Tumgik
#削りカス
wwwwwwwwwwww123 · 1 year
Photo
Tumblr media
ゆげさんはTwitterを使っています: 「そういえば、宿の備えつけの色鉛筆がすごい可愛かったから見て欲しい。色が桜や梅、タンポポといった花の色で、断面がそれぞれの花のかたちになってて、削りカスが花びらの形になるのすごい素敵🌸 https://t.co/PBt830RAL5」 / Twitter
127 notes · View notes
hgc211hiro · 17 days
Text
U61Wタウンボックス-5
準備 まだボルトがついてますが、面研へ出す前にスタッドボルトをEX、IN側ともに外します。 バルブも洗い油で洗浄後にダブルヘッドグラインダーに付けてあるワイヤーブラシでこびりついたカスを削ぎ落としていきます。左が吸気側で右側の小さいバルブが排気側。排気側のバルブフェイスの荒れたとこが気になりますが、すり合わせをしつこくやればいけるかも💦 こんなに荒れたバルブをみるのも久しぶりですが、とりあえずやってみることにします。 外注に出したヘッドが返ってくるまでの時間、タペットカバーを再塗装しておきます😅 簡単に色をつける程度なのでサービス作業です。 プラスチックの部分や注意書きのラベルにマスキングをして、サンドペーパーの#400で表面を軽くさらい、パーツクリーナーで脱脂しておきます。 黒のラッカーで2回重ねて塗ってみました。これで外注に出してあるヘッドが面研から返ってきたら組み付け開始。やっと…
Tumblr media
View On WordPress
10 notes · View notes
pudknocker · 4 days
Quote
強迫観念に囚われているとまわりにもそれを振り撒いてしまうことが起こります。技術をエンジョイしている人をみると、「俺は命をかけてやっているのにこいつらはなんなんだ、カスなのか?」という気持ちになってくるのです。命をかけて技術をやっていない人間がだんだんゴミに見えてくるし、自分の信じている評価軸が技術一辺倒になるため、技術でしか人を判断できなくなります。そのような調子でまわりにも命を削ることを強要すると、友達がいなくなります。
強迫観念駆動人生へ愛を込めて - しんぶんぶん
5 notes · View notes
kennak · 8 months
Quote
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。自分のミスをほじくり返されてイラつかない奴はいないだろ。人から嫌われるのが仕事なんだよ、校正は。「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。いるとしたら、そいつは校正者だ。話を聞く価値もねえ。「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。まったくもって、誰のためにもならない仕事だ。著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。とっととAIにとって代わればいいんだよ、こんな仕事。「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。だいいち、人間サマの書いてる文章がそこまで上等じゃねえ。AIのほうがよっぽどマトモな文章を書くぞ。うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。それならもしかしたら人間も、生き残れるかもな。だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?そもそも公式サイトだって平気で間違ってるしな。「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。ああ? もっと真面目に仕事をやれってか。だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?とにかくこの仕事は、必要のないことをやって金を得ている。ブルシット・ジョブよりタチが悪い。役に立たないどころか、人をイラつかせてるんだからな。若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?俺もさ、はじめはさ、希望を持ってこの仕事を選んだんだよ。著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。でも仕方ねえじゃねえか。木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。主人公の才能がついに開花したっていう超激熱エピソードでよ。そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。いったいどうするのが正しかったんだろうな。やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。たとえ校正者として間違った態度だとしても。「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」そういう仕事をしてえよな。ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。校正者が前に出ても、いいことなんか何一つねえ。だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。誰にも求められてない仕事のためにな。ああ、クソッタレ。
