Tumgik
rfat-blog1 · 6 years
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思う 考える 眠る
1年という長さについて考える。1年。頭の中でひらがなにしてみたり、カタカナにしてみたり、漢数字にしてみたり、英語にしてみたりする。それらはどれも1年で、365日で、春と夏と秋と冬である。 成田空港で手を振ったのは先週の金曜日で、ちょうど1週間前になる。彼はタイへ行った。月曜日の夜に電話をかけると「ねえ、いつ来る?明日?」と言った。見知らぬ土地で暮らすというのはどんな風だろう。わたしは待つだけだが、彼にはやることがたくさんある。わたしは変わらず東京にいて、実家で暮らしていて、友だちにはいつでも会えるし、街のいたるところに数々の日本語が散らばっているのを見て安心できる。彼はそうではない。わたしは寂しがっている場合ではない。 愛しさ募る8月、と彼は言った。彼にしてはずいぶんとロマンチックな言葉で、わたしはすごく嬉しかった。 珈琲を淹れると彼に会いたいと思う。わたしは彼のことをほとんど知らないし、一生それは変わらないだろうと思う。 いつでもいいが、いつだって思い出を語り合いたい。楽しい未来の話がしたい。わたしは彼にはなれないし、考えていることもわからない。別々の人間として別々に生きていくことしかできない。それでも、隣で見ていることはできる。隣で見ていて、後から「あのときこうだったね」と言ったり、「落ち着いたらこんなことをしようね」と言ったりすることはできる。わたしはそう気がついたとき、なるほどこれが愛なのかもしれないと思った。とにかく隣で見ていたいのだ、わたしは、彼の生きていくところを。 夕方や真夜中に家に帰ると、まず2時間の引き算をする。そうしてタイの時刻を知って、夜ごはんは食べたかしらとか布団に入るのはまだずっと先かしらとか考える。 書店に並んだ新刊を眺めて、きっとこの本を読みたがるだろうなとかこんな本を見つけたよと連絡しようかなとか思う。 かわいい花を見かけると写真を撮って送ろうとして、でもあの人は花になんか興味がないから別にいいかとiPhoneをしまう。 夜眠るとき、隣にいたらいいのになと思う。眉毛を指でなぞると少し嫌そうにすることを思い出す。あの嫌そうな顔が好きなんだよなと思っていると、頭の中にゆっくりと眠りのとばりが降りてくる。明日もまた同じように眠る。
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rfat-blog1 · 6 years
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7月の爪
河口湖のこと。 大雨に降られながら花火を見て、彼は少し不機嫌になったが、美味しい焼肉を食べて元に戻った。わたしは焼肉を食べすぎて少し吐いた。 ラベンダーは美しく、宝石博物館は夢のように光っていた。わたしは石がとても好きで、石の話を一方的にたくさんした。 美術館ではミュシャを見た。ミュシャについてはわたしより彼の方がずっと詳しく、中でも好きなのは《ヒヤシンス姫》だと言った。美術館には喫茶店が入っていて、わたし達はそこへ行ってお茶をしたが、妙に開けた空間とBGMのない異質な静寂のせいで現実の場所とは思えなかった。死んだらまたここへ来たいと思った。 書店でのこと、恐竜のこと。 彼はドゥルーズの『記号と事件』とウエルベックの『H・P・ラヴクラフト』と現代思想の2017年8月臨時増刊号を買った。それらは合わせて5千円程度で、彼はiDで支払った。 現代思想の2017年8月臨時増刊号は恐竜特集で、彼は何日か前に『ジュラシック・ワールド 炎の王国』を観に行ったばかりだったので、人文書の棚で恐竜特集の雑誌を見つけたときは大層うれしかったに違いない。 わたしは彼の顔を見ると、ジュラシック・ワールドに出てくるラプトルという種類の、ブルーという名前の恐竜を思い出す。あの理知的な目が似ている。 少し前、ティラノサウルスがプリントされたTシャツを2人で買った。わたしは恐竜のことが好きなのに、恐竜のことを何も知らなくて恥ずかしい。Tシャツなんか買う前に、図鑑を買った方が良かったのではないか。でもティラノサウルスのTシャツを着ながら眠るのはとても良い。とても良いのでよしとする。 ニーチェのこと。 わたしがニーチェを読んでいる間、彼はフーコーを読んでいる。わたしが石について考えている間、彼は恐竜について考えている。 水曜日のこと。 東京を去る彼の荷造りを手伝うため、バカみたいに暑い中電車に乗って彼の住む街へ出かけた。バーミヤンの前のベンチで彼が待っていて、それはなかなか似合っていた。彼は日替わりランチの3番と小籠包とごま団子を食べ、わたしは小籠包とおこわと杏仁豆腐を食べた。 