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#セーラー中森
nakamorijuan · 2 years
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第182話 「宇宙からの侵略!セイレーン飛来」
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dbbymeinico · 4 months
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pupu ちぃ
昔やっていた、かわいい子にかわいいお洋服を着せたいだけの撮影を久々にやってみました。
前は全く知り合いじゃないモデルでもない子にいきなりDMをして撮らせてもらってました。その時は鍵垢だったり友達もほぼいなかったりしてかなり気持ち悪かったかもしれないです、
今回はiVyのpupuさんにお願いして、ほんとにどう思われるかなと思ったけど、やりたいです!っていってくれました。
当日緊張してたけどそれでよくわからない手のポーズになっててひたすらにかわいかった。。途中から慣れてきてたのもよかったです。
カメラは以前にあの猫というお店のバレンタイン撮影もしてくれたすみれさんでした。
ご本人自体?もかわいいのですが、空想の中みたいな空気感を出すのがうまくて、粗い質感���つるんとした質感を同居させた写真にしてくれるのが好きです。お洋服もこちらがポイントにしてる場所を面白がってくれて、前は足元を気に入ってくれたので、今回もタイツに気合いを入れました。
すみれさまいそがしいのにロケハンまでしてくれて、カメラも複数持ってきててうれしかったです。
お洋服はハーマイオニーとちょびっツをテーマにしてみました。
ハーマイオニーの方は、
上はシャルルアナスタスのポンチョで、ハンドベルみたいなコンパクトなシルエットでほぼ動けません。実用性が悪いです、
シャルル今年ちょっとだけアパレルを再開していたのですが最近サイトをみたら閉鎖していました。少し心配しています。
今はインスタのインスピレーション動画のアカウントの人という印象でデザイナーだったことはほぼ日本の方は知らないかもですけど、布団みたいなチェックのコートやクラシカルな丸襟の綿ブラウスにニコちゃんマークのボタンは本当に美しかったです。エマワトソンさまも愛用していたらしい。
16・17年くらいにポールアンドジョーのデザイナーに就任して歓喜していたのに、日本ではポルジョの撤退が発表されたりで、とても悲しかったです。いまはそれもやめてしまったようで、シュールな動画をあげまくる毎日。。
今年再開していた際、魔法使いの帽子をだしていてやっぱりあなたはお洋服をやるべきだよとおもいました。
あと今年はイーリーキシモトの本が発売されたので、代表的なテキスタイルのひとつのロープ柄タイツをつかいました。ちょっとロウソクっぽく見えてトリコロールカラーでクリスマスぽいです。
他ブランドでイーリーが手掛けていたものだと、フセインチャラヤンのテキスタイルや、ローラアシュレイロンドン(日本限定ライン)でのチャイナのコレクションが印象的なのですが、
今回はキャシャレルのニットベストを合わせてみました。。。ボウタイブラウスに合わせてリボンが2つに見えるみたいに、これを思いついたときテンションが上がりました。
また、イーリーの初めてのショーはお茶会形式で発表してて本当に最高だったので、ティーカップモチーフのバッグにしてみました。これはシャーリーテンプルという子供服ブランドのものです。マチがなくてなにも入らないので完全にかわいいって言われたいだけのアイテムなのがウケます。
ボウタイブラウスとクラウン柄のスカートはjane marpleです。
ブラウスは3年前くらいのだけど、スクール感のある綿ブロードでセーラーぽい襟なのもたまらないですね。
顧客の年齢層的にスクエアドレスが売れなくなり、ブラウスの需要が本当にない中であえてブルーでこんなでっかいボウタイを展開するというところにぐっときてしまったものです。ミニスカートも作らなくなってしまったらしい。
スカートは10年前くらいのものですが個人的に今クラウンコアというアーティストにはまっているので、王冠柄を使いたかったのです。当時spoon.で特集されていた時、赤いブレザーとあわせていたルックをみて、すぐお店にお電話したことを思い出します。
靴は愛するマークジェイコブスのハートパンプスです。(実はヒール部分もハートになっています、!)