校正なんて賎業だろ
2 notes · View notes
crydayz · 1 year
Text
230331 金
あのさ。
まず納期の脅迫感でストレスMAXという状況に陥るじゃない。もうこの時点で「休みたい 遊びたい なんか食べて寝たい」という欲求もMAXになる。
その欲求が消えるくらいまでエネルギーとメンタル削るとおかしくなるので一応日常動作や建設的思考ができるくらいまではバッファ残してあるのだけど ちょっと気を抜いた途端に8~10時間くらい「遊んで」しまう。
もうあまりの「仕事以外なんもできてなさ」に「勝手になんかするか寝たい」という「生物として全然ふつうの欲求」が爆発する。
爆発しない方が深刻な事態になるのでこれは「なっていい」やつ。
そして寝るにせよ遊ぶにせよ合計で最低16時間くらいは「仕事できなく」なる。これは睡眠時間削ってオフィスから出ずに仕事してりゃ4日に一度は発生する休息時間。
基本、無理ゲーを望んでいるのでそこに被害感情とかは一切感じないのだが「なーんでクリアできねーんだ」って感じ。
大食いといっしょなんだよな。胃袋パンパンになるまでずっと「同じ料理」と向き合ってるとどんなに美味い料理(有意義な仕事)でも食事が作業化し無味乾燥になってしまう。感受性がカスになる。
そう、感受性がカスになると「なんでこんな脳への刺激が乏しい手続きをヘトヘトになりながらやっているんだ?」という不感症人間特有の「そもそも論」的なやつが脳に渦巻いてくる。
刺激に対して「飽きた。眠い」以外��返しができなくなる。そこに罪悪感や悔しさを感じる為には「ブルーロックの新刊」でも読むしかない。
ちなみにブルーロックも読んでから3日でブーストが切れるし何度も同じ巻をコスって読むとブースト効果も薄れるから容易には使えない。
カフェインといっしょ。常飲しちゃダメなやつ。
ああーまた16時間サボっちゃったよー 思ったけど普通っつーかスケジュール詰め込みすぎた事のほうが問題だよな。見積もりミス。
理性とは別の本能と紐づいた「メタ理性」が「ここで休めさもないと倍おかしな事になる」つってブレーキかけてきて、そのブレーキのエフェクトが「労働からなんの悦びも刺激も得られなくなる」という形で表れている。
例えばこれが仮に「子供の為」「家族の為」だとマインドセットしてもメタ理性が「だったら家族作らなきゃよかったじゃん」というツッコミ入れてくる。
いや、そしたらマジで人生つまんなすぎて氏んでただろと返しても「じゃあ氏ねば?」と返してくる。そう、休むオア・ダイくらいの脅迫を突きつけてくるのだ。
返せよ、欲。感受性と人間らしさ返せよ、と言いたい。
俺は人間らしく命の為にエンタメ仕事にしがみついて大食いワークで優勝したいのだ。お金儲けとかじゃあない。このスポーツで勝ちたい。
目標に対しフィジカル面が追いついていないのを感じる。
もっと早く動きたい。もっと早く、もっと長く! もっと楽しく!
もっともっと快楽を感じられる時間を持続したい、試合を愉しみたい!!
なぜ萎える、なぜ不感になる? なぜなぜなぜ???
もっと飢えろ、もっとしがみつきたいと感じろ。なぜ動かん。
ほとんどの罵倒をそよ風のようにスルーできる耐性をつけすぎてしまった。
自分の脳がレンダリングする鼓舞や脅迫では全然テンション上がらない。
この思考もツルツルに滑ってる。ただのエミュレーション、技術で書いてる。
感情も欲求もゼロ。まるでChatGPTが出力する無難テキスト。
やる気がめちゃくちゃ湧いてくる「めちゃくちゃボール」もっとくれ。
そう、それをもらいすぎて安請け合いしタスク増えすぎた結果、首回らなくなってるんじゃないか。快楽と興奮を報酬に据え過ぎなのか。
お金の為なんかじゃあない。何かのゲーム、なにかの意地、なにか病的で利己的な欲に基づくしがみつき・・・・
そうだ、ストーカー。お絵描き大食いストーカー精神。ストーカーですら追いきれないほど早く動き把握できない程の情報量で負荷かけてくるターゲットに欲が萎えてしまいストーキング行為をやめたくなってる。
このターゲット、果たしてこのまま追い続けて自分のものにする事なんてできんのか???
という疑問まみれになってんだ。獲物がでかすぎるし動きが早すぎる。捕まえられない監視もできない喰う事もできない。狩猟者(ハンター)としての敗北。ハイエナになんてなりたくないし既に手元にあるやつで満足するような善性も発揮したくない。
「雄」か。これは「最悪にエゴイスティックな雄になりたい」という欲求なのだ。クレバーで妥当なカロリー消費で人生マネジメントしてるインテリ野郎にはなりたくない。
しらんがなオブしらんがな だな。
雄度を上げろ、雄度を上げろ、雄度を上げろ。 ゲームのルールを護りながら試合と勝利に執着する「獰猛冷静ストーキングストライカー」になれ。インパルス走れ。永久記憶不滅。
1 note · View note
sweetharmonybird · 2 months
Text
インプラントの魅力は歯を守れること