あまりにも暑くてクラクラし、わたしの頭は割れそうなほど痛み、手伝いどころではなくなった。彼はクーラーの効いた部屋でわたしを横にして休ませた。キリンジを聴いた。わたしは声に出したり出さなかったりしながら歌った、「永遠と刹那のカフェ・オ・レ」。 頭痛薬を飲んで体調が良くなると、面白いくらいに仕事が捗った。わたし達は本を縦にし横にし、服を小さく畳み、順調に段ボール箱を積み重ねていった。 次の日の朝、部屋は段ボールまみれで、狭くてよそよそしい感じがした。彼がじゃがいもと玉ねぎの炒め物を作ってくれて、段ボールを見ながら食べた。わたしは化粧水やティラノサウルスのTシャツや押し付けられた本などを自分の荷物の中に仕舞い、やっぱりどうしても少しだけ寂しい気持ちだった。とても暑い朝だった。いつも通りでいたかったのに、彼は特別にわたしを職場まで送ってくれた。いつも通りでいたかったはずなのに、やっぱりどうしても嬉しい気がした。鋭い陽射しに刺されながらわたし達は手を離し、「じゃあね」と言い合った。彼の出国まであと1週間、それまでにあと2回会えるのに、振り返ったら泣いてしまいそうで、いつものように振り返ることができなかった。 ドクダミのこと。 iPhoneのカメラロールを見ていると、彼のアパートのドアの前で撮った写真がたくさん出てくる。どれも彼が靴を履いている写真で、わたしはそれを心の中で密かに「靴を履く彼氏とドクダミシリーズ」と呼んでいる。彼の家のドアを開けるとすぐに植え込みがあって、6月の終わり頃までドクダミが咲いていた。わたしはドクダミが好きなので、密集して咲くそれらを見るといつも嬉しい気持ちになった。ドアの前で写真を撮ると、出かける瞬間の彼とかわいいドクダミを一緒に収めることができるので気に入っていた。 7月も終わりつつあり、ドクダミはもう枯れてしまったが、メドーセージが花を開いた。彼はアパートを引き払ったので、わたしがあのドアの前でドクダミやメドーセージ、それに冬に咲く椿や沈丁花を見ることはきっと二度とないが、さっぱり忘れてしまうこともないだろう。クチナシの香りがすると決まって何かを思い出してしまうように、これから、ドクダミを見てもわたしは必ず何かを思い出していく。それは呪いではないが、希望とも違う。
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rfat-blog1 · 6 years
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シヴェルニーの庭
まだ4月なのに何かの冗談みたいに暑くて、満員気味の土曜日の電車に揺られながら少しだけ不快になる。隣の駅で降りてホームのベンチに腰かけ、ニューデイズで買ったいちご味のラテを飲む。全然美味しくないなと思いながらぼんやりしていると、人の背中と自動販売機との間をすり抜けてこちらへ向かってくるピンク色の恋人が目に入る。笑顔になる。「美味しくないよ」とラテを差し出す。受け取る恋人、ストローに口をつける、顔をしかめて、首をかしげる。 六本木駅で降りる。国立新美術館へ行き、至上の印象派展ビューリュレ・コレクションを鑑賞する。愛している人間と一緒にモネが見られるなんて夢のように素敵だろうと思いながら行ったけれど、わたしたちは館内ではいつも別々に歩き回るので肩を並べてモネを眺めることはなかった。 それにしてもモネは素晴らしかった。マネも良かったし、マティスも美しかった。ロートレックが1枚だけあって、以前恋人と一緒に三菱一号館美術館でたくさんのロートレックを見たことを思い出した。ルノワールは常時大人気で、まともに見るのに苦労した。 わたしは水が怖いが、モネの描く水に溺れて死ぬのなら怖くはないだろうと思った。 喫茶店でオペラとアイスティーを頼んで、変なデザインの呼び出しボタンを見つめながら時計の文字盤のようだなと思う。 カタカナばかり喋る恋人の声を追いかける。流れるように一息に喋ったり、突然ぴたっと止んだりするのを聞いてひっそりと山を思う。 わたしの髪の毛でみつあみをしてほしいのに、顔を見ると必ず忘れてしまう。今急に思い出した。もちろん、頼んだところで断られることもよくわかっている。 頭の中に様々な影が浮かんでは消えていく。素晴らしい絵画や不味いラテ、美味しいケーキ、みつあみ、等々。 恋人はパスカルを読んでいて、わたしは泉鏡花を読んでいる。 恋人はいつでもわたしのそばにいて、いつでもどこか遠くにいる。触ることができたり、霧のように消えてしまったりする。彼が一体何なのか、考え出すとよくわからないが、考えても仕方がないので目をつむる。 瞼の裏にシヴェルニーの庭が現れたらどんなに良いだろうと思うけれど、わたしの体は賢くないのでそんな風にうまくはいかない。