パテントではなく、マットなシルクで包まれているところが最っ高。ため息がでます。いきなりNYになってしまったけど、
マークバイのコンテンポラリーながらも、シックなフォルムに原色を持ってくる絶妙なスポーティー?さとイーリーの思想は似てたしずっと興奮していたので、合わせたかったのです。
帽子はayanababyというニット小物のブランド。池袋西武のPOPUPはいつも面白いけど、その時に見つけて、サンタさんぽいし、ナイトキャップぽいし、ロンドンパンク感もあって忘れられなかった帽子でした。音符のブローチ(多分アンティークでも何でもないけどぷっくりしててよかった900円)をヤフオクで見つけて付けてみました。
ちょびっツの方は、
コートはまさかのフェリシモです。私が中学の時にカタログをみていて、当時あったspicaというシリーズにひとめぼれし母上に買ってもらいました。腕のリブが長くてちょっと大人なのが気に入っています。
中は少しだけlamp原宿でまとめてみました。今年閉店して本当に悲しかったので。
ニットのワンピースはsowaで私が一番好きなブランドです。夫婦でだんなさんがアクセサリー、おくさまがお洋服を担当しています。今は展示会かmonster in my day dreamがなんとか触れる機会を作ってくれていて、丁寧に扱ってくれるお店でゆっくり送り出しているところも素敵だなと思っています。刺繍糸やタグも絶妙なネオンカラーやギンガムチェックだったりでいちいちドキドキするし、雑な刺繍で手作り感があるところもほっこりします。
こういう作家ブランドってシルエットがもさいところが多いけど、こちらは着てみるとかなりタイト、オフショルで、丈も短すぎる。
きわめつけに肩のリボンには"erotic"と刺繍してあるんです。。。ばか
チュニックとして使うんだろうけど、エロくしたかったので一枚で着てもらいました。
インナーはpetit costumeというYAB-YUMのオートクチュールラインのもので、すぐにやめてしまったけど、パトリックさんが日本の女の子のために作ったコレクションとのことで洗練されたヤブヤムよりもドリーミーで大好きでした。
ブローチはyoshikoというかご小物の作家さんのもので、上京したころ菊池亜希子さんのみちくさというお散歩本が好きでそこに載っていた恵比寿のnaughtyというお店でがんばってお迎えした記憶があります。。
エプロンはbluesisという古着屋さんにあって、お借りしました。
本当は綿のもっとレトロなののほうがお色気があるなと思ったのですが、
こんなかわいいエプロンがあったら予定は即変更させました。
bluesisは古着屋さんの中でも一番日本の古着で需要がない、やばいちょっと笑っちゃうような掘り出し物アイテムがたくさんあります。でもちゃんとヴィンテージの質の良いものは理解したうえでのセレクトなんです。
だからいきなりびっくりするようなかわいいワンピースが入荷したりします。
凡人だと売れるかわからないから入れないような博打で成り立ってるので、おもしろくて通ってしまっています。
あと上に大ファンの祝茉莉さんのフリマでゲットした鍵編み付け襟をかぶせています。。
靴はfurfurとチャコットのコラボのもので、確か渋谷パルコのノベルティーか何かだったと思います。
いまはFURFURと大文字になって全く違うイケイケ女子デザインになってしまったけど、
まだ目黒に植物園みたいなアトリエがあって大森伃佑子さんがショーに入られていた時の繊細なお洋服が大好きでした。ずっと飾っていて紐伸びきっているし、シミだらけになっているけど大切にしています。
マフラーはポンポネットです。子供用ですね。この水色にドットでくまさんついてるのかわいすぎます、家出少女にしたかったのと、ナルミヤだとエンジェルブルーとかメゾピアノが人気だけど、そっちを着ている女の子が苦手だったので、ポンポネットぐらいが素朴で一番かわいい女子だろっという偏見にもとづきました。わたしはそれ以前にブランド服は買ってもらえませんでしたが。
最後にこのちぃになれる耳と花柄のシアーソックスは中国のrose islandというブランドのもので今年飛躍したところのひとつかなと個人的に思っています。
デザイナーさんがビューティーモデルみたいなつやつや系ギャル?おねえさま?でめちゃんこかわいいし、NANAの一ノ瀬 奈々の方をフューチャーして、コンサバなモヘアニットやLIZLISAぽいレースやツイードのスカートをちゃんと今どきのエルフぽい感じで出してておもしろかったです。
ちょびっツなのでタイツをロボットの関節みたいな柄にしたり(これも中国でゲットしました)、
あとpupuさんワンちゃんを飼っているので、犬の木のおもちゃを用意したりしてみました。
かなり長くなったのですが、これ読んでもらってどうするってなってますけど。
今考えていたことを残しておきたいと思うことが最近多かったので書いてみました。。
おわり
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nora-shoin · 1 year
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新作2作を5/19に同時リリースします
