Tumgik
sanshi63 · 2 years
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211218 広告マンになる前夜、工場夜勤とコピーライターの話
今年の宣伝会議賞が終わって一ヵ月が経つらしい。らしい、というのは、結局今年も一本も書かないまま気が付けば〆切を過ぎていたから。宣伝会議賞が今どのくらい盛り上がってるのか、おれはちゃんと知らない。コピーをちゃんと書かなくなって5年になる。社会人になってから、忙しさを理由に腰を据えて書くことをしなくなった。だけど、ネットにアップされている無数の書いたよ報告を見て、おれもなにかを書きたくなった。
だから、コピーにまつわる話をしようと思う。
大学3年生の夏から秋にかけて、当時英語英文学の専攻をしていたおれのまわりでは、海外留学ラッシュが起こっていた。日々大学近くの安居酒屋で飲んだくれてはヘラヘラと笑っていたおれをよそに、大学の友人たちは粛々と国内脱出の計画を進めていた。同じ学科で同じく飲んだくれていた友人たちも、一人、またひとりと日本を発ち、SNSでは海外の綺麗な海やら山やら、広々したキャンパスで外国人とスタバ片手に満面の笑顔を浮かべる画像がアップされ、なんだか取り残された気がしていた。
おれもなんか海外とか行きてえな、とか考えてはいたものの、留学資金もなければ東京での暮らしで既にいっぱいいっぱいだったおれには海外に行ったとしてなにかを得て帰ってこられる自信がなかった。悶々とした日々を送る中、ついに大学で一番仲の良かった友人もアメリカに行くことが決まった。成田空港でその友人を見送り、帰りの電車に揺られている時にふと思ったんです、「みんなが外国語を勉強するなら、おれは一年かけて日本語を極めよう」と。
帰り道に大手町の地下鉄コンコースでたまたま目に入った宣伝会議のコピーライター養成講座の案内を手に取り、家に帰ってすぐに申し込みをした。半年分の受講料、前払いで18万近く。日々居酒屋で飲み歩いていたおれには貯金なんてほとんどなかった。でもこの衝動のままいかないとダラダラと時間を浪費してしまうと思ったおれは、翌日に入ったバイト代と、毎月親から送られてくるわずかばかりの仕送りと、あとは支払う予定だったアパートの家賃とをかき集めてなんとか受講料を工面した。
明日食べるものを買うお金も全部つぎ込んでしまったおれは、約2週間後に表参道へ通うための電車賃すら失ってしまった。なんなら家賃もない。バイトのお給料も一ヵ月は入ってこない。そこでおれは、表参道に通う前にまず日払いの工場夜勤バイトに通うことにしたのだった。夜勤派遣に登録して三日後、早速仕事にありつくことができた。
家から電車で片道1時間弱の湾岸に面した工場に向かうことになり、友達から1,000円を借りて向かう道中、宣伝会議賞の存在を知った。小一時間座りっぱなしなのもアレだったので、過去の受賞作を参考に、見よう見まねでコピーを書いてみた。確か旅行代理店の課題だったと思う。割といいのが2~3できたところで目的の駅に到着した。
工場のバイトは、毎回その時に応募があったメンバーで遂行される。よっぽど気に入った現場があればその工場での募集があったときに応募すればよいのだが、よく言われるように単調な作業ばかりでほぼ一回その現場に入れば次はない。だから、その日集められたメンバーのほとんどが初めましての人たちで構成される。合計で4人が集まったその現場も、歯の一本欠けたおっさんを除いた全員が初めての作業となった。
その日の仕事は、2人1組でラインを流れてくるダイレクトメールにきちんと封がされているかを一枚一枚確認して出荷準備をするものだった。22時に業務が始まり、翌5時までにすべての確認を終え、出荷ができる状態にする必要があった。おれのペアになったのは、ちょうど同い年の女の子だった。美大に通っていたその子はきっと手先も器用だろうということで、経験者のおっさんではなく、おれとのペアに割り当てられた。
作業自体は非常にスピードが求められた。朝が来るまでに何千、何万という数のDMを確認しなくてはならない。高速で流れてくるそれを手に取り、一瞬で確認し、その先にある梱包のラインへと回す。うっかりDMを地面に落としたりしようものならラインは停止し、梱包ラインにいる偉い風のおじさんに睨まれる。ラインを停めた原因が冴えない男子大学生であろうものなら、怒号が飛んでくることもしばしば。いまのは完全におれのことなんですけども。おっさんの睨みと高速で飛んでくるDMをなんとかやり過ごしているのに夢中で、おれはただ淡々と作業をこなすより仕方がなかった。
いつのまにか日付を跨いでいることに気が付いた頃、休憩となった。夜勤バイトのメンツは、四人でそれ用に割り当てられた一つのテーブルを使わなくてはならなかった。
「ここって喫煙所とかあるんですかね」
口火を切ったのは彼女だった。経験者のおっさんが得意気に教えてくれた。狭いテーブルでおっさんといるよりはと思ったおれは一緒に喫煙所についていくことにした。
喫煙所では、少しだけお互いの話をした。美大に通っていること、デザイナーを目指していること、海外に短期留学する資金を貯めたくて、夜勤は時給が良いからよく現場に応募していること、などなど。「コピーライターの講座に通うのにおれも表参道に短期留学する予定なんです」と言ったらちょっとウケてくれた。やがて歯の欠けたおっさんも後からやってきて、そこからはおっさんの境遇についてひたすら相槌を打つ時間となった。どんな境遇だったかは忘れたけど、若い頃はとにかく喧嘩っぽかった、みたいなことは言ってたような気がする。歯もそのとき欠けたんすか、とかは更に話が長くなりそうだったので聞かなかった。
残りの時間も淡々と作業を進めた。おれたちのラインは(おもに彼女の手際の良さで)4時ごろには作業が終わった。経験者のおっさんはよくDMを床に落としていた。
早く上がれることになったおれたちは、電車もなかったのでしばらく近くの魚民だか笑笑だかそういったチェーン店で時間を潰すことになった。酒を飲み進めるうちに、彼女の愚痴を聞くターンになってしまった。彼女は、人生がとにかくつまらないと言っていた。短期留学を目指したきっかけは彼氏にフラれたこと、彼氏は2留しているくせに彼女のデザインにあれこれとケチをつけていたこと、それが決して的外れではないから余計に落ち込んだこと、いっそ全部忘れてどこか外国で海とか見てそのまま死にたいとか、なるほど話を聞くとつまらないことばかり言っていた。
たぶん親身に話を聞いてモテる男はちゃっかりLINEとか交換して口説きにいくのだろうが、どっこいおれは、とにかくモテとは遠いところにいた。だから、だけど、なにか世界の全部をつまらなそうに見ている彼女の見る世界を、少しでも面白く見せたいと思った。だからとにかくおれは喋った。コピーライターのこと、それを目指したきっかけのこと、海外に行った友達のこと、大学のこと、地元の田舎のこと、高校時代のこと、中学生のこと、小学校のこと、とにかく話せることはなんでもギャグにして面白おかしく話した。おれは海見ながらそのまま死にたいなんて思ったことは一度もなかった。おれはおれが毎日ハッピーに暮らすこの世界は割と捨てたもんじゃない、そう思わせたかった。酔いも手伝ってか、なんかおれは躍起になっていた。今でも、あのときほど喋った夜はないと思う。彼女は「さんしくん、芸人みたいだね、お金取れるよ」と言って笑っていた。
喋りながら浮かんだコピーのアイデアもまた喋った。そのコピーに対して、「すごいすごい、糸井さんみたい」と本当につまらないことを言ってくれた。そうとも、今思い出しても恥ずかしいけど、おれは当時かろうじて知っていた糸井重里のコピーやほぼ日の言い回しを、明らかに下敷きにして物を考えていた。おれは得意になって「そうかなあ?あんまり意識してなかったけど、考え方が似てるのかなあ」などと嘯いていた。
たぶ���そのまま3~4時間は喋っていたと思う。気が付けば電車がとっくに動き出しているくらいには明るくなっていた。帰り際、「さんしくん、続けたほうがいいよそれ、こんなに面白かったの初めて」と言った。続けるべきは喋りなのかコピーなのか、またそれが本当のことかどうか、本意をおれは理解しないままでいる。
「今度あたしのデザインも見てよ、で分かんないけどなんか作ろ」と言っておれたちは別れた。
彼女とはその後2、3回酒を飲んだ。彼女が描いたというイラストやグラフィックも見た。いかにも売れなそうだったが、おれは好きだった。会っても飲むだけで、特に何かを作るとか具体的な話はしないままだった。
宣伝会議の講座が本格的に始まってから段々連絡を取る機会も減り、講座も佳境に差し掛かってからは就職活動が始まったことで忙しさは加速した。当時、教員になるかどうか迷っていたおれは、教育実習に行くことが随分前から決まっており、実習と就活の両立などを目論んでいたが、6月から2週間ほど行われる実習の期間が、ちょうど就活が最も盛り上がる時期だということに、おれはキャンセルの効かないタイミングになって気が付いた。いいとこまで進んでいた選考を反故にした企業も少なくない。とにかく、当時で言うところのNNTにおれはなっていた。
大学4年の夏休み、就職も決まらず半ば諦めムードになっていたところ、久しぶりに彼女に会うことになった。居酒屋で近況を報告し合うのもそこそこに、彼女は短期留学には結局行かず、ネットワークビジネスにハマり出すというなんだか面白いことになっていることを知った。あれだけつまらなかった彼女が、ここぞで見せた面白ポイントだった。面白ポイントだったんだ。
それ以来、彼女とは会っていない。そんな面白いことになる前に相談とかしてくれたら…とも思わないこともないが、でもそれは、「相談してくれなかった」ということも含めてその時のおれの人望というか、器量というか、その結果が全てなのだろうとも思う。
だけど、時々考えてしまう。おれがもう少し面白ければ、せめて、一緒になにかを作ることを本当に取り組んでいたら、と。全然的外れな考えかもしれないが、本当にそう考えてしまう。
おれは、それからひと夏もろもろあり無事に広告会社に就職を決め、転職を挟んだいまも広告の仕事を続けている。何らかのものを書いて世に出す機会もたまにはあるにせよ、ちゃんとコピーを書くことはしばらくやめている。酔っぱらってあることないこと綯い交ぜにして喋ることは続けている。そういえば、結局彼女が褒めてくれたコピーは箸にも棒にも掛からなかった。
今頃、彼女はどうしているだろうか。連絡先も携帯を変えるタイミングかなにかでうっかり失くしてしまった。相変わらずネットワークビジネスをやっていようが、その中でデザインに少しでも関われているだろうか。分からないけど、どうあれ、コピーの話として思い出すのはこんな話だ。
先日部屋の掃除をしていたら、講座に通っていた頃に中古で買った、コピーライターの偉い先生が書いた指南書が出てきた。本のうしろ半分から先がやけに綺麗だったものでちょっとウケながら、同時になんだかおれは泣いていた。そんな感じです。
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sanshi63 · 3 years
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このオチの甲子園のくだり、書いたの開会前で地元の高校ベスト16くらいは行くだろうなと思って書いたけどあっさり初戦で負けてしまったもんで初戦��退という風にこの場で修正させていただきやす!
