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#ナンバー返納
nomadegateway · 1 year
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#軽協 #軽自動車検査協会東京主管事務所 #ナンバー返納 #廃車 #桜 #桜🌸満開 #曇り空 昨日は #東京モーターサイクルショー2023 の会場内をいろいろ見回って11000歩も歩きました。 https://www.instagram.com/p/CqRiw1_ShRO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 11 months
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市町村が貸し出す臨時のナンバープレート「仮ナンバー」に関して、その4分の1が期限内に返却されていないことが判明したという。仮ナンバーの返納状況について大阪、滋賀、和歌山の3府県から12市町を任意抽出して調査を実施。2021年度に貸し出された仮ナンバー6276組について調べたところ、4分の1近い1518組が返納期限を超過していたことが判明したという(産経新聞)。 仮ナンバーは車検切れの車などを運輸支局まで運行させる場合などに使用できる。有効期限は最大5日間。期限後5日間以内に返納しなければならず、違反の場合は6カ月以下の懲役、または30万円以下の罰金が科される。 仮ナンバーは交通違反をしても身元特定に時間がかかため、一部では「神ナンバー」などと呼ばれているらしい。犯罪に悪用される懸念や返却されないことで在庫不足となり、新たに仮ナンバーを貸し出せない問題なども懸念されているという。
仮ナンバー未返納が横行 | スラド
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st-engine · 4 months
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絶賛発動中のモトグッチ V65SP レストア計劃 第六回。
昔乗っていたモトグッチ NTX750にはエアクリーナーが撤去されてパワーフィルターが装着されていました。友人のV65ラリオもそうでしたし、このV65SPもそうです。部品取り車から外した純正エアクリーナーボックスを組み込みます(画像2・3)。
とあるモトグッチディーラーの方が「スモールエンジンモデルのエアクリーナーは外したほうが良い」と言ってました。ルマン3でジェッティングが出ているパワーフィルター仕様は油温も上がらず夏も調子良かった記憶があります。
そういった理由だろうかと思っていましたが、触ってみると整備性が悪いからかなと思いました。
ここのダクトが収縮してキャブに差さりますが、経年劣化してやや歪んでいるのでしょうか、滑らかに動くようになるまで時間を要しました。
このダクトは部品がないので大事にしないといけません。エレメントを交換するのも面倒くさそうですし、スモールエンジンモデルのオーナーがクリーナーを撤去する理由が分かります
(画像4・5・6)
ルマン3もそうですが、V65SPも下側の光軸のアジャストボルトがえらい長く、ステーとの感覚が狭いので光軸調整する時に工具が入りづらくめんどくさいです。いつもお世話になってるテスター屋さんに迷惑かけるのも何ですので短いボルトに交換。(画像7)
純正のスイッチ類が壊れたのでしょうか、本機は純正のスロットル部を残してスイッチ部を切断し、ホンダのスイッチを装着していました。
私も過去に同じ仕様にしていましたので親近感を覚えます。V65SPはポイント点火でこのスイッチをそのまま使うと電圧は低下しますからリレーを用いました
(画像8・9)
テスターでイグニッションコイルを測ってみますと、電圧はバッテリーから0.4Vくらい低下していました。バッテリー直結で引き直し、コイル付近の配線を新調しようと思っています。またコイルも当時物で不安ですから交換予定です。急務ではありませんのでしばらく様子見です。
V65は2月にはナンバーを取れそうです。一番の問題はバイクの維持でして、車体を3台維持管理するのは難しそうですから、V65SPを気に入ったらルマン3かBMW R60はナンバーを返納して保管するとか手放さなければいけません。愛着とか思い入れというのはホント良し悪しだなと実感します。
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nagachika · 5 months
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あんびるやすこさんの「なんでも魔女商会」シリーズ 1-9 を読んだ
今年のブックサンタで鳥井雪さんの「ユウと魔法のプログラミング・ノート」とあんびるやすこさんの「ルルとララのクリスマス」を選んで寄付してきた時に「このルルとララの作者のあんびるやすこさんという人はうちの子が小学生の時に学校の図書館で借りてきていた児童書も書いていた人だなぁ」と思って子とその記憶の話をしていたら読みたくなったので借りて 1巻目を読んでみたところ、これはすごくいいのではと思って通読している。今 1〜9巻目。
なんでも魔女商会の魅力はいくつもあって、まずは文章の簡潔ながら美しいところ。自然の描写や衣服に使う装飾品、ドレスの様子の描写などの言葉の使いかたが教科書みたいに過不足なくわかりやすくそれでいて美しい。お手伝い猫のコットンの言葉遣いがとても丁寧なのもこの印象に拍車をかけている。
主人公はニンゲンのナナだけど主役はおさいほう魔女のシルクで、彼女が衣服のお直しの依頼を受けて書くデザイン画のスケッチブックのを模したページが各巻に必ず登場していて、そこのイラストもだけど利用する装飾のサンプルなどが実物をコピーして映し取ったみたいで(おそらく実際にそうしているのもありそう)リアルで、またデザイン画に描き込まれるコンセプトがこれまた簡潔でわかりやすく、ドレスのどの部分が注目すべきところなのかというのがわかって衣服にそんなに興味がなくても面白く読める。このスケッチブックページがないとこのシリーズの魅力はかなり削がれるだろう。
それからナナとシルクの友情やお手伝い猫のコットンの献身とシルクとの信頼関係などの関係性をうまくストーリーにからめていてグッとくる描写が毎回かならずある。基本ストーリーはシルクが経営しているリフォーム支店に動物や妖精が服のお直しを依頼しにくるのでそれにシルクが対応しナナが手伝う、というものだけど毎回そこになんらかの人間関係の問題の解決などが伴なっていて、ワンパターンながらマンネリを感じさせない良い話が連なっていく。この感情的な部分がすごくいいんだなぁこれが。
シルクは表紙でもめったに笑っていなくていつもツンと澄ましているキャラクターで、仕事には誇りを持っているものの若干気分屋でワガママなところもある。コットンはそんなシルクのことを良くわかっていてなおかつとても尊敬しているのでシルクのことを褒められるとわが事のように誇らしく思う。この二人にニンゲンなので魔女や妖精や動物の世界の常識を知らないナナが混じって攪乱することでストーリーが動きシルクにも変化が生まれていく。王道ながらよくできたキャラクター設定だと思う。
それから「リフォーム支店には本当に用のある人しか辿りつけないように魔法がかかっている」「シルクは依頼のあったお直ししかできない(してはいけない)」「裁縫に魔法を使うのは手抜きで安っぽい(これは魔女一般の常識というよりシルクの信条かもしれないけど)」などの「常識」が設定厨にはグッときて世界観を深める手助けをしてくれる。こういうのいいよね。
子と話していてどの巻がどんな話だったかというのを忘れてしまったりしていたので後のための1〜9巻のどんな話だったかざっくり書き残しておく。
1「お洋服リフォーム支店」ナナがはじめてリフォーム支店に迷い込む。ネズミさんが隣人のクマのお嬢さんのために家族からドレスをたくさん集めてたんぽぽカーニバルのためのパッチワークのドレスにお直ししてもらう。ナナは依頼者のねずみさんのために残りのドレスをお直しする。
2「ただいま魔法旅行中。」シルク、コットンとナナは指定の場所に行ける魔方陣シートで連休のバカンスに出掛けようとするが定員オーバーにより旅行支店に付いてしまい、そこで4人の種族も個性も異なるカルテット歌手の舞台衣装のお直しをすることで衣装の意見の違いで離散しようとしていたチームをまとめてコンサートを成功させる。スズランにつく朝露をかためたビーズがアクセント。
3「いちばん星のドレス」雪の女王のコンテストのためにドレスを仕立てる。小柄な雪の女王クリスタにふさわしいいちばん星のブローチをとってそれを付けたドレスでコンテストで優勝したクリスタは他の雪の女王への命令に「まいにちひとりずつお茶をしにくること」という。いつも孤独なクリスタの心にシルクとナナの友情が変化をもたらした。
4「ドラゴンの正しいしつけ方」シルクの叔母のスピカからドラゴンをあずかる。散歩中にアライグマさんのカーデガンのきらきら光るボタンをドラゴンが飲みこんでしまったのでそのお詫びにカーデガンの修復と、旧友に会った時に思い出してもらえるように洋服のお直しを申し出るシルク。林檎の花の下で遊んでいた友人との思い出に重ねて林檎の花弁で飾った洋服を着たアライグマさんの旧友は有名な帽子職人だった。
5「きえた魔法のダイヤ」ある時シルクがいつも使っている魔法のゆびぬきの黒猫の瞳に使われているダイヤが家出をしてしまう。替わりを買うために魔法道具の店に行くシルクについていったナナはそこでかくまって欲しいという妖精の少女とポンチョを交換して目覚めの鈴をもらう。この鈴を家で飼い猫につけたところ外に出てしまって親や近所のひとたちがみな起きてしまうというトラブル。この妖精は 12ヶ月の妖精のひとり 2月の妖精で、他の妖精からドレスのお直しの依頼がくる。ナナが2月の妖精が北のホテルにいることを伝えてそこでドレスを披露して他の姉妹も2月の妖精の重要さに気がついて和解する。黒猫のゆびぬきのダイヤも戻ってくる。
6「コットンの夏休み」今のところピカイチで良い! コットンがお休みをもらってバカンスへ。そのあいだに引越しで置きざりにされたというウサギのぬいぐるみがリフォーム支店にやってくる。コットンは全身黒いのが尊ばれるおてつだい猫のなかにあって手足と口のまわりが白いことをひそかにコンプレックスをもっていてそれを黒くしてくれるというエステみたいなのに挑戦するが変な緑色になってしまって帰るに帰れなくなる。そしてそのあいだにぬいぐるみを失くしてしまったアナグマの少女と出会う。この巻ではぬいぐるみに「いつも世話をしてもらってばかりで、きっと世話が嫌になったんだ」と聞かされたシルクがドキリとしたり、アナグマの少女が「もうわたしと一緒に居るのが嫌になったんだ」と話すのをきいたコットンが同じように不安にかられたりするところが感情の揺さぶりかたがうまくてやばい。そしてコットンのことはお見通しなシルク。完璧な一冊