拙作の百合/ガールズラブ小説シリーズ「ヨルノカナタ」の最新作2作を5/19に同時リリースします。表紙イラストは過去3作と同じ南風麗魔さんです。
……前作から3年半以上経ってからのリリースには正直自分でもどうかと思うのですが、それはさておくとします(一応反省はしていますハイ)。
シリーズ4作目は2009年を舞台にした「ディア・フレンズ」となります。
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以下あらすじです。
県立八幡山高校に通う久瀬野武は始業式前夜、近所の公園でひとりの少女と出会う。天使か妖精を思わせる美貌の持ち主でありながらもそれを鼻にもかけない明るく陽気な美少女、木谷麻衣子。同じクラスに転入してきた彼女と友人になったことをきっかけに、武は中学時代から想いを寄せている仁摩香乃里との仲も深めていく。 しかしあるとき起こったふたつの〈事件〉を機に、麻衣子は周囲から距離を置かれるようになる。さらにそれと呼応するかのように現れた謎のセーラー服姿の少女、香月朋美。彼女は武と香乃里に対して「木谷麻衣子の〈秘密〉を教えてやる」と語り、ある場所へと連れて行くのだが……。
上の説明でもわかる通り、今作での主人公格のキャラは男子となっています。百合/ガールズラブ小説でそれはどうかと思うのですが、まあシリーズの設定的に男性キャラが登場しない話が続くのも不自然なので出してみたっていうメタな理由もあったりします。しかしこの久瀬野武も百合の間に挟まるなんて野暮で無��なことはしない野郎ですので、そのあたりは温かく見ていただければと思います。
もっとも、書き始めてから諸々あって長いこと塩漬けしていたことも影響して途中で路線変更したため、当初想定していたよりもこの久瀬野武くんの影も薄くなってしまったのですが。幸か不幸か。
シリーズ5作目は2003年を舞台にした「テセウスの乙女たち」です。
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以下あらすじです。
中高一貫校で教師を勤める澪森雫は教え子である金城美沙が受けているイジメの問題に心を痛めていた。被害者でありながらもなぜかイジメの存在自体を否定する美沙。雫は担任として力不足を痛感する中、美沙の友人であるひとりの少女が彼女の心の支えになることを密かに期待していた。 その美沙の友人──編入して3ヶ月で学校中に名を知られるようになった絶世の美少女、木谷麻衣子。そして彼女と金城美沙の仲を遠くから複雑な想いで見つめるクラスメイト、菅生紗都子。 少女たちの想いが交錯する中、木谷麻衣子と澪森雫、ふたりの抱えるそれぞれの〈秘密〉が交わり、やがて思わぬ結末へと至る……。
こちらは「ディア・フレンズ」と異なり、主要キャラは全員女性です。ただ本作の主人公格である澪森雫は2歳下の専業主夫の旦那とラブラブな既婚女性(31歳)という、これまた百合/ガールズラブ小説らしからぬプロフィールの持ち主ですが。あくまで本作での百合要素担当は他のキャラが担っているということで。
今回同時リリースとなった「ディア・フレンズ」と「テセウスの乙女たち」ですが、前作「ふたりの世界」「陽のあたる世界」とは違い、内容はそれほどリンクしているわけではありません。両方読んでいただければ繋がりはわかると思いますが、内容的には独立して理解できるものになっているはずです(ですが作者としては両方とも読んでほしいのが正直な心情です)。
なお、「ディア・フレンズ」は580円、「テセウスの乙女たち」は620円というのが標準価格ですが、リリース後1週間程度はそれぞれ半額の290円および310円で販売しますので、ぜひともこの機会を利用していただければと思います。
また、シリーズ過去作の「秘密の花園に還る」「ふたりの世界」「陽のあたる世界」と、今回の新作にも少しだけ関係ある「御々守の御刀女」も同時に半額セールを行いますので、こちらもどうかよろしくお願い致します。
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team-ginga · 2 years
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映画『書を捨てよ、町に出よう』
 DMM. comでDVDを借りて、寺山修司の映画『書を捨てよ、町に出よう』(1971)を見ました。
 随分昔、ひょっとすると40年近く前に、ビデオ屋でVHS(!)を借りて見たことがあります。以前見たときは、「暗い映画だ」、「貧乏くさい映画だ」と思い、あまりいい印象がない……というか、最初と最後に主人公がスクリーン越しに観客に語りかけるとか、若き日の平泉成が2枚目役(?)で出ていたとか、美輪明宏(当時はまだ丸山明宏ですね)がバスタブに入っていたとかいうことくらいしか覚えておらず、その後に見た『田園に死す』(1974)、『さらば箱舟』(1982)の方がはるかにいいと思いましたが、改めて見てみると、これなかなかいいじゃないですか。私は好きですね。
 中心となる物語は確かに「貧乏くさい」かもしれません。主人公の少年(実際には青年なのかもしれませんが、少年と呼びたくなるキャラクターです)は青森の田舎(最初と最後に「青森県……なんとか町……字なんとか……字なんとか」と住所を言います。実際に存在する住所なんでしょうか)から東京に出てきて、父親、祖母、妹と一緒に線路脇のアパートで暮らしています。
