスの削減を実現いたしました。二〇一三年度比で十一・八%の削減は、G7の中で英国に次ぐ削減量です。長期戦略に掲げた脱炭素社会を早期に達成するため、ゼロエミッション国際共同研究拠点を立ち上げます。米国、EUなどG20の研究機関の叡智(えいち)を結集し、産業革命以来増加を続けてきたCO2を、減少へと転じさせる、「Beyondゼロ」を目指し、人工光合成をはじめ革新的イノベーションを牽(けん)引します。  世界の平和と安定、自由で公正で開かれた国際ルールの構築、気候変動をはじめとした地球環境問題への挑戦。より良き世界の実現に向かって、新しい時代の日本外交の地平を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。  御清聴ありがとうございました。
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gunosy-news · 4 years
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そこにシビれる憧れる!影響を受けた有名人とその理由
集計期間:2020年2月7日~2月9日 回答数:17805
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「あの人みたいになりたい…」
憧れの有名人を見つめながら、そんな風にため息をついた経験はありませんか? 憧れる部分や度合いは人それぞれですが、わかりやすい目標があるとモチベーションの助けにもなりますね。
今回はそんな「影響を受けた有名人」に関するアンケートです。
Q1. あなたの人生で、影響を受けた有名人はいますか?
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回答していただいた17805名のうち、影響を受けた有名人がいる人の割合は
いる:7168 いない:10637
という結果になりました。「影響を受けた有名人はいない」という人の方が上回る結果になりましたが、それでも半数近くの人が誰かしら有名人に影響を受けているようです。
Q2. 具体的なエピソードなど
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ここからは、個別の事例を見ていきましょう。名前だけでなく、具体的なエピソードが記載されていた回答をピックアップしています。
<男性アイドル・歌手・ミュージシャン>
・氷室京介に憧れてバンドを始めた
・Hi-STANDARD。青春を捧げたバンド
・GACKTの影響を受けています。友人の話から興味を持ち、ファンになり、CDや著書を購入。あのストイックさを見習って生活を送っています
・布袋寅泰。バンドを始めて音楽センスに影響受けた
・YOSHIKI。ロックに目覚めて明るい性格がもっと明るくなった
・郷ひろみ。追っかけをして、青春時代を過ごし、東京の地理を知りました
・Mr.Children桜井さん。中学の時にあの笑顔にやられました。私も笑顔でいたいと思いました。
・X JAPANのHIDE、LUNA SEAのSUGIZOに憧れてギターを初めた
・尾崎豊さん。学生の頃によく聞いていてライブも行きました。生き方が素晴らしく人生観が変わりましたね。
・小学生の時にX JAPANが好きになり歌詞の英語の意味をわかるようになりたくて元々習っていた英語を頑張って学んだ。
・藤井フミヤに、似てると言われて意識した。
・綾小路翔。自分と世界を肯定する気持ちを教えてくれた。
・松山千春さんの歌に生きる勇気を与えられました
・音楽好きになれたのは、 クイーンのフレディマーキュリーがいたから。
・浜田省吾に憧れ、サングラスに革ジャン、ジーパン。コピーバンドまで組んだ
・accessとゆう音楽ユニットを好きになり、ライブスタッフをやりたいと思いました。学生時代は、どうしたら良いか分からず諦めましたが、今はアイドルのカメラマンしてます。
・GLAY。はじめて好きになったミュージシャンで、それから聴く音楽に影響を受けた。
・松本隆さんの歌詞に憧れて、作詞という趣味を得ました。
・EXILE。つらい時もATSUSHIの歌声をきいて何度も元気をもらえたから
・メタリカのラーズ。自分でコントロールできないことでくよくよ悩むのはやめた、という彼の名言はずっと心の中にあります。
・ゆず。初ライブでとても感動。ゆずの歌にたすけられたこともたくさん。20年以上のファンです!
・UVERworldのTAKUYA∞さんに影響され毎日10Km走っています
・WANDS、こういう歌手になりたいと決めて、バンド始めました。
・矢沢永吉さんどんな人に対しても謙虚さを持って接している。仕事上で取り入れいてます。
・高校時代に堂本剛さんにどハマりして髪型やファッションを真似しまくり。カラオケでも彼のソロ曲やKinKi Kidsの曲を歌いまくっていました。今ではそれも青春の思い出。
・手越祐也さんのポジティブ精神と明るさが、根暗の自分をすこし前向きにしてくれたら 
・アンティーク西洋骨董品店というドラマのタッキーに憧れて料理人になった
・L'Arc~en~Ciel、HYDE様。29年前に初めて小さなLIVE会場で、まだメジャーデビューしていないL'Arc~en~Cielを見て?綺麗な女の子だなぁ?と思ってたら歌声は男性。しかも美しくて一瞬で恋に落ちました。今も大好きでHYDE様になりたくてメイクや歌を真似てます。 
・SixTONES彼らのエピソードは綺麗な話ばかりじゃないし、ジャニーズでなかなかデビューにくさったり辞めようとしたこともあったけど、何年もかけてとてもいいグループになって一人一人のグループへの思い入れとかメンバーへの思いとかを聞いてると感動する。
・BTS彼らのようになりたい…!考え方や生き方を見て、努力が必要だと改めて感じました。ファッションやメイク等も参考にしています!!!BTSや彼らの音楽のおかげで色々変わりました。
・嵐。彼氏が櫻井翔にそっくりでファンクラブに入った。彼と一緒に応援してたけど分かれてしまい、寂しさを埋めてくれたのも嵐。嵐のお陰で友達も増え、行ったことのない場所にコンサート=旅行に行き、本当に楽しかった。
<男性俳優>
・小栗旬。仕草や喋り方
・ジャッキーチェン。映画での服装を真似していた。 
・高倉健に憧れて無口になる努力をしたもののだめでした。 
・石原裕次郎の生き様!
・映画トラック野郎の菅原文太さんをみて今の職業についた。
・菅田将暉さんが役のために10キロ体重落としたこと
・舘ひろしが好きで、スーツの色味とかは参考にしました 
<男性タレント・芸人・ユーチューバー>
・松本人志。幼い頃に母親を亡くし、ふさぎ込んでいた中、発想ひとつで世の中がこんなに面白くなるという事を笑いをもって教えてくれたから
・占い師のしいたけさんとゲッターズ飯田さん。どん底の時に当たってたので、自然と2人の占いは見てしまいます!…しかもやはり当たっています!