ついさっきまで読んでいた泉鏡花の文章さえ、少しも思い出すことができない。 たくあん。たくあんのことはよく覚えている。たくあんがだいすきなわたしに、恋人はいつもたくあんを分けてくれる。 モネや泉鏡花のことなどすっかり忘れて、わたしたちは定食屋のお座敷席で向かい合って座る。多すぎるメニューの中から天ぷら定食と野菜天丼を選んで注文する。料理が運ばれてきて、それぞれの盆の上にはたくあんがちょこんと乗せられている。それを恋人は少しだけ食べて、あとはわたしに分けてくれる。わたしは黙ってにっこりする。たくあん、と思いながら帳のことを思い出す。連想ゲームがやめられないのだと気がつく。わたしはきっとずっと連想ゲームがやめられないのだ。 はっきりしないイメージだらけの世界で、チェスセットを買わなくちゃと思う。また連想ゲームだ。白と黒の馬が宙を駆けていく。音も立てず、ゆったりと駆けていく。
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rfat-blog1 · 6 years
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2018/01/31
21:20 エンドロール 部屋の電気を消してジャームッシュのコーヒー&シガレッツを見た。コーヒーカップで乾杯する人々を初めて見た。白黒映画はひさしぶりで、白い字幕が読み取りづらかった。眼鏡を新調しようと思う。 21:37 大きな靴 今夜はスーパーブルーブラッドムーンだそうで、よくわからないがそれは見なくてはならない。パジャマの上からコートを羽織って表へ出た。もうピンヒールを履く気にはなれないので大きな黒いスリッポンを借りた。 月は鋭く光っていた。左側がぼんやりと赤かった。やがて月が地球の影に入り見えなくなってしまうというので、その経過を見守ることにした。近所のコンビニへあたたかい飲み物を買いに行った。 10日も前に降った雪がまだ道路に残っていて、靴は大きくてバコバコするし、後ろにある月を見上げながら歩いたので危なかった。月はものすごいスピードで欠けていく。油断していると知らないうちに何もかもが済んでしまいそうだった。一秒ごとに遠ざかり、それに連れて赤みを増していくようだった。 21:51 きれいな石 月は完全になくなった。月のあったところに、赤くすべすべしたきれいな石が浮かんでいた。人々はそれを見ていた。わたしの愛する人もまたそれを見ていて、彼はすごいねと興奮しながら「遠いなあ」と呟いた。もっと近くで見たかったと言った。わたしはそのとき初めて、月が本当に遠くにあるのだということを知った。打ちのめされたと言ってもいいほどだった。わたしたちは、どうしようもないほどに月から離れていた。心細いと思った。 22:17 アラベスク アパートの前まで戻ってくると、隣の家からピアノの音が聞こえた。奏者はバイエルやブルグミュラーの旋律をつまずきながら何度も繰り返した。 空では見知らぬ赤い石がじっとしていて、愛する人はさっさと階段を上っていってしまって、微かな音量でアラベスクが鳴っていて、現実ではないような気がした。わたしはしばらくそこに立って、月のあった辺りを眺めていた。 22:25 水色 愛する人はテレビを見て待っていた。ダウンタウンの番組がやっていて、そのテーマカラーとも言うべき水色がひどく眩しかった。 月はいつ戻るのだろう、たしか23時頃から満ち始めるはず、調べたらそう書いてあった。欠けていくのがあんなにあっという間だったのだから、満ちていくのもすぐなんだろう。また外に出て眺めてもいいし、ぜひそうしたいと思ったけれど、愛する人は嫌がるだろうなと思い直した。 ぼんやりしながらテレビを見ていたら、眩しかった水色はみるみるうちに目に馴染んでいった。
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rfat-blog1 · 6 years
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バーミヤンで窓際の席に座り、やや斜めに降りしきる雪や白く染まった景色を眺めながらこれは銀世界ではないなと思った。雪といえば銀世界というイメージがずっとあったけれど、窓の外にある世界は銀というよりは灰色で、灰色というよりは白だった。太陽が出ていなかったせいかもしれない。朝目覚めてカーテンを開け、一晩中ひっそりと降り続けた真っ白な雪とそこに射す控えめな陽の光が合わさって初めて銀世界は誕生するのかもしれない。昼下がりの雪はどんよりとしていた。 嘘のように歩きにくい白い道を一生懸命に歩いて映画館へ行った。映画は大して面白くなかったが雪の日にわざわざあの大きなスクリーンの前に座るのは馬鹿げていて良かった。 