 父親は無職でテレビのクイズに応募することだけが生きがい(?)で、なぜか息子にも祖母(彼からすると母親)にも敬語でしゃべります。妹は今ならコミュ障とでもいうのでしょうか、人と馴染めず馴染まず、ウサギを��切に飼っています。
 少年は自分が入りたかったけれど入れなかった大学(なのだと思います)のサッカー部に出入りしていて、部員の近江という男(平泉成)に可愛がられています。あるとき近江はまだ女を知らない少年を娼婦宿に連れて行きます。
 この娼婦宿はなかなかの魔窟で、男なのか女なのかわからないガラガラ声の年増の娼婦や、占いをすると言って200円受け取って「あんたの手相は最低だよ」と言って去っていく娼婦(「え? 浅川マキ?」と思ったら、本当に浅川マキでした)や、年配どころか老婆としかいえない娼婦がいます。老婆の娼婦は上半身裸で、隣には全裸の男がうつ伏せに寝ていますから、客をとっていたということなのでしょう。その老婆が化粧をしながら少年に「何の用だい?」と言う場面は非常に衝撃的でした。
 少年はその中ではまともな娼婦を相手に「筆おろし」をしようとするのですが、怖くなったのか途中でやめてしまいます。帰ろうとして、布団(なぜかシーツに墨でお経のような文句が書かれています)を仕切るカーテン(こちらには浮世絵風の絵が書いてあります)を開けると、そこに広がるのは青森の田園風景!
 いかにも寺山らしい演出ですね。そうそうこれが見たかったんだと思いました。
 その後、少年の妹が学校にも行かず他人と関わらないのはウサギのせいだ、ウサギがいなくなればまともになると少年の祖母が言って、アパートの隣人にウサギを殺すよう頼みます。で、いざ隣人がウサギを殺すと、祖母は「この人が殺したんだ。私のせいじゃないよ」と言います(うーん、なんちゅう婆さんだ)。
 ウサギが死んでショックを受けた妹は、なぜか少年が出入りしている大学のサッカー部の部室へフラフラと行き、そこにいた部員たちにシャワー室で強姦されます(うーん、キミたち、それ犯罪だよ)。
 少年はなぜ妹がそこにいるのを知ったのかわかりませんが、部室の前までやってきます。そして中で起きていることがなぜわかるのかわかりませんが、妹が強姦されている姿が彼の脳裏をよぎります。でも、彼は何もしないしできません。部室から出てきた妹を家まで送るだけです。
 えーっとそれから……妹をちょっとおしゃれなレストランへ連れて行ったら、そこへ近江が恋人を連れて来て、4人で一緒にローストビーフ(当時はこれが最先端の食べ物だったんでしょうか)を食べるシーンがあって、近江のおしゃれなマンションで近江とその恋人が乳繰り合っているのを少年が見ているシーンがあって、近江が「お前も来いよ。一緒にやろう」(!?)と言うけれど、少年は断って、少年の父親が祖母を養老院にやろうとして、なぜか養老院から神父のような人物がやって来るシーンがあって、腹を立てた祖母が家を出て、街の人たちに500万円の宝くじが当たったと嘘を言うシーンがあって、少年が近江に父親のために屋台車を買って屋台のラーメン屋をさせてやりたいと言うシーンがあって、ある日少年が近江のマンションに行くと、そこに裸の妹がいて「ここで暮らす。もう家には帰らない」というシーンがあって、少年が家に帰ろうとしていると屋台車のそばで父親が警察に捕まっていて、少年はこの屋台車は自分が買ったものだと言うけれど、盗んだものだと言われて少年が警察に連行されるシーンがあるわけですが、この映画の面白いのはそういうメインストーリーではありません。
 メインストーリーを分断する形で挿入される不可解な映像こそが、この映画の最大の見どころであり魅力です。例えば、ペニスの形のサンドバッグを道行く人に叩かせる女が警察に囲まれるシーンや、少年が渋谷の歩行者天国(なのだと思います)で道行く人に話しかけ、ろくに相手にされず罵倒するシーンなぞは、ゲリラ撮影というのかな、役者を使うのではなく、実際に道を歩いている一般の人に話しかけているのだと思います。
 何が起きるかはやってみないとわからないーー当時流行った「ハプニング」というやつですね。時代を感じさせます。
 また、吃音の青年のモノローグや、政治活動をして警察に追われている男のモノローグや、三行広告というのかな、要するに交際相手を求める人々(多くは同性愛者です)が作ったビデオメッセージが延々と流れるシーンや、少年が人力飛行機を作り空を飛ぼうとするシーンや、果てはヤクザ風の服装の中年の男たちが高倉健の絵をバックに野太い声で「ケンさん愛してる」と歌うシーンもあり、非常に魅力的です(あ、もちろん美輪明宏がバスタブに浸かっている場面もあります)。
 セーラー服姿の清楚な女子高生たちが牧場をバックにして「私が娼婦になったなら」(だっけ?)という歌を歌いながら上半身裸になるシーンでは、私は思わず爆笑しました。悪い意味ではありません。もちろんいい意味でです。
