Tumgik
snk-u · 4 years
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米国4年目スタート(の前の3年間振り返り)
いつの間にか気がつけばアメリカ生活3年目が終わった。J-1ビザが終わる頃までにはどうにか研究をまとめたいと思っていたのだが、ここ半年はCOVID-19の影響もあり、実験の進捗は予定の3割程度に止まっている。2歳児と一緒に家で研究しろというのは無理なことである。一方で彼の人生の進捗(身体的、言語的、能力的)は凄まじいものがあり、うらやましい。H-1B申請も見えてきたこの頃であるのだが、Jの切れ目が日本との切れ目などと脅されながら毎日を楽しく(!!!)過ごしている。
1. 研究の進捗
研究は思ったほどなかなか進んでいない。3年間を振り返ると最初の1.5年は何もしていないに等しい。酵母に鞍替えしたものはいいものの、ラボで酵母をやっていた人がほぼいなくなっていて、また何も教えてくれなかったため、自己流でメソッドを整理していくのに時間がかかった。また、前任者のデータがボロクソでそれの訂正をボスに認めさせるまでが大変だった、前任者が全く管理していないコードを書いていてそれを諦めさせてFijiに移行するまでが大変だった、ボスと私の方向性が全くすり合わせられてなかった、ラボの研究スタイルに合わせるまでに時間がかかった、など理由はいくつも挙げられるがまぁ大変だったのだ。前任者はとても優秀だったがその分その間違いをボスに認めさせるまでには大変時間がかかった。彼の振る舞いのせいで2人ポスドクが去った。思うことは多々ある。本当に尊敬できるボスなのだが、身内にはとても甘いのだけが難点である...色々あったが、今となっては信頼も勝ち得ることができたと思う。そして、酵母は酵母で全くイメージングさせてくれない。減数分裂という特殊な細胞周期下で染色体も思ったよりもダイナミックに構造を変化させているので全くイメージングがうまくいかなかった(現在進行形)。ちょっと前調べが少なすぎたのが原因である。あと、自分自身が遺伝学の考え方やプロジェクトの進行方向に慣れるまでにも時間がかかった。最初の1.5年はほぼNO RESULTSでこれはやばいかもしれん...と日本に帰国したとき、いろいろIさんにお話を聞いてまぁ大体ポスドクはそんなもんだよ、俺も最初の3年は測定機械すら動かなかったし、とのお話を聞き、一念発起。テーマをガラッと変えて始めたらすんなりデータは取れた。変更してから1発目でそれなりのデータが取れておおお!!!これいけるで!!!!となったのだが、それからが大変。まずそのデータの重要性をボスに認めてもらうまでに半年ぐらいかかった。そしていくつか仮説を立ててこれでどうじゃ!と思っていたのだが、ボスにはそれをことごとく突っぱねられ、小さな仮説を立てるな!もっと観察しろ!と言われた。小さくまとめようとするたびに破壊される、を繰り返すことになった。結局、その後1年程度観察に費やすことになったが、これは本当にボスのスタイルが素晴らしいと思った。私が当時考えていた小さな仮説なんかはゴミで、かなり大きくどっしりと構えられるようなデータがちょこちょこと集まってきた感がある。ただ、「ちょこちょこ」なのが問題なのだが... ボスにアプリケーションを出して初めて面談した時に最低5年はラボで研究してくれるか?と念を押されて当時は早く結果を出して次にステップアップしたいと思っていたのだが、このスタイルなら納得である。時間がかかる。他のポスドクからボスは無限時間空間に住んでいるから気をつけろよ、と言われたがその通りであった。よく焦るな、ゆっくりやれ、と言われるが時間が命のポスドクにそれはなかなか難しいのである...というわけで2年すこしぐらいたったところで、仮説ドリブンをやめて観察重視のスタイルに移行した。その中で大きい現象は2個、小さい現象は3個ぐらい見つけられた。いくつかまだ観察したい部分があるのでそれらの中から1-2個おもしろい現象が見つけられればいいなと思う。まぁどうにか論文にはなるだろう...今は、とにかく予想外のものをいくつ見つけられるかゲームになっている。Assayが完成すれば研究が進むからAssayを整えろとはよく言われるが、ラボで今までイメージング論文が出たことがなかったのも遅延した原因だったかな。まぁとにかく、減数分裂期の酵母のライブセルイメージングは大変なのである...あと前任者が試したことをほぼ踏襲できなかったことも問題だった。二度手間をかなり踏んでしまった。蛍光タンパク質もかなり色々調べたが結局最初のもの以外は使い物にならなかった。もう一つ、ラボの大きい標語として”Nothing perfect.”というものがある。できるものでやるしかない。まぁ現状散らばった観察データがあるだけなのでこれらを如何に繋げるかに頭を悩ましている。とりあえずMolecular Basisにまで落とし込みたいのだがそれで解決できる問題なのかもわからない...(おそらく一個の遺伝子がどうこうではない)。ただ最近竹市先生のコラムをいくつか読んで元気が出た。がんばるしかない。ぼちぼち固まってきたので今年の終わりまでが一つの山場である。また報告できるように頑張ります。
2. 論文
といいつつ、以前にも書いたボストンクロマチンクラブのメンバーでこっそりレビューをMol Cellに書いた。筆頭著者17人の鬼論文である。ここのメンバーは強い人ばっかりなので本当に刺激になる。また遺伝研に残してきたそこそこ大きいデータの論文もまた動き始めたらしいので近々そこそこのところに出るだろう。年末に一個inviteされている論文をまとめなければいけない。来年、再来年にもポンポンと論文書けるかな。
3. ポッドキャスト