【読み物】ハクビシンと夏 210809
わたしはいつものように仕事を終え、22時頃に帰宅し、部屋で遅めの晩御飯を食べ、シャワーを浴びてからベランダで就寝前の一服をふかしていた。
「いや風呂あがりにタバコはないわ~風呂の前に済ませとくっしょ普通」 声のする地上階に目をやると一匹のハクビシンがいた。 「あたしあたし、フミだよ下降りてこれる?」 フミというのは先日亡くなった祖母の名前だ。えっおばあちゃんなんで?てかハクビシン近所にいたんだ、と、ハクビシンが人の言葉をしゃべることに対して頭を巡らせるだけの余裕はわたしにはなく、タバコももみ消さずに裸足で下に駆け降りハクビシンの元に寄るとハクビシンは一目散に逃げていった。 わたしは慌ててハクビシンを追いかけたが追いつけるはずもなかった。まあなんとなく分かってた。わかってはいたけど突然祖母の名前を語る動物というのはなかなか遭遇できるものではないのと、なんとなく全力で追いかけないとなんか薄情な気がしたからとりあえず全力で追いはしたものの内心はどこか民家の屋根裏や茂みの向こうにでも逃げ込んでしまえばこちらもそれ以上追う訳にもいかないのでなんとなく諦めが立つのになっとか考えていた。裸足だし。しかし逃げたとは言ってもアパートの敷地内なのでやがて袋小路に追い込む格好となったとき、観念したかハクビシンは蹲ってまた口を開いた。 「いやごめんごめん、あのあたしの意志じゃなくて、ハクビシンファーストでやんなきゃいけないからさこっちも、ゆーてハクビシンってこういうもんじゃん?」 「やっぱおばあちゃんなの?」 「そうそう、おばあちゃんおばあちゃん、フミ婆。あの別にハクビシンに憑依してるとかそういうんじゃなしにインカムみたいな?合わせたチャンネルで話せば音が出ますみたいな?でも遠隔にいるわけではなくてばあちゃんの魂はすぐそこにあるみたいな?わかる?」 「スピーカーごしに話してる的な?」 「あーそれ。話早くて助かるわ~」 「了解了解、意味は分からないけど仕組みは了解、意味は全然分からないけど。しかしなんでハクビシンなの?こういうのってあってもネコとかタヌキとかキツネとかがベタなんじゃないの?いや普通はないけどあったとしたら」 「いやまあネコとかタヌキとかを介してる人もいるけど人気すぎて取れんかったのよ、お盆だししょうがないかーみたいな。ハクビシンはお盆の時期でも空いてるのよ。害獣で駆除された瞬間に次の拠り所探さないといけないからだるいのと、みんなお盆で田舎帰って現地調達してるから人気なくてあんま遠距離の移動しないハクビシンは抑えやすいのと、あとシンプルに数が多い。」 「そんなレンタカーみたいな仕組みなんだ、てかおばあちゃんってそんな喋り方だったっけ」 「違うよ。ぶっちゃけ死んでから言葉はめっちゃ若返ってるよね。あんたまだ分かんないと思うけど年取ると喋るのしんどくなるんよ。身体動かすだけでもしんどいし、声出すのもしんどい。単語も段々怪しくなるしね。でもま、今は体はないからこんなもんこんなもん。遺影ってか斎場にあったあたしの若い頃の写真見たでしょ?普通にバイクとかめっちゃ乗ってたしね。ギャル的な?元々はそっち路線だったから。あんた生まれる頃にはもうすっかりおばあちゃんが板についてたけど地元の友達とかの間ではそういう路線貫いてたから。てかあんた最近ヤバいよ。守護霊?とはまた違うんだけど見られ方?先祖からの。超絶マークされてるよ」 「へー、なんで?」 「なんでとか知らんよ。むしろあたしの方がなんでだわ、何、ちゃんと田舎帰ってるわけ?あたし死んでから一回くらいしかあんた墓に手合わせてなくない?」 「あーごめん、でも帰ったら帰ったで親とか親戚とかに色々言われてうるさいからコロナを理由に帰ってないわー」 「色々って?結婚しろとか?」 「とかとか」 「それはしょうがないってうるさがっときなって。あたしもそうだったけど概して親世代以上になると子ども世代の普通が分かんなくなるからそういう話しかしないようになるのよ。さっさと結婚して子育てしないと介護キツくなるとか言われるでしょ?そんときどう思ってんのあんた?」 「親の介護ベースで生きてねえようるせえなと思ってる」 「若~!そういう考え方超若いわ~!思い出すわ~!いや親もほんとに介護してもらいたいとか考えてないから。子どもの幸せベースで生きればいいと思ってるから。とはいえ子ども世代の幸せの基準がよく分からんくなってくるからそういう話しかしなくなるのよ。あとシンプルに孫の世話とか超楽しいから早く顔見たいってのもある。あんたも人の子の親になればわかるけど。霊界でもあんたの動向そんな感じで見られてるから。って言ってもアレよ?もうみんなこんな感じだしそんなに切羽詰まってないしノリ的にはテレビで高校野球見るノリだけど、先祖内で一回様子見にいこうってなって。誰行く?お前一番下っ端なんだから行けよみたいな。であたし来たみたいな。」 「霊界も年功序列なんだ、ちょっと引くわ」 「ゆーて戦前に亡くなった先祖来ても困るっしょ?」 「言えてる」 「まあ田舎帰ってさっさと親を安心させろなんてつまんないこと言わないけど、あんたの人生の希望100パーをゴリ押ししてもしんどいだけだから、落としどころは早いとこ見つけときなよ。まああんた賢く育ったっぽいから大丈夫だと思うけど」 「おばあちゃん田舎の動物使って親父とお袋にそういう話とかできん?」 「できんできん、言うてもあれだから、あたしはもうこの世の者ではないから。まあ出てって挨拶するくらいは原理的にはできると思うけど保証はいたしかねるわ、少なくてもあんたと家族とのことで口出しはせん。そういうのは生きてる同士で喋ればって思うし」 「真っ当だわ」 「でしょ?まあなんかそういう感じでやってるのが分かっただけでもよかったわ。」 「行っちゃうの?」 「ハクビシン次第のやつだけどね、まあもうだいたい満足したわ。」 「またハクビシン使って喋れたりするの?」 「それも保証いたしかねるわ、初盆の勢いでエイヤで来たけどぶっちゃけ細かい申請とかは他の先祖がやってくれたしいつでもできるわけじゃないっぽい」 「へえ、次にまたハクビシン見かけたら話しかけるよでもきっと」 「まあそのへんは任せるわ」 「話すよ、これからどうするの?」 「まあこのまま霊界帰ってもいいんだけどせっかく来たしもうち���いぶらぶらしていくわ、トマト食べたいトマト。」 「好きだったもんね」 「まああたしが実際に食べるわけじゃないけど、そこもハクビシン次第だし食べられたとしてもそれ越しだからアレだけど」 そのとき、アパートの1階の部屋に明かりが灯り、その明かりに驚いたかハクビシンは一目散に夜の闇に紛れてすぐに見えなくなり、それっきりだった。
お盆は結局コロナを理由に帰ることはせず、休暇を取らずじまいだった。だが、時々家族から送られてくる飼い犬の様子のLINEに返事はするようにしている。墓参りに行けない代わりに実家に電話を掛けた。おばあちゃんとちょっとだけ話したことは特に言わなかった。テレビでは終盤に差し掛かった甲子園をやっている。わたしはそれをトマトを齧りながら少しだけ見た。地元の高校はベスト8を賭けたところで負けてしまった。甲子園と一緒に夏も終わってしまう。おばあちゃんはもうとっくにあっち側に帰っただろうか、ふと思い出してわたしは、次に帰省したときはトマトの一つでも供えようと思った。隣の部屋の風鈴がりんと鳴った。
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sanshi63 · 3 years
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自意識の旅 東京の街にて
外食をしようと思ったときに目星をつけて行ったお店がお休みだったときよりも開いてるお店に一人で10分そこら並ぶほうがおれにとってストレスという話をしま~~~~す!!
あのーおれももう27歳になったのでいい年なんでそりゃ~ちょっとやそっとのことじゃムカつかなくなったんですがね、たいていは、ご機嫌麗しくいつでも健やかに、たまに落ち込んだりもするけれど、わたしは元気です的な、そういう方向性で日々を運用しているんですけれども。ただ27歳にしてはちょっと自意識過剰な面があるというか。「おれみたいなモンは」みたいな思いってのはなにかにつけて思っておりまして、まず美容室でちゃんとオーダーができないんですね。「おれみたいなモンが髪型に細かく注文をつけやがってと思われてるんじゃないか」とか思ってしまうわけです。「髪型の前に体型やファッションセンスをどうにかしろよ」と美容師に思われてるんじゃないかといつも不安になってしまって20歳のときからもう7年も通ってる美容室であっても、細かく注文することが憚られて、結局いつもみたいな感じで…っとざっくりした注文をしていつもだいたい同じ髪型に落ち着いてるわけなんですけども。そういうわけで、おれはあんまり怒らない内気な青年なんですけどね、最近怒ってることといえば首都圏にびっくりドンキー少なすぎないか??って話なんですけれども、いやこれ怒らないアピールとして弱すぎるだろ。びっくりドンキー首都圏に全然なくない!?少なくてもおれの生活圏には全然ない!おれびっくりドンキー超大好きなんですけど生活圏に全然ないんだ!だいたいおれの生活圏は新宿渋谷近辺なんですけど新宿とちょっと生活圏内からずれるけど池袋ね。あとはあるとすれば郊外寄りの国道沿いとかじゃないですか。学生の頃は最寄り駅にあったんですけどいつの間にかなくなっていておれはとっても悲しかったんだ!もっと繁華街にあれよ繫華街にこそあれよもっと言えばびっくりドンキー愛超絶強いおれの生活圏内にあれよって常々ムカついているんですけどね。びっくりドンキーの何がいいかってそりゃーあのご褒美感です。おれのびっくりドンキー好きの原体験は小学校のときにさかのぼるんですけれども、習い事をやっていて大会とか合宿とかの打ち上げでだいたいびっくりドンキーを利用していたんですね。シンドい大会や合宿を終えて食べるハンバーグがうまくてうまくて。あとあのドリンクメニューです。あのー小学生そこらだとだいたい外食といえば近所のレストランかガストになるんですが、ジュースのグラスちっちゃくね?って常々思っていて、もしもおれが将来ご飯屋さんを経営するとしたらジュースのグラス超でかくするのになーペットボトル1本150円そこらで飲める日本においてドリンクの量に対する値段が高すぎるんじゃい子どもながらにお父さんとお母さんにねえねえコーラが飲みたいコーラが飲みたいよぅって強請りにくいんじゃいって思っていて、だからおれみたいな子どもが少しでも減るように、こんな悲しい時代はおれたちの世代を最後にしようぜって使命感で将来はでっかいグラスでたくさんのジュースを提供できる男になるって心に誓ってたんですけどびっくりドンキーが悲しい時代を終わらせてくれましたよねー。でかいジュースが飲める飲食店は最高最高だって思いながら以来びっくりドンキーのことをめちゃくちゃに愛していたんですけれどもって話が始まらねえから!このまま行くとポテサラバーグディッシュ最近になってようやく食べたけどめちゃくちゃうまくてなんでいままで気が付かなかったんだっていう話で1,500文字くらい書けっから!かまいたちのYouTubeでびっくりドンキーのメニューランキングみたいなのやっててそれで山内も濱家も激押ししてたからこれは食べなきゃならんって思ってスキップで食べにいってそれが超うまかった。これを機に今まで食べたことないびっくりドンキーのメニューを食べる会発足しよっと思って取り急ぎサイドメニューを埋めていこうと思ってるんですけどブロッコリーの方舟がいつどこの店舗に行っても売り切れている。このメニューが本当に実在するのか、幻のメニューなんじゃないのかって勘ぐり始めてるんですけどだから話が始まらねーから!改行なしでここまで約1,500文字駆け抜けたところで本題に入るんですけども。
  今日会社に行ったときのことです。一緒に仕事をしている40近いおじさんが、階段の踊り場で煙草吸いながら、今朝も胃が痛い肺が痛い最近眠れないあとヘソがかゆいみたいな話をいつものようにしていたのでさすがに先輩が弱っている話だから真面目に真剣に聞きながら、思ったんですね。「あ、おれ今日冷やし中華食べたい」と。先輩のタバコがどんどん短くなっていくにつれ、先輩の声がどんどん弱弱しくなっていくにつれ、おれの冷やし中華が食べたい欲はどんどん大きくなっていったわけです。これはもうなんとしてでも食べる食べる食べるぞ冷やし中華食べるぞと、とても強い思いで、先輩が禁煙しよかなーって話をし始めたときにはもう会社の近くのおいしい冷やし中華ショップを検索してたよねー。で見つけたお店が会社から徒歩10分以上かかるところにあって、それなりに大きな駅で飲食店もそこに至るまでに山ほどあるんですけどうわーもう何分かけてでもそこに行って食べたい冷やし中華食べたいって気が付いたら夢屋まさるの顔で会社を出てました。一人で。 で10分以上かけて歩いてようやく着いたと思ったらお盆休みだったんです。まあそうだよね、お盆だし休みたいよねおれも休みたいって思いながら、じゃあとりあえずここに来るまでに通りがかったおれの知りうる限りのラーメン屋さんをひとつひとつ冷やし中華置いてないか確認しよーっと思って踵を返したんです。この時点ではおれ全然ムカついてなかった。むしろお盆休み明けにまた行く楽しみが増えたわいとおもってニコニコしてた。マスクの下は笑顔でした。でしばらく歩いたところにあっさり系ラーメンのお店があることを思い出したんですね。あのー飲み会のシメとかで食べたい感じのチェーンのお店だったんですけど、チェーンのお店の冷やし中華やってそう感すごくないですか?少なくてもおれはもううわーそこ行けば絶対冷やし中華食えるやんって、理想の冷やし中華絶対食べられるやんって思って途中からもうスキップなんかしたりして、で着いたらいつもガランガランのお店が超満員だったんです。おっさんとかめちゃくちゃいるんです。店員さんもすみませーん今満席なんで待っててくださーいってもう厨房から声張り上げてたんです。とはいえ待ってる人もおれ以外にいなかったもんだから、まあすぐ入れるだろうと思って並び始めたんです。それでそのお店っていうのがお店の外で待つタイプのお店だったんですね。しょうがないか~っとおもって並び始めたんですけどまあまあ人通りのあるところでまー結構一人で並んでるのが導線的にかなり目立つんですね。それがおれにとってスーパーストレスで。冒頭に述べた通りおれは常に「おれみたいなモンは」という前提で暮らしているわけですから、通行人がおれを見て、「えそこまでして食べたいお店かそこ?」とか「ゆーてチェーン店だし、どこにでもあるチェーンがそんなに珍しいか、お前みたいな田舎モンにとっては」っと思われてるんじゃないかと段々不安になってきまして。まーどこにでもあるようなチェーンなんですよ、別にラーメン屋さんは他にも近くにたくさんあるし、わざわざ並ばなくても冷やし中華にありつけはするはずなんです。おれもどうしてもこのお店じゃなきゃダメってわけじゃなかった。ただなんとなくお店に入って厨房からちょっと待ってくださーいって言われた手前、なんとなくちゃんと待ってないと悪いような気がして、流れで待っているだけなんだと、誰に言うでもない言い訳を心の中で練ったりしながら待ってたんですけど、10分もしないうちに限界がきて並ぶのやめました。
