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#ミニ四駆楽しい
nemosynth · 1 year
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episode 2 - CASIO CZ-101
史上初の民生機デジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の 挑戦者として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。
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創業者たち、その名も“樫尾さん”という苗字の四兄弟に由来するメーカー“CASIO”。1970年代からハイテクな電 子計算機やコンピューターを開発製造販売し、そしてG-SHOCKなど腕時計関連で名機を輩出させたことで有名。
1979年あたり、既にYAMAHAは小型でプリセット音色のみを搭載した電子楽器“ポータブル・キーボード”を発 売予定であることをNAMM Showでアナウンスしていた。ご家庭向けにエレクトーンを小型化したような文脈で考 えていたらしく、むろん販路は正しく楽器屋さん。その予告通り初代ポータサウンドことPS-1(鍵盤Fスケール2 オクターブ半)、PS-2(同3オクターブ)、PS-3(同3オクターブ半)の三羽ガラスが発売されたのが 1980年。 だがその出鼻をくじくかのように、CASIOは初代カシオトーン“CT-201 Casiotone”を、同年1月に発売したの である。しかも販路は電気屋さん! はなから楽器を相手にしていないエンタメ志向。
世の中アナログ・シンセしかなく、ましてや翌年にその王者ROLAND Jupiter-8が出るなんて誰も知らなかった 1980年1月、なんとCT-201は既にデジタル音源を搭載。計算機メーカーが楽器を作るだなんて無謀なことをと誰もが笑ったというが、なにしろ“デジタルはカシオ”(というCMが当時ありました)。デジタル・テクノロジーが可 能にせしなんぴとたりとも追いつけない価格破壊と優れた仕様と楽しい性能で、あっというまに低価格のご家庭用 お楽しみ電子楽器ファミリー向けプリセット型キーボードという世界を築き上げ、ゲーム・チェンジャーとなった ことは周知の通り。
1980年にして既にデジタル・シンセシスを搭載したCT-201。8音ポリ4オクターブ49鍵、ベロシティには対応 せず音色エディットも不可。その代わりプリセット29音色(YAMAHA初代ポータサウンドは4音色のみ)。スピー カーを内蔵しているので音も出る自己完結型の電子鍵盤楽器。9万7千円は高いと思われるであろうが、当時のシ ンセはアナログ・シンセばっかでポリシンセと言えば何十万円、モノシンセでも10万円前後というときに、ホー ム・マーケットへ向けて電子ピアノでもオルガンでもシンセサイザーでもない8ボイス・キーボードが、しかも飛 びきりの安価で殴り込んでくるとは誰も予想だにしなかったのである。
「電卓屋」とバカにされたCASIOには、だからこそ大きな武器があった。デジタル技術と生産技術である。
当時CASIOのデジタル技術は、YAMAHAよりも5年は先をゆくものであったという。そして絶対に売れるものを徹底的に量産する。それも安定してクオリティをキープしつつ、ありえない低価格で桁外れな数で大量生産。ここで忘れていけないのは、“数撃ちゃ当たる”とよく言われるが、“数撃ちゃハズレはもっと増える”のである。ハズレ撲滅! 花形の設計開発エンジニアたちがヒーロー・インタビューに応える影で、撃って撃って撃ちまくれの檄 (ゲキ) が飛ぶ中、ハズレ撲滅のためいかに製造/資材調達/品質管理の現場の皆さんが頑張っておられるか、それは美しきにっぽんのものづくり。不良率低減の5文字こそが工業立国メイド・イン・ジャパンの生命線。卓越したプロダクション・テクノロジー、イギリス英語ではインダストリアル・テクノロジー。廉価版デジ タル音源キーボードをしかも圧倒的な台数で作るというのは、実は電卓屋CASIOが電子楽器をして量産品にまで押 し上げし歴史的メルクマールですらあった。
庶民の味方カシオトーンはあっという間に新しい市場を開き、すぐさま自動伴奏機能が付いてファミリー向けの 定番となり、光ナビゲーションはもちろん、バーコードを楽譜の代わりに読み込むバーコード・リーダー搭載モデ ルまで出現、この痛快なる常識破りっぷりが大ウケ。音色やリズム・パターンのバリエーション急拡大。YAMAHA ポータサウンドと一騎打ち。
そして“子音母音方式”とも呼ばれたカシオトーンの音源方式は、その名の通り子音と母音、つまりアタック・ト ランジェントと持続音部分という2つの音色をまさに部分音合成するものであった。カシオトーンはその後のデジ タル・シンセのあり方すらをも予見させる迫力に満ちた先駆者でもあったのである。ROMに言わばエンジニア様直 筆の手描き波形まで仕込んだらしいから、すごいねぇ。
そのCASIOが家庭用キーボードからさらに一歩踏み出し、プロ用シンセを手掛ける初めとなった、いわばパイロ ット・モデルのような機種がようやくここで紹介するCZ-101。ときに1984年11月。
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MIDIが誕生すると同時にYAMAHA DX7が発売され、あっという間にアナログ・シンセが過去の遺物として片付 けられてしまってから1年。カシオが突如として発売した同社初のシンセCZ-101。それはDXへの最初のチャレン ジャー、デジタル・シンセ対抗馬、YAMAHAにしてみれば“またお前か!”と言いたかったやも。ミニ鍵49鍵とい うかわいいフォーマット。エンド・ピンも付いてダサかっこいい肩掛けもできる。そのポップで直線的な80'sデザ インは立花ハジメによるもの。のちのポップなカラーリングになった上位機種たちに比べれば、CZ-101のそれはま だまだ地味。だが既にDXとは全くテイストの異なる外観に、CASIOがYAMAHAの対抗馬となる片鱗が見えてい た。
だがいくらカシオトーンで成功していたとはいえ、さらにそこからいきなりヲタでニッチなデジタル・シンセへ と跳躍するには、持ち前の大量生産技術だけにとどまらないCASIOなりの勝算があったはずである。
まず計算機メーカーだったカシオは、その中枢となるデジタル演算を行うICチップなんぞいくらでもNECや日立 などから買うことができる大口の大得意様であった。というのも電子楽器のために特化したICを作るとなると、仕 様が特殊であるだけでなく計算機などと比べても圧倒的に販売台数が少なく採算割れするため、作ってすらもらえ ない。だが電卓屋カシオは既にチップ・メーカーからすれば御大尽さまご贔屓さま、むしろどんどんチップ・メー カーの方からさまざまな売り込みがあったはず。事実CZ-101には他社に作ってもらったICがたくさん搭載され、そ れでもって音源回路となした。電卓屋カシオ面目躍如!
また徹底してコスト・ダウンすべく鍵盤におもりやスプリングなど付けることもなく、鍵盤下に敷いたゴム・ス イッチそのものにいきなり鍵盤を載っけて直接支えさせ、ぷにゅぷにゅ言わすことで鍵盤の反発力を生じさせてい る! すなわちYAMAHAのように楽器屋さんとしてのプライドと歴史からタッチ・センスにこだわるのではなく、 逆転の発想でタッチ・センスを省くことでしがらみから解放され、画期的にコスト・ダウンして斬り込んできたの である。しかも打鍵の強弱に左右されないおかげで、誰が弾いても一定のクオリティとなるを担保。旧態依然とし た楽器にとらわれない、計算機メーカーならではの自由な発想であろう。
さらにカシオトーンに欠かせない自動伴奏機能からヒントを得たのであろう、マルチ音源化。そしてお得意のミニ鍵でもって設計リスクの小さなパイロット機種となし、かくしてCZ-101はCASIO初の量産型シンセとして、しかもアナログ・シンセではなくいきなりのデジタル・シンセとして飛び出した。
「Xの次はZだ!」
デジタルYAMAHAへの挑戦状を最初にたたきつけた思わぬ伏兵、CASIO CZシリーズ。ラインナップ急拡大。しかもヤマハDX9の失敗を見て、19万8千円がタッチ・センスなし機種として許される上限価格と見極めたのであろう、フラッグシップ・モデルCZ-5000とCZ-1とが、共に19万8千円で誕生。楽曲制作かプレイヤー志向かの二者 択一。史上2番目の民生機デジタルは、だがタッチ・センス無きビンテージ・アナログの戦略を踏襲しつつ、それ を画期的にデジタルで換骨奪胎して提示してみせた知恵者であった。
同じことは、カシオ独自のPD音源(Phase Distortion Synthesis)にも言える。FM音源と同じく位相変調方式 であり、サイン波の代わりにコサイン波を使うことでYAMAHAにシバかれた音源方式。だが、傍目にはただのデジ タル化された減算方式にしか見えぬ。DCO→DCW→DCAというフローに隠されたモジュレーターとキャリア。 DCWに至ってはDigital Controlled Waveという名の謎のモジュール。計33種類に達する音源波形なるものがもた らす音の多彩さは、とてもアナログ・シンセの比でない。レゾナント波形もあるばかりか、パルス波1波/サイン 波1波/ノコギリ波1波の3つが交互に出現するという、キテレツな波形もある。
そればかりでない。CASIOの鋭さは、アナログであればカットオフとEGデプスに分化しているパラメーターを一 つにまとめた合理化センスにもある。前例主義や様式美なお作法に対し、ちゃんと注意を払って革新しているので ある。トドメはYAMAHAですら採用しなかった8ステップのエンベロープ・ジェネレーターを、しかも音程、音色、音量の3ブロック個別に持つことで、アタック・トランジェントすらをもEGで自作できるというぜいたくさと 柔軟さを誇ったこと。すなわちトランペットを吹くときに唇が震えるリップ・ノイズ、撥弦楽器の弦のビビリなど など、のちのサンプルのような鏡写しでは無いにしても、キッチュながらリアルな独自のキャラを持つに至った。 アナログな音も、デジタルな音も、サンプラーのような音までもが出る万能シンセ! それがこんなちっちゃいボ ディで乾電池で駆動までできる! シンセ界のスイス・アーミー・ナイフのような機種、それが驚きの隠し玉CZ- 101。
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かくして音創りしやすい減算方式にしか見えないのに、新しい音がするところにデジタルが切り拓く未来があっ た。しかもサンプラーではなくシンセであり、PCMでもないが故、かえって自由に音創��できたところはシンセの 本分をよくとらえている。リング変調やノイズ変調まであり、CZシリーズ上位機種に至ってはぜいたくな三相コー ラスを備えるなど、画期的コスパも発揮。