・明石家さんまさんの常に前向き、楽しい人生を送っている姿はすごいと思います。
・IKKOさんをTVで知ってからますます美容が好きになりました。
・父の影響で立川談志の落語を聞き続け、今ではすっかり、口の悪い(?)オトナになりました
・松岡修造さん。最初は動画サイトでMADにされているのを見て笑っていましたが、前向きな言葉の数々に励まされいつのまにか大ファンになっていました。
・アンタッチャブルのザキヤマさんが、どんなに嫌な仕事でも、人でも誰かにそのあとそのことを楽しく話したら、人に楽しんでもらえたら、嫌じゃ無くなる。楽しいことになるという、気持ちの切り替え方に目から鱗だった。
・レペゼン地球のDJ社長の動画に胸を打たれて恐れずに行動しようとおもいました 
・水溜りボンドのカンタYouTuberなんて普段馬鹿にされる職業だけど、企画・準備・出演・編集を毎日こなしてる姿に憧れを持ったしかもイベント出演もあるからどんだけ忙しいんだろって思う私もそうやって頑張れる人になりたいって心の底から思った
<男性アスリート>
・新庄剛志さんに影響をすごく受けました。私は料理人ですが、味だけでなく、会話や接客いろいろ道は違えど学びました。
・イチロー氏です。現役の時にコツコツ1人で努力し続けて、病気、怪我をせずにヒットを打って記録を作って行った事が凄いと思いました。努力し続ければ必ず良い事があると影響されました。
・三浦知良選手。年齢など関係ないと証明してくれているから
・内藤哲也のかっこいい体つきをみて、自分のだらしない体を変えたいと本気で思った 
・初代タイガーマスク当時は小学生でイジメられてた時期にタイガーマスクを見て自分も強くなりたいと思い何とかイジメを克服出来た。
・元プロ野球選手(広島東洋カープ)の前田智徳さん。怪我やチーム事情から来る逆境に負けず高い向上心を持ってプレーしており、自分が今何をすべきかを常に考える大切さを教わった。
・サッカー選手だったアルベルティーニ。中1からずっと好きで海外に憧れを持ち現在の旦那は外国人
・中田英寿。野菜を食べなくても問題ないと気付けた
<男性作家・芸術家>
・村上春樹さん。一流の人はアスリートに限らず心身を保つためにストイックな努力をするものだと感銘を受けた。それまで作家は退廃的なイメージがあったので。
・宮沢賢治さん。文学作品にも反映されてると思いますが、優しく生真面目な人となりが目標とする人物像になっています。
・作家の中島らも。高校生の時にたまたま出会った1冊の本から、進路が決まって色んな出会いや経験があった。今は亡き方だが自分の一部を作ってくれた大事な方。
・作曲家のすぎやまこういち氏。これまでに書いたオーケストラ曲は全て彼の曲に少しでも近付きたいという想いで制作してきました。
・五木寛之の青春の門を読んで主人公がやったボクシング部に実際入ることになった
・みうらじゅんさんの自由な生き方に少し影響を受けました。同郷ということもあるかも知れません。
・中学生の頃、福岡でサルバドール・ダリの展覧会があり、感動したことから、その後美術系の大学に行くことになりました。
・有名人というか、画家。小学生の頃に図書館でピカソの図鑑を読んだ時に、基礎のデッサンがしっかりしているから大きく崩しても1つ1つのパーツや全体的なバランスが良いのだと感じた。また、それに至るプロセスを含めてアートを感じた。(それまでは私の中でピカソといえばヘタウマ系なイメージだった)あの衝撃以来、どんな事でも始めのうちに人一倍しっかりと基礎をやるようになった。基礎で飽きるものも多いけど、応用できたり上達を実感できるようになると自信が持てる。仕事では始めは物覚えが悪いと言われるけど、数年後には応用が効くので頼られたりする事も増えて楽しくなった。全部ピカソのおかげです。
<文化人・起業家(男性)>
・スティーブ・ジョブズ。彼のスピーチは衝撃だった
・美輪明宏さんの言葉に救われた。 
・池上彰さん。子供の時からNHKアナウンサー時代��らのファン。著書も沢山持ってるし、人となりが大好き。
・三木谷浩史さん。裸一貫で楽天を作られた。私が一番尊敬し起業家として目標にしている方です。
・ホリエモンの著書は色んなことをスタートしていくにあたりイイ刺激になる 
<政治家・歴史上の人物(男性)>
・毛利元就。天下をのぞまなかったこと
・野口英世。初めて読んだ伝記本が、野口英世の本だった。ハンデを背負っても、世の為に献身した姿は、今でも印象に残っている。
・ウルグアイのムヒカ元大統領です。貧乏とは、少ししかものを持っていないのではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しないと言う豊かさを履き違えた考え方に改めてハッとさせられた
・南アフリカのマンデラ元大統領の生き方に感銘受けて、全てが真似出来るわけではないですが日々実践の中で問題を乗り越え人生が変わり続けています
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<女性アイドル・歌手・ミュージシャン>
・人生に迷ってる時に安室奈美恵さんのライブDVDを観て、自分のやりたい事やろう!って思えた事。
・浜崎あゆみ。小学生のわたしにとって、流行りのものを身につけて、人気のあるギャルは魅力的だった。 
・倖田來未さん。セクシーでカッコいい、いつまでも憧れ。
・平手友梨奈さん。子育てにおわれて、自分のことは全て後回しにしていたけれど、平手友梨奈さんを知ってからは子どもと一緒に趣味を楽しんだり、おしゃれを楽しんだりするようになった。 
・BoAちゃん!14歳で異国の地日本でデビューして通訳も付けず言葉も分からない国で頑張って来たところです。すごく努力家なところを尊敬します。
・元NMB48の渡辺美優紀ちゃん。私のひとつ年上だけど私もこの人みたいに可愛くなりたいと思うようになった当時はこの人が髪を切れば真似したりして、本当に憧れていた 
・マドンナ。当時はあのバイタリティーに感動してパワーを貰いました。現在だとレディ・ガガです。
・小学生の時にモーニング娘。を見て聴いて、歌手になりたいと思いました
・TWICEのツウィ。美しすぎて自分もこうなりたいと思った
・高橋みなみさんに、努力すれば報われる。どんなに努力しても報われることがなかったのにと、思ったけど、前向きにもう一度やり直そうと思えるようになって、病院を克服できた
・松田聖子さん。当時はマジぶりっ子になってました。
・島袋寛子さん。当時小学生でSPEEDをやられていて、アイドルになるのに、歌手になるのに、年齢関係ないんだと実感させられた
・ももいろクローバーZ。この子達にいつもパワーもらってます。
・ドリカム吉田美和さんのように歌がうまくなりたくて、練習していたことがあった
・岡村孝子の歌に励まされている
・ZARDの坂井泉水さんです。同性として彼女に心から憧れ、作詞を始めた10代の頃を思い出します。泉水さまは永遠です!
・須田あかりさん。若いのに、すごくしっかりしていてポジティブで。私はアラフィフのおばさんですが。この須田さんの明るい性格、生き方、全てを見習わせて頂きたい気持ちになりました。
・高田美和さん。離婚時に、結婚していた時マスコミに幸せ一杯と表現していたが全て嘘でこの指輪も買ってもらったのではなく自分で買ったものだと言ったのを聞き、人を羨むことを全くしなくなった。
・歌のお姉さんをされていた茂森あゆみさん。小さい頃からみていて、あんなふうに歌ったり踊ったりしたいと思って、真似をした。高校生になって、マーチングをして、カラーガードに挑戦。踊ったりするのが楽しかったし、小さい頃にこんな思いをしたから、挑戦したのだと思ったから。いまでも踊ったり、歌ったりするのが大好きです。 
<女優>
・バブルの時期、浅野ゆう子のファッションに影響された
・ドクターXの大門未知子役の米倉涼子さん!カッコイイと思った。
・樹木希林さんのものの捉え方を知り、人生は何事も自分の受け止め方次第で変わるのだと感銘を受けました。
・菜々緒の美意識がすごい
・石原さとみの服装を真似している
・夏木マリ。あんな素敵な女性になりたいと、将来の準備を始められたから
・子育てを頑張っている辻さん。全然年下だけど尊敬します。
・エースをねらえのドラマ 上戸彩を見てテニス部に入部した。 
・紗栄子さん。はっきり言うのと自分の芯をしっかりもってぶれないから。 
・20年少し前に藤原紀香の髪型が流行った時、私もマネして紀香カットにしてました笑
・永作博美さんが好きなので甘酒の豆乳わりを飲まれてるのを知ってわたしも飲むようになりました。 
・綾瀬はるかさんみたいなスタイルになりたくて常に姿勢を気にしている
・エマ・ワトソン。ジェンダーについて考えるようになりました!
・井川遥さん。結婚してどんどんきれいになって、そんな風になりたいと思った。
・細川直美さん。ブログを通して同年代で憧れる生活をしているから。
・仲間由紀恵さんです。小さいときからすきで、黒髪きれいで似合うようにしたいと思いすきになりました。綺麗すぎます。
・江角マキコ。朝一番、家族が起きてくる前に雑巾がけをする(掃除機を使わず)と気持ちがいいと答えていた雑誌のインタビュー記事を見て、素敵やなと思い、私も頑張ってみよう!と影響受けました。
・はじめてPopteenという雑誌を勝ったときにみちょぱをみてこんな風になりたいと思って今まで興味のなかったメイクや服を勉強したり努力した。
・中谷美紀の、アイドルから実力派女���らの転身に影響を受けました。人は努力すればイメージまで完全にかわれるのだな。と。 
・武田久美子さんが女性が美しくいることの大切さを話していて、自信になりました。
・野沢雅子さん。声優学校でお会いして、役者は人柄も大事だと痛感。
   <女性タレント・モデル・芸人・アナウンサー>
・黒柳徹子。年齢に関係なく楽しく生きる。
・久本雅美さん。人にどう見られるかより自分がどうあるべきかとの言葉が心にひびきました。
・大久保佳代子さん。結婚したいとか彼氏が欲しいとかじゃなくて遊び相手が欲しい
・叶恭子さんの言葉は自己否定に陥っているとき凄く励まされる 
・ギャル曽根の食べ方が綺麗で、真似しようと思った。 ・当時愛読していたSEVENTEENのモデルさんだった北川景子ちゃん。あまりの可愛さに携帯に画像を大量に保存して、SEVENTEENの特集が組まれるたびに読み込み、北川景子ちゃんのおかげでメイクをやるようになったから。 ・嫌なことをされても「私はしない」と言ったローラのセリフ。相手を攻めそうになったり、陰口を言いそうになっても、口に出さなければ、いずれ透明になっていく。だから言うな!と言った、誰だか忘れたけど芸人さんのお父さんのセリフ。会社で毎日思い出してます!! 
・服飾デザイナーの勉強しています時にファッション雑誌、ファッションショーなどでトップモデル山口小夜子に出会いました。美しい小夜子さんに魅了されまして目にアイラインを入れたり今現在も変わりません。そして何より山口に自分の姓が変わった事が嬉しいです。
・田中みな実さん水を3リットル飲むと言っていたのを聞き、頑張ることに。ただ私は小さい時からジュースや牛乳ばかり飲んでいたので水どころかお茶も嫌いでしたが、意地で水を飲み続けた結果、今では1日1リットルは飲むようになりました!3リットルは厳しいですが2リットル飲めるように毎日奮闘中です!