夕方になっても雪は降っていた。帰り道の途中でてきとうに夕飯を食べることに決めて、恋人と一緒に雪の中を歩いた。以前行った韓国料理屋の隣にあるお店で牛すじトマト煮込みを食べてもいいし、やってなかったらまた韓国料理屋に行ってもいいねと話した。降る雪にはしゃいだり積もった雪に悪態をついたりしながら、わたしはずっと楽しかった。 半ば予想していたことではあったが、韓国料理屋もその隣の店もシャッターを下ろしていた。 わたしたちは少しだけ考えて来た道を何十メートルか戻り、怪しくて入りにくい台湾料理屋へ行くことにした。閉まっていた韓国料理屋も最初はものすごく怪しくて入りにくくて躊躇したが、ほんの少し勇気を出して行ってみたら美味しかったので今回も大丈夫だろうという、わたしたちは非常にお気楽な人々だった。 店内はやりすぎなくらいに広く、気品があるような、それでいてチープな、なんとも言えない変な空間だった。メニューは選びきれないほどたくさんあって、その上どの名前も向こうの言葉で書いてあるので全然読めなかった。名前の下に書かれた説明やプリントされた写真を参考にどうにかして選んで(大袈裟ではなく何分もかかった、ホールの台湾人はその間こちらを伺いながらずっとボールペンをカチカチさせていた)、あたたかいお茶を飲んで待った。 よくわからないまま入店したので何も知らなかったが、どうやらその店はあらゆる食材を大豆に置き換えて調理し、「鶏肉風大豆炒め」や「海老風大豆の天ぷら」などといった健康料理を売りにしているらしかった。 運ばれてきた鶏肉風大豆はたしかに鶏肉のようだった。たしかに鶏肉のようであるし、味もとても美味しくて、でも「鶏肉だよ」と言われても信じはしないであろう味だった。他に頼んだ春巻きは肉の代わりにキャベツがどっさり入っていて美味しかったし、麻婆豆腐は騙す必要がないのでただの美味しい麻婆豆腐だった。 わたしたちは満足してまた雪の中を歩き、韓国料理屋を通り過ぎ、はしゃいだり悪態をついたりしながら帰った。 コートや鞄にたくさん雪がついていた。手で払うのは冷たくて嫌な気持ちがした。アパートの階段はまだ誰も通っていないようで、雪が退屈そうにこんもりと積もっていた。 タイツを脱ぐと足の先が真っ赤になっていておかしかった。異様なくらいに寒くて、外は雪まみれだし、それなのにいつもと同じ人がいつものように隣にいるのが妙だった。翌朝のことを思うとうんざりしたが、そんなことは忘れて夢のような世界に乾杯したい気分だった。
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rfat-blog1 · 6 years
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可哀想なゴースト
思考がまとまらない。意味を持たないイメージの数々が一度きちんとした文字になって、そのまま全部がこぼれ落ちていく感じがする。ひらひらと舞うように。ことん、ことんと音を立てて。 
誰かが辻褄の合わないことを言って、変だなと思って、思っただけで呑み込んでしまう。そのようなことがよくある。行きたくもないデートに行ったり、食べたくもないものを食べたりするのと似ている。どうにかして自分を騙す。誤魔化すことには慣れている。気にするようなことじゃない、引っかかるようなことじゃない、辻褄なんて合わないのが普通なんだからと言い聞かせる。そうして少しずつ脳が欠け、魂が磨耗していく。 ふらふらする足でランチビュッフェの会場へ入り、すべてのテーブルの上にひとつひとつ飾られた黄色いカーネーションが菊の花に見えてぎょっとする。誰もそんなことには気を留めない。黄色いカーネーションにも、それが菊の花に見えてぎょっとするわたしにも。
嫌な気持ちのまま電車に乗って窓の外を真剣に見つめる。大きな白いビニール袋が道端に落ちていて、それはまるで雪のようだけれど、そんなことを言っても仕方がないので黙っている。笑ってほしい。わたしだけの神様に今すぐに会いたいと思う。 一晩眠ると世界は何もかも変わっている。それは毎日そう。新しい体と新しい魂を手に入れたわたしはそんなことには気がつきもしないで布団の中でもぞもぞ動き回る。昨日のわたしはどこにもいない、跡形もなく消え去り、代わりに似たような顔と体つきの女が鏡の中で不機嫌そうに立っている。毎日そうなのだ。 どこへも行かないと約束した人々。気が遠くなるほどたくさんの笑顔。それらはすべて幻で、思い出そうとするとヴェールをかぶって逃れていく。
どこへも行かないと約束したのはわたしも同じで、でもそれだって幻になった。亡霊たちは地上からほんの数センチだけ浮いて手を取り合い、気まずい様子でどこへも行けずにくすぶっている。可哀想なゴースト。わたしたちは永遠にそこにいて、誰も助けることができない。