なお、DCOという言葉が使われているが、本来DCOとはピッチのみをデジタル制御させたアナログ・オシレータ ーを意味する。だがCASIOが言うDCOとは実はDCOではなく、フル・デジタル・オシレーターであり、すなわち DOとも言うべきもの。この混同が、他のDCOシンセをしてVCO原理主義者アナログ・シンセ警察から“音が薄 い”などと因縁を付けられる要因になったやも。よもやクラブ・ミュージックにおいてCZの音が“デジタルなのにあ ったかい”などと重宝されることになろうとは、一体誰が思い描けたことであろう。
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一連のCZシリーズを展開する傍ら、CASIOは史上初の16ビット・サンプリング・シンセFZ-1、高橋幸宏のタイ コの音を搭載した言わばシグネチャー・モデルみたいなサンプリング・リズムマシンRZ-1、同じく幸宏が開発にか かわったデジタル・ドラム・セットDZ、音符マークが付いたボタンまで搭載し分かりやすい単体シーケンサーSZ- 1、なんとMIDIスルー・ボックスTB-1に至るまで、一気に電子楽器ラインナップを広げた。CZ-101から4年後には 次世代モデル、それもフルモジュラーなiPD音源(interactive Phase Distortion Synthesis)搭載デジタル・シ ンセVZ-1や、同音源を搭載したギター・シンセPGシリーズまで投入。
さらにはアドバイザーだった冨田勲のために和製Synclavier的な巨大ワークステーション・システム“Cosmo Synthesizer”も制作している。これはCZ-101に先行する極めて大規模な実験機種であり、MS-DOSマシンを中核 とし、PD音源モジュール8基、サンプラー音源モジュール2基が組み込まれたラック・タワーがそびえ、波形も音 色もシーケンスも専用PCエディターで編集し制御するのであった。それを冨田勲さんはメディアアート・イベン ト“アルス・エレクトロニカ”の一環としてオーストリアはリンツのドナウ河畔で開かれた超巨大立体音響野外コン サートに使った。CZシリーズが別名“コスモ・シンセサイザー”と称されるのは、これに由来する。
最初にMIDI規格を立ち上げたときにはかんでいなかったCASIOが、さりげなくCZを4パート・マルチティンバ ー仕様にしてきたことも先を見越した鋭さであろう。MIDI制定にカシオは関与してこなかったのに、それでいてそ の本質を見抜いた慧眼(けいがん)はやはり初めからデジタルに強いメーカーならでは。先述のCZ-5000はマルチ 音源であることを利用し、KORG M1に先駆けたワークステーション・シンセとなった。このマルチティンバーを生 かした進化形には SD音源(Spectrum Dynamics Synthesis)を搭載したシンセHZシリーズからHTシリーズへ と進化した“自動伴奏シンセ”まであった。
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史上初のデジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の挑戦者 として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。YAMAHAに挑み、その好敵 手となったのは実は門外漢だったはずのCASIOであった。
得意のデジタル・テクノロジーでもってシンセ界に殴り込んできたカシオ。他社がデジタル化に乗り遅れうろた えているときに、逆にしょっぱなからデジタルで斬り込んできたCASIO。楽しく音楽するためには、必ずしもシン セは楽器でなくてもいいと見抜いていたCASIO。楽器たるしがらみにこだわったYAMAHAとは真逆に、楽器メーカ ーでは無いからこそお気楽に楽しめる別な楽器の世界があると知っていたCASIO。優れたプロダクション・テクノ ロジーでもって親しみやすさ分かりやすさを命題としたCASIO。お高くとまった楽器にきっついブローをかました CASIOは、その実フレンドリーな庶民の味方であった。
外様だったはずのCASIOが暗に掲げたのは、楽器の民主化であった。いや、外様だったからこそ楽器の民主化を 掲げたのであろう。CASIOが実現したのは既存メーカーがなし得なかった価格破壊だけでない。CZを踏まえて登場 した自動伴奏シンセを、だっさいなどと思うことなかれ。弾くのがややこしい伴奏もノー・プロブレム、マルチテ ィンバー音源とマルチトラック・シーケンサーとの組み合わせでもって、そうとは感じさせることなく機械が人間 を自然にアシスト。
人と機械との親密でフレンドリーで幸せな関係、それを理屈抜きで分かりやすく提示する。アトムやドラえもん がいる日本ならではの、機械が人間と共存する理想的な関係。いずれたどりつくであろうその未来はAI vs 人間で はない。AI が勝つのでも人間が勝つのでも無い。ポジティブな“ウィズ AI”。そんな未来に至ることになろう一歩 二歩を、エンタメ楽器ならではの切り口で分かりやすく平べったく描いたのが、市民感覚CASIOの楽器であった。 つまりそれは、楽器であることを棄ててもまだ楽器、おつむのおカタい楽器に一石を投じる新しい楽器の産声であ った。
CASIOは、えらい!
(2021年9月21日Sound&Recording公式サイト初出)
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crydayz · 1 year
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230220 月
自分メモ:会議15:00(いつもより早い
お絵かきレギュレーション革命が起きている。 いままで我々が自然に認識していたイラストレーターとしての格好良さや誠実さの「物差し」が大きく揺らいでいる。
画力を「自己鍛錬」によって身につける事(実技)の意義と価値が問われている。
絵描きは言いたいことの8割をローカルかクローズドな場所に吐き棄て、残り2割のトゲを丸めて蒸留したものを表WEBに小出しにし、スコア高いもののみ残したらいい。
そしてその中で「成長に繋がらず応援もされず収益にもキャリアにもならないこと」を限界まで切り捨て「楽しく気持ちよく成長できるポジティブで応援されやすい思考と行動」をチョイスし洗練していったらいい。
ほとんどの人が苦しみながらやっている「決定版トレーニング」があったなら自分だけはそれを「楽しみながらやる裏技」見つけてしまえばいい。
「皆がやってる当たり前にキツい自己鍛錬や営業や投資」を気負いせずむっちゃ楽しみながらマイペースにこなす方法見つけてしまえば「がまんしてやってる人達」は勝手に脱落していくので高確率で生き残れるし、生き残った実績と信頼を担保に「体験談」や「ハックのテクニック」をまとめて商品化することもできる。
そういうの面倒くさいならとにかくスポーツとしてスコアをストイックに稼ぎまくれば普通に評価され「自由とキャパ」が手に入る。
ほとんどの絵描きが欲しいものはお金よりも名誉よりも「自由とキャパ」なはずだ。
競争せずともそれが手に入ってしまう人間は「受注者」として仕事を請けて絵を描くのは難しいかもしれない。
いつの日か自由を手にし生活の事一切気にせず好きなものを好き勝手描き、それを受け入れてくれる人々と毎日楽しく遊んで過ごす・・ そういう「叶わぬ夢」を抱いて理不尽受注仕事に囚われている人間でない限り、わざわざ厄介な箱の中に入り競争したいという気持ちは湧きづらいだろう。
「不自由の地平から始まったモチベーション」でない限り「諦めれば容易に回避できてしまう理不尽」と向き合い続けるのは困難である。
不自由な人々はとにかく好きな事を思い切り楽しみどんどん成長して応援されて利益を生み、退屈なやつらが強いる理不尽と脅迫を跳ね除けろ。
頻繁にへこたれてもいいが音速で持ち直して再チャレンジするのだ。
「一発で通す」という真剣さと「リトライに対する許容」。その矛盾した2つの心理を都合よく利用して何度でも「真剣で新鮮なリトライ」重ねて成長してゆけばいい。
人力イラストに関しては「損切り」は禁物だ。損切りした瞬間に「自分の実技」で絵を描く意味は失われ「プレイヤー」から脱落し「エンジニア」や「オペレーター」や「監督」になってしまうから。
価値観は常に変容してゆく。例えば「ミニ四駆」は「四輪でボディがついた車両」という概念を無視して設計すれば通常フォーマットでは決して出せないタイムが出せてしまう。しかしそうなるともはや「コースをコースアウトしないように走るモーターを積んだなんか」でしかなくなってしまう。
スコアは追求できるがそうやって出したスコアを誰がどう楽しみどう評価すればいいのかがわからなくなる。
あまりにも既存の枠から逸脱したフォーマットで収めたスコアは「別ジャンルのスポーツ」として再定義するしかなくなるのだ。
カルチャーの再定義や革命ってものにはどうしたって「気後れ」と「恐怖」が生じる。
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endekashi · 1 year
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あーさーさーさーさーさー。
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この辺の人って、やらかしちまった時に「あーさーさーさーさーさー。」って言うの知ってます?
それ、やってきました。
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本日はなせツアー。二日間続いた晴れ。一昨日は子守、昨日は頸城、ここ最近の白馬ヴァリーの斜面状況がわからなかったえんでかしは一か八か、初めて行く森へなせツアーで突っ込む暴挙に出ました。
ショナイにしたいので場所が特定できる写真は差し替えますね。
だいたいこんなような人達が集まってくれました。
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朝から森の主がお出迎え。お邪魔しやす!
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お!肉抜きVERTSじゃないすか!ミニ四駆世代にはたまらんフォルムですね!
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そんじゃ行きましょうか。
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思ったより天気もよくいい眺めです。
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小一時間歩いていよいよドロップ!
俺が先にドロップして斜面の様子を見におりました。最初はなかなかいい感じの斜面でしたがもう少し降りると…。
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ノーウェイ!!