そんなこんなでなかなか進捗が出ていない状況だったが、ポッドキャストだけは進捗が凄まじい。researchat.fmというポッドキャストをやっている。振れば進捗が出る打ち出の小槌状態である。初めて1.5年ぐらいが経った。最初はリスナー数人だったが、現状では4桁のリスナーがおり、新しいスタイルのアウトリーチ活動になった。エピソードも75話まで増えた。バキバキの論文紹介から雑談まで幅広く話しているおかげで、研究者ではないリスナーもかなり部分を占める。なんだかよくわからないけど聴いていて楽しいから聴いているという人も多い。以前研究者の間でブログが流行っていたようにこれからはポッドキャストが流行ると思う。というか期待したい。編集も収録もYouTubeなんかと比べれば圧倒的に楽である。あと文章を推敲しなくていいのでブログよりもある意味楽である。アメリカでは大人気のポッドキャストだが日本では今ひとつの知名度と人気であるのだが... そんなこんなでビギナーズラックもあり、ニッポン放送とSpotifyが主催したジャパンポッドキャストアワードにおいていま聴くべきポッドキャスト20作品に選ばれ、最終選考でも審査員をしていたアナウンサーの宇垣美里さんとOTOTOYの竹中直純さんには1位の評価をいただいた。光栄なことである。よくこんなクソマニアックなポッドキャストを聞いてくれたものだ...全体としては2位の得点だった。内容の特異性から賞に幅を持たせるのであればワンチャン選ばれるかもと思っていたのだが、全体の2位まで行くのは予想外だった。すさまじい進捗である。これに選ばれたことで叩かれたりもしたが、全体としてはリスナーが増えて定着してくれたので我々としてはありがたかった。この賞に関しては賛否両論、否の意見がとても大きく目の敵にしている人が多いのでこれ以上は言及しない。ただデータとしてはリスナーが増えた。というわけでポッドキャストだけは進捗製造機として頑張っている。ポッドキャストのメディアとしての独立性と研究者との相性の良さなど色々考察はあるのでまたどこかで書きたい。研究者が発信のためのメディアを保持することはこれからとても重要になると思っている。これを読んでくださっているごく少数の研究者の方、ぜひゲスト出演お願いします。かなり広告にもなると思います。リスナーは大学生-大学院生もかなり多いみたいです。そもそもこのブログが全く更新されなくなったのはポッドキャストをめちゃくちゃやっているからというのが主な原因である。ここのブログをみているかたであればep48やep44などがおすすめである。なんと遺伝研の非対象分裂で有名なS先生も熱心に聴いてくださっている。未だに私が遺伝研の同じ棟の下の階にいた人間ということはバレていないようなのだが(笑) ちなみに、いっしょにやっている谷内江研のsoh君が書いたポッドキャストの記事が実験医学に掲載されたので興味のある方はよろしくお願いします。以下から読めます。第123回 ポッドキャストで語るサイエンスとその魅力
4. 英語
3年目ぐらいからかなり英語はマシになってきた。マシになったというレベルだが... とりあえずJoe Roganのポッドキャストを聴いているとかなり聴こえるようになってきたのでゆっくり改善はされている。とにかくCOVID-19で話す機会がかなり失われたので、オンラインジャーナルクラブとボスとの定期ミーティング、ラボでのオンラインお茶会を設定し、話す機会を作っている。あと新聞を読み始めたのがすごく大きいか��。大学のアパートに住んでいて、定期的に新聞が配達されるので、それを斜め読みしている。活字情報は大きい。 という感じである。ポッドキャストのおかげでブログを書くチャンスがなくなっていのだが、内面的なことは話せないためにここで書いていくことにする。これを読んでくださっている先輩研究者の皆様方、いつもありがとうございます。日本に次に帰国できるのはいつになるのだろうか...
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snk-u · 4 years
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気がつけば3年
気がつけばアメリカに来て3年経ちました。まとめブログを近々書きます。
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snk-u · 5 years
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引っ越し(二回目)
明日はハーバードにやってきて二回目の引っ越し。すなわちアメリカに引っ越してきて3軒目のアパートに移動する。ハーバード周辺は家賃が爆発しており、命を削る思いであるがしょうがない。
毎度、どの物件にするか悩むのだが、これからハーバードやMITに留学する方のために情報を書き留めておく。
大体日本人ならBIC(Boston Internet Community:ボストン在住日本人用の掲示板。物の売り買いや物件情報の交換が頻繁にされている)かcraigslist(アメリカの掲示板)から始めることだろう。私もこの二つをとある方から教えていただき、色々と使ってみた。これら二つはBroker Fee(仲介料、だいたい家賃の1-2ヶ月分が相場)が無料であることが多く、色々トータルでみると安くなるケースが多い。逆にBroker Feeが無料でないと旨味はない。
craigslistは詐欺情報も多いとのことで、事前に物件をチェックすることが難しい日本から米国への引っ越しの場合得策ではないかもしれない。それに比べて日本人間でやりとりができるBICは安心感がある。しかし、私はBICの物件にいくつか当たったが、返信が来たのは一つのみでその物件も非常に怪しく遠慮させていただいた (色々と調べるとやばい物件で今も時々BICにその物件のポストが出ている)。シーズンから外れていたこともあり、BIC上の物件は少なく、他のルートで物件を探す必要があった。
今になって思う、アメリカと日本の大きな違いは、アメリカにおいて安くていいものは日本と違ってほぼ存在しないことである。average以下の物件(もしくは物)はそれなりの理由があるの(経験的に)で気をつけたほうがいいかもしれない。基本的にYelpかAmazonのレビューを見れば物件なり、商品のコメントをみることができる。低評価のコメントをみるといろいろしることができるだろう(高い評価のコメントはどこまでがステマなのかわからない...)