7「おきゃくさまはオバケ!」シーツおばけの姉弟が長姉の結婚式のためにお直しの依頼にくるが、ナナはこわがって挨拶ができない。それを気にした弟おばけがナナの家までやってきて、ナナは彼等のことをよく知りもしないで怖がって失礼なことをしたと反省する。おばけのシーツは縫うことも染めることもできなかったが、銀の針と銀のクモの糸で縫い、ナナが姉弟から訊きだした方法で飲み物の色に染めることに成功する。姉弟の仕立て直しをみた長姉は自分の結婚式のドレスも直して欲しいと依頼にくるので、この巻はめずらしくスケッチブックのページが 2回出てくる。
8「火曜日はトラブル」フェアリー女王のアイロン係のエルフ、スピネットはいつも火曜日に失敗をしてしまう。ドレスにコゲを作ったスピネットはそれを直して欲しいとリフォーム支店に依頼にくるが、ドレスのデザインは変えてはいけないという。フェアリー女王は何代も前から古いしきたりに従って生活しているという。シルクはそれを変えようとデザインを一新したすばらしいドレスを納品し、またスピネットの楽器の才能を知ってそれをアピールする方法をこっそり伝える。結果フェアリー女王は新しいドレスをきて古いしきたりを捨てて生活することを選び、スピネットは楽隊に入る。このことをフェアリー女王が「シルクはおさいほう魔女のナンバー1」と語ったことが魔女新聞に掲載され、おしたて支店のおさいほう魔女たちが挑戦状をもってくる。
9「ルビーの魔法マスター」前巻でのお仕立て支店のおさいほう魔女たちからの挑戦状を受け取ったシルク。そのコンテストの優勝者には「魔法マスター」という一級の資格のいちばん下のランクとはいえとても貴重な「ルビーの魔法マスター」のバッジが授与されるときいて奮起するも、お客を返してしまい休業中にしてデザインを書くことに集中しようとするが、他のおさいほう魔女の動向が気になって筆が進まない。ナナとも喧嘩をしてしまい次第に反省したシルクは仲直りをしてナナと「旅じたくのドレス」をしあげる。しかしコンテスト前日に以前断わった渡り鳥の妖精の窮地を知りその「羽衣おり」で作られたドレスをあげてしまう。一晩で別の素材で同じデザインのドレスを作ったものの質の差はあきらか。しかしシルクと折り合いの悪かった審査員の先生サージは理由をきかず(きいたけど「あなたは答えないでしょう」と)仕上げ魔法でそのドレスを「羽衣おり」にする。その結果優勝するシルクだが、サージ先生の魔法の力での優勝を良しとせず魔法解除する。そこへ「羽衣おり」のドレスを渡した渡り鳥の精霊が会場に現われる。やはりシルクのドレスが一番、ということになるのだが「ルビーの魔法マスター」のバッジをツバメの一羽がくわえて飛んでいってしまう。
さて、全体的にすばらしい作品なのだけど、ひとつちょっと気になっていることがある。第1巻でナナは学校帰りにリフォーム支店に迷い込むが、このときのナナは「都会から引っ越し��きたばかりで学校に友達がいない。友達の輪に入っていけない」ということを悩んでいる。そこでシルクやコットンと出会って彼女らと友情をはぐくむことになるので、それはそれで良いのだが、その後の作品を通してナナの学校生活というのはほとんどといっていいほど描かれない。結局ナナは学校で友達と呼べるような存在はできたんだろうか。少なくとも馴染めてるんだろうか? 「おきゃくさまはオバケ!」でかろうじて「いま学校でこわいはなしが流行っている」というくらいで、それも具体的にだれそれから聞いた、というようなことは言っていない。みんなの流行りを知るくらいには馴染めているんだろうけど、特定の仲良しはいないのかな、と思うと当初の悩みは半分くらい解決してないのかな、とも思う。もちろんリフォーム支店でのシルクやコットンと過ごす時間がそのかわりなのだとは思うのだけど。
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oisiihito · 1 year
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「すこしでも水みたいな部屋にすみたくてさ」 窓が大きい 普通の部屋より 1.5倍くらい窓が大きい 西側と北側に全部で四枚 「窓を開けておくと 水の匂いが 部屋の隅々まで満ちていくんだよ」 耳を澄ませなくても 湖の音が聞こえる 何かを引きずっているような? それよりももう少し落ち着いた 湖の音は 海とは違って ずっと静かで 「いい部屋」 「これで家賃いくらだと思う?」 「え~……」 部屋の中に灯りはなく あくまで外からはいってくる明かりだけが かろうじてニカの顔を照らす のを クワノは目を細めて 確認するように 目や鼻や 口を 部品ごとに点検していって そんな様子をニカは いぶかしげに茶化して 「家賃、いくらだと思うかって」 「5万」―――「よりもうちょっと高い」 唇が結ばれ 目は閉ざされた ためて「5.7k!」 「お~なるほど」 思っていたよりも 高かった この部屋にニカが住むことになると 思うと なんだか不思議な感じがする 一人暮らしなんて とクワノは少し心配で それでもこうやってニカが大丈夫になっていくのを 祝えるように 微笑んでみてから この部屋の暗さにも もうだいぶ目が慣れてきているのに気付く 「今日はそろそろ帰ろうか」 「うん でも もうすこし」 例によって大きな窓から 月?なのか 妙な明かりが 影の間をステッチするようにして 差し込み ニカはまるで静かな湖の様子を 真剣にみつめていた ポケットの中で なにかがじゃれて これから始まるはずの 生活が 少しでも穏やかなものでありますようにと クワノは祈った そうして時間が経っても まだ部屋の中は 明るかった /
🛋️
ニカは疲れてしまって 車の中では 一言二言 言葉を交わした後は もうずっと 左に傾き 車が揺れると それに合わせてニカも揺れるのだった Bluetoothでつなげた 車のオーディオから 前日に作ったプレイリストの3周目が流れている もうBGMになって久しいフランク・オーシャンが もごもごなにか足早に口ずさむのが 風や摩擦や 振動の音にかき消されていく 「ねむ」 ハンドルはしっかり握ったまま 前の車のナンバーから 外の景色に目を移す 完全な抽象画 そのうち色遣いを間違えた都市がだんだん見えてくるはずだ / 
🥡
クワノは今月で22になる 18の時に普通車の運転免許をとってから 交通事故は一回も起こしてない 親のフォルクスワーゲンゴルフを乗り継いで 今年で三年目の 夏が迫っているのを クワノはあっという間だと 当然思う ニカは免許を持っていない 教習所へは通っていたがしかし 途中で諦めて 「私は車 運転するより 乗るほうが好きだったことに気づいてね やめた通うの」といった 「そっかそっか」 「だからさあ これからもクワノのごーふに乗せてね」 「ごーふ?」 「名前 この子の」 車に名前を付ける人を見るのは はじめてだったから うまく物が言えなかった 「ごーふね!」 とクワノは まるで前から知っていた名前みたいに 知らない名前で自分の車を呼んだ 「ごーふ」なんてもう 最近は呼ばない たいていさ 愛着がつくにつれて もともとの名前は雲みたいにかわっていくもので いまニカは「ビジー」と呼んでいる 理由はわからない クワノは「アルバトロス」 ゴルフにちなんでいるし かっこいいから クワノは男にみえるけど女のような女で 髪は長いし いいにおいもする 背は 家屋のへりよりも もう少し高い ニカのことがちゃんと好きで 同じくらい音楽も好きだ でも 映画は全く���ない 一時間も二時間もジッとして 画面を観続けるというのが性に合わないし 退屈におもえる そこにある作品的な意義とか 美的な応酬が 理解できない 出自は複雑で 東京に生まれたかとおもうと 岐阜に籍を移し そのあとまたすぐに神奈川に籍を移した なんでそんなことになったのか そのせいで いまは東京に住んでいるにもかかわらず 本籍は神奈川のままだ クワノは その理由を 何度も両親に訊いてみて そのたびに「風水」と答えられてはみるが まだうまく納得できていない 車を運転するのはいい 自分が動かす限り いつまでも動く 景色は常に変わり 抽象画が繰り返されるのは 永い美術館にいるみたいで 素敵な気持ちだ 音楽も聴ける たいてい気になった新譜は 車で聴くことになる 距離がうまくとれるような気がするから 家だと環境が良すぎたりする /
📼
「そういうことってない?」 コンビニの駐車場で ニカは目を覚ましてトイレに行き ホットスナックのポテトを二個買って 帰ってきてほとんど一人で食べているので クワノはなるべくもらえるように 手を伸ばすが そのたびにニカは背を丸め 顔を隠して食べつづけた 「……まあ わかるけどね」 「映画も 映画館で観ると だいたいの作品くらっちゃうんだけど うちで観ると そうでもないことがある 場にあてられないと まともに文化を受け取れたりする」 もぐついているニカは 背をむけたままで クワノはいった 「ソレ くれるつもりないわけ」 「いいよ」 まるまる一個 手渡され 「もともとあげるつもり」 笑って 油にまみれた口を 舌で拭った クワノはあきれて 笑った 「でも場も含めて文化だというヤツも」 「まあねえ」 「でも距離をとらないと、まともになれない」 「それはたしか」 「だよねえ」 クワノは肩をすぼめ シートに深く腰掛ける 「ポテトうま」 「うまい」 「ミニストップのホットスナックって あまり食べないけど」 「うまい」 「あとどれくらいだっけ?」 「逗子まで?」 うなずくニカ もうポテトは手にない 「50min」 クワノの 英語の発音がいいのは 小さいころに 情操的な教育をされた名残で あまりいいことだとは思っていないクワノに反して ニカは英語の発音のいいクワノが好きだった 「ポテト、もう一個買ってくる」 「アセロラジュースも!」 「OKラジャ」 ニカはスカートをたくしあげて走っていった ドアは静かにしまって また車内に独特の あの沈黙がやってきて ニュージーンズのAttentionが その上に色を塗りたくるみたいに 流れるだけの時間を クワノは目を閉じて息を止める やり過ごすことにした / 
🐘
