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#じゃらんスペシャルウィーク
japanpromos · 1 year
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じゃらんスペシャルウィーク最終の日!!
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sugarsui · 4 months
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2024/1/31
 バイトをしながら、深夜の馬鹿力をタイムフリーで聞いていたが、途中でそうだ、今週はスペシャルウィーク、TBSラジオではなくなったスペシャルウィークだ、ゴールデンラジオのゲストが宮台真司だということを思い出して、メインディッシュのコーナーから聞く。はじめから壇蜜が、宮台に対して「若い子が好きなんですね」と問い詰めていて面白かった。それに対して、宮台は恋愛じゃないんですよ、さらにグルーミングと批判してくる人がいるが、20歳の人を取り上げてグルーミングというのは、その人の判断力を見くびるのであって、女性差別だ、などと答えていて、なんだかなと思う。一方でその批判が的外れで宮台の言うことに一理あったとしても、ギャップが厳然と存在していて、とりわけ大学に所属する正規の指導関係でないにしろ、教える/教えられる、あるいは相談される/相談するという関係に伏在する性愛的なモーメントに無頓着なのは、研究者として大丈夫なのかな、と思う。他方では、恋愛だと仮定することになるが、適当な誤魔化ししかしないのは、相手の主体性を見くびっているようで、それは誠実さがないとも思う。総じてダサい。
 輪をかけてダサいなと思ったのは、その後のトークでしてやったり、としていたようなところだった。話の流れとしては、宮台の言うところの異界、つまり未知なるもの、恐怖されるものらしいが、そうしたものがこう言っていないものの、近代的な合理性によって抹消されてきたという。それに伴い、SNSの登場により五感の使い方が変わり、2010年あたりからADHDやASDといったものが生まれ、つまらないという感覚が蔓延。くわえて、そのつまらないという気持ちを包摂するはずであった、身体的な場が失われてきたらしい。この前段を経たうえで、最後に捨て台詞のようにこう言っていた。「つまらないでしょ、生きづらいでしょ、面白そうな人を見つけると嫉妬、妬み嫉みで爆発的に炎上させる、そういう人たちを見るとかわいそうだな、つまらない生活を送ってんだな、死ぬまでやってれば」と。言われていないものの、俺はそうしたつまらないやつらと違って、行き詰った人を失われてきた身体的な場を構築することによって、助けてきたんだ、と言っているかのようで、それがむにゃむにゃとした言い訳と対照的でダサかった。暇な人は聞いてみるといいかもしれない。14:25からのコーナー。
 その一方で、今日のラジオの内容をTwitterにポストしたところ、「ロリコンだもん笑」とリプライが飛んできた。そのアカウントを見てみると、私に対するのと同様のリプライを飛ばしつつ、AV女優にセクハラリプライもしていて、ただただ宮台のやっていることを羨ましく思っている人のようにしか見えなかった。なんなら、宮台の捨て台詞にまんまとはまっているようで、かわいそうであった。
 次の一枚。2023年にリリースされたということで、throwcurveのDEEP CUT IN THE DUGOUT 2006 - 2010。これまで聞きたかった諸々の曲をようやく聞けて嬉しかった。くわえて、throwcurveのイベントにいったところ、ここには収録されなかった曲ももらえて、それも良かった。ここには憂国ブーム、TBSレディオとかが収録されていた。TBSレディオの歌詞を意味があるかのように取ることは誤りかもしれないが、この気持ちでいたい。
公表するぜ思想を 解放するぜ可能性を 行動しようぜ聴衆層 ダサい僕と 放送してよ希望を 提供してよ可能性を 行動しろよ富裕層 弱い僕と
 DEEP CUTのほうに少しだけ話を戻せば、21世紀の退屈の「トム・ヨークが ひろゆきが 庵野秀明が ナウシカが  春樹が 僕らの頭をすごく良くしたはずなのに」という歌詞は笑ってしまう。
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takemevillage · 1 year
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2022/12/25・26
クリスマスの日恋人と一緒に料理した。わたしは大雑把だしお腹が減ってるときは特に余裕がないので、とにかく早く食べたい!と思って作るけど、トロトロの弱火でオリーブオイルにニンニクの香りをゆっくりうつしたり、それを焦げないように菜箸で一枚づつ取り出してトッピングするのに取っておいたり、恋人が丁寧につくったたらこパスタをたべて、惜し��なく手をかければ、同じレシピでも美味しくなるんだと当たり前の事を新しいことみたいに知って衝撃だった。自分が苦手なことほど憧れる!けど、わたしにとってはUberしなくなったことと、パックのチンをやめて炊飯器でお米を炊いていることだけで大きな進歩なので焦らずやろう。ということで今夜もご飯を作りました。
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キリスト教の幼稚園に行ってたからクリスマスは大行事で小さい時はこの日とお正月と誕生日がTOP3イベントだった。あんな暗い雪国に生まれていながら冬が好きなのは年末年始がスペシャルウィークすぎるから。大人になると家に人が集まるからめんどうだなとか素敵に過ごさなきゃいけないプレッシャーがつらいなとか思ってしまってTOP3イベントはM-1とキングオブコントと友達の誕生日になってだけど今年は部屋にイルミネーションをして(ぎりぎり間に合った)ワインを開けて昼から酔って、かなりメリークリスマスで冬が大好きって思い出した。来年は踊るサンタの人形とかクリスマスツリーとかも飾りたい。
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hagesiiame · 6 months
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リンク: https://news.yahoo.co.jp/ を含む
"結果的に6年間で終了となった『らじおと』。そのあたりから、伊集院のラジオに対するスタンスが変わったようにも思える。
「ラジオに対するスタンスというよりは、ラジオ局に対するスタンスですね。僕はその時々にお世話になっている局に対して、過度に忠誠を誓うタイプだったんです。『TBSラジオでレギュラーを持っているからには、他局には出ちゃいけない』みたいな。
でも、TBSラジオとニッポン放送でレギュラーを持っているナイツなどの例を見るように、そういう傾向が薄れてきて、さらにTBSラジオはスペシャルウィークを廃止、『聴取率は関係ない』という方針になって。その頃から『変わらないと』と思いはじめましたね。自分は誰ともベタベタしないし媚びたりもしないけど、『聴取率さえ上げれば番組は続けられる』と考えていたので。
日本テレビの名物ディレクター・プロデューサーだった井原(高忠)さんという方が『視聴率は家賃だ。家賃を納めたら自分の好きなことができると思って、オレはがんばってきたんだ』と言っていて、まさに僕はそういう感じだったんです。とにかく聴取率は取るから、その代わりに僕の厄介なところはある程度勘弁してほしいと思っているので。
そこで『聴取率は関係ない』と言われちゃうと、『これはいつでも切られる可能性があるぞ』と。実際、聴取率は高いのに『役目が終わった』なんて言われて終わっていった長寿番組もありましたから。
その頃から『一つのラジオ局に忠誠を誓っている場合じゃない』と傾きはじめました。今回、ニッポン放送で番組がはじまったばかりで申し訳ないんですけれど、ニッポン放送ともギブ・アンド・テイクでウィンウィンな関係を作りたいと思っていますが、別に『古巣だから』みたいなウェットな忠誠心はないですね。あくまでラジオそのもの、番組リスナーに対して誠実にやりたいです。僕の本丸『深夜の馬鹿力』もしかりです」"
https://news.yahoo.co.jp/articles/3cd197f4c099beac79d39b0046896d147c22cbb4?page=3#:~:text=%E7%B5%90%E6%9E%9C%E7%9A%84%E3%81%AB6,%E3%81%AE%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E5%8A%9B%E3%80%8F%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%8D