次に、アパマンやエーブルのボストン支店に連絡したが音沙汰なし...こちらもBroker Feeが高いので、ここを通すのであれば現地の不動産屋とやりとりしたほうがいいかもしれない。もちろん、英語的な負担を軽減させることはできる。
最後に、困りに困ってしまい、以前ハーバードに留学していた先輩に相談した。するとAAAとBBBという物件に日本人がたくさん住んでいるのでその辺りの物件を取り扱っている不動産屋に連絡してはどうか?と教えていただいた。それらをググると空き部屋がある不動産屋があったので、その不動産屋とやりとりしてその物件を無事おさえることができた。ボストンに来てわかったのは、ハーバードやMIT周辺は病院関係や会社関係で、先輩からこのような物件の情報を後輩が仕入れているケースが多く、その結果、日本人密度が異常に高いコンドミニアムやアパートがいくつか存在している。そのような物件は安心感もあるし、値段もお手頃なのでそういう物件を周りの人に聞いてみるのもいいかもしれない。(この物件が知りたい方がいればご連絡ください)
ただ入居時に、不動産屋が入居の前に4ヶ月分の家賃(入居月と退去月、Broker fee、deposit)を小切手で払ってくれといってきた。これはとても高額で、アメリカに口座を持っていなかった私はとても困ってしまった(小切手払ったこともないし)。ハーバードスクエアのBank of America(通称バンカメ)はすぐに口座を開くことができ、仮の小切手ももらえるので、そのあとすぐにお金をうつして、小切手で無事支払うことができた。この辺りも事前に色々と情報を調べておいてよかった点である。(以前は日本でCiti bankの口座を開いて、みたいな感じで簡単にできたのだがCiti bankがアレになってしまったため、これだけテクノロジーが進歩しているのに、2010年と2019年を比べると2019年現在の方が劣っているという歪な状態になっている)。
と、ここまでが日本->アメリカの一回目の引っ越しでこれはとても大変だった。全く読めない不動産の資料に目を通し、英語のメールをかなりやりとりしたおかげでぐんぐん英語力がアップしたのはいい思い出である。
しかし、先輩はMedical Schoolエリアで研究をしていたため、Cambridgeエリアで研究をしている私には、このコンドミニアムから片道1h弱のバス通勤が辛くなってきた。そこである人の紹介でCambridge周辺のシェアハウスに入居することとなった。実はこのシェアハウスに入る前に違うシェアハウスを見に行ったのだが、そこは呪怨というかもう負の念が漂いすぎていたのですぐに断った(そのあと知り合い二人がその呪怨シェアハウスに入居することになるとは...)。もう一つ、非常に魅力的な物件(明らかにaverageを破壊している物件だったのだが大昔の値段据え置きということでいいということで実現していた。かつラボから徒歩5min)があったのだが、そこはいろいろな問題が生じ破談になってしまった。そこで紹介していただいたシェアハウスに住むことになった。メンバーも愉快で非常に快適な生活をしていた。
もちろん、全てが快調なわけがなく、問題もいくつかあった。大人6人に対してバスルームが一つしかない、大家さんも一緒にすんでいるため大家さんがパーティーを開くことに文句は言えない、大家さんが長期留守の時に勝手に部屋を他人に貸し出す、キッチンがやっぱり狭い、などなどである。大家さんが一緒に同居しているというのはパワーバランス的に公平ではなく、ちょっと良くなかったなと思っている。バスルームが一つしかないというのはかなりの問題であったがほぼラボ住みの私にはあまり関係はなかった。
そして、最初の愉快だったメンバーのうち、大家以外が全て抜け、新しい入居者がやってきて問題が始まった。そのうちの一人は非常に人格に問題があり(おそらく極度の自己愛性)、虚言癖があり、さらにいかに自分を大きく見せるか、そして他を貶めるかという話を聞くのはとても不愉快だった。年がいった物理屋の大学院生だったのだが、生物がいかにつまらない学問か、ということをよく話していて非常にイライラした。色々と衝突があり(というか一方的にされ)、他にもいろいろと状況が変わってきたのでシェアハウスから出ることにした。彼が入ってくる前に、私も面接に立ち会ってコメントするべきだったと反省している。しかし、このシェアハウスの大家さんには非常に感謝しているし恩義を感じている。引っ越してからも交流を続けていきたいと思っている。
また物件選びが始まったのだが、今回はHUH (Harvard University Housing)を思い切って使ってみた。たまたま物件を探し始めたタイミングがよく、ハーバードが所有するOn-Campusの物件の選考に滑り込むことができた。この選考は3月から4月の終わりまでに登録する必要があり、登録後様々な条件から抽選会の順番が割り振られる。例えば子供がいたり妊娠していたりするとだいたい1-2番目の抽選会に割り振られるが、大学院生とかだと10番目の抽選会になったりしてそうなるとほぼ目的の物件に住むことはできない。すなわちそれぞれの枠の中の人から物件をドンドン取っていって、下になればなるほど余り物しかこないということである。
抽選を行う日程は後日伝えられ、1日目は情報の下見、2日目に選択という感じになる。ちなみに、自分が何番目の抽選会なのかはわからない。実際の抽選がどのようなプロセスで行われるのか、全くわからない状態で1日目の情報の下見が終わった。とりあえず物件を3個程度に絞っておいた。そして2日目になって、抽選会の開始時間から少し(5分ぐらい)遅れてログインするとすでに3個のうちの一つが取られていた。まさかの早い者勝ちだったのである。焦って残りの二個のうちの一つを入力するとすぐに契約内定という感じになった。まさか早い者勝ちだったとは...