「水みたいな部屋だったでしょ」 「うん まさか湖の近くとは思わなかった」 クワノは本当に報らされていなかった 彼女が来月から 県外の博物館で働くことにして 部屋を探している間 ニカはクワノにその話をしなかった これまでは なんだって話してきたのに 「だって水みたいな部屋なんて言ったら反対されそうだったから」 反対するのだろうか するような気がして なんで?と思う 別にいいような気もする 「病気ひどかったとき よく水の中にある部屋のことを 考えてたんだよ そこは静かで 良くて」 頷くクワノ 「そこでは 濃い水の匂いがするんだよ 海だと潮の匂いが強いし 川だとあまりに薄い 流れてるからかなあ 湖がちょうどよかったんだ」 クワノには「濃い水の匂い」がわからない そもそも水に匂いがあることも わからない でもニカには感じ取れるのだろうなと そういう気遣いで聞き続ける話が クワノは嫌いじゃない 「湖畔の静けさは質が高い」 「そんな気がするよね」 喫茶店のブラインドは半分下がって 陽を遮って 影が切れているのを 机の上でなぞってみた アイスココアが ガムシロップで甘さを調節するタイプの アイスココアで コレを出すのは この辺だとここしかない 名前は「スキップ」とか「ホップ」とか ニカはここでジャーマンポテトドックしか食べない 「逃げれなくなった」と語った ジャガイモが好きなの? いやそういうわけでもないんだけど…… 再来週から ニカは湖のほとりにある 街へ行く そこにある水みたいな部屋に住む 水の濃い匂いがする 水みたいに静かな部屋で 博物館の事務員として 暮らす 「手紙かくよ」 「消印はうちの近くがいい」 「わかった」 そうしてニカは旅立っていった その日はやけに曇った水曜日で なんか嫌だった / 
⛰️
六月 梅雨になるまえに 手紙を書いておこうと クワノは 駅前の文房具屋まで 足を延ばして 思っていたより強い日差しに サングラスの下の目を細めている 妙に落ち着いた街なのだ 海へは少し遠い それもあってのんびりとした空気が しらけたグルーブを生んでいた 店の中に入ると 若い女が店番をしていた 文具のほかに適当な雑誌が いくつかおいてあった 地方放送局のラジオともう何年も売れていない鉛筆削り器 そういう店だ 「いらっしゃいませ」 どうもこんにちは 心の中でクワノは応えた ポパイが置いてある 手でめくると 紙のこすれる音が 手に伝わってくる 汗 拭う間もなく流れる 便箋を探しにきたんだった 上等な紙だと プリントに耐えないから クワノは手紙を手で書かない 必ずパソコンかスマートフォンで打ち込んで それをプリントアウトして 丁寧に封筒へ入れる 上等な封筒を選ぶ 手で書かなくたって気持ちはこもると 本気でそう思っている 淡い黄色がいいだろうか 封筒の大きさは? ああでもないこうでもないと 選ぶ時間があることが素晴らしい 世間において 過程はしばしば美化される傾向にあるが 手紙については 反論のしようがない プロセスがあまりに美しい時間の費やし方なのだと思う 大体どれくらい選んでいたのだろうか その間に客といえば腰の曲がりすぎたおばあさんと 近くに住む三毛猫ぐらいだった 店番の女は青色のスツールに座って ジッと珍しい地下甲虫の観察でもするみたいにして 午前中のテレビ番組を眺め続けている ラジオとの兼ね合いで 店の中ではテレビの音量が極めて小さく定められ トーキーの映画をみているみたいに ワイドショーが流れ CMが流れ 時々 番組なんだかCMなんだかわからないような ネットショッピングのCMが流れた クワノは便箋と封筒を決めた ようやく決まった封筒はうすーく伸びた水色のやつ 便箋はコピーが可能なきちっと白いものにした あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た とハッキリ 1音ずつ聞こえるように 女はお礼を言ってから お辞儀をした 湿度を保って熱気がまず 足元を焼くようにすると 太陽の地道な熱さが服ごしに背中を焼く音がする クワノはうんざりしながら帰る / 
🪞
「手紙ありがとうございました また手書きではなかったので ガッカリでしたが 消印があなたの街の郵便局のものだったので 安心しました こういう言い方はよくないのかもしれませんが あなたがあの街で あの声で そこにいる誰かと話していることが ここにいる私のことを なぜか落ち着かせるのです どうかそういうことを笑わないでくださいね さて こちらは忙しい日々を送っています と書くと心配するかもしれませんが 忙しいことは本当です しかしながらそれは悪いことではないかもしれません 働くということは もちろん働くことなのですが それ以外の複合的な意義を持つ営為でもあるのです 他者があり 自己があり そこに起こる会話や交渉 場の雰囲気やある種のトラブルが 私には まるっきり人生の縮図のように思えるのです 働くということは つまるところ人生を 自分自身の人生を小さく送ることに他ならない と近頃思っています あなたはまだ働くということに上手くリアクションできていないけれど そんなに悲観的になる必要はないのかもしれません 職場では ミネヤマさんという 事務の女の人によくしてもらっています 彼女はアイロンビーズがとても上手で 私に時々キツネやイルカのビーズ作品を作ってきてくれます bitの粗いビーズでできているのに ミネヤマさんの作るアイロンビーズは妙なリアリティがあるのです 生き物が持つ生命の質感が みごとに実現されているような気がします おこがましくもいつかあなたにも作ってもらおうと画策しています 短いですが今回はこの辺で 最近はダウ90000のラジオを聴いています 何を言ってるのかは ほとんど分からないけれど 面白いと思います」 明らかにニカの文字で書かれた ニカの手紙が届いたのはクワノが手紙を出してから二か月が経った頃だと思う 消印は湖のある あの街のものだった 手紙の最後には 秋にはまたここへ来てくださいとつづってあり クワノは秋のことを考えようにも 今 暑くて仕方のない 夏の終わりを肌で感じ取るしか能のない 動物になっていた 汗が止まらない こけたほほを撫でてみる この夏はろくに食事を摂らなかった 気づかないと三日間 食べないこともあった でもそんなものではないですか 夏なんて 食べなくたって生きていけるように できているような気がしませんか 困らないならしたくないことはしなくていい歳になったと クワノは思って 大人ってそういうことなのかもと考えて 夏の風がまだ残っているうちに 外に出よう さあ! オーラリーとニューバランスの2002RDは 暑くてもうはかなくなった夏は ビルケンシュトックの名前もしらないサンダルを履きつぶしそうな勢いで 繰り返し履くのだった これを買ったのはいつだったっけ 家を出て駅へ向かう道をまっすぐ歩くと すぐに2LDKほどの公園が見える 公園には申し訳程度の鉄棒 そして青色の豚のスプリング遊具が二匹 木はないが 蹴ればたちまち崩れそうな花壇が情けないながらも 入口に位置している 
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bumaswing · 1 year
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今お持ちのバイクを乗る予定無い方々。年度末まで残り1週間きりました。通常営業の役所では今年は今月の31日までナンバー返納を行って下さい。バイクの処分回収は4月に入ってからでも良いのでとりあえず先にナンバープレート返納をお願いします。 #税金 #ナンバープレート #ナンバープレート返納 #節税   #バイク処分 #原付処分 #バイク回収 #原付回収 #バイク廃棄 #原付廃棄 #日本最古のバイク買取店 #バイクの日発祥 #バイクの日発祥の店 #東京#埼玉#中野区#豊島区#杉並区#練馬 #江古田 #バイク #原付 #バイクの日発祥の店 #819の日発祥の店 #バイクの日 #バイク買取の元祖bum #バイク買取の元祖 #バイク買取 #bum #bumアズウイング #アズウイング https://www.instagram.com/p/CqQBMJyPJaB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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zubaban · 2 years
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高齢者の運転
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もう俺も高齢者になったから言うけどね
65歳過ぎたら強制的に免許返納でいいと思うよ
アラフィフだけど、あきらかに判断力も運動能力も落ちてる
60歳なんか、トレーニングとかしている人なら運動能力はまだしも、判断能力は年相応に落ちてくると思うけどね
で、返納して近場の電車とかバスとか無料パスとか配ればいいじゃん
遠いところに行くには車持ってたってガソリン代かかるんだから、新幹線とか飛行機は割引くらいでいいでしょ
コミュニティバスが1日3本しか走って無い地域とか、車ないと仕事できない田舎の高齢者などは、その地域内しか走れ無い特別免許とナンバーにすればいいじゃん
ま、俺は100万くれるなら今すぐにでも返納するわ
終わり
2022/09/27
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curry-cook · 2 years
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1日数食日記
2022年7月30日(土)
8時過ぎ起床。妻がゴミ捨てを済ませてくれていた。猫は相変わらず玄関にいるが、ご飯はしっかり食べていたようで一安心。洗濯物を干して、妻を送り、支度をして、さあ出かけようと玄関の扉を開けると、猫が出てこようと必死。一度は非情に扉を閉めて出るも、マスクを忘れて取りに帰ったあとは、電車の時間に余裕があったので、少しだけ外に出そうと扉を開けると、のそのそと表に出たので、五分ほどムービーを撮りながら遊ばせる。そろそろ行こうと抱えて中に入れると、また出ようとしていたが、申し訳ないと思いつつ扉を閉め、猛暑日の日中20分ほど歩いて駅へ向かう。移動中に弟から、9月中旬にある「パンと音楽とアンティーク 2022」というフェスに行こうと誘われ、ライブゲストがかなり豪華なのに参加費は1,100円と格安なので、すぐに妻にも伝えて参加することにした。土日の二日間あるのだが土曜日は休めないので日曜日のみの参加。弟は子を連れて二日とも参加するつもりらしい。その勢いで、迷っていた「第46回千束通り納涼大会」ライブステージ「~TOUR of SENZOKU~」の観覧の抽選に申し込んだ。
仕事を終えて15:32の電車で帰る。帰宅後シャワーを浴びてすぐ猫を外���出してやる。てくてく歩く後ろ姿を動画撮影していたが、前に回ってみると突然立ち止まり、しばらくしてニャーオとひと鳴き、踵を返してしまった。どうやら行く道を塞いだと思われたらしい。最近気難しい。
ホワイトチョコのダンディを食べて、なんとなく作業をしながら、YouTubeでフジロックを流し観、流し聴き。中納良恵のソロステージ初めて観たが、予想通り素晴らしい。ビョークより好き。
