Tumgik
paraphiction · 3 years
Text
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俺はもうすぐ死ぬ────。
そう考えながら生きてると、いろんな物事がどうでもよくなる瞬間がある。そして決まってそんな瞬間には、自らこの命を絶ってしまいたい、なんて衝動に駆られる。
たとえば、車を運転中に、前方の車に猛スピードで追突してしまいたくなる衝動。あるいは、階段で下階に向かうときに、意図的に足を踏み外してしまいたくなる衝動。
物事がどうでもよくなるんだから、今やってることを放棄して、何もせず放心状態になればいいはずなのに、決まって芽生えるのが、死に向かう衝動。つまり何もせず時間の流れに身を任せるくらいなら、自分の身に流れる時間を終わらせてしまおう、ということなのか。
本当に、もうすぐ死ぬのか────?
わからない。単なる願望に過ぎないかもしれない。ましてやただの思い込みかもしれない。少なくとも根拠はないんだから。
本当に死期が迫った人間なら、衝動的な自死を選ばなくとも最期を待つだろうし、自暴自棄になる余裕もなく生前整理で精一杯だろう。
だとしたら、死への憧れ────?
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パラフィリア(性嗜好異常)
この言葉と出会ったのは、とある作品がきっかけ。
『Paraphilia』 / THE NOVEMBERS
ネットで言葉の意味を調べれば、知りたくもない情報までオマケとして見せびらかされるくらい、情報過多な世の中。
この作品にこのタイトルが付された意図は、正直まだ理解できてない。きっと表面的で辞書的な意味の範疇を超えた世界があって、それを象徴する言葉がそれだったんだと思う。
「異常」の対義語は「正常」だけど、性的な嗜好の正常性を定義する模範解答って、何だろうね。性的なコンテンツがタブー視される現代では、人間の生殖本能を司る性欲は否定の対象であって、そこには正常も異常もないだろって思う。
お笑い、音楽、映画、文学、絵画、、、。
挙げれば切りがないカルチャーと同列に、成人向けのお酒もタバコも並んでて、恋愛の延長にあるエロティック文化もそこに並ぶものじゃないのかな。
そしてそれぞれの分野ごとに流派みたいなジャンルがあって、エロ文化で言えばAVのカテゴリーがそれにあたると思う。
ロックが好きな音楽好きもいれば、クラシックが好きな音楽好きもいて、どちらも音楽嗜好に正常も異常もない。それなら、純愛の延長にある性的欲求と、SMのように痛みを快感とする性的欲求と、異なる性的な嗜好ではあっても、正常か異常かの二項対立で定義するのはおかしくないか?
もちろん、死姦とか殺人性愛みたいに行為が法に触れるような性嗜好もあるわけで、そこは法治国家の下に行為として制限されるべきなジャンルといえる。でも思想の自由が法の下で保障されてる法治国家で、その行為には及ばない段階での快楽の対象としての憧れは、異常とされてよいのか?
なんてことを考えてたら、自分の性嗜好を無意識に普通かどうかというパラダイムに収納することも、勿体なく思えてしまった。
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