おそらく抽選会は1-10ぐらいに割り振られ、それぞれが二日間ごとに分けて行われていく。5/10(抽選1-1日目), 5/11(抽選1-2日目), 5/12(抽選2-1日目), 5/13(抽選2-2日目)といった感じだろう。何回目の抽選会かという情報は得られないため、だいたいの目安で割り出すしかない。日程的におそらく8-10に割り振られていた学生たちが某掲示板で文句を垂れ流しているのも見た���後半になればほぼ目的の物件が残っている可能性はないので、割り当てられた抽選会の日程から何回目の抽選会であるかを推定し、他の物件にあたるか、HUHの抽選会にかけるかという選択をしなければならない。
HUHはbroker feeもなく前金もなかったので非常に助かったが、値段はそれなりに高い... とりあえず、ここでハーバードのポスドクが終わるまでは頑張る予定なのでモリモリ実験していきたい。
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snk-u · 5 years
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Neuralinkとイーロンマスクのこと
イーロンマスクのファンボーイになったのは、いつ頃だっただろうか。2008年の夏頃にTeslaの話を聴いて知ったのが最初だったと思う。なにやらすごい人がいるということでゆるく追いかけてきたが、さすがに今回は度肝を抜かれた。イーロンマスクは、0->1にするわけではないが1->100000にする天才である。どういう狙いで獲物を狙っているのか興味があるのだが、基礎技術はあって、お金をしっかり投入してR&Dをぶん回せば勝てる!みたいな分野の選び方が非常に上手である。このマスクの公式は以下のブログに詳しい。
https://waitbutwhy.com/2017/04/neuralink.html
このNeuralinkは絶対に我々のポッドキャスト、researchat.fmで取り上げなければならない!ということで.1.5日ぐらいをかけてNeuralinkタイムアタックを行なった。ブレインマシンインターフェース周りの情報も全くない状態から始めたがなんとかなるもので、網羅的で、かつディープな内容を話せたと思う。その時の血と涙の資料が以下である。
https://researchat.fm/blog/3/
https://researchat.fm/episode/19
他にも日本語の記事が出ていて、とても読まれているものもあるが、「これを書いた人は、論文も読んでないし、発表も全然聞いてないよね?」といった感じで少し悲しい。まぁわかりやすさ重視で読みやすいのは間違い無いのだが。
ポッドキャストはおかげさまで19回まで続いており、iTunesの全体ランキングでは40位 (吉沢明歩大先生の一つ上!)、テクノロジー部門では1位まで上がることができた。これからもゆるく続けていきたいと思っている。
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snk-u · 5 years
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お遍路を回った時のこと
大学三年生の夏に自転車でお遍路を回ってからちょうど10年がたった。長野であった研究会合宿から帰ってきた次の日、2009年の7月28日の朝に藤沢をでて、自転車(ママチャリ)で有明まで行き、そこからフェリーに乗って徳島まで渡った。徳島から高知、愛媛、香川、と全長約1400km。2009年の8月10日まで、友達と二人でお遍路を回った。これは一生の記念になった。
なぜお遍路に回ったのかと聞かれるが、お遍路を回れば人生の何かが変わるかもしれないと思ったからだ。当時は、とても気分が落ち込んでいて色々なことがうまくいってなかった。心に思い描いていたバラ色の大学生活などは存在しないことが入学二週間で判明し、周りのリア充陽キャ学生ともチグハグで全然噛み合わなかった。学部二年生のころから研究活動に入ったおかげで気分もかなり上向きになったが、それでもぼんやりとしていた時も長く辛かった。そんな時にふとお遍路を回ろうかと思い、一年ぐらい色々と準備をして実行した。
そこそこ色々なところに旅行に行ったが、”旅”といえるのはこのお遍路だけだといえる。ママチャリによる自転車お遍路だったが、20番鶴林寺を超えたあたりから肉体の限界を超え、色々と自分の中で変性がおきていくのがわかった。アドレナリンが出まくっていたのか、トランス状態になっていたのかわからないが、残りはずっとハッピーな状態だったし、ある意味あの時から今までずっとハッピーである(という意味ではお遍路はおわっていないのかもしれない。)
途中、色々な人に出会った。二日目に、家に泊めてくれたおじさんから「お遍路さんには理由を聞いてはいけないよ。みんなそれぞれの理由があるから。」と言われた。途中、小さな仏壇を背負って歩く方もいたし、お遍路ジプシーといって、お遍路から出られなくなっていた方もいた (実際に100周ぐらいまわったという人の記念石碑も立っている)。思い出は多く、今でも昨日のことのように思い出せるぐらい強烈な体験であった。
「四国出身の人間は人生のどこかでお遍路を回る」と言われているが、お遍路に回った人をほとんどしらない (車で回った人はすこしいるかもしれないが)。何か辛いことがあるのであれば是非行って体験してもらいたい。60番横峰寺で出会った言葉は私の座右の銘である。
「道があるから歩く。道がなければ拓いて歩く。」
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snk-u · 5 years
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植物の時間
ラボに引きこもりすぎているからなのか、ボストンにおける冬の日照時間が短すぎるのかはわからないが、短パンを履くと肌の異様な青白さが気になる。全く健康的な見映えではない。そして、気温は上がっていないにも関わらず、6月に入ってから、冷房は効きすぎて長袖が手放せない。そこで、日中、天気がいい時は、日光浴がてら、大学周辺を散歩している。
大学近くの、Cambridge Commonは非常に良い散歩ルートである。ラボから往復するとちょうど40-50分の散歩になる。アメリカ独立戦争に関係するモニュメントがいろいろとあるが、その中に、指揮官ジョージ・ワシントン(初代アメリカ大統領)が初めて指揮をとった場所というものがある。そこには一本の木が立っており、プレートには「1775年に、この木の下で、ワシントンは初めて指揮を執った」とある。
つまり、この木はアメリカという国の始まりから、今までの間、ずっとこの場所で佇んでいたわけである。ほほぉーと言いながら木をポンポンしたりしてみるが、あまり知られていないのか、細いこの木を気にかける人はほとんどいない (夏になると旅行者が大学には大量に溢れかえっているが、この場所に来る人はほぼいない。)
以前、近所に住んでいた静岡の三嶋大社には、大きな金木犀が生えていた。この金木犀はなんと樹齢1200年らしい。国の天然記念物にも指定されている立派な(けれども、もうすぐ死に果てそうな)金木犀である。また、三嶋大社は源頼朝が打倒平家の旗揚げをした場所としても有名である。頼朝の挙兵は、1100年代なので、この金木犀もすでにここにいたはずで、頼朝がなんかやりよるな、ぐらいにはおもっていたかもしれない。
香川高松の栗林公園には約1000本のお手入れ松がある。それぞれの松に対して、専門の植木職人が付いており、責任を持って管理している。すなわち、松にとって、とてもホスピタリティの高い場所である。もちろん、松の方が人間の寿命より一般的に長い訳で、それぞれの松に就いている職人は入れ替わっていく。栗林公園ではないが、「松守り」として植木職人のある家系が代々メンテナンスしている松の話を聞いたこともある。
こう考えていくと植物の時間は非常に興味深い。以前、一部の植物研究者は、人生で実験が30回しか行えないという話を聞いた。年一回に咲く植物の研究をやると、31歳から60歳までの間で、30回しか行えないということである。それはまだ年一回咲くから良い方であって、例えばリュウゼツランは60年に一回、竹にいたっては、120年に一回しか咲かない。こうなると一人の人間が、人生を通じて実験を一回行えるかどうかということになる (もちろん一つの個体がそれだけの頻度で咲くということで、個体が異なれば咲くタイミングは違うのかもしれない 。)さすがにこういう生命活動を人類が解き明かすのは難しいのか��と思うし、本当の意味で人智を超えている。
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snk-u · 5 years
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東京オリンピックのチケット先行抽選予約
東京オリンピックのチケット先行抽選予約が火曜日までということで、おそらく行かないけど予約ぐらいしてみるか?とサイトに行ったら1時間待ち。
放ったらかしにしてて、順番が回ってきた1時間後に「どれどれ」とみようとすると、海外からは予約できないとのこと...