そして20:00からは待ちに待ったダイナソー。最高!!ニルヴァーナよりも断然ダイナソー派だった高校生の自分に見せたい(当時は彼らのライヴ観たことなかった)。Jがノリノリでギターを弾いて歌っている!Jがベース弾いてルーが歌う、というのも素敵な光景だったし良い曲だった(セバドーの曲かな)。そしてマーフ、なんていい顔、いい笑顔。この人がいなきゃダイナソーじゃないよほんと。新曲もヘビーロック調でいい感じ。"Out There"も"Feel The Pain"もやってくれたし(さすがに「太陽の渚を突っ走れ」はやらなかったけど)、大満足。これからも仲良くバンドを続けてもらいたい。
妻を迎えに行き、茅ヶ崎特集の「アド街」を観ながら晩御飯。そのあとアイスコーヒーとナッツとチョコを少々。
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22:00からは遂にコーネリアス。ただひたすら食い入るように観ていた。途中自動思考もあったが、これからの生き方に思いを馳せるような内容で、完全に小山田圭吾とこのライブに影響を受けたものだった。「環境と心理」はコーネリアスの楽曲としてこの後もパフォーマンスし続けて行ってほしい。そしてラストの「あなたがいるなら」。最後はバーストするナンバーで締めるかと思っていたが、スクリーンのメッセージを観て、四人が肩を組んで客席にお辞儀をするのを観て、これが正解だったんだと思った。本当に本当に素晴らしいライブだった。
終わってすぐ寝室へ。23:30ごろ、ラジコで今日の夕方やっていた曽我部さんとトクマルシューゴによるビーチ・ボーイズ対談を聴きながら就寝。
今日のBGM: Brooklyn Rock 'N' Rollers / Santo & Johnny This is Johnny & The Hurricanes / Johnny & The Hurricanes Tequila / Sandy Nelson The Complete Recordings / Ronny & The Daytonas
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xf-2 · 4 years
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003年4月15日夜、福岡市中央区の日本語学校に魏と王、楊らが職員室に忍び込み、現金約五万円を盗んだ。そこは王が在籍していた学校だった。王、楊はその1月にも、同区のファストフード店に侵入し、現金230万円を盗んでいた。ここは楊のアルバイト先。4月9日には魏が別の中国人留学生2人と共謀し、中国人留学生から現金約26万円を奪うという事件も起こしている。 「3人で何かやろう」  5月上旬には、楊のアルバイト先だった同市博多区のラーメン店経営者襲撃を計画する。「面識があると発覚の危険性が高い」として断念したが、この時すでに「殺害して金を奪う」ことを念頭に置いていた。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
中国人留学生
王亮(ワンリャン 当時21歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は土木会社を経営し、裕福な家庭に育った。02年春、日本の大学進学を目指して福岡市内の日本語学校に入学し、同級生とともに寮で暮らし始めた。当初授業の出席率は96%と高かった。(出席率が95%以下になれば入国管理局に報告されるという。さらに低くなると強制送還される)だが王はこの年の9月、同級生とトラブルを起こし、その時の学校の対応に不信感を抱き、ほとんど学校に出てこなくなった。同級生によるとこの頃から王の様子が変わっていったという。03年4月の時点で、王はMさん宅から700mほどのところにある家賃2万円のアパートに楊とともに住んでいた。5月15日に日本語学校から、このままで除籍処分になると通告された。就学生が除籍処分されると、就学ビザを取り消され不法滞在になる。王は1度中国に帰り、両親に再編入のための授業料の工面を依頼していた。だが、両親が王持たせたはずの授業料は学校に納めておらず、除籍処分となっていた。
楊寧(ヤンニン 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は長春市の中日友好協会に勤め、母親は同市の製紙工場に勤務。王とは両親同市が古くからの知り合いだった。01年10月に就学ビザで来日し、日本語学校を卒業した後、私立大学国際商学部に入学し、アジアの貿易経済について学んだ。02年には1科目を履修しただけでさぼり、後期には病気と称して休学したが、実際は福岡市内のハンバーガーショップでアルバイトをしていた。03年4月に1度は復学したが、年間50万円余の学費が払えず、納入期限の6月末を前に「親から学費を受け取るために一旦帰国する」と大学側に説明して出国した。この時、実家には戻っていない。
魏巍(ウェイウェイ 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
河南省出身。父は工場を経営する資産家。魏自身も高校卒業後、3年間人民軍(※)で班長を務めた。その後大連の外国語学院で日本語を学び、日本留学後は先端技術を学ぶという希望を持ち、01年4月、福岡の日本語学校に入学している。02年4月には予定通り、コンピューターの専門学校に入学した。ここでは成績もよく、奨学生候補だった。故郷には恋人もいて、ごく普通の学生だったが03年になると一転して学校を欠席がちになった。魏のアパートには中国人の女性が何人も出入りするようになり、4月には留学生仲間と中国人宅に押し入り、26万円を強奪、6月には知人の女性に暴力をふるったとして傷害容疑で逮捕された。この頃、インターネットカフェにしばしば通うようになり、王や楊と知り合った。4月9日にはかつて住んでいたアパートへ強盗を押しこんだこともある。また、他人名義で携帯電話を契約する詐欺も働いている。金にも対して困っていない優秀な学生だった彼が、03年春を境に突如犯罪行為を繰り返すようになっていた。
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福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
Mさん一家
殺害されたMさん一家は、Mさん(41歳)、妻C子さん(40歳)、小学6年の長男K君(11歳)、小学3年生の長女H子ちゃん(8歳)の4人暮らし。  Mさんは1962年福岡市で生まれた。私立博多高校を中退し、中州のクラブ勤めを経て上京。東京・麻布十番の焼肉店などで修行した後、88年に福岡市中央区で韓国料理店をオープンさせた。この店は繁盛し、有名人なども多く来店、テレビでも紹介されるほど有名店になった。その後、東区にも別の焼肉店を開店し、売上も好調だった。    C子さんも福岡県出身。九州女子高校を卒業後、94年頃まで化粧品会社の美容部員として福岡空港の国際線ターミナル店で働いていた。MさんとC個さんは高校時代から交際しており、90年5月に結婚した。Kくん、H子ちゃんも生まれ、幸せ家庭を築いていた。  しかし、最初の悲劇が起こった。01年9月、BSE(牛海綿状脳症)騒動が起こり、その煽りを受けて経営していた両店は廃業に追い込まれたのである。  MさんはC子さんの親族と一緒に婦人服販売会社を始めるが、売上が低迷、さらに東区の焼肉店開店のために自宅を抵当に入れて借りた4000万円の返済も滞るようになった。  03年3月、夫婦は婦人服販売業の業績が上がらないことから、C子さんの親族から独立して、衣料品などをデパートに卸す仕事を始めた。その2ヶ月後、Mさんの知人から休眠中の会社「W」を継承して復活させた。C子さんを社長にして、衣料品販売業を本格的に乗り出した。  また失業し、金に困ったMさんは闇ビジネスと呼ばれる仕事にも手を広げていく。事件後、家宅捜索で福岡市中央区のマンションから大麻草が発見されている。Mさんは大麻草を栽培して、売りさばいていたとされている。  またMさん一家は94年から96年にかけて、外資系生保会社と、99年には国内の生保会社と、一家4人の生命保健契約を締結した。保健金額はMさんが1億2000万円、C子さんが2500万円、KくんとH子ちゃんが各2100万円の総額1億8700万円に上り、その月々の保険料は14万円近くになっていた。  ちなみにMさん一家は王、楊、魏の3人とは面識はなかった。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
強襲
凌遅刑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91
凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。
Mさんの帰宅
日付が変わって翌午前1時40分頃、Mさんが帰宅してきた。愛車のベンツC200に乗って、自宅の車庫前まで帰ってきた時、携帯電話で友人と会話している。Mさんは「今、家についた。これから駐車場にいれるから、後でかけ直す」と電話を切ったが、その友人に再び電話がかかってくることはなかった。家に入ろうとしてきたMさんを犯人達は玄関で待ち伏せていた。工事現場から盗んできた鉄パイプを、いきなり後頭部を殴りつけた後、前に向かって横から額を殴り、さらに左目周辺や頬を殴ったり、全身を蹴ったりした。さらに犯人達は2階で失神していたH子ちゃんを担ぎ下ろし、父親の目の前でいたぶったり殴打しながら、Mさんに何かを聞き出そうとリンチを加え続けていた。だが、Mさんはなにも答えず、「用がなくなった」ということで、H子ちゃんの首を絞めて殺そうとした。Mさんは土下座して、「娘だけは助けてくれ」と言ったが、彼らはこれを嘲笑し、殺害した。さらにMさんの首を白いビニール紐で絞め、気を失った彼を浴槽に浸けて溺死させた。  3人は一家の遺体を運びやすくするため、まずMさんの両手に手錠をかけ、首から足にかけて工事現場で盗んできた太い電線で縛り、H子ちゃんを背負わせる格好で固定した。また、ちょうど血のついて放置しておけない玄関マットがあったので遺体を覆い隠すために持ち出し、車を乗り捨てる際に近くの草むらに捨てた。  3人は一家4人をベンツに乗せ、その車に一緒に乗りこんだ。 博多港箱崎埠頭の岸壁に到着した3人は遺体を海に沈めるために、前もって用意しておいた重りを1個ずつつけ始めた。Mさんの腕とH子ちゃんの足を手錠でつなぎ、その手錠のチェーンの部分に別の手錠をつないで、鉄アレイをつけるなど、万全を期した。C子さんとKくんはそれぞれ両手に手錠をかけ、鉄アレイをつけた。千加さんは服を着ていないので浮き上がりそうだったので、特別に鉄製の重りを針金で巻きつけていた。  遺体を捨てた後、Mさんのベンツを運転して久留米市に向かった。これはNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)でも確認された。ベンツは「ブリジストン久留米工場」クラブハウスの専用駐車場に乗り捨ててあるのが発見されてい。3人はベンツ放置後、JR久留米駅から福岡に戻った。  20日午後、博多港箱崎埠頭付近の海中から一家の遺体が次々と発見された。これほど早く遺体が発見されることは、3人にとって誤算以外の何物でもなかったはずだ。  なお事件当日の行動については3人の供述をもとに書いたが、3人が責任をなすりつけ合ったり、供述そのものを変えているので、不確かな点も多い。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