あのー目星をつけて行ったお店がうっかり閉まっててストレ��たまるみたいなのテレビとか映画とかでよく見ると思うんですけど、おれにとってはそのストレスよりも一人でお店に並ぶストレスのほうが大きいんだなっということが新たな気付きでした。
なんでしょうね、10分一人でチェーンのラーメン屋に並ぶよりここにこんな話をここまで3,000文字以上かけて書くほうが恥ずかしいような気もまあしないでもないんですけど、やっぱりおれにとっては一人でラーメン屋に10分並ぶほうがストレスだわ!おれみたいなモンがチェーンのラーメン屋に10分も並ぶなんてとんでもないっと思ってしまうんだおれみたいなモンは!別に友達とか彼女とかとお店に並ぶのは平気だし、とんかつ屋とか一人で普通にふらっと行くし、入りづらい地元の定食屋さんとかでも普通に一人で入っていけるし、お店に一人で行けないわけではないはずなんだ、だけどチェーンのラーメン屋さんに一人で並ぶのはスーパーストレスなんだ。27歳にもなってこんな感じなんでたぶんおれは一生このよく分からない自意識と付き合っていかなきゃいけないんだろうなっと半分ば諦めつつ、半ば絶望しつつ今日も辛うじてヘラヘラしながら生きとります。オチ!?オチどうしようか!?その後おれはふたたび10分くらい歩いて冷やし中華始めましたって書いてあるラーメン屋さんを見つけて、幸い並ばずに入れそうだったからやっと冷やし中華食べられるぜーっと思って入ったお店で出てきた冷やし中華がどう見ても冷やしラーメンでした。そんな感じです。
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sanshi63 · 3 years
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【読み物】ハクビシンと夏 210809
わたしはいつものように仕事を終え、22時頃に帰宅し、部屋で遅めの晩御飯を食べ、シャワーを浴びてからベランダで就寝前の一服をふかしていた。
「いや風呂あがりにタバコはないわ~風呂の前に済ませとくっしょ普通」 声のする地上階に目をやると一匹のハクビシンがいた。 「あたしあたし、フミだよ下降りてこれる?」 フミというのは先日亡くなった祖母の名前だ。えっおばあちゃんなんで?てかハクビシン近所にいたんだ、と、ハクビシンが人の言葉をしゃべることに対して頭を巡らせるだけの余裕はわたしにはなく、タバコももみ消さずに裸足で下に駆け降りハクビシンの元に寄るとハクビシンは一目散に逃げていった。 わたしは慌ててハクビシンを追いかけたが追いつけるはずもなかった。まあなんとなく分かってた。わかってはいたけど突然祖母の名前を語る動物というのはなかなか遭遇できるものではないのと、なんとなく全力で追いかけないとなんか薄情な気がしたからとりあえず全力で追いはしたものの内心はどこか民家の屋根裏や茂みの向こうにでも逃げ込んでしまえばこちらもそれ以上追う訳にもいかないのでなんとなく諦めが立つのになっとか考えていた。裸足だし。しかし逃げたとは言ってもアパートの敷地内なのでやがて袋小路に追い込む格好となったとき、観念したかハクビシンは蹲ってまた口を開いた。 「いやごめんごめん、あのあたしの意志じゃなくて、ハクビシンファーストでやんなきゃいけないからさこっちも、ゆーてハクビシンってこういうもんじゃん?」 「やっぱおばあちゃんなの?」 「そうそう、おばあちゃんおばあちゃん、フミ婆。あの別にハクビシンに憑依してるとかそういうんじゃなしにインカムみたいな?合わせたチャンネルで話せば音が出ますみたいな?でも遠隔にいるわけではなくてばあちゃんの魂はすぐそこにあるみたいな?わかる?」 「スピーカーごしに話してる的な?」 「あーそれ。話早くて助かるわ~」 「了解了解、意味は分からないけど仕組みは了解、意味は全然分からないけど。しかしなんでハクビシンなの?こういうのってあってもネコとかタヌキとかキツネとかがベタなんじゃないの?いや普通はないけどあったとしたら」 「いやまあネコとかタヌキとかを介してる人もいるけど人気すぎて取れんかったのよ、お盆だししょうがないかーみたいな。ハクビシンはお盆の時期でも空いてるのよ。害獣で駆除された瞬間に次の拠り所探さないといけないからだるいのと、みんなお盆で田舎帰って現地調達してるから人気なくてあんま遠距離の移動しないハクビシンは抑えやすいのと、あとシンプルに数が多い。」 「そんなレンタカーみたいな仕組みなんだ、てかおばあちゃんってそんな喋り方だったっけ」 「違うよ。ぶっちゃけ死んでから言葉はめっちゃ若返ってるよね。あんたまだ分かんないと思うけど年取ると喋るのしんどくなるんよ。身体動かすだけでもしんどいし、声出すのもしんどい。単語も段々怪しくなるしね。でもま、今は体はないからこんなもんこんなもん。遺影ってか斎場にあったあたしの若い頃の写真見たでしょ?普通にバイクとかめっちゃ乗ってたしね。ギャル的な?元々はそっち路線だったから。あんた生まれる頃にはもうすっかりおばあちゃんが板についてたけど地元の友達とかの間ではそういう路線貫いてたから。てかあんた最近ヤバいよ。守護霊?とはまた違うんだけど見られ方?先祖からの。超絶マークされてるよ」 「へー、なんで?」 「なんでとか知らんよ。むしろあたしの方がなんでだわ、何、ちゃんと田舎帰ってるわけ?あたし死んでから一回くらいしかあんた墓に手合わせてなくない?」 「あーごめん、でも帰ったら帰ったで親とか親戚とかに色々言われてうるさいからコロナを理由に帰ってないわー」 「色々って?結婚しろとか?」 「とかとか」 「それはしょうがないってうるさがっときなって。あたしもそうだったけど概して親世代以上になると子ども世代の普通が分かんなくなるからそういう話しかしないようになるのよ。さっさと結婚して子育てしないと介護キツくなるとか言われるでしょ?そんときどう思ってんのあんた?」 「親の介護ベースで生きてねえようるせえなと思ってる」 「若~!そういう考え方超若いわ~!思い出すわ~!いや親もほんとに介護してもらいたいとか考えてないから。子どもの幸せベースで生きればいいと思ってるから。とはいえ子ども世代の幸せの基準がよく分からんくなってくるからそういう話しかしなくなるのよ。あとシンプルに孫の世話とか超楽しいから早く顔見たいってのもある。あんたも人の子の親になればわかるけど。霊界でもあんたの動向そんな感じで見られてるから。って言ってもアレよ?もうみんなこんな感じだしそんなに切羽詰まってないしノリ的にはテレビで高校野球見るノリだけど、先祖内で一回様子見にいこうってなって。誰行く?お前一番下っ端なんだから行けよみたいな。であたし来たみたいな。」 「霊界も年功序列なんだ、ちょっと引くわ」 「ゆーて戦前に亡くなった先祖来ても困るっしょ?」 「言えてる」 「まあ田舎帰ってさっさと親を安心させろなんてつまんないこと言わないけど、あんたの人生の希望100パーをゴリ押ししてもしんどいだけだから、落としどころは早いとこ見つけときなよ。まああんた賢く育ったっぽいから大丈夫だと思うけど」 「おばあちゃん田舎の動物使って親父とお袋にそういう話とかできん?」 「できんできん、言うてもあれだから、あたしはもうこの世の者ではないから。まあ出てって挨拶するくらいは原理的にはできると思うけど保証はいたしかねるわ、少なくてもあんたと家族とのことで口出しはせん。そういうのは生きてる同士で喋ればって思うし」 「真っ当だわ」 「でしょ?まあなんかそういう感じでやってるのが分かっただけでもよかったわ。」 「行っちゃうの?」 「ハクビシン次第のやつだけどね、まあもうだいたい満足したわ。」 「またハクビシン使って喋れたりするの?」 「それも保証いたしかねるわ、初盆の勢いでエイヤで来たけどぶっちゃけ細かい申請とかは他の先祖がやってくれたしいつでもできるわけじゃないっぽい」 「へえ、次にまたハクビシン見かけたら話しかけるよでもきっと」 「まあそのへんは任せるわ」 「話すよ、これからどうするの?」 「まあこのまま霊界帰ってもいいんだけどせっかく来たしもうちょいぶらぶらしていくわ、トマト食べたいトマト。」 「好きだったもんね」 「まああたしが実際に食べるわけじゃないけど、そこもハクビシン次第だし食べられたとしてもそれ越しだからアレだけど」 そのとき、アパートの1階の部屋に明かりが灯り、その明かりに驚いたかハクビシンは一目散に夜の闇に紛れてすぐに見えなくなり、それっきりだった。
お盆は結局コロナを理由に帰ることはせず、休暇を取らずじまいだった。だが、時々家族から送られてくる飼い犬の様子のLINEに返事はするようにしている。墓参りに行けない代わりに実家に電話を掛けた。おばあちゃんとちょっとだけ話したことは特に言わなかった。テレビでは終盤に差し掛かった甲子園をやっている。わたしはそれをトマトを齧りながら少しだけ見た。地元の高校はベスト8を賭けたところで負けてしまった。甲子園と一緒に夏も終わってしまう。おばあちゃんはもうとっくにあっち側に帰っただろうか、ふと思い出してわたしは、次に帰省したときはトマトの一つでも供えようと思った。隣の部屋の風鈴がりんと鳴った。
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sanshi63 · 3 years
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カネボウのブランドCMの最新版が出ていたので去年の今頃書いたやつ。いま見返してみても炎上広告に対するおれのスタンスは1年前とあんま変わらんな
20200723 カネボウのブランドムービー雑感
https://youtu.be/C86Sgcke5YI
カネボウのブランドムービー、初見でおれは普通にいい広告だなーと思って見てたんだけど、SNSを見るとなんかどうもそういう風に見てない人が一定数いるようで、ちょい燃えてるくさい。まー定期的に見かける炎上広告みたいにおっさん達がガン首並べて会議室で酒でも飲みながら考えたような、いったいお前会議室でなにが起こったんだよとしか言えないようなものとは違って、今回の広告はなんとなくこういうメッセージでこういう気持ちをくすぐりたくて作ったムービーなんだろうな、というのがなんとなく想像できる広告だったというのが一つ、加えてほぼ同じタイミングで以下の韓国の生理用品のCMがめちゃくちゃ喝采を浴びていたので、
https://twitter.com/i/status/1285208075356364801
この対比に人は可愛い可愛いものですねなんつって燦燦としていたおれこと僕です。この二つの動画、扱ってるテーマも訴求したい内容も全然違うんですけど、共通点としてはどちらも「一般に女性のデリケートな問題と言われているテーマを扱っている」ってところなんですね。女性のメークと生理。下手打ったらジェンダーが!とか女性蔑視が!みたいな問題に発展しかねないテーマな訳なんですけれども、ほぼほぼ同時期にSNS上に現れて、かたや炎上、かたや絶賛の嵐になっているのを見かけまして、おれも零細広告会社のボンクラプランナーとして化粧品の広告を扱うことも多々あるわけなんですが、じゃあブレストのときにこの二つの案が上がったとして、どっちがベターオブベターなのよってなったときにおれは確固たる理屈で正解を選べる気がしねえなー、とするならばこの問題って対岸の火事では絶対ないよなーって思ったものですから、夜も更けようとしている時間に部屋で一人フルチンで机に向かいながらこの文章を書いてるんですけれどもね。フルチンの情報いらなくない!?フルチンで書いてる文章って分かった途端一気に説得力が失せる文章になるわけなんですけれども以下考えたこと書いてきます。
まずカネボウのブランドムービーについてなんですが、おれはこの「生きるために、化粧をする」ってコピーの行間に(自分らしく)とか(希望を持って)とかそんなメッセージが入って、みんながお化粧を通して前向きな気持ちになれるようにおれたち頑張るね!みたいなことがいいたい広告なのかなあということを読み取りました。ただツイッターを見ると、このハショられた()を抜いて、コピー通りの「生きるための化粧」って読み取った人がまあまあな数いるみたいで、化粧しないと就職とか昇進に不利だし~とか化粧をしないと生きることも許されてないのかみたいな声がまー見られるわけなんですね。お化粧って義務なんだよなーみたいなことを改めて感じた人がそこそこの数いるわけです。その他は、この行間を読み取ったのかなんなのか、お化粧って前向きな気持ちになれるから普通にこの広告いいと思ったけどなーっていう人です。
一方で韓国の生理用品のCMは、生理の時は「何もしない」っていう選択肢もあるよーって超絶分かりやすいアンド分かってるわーなメッセージで、実際SNSを見ると根性論で片付けてしまう日本とは違って進んでるなーとか、日本遅れてる!みたいな声がまー多いこと。たしかに日本の生理用品のCMって多い日も安心!とか、いつもと変わらず元気に過ごそう!みたいなメッセージ多いし、そんな綺麗にいかねーよアホかっていうのが女の人のほんとのところなんだと思います。おれは生理経験したことないから実際はよく分かってないけど、まあネットの反応見てると概ねこういうところにいきつくんじゃねーかな、というところです。