1時間前におしえてくれ〜と思いながら、まぁオリンピックに行くことはどっちにしろなさそう。
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snk-u · 5 years
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勝俣カット in USA
アメリカでの坊主生活も一年を超えてきたあたりでそろそろ脱坊主の時かな、と思い始めた。大きな理由はシェアハウスに引っ越したことで坊主の手入れが大変になったことである。髪は伸びに伸びており、もう坊主の痕跡がなくなってきていたところで、ちょうど日本への帰国が重なったため、そのタイミングで日本の床屋にいった。その結果、ある程度長さを整えたいい感じの髪型になっていた。しかし!これをどうやってアメリカで維持するのか!これが大きな問題である。そろそろ日常会話もこなれてきたことだし、バーバーに行きますか!と思い立ち、床屋 in USAに出向くことにした。周りの日本人男性の知り合いの多くが、セルフカッター or 坊ザーであるため、まず床屋選びから始める必要があった。家からほど近くにある、時々ふらついているMIT生協の地下に、これまたほどよい感じのバーバーがあるのを発見した。クルーカットが$14で、レギュラーカットが$16と書いてある。なかなか安いではないか。中を見るとアジア系と思われる男性店員が暇そうに新聞を読んでいる。これだとアジア人の髪を切るのも問題ないであろう。よし、次回来た時にここで切ろう!と決めた。
しかし、クルーカットとは一体何なのか。クルーカットというと恐怖作家の平山夢明さんが話していたクルーカットのヤーさんの話を思い出す。「クルーカットの怖いヤーさんがいたんだけど、絡んできた酔っ払いの顔面を壁に擦り付けてわしゃわしゃってやったら白い玉がにゅるって飛び出したんだよ。人の顔って、壁にワシャワシャ擦りつけるだけであんなになっちゃうだよ。」というとても恐ろしい話だ。というかこの話のせいで私の中ではクルーカット=怖い人なのである。
クルーカットが何なのかいまいちよくわからないが、まぁなんとかなるだろうと思い、今朝その床屋に行ってきた。さすがに必要とされる英文は調べておくかと思い、事前にググって最低限の会話文は脳みそにインプットしておいた。9:00オープンなので、ダンキンのアイスコーヒーを飲みながらMIT生協で適当に時間を潰して、9:00ジャストに床屋に行くとすでに3人、お客さんがいるではないか... というか一人はすでに髪を切り始めており、もう仕上げの体制に入っている...なんて自由な空間なんだ。前述のアジア系の店員さんが一人で切り盛りしながら”I need more hands today! Crazy busy!”と笑いながら髪を整えている。最初の欧米系と思われるお客さんはその後1分以内程度で仕上がり、ささっと支払いを済ませた。その髪型はファイトクラブのブラピのような感じではないか!ささっとクルーカットをググると、なるほど、両サイドとバックをいい感じで刈り上げてトップは残す!みたいなやつっぽい。これはいい感じじゃないの!というかこれは角刈りだな!と思いながら待っていると2人目のお客さんも超高速で髪が整えられていく。そしていい感じの髪型に7-8分で仕上がり、10分程度で颯爽と帰っていった。日本の1000円カットも驚きのスピードで髪を仕上げていく店員。さらに驚きなのはその店員が延々としゃべっているのである。こーれは俺の英語力で対処可能なのか?と思いながら待つのだが、3人目のお客さんが、強面の恰幅のよい(というか体がめちゃくちゃ大きい)中国系と思われる男性なのである。眉毛は整えられており、髪もかなりいかつい感じだ。ここの常連なのか、店員とかなり気さくに話している。この人もクルーカットでブラピかぁ、と思いながら見つめていると、肌が見えるぐらいの短さでサイドとバックを刈っていくのである。おいおい、ちょっと待ってくれよ。最初の二人は結構いい感じに整えていたのに、そんなに刈っていいのか?と恐怖に襲われる。客と店員の間で”Shiny”と”Square”という単語が行き来しているのが聞こえる。Shinyは光沢でSquareは角刈りか?わからんけど!と震えている間に、仕上げに入っていた。そして、仕上がったのはトップに島があり、前髪がチョロンと垂れ、地肌が見えているぐらいに周りが5厘程度に刈り込まれた強面のおじさんだった。こ、これは...と震えていると自分の番がきた。
まず、事前学習しておいた英語を駆使して、最後にカットしたのは2ヶ月程度前であることと、サイドは刈ってもいいが、トップは残して欲しい、しかしサイドも前のお客ほど剃るのはやめてほしい、ということを伝えるとOK!OK!と陽気にバリカンをガンガン入れていく店員。どこで働いているのか、どこからきたのか、今週はどこに遊びにいくのか、土曜日は休みなのか?といった個人情報に関するトーク(尋問)を繰り広げながら、ガンガン髪が剃られていく。もうこの店員に身をまかせるしかないと思いながらおじさんと話してるのもつかの間、7分程度経ったところで、仕上げに入りました!という雰囲気をビンビン感じた。バリカン8割、ハサミ2割のヘアカットが終わった後、”Cut more???”と聞かれた。ふと鏡に映った自分をみるとそこに映っていたのはファイトクラブのブラピではなく、勝俣州和だった... クルーカット in USAは、勝俣なのか...???しかし、どう足掻こうとも、いつの宣材写真かわからない、年齢不詳の勝俣州和の髪型にそっくりなのである。おそらくこれを読んでくださっている読者の心の中の勝俣州和と同じであろう。自分の中でなぜ勝俣ヘアーになっているのかを瞬時に整理した。サイドは結構刈り上げてくれてスッキリしたのだが、トップをあまり切らないで欲しいという要望を聞きすぎてくれたせいか、前髪が大量に余っており、それが上に向けて立たされていたせいで勝俣ヘアーになった、という結論に達した。クルーカット in USAはブラピではなく、かっちゃんだったのかと凹みながら、フロントとトップを切ってくれるように頼んだ。そんなに切ると髪を流せないよ?と言われたが(多分そういっていたと思う)、とりあえず勝俣ヘアーではこの先しばらく実験をやっていく気力がわかない。
前髪をささっと整えてくれた。結果的に、普通の髪型になった。クルーカットの$14に、チップを加えて支払いを済ませた。なんとも張りのある土曜日の朝だった。
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snk-u · 5 years
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坊主 = fashion parameter –1