3人の浮上
事件に使われた手錠は台湾製でレバー操作をすれば簡単に取り外しができる金属製のおもちゃ、鉄アレイは重量20kgのもので、それぞれ福岡市内にある量販店で売られていた。この店の防犯カメラにそれらを買った人物が映し出されていた。その映像から似顔絵が公開されると、日本語学校の生徒が「同級生(王)に酷似している」と証言、ここで王とその交友関係が洗われるようになった。ここで楊の存在が浮上し、楊の携帯電話の通話記録から魏の存在も明らかになった。  また、遺体に付けられていた直方体の鉄製の重り(重量30kg)は魏が過去に頻繁に出入りしていた女性宅がある福岡市博多区の賃貸マンションの所有会社が非常階段への鉄製扉を開放させておくために特別注文したものだった。  事件後、魏は出国2時間前に空港へ向かう途中の路上で、別の暴行事件により身柄を拘束された。だが、この時すでに王は楊とともに福岡空港から上海に出国していた。この航空券は犯行の3日前に楊が用意していた。2人は中国の公安当局に身柄を拘束されることになった。 供述 「窃盗目的で侵入した。黒幕は存在しない」(王、楊) 「Mさんは高級車を持っていて金持ちそうだったから狙った」 「5月下旬に王から『おまえは格闘技ができるだろう。それなりに荒っぽいが、カネになる仕事がある』と誘われ、楊を入れて3人でMさん一家を襲った。家族4人の首を絞めて殺した後、遺体をMさんのベンツでう実まで運んで投げ捨て、その車も遠くまで捨てに行った。王は誰かに殺しを依頼されていたようで、私は成功報酬として約1万円を受け取っただけだ。残りの報酬はまだもらっていない」 (魏) http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
出典kyushu.yomiuri.co.jp
公判を終え福岡地裁を出る魏被告
福岡一家4人殺害事件
王被告土下座にも消えぬ怒り 遺族、厳罰求める
出典kyushu.yomiuri.co.jp
福岡一家4人殺害事件
中級人民法院裏門で、通行人をチェックする職員
憤りは収まらなかった。昨年六月に起きた福岡市の松本真二郎さん一家四人殺害事件。遼寧省遼陽市の中級人民法院で十九日に開かれた初公判で、孫たちの命を奪った元留学生二人と初対面した遺族には、日本語での謝罪もむなしく響いた。「頭を下げれば済むと思っているのか」。一年四か月を経ても消えない激しい怒りが、異国の法廷に広がった。  王亮被告(22)は白いワイシャツ、白っぽい綿のズボン姿で法廷に姿を見せた。楊寧被告(24)は、黒いトレーナーに白っぽいズボンをはき、二人ともオレンジ色のベストを着ていた。両足には鎖、両手には手錠がかけられていた。  起訴状が読み上げられる間、楊被告は、検察側の質問に対し、はきはきと答えたが、何度もまばたきするなど緊張が見て取れた。王被告も時折、目元に手をやるなど、落ち着かない様子だった。  犯行現場となった松本さん宅の子供部屋や浴室、廊下に残された血痕などの写真がスクリーンに次々と映し出されると、王被告は終始目をそらし、楊被告も顔を上げようとしなかった。  静寂が破られたのは、王被告の意見陳述の途中だった。突然、後ろを振り返り、約三メートル離れた傍聴席の最前列に座っていた松本さんの妻千加さんの父親、梅津亮七さん(78)に向かって土下座し、約三十人いた傍聴席から驚きの声が上がった。さらに、裁判長に向き直った後、もう一度後ろを向き、日本語で三回、「すみません」と繰り返し頭を下げた。  数日前に遼陽市入りした梅津さんは、公安当局などを回り、両被告の逮捕に謝意を伝え、厳罰を要請したという。公判終了後、「頭を下げて済むものではない。それ以上にひどい目に遭わされた」と怒りが収まらない様子だった。 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090427-462876/news/20090427-OYS1T00564.htm
裁判経過
楊寧被告人は1審で死刑判決を受け、控訴棄却を経て2005年7月12日に死刑執行された。一方、王亮被告人は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役が確定した。 日本で逮捕起訴された魏巍被告人は1審の福岡地裁で事実を認めた後、ほぼ黙秘を通し、死刑判決を受けた。2審では、一転して動機や犯行過程、3人の役割、遺族への謝罪などを詳細に証言したが、控訴は棄却された。上告したが2011年10月20日に最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は上告を棄却して死刑が確定した。 2014年現在、魏巍は福岡拘置所に収監されている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
出典stat.ameba.jp
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
日中の捜査共助と問題点
同事件は主犯格2人が中国に逃亡したため、中国との捜査共助が最大の焦点となった。結果的には日本国内の反響の大きさに配慮した中国当局が積極的に協力したため、早期逮捕が実現したが、一方で他の事件では日中間の捜査協力がほとんどなされていない実態や、アメリカ、韓国以外と犯罪人引渡し条約が結ばれていない現状も指摘され、国際化する犯罪に各国捜査当局の対応が遅れている点が浮き彫りとなった。 また、福岡地裁で行われた魏巍被告人の公判では、中国公安当局が作成した王亮、楊寧両被告人の供述調書が日本の裁判で初めて証拠採用された。これまで日本の刑事裁判では、海外の捜査当局が作成した調書は「証拠能力なし」とされることが多かったため、この判断は「国際犯罪の捜査に道を開く」と評価されたが、黙秘権が存在しない中国の調書を問題視する意見もあり、議論を呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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sight-blog · 5 years
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インド・ネパール旅 #1
コルカタの空港に着いたのは午前一時を過ぎたころだった。格安航空は都合の悪い時間を割り当てられるのだろう。ひとまずiPhoneのローミングをオンにするとボーダフォンの電波を拾って、ラインやインスタグラムの通知がなだれ込む。
入国カードを探さなければ......。返信を後回しにして歩を進める。機内で寝ていたために入国審査に必要な書類を受け取り損ねていたのだった。
当たりをつけて筆記用に設けられたブースに向かうが、余分なカードは置いていなかった。格安航空の機上の人となれば睡眠に勝る娯楽なしと居直っていたのだが、それが裏目に出たようだった。
手を替え、手近な空港の職員をつかまえてカードのありかを訊ねると、ぞんざいに追い払われてしまった。三時間半の時差を考慮に入れると、ほとんど二十時間の移動のあとであった。争う余力もなく、しょぼくれて引き返す。旅とはすべて体力のことなのだ。
すると先ほどの記入台の下に、書き損じのカードが捨てられているのが目に入った。記入のミスの程度を確かめると、いくらでもない。皺を伸ばして上書きすることにした。
「ペンを貸してくれないか」
顔をあげると青と灰の布に身を包んだアジア系の男がいた。盗難を危ぶんだためか記入台にはペンが用意されていなかったのだ。
この男は入国カードを持つ一方でペンは持っていなかった。つまるところ、世の中はそういう風にできているのだなと一人納得する。彼の不足を補うべく存在した私は、自分のカードの記入もそこそこにペンを差し出した。
男は見たところ僧侶のようだった。
「君はモンクなのか?」
彼が欄を埋める間、少しその素性について聞いてみることにした。
「そうだ。韓国から来た」
パスポートのナンバーを確かめながら彼は答える。
「二回目なんだ。インドは」
二回目ならペンくらい準備していてほしいとも思ったが、入国カードを受け取り損ねた者にそれを指摘する権利などあろうはずもなかった。私にとっても二回目のインドだったのだ。
聞けば彼は聖地をめぐる旅の途上にあるらしかった。コルカタからバラナシに向かい、南下してスリランカのコロンボに行くのだと言う。
「俺はブッダガヤに行こうと思っている」
コミュニケーションとは対称性のことだ。旅程を聞いた以上、私の計画を話さないわけにはいかない気がした。
「そのまま北上してネパールのカトマンズへ行き、バラナシを通ってデリーから東京へ帰るつもりだ」
「仏教徒みたいな旅だな」と彼は笑う。贅肉の一切がなくて目尻に寄った皺は、彼の宗教への向き合い方を自ずと感じさせるものがあった。
彼が記入欄をすべて埋めるのを待って、我々は入国審査官の元へ向かった。審査とは文字通り審査のことだ。入国の可否はここで決まる。
実のところ、この審査に不安がないわけでもなかった。パキスタンの渡航歴を咎められるのではないかと考えていたのだ。なにしろ、カシミールで両国の衝突が起きたのはつい先日のことだった。
アライバルビザで入国するつもりの韓国人の僧侶とは下の階で会う約束をして別れる。九段下の大使館で受け取ったビザを祈るようにして指でなぞりながら、私は審査の列に並んだ。
入国審査官と渡航者は一方で、非対称な関係だ。審査官に対し、極端に友好的に接する隣の列の渡航者を見て鬱々とした気持ちになった。しかし、明日は我が身である。
そして明日を待たずと審査の番は来た。やはり私も友好的に挨拶をして、パスポートを差し出す。いざ権力に相対すると存外、簡単に屈服するものだなと自らを俯瞰した。
人間社会の基本は挨拶にあるのだと外国語の教本を開くたびに思う。しかしながら、この非対称な関係はこの社会の基本を無いものとするのだった。
したがって我々の会話は、円滑な人間関係においてはおよそありえないパキスタンの渡航歴の追求に始まったのである。
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nomadegateway · 1 year