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g00melo5-art-blog · 11 months
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【公式】じゃらんスペシャルウィーク 2023年6月CM(15秒)
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gleehen · 1 year
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エトピリカとエトゥピリカ
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コパノリッキー隊長「わあ!この子がエトピリカ!」
スマートファルコン隊長「この子がエトピリカ…可愛い!」
スペシャルウィーク隊長&ホッコータルマエ隊長「エ!トゥ!ピ!リ!カ!名前は間違えないでくださいよ!?」
コパ&ファル子「(宇宙猫になった顔)」
パフィンちゃん「エトゥピリカ…エトピリカちゃんと何が違うんです?🤔」
エトピリカたん「エトピリカたんでもエトゥピリカたんでも間違いじゃないよ!?」
スぺちゃんとタルマエは道産子だからエトゥピリカ警察しそうだよなぁ…
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upto24 · 1 year
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スペシャルウィークという鋭くも軽やかで素敵に感じる競走馬の思い出
スペシャルウィークがデビューした1998年の中央競馬は同年齢で他にも大活躍したセイウンスカイやキングヘイローやグラスワンダーやエルコンドルパサーと歴史的な名馬が続出したために最強世代ともいわれて記憶に残っている人も多いようだ。
個人的には競馬を初めてちゃんと観たという時期だった。ゲームのスーパーファミコンで『ダービースタリオン』を良くやっていて競馬を覚えて面白いから本物のレースを観てみたくなった。
翌年からは殆ど観なくなってしまって人々から最も注目を集めていて僕も大好きだった一歳上のサイレンススズが天皇賞(秋)で骨折して予後不良(回復の見込みなし)から安楽死の処置を受けるという非常にショッキングな競馬の真実に触れてしまったせいかも知れない。
振り返ってたった一年の競馬へ無心に熱中して競走馬を観ていた経験の中で、スペシャルウィークは日本ダービーで武豊の念願を果たした衝撃を含めて最強世代の中でも本当に凄いと認める一頭だった。
デビューした1998年に大きなレースのGⅠに勝ったのは日本ダービーだけで、本領を発揮したのは翌年の1999年だったと思う。
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天皇賞の春と秋の連覇とジャパンカップに勝ってグランプリの宝塚記念と有馬記念も同年齢のライバルのグラスワンダーの二着という非常に好成績を残していた。
そのまま、二年の現役生活でレースを引退したけど、獲得賞金が十億円を越えて当時の最高記録をマークしたり、本当に日本の競走馬を代表する存在感を示した。
スペシャルウィークは2400m以上の長距離のレースに強くて観ていると後方から最後の直線で一気に駆け上がって来る走りが鋭くも軽やかで素敵に感じる競走馬だった。脚が細長くてスリムな雰囲気の馬体で、見るからに格好良さに満ち溢れているのが好きだったし、気に入らずにいなかった。
引退後に種牡馬として繁養されたり、老いて余生を送ったりした牧場へもファンが多く訪れるほどに人気だったらしい。
武豊の日本ダービーの初優勝の感動的な記憶と共に素晴らしいばかりの成績を残したから忘れられない気持ちは僕も同じだし、亡くなったスペシャルウィークには考えると他のどんな競走馬よりも魅了されたはずだった格好良い走りに感謝しながら心から冥福を祈るしかない。
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toxgo · 2 years
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サイレンススズカ
はじめに。いつもとは趣を変えて番外編や年末増刊号なノリで書き始めたら、熱が入り過ぎてとんでもなく長文になってしまいました。宜しければ最後までお付き合い下さい。
このBLOGで映画やアニメなど僕の好きな事を書いていますが、小学生の頃からずっと好きな競技について今回は書いてみました。それは"競馬"です。ギャンブル要素ではなくて、"血統が紡ぎ出すドラマ"として大好きなんです。先に言っておくと、"ウマ娘"が最近バズっているから後出しジャンケン的に「昔から好きだったんだよねー」ではありません。小学生の時の卒業文集で将来の夢を"競馬の騎手"になると書いた事は今でも覚えてます。でもその夢は中3の時にやってきたとんでもない成長期と共に消えてしまいました。もし、成長期(今となっては高身長になれたので感謝しています)や周りの反対がなければ、騎手になれなくとも競馬に携わる仕事の道を選んでいたかも知れません。それくらい好きなんです。競馬が。そしてサラブレッドが。僕が競馬と出会ったのは、兵庫県の宝塚市に住んでいた従兄弟の家に遊びに行った小学5年生だった1998年。宝塚歌劇団の本拠地であり、夏のグランプリレース「宝塚記念」が開催される阪神競馬場があるのもこの宝塚市。プレステのダービースタリオンにハマっていた従兄弟と遊ぶうちに、本物の競馬に興味を持ち始めたのが最初のキッカケでした。この1998年に三歳を迎えた通称"98世代"は黄金世代とも言われます。トリックスターことセイウンスカイ。怪鳥エルコンドルパサー。不死鳥グラスワンダー。そしてウマ娘の主人公の1人でもあり、この世代のリーダー格だったのが日本の総大将ことスペシャルウィークでした。僕が競馬を追いかけるキッカケになった思い入れの強い一頭でもあります。
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でも今回一発目に紹介したいのはその一個上の"97世代" 僕の大好きな"黄金旅程"ことスティゴールド。"もうフロッグとは言わせない"二冠馬のサニーブライアン。マイルの王様タイキシャトルなど、個性豊かなメンツが揃っている中でも、未だに最強馬だったとの呼び声が高い馬が一頭います。それが"異次元の逃亡者"サイレンススズカです。
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サイレンススズカの父親のサンデーサイレンス。この種牡馬が日本にやって来ていなければ、5年、いや、10年は確実に世界から遅れていたはず。数多くの名馬を輩出してきた中でも、最高傑作は間違いなくディープインパクトだと思います。そんな偉大な父を持つサイレンススズカですが、順風満帆なスター街道ではありませんでした。デビュー前から生まれ持ったポテンシャルを高く評価されていましたが、父譲りの気性の荒さが如実に出てしまい、デビューからは今ひとつ勝ちきれないレースが続いていました。そんなデビューした97年の暮れ。気分転換も兼ねた香港への遠征が決まりました。しかしその気性難からなかなか鞍上(騎手)が決まらなかったのですが、ある男から逆オファーがやってきました。その男が誰しもが知る天才ジョッキー"武豊" 香港でのレースは勝利は出来なかったものの、このレースで武さんが前々から気になっていた事が確信に変わりました。「この馬は気分良く、自分のペースで逃げさせたら間違いなく勝てる」と。これが運命の出会いでした。
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サイレンススズカの素質に確信を持った武豊の選んだ戦術は"大逃げ"でした。元々逃げ馬だったのですが、騎手が馬の力を抑えずに好きに走らせる事を選びました。競馬の脚質(走りやすい戦術)は4つに分類できます。ハナ(先頭)から、逃げ-先行-差し-追い込みです。重賞勝利数の多い馬の多くは先行か差しの二択です。何故なら前と後ろのペースを見ながらレースを組み立てられつつ、リスクが少ないから。では1番強い勝ち方はなんでしょう?それは圧倒的に"逃げ"です。だってスタートからゴールまで誰にもハナを譲らずに、常に1位のまま勝ってしまう様は誰の目にも明らかに強い勝ち方です。じゃあ全馬逃げちゃえばいいんじゃない?と疑問が浮かびますが、それぞれのペース配分や素質、得意な距離も大きく影響してくるので、これは無理です。陸上のトラック競技やマラソンでもみんな同じペースでは走らないですよね?馬もそれと同じです。