<女性アスリート>
・マラソンの福士加代子さん!どんなときも笑顔で自分のスタイルをつらぬいて話すことができる!裏表がなさそう!見るからに元気そうで元気をもらえる! ・趣味でランニングを始めましたが、高橋尚子(Qちゃん)がオリンピックでのゴールした時笑顔とインタビューでの内容が印象になりました始めました。
<作家・文化人・歴史上の人物など(女性)>
・瀬戸内寂聴さんは紆余曲折な人生だけど、人間らしくて、言葉に説得力を感じる。自分の気持ちに素直で嘘がないし、嫌味もない。そんな人が言うことは今の感覚とズレてると感じてても説得力がある。
・キュリー夫人の伝記を読んで、理系に進んだ。が、頭が悪いことに気がつくのが遅かった。 
・大平光代さんの「だからあなたも生きぬいて」を数十年前に読ませて頂いた時人間どん底にいても自分の頑張り次第で周りにも恵まれるきっかけを作る事ができると教わりました上を見たら上がいて下を覗いたら下がいてが自身の座右の銘になり自分が変わらなければと奮起してます
・宇宙飛行士の向井千秋さん。色んなことにチャレンジしているし、旦那さんが「君についていこう」という本を出すくらいサポートしていることに驚いた。こうゆう生き方があるんだと励みになった。 ・三浦綾子。本を読んでキリスト教徒に感動した。
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<架空の人物>
・諦めたらそこで試合終了だよ 安西監督!
・金八先生に憧れて、先生を目指した。結局なれなかったけど…
・有名人というか、幼少期に見た「トムとジェリー」。子供のころ、小さくても頭を使ってトムをやっつけるジェリーみたいに生きなければとすりこまれてしまったのかもしれません。大人になると、トムのような生き方をしてる人が案外好かれることに最近気付いて、あの頃はジェリーこそが正義と思い込んでたのはなんだったんだろうと思い返しています。
全体的に歌手やアーティストが多い傾向となりました。また、世間での好感度が低めな人でも、憧れている人はちゃんといるということがわかりましたね。あなたの憧れの有名人は言及されていましたか?
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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ari0921 · 4 years
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
 中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
A.基本戦略・任務・手段
A-1.基本戦略
 我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。
A-2.解放工作組の任務
 日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
 ハ.日本人民民主共和国の樹立 ・・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)
 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第口項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。
A-3.任務達成の手段
 本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。即ち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使喉者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、全て対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
 駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
 これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する
 「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
 との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。
 この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
 第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来���」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高まらせることである。
 我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
 スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
 全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設し、教師を無報酬で派遣する。
 教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
 中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。
 申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。
 しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加していくものである。
C.委員会開設。
 「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
 尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
 偉大なる毛主席は
 「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
 と教えている。
 田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。
 日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
 新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。
 雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
B.「民主連合政府」について。
 「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。
 「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。
 「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
 本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
 これは否定すべきであるか? もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
 「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形の否定が望ましい。
C.強調せしむべき論調の方向
① 大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
② 朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
③ 政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべきである。  大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
④ 人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
 具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
 前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさせる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せしめる。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せねばならない。
 特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議すると共に、出版社主、編集責任者、著者を告訴して根絶を期すべきである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」として、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言う。
 彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなして接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
 日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである。
 1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。
 しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するに留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この2点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となることは明らかである。
 自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産���級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
 本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
 共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作でなければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
 下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。 ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」���は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