先日の雨の時と思われる大量のデブリが!!
これ、この前ケノザが行ってたようなやつやん!!
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あーさーさーさーさーさー。
こいつはやっちまったな〜。いいとこみんなデブリ。
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とりあえずお客さんにはなるべくデブリのないところを滑ってもらう。
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雪はそこまで悪くはありませんでした。
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初バックカントリーにしてなかなかな斜面を味わうゲスト。
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いあや〜こいつはすいません。あんな雪崩てるとは思わなくて…。テヘヘ。
この次のピッチはデブリもなくゆるふわで楽しめると思いますんでね、へい。
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ゆるふわ〜。ここはまあ良かった、重かったけど。
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さて、初バックカントリーの方もいますんでちょいとビーコンサーチの練習なんかもしましょうか。経験積んで徐々に色んな事を学んでってください。
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おや、あんまり見た事ないスノーシューすね。え?おフランス製?お〜トレビア~ン。
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さーて登り返しましょう。もう一本滑れますんでね!よし!次で挽回だー!!
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再び主が。なーにやってんだおめえら〜。
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えっさほいさと横移動。あんまり上に登らなくて、もう一本いいの滑れたら、このルート結構いいんじゃねえの?なんて淡い期待を抱いていましたが…
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あーさーさーさーさー。
まともには全然滑れずほぼほぼトラバースで終了〜!!
ズコーーー!!
特に初参加の二人はかなりこのトラバースにやられてた模様。
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とまあ、空振りしまくった本日。でもね、コンディションのいい時の思い出より、苦労した時の思い出の方が後々まで覚えてるんですよね!なんつって〜。はいすんません!!もっと精進します!!てなわけで〜
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でした!!&これに懲りずにまた来てね!!!
出たー!三段締め!!
明日はニッシーツアー!!頑張るぞー!!
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pinepan7 · 2 years
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側だけアウトドア車が人気なら、中国みたいに外装だけのドレスアップメーカーが台頭してくる、EVはミニ四駆みたいにボディーだけ変えて遊べそうで楽しみ
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2015/06/27 #RAPSTREAM CO-SIGN VOL.19 feat. RYKEY
文:伊藤雄介(Amebreak)
現時点での目立ったBuzz ----「特に無し。」 過去にリリースされた自分名義での音源 ----「ゼロ。」      景気の良いセールス・トークや、良くも悪くもHIP HOPポリティクスを感じさせる人脈アピールなどの文句が並ぶことも多い、レコード会社/レーベルが作成するアルバム・リリース・インフォメーションだが、デビュー・アルバム「Pretty Jones」をリリースしたばかりのニューカマー:RYKEYの資料でまず目に飛び込んできたのは、上記のようなキャッチ・フレーズだった。    確かに、RYKEYというラッパーのこれまでのディスコグラフィを振り返ると、AKLO“RED PILL”のオフィシャル・リミックスでの客演や、YOUNG FREEZ「BE FAME」収録曲“NEW FAME feat. JAZEE MINOR & RYKEY”ぐらいしか確認できず、「ONE YEAR WAR周辺のラッパーなのか?」ぐらいの認識しかなかったリスナーも多いのではないだろうか。今作「Pretty Jones」では、彼の人間性/人生観やこれまで辿って来たライフの紆余曲折振りを窺わせる楽曲こそ多いが、自伝的な内容というわけではないので、今作を聴いた後のリスナーにとってもいまだヴェールに包まれた存在のままだろう。      RYKEYは、1987年東京・八王子生まれ。自身の幼少期を、彼はこう振り返る。   「思いついたことは何でもやっちゃうし、何でも出来ると思ってた子供でした。『学校抜け出したいなー』と思ったら抜け出したし、『お金ないけどミニ四駆欲しいな』と思ったら、友達から借りパクしてでもお金を作った。お金の作り方っていうのも、自分たちで考えてたというか、『そういうことも自分で出来るな』って子供の頃から思っちゃってた。周りが、若くしてオトナがやるようなことを平気でやってたような環境だったんですよ、八王子って。『裕福な家じゃないのになんでそんなキレイなバイク乗ってるの?』とか、そういう環境が周りにあったから、『自分たちで何でも出来るんだ』って、小さい頃から植え付けられてたっぽいですね」     君も知ってんだろ俺の噂 あのハーフとは遊んじゃダメの噂 人の価値を耳と目で測る町が 東京サバンナと知った真夜中 (“ホンネ”)  
 日本人の父親とケニア人の母親を持つRYKEYは所謂“ハーフ”であり、MV曲“ホンネ”でも、その外見故に味わった経験が綴られているが、「Pretty Jones」で自身の肌の色について言及しているのは上記のフレーズぐらいで、自身のアイデンティティについての葛藤や誇りといった要素は意外なほど少ない(これもまたステレオタイプ的な見方になってしまうが、HIP HOPのリリックにおいて、本来は相性の良いトピックだろう)。
「周りの『RYKEYはこうであっていてほしい』って思ってた姿と、自分が『将来こうなるであろう』と思ってた姿がシンクロしてた部分もあるし、『自分が将来こうなりたい』って思っていた通りに生きていけたから、ハーフがどうのということより『自分がどうカッコ良く生きていくか?』ということを意識させられる環境だった。だから、肌の色が違って『アイツ黒んぼだ』みたいに言われてイヤな思いをするような環境に、自分はいなかったですね。姉ちゃんがそういう音楽(ブラック・ミュージック)を聴いていたから、黒人文化っていうモノに小さい頃から慣れ親しんでいたし、中1ぐらいになるとギャング文化や2PAC、SNOOP DOGGとかも流行ってて。そこで自分が変な劣等感を持っていたらまた違う道に行っていたかもしれないけど」
 かなり早い段階でHIP HOPやギャング・カルチャーに惹かれていったRYKEYは、中2で地元:八王子のギャングの一員になったという。
「お母さんと八王子の駅の方に買い物行くと、青いバンダナ巻いてる人が普通にいて、『あの人たちに近づいちゃダメよ』なんて言われたし、親レヴェルでも分かるぐらい、ギャングや暴走族は当たり前の存在だった。で、バンダナ巻いてランド・クルーザー乗りながら浜崎あゆみとか聴いてるような先輩なんていなかったし、そういう人たちが聴いてたのは大体2PAC/SNOOP/JAY-Z/NASとかでしたね。そういう環境が身近にあったからこそ、『どうしてギャングに入ったの?』って訊かれたら『当たり前でしょ、そうなりたかったんだから』っていう答えしか出て来ないんですよね。僕はそれ(ギャング)に夢や希望を持ってたし、何よりその人たちをカッコ良いと思えた。だからマネしたというか、『俺の方がこの人たちよりもっとヤバくなれる』って思ったんです」
「ギャングに入った後は、時の流れと共に生活していって、当たり前のように悪いことをしていたら、当たり前の結果が待ってて捕まったりとかそういうこともあって、いろんな施設も行った。だけど、そういうことも俺の中では『HIP HOPなんじゃないコレ?』って、“中”にいるときも“外”にいるときも思えた。“中”に入ると、普通の人だったら『もう俺は終わった……』みたいになっていくと思うんですけど、自分の場合は『え?そこで思ったことをリリックに書いて、糧にする場所なんじゃないの?』って思ってた。でも、逮捕者や犯罪者にとって一番大事なことって“結果”だな、って思います。何事も、口だけじゃなくて結果を見せないと誰にも信じてもらえない、というのも感じましたね」
 早い段階でストリート・ライフに身を投じたRYKEYだが、彼がラップを通して自己表現する術を最初に意識したのも、ギャングに入ったのと同時期のようだ。
「中2〜3ぐらいのときに、クラブに行ったんですよね。そこでライヴやってるヤツを観て『こんぐらい(のレヴェル)で人前に立てるんだ?』って思って、そのぐらいから『え?だったら俺が立ったらどうなっちゃうの?』って思い始めて、先輩に『俺の方がもっとヤベェっすよ』とか言ってたら『じゃあやってみろよ』ってなって。そのぐらいからフリースタイルみたいのを始めてみて、って感じですかね。先輩とかは、OZROSAURUSとかHeartsdaleとか聴いてて、『日本語でこういうのもあるんだ』って思ったのが、(日本語ラップと出会った)きっかけですね。その後、2000年代中盤以降のいろんなハードコアなラップを聴くようになって、『言いたいことは何でも言っていいんだぜ』みたいなラップの本質を俺に教えてくれたんです」
 彼の発言の通りだとすると、現在27歳の彼がラップに開眼したのは2000年代中盤ということになるので、そういう意味では比較的遅咲きのラッパーと言えるだろうし、それはストリート・ライフに浸かりきってしまっていた彼の近年までのライフスタイルに因る部分が大きいだろう。そんなRYKEYが、ラップに対してシリアスに向き合うようになったのは去年のことだという。
「期待を裏切るような行動を俺がしてしまって、そのときに初めて『俺って期待されてたんだ』って思えたんです。そこで、『自信を持つこと』の大切さに気づいた。自分を神みたいに思ったり、『自分は誰よりもヤバイ』って思えないと、人に何も提示できないなって、そのときに思ったんです。その前の段階でも、周りにいた人たちの言う通りにやってればどうにかなったかもしれないけど、まだ自信がなかった。そのときから自分が誰よりもヤバイと思ってたし、『もっとヤバイ段階を俺は知ってるんだよ』って思ってたけど、それが今だって言い切れる自信がなかった。でも、去年にそう気づいたタイミングがあって、JIGG君に電話して『ラップやりましょう』って伝えて。そこからスイッチが入って、狂ったかのように書いていきました」
 「Pretty Jones」の全体の監修は、ONE YEAR WAR MUSIC所属のプロデューサー:JIGGが担当している。彼の存在なくして現在のRYKEYはないと言えるが、JIGGはRYKEYとの最初の出会いをこう振り返る。
「(知り合ったのは)かなり前ですよ。自分はクラブでSIMONのライヴDJをしてたんだと思うんですけど、そのときにたまたま会ったんですよね。直接、『ラップ出来ます』って話しかけられて、『じゃあスタジオに遊びに来れば?』って言ったら本当に来た」(JIGG)
 JIGGのように著名なプロデューサーであれば、現場で自己アピールしてくる無名のラッパーなど数えきれないほどいるだろうし、いちいちその全てに対応することなど不可能な筈だ。だが、数えきれない程そういったラッパー志望者たちを見てきたからこそ、JIGGは何か特別なモノを(ラップを聴く前から)RYKEYに感じたのだという。