渡米の際、髪型をどうするのかという問題が浮上し、周りに色々と聞いてみた。周りの留学帰りの人たちに話を聞くと、大体3パターンに分けられた。1. 坊主。 2. 伸びるだけ伸ばして長髪。 3.がんばって床屋にいく。そして割合としては1>=2>3といった感じだった。1の人たちの話を聞くと、床屋に行ってコミュニケーションが取れる気がしない、アジア人の髪は硬くて太くて切りにくいらしい、経費削減などなどという理由だった。2の人たちは1の人たちと同じ理由ではあるが、坊主はあり得ない!という感じ。3の人たちは伸ばすのも坊主もありえんだろう!床屋ぐらい行け!といった感じだった。
一方自分自身としては、ここ数年、髪を染めまくるか、伸ばしまくってちょんまげ風にするか、坊主にしたいという欲求がフツフツと湧いていた。しかし、染めるのは大変だし、ボチボチ毛根が気になるお年頃。ちょんまげ風にするまで伸ばすのは大変だしなんといっても汚らしい。いいタイミングだし、ここで久々に坊主にしようということになった。
坊主にしたのは大学一年生の時以来だった。その時は、体育会剣道部の出稽古のためにM大学に行き、人間には耐えられないと思われる負荷をかけられた次の日、見事に寝坊してしまった罰として5厘ヘアーにさせられたした。
坊主に自分でしようかと思ったが、髪がかなり伸びていたので、渡米直前に1000円カットで坊主にしてもらった。するとどうだろう。脳が自分自身だと認識できないぐらいに違う生命体が、鏡に映っていた。そこから渡米するまでの一週間弱は違和感があまりにもすごく、とても変な気持ちで過ごしていた。しかし、その異様な光景に慣れてくると、過去の自分は消え去った!という感じでスッキリした気持ちになった (これはある種の自傷行為のような気がしなくもない)。
しばらくすると、坊主にしたことで、髪型というファッションパラメーターを削除することに成功したことがわかった。私は、髪を切りに行くのがとても面倒臭いと性格で、髪の長さはかなり可変なパラメーターとして働いてきた (短い時は坊主、長い時は前髪が顎まで)。その長さによって服からメガネから帽子から靴まで、印象が変わってしまうことに対して苛立っていた私であるが、坊主にするとアラ不思議、そんなことを考える必要がないのである。そして、そろそろ床屋に行かなければいけないというあのイライラ感、床屋で聞かされるクソつまらない話、それにあーそうなんですね、とう相槌を打つエネルギー、そして床屋代。全てを0にできるとなると、これはとても良いのではないか?と思うようになった。
しかし、しばらく経つとそれなりに面倒臭い部分もわかってきた。最初は二週間に一回の感覚で剃り上げていたが、たった二週間に一回でも排出される髪の毛の量がかなりのボリュームなのである。そしてそれなりに時間もかかるし、気をつけていても髪がアチコチに散らばる。したがって、一週間に一回以上剃らないとそれなりに期待値以上の坊主を維持できないのである... そして何よりも、襟足の部分をうまく剃るのが難しい。うまく剃れずにいるとチョロチョロと伸び始め、田舎のヤンキーよろしく、襟足だけが伸びている坊主になってしまう (というか周りにそういうアジア人が結構いる...)
以前、某ベンチャーの社長が忙しすぎてドライヤーを二個、両手で使って乾かしているという記事を読んだ時に、合理性を求めるのであれば坊主にすればいいだろ、アホかよと思ったのだが、これは間違いだった。坊主はそのメンテが大変なのである!!おそらくあの社長は、坊主に一回手を出したのだが、それではメンテに時間がかかるので、ドライヤー二刀流という結論に達したのであろう。私が浅はかだった。そして、時間の経過とともに、坊主に対して新鮮味がなくなり、坊主頭の自分に飽きてきたのであった...  (続く
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snk-u · 5 years
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Ash選手(鉄拳)が日本にやってきた
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今年(2019年)の2月に福岡で行われたEVO Japanにおいて、彗星のごとく現れて優勝したArslan Ash選手。現地記者の記事による追い風もあり、パキスタンのゲーム事情に、人々の興味は高まっていた。鉄拳勢の黒黒(@kuro__kuro__)さんが発起人となって、クラウドファンディングで今年ののGWにAsh選手を日本に呼ぼうという呼びかけがあったので、私も一口、少額ではあるが応援させていただいた。
フライトのキャンセルなどが起こり、中々日本にたどり着くことができず、二日遅れでAsh選手vs日本勢(+Knee選手)の10先マッチが始まった。最近の鉄拳を全くプレイしたことがない、100%動画勢の私も、非常に楽しむことができた。試合の様子は黒黒さんのtwitchチャンネルで配信された(https://www.twitch.tv/kurokuro9696japan)。多くの観戦者がいたが、英語と韓国語のコメントの量には驚いた(特に韓国語でほとんど埋め尽くされていた)。国際的なAsh選手への興味の高まりを感じることができた。
結果的に、日本人選手に対しては19戦19勝0敗というとんでもない結果を残すことになった。途中、破壊王選手(10-9)と、用心boy選手(10-8)はあと一歩というところまでいったが、最後はAsh選手のねじり勝ちという感じだった。とりあえず、フルラウンドの、最後の1セットは絶対に取るという執念が画面上から伝わった。
さらに、韓国最強で世界最強と言われているKnee選手との試合は壮絶だった。結果、8-10, 10-3, 6-10でKnee選手が2-1で勝ち越した。最初の2マッチは1日目に行われ、Knee選手はその後韓国へ帰る予定だったようだが、急遽帰国予定を変更し、3マッチ目が行われた。その鉄拳にかける執念に、唯々圧倒された。
KNEEが対戦後に言ってたアッシュ戦の学習ポイント 1.近距離戦を有利に進めるのが得意なので付き合うべからず 2.相手の主力技がギリ届かない距離を維持している 3.16F以上の下段技をファジーガードするのが上手い 4.崩すためにはリターンの大きい二択をかける必要がある 5.真面目鉄拳では勝てない
— どんちゃん (@bonus_don)
May 5, 2019