インプラントは入れ歯代わりとして人気の治療法ですが、歯を削らずに済むのが入れ歯との違いです。ブリッジという部分入れ歯の方法が用意されています。総入れ歯とは違って、欠損した部分だけに入れ歯を装着する方法で、装着時に隣の歯を削るのが基本です。健康な歯を削ることによって、残っている大切な歯を脆くしてしまうリスクを抱えます。インプラントならば健康な歯を削る必要がありません。一般的に隣の歯ではなく、土台の骨に器具を装着する方法だからです。土台に1本ずつネジ状の器具を埋め込むため、見た目は普通の歯とほとんど変わりません。隣の歯に負担をかける心配がないため、安心して残りの健康な歯を維持できるのが魅力です。また、ブリッジのような隙間ができにくいのも優れた点です。隙間に食べ物のカスが詰まりにくく、歯垢や歯石の蓄積を防げます。虫歯や歯周病のリスクが軽減される他、ブラッシングもしやすいため、口腔内を清潔に保てるのがメリットです。
0 notes
recipe-cookingclass · 3 months
Text
『自炊』と『料理』の違い。
議論されることも多い事柄です。
私のイメージですと『自炊』とは、生活のための食事。
『料理』は創意工夫や料理というものを作る。
世界の食事情から少し引用させていただくと
とある外国の方が作る食事は『自炊』が多く、し外国の方が『料理ができるよ』と言われますと、日本の家庭では『自炊』じゃないかな?と見えます。
欧米などの人たちの料理は
『冷凍食品をチンする』これも料理だと言いますし
出来合い品を並べても『料理』という人も多く
日本の回転寿司は、すでに素晴らしい料理と感じるのもそれなんでしょうね。
日本のカレールーを使ったカレーでも、結構な高度の料理の一つに捉えるみたいです(笑)
そしてこの世の中は、外食に『自炊』という味レベルを求めてらっしゃる人が多いんだなと、分析できます。
というのは、特に若い世代の方ですが、外国人から来た労働者の方たちも、宗教で食事ルールがないのであれば、マックやコンビニや、マーケットで買うとしても手っ取り早いものが中心です。
レトルトや惣菜、いろいろと充実はしているので、手に入れやすいですしね。
例えば、ネットニュースで話題、テレビで取り上げられる大衆系のチェーン店や(ファミレスに回転寿司などなど)やマーケットのお寿司や惣菜や。
自炊のようなグルメは若い人にもとても人気ですし、ネタの良い単価が高いけれど、トータルで言えば、美味しいとは言い難いマーケットでの割高お寿司も人気です。
私でしたら、ちゃんとした昔ながらのお寿司屋で食べた方が、満足度は高いはずなのにと思いますが。
パスタだって自炊のような料理を喜んで外食でいただけるのは、それはそれで素晴らしいですが>
いまだに原価100円前後のもので、家で作るとたちまち、上質なイタリアンレストランの味になるものですが、ファミレス系は安いと言えども変わった味で、同じ料理名とは思えないものだったり。
それを基準とした味となると、外食よりも自炊の方が上手にできることもあるものです。
今や、自炊はできても料理はできない人が増えており
これらは子供達を観察するとわかりやすく、『家より給食の方が美味しい』などと言葉が出てくるものです。
���食においても、今は『コスト重視であり』美味しい努力は昭和平成までだったそうです。
物価高騰や調理の人件費削減などで、他の中抜き業種に価格を持っていかれるからこそ(いわゆる利権癒着天下りなどなど(笑))とても質素な給食になっている事実があります。
唐揚げにおいても唐揚げとは言えない代物で、大半が鶏細切れの切っカスのようなものだったり。
ごはんでさえ残したいぐらいだそうで、『ふりかけ持参を許可する公立学校』があるぐらいです。
専門家の意見?としてだそうですが、栄養面で塩分がと言いますが、1日トータルで栄養なんて考えるものなので、おかしな言い訳ですし、学校給食で栄養なんて足りるわけがありません。今ではすっかり大切なのは、お腹を満たすこととアレルギーとカロリーぐらいになるのでは?学校教育では食の喜びなどは学ばないようです。食育もすっかり文面上ぐらいだそうです。
献立をよく見れば、冷凍食品や業務用の加工食品が多用されており、調理も大変、楽だと美味しい思います。昔は給食も自由で、創意工夫がされていたそうです。その差も、平成までだったそうな。
物価高騰と自民党による教育のおかしな方針で随分と、お粗末になったようです。
味覚が育つのは、間違いなく幼い時期ですので、それらが基準となると思います。
けれど味の経験が多ければ、同じ鶏肉一つを調理するだけで、知らない人と知っている人との差が大変わかりやすいものです。
おにぎり一つでもこれが差が出る。家で作るお寿司にしろ差が出るのは当たり前です。
ステーキにしろ、市販のステーキソースをかけるだけでいただく家も多いですが、その肉の焼き方と、パパッと作れる美味しい手作りソースを作れると、すでに外食以上になりますしね。
同じもので出来る人、出来ない人とで随分と差が出る。
外食でもですが、『やっぱり家で作って食べたらよかったな』なんて本当に、山ほどあるわけで。
そんな同じ感想をおっしゃる芸能人の方もおり、共感した最近です。
グルメが普段の食事でできるなら、なんて素晴らしいことでしょう。
それが『料理』。
同じ食材で同じ調味料でも美味しくできるのも『料理』。
けれどその同じ食材と同じ調味料でも、ただお腹を満たす満足度ぐらいなら『自炊』というわけです。
この違いはやっぱり実際の経験数と教養の格差であるのは、間違いない。
同じお米でも料理上手だと美味しいお米が炊き上がります。
それぐらい違うということを子供たちが知るといいなと思います。
家庭が一番、ゆったりできる時間は何せ、食事時間。
どうせ自炊するなら、料理をする方が、満足度も高い。
外食よりもおうちの方が美味しいって言葉は、作り手にとっても最高の言葉です。
自炊より料理でおうち外食してくださいね!