「RYKEYの場合は“勢い”が違ったんです。『いや、自分、ラッパーなんで!』みたいに、真っ直ぐな感じで来られて、そこから何か出て来るモノがあった。あと、個人的に気に入ったのは、ホテルにチェックインするときに連絡先とか書く紙に『職業:ラッパー』って書いてたんですよ。ラップでご飯食べてないのに職業欄に“ラッパー”って書いてるって、コイツ馬鹿じゃないの?って(笑)。でも、それを堂々と書いてる時点で『コイツはヤバイに決まってる!』って思ったんです。それだけで、スキル云々じゃない部分をカヴァーできてると思ったし、逆に言うとそこ --“素材”しか見てなかったです。“中身”はコチラでは何もすることが出来ないんですよ。でも、“中身”が良ければその後にスキルを足すことはいくらでも出来る」(JIGG)
 このJIGGの発言は、セルフ・ボースト的なリリックが意外に少ない「Pretty Jones」を聴いただけでは分かりにくいかもしれないが、本取材時に初めてRYKEYと対面した際、筆者に強烈な印象を与えたのは、JIGGと同様、その「謎に自信マンマンな態度」だった。どれだけ威勢の良いことをラップしていても、実際に会ってみたら控えめで謙虚な人が多いモノだが、RYKEYは近年のニューカマーMCの中でも異彩を放つレヴェルで、自分に対する自信の強さをアピールしてくる(かと言って偉ぶっているというわけではなく、人柄は好青年といった印象なので、そこは一応付け加えておきたい)。その根拠について、決して具体的な例を挙げてくるわけでもないのだが、何故か納得させられてしまう“何か”がある。喩えるなら、初心者なのに自分を“バスケットマン”と言い張り、スキルは荒削りだが随所で才能の片鱗を見せつけ、とてつもない可能性を感じさせる『スラムダンク』の主人公:桜木花道のような感じだろうか。
「(ラップをする動機は)完璧に『職業:ラッパー』って言いたいから。例えば、彼女の実家に行ってお父さんに挨拶するとき、『仕事は何をやってるの?』って訊かれて『ラッパーです』って答えたら、今だったら『ご飯食べていけるの?』みたいな話になると思いますけど、そんな話にもならないぐらいの状態になりたい。自分の彼女のお父さんに、あなたは自信を持って『ラッパーです』って言えるか?今の自分は、自信を持ってそう言える。カネがどうこうじゃないんですよ。ラップをしてないと生きてる意味がないんです。“ラッパー”の生活って、やっぱり普通の人とは違うモノだと思うし、そこの壁に自分がぶち当たったこともあった。全てに足を洗ってラップをやってきたけど、『みんなが仕事してる間も、こっちは好きな時間に起きて曲作りをずっとやってる俺って、ボンクラなんじゃないか?』って。今は、ラップをすることでやっとお金が動くようになってきて、安心してる状態なんですけど、この状態になるまでは『ただ遊んでるだけでしょ?そんなんでお金になると思ってるの?』って思われてるんだろうな、って感じてた。そういった葛藤もラッパーである上では避けて通れないけど、こういう風に作品として提示できれば、周りが見る目も変わってくるだろうな、って」
 こういった想いから、ひとつの形としてRYKEYが生み出したのが、今作「Pretty Jones」だ。アルバムのタイトル/方向性について、彼はこう語る。
「“Jones”っていうのは、“麻薬中毒”みたいな意味で、『同じのずっと聴いちゃうよ……なんだコレ頭から離れない』みたいな状態のこと。“Pretty”っていうのは、賢かったりキュートだったりオシャレだったりズル賢かったり……全てにおいて完璧な状態というか。確実にサマになって、確実に中毒性のあるアルバムっていう、そういうタイトルです」
「今作は、『ラッパーとは何か?』というのを提示したアルバム。聴いてもらえば分かると思うけど、何が言いたいのか分からないようなアルバムではない。ラップの上手さって、自分が通ってきた人生の中で(見つけた)普遍的、人が共感出来るようなパンチラインをどう落とし込むかだと思うんです」 
 「Pretty Jones」は、デビュー・アルバムだということも踏まえると、実に不思議な感触のアルバムだ。彼ほど波乱万丈な生き方をしてきたラッパーなら、もっと自叙伝的な内容になっていてもおかしくないし、彼の人間性を考えるともっとエゴの強いアルバムになっていてもおかしくない。トラックを手掛けたのはJIGGを筆頭に、昨年AKLOやSALUへの楽曲提供で大きく名を上げたSALTWATERや、SIMON/Y'Sらのプロデュースで知られるA-KAYといった“現行”なサウンドのイメージの強い面々だが、驚くほどシンプルで落ち着いたサウンドだ。そして、そのサウンドから引き出されたRYKEYのラップも、確実に彼の人生観や経験が反映されてはいるのだが、自分自身をある種客観視しているような、ドライな表現も目立つ。
「このアルバムに出て来る“俺”っていうのは、僕(RYKEY)のことではなく、みんなの中にいる“俺”なんです。物語の中心人物はRYKEYだけど、聴いてる人がRYKEYになれるというか。そういう、普遍的な捉え方を大事にしたかった。『コレ、俺のこと言われてるんじゃねえか?』『俺にも心当たりあるな』みたいに、確実にそういうところに落とし込むようにしてます。このアルバムを聴いて『コイツ、生意気だな』みたいに思う人はいないと思うんですよ。人間が誰でも持ってる強い部分も弱い部分も歌ってると思うんで」
 RYKEYは、“技巧”という面で考えるなら、まだ未発達な部分も少なくないラッパーだろう。ライミングも決して「堅い」とは言えないし、ダブル・ミーニングや比喩表現などの詩的な要素が強いわけでもない。だが、それでもこのアルバムに筆者が惹きつけられたのは、上記の彼の発言の通り、自身のライフをベースにしながらも、それを普遍性のある表現に落とし込み、リスナーに共感の余地を与える“引っ掛かり”を作り出すことに成功しているからではないだろうか。JIGGも、今作に関して「スキル的な基準で測らない方がいいのは間違いない」と語る。
「今までも何人かアルバム単位でプロデュースしてきて、それぞれの良さがあったんですけど、RYKEYの場合は特に“人間”が面白い。正直、そこしか見てないかもしれない。だから、今までプロデュースしてきた“スキルフル”なラッパーと比べると、『アレ?上手くないじゃん』って言われるかもしれない。技術やロジックで聴くんじゃなくて、普通に“音楽”として聴いてみてほしいですね。トラックでも、音が良くてスゲェ良く出来てるトラックなのに何も伝わってこないトラックってあるじゃないですか。一方で、音が悪くてもトラックから初期衝動が感じられて『カッコ良いじゃん』ってなるトラックもある。それと同じで、ラップには『上手い』っていう要素は当然必要だし、出来れば上手い方がいいんだけど、そこを超えるぐらいの魅力があった方がいいと思うんです」(JIGG)
 「Pretty Jones」はリリースされたばかりだが、既にアルバム一枚分のマテリアルが完成しているというRYKEY。彼は、その自信の強さを自らの行動で証明していくべく、アルバム完成後も休むことなく日々楽曲制作に励んでいるようだ。この“RAW”な才能が、次の段階ではどう磨かれているのかを確認できるタイミングは、そう遠くないのかもしれない。
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lacico · 2 years
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明日、急遽アトリエSHOPオープンします! 連休初日ぜひ遊びに来て下さいね☺️🏠✨ @yoridokoshop さて、今回のお写真は!!📸 お客様よりリクエスト頂き誕生した新作 【 #ミニ四駆スリッポン 】です🏎✨ ネオンカラーが映えまくりな スーパーファンキーな一足!🕺🎊 #ダッシュ四駆郎 世代の私ラッシーが、 テンション爆上がりで製作致しました 👟✍️😆✨✨✨✨ しかし、 超高難易度の繊細なデザインで、 少しの歪みでパースが狂ってしまい ミニ四駆感が台無しの恐れが、、、 なので、すんごい緊張感の中で仕上げた 作りご耐えの抜群の作品でした💪✨ ご依頼頂き有り難うございます☺️🙌   🏠 実店舗 #ヨリドコSHOP ━━━━━━━━━━━━ 日 時|9/17(土) 11:00-17:00 場 所|ヨリドコ大正メイキン 住 所|大阪市大正区泉尾2-21-7 電 車|[大正駅]より徒歩15分 バ ス|[永楽橋筋]より徒歩5分 @yoridokoshop   #手描きスリッポンLACICO #lacico #ラシコ #ハンドメイド #イラスト #柄 #柄物 #テキスタイル #ヨリドコ大正メイキン #大阪 #大正区 #模様 #ハンドメイドシューズ #靴 #テキスタイル #愛車 #マイカー #柄コーデ #手作り #足元コーデ #ミニ四駆 #ミニ四駆柄 #スニーカー #sneakers #ネオンカラー #派手好き #ド派手 (ヨリドコshop) https://www.instagram.com/p/Cij7IeoPzAT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kz90210 · 2 years
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2022/09/11 新代田でGOING。 昨日色んな人のMC聴いたけど…やっぱり違うな。我ながらGOINGちゃん。 何度きいもミニ四駆の話はめっちゃ笑う。 将軍…記憶ないのはズルい😂 いっさんのピアニカ成功してよかった。 始まる前、何度も抑えるところ確認してるから こっちまで緊張うつる😂 グッときた。 今日は富さんがよく見えて楽しかったー。 素生さん…痩せた?って思ったら7㌔も落としたのか。健康でいてくれるためならいい。 ホーム…改めてすごいアルバムだ。 次はおやモン…踊り…忘れた… 帰りに八月。 青いお皿ははじめて。 良い事あるかなー✨ https://www.instagram.com/p/CiXFfcrpqnR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moja-asia · 2 years
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小学4年理科「電気のはたらき」
夏休みを前に次男(小4)が学校から持って帰って来たものがこれ。 プラモのような、ミニ四駆のような、何これ?って聞いたら、どうやら理科の勉強で使ったらしい。 よく見ると、4理科教材と書いてある。 電気のはたらきNR型と。 これを組み立てた物がこちら。 そういえば、1学期の終わりに直列だの並列だの長男と話ししてたな。これの事だったのか。 今時こんな教材使うのか。これは楽しいだろう。 使っている教科書は啓林館の「わくわく理科4」 3、電気のはたらきのところだな。 昔と比べると、ずいぶん楽しそうな教科書だ。 2年前の長男の時と比べても色々変わっていると思う。 次男に限ってはほっといても、どんどん勉強するから、本当に楽だ。
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msbar1973 · 3 years
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連日似たような写真ばかりですみません💦 #息子 の#msシャーシ #デュアルリッジjr の#ボディ提灯 を作り直しました。前回ツギハギだらけのものから今日は納得のいくものを。 明日息子がどんな顔するかが楽しみ😁 ちゃんと現車合わせして作ったので、#マスダンパー も#フロントタイヤ のすぐそばに配置。 #ミニ四駆 #ミニ四駆改造 #ミニ四駆おじさん #ミニ四駆始めました #ミニ四駆好き集まれ #ミニ四駆好きと繋がりたい #ミニ四駆pro #ミニ四駆大好き #ミニ四駆好きな人と繋がりたい #ミニ四駆楽しい #ミニ四駆に夢中 https://www.instagram.com/p/CWLd8OWhS6j/?utm_medium=tumblr
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crydayz · 3 years
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今最高に仕事できてて、最高に精神つらい。不本意な仕事をバリバリやれてる自分が情けなさすぎる。その中に気持ち良さを感じる自分というものがいるのが悲しすぎる。
なんかほら、秀才の悲哀めいたアレに聞こえるかもだが違うんだって。勝手にしらんやつが自分の性格と相性悪いアプリをインストールして、それに従わされて利用されてる感覚なんだってば。どうでもいいだろうけど。
だからなんだよ、氏ね!
