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#バスタ新宿4階
yaoyuan6478 · 2 years
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#バスタ新宿 #バスタ新宿4階 #バスタ新宿から #バスタ新宿なう #バスタ新宿に到着 #バスタ新宿にて #夜行バス #夜行バスなう #夜行高速バス #夜行バスの旅 (バスタ新宿) https://www.instagram.com/p/ChDdlmNBSz-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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idleness-diamond · 1 year
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1泊2日、山梨旅行。
4月の24〜25日の2日間、おばあちゃんと山梨へ行ってきました。
行ってる間もここ、tumblrで写真をズラズラっとアップしておりましたが、ちゃんと書こうと思って書いてます。かなり長いのでお時間ある時にでも読んでやってください(笑)
まず、山梨旅行は実質おばあちゃんの里帰りみたいなところがありまして。
山梨で生まれ育ったおばあちゃんの姉妹が何人か山梨に住んでるので、妹たちに会いに行くというおばあちゃんに着いて行った私。
色々メンタルがいっぱいいっぱいで、病院でも休むように(就活などを)勧められたので、気分転換に一緒に行きたい! と思い切って山梨へGO!
行きも帰りも高速バスで行ったけど、バスタ新宿の混み具合やばかったな……。
日本人より外国人の方が多くて、色々な香りが……あと言語が……。
久しぶりにバスタ来たけど一瞬ここどこの国だったか? となる私。
朝9時過ぎに出発のバスだったので早起きして新宿に行ったわけだけど、やはり人がたくさん!
仕事とか以外で外に出かけてなかったからか、めちゃくちゃ人に流される。色々削り取られた……マジで。
バスが来て、チケット見せて乗り込んだけれど、やっぱりバスの中もほとんど外国人の方!
数年前に高速バスで山梨行った時もそうだったな……富士山、富士五湖、富士急とかあるもんな……。
おばあちゃんはさっそく寝ていたので私は音楽を聴いていた。イヤホンから、空想委員会を流しながら1時間半ちょっと、ずっと外を見ていた。
なかなか順調に進んで山梨に入ったら、もう山! 山! 田舎!(良い、好き!) てな感じで、自生している山藤なんか沢山あって、起きたおばあちゃんと「藤良いねぇ」なんて言って、耳抜きをしながらまたイヤホンをつけたら、車内がザワっとなったので何かと思ったら富士山!
この日は曇ってはいたけどしっかり富士山が綺麗にみえたから、外国人の方々めちゃくちゃ写真撮ってた。
なんやかんやで11時半くらいに山梨、富士山駅に到着し、降りてさっそく駅近くで喫茶店と民泊? を営んでいるおばあちゃんの妹さんのお店へ。
もう1人の末妹さんが来るまで色々おしゃべりしながらコーヒーを入れてもらって、たまたま頂いたらしいケーキも出してもらっちゃった。 コーヒー苦手だけど、不思議と美味しく全部飲めた。そう、私は昔から不思議と山梨ではパワーアップするのである。
末妹さんも来て、挨拶もそこそこにおしゃべりして、今回は末妹さんの家にお泊まり。
2日目に皆で富士急のホテルのレストランでランチブュッフェなので、お仕事のある喫茶店の妹さんと別れて末妹さんの車で山梨を軽く観光……!
実は何回も来ているのに観光めいた場所にはほとんど行かない私とおばあちゃんのために今回は3箇所くらい巡ってくれた!!
どうしても吉田のうどんを食べたい私の要望も聞いてくれて……ありがとうYねーちゃん(末妹さん)……。
写真もあげたけど、まずは吉田のうどんを食べにお店へ!
ああ久しぶりの吉田のうどん……美味しかった……調子乗って大にしたらお腹はち切れそうになった(笑)
そして、『北口本宮冨士浅間神社』へ!!
パワースポットらしい。空気違いました。武田信玄の建立したものもあったり、夫婦杉や太郎杉、もみじが凄かったし、久しぶりに砂利道をたくさん歩いたので息切れする私(運動不足)。
高所恐怖症で高い階段が怖い私は1箇所行けないところもあったけど、歴史あるものはすごく良い……。木花咲耶姫と言えば『鬼灯の冷徹』の知識しかない私。テンション変でひゃーひゃー言ってましたね。
そして、次の目的地へ。次は『旧外川家宿坊』!
見学できるのはここだけで、あとの御師宿は普通に人が住んでいるお家だから解放されてないけど、屋根とか立派だった、しめ縄があるお家が宿坊だったんだとか。
で、旧外川家宿坊に入場。ちょうどなんか作品展みたいなのが最終日だったらしく、家の中の見学と一緒に作品展も見てきました。めっちゃ観光っぽい(ノ˶>ᗜ​<˵)ノ
そしてそろそろ帰ろうかと話していたら、『金精軒』を発見!!
信玄餅の発祥は金精軒なのですって。偶然にもカフェスペースオープン初日だったらしく豆大福とアップルサイダーを頼んでカフェスペースでおしゃべり。
富士山も目の前に見えて思わずパシャリ!
カフェスペースから降りて(2階だった)、お土産の信玄餅を買って帰路に。
すき家の牛丼をテイクアウトして山中湖村へ!
いや寒かったー! 1桁だった気温! ストーブをつけて、部屋をあっためて、牛丼食べながらまたおしゃべり!
姉妹のおしゃべりは尽きなくて、楽しそうで良かったなぁとちょこちょこ会話に入りながらのんびり。
お風呂に入って、夜散歩が寒さで無理なので窓から外を見る。夜が暗い。灯りがほぼない。音もなくて、私はTekeTekeさんの『夜営サーカス』『大気圏外の魚』など持ってる楽曲をシャッフルで聴きながら、やっぱり雰囲気がめちゃくちゃ合っててすごくエモい気持ちになりつつかなり癒され布団に入って、深夜まで起きてたはずが気づいたら朝5時半。自然と目が覚めてびっくり。そうだった私、山梨では目覚めがスッキリだったと思い出しつつ朝ごはんを食べておしゃべり。お昼前には、もう1人の妹さんの家へ。
Yねーちゃんが予約してくれたブュッフェの時間までまだあるのでおしゃべり。そして皆で車で富士急へ。ハイランドを横目にホテル内でレストランオープンを待ちながらおしゃべり。
レストランがオープンしたので席へ。窓側で、富士急ハイランドのアトラクションが動いていて、悲鳴がすごくて皆で笑う。(全員絶叫系無理な一族)
ブュッフェはね……戦いだった……満席だから、もうお料理とるの戦いだった。でも美味しく食べて帰宅……と思いきや、Oおばちゃん(喫茶店妹)がカラオケに行ってみようと言い出し何故か皆でカラオケへ……。
若いからと1番手を任されあわあわしながら王道であろうあいみょんを1曲。
あとはシニアの方々(笑)に機会の使い方を教えつつ曲を入れ、たまに歌いなと言われ歌う、などした。
せっかく富士吉田に居るし、フジファブリックを歌う。『茜色の夕日』と『若者のすべて』。山梨組は『若者のすべて』を一緒に歌ってくれて嬉しかった!
あとはDEENやGARNET CROWなどのテイルズ曲(映像がみたい)を歌いつつ、空想委員会を1曲歌って私はあと曲入れ係してました。30分延長して、今度こそOおばちゃんちに帰宅。
私は1人で歩いて駅でのお土産争奪戦へ向かい何とか購入し、帰りのバスは18時過ぎなのでそれまでまた3人でおしゃべり。(Yねーちゃんはちょっと寝不足だから帰宅)
時間になって、駅まで歩いて見送ってもらい、バス停のベンチに座る。ああ、帰るのか、とちょっとセンチメンタル。
バスが来て、新宿まで2時間くらいで着く予定だったので、帰りのバスの中のお供はまたTekeTekeさんの曲達。窓際をおばあちゃんが譲ってくれて、山梨に別れを告げた。
新宿に20時すぎに着いたのだがめちゃくちゃ人やばくてやっぱり東京だわとおばあちゃんが電車内でプレス状態になってるのに(身動き取れずフォロー出来ない自分に)若干イライラしつつ(するな) 、さっそく山梨にもうちょっと居たかった、とか思ってた。
池袋で乗り換えもまぁ人やばくてしんどかったけどなんとか地元近くの駅に着いて、おばあちゃんと夢庵で夕飯を食べてタクシーでおばあちゃんちへ帰宅。
私はおばあちゃんちに自転車置いてたので、自転車で帰宅して、疲れ果てて2日くらい再起不能だった……!