 金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
 敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
 上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
 但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむるよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ旅行せしめねばならない。
 自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
 自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。
 これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
 従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
 自民党内派閥の対立を激化せしめる。
① 自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。
 今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。
② 派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。
 政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDへ、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄もない。
③ 先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
① 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
② 日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
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nemosynth · 5 years
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に��きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、���産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であっ��。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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tomoya-jinguuji · 6 years
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2018年10月4日、ハドソン研究所の中国政府政策に関するマイク・ペンス大統領の発言: Kenさん、ありがとうございました。理事会のメンバー、マイケル・ピルスベリー博士、私たちの著名なゲスト、そしてあなたの使命に真実である皆に、「未来の方法で未来を考えてください」 - ハドソン研究所。 この研究所は、半世紀以上にわたり、「世界の安全保障、繁栄、自由の育成」に専念してきました。ハドソンの故郷は長年変化してきましたが、常に変わったことはありませんでした。リーダーシップは道を灯します。 そして、今日、私は米国内のリーダーシップのチャンピオンである内外の第45代アメリカ大統領、ドナルド・トランプ大統領から挨拶をします。 この政権の早い段階から、トランプ大統領は中国と大統領のXiとの関係を優先させました。昨年4月6日、トランプ大統領は西大統領をマル・ア・ラーゴに迎え入れました。去年の11月8日、トランプ大統領は中国の指導者が暖かく歓迎した北京を訪れました。 過去2年間に、大統領は中華人民共和国の大統領との強い個人的関係を築き、共通の関心事、最も重要なのは朝鮮半島の非核化問題について緊密に協力してきました... しかし、アメリカ人が知っておかなければならないので、私はあなたの前に来ます...私たちが話すように、北京は政治的、経済的、軍事的ツールやプロパガンダを使って影響力を高め、米国の利益。 中国はまた、これまで以上に積極的な方法でこの権力を適用し、影響力を行使し、我が国の国内政策と政治を妨害している。 私たちの政権下では、長い間アメリカの指導者たちが主導してきた原則や政策を適用して、アメリカの指導力をもって中国に対応するための決定的な行動を取った。 トランプ大統領が昨年12月に発表した「国家安全保障戦略」では、彼は「偉大な権力競争」の新たな時代を語った。外国は、「地域的かつ世界的にその影響力を再確認し始めている」と彼らは「アメリカの地政学的利点国際秩序を変えようとしている」と述べた。 この戦略では、トランプ大統領は、米国が中国に対して新しいアプローチを採用したことを明確にした。私たちは、公平、相互主義、主権の尊重に基づいた関係を追求し、その目標を達成するために強力かつ迅速な行動を取ってきました。 大統領が昨年中国訪問の際に言ったように、「両国の関係を強化し、市民の生活を改善する機会があります」と述べました。将来のビジョンは、過去の最高の部分に基づいています。アメリカと中国は開かれた友好の精神でお互いに出会いました... 私たちの若い国家は、革新的な戦争の後、輸出のための新しい市場のために探索したとき、中国人は朝鮮人参と毛皮を積んだアメリカ人の貿易業者を歓迎した... 中国がいわゆる「屈辱の世紀」の間に侮辱と搾取で苦しんだ時、アメリカは加盟を拒否し、「開放扉」政策を提唱し、中国と自由貿易を行い、主権を守ることができた。 アメリカの宣教師が中国の海岸に良い知らせをもたらしたとき、彼らは古くて活気のある人々の豊かな文化に動かされ、信仰を広めるだけでなく、彼らはまた、いくつかの中国初の優秀な大学を設立しました... 第二次世界大戦が始まったとき、私たちは帝国主義との闘いにおいて同盟国として立ち上がりました...そしてその戦争の余波の中で、アメリカは中国が国連の憲章の一員となり、戦後の世界の偉大なシェイパーになることを確実にしました。 しかし、1949年に権力を掌握した直後、中国共産党は権威主義的な膨張主義を追求し始めた。私たちの国々が一緒に戦ってからわずか5年後、私たちはお互いに戦い、山々と朝鮮半島の谷間で戦った。私の父は自由の最前線で戦いを見た。 残忍な朝鮮戦争でさえ、私たちが長い間一緒に結ばれてきた絆を取り戻すという、私たちの相互の希望を弱めることはできません。中国の米国からの疎遠は1972年に終わり、すぐに我々は外交関係を再確立し、両国の経済を互いに開放し始め、アメリカの大学は新世代の中国の技術者、ビジネスリーダー、学者、職員の訓練を開始した。 ソ連の崩壊後、私たちは自由な中国が避けられないと仮定しました。楽観主義をもって、アメリカは21世紀に入り、北京に経済開放を与え、中国を世界貿易機関に連れて行くことに合意した。 これまでの政権は、中国における自由が、古典的自由主義、私有財産、宗教上の自由、そして人権の全家族のために新たな敬意を払って、経済的ではなく政治的にすべての形で拡大することを期待してこの選択をしました。希望は満たされていません。 自由の夢は、中国人にとっては遠いです。そして、北京はまだ「改革と開放」にリップサービスを支払っているが、鄧小平の有名な政策は中空になっている。 過去17年間、中国のGDPは9倍になった。それは世界で2番目に大きな経済となっています。この成功の大部分はアメリカの中国への投資によってもたらされました。また、中国共産党は、関税、割当、通貨操作、強制的な技術移転、知的財産窃盗、およびキャンディーのような業種補助金を含む、自由かつ公平な貿易と矛盾する政策の武器も使用している。これらの政策は、競争相手、特にアメリカを犠牲にして、北京の製造拠点を建設した。 中国の行動は、昨年の3,750億ドルに達した米国との貿易赤字に貢献しました。これは世界的な貿易赤字のほぼ半分です。トランプ大統領が今週ちょうど言ったように、私たちは過去25年間に "中国を再建しました"。 現在、「Made in China 2025」計画を通じて、共産党は、ロボット工学、バイオテクノロジー、人工知能など、世界で最も先進的な産業の90%を管理することを目指しています。北京は、21世紀の経済の高台に勝つために、官僚や企業に、経済的リーダーシップの基礎であるアメリカの知的財産を必要な手段で入手するよう指示しました。 北京では現在、多くのアメリカ企業が営業秘密を中国で事業を行うコストとして引き渡す必要があります。また、アメリカ企業の買収を調整し、スポンサーにして、その創造物の所有権を獲得する。最悪の場合、中国のセキュリティ機関は、最先端の軍事計画を含む米国の技術の卸売盗難を支配してきた。 そして、その盗難された技術を使って、中国共産党は巨大な規模で鋤を剣に変えています... 中国は現在、他のアジア諸国と同じくらい軍事力を兼ね備えており、北京は、陸上、海上、空中、宇宙での軍事的優位性を侵食する能力を優先させている。中国は、米国を西太平洋から追い出し、私たちが同盟国の援助を受けないようにすることを望んでいる。 北京はかつてないほどの力を使っている。中国の船舶は、日本が管轄する尖閣諸島周辺を日常的に巡回している。そして、中国の指導者は2015年にホワイトハウスのローズガーデンに立っていたが、彼の国は「南シナ海を軍事化するつもりはない」と述べ、今日北京では、人工島に建設された軍事基地。 中国海軍の船舶が南シナ海の航行の自由を掌握し、衝突を避けるために船を速やかに操縦するようにしたため、中国海軍の船舶はUSSディケーターの45ヤード以内に到着した。このような無謀な嫌がらせにもかかわらず、米国海軍は、国際法が許し、国益が要求するところであれば、飛行、帆走、運航を続けます。我々は威圧されません。私たちは立ち止まりません。 アメリカは、経済自由化が中国を私たちと世界とより大きなパートナーシップにつなげることを望んでいました。代わりに、中国は経済的な侵略を選択しており、それは成長する軍隊を大胆に拡大している。 私たちが望むように、北京は国民のより大きな自由のために移動していません。しばらくの間、北京はより大きな自由と人権の尊重に向けて近づいてきたが、近年は統制と抑圧に向けて急激なUターンを取っている。 今日、中国は比類のないサーベイランス国家を築いてきており、しばしば米国の技術の助けを借りて、より広範で侵入的なものになっています。「中国の偉大なファイアウォール」も同様に高くなり、中国人への情報の自由な流れを大幅に制限しています。そして、2020年までに、中国の支配者は、人生のあらゆる側面、いわゆるソーシャル・クレジット・スコアをコントロールすることを前提としたオーウェルのシステムを導入することを目指している。