だよなほんと。寝たい。もっと寝てたい。
本意な仕事(超ふざけたアート制作)も辛かったからもうとにかく全部が全部、辛いのだ。
食べ物食べまくって太りまくってビルの6Fから飛び降りてボールみたいに弾んで「たっのしー」ってしたい。好きな事なんて、仕事の中にはなかった。
依存的な環境の中で、親や教師に歯向かって自分を主人公だと錯覚してるシーズンが一番楽しかった。またあれに戻りたい。
戻して!戻して!
帰りたい!帰りたい!子供に還りたい。
児童館で滑り台を逆走してミニ四駆でレースしたい。ゲーセンでうまい人のプレイを後ろから眺めてうなりたい。PCエンジンを一日12時間プレイしたい。
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shineheadz · 4 years
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前年の96年オフ、西武の清原和博が死にたいくらいに憧れた巨人へのFA移籍が秒読み段階に。そうなると一塁のポジションが被る落合はどうするのか? そのシーズン、43歳の元三冠王は、8月末に死球を受け左手小指を骨折するアクシデントに見舞われながらも、打率.301、21本塁打、86打点、OPS.924と年齢を感じさせない堂々たる成績を残していた。  SMAPの香取慎吾や安室奈美恵が表紙を飾る雑誌『小学五年生』の96年5月号では、唐突に「落合博満vs.ラモス瑠偉」のスペシャル対談が実現。子どもたちが憧れるイチローとか三浦知良ではなく、唐突に2人合わせて81歳の大ベテラン濃厚対談。ミニ四駆のニューマシーンスクープ記事を楽しむ小学生がついて来れたのかは謎だが、ここで落合は手加減なしのオレ流ガチンコ発言を連発している。 「子供のころから憧れ続けてきた職業につける人間が、この世の中にいったい何人いると思う? オレもラモスもそれを実現している数少ない人間でしょう。それを考えたら、もったいなくて『オレ、やーめた』なんて言えないもの」 「よく『若手を育てろ』とか『若手を使え』という人がいるでしょう。でも、プロの世界は人に育ててもらうものじゃない。自分で育って、自分で這い上がってくるものなんだ。それだけ厳しい世界なんだ」  凄い、これを読まさせられる『小学五年生』読者のその後の人生は大丈夫だろうか……なんて心配になってしまうほど、大人の世界の生々しい真実をぶちかますリアリスト落合は、11月28日に「清原と自分の使い方で長嶋さんの悩む顔を見たくなかった」と、ミスターと並んで巨人退団会見を開く。
【男たちの挽歌】落合博満、最後の1年 | BASEBALL KING
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kirara397 · 4 years
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楽しい。 俺のブーメランJrかっこいい。#超速GP pic.twitter.com/6MRrvipoXP
— Swing-O@ミニ四駆アニマルブリーダー (@SWING_O_914) January 15, 2020
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ren19790209 · 4 years
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自転車・オートバイを整備する為の工具達を磨いた。 自粛要請が解除されたらライドを楽しむぞ! その準備ね。 最長老様はタミヤのミニ四駆ニッパー。 いったい何年物だよ!?www #工具 #工具箱 #工具好き #整備 #整備士 #自転車 #ロードバイク #バイク #オートバイ #ミニ四駆 #外出自粛 #外出自粛要請 #外出自粛中の過ごし方 #コロナに負けるな https://www.instagram.com/p/B-zS0hnlyji/?igshid=1wk9i0cghu9vh
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chibiutsubo · 5 years
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#おでかけ #21世紀美術館
満足いくまで落書きを楽しんで、次の部屋へ。入り口に暗幕が下がった暗い部屋に案内されたかと思いきや……!?
一歩中に入って……なんだこれは!?
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部屋中に張り巡らされた道の上を、ミニ四駆の土台部分の上に乗せられた灯りが次々に走っていく…。灯りの色は順に切り替わっていくので、同じ場所から撮っていても全く違った景色のようです。紫や赤の光だと怪しげな空間、逆に白や水色っぽい色だと、プラントの夜景のようにも見えます。
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nemosynth · 5 years
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<デジタルシンセ戦国記 IV ; Roland D-50>
●メーカー名
Roland
●機種名
D-50 Linear Synthesizer
'87年発売、定価 248,000円
●音源方式
・LA 音源方式の初号機 ・32 パーシャル、7ストラクチャー(パッチあたり2ないし4系統のシンセシス) ・PCM 音源とデジタル減算シンセ音源とが並列して単音色を創るという、ちょっと他では類を見ない特異な構造 ・当時 D/A コンバーターは、12 bit が主流。そろそろ 16 bit が出始めていた。D-50 では、その当時としては驚愕の 20bit を実現! 内部処理は 28bit を実現!