でも、めちゃくちゃ気分転換になった山梨1泊2日旅行でした!!
お土産をお友達のYちゃんやころもさんへ送って、喜んでもらえてめちゃくちゃ嬉しかったです!
移動中や夜、
私に寄り添ってくれた音楽にも感謝!
また山梨行きたいから、就活がんばるぞー!
山梨日記、おーわり!!
2023.5.7
(めっちゃ長文になっちゃった……! 反省!)
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momokyubus · 2 years
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YouTube Momokyu Channel 11月1週の定期新規公開の動画をUPしました
動画を新規公開しました。下記の動画をご覧ください 。  
エレベーター
https://youtu.be/bMgIx-eEilE 東西線飯田橋駅2番線ホーム(東芝EV) https://youtu.be/ZCcm8PEC_xQ 東府中駅自由通路北口(東芝EV)) https://youtu.be/mdpWKdhs23Y ヤマダ電機テックランド高尾(東芝EV))
エスカレーター
https://youtu.be/bD9NpEzcaMg バスタ新宿Aエリア2階~4階 (日立ES)
ご案内
昇降機動画定期更新新規撮影・アップロード終了についてのご案内
今年中に大きなヒットがなければ  2025年3月28日分を持ち新規投稿を終了します。  詳しくは下記のリンク先をご確認ください。
https://momokyubus.tumblr.com/post/694470195109134336/%E6%98%87%E9%99%8D%E6%A9%9F%E5%8B%95%E7%94%BB%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E6%9B%B4%E6%96%B0%E6%96%B0%E8%A6%8F%E6%92%AE%E5%BD%B1%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E7%B5%82%E4%BA%86%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
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kochirakosoargt · 2 years
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0616
木曜の1限はバスケ。しかもバスケだけやってすぐ帰る日。くっそいらん。誰がやんねんバスケ。同じチームの人7人いるはずだったのに4人しかいなかったし。
しらない人から名前なんていうの?って聞かれて、日々季って教えたらかっこいい名前だねって言われたんだけど、これにありがとうって返さずにそっちはなんていうの?って聞き返せなきゃダメなんだよな。と振り返ったりする。名前気になる。
大学終わって帰り道暇だからけんごと電話。いつもありがとう。毎日同じようなことしか話してないけど、そういうことでずっと笑える友達って大事だよなぁ。
夜は新宿でふみちゃんとサシ飲み。まぁ色々あったので会う前はくっっっそ憂鬱だったんだけど、別に楽しかったな。ただまだ深い話をできる仲にはなれていないので、もっと話せば何か変わるのかもしれない。あと、こうやって偏見でどんどん嫌いな人が増えていっちゃうのは良くない。あと友達になりたい人を前情報の段階で嫌いになっちゃうパターンも最近多くて嫌。焼肉食べてお酒飲んでまた缶買って地べたで飲んで、ナンパされて、マジ歌舞伎町って感じ。そのままふみちゃんをバスタに送り届け、またけんごと電話しながら帰った。いつもありがとう(2回目)
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hiru-ta · 3 years
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これでいいと思おうと思う
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まず一つ言っておきたい。同情して欲しいとは微塵も思っていない。
不幸自慢をしたいわけじゃない。
みんな悩んでいて違う種類、中々の不幸をみんな抱えて生きていると思っているから。
ここ1、2年はほぼ毎日死にたいと思っていた。
高校卒業と同時に勤めていた会社の仕事内容は責任を増して高度な内容を求められるようになっていた。
さらに、通信制で美容学校にも通っていたため
「日々の仕事」に「国家試験の勉強」があったが、
自分だったら要領よく上手くやれるだろうと思っていた、今まで適当に取り繕いながら生きてきた自分ならと。
人生で努力したことはあまりない。というかない。
人付き合いにも大して困ったこともなく、
中学そして高校と友人にも恵まれたし、高校受験では滑り止めの私立の高校を受けなかったので
確実に合格できる都立の底辺高校に入学したので成績も悪くない。
なんなら学内ではトップクラスだったので、先生からも目をつけられず楽しく過ごしていた。
なんとなくこの調子でなんとかなるだろうと。 
大変ではあったが自分以外にも忙しい人はたくさんいると言い聞かせながら、
「仕事」に「学校」という舟二艘に両足をひろげ、跨ぎなんとかバランスをとりながら両手で櫂を握りしめ進んでいたが、
すぐに沈没することになる。
忙しく過ごしていた日々の中で家族の中で一歩間違えば死人が出る事件があった。
父と母に兄2人に姉1人と6人家族で暮らしていたが
問題抱えていて困った奴が3人いる、父と兄2人だ。
父はほぼうつ病、兄2人の仲は死ぬほど悪い。
幡ヶ谷に住んでいた頃の家中の壁に穴が空いていた。私が5歳くらいの時にちょうど思春期だった長男は、学校へは行かず家の中で怒声や奇声をあげながら暴れ回っていた。
その頃、母には黄色や青色のあざが体中にあった。
当時は目の前の圧倒的な暴力に泣くことすらできず、ただガタガタ震えていたのを未だに覚えている。
次男は長男からの暴力に必死に耐えていつか復讐してやると、怒りを燃やしていたため今でも死ぬほど仲が悪い。
しばらく落ち着いてはいたのだが、確執を持っていた次男の怒りが些細な口論から爆発し包丁を持ち出すことになったのである。
兄2人は多分精神疾患を抱えていると思う。
次男は父と兄に刃を向け
「自分がおかしくなったのは、昔からの家庭環境が悪かったせいだ」
と声を震わせながら怒りに満ちた表情で涙を流していた。
その時の光景を一生忘れることはできないだろう。
威嚇のためか前に伸ばした刃の先端は父の額に触れ一滴の血が鼻翼をつたい床に落ちた。
母は泣きながら膝から崩れ落ち、その場座り込みながらも
「もうやめて!!!」
と必死に兄にすがり、私も羽交い締めのように止めていたが、覚悟を決めた殺意をしっかりと持った男のパワーを恐ろしく強く警察が来るまでの10分間衰えることなかった。
怒号というか、雄叫びを上げていた次男を抑えるのは永遠にも感じた。
警察からの事情聴取はあまりよく覚えていない、
カツ丼とか出ないんだなと朧げながら思っていた事と、警察署から出ると蝉が五月蝿くてその日は記録的な猛暑日だったとは覚えている。
家に帰った途端、玄関で倒れ込むように寝た。
母は心労からか仕事を3日休んでいた。
私も休みたかったが学校では昇級試験を控え、
仕事はお盆前で繁忙期を迎えていて担当の方からの指名もあったため休むことはできずにいた。
なんとか試験とお盆前の繁忙期乗り越えたが
私はその次の出勤日を無断欠勤してしまう。
無断欠勤した日もいつも通り。新宿行き10時27分発、10時51分着の電車に揺られ11時に始業の予定だった。
しかし気づいたら、新宿バスタの待合室に座っていた。時刻は深夜1時を迎えている。
状況を整理するのには時間がかかったが、改札を抜けてからの意識が完全にブラックアウトしている。
約13時間の記憶が全くない。携帯の電源は切られていておそらく無意識で自分が切っていたのだった。
急いで上司に連絡し謝罪の電話をかけた。
普通だったら罵声を浴びるだろうが只々心配してくれた。
その時に厳しい言葉をもらっていたら少しキツかっただろう。
母からも連絡が入っていた。
一度も欠勤したことない私を心配して会社が連絡していたらしい。
母からは、
「心配かけさせないでくれ」
と一言かけられたが確かにその通り、
子供のうち3人が問題を起こしている。
その通りではあるが申し訳ない、
心配をかけさせてへいけない。というプレッシャーに、
21歳にもなるというのに重くのしかかった。
新店舗開業に向けての責任者になり、休日も朝早く起きてボストンバックを抱え舌打ちをされながら満員電車に揺られる。
そんな日々が続き、頭がおかしくなっていたと思う。
なんとか、今までうまくやってきた自分と、
今のできていない自分とのギャップに傷つくことが増えていき、
自動思考で負のループが頭に展開される。
今まではなんとも思っていなかった、道端の小石位の悩みに何度もつまづき、深みにハマり、
できていたこともできず、呼吸も吸って吐くを意識しないと息もできない。飯も喉を通らない。
生きるためのエネルギー摂取をしている自分に吐き気を覚える、体重は42キロになっていた。
人の視線が異常に気になり、視線は足元しかいかず何も視界にいれたくない。
歩いてる途中、震えが止まらず歩けなくなったこともある。
通勤中も気づいたら涙が出ている。
家に帰ることもできず、歌舞伎町近辺のネットカフェを常駐にしていた。
今まで下に見ていたメンヘラと総称される人たちの生き方を、情けなく滑稽で惨めだと思っていたが、
しっかりと、それでも生きている姿を見て涙が止まらなくなった。
訳も知らずバカにしていた自分を恥じた。陳謝したいと思う。
そんな状況でも心から楽しい、嬉しいと思えることもある。
親しい友人だったり、信頼している人に、その人たちに会うことで、
関係性を築いていた今までの自分に感謝することができた。
その時に悩みを打ち上げればいいじゃん!