1日目の2試合目のあと、Knee選手がマイク越しに、「ボタンを押すと負ける」と言ったようなことを発言した。韓国語で話していたので、コメント上では「なんて言ってるか誰か翻訳してくれ!」といったコメントが散見されたが、その後、翻訳勢ががんばって日本語にいくつか訳してくれていた。「ボタンを押すと負ける」とは一体どういうことなのか。次の日に、twitterであったり、ファミ通のインタビューによって、パキスタンで独自進化した「間合い」の鉄拳に対応するためには、そのような秘策が必要である、といったようなことをKnee選手の発言は意味していたがことが明らかとなった。黒黒さん曰く、その夜はKnee選手は悔しくて眠れなかったようで、そのアイデアを試すために1日準備してAsh選手と再度戦った。一方Ash選手もいろいろな試合を戦ったあと、興奮して眠れなかったようである(それはレッドブルを飲み過ぎなのでは?と配信を見ながら思ったが、二日目か三日目からは、水を飲むようになったので、その可能性も高い。)
Knee選手はそのアイデアを1日で自分の中に取り入れ、最終戦は10-6でKnee選手の勝利となった。多く試合がタイムアップで決まるという、とてつもない試合で、解説のどぐら選手が「いつからKneeは逃げ切りを考えているのか?もう残り20秒ぐらいから逃げ切りに入っているんじゃないか」といったようなことを言っており、鉄拳の競技性が高められていく瞬間を見られたような気がした(まぁ実際にプレイしないからわからないんだけど、そんな空気を感じ取ったということで笑)。
試合の後、Ash選手はつるとんたんでチキンクリームカレーうどんをたべたようで、うどんが世界を繋ぐと確信した瞬間でもあった (Ash選手はしょっぱいものと甘いものが苦手なようで、日本の料理は全般的に口に合わなかったらしい。その中でもうどんは問題なく食べられた、とのこと。)
最終日の試合後に��Ash選手がtwitchのコメントに対していろいろと答えてくれたが、私が英語で質問したこと(TWTの予定や、このブログでも紹介したQASIM MEER選手の実力)についても答えてくれて嬉しかった。
このようなイベントに少額ながら参加して応援できてよかった。主催者の黒黒さんに、本当に感謝したい。しかし、イベント中、クラウドファンディングに対して、リターンが付いていたことをすっかり忘れていたのだった...そういえば名前が画面上に表示されると言っていたがどうなったのかな、と後でいくつか動画を見返してみると、結構デカデカと右下に表示されていたことが明らかとなった。名前じゃなくて、もう少し他のことを書けばよかったなぁと反省した...このような企画がまたあれば、是非とも参加したい。
(でも、実際はとてもうれしかった。試合を見ている時は全く気づかなかったのだが、破壊王選手との9-9フルラウンドの時に流れていたのは特に記念になった)
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snk-u · 5 years
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沖縄そばがうまい
H Martに売っている冷蔵用の生麺ラーメン(特に味噌)のレベルが中々高くて、ラーメン屋に行く必要がないのだが、なんとなく買ったMYOJOのOkinawa SOBAがうますぎてもうこれしか食べていない。本当にうまい。MYOJOのインスタント沖縄そば(乾麺)もそこそこうまいが、生麺のやつはその2億倍ぐらいうまい。おすすめです。
http://sunrisemart-ny.com/default_eng/myojo-okinawa-soba-3p-396g.html
*長い間、ラーメンを食べていないので、日本のラーメンがどのような味だったのか忘れつつある昨今。大したことがない可能性も高い...
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snk-u · 5 years
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辛いものが食べたい
昔はストレスが溜まると食事の量が増えて体重も増えていた。そのせいで、卒論、修論、D論の時期には体重がガツンと増えてしまった。最近はその傾向はなくなり、無事体重も減ってきた。お酒もほぼ飲まない日々が続いている。その代わり、ストレスが溜まると辛いものが無性に食べたくなる。最近のお気に入りは四川式回鍋肉(Sichuan twice-cooked pork)である。一度調理した食材をもう一度炒め直すのでtwice-cookedらしい。中華料理屋で食べていると、二度ほど、他のお客さん(欧米系)に、そのうまそうな料理の名前を教えてくれと言われた。ただ辛いだけではなく、豚肉の脂の旨味が程よく混じり合っているので本当においしい。問題は20代半ばぐらいから辛いものを食べると50%ぐらいの確率でお腹が痛くなることである。まぁもう少し辛さを抑えたものを食べろよということなのだろうがそれでも週1ぐらいで食べたくなる。
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snk-u · 5 years
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Kosher Food/Ohenro/Camino de Santiago
昨日はラボセミナーが終わった後、いつも通り、ラボのティーを主催した。ティーとは呼ばれているが、Happy Hourのような飲み会で、その日のラボセミナーの発表者が準備する。最初は何を買ってきていいのかわからなかったが、最近はだいぶこなれてきた (経費はラボから落ちる)。
HarvardのMCBにおけるティーの文化はもともとJim Watsonが始めたものらしい。いつのまにかアルコールを持ち込んだ奴がいて、今のラボではそのような形(ティーと呼ばれているが、酒を飲む)に落ち着いたようだ。
いつも色々なトピックが2時間程度話されるが、昨日はユダヤ教のキャンプの話から始まった。一般的にアメリカでは、宗教と政治はタブーとされているようだが、ティーの時間にはガンガン話されている。その中でkosher food/mealの話になった。kosherという単語は、私が先週勉強した英単語の一つであり、自作の単語帳にはkosher:「適法の、清浄な」と書かれている。イマイチ使い方が分かっておらず、いい機会だったのでkosherとはどういうことを意味するかと聞いてみた。すると、ユダヤの戒律の中における料理の調理法や食材の準備の仕方にまつわる話を色々と聞けた。例えばバイブルの中に、「子山羊を、その母の乳で煮てはならない」という言葉があるため、それが拡大解釈された結果、肉と乳製品(たとえチーズであっても)を一緒に食べてはいけない、といった感じだ。 さらに、この二つを混ぜないために、厳格なユダヤ教徒の家には洗い場や、オーブンが二個あるという話も聞けた。親子丼はどうなるんだろう...と思ったがそういうことを聞く勇気と英語力はまだない...