PCM サンプル波形を使った音創りを、史上はじめて大々的に音楽業界にひろめたのが、この D-50。
とはいえ、単純なサンプルプレイバッカーや、サンプルにフィルターをかけるだけの、凡百の PCM 音源とは、かなり構造が違っており個性的な存在。
当時、押しも押されぬデジタルシンセの代名詞として君臨していたのはヤマハ DX シリーズ、そしてそこに採用された FM 音源であった。それらは、だが、変調方式であり、音色エディットしていても予測できない音色変化をするため、狙った通りの音色をつくるのが難しい。だいたいベッセル関数なんて、ミュージシャンの大半の理解を超えている。
そこを突くべくローランドは、LA こと Linear Arithmatic(=線形演算)、すなわち加算や減算、もっと言えば音を足したり引いたり、といった四則演算=線形演算のみで音創りを可能とするデジタルシンセを開発。このため音創りの見通しが、たてやすい。
そのかなめとなったのが、PCM によるサンプル波形を、音源波形 ROM に搭載することであった。
史上初の今日的(こんにちてき)PCM シンセを創るにあたり、現実の音は3つの部分音(パーシャル)に分類できるという独自理論に基づいて開発が行われた。すなわち:
・アタック・トランジェントを形成する不規則な波形 ・ボディを形成する整数次倍音からなる波形 ・味付けとしての非整数次倍音からなる波形
の3つ。よって: ・��ランジェントは、PCM 波形で ・整数次倍音からなる波形は、減算方式シンセで ・非整数次倍音からなる波形は、リング変調で
というふうに、部分音(パーシャル)ごとに合成できれば、どんな楽器の音でも再現できるばかりか、存在しない楽器の音までつくれる。
というわけで、LA 音源では「パーシャル」と名付けられた1系統のシンセを最大4系統までたばね、リングモジュレーターも加える事で、部分音合成を行い、リアルな音色から非現実的な音色まで幅広く自由に創り出せる。
また、当時のローランドが、プロのアーティストの音創りを分析したところ、DX と、アナログシンセと、ハードウェアサンプラーとを、MIDI でスタックして鳴らしている人が多かったという。ならそれを1台にまとめ、1台の中でレイヤーさせることで、プロがほしがる音を1台のシンセで実現してしまえ、という意図も加味されて、開発が進められた。
こうして、複数のシンセを1台の中に含めたシンセ、D-50 のコンセプトができあがる。
LA 音源でのパーシャルには、PCM パーシャルと、デジタル演算による減算方式シンセパーシャルとの2種類ある。
PCM パーシャルは言うまでもなく PCM 波形を再生するのだが、その波形はマルチサンプルではなく、シングルポイントサンプリングした波形であった。これは当時の波形 ROM の容量が小さく高価であったことに起因する。また、外部から PCM 波形を追加することもできなかった。そして、再生された PCM 音は、フィルターも何も通らず、単に音量 EG を通って、そのまんま内蔵エフェクトへと出力された。
デジタル減算シンセパーシャルには、フルデジタルによるオシレーター、フィルター、アンプがあり、おのおの EG も個別に装備し、最後にはやはり内蔵エフェクトを通る。
面白いのは減算シンセパーシャルにおけるネーミングで、単純にデジタルオシレーター、デジタルフィルター、デジタルアンプとしていない。WG、TVF、TVA と名付けられている。WG= Wave Generator は良いとして、TVF= Time Variant Filter、TVA=Time Variant Amplifier というのは、ひとつの見識である。時間軸上を変化してこそ、音色は音色たりうるのだ。シンセの本分、面目躍如。
2基のパーシャルをレイヤーするにあたり、どんなパーシャルを、どう組み合わせるか、リングモジュレーターを挟むか否か、などは、プリセットされたパターンから1つ選んで結線する。このパターンをストラクチャーと呼び、D-50 では7つあった。このストラクチャー選びによっては、PCM 波形にリング変調をかけるという変態ワザもデフォルトで可能。
さらに、ストラクチャーによってまとめられた2基のパーシャルを、トーンと呼び、1トーンだけを使うか、ないしは2トーンを使ってレイヤーするかキースプリットするかして、1パッチが形成される。このパッチが、プログラムチェンジによって呼び出される音色単位。
結果、最大2トーン4パーシャルで音創りすることになり、つまりこの当時から最大4系統のシンセシスを採用していたのは、偉い。さらに1系統のみ使用しようが2系統使おうが1トーンしか消費しないので、同時発音数は常に 16 音。3系統以上をレイヤーすると、2トーンを動員するので8音ポリになる。
この新音源をローランドは LA 音源と名付け、その初号機 D-50 には、Linear Synthesizer というサブタイトルのようなものがついた。
発売以来、D-50 の音は、かつての DX7なみにすさまじい勢いで音楽業界に広まり、破竹の勢いで D-50 を筆頭とするラインナップが展開し、4年にわたって続いた DX の天下は終わり、以降、PCM シンセの時代がつづくことになる。
だが、後述するように D-50 にはじまる LA 音源の意図は、その後の PCM シンセとは少し違うところにあった。
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●同時発音数
16音。
当時としては DX7と並んで多い。ここから 32 音ポリなど、同時発音数がどんどん多くなっていく。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
デジタルによるマルチエフェクトを内蔵:
・パッチあたり2系統のコーラス / フランジャー切替式エフェクト ・パッチあたり2系統のパラメトリック・イコライザー ・パッチあたり1系統のリバーブ / ディレイ切替式エフェクト
コーラス / フランジャーとパライコとは、トーンごとにかける。そのパライコは、ローがシェルヴィングタイプ、ハイがピーキングタイプ。
ディレイ / リバーブは、パッチごとにかける。ただしエフェクト・タイプを選べない! 他のパッチからコピってエディットする! このせいで、別売の音色ライブラリーには、本体には存在しないタイプのリバーブやディレイがあったため、そこからコピペする感覚で音創りできた。 なんだか致命的にひどい仕様に思えるが、この当時はデジタルエフェクトが内蔵されているだけで御の字であったので、誰もそんなこと気にしなかったという、デジタルとはいえ、まだまだおおらかな時代であったw
●内蔵波形、プリセットの傾向
・PCM 波形 100 種類。ただし波形容量は計 500Kbyte のみ。 ・減算方式シンセ波形は、鋸歯状波と矩形波。しかもどちらも PWM 可能。おまけに鋸歯状波に PWM かけると、しまいにピッチがオクターヴ上にジャンプする!
PCM 波形には、粗削りのアタックトランジェントや、変なループ音が多い。しかもシングルポイントサンプリングである。
「音色はアタック数百ミリセカンドで決まる」という分析から、あえてトランジェント成分だけ、しかも抽象性の高い PCM 波形を選んだというが、これがなかなか個性的かつ応用が効いて良い。ループ音も楽しい。いずれも、どちらかというと PCM にしては妙に中低域にアクセントのある、しかしヌケる音。しかもかなりノイジーで、それがまた耳に心地よいというか音楽的。あまり鑑写しにリアルでもないので、キャラに左右されること無く、組み合わせるとおもしろく、応用範囲が広くていい。
減算方式シンセ波形は、PCM 波形を補強するために開発されたと思われるが、これ単独でも個性的であり、しかもレゾナンスが妙で、プラスチッキーな独特のキャラがある。
プリセット音色パッチは、今聴くと嘘っぽい PCM 音が耳につく。初代サウンドキャンバス SC-55 よりも、さらに嘘っぽい。原始的すぎてマルチサンプルですらないから。でもマルチティンバーでもないので、ちまたに氾濫している SMF データを再生するような場面に出くわさないがゆえに、かえって「ここぞ!」という時にしか使えなくて、その一芸に秀でたところが今なお物凄く重宝する。
当初は、DX の音を聴き飽きた耳にとって、史上初のフルデジタル PCM シンセがもたらす太くリアルかつ豊かな PCM 音が、印象的であった。楽器���で触るたんびにプリセット音色インターナル 16 番「Living Calliiope」を弾いては 「1,200 万円のフェアライトと同じ音がするー!!!」 と打ちのめされ、びりびりしびれた。今を思えば、CMI の「SARARR」という音と同じに聴こえたのですね、私もウブだことw
そんなわけで発売当時はリアルに思えたものだが、今聴くと実は音は個性派。
今でも GM 音源に入っている音色、かの「Fantasia」という音色が初めて出現したのは、こいつが最初。しかもプリセット冒頭1番を飾っている。そう考えると、やはり息が長い名作ですね。老兵は死なず。
総括するなら、かつてはリアルに思えたが、今聴くとリアルというより、おもしろい音色。その音色の面白さゆえ、プロは皆こぞって D-50 の音ばかり使い、これで DX の時代は終わりを迎えた。DX にとってかわるオルタナティヴが、はじめて登場したのである。
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↑ いただきものの写真「世界よ、この音がローランドだ。」発表時の広告
●エディットの自由度と可能性
PCM 波形がマルチサンプリングではなく、さらにフィルターに通す事も出来ないので、他の方法で工夫することになる。たとえば PCM 波形を極端なピッチにすると、聴いた事も無い変な音になって、おもしろく使える。ピッチスケーリングを色々使うと、応用範囲が広がるので、エディットの時にはぜひピッチ系のパラメーターを駆使したい。さらにトドメのリングモジュレーターを通すと、フィルターでは不可能なへんてこな音色変化が楽しい。
妙なループサンプルには、リズミックなものや、様々な金属倍音が含まれるスペクトラム波形ものが多く、後の PCM シンセの原点を見る思いがする。これらは、まんま使っても楽しいのだが、たとえば TVA エンベロープを使ってアタックの数分の一秒だけ切り出して使うと、音の冒頭にアクセントが入って良い。
シンセ波形は、Oberheim の音をデジタル化させたような、デジタルらしい輪郭のはっきりした音色。でも、痩せ細ったレゾナンスがご愛嬌。
実はオシレーターから出てくるのは変哲ない矩形波のみらしく、それを黎明期ならではのデジタルフィルターが、必死になって鋸歯状波に変換したりして、本来のフィルターの範囲を超えた音創りをしているらしい。取扱説明書にある図解によると、D-50 の鋸歯状波は「隠れたサブオシ」からコサイン波を出し、メインオシレーターからの矩形波と乗算させ、創っていたらしい。それを黎明期の TVF 内部で演算で行ってたらしい! ちから技というか無理やりというか、ローランドの執念なのであろう。鋸歯状波にも PWM がかかる副作用が生じるのは、このため涙ぐましい仕組みのためとか。
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しかも当時、この副作用を逆手にとって音創りに利用するのが、ツウのあかしでもあった。そのスジでは有名なわざに、D-50 のアフタータッチを利用し、鍵盤をぐっと押し込むと鋸歯状波がオクターヴ上の音になるよう PWM を設定することで、ギターのフィードバック奏法のように聴かせる、というのがあった。のちに出てきた下位機種 D-10 などではアフタータッチがないから再現できないが、ベロシティで制御することで、時々いきなりオクターヴ・ジャンプさせ、弾いているフレーズを単調にさせない工夫ができた。
EG も従来型の ADSR を超えた多ポイントのものであり、ピッチ、フィルター、アンプと独立して装備。
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2つのパーシャルごとにかけるコーラス / フランジャーは、極端なセッティングにすると、これまた妙なパンニング・ランダム・ピッチシフターとも言うべき効果を生み出して楽しい。そのあとにパライコを通すので、1パッチあたり2基の EQ をかけることができ、思いのほか柔軟にエフェクトがけできる。
本体のみでの使い心地はと言えば、初めて D-50 を触る人にとってみれば、理解は難しく無いものの、ややとっつきにくい操作系ではないかと思う。ただ、メニュー・ツリーは論理的にレイアウトされており、ファンクション・キーも兼ねたボタンが液晶表示板に直結して配置され、その液晶も 40 文字×2行と、当時としてはプロ機にふさわしく大きく、おかげでそれなりに使える操作性にはなっている。
おどろかされるのが、エディットにジョイスティックを使うこともできること。このスティックの傾斜方向と傾斜角とで、隣り合う2つのパラメーターの値を一括してエディットするという野心的な試みなのだが、正直あまり使えたものではなかった。任意に XY 軸のパラメーターをアサインできたら、後のカオスパッドなみに使えたかもしれない。ただ、期待せずに使うと、一種のランダムエディットみたいになって、予想外の音にはなった。
その代わりというわけでもないだろうが、このジョイスティックは演奏中にパーシャル・バランスを変えるのにも使えて、ベクトルシンセ的なわざが使える。
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そんなわけで、PG-1000「プログラマー」という別売のエディター・ハードウェア(!)があった。スライダーが何十本も並んだアナログシンセみたいな凄いやつ。時代である。しかし4万2千円もするので、買わずに本体だけでエディットしてたら、知らんまに楽勝でエディットできるようになった! でも時には、演奏中にリアルタイムでパラメーターを変えて変態プレイしたいと思うと、やっぱ買っておけば良かった。その点では PG-1000、先駆的だったかもしれない。
●拡張性
ロ-ランド独自の 256KB 音色メモリーカードが、させるのみ。
とはいえ、先述の通り、別売の音色カードライブラリーから、本体には存在しないタイプのディレイやリバーブのみをコピーして音創りすることもできた。
カードというのも先進的であった。DX7シリーズ用のは、ぼてっとしたカートリッジだったから、うすっぺらいぺらぺらの名刺サイズのカードこそ、未来的に思えた。
●あなたにとっての長所
頼りになる一台。私の場合、V-Synth が出るまでは、ライヴに一台だけ持って行くとすれば、これか ensoniq VFX-SD かの、どちらかであった。個性的な PCM を組み合わせると、かえって変な倍音が効を奏し 、エイリアスばりばりのノイジーな出音も、逆にヌケが良い。重量が VFX より若干軽いのも良い。
今見れば、パラメーターはまだ詰めが甘いが、限界値が高いので工夫のしがいがある。ひとたび音をつくりはじめると、やめられないくらいハマる。明るくヌケの良い音は、他機種では中々真似できない。クワイアの音を創ると、これがワンポイント・サンプリングなのが惜しいくらい、レトロ・フューチャーな音。VP-330 のような遠い仏教世界的な唱名でもない、かと言って昨今のリアルだけどヌケの悪い高解像度合唱団でもない、でもアジがあるんだこれが!