 ラストは……(この映画の場合は、ネタバレしてもいいですよね)キャスト全員が揃う中、少年が再び観客に語りかけ、「これで映画は終わりだ」、「自分は父親でもない斉藤さん(父親役の役者のことです)に「お父さん」と言ったりして、だんだん本当にお父さんかもしれないという気がして来たけれど、そうなると「カット」と言われて次にシーンに移らねばならなかった」、「映画なんて、ポランスキーでも、大島渚でも、アントニオーニでも、映画館の暗闇の中でしか成立しない。真っ昼間にビルの壁に映すことなんかできない」、「さよなら映画」ということを言って、最後にキャスト・スタッフ全員の顔が順番に映っておしまい。
 寺山の作品ではいつも問題になる母親と息子の関係は、この映画では少年の父親と祖母の関係に投影され、父親が子どもの頃、家族で記念写真を撮るシーンに集約されています。写真を撮るために集合した家族の中に日本髪を結った上半身裸の女がいたり、父親が小人だったりするのはいかにも寺山という感じで、私は好きでした。
 もちろん万人受けする映画では絶対にありません。でも、ある種の人間(私もその一人です)にとっては素晴らしい映画だと思います。
 心地よい経験かどうかはわかりませんが、この映画を見れば今まで経験したことのないものを経験できると思います。
 是非ご覧ください。
追記:  書き忘れていましたが、この映画では壁や地面に描かれた文章を映すという手法が多用されています。例えば「苦しみは変わらない。変わるのは希望だけだーーマルロー」というような文が壁に落書きされているのを映すという手法です。  この手法って誰が発明したのですかね。いっときゴダールが多用していたのは知っているんですが……  でも、せっかく映すなら、最後まで読めるよう少し長めに映して欲しいものです。読みきれないうちに次のシーンになってしまうというのが何度もあったような気がします。
追記2:  私がいた学生劇団「風波」は京大西部講堂の裏にボックスがありました。ボックスの壁にはさまざまな落書きがありました。その中で私は「明日の朝も戸口には牛乳瓶が配達されているだろうーージョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』」という落書きが好きでした。  そういう文化(落書きの文化!)がある時代にはあったから寺山はそれを『書を捨てよ……』に取り入れたのでしょうね。
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nakamorijuan · 2 years
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MARS DRYER FIRE
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seikaihado-ruri · 2 years
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『笑わない数学者』 『魔的』「帰納の理由」 森博嗣 #森博嗣 #中央公論社 #中公文庫 #講談社 #講談社ノベルス #原稿用紙 #紀伊國屋書店広島店 #つけペン #ボルトレッティ#Bortoletti #木軸 #インク #セーラー万年筆 #ゆらめくインク #凍空 https://www.instagram.com/p/CXOebwpv9Cy/?utm_medium=tumblr
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hi-majine · 3 years
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end-of-olympics · 4 years
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[オリンピック終息宣言]展とはなにか、2020 vol.1
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今年の7月20日から26日までTOKI ART SPACEで開催した、[オリンピック終息宣言]展。しかし、東京オリンピックの中止"すら"いまだに決まらず、課題はいまだに続いています。
それは、私たちにとっての課題であるだけではなく、社会全体がオリンピックはどうなるのか?と、注目し続けています。そんな中、私たちの「宣言文」や取材記事に関心を持つ人もあるようです。
しかし、展覧会会期自体が終わってしまっているので、[終息宣言]展とはどんなものだったのか、あるいは宣言文の詳しい意図なども、つたえるすべが少ない現状です。
今回、呼びかけ人のひとりである(もともとの発起人でもある)戸山 灰がミニコミ誌「府中萬歩記(よろずあるき)」 第78号 2020年8月27日発行 に、展覧会の解説文を掲載する機会を得たため、現時点におけるまとめとして本文を転載します。
また、文末にあらためて[宣言文]を掲載します。
今後も展覧会や宣言文の波紋は広がっていくでしょう。それを受けて、私たちからもあらためて発信をしていきたいと思います。そして近いうちに、どのような形で次のメッセージを発信できるか、お知らせする予定です。
乞うご期待。
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  オリンピック終息宣言展、大成功!