無数のゴーストたち。どこもかしこもゴーストだらけの、そこは約束の街。まがいものの菊。ビニールでできた雪。
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rfat-blog1 · 6 years
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エンドレス・モノポリー
1月、頭蓋骨に膜を張ったような頭痛。 1月、現実から目をそらし続ける。 4月、素晴らしい再会を果たす。 4月、何もかもを受け入れようとして頭がヘンになる。 4月、想像もしていなかった悲惨な出来事が起こる。 4月、よくわからないまま心が死んでいく。 6月、人生の意味が少しだけわかる。 8月、全部捨てる。 9月、UFOを見る。 11月、神様に愛される。 11月、何もかもが突然大丈夫になる。 11月、生命の尊さを知り世界が全然違う風に見える。 11月、好きな人たちが実在していてうれしい。 12月、生きていて良かったと思う。 どんなにがんばってもうまくいかなかったことや、知らない間にもう手遅れだったこと、でも全てが嘘のように報われたこと。もしかして、思いきって何かや誰かを心から信じてみても大丈夫なんじゃないかと少しだけでも思えたこと。 父が死んで10ヶ月が経った。たまにどうしようもないほど心細いときがある。消えない怒りや憎しみや、もっと消えない愛情が、宙ぶらりんにずっとある。後悔は次から次へと浮かんできて、そのどれもこれも何もかもが父のせいなのに、わたしのせいのような気がしてきて子どもみたいに泣く。 神様は気まぐれみたいにプレゼントをくれた。でも今まで散々ひどいことをしておいて突然素晴らしい宝物を投げつけられたら戸惑ってしまう。ひとつたりとも過去のせいにはしたくないけれど、過去のせいでうまく生きられないのは紛れもない事実で、あの人たちのことを全員ぶん殴りたいと思う。まっすぐに人を愛することがどれだけ困難になってしまったか。 愛している人の目が、陽の光に照らされて夢か幻か宝石のように光っているのを見たとき、わたしは生まれて初めて美しさに泣いた。満ち欠けする虹彩のことを想う。心が静かになっていく。 改札の前で「よいお年を」と言い合う。コートの襟にワニのピンズが輝いていて、右目はやっぱりごくわずかに欠けている。 改札を通って振り返ると人だらけで、ニューデイズが緑色で、目が悪いからそれだけしかわからない。虚空か楽園に向かって手を振る。エスカレーターを上りながらありがとうと思う。2017年のこと、きっと一生忘れないだろうなと思う。生きていて良かったと思う。
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rfat-blog1 · 6 years
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大きな白いばけもの
何もかもが幻だったら嫌だなと思い始めて、一度そういう気持ちに囚われてしまうとそこから逃げ出すことはなかなか難しい。心から愛おしい人がほんの少しだけれどちゃんといて、愛おしさのあまり「実在しなかったらどうしよう」などと考えてしまう。ひとりよがりだなと思う。誰か叱ってくれたらいいのにとも思う。叱ってはくれなくても正しい光のほうへ導いてくれる人がいて、わたしはその人に救われた。その人はわたしの目を見て「大丈夫、いるよ」と笑った。ああ本当だな、本当にいるんだろうなと思える微笑みだった。それに��もし万が一幻だったとしてもまあいいかという気がした。それくらいすごいエネルギーだった。 23時過ぎ、部屋の天井の隅に備えつけられたエアコンがものすごく大きくて白い生き物のように、部屋の中にあってはならない場違いな化け物のように見えてきた。それはちょうどシロナガスクジラのようだった。 わたしはもうどうしようもないくらい心細い気持ちになってベッドの上から動けなくなった。 ひとりでは乗り越えられないと思って愛おしい人に連絡を入れた。その人はすぐに応じてくれた。嘘みたいにやさしかった。わたしは、変なことを言ってごめんと謝った。その人は「変じゃないよ、大丈夫、いっしょにがんばろう」と言った。いっしょにがんばろう。エアコンがシロナガスクジラに見えて怖くて心細くなっても、わたしにはいっしょにがんばってくれる人がいる。それだけで随分と楽になった。涙が出そうなくらいにうれしかった。 シロナガスクジラは長いこと天井の隅で息をしていた。ごおおおおと静かな唸り声を上げていた。それは紛れもない幻で、実在してはいなかった。わたしはいつでも幻に脅かされて、どうしてもサメのことを考えてしまって湯船に浸かることができない。