って意見もあると思うが、                   悩みを打ち明け負の感情を共有することを、
元来、人に弱みをみせたくないと思ってしまう性格である私はできなかった。
自分が異常な時は異常な時が、いつも通りの正常になっていて、判断がおかしくなっていることに気付かない。
資格試験の勉強と仕事をどっちも休むにはどうにかして手足を折るしかないなと思っていて、
ひどい時は電車に轢かれてやろうかなとか、
雑居ビルの4階にある職場のベランダから飛び降りてやろうかなと本気でも思っていた。
死ねば私がどれだけ傷ついていたか分かるだろうと心から思っていた。
朝を迎えるまで寝れず、2.3時間の睡眠が続き、
全てのものが意味ありげに見え、負の感情が取り巻く夜はすごく長かった。
負の自動思考を止めてくれたのは深夜ラジオであった。
自己否定する時間が肩の力を抜ける唯一の時間になった。おぎやはぎ、バナナマン、ハライチなど芸人さんのラジオ
特にオードリーのラジオは夢中になって聞いていた、
昔のラジオを聴きあさり、放送初回から全部聞いた。  くだらないただの馬鹿話も、本人が言いづらいであろう部分の吐露をうけ、特に若林さんの言葉に笑えた、
共感したあの瞬間がなければ死を選んでいたんではないかと思う。
自分だけが辛いわけではなく、悩みの種類が違く悩み不幸を抱えながらもそれでもみんな生きている。
そんなのは嘘だと思っていた。
しかし、誰しも決して強くはなくそれでも生きているのかもしれないなとも思うことができた。
本、音楽、ラジオ、言葉に助けられた。
生きていると心ないニュースや出来事、言葉が投げかけられる。それでも自分を守れるようにお守りのように自分の胸に大事な言葉を潜め、傷つくたびに思い出し反芻しては自分を取り戻す。
傷つきながら、震えながら、吐きながらも前に進み、ある程度結果は出せたと思う。
その時に本当に悩んでいるものは、話せなかったりする。
が、今になれば話せるし、笑い話にでもしたいと思っている。
ここまで取り止めもない弱者の言い訳を読んでくれた人たちへ、
何かアドバイスや励ましになるような金言を送りたいのだが、
キツくなったら休めとしか言えない。けど、そう簡単には休めなかったりするし逃げられなかったりする。
だから、一番支えになった言葉を引用しそれを結びとしたいと思う。
「大丈夫と言うことから大丈夫は始まるのだ。」
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hoory · 6 years
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RT @KusumiEiji: お仕事、ご旅行でバスタ新宿ご利用の皆さまへ 待ち時間に風しんワクチン、インフルエンザワクチン打ちませんか? 4階待合室から出てエレベーターでNEWoMan7階ナビタスクリニック新宿へ。 サクッと免疫つけちゃいましょう。 診療受付時間 平日 10〜13時・15〜21時 土曜 10〜14時 日曜祝日 10〜16時
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tsuntsun1221ts · 6 years
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2018.9 西穂高岳 ~独標の先へ(2/2)
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↑西穂高岳山頂 今まで登った中で最も危険な山
1日目より
西穂山荘(0615)→西穂丸山(0630)→西穂独標(0710)→ピラミッドピーク(0735)→たぬき岩(0745)→チャンピオンピーク(0750)→西穂高岳山頂(0810) → 休憩 →山頂出発(0915) →ピラミッドピーク(1000) → 西穂独標(1020) → 西穂丸山(1050) → 西穂山荘(1110) → 休憩 → 新穂高RW西穂高口駅(1200) → 新穂高RW新穂高温泉駅(1240) →→ 平湯温泉BT(1330) → 昼食→ 平湯温泉BT出発(1430) → 新宿
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朝日に照らされる山荘、いざ西穂高岳へ出発。まずは岩の道であるが、そこまで険しくない、ただストックは邪魔になるのでしまっておく。あっという間に山荘よりも高い位置に出るが、振り返るとこれまた朝日に照らされる焼岳が綺麗。昨日は天気悪かったので道中何も見えなかったが、今日は天気予報どおりの素晴らしい秋晴れ。数分登れば緩やかなガレの道に変わる、どうやら尾根に出たみたい。ここからならストックはあっても差し支えないが、安定した石の上にちゃんと刺さないとこれまた不安定。行先に見えるのはおそらく西穂独標、西穂高岳はいくつかの峰を越えないと見えない。
ちなみに登山者の数だが、同じ時間に朝食を食べ、準備して出発した割にはまばらである。半数は夜明け前に出ていったとしても、ちょっと意外(ありがたい)。
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西穂丸山まではまったくもって穏やかな登山道、ただしずっとガレの道が続く。丸山を過ぎると次第に険しさが増していき、浮石などでバランスを崩すと下まで転げ落ちていきそうな道となっていく。まぁこれでも注意していれば初心者でも歩いていけるのではあるが、始めに比べて明らかに危険度は増した。そしてついに独標直下は岩登りのようであった。ここまでの道で最も危険なのはこの独標直下の崖。白いペンキでつけられた目印をたどり、安定する足場を探しながら崖を登っていく。落���を発生させないように、決して急がずに。
山荘を出発してから約1時間で西穂独標に到着。ここまでは序の口、これから先は初心者は立入禁止のエキスパートルートに突入する(特に進入禁止の看板は立っていないが)。 地図上では破線で記されている西穂高岳までのルートは危険度がとても高い。 槍ヶ岳は自分も難なく制覇できたが、問題はこの先である。
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まずはこれからの道を確認。西穂独標から西穂高岳までは、この2つを含めて合計11の峰で構成された登山道。西穂高岳が主峰で第1峰とし、今いる独標が第11峰と番号がふられている。写真左上、一番手前に見える形の良い三角形の峰が第8峰のピラミッドピーク、形通りの名前である。第4峰のチャンピオンピークは・・・たぶん写真中央左のちょっと尖っている方かな?主峰は・・・どれかわからない笑。たぶんだけど写真中央右の、少し平らな頭に見える方だと思われる。ちなみに右端の最も高い山は奥穂高岳。 いざ、未知なる道へ(笑)
独標も峰のひとつなので進む際は下りから始まるのだが、これがいきなりすごい岩下り。斜度45度は絶対に超えてる、下手したら60度の箇所もある。ここまでやばいと普通に下るのは危険なので、進行方向に背を向けて後ろ向きに下る。まずこの斜面で一歩でも足を滑らせたら、運良く登山道の上に落ちなければ真っ逆さまで全身骨折、絶対に助からない。さっきまで歩いてきた道とレベルが跳ね上がる。
写真左下 独標から少し進んだところで振り返ってみる。一番高いところが独標で人が数人いる。写真ではわからないが、そこから上記のように急降下し、また登ったところが写真中央の峰(これが10峰?)。登山者が一人こちらへ歩いているのが写っている。
写真右下 行きの工程で最も恐怖を感じた箇所(ここは9峰付近か?)。岩がバランスよく積まれただけの、道と言えない道の上を進んでいく。道の両側はスパッと切れ落ちており、高度感もすごい。これがキレットってやつか。最も手前に写っている岩は、初見ではどこに手や足を置けばいいのか戸惑った上に、少しでもミスると即死��いう緊張感。実際、岩の切れ目に足をはめ、岩の頭に手を置いてバランスを取りながらトラバース。ヒエ~ と心の中で叫びながら進む。必死だったので体感時間はあっという間だったが、間違いなくここが核心部のひとつだった。