そのプログラムの公式の青写真の言葉で、「信頼できるものはどこにでも天下で、不信任者が一歩を踏み出すのを難しくしている」 宗教上の自由になると、中国のキリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒たちに新たな迫害が波及しています... 先月、北京は中国最大の地下教会の一つを閉鎖した。全国的に、当局は十字架を裂き、聖書を燃やし、信者を投獄している。そして、北京は現在、無神論者である共産党にカトリック司教の任命に直接的な役割を果たすバチカンとの契約に達している。中国のクリスチャンにとって、これは絶望的な時です。 北京はまた、仏教を解明している。過去10年間で、150人以上のチベットの仏教徒の修道士が中国の信念と文化の鎮圧に抗議するために火をつけた。そして、新疆では、共産党は、真実の洗脳に耐える政府のキャンプに100万人ものイスラム教徒ウイグル人を投獄している。キャンプの生存者たちは、ウイグルの文化を絞め殺し、イスラム教徒の信仰を打ち消すための北京の意図的な試みとしての彼らの経験を述べている。 しかし、歴史が証明しているように、自国の人々を圧迫する国は、ほとんどそこで止まりません。北京はまた、より広い世界にその範囲を広げることを目指しています。ハドソン自身のマイケル・ピルスベリー博士は、「中国政府は米国政府の行動と目標に反対している。確かに、中国は、北京の平和的あるいは生産的な意図に反する米国の同盟国や敵国との独自の関係を構築している。 中国はその影響力を拡大するためにいわゆる「債務外交」を利用しています。今日、アジアからアフリカ、ラテンアメリカへのヨーロッパへの政府へのインフラローンは何十億ドルも提供しています。しかし、これらの融資の条件は、最高で不透明であり、利点は北京に圧倒的に流れる。 スリランカに質問してください。スリランカは、中国の国営企業が疑わしい商業的価値を持つ港を建てるために大規模な借金をしました。2年前、その国は支払いを余裕することができなくなりました。そのため、北京はスリランカに新しい港を直接中国の手に渡すよう圧力をかけました。間もなく、中国の青海海軍育成のための軍事基地になるだろう。 私たち自身の半球の中で、北京は、ベネズエラの腐敗した無能なマドゥロ体制に生命線を広げ、石油で返済できる疑いのあるローンに50億ドルを誓約しました。中国はその国の最大の債権者でもあり、ベネズエラの人々に500億ドル以上の負債を抱かせている。北京はまた、中国の戦略目標を達成することを約束した当事者と候補者に直接的な支援を提供することによって、いくつかの国の政治を腐敗させている... 昨年から、中国共産党は中南米3カ国に台北との関係を断ち、北京を認識させるように説得した。これらの行動は台湾海峡の安定を脅かす - 米国はこれらの行動を非難する。私たちの政権は、3つの共同声明と台湾関係法に反映されているように、中国の政策を尊重し続ける一方で、台湾の民主主義の抱擁は、中国全土にとってより良い道を示すと常に考えています。 これらは、中国が強固で洗練された戦略的利益を世界に広げようとしている方法のほんの一部に過ぎません。しかし、これまでの政権はすべて中国の行動を無視していました。多くの場合、彼らはそれらを虐待しました。しかし、その日は終わりです。 トランプ大統領のリーダーシップのもとでは、米国は、新たなアメリカの強みで利益を守っています... 私たちは世界の歴史のなかでも最も強力な軍隊をより強くしています。今年の初めに、大統領はロナルド・レーガンの時代から国防の最大の増加を法律に署名しました。これは716億ドルですべての分野で軍事優位を拡大しています。 我々は核兵器を近代化しており、最先端の戦闘機と爆撃機を擁護し開発しており、新しい世代の航空宇宙船と軍艦を建設しており、かつてないほど武装勢力に投資している。これには、宇宙における継続的な支配を確保するために米国宇宙軍を設立するプロセスを開始すること、ならびに敵対者に対する抑止力を構築するためのサイバー世界における能力の向上を認めることが含まれる。 また、トランプ大統領の指示に基づき、中国製品に2500億ドルの関税を課すとともに、北京が獲得し管理しようとしている先進工業を対象とした最高関税を適用している。また、大統領は、公平かつ相反する取引が行われない限り、さらに多くの関税を課し、実質的にその数を倍増させる可能性を明らかにした。 私たちの行動は大きな影響を与えました。中国最大の証券取引所は今年初めの9カ月間で25%減少した。これは、政権が北京の貿易実務に立っていたためである。 トランプ大統領が明らかにしたように、我々は中国の市場が苦しむことを望んでいません。実際には、彼らは繁栄してほしいです。しかし、米国は自由で公平で相互に貿易政策を追求したいと考えている。 悲しいことに、中国の支配者は、これまでのところその道を踏み出すことを拒否しています。アメリカ国民は、トランプ大統領が強い立場を取ったことに対応して、大統領、議題、国民の最も大切な理念に対する支持を損なうための包括的かつ調整されたキャンペーンを推進していることを知る必要があります。 私は中国の行動について知っていることを今日あなたにお伝えしたいと思います。そのうちのいくつかは情報査定から集められており、その一部は一般に公開されています。しかし、すべてが事実です。 私が前に言ったように、北京は影響力を高め利益を上げるために全政府アプローチを採用しています。それは、米国の国内政策と政治に干渉するより積極的かつ強制的な方法でこの力を採用しています。 中国共産党は、アメリカ企業、映画スタジオ、大学、シンクタンク、学者、ジャーナリスト、地方、州、連邦当局者に報いるか強制する。 最悪の場合、中国はアメリカの世論、2018年の選挙、そして2020年の大統領選挙につながる環境に影響を与える前例のない努力を始めた。 それを鈍くするために、トランプ大統領のリーダーシップは働いています。中国は異なるアメリカ大統領を望んでいる。 中国はアメリカの民主主義に干渉している。ちょうど先週、トランプ大統領が言ったように、我々は「中国が2018年の中期選挙に干渉しようとしていることが分かった」 諜報機関は、「中国は米国の州政府と地方自治体および関係者を対象に、連邦政府と地方政府の間のあらゆる部門を政策に活用しようとしている。これは、北京の政治的影響を促進するために、貿易関税のようなくさび問題を利用している」 6月に、北京は戦略を策定した「宣伝と検閲」と題する敏感な文書を回覧した。米国は、中国が「正確かつ慎重に違反し、異なる国内グループを分割する」必要があると述べている。 その目的のために、北京は、アメリカ人の中国政策に対する認識を転換するために、��密俳優、前部グループ、宣伝アウトレットを動員した。諜報機関のシニアキャリアメンバーが最近、中国がこの国全体で行っていることと比べて、ロシア人が何をしているのか、私に語った。 中国の高官はまた、中国での事業を維持したいという欲求を利用して、貿易行動を非難するためにビジネスリーダーに影響を与えようとしている。最近のある例では、米国の大手企業の事業免許を否定すると脅迫しました。 また、中間に影響を与えることについては、我々の対応に応じて北京の関税を見るだけでよい。彼らは具体的には、2018年の選挙において重要な役割を果たす産業と州を対象とした。1つの見積もりでは、中国をターゲットとする米国郡の80%以上が2016年にトランプ大統領に投票しました。現在、中国はこれらの有権者を我々の政権に向かわせたいと考えている。 中国はアメリカの有権者にも魅力的です。先週、中国政府は、デモイン登録簿に複数の補足物を挿入するために支払った - 中国大使の故国の記録紙であり、2018年の重要な州である。私たちの貿易政策は、アイオワンにとって無謀で有害です。 幸いにも、アメリカ人はそれを購入していません。例:アメリカの農家はこの大統領と立っており、今週の米メキシコ - カナダ合意を含め、米国の製品に北アメリカ市場を実質的に開いたことを含め、彼が取った強力な立場からの本当の結果を見ています。アメリカの農家と製造業者。 しかし、中国の行動は、私たちの政策や政治に影響を及ぼすだけではない。北京はまた、経済的レバレッジと中国の大きな国内市場の魅力を利用して、アメリカ企業への影響力を高めるための措置を講じる。 北京は現在、企業内で「党組織」を設立し、共産党に雇用と投資の決定に声を掛け、おそらく拒否権を与えるよう、中国で活動する米国の合弁企業を必要としている。 中国当局はまた、台湾を別個の地理的実体として描写している米国企業や、チベットに関する中国の政策から逸脱している米国企業を脅かしている。北京はウェブサイト上で台湾を「中国の省」と呼んでいないことを公に謝罪するよう、デルタ航空に強要した。また、チベットについてのつぶやきを好きな米国の従業員を解雇するようにマリオットに要請した。 北京は、ハリウッドが中国を厳しく肯定的な立場に置いていることを日常的に要求し、そうでないスタジオやプロデューサーを罰する。北京の検閲官は、中国を批判する映画を編集するのは簡単ではない。「第二次世界大戦」は、中国起源のウイルスの脚本を削除しなければならなかった。「レッド・ドーン」は、悪人を中国人ではなく北朝鮮にするためにデジタル編集された。 ビジネス以外にも、中国共産党は、米国やその他の国々の宣伝アウトレットに何十億ドルも費やしています。 中国ラジオ・インターナショナルは現在、北米に優しいプログラミングを30以上の米国のアウトレットに放送しています。中国のグローバル・テレビジョン・ネットワークは、7500万人以上のアメリカ人に届いています。そして、それは共産党の巨匠たちから直接行進命令を受け取ります。中国の最高指導者がネットワークの本部を訪れている間、「党と政府が運営するメディアは宣伝の前身であり、党を姓として持たなければならない」 だから、先月、司法省はそのネットワークに外国人代理人として登録するよう命じたのです。 共産党はまた、深く憂慮しているアメリカのジャーナリストの中国家族を脅し、拘束している。そして、それは米国のメディア組織のウェブサイトをブロックし、私たちのジャーナリストがビザを取得することをより困難にしました。これは、ニューヨークタイムズ紙が一部の中国の指導者の富についての調査報告を発表した後に起こった。 しかし、中国共産党が検閲の文化を育てようとする唯一の場所ではない。学者も同じです。 中国の学生や奨学生団体は、アメリカのキャンパスに150以上の支店があります。これらのグループは、米国で勉強している430,000人以上の中国人の社会的行事を組織するのに役立ちます。中国人学生やアメリカの学校が共産党から逸脱すると、中国の領事館や大使館に警告する。 メリーランド大学では、中国の学生が最近、アメリカで「新鮮な言論の自由」という卒業式で講演しました。中国共産党の公式新聞が速やかに彼女を罵倒し、中国の厳しく管理されたソーシャルメディアに対する暴動の犠牲者となり、家族の家に嫌がらせを受けた。大学自体については、中国との交流プログラムが急激に洪水から洪水に変わった。 中国は他の方法でも学問的な圧力をかけている。北京は、共産党が危険または不快に思う考えを避けることを理解して、大学、シンクタンク、学者に寛大な資金を提供している。中国の専門家は、特に、彼らの研究が北京の話し合いの点と矛盾する場合、彼らのビザが遅れたり拒否されることを知っている。 また、ハドソン研究所が直面しているように、中国の資金援助を避ける学者や団体でさえ、その国が対象としています。