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#軽協 #軽自動車検査協会東京主管事務所 #名義変更 #一時抹消 #ナンバー返納 #青空 #桜開花 #ひんやり朝 https://www.instagram.com/p/Cp_f-M0y40a/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 4 years
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ふるさと納税は自治体間の返礼品競争を招くとともに、高所得者ほど節税効果が高まる。しかし、制度の問題が改善されることはなかった。なぜなら、提唱者が安倍政権のナンバー2である菅官房長官だったからだ。
菅官房長官に意見して“左遷”された元総務官僚が実名告発「役人を押さえつけることがリーダーシップと思っている」 (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
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deusnatura · 5 years
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日本のロック熱は女子の〝好き〟エネルギーが作ってきた 映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開を機に振り返る 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が公開されて話題だ。イギリスのロックバンド、クイーン、そのヴォーカルのフレディ・マーキュリーに焦点を当てた伝記映画。なるほどクイーンは映画が作られるにふさわしいスーパースターだが、1973年のデビュー当時は本国では全く人気がなく、評論家たちにも大不評で「グラムロックの残りカス」とまで書かれたとか。残りカスって……どうよ? よもや半世紀後に伝記映画が作られるとは、書いた評論家も思わなんだろう。 クイーンのフィーバーは日本から世界へ  そんなクイーンを最初に注目し、人気を獲得したのは、実はここ日本。しかも音楽雑誌の女性記者の先見の明からだった。その記者とは東郷かおる子。後に、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長となるが、1973年当時はそこの1記者だった。   「ミュージック・ライフ」は1937年に歌謡曲の投稿誌として産まれ、1953年からはジャズと歌謡曲を紹介し始め、1960年代からは海外のポピュラーミュージックを紹介する音楽雑誌として一時代を築いた。  東郷かおる子は1967年に「ミュージック・ライフ」を発行する新興楽譜出版に入社する。高卒の女子。最初は経理部に配属されるも、ゴミ箱に捨てられたスターの写真が載る校正紙を拾っては抱きしめ、憧れのスターに一瞬会えただけでワンワン泣いて感激していた。その熱意で編集部へ異動。愛と情熱で働く、若き女性記者だった。  そんな東郷がクイーンを初めて誌面に登場させたのは1974年5月号。モノクロのグラビア1ページ。「イギリスの新しいアイドルはこれだ!」と銘打ち、「最も将来が期待されているのがこのクイーンである。久しぶりに登場したルックス良し、音良しの華やかな雰囲気を持った若者たちだ」と書いた。東郷はデビュー曲「炎のロックン・ロール」を聴いて気に入っていた。    「メンバーはどんな顔をしているんだろう? そのうちに、モノクロのメンバー・ショットが届いて、それを見たら、ルックスもすごくいいわけね。当時は、まだ四人とも若かった。これ、結構いけるんじゃない?と思って、とりあえずミュージック・ライフに写真を出してみようとグラビアに出したら、読者からすごい反響があったの。それで、クイーンは人気が出るな、いつか取材したいな、と思っていたわけね」    (『ミーハーは素敵な合言葉』より)  その機会は瞬く間に訪れた。同じ年の7月号に掲載する、モット・ザ・フープルというイギリスのバンドの“ブロードウェイでの初のロック・コンサート”を取材するために初めての海外、ニューヨークへ行くと、その前座がなんと!クイーンだった。当時そんなわけでクイーンは人気がなく、増してやアメリカなどではまだ無名。照明も暗い中でのわずか30分の演奏だったが、東郷は「このバンドが日本で受けないはずがない!」と確信した。それは彼女の勘というか、ミュージシャンのスター性をかぎ分ける嗅覚で、見事に的中することになるのだが、ここからがまたすごい。 ファンの目線でメンバーに直談判  コンサート後、モット・ザ・フープルのレコード会社の人たちとレストランに行くと、そこにたまたまクイーンのメンバーがやって来た。東郷はずんずんと彼らのテーブルに近寄り、「日本から来た、こういう雑誌の者です。先月号なんですけど、あなた達の写真が載ってるんです」と「ミュージック・ライフ」を差し出した。するとクイーンのメンバーたちは「僕たちの写真が載ってる!」と大喜び。何せ人気がなかったんだから……。東郷はすかさず「時間があるなら明日インタビューを取らせてもらえませんか?」と直談判した。当時ろくに英語も話せなかったという東郷、しかも初の海外取材。大した度胸だ。  これが東郷と「ミュージック・ライフ」の、クイーンとの運命としか言いようのない出会いで、そこから「ミュージック・ライフ」はクイーンに何度も取材を重ね、大々的に掲載する。英米でも彼らは少しずつ知名度が上がっていたものの、日本での人気は圧倒的なものになった。1975年4月の初来日時には羽田空港に1200人以上ものファンが集まって、クイーンのメンバーはもみくちゃになった。  その大フィーバー振りは当然ながら海外へもニュースとして伝わり、そのことがアメリカやイギリスでの宣伝活動に火を点け、もちろん実力あってこそだが、クイーンは世界的スターへと上り詰めて行く。翌1976年の「ミュージック・ライフ」4月号には「クイーン、ついにアメリカでも一流グループの仲間入り」とある。そのきっかけは、東郷の金の卵を見抜く目と耳だったわけだ。  彼女のスターを見つける嗅覚は、1978年に再び発揮される。後に世界的スターとなるチープ・トリックだ。レコード会社から持ち込まれた、前の年にデビューしたばかりの彼らのレコードを聴くと「そこそこパンクっぽくて面白い」と東郷は思った。「じゃ、確かめてみよう」とまたアメリカへ渡り、ブルー・オイスター・カルトというバンドのこれまた前座を務める30分たらずのチープ・トリックの演奏を見た。東郷はこれにたちまち撃ち抜かれた!   ちょうどクイーンの人気もひと段落。「新しいスターが欲しい!」と思っていた。「ミュージック・ライフ」は、今度はチープ・トリックを毎号大々的に掲載して、彼らは日本で爆発的人気を得る。ヴォーカルのロビン・ザンダーは王子様的アイドルとなり、他のメンバーもキャラが立っていた。武道館でコンサートを行い、そのライヴ盤が作られて発売されると、なんと全米ナンバー1に輝いた。武道館という名前も、ここで一気に世界に広まったのだ。  2015年に私が東郷にインタビューしたとき、逸材を見つけ、それを大々的に推してスターに育てていく過程をこう言っていた。    「格好いい!と自分が思えることが原動力なわけ。別にファンじゃなくても、光ってる、ビビッときた、行けるわ!と思うと、私のアドレナリンはすごいから。しかも、当たるんだよ、それが。私は最大公約数の人間なんだよね。特別な感性じゃないの。普通なの」    (「季刊レポVol.19号」より)  大衆が何を求めているかを見抜くプロデューサー眼ではなく、大衆、しかも熱狂する女性ファンの目と耳そのものを自ら持ち、逸材を見つけ、とんでもない情熱と、大胆な行動力でクイーンを、そしてチープ・トリックをスターにした東郷かおる子。こんな女性が昭和の時代に日本でロック文化を培っていたのだから驚くが、「ミュージック・ライフ」には実は、東郷が憧れた先人がいた。 日本刀携えてビートルズを訪ねる  1965年、当時既に大スターで誰も成し得なかったビートルズとの単独会見に成功した、ミュージック・ライフ編集長・星加ルミ子がその人だ。彼女については、『ビートルズにいちばん近い記者~星加ルミ子のミュージック・ライフ』が詳しい。  星加は短大で英語を学んでいた20歳のとき、新宿のジャズ喫茶で偶然「ミュージック・ライフ」の求人広告を見つけて応募、アルバイトとして入社した。1960年のことだ。最初は読者からの投稿ハガキの整理など雑用をしていたが、3年後には彼女が実質的な編集責任者になる。  それまで日本の歌謡曲と海外のポピュラー音楽を載せるどっちつかずだった「ミュージック・ライフ」を、1963年9月号でエルヴィス・プレスリーを表紙にし、海外のポピュラー音楽専門誌に変えた。投稿欄の担当者だった彼女は、「海外の歌手を載せて」という読者の声が日に日に増えていることに気付いて大胆な路線変更をしたのだ。  それはすぐに功を奏す。1964年2月にビートルズが日本デビューすると、「ビートルズかわいい」という声が続々寄せられた。星加はこれだ!とピンときて、同年4月号でビートルズを表紙にする。宣伝用のモノクロ写真を色づけし、それぞれの顔を切り抜いて配した。この表紙は大好評で、一か月後の返本の際には表紙だけが切り取られたものが幾つも送り返されてきたそうだ。  そこから日本でもビートルズ人気が爆発。それに伴って海外のポピュラー音楽を紹介する「ミュージック・ライフ」の売り上げもどんどん伸びていく。星加は20代前半でやり手の編集長だった。  そんな星加をロンドンに飛ばし、ビートルズに取材させたい、という思惑が周囲から沸き起こるには時間がかからなかった。とはいえ、そう簡単に事は運ばない。ロンドンのオフィスに問い合わせれば、素っ気なく断られる��それでも星加はロンドンに行くことになった。とにかく行ってみなよ、というムチャ振りだ。世界一周、一か月にわたる取材旅行の日程を組んで1965年6月、星加は日本を発った。海外渡航が自由化された1年後のことだ。  しかし、ビートルズに会えるという確証はない。というか、全く希望はなかった。そこで彼女はまずマネージャーに気に入ってもらおうと、お土産に本物の刀をロンドンへ持って行った。今ほど法律も空港も厳しくなかったとはいえ、なんということをするんだろう。星加はビートルズの4人にあげるお土産用のおもちゃの刀に本物の刀を紛れ込ませて持ち込み、ロンドンでマネージャーにプレゼントした。  それが功を奏した……というよりは、日本の音楽雑誌の編集長がまだ20代前半でビートルズと同年代、小柄でおかっぱ頭のニコニコした女の子(イギリス人から見たら子どもに見えただろう)だったことにマネージャーは心を動かされたのだろうと、後に星加自身が言っている。日本公演を行った際には若者たちに見て欲しいと、チケットの値段を低く設定してもいたビートルズだ。