     「退廃藝術」はオリンピックを駆逐できるか?               戸山灰(アーティスト・小さな抵抗活動家)
--------------------------------------------  新型コロナウイルスが流行っていなければ、東京オリンピックが開催されるはずだったこの7月。現代美術に取り組んでいる有志に声をかけて、7月20日から1週間、外苑前の画廊トキ・アートスペースを舞台に、「オリンピック終息宣言展」を開催した。「藝術だけがオリンピックの息の根をとめられる!」と書いた勇ましいビラとともに。 ■プロパガンダではなく、ふだんの作品を  私はいろいろな市民運動に参加するのと並行して、直線や図形を中心とした抽象画の作品を作ってきた。かわいい子どもやセーラー服姿の女子高生の絵、写真めいた具象画、そういうのとはほとんど別の世界と言っていい。わかりにくい。つまんない。That’s 現代美術。みたいな。  この「終息宣言展」では、政治的な主張を最前面に出しつつも、「オリンピックに反対する作品」を集めて展示するのではなく、「オリンピックに反対する作家の作品」を自主的に展示することにした。図式的にオリンピックを破壊しようとするようなリアリズムの作品ではなく、「ふだん作っている作品」をそのまま持ってきてもらい、審査もせずに展示するやりかただ。  福島原発事故を想起させる三木祥子の写真、沖縄の基地問題をテーマに描き続ける与那覇大智の絵画、ナショナリズムを相対化しようとする渡邊羊帆のオルゴールなど、様々なアーティストの作品を展示することができた。 ■国際的に報道された展覧会  最終的に20人の作家が出品し、朝日新聞、東京新聞、沖縄タイムス、アベマニュース、共同通信英語版、ジャパンタイムズなどで国際的に報道されたこともあり、小さなギャラリーに一週間で400人の観客がつめかけ、入場制限もあって門前に市をなすような情景だった。  会場では、「オリンピックもうひとつの歴史」と「オリンピック遺跡地図」というインタラクティブな展示も行った。これは、IOCなどオリンピック推進側の示す「正史」ではなく、これまでオリンピックがどれだけひどいことをしてきたか、たとえば1968年メキシコオリンピックの直前に数百人の学生運動家が殺戮された「トラテロルコの夜」事件の概要をメモの形で示したり、参加者にも付箋で書き込んでもらうという展示で、多くの人が参加してくれた。  この展示に先立って、私たちは「オリンピック終息宣言」という宣言文を書いた。コロナ以前に、オリンピックそのものが周期的にやってくる「疫病」ではないか?という趣旨で、これを作家たちが共同で起草したので、結果として作品にしても、会場の雰囲気にしてもかなりシャープなものになったと思う。アーティストである以前に、人の根本的な価値観として、私たちは戦争や差別、そして原発やオリンピックに反対していると表明――表現できたことに、私たち作家たち自身も、会場を提供した画廊関係者も、深い満足を感じずにいられないこの頃である。 ■オリンピックと「退廃藝術展」  私自身、画廊を訪れた人々と対話をする中で見つけ出したことがある。まず、近代オリンピックを創始したクーベルタン男爵が、女性蔑視、帝国主義、人種差別的な価値観を持っていたこと。そして、そして、それはナチスと容易に結託しうるものだった。というかクーベルタンが敷いたレールの上に、ナチスの人種主義があったとすら感じる。そして1936年にベルリンオリンピックがあり、これがヒトラーの戦争を隠蔽し、ユダヤ人虐殺につながっていった。  私たちアーティストにとっては、その翌年、1937年に開催された「退廃藝術展」と「大ドイツ藝術展」から目をそらすわけにはいかない。「退廃藝術展」はナチスによるつるしあげ展覧会で、たとえばクレーや、カンディンスキーや、ココシュカといった、現在は美術史上に輝く抽象の作家たちが、ヒトラーに「退廃美術」と決めつけられて粗末に展示された。