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写真左上 上記の核心部を少し進んだところから振り返ってみる。ピークから下る途中、写真中央部がそれにあたる。落ちたらキャッチする箇所がないため、おそらく死ぬ。こんなところ、道の上を歩くならともかく、斜面に出てトラバースしなければならないとか、結構怖い。ただし、来年挑戦しようと思っている槍ヶ岳~北穂高岳の大キレット攻略時には同じレベルの技術が要求されるため、とてもいい経験だ。また不思議なことに、帰りに通った際はかなりすんなり通過できた。この箇所は行きと帰りでは難易度が変わるのかな。
第8峰・ピラミッドピークまでは独標から約30分。ここからだとちゃんと山頂を確認することができる。すでに何人か人が立っているのも見える。ここと独標を含めてまだ4峰しか越してない。気が抜けない危険な道がまだまだ続く。
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写真左上 次の難所は10m以上のクライミング、鎖すら用意されていない。実際にとっかかってみると、登る分には見た目よりもそこまで難しくない。ゴツゴツの安定した岩が多いので手足の置き場の確保がしやすく、岩登りが得意な人ならひょいっと登れると思う。ただし危険箇所には間違いなく、確実な3点支持は絶対。あと、登っている最中は下を見ないほうがいいと思う。ここは登りよりも、むしろ下りの核心部である(後述)。
写真右上 さらに進むとまたキレット出現。ただし、ここは斜面をトラバースする形となっており(向かって左斜面)、峰を登るわけではないので安心。またトラバースと言っても、壁にへばりつくほどではなく、足場はわりと安定していた、相変わらず鎖は無いけどね!・・・というか、今思い出せばこれほどの険しい岩稜なのに鎖場が1箇所あったかなかったか。
写真左下 「たぬき岩」と呼ばれているピッと突き出た岩。たぬきが左を向いているように見えるからこの名がついたみたいだけど、言いたいことは確かにわかる。 自分にはふくろうにも見えるが、ちょっと不気味な形をしているのには変わりない。なんか、険しい山を必死に登っているときにあまり出くわしたくないというか、災が起こりそうな変な気持ちになった。
写真右下 チャンピオンピーク手前。今まで細い尾根をずーっと通ってきたのだが、ここからは広い岩場となりラクできた、ここだけだったけど。ここらへんから先を歩いていた赤いザックのねーちゃんに追いつき、山頂まで尾行する形となった。写真にも写っているがわかるかな。
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第4峰・チャンピオンピークに到着したのは独標から約40分。残すは主峰を含め3峰。振り返ってみると奥には焼岳、さらに奥には(たぶん)乗鞍岳。朝日に照らされているが、まだ8時なんだよなー。手前には超えてきたいくつものピークが生えている。
写真右下 第3峰の斜面から撮影。チャンピオンピークを越し、いよいよゴールである主峰を目前にする。広かった道も、また危険な細い道へと戻る。先行するねーちゃんが写真中央に写っているのがわかるだろうか?片側が切れ落ちている急な斜面のトラバース、その先に第2峰があり、最高点が第1峰、主峰である。
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第3峰のトラバースは片側が切れ落ちているのでかなり危険。一方そのさきの第2峰は比較的広い道となる。2,3峰とも登るわけではなく、トラバースで終わる。
写真右下 第2峰越したときにはねーちゃんに追いついた。さて、ゴールである主峰を目の前にする。登山道の印を辿ってみると、一度少し下ったのちに 、尾根ではなく壁を登っていく形になる(写真左下から壁にとっつき、中央上の山頂まで)。この最後の登りが核心部のひとつ。途中までは手足の置き場があるのだが、山頂直下の5~10mくらいは壁が平らに近く、手足を置く亀裂も満足に存在しない。さすがに足場確保用のペグが岩に埋め込まれていたのだが、その数も数個程度しか無く、頭を使って手足の置き場を考えていかないと、次の置き場がなくなり詰む。手はともかく、足をこの状況で滑らせたり足場に置けなかった場合、当然滑落して死ぬ。尾根を登ったほうがラクなのでは?と思ってしまうが、これが指定されている登山道なのだから仕方がない。こんな難所であるが、まだ登りである分ラクな方である。問題はここを下るとき・・・。大丈夫なのか?
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西穂山荘から約2時間、数々の(というかほぼずっと)難所をクリアし、いくつもの峰を越えて無事に主峰、西穂高岳に到着!!笠ヶ岳がちょうど標識とかぶってしまった。展望は最高!!なんという秋晴れ、なんという北アルプスのスケール、なんという達成感。
写真右上 北を向けば奥穂高岳と奥に槍ヶ岳、さらに写真には収まらなかったが、はるか先には立山まで見える!奥穂高岳山頂付近のボコッとした頭は通称「ジャンダルム(岩の衛兵)」と呼ばれるピーク。北穂高岳から見ると本当に衛兵がいるように見えるのだが、奥穂高岳を挟んで正反対のここ、西穂高岳から見ても、なんとなくそんな形をしているのがわかる。
写真左下 南を向けば今まで歩いてきたすべての道が見渡せる。奥には焼岳と、さらに奥は乗鞍岳。写真ほぼ中央には西穂山荘の赤い屋根が見えるけど、屋根にでも登らないとこの山頂は見えないみたいだな。写真に収まってないけど、少し右にはRW駅と、麓には温泉地が見える。
写真右下 東を向けば目の前には霞沢岳?と、麓には登山家の聖地、上高地!槍ヶ岳に登ったときに初めて訪れ、この河原を辿って向かったのが懐かしい。約1月前の出来事か。写真中央やや右奥には山岳標高第2位の北岳、そして写真左最奥には山岳標高第1位の富士山(かなり見えづらい)。そして目の前に(写真右上)山岳標高第3位の奥穂高岳と、ランキング総なめの光景なのである。
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それにしても奥穂高岳を目前にすると、自然の恐ろしさ、美しさ、神々しさを肌身で感じる。西穂高⇔奥穂高ルートは、日本最難関の超級者レベルの登山道で、それをいままさに目の辺りにしているわけである。単眼鏡で登山道を覗いてみると、なんと凄まじいことか!!巨大な岩を前にして蟻ほどの小さい人間がうごめき、崖に近い岩場をひとつひとつ超えていく。これこそ、大いなる自然に対する挑戦そのものである。立山で剱岳を眺めたときもそのスケールに圧倒されたのだが、こちらはさらに桁が違うように見えた。剱岳はいつか自分も挑戦すると決心しているのだが、正直このルートはその自信が全く持てない。
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写真左上 槍ヶ岳を起点として、裏銀座ルート( 高瀬ダム-烏帽子岳-野口五郎岳-鷲羽岳-三俣蓮華岳-双六岳-樅沢岳-西鎌尾根-槍ヶ岳)、西銀座ダイヤモンドコース(折立-太郎山-北ノ俣岳-黒部五郎岳-三俣蓮華岳-双六岳-樅沢岳-西鎌尾根-槍ヶ岳)を一望、 最奥には立山連峰が見える。
写真右上 左に奥穂高岳から、中央やや右の前穂高岳へ向けての稜線(吊尾根、最低コル)。このルートならいつか試したい。ちなみに前穂高岳は、これの1週間後に挑戦することに。
山頂での光景があまりにも素晴らしすぎて、つい1時間も景色を眺めてしまった。冗談抜きで、一日中ここにいてもきっと飽きない。前回の槍ヶ岳では天気悪くて何も景色見えなかったからなー。今年の秋は雨が多い中、奇跡的な秋晴れの日に迷わず決行してほんとうに良かったよー!山頂の温度は15度くらいだったろうか、上に何か羽織れば太陽の日差しもありじっと動かないでいても快適であった。
写真左下 いつか登る山々を背に、非常に名残惜しいが下山を開始する。時間はまだ9時。西穂高岳山頂直下は上るときの核心部であったが、下るときはさらに難易度が上がる。今回の登山で最も危険な箇所は、確実にここ、山頂直下の崖を下るときである。理由はこの崖を上から見ればわかるのだが、なにせ登りは見える登山道の印が、下りでは位置的にほぼ見えなくなり、最適進路がわからない。前向きに下ると進行方向を向けれるので進路を決めやすいが、急坂なため背中のザックが岩に引っかかり危険。 ここは進行方向を見ることはできないが、後ろ向きに下って一足ごとに振り返り、進路を探す方法しか無い。また上前述のように、登るときでさえ手足の置き場に苦労したのに、下りとなるとさらに困難に。 自分はこんな難易度の岩稜は初めてなのだが、焦らず確実に一歩一歩進んでいく。