当時、彼らは若者の代表であり、仲間だった。星加は仲間として、ビートルズに迎え入れられたのだ。  星加はビートルズに会うことができた。30分の予定が3時間にも及んだという。ビートルズと星加が並んだ写真は「ミュージック・ライフ」の表紙のみならず、世界中の音楽雑誌、そして日本のスポーツ紙や週刊誌をも飾り、日本の若い女性がビートルズに会ってきた!とTVやラジオでも大きな騒ぎとなった。  もちろん、それまでもビートルズは日本でも人気だったが、星加が会ったことで日本におけるビートルズは俄然リアルな実像となって、当時は本当に存在していた「お茶の間」レベルのスターになった。その後の来日公演では教育界や文化人、放送人、政治家、警察まで日本中を巻き込んだ大騒動になっていく。  星加がロンドンでビートルズに会ってなかったら、���たしてここまでビートルズは日本で市民権を獲得しただろうか? 星加が日本にビートルズというスターを連れてきた、といって過言ではないと思う。そしてそれは、日本にロックという音楽文化を根付かせる、大切な大切な一歩だった。  さて、その星加が10代から憧れていたスターはエルヴィス・プレスリーだった。星加はビートルズに会った旅で、実はアメリカに渡ってエルヴィスに会うための画策を図ったが失敗していた。もしビートルズ同様にエルヴィスとも一緒に並んで写真を撮り、「ミュージック・ライフ」の表紙を飾っていたら、どうなっていただろう?  同じことを「ミュージック・ライフ」で当時、「スターの花かご」という人気コラムを書いていた湯川れい子も考えていた。82歳の今も音楽評論家として現役の彼女は1965年10月に渡米し、日本でも大人気だったアメリカのシンガー、パット・ブーンの自宅を訪問する。彼女はパットの来日公演の司会を務めたりで(注:当時はコンサートに司会がついた)、彼とは懇意だった。そしてパットはエルヴィスの友人でもあり、湯川はパットにあるお願いをしていた。    「アメリカに行けるようになったらあなたに会いたい。そしてエルヴィスに会わせてほしいの」    (『女ですもの泣きはしない』より)  スター相手に言うね!と思うが、彼女は物おじせずに綱引きをぐいぐい手繰り寄せるように、欲しいものを自分の力で引き寄せる人だ。多少強引でも、笑顔と丁寧な物腰で相手を納得させてしまう。パットはそれで「ロスに来たら感謝祭に自宅に招待するよ」と言ってくれた。湯川が本当に訪問すると、パット自らエルヴィスのオフィスに電話をして取材の交渉までしてくれた。「彼はハリウッドで映画の撮影中。時間が空けば会えるそうです」 楽屋を訪ね、プレスリーとキス  ワクワクして待ったが、結局このとき湯川はエルヴィスに会えなかった。エルヴィスは日本を熱狂させるせっかくの機会を失ってしまったのだ。当時彼は30歳。デビューした1956年は21歳だった。エルヴィスがデビューした頃、湯川はまだ音楽評論家ではなかったし、「ミュージック・ライフ」に星加も東郷も当然ながらまだいない。誌面では男性評論家たちが「エルヴィスは男ストリッパーか?」とか、「ハクいスケにもてようと期待するならばエルヴィスの秘密を取得吟味して新しい戦術を作り出せ」といった、過去の価値観を覆す新しいタイプのロックスターを理解できず、彼をこき下ろす記事ばかりが目立った。エルヴィスと日本はタイミングがことごとくズレていた。  それでも湯川自身は全くあきらめていなかった。1971年8月、ラスヴェガスでエルヴィス・プレスリーに初めて対面する。コンサートの楽屋でのことだ。時間は少ししかなかった。    「長居はできない。私は進み出て言った。『キスしてください』エルヴィスの顔が近づき、やわらかい唇が私の唇に触れた」(同)  エルヴィスはコンサートで、ファンの女性にキスするのが習わしだったとか。だからキスしてもらいたかったという。湯川はエルヴィスの前でファンであろうとしたのだ。そして、その一部始終をありのまま、エルヴィスがどんなにステキだったかを新聞に書いた。するとそれが「評論家の風上にも置けない」という大バッシングを巻き起こし、湯川は逆に腹をくくった。    「私は評論家などと呼ばれなくたっていいのだ。一生、ミーハーのままでいてやろうじゃないか、という気持ちがさらに強くなった」(同)  湯川にとって「ファンである」ことは、音楽の仕事をする上で最も大切なことだった。1966年のビートルズの日本公演で、武道館に響き渡る少女たちの無垢な嬌声に心底胸打たれ、同時にその少女たちを力任せに抑え込む権力に激しい憤りを感じていた。    「力を誇示する男たちは自分には理解できない、自分の支配力が及ばないエネルギーが怖いのだろう。それなら私は一生、この『キャアア』という叫びの側にいよう」    (『音楽に恋をして~評伝湯川れい子』より)  拙著の引用だが、湯川れい子は敢えてファンの側に立ってロックを伝えてきた。それはエルヴィスに会った翌年の1972年から24年続いた、湯川がDJを務めたラジオ番組「全米トップ40」でいかんなく発揮され、ロック文化を楽しむことを日本の若者たちに広く伝えた。  ちなみに湯川のキス事件騒動こそ、日本では既に忘れられた存在だったエルヴィス・プレスリーが、お茶の間でも知られるスターになるきっかけだった。ジャンプスーツで太ったロックスター、エルヴィスという少々ねじまがったイメージではあったものの、エルヴィスの名前と姿は日本で広く認知されるようになった。  東郷かおる子、星加ルミ子、湯川れい子。彼女たちはひたすらロックを愛し、大胆な行動を起こし、時には暴走もし、それが日本にロックという音楽と文化を根付かせ育て、遠く世界にまで波及させもした。好きこそものの上手なれ。“好き”のエネルギーはどんなハードルをも乗り越ていくのだ。
東郷かおる子「私は最大公約数の人間なんだよね。特別な感性じゃないの。普通なの」だからスターを見抜ける https://book.asahi.com/article/11945630
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bumaswing · 1 year
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令和4年度も年度末になりました。
令和4年度も年度末になりました。 乗っていないバイクや原付はございますか? ナンバープレートを年度内に廃車手続きを済ませておかないと 来年度分の税金を支払う義務を課せられます。 乗っていなく放置したバイクは早めに処分して 節税対策しましょう。 今年度は2023年3月31日までにナンバーを区役所に返納しておけばOKです。 バイクの処分はバイク回収ホンポBUMにお問合せください バイク回収ホンポBUMアズウイング株式会社 0120-57-6411 (電話番号をタップすると当社に発信します) 東京都練馬区旭丘1-19-3 店舗営業時間 10:00から19:00 電話受付 10:00から22:30 店舗木曜日定休 (木曜日は、11:00~18:00電話受付のみ)
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/8/14
朝、雨音で目が覚める。今日も甲子園は順延らしい。雨音を耳にしながら、うだうだと二度寝、三度寝を繰り返す。
目覚ましで目が覚める。シャワーを浴びて、洗濯機を回して、駅の公園口に行く。あれれ、来ていない。しばらく待っていると、Tから屋根のあるベンチにいると連絡が入っている。あれれ、いつの間に。小走りで屋根のあるベンチまで。なんとカッパみたいのを着てチャリで来ているではありませんか。相変わらず待ち合わせが下手くそだねぇ。Tにティラノサウルスとか恐竜のシールをあげる。喜んでくれてよかった。早速、撮影が開始される。カンで服を選んだけれど、Tもその服がお望みだったみたいで安堵。カバン外して、とか、マスクも外して、とか、左斜め上を向いて、とか、あれこれと指示がある。こんなこと初めてだからちょっと緊張する。撮影が無事に終わって、NちゃんとRとNのはなしを少しする。バカみたいに高いサドルの写真を記念におさめておく。Tがカッパみたいのフードをかぶって、ひもをきゅっと結んで、てるてる坊主みたいになる。かわゆ。スマートな自転車の乗り方なるものを見せてもらう。今日これからどうするのーー? カレー食べに行くよ。バイバーイ。
いったん家に戻ると、洗濯がちょうど終わっている。洗濯物を干して、P店の修行もとのM店に電車で向かう。なんと、お店のシャッターが下りている。貼り紙がしてあって、お盆休みの連休になっている。マジですか……。ひとまず、電車を乗り継いで映画のチケットを先に取りに行くことにする。水道橋の歩道橋の上でばけたんの赤が2回連続、うひょーーーー!! チケットを確保して、歩いて隣町まで。坂道の途中に急勾配な階段がいくつか伸びている面白い道。長い坂道の終着地に見慣れた街がひろがっている。赤のビストロべっぴんカリー。来た道を戻って劇場へ。弱くなっていた雨が強くなってきて、ところどころの軒下で雨宿りをしながら。
堀禎一の追悼特集。ロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』と、堀禎一の『宙ぶらりん -SEX配達人 おんな届けます-』の二本立て。『イタリア旅行』は何度か観ているし、けっこうダレ場があるから途中何度か眠りかける。それでも、最後のショットには泣いてしまう。『宙ぶらりん -SEX配達人 おんな届けます-』はピンク映画なのに小津のように生真面目な映画で目から鱗が落ちる。60分という時間のなかで意味のないセックスシーンがひとつもない。ピンク映画やロマンポルノは唐突で意味不明な演出であったり、アナーキーな演出が実験的に垣間見られるのがひとつの魅力だと思っていたけれど、堀禎一は律儀な演出をひとつびとつ積み重ねてゆく。そんな積み重ねのさいごにはもちろん泣かずにはいられない。トークショーでも同じようなことが話される。ピンク映画やロマンポルノにおけるセックスシーンはミュージカルにおけるナンバーの役割を果たしているってはなしに大いに納得する。堀禎一はとくにその傾向が強いらしい。ほかのも観てみたい。
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komyu27 · 3 years
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hideaki matsuoka online LIVE 《The One 2nd Season #03》 2021.7.04(日)20:00(2021.7.05(月)1:07)
毎回、前回を超えてくる《The One》シリーズ。 それは2nd Seasonに入ってさらにその感を強くさせられている。 が、今回は本当に素晴らしくて、 毎回あっと言う間なのだけれど、 今回は、1時間ほどのライブが 瞬く間の体感だったのだ!