あなたが北京が好きではないスピーカーを主催するように申し出た後、あなたのウェブサイトは上海を起源とする主要なサイバー攻撃を受けました。中国共産党は今日、アメリカでの学問の自由と言論の自由を損なうように努力していることを、ほとんどの人が知っています。 これらの行為やその他の行為は、アメリカの世論と公共政策をドナルド・トランプ大統領のアメリカン・リーダーシップから逸脱させるための努力を強化している。しかし、中国の支配者への私たちのメッセージはこれです:この大統領は退くことはありません - そして、アメリカの人々は振るわないでしょう。私たちは、北京との関係改善を望んでいるとしても、安全保障と経済のために強い立場を維持していきます。 私たちの政権は、アメリカの利益、アメリカの雇用、アメリカの安全保障を守るために決定的に行動し続けます。 私たちは軍隊を再建するにつれて、引き続きインド洋全域でアメリカの利益を主張します。 中国の貿易慣行に対応するにあたり、我々は、自由で公平で相互的な中国との経済関係を求め続け、北京が貿易障壁を打破し、貿易義務を履行し、経済を全面的に開放するよう要求する私たちを開いた。 我々は、北京が米国の知的財産の盗難を終わらせるまで、引き続き行動を起こし、強制的な技術移転の略奪的慣行を止める... そして、インドからパトナムへの自由かつオープンなビジョンを推進するために、インドからサモアへ、地域全体に価値を共有する国家との新たな強力な債券を構築しています。私たちの関係は、支配ではなく、パートナーシップ上に構築された敬意の精神から流れていくでしょう。 我々は、先週と同様、二国間ベースで新たな貿易取引を鍛造しており、トランプ大統領は韓国との貿易交渉に署名し、日本との歴史的な二国間自由貿易協定の交渉をすぐに開始する。 そして、我々は国際開発金融プログラムを合理化し、中国の債務トラップ外交に対する公正かつ透明な代替案を外国人に与える。そのために、トランプ大統領は、今後のBUILD法の法律への署名を行います。 来月、シンガポールとASEANとAPECのパプアニューギニアで米国を代表することは私の特権です。そこでは、私たちは、自由で開放されたインド太平洋を支えるための新しい措置とプログラムを発表する予定です。そして、大統領を代表して、私はインド太平洋へのアメリカのコミットメントが一度も強くなかったというメッセージを伝えます。 ここで自国の利益を守るために、米国の対外投資委員会であるCFIUSを強化し、北京の略奪行為から国家安全保障を保護するため、中国への中国投資の監視を強化しました。 また、北京の悪影響やアメリカの政治や政策への干渉については、形式にかかわらず、引き続き公開する予定です。そして私たちは国益を守り、理想を大切にしてあらゆるレベルの社会の指導者と共に働きます。アメリカ人は決定的な役割を果たすでしょう - そして、実際には、すでに... 私たちがここに集まるにつれ、アメリカでは新しい合意が生まれています... さらにビジネスリーダーは次の四半期を越えて考えており、知的財産権を譲渡したり、北京の抑圧を煽ったりすることを意味するならば、中国市場に潜入する前に2度考えている。しかし、それ以上のものは従わなければならない。例えば、Googleは、共産党の検閲を強化し、中国の顧客のプライバシーを侵害する「Dragonfly」アプリの開発を直ちに終了する必要があります... より多くのジャーナリストは、恐怖や好意なしに真実を報告し、中国が私たちの社会を妨げている場所を見つけ出すために深く掘り下げており、理由は何か - そして、より多くのアメリカ、グローバルなニュース組織がこの努力に加わることを願っています。 学者の多くは強制的に発言し、学問の自由を防衛しており、より多くの大学やシンクタンクは、すべてのドルに対応する需要があることを認識し、北京の簡単な資金を払拭する勇気を奮っている。私たちはもっと多くの人が彼らの仲間に加わると確信しています。 そしてアメリカ全土では、アメリカとの経済的、戦略的関係を再設定し、最終的にアメリカファーストを務めるという政府の行動に新たな感謝の気持ちを抱いて、アメリカ人は慎重に成長しています。 そして、トランプ大統領のリーダーシップの下で、アメリカはコースにとどまるでしょう。中国は、アメリカ人と両当事者の選出された代表者が解決されたことを知るべきである。 私たちの国家安全保障戦略は、「競争は必ずしも敵意を意味するものではない」と述べています。トランプ大統領が明らかにしたように、我々は繁栄と安全保障が一体となって発展する北京との建設的な関係を望んでいます。北京はこのビジョンからさらに遠ざかっているが、中国の支配者は今も変革を進めることができ、「改革と開放」の精神とより大きな自由に戻ることができる。アメリカ人は何も望みません。中国人はそれほど価値がない。 偉大な中国語の話し手Lu Xunは、しばしば彼の国が「外国人を野蛮人として、あるいは聖人として見ているが、決して平等ではない」と嘆いている。今日、アメリカは中国に手を差し伸べている。私たちは、北京がすぐに、行動ではなく、言葉で、そしてアメリカに対する新たな敬意をもって、すぐに戻ってくれることを願っています。しかし、中国との関係が公平、相互主義、主権尊重に根ざすまで、我々は寛容にはならない。 「人間は現在しか見ることはできませんが、天は未来が見えます」と伝える古代中国の諺があります。私たちが進むにつれて、解決と信仰によって平和と繁栄の未来を追求しましょう... トランプ大統領のリーダーシップと彼が中国大統領と偽造した関係における信仰 アメリカ人と中国人の永続的な友情の信仰 天が未来を見ているという信仰、そして神の恵みによって、アメリカと中国はその未来を一緒に満たすでしょう。 ありがとうございました。神のお恵みがありますように。そして、神はアメリカを祝福します。
マイク・ペンス副大統領の中国への行政政策論10月4日
google翻訳による日本語訳。英語原文は、リンク先のページにあります。
しかし、この翻訳は通常のgoogle翻訳と違い、かなり正確。
日本人向けに意図的に翻訳されている様に感じる。
これが何を意味するのか。
米国から我が国に向けた、対中華人民共和国への揺るぎない決意表明なのではないだろうか。
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shintani22 · 2 years
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2022年4月11日
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「専守防衛」自民に変更論 敵基地攻撃能力保有で(時事通信)
自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)の11日の会合で、憲法9条に基づく「専守防衛」について、名称や解釈を変更すべきだとの意見が出た。政府が検討を進める「敵基地攻撃能力」保有との絡みで提起された。専守防衛は、武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使するとの原則。
自民 いわゆる「敵基地攻撃能力」保有 政府に求める方針で一致(NHKニュース 4月12日)
自民党は、敵のミサイル発射基地などを破壊する、いわゆる「敵基地攻撃能力」について議論を行い、こうした能力の保有を政府に求める方針で一致し、国民に理解されやすいように名称を変更すべきだという意見が相次ぎました。
政府は、国家安全保障戦略など安全保障関連の3つの文書を年末までに改定する方針で、自民党の安全保障調査会は今月末までに政府への提言をまとめることにしています。
11日の会合では、敵のミサイル発射基地などを破壊する、いわゆる「敵基地攻撃能力」について議論を行い、こうした能力の保有を政府に求める方針で一致しました。
そのうえで、出席した議員からは「敵基地攻撃能力」という名称が、先制攻撃をするような誤解を招き適切でないとして、国民に理解されやすいように名称を変更すべきだという意見が相次ぎました。
具体的には「自衛反撃能力」や「領域外防衛」「ミサイル反撃力」といった名称が提案されたということです。
また、会合では敵のミサイル基地に加えて指揮統制機能なども対象とすべきだという意見や、歴代政権が防衛政策の基本的な方針としてきた「専守防衛」について、解釈や名称の変更を求める意見も出されました。
いわゆる「敵基地攻撃能力」をめぐっては、自民党がおととしまとめた提言で「相手領域内でも弾道ミサイルなどを阻止する能力」という表現を使いましたが定着せず、岸田総理大臣が名称の変更も検討していく考えを示しています。
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業務スーパー創業者が掘り起こす“世界3位”の資源(テレ朝news)
ウクライナ侵攻で浮き彫りとなった日本のエネルギー自給率の問題。その解決のカギは、私たちの足元にありました。
実は日本には、世界3位の資源が眠っているのです。きょうは『未来をここから』プロジェクトの一環として、持続可能な社会に欠かせない地熱エネルギーを取材しました。
■ウクライナ侵攻で迫る危機 日本を救うカギ
(山口豊アナウンサー)「あちこちから蒸気が湧き出していますよね。あそこなんてすごいですね。お湯が柱状になって噴き出しています。町中がご覧のようにこの白い湯気に包まれていますね。」
ここは“地熱の里”と呼ばれる、熊本県小国町の「わいた温泉郷」。
住民たちは湧き上がる温泉や蒸気を古くから暮らしの中で利用してきました。
この自然のエネルギーを活かした地熱発電の開発も進んでいます。そこに―
(沼田昭二さん)「これが地熱発電の掘削のためのタワーです。」
まったくの異業種から地熱発電に挑戦するのは、沼田昭二さん。実は、沼田さんは、全国で960店舗以上を展開する「業務スーパー」の創業者です。経営を長男に引き継ぎ、2016年、地熱発電を行うための新会社を立ち上げました。
Q.このあとどのくらいの深さまで掘るんですか?
(沼田さん)「最長は1kmくらいまで。」
これが掘り当てた井戸です。地熱発電に、十分な量と温度の熱水と蒸気が確認されました。
(沼田さん)「本当にうれしかったですね。8000世帯強くらいは(電力を)賄えると思います。」
地熱発電は、地下深くから、高温の熱水と蒸気を取り出して分離。その蒸気の勢いでタービンを回して発電します。太陽光や風力と違い、天候に左右されない、純国産のクリーンエネルギーです。
Q.どうして「業務スーパー」の創業者である沼田さんが、ここで地熱事業をやっていらっしゃるんですか。
(沼田さん)「ロシアとウクライナの問題がありますけども、資源のない、日本で危険なのは食料の自給率と、エネルギーが止まることなんですね。消費者ですね。そこにリスクがある。」
日本のエネルギー自給率は11.2%、食料自給率も37%と低く、どちらも海外からの輸入に依存しています。沼田さんは、地熱発電で、この2つのリスクを解決したいと言います。
Q.シジミですね。結構育っていますね。
シジミに、東南アジア原産のオニテナガエビ。南国の果物などを熱水で育てるための研究が進められています。
(沼田さん)「“熱水”は地球の恵みなので、それでできるだけ食料自給率を上げたい。ここの面積の数百倍のもの(養殖・栽培)が簡単にできます。」
■解決策は「業務スーパー」の経営哲学