●あなたにとっての短所
D-50 をはじめとするローランドのシンセの多くが、アッパーとロワーとの2つのトーンからひとつのパッチをつくる形式になっている。だが、これが感覚的に名前にひっぱられて把握しにくい。アッパーは上半分、ロワーは下半分、と思い込んでしまい、自由に音創りせんとしても気を取られる。たとえば「シンベはロワー」というふうに決めつけてしまい、シンベをアッパーで鳴らす、という発想にたどりつきにくい。 2トーンをレイヤーしたりスプリットさせたりするなら、1と2、AとB、などに名を変えてほしかった。
サイド・パネルがツルツルに磨きあげられたプラスチックなので、キズが怖い。キズつけてくれと言わんばかり。でも気にしたら負けなので、気にしない事にした。
●その他特記事項
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1.アナログシンセ敗北の真相
DX の牙城を崩し、それにとってかわった歴史的な名機。
発売当時は売切れ続出だった特徴的な出音もさることながら、よくよく考えてみると、D-50 には当時の卓越した先見性がこめられているような気がする。
パンフレットや文献などで満ちている言葉は、「フルデジタル」つまり高音質、再び「フルデジタル」つまり内蔵エフェクトまで含めたトータルな音色創り、「パーシャル」つまり部分音合成、「リニア演算」つまり予測できる音づくり、などなど。これらは何を物語るのか?
デジタルシンセがヤマハの特権でしかなかった当時、かえりみれる経験者は、ぜひ振り返ってほしい。DX シリーズが遂に DX100 を生み出し、当時としては常識破りの小型化を実現しミニ鍵かつ電池駆動されるまでに、FM 音源が台頭したおかげで、フルデジタルである事は、もはや日常茶わん事(?)となっていた。しかし同時に感じた音創りの困難さは、良く言われているような、単に減算方式に対する FM 音源という未知の方式への戸惑いや困惑だけでは、無かった気がする。
それは「どのような方式であれ、これからのシンセではパラメーターが果てしなく増大するであろう」事を、暗に予見させていたのだ。私たちは無意識にそれを直感していた筈である。でなければ、あそこまで「もはやアナログには未来が���い!」とまで、業界が騒いだはずがない。
DX の音と性能は圧倒的だったが、それだけで、あそこまで簡単にアナログを葬り去されるか? アナログと比べ DX は音が痩せがちだという事は、業界もアーティストも私たちも気付いていたはずだ。だからこそ、DX が出た翌年にはアナログ的な音色を出しやすいデジタルシンセ CZ シリーズが登場したのであり、そのころから早くも「アナログ回帰」という言葉すら言われ始めていた。
だが、自然界に比肩しうる緻密な音を創るために、未知のパラメーターが、それも膨大に、アナログを大幅に上回る物量でもって押し寄せる時代が来てしまった事を、私たちは知らず知らずのうちに感じ取っていた筈なのである。
DX のあと、追い討ちをかけるかのように大量のパラメーターを搭載したマルチエフェクトの誕生、そして多芸な様々な MIDI 機器が出現するにあたり、ますます私たちは、果てしないパラメーター増大時代が来たのだという思いを、強くしたはずである。無意識のうちに。
だから、デジタルこそがこれからの時代であり、もはやアナログには未来が無い、とまで断定したのだった。
そして DX がいかに大量のパラメーターでもって、それまでとくらべて桁外れにカラフルな音色を実現できたとはいえ、それでは誰も満足に音創りできなかったことを思えば、アナログの敗北は、すなわち音創りの敗北なのであった。音色の幅狭さと、パラメーターの少なさは、TB-303 を大量に捨てるほどまでに圧倒的であった。
2.D-50 が提唱したもの
恐らく D-50 は、そこへ異義申し立てをした最初の試みではなかったか。減算方式を踏襲していても、やはりパラメーターはアナログシンセより遥かに多い。しかし、おおむね減算方式にのっとったおかげで、音創りはしやすい。パラメーターが増えても、音創りがしやすいシンセ。いや、むしろデジタルである以上パラメーターが増えるのは致し方ない、それをいかに「使える」パラメーターにするかが勝負なのだと、D-50 は言いたかったのではないか。
DX に遅れる事4年、コルグやシーケンシャルがヤマハに食われてしまうのを横目に見ながら、ずっと検討され続けてきたであろう D-50 の存在意義は、そこにあったのではないか。高価なメモリーをけちりつつも、そんな少ないメモリー容量で PCM 音源を実現する困難さから、デジタルで減算シンセ音源を導入したのだろうとは思う。しかしそうであっても、単に「減算方式だから音創りしやすい」というだけで無く、「増えてしまうパラメーターを、如何にしてまとめあげるのか?」という歴史的展望に立って、考えられたのではないか。それがパンフレットや文献などから感じられる。それを明確に意識していたにせよ、していなかったにせよ、思想背景は、そんなところであろう。
それがゆえに、やはり音創りに重点を置いたせいなのか、D-50 を始祖とする LA 音源の構造は、フィルターを持たない PCM パーシャルと、フィルターも完備した減算方式シンセパーシャルとの2種類が存在したり、それらをストラクチャーと呼ばれる組み合わせパターンでまとめたりするなど、やや複雑である。
のちのコルグ M1 にはじまる純然たる PCM 音源のほうが、マルチサンプルを採用したせいもあってもっとリアル、かつ、単に PCM 波形をフィルターで加工するだけだったり、ストラクチャーも無かったりと、構造がシンプル。M1 にあるのは、1系統か2系統かを切り替えるスイッチのみ。
だが、LA 音源は、それら後世の PCM シンセとは一線を画す重層的な構造であり、それを見れば、やはりあくまで「音を創る」「音を自作する」という創造性に力点を置いていることが分かる。DX によって広まった難解な音創りへの回答を、シンセメーカーとしてローランドは提供したかったのだ。だからこそ、ヤマハがオペレーターとアルゴリズムという概念を発明し、それをローランドはパーシャル(部分音)とストラクチャー(構造化された音創り)という、よりプラクティカルに体系だったかたちへ咀嚼して提示してみせたのだ。
あえて、やや複雑な構造をとることで、むしろより大きな可能性と柔軟性とをもたらしたデジタルシンセ、音創りのためのシンセ、ユーザーに音を創ってもらうためのシンセ、複雑だからこそ自由度高い音創り、音創りへ回帰するために必要不可欠な見通しの良さ、それを可能とするパラメーターのまとめ方と配置、それが D-50 のはずだった。
DX に遅れること4年、ローランドは、じつにローランドらしい独自の視点から、まったく新しいシンセをつくりあげてみせたのだった。
3.D-50 の限界
しかし、やはり歴史は進むものである。フルデジタルでありながら、アナログシンセをもとに四則演算になぞらえたパラメーター構成は分かりやすい。しかしそれが言えるのは、ある程度シンセに親しんだ人間であり、初心者相手であれば、もっと違う発想が必要になろう。さらにマクロエディット的なものも、もっと求められたであろう。D-50 だけでやめてしまったジョイスティックが、その難しさを物語っている。
D-50 の限界もまた、その登場と共に明らかになったのである。初モノだけに、やはり頭でっかちなのは否めない。
そして、LA 音源よりも単純な構造、かつ、よりリアルな音が出る PCM プレイバッカーへと、時代は移ってしまうのである。
そして膨大な音色ライブラリービジネスの時代へと。
かつて Voice Crystal というサード・パーティの音色ライブラリーがあり、キース・エマーソンが、型番を隠した D-50 とともにキーマガの広告に出た(K社に気を遣ったのか?)。Voice Crystal による D-50 の音は、彼の「クリスマス・アルバム」に満載されている。その中の曲「I Saw Three Ships」で聴けるシーケンスベースは、じつは D-50 の音源波形にあるフレーズループ音を、ピッチだけ極端に低くして、まんま流しているだけである。
ジャン=ミシェル・ジャールは、アルバム「Waiting for Cousteau」や「REVOLUTION」において、ローランドやサードパーティが提供した D-50 音色カード・ライブラリーにあった音色を、そのまんま多用している。特に後者はほんとうに D-50 の音が満載で、ジャールがたったひとつのシンセからインスパイアされた結果、アルバムまるまる一つ完成させてしまったことが分かる。
というわけで、結局は音色を創るより選ぶ時代が来た事を、D-50 は知ってしまった筈。その最後はDシリーズの枠を超え、おびただしい数の物理操作子に答を求めた JD-800 というとてつもないマシンに結実したのち、しばらく歴史の表舞台から消えた。確かに JV-80 は、D-70 をリファインして安価に裾野を広げたようには、見える。しかしそこに搭載して音色を増やす別売エクスパンション・ボードがシリーズ化してから、物量作戦に転じたのがわかる。そしてライブラリーが増えると、逆にそれらをたくさん搭載できる JV-1080 のような、再生シンセも登場した。やはり音は創るのではなく選ぶものだったのだ。それも、あらかじめ創り込まれた音を、選ぶものだったのである。あくまで自分で創りたがる私は、少数派、絶滅危惧種、レッドブック認定。