最後にはファン熱狂のサプライズもあって、 よく毎回 これだけ楽しませる要素を盛り込めるものだ、と感動。
まずはセットリスト。
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初期のナンバーが無い。 初回配信時に気付いて でもそれは意図してなのか偶然なのかわからないけれど なんだかうれしくなった。
初期アルバムを聴いてファンになった私だけれど (はっきりと覚えていないが、 2nd《Divine Design》か3rd《以心伝心》が 『松岡英明の音の世界』の入り口) ライブで初期ナンバーが無いセットリストだと 何故かうれしくなってしまう。
アルバムが進むにつれ、 松BOWが目指しているサウンドが はっきりと伝わってくるからかもしれない。 (初期のナンバーが入っているのももちろんうれしいです。 当時何度も繰り返し聴いた楽曲だし、思い入れもあるし。)
★ライブのイントロとしての完璧なオープニング! オープニングの映像は、 いつものように インスト曲【Scene from Paradise】に乗せて この回のライブ映像をダイジェスト的に 映し出したもの。 モノクロで紗がかかったような映像も いつも通りなのだが、 いつもよりキラキラ具合が増している。 撮影場所の錦糸町rebirthさんの照明が パワーアップしたせいなのかもしれないし、 この日のカメラマン TV-NOiZのYuukiさんが撮影、編集されたからかもしれない。 曲のフレーズごとにタイミングを合わせ 映像を切り替えているのが MVのようで素敵だった。
『期待』と『予感』めいたものを感じつつ、 オープニング映像に導かれ本編スタート!
★連続《The One》初お披露目曲! 登場した松BOWは 黒の半そでシャツに黒のパンツ。 黒のレザーバングル。 赤いネクタイには小さな缶バッジがいくつも。 松BOWコメントで TV-NOiZのグッズと判明♪
印象的なドラムのイントロが流れて【01 Devil`s Order】! 《The One》初お披露目曲! 加えて意外な選曲に コメント欄がいきなり沸いたのだが、 2曲目【Jet Set Panther】 3曲目【Deep Inside】と続き、 3連続《The One》シリーズ初お披露目曲! 3曲とも、アルバム《新世界》からの選曲。 ホームレコーディングの先駆けとして制作された アルバムは、 私の中ではまだ消化しきれておらず、 それは後追いで聴いたからというのもあるだろうが、 サウンド的にも自分が追いついていなかったのだと思う。
が!今聴いてみると、 カッコ良い!! 自分の中で鮮明な印象に変わった。
印象が変わったのだから、 オリジナルと相当変わったのだろうかと 改めてオリジナルと聴き比べてみた。 が、そこは『オリジナルに忠実な』《The One》。 大きな違いはないものの、 やはり音はアップデートされている。 今までオリジナルをイヤフォンで聴いてこなかったこともあり、 今頃になって気付く音も多々あって反省。 (イヤフォン装着しない理由だけではないですが)
配信ライブでイヤフォン装着するようになって 遅まきながら 改めて『松岡英明の音の世界』の入り口に立った気分。
個人的に【01 Devil`s Order】【03 Deep Inside】のドラムが印象的だった。 そう言えば、 【03 Deep Inside】 のドラムについての記事があったので、 (アルバム発売当時のインタビュー記事)アップします。 専門的なことは理解できないものの、 いかに色んなことを考えて 曲作りをしているかがわかる。
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【04 そばにおいで】では、 ドラムがオリジナルよりも 抑えたアレンジになっている気がした。 個人的に、あえてドラマティックな演出を抑えて ボーカルを際立たせたように聴こえた。
そして、泣かせるナンバーからの 【05 甘い生活】は罪な選曲。 私も含め、コメント欄で 『当時辛くて(悲しくて)しばらく聴けなかった』との書き込み 何人も。 それに対し松BOWのコメントでは 『古いモノクロやセピアの写真が並んだ アルバムのページをめくっているイメージ』 それを聞いて少しホッとする。 そして、楽曲の映し出す風景に納得。
中盤 >月の光… >それは優しい部屋の窓に降るメロディ >細かく砕いた氷みたいで冷たいけれど >どうにもできないこの気持ちを >冷ますにはちょうどいい >そう、きみにいつか送った >たった一行だけの手紙 >ああ思い出すよ… >話したいことなら幾らでもあるけど >伝えたいことはいつもたった一つだけ >あの日も今も…
コメント欄では ここの歌詞が好きだと言う感想が多く書き込まれた。 この部分だけ、くぐもった感じの音なのだが ラジオ・ボイスというらしい。 こちらの収録についてもインタビュー記事があるので 載せます。 イメージを音にするって大変な作業なのだなと思う。
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★衣装と楽曲の関係など
【06 真夏の誘惑】はこの季節にぴったりの選曲。 《The One》シリーズでは何度かプレイされており 人気曲。
が、衣装が『吸血スーツ』 (by 松BOW ※ヴァンパイヤぽいとのことで)と名付けられた 丈の長めのジャケットに、 (袖から白シャツの大きめの袖を覗かせスタイリッシュ) ジョッキーパンツという衣装が素敵過ぎて 始めの方はほぼ頭に入って来なかった。 (個人的に松BOWの衣装の中でもダントツで大好きな衣装。 この衣装をお召しになられて撮影された映像を 初めて観た時、理性ぶっ飛びました(笑))
などと見惚れていたら 【07 Mysterious Stranger from Mars】!!!! さきほど書いていたのは、この楽曲の映像なのだ! (DVD《Live Future Toy》収録) 衣装だけでも理性ぶっ飛びそうなのに、 大好きな《ReーMix Magic Mix》のアレンジで(多分) トランス感半端なくクラクラ。 イントロからの松BOWのまとう雰囲気は 《Stranger》そのものでゾクゾクする。 (その前の【真夏の誘惑】とのギャップ!) 【Mysterious Stranger from Mars】にこの衣装は非常にマッチする。
Yuukiさんのカメラアングルもトランス感あって、 画面が逆さまになったりと面白い! サウンド的にはよりスペーシー感が増しており、 火星から来たstrangerに、あっと言う間に宇宙に連れ去られた。 (いや、宇宙旅行の幻影を見せられたのかもしれない)
熱狂したところで続いて【08 Vanilla】 もう、家の中でじっとして聴いている辛さったら! (初回配信は日にち変わっての深夜1時過ぎだった) こちらの楽曲も人気曲。 後日の視聴会では、 作詞家、阿久悠先生節を意識して書いた 歌詞のラインの話なども。 松BOWと歌謡曲って 意外な組み合わせと思ったことがあったけれど、 レギュラー番組『神保町昭和歌謡倶楽部』(東京ケーブルネットワーク) での歌謡曲に対する造詣の深さを知るにつけ、納得。 (かつて『笑っていいとも』でも郷ひろみさんについて 熱のこもったトークをされていましたしね♪)
ここからはラストへ向けてさらに加速。 【09 Cherry Parade】 ここでも雰囲気がガラリと変わって so cute ♡ ステージの上でキュートに行進する姿に 視聴者歓喜のコメント♪
続く【10 Star】 《The One》初お披露目では? (違ったらご指摘ください) 沢田研二さんをリスペクトしての楽曲。 流れ星を表現したキラキラ音が何度も聴こえて、 ワクワクが止まらないところに、 松BOWが >Oh Oh Oh Star きみを抱きしめに行くよ と歌いながら 画面越しにこちらを指さすものだから、 照れるしコメント欄はハートマークで溢れるしで 大盛り上がりだった。 配信ライブでこれだけ盛り上がっていたら、 生ライブ再開された時どうなっちゃうのだろう!
曲が終わって松BOWが 『どうもありがとう!またね、バイバイ!』と 言った時に 『え!もう終わり?!』と思ったのは 私だけではないはずだ。
★アンコールでサプライズも前回越え 呆然としているところへ アンコール【11 天使】 イントロでもう心揺さぶられる。 ロマンティックな要素を持ちつつも 力強く大きな愛を感じる楽曲。 こちらも人気曲で (私も大好き楽曲) 泣く人続出。 松BOWの手だけを アップに映した映像も素敵だ。
衣装は 黒のロゴ入りフード付きプルオーバーに黒のパンツ。 カジュアルな装いに心和む。 (今回も3種の衣装堪能しました♪) アンコールにふさわしいラスト曲だった……って しみじみしていたところに
【12 デンキジカケノ*コミュニケーション】!!!!
TVーNOiZはリアルタイムで知らなかったものの サウンドが好きなので、 再びテンション急上昇! いやあ、やっぱカッコ良いわぁ、などと 感動していると、 ん? なんか松BOWではない人が映ったような?
なんとっ! TV-Yuukiさん!!!!!!
またしても仰天サプライズ!!!!!! サビの部分で 松BOW→Yuukiさんが交互に映ったと思ったら、 二人背中合わせで歌ったりと、 めちゃくちゃカッコ良い!!!! しかも松BOWの衣装が、 『本日のお衣装Mix』!! (サングラスとヘッドフォンをプラスされていた) どんだけのサービス精神!!!
松BOWコメントによると、 ライブ映像撮影の前日にYuukiさんにオファーしたそう。 で、Yuukiさんは快諾されたと。
一方、Yuukiさんの後日談では (Yuukiさんもツイキャスを始められ、テスト配信にて) オファーされた前日、サングラスが見当たらず、 当日、撮影の空き時間に 近くの電機店で調達したとのこと。
ステージ上はフルメンバーではないけれど、 イカちゃんの声はイヤフォンを通して左の耳から聴こえていて、 TV-NOiZを堪能できて大感動!!!!
曲終了後、松BOWはYuukiさんの肩に手を。 ツーショットでピースサインを決めるお二人は 最高にカッコ良かった。
最後の最後まで 心臓バクバクで 年齢的にもしんどい(笑)
いや、この年齢で、 こんなにときめくことがあるって幸せだ♪ 楽しいあっと言う間の1時間だった。 次回も楽しみ!
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