 話戻ってカネボウのブランドムービーは、じゃあその行間を読み取れなかった人が悪いのかって言ったらそういうことを言いたいわけではないです。あの広告自体、舌っ足らずなところもあると思います。実際ブランドサイトも見てボディコピー、クソ長いゴタクが並んでるのを読んで、あの映像でこのメッセージを伝えるの苦しくない?って思ったのもまた事実ですし。ただ思うのは、デカい言葉を使っちゃうとその分解釈の幅も広がっちゃうよねーということ。デカい言葉というのは世界は~とか社会は~とか安倍政権は~みたいな言葉です。今回は「生きる」って言葉がそれにあたるんですけど、ほんと国連のスピーチかよみたいな言葉が選ばれてるじゃないですか。そういう言葉を選ぶんだったら映像の中で解釈にブレがなくなるように物語を作っていく必要があるっておれ宣伝会議かなんかでえらいCMプランナーの先生に教わった気がするんですけど、まあそういうことだと思います。なんかあの映像ぶっちゃけパッと見よく分からないじゃないですか。なんか民族メイクとか出てくるし。あれで余計に取っ散らかってしまってる感じがありますよね。まーぱっと見で分からない映像アンド無限の解釈が広がる言葉が出てきちゃったらもう好きなように解釈をさせてもらうぜって感じじゃないですか。
 で、おれがこの文章を書き残したいと思った一番の動機なんですけどSNSを見てると、この広告に文句付けてる人って、私はこう思ってこう解釈したからこの広告は悪って決めてかかってる人が多いなーっていう印象が確かにあって、この感じが表現に対する反応として普通になってしまったらちょっとしんどいよなーって思いました。なんでも白黒はっきりつけがちじゃないですか?つまりおれが言いたいのは、無限の解釈の大宇宙が広がる表現だからこそ、他人の解釈を踏まえてテメー自身がどこのポジションを取るか決めていく手順を踏んでいく必要があるんじゃねえかな、っと思うってことです。結果取るポジションが変わらなくてもいいんですよ、つまりあなた自身は「うんうん、お前らの言うこともよく分かるし一理ある。でもおれは~~~」のこの「うんうん分かるよ」を踏む手間を惜しむ人間なのかどうかっていう話です。なぜ広告ではなくて表現という言葉を選んだかというと、解釈を一つに絞れない広告表現って広告としてはかなりアウトだと思ったからです。そういう意味ではこの広告全然ダメです。
一方で、この広告の「SNSの反応」を見ていて思うのは、その広告主の意図どおりこのCMのこころを読み取った人の反応も良くなくね?ってことです。このブランドムービーなんですけど、結構賛否両論がハッキリ分かれたと思っていて、ムービー擁護派もまあまあいたんですよ。ただ「このムービーが広告としてダメなところもある」、「だから意図しない解釈をする人が出る」っていう点を無視してあのムービーを悪く言う奴はもれなく悪!!!これだから行き過ぎたフェミニストは!っていう人がその中に一定数いたので悲しくなってしまった。そりゃなんでもかんでも広告に文句つける人にうんざりするのは分かる。おれもうんざりする。けどそのうんざりがまた、誰かを傷つけるきっかけになる可能性があるということへの想像力が欠けてしまうことは、それはそれで悲しいよなあと思う。その広告の、広告表現としての改善点を無視してただいたずらにうんざりのぶつけ合いになるのが続くと結果みんながしんどいなと思う。
 ワチャワチャと書いてきたけど、以上の話を踏まえたとしても、カネボウのブランドムービーと韓国のCMどっちがいいかを確固たる理屈で選べる自信が相変わらずおれにはないです。なぜかというと、あの韓国のCMを日本の企業が日本で放映したとして、果たしてここまで拍手喝采の大盛り上がりになるかっていうと必ずしもそうはならなそうだと思うからです。SNSの声をパッと想像できるものだと、「たしかにこうやって生きられたらいいけど今の日本でそれができる気がしない、理想ばっかり語りやがって」みたいなところが挙がる可能性があります。で、その手の特定班?発言小町?界隈の人たちがその企業がちゃんと生理休暇を認めてるか?みたいなところを調べ上げて徹底的にCMの嘘を暴こうとするじゃないですか。なんかそういう事態も容易に想像できちゃうんで、結論この韓国のCMが受けたのも結果論で、なにも知らずにどっちがよりウケるか?をちゃんと説明するのってめっちゃくそ難しいなって話です。っていうのをフルチンで夜更けに書き上げました。以上です。
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sanshi63 · 3 years
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20210531 祖母の死、人が生きて死ぬということについて
テーマ的にふざけるポイントあんまりない話であれなんですが、もう一ヶ月くらい前になるか、おばあちゃんが亡くなりまして。以前どっかで書いた気もするけどおばあちゃん、晩年はサスケでいうところのスパイダークライムくらいまで認知症が進行してしまっていて、界隈ではものすごい筋肉馬鹿として知られていたんだけどまさかファイナルステージまで行っちゃうとはみたいな。早速ふざけてんジャン。で、息子の名前も孫の名前も忘れちゃって最後に会ったときはもうコミュニケーションが破綻していて、呼びかけてもただニコニコしながらパン食ってるみたいな感じだった。おれは会話らしい会話もほとんどできなくなってしまったおばあちゃんを前にあーもー長くないんだろうなーとかなんかそんなようなことを考えていた。しかしゆっくりスパイダーウォーク並みのスピードで、しかし確実に人間としての機能や80数年蓄積してきた途方もない量の記憶を奪われていくさまをしっかり脳みそに焼き付けておこうと思った。結局直接の死因は胃がんだったらしいんだけど、認知症があまりにも進行していてお医者さんが言うにはほとんど苦痛とかを認識できないままガンも進行していって、ついに最期まで苦しみは少なかったんじゃないかってことを言っていた。
葬儀までの数日間、喪主であるところの親父と、その親父が死んだら遺産を手に入れる予定であるところのおれのおふくろはなにかと忙しそうでした。次々にやってくる弔問客に挨拶したり葬儀屋といろいろと打ち合わせをしたり。でおれの姉ちゃんも埼玉で葬儀屋をやってるもんだから、細かいツメの部分は姉ちゃんがやってという具合でおり、といった具合。当のおれは家にいてもニコニコしながらパンとか食べるくらいしか特段できることもなかったので割と自由にしていた。喪服を買いに行きつつたまに長居する弔問客用になにか茶菓子でも買ってくるという名目で前橋の街をぶらぶらしたりとかね。あとは家にいて弔問客の相手するとき以外はお菓子食べて昼寝して起きたらまたお菓子食べて外が暗くなったら寝るみたいな、葬儀まではそんな感じでおれ以外のおれのまわりは慌ただしそうに進んだ。で、たくさん寝ておれの肌のツヤも最高潮になったタイミングで葬儀が行われた。出棺のとき葬儀屋のおじさんが、棺を庭でぐるぐる回してくださーいっつってみんなでぐるぐる回した。おばあちゃんの霊がこの世に帰ってこられないようにするためみたいなことを葬儀屋のおじさんからモゴモゴ喋りながら教えてもらったのであんまりちゃんとした知識ではないかもしれないけど、まあそんな感じの理由らしい。ほかにも、葬儀場までの行きの道と帰りの道は霊がついてこないように別の道を通ってくださいねーとか、おれはその手のマナーというかお作法にはめちゃくちゃ興味あるというか、ちゃんと理にかなった意味のある行動じゃねえとマジ許さんからなという気持ちで、かつ少しでも納得できない理由だったら駄々をこねてやるからなという気持ちで葬儀屋のおじさんにひとつひとつの理由とか意味、コンセプトから戦略設計まで外コンの顔で質問してたんだけどおじさんはパキパキと分かりやすく教えてくれるもんだから全部大人しく従いました。
それで式はコロナで人呼べないからって本当に最低限以下の親戚だけでやった。うちは親戚同士の連携もそんなにとれてる方じゃないから本当に誰か身内が亡くなった時くらいしか顔見ないようなそれこそおれが親父の金玉の中にもいないころ以来の親戚、えー要するにナイストゥミーチューな親戚もいたわけで、けれども精進落とし食いながらしゃべった感じやっぱおれと少なからず血の繋がりはあるんだろうなーみたいなバイブスは多分に感じたし、次に会う時はこの中の誰かが死んだときっすねーという冗談はさすがに言えなかったけどまあたぶんきっとそうなる。どうかどうかみんな長生きしてほしい。できれば葬式以外の場で会いたいよ。
で最後にうちの菩提寺の住職が法話をしてくれたんだけど、おれはモゴモゴと何を言ってるのか断片的にしか聞き取れなく、ただ周りを見るとみんな神妙な顔をしながら聞いてたからやっぱありがてえお話なんだろうな〜全然聞き取れないけどな
〜と思ってあとでどんな話か聞いてみたら誰一人として聞き取れた人はいなかった。なんやねん。大人ってこえ〜!聞いてるフリ!聞いてるフリ!
断片的に聞き取れた部分を繋げるとおばあちゃんは長生きしてみんなに見送られて喜んでると思う的な話だったと思うんだけど、その住職の話ぶりになんとなく聞き覚えがあるような気がしていて、帰りの車の中で記憶を辿りながら反芻していたのだけど20年前に爺さんが死んだ時にもたぶんその住職は同じことを言っていた。20年前から台本変わってねえのかなーと思って、昨日まで49日で帰ってたんだけどそのときまた住職にお経あげてもらってまた法話をしてくれたときも同じような話してたからたぶんこの住職の法話は少なくても20年間変わってねえわ。
帰りの車の中ではおれの一族の話、珍しく生きるとか死ぬとかそういう話をしたんだけど、おふくろはうちに嫁いできてから30年近く、ずっと親族が亡くなるたびに葬式ノートというものをつけていたらしい。見るとたしかにおれが生まれる前に亡くなった曾祖父からおれがいままで見送ってきた人たちが亡くなってからまずしたこと、式までの段取りや式に呼ぶべき親戚の名前と連絡先のリスト、それから葬儀にかかるお金周りの情報まで全部記録しているのだそう。こういうノートを書くことで、人が亡くなった時に見返せばまー段取りでのミスは減るし、なにより親父とおふくろに何かあったとき子どもたち、つまりおれと姉ちゃんが読めばなんとなくそれっぽくはなるだろうから、ということだった。要するに引き継ぎ資料というわけだ。いまは主におふくろが記入しているノートをいつかはおれが書かなくちゃいけなくなるんだろう。それはおれたちの世代、おれや姉ちゃんのためでもある一方でおれたちの次の世代のためにもなるということでなんだかえらく感心してしまったと同時に、まだしばらくはそんなノートを開くことがなければいいと思った。
式も終わって帰ってきて最後家に入るときに浄めの塩で体を清めた。こうすることで霊がうちに来なくなるからとのこと。もしもの仮定の話、おばあちゃんの霊が戻ってきたとき、そこに現れるものに人格とか自我とかいうものはあるのだろうか。認知症で自我とか人格とかそういうものがどこかに行ってしまったおばあちゃんのそれらが目の前に現れるのだとしたらそれはいつのものなのだろうか。どうせ現れるのなら、認知症になる前の、チャキチャキとした元気な姿であってほしいなと、そんなことを思ったりなどした。
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sanshi63 · 3 years
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【読み物】次郎は切り抜き動画の夢を見る_イントロ篇
都内某所、地下鉄の駅と繋がったとあるビルディングの一画、まだ始発も動き出さない時間からそこにはうすぼんやりとした明かりが灯る。人のいない地下鉄の通路からは、カチカチという音だけが響いている。
日本の伝統工芸品のひとつである「切り抜き動画」。2時間以上もの長尺動画のエッセンスをわずか5分に詰め込む。一見簡単そうに見えるのは、両の手とインターネット環境さえあれば誰でも作れる点にある。YouTubeに日々投稿される切り抜き動画。その数、日に数千とも数万件以上とも言われていることから、その間口は広く開かれたものと思われている。しかし、その動画の多くはほとんど日の目を見ない。多くの人の心を魅了する切り抜き動画を作るためには、洗練された技術を必要とする。一種引き算の美学の極致とも言えるその技術は一朝一夕には身につかない。切り抜き動画職人の世界で一人前になるためにはおよそ10年の修業期間を要すると言われている。切り抜き動画職人になるのに、学歴も生まれ育った環境も問わない。しかし「検索3年、視聴5年、切り抜き一生」と言われるほど、気の遠くなるような日々を経て初めて人々の心と時間を奪う作品ができることから、現代における工芸品として世界から知られている。
「名代 切り抜き次郎」。言わずと知れた切り抜き動画職人の名門である。わずか6席のカウンターから投稿される切り抜き動画、一日に制作できる数には限りがある。しかし、投稿される動画の再生回数は軒並み100万回以上。世界中から注目を集めている切り抜き次郎。ここに案内するということは、日本国内における最高のおもてなしと言われている。我々は今回、切り抜き次郎の内側に迫ることで切り抜き動画における引き算の美学の一端を明らかにする。
 切り抜き動画職人の朝は、「ネタ」と呼ばれる動画検索から始まる。日々生産者から届く大量の長尺動画。その中からキラリと輝く「ネタ」を掘り当てることが、最高の切り抜き動画を作るための第一歩であることは職人の中では当たり前のことなのである。
朝4時30分。切り抜き次郎の若手職人が一斉に検索を始める。妥協を許さない眼差し、それは職人の矜持を体現している。