ちなみにヒトラーは印象派すら理解できず、もっと古典的な藝術が好みだった。その一方で、官許の「大ドイツ藝術展」が大々的に開かれたのだが、そこに出品された作品は、自然やモチーフをよく模倣した、わかりやすい作品ではあったが、今の目から見て、あまりにも通俗的で個性がないものだ。  「退廃藝術」の作家たちは、美術史の中の宝物のような作品を作ってきたにもかかわらず、ナチスに作品を焼かれ、職を追われ、下手すると国からも追放され、一部は収容所にも送られた。  しかし今、美術作品を作っているアーティストは、ほとんどがこの「退廃藝術」から学んできたといえる。言うまでもなく、「退廃的で不健康」だと指弾された作家たちの対極にあるのが、「健康」のカタマリとしてのオリンピックだ(彼らは「健康」であるためにドーピングにまで手を染めるが)。オリンピックの傍らで藝術は殺されてきた。こうした歴史を考えるとき、すべてのアーティストは、オリンピックに反対しなければならない「責務」がある。そして、オリンピックだけでなく、ファシズムとナショナリズムに反対するべきだと思う。  オリンピック終息宣言展の会期は終わったが、オリンピックの息の根を止めることはまだできていない。私たちはこれからもオリンピックに反対するとともに、ファシズムにつながるさまざまな社会問題に関する展覧会を継続して開きたいと考えている。
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[宣言] 2020.6月
 今日、私たちは「オリンピックの終息」を宣言する。
 いまや誰もが「もうないだろう」と思っている、「東京オリンピック・パラリンピック2020」。新型コロナウイルスが世界中に蔓延する中で、それはいよいよ八方塞がりになってきた安倍晋三首相個人の、非現実的な妄想めいたものになっている。
 考えてみればオリンピックは、それ自体が「疫病」である。この病は周期的に世界のどこかにやってきて、民衆の血税から開催費を搾り取り、開発によって人々の住む場所を奪って環境を破壊し、反対する市民、活動家たちを虐殺してきた。人々が眺めるテレビの裏側で、IOCのオリンピック貴族や、森喜朗のようなスポーツ利権者たちがポケットに押し込んでいく札束は、すべて私たちから奪い取った富なのだ。
 ここ東京では、小池百合子都知事が3月末までオリンピック開催に固執し、その延期が決まったとたん、コロナの感染者数の発表は一気に増大した。オリンピックのためなら、情報を隠蔽して人々の命が失われても構わないのだろうか。また、もし延期されなかったらどうなっていたか? コロナの蔓延はますます隠され、それによって私たちも選手たちも、抹殺されていたのではないか? 
 これらの疑問には一つの答えがある。それは、「オリンピックとコロナは複合した疫病であり、延期によってその禍(わざわい)はさらに続く」というものだ。
 政府が正面から取り組まなければならないのは、オリンピックなどではなく、新型コロナ対策であり、いまも被害が拡大し、多くの人が避難生活を強いられている福島原発事故対策ではなかっただろうか。
 人々に訴えたい。オリンピックを「終息」させること――この疫病を撲滅することが、私たちの未来を守るための第一歩だと。さいわい、検査・隔離・治療といった困難な仕事はここにはない。ただ私たちみんながオリンピックを葬ると決意すればいいだけだ。
 オリンピックは健康な身体を讃え、障害や病気を排除する、優生思想を広めていく思想上のウイルスでもある。あのベルリンオリンピックを華々しく開催したナチスが排除したのは障害者、社会主義者、同性愛者、ユダヤ人、そして退廃藝術だった。
 藝術だけがオリンピックの息の根をとめられる! もちろん、私たちは不健康かつ不道徳に生きて退廃の側に立ち、ここにオリンピックの終息を宣言する。ただちに、そして永久に。
[Declaration]  June.2020
Today, we declare an end to the Olympic Games.
