Tumgik
p1zzapi22a · 1 year
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なんとか生後100日を過ぎたので、入院中~退院して数日間書いていた日記を今更見返したりしている。なかなか貴重な体験をしたので自分のために残しておこうと思う。
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いよいよ予定日が近づいてきて、私はと言うと出産が怖くなり突然泣いたりと、かなりはちゃめちゃな精神状態になっていた。
予定日の10日前、旦那とおなかいっぱい夕飯を食べた夜中の0時頃、そろそろお風呂に入らなきゃなどと話していたら突然破水した。びっくりしたのは本当にお腹で破裂音が鳴ったこと。話には聞いていて半信半疑だったが音がするのって本当だったんだ。
陣痛タクシーで産婦人科へ。
旦那が居ない時に破水か陣痛が来たら怖いな…と不安がっていたので家にいるときで良かったと思った。おチビ、空気読んでくれてありがとう。
緊張なのか急に手足が冷えて車内で震えが止まらなかった。
産院に着いて試験紙で破水と確認。即入院。
陣痛がまだ来てないので旦那は一時帰宅。 配車したら行きと同じタクシーの運転手さんで旦那だけ帰るかもと思い近くを流してくれていたらしい。感動…なんていい人なんだ。
その後軽い陣痛のような痛みが始まる。
痛いのに不思議と眠くなる。少し寝る。
起きると痛みが10分~5分間隔になっていたが耐えるしかないらしく陣痛室でなんとか過ごす。心細くて長い長い夜だった。
朝7時頃、子宮口3cm。まだまだ。
とにかく痛くて寝てられない。座ると楽なので座って小刻みに寝た。
10時前に子宮口7cmくらいになったので旦那に連絡して産院に来てもらうが、なぜか陣痛が弱まり室内を永遠歩かされる。これがしんどすぎて「痛いよ~」「嫌だよ~」と子供のように泣きながらとぼとぼ歩いていた。
子宮口は開いてきたけれど陣痛間隔が開きすぎてて分娩はまだ出来ず、ただ時間が過ぎてゆく。
わたしの体力がもう限界のため促進剤で促すことにして分娩室へ。やっと終わる~~~と思ったのもつかの間、地獄へようこそ!!!!
こんな痛みがあるのかという痛さだった。
いきむのは本当に便秘うんちを出す感覚だった。これも聞いていたのでまあまあ上手くできた気がする。
しかしなかなか出てこず、赤ちゃんの心拍が少し弱まってしまったので最後は吸引に切り替え。
吸引でも上手くいかなさそうな気配でなにやらわたしの股の前で先生と助産師さんがあーだこーだ言っている。なんかでっかい銀の怖い器具みたいなのがチラッと見えた。なにあれ?
汗と涙といろいろでべちょべちょだし下半身がどうなってるかもうわからん。
本当に痛い時は声が出ないなどと聞いていたが声を出さないと気絶してしまうと思ったので声を出したらスパルタドクターに「声出す暇があったらイキむ!!」と言われ続け泣きながら息を止めて頑張った。
最後はドクターの全体重でわたしのお腹をおしつぶしてちびを出す作戦。いやあんなにお腹大切に守ってきたのに最後の最後そんなことしていいの?????
ぎゅうぎゅう押されてもうダメだと思った瞬間に「ひぎゃ…」と小さな一声を聞いてその時だけ痛みもなにも感じなくなった。
終わった…!!!!!!!!!!
姿はまだよく見てないけど今この瞬間初めて肺呼吸をした人は元気に大声で泣いている。
いろいろネットで見て恐れていた会陰縫合はもちろん痛いけど、お産に比べたら「いた~い」てくらいのレベルだった。アドレナリンすげえ。トイレもめちゃくちゃ怖かったけどさほど痛くない。終わったから言えるけど陣痛の方が辛かったかもしれない。
身体を拭いてもらったチビがわたしの上に乗せられた。に、人間だ…………。目を開けて、息をして、頭からつま先までしっかり人間だ。
はじめまして。
部屋に帰って少しご飯を食べて旦那は帰宅。
気絶するように少し眠った。
出産直後は涙なんて出なかったのにベッドに入ったら疲れと安堵と寂しさが一気に押し寄せてきて涙が止まらなかった。
部屋に連れてこられたチビはすごくかわいい。本当にさっきまでお腹にいたの? 目が大きくて髪の毛がファサファサで耳の形がとっても綺麗。
あなたに何かあったらどうしようと毎日気が気じゃなかったけれど、とりあえず健康そうで安心したよ。
どこにいてもチビと身体を共有してずっと2人一緒だったのに胎動のしない空っぽのお腹 少し寂しいような気もする。でもこれからは毎日顔を見られる。嬉しい!