久保宇宙之介、21歳。中学を卒業してからすぐに切り抜き動画の世界に入ったこの青年がいの一番に「ネタ」を掘り当てる。
「YouTubeでよく見かける詐欺広告の闇を暴いて��たwww」8時間18分の大物だ。
 「全然ダメだな」 厳しい言葉を投げかけるのは「目利きの寅」と呼ばれる岸辺寅之進35歳。切り抜き次郎のネタ選定を一手に担うベテランである。
「いいか、この動画、一見すると目が多そう(再生回数が伸びそう)な題材だ。だが尺を見てみろ、8時間18分もある。こういう動画はたいてい実のない話がダラダラと続く。旨味が少ない。そら見てみろ、うち7時間は広告詐欺に引っかかってダウンロードしてしまったゲームアプリの実況だ。生かせる素材があまりにも少ない。詐欺広告の闇を暴くなどと標榜しているがその部分の実態はまとめサイトのテキストを機械音声で垂れ流しているだけの動画だ。1日は24時間しかない。こんな動画から5分の切り抜きポイントを見つけるのは時間の無駄だ。」 洗練された審美眼。それが彼が「目利きの寅」と呼ばれる所以なのである。
 朝8時50分、今日のネタが出そろったところで店内にSEAMOの『ルパン・ザ・ファイヤー』が響き渡る。SEAMOのラップに合わせて入店してきたのは、この店の板前長であり、人間国宝にも指定されている生きる伝説、「切抜き次郎」こと三代目切抜亭次郎(92)だ。
次郎は黙ってカウンターの上に並べられたネタと向き合う。初手、選んだのはとある配信者の4時間半にも及ぶ雑談動画。切り抜き動画界では定番と呼ばれるネタだ。シンプルな題材ゆえ比較的調理しやすいが、その分職人の技量が試される奥が深い題材だ。寿司でいうところの卵焼きにあたる一品である。次郎が深く息を吸う。時間が止まったような、ものすごい速さで流れているような、不思議な感覚が撮影クルーを包む。次郎は一息に4時間30分もの長尺動画を5分にまとめた。次郎は言う。「切り抜き動画は、切り抜いたその瞬間が美味しさの最高潮。だから、一息に作り上げる必要がある。そこに妥協は一切許されない。」
 切抜亭次郎はいかにして切抜亭次郎になりえたのだろうか。その答えを探るべく、まずは彼の生い立ちから紐解いていきたい。(次回に続く)
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sanshi63 · 3 years
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20210111ダイエット哀歌
ダイエットを始めました。18で田舎を飛び出して大いなる夢を抱いて都会に出てきてもう8年とかになるんですが、まー8年間で抱いたのは有り余るほどの、おれの両腕では抱えきれないほどのでっかい夢こと贅肉だったわけなんですが、飲み屋で行き会うちょっと年上の人々からはね、アンタァもっと太った方がいいと、もうちょっと太ればアンタァ間違いなく出世するから!というようなことを言われてそれを真に受けて言われるがまま目の前のフードをモリモリと食べた結果が今です。それでも太れば出世太れば出世と自分に言い聞かせてここまで来たわけなんですが、今にして思えば彼らは普通にお腹いっぱいで目の前の若者にとりあえず残ったフードを片付けさせようとしていただけだったのかもしれない。てなわけで8年間でおれの体重は右肩上がり、アップルもビックリな前年度比200%の実績で毎年コンスタントに成長してきたわけで、これベンチャー企業だったら今頃株価がとんでもないことになってるはずだったんですが、とんでもないことになってるのはおれの体重と健康というようなわけで、気が付けば上京以前と比べて20kgも体重が増えていた。それでも懲りないおれは、これボクシングだったら3階級くらい変わるんスよってギャグにしてきたんですがいい加減にそのギャグにも飽きてきたし、なにより時々動悸がしたり膝が痛くなってきたりと体にもガタが出始めたというのもあり、一向に出世する気配もないのでちょっと別のアプローチから出世街道を爆進しようっていうことで、ついに痩せることにしたというわけです。
 で、具体的にどんなことやってるのかっていうとまずチャリ。夏頃にチャリを買いました。あと自分がいかに食欲に雁字搦めにされているかを可視化するためにカロリー計算アプリを導入しました。それに伴って毎日食べるものもちょっと見直したりして、まあ特別なことはなにもしてなくて、いままでの怠惰な生活を見直してちょっとした運動と、贅沢なものを食べるのを禁じているだけなんですけど、まーこれが楽しい。カロリー計算アプリをダウンロードしたらまず体重の目標を教えてくださいってなるのね。で、まあとりあえず上京前の体重に戻したいなー20kgマイナスで、時期的には1年くらいかなーって設定したらエラーが出まして。その目標だとお前は健康的な生活ができないみたいなこと言われるわけです。食べたものを逐一吐いてなおかつクスリを飲んでと岡崎京子の漫画に出てくるようなモデル志望の女の子みたいな生活になりますよと言われるわけです。それならしょうがないということで、とりあえず頑張り度でいうと中の上くらいで、この春までに7~8kgマイナスくらいを目標にやっていくことにしたのですが、ある程度計画を立ててそれ通りに結果が出ているというのがかなり快感です。おれ仕事では予算管理が超大好きなんですけど、すっごい細かく管理して数字化して予算がちょっとずつ圧縮されていくのがめちゃ快感なんですけど、ダイエットも同じような感じで、いつまでにどのくらい体重を減らす必要があるから、じゃあ一日あたりの摂取カロリーはこれくらいにして、だとすると毎食このくらいにカロリーを抑える必要があって、たとえばこんなものやこんなものを食べるといいんだな、ということなどを考えて食事をするわけです。すると本当に面白いくらい体重が落ちていって、ダイエット始めてから1か月ほどが経つんですが、アベレージ週1kgくらいのペースで体重が減ってまーす!1年間が50週だとして、この調子でいけば来年の春くらいにはおれは消えてなくなっちゃうことになりますよね。ちょっとした汁を残していなくなっちゃうわけなんですが、この間ラジオ聴いてたら最初は一気に体重が落ちるけど、ある程度落ちたらそこからなかなか体重が減らなくなるみたいな話をしていたのでビビッています。とにかくこれまでダイエットなんてものは一切したことがなかったのでおれはダイエット界でいうと生まれたての小型犬くらいの知能だもので、今けっこうダイエットを舐めている自覚がある。本当は糖質がどうとかタンパク質がどうとか気にしないといけないんですかね。知らんけど今の生活続けてみて体重が底値になったらまた考えることにしようと思います。
 もちろん不満がないわけではない。いままでおれは食べることが人生の唯一の楽しみだったんですが、それ以外に面白いものなんてなんにもなかったわけなんですが、(そんなわけはない)食べること=楽しいという生活が、イコールただの栄養補給になってしまってる感はまあありますよね。だいたい食べるものといえば朝はアンパン、昼はサラダチキンにおにぎり、夜は食べたり食べなかったり。飲み物は、当然コーラなど飲めない。基本は水だけです。唯一味がついたものが飲めるとするならばそう、ジャスミン茶です。当面おれはジャスミンの香りを体中に漂わせながらサラダチキンを食べる機械になるわけなんですが…体からジャスミンの香りがするのはそれはそれでよくね?まー食べる楽しみみたいなものは随分減ったよねー。今まで散々うまいもの食べてきたからある程度はしょうがないんだけど、しょうがないんだけどこれは修行だなっと思ってなんとかやってます。食べる以外でなんか暮らす楽しみを見出そうと思います。楽器かな、楽器だろうな。マンドリンを始めます。そういえばおれの体重の増え具合をコロナと結びつけてこれは緊急事態宣言!!これは緊急事態宣言!!!っていうギャグをやりたかったんだけど、無理やり挿しこむのもめんどいんでこのくらいにします。今日はこのくらいで勘弁しといたるわ!そんな感じです。
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sanshi63 · 4 years
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20200726自転車
チャリンコを新しく買ったんです。元々使っていたものは7年前くらいに上京してくる前に買ったママチャリだったんですけど、大学の時とかはアルバイト先が家から歩いて15分くらいのところにあったんでちょっと歩いていくのしんどいなーって時はよく使ってたんですけど、田舎で買った自転車だったので防犯登録は東京でやらなきゃいけなかったのをサボり続けていて、ついに防犯登録をしなかったので警察の人とすれ違うたびに止められていたというのと、高校卒業してからすぐに買った自転車だったから高校生仕様のチャリンコだったんでいい加減恥ずかしいわってことで満を持���て買ったんです。
おれが18歳まで過ごした群馬県では、チャリの荷台の先っちょを折り曲げて二人乗りの背もたれにするのが最高にクールみたいな文化があって、さらにちょっとワルめな人だと、ハンドルも鬼ハンって言って伝わるのかな?あのー映画のイージーライダーに出てくるバイクみたいにハンドルを捻じ曲げるのが最凶の暴走自転車集団★武羅出威(ブラッディ)みたいな文化があったんですけど、上京前のおれは何を思ったかやはり東京モンにナメられたらいかん、いかんぜよってことでチャリの荷台をせっせと曲げて、ハンドルも工業高校に通っていた友達に頼んで曲げてもらっていたんですね。バッチリ鬼ハンに仕上げてもらったんですが、さすがにそこまでやってしまったら東京のヤンキーに目を付けられてボコボコにされかねないってことでちょっと下げてもらったんで中途半端にザリガニの威嚇くらいのハンドルになってしまったんですけど。今にして思えば、東京でそんな自転車に乗ってる方がナメられるだろって話なんですけど、とにかく群馬県の田舎の村で育った当時のおれにとっては、そうすることで東京に立ち向かって行くより仕方がなかったというわけなのです。
 さすがに大学を卒業したらそんな自転車に乗るのも憚られすっかり乗らなくなってしまったのだけど先週久しぶりに自転車置き場に見に行ったらカゴにめちゃくちゃゴミが捨てられていたのでさすがにもう限界だろうということでとうとうザリガニ自転車とお別れし、街乗り用のクロスバイクを導入したんです。
 早速乗ってみるぜということで、先ほどふと思い立って自転車に乗って家から歩くと30分ほどの肉のハナマサまで行ってみたんです。あのーおれハナマサのことがかなり好きなんですけど、最寄りのハナマサが軒並み絶妙に徒歩圏外ということでなかなか足が伸びずにいたんです。まだザリガニ自転車に乗ってた頃は時々行ってたんだけど急な坂道を超えていかないといけないということで滅多に行くことはなかったんですね。
でクロスバイクってめちゃくちゃ快適なんですね。いままでママチャリか三輪車にしか乗ったことがなかったものですから、本当に感動してしまってハナマサを通り過ぎてちょっと行けるとこまで行ってみようってなったんです。池袋を通り過ぎて、信号がそのとき指し示した方向に向かって、交通規制に則りながらものすごく正しく自転車を漕いで、結局本郷の東大の方を通ってお茶の水から九段に出て、そこから四谷を経由して、家までぐるっと一周してきました。うわーここが赤門かーとかここが日本武道館かーっつっていや初めてじゃないんですけどおのぼりさんの顔でチャリ漕いでこれがめちゃくちゃ楽しい。夜12時まわってたんで車もめっちゃ走ってるってわけでもなかったんで走りやすかったのと、チャリに乗ってて警察とすれちがっても止められないっていうのがクソほど快適でした。
結局1時間半くらいチャリ漕いでたんですけど久しぶりにしっかり運動したので今かなりいい感じです。この生活続けたらマジで健やかになれる気がする。なんかもうUberEatsのドライバーとしてでっかいバッグ背負って美しい汗を流す姿見えるもん。体重も20きろくらい落ちることでしょう。悪い!おれ先行くわ!以上です。
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sanshi63 · 4 years
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20200723 カネボウのブランドムービー雑感
https://youtu.be/C86Sgcke5YI
 カネボウのブランドムービー、初見でおれは普通にいい広告だなーと思って見てたんだけど、SNSを見るとなんかどうもそういう風に見てない人が一定数いるようで、ちょい燃えてるくさい。まー定期的に見かける炎上広告みたいにおっさん達がガン首並べて会議室で酒でも飲みながら考えたような、いったいお前会議室でなにが起こったんだよとしか言えないようなものとは違って、今回の広告はなんとなくこういうメッセージでこういう気持ちをくすぐりたくて作ったムービーなんだろうな、というのがなんとなく想像できる広告だったというのが一つ、加えてほぼ同じタイミングで以下の韓国の生理用品のCMがめちゃくちゃ喝采を浴びていたので、
https://twitter.com/i/status/1285208075356364801
 この対比に人は可愛い可愛いものですねなんつって燦燦としていたおれこと僕です。この二つの動画、扱ってるテーマも訴求したい内容も全然違うんですけど、共通点としてはどちらも「一般に女性のデリケートな問題と言われているテーマを扱っている」ってところなんですね。女性のメークと生理。下手打ったらジェンダーが!とか女性蔑視が!みたいな問題に発展しかねないテーマな訳なんですけれども、ほぼほぼ同時期にSNS上に現れて、かたや炎上、かたや絶賛の嵐になっているのを見かけまして、おれも零細広告会社のボンクラプランナーとして化粧品の広告を扱うことも多々あるわけなんですが、じゃあブレストのときにこの二つの案が上がったとして、どっちがベターオブベターなのよってなったときにおれは確固たる理屈で正解を選べる気がしねえなー、とするならばこの問題って対岸の火事では絶対ないよなーって思ったものですから、夜も更けようとしている時間に部屋で一人フルチンで机に向かいながらこの文章を書いてるんですけれどもね。フルチンの情報いらなくない!?フルチンで書いてる文章って分かった途端一気に説得力が失せる文章になるわけなんですけれども以下考えたこと書いてきます。