料理研究家 指宿さゆり
ーーーーーーーーーーー
#料理研究家指宿さゆり
#レシピ開発
#レシピ制作
#レシピ制作専門スタジオ
#料理は教養
#食は品性
#東京スパイスカレー
#スパイス
#カレーライス
#japanesecurry
#currystagram
#スパイスカレー
#銀座グルメ 
#新橋グルメ
#カレー
#東京グルメ
#カレー部
#教育
#習い事
#ビリヤニ
#Indiancurry
#スリランカカレー
#神戸料理教室
#東京スパイスカレー
#大阪スパイスカレー
#カレーマニア
#カレースタグラム
#スパイスカレー作り
#spicecurry
#カツカレー
Tumblr media
0 notes
ekcanako · 4 months
Text
instagram
الميموزا
写真を編集して再投稿
校庭のミモザが満開だったので
花をちぎりだしたと思ったら
花を貼り付け始める子
葉っぱまで貼り付ける子
花で黄色く色つけた子
一向に描き始めないなと思ってたら
色鉛筆の削りカス貼り付ける子
そこにはないお茶会のイスを描いた子
等々とても自由でした
授業とは
という気持ちにもなりますが
ただ日本人としては
もう少し植物に優しくなって欲しいし
紙をすぐに捨てるなの気持ち
0 notes
azarashi5656 · 4 months
Text
Tumblr media
日本酒は大なり小なり原料米を削って(磨いて)仕込まれます。
その削りカスももちろんお米由来のものなので、無駄にするわけにはいきません。
最近ではおせんべい屋さんが買い取ったりすることもあるようです。
#天寿 #自社精米 #球形精米
開栓しています。
0 notes
nimenkanjou · 8 months
Text
有隙語自①
 そもそも二面(最近できた名義)は元々歌い手をやろうとしてました。歌を歌うのが好きなので。
何本か動画も上がってます。個人的にすべて納得行ってませんが削除するのもなにかに負けた気分になるし、数年後見違えたようにウルトラスーパーアルティメット歌い手になったときに見返してネタにするために残してます。
 
 活動を始めたのは単純に大学生になって時間もできたし、ずーーっと、それこそ中学生のときからやりたかった歌い手というものに手を出してみようと思ったからです。そして歌を寮で録音して、DAWに読み込ませて、なんちゃってMIXをやってみて、アップロードしたんですがこれがまー伸びない。カスみたいな出来だし、固定リスナーも付かないし、どうしても自分の思い描いていたものにならない。
 作品のクオリティが低いのはMIXのせいだ!と思っていわゆるMIX師に依頼してみました。しかし帰ってきたのは本当に、本当に意味のわからないくらい質が低い、これで金を取るのか?と思わずにいられないほどXXXなもので、これに金を払うのもバカバカしいし、何よりこのMIX師よりMIXがうまくできれば俺の勝ちだろ!wガハハ
みたいなマインドで自分でMIXを始め、その傍ら練習として依頼を受けたのが始まりです。カスみたいな動機ですね。
ちなみに件のMIX師は今も全然普通の顔をして活動してます。多分まだ追いつけてない。畜生。
 
 それからwaves goldバンドルやら何やらを買ったり、youtubeでプロのMIXを見たりして、あーでもないこーでもないとグニャグニャした生活を送ってましたが、転機はやはりazmaさんと出会ったところだと思います。青色が怖くなったんだ(Δ)という曲を友達に紹介されてハマり、歌ってみたを漁っていたときに「めっちゃ上手い人おるやんけ!」と居ても立っても居られずツイッターをチェックしてフォローして、どんな人なのかといろいろdigったらまさかの全部フリープラグイン。
 当時の自分は自分の不出来を棚に上げて、金をかければかけるほどいいものができるという最悪のマインドをしていて、こんな素晴らしい作品なのだからさぞMIXも金かかってんとちゃうん?みたいなきったねぇ視線を向けてましたが、あのとき、私はそこで一回死にました。
 第二の転機もやはりazmaさんで、ある日なんの前触れもなくazmaさんにフォローを返されていて、知らないうちに何故かやり取りをするようになり、本当に、本当に今でもよくわかってませんがokigaroom(詳しくはまた別の機会に)に招待され���した。意味がわかりませんでした。だってその時はまだなにも納得できる作品を作れてないし、MIXを勉強してるだけのド三流だったので。
 サーバーに入ってみるとこれまた強烈でした。すべてが勉強になる。いままでぐにゃぐにゃしてたのが嘘みたいに、全能感すら覚えるくらい知識が入ってきました。
 反面、依頼は全く来ませんでした。関わりのあった方のを二ヶ月に一回程度触るだけ。そりゃそうですよね、全然MIXうまくないし。でも知識だけはめっちゃ入ってくる。やれ〇〇というものを使えばいい感じになるとか、〇〇の動作はこういう仕組みでとか、いっちゃえば頭でっかちになってました。技術は全く上達してませんでした。