写真右下 復路の最大の難所のひとつを攻略し、崖を振り返る。てっぺんが西穂高岳山頂。斜面の角度だったり、山頂近くの崖は平らに近いのがわかるかな?おかげで苦労した。
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復路だと11もある美しい峰々がきれいに並んでいる。独標より山頂側では特に道が切れ落ちたキレットになっているのもわかる。下り始めたあたりから��がでてきた。山荘に戻った頃は完全に曇り、登山道もガスで覆われていた。やっぱ早朝に登るに限るね。
写真右下 復路での最難関ポイント2つ目。登りのときはあまり苦にならなかった崖(前述)。上から眺めると印が全く見えないため、山頂直下の崖と同じように最適ルートがわからない。また斜度は山頂直下以上にきつくなっている。幸いなことにゴツゴツした岩が多いので手足の置き場所については豊富だった。しかしやはり斜度がきつすぎるため危険極まりない。
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写真左下 西穂独標直下の崖。登りではそこまで苦労しないが、やはり下りのとき(往路)では危険箇所に間違いない。てか目の前のお二人、相当岩場慣れしているのか、ずいぶんとペースが早かったな。途中の険しい道では一定の距離は保てたけど、結局追いつけなかったよ。終いには休憩も取らずに先へ進んでいき離された。たぶんご夫婦。
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この日は9月中旬。山肌は紅葉が進み、一部黄色い絨毯のようだった。毎年これくらいの時期になると涸沢も紅葉が始まってめっちゃ混むようになるんだよね。西穂丸山には11時くらいに到着。日が昇り気温があがってくると雲も増えてくるため、この時間くらいになると朝はあれだけ晴れていたのに曇り始め、山頂方向はガスってきた。
西穂山荘に到着したのはお昼の1時間前。ほんとうはこの山荘名物のラーメンをお昼ご飯にいただこうとおもっていたのだが、途中で行動食食べていてあまりお腹は空いてなかったので、ここで無理して食べるよりもRW駅のほうがいろいろ食べれるかな?ってことで、とりあえず300円のアイスクリームを購入。ソーダ味にしたんだけど、アイスクリームというかシャーベットに近く、しかも小さいラムネ入りで美味しかった!
RW駅に到着したのはちょど12時。この時間になると完全に曇り。RW展望台からの景色も昨日と全く同様、ガスって何も見えなくなっていた。結局ここからの景色は真っ白な光景しか見ることはできなかったな。いい感じの時間に到着したので、そんなに待たずにRWに乗ることができた。
2階建てRWには6,70人くらい乗っていただろうか、次に乗り継ぐRWの定員を確実にオーバーしていたので、2本目のRWは2回に分けて輸送していた。30分間隔の運転ではあるが、こういう場合は駅に着いたらすぐに折り返して輸送してくれるので心配しなくても大丈夫。
RW降りたあと、平湯BTへのバスも20分も待たないうちに来てくれた。1時間以上に一本という頻度なのでラッキー。足湯に入ってゆっくりしていたかったのだが、足を拭くタオル持ってきてなかった。ちなみにだが、このバスを乗り過ごしてしまうと、予め予約していた平湯BTに→バスタ新宿への高速バス乗り継ぎができなかった。危ない危ない。帰りの時間についてはRWも含めてもう少しちゃんと計画しておかないといけないね。
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平湯BTに到着したのはお昼過ぎた13時半。ここでようやく昼食にありつけるのだが、もう飛騨牛押し!!しょうがないから肉寿司、手打ちそば、食後に飛騨牛串を注文。まず手打ちそばだが、これがすげー美味いの!!小さい頃 飛騨へ家族旅行して食べたそばがすごく美味しくて2人前平らげたのを思い出したんだが、あの頃から変わってないのね。絶対に日本一美味いと思うの。次に飛騨牛の肉寿司。2貫で800円だったかな、ちょっとお高いかもしれないけどこれまたすごい。口に入れると肉の旨味と風味だけが残り、肉自体は溶けて消える!牛串は、肉寿司がすごすぎたから比べてしまうとなんとも言えないのだが・・・絶対美味しかったはずなのに食べた順番が悪かったな。
ちなみに平湯BTは温泉もあるので、時間があれば入って行きたかったところ。お昼ご飯をゆっくりたべてたらバスの時間まであまり余裕がなくなってしまったので今回は諦める。まぁここまで美味しいものを食せたのだから大満足である。
帰りの高速バス、中央道日野バス停直前の追い越し車線のほぼど真ん中にタイヤが落ちてた。ヤバスギ・・・。
さて、総じて今回の西穂高岳は、今年の目標「険しい岩稜制覇」を十分に達成するものでした。上出来。天気に恵まれ、登山後のご褒美にも恵まれ、文句なしの2日間。またこれを期にテント泊を行ってもいいかな~と一考させられました。実り多かったとはこのことだね。
西穂高岳の核心部は往路復路で異なるが、往路は西穂独標直下と8峰手前の岩を乗り越えるところ、そして山頂直下の崖。復路は山頂直下の崖(最も危険)、詳しい場所は覚えていないが崖急降下(2番めに危険)
今年の岩稜登山は西穂高岳で集大成かと思いきや、まさかこの翌週に前穂高岳に登るとはおもってもいなかったのだった・・・。
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bigraceultreport · 4 years
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200426[マイラーズC・フローラS]勇気の話
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↑九州・別府町内の用水路と和風感(2019年撮影)
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”勇気”の話
ラーメン屋で、店員に「大盛無料ですが、いかがなさいますか?」と聞かれたとする。そこで「普通で良いです。」と答えることを僕は”勇気”と呼び、友達は”大人”と呼んだ。
こないだ、「飲みに行きたいけどめんどいし、けど行かなかったら行かなかったで、後から行けば良かったと思って後悔してる自分がいる」って言ってる人がいたので、確かになぁ。と思いつつ。
今は新型コロナウイルスの影響で飲み会自体が開催できないが、実はちょっと昔までは飲み会が日常的に行われていた。いや、そんな時代があったんだよ。
「忘年会ってのは言い訳なんだよ。人間ってのは寂しい生き物で、何かにつけてやれ忘年会だ、慰労会だ、夜会だ、って飲み会を開催する。いや、逆だな。飲み会を開催するために年を忘れようとするし、何かを祝ったりする。祭りを行うために祭りを作り上げるのと同じだ。」 という何かのセリフを思い出した。
要するに、人間は寂しい生き物で、人に触れるために宴を開催する。現代においてはそれが飲み会という形となって現れるのだ。
せっかく誘われた飲み会を、ちょっと面倒くさい(実際には諸々の事情があったりするが)と思って断ったりすると、その夜、自宅で暇していたりすると、行けば良かったなぁと後悔したりする。我ながら面倒くさいとは思うが、結構ある話だと思う。(ただ、あまり行く気がしない(気乗りがしない)飲み会を断るのも前述の”勇気”じゃないかと思うが。)
寂しいと騒がしいが対になるとして、多分、飲み会に行こうっていう気持ちは、騒がしい時、と寂しい時、の2つに分けられるようにちょっと思った。その中間くらいのちょっと寂しい(?)時、ちょっとくらい騒がしさが欲しいような、でも騒ぐのも面倒くさいようなそういう微妙な時に上記の現象が起こるのだ。
新型コロナウイルスで、在宅勤務や外出自粛で、「寂しい」という感情がよくタイムライン上には見受けられるようになった。出会い系アプリとかのユーザーは増えてると思うし、オンライン飲み会とか、人との繋がりを求めてみんな寂しさを埋めようとしているように感じた。