沼田さんが手がける、地熱発電所は再来年4月に運転開始の予定です。
(小国町 渡邊誠次町長)「エネルギーと食料と、しっかりと自立していくような、こういう壮大な計画もお持ちだということでございますので、非常にありがたいと思っております。」
火山国である日本には、世界で3位という莫大な地熱資源が眠っています。ただ実際の導入量は10位で、開発が進んでいないのが現状です。
(沼田さん)「5本、10本掘っても、1本ぐらいしか当たらない。(失敗すると)数千万円なり、数億円を全部一括“損金処理”しないといけない。誰かがそのリスクを負っても、数十年、数百年後のことを考えて、この資源の開発はすべきと考えています。」
どう地熱開発を前に進めていくのか。沼田さんの解決策は、「必要なものは自分たちでつくる」という「業務スーパー」の経営哲学にありました。
(沼田さん)「このアジフライも、白身フライも、うずら卵もすべて、自社開発商品になっております。」
実は、国内に25カ所もの工場を持ち、自分たちで商品を製造して、コストをカット。さらに売り場の冷凍ケースまで自分たちで設計。出荷された商品が、ひと箱そのまま入り、何度も補充する手間がないよう工夫されています。
(沼田さん)「地熱もまったく一緒ですね。この設計と同じように見直しさせていただいて、今機械もすべてつくらさせていただいて、」
北の大地、北海道では沼田さんの秘密兵器がすでに稼働していました。
(沼田さん)「当社独自で自分で走りまして、自分でアームを上げて、自分で掘る機械を開発しました。」
この機械なら巨大なやぐらを組まずに掘削することが可能で、調査時間の短縮につながると言います。
(沼田さん)「狭い場所でも下に少しガタガタでも全部掘削の場所まで行けます。着くともうそのまま数時間後には掘削できます。」
調査費用もおよそ2億円から、6000万円に減らすことができたと言います。さらに別の課題。掘削技術者の高齢化による、人材不足に対しては―
(山口豊アナウンサー)「沼田さんは、地熱に関する学校までつくり上げました。それがこちら、北海道白糠町にあります、日本初となる掘削に関する技術を学べる専門学校なんです。」
実際に使われていた機材や、掘削シミュレーターが導入され、地熱開発の専門家らが講師を務めます。
(沼田さん)「この技術はあと10年すればまったくなくなってしまうので、必ずこれは日本になくてはいけないと。勇気を持って私は全部つくっていこうと。」
沼田さんのもとには、すでに全国20市町村から地熱開発の依頼が寄せられていると言います。
「この地下に世界で3番目の資源があるのは事実なんです。それがいろいろな問題があって、(開発が)できていないのも事実です。業務スーパーと同じように、何とか解決して、食料自給率を上げて、純国産エネルギーを上げたいと、ロシア、ウクライナの問題もありまして、私はもう待ったなしだと考えています。」4月10日『サンデーステーション』より
「業務スーパー」創業者、熊本に地熱発電所 24年稼働(日本経済新聞 3月28日)
再生可能エネルギー事業を手がける町おこしエネルギー(兵庫県加古川市)は、熊本県小国町に同社にとって第1号となる地熱発電所を建設する。2023年12月中に工事を終え、24年4月の稼働を見込む。年1基のペースで各地に増設していきたい考えだ。
同社は食品スーパー「業務スーパー」を展開する神戸物産の創業者、沼田昭二氏が16年に設立。エネルギー自給率と食料自給率の向上を目指し、牧場経営やエビ養殖などの事業も手がける。
地熱発電所の出力は4490キロワットで、年間発電量は約3449万キロワット時。発電した電気は固定価格買い取り制度(FIT)に基づいて九州電力に販売する。年間売上高は約14億円になる見通しだ。総工費は約100億円。うち50億円を三菱UFJ銀行からの融資で調達し、そのほかは沼田氏の私財などから捻出する。10年以内に投資額を回収できるとみる。
鹿児島県湧水町でも地熱発電所の建設計画を進めている。今後、北海道や秋田県など全国各地に展開し「3メガ(メガは100万)~5メガワットの発電所を年に1基のペースで建てていく」(沼田氏)計画だ。今後の建設に際しては、大手ゼネコンなどと共同出資で資金を捻出する。4月には掘削技術に特化した専門学校を北海道に開き、地熱発電事業に欠かせない専門人材の育成も図る。
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【本日 (4/11)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 34人死亡 3万3205人感染 (11日18:00)(NHKニュース)
北海道 新型コロナ 4人死亡 新たに1551人の感染確認(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 4562人感染確認 先週月曜より178人増(NHKニュース)
愛知県 新型コロナ 新たに1198人の感染確認(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 2人死亡 新たに1449人感染確認(NHKニュース)
ワクチン 3回接種 全人口の45%超に 新型コロナ(NHKニュース)
国内で新型コロナウイルスのワクチンを3回接種した人は全人口の45%を超えました。
政府が11日公表した最新の状況によりますと、国内で新型コロナウイルスワクチンの▼3回目の接種を受けた人は5754万7225人で、全人口の45.4%となりました。
また、ワクチンを▼1回接種した人は合わせて1億280万4704人で、全人口の81.2%、▼2回目の接種を終えた人は1億92万4027人で、全人口の79.7%です。
このうち、5歳から11歳の子どもを対象にした接種で、▽1回目を受けた人は66万7621人で、全体の9%、▽2回目の接種を受けた人は19万2047人で、全体の2.6%です。
実際はこれ以上に接種が進んでいる可能性があり、今後、増加することがあります。全人口にはワクチン接種の対象年齢に満たない子どもも含みます。
都道府県別 ワクチン接種状況
政府が11日公表したワクチン接種を受けた人の都道府県ごとの数と割合です。
実際はこれ以上に接種が進んでいる可能性があり、今後、増加することがあります。
▽北海道 1回目を終えた人が427万4812人(81.79%)このうち2回目も終えた人は419万2214人(80.21%)また3回目を受けた人は236万982人(45.17%)
▽青森県 1回目を終えた人が107万6284人(85.45%)このうち2回目も終えた人は105万5397人(83.79%)また3回目を受けた人は56万8310人(45.12%)
▽岩手県 1回目を終えた人が104万1091人(85.28%)このうち2回目も終えた人は101万9645人(83.52%)また3回目を受けた人は56万962人(45.95%)
▽宮城県 1回目を終えた人が190万6931人(83.56%)このうち2回目も終えた人は186万2593人(81.62%)また3回目を受けた人は102万1233人(44.75%)
▽秋田県 1回目を終えた人が83万9253人(86.41%)このうち2回目も終えた人は82万3512人(84.79%)また3回目を受けた人は43万8462人(45.14%)
▽山形県 1回目を終えた人が91万5046人(85.55%)このうち2回目も終えた人は89万7156人(83.88%)また3回目を受けた人は53万9100人(50.4%)
▽福島県 1回目を終えた人が156万9048人(84.26%)このうち2回目も終えた人は153万8904人(82.65%)また3回目を受けた人は91万3100人(49.04%)
▽茨城県 1回目を終えた人が244万751人(83.94%)このうち2回目も終えた人は239万4792人(82.36%)また3回目を受けた人は140万5814人(48.35%)
▽栃木県 1回目を終えた人が160万9486人(82.31%)このうち2回目も終えた人は157万9293人(80.77%)また3回目を受けた人は85万8564人(43.91%)
▽群馬県 1回目を終えた人が159万9706人(81.7%)このうち2回目も終えた人は156万6680人(80.01%)また3回目を受けた人は99万5151人(50.82%)
▽埼玉県 1回目を終えた人が606万3965人(82.01%)このうち2回目も終えた人は594万7352人(80.44%)また3回目を受けた人は320万274人(43.28%)
▽千葉県 1回目を終えた人が517万4936人(81.84%)このうち2回目も終えた人は507万9854人(80.34%)また3回目を受けた人は282万8337人(44.73%)
▽東京都 1回目を終えた人が1120万5272人(80.94%)このうち2回目も終えた人は1101万659人(79.54%)また3回目を受けた人は639万9040人(46.22%)
▽神奈川県 1回目を終えた人が753万9382人(81.77%)このうち2回目も終えた人は741万7638人(80.45%)また3回目を受けた人は409万1024人(44.37%)
▽新潟県 1回目を終えた人が187万3461人(84.65%)このうち2回目も終えた人は183万4963人(82.91%)また3回目を受けた人は108万7639人(49.14%)
▽富山県 1回目を終えた人が88万9558人(84.91%)このうち2回目も終えた人は87万7156人(83.72%)また3回目を受けた人は51万1324人(48.81%)
▽石川県 1回目を終えた人が92万8321人(81.96%)このうち2回目も終えた人は91万1734人(80.5%)また3回目を受けた人は51万7670人(45.7%)
▽福井県 1回目を終えた人が64万2897人(83.0%)このうち2回目も終えた人は63万1555人(81.53%)また3回目を受けた人は37万4835人(48.39%)
▽山梨県 1回目を終えた人が67万5852人(82.32%)このうち2回目も終えた人は66万4364人(80.92%)また3回目を受けた人は39万7160人(48.38%)
▽長野県 1回目を終えた人が170万9562人(82.52%)このうち2回目も終えた人は167万6408人(80.92%)また3回目を受けた人は101万777人(48.79%)
▽岐阜県 1回目を終えた人が165万6081人(82.11%)このうち2回目も終えた人は163万3858人(81.01%)また3回目を受けた人は102万4311人(50.79%)
▽静岡県 1回目を終えた人が310万8820人(84.34%)このうち2回目も終えた人は305万5031人(82.88%)また3回目を受けた人は164万7980人(44.71%)
▽愛知県 1回目を終えた人が596万8232人(78.96%)このうち2回目も終えた人は583万6192人(77.21%)また3回目を受けた人は331万4565人(43.85%)
▽三重県 1回目を終えた人が146万7652人(81.51%)このうち2回目も終えた人は144万4202人(80.21%)また3回目を受けた人は80万6623人(44.8%)
▽滋賀県 1回目を終えた人が114万9624人(81.03%)このうち2回目も終えた人は113万933人(79.71%)また3回目を受けた人は62万2885人(43.9%)