 まだ覚えてますが一時間でMIXしてみよう!という企画がありました。一時間、あっという間に過ぎましたがマスターを出したあとの自分はめっちゃ満足してました。でもいざみんなのものを聞いてみて、自分のと聴き比べると明らかに自分が劣っている。相対的に、というよりは明らかに自分のMIXが下手!ゴミ!という。あそこでもう一回死にました。
 それからはとにかくMIXの練習をせねばなるまいと、練習音源として上がっているものを触ってみたり、ありがたいことにこんな私にも依頼を投げてくれた方のを徹底的にこねくり回して、というのが今年の四月あたりのことです。
 それからだんだんと上達してるのでは?という実感も湧き、これまたおなじみ全能感を纏ってオラついてました。でもしょうがない。前より絶対にMIXうまくなってるんだから。
 みたいなことをやってたら 死ぬほど歌が上手い女(ポートフォリオ参照)が依頼してくれました。初投稿というので気合を入れるぞー!なんて思ってたら歌がめちゃくちゃ上手い。死ぬほど上手い。これが第三の転機ですね。
 持てる全てを注ぎ込むぞーと思ってMIXしてたんですが、歌がうますぎて自分なんかがMIXするべきじゃないなと、もっといい人にMIXしてもらったほうがいいんじゃないかと思いました。とはいえこれで身を引くほどMIXに熱意がないわけじゃないので自分のスキルアップもしつつ、でも他の人がやったらどうなるのか、がめちゃくちゃ気になってしまって、とうとうokigaroomに投下しました。
 と、思えば、こういう「MIXを上達させるために努力をしている」という姿勢は評価されるべきものかもしれません。自画自賛ですが、少なくとも知ったかぶって、全然良くないものを平然と提供するような人間よりは、幾分か自分のほうがマシなのではないか?とは思ってますし、もし自分がそういう、良くないものを平然と提供するようになったり、それを指摘されたりしたら恐らく首をくくるなり筆を折るなり、それなりの覚悟でMIXに向き合ってる、とは思ってます。
 
 #studiomillstone に入るにあたって、死ぬほど悩みました。丸2日、48時間、めちゃくちゃ悩みました。自分がまだ全然ペーペーなのと、#studiomillstoneの看板を背負うという重圧に耐えられるか、というので悩みました。メンバー紹介ページに錚々たる名前が載っている、そこに自分が居るのがどうしても想像できない、明らかに同列ではない。
 けど、先述の向上心、余計なプライドのなさというのには自負があります。MIXがうまくなるならXXXのXXXだってXXXします。(自己規制)
 すんげーーーーーーーーー長々と書きましたが、要は
「俺様はあの#studiomillstoneだぞ!すごいだろ!」
っていつか言いたいですね。自信を持って。まぁそうなったら首をくくらないといけないんですがね!wガハハ
 
 
 
 
駄��:実は一時期、というか今もですが、大学生活が思ったよりうまくいかず、友人が自死し、家族関係もめっちゃ冷え込んで、いよいよ気分がアホみたいに下がり、一時期砂糖を舐めて過ごすくらいオワってた時期がありました。しかしMIXをまだやめてないのはあのカスみたいな動機の他に、別分野で活躍する友人の姿があるからです。
彼のフォロワーが900人ちょっとのときに僕がMIXを始めて、どっちが先に2000フォロワーいけるか勝負だ!みたいな話をしてたんですがいまや2000なんて軽く越えて全然別のステージに行っちゃいました。方やこんなよくわからん文章を書いてる身としてはやはり憧れがあるわけですよ。嫉妬があるかというとない、とは言えませんが。結局彼の輝かしく見える現状は彼が頑張ってきたからで、その努力を間近で見てきたので軽々しく羨ましいとかは言えないです。絶対にまだ努力が足りない。頑張ります。
なんで友人の話を出したかって言うと、今回#studiomillstoneに入るべきかどうか、というのを早朝6時に通話して相談をして、それからアイコン作成の打診をしたところ快く引き受けてくれて、めっちゃいいアイコンを作ってくれたからです。めっちゃ感謝してます。彼がこの文章を見ることはないと思うのでなんでも言えます。恐らく現状一番親しい友人です。マブです。いいでしょ。
友達自慢でした。
0 notes
mydqx · 11 months
Text
…うん、これは難しい(^_^;) そもそもどの折り方なのかはっきりわからない(^_^;)(シリアルなんだけど撮影部分が中央にないためパターンDの三つ折りにすると端ギリギリになるためか折パケと認識されない) もう一つ問題なのがパーティ開けしたポテチ袋を折る時カスがこぼれてしまうので、広げた新聞紙の上で折った後丸めた新聞紙のごみが増えてしまいゴミ量の削減になっていないところ。もう心が折れたのでなんとか100ルビーまで貯めたけどあきらめてアプリも消しちゃいました(^_^;) 私はポテチは湖池屋派でシリアルはケロッグ派なのでわざわざ別のものを食べなくて済むので良しとしよう(前向き)