何か邪悪なものに足を引っ張られるのではないかと気が気ではなくてマンホールの上を通ることができない。冷蔵庫と壁の間にできたわずかな隙間がブラックホールのようで台所が恐ろしい。4が怖い。 バカみたいだ。わたしは自分のことがすごく恥ずかしい。変な奴だと突き放されてしまったらどうしようと思う。愛おしい人はわたしを突き放したりしなかった。変じゃないと言った。大丈夫だと言った。神様が現れたのだと思わずにはいられない。しあわせになってはいけないような気がずっとしていたけれど、その人はしあわせになって良いんだよと言った。しあわせになってほしいと。生きていれば良いことがあるというのは本当だった。わたしは突然神様と出会ってしまった。 何度も思い出す夢がある。わたしは黄金の海辺に誰かと並んで立っていて、空に浮かんだ虹を眺めている。虹はどろどろに溶け出している。淡いピンクと蛍光イエローだけを空に残し、その他の色たちは水飴のようにゆったりと海へ降りて行く。淡いピンクはどんどんどんどん清潔で美しい表情になっていき、蛍光イエローはどんどんどんどん鋭くいやらしい表情になっていく。夢の中でわたしは、世界が終わっていくのがわかった。 溶ける虹のことを想うと心がざわざわする。あんなに美しいものは他に見たことがない。夢の中に閉じ込められてしまいたかった。やがてそれは現実になっていく。わたしは夢と現実の境目がわからなくなる。幻と実在するものの違いもわからなくなり、幽霊のように生き始める。最近、幽霊の気持ちがわかるような気がする。 わたしがそんなことを言い始めればまたあの人は笑うだろう。少し悲しそうにするかもしれない。心の中に宝石があると、生きるのがほんの少しだけ大変になる。大変な思いをして生きていきたいと思う。幽霊のようにではなくて、ちゃんと人間として、大変な思いをして生きていきたい。
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rfat-blog1 · 7 years
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銀色の夢を見る
一人で足を運んだ映画館で、大きなスクリーンに映る太った女の人たちを見た。彼女たちはほとんど裸で、飛び跳ねたり体を揺らしたりしていた。真っ赤に輝く唇がものすごく美しくてうっとりした。 ぼんやりしているとどんどん時間が過ぎていって、最近はそれがすごく怖いことのように思える。いろんなことをあやふやにしたまま物事を進めてしまった。自動的に何もかもが片付いてくれたらいいのに。 不自然に暗い教室の中でやさしい歌を聞いた。まっすぐな愛の歌だった。その日家に帰ってからインターネットで調べてもう一度聞いた。 人が多すぎる場所で走る馬を見た。馬たちは気高くて綺麗で、作り物のように確かだった。四方八方から様々な音が聞こえた。人々の喋る声や新聞を捲る音、場内アナウンス、ペンを走らせる音。 人の家にお邪魔し、こたつに入って本を読んだ。家主もまたこたつに入り、勉強をしていた。ずっと長いこと黙っていた。小説の中では万物が砂に覆われていた。少しだけ、息が苦しかった。 誰かと会話をしながら、ドラゴンのようだなと思う。目を見つめると、今度はアリのようだとも思う。わたしの言葉が形を失わずそのままの熱を保って相手に届いたとき、あまりのうれしさに泣き出しそうになる。ドラゴンのように力強い心とアリのように繊細なやさしさを持った誰かのことを想い、胸を打たれることがある。 あまりにもすごい多幸感に包まれると具合が悪くなる。めまいがして、動悸がして、頭が痛くて吐きそうになる。幸福が訪れるなんて幻のような気がする。しあわせになってはいけないような気がする。それで体がおかしくなってしまうのではないか。弱っていると、そんなことを延々と考え続けて夜が明ける。 部屋は寒すぎるし、街は煌めきすぎている。 イルミネーションのまばゆさで何もかもが霞んで見える。木々が、死んだようにひっそりとしている。何か絶対的なものが街を支配したとき、全てのものが思考を停止したかのように思える。 銀色の夢を見た。街が半田付けされる夢だった。巨大な銀色の棒が降りてきて、信じられないような熱を受けてドロドロに溶け出す。車と車、標識と看板、シャッターと人、猫と犬、あらゆるものが銀色の波にさらわれながら繋がっていく。わたしたちはひとつになる。海のように。 銀色の海は美しくて、生命の尊さを強く感じた。 少し前まで死は消滅だと思っていたけれど、そんなことはないかもしれないと思うようになった。絶対に消えてしまったりしない。ずっとそばにある。たぶん、ある種の呪いのようなものだと思う。わたしたちは死者たちに呪われて生きていくのではないか。背負うとか、故人の分まで生きるとか、そういう複雑な話ではない。生きているか死んでいるかなんて、大した問題ではないような気がする。 映画館で見た美しい唇が忘れられないので、新しい口紅を買うことにした。わたしも強くなりたい。ドラゴンみたいに。 踊りながら眠ったり溺れながら歌ったり祈りながら知ったりして、その度に傷ついても大丈夫なように、ドラゴンみたいに生きたい。