▽京都府 1回目を終えた人が201万6317人(79.68%)このうち2回目も終えた人は197万6127人(78.09%)また3回目を受けた人は107万6554人(42.54%)
▽大阪府 1回目を終えた人が686万6348人(77.68%)このうち2回目も終えた人は675万7539人(76.45%)また3回目を受けた人は358万1891人(40.52%)
▽兵庫県 1回目を終えた人が440万9546人(79.83%)このうち2回目も終えた人は434万1647人(78.6%)また3回目を受けた人は242万9126人(43.98%)
▽奈良県 1回目を終えた人が109万98人(81.06%)このうち2回目も終えた人は107万4012人(79.87%)また3回目を受けた人は63万8017人(47.45%)
▽和歌山県 1回目を終えた人が74万6588人(79.05%)このうち2回目も終えた人は73万4279人(77.75%)また3回目を受けた人は47万7592人(50.57%)
▽鳥取県 1回目を終えた人が43万9436人(78.92%)このうち2回目も終えた人は43万1175人(77.44%)また3回目を受けた人は26万5284人(47.65%)
▽島根県 1回目を終えた人が55万6471人(82.71%)このうち2回目も終えた人は54万5027人(81.01%)また3回目を受けた人は31万1283人(46.27%)
▽岡山県 1回目を終えた人が150万2572人(79.34%)このうち2回目も終えた人は146万4520人(77.33%)また3回目を受けた人は87万1468人(46.02%)
▽広島県 1回目を終えた人が222万5962人(79.15%)このうち2回目も終えた人は218万9167人(77.84%)また3回目を受けた人は130万144人(46.23%)
▽山口県 1回目を終えた人が111万3242人(82.09%)このうち2回目も終えた人は108万4200人(79.95%)また3回目を受けた人は72万9157人(53.77%)
▽徳島県 1回目を終えた人が59万6017人(81.1%)このうち2回目も終えた人は58万5134人(79.62%)また3回目を受けた人は36万5741人(49.76%)
▽香川県 1回目を終えた人が77万3396人(79.41%)このうち2回目も終えた人は75万9960人(78.03%)また3回目を受けた人は43万172人(44.17%)
▽愛媛県 1回目を終えた人が110万3201人(81.34%)このうち2回目も終えた人は108万5056人(80.01%)また3回目を受けた人は63万6536人(46.93%)
▽高知県 1回目を終えた人が56万1182人(80.04%)このうち2回目も終えた人は55万662人(78.54%)また3回目を受けた人は31万9846人(45.62%)
▽福岡県 1回目を終えた人が410万4145人(80.09%)このうち2回目も終えた人は400万3097人(78.12%)また3回目を受けた人は231万5069人(45.18%)
▽佐賀県 1回目を終えた人が65万2819人(79.79%)このうち2回目も終えた人は64万1442人(78.39%)また3回目を受けた人は39万2697人(47.99%)
▽長崎県 1回目を終えた人が108万8073人(81.45%)このうち2回目も終えた人は106万7202人(79.88%)また3回目を受けた人は67万7335人(50.7%)
▽熊本県 1回目を終えた人が144万5373人(82.19%)このうち2回目も終えた人は142万812人(80.79%)また3回目を受けた人は90万1041人(51.23%)
▽大分県 1回目を終えた人が91万7851人(80.39%)このうち2回目も終えた人は89万7135人(78.58%)また3回目を受けた人は52万3679人(45.87%)
▽宮崎県 1回目を終えた人が86万1995人(79.28%)このうち2回目も終えた人は84万5763人(77.79%)また3回目を受けた人は49万1536人(45.21%)
▽鹿児島県 1回目を終えた人が130万6775人(80.79%)このうち2回目も終えた人は127万6102人(78.89%)また3回目を受けた人は75万3352人(46.57%)
▽沖縄県 1回目を終えた人が105万1262人(70.79%)このうち2回目も終えた人は102万6817人(69.14%)また3回目を受けた人は50万1710人でした。(33.78%)
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オミクロン新系統「XE」確認 空港検疫で、国内初―新型コロナ(時事通信)
厚生労働省は11日、米国から到着した30代女性の空港検疫で、新型コロナウイルスのオミクロン株の新たな系統「XE」が検出されたと発表した。日本で確認されたのは初めて。同省は「国内での感染拡大は現時点で確認されていない」としている。
厚労省によると、女性は��月26日に成田空港へ到着。入国時は無症状だった。検疫でコロナ感染が判明し、国立感染症研究所の詳しい解析でXEが検出された。女性は国の指定する施設に隔離されたが、9日間の療養期間を終え退所した。ワクチンは米ファイザー製を2回接種していた。
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voidplus-jp · 2 years
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void+eaves POP-UP “ARTIST RUNNING” #6 Miki Morioka and mumei by mumei 2022.1.28 (fri) ― 30 (sun)
void+eavesでは、1月28日(金)から30日(日)まで、POP-UP “ARTIST RUNNING”の第6弾としてmumeiを招聘し、「Miki Morioka and mumei by mumei」を開催いたします。
POP-UP “ARTIST RUNNING”は、美術館やコマーシャル・ギャラリーといった既存のシステムに依らず、独自の方法やネットワークで活動領域を広げていくアーティスト・ラン・スペースやアーティスト・ラン・プロジェクトにスポットをあて、その活動をポップアップ形式で継続的に紹介していくプログラムです。
本プログラムの#6としてプレゼンテーションを行なうmumeiは、2017年に村田冬実により設立され、江東区の元相撲部屋兼宿舎を使ったアーティストのシェアスタジオをベースに活動を開始しました。2020年からは特定のスペースを持たず、他のアーティスト・ラン・スペースでのキュレーションや展覧会としての出版物を企画しTokyo Art Book Fair 2021でローンチするなど、場所や空間、形式や形態に限定されないフレキシブルな活動を行なっています。
今回は昨年末に発行されたその展覧会としての出版物「New Clear Answer」を、同書の参加アーティストでもある森岡美樹の空間や人、モノとの関係性を示唆し環境的にアプローチするインスタレーションとともにvoid+eavesの実空間にリアライズさせる予定です。
同時開催としてPOP-UP “ARTIST RUNNING”#4としてプレゼンテーションを行なったim laborのディレクターでありアーティストでもある大谷透、杉原玲那の特別展示もひきつづき行なっております。この機会にあわせてご高覧いただけましたら幸いです。
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mumei  https://fuyumimurata.com/mumei
森岡美樹/ Miki Morioka
コミュニケーションが生じる空間における人やモノなどの関係性についての興味をもとに、床や机など人間の生活のなかでつくられたモチーフを展開させるような作品などを制作している。
1989年        東京出身、東京在住 2015年        東京藝術大学 美術学部 美術学部 先端芸術表現科卒業 2018年        東京藝術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 修士課程修了 2021年        「Artst Running Festival 2021 in Kyoto」(Soda、京都) 2020年        OPEN SITE 5「声になるまえ」(権瓶千尋との二人展、TOKAS本郷、東京) 2018年      第66回 東京藝術大学 卒業・修了作品展(東京藝術大学上野校地、東京) 2017年      「不貞寝の旗」(取手芸大食堂 ショーケース、茨城) 2016年      「ホーリーテンプルで豊かな屁」(キュレーション:泉太郎、としまミュージアム 東京) 2015年      CAMP8月展 小口奈緒実「祖母に聞く」× 森岡美樹「Transit」× 良知暁「question no.27」                   CAMP7月展 小口奈緒実「look for a beautiful singing voice #unfinished ver.」× 森岡美樹                   「エラーを待ちながら」(共にスタジオ・アウフヘーベン、東京)                   「プレ・オープニングパーティー」(企画・小口奈緒美blanclass、神奈川)                   「第63 回 東京藝術大学卒業・修了作品展 」(東京都美術館、東京) 2013年        「Delta 可能性の手触り」(Bank ART studio NYK 神奈川)
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■企画タイトル:POP-UP “ARTIST RUNNING”
 ■展覧会タイトル:POP-UP “ARTIST RUNNING” #6Miki Morioka and mumei by mumei ■会期:2022年1月28日(金)― 30日(日) 12:00-18:00
 ■会場:void+eaves (東京都港区南青山3-16-14)
 ■ディレクション:杉原寛 ■キュレーション:兼平彦太郎 ■広報協力:YN Associates
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POP-UP “ARTIST RUNNING”について
国内のアーティスト・ラン・スペースを月替わりのポップアップ形式で紹介するプロジェクト。詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
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【ご来廊時のご協力について】
*必ずマスク着用の上、受付にて手指の除菌をお願い致します。 *万が一関係者などから新型コロナウイルス感染症の発症があった場合に連絡を差し上げられるよう、ご連絡先の記入をお願い致します。 *発熱、頭痛、咳、倦怠感など体調のすぐれないお客様はご来廊をお控えいただくようお願い致します。 *展示室内の密集を避けるため、入場制限を行う場合がございます。
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