0 notes
aoi-nanzyo · 1 year
Text
卯月二十日
3月半ばに病院にお願いした診断書、『2週間くらいで完成します』と云われてたのに数日前に完成し、取りに行ってきました。10年以上前の、私の自殺の診断書。ちょっと感慨深いと云うか、読むのが不思議な感覚。これで漸く必要な書類の一番最初が出来たので、次はこの資料を基に今の病院に診断書の書き直しのお願いだ。そして診断書の完成から私が統合性がある様に必要書類の執筆して完成させなきゃいけなくて。ゴールデンウィークまでに終わるかなぁ…。まぁ連休なんて無いんだけど、提出先がお役所なのでそれまでには終わらせておきたいな。
今月末には世間的には連休に入って、何連休が終わってから漸く、私が社会に耐え忍び頑張っているイベントの日程に入るんだけど。それが終わってしまえば、無気力に生きていけ…る気がしないな。既に心は削り切ったカスみたいにボロボロ。まぁ別に無気力に生きるのも大変なので、サクッと楽になりたいものだ。
0 notes
6bfok · 1 year
Text
2023年01月22日日曜日笠原裕介は一日こんなことをしていました
・1月21日土曜日夕方エラー故障で壊れた炊飯器の購入先を探す
・コーヒー500mlを2度コーヒーメーカーで作った
・麦茶を沸かして調理したステンレスポットに保温用意
・お風呂掃除した
・夕方、眉毛のお手入れで、2切1枚2組のトイレットペーパーの上でコームやハサミを使う。後片付けでハサミでケース容器にキズを作った
・鉛筆2本を削って芯を尖らせた。削れカスが残ったものや、鉛筆に削りカスが残る、鉛筆削りアスカ手回しシャープナー こちら生協で5年間ほど前に買ったものを、2切1枚2組のトイレットペーパーの上でクリーニングしました。通販整頓のあとです。セロハンテープで包みにして捨てた
0 notes
nubatamareference · 1 year
Video
instagram
クレヨンを塗って面を創り、色を消すようにニードルで削ってできたクレヨンのカスを集めて、粘土のようにして遊びながら作品を創る。
0 notes
modeqs · 1 year
Text
2022年を振り返る(2)
前回より続く。
数学
今年はDover Publications から出版されている "Dover Modern Math Originals" の一編である "Calculus: A Rigorous First Course" by Daniel J. Velleman を使って微積分学の勉強を始めた。この本は、著者の言によれば、数学専攻の学生向けの初級の微積分の教科書とのことである。
私はこの本を、まる1年かけて2章弱しか進められなかった(全10章)。しかし私はかなり数学的に成長できたと思っている。もちろん私の数学力は理科系の大学1年生よりもずっと劣るものだが、それでも割り算について「割り算シンボルの、上と下どっちで『割る』んだっけ…?」というレベルであった過去の私に比べれば、この1年で私がやってきたことは大いにレベルが高いし、数学に対する態度、ひいいては難しく複雑な問題に直面したときの対処能力もずっと良いものになっている。
下記するようにまだまだ私は理想の、私流の、私があるべき mathematician からはずっと遠いところにいるが、それでもなお、私はこの1年数学について進歩したと認めなくてはならない。これを否定することは知的誠実さを欠く。
Basic Algebra
本書の第1章はまるまる高校数学の復習に割かれている。方程式、不等式、三角関数といった内容がレビューされる。それでも内容は後の章のための限定的な復習に留まり、怒涛の勢いで数学力の不足を埋めるといった内容ではない。
私は不等式が苦手でその復習にかなりの時間を割いた。ここでは『微積分学』(A. Anton, 京都大学学術出版会)などの別の参考文献でも演習問題を解いた。
極限
他の微積分の教科書をみても微分の話に入る前に「極限 limit 」の単元が必ずある。私はこれを不思議に思っていた。「なぜ微積分だけ教えてくれればいいのに時間をかけて別の議論をするんだ??」と。
並行して読んでいた『インフィニティ・パワー――宇宙の謎を解き明かす微積分』(紀伊國屋書店)(原著は "Infinity Powers: How Calculus Reveals The Secrets of the Universe" by Steven Strogatz)の手助けもあって、まだその単元を終えられていないが、私は極限こそが微積分学の骨格であると理解できた。微分はある意味で「無限の割り算」だし、積分はある意味で「無限の足し算」だ。このピースとピースが繋がったことに私は興奮し、また感動した。