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年が明けて98年の4歳の初戦になったバレンタインS。サイレンススズカの伝説はここからスタートします。鞍上はもちろん武豊。先程説明した"逃げ"でレースをスタートさせるのですが、その大逃げのペースはケタ違いでした。一般的な逃げ馬では絶対にあり得ないし、ゴールまで持つわけないペース配分なのに涼しい��をしてゴールしてしまったのです。この時から呼ばれ始めた異名の一つが「マイペースがハイペース」 超ハイペースで逃げられて、直線でバテなかった誰も追いつけるわけがありません。その後の中京競馬場で開催されている金鯱賞も伝説のレースでしたが、宝塚記念を制して5連勝で迎えた秋の初戦であったGⅡ毎日王冠は後世に語り継がれる名レースでした。
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GⅠホースになったサイレンススズカの大逃げを疑う者はもうこの時点ではほぼ居なくなり、なんならサイレンススズカの逃げっぷりを観たいファン数が圧倒的でした。それに加えてこのレースは98世代を代表する外国産馬の怪物であったグラスワンダー、エルコンドルパサーも参戦した3強レースだったのです。ちなみに競馬の位が高いレースはGⅠ>GⅡ>GⅢの順番で、賞金や注目度も同じく比例します。でもこの年毎日王冠は雰囲気がGⅡではなく、GⅠを超える盛り上がりでした。だってGⅠでさえ東京競馬場に10万人を越える観客が集まることだって凄いのに、その下のGⅡレースに13万人を越える観客を動員したんですよ。それくらい皆んなサイレンススズカを観たかったんです。
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メインレースの発走を迎えた秋の夕暮れ。東京競馬場の長い直線には西日がばっちり差していました。レースの道中はいつもの大逃げを見せなかったサイレンススズカ。(それでも充分ハイペース) 最後のコーナーを回った時には後続馬が詰め寄る程でした。そして迎えた最後の約530mの直線。東京競馬場の直線は最後まで何が起きるかわからない位長いのですが、残り200mを残して勝敗は喫しました。サイレンススズカから伸びる大きな影をどの一頭も踏むことが出来ませんでした。このレースの実況を担当したフジテレビの青嶋アナウンサーの「どこまで行っても、逃げてやる」は名言です。
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そしてこの年の最大目標である秋の盾"天皇賞・秋"このGⅠがサイレンススズカにとって最後のレースになってしまいました。単勝1.2倍のブッチギリ1番人気。サイレンススズカの為のレースである事は間違いありませんでした。スタートから最大の武器である前進力のレベルの違いを見せつます。この年のどのレースよりも1番良いリズムで大逃げを見せてくれていて、最終コーナーの前にある大ケヤキを過ぎた時に異変が起きました。突然減速してしまうサイレンススズカ。この時に前脚を粉砕骨折してしまったのです。サラブレットにとって脚の骨折は致命的。その骨折の程度にもよりますが、レース中に故障が発生してしまった場合は、ほぼ安楽死の処分が下されてしまいます。故障の原因は未だにわかっていませんが、自分のスピードに脚が追いつかなくなったんでしょう。覚醒したサイレンススズカの伝説はここで幕を閉じてしまいました。この時のレースを観て一つ驚いた事がありました。通常、走りながら脚の骨折が発生した場合は、立っていられずに大きく転倒してしまいます。人間も同じですよね。でもサイレンススズカは粉砕骨折だったにも関わらず立ち続けていました。これはここまでの大舞台に連れてきた武豊を守る為だったんじゃないのかと僕は思っています。自分が逃げ馬である事を自覚していて、転倒してしまえば、後ろからやってくる後続馬に轢かれて武さんも大怪我をしてしまう。そうならない様に最後の力を振り絞って転倒しなかったのではないのかなと今も思っています。そしてこの第118回天皇賞・秋は「沈黙の日曜日」と呼ばれています。
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僕の中のサイレンススズカの物語はここで終わってません。翌年99年の天皇賞・秋。このレースを勝ったのが僕の競馬へのキッカケを作ってくれた"スペシャルウィーク"です。サイレンススズカと同じ父を持ち、鞍上は武豊。全勝戦のGⅡ京都大賞典を惨敗し、この天皇賞は1番人気にはなれず、下位人気になっていました。しかし結果は優勝。最後の直線の前の大ケヤキで間違いなくサイレンススズカがこのコンビの背中を押してあげたはず。このレースは「武豊にとって1年遅れの天皇賞・秋」でした。余談ですが、この後スペシャルウィークはGⅠジャパンCも制覇します。当時の世界最強馬だったフランスのモンジューが、同世代のエルコンドルパサーを凱旋門賞で負かして日本にやって来ました。その最強馬と日本勢のリベンジを果たした事でスペシャルウィークの二つ名は"日本の総大将となりました。
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サイレンススズカが亡くなって23年。その間にも優秀な逃げ馬は沢山いますが、この馬ほどのスピード感と超ハイペースで勝利できる馬はただの1頭も存在しません。競馬やそれ以外のスポーツでも"絶対に勝てる"という保証がない事を教えてくれたのがサイレンススズカです。でも、あの天皇賞・秋。大ケヤキの向こう側を故障せずにいつものスピードで通り過ぎていたという世界線があったのならば、"絶対に勝っていた"と今でも思わずにはいられません。
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NARI
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honeeey · 3 years
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1、"人"が語る、もっとも強い"馬" 武 豊(たけ ゆたか)という騎手が居る。 別業界である羽生善治やイチローと並べられるほどの"天才"と称され、 日本競走馬界で数少ない有名な"人間"であり、数々の歴代最多記録を残している。 そんな偉人がウマ娘プロモーターになって、あんなCMに出るなんて2000m芝不可避なわけだが、話がそれるのでここまでにしよう。 武豊は2018年現在も現役であり、数々の名馬と共にレースを制している。 親子三代で天皇賞制覇し「絶対の強さで人を退屈させた」と言わしめた"メジロマックイーン" 怪物達と共に第二次競馬ブーム期を盛り上げた平成三強の一頭、"スーパークリーク" 武豊としては二度しか乗らなかったものの、騎手としては伝説的ラストランを走り切らせ、 「神は居る」と思わせた、アイドルホースである芦毛の怪物"オグリキャップ" そんな武豊が騎乗した馬達の中でも、一際異様な強さを見せた馬が居る。 "ディープインパクト" 無敗のまま「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」を制して三冠馬となり、 「一着至上主義」「奇跡に最も近い馬」と形容されるほど勝ち続け、恐ろしい戦績を残した名馬である。 以下の画像はそのディープインパクトが残した成績である。 世間はこの馬に注目し、社会現象だと言われるまで取材は相次いだ。 馬は喋れないので当然メディアは武豊にマイクを向ける。 様々なインタビューをされていく中、こんな質問が武豊に飛び込んだ。 「もし武豊さんが『武豊&ディープインパクト』と対戦できるとしたら、これまで数多く乗ってきた優駿の中で、打倒ディープとしてどの騎乗馬を選びますか?」 その質問に武豊は一頭の馬の名をあげた。 その馬の名はサイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せた馬である。 2、上村洋行とサイレンススズカ サイレンススズカは最初、武豊ではなく上村洋行という騎手が乗っていた。 上村騎手を乗せたサイレンススズカのデビュー戦は堂々の1着でゴール。 だが次の弥生賞ではレース開始前、柔軟な馬体でゲートをくぐってしまう。 ※ゲートをくぐっちゃうサイレンススズカ サイレンススズカは係員に押さえつけられ、なんとか再びゲートに入る。すると今度はスタートで酷い出遅れをしてしまう。 それでも驚異的な脚力で8着にはなったが、当時の関係者達はこれらの気性面をなんとかしたかった。 「走りたいという気持ちが先走り過ぎる」 「スイッチが入ると暴走するぐらい走りたがる」 サイレンススズカは確かに速い。 だがその身に任せたままだとレース終盤スタミナが尽きて、勝つことが難しい。 次のレースで上村はサイレンススズカを必死に抑えつけて走らせようとしたが、我慢しきれないサイレンススズカは先頭を走り続け逃げ切り1着。 東京優駿(日本ダービー)を勝たせたかった関係者たちは不安だった。 2000mならいいだろう。だが勝ちたいレースの距離は2400mなのだ。 ※Sがスタート地点。Gがゴール地点。 ペース配分ができなければ、速さをコントロールしなければ、絶対に勝てない。 もはや上村は「マイル路線(1600m)で行ったほうがいいのでは」とも考えていたという。 しかし次の2200mでなんとサイレンススズカは1着。