僕がすげぇアツイと思ったツイートを引用して、この話は締めにしたいと思います。
https://twitter.com/kimuramasashi82/status/1248904471335202822?s=20
電話が発明された時「これから人は会わなくなるだろう」って世間では言われたらしいが、電話で1番話される会話は「会う約束」だったらしい。最高だよね。zoomでの会話も、最後は「またリアルでお会いしましょう」だ。これからは電話の時より絶対リアルの価値が上がる。今はそこまでの準備期間だ。”   木村まさしオールユアーズ ALL YOURS@kimuramasashi82 “
この次は「会う」とか「会える」とかが価値を持つ時代がきっとすぐに来る。この危機をみんなで乗り越えて、「宴」を催せる日がきっと来ます。
「またリアルで会いましょう」
だからこそ今はみんな家にいて、感染拡大防止に努めようぜ、諸君。
(この文章はyoutuberたちが「お前たちは家にいろ、俺は面白い動画を作る」って言ってるのに勝手に感化されて書いたものです。)
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昔、女の子を競馬場に連れて行った話 
いや、ごめん、書いてて途中でつらくなったので消しました。
マジですみません。
たまたまそれがフローラSの日だったのでちょっと思い出したって感じです。
申し訳ない。
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京都①
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(※この記事は2017年にコミックマーケット93「テンポイント2017・冬」に掲載されたものを編集・追記したものです)
 京都①
 水くさいので、特に誰にも、何にも言わずに京都に行ってきた。以前、関西のテレビ番組の収録に参加する機会があり、そこで仲良くなった人たちに誘われたのだ。当初10月末の菊花賞に行くことになっていたのだけれど、あいにくの台風で延期となっていた。「なぜジャパンカップが行われる日にわざわざ京都まで?」と思うかもしれないが、これにはこういう理由がある。  マイルCSをレーヌミノルが踏ん張ったけど馬券圏内を外したレースを見た日の夕勤のバイト中に「そういえば京都行くんだった!」と思い出し、慌てて同僚にお願いしてパソコンで夜行バスを調べてもらう。
「どうせ競馬をやるわけだし、あんまり早く、朝6時とかに着いてもねぇ……」
 最安値は4100円だったのだが、それよりも遅く京都に着く4500円のバスにした。
「卒論大丈夫っすか?」
 同僚が笑いながら言う。無論、大丈夫なわけなどあるまい。
 バスの集合場所は最近出来た新宿のバスターミナル、バスタ新宿だった。新南口を出ると目の前に建物があり、そこの4階。初めて行く場所だったのだが……驚きの光景が広がっていた。大勢の旅行客に、何本ものバスが整然と出たり入ったりを繰り返す。ぼくが向かったバス乗り場は10分おきに京都方面へ向かうバスが来て、乗客が並んで、乗って、バスが去るというのを繰り返していた。  夜行バスのこういう雰囲気は非常に好きだ。土曜だから地元に帰るという人が多いように思うが、大きなゴロゴロを大事そうに抱える女性、地下アイドルやってました!みたいな女性を見ると東京という街からやっと安らげる場所へ帰れるという安心感を勝手に感じ取ってしまう。もちろん、これはただの妄想に過ぎないのだが。  しかしそれにしても「バスタ新宿」はすごい。ありとあらゆる場所へ向かうバスが何本も何本も入ってくる。そして整理されていて、間違うことなく乗り場へと誘導されていく。このシステムも凄いし、なんだかここからどこへでも行けるのではないかという気分になるし、実際バスタ新宿からはどこへでも行けるのであろう。とにかくすごかった。  夜行バスは隣の人がやたらぼくに寄りかかって来たりちょくちょくスマホいじって眩しかったり、後ろのおっさんが酒臭かった以外は特筆すべきことも無いだろう。通路を挟んだ隣にはカップルが座っており、布団を一緒に被ってゴソゴソしていた。羨ましn……いいぞ、もっとやれ~~~
 京都に着くと、朝になっていた。要するに、お腹がすいていた。のだが、早速道に迷ってしまい、京都駅周辺をウロウロしていた結果、朝ごはんを食べるタイミングを失ってしまった。仕方なく、朝ごはんをパスして京都に来て最初の目的地に向かうことにした。  京都には市営バスと京都バスを両方無料で利用できる一日乗車券が500円で発売されている。市営バスが一律230円だから3回乗れば元が取れる計算になる。京都市内は本当に無限にバスが走っているから、ちょっとした距離でもバスを使うのがオススメだ。
 最初の目的地は下鴨神社になった。これは決して自分がアニメオタクで、四畳半神話体系にグッと来たとか、有頂天家族の聖地巡礼であるとか、夜は短し歩けよ乙女の舞台でも散策してみようかとかそういうわけでは無い。以前、神社についてレポートを出さなければならず、京都に観光で来るという名目のために下鴨神社を題材にしたレポートを書くことにしたので、そのお礼参りというところである。自分は義理堅い人間なのだ。賽銭は100円玉を振る舞った。神様、おかげで単位が取れました。ありがとうございました。
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 以前来た時と違い、今回は本殿が外からとはいえ、よく見えた。前回来た時は隠れていて、文字通り垣間見する程度だったのだが、鮮やかな本殿の様子が覗き込むことでよく拝覧することが出来た。さて、下鴨神社のご利益は縁結びである。決して邪な感情があるわけではないが、せっかく京都まで来たので、縁結びをお願いしてもバチは当たるまい。
 神様、お願いします。ぼくに彼女をください。
 下鴨神社の南には糺の森と呼ばれる神域が広がっている。そこにあるのが相生社だ。ご神木が絡み合い、それがまるで男女が寄り添っているように見えるので、縁結びの神として祀られているのだ。昨年来た時は恋みくじという、男には青、女にはピンクのおみくじ箱が用意されていたのだが、今回は朝も早いからか、残念ながらそうしたものは見当たらなかった。まぁ凶を引くよりはマシである。引けなかったのは幸運幸運。相生社はご神木と社を囲むように参道があり、男性は左回りに2周、女性は逆、という風に定められている。カップルの場合、同時に回り始めればちょうど向こう正面で出会う計算になるが、悲しきかな、ぼくは誰にも出会うことなく周回を終えてしまった。というか、2周したかも記憶が朧で、まぁ過去の自分がポンコツで無いことを祈るばかりである。ちゃんと2周しないとご利益が無いとかじゃないですよね、神様、1周でもご利益半減くらいで許してください。すみませんでした。ぼくに彼女をください。
 糺の森を全部歩くのも大変だったので、脇道から抜けようとしたところ、神社の方から新郎新婦が歩いてくるのが見えた。神前結婚で、和服の新郎さんと白い花嫁姿の新婦である。
 うーん、羨ましいぞ、神様、ぼくに結婚相手をください。
 さて、恋愛力を高めたあたりで、見たかったものを見に川沿いに移動することにした。わざわざバスを探しバスに乗り込む。鴨川と高尾川の合流地点につくと鴨川デルタと呼ばれる三角州にたどり着く。わお、これが鴨川か、と感心するわけではない。本来の目的は俗に言う、「鴨川カップル等間隔現象」を見ることである。
 鴨川カップル等間隔現象とは、鴨川の河川敷にカップルが転々と連なり各々愛を語り合い、黄昏れているというものだ。そのカップルの間隔がなぜか等間隔であるということを揶揄してこういうあだ名がついた。数ヶ月前たまたま京都に行ったという同期から「鴨川河川敷、カップルめちゃくちゃいるぞ!」というLINEをもらい、この目で確かめなくては!という野次馬根性が働いた形だった。
 鴨川デルタ周辺には残念ながらカップルはいなかった。しかし現象が本格化するのは鴨川を南下し三条、河原町あたりからという話なので、ここは納得。川を渡るための岩の橋を渡って気分るんるんでバスに乗り込み南下する。
 結論から言うと、結局カップルは一組も見当たらなかった。やはり早朝から愛を語らうカップルは存在しないというか、いるとしても日本版連れ込み宿か、それこそ四畳半に敷いた布団の中なのだろう。私は失望した!