それにしても極限についていろいろ基礎的な定理を証明してとても楽しかった。多項式は加減乗除の組み合わせによって定義される数で、つまり加減乗除それぞれの極限操作について定理があれば、それを組み合わせてあらゆる多項式の極限について推論できるという話の展開にもえらく感動した(これはとても初歩的な話だけどさ…)。極限操作についての基本的な定理のおかげで、私達は極限の操作のときいちいちδ-ε論法を持ち出さなくてよいし、それだけでなく極限の操作を普通の加減乗除の演算に類似したものとして扱えるのであった。
習慣
しかし、数学書をしっかり勉強したという点は良かったが、それ以上に良かったのはそれが習慣化されたということである。単に時折の気まぐれで数学にかかわる雑学を収集していますというだけでなく、数学を勉強することが日常の一部となったのだ。これは素晴らしいというほかない進歩で、いくら卑下しがちな私でもこればかりは認めなくてはならない。
朝のちょっとしたスキマ時間、朝のトイレの時間、昼休みの飯食っているとき、筋トレのクールダウンの時間、私は多くの隙間を見つけては教科書を読んだり問題を解くようになった。
こんな感じで私なりに数学にアタックしていたせいか、はたまた極限の理論の素晴らしさに触れたためか、この1年を通じて私はますます数学が好きになった。趣味の時間については他のすべてを犠牲にしても��学を勉強したいと思えるようになった。私の時間をもっと数学に捧げたい。数学は素晴らしい、もっといえば数学書を読み、理解できることはなんと喜びに満ちたことであろうか、定理を証明しある数学理論をほかならぬ自分が理解できたといえることはなんと幸福なことか、と思うようになった。
もちろんこれまでも数学は好きだったのだが、それが細々とした勉強を通じもっとはっきりした1年だった。自分のなかで数学の立ち位置が不動のものになった。
もっと私の世界を数学で満たしたい
…なのだが、取り組みは理想に対しまだまだ不十分である。大晦日に至る現在でも常に数学グルイの状態であるとは言い難い。もちろん本当に寸暇を惜しんで数学を勉強しているときもあるのだが、そうでないこともままあり、しかも休日でもあまり数学に時間を割かないことも偶然というには多すぎるほどにある。
私が至った結論はこうである。私は、もっと私の世界を数学で満たす必要がある。社会生活上必要な事柄以外は隙間なく数学の議論で脳を埋め尽くさなくてはいけない。…というのは理想で、その理想に向かってもっと隙間時間を活用しなくてはならない、これが今後の課題である。やはり日々ちょっとの時間ずつ怠けてしまい、数学の問題を解くチャンスを逃してしまっている。ある日のことだ、私は試みに筋トレしながらそのクールダウン中に数学の問題を解いてみたのだが、なんと15分の筋トレの間に2問も解くことができた。私は驚いた。カスみたいな時間でもしっかり集中して使えばきちんと数学の学習に役立てさせられるのだと。それ以来筋トレ中にもできるだけ教科書を読んだりするようにしている。おそらくまだまだ、細かい「死に時間」がたくさんあるのだろう。それを活用していけば、高度専門職業人ではない私にはいくらでも勉強の時間などある。
読む本も極力数学に関したものに限定しようと決めた。もともと私の趣味のバックグラウンドは人文学であったから本を読むにしても「いかにも文科系の学問の本」という感じの研究書なりに強く惹かれることもままある。しかし教養をつけることは人生を豊かにしてくれる一方で、やはり自分が最も時間を捧げている事柄以外の、それとは関連していない文献を読むというのは、やはり雑学の収集という側面が非常に強いことを直視しなくてはならない。私が得たいのは人類史についての雑学ではなく数学の能力だ。そこで社会系、政治系の本は極力買わず、できるだけ数学やその隣接分野の本(要するに数式が出てくる本)ばかりを買って、私の注意を数学に絞ろうとしている。
勉強の時間はいくらでもある
これも今年なんどか意識したことだからメモしておこう。私にとって~~だから勉強ができないというのはすべてウソである。どんな困難があっても勉強する時間などいくらでもあるし、どうとでも工面できる。私が勉強時間が無いと思ってしまうのは、それを確保するための工夫を怠っているからだ。
私は今年何度か勉強のために確保したはずの時間を、翌日が平日なのに、睡眠時間を削らなくてはならない時間に食い込んでまで、下らない娯楽で消費してしまったことがある。上記はここから得た教訓だ。睡眠時間にまで食い込んで遊んでいたのだから、当初確保していた時間が1時間程度であったとしても、それをまったく遊んだとしてもなお1~2時間の学習時間はあったはずなのだ。