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rfat-blog1 · 7 years
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宙に
小さいクレーンを大きいクレーンが持ち上げて、大きいクレーンをもっと大きいクレーンが持ち上げて、そうやって高層ビルを作るんだよという話を聞いた。 八王子駅の南口にある広場みたいなところからクレーンが見えて、わたしはそれを見て「あれの名前何だっけ」と言った。クレーンとショベルカーがいつも混ざってしまう。吊り上げるのがクレーンだよ、クレーンゲームって言うでしょと教わって、なるほどねと思って、これでもう完璧に覚えられたと思う。 八王子駅の南口にある広場みたいなところはクリスマスのようだった。木がたくさんあって、木を囲うように丸くベンチが備えられていて、ほどよい狭さで、ショッピングモールの中庭みたいだった。電飾を引っかければすぐにでもクリスマスがやって来そうだった。世の中にはクリスマスの素質を持った広場とそうではない広場があって、八王子駅の南口にあるのは確実にクリスマスの素質を持った広場だ。クリスマスのために生まれてきたと言っても過言ではない。だって本当に聖夜のような気持ちになったから。 上へ行くごとに大きくなっていくクレーンのことを思うと変な感じがした。 「最後のクレーン、どうするんだろうね」と、クレーンの話をしてくれた人が笑いながら言った。その後すぐに自分��「たしかヘリコプターで運ぶんだったかな」と続けていたけれど、高いところに取り残されたクレーンを一度想像すると頭から離れなくなってしまった。わたしは「取り残されたクレーン見てみたいね」と言って、その人は「見てみたいよね」と答えた。 何週間か前、虹が出た日、急いで家に帰って母に「虹が出てるよ」と知らせた。わたしたちは立派なアーチ型にかかった虹をマンションの廊下から眺めた。下に目をやると、通行人が虹に気づいて立ち止まったり気づかないまま歩いて行ったりするのが見えた。 幼い子どもとその母親が虹を見ていて、横を通り過ぎようとする人に話しかけていた。親子は虹を指差して、話しかけられた人はそれを目で追い、そっけない様子でその場を去って行った。わたしの母はそれを見て「あの人、虹に慣れてるのかしらね」と言った。 虹に慣れているとは一体どういうことか。雨女だけど晴れ女だとか、そういうことだろうか。 もしもあの虹がずっと出たままで、夜になっても明日になっても消えなくて、もう本当にずっとずっとそこに居座ることになったら。 わたしたちは虹に慣れてしまうだろう。初めのうちはわたしたちの街に報道陣や観光客がたくさんやって来て、インタビューして回ったり写真を撮ったりするだろう。わたしたちだって色んな人に話して聞かせるに違いない��� でも3ヶ月も経たないうちにみんな慣れてしまう。虹が出ていなかった空のことなど忘れてしまう。虹は当たり前になって、生活の中に埋もれていく。誰もが虹の下をすたすたと歩き去って行く。わたしはたまに虹を見上げて、どうしてこんなことになったんだろうと思うかもしれない。よそから来た友だちに「あ〜これがあの虹か、本物はやっぱりすごいね!」みたいなことを言われてやっと、ああそうだ珍しいことだったんだと思い出すのかもしれない。 宙に取り残されたクレーンはどうか。ずっと出たままになった虹のように忘れられていって、ついには誰一人として「下ろさなければ」なんて思わなくなる。クレーンは高いところにあって、でもそれが当たり前になって、下ろす必要だってどこにもないんだと思い込んでしまう。 そんなところまで想像して少しだけ寂しくなった。ヘリコプターがあってよかった。取り残されたクレーンを見てみたいという願望が消えたわけではないけれど、あんまり楽しい気持ちにはならないかもしれないと思った。 イッカクやスヌーピーのことを書くつもりだったのに、何にも思い通りにいかない。
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rfat-blog1 · 7 years
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UFOも見たし、帰るね