  京都大学が文化祭をやっているということなので、近いし、せっかくなので見に行くことにした。大学生の出し物に、例えば占いとかゲームとか、そういう定番モノに大学生が1人で行って1人でやらせてもらうというのもどうにも微妙だったのでジャズとか、アカペラとか、そういうものを楽しんだ。特にジャズは良い。サックスの人がぐるぐる体を振り回しながら頑張って演奏していたのが印象的だった。フリーマーケットに古本市もあるということなので足を運んでみる。古本市はもう最終日だからかダンボールが20個ほどあるのみで、めぼしい本はいくつかあったものの何か買っていくという感じにはならなかった。ただ、「夜は短し歩けよ乙女」のスタンプラリーがあり、少しテンションが上がった。
 お祭り広場では学生による露店が多数出店されていた。女子大生が駆け寄ってくる。
「焼き鳥いかがですか!!」
 ぼくの比較的短い人生でも、こういう笑顔が向けられるのはこの瞬間だけ、頷いたが最後、行列に並ばされ、あとはシステムに組み込まれ流れ作業で流される品物のように扱われるだけだということくらい、知っている。断っても、「は?」みたいな感じになるし、ああいうの、声をかけないで欲しいなと思うのはぼくだけだろうか。
 まぁ確かに、女子大生の笑顔は見たいけれども。
 ところで、構内で泥酔者が多数出たため、キャンプファイヤーは中止らしいです。男女でフォークダンスを踊るのを楽しみにしていただろう連中もいたろうに、かわいそうに、まぁ京大ではフォークダンスを踊るのか、知らないけれど。
 構内には怪しげなガチャガチャが設置されており、「カプセルの中からは、アから始まる商品が出て来る。“当たり”を引けばアイチューンズカードなど豪華景品が出る。闇から光を掴み取れ」と立て看板が設置されていた。ざわ・・・ざわ・・・とペンキで書かれており、ぼくはこれを勝手に京大生からの挑戦状と受け取った。早稲田代表ギャンブラーとしてこの勝負、逃げるわけにはいかぬ。200円を投入しガチャガチャを回すも回らない。返金を押すと100円しか返って来なかった。くっそ~~~、しかしこの程度で引くわけにはいかぬ。結局、もう2枚100円玉を入れるとガチャガチャが回った。コロンと出てきたカプセルはとても軽いものだった。祭りくじの定石として、当たりは専用の用紙が入っているケースが多いため、変に重いものより軽いものの方が良い。期待を胸に、カプセルを開ける。・・・中には、ちぎれた紐が入っていた。
 タグと呼べるかも怪しいちっぽけな紙切れに、「麻紐」と書いてあった。
 ふざけんな!
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2020 マイラーズC・フローラS 予想
皐月賞、◎サリオスは2着。馬連が当たったが、馬券としてはマイナス5000円。勝てる!!って思ったが、外を回したコントレイルにやられてしまったので仕方ないとは思った。
さて、マイラーズCとフローラS。
マイラーズCは◎ロードクエスト。インディチャンプが58kgの斤量を背負うのならば、56kgで1600mを出走馬の中で好タイムで走れているのはこの馬だけである。ダ→芝はオッズが高くなる傾向もあるため、配当も良いです。
フローラSは◎ショウナンハレルヤ。セントポーリア賞の2着馬がスプリングS5着、3,4着馬も次走で即勝ち上がりとなればレベルの高いレースだったと見ることが可能。前走は行き場を失っていたため明らかに参考外のレース。
……いや、我ながら今日は当たる気がしてきた。今回はガチでオススメです。
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いよいよ、来週は春の大一番、天皇賞・春!
2020年の「春」を総括するようなブログにしたいと思います。
ではまた!
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以下、写真集
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↑鴨川等間隔現象。たまたまなのか撮影日にはカップルがいなかった。
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↑京都大学VS大学生、闘いの跡。
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↑見覚えが…? まぁなんで戦争に反対するために学生がストライキを決行するのは謎。笑 
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2nd-jiken · 5 years
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「熱中症ゼロへ」プロジェクトが訪日外国人へ熱中症予防を啓発 ...