しかも騎手の上村が上手くサイレンススズカを抑えて、理想的な作戦勝ちだった。 「ダービーもいくらか抑えれば、勝てるだろう」 だが日本ダービーで、サイレンススズカは勝てなかった。なんと9着。 「もう小細工はやめて、逃げて競馬させよう」 関係者達は方針を転換する。 続く神戸新聞杯でサイレンススズカはレースを先行で走った。 走り続け、断然トップ。これは勝ったと見る者は思った。 サイレンススズカはペースを変えず先頭を走る。あとは、ただ走るだけ。 しかし後方からマチカネフクキタルがグングンとスピードをあげ追い抜こうとしていた。 上村騎手が気づいたころには、サイレンススズカは2着になっていた。 振り返れば、八百長さえ疑われてもおかしくないほどの、酷い抜かれ方であった。 この結果を受け、上村騎手は降板させられてしまう。 上村氏は後悔した。自らの失態を泣き、悔しがった。 そしてサイレンススズカの行く末を心配した。 「恋人以上のものが離れて行ってしまった感覚でした」と本人のインタビューも残っている。 「将来を見据えて、なるべく楽に勝たせてあげたかった」「苦しまずに走らせたかった」「勝ちをちゃんと見据えられてなかった」 当時を振り返ったブログ記事では 「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、 天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。 そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」とも残している。 サイレンススズカに鞍上した上村氏は、誰よりもサイレンススズカを愛し、守りたがったがゆえに、本番レースで勝ち切る「勝負師」になりきれなかった。 競馬は勝負の世界。馬は勝たなければいけない。負けて許される馬など、皆認めなかった。 生涯成績113戦0勝のハルウララがメディアに持ち上げられ、大衆から愛された時も、競馬関係者達の声はあまり暖かくなかった。 武豊もその一人だ。 「強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある」 そんな勝つことに拘る騎手、武豊がサイレンススズカと出会うことになる。 3、大逃げの始まり 「サイレンススズカに乗りたい」 そう申し出たのは、なんと武豊からだった。 乗る馬の依頼が来るのを待つのが本来騎手側の立場なのだが、 その慣習を崩した直談判である。 そして香港国際カップでサイレンススズカと武豊騎手は初めてコンビを組む。 ちぐはぐな日程や、馬房内で左回りに旋回する癖を矯正しようとした結果ストレスをため込んでしまうなど悪条件が重なり、レース終盤に他馬に捲られて結果は5着。 「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」 そんな評価をサイレンススズカに下した武豊は大胆な騎乗を思いつく。 「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」  いかに逃げて力を配分するか。 大逃げという戦法は古くからあるにはあるものの、「勝つための戦術」としては博打感が拭えないシロモノである。 大逃げでの名馬と言えば、どれも個性的で、数は多くない。 破滅的大逃げを幾度となく繰り返し、最後の直線でスタミナを尽かし大失速して馬群へと沈んでいき最下位。そんな滑稽な姿を何度も魅せ、競馬ファン達を楽しませた"ツインターボ" あまりのハイペースでトウカイテイオーらのレース展開を乱し下位に追いやった、大逃げコンビとして有名な"メジロパーマー"と"ダイタクヘリオス" 世界レコードを叩き出したこともある"セイウンスカイ"なども居るに居るが、現在でも常用される戦術とは言い難い。 次走のバレンタインステークスでサイレンススズカはその「大逃げ」をする。 レース序盤の第三コーナー前でサイレンススズカはここまで逃げ離した。 ※左の赤丸にサイレンススズカ。右の赤丸が他の馬達である。 大逃げは最初からハイペースで走るので、最後の直線ではスタミナがあまり残らない。 なので後方馬との差は縮まっていく……はずなのだが、 サイレンススズカは加速する。加速し続け、後方の馬をさらに逃げ離す。 「逃げて差す」 次のレースも大逃げで勝ち、そしてその次のレースも大逃げで勝ち…… 1998年金鯱賞。またもやサイレンススズカ1着。2着との差なんと11馬身。 平地の重賞競走では6例目の大差勝ちであり、これ以降10馬身以上離れての重賞大差勝ちレースは現れていない。 レース後、アメリカから「サイレンススズカを売ってくれ!」とオファーが本当に来てしまうぐらいの圧勝だった。 「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」と武豊は当時の金鯱賞を振り返る。 この金鯱賞のレースは印象に残るどころか、サイレンススズカが伝説と呼ばれるゆえんのレースとなり、そしてその始まりだった。 次の出るのはG1宝塚記念。しかしここで問題が発生した。 サイレンススズカが宝塚記念に出走するのは急遽決まったことであり、 武豊は同レースに出走するエアグルーヴに乗ることを先��決めていたため、鞍上がいなかったのだ。 そこでなんとか南井克巳氏が乗ることが決定し、武豊とサイレンススズカが敵として戦うことになる。 宝塚記念は芝2200m。 南井騎手は少し抑え気味で慎重に前へと走らせる。最後の直線でもギリギリまで引き付けてから鞭を入れ、そのまま加速しサイレンススズカ1着。 武豊鞍上のエアグルーヴは3着だった。 大差ではないものの、サイレンススズカにとって念願のG1レース初制覇でもあった。 4、最速の証明 毎日王冠はG2レースであり、G1より格が下である。 このレースを勝てば、サイレンススズカがもっとも得意なG1レース条件である「芝2000mの左回り」天皇賞(秋)の出場権を得られる。 しかし当初は調教不足などを理由に、サイレンススズカは毎日王冠への出走を見合わせる検討がされていた。 だがこのレースに二頭の馬が、出走を高々に宣言する。 その馬の名は"グラスワンダー" 「怪物」と騒がれ「JRA史上最強の2歳馬」と評された馬が、故障後の復帰戦にこのレースに出走を表明。 そして"エルコンドルパサー" 年度代表馬を得るために、ジャパンカップで勝つために前哨戦としてこのレースを選択。 両馬共に未だに無敗の外国産馬である。 サイレンススズカ陣営も「これで出走を回避したら『あの二頭に負けるのがわかって尻尾を巻いて逃げた』と言われてしまう」と懸念し始め、この対決を受けることを決めた。 競馬ファン達はこの三強馬による夢の決戦を見逃すわけにはいかなかった。 そして当時のルールでは天皇賞(秋)で外国産馬は出走できない。毎日王冠はこの三強馬が勝負できる数少ない機会なのだ。 こうしてG2という格が下のレースにもかかわらず会場には13万人の大観衆が詰めかけた。 レースが始まり、サイレンススズカは逃げ始める。 グラスワンダーはサイレンススズカの隙を付こうと策を弄し、エルコンドルパサーはそのまま真っ向勝負で立ち向かった。 しかし、サイレンススズカは最後の直線で、いつもの通りに再び加速。 差は縮まらない。二馬身差叶わず、サイレンススズカは1着。 不敗神話を一度のレースで二頭まとめて切ったのである。 「影さえも踏めなかった」 エルコンドルパサーに鞍上した蛯名騎手はそうコメントを残している。 サイレンススズカは6連勝。名実ともに当時の最強馬となった。 サイレンススズカ陣営は「天皇賞(秋)を制したらジャパンカップに挑戦し、そのあとはアメリカへ遠征しよう」とウキウキを隠せなかった。 5、天皇賞(秋)の前評判 サイレンススズカが狙うG1レース、天皇賞(秋) 対抗できるのは前年この天皇賞を制したエアグルーヴぐらいだろうと考えられていたが、 鞍上の関係も考えられ、エアグルーヴは別レースを狙い天皇賞を回避することになる。 (※サイコミ掲載の漫画「STARTING GATE! -ウマ娘プリティーダービー 【第15レース-②】特別な1日 ♯01」において、エアグルーヴが「サイレンススズカとは宝塚記念や天皇賞で戦いたい」と言っていたのは、これに由来する) そしてサイレンススズカがもっとも有利なレースにもはや挑む気力がある馬も無く、多くの陣営が競走を回避。 するともはやサイレンススズカに対抗できる馬はいなかった。 宝塚記念でサイレンススズカに11着で負けたもののそれ以外は戦績の良いメジロブライトが二番人気。 同じく宝塚記念で6着で去年の有馬記念を制覇したシルクジャスティスが三番人気。 またまた宝塚記念の出走馬であり、もっともサイレンススズカに近かった2着ではあったが、最後の1着レースがG3でもない「阿寒湖特別」というステイゴールドが四番人気という有様であった。サイレンススズカはもちろん一番人気。オッズは1.2である。 その馬体や体調面は武豊騎手、担当厩務員ともに口をそろえて「一番具合が良い」と言い、 もはやサイレンススズカが負ける要素を探すのは不可能だった。 誰もがサイレンススズカが勝つことを疑わなかった。 