 まずカネボウのブランドムービーについてなんですが、おれはこの「生きるために、化粧をする」ってコピーの行間に(自分らしく)とか(希望を持って)とかそんなメッセージが入って、みんながお化粧を通して前向きな気持ちになれるようにおれたち頑張るね!みたいなことがいいたい広告なのかなあということを読み取りました。ただツイッターを見ると、このハショられた()を抜いて、コピー通りの「生きるための化粧」って読み取った人がまあまあな数いるみたいで、化粧しないと就職とか昇進に不利だし~とか化粧をしないと生きることも許されてないのかみたいな声がまー見られるわけなんですね。お化粧って義務なんだよなーみたいなことを改めて感じた人がそこそこの数いるわけです。その他は、この行間を読み取ったのかなんなのか、お化粧って前向きな気持ちになれるから普通にこの広告いいと思ったけどなーっていう人です。
 一方で韓国の生理用品のCMは、生理の時は「何もしない」っていう選択肢もあるよーって超絶分かりやすいアンド分かってるわーなメッセージで、実際SNSを見ると根性論で片付けてしまう日本とは違って進んでるなーとか、日本遅れてる!みたいな声がまー多いこと。たしかに日本の生理用品のCMって多い日も安心!とか、いつもと変わらず元気に過ごそう!みたいなメッセージ多いし、そんな綺麗にいかねーよアホかっていうのが女の人のほんとのところなんだと思います。おれは生理経験したことないから実際はよく分かってないけど、まあネットの反応見てると概ねこういうところにいきつくんじゃねーかな、というところです。
  話戻ってカネボウのブランドムービーは、じゃあその行間を読み取れなかった人が悪いのかって言ったらそういうことを言いたいわけではないです。あの広告自体、舌っ足らずなところもあると思います。実際ブランドサイトも見てボディコピー、クソ長いゴタクが並んでるのを読んで、あの映像でこのメッセージを伝えるの苦しくない?って思ったのもまた事実ですし。ただ思うのは、デカい言葉を使っちゃうとその分解釈の幅も広がっちゃうよねーということ。デカい言葉というのは世界は~とか社会は~とか安倍政権は~みたいな言葉です。今回は「生きる」って言葉がそれにあたるんですけど、ほんと国連のスピーチかよみたいな言葉が選ばれてるじゃないですか。そういう言葉を選ぶんだったら映像の中で解釈にブレがなくなるように物語を作っていく必要があるっておれ宣伝会議かなんかでえらいCMプランナーの先生に教わった気がするんですけど、まあそういうことだと思います。なんかあの映像ぶっちゃけパッと見よく分からないじゃないですか。なんか民族メイクとか出てくるし。あれで余計に取っ散らかってしまってる感じがありますよね。まーぱっと見で分からない映像アンド無限の解釈が広がる言葉が出てきちゃったらもう好きなように解釈をさせてもらうぜって感じじゃないですか。
  で、おれがこの文章を書き残したいと思った一番の動機なんですけどSNSを見てると、この広告に文句付けてる人って、私はこう思ってこう解釈したからこの広告は悪って決めてかかってる人が多いなーっていう印象が確かにあって、この感じが表現に対する反応として普通になってしまったらちょっとしんどいよなーって思いました。なんでも白黒はっきりつけがちじゃないですか?つまりおれが言いたいのは、無限の解釈の大宇宙が広がる表現だからこそ、他人の解釈を踏まえてテメー自身がどこのポジションを取るか決めていく手順を踏んでいく必要があるんじゃねえかな、っと思うってことです。結果取るポジションが変わらなくてもいいんですよ、つまりあなた自身は「うんうん、お前らの言うこともよく分かるし一理ある。でもおれは~~~」のこの「うんうん分かるよ」を踏む手間を惜しむ人間なのかどうかっていう話です。なぜ広告ではなくて表現という言葉を選んだかというと、解釈を一つに絞れない広告表現って広告としてはかなりアウトだと思ったからです。そういう意味ではこの広告全然ダメです。
 一方で、この広告の「SNSの反応」を見ていて思うのは、その広告主の意図どおりこのCMのこころを読み取った人の反応も良くなくね?ってことです。このブランドムービーなんですけど、結構賛否両論がハッキリ分かれたと思っていて、ムービー擁護派もまあまあいたんですよ。ただ「このムービーが広告としてダメなところもある」、「だから意図しない解釈をする人が出る」っていう点を無視してあのムービーを悪く言う奴はもれなく悪!!!これだから行き過ぎたフェミニストは!っていう人がその中に一定数いたので悲しくなってしまった。そりゃなんでもかんでも広告に文句つける人にうんざりするのは分かる。おれもうんざりする。けどそのうんざりがまた、誰かを傷つけるきっかけになる可能性があるということへの想像力が欠けてしまうことは、それはそれで悲しいよなあと思う。その広告の、広告表現としての改善点を無視してた���いたずらにうんざりのぶつけ合いになるのが続くと結果みんながしんどいなと思う。
  ワチャワチャと書いてきたけど、以上の話を踏まえたとしても、カネボウのブランドムービーと韓国のCMどっちがいいかを確固たる理屈で選べる自信が相変わらずおれにはないです。なぜかというと、あの韓国のCMを日本の企業が日本で放映したとして、果たしてここまで拍手喝采の大盛り上がりになるかっていうと必ずしもそうはならなそうだと思うからです。SNSの声をパッと想像できるものだと、「たしかにこうやって生きられたらいいけど今の日本でそれができる気がしない、理想ばっかり語りやがって」みたいなところが挙がる可能性があります。で、その手の特定班?発言小町?界隈の人たちがその企業がちゃんと生理休暇を認めてるか?みたいなところを調べ上げて徹底的にCMの嘘を暴こうとするじゃないですか。なんかそういう事態も容易に想像できちゃうんで、結論この韓国のCMが受けたのも結果論で、なにも知らずにどっちがよりウケるか?をちゃんと説明するのってめっちゃくそ難しいなって話です。っていうのをフルチンで夜更けに書き上げました。以上です。
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sanshi63 · 4 years
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20200706買い物哀歌
あのー今まさにスーパーへの買い出しから帰ってきたところなんですけども、ここ数か月でおれめっちゃ買い物下手になった!めっちゃ買い物下手になった!どういうことか説明する前に一旦メガネのレンズ拭くね!おれメガネ拭きは無印の使い捨てのやつを使ってるんだけどあれ買いに行くたびに売ってるエリア忘れちゃうよね。まず文房具エリア探してなかったらケア用品エリア探してそれでもなかったら最終的に店内一周して探してしまうよね~~~~!!!で結局どこにもねえジャンって思って諦めて会計しようと思ったらレジ横に売ってるのね。さらに厄介なのが店舗によって置いてある場所が違うんですよ。レジ横に置いてあるときもあれば文房具エリアに売ってることもあるし、全然そこメガネ関係なくない?ってエリアに売ってるときもある。ファミマで無印のものが買えた時代は一発で探せたからかなり便利だったんだけど。今度ローソンでも無印のものが買えるようになるっていうところで、メガネ拭きは絶対売ってちょうだいよね!と心の中のギャルが言うてます。あと無印といえばA5サイズで100枚くらい紙ついてるノートが超使いやすかったんだけどいつの間にか売られなくなって悲しい。あのーおれは覚えたことを三歩歩くと忘れちゃうタイプの人間で、こうしてる間にも自分の名前も忘れていってしまうんですけど、あっでも好きな食べ物は言える、とんかつが好きです。お寿司も好き。で、社会人になってから企画を立てるときもパワポ1ページ作ってる間に企画書の次の流れとか忘れちゃうんでめちゃくちゃメモしながら働いていて、パソコンにタイプしている時間よりもノートに書き散らしている時間のほうが長くて2020年にあって未だにアナログな働き方をしてるんですけど、無印のあのノートめっちゃ重宝してたのにもう全然売られなくなって悲しい!本題に行く前に話がガンガン逸れていってしまっていてもう800字近く書いてるんで既に胸やけ気味なんですけどいい加減本題に入りますね。
  あのー家の裏にスーパーがありまして、引っ越してきてからもう7年くらい毎日お世話になっているスーパーがあるんですけども。おれついこの間まではだいたいご飯は外食、おもに松屋などで済ましていて、たまに自炊でもするべかーって買い出しに行くときはその日食べるメニューをある程度決めてからその材料を毎日買いに行くっていうやりかたをしてたんですけど、在宅勤務ばっかしてる今日び駅前の松屋まで行くのもめんどくさいんで、だったらじゃあ自炊するしかないねーっつってやってるんですけども。とはいえ家の裏にスーパーがあるもんだから数日間分まとめて買うみたいなことはやってなくて、あくまでもスーパーに行くときの心持ちはその日食べるものだけを買いに行くという気持ちで、パンツいっちょで行ってるんですけども、特に今日はひどかった。どうひどかったかを説明するためにはまずおれがさっきスーパーで買ってきたものを列挙するのが話が早いと思うんでそうします。
・豚肉
・もめんとうふ
・カット野菜いためセット
・たまご
・冷凍ラーメン
・うどん麺
・ジャスミン茶
・ヨーグルト
・クリームパン
・ずわいがにのドリア
 これらです。
 前半はいいじゃないですか、あ、今日野菜炒め作るのね、豆腐も入れるのかな?それともヤッコにするのかなって思うじゃないですか。卵も問題ないですよね。まあ卵は何に入れてもいいですから。問題は後半、ほぼ主食やないかい。卵以降6品目中4品目が主食。チームの6人中4人がどこのチームでも大将クラスのポジション張れるクラスの東京都選抜チームが今日のスーパーで買った連中ということになっている。晩ごはんにたべるために買い出しにいくんだったら卵まででいいだろ、百歩譲って飲み物とおやつを買ったとしても麺とドリアはどう考えてもいらんだろという感じです。いまのおれはそう思います。で、なんでこんな主食を買い込んでしまったのかというと、まず卵まで買った時点でおれは家を出る前のミスに気が付いたんです。しまったなと、ごはん焚き忘れたなと。基本的におれはおかずだけたべるというのが苦手で絶対に主食は必要なんですけど、そうなったらごはんを埋め合わせるために主食を買い込まないといけねーというマインドに移行したんですね。で、うちにはおいしい白だし液があるからそれでうどん食べよーって思ってとりあえずうどんを買ったんです。それでこのまま会計してもよかったんですが、一方で足りなかったらどうしようという気持ちになったんです。いやうどん3玉入りなんで足りないなんてことはあり得ないんですけど、うどん1玉食べて急にラーメンの気持ちになったらどうしようってことで、冷凍のラーメンを買ったんです。さすがにもうそれでいいかなって思ってレジに向かおうと思ったら、ずわいがにのドリアが、ドリアが290円の半額、145円で売られていたんです。おれは「ドリア」って字の並びを見たら頭の中とお腹はサイゼモードに移行するっていう習性があるんですが、145円のドリアを見てあーもうこれは完全に今日はサイゼ今日はサイゼという気持ちになって買い物かごの中にスラム・ダンクかましちゃうじゃないですか。そうやってこの主食4品目の買い出しに相成ったわけなんですが、じゃあ一回買おうとしたうどんとラーメンは返せばよくね?って話なんですけど、そこはもう完全に惰性でというか、戻す手間よりとりあえず買っといて食べたくなったらたべりゃよくねの精神で買ってしまったよね~~~~。これがおれの買い物下手なところなんですよ。
 しかも結局今日の晩ごはんは普通にご飯炊いて当初の予定どおり野菜炒め作って食べたわけなんだけれども。やばくない?さっきまでうどんだラーメンだサイゼリヤだとか言ってたのに結局ご飯炊いてんの。冷蔵庫の中ではうどんとラーメンが日の目を見るのを待ってるんですけどもね、ここで一つ問題があるんですけど、それは冒頭に出てきた、おれはめちゃくちゃ忘れっぽいという問題なんですよね。話が脱線した中で出てきた情報が伏線になっているなんて!これが叙述トリックというやつなんですけども、あのーうち実家でデグーっていうネズミを飼ってるんですけど、デグーって賢くてご飯をもらうとすぐに食べるものはすぐ食べるんですけど、全部は食べないでちょっと残しておいて、それを干し草の中に隠しておくんですよ。でご飯が足りなくなったら掘り起こして食べるんだろうけど、飼ってる以上ご飯って毎日あげるじゃないですか。ごはんが足りなくなるってことが起こらないから最終的にデグーは自分がごはんを隠していることを忘れてしまうんですけど、まさにそういう状況がおれにも起こりうるという問題があるんです。たぶんおれは明日もスーパーに行くんですけど、明日は明日で食べたいものが変わるでしょうから、肉だの野菜だのって買い込んでしまうと思うんです。で、肉と野菜にはヤッパリごはんですから、うどんとラーメンは明日も日の目を見ないと思うんです。次の日も、その次の日も…なんてことをやっていって、うどんとラーメンはだんだん冷蔵庫の奥の方に追いやられていって最終、賞味期限が切れた状態で出てくるっていう結末まで見えてる。一人で暮らしていくってたいへんなことです。そしてここまで書き進めるうちに気づいたんですけど既にクリームパンを買ったことを忘れている。おれは限界です。以上です。
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sanshi63 · 4 years
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20200704思い出のパン