はなからライブラリー展開だけを考えていたのであれば。音源方式なんてなんでもいいはず、おもしろい音が出ればそれでいいはず。だから FM 音源でも、ai 音源でも良かった。音創りなんて考えなくて良かった。
だが、LA 音源は、見るからに音創りを念頭に置いたことが分かるパラメーター配置になっており、そのしやすさへの配慮が随所にうかがえる。
できあいの音色のほうが出来がいいのは、この私とて同じ。
出来合いのほうがクォリティ高くとも、自分にしか発見しえない音を、探し求めてしまうのである。この私を待っている未知なる音色を、探し求めてしまうのである。まだ見ぬ君をもとめて探しに出てしまうのである。
コルグも、DSS-1 まではサンプリングした波形にハードシンクできるなど、自由度の高さを追求していたはずであった。だが、M1 以降、ただの PCM 再生機、かつエフェクトのみ強力、という退化した仕様に先祖返りしてしまった。あとは音源波形が無限に供給されればいいので、これもまたライブラリーに依存したビジネスであり、つまりは元ネタ勝負であった。そこに音のリアルさ、良さはあれど、分離波形でも使わない限り、予想外の音にまで創り出す自由度の高さは求めにくい。ありものをサンプリングしてつくった PCM 波形ネタを、豊富に取りそろえることに走ってしまう。
4.ヒトの限界、そして D-50 は問う
かつて閉塞的な ’80年代という逆境の中、君臨する DX によってもたらされし圧倒的劣勢。そこから D-50 は立ち上がり、単騎で勝負を挑み、その結果、見事に世界を一変させてみせた。
D-50 の成功は、それまでに存在しなかった音を創り出せたことにあり、そのために見通し良くパラメーターを配置しつつも、あえて M1 以降の PCM シンセとは異なる、やや複雑な構造にしたことであった。
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だがその勝利は「勝てばそれで良いのか?」という、新しい問題提起をすることになった。勝ったがゆえに D-50 が得たもの、それはライブラリービジネスの到来であった。音創りの復権をめざして戦った D-50 がたどり着いたのは、音創りを諦めて音を買うことだったのである。この皮肉な結末。 LA 音源は、当時としては突き抜けた音源方式だっただけに、その目新しさばかりがライブラリーでもって消費され、その真価たる自作音色の醍醐味は、ついぞ理解されえなかったのかもしれない。誰もが��ナビー、あの人の音がライブラリーでほしい。そりゃ私だってほしいですよ、あこがれの音色の数々、それはもう、たくさんたくさん、冨田さんの音色なんて今でもぜんぶほしい、まだまだほしい。
かくしてローランドは、JV シリーズに始まるエクスパンション・ライブラリー展開に転じた。近ごろのソフトシンセなどで盛んに販売されている「エクスパンション・ライブラリー」とは、この JV シリーズが大々的に始めたものだ。拡張音源、拡張音色。 Dシリーズから 180 度反転し、ライブラリービジネスにおいても成功した点で、ローランドは器用であった。
従って D-50 の問題提起が、やや違った形で復興するのは、D-50 から8年もたった ’90 年代なかばに出現した DSP シンセや仮想アナログ音源シンセ、それらがブームになってからであろう。それもまだ減算方式の域を出ない以上、もっと野心的な、KORG Z1 のような失敗的試みが出現し続ける事を、勝手に期待する。
今、あれほど熱狂的に迎えられた PCM も曲がり角に来てしまった時代。PCM は安価に多彩な音を実現できるテクノロジーとして残しつつも、それへのアンチテーゼとオルタナティヴもまた求められる時代。その回答としてコルグ Z1、ローランド自身も V-Synth などを試みてきたように、まったく新しいシンセシスへ、今一度、一歩前へ踏み出し、希求してほしい、と1ユーザーからメーカーへと勝手に期待するものなのである。
PCM へのアンチテーゼのひとつに、アナログ・リバイバルがあった。だからこそ今、盛り上がるアナログはアナログでもって回答し、デジタルはデジタルでしかできないことを、デジタルならではの音色と音創りとを、求導師のように追い求め続けてほしいのである。デイヴ・スミスなどは、その両方に卓越しているレジェンドなおかげで、その両方を融合させたハイブリッドシンセを早々に開発し、それは 2002 年に、同社デビュー機種 evolver というカタチで日の目を見た。そしてそこからの成功を、今度は Arturia や KORG などが安価にパクろうとしている。
今、もはや世界は、かつての D-50 の時代ほどには、単純ではない。だが、それだからこそ、D-50 が異議をとなえたことは、大きな意義を持つメッセージとなって、永遠に新しい。ローランドがDシリーズをやめたのは、さらに一層リアルな音色を求める時代の要請であり、自然なことではあった。だが、リアルさやバリエーションの豊富さをもとめて PCM 音源を導入したとき、同時に LA 音源をやめてしまったことは、至極、残念と言わざるを得ない。
企業は、慈善事業ではない。
M1 が出た時、それへの対策もまた、必要となったであろう。それがゆえに、JV シリーズでのライブラリービジネスが、もとめられたであろう。
だが、シンセは、既存の音をものまねするだけで終わるものではないのだ。ものまねは、だが、出発点にすぎない。
なのにそれが、あたかも LA 音源が古く、PCM 音源があたらしいという印象を与えるカタチで変遷してしまい、結果「世代交代」に見えてしまったのは、つくづく、残念と言わざるを得ない。LA も PCM も、ベクトルの向きが違うだけであり、どちらも共に、ひとしく未来に向かうデジタル音源のはずなのに。
リアルさよりも音創りの自由をもとめた LA 音源を、あのまま継続して進化・発展させておれば、今ごろそれはまったく新しい次元のものにまで進化しえていたであろう。そして LA 音源をやめてしまったがために停滞し滞留してしまった時の流れを、音創りへの夢を、21 世紀になってから必死で取り戻しキャッチアップしようとしたのが、V-Synth ではなかったか。D-50 が開拓した PCM での音創りを、究極まで推し進めたのが動的 PCM とも言うべきバリフレーズ技術であり、TVF / TVA にはじまる個別に特化した合成が COSM であり、D-50 の遺志を継いで、音創りを今一度ユーザーに解放せんとしたこころみが、動的シンセ V-Synth では、なかったか。
そんな音創りの再来を今、それでもなお勝手に期待せずにはおれないのだ。
だが、V-Synth もまた、誕生後、十年、二十年をへてから、ようやく全貌が理解されようとしている。バリフレーズは時間軸からフレーズサンプルを解放し、COSM は多彩なモデリングを生み出し、しかも個々の鍵盤に異なる COSM をマッピングでき、TVF の名は時間軸上の音色変化こそがシンセの本懐という意義を秘め、そしてデジタルシンセの原点 D-50 に返ったかのようなストラクチャー構成。これらを集積して搭載した V-Synth は、この桁違いの自由度の高さがゆえ、テン年代も終わる今になって、ようやく理解され、現物を求める声が出てきたように思う。
FM 音源といい、LA 音源といい、V-Synth エラスティックオーディオ音源といい、なみはずれたシンセシスというものは、すぐれて卓越しているがゆえに、なかなか理解されえない。理解されるにも、十年はかかる。われわれは、だがゾウに群がる群盲であった。
つまり、ひとは、自分がつくりだしたものすら、なかなか理解できない不完全な生き物らしい。
そこまで、企業が結果も出ないまま継続してたがやすのは、なみたいていではないのかもしれない。再びのデイヴ・スミスのような、センスある頑固じじいだけが、それも個人商店という小さな規模だからこそ、経営と両立しえて、できることなのかもしれない。
だが、ということは、D-50 の異議申し立ては、今なお永遠に新しいのだ。 今なお手つかず、着手されないまま、その回答と、おのれの続編の到来を待っているのだ。
すなわち;
アナログを否定して立ち上がったデジタルには、ぜひデジタルの良さを追求していただきたい。 アナログはアナログならではの音創りを デジタルはデジタルでしかできない音創りを そもそも、音を創る、の復権を ぜひ希求していただきたい。 シンセは、こんなことでいいのか!? シンセは、ものまねばかりでいいのか!?
と、厳しく問うてほしい。 問いかけつづけてほしい。
ちなみに当時、D-80 という、D-50 を2台分搭載した弩級シンセも計画されていたらしい。D-50 をそのまんま横長にしたようなカタチだったのだとか。Super JX みたいな感じかなぁ、見てみたかったね! 圧倒されてみたかった!
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samantha-dan564 · 5 years
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今年もやってるのかミズ四駆。各自創意工夫と研究でわいわい楽しむホビーの王道をちゃんとやってるのが好きなんだよね
勝ち負けはあるけどそれ以上に走りの良さを競い合ってるのが好き
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