だがひとつ、たったひとつだけ不安要素があった。 天皇賞(秋)には都市伝説が、ジンクスが存在したのだ。 1987年にニッポーテイオーが1番人気で勝った後、 天皇賞(秋)にて1番人気の馬は、一度として勝てなかったのである。 3度も1番人気に支持されながら一度も勝てなかった"オグリキャップ" 1着でゴールしたと思いきや進路妨害により18着へと降着し、天国から地獄へ突き落された"メジロマックイーン" 大逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにレースペースを乱された"トウカイテイオー" 春にメジロマックイーンの三連覇を阻止したものの、スランプに陥りそのまま敗れた"ライスシャワー" パドックで違和感を感じながらもレースに入りし、5着。レース後ケガが発覚し、競走馬を引退した"ビワハヤヒデ" 故障の復帰から立ち直れずにレースに挑み、覇気なく敗れた三冠馬の"ナリタブライアン" スタートを出遅れ、その後の展開もミスしてしまい、鞍上も「最高に下手に乗った」と後悔した"サクラローレル" そのサクラロールを倒して連覇を狙おうとしたが、大逃げ馬(サイレンススズカ)を早めに捕まえようとしてしまい、最後はエアグルーヴにクビ差で競り負けた"バブルガムフェロー" 府中には、魔物が住んでいる。そう言われても仕方がなかった。 1998年。 第118回天皇賞 11月1日1枠1番で、1番人気はサイレンススズカだった。 6、"沈黙の日曜日"~Sunday Silence~ レース開始。サイレンススズカは抜群のスタートで快調に飛ばし、いつもの大逃げ。 サイレントハンターも大逃げ戦法を取るが、サイレンススズカとの差は10馬身差。 最後方ローゼンカバリーとは6秒のタイム差が離れ、 全ての馬を映さなければならない中継カメラはめいっぱいズームアウトし、馬が小さすぎて見えないほどになった。 ※左の赤丸がサイレンススズカ。右の赤丸が最後方の馬。 「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」 と武豊はレースを振り返る。 大欅を通り過ぎ、サイレンススズカは一度ペースダウンする。 ここで一息入れて、再加速しぶっちぎる気だろう。いつものサイレンススズカだ。 しかし、そのまま失速する。 サイレンススズカは左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。 どよめく会場、そして叫ぶ実況。 「サイレンススズカ!! サイレンススズカに故障発生です!!!」 歩く馬足で、コースの大外によれるサイレンススズカ。 それを抜くサイレントハンター、オフサイドトラップ、ステイゴールド、残りの馬たち…… 「なんということだ!4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊!! 沈黙の日曜日!!」 そのまま泣き叫ぶ会場の歓声を聞きながら、レースを続ける馬達。 サイレンススズカは故障しながらも、鞍上武豊を落馬させず、馬群を避け安全な場所に運んでいった。 この事を武豊は「サイレンススズカが僕を助けてくれた」と語った。 ケガの内容は結果は左前脚の手根骨粉砕骨折。 直ちに予後不良の診断が出され、安楽死処分が下された。 1998年 11月1日 サイレンススズカ 永眠 結局この天皇賞(秋)はステイゴールドとオフサイドトラップが競り合いながら、決着がつく。 1着はオフサイドトラップ。史上初の7歳での天皇賞優勝。 「不治の病」と言われている屈腱炎を3度克服した高齢馬が念願であるG1レースを制覇し、ひとつのドラマを作った。 だがその偉業は、残念ながら無下に扱われてしまう。 1998年の天皇賞(秋)は、サイレンススズカが、最速の馬が止まってしまった悲劇のレースとして刻まれた。 粉砕骨折の詳しい原因は不明である。 武豊は「原因は分からないのではなく、無いんだ」とレース後マスコミに答えた。 レース後の武豊の落ち込みは相当なものだった。 同レースに出ていたテイエムオオアラシの鞍上である福永騎手は 「あんなに落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。 その夜、武豊は知り合いとワインを飲み明かした。 「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。 夢であって欲しいな、って」 サイレンススズカの死、それは夢を見た競馬ファン達にとって、最大のトラウマになった。 サイレンススズカはまさに夢のように走る馬だった。 1600mのスピードで2000mを制せる、最速の中距離馬だった。 競馬に絶対はない。だからファンは"たられば"を夢想する。 もし、サイレンススズカがケガをしていなかったら、どうなっていただろうか。 ジャパンカップの2400mも軽々と走っただろうか。海外に遠征しても、並み居る強敵達を圧倒しただろうか。 種牡馬になったら、どんな子供が生まれただろうか。 そんな夢想をしてしまうのは競馬ファンだけではなかった。 武豊である。 自ら鞍上を名乗り出て、サイレンススズカの未来に期待し、夢を叶えようとした武豊は、 あろうことかその夢が崩れ落ちる瞬間の馬に、跨っていた。 ジョッキーにとって、一番嫌な、最悪の瞬間。 その瞬間のサイレンススズカに武豊は乗っていたのだ。 2007年になるまで武豊はサイレンススズカに深く言及することはなく、 2013年のインタビューでも、事故の話になると途端に拒絶し、笑顔を引っ込めた。 サイレンススズカの事故、その絶望の感触は、武豊の心の中へと確かに刻まれている。 ウマ娘 プリティーダービー第1Rにて終盤、トレーナーは問いかける。 「日本一のウマ娘とは何か?」 それはG1で勝つことだろうか。 日本競馬界の象徴であり最大級の目標である東京優駿、日本ダービーで勝つことだろうか。 ファン投票で出場馬が決まり、1年を締めくくる大レース。数々の名勝負が繰り広げられた有馬記念で勝つことだろうか。 この問いに擬人化されたサイレンススズカはこう答えた。 「夢……見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」 このセリフを聞いてしまった競馬ファン達の心境は如何ほどのものだったろうか。 サイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せてしまった馬である。 7、それでも馬達は走り続ける。 サイレンススズカと戦い敗れたエルコンドルパサーは1998年のジャパンカップを制し、海外への遠征を決めた。 「国内に敵はいない」とのコメントは事実その通りであった。 そしてその海外遠征でエルコンドルパサーは大活躍する。 ヨーロッパ最大の競走の一つ、凱旋門賞では惜しくも2着だったが、現地メディアからは「チャンピオンは二頭居た」とその健闘を称えられるほどだった。 2018年現在、国際的に競走馬のレーティング指数を決める「インターナショナル・クラシフィケーション(旧称)」や競走馬の能力を数値化する「タイムフォーム・レーティング」など、どちらもエルコンドルパサーは日本調教馬として史上最高の数値を保持している。 引退後に現れたディープインパクト等の名馬達、それらを差し置いての高評価を未だにエルコンドルパサーは維持したままなのだ。 そのエルコンドルパサーを相手に、国内レースにて唯一勝ち星をあげていたサイレンススズカの評価も未だに止まることがない。 翌年、1999年の天皇賞(秋)レース。これを武豊は再び走り見事1着でゴールインを果たす。 しかもレース記録を塗り替えるレコード勝ちだった。 去年のリベンジを果たした武豊はレース後、 「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。 サイレンススズカが後押し、天皇賞(秋)をレコード記録で1着を取った馬、 その馬の名はスペシャルウィーク アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」の主人公である。 さらなる余談ではあるが、天皇賞(秋)にかかった一番人気のジンクス、呪いは 2000年にテイエムオペラオーが払拭する。 その後に登場する名馬達も、天皇賞(秋)において1番人気で1着を取れるようになっていった。 名馬達を襲った忌まわしき呪いは完全に掻き消え、今は日本競馬史の一つとして、ただ記されているのみである。
https://ch.nicovideo.jp/yumemura/blomaga/ar996682
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becoming6gems · 3 years
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💎 SixTONESのオールナイトニッポン 第64回(2021.6.19) 先輩宛てのお花(とは明言されてないけど、メンカラ黄色&青ということはほぼ確定でしょう)を自分たちのスペシャルウィークのお祝いだと勘違いしちゃった…という下りで、 スタッフから「(お花は)前の人の残りです」と言われたってのがやっぱりどうしても引っかかるな〜。 せめて「前の方」と言うべきじゃないかな〜。 6人にとっては事務所の大先輩だし、ニッポン放送にとっては局の顔だったし、そもそも男性アイドルというジャンルそのものの顔だった大スターなんだからさ〜。 というか誰であろうと演者さんは尊重すべきなのにな〜。