Continuing with the plan to hold the 2020 Tokyo Olympics and Paralympics is considered by many to be impossible. As Covid-19 spreads around the world, it has become an unrealistic, dangerous delusion of the politically deadlocked Prime Minister Abe Shinzo.
We believe that the Olympic Games should be considered a plague. It is a disease that periodically appears in different places around the world and exploits huge amounts of money and resources from the taxes paid by every people. It exiles residents through processes of land redevelopment and gentrification. It has destroyed natural environments and killed civilians and activists who oppose the disease invading to their communities. All of the money that the IOC's benevolent aristocrats and sport capitalists like Mori Yoshiro use to line their pockets behind the scenes is property that has been stolen from us.
In Tokyo, Governor Koike Yuriko was obsessed with holding the Olympic Games until the end of March, despite the worsening pandemic. Coincidentally - as soon as postponement of the games was finally declared - the official number of people infected with Covid-19 suddenly increased. Solely for the glory of Koike Yuriko and the Japanese elite, is it appropriate to hide this information and risk human life? And what would have happened had the games not been postponed when they were? Would the spread of Covid-19 then have been further obscured, endangering Olympic participants and hastening the loss of life?
There is one answer to these questions: the Olympics and Covid-19 are a combined plague, and any postponement of the games will only serve to worsen the global pandemic. The Japanese government should give top priority to fighting Covid-19 and preventing loss of human life, not spending time and money on the Olympic Games. And what about the ongoing fallout from the Fukushima nuclear accident, where many people are still displaced and facing dangerous levels of radiation? Don't the Olympics serve as a great distraction from this ongoing disaster?
We wish to appeal directly to the citizens of Japan and the world. Ending the plague of the Olympic Games is the first step to protecting our collective future. Fortunately, there are no difficult tasks that are usually faced when fighting pandemics such as inspection, isolation, and treatment. All we have to do is decide to bury the Olympics.
The Olympic Games are an ideological virus that promotes eugenic thought by extolling a healthy, idealized "perfect" body and promoting the elimination of human defects and diseases. During the 1936 Berlin games, the Nazis excluded and persecuted disabled people, socialists, sexual minorities, Jews, and the "degenerate artists" that Hitler despised.
So as "degenerate artists" - as the Nazis would have called us - we proudly embrace our "unhealthy and immoral" inclinations and declare an end to the Olympic Games. Immediately and forever. We believe that only art can stop the breath of the Olympics!
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memeppoi · 5 years
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(sheepD🐑ひつじ㌠✦セーラー本メロン委託中さんのツイート: "西住みほ(黒森峰Ver)… "から)
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torii-tsubaki-info · 5 years
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永井幽蘭 演奏会 「波打際」
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日時:2019.9.16(月祝)18:00開演
会場:綜合藝術茶房 喫茶茶会記(四谷三丁目)    アートサロンカフェ「哲学者の薔薇園」にて
料金:予約2000円/当日2300円 +1order(哲学者の薔薇園チャージ込)    ★セーラーor浴衣でご来場のお客様はチケット料金から100円割引★
予約:①永井幽蘭メール([email protected])or各SNSのDM    ②哲学者の薔薇園(https://rosarium.red/お問い合わせ-予約等)
出演:演奏・永井幽蘭/テキスト・花森ゆきめ /サウンドディレクション・田島健治
永井幽蘭×花森ゆきめ×ガラスの小鳥社による共作CD「波打際」に寄せた、夏の終わりの海辺を思わせるような演奏会
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同時開催
「ガラスの小鳥社◆ミニ波打際展」
開催時間:15:00-22:00
物  販:ガラスの小鳥社(鳥居椿+日香里)、花森ゆきめ、おさぼりぬ
入場料 :500円(哲学者の薔薇園チャージ) ※演奏会をご覧になるお客さまはチケット料金にチャージ代が含まれています
★会場は喫茶室となりますので、可能な限りワンオーダーをお願い致します。
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本公演は2018年ガラスの小鳥社「波打際」展にて予定しておりましたが、演奏者の病気治療のため中止となっていました。
このたびアートサロンカフェ哲学者の薔薇園さんにご協力いただき、1年越しに開催の運びとなりました…!
同会場にて波打際展をベースとした絵画作品のミニ展示やグッズの販売を行います。
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