そんな中で、「tadasuは何教徒なんだ?」という話になり、「一応仏教徒だ」という話をすると、「何かtrainingは受けたのか?」と聞かれた。厳格な仏教徒でもなんでもないのだが、20歳のときにお遍路を自転車で回ったので、その話をするとバカ受けだった。「それは立派なトレーニングだ!」といってくれた(これでいいのか?)。 イタリア出身のGuidoがスペインの巡礼路であるCamino de Santiagoの話をしてくれた。スペインを横断するこの巡礼路であるが、距離は800kmとのこと。お遍路は1400kmなので、一応お遍路の方が長いのか...まぁどちらにせよ厳しい距離である。ホタテ貝の印をたどっていくというところにちょっとRPG的な楽しみを感じた。他にも世界中の詩(+俳句)マニアであるJimから「Bashoのtour rootとは関係があるのか?」と聞かれた。おそらくおくの細道のことだろうと思ったので、ちょっと場所が違うと答えた。「でもShikiの生家の近くを通るよ」と答えると喜んで正岡子規とbaseballについて語っていた。凄まじい知性である。それと比べると自分自身は海外の歴史や作家について何にも知らないし、宗教についても何にも知らない。すこしずつ勉強していきたいとおもう。
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snk-u · 5 years
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何でもできるというのも困る
日本に帰る前は必死に新しい株のconstructionをしまくっていたのだが、時間を消費しただけで、うまくいかなかった。とりあえず新しい株作りを止めて、しばらくは手持ちの株で進められることを考えるように方向転換した。yeastは何でもできるが、それ故に無駄に株を作りすぎて発散していたのが問題だったように思う。理想の株を追い求めてしまう自分の性格にも問題がある。さらに、現状yeastで、不可能だったことを可能にするということは相当ハードルが高いことがわかった(死ぬほどすでに人が試しているという意味で)。また、constructionやcloningは、その作業をしているだけで、研究をしている気になってしまうのも問題である (実際は何もすすんでいないのに)。
そのため、元々あった株を注意深く見るようにした。そうしたことで不思議と、一週間たらずであるが、面白いものが見えてきた。今日、いくつかの知見をラボセミナーで発表したが、感触は上々だった。そうした中で、本当に作る必要がある株も見えてきた。Nancyからも、そしてラボメンバーからもいくつか見落としていた面白いポイントをさらに得ることができた。モリモリ進めていきたい。
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snk-u · 5 years
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トマト抜きで
米国に戻って、せっせとまた株作りをしているのだが、いろいろとボスと話して一つの方向性を決定した。これはそんなに難しくないからサクサクできるとおもう。自分の強みも活かせるし。
ラボのコレクションの中からめぼしい株を探すも、欲しい株ではだいたい”tdTomato”が赤色蛍光タンパク質として使われている。tdTomatoはDsRedのタンデムタンパク質としてRoger Tsienのラボで取られたもので、蛍光は申し分ないのだが、maturation timeがt0.5~1hであるため、減数分裂の一部のイメージングには向いていない(減数分裂時に起きるタンパク質の大規模分解のため、maturation timeが長い蛍光タンパク質は使えない。またtdTomatoは緑側への色漏れが結構気になる。)
なんでどいつもこいつもtdTomatoでラベリングしてるんだよ!!!と「トマト抜きで!」と言いたい気分である。
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snk-u · 5 years
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片道の値段
もう言われ尽くしたことではあると思うが、何故JALの成田-ボストン便は往復切符を買うと往復で(二枚で!)で15-20万円なのに、片道で買うと一枚60万円もするのか...以前は、海外学振の枠の中(~20万円)であれば自由に切符を買えたらしいが、最近は往復を買っても片道分(半額)しか支給されなくなってしまった。お陰様でjALの成田-ボストン直行便は買えない。(まぁ以前の人たちの往復で買って片道捨てるのも良くなかったみたいだが...) どうしたものか。学振支給内だとAir Canadaの片道切符(トロント経由)が現実的ではあるが、トロントでの米国入国(J1ビザ)がダラダラで遅いことは一部の人たちにとっては有名であるらしい(体験済み)。 Air Canadaでボストンへトロント経由で行こうとされている方はAir Canadaがsuggestしてくる乗り換え1.5h弱の便は選ばない方が良いかもしれない。Toronto-Bostonの最終便を選べば3.5h程度乗り継ぎ時間があるので余裕があるかと...入国審査には余裕を持っていきましょう。
前回Air Canadaを使った時はこのことを知らなくてヤバかったのだが、たまたま羽田の出発が遅延したおかげでトロント空港周辺のホテルに宿泊になり、難を逃れた....しかし、朝一のフライトに振り替えられ、入国審査が遅すぎて本当にギリギリで搭乗することができたのだが...(1.5h程度待たされた..怒り狂ってる人たちが結構いた)。 今日はどうなるか。今日もまた出発が遅延している...
P.S. 結果的に羽田での登場は40min近く遅れたが、出発は20minに収まり、到着もほぼ遅れなしだった。そのあとスムーズに動いて入国審査も突破したが、18:15のフライトにはギリギリ間に合う (18:13に審査を出られた...)かも、ぐらいなので、20:55をおとなしく選んだ方がいいかなと思います。普通の旅行者はこの方は限りではないです。席は結構空いていてかなり楽ちんなフライトでした。
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snk-u · 5 years
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シャキーン
ここ一週間、ぼちぼちシャキーンのMCが代わるのではないかとぼんやり思っていたのだが的中したようだ。いつからかラボに行く前にみていたシャキーンだけどめいちゃんとモモエちゃんが代わるのはさみしいなぁ、といいながらアメリカでは見られないんだけど... シャキーンの内容を見ていると、ウゴウゴルーガを思い出す。将来的にシャキーンがウゴウゴルーガ的な立ち位置になるのかな?(ウゴウゴルーガと江戸川乱歩を通ったかどうか問題のように)
ピタゴラスイッチ、デザインあ、バリバラ、NHK教育は本当に良コンテンツ多いなぁ。
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