というわけでグダグダ考察してみた。
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いや分からない……内海くんアツヒロくんの番組のディレクターさんは当時から担当されてた方だそうなので、仮にそれくらいの関係性の方なら「前の人」と言えちゃうのかもしれないな……。 ここまで全て憶測。
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ichinichi-okure · 3 years
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2021.4.11sun_saitama
6時40分に着替えて『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら出かけ、いつもの土手に出る階段で関節を伸ばしながら再来週のスペシャルウィークのゲストがミラクルひかるだということを知った。 その報せによる幸福感で口を開けて目もふしだらにうっとりさせていたままだったから、逆回りですれ違うランナー達の多くは私に興味を持っていた。
河原のコースを1周して帰り、お風呂に入って部屋を片付けたら、10時ごろにコルネリさんから、昨日小岩のブッシュバッシュに出演した堀嵜菜那さんのライブがこれまでに観た中で一番良かった、というLINEが来た。
身だしなみを整えて再び外へ出て、バス停にならんだ。私はこの虎の子の日曜日を、世界と何の因果もない行動に充てると決めていた。 運転手が左手でまるで焼き芋でも食べるかの様に阿片を吸引しながら右手の親指と人差し指でハンドルを優しくつまみ、かと思えば終点に着いたら起立と脱帽と『野ばら』のア・カペラでお見送りする国際興業バスという会社のバスで赤羽駅に着き、埼京線に乗ったところで、堀嵜菜那さんのライブを観れなかった昨夜についての些細な考えにとらわれ始めた。
ゴールデンウィーク前だからなのか、月曜から土曜まで6日間出勤するというのが2週続いて、その2週目の土曜、が昨日だった。 私は定時で会社を出て、小岩ではなく下北沢へ向かい、コンプソンズの『何を見ても何かを思い出すと思う』を観た。 一つの小劇団を中心として芸術に従事しながら(*1)生活する男女7-8人が2011年から2020年の時空を彷徨ってサブカルの固有名詞まみれになりながらどこかに突っ込んでいくお芝居だった。 全部の言葉が本当にわかった(*2)し、出口で赤面と痙攣とアンケート記入が同時にきたくらい良かったのだが、話の最大の軸になっているのが、「2019年に向井秀徳が下北沢で突然路上ライブをした」というエピソードで、それを後からSNSで知って観れなかったとか、仲間の1人がお腹を刺されて血だらけになった亡霊として観れたとか、そういう場面が続くのだった。
新宿から京王線に乗り換えて、多摩センター駅に着いた時にはお腹が痛くなっていたから、しばらくトイレに入ったあと、今度はシャトルバスに乗った。 昨日は何も思わなかったけど、バスの椅子に座って外を見ながらぼうっとしていたら、その向井秀徳の路上ライブを私は観たのだという事を思い出した。 2019年から東京に転勤して以来、それが初めて下北沢へ行った日だった。B&Bという書店でペドロ・コスタと小野正嗣のトークイベントがあって、それが23時くらいに終わって、駅へ向かう途中の道で人だかりができていたのだ。 少し前の方まで割り入ってしばらく聴いていると、その弾き語りが全然良くなくて、良くないから向井秀徳じゃないなと思って帰った。SNSで「そうだった」と知ってびっくりした。 自分があのお芝居の登場人物だったなら、下北沢にはあまり行かないけどあれがまじで全然良くなかったことを他のみんなに客観的事実として教えてあげる役だったな、堀嵜さん観れなかったな、と思いながらスタジアムに着くと、もう14時のキックオフが迫っていた。 明治安田生命J2リーグ第7節、町田ゼルビアVS京都サンガ。 昨日私が聞いた固有名詞にかすりもしてこなかった、「好きな女性芸能人(*3):ローラ、安室奈美恵」というポストモダニスト達が目を剥いて骨をぶつけ合う饗宴。 チーム全員が団結してわざわざ可能性が低いエリアへ一辺倒な攻撃を仕掛け続ける町田ゼルビアという愛くるしいチームと、京都サンガの2人の選手(ピーター・ウタカと松田天馬)にすっかり魅力されてしまった。本当に通い始めるかも知れない。 多摩センター駅に戻るころには、どうしようもなく眠たくてぐったりしていたので、サンリオ・ピューロランドは諦めてしまった。
帰宅して18時から20時まで寝て、『安住紳一郎の日曜天国』を聴きながらまた入浴し、そのあとは夜遅くまでさやさんとさやさんの友達と電話で喋ったり、『穴守おこわ稲荷5種』を食べながら『ダービースタリオンswitch』をしたりした。
*1 ジャ・ジャンクー『プラットホーム』で「俺は芸術に従事している」というセリフがある *2 「平賀さち枝はそのあとホームカミングスとシングルを1枚出した」というセリフがあったがそのジャケットを描いたのは私の高校の同級生だし、作・演出の人が実家で家事を全く手伝わない、というくだりで、洗濯くらいはできるかも知れないないのだがお母さんが柔軟剤のブレンドにこだわっているせいでそれも断念したという所で、私はそのお母さんと同じエレベーターに乗り合わせた経験があり、「あのお母さんね」と思いすらした *3  町田ゼルビアのオフィシャルサイトの選手情報というページには本当に、この、猿が考えたような質問があり、それに別の猿が答えていた
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-プロフィール- 立石草太 38才 埼玉 会社員
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koyato-via-imajuku · 4 years
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2020/2/25(火) ち501 LKG-MP35FM
朝の部1本目◯茅ヶ崎駅5:40発
4連休2日目、おはようございます。
今日もスペシャルウィーク。
撮るにはまだまだ暗いですが、空はやはり徐々に明るくなってきてます。
3月の★回(22・23)までには5:40もローアングルで撮れるぐらいになるんじゃないかと。
とりあえず2本目へ。
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cinqcafe · 2 years
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cinqの助六弁当
2022/4/3(日)
本日もお足元の悪い中
ご来店ありがとうございました
すっかり寒い日が続いて
気持ちもどんよりしてませんか
明日から
助六弁当をイメージした
お食事が始まります
cinqでお花見気分で食べるも良し
少しの晴れ間を狙って
公園でお弁当を食べるも良し
皆さんに楽しんでいただきたいお食事です
桜の黒糖稲荷寿司
みたらし胡桃の太巻き
菜の花・胡瓜・玉子・桜でんぶ・椎茸・かんぴょう・みたらし胡桃
鶏の柚子くわ焼き 花わさびのお浸し
ほたるいかとうるいとアスパラの辛子酢味噌和え
柚子胡椒煮ごぼうの新びき粉揚げ
あんずの甘煮
伊勢志摩産初摘みあおさのお味噌汁
店内では定食で
お持ち帰りにはお弁当で
ご用意致します
お弁当には
お味噌汁が付きませんので
ご了承ください
いつもの定食とお弁当より
少しお値段が上がっています
明日お弁当をご予約いただいたお客様
ご了承いただければと思います
キャンセルされる場合は
お手数ですがお電話をお願い致します
明日のお弁当のご予約は
まだまだ受けられそうです
助六弁当
なぜか
大好きなんです
なので
お弁当を持って
お出掛けしたいこの時期に
作っちゃいました
お稲荷さんは
手作りが一番美味しい
桜の花びらを混ぜ込んだ酢飯を
黒糖で煮た油揚げで
みたらし胡桃のはいった太巻きは
新潟の方で
よく食べられているようで
甘じょっぱさが
何とも言えません
柚子の香りのくわ焼きには
見た目は可愛らしいけど
わさびの香りがつんとくる
花わさびのお浸しを添えて
旬のほたるいかには
春らしい
うるいとアスパラを合わせました
春ごぼうは
柚子胡椒で煮てから
新びき粉をつけて
サクサクに揚げて
箸休めの
あんず煮も
忘れずに
店内では
伊勢志摩産の初摘みあおさ
(このワードだけで最高)
お味噌汁で暖まってください
特別な
cinqの助六弁当
一週間ですが
皆さんに楽しんでいただけたら
嬉しいです
このお弁当を持って
桜の木の下で食べたい!!
もしくは
cinqの店内で
ビールと一緒に贅沢したい!!
(結局そこ)
桜スコサンも
残り4日間
桜マフィンも
残り3日間(予定)
桜尽くしのスペシャルウィークです
ご予定の合う方は
ご来店お待ちしてます
合田
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toyatoma · 2 years
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【ウマ娘】ピスケス杯 グレードレースBグループ決勝 初優勝!
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チャンピオンズミーティング「ピスケス杯」、お疲れさまでした&対戦ありがとうございました。
この度、Bグループながらチャンピオンズミーティングで初めてグレードレース決勝進出、初優勝をすることができました。嬉しい……!
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チャンピオンズミーティングで1勝でもできたのが、初開催の『タウラス杯』以来。
グレードリーグで勝てないからと言ってオープンリーグ用に「Bランクで強いウマ娘」を狙って育成するなんて器用なことは自分にはできませんし、レオ杯以降は「チャンミで勝つのは無理」と思って殆ど参加報酬目当てで出走するくらいになってましたので……なので、今回の結果は本当に嬉しかったです。
決勝メンバーは、キタサンブラック、スペシャルウィーク、ゴールドシップの3名。
正直なとこ、ウチの長距離組はキタサンとゴルシ以外にA+以上のウマ娘と戦えるほど仕上がってる子がおらず、ついぞ育成が間に合わなかったため急遽中距離組から一番行けそうな中距離仕様のスペシャルを投入した感じでして……第2ラウンドで試しに走らした時にはそのスペちゃんが1勝挙げてくれたので、目はあるのかなと……
その結果は、
1着:ゴールドシップ
5着:キタサンブラック
6着:スペシャルウィーク
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スタート直後から最後尾をひた走り最終直線で一気にごぼう抜きという、実に“ゴールドシップ”な走りで、見事優勝をかっさらってくれました。キタサンも対戦チームの逃げ組と終盤までペース作ってくれたうえで沈みきらずに掲示板入りしてくれましたし、スタミナA+のスペシャルは流石に厳しかったですけどもあとちょっとで掲示板の6着。よく頑張ってくれたなぁと。
4角前でスペちゃんとキタサンが落ちてきた時は「これは無理かなぁ」とも思いましたけど、結果はこの通り。最後の200は対戦チームのゴルシと自チームのゴルシの一騎打ちみたいになって、なかなか熱い展開でした。
相手2チームともほぼ自分と同じA+ランクメンバーで構成されていたので、どのウマ娘が勝つか最後までわからない、非常に見ごたえある白熱したレースとなりましたね。
自分の環境だと動画残せなかった(サポートから外れたスマホだし、正直撮り方も良くわかんない)のがちょっと残念でしたが……
やはり、今回Bグループとは言え決勝進出できたのは、1stアニバーサリーで実装された育成シナリオ『Make a new track!! ~クライマックス開幕~(以下。クライマックス編)』の存在が大きかったですね。
クライマックス編のおかげで、今まではできてギリギリAランククリア、チーム競技場も万年CLASS4~5を行ったり来たりだったのが、現在は平均A+ランク、まだ短距離のみですがSランククリアもできたり。チームランクもBからA3にまでアップさせることができました。
今までのチャンピオンズミーティングでは、出走しても常に下から1、2、3……「全く相手にすらならない」状態だったのが、今回はきっちり勝利することもでき、負けたとしても入着があったりと、確かな手応えを感じられたので久しぶりに楽しかったです。
発走前から負けるとわかっていて参加し、ただその予想通りになるだけのレースを見続けるのが本当にしんどくて、出走させたウマ娘たちにも申し訳なくて、モチベーションも殆どなくなってましたからね……
自分としては、今回TSクライマックス編実装のおかげで「チャンピオンズミーティングでまともに戦えるようになった」ことが何よりの収穫でした。
その延長として、今回は運良く勝利することができたので最高の結果となりましたが、Sランク以上のウマ娘相手にはまだまだ勝つことは難しく……せめて安定して自分もSランクウマ娘を育成できるようにはなりたいですね。
さて、次は長距離よりは育成しやすくなる分、層もより厚くなるであろう中距離戦の『アリエス杯』……優勝は難しいにしても、せめてBランクでも決勝進出くらいは目指したいなぁ。
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g00melo5-art-blog · 2 years
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【じゃらんスペシャルウィーク♪】2022年8月CM 〜にゃらんのお得旅編〜
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k0ny4su1 · 2 years
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zzz
202201 (抜粋)
◯ 首都高速から見たスカイツリーと富士山がとても綺麗だった。 おせち、煮物、お雑煮、毎年おばあちゃんの家で食べている。母方の味も、父方の味も大好き。 私がまだ働いていないせいでお年玉を貰ってしまう。父の昔のレコードを出して眺めた。東京から遠いのにタワレコのシールとか貼ってあって、買いに行っていたのだろうか。私よりよっぽど行動力に溢れている。
◯ なぜか意外な先輩と昼ごはんを食べる。突然の連絡は結構嬉しい。連絡って怖いけど大体して悪いことはない。していこ、連絡、2022。
◯ 明らかに古着買う人でないファッションをしていたのに、親切に色々話したり試着したりできる最高のお店に行った。椿座。(私) は独り言が多いし、だいたい人に聞こえている。でも中身はない。そんなところも分かってくれた。戦闘服を手に入れた。
◯ (私)は心の中でぼくと打ちたいところである。理由は音の響きが好きだからでそれこそジェンダー的な理由もなにもない。何もないことが大事。
◯ ライブに行きたい。12月は毎週末どこか行っていたのに。(いやもっと行っていた) やるべきworkはやらないと。
◯ 植物の世話を蔑ろにしている。種取りの時にカビの胞子がふわっと舞う。金色だったら、ティンカーベルの飛べる魔法こんなんだと思う。
◯ やるべきworkが終わったら、オミクロンの人が爆増していた。最悪の玉手箱。
◯ ねむきゅん、ねもちゃん、ミントグリーンは私にとっての憧れ未満。バグってtwitter作ってた。
◯ ロングコートダディ「たゆたうアンノウン」 東京03 稽古場単独公演「拗らせてるね。」 ちょくちょくお笑いの配信をみる。ラジ父をより楽しく聴くためでもある。
◯ あのちゃんのANN0が良かったおもしろかった。みんな見くびってるって笑いながらいい、毎回ちゃんと仕事をしている感じが好きなのです。あのちゃんねるを見ていれば、ラジオできることはわかる気がする。サニーデイ・サービス「春の風」を流しながらあのちゃんクイズに投稿されるメールをリアルタイムで言っていく感じ、ラジオのエモがある。弾き語りも最高。
◯ 京都文学フリマに行った。 意外と広く、何をかっていいか分からなかった。なんとなく誰かの日記とかジャズの本とか取った。買った中で今一番読むのを楽しみにしているのは「日本現代うつわ論1」
◯ 久々に化粧をしていたらしい。顔がぽかぽかする。
◯ NHK「恋せぬふたり」いまのところ(1/17)、ちゃんと嫌な気持ちになる、大袈裟なところもあると思う。ドラマの彼らのアロマンティック・アセクシャルというベクトルではないけれど、恋人がいない、合コンとかも行かない、マッチングアプリをしないせいで、一人で生きることを覚悟し媚びない人くらいに思われることも稀にある。ただ「寂しさ」や漠然とした未来への不透明さに苛まれることはもちろんあるわけで、そんな(?)寂しさについて1話で話していて安心した。味方、相方、友達、うまい言葉が見つかったら発明ではないか? パートナーという言葉も私にはしっくりきていないので。
◯ 「ハッピーアワー」「偶然と想像」「親密さ (short ver)」「なみのおと」「何食わぬ顔」濱口監督の作品、京都でたくさんやっているから観ている。距離感にひぇっとなる。私はパーソナルスペースが広いので、どこか、羨ましくもあり、でも自分が役者側だったらと思うと自我をどこに配置するのか混乱しそうだ。って役者になるはずはないのだけど。本当より魅力的な嘘が本当になっていく。そこが本当に思えるから、ぬるりと身構えてしまう。”エロティック”ということなのか。あと、会話はいつも論理的じゃないわね。
◯ ライブが中止、延期になり始めた。 深夜バスに乗っていたはずなのにと思って、京都メトロのplatform行った。ハウス、テクノ。心地よい。基本的に耳が早かったり、詳しくはないので、箱行ってゆらゆらと音楽の楽しいところを貰って生きている。砂原さん終わったら人が急に減っていた。意外と誰が回しているのかに依るんだなと思った。 もともとオールするつもりでなく、平日金夜に元気が余っているわけもなく、4時半くらいに帰宅。自転車圏内の良さ。
◯ コロナのバカぁ。家をあけるからと冷蔵庫からお肉と野菜をなくてしていて食べるものが全然ない。無理すぎて、クワトロ2ハッピーのピザ食べた。ピザむまいぃ〜
◯ お餅たべすぎる病
◯ 記録は続かない。インターネット上に載せたいときに。 アナログの日記があるから問題ない。ただ、最近手書きじゃないからこその脳とアウトプットまでの速さの違いを自覚して、書いている。
◯ 家からでない。身体が重い。パワパフガールズZが大好きで、ふとサントラ調べたらレンタル落ちで1万近かった、まじかよ。
◯ story と key message と fact の行き来で苦しむ。取捨選択ができないのはコアの部分が分かってないからだと当たり前のことを突きつけられた。横文字。
◯ 自転車直って嬉しくて、無駄に家の周りを2周したけど、1.7周くらいの時に正気に戻った感じあった。
◯ リョウコ2000のアトロクよかた
◯ 藤井風のANNまたお待ちしています。また聞きたい。って急に思い出す。
◯ パソコン音楽クラブのremix rework、1曲目から鳥肌で好き。see-voiceが本当に2021好きで。 “音の美しさの中の、一抹の不自由さと苦しさ。 不安にさせない不安。癒しにならない癒し。一瞬の永遠。 どう表現したらいいか分からないけれど、矛盾しそうなものが常に同時に広がりうつろっていく。海鳴りでその旅路も終わることが不思議とわかる。” って10/13の日記に書いていた。 リリパ行きたかった、MU2022の羽田空港でも見たかった。結構ライブセットのパーカス楽しみだったので延期が実現して欲しい。難しいご時世。
◯ フワちゃんANNX、友達と仲良くなる方法が詰まってる亜空間(フワちゃんに限る)。スペシャルウィークの楽しさ。ラジオは聞いたり聞かなかったりできる今週はだらだら聴いてる。みんな!このあと星見にいこう。そのあと海行こう。(中略) あたしの運転で行こ。怖い、絶対やだ。やばいって。よかったな。 でもどこか、空虚性も感じるのですけど。
◯ 帰り道好きな加茂川の音あるんだけど、なんか録音しときたいな。
◯ 花粉きてます。
◯ 京都に来てから全く見れていなかったスクール革命がゴールデンにきていた。スクール革命ずっとみてた。ゆるい雰囲気と、ふざけ時間の多さ (ゴールデンのせいかその辺はスマートになっていたように感じた。)あの頃の好きだったものはまじでずっと好きなようで、やっぱり知念くん最高だなーと。ずっとかっこいいし、変なんだよな。(変さは今回少なめだったけど) summaryとか行ってたな。10人かっこいいんでね。あとNYC。
◯ 市原佐都子 Q「妖精の問題 デラックス」at ノースホール。 そもそもデラックスの前を知らなかったので、youtubeでkyoto experimentの時のものを見た。生��観たものと、映像で観たものを比較できないけれど、デラックスはやっぱりデラックスで人が増えたことによって見やすくはなっていそうで、2018年のほうはきっと生でみたらそのカロリーの高さにやられていそう
◯ そういえば、Q「地底妖精」ならどらま館で観ているはずで過去の日記を探す。やっぱりみてた。”オスはみんな醜い刃物を持っていて” ぼくもその感覚を持って生きているかもしれない。cocoonもそうだったよな。舞台美術の綺麗さと不気味さともやがかった印象思い出した。見つからない土の中、根がはってるみたいな。もう忘れちゃったから嘘書いてるかもしれない。
◯ 村川拓也「仕事と働くことを演じる」 at ノースホール 役者 (参加者) の方のお仕事に基づき作られていた。全員役者、或いは表現活動をされている方だったこともあってか、マニュアルワーカーが多かった印象。仕事かぁ。生きることとは切り離せない、どうしても。
◯ スタジオいって遊びたいって友達に言ってたら高校の同期がいいよって言ってくれた。ただ二人とも別々の場所に住んでいる。でも嬉しい。
◯ 会話の終わりどきってどうしたらいいのかいつも分からない。ブレーキが効かない自転車で坂道下ってる感じ。
◯ だめだ〜〜〜ねむ〜〜〜〜〜〜〜i!!!yooooooo!!
◯ 恋せぬふたり、その大袈裟啓発的ムーブでないと伝わらないもどかしさ。全然それがいいとか悪いとかではなく。楽しく観ているので。あでももう、のほほんがほしい。のほほんだよ。阿佐ヶ谷姉妹~~
◯ MU2022行けないし、2月中旬まで東京行けなくなっちゃった。行けないことはないんだろうけど、家族に迷惑かけられないなと思うし、家族大事。
◯ meme、すうぃにを最初推していた時には知らなかったのに、どんどん好きなかっこいいアーティストがremixや作曲に関わっている。でんぱもそうやって私の世界を広げてくれているし。あぁディアステ通ってたな...次東京行く時また行きた。その一推ししていたアイドルはもういない。健康でいてほしさ。
◯ 水野しず「個性の大学」 個性が面白い、とか個性=自由とか、いやいやいやいやって思っていたところが分解されていた。目の前の地道なことにから逃げんなということに、どうやらそういうことに、なっているようなのだ。この世界は。私は個性の大学は割と卒業しているような気がする。学位記貰いたいネ。
◯ まードキュ
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