人へ渡す誕生日プレゼントにしようと思ってサボテンを買いに行った日、21時頃、唐突にその人から連絡がきた。わたしたちは急遽会うことになった。 その人はサボテンのことなんかちっとも好きじゃないかもしれないし、すごく好きかもしれないし、それはわからなかったけれど、その人が誕生日に何をもらったら喜ぶのか見当もつかなかった。本当はトイレットペーパーとか煙草とかのほうが良いのかもしれなかった。お店の人が、きちんと育てれば花が咲きますと教えてくれた。わたしはそれを伝えた上で渡すべきだったのだろうけれど、すっかり忘れてしまった。忘れてしまったし、覚えていても言えなかった気がする。 今にも消えそうな電灯のある公園でぽつぽつと喋った。電灯は暗くピンク色に光っていた。どうしてピンク色をしているのか全然わからなかった。その人に聞いたら説明してくれたけれど、「水銀」と「低温」という単語が出てきたことしか思い出せない。そのときはわかったような気がしたのに、ものの数時間で忘れてしまうなんてバカみたいだ。 自動販売機でココアを買って飲んだ。どうでもいい冗談で少しだけ笑ったり、あとはずっと黙ったり、周りの物音に耳をすませたりして過ごした。空気が柔らかかった。その人が隣にいると、その気配だけで何もかも全てが柔らかくなったように思える。でもこれは魔法みたいなものなので誰にも言わない。 UFOを見た。 その人の写真を撮ったとき、奥の空を光がすうっと横切っていくのが見えた。慌てて確認すると、2枚ある写真のどちらにも白い点が写っていて、点は下から上へ移動していた。 これは絶対にUFOだと信じ込み、わたしはそう言って、その人は「怖いね」と言った。わたしたちはUFOを見た。UFOを見たことはそうそう忘れない。その人にサボテンをあげたことや公園で喋ったことなんかは忘れてしまうかもしれないけれど、一緒にUFOを見たことはきっといつまでも忘れないだろう。 UFOを見てから10分くらいして、その人は帰っていった。サボテンの入った紙袋を持って、笑顔と呼ぶには頼りないような笑顔を一瞬だけ見せて、じゃあねと手を振って帰っていった。 「UFOも見たし、帰るね」
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rfat-blog1 · 7 years
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ココア
帰路。冬の容赦ない寒さ、その鋭さが、こんなにも有難いものだなんて知らなかった。 夜道を歩いた。街灯があるのかないのかもよく分からず、でもちゃんと歩けたのだから確かにあったんだろう。暗闇をしっかりと照らしてくれていたに違いない。空気はひどく冷たくて、怖いくらいに澄んでいた。空が綺麗だった気がする。目が悪いのでよく見えない。 一曲だけ音楽を聴いた。大切な曲。大切すぎるあまり一年に一度聴ければいいほうで、その日はその、特別な日だった。胸が締めつけられるので、気軽な気持ちで流せないのだ。 もちろん、涙は止まらなかった。止める気も、ほとんどなかった。あまりにも悲しくて、そのとき初めて、痛いほどの寒さを有難いと思った。こんなときに暖かく包み込まれたりしたら、たまったもんじゃない。
帰宅。ベッドも最初はよそよそしく冷たかったけれどそのうち温もりを帯びてきて、なんとなく居心地が悪くなる。一人きりになりたい気分だったし、一人きりだった。やわらかなティッシュだけが側にいた。やわらかなティッシュは良い。やわらかいし、喋らないから。 みるみるうちに頭が痛くなっていき、いつまでもぼーっとしていた。骨の外側に薄い膜が張ったような、頭痛。頭蓋骨が地球になったような気持ち。オゾンの層を感じる。 ぼーっとした頭で考え事をして、とても疲れて、それでも眠れず、バカみたいにただ横になっていた。長い間。ずいぶんと時間が経ったような気がする。夜は、いつまでも明けないような顔をしてそこかしこに充満していた。
起床。ああ、明けない夜がないというのは本当だったんだ。大いにほっとして、ほんの少しだけ絶望した。 前の晩ドトールで飲んだココアの味が消えずに残っていた。舌に、ではない。たぶん、頭に。ココアは甘くて熱かった。とても熱かったのに火傷はしていない。火傷くらい、したかった。ドトールの二階。カウンター席。煙たい店内。低く小さな声。優しい眼差し。 重い体を起こし、布団を剥いで、がんばってシャワーを浴びた。ものすごくがんばった。ちゃんと着替えたし、化粧もした。コートを羽織って靴を履き、職場へ向かった。それだけでひどく疲れた。でも、一人で家にいるよりずっと良かった。
これを書くのに二日もかかった。頭が悪いから。途中でやめてもよかった。でも、どうしても忘れたくなかった。
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