おまけに家族や友人との時間を断ったとして、私が必ず有意義なことに時間を使うかと言われればそうではない。これは経験が実証している。しかもこういう場合、誰かと過ごしている方がかえってトータル時間では短く遊んでいる(怠けている)ことが少なくない。だからこれだって遊んだあとに別途勉強する時間を確保すればよいだけだ。~~があると勉強できない、あるいは~~がないと勉強できないなんてのは、私に関していえば嘘っぱちだ。全部ウソ。工夫次第で勉強時間なんかどうとでも捻出できる。
気軽に数学書を読む
今年始めて、低空飛行で軌道に乗っている施策の1つは「ごく気軽に数学書を読む」だ。知っての通り数学書は定理を証明し問題を解かなくてはその何たるかを得られない。そこで数学書との関わり方の基本は「全力をかけ手を尽くして理解しようとする」なのだが、メインで勉強している教科書は当然そうなるとして、すべての数学書に対して同じ態度で接しなくてもいいじゃないかと軌道修正をした。
つまり新聞を読む、ネット記事を読む、そうしたごく日常的な行為の1つとして、数学書を読めばいいんじゃないかと思ったのだ。もちろんそうしたアタックの仕方では数学の能力は高まらない。最も期待できる学習効果でも、将来使う教科書の予習というレベルだろう。だが気軽に数学書を読まなければその時間は他の事柄に使うことになっていたわけで、小さい程度でも数学的成長が得られるのであればそれは意味があることなのだ、私にとって。
加えて熱心にきちんと勉強している1冊があれば、異分野(というか別の単元)の教科書を読むことは視野を広げることに繋がるだろう。そうそう、この取組を始めた当初は理科系の学生の環境を少しでも擬そうという思いがあったかもしれない。つまり理科系の学生は当然微積分学だけで1年を費やすわけではなく、他にも様々な高等数学のトピックを同時並行して、しかも各単元が私の学習スピードのn倍の速さで進む(nは1より大きい任意の数)。私もそうした世界中の理科系の学生が当たり前にこなしているストイックな学習を真似してみようと思ったのかもしれない。
来年はもっと数学の能力をあげ、数学に親しみ、数学を身近に感じられるようにさらに学習を進めていく。1年前の私は自身が「あの」ε-δ論法を使って定理を証明していることなど想像できただろうか?定理同士を組み合わせてある関数において独立変数がある点に近づいたときの極限値を計算できることを想像できただろうか?こんな風に自分の考えていることを数学用語を使って説明できることを想像できただろうか?答えは全て否であったろう。だが、私は現にそうしたことができるようになった。子供の頃にはたかだか算数が出来なくて泣いていたあの私が…。だから私は今後も努力を続ける限りは自身に数学的成長があるものと楽観してよい。来年の今頃はもっと洗練された数学的思考ができるようになっているはずだ。そしてその過程がとても楽しみだ。来年もまた、理科系の学生じゃないと~~は絶対理解できないと決めてかかっていた過去の自分の限界を打ち破る一年となるだろう。
私でも数学の能力を向上させられたのは、ひとえに集中して1つの教科書にアタックしたからだ。やはり浮気性というか、すぐ「別の数学書ないかな?」と思ってしまうのだけども、その飽き性をぐっと抑えて目の前にある教科書に励むことが大切なのだな。集中して取り組み、飽き性を抑える。今後も常に意識しなくてはならないことだ。
つづく
0 notes
zunbe · 1 year
Photo
Tumblr media
石油ファンヒーターが「E02」を出して止まるようになった。 石油ファンヒーターって、5年くらいで定期的に故障して、買い替えている気がする。 いつもなら「しゃーない、買い替えるか」と、買いに行くのだけれど、ビンボー人ずんべ、今回は修理をトライしてみる事にする。 同じ症状はないかとググってみると、あった! ってか、たくさんある。そんなメジャーな故障なのか。 なになに���フレームロッドなる部品を削ると直るですと? 削ると直る? 何それ? やってみる。 フロントカバーなどを外して、フレームロッドが見える状態にする。 写真で、ニョキっと出ているツノの右側がフレームロッド。 フレームロッドを取り外すのは面倒なので、このまま削る事にする。 燃焼部分に削りカスが入っていかないように養生して、紙ヤスリでゴリゴリ削る。どのくらい削ればいいのか見当もつかないけど、とりあえず5分くらい削ってみた。 元通り組み立て着火! しばらく様子見したけど、エラーは出ない。 お、直ったぞ! こんな簡単に直るのかっ! 石油ファンヒーターは、今までに何台か買い替えているけれど、今までのも同じ修理で直ったのかもなー。いろいろ勉強が足りませんな。50歳半ばだけど、まだまだ勉強していきたいと思います。 https://www.instagram.com/p/CmHVcstv0Hg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes