Tumgik
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インターネットと友情
「リアル」で会うのはこれが三度目。今日、彼女は結婚する。
「この子は何の友達なの?」  桜貝みたいな色した愛らしい招待状が届いた日、母がそう尋ねた。式場で同じテーブルになった華やかな女の子たちにも「何繋がりのお友達なんですか?」なんて聞かれたりしたけれど、なんとなく上手い言葉が見つからなくて、笑顔でお茶を濁した。それでも、共に涙を流して彼女を祝福したし、コースの締めに出た香りの良いジャスミンティーをテーブルの女子全員で仲良くおかわりしたりもした。  けれど、長年の知り合いみたいに楽しく会話を弾ませた彼女たちと会うのも今日が初めてなのだ。そもそも、唯一の知り合いである新婦とだって二回しか会ったことのない。そんな結婚式に出席する日が来るなんて、一体誰が想像するだろうか。  人生は何が起きるか分かんない、本当に。
 こんな思いもよらない経験をさせてくれた彼女とはTwitterで知り合った。恋愛について語るアカウント、通称・恋愛ついったらーなるものに興味を持ったのが5年ほど前。そのときはどちらかといえば、オタクじゃない「普通」の女の子がインターネットで何を書くんだろうという好奇心の方が強かった。普段、暮らしの中でわざわざ口にすることはない、人間の心の柔らかい部分に触れてみたかった。  そこで覗き見たのは、物語と現実の狭間で鮮やかに色づいた言葉だった。普通に生きているように思える女の子たちは、その可愛い心の中に恐ろしいほどの熱量を隠し持っていた。日々繰り返される真夜中の内緒話には、蜂蜜みたいに蕩ける幸せから誰にも救えない真っ暗な悲しみまで、何だって存在していて、いつしか顔も名前も知らない誰かを本気で心配したり応援したりする自分がいた。 「この子の行く末を見守りたい。どうかしあわせになってほしい」  そんなこと言ったら「たかがインターネットの」「嘘か本当かも分からない」言葉を本気で信じたりして馬鹿だって思う人もいるんだろう。ある意味、それは真っ当な意見かもしれない。匿名故の弊害だってたくさんあるし、物凄い執着心で画面越しにどうにか傷付けてやろうとする人、個人情報を暴こうとする人、そういう類もごろごろいる。そんなところで心を剥き出しにしている方が馬鹿だって意見に反論することは難しい。
 だけど、そういうのから程遠い、素直で真っ直ぐな人たちとたくさん出会えたから、悪くねぇなTwitterって思っちゃう。馬鹿でよかったと思ってしまう。  わたしは物心ついた頃からインターネットに浸かってきた。彼女を始めとして、SNSを通じて出会った大切な友人たちがいる。ただ、その子たちの説明をインターネットに浸っていない人たちになんて伝えればいいのか、しっくりくる言葉がずっと見つからないでいるのも本当だった。 何だか後ろ暗い気持ちも少しだけあった。  所謂、「リアル」と「ネット」で出来た友人に差があるのか?その問いに対する答えをわたしは持っていない。インターネットにわたしのすべてはない。けれど、それはリアルだって同じことだ。リアルにだって、すべてを曝け出しているわけじゃない。  ただ、相手が自分をどう捉えているかを判断することについては、インターネットの方が難しい気がしている。普段、他人と親密な関係性を築くにあたって、お互いの心の距離の測り方を言葉にならないものに頼っている部分は大きい。  例えば、声とか表情とか、ノンバーバルの部分。 インターネットじゃ、元気いっぱいなツイートをしている人が画面の向こうで泣いていたって気付いてあげることはできない。やっぱり目に見えることだけが全てじゃないって心から思う。自分の持つ稚拙な言葉だけで親密な関係を築く難しさもある。  だからこそ、そんなところで出会った人間に結婚式に呼んでもらえるくらい親しくしてもらえるというのは、脳天が痺れるほどに嬉しい経験だった。
 式当日の話に戻る。招待客に全く知り合いがいないため、会場となったうつくしい京都の風景を満喫しながら、高揚感に満たされた人々を一人ぼんやり眺めることになった。行く前は寂しいとか落ち着かないとか、そういう気持ちになるかなと心配していたけれど、完全なる杞憂だったみたい。  そこには彼女と旦那さんの世界があって、わたしたちがインターネット越しに触れてきた日常のずっしりとした積み重ねがあった。家族、友人、職場の同僚、集まった人たち全てが新郎新婦の人生を表している。人間が生きるって、人生の大切な局面を迎えるって、鮮やかだ。わたしたちの知り得ない毎日を重ねて、今日の良き日がある。聴こえてくる世間話から様々な思いを感じていた。  でも、この会場にいる誰一人知らない、彼女の中で起こった彼女だけのドラマをわたしたちは知っているんだ。たった二回しか会ったことはなくても、インターネットの暗闇の中、鮮やかな光が弾ける瞬間をたくさんたくさん見てきた。そう思うと、まだ式が始まってもいないのに、あと一息でも吐き出したら涙が溢れ出して止まらなくなりそうだと思った。張り切って着た着物の帯の圧迫だけじゃない締め付けが胸にキていた。  ちなみに、誰も知り合いのいない結婚式に行くなんてハードルが高いと思われる方もいるかもしれない。しかし、わたしは根っからのオタクなため、彼女のファンの中の幸運なひとりとして激レアイベントに参加させてもらった気持ちでいた。推してるアイドルの少人数制超レア接触イベントにひょんなことから当選して、めかしにめかしこんで単身乗り込んでいる感覚とでも言えばいいのだろうか。控えめに言っても血沸き肉躍る。どこもかしこも彼女のことが好きな人間の集まりなのだから、もちろんめちゃくちゃ楽しんだ。  お父様に手を引かれ、バージンロードを歩く彼女と目が合えば、涙がナイアガラのように溢れてきた。あの子、女神みたいに綺麗だった。本当にフォロワーのみんなに見せてあげたかった。披露宴では新郎新婦の愛情深さがその視線から伝わってきて、頭を抱えたくなるくらいしあわせだった。
 言い出せばキリがないほど、幸福な記憶に満ちた一日だった。  その中でも一番印象的だったのは、新婦の友人代表の挨拶。それは、結婚式場の広い窓から見える鴨川を背にして、こんな言葉で始まる。  「学生時代、この川沿いを歩いて、色んな話をしたよね」  少し上擦った彼女の声からはどうしようもない喜びが溢れ出していた。  ああ、今、わたしの目に何の変哲もない街の一角として映っている風景がこの人たちにとってはかけがえのない思い出の詰まった特別な場所として像を結んでいるのだ。  笑ったり、泣いたり、喜んだり、かけがえのない時間が、彼らの歩んできた人生がここに詰まっている。そんな場所で彼女は真っ白なウェディングドレスに身を包み、最愛の人を心底愛し気に見つめている。その事実に気付いてしまったとき、涙を拭うのも無駄なほどに泣けてきた。柔らかな口調で語られる新婦と友人たちの間に築かれてきた友情、親愛、無数の思い出たちがどうしようもなく愛しかった。  そして、メッセージはこう続く。 「あなたに出会えて人生ツイてた」  なんて最高な言葉なんだろう。  わたしも人生ツイてた。とんでもなくツイてた。星の数ほど人間がいるインターネットの片隅であなたと出会えた。素敵な人だな、話してみたいな。そう思った人と仲良くなれたこと。誰にも会いたくないけど、誰かに傍に居てほしい夜、君の言葉が凍えた胸に明かりを灯してくれたこと。わたしたちの間にあるのは、そういう単純な喜びの積み重ね。  出会ったのが学校なのか美術館なのか会社なのか海外なのか。わたしたちはたまたまインターネットだっただけだ。Twitterがなかったら出会えなかった。嬉しい日も悲しい日も何でもない日もひっそり積み重ねてきた無数の言葉がわたしたちを繋いでいる。  インターネットと友情なんて、そんなもんでいいんだ。だって、あなたが特別なことに変わりはないのだから!
 ご結婚おめでとうございます。どうか末永くお幸せに。
【追伸】  結婚式への招待を頂いた日、行けない人も含めて、インターネットのみんなでお祝いしたいと素直に思った。こんな幸せ、わたしだけで感じるのはずるいじゃない?  だから、色んなフォロワーさんからこっそりメッセージを集めた。本当に凄かった。誰の言葉も彼女への強烈な愛に満ちていて、作成作業中から感極まって泣いてしまったくらい。  二次会でメッセージブックを渡した瞬間、彼女はきょとんとしていた。そうだよね。急に貰っても意味が分かんないよね。でも、表紙をめくったところで気付いたあなたが「無理!」って叫びながら泣き出したから、ガッツポーズしちゃった。  協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
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