#東京都台東区浅草4丁目211BELLA 2019年07月02日 05:45:00 浅草文化観光センター(東京都台東区雷門二丁目18番9号) 大田区観光情報センター(東京都大田区蒲田4-50-11 ウィングキッチン京急蒲田中2階) 東京観光情報センター 都庁本部(東京都新宿区西新宿2-8-1 東京都庁第一本庁舎1F) 東京観光情報センター バスタ ... 東京都台東区浅草4丁目211BELLAの近所のバー
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justyandmacky · 6 years
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台北から花蓮へ高速バスと台鉄で移動する
早朝の臺北轉運站から出発
さて翌朝、私たちは今日台北から高速バスに乗り羅東に行き、そこから列車に乗り換えて花蓮を目指す。
本当なら花蓮までずっと台湾鉄道の急行で行くはずだったがチケットが取れなかった。台北発花蓮行の朝の特急は数が限られ、三ヶ月前からネット予約できるので、娘にチケット取りを頼んであったが繋がった2分後には全て売り切れていた。どうやら、大陸からの観光客用に代理店が買い占めるらしい。
朝の台北駅
ホテルのエレベーターでご一緒した関西系の日本人。まさに「環島」自転車でこれから台湾を回るそうだ。この「環島」が流行っていて、結構自転車旅の人がいるらしい。そういえば、列車にはそのまま自転車乗せてる人がいたな。
遠くに見える台北101。デザインは竹の節をイメージしていて中国圏で縁起のいい「八」階ごとに「八」個あるとか
台北火車站(火車は中国語で汽車のこと。妖怪ではない)に隣接する臺北轉運站(台北バスターミナル)から、台湾各地に向かう高速バスが出ている。日本で言えば新宿のバスタみたいな感じ?2階が各社毎にチケット売り場が並んでいて
私たちは今回娘が予め予約しておいてくれた羅東行きの葛瑪蘭バスに乗る。クバラン族(クヴァラン族、カバラン族、噶瑪蘭族)は台湾原住民の一つで宜蘭、羅東あたりに多く住んでいるとか。
バスは日本の高速バスのイメージと同じ感じ。1時間強乗ってNT$141とお安い。娘ちゃんありがとう。彼女は以前に同じバスで羅東あたりまでいった事があるらしい。
高速からはまた台北101が見える。いってきます。
羅東で台鉄に乗り換え
1時間半走ってついた羅東の駅。ここからは列車。
台湾鉄道には日本の古い車両も沢山走っているらしい。これもそうかな。
ドアの左側に身長をはかるラインが貼ってあるが、身長でチケットの値段が決まるのかな。
台湾グリコ製のポッキー。なんだかぼんやりした味でおいしくないらしい。ちなみに中国語でChocolateは巧克力と書いて「チヤオクーリー」と読む音訳。
大陸のChocolateは何故かとても美味しくなくて、油粘土みたいな匂いがする物が多いが台湾はそうでもない印象なんだけど、確かにこれはイマイチだった。
花蓮到着
花蓮と言えば日本では地震の印象が強いと思うが、台湾東海岸の北側に位置し、温暖な気候と大理石で出来た渓谷「太魯閣渓谷」で知られる。詳しく知りたいかたは下記をどうぞ
https://www.taipeinavi.com/area/detail.php?area_id=48
今回、私たちは 基本的に列車とバスを組み合わせた旅だが、花蓮だけは自家用車で動いてくれる日本人ガイドさんを頼んでいた。ので、これまで苦労していた馬鹿でかい荷物も車のトランクへ。あー楽々。だけどこの辺りは写真がない。
七星潭
車に乗ってまずついたのは七星潭。ここはもともと七つのきれいな池があったところを埋め立てて花蓮飛行場の前身である「研海飛行場」を日本人が作ったということらしい。そのすぐそばにあるビーチは砂浜ではなく丸石。これは大理石だという。砂を巻き込まないので海はとてもきれい。そしてすぐドロップダウンして深くなるので漁場としても最適らしい。与那国島まで直線距離で140キロ、この海のむこうがわはすぐ日本なのだ。
[easy_panorama id=”2161″]
[cardboard id=”2162″]
マンボウのオブジェ
清水断崖
ここから車はまず清水断崖へと向かう。というか、清水断崖がよく見える「崇徳休憩区」という場所に。
青い青い海に垂直の崖。
海路しかなかった東海岸側へのアクセスをするために、日本統治時代に岩肌をくりぬいて道路(蘇花公路)を作った結果生まれた所の一つ
だそうだ。
[cardboard id=”2167″]
ただし周りは観光客でいっぱい。賑わう大陸からの観光客はここにも。日差しが熱くて消耗する。車で良かった。
ここから太魯閣渓谷への旅。
個々の説明については下記を参照してもらうとして、写真はそれぞれギャラリーでまとめてみる。
https://www.taipeinavi.com/miru/91/
砂卡礑歩道
思わず撫でたくなるよね
一匹ずつ顔が違います
おしりがまた可愛い
オスマシもいます
砂卡礑歩道の看板
腹を抱えて笑っているような
川は水が少なく
橋の下におりました
全長4.5キロ続いているそうです
ずらっと並んでいます
これはプレイバウ?
しかし橋の上には100匹の獅子が
長春祠
  台湾の東西を貫く「東西横貫公路」をノミと金槌の人力をつかいわずか三年の突貫工事で作った際、工事に携わって命を落とした212名を弔うために立てられた祠。
そもそも太魯閣渓谷は大理石と石英片岩の混ざった非常にもろい地質の渓谷で、この祠も2回ほど崩落し現在建っているものは1997年に再建されたものとか。
[cardboard id=”2188″]
奥に見えるのが長春祠
祠へと繋がるトンネル。これも手掘り
いい感じの写真を撮ろうとする人たち
亡くなった人を弔う観音像
世界でもまれな地層で研究者が来るらしいが、単純に美しい
赤い橋が映える
  この長春祠の周囲は白い岩が垂直に地層をなし、そこにエメラルドグリーンの川が流れる美しい風景だった。政治と軍事に巻き込まれ、命を落とした人たちに祈りを捧げたい。
禅光寺の吊り橋
次に訪れたのは禅光寺。
禅光寺は、1963年に建立された尼寺。阿弥陀如来、観世音菩薩、大勢至菩薩の仏像が1階にお祀りされています。
と言うことだが、時間の都合か中には入っていない。その代わり?先ほどの長春祠の遊歩道に繋がる細い吊り橋。お好きな方はどうぞと言われ、お好きでもないけどとりあえず渡るが大騒ぎに(私が)
……本当にうちの子たちって…。ちびの頃から二人揃うとまったくろくでもない。
太魯閣牌樓
1960年5月9日東西横貫公路が開通したのを記念して建てられた門だそうで、よくガイドブックに載っているが、まあ単に門だったかな。
これにて太魯閣観光は終了。
太魯閣といえば大理石で出来た渓谷だが、近年太魯閣のそこここで崩落、落石事故が多発しており、あまり報道はされないが観光客など多数の方が亡くなっているらしい。そのため、今回のガイドさんはあまり奥地には踏み込まぬようにという案内だったので、太魯閣の太魯閣らしい風景はあまり見られず、以前高校生の頃にみたのはこんなだったかな?という印象だったのは仕方ないことではあるが拭えない。
それでも、ダイナミックな自然と美しい渓谷美が素晴らしい半日となった。
その5に続く
花蓮からは太魯閣渓谷の観光に。ブログ更新しました→「201808台湾環島旅行4 花蓮太魯閣渓谷」 台北から花蓮へ高速バスと台鉄で移動する 早朝の臺北轉運站から出発 さて翌朝、私たちは今日台北から高速バスに乗り羅東に行き、そこから列車に乗り換えて花蓮を目指す。 本当なら花蓮までずっと台湾鉄道の急行で行くはずだったがチケットが取れなかった。台北発花蓮行の朝の特急は数が限られ、三ヶ月前からネット予約できるので、娘にチケット取りを頼んであったが繋がった2分後には全て売り切れていた。どうやら、大陸からの観光客用に代理店が買い占めるらしい。 ホテルのエレベーターでご一緒した関西系の日本人。まさに「環島」自転車でこれから台湾を回るそうだ。この「環島」が流行っていて、結構自転車旅の人がいるらしい。そういえば、列車にはそのまま自転車乗せてる人がいたな。 遠くに見える台北101。デザインは竹の節をイメージしていて中国圏で縁起のいい「八」階ごとに「八」個あるとか 台北火車站(火車は中国語で汽車のこと。妖怪ではない)に隣接する臺北轉運站(台北バスターミナル)から、台湾各地に向かう高速バスが出ている。日本で言えば新宿のバスタみたいな感じ?2階が各社毎にチケット売り場が並んでいて 私たちは今回娘が予め予約しておいてくれた羅東行きの葛瑪蘭バスに乗る。クバラン族(クヴァラン族、カバラン族、噶瑪蘭族)は台湾原住民の一つで宜蘭、羅東あたりに多く住んでいるとか。 バスは日本の高速バスのイメージと同じ感じ。1時間強乗ってNT$141とお安い。娘ちゃんありがとう。彼女は以前に同じバスで羅東あたりまでいった事があるらしい。 高速からはまた台北101が見える。いってきます。 羅東で台鉄に乗り換え 1時間半走ってついた羅東の駅。ここからは列車。 台湾鉄道には日本の古い車両も沢山走っているらしい。これもそうかな。 ドアの左側に身長をはかるラインが貼ってあるが、身長でチケットの値段が決まるのかな。 台湾グリコ製のポッキー。なんだかぼんやりした味でおいしくないらしい。ちなみに中国語でChocolateは巧克力と書いて「チヤオクーリー」と読む音訳。 大陸のChocolateは何故かとても美味しくなくて、油粘土みたいな匂いがする物が多いが台湾はそうでもない印象なんだけど、確かにこれはイマイチだった。
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yaoyuan6478 · 2 years
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#バスタ新宿 #バスタ新宿4階 #バスタ新宿から #バスタ新宿なう #バスタ新宿に到着 #バスタ新宿にて #夜行バス #夜行バスなう #夜行高速バス #夜行バスの旅 (バスタ新宿) https://www.instagram.com/p/ChDda_yh758/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yaoyuan6478 · 2 years
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yaoyuan6478 · 2 years
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