今からだいたい15年前、おれが小学校高学年に上がるかなくらいの時に、おばあちゃんがうちで一緒に住むことになって、いちばん仲が良かったからというのもあり夜寝るときは俺の部屋で寝るみたいな生活をしていた時期が暫くあった。おれが中学にあがるとそりゃさすがにすべてにアゲインスト的な年代に差し掛かっていたというのもあるし、夜になったら老婆が寝ている部屋じゃ手淫もできねえよっておれがお母さんに泣きついたところ、ちょうど家にひとつ空いている部屋があったのでそこをおばあちゃんにあてがったのだけども、とにかくおばあちゃんが我が家で暮らすという時期が数年間くらいあった。手淫できねえってお母さんに泣きつくのヤバくないか。せめて親父だろ、いや親父に泣きつくにしても動機が正直すぎる。で、その数年間で認知症が急激に進行していって結局施設に入らざるを得なくなってしまったんですけれども、ま~最初のほうはボケないようにあれこれ工夫をしている姿をよく目にしていた。本屋さんでクロスワードとか数独とかの問題が載っている本を買ってきては毎日朝起きてから日が暮れるまで解いていたり、テレビでやってたニュースをノートに写したり、率先して村のスーパーまで買い物に出かけたり、とにかく毎日忙しそうにしていた。
 で、そのスーパーへの買い出しというのが、いわゆる生活に絶対必要な肉とか野菜とか遊戯王カードとかっていうものではなく、どちらかというとおやつ的なものばかりで、週一くらいで大量に買い込んできては、自分以外の家族が自由に食べられるようにしてくれていた。今にして思えば、だけど、なんとなくおばあちゃんはポジションを取りに行っていたんだろうなと思う。自分の子どもの持つ所帯とはいえ、なんとなく負い目があったんじゃないか、だから自分はおやつ買い込み係というポジションを狙っていたんだろうな、と思う。とはいえあれこれ冒険する気はなかったのか、我が家には常に似たような菓子パンと、おはぎと、牧場の朝というヨーグルトとがストックされていた。まー基本全部おれの好みの食べ物ばかりだったのだけど、その中でもおれがめちゃくちゃ好きだったのが山崎パンのスペシャルサンドという、コッペパンみたいなやつにクリームとあんずのジャムが入っているパンなのだけど、それが当時のおれにはめちゃくちゃな衝撃で、それは当時おれが階段下の物置の中にいじわるな叔父と叔母に閉じ込められていておやつといえばカンパンしか食べたことがなかったからなんだけど、とにかくおばあちゃんが買ってきたおやつの中でもそれだけは、世界が認めるスーパーグレートゴールキーパーことおれこと僕は絶対死守したいフードであった。ブレブレすぎる設定を随所に散りばめるから話がとっ散らかってる。
 でそのスペシャルサンド、クリームとあんずジャム以外にもう一つ、中心部に謎の赤とオレンジの間くらいの色した塊がウルトラマンのカラータイマーよろしくくっついてるのが特徴なのだけど、それが一体何者なのかが分からなくて毎度スペシャルサンドを食べるたびにモヤンとした気持ちにさせられていた。大きさでいうと果汁グミくらいの大きさで、食感はあの~お歳暮とかお中元で貰う、高いんだろうけど言うほどおいしくない砂糖でコーティングされている感じのゼリーあるじゃないですか、まさにあんな感じで、味は甘酸っぱい。果物か何かの味なのだろうけど何の味なのかがよく分からないというような代物で、絶対それがそのサンドに一個くっついているんです。色も匂いも形もハッキリとこの食べもの!と言いあらわすことができない絶妙なそのゼリー状のなにかことはしばらく気になっていたのだけれど、おばあちゃんが施設に入ることになって、おれは高校生になって、そのままスペシャルサンドを食べる機会がなくなり、購買のパンと自販機に売っていた桃の天然水にウツツを抜かしてそのままおれは大人になってしまった。
 で、つい最近までスペシャルサンドのことなどもうすっかり忘れてしまっていたのだけれど、ついこの間、在宅作業が終わって外に出たら風がすごく気持ちよかったもので、そのまま散歩に出かけることにした。大岡山だか洗足池だかそのへんのスーパーでなんか食べ物でも買って公園で食べようと思ってお店に入ったら、約10年ごしにスペシャルサンドと邂逅した。瞬間、思い出したのはアノなぞのゼリー状のなにかのことだった。あのころと今と違うところ、それは気になった情報はすぐにネットで調べられること!いや10年前もその気になりゃ調べられたんだけどダルさがダンチ。段違いのことダンチって最近言う人少なくなったよね。やれる、いまなら分かる、調べられる、あのスペシャルサンドの謎のゼリー状のアレのこと!10年越しの謎が解ける!ソォイ!という気持ちで猛烈サーチをかけた。
 結論、そのゼリーというのは、チェリー、さくらんぼを模したゼリーとのこと。あのー紅白のギンガムチェックのテーブルクロスが引いてあるような古めかしい喫茶店で売ってるようなサンドってなんかチェリー載ってるじゃないですか、いやそんな店が実在するかは分からんのだけど、なんかイメージできるじゃないですか。あれです。なるほど山崎パンは喫茶店メニュー的なパンが作りたかったのね、そういうノリで食べるパンなのね。これからスペシャルサンドを食べるときの心もちはさながら純★喫★茶。サイフォンでコーヒーも入れよう。まあ結局その時は普通にスペシャルサンドの気分じゃなかったから隣のインドカレー屋さんで適当にテイクアウトしたんですけれども。以上です。
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sanshi63 · 4 years
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20200611世は初夏の日と。
知らん間に日が延びていて春もいつの間にか19時になってやっと沈む太陽の影に隠れて見えなくなった。最近は、なにもかもがおもんないわーという感じがやたらとしている。おもんないわーって思わない?おれだけ?毎日朝起きてさ、仕事してメシ食ってねるだけ。いやコロナ以前の世界が言うほど毎日感動に満ち満ちていたかというとそうでもないんだが、四六時中なにをしてても退屈で、淡々としていてどうにかなりそうで、柄にもなく部屋に花を飾ったりお気に入りの音楽を流してなんとか自分の機嫌を取ってるみたいな生活が、今だ。この今の感じを青春時代に似ているとかなんとか言ってる人がいてなるほど言われてみれば群馬の田舎で過ごした中学時代にクリソツだ。最終学歴はクリ卒。今のギャグは普通にいらんかったな。
  おれの中学時代といえば、とにかく毎日が退屈でしょうがなかった。退屈でしょうがなかったけど別に不登校という選択肢を取るでもなく、ただ漫然と学校に行ってそこそこ真面目に勉強して部活をして恋をしたりしていた。山あいの小さな村だったので大した娯楽もなく、テレビも大して好きじゃなかった。自分が何が好きで何を面白いと思うのかよく分からないまま、手探りでなにか面白いものを模索していたし、10年そこそこに小さな村でおれの身や周りで起きたなんてこたない過去の出来事に思いを馳せたりして暮らしていた。今の生活もそれに似たようなことが起きていて、娯楽がかなり限定されたホームにステイしないといけない状況下にあって、なんか面白いことないかな~っとインタネッツを眺めたり、あの頃と比べりゃそりゃーそれなりに増えた過去の出来事を思い出したりなんかしている。小学校時代に転校していった友達のこととか、中学時代、最後の大会前におれ主将やってたもんだから喝入れていこうぜってことで頭を丸刈りにしたんだけど、他のメンバーが誰一人ついてこなくて、むしろなんかちょっと引いてねお前ら?みたいな感じだったこととか、高校時代遠い町の学校に試合に行くのに道中の電車で後輩使って近くの女子高生をナンパさせたものの普通に断られて思いのほか後輩がヘコんでしまったのを慰めたりしたこととか、大学時代仲良かった友達と新宿の映画館でレイトショーを見てそのまま歌舞伎町の雑居ビルの屋上にのぼって朝になるのをずっと待っていたこととか、ほんと最近おれ近々死ぬんじゃねと思うくらいいろんなことを思い出すんだけど、それって中学時代のおれが家で退屈で死にそうになりながらやってたこととおんなじなんですね。あれからそりゃそれなりに時間が経ったし、社会的地位も多少なりとも変わってるわけで、産毛しか生えてなかった口元にも毎日剃らないといけない厄介なヒゲが生えたりしてるわけなんですが、本質的なところは13歳のころから何一つ変わっちゃいない。鏡に映るのはジレットフュージョンを持った、ブカブカの学ランを着たおれだ。いや嘘だわおれの中学は制服着るのは試験のときだけだったからちょっとこのくだりやり直すね。鏡に映るのは、ラムダッシュを持った、体操服を着た俺だ。ほら~二回同じようなこと言うからイマイチ決まらないじゃねえか~しかもなんで二回目シレっと電動シェーバーに持ち替えたんだよ。バランスを取るためにギャグを入れました。わかってくれ
 13歳のとき、第一次世界退屈期の真っ只中にいたおれは、なにかどこかに面白いものは転がっていないものかととにかく躍起になっていた。晩御飯を食べながら観るテレビにも週刊少年ジャンプにも2ちゃんねるのまとめサイトにも心から面白いと思えるものがなかったおれは、夜の深さに助けを求めていた。深夜、布団の中で聞く伊集院光の深夜ラジオとやまだひさしのラジアンリミテッドがおれの中の娯楽と呼べる代物だった。深夜の東京から飛んでくる電波はこんなにも面白いのかと思った。あとは何度か書いているような気がするが、テスト期間になると、深夜家を抜け出して何もない夜の村を朝が来るまで歩き回ることが大好きだった。あの頃見上げた夜空に、この星と絶妙なディスタンスを保ってぽっかりと浮かんでいた丸い天体。いざともなればそこに飛んででも行けばいいような気がした一大スペクタクル的アレはいまも変わらずおれの頭の上にあって、その天体の下、面白いものを拾い集めていたあの頃と今はなんだか被って見える。あの頃も今も変わらずおもしろ電波を飛ばし続けている花の都大東京にあって、面白いものなんかそこかしこに転がっているし、年々低下していく視力で霞んで見えないんだったら月にでも飛んでいけばいい。あのころよりかは自分の中のスキが幾分クリアに見��る。と、するならばおれはなんか今のこの生活もそこまで悪いもんでもねえのかなーと思う。世界全体が退屈だと嘆いてなんだか最近元気がなくなっているおれの中で、どっこいハートのBPMは加速している。クソが全員爆発しやがれ。そんな感じです。
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sanshi63 · 4 years
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アカウントID変えたら開けなくなっちゃってたのでURL差し替えましたー。まずはここから。
20200422これまで書いたやつまとめ。自粛に飽き始めてたらどうぞ。
最近は一日に2杯ドリップコーヒー淹れて部屋に花など飾って水回りの掃除をしたりして暮らしています。Youtubeでおぎやはぎの昔の漫才を見ているときがいちばん心穏やかだよ!お世話様です。
しばらくモノ書かない間に世界はなにやらたいへんなことになっております。「世界は~」なんてバカデカい主語なんて、半径5メートルが生活圏な私にとってはこういうときくらいしか使えんですからね。
唐突なんですがこのTumblrで毒にも薬にもならない生活をつらつら書き始めて一年が経つみたいです。正確には2年ちょい前くらいから単発のやつを投稿してるんですが、ちゃんと雑記書く!と決めてからまあそんくらいみたいです。ちゃんと雑記って矛盾してそう。そんなこともありつつ、全人類明日は我が身なこのごろ、なんかみんな疲れてるみたいなんで、この一年で書き溜めたあれやこれやをいくつか抜き出してみようと思いましたー。
人はだれかと顔を突き合わせて話すことでいっちょまえに物事を考えようとしたり背伸びしてみたりしてそうやって日々の変化に一喜一憂しながら今日よりもマシな人間になっていくことができる生き物で、この感染症っていうのはそういう人間の人間的な営みにつけこんで断絶させる恐ろしいものなんだってことはこの2か月くらいでほとほと理解しました。
一方で身の回りの生活のことなんて、一人でいてもチャカチャカーっと書けちゃうもんだし、それを誰かが受け取ってくれれば、これはもう薄めの接触といえるんじゃないでしょうか。こんな時勢だからこそなにか動かんでどうする、「あ、袋いらないです」しか言葉を発さなかった、そんな今日の終わりに見るおぎやはぎの漫才は本当に面白いかって話ですよ。人様がネットサーフィンする時間が増えてて窓全開になっているというのにそこに吹き込む風のひとつにでもならんでどうするんだって話ですよ。アップルのことはようわからん。
そんな使命感みたいなものもないではないが、これきっかけに僕も私も実は書いてまっせみたいな話が出てきたら超絶読みたい。みんなやれよ~~みたいな。家に閉じこもってる今知られざるあなたの世界を私は読みたい!!!てなわけでまずは俺がまとめる。世界を変えたければまず鏡の前の男から変えようぜみたいなことをマイケルジャクソンも言ってた気がします。メイクザットチェンジよ。
とりあえず一年書いてみておもろいおもろーいって読んでくれたひとが言ってくれたやつとか、これよく書けたわーみたいなやつとかをいくつかのテーマに分けてまとめるぞ!ドンミシ
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sanshi63 · 4 years
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20200518甜麵醬との出会い-春篇
完全リモートワーク生活も束の間、出社せんと如何ともしがたい案件を振られて毎日元気に出社しておりまして、日に日に電車の中に通勤の人が増えていくのを見るにつけもうコロナ禍ももう下火かな~などと思いながら、いやいやこういう時に第二波が来るんですヨ!とも思いながら油断ならない日々、皆さんいかがお過ごしでしょうか!
 毎日の感染者数が一桁だ二桁だなんて一喜一憂しながらあれ今日東京都内の新規感染者数ヤフーニュースのトップにまだ出てきてなくねってきゃりーぱみゅぱみゅが抗議していてゆうこすが自粛警察やってて炎上してるんでしたかね、知らんけどそんな状況下にあってとはいえまだまだ自粛がんばんなきゃねーひとつになろうニッポン!ただし文字通り一つになるとRADWIMPSもビックリするくらい三密になってしまってNO GOODだからあくまでステイホーム、ステイゴールドでいよう、これが令和二年のハイスタンダード!というのが最近の感じなんですかね。Surfaceの広告かよ。
  あの~相変わらず土日は家に籠りきりなんですけれども、こうなってくると地元では小手返し一手の使い手で知られており、将来寿司職人としてのキャリアを有望視されていたおれとしてはね、インスタでは木村文乃に劣るとも勝らないと言われていたおれとしてはね、自炊ばっかやってるわけですよ。小手返し一手のくだりは最近将太の寿司を読み始めたから出てきた表現なんですけれども、いや小手返し一手は言うほど有望じゃねえわ、どちらかと言うと序盤で主人公にノされるタイプのやつだったわ。一日三食誰に頼まれるわけでもなくただただテメーを喜ばせるためにやってるんですがね、やってるんですけども。
  おれ最近甜麵醬についに出会ってしまいまして。あの~おれ木綿のハンカチーフばりに田舎を飛び出して一人暮らしを始めてもう7年?7年くらいになるんですが、自炊のレパートリー全然ないんですよ。ここ最近まで一日に味噌と玄米五合だけで生活してましたから、ホントつい最近じゃねえかな~肉の味を覚えたのは。だからここ数年は毎朝山に入って鹿とか狩って暮らしてたんですけど、ここからがマジな話で味付けが醤油しかなかったのね。何を食べてもとりあえず醤油があればなんとかなるだろう精神でビャーかけて、でもやっぱし普通の醤油じゃ飽きるなーってもんで牡蠣のだしが入った醤油買ってきてちょっと味に幅持たせてね。言ってもまあ醤油味がちょっと磯の香りがする醤油味になるだけなんで大して味変わんないんですよ。まーそれでも一生普通の醤油味でやっていくよりかは幾分マシだったので、��ょっとずつ味が違う醤油を色々揃えてその日の気分で替えたり混ぜたりしてそれなりに楽しくやってたのね。
  早稲田松竹のすぐ近くに秀永っていう、おれが学生の時に週5で通ってた大好きな中華料理屋さんがあるんですけど、そこには、ほんこん飯っていう回鍋肉の目玉焼き載せ丼みたいな、おれが週8で食べてた最強うまいメニューがあるんです。で~久しぶりにあの味食いてえな~でもいまこんな状況だしな~ってなかなか行けずにいたんですけれども、それならYOU自分ちで作っちゃいなよっておれの心の中のジャニーさんが言うもんでじゃあいっちょかましてやっかーってことでとりあえず材料を買いに行ったのね。
  アパートの裏のスーパーに行ってお肉と野菜とを買ってじゃああとは調味料だけだねーっつって、でも回鍋肉の素を買うのもなんかちげーよなーっと思って。でも回鍋肉って何入れてるのかって全然分かんないんですよ。醤油と味噌の間みたいな味するじゃんあれ。あれ何味ですかって聞かれても俺には回鍋肉味としか答えようがないわけですもので、とりあえずクックパッドで調べたよねー。とはいえ調べてそのまま買うのは俺的にはちょっと抵抗があった。なぜならこの時点でおれが作るほんこん飯はリスペクト秀永ではなくて知らんババアのレシピに基づいた回鍋肉丼リスペクトになってしまうジャンっていう感じで、おれが食いたいのは秀永に限りなく近いあの味ジャンって葛藤してたんです。でもこのままだといつも通り肉野菜の醤油炒めになっちゃうしな~って思ってとりあえず落としどころとして中途半端にメニュー流し見して必要そうな調味料を買うことにしたのね。でそしたら見つけたんです甜麵醬。しかも回鍋肉にはこれ一本!とか書いてあんの。うーわこれ一本で回鍋肉作れるんだーやったーっておもってとりあえずアホの顔で甜麵醬だけ買ってあとは家にある醤油とか酒とかでなんとかなるだろと思って帰ってきたんです。
  でいざ作って食べてみると当然まったく秀永の味じゃないんですよ。全然秀永のあの味じゃないんですけどこれがメチャクチャうまいわけですよ。何せ今まで味噌と玄米の味しか知らなかったわけですから、醤油に甜麵醬入れるだけで世界が全然違うんです。見つけたなーこれはーっと思って今は週9で肉野菜の醤油と甜麵醬炒め作って食べてるんですけども。あとで知ったんですが回鍋肉には豆板醬という名前の調味料も必要みたいで、全然これ一本!で済む話じゃねえジャンと思いながら、でも週12で作って食べてるこれは秀永のあの味とは全然違うんですけどまあこれはこれでいいよねって思って、今です。多分来週あたりには甜麵醬をメーカーごとに揃えて、それからちょっと山椒が効いてるやつとか、あるのか分かんないけどナントカ出汁が入ってるやつとかも買っちゃったりして、やがて我が家には甜麵醬が咲き乱れて次の春が来る頃にはあの日覚えた花の名前を忘れて次は豆板醬に恋することでしょう。いやさすがにそれまでには秀永に行ける世の中になっててちょうだい。以上です。
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sanshi63 · 4 years
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20200506【読み物】新訳 ブラザー軒
実家大好きクラブの会員ことおれは、ゴールデンウィークを使って実家にでも帰ろうかと思っていたのだけれど、コロナ禍の中にあってついに家から出ることができず、なんだかんだ実家に帰ることができたのは、梅雨も明けた7月に入ってからだった。
久しぶりの帰省を果たしたその日、ちょうど前橋の街のほうでは恒例の七夕祭りが行われるようだった。外出もままならなかった毎日を経て鬱憤がたまっていた俺は、これまた久しぶりに祭りの様子を見に行くことにした。日が沈んだ頃に家を出て、街に着く頃にはすでに大勢の人でごった返していたものだからおれは早々に疲れてしまった。とりあえず飯でも食おうと思いながら人の流れから抜け出して人があまりいなそうな場所を歩きながら晩飯の店を物色することにした。歩いていると、ふと小綺麗な洋食屋が目に入った。そこは80年以上続く老舗で、ここしばらくお店を閉めていたが数年前に二代目が包丁を握ることでリニューアルオープンを果たしたお店で、街でちょっとした話題になっている、ということをなんとなくTwitterかなにかで見たことを思い出したおれは、ひとまずそのお店に入ることに決めた。ひととおりメニューを眺めると超好みのラインナップ。お手本みたいなハンバーグに、漫画で見るようなナポリタン。
どれも捨てがたいと逡巡していると、ちょうどおれと同じ年のくらいの男が入ってくる。ちょっと年下くらいの女と一緒にカウンター席のおれの隣に座った。結局ハンバーグを選んだおれは、待つ間にふと隣の兄妹を見た。おれは飲食店とかで隣り合った人のペルソナを想像する趣味があって、年齢はこのくらいで、これこれこんな関係性で、こんな事情で今ここにいる、などというようなことを勝手に想像して、調子が良いと趣味や好きそうな音楽まで想像できる。二人はめちゃくちゃ顔が似ているから兄妹だろうなと思うとともに、女性のほうが、すごく痩せているのも相俟ってひどく疲れているようすだったので、コロナ禍明けで溜まっていた鬱憤を晴らすために兄妹でここに来たが、同じようにこの祭りの喧騒に疲れてしまってこの店に流れ着いたというところだろうと想像し、なんとなく親近感を覚えたのだった。
てなことを考えているうちにハンバーグがやってきた。ちょうど二人の兄妹���分もできたようで、同時に運ばれてきた。ふたりともハンバーグを頼んだようで、その人気ぶりがうかがえる。どうやらおれはまたこの店の「正解」を引き当ててしまったようだと悦に浸りながら食べ始める。このお店は、アーケードの外にあるので濃紺色のたなばたの夜がのぞめる。ガラス暖簾がキラキラと波うち、風鈴の音が心地よい。男はひげについたブラウンソースを拭いている。妹はにこにこしながら食べ進める。
ふと、ここで妙なことに気が付く。ふたりともにこにこと食べているのだがしゃべり声が聞こえない。振り返って二人を見ると、確かに談笑しているように見える。確かにそう見えるのだが、二人には声がない。おれは驚いてハンバーグを吹き出してしまった。店のおやじがタオルをもってくる。やっちまったと思いながらテーブルを拭くのだがふたりにはおれが見えていないようだった。いや比喩とかじゃなくてほんとにおれが見えてないようだった。
風鈴の音が花火の音にかき消される。男は煙草を取り出して吸い始めるのだけれど、これもまたおかしい。パッケージがマイルドセブンなのだ。あのー野暮だと思うけどピンとこない人のために説明すると、マイルドセブンって今はもう売ってない銘柄なんですね。もうずいぶん前にメビウスっていう銘柄に変わってパッケージも一新されちゃったからもうお店に置いてない銘柄なんですよ。じゃあなんでもう売ってない煙草の銘柄のパッケージのことをおれが知っているかというと、おれが5歳のときに死んだ爺さんが吸ってた煙草がマイセンだったんですね。よく爺さんに買いに行かされてたからよく覚えてるし、今も家族で墓参りに行くと親父がメビウス買ってって墓前に供えるんですよ。もうマイセンじゃなくなっちゃったんだよーって言って親父が供えるのが我が家のお決まりになっているんですけれども。
驚いたおれは男の顔を見ると、目の上に大きな傷があるのを認めた。そうとも、おれが5歳のときに死んだ爺さんの目の上にも全く同じ傷があるのだ。そういえば、小さい頃に爺さんには妹がいたらしいという話を聞いたことがある。前橋の大空襲の折に亡くなったと、そんなことを何度か聞かされた。  どう考えてもこんな話はおかしい。幽霊にしては、ほん怖で見るようなイワコテジマ的なアレな感じはないし、邪気退アレ的なアレもない、時々見るお涙頂戴系のアレの話にするにはパンチが弱い。けれども確かに現実に身に起こったことだ。驚かすでも何を伝えるでもなくただただ飯を食ってるだけのあの男が若かったころの爺さんで、隣にいたのはその妹だったと、もし本当にそうだったとしても、なんてこたない。殊、夏という季節にあってはそんな話が普通にまかり通るくらいの不思議な力があるような気がする。相変わらずふたりには声がない。ふたりにはおれが見えない。なんだかおれにはそれが妙に寂しいことのように思えた。 … 
やがて妹が先に席を立つと、若き日の爺さんはタバコの火をもみ消してふたり連れ立って帰る。前橋の��ーケードのあたりにある洋食屋、たなばたの夜。キラキラと波打つガラス暖簾の向こうはもうすっかり暗い。おれも思わず席を立って後を追いかけたが、祭囃子に紛れて、やがてふたりは見えなくなった。
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sanshi63 · 4 years
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20200505禍禍禍
今日は机の周り綺麗にしたんですよ。
一か月くらい前に志村けんが死んで緊急事態宣言が発動して、おれの仕事も完全にリモートワークに移行したもんですから、一日の半分はベッドで寝てて半分は机でなんか作業したり飯食ったりみたいな生活なんですが、まーさすがにいつ払ったかわかんないような光熱費の請求書が散らばってるような机で暮らすのもしんどくなってきたんで、ついにやりました。いやーマジで快適。3割くらい机でかくなったんと違うかってくらい快適ですね。夜露死苦。最近の暮らしといえば朝起きて働いて夕方には終わってスーパー行くついでにちょっと足伸ばして散歩に出かけるか出かけないか、帰ってきたら冷凍の餃子が焼けるのを眺めてそれ食ったら寝るみたいな感じなのですけど、まあまあ穏やかに暮らしています。相変わらず金はない。
とはいえちょっとテレビに目を向けると何かと不穏。この時勢で営業しているパチンコ店の名前を公表する~とか県外ナンバーの車を見つけたら石を投げるとか行列のできるとんかつ屋さんのおじさんが焼け死んだけどどうも自殺くさいとか枚挙に暇がない。ツイッターを見ると知らんとこの知らん人が怒っているのを毎日一度は見る。それに対して怒っている人もいる。専門家でもなんでもない、名前も知らん人たちが出どころ不明の根拠を盾に殴り合っているのを毎日のように見かける。あのーよく知らないんですけど、自粛警察?みたいな人たちも出回ってるみたいで、いよいよしんどい。
なんかほんとどっか行けなくなったなーで今いちばん困ってるのが髪を切りに行けてないことです。 家から歩いて15秒のところに上京してきてすぐぐらいのころから通っている美容室があるからそこ駆け込めばすぐ解決する話なのですが、 この状況にあって、コロナウイルス自体、罹っても別に死にゃしないだろうと高をくくっているのは今でも変わらないんですが、もしも美容室行った後にコロナに罹ってしまったときに何か心当たりがあったらなんとも後悔が残るような気がして、よく知らないのだけど保健所かなんかがその美容室に行ったりなんかして結論迷惑がかかるのは美容室の側だしなーと思うので行っていない。 もう二か月以上その美容室に行っていないから、ずっと髪を切ってくれてるおにいさんは、おれが転職したことをまだ知らないでいる。
仕事は相変わらず広告屋をやっているんですが、毎年この時期になると「販促コンペ」っていう、おもしろ販促企画選手権大会みたいなものが盛大に行われるんですよ。それに向けて俺もいまおもしろ企画をない頭ひねって考えてるんですが、だいたいの企画が「コロナ以前」の世界線で行われることを想定していて、なんだかなと思うわけです。いやテメーの頭の中で考えてるだけの企画なんでこれからテメーの良きに計らいまくれよという感じなんですが、やっぱりどうしても「コロナ以前」のままの世界で行われている物事にどうしても納得できないっていうか、本読んだり映画見たりしてても、結局この物語はコロナとは関係ない世界の出来事なんだよなーと一度思ってしまうとやっぱり心のどっかに納得いかねーという気持ちが芽生えてきてしまうわけです。作品自体はなにも悪くないわけなんですが、まーそういうことがあると、 緊急事態宣言が解除される日が来たとして、世界がどのくらい元に戻るんだろうかいまひとつ疑問に思うわけです。ゼロ年代と2010年代との転換点があの震災とすると、それと同じような話で、2010年代と2020年代の転換点がこのコロナ禍になる可能性は十分にありうる話だと思う。なにかものすごく大きな取捨選択を、神様だかなんだか知らん誰かが行っているような気もしてくるってもんです。きっと働き方も生活軸もカルチャーも、2010年代のそれとはやっぱりちょっと違う新しいなにかが生まれるんだろうな。
取捨選択の中で何かが生まれるってことは、何かが淘汰されていくということとも同義で残る価値観もあればもちろん淘汰されていく価値観もあるだろう。たとえば、数か月前、横浜かどこかでクルーズ船が~みたいな話をしていたころは、まだ飲み屋も普通に開いていた。カラオケスナックもめっちゃ行ってたけどいまや店を開けている方が少数だろう。「コロナに負けるな!こんなときでも通常営業!」みたいな価値観はいまやほとんど淘汰されてしまった。思ってもいなかったのオンパレードでの、今である。どんな価値観が残ってどんな価値観が淘汰されるか、誰にも分からない世界におれたちは生きている。
今の世の中、ちょっと何かあるとすぐ買いだめに走るおっさんおばさん、トイレットペーパーとか絶対そんな使わんだろとかおれたちが嘲笑してる間にも、品不足とかなんとかいうデマを聞きつけた別の人たちが買いに走っていき、いやデマだし笑とかおれたちが言ってる間にほんとに品不足になるみたいなそんな話、この数か月で腐るほど聞いてきた。おれのアパートの裏にあるスーパーでもアルコール消毒液が入荷したとたんにカゴいっぱいに消毒液を詰め込むジジイとか冬眠前かってくらい食料を買い込むババアとか、ほんとうによく見る。ほんとにクソだなとおれ自身は思いつつも、テメーが生き延びるための生存戦略として合理性がある行動っちゃそうだよな、まあそうなるのも無理はないよなとも思うってのが本当のところで、自分が生き延びるうえで合理的ともいえる行動を取るジジイやババアと、それを指さして笑うおれ、どっちが先に淘汰される価値観なのか、それはだれにもわからないことだ。ちゃんとコロナが収束して、なんもなかったように好きな人と会って話して握手して、美容室の兄ちゃんにも転職したことを話しながら髪を切ってもらっている未来を望むおれの考えもまた、淘汰されてしまうものなのかどうか誰にも分からない。
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