長い長い時間そばに居てくれた旦那には心から感謝。この人と結婚して本当に良かったと改めて思った。
助産師さんも先生も全力で私とチビを会わせてくれて感謝してもしきれない。
産後ハイやマタニティブルーなどあまり信用していなかったが、実際そうだった。
産後1日目は痛みがまだアドレナリンで緩和されていた感じがするが2日目は全身激痛だしもう理由も無く涙腺から溢れ出る涙。毎日夜中2時間くらいずっと泣いていた。
時間が無くて自分達で地面にカメラを置いて撮った斜め構図のど素人マタニティフォトを見返していて、もう夫婦2人だけの時間は二度と戻らないのだと思ったら更に涙が止まらなかった。
決してマイナスの意味では無く、抗えない時の流れを実感した。
3人���なったこれからの一日一日も二度と同じ日は来ないし、過ぎ去るばかりで時間は有限だということに改めて気が付かされた。大切に大切に上書きしていかなければ。
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出産は痛くて怖くてどろどろで発狂寸前の誰にも見せたくない姿になってしまうけど何かすごい経験をしたことは確か。
神秘的などとよく言うが、神秘的というよりあれは紛れもない医療現場。全員で頑張る医療現場だった。
この子がこの先苦しくて辛いことを経験した時、それを親は代わってあげられないけれど、出産だけは苦しみを半分受け持ってあげられる唯一の瞬間だと助産師さんから聞いて、あの痛みに耐えた苦しみが報われた。
人生で1番頑張ったと言える壮絶な18時間だった。
そして顔も声も知らなかったはじめましての人間を心から愛せることに驚いた。可愛いと思えるかどうかなんて不安は瞬く間に消え去り、わたしは母になったのだ。
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●持ちもの評価
・おうちの香りのするバスタオル◎
産後枕に敷いてよく眠れた
・お茶◎
水は味気ないしポカリは甘くて受け付けなかったのでお茶は絶対あったほうがいい
・ウィーダーインゼリー△
甘いしなんか飲み込めん
・ストローキャップ◎
絶対絶対絶対いる!!!!!!!
・レッグウォーマー◎
寒かったので助かった
・お菓子×
ネットでは持ってくといいと書いてあったけど食べる気力無いし産院でおやつが出た!
バッグは分けて用意しておいてかなりスムーズだった。
・入院バッグ
パジャマ/バスタオル/靴下/レッグウォーマー/生理用品/箱ティッシュ
・陣痛バッグ
スマホ/母子手帳などの基本品/飲み物/充電器/ティッシュ/タオル
常に枕元に置いておきたいものを入れれば間違いない
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退院日はクリスマスだった。
ベタなこと言うようだけれど我が家にかわいいクリスマスプレゼントがやってきた。
そして先日100日目を迎え、毎日たくさん笑い、たくさん泣いて、たくさんミルクを飲んでふくふく元気に育っている。
ゆっくり成長しておくれ。
そんなこんなで忘れる前の産後メモ。
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p1zzapi22a · 1 year
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新しい命を授かり、あっという間に妊娠35週に入った。順調に行けばの話だが来年には知らない人間が家に1人増える。この重い身体ともあと1ヶ月程の付き合いなので今の気持ちをちょこっとメモしておこうかなと思い時間を見つけてはつらつらと書いている。
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この様な話題に生理的な苦手意識や嫌悪感を抱かれる方もいらっしゃるか��思いますのでそういう方はお戻りくださいね。
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私は自発的に「絶対結婚したい」「子供が欲しい」などと思ったことが無かった。自分が親になるなんて考えられなかった。子供が嫌いとか産みたくないというより、単純に想像が出来なかったのだ。
赤子を見ればもちろん普通に可愛いと思うし、知り合いの子供と遊んだり姪の面倒を見たこともある。でも明らかに子供と触れ合うのに向いてないのだ。そんな風に不器用に接する私に子供側も警戒するのか、懐かれることもないのであった。
自分の事をまともに大切にすることが出来ず、周りが普通にやっていることも満足にこなせずお金も無い。こんな人間には子供云々以前に結婚すら危うい、そう思っていた。
浮き沈みを繰り返しながら深く考えず適当に生きているうちに色々なきっかけがあり旦那と出会い、結婚した。それでもやはり子供の事を考えるなどしなかった。
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我が家は月一で夫婦会議のようなものをしている。とは言ってもそんな厳かなものではなく、どこかで美味しいご飯を食べながら先月の振り返りやお互い思っていること、これからの予定などを話しながらノートにまとめるというものだ。これがとても良い時間でかれこれ5年ほど欠かさず続いている。
とある日の話し合いでふと旦那が「やっぱり子供は欲しいな」と漏らした。そう言われて驚きはしなかったものの、じゃあ作りましょうとは言えず、今はあまり想像が出来ないということ、夫婦2人の時間をもう少し楽しみたい気持ちが正直あるということ、そして出産によって自分のやりたい事の幅が狭まるのではないかという不安を伝えた。
旦那は否定せずにうんうんと聞いてくれたが話していく途中に「気持ちは分かるが出産にはどうしてもタイムリミットがある。特に女性はリスクが伴うので待つにしても限度がある」というような事を言った。その言葉が妙に重荷に感じてしまった私は「男性は一時の快感だけで済むが女性は想像を絶する痛みを感じながら命をかけて産まなくてはいけない、それは強要されるべきでは無いし、もし直ぐに子供が欲しいなら私と居ることは正解では無いかもしれない」と、酔っていたこともあり泣きながら叱りつけるような口調で旦那に訴えた。
今思えば私を1番大切にし、守ってくれている人に酷いことを言ったと思う。男性には男性の苦労があるというのに。
直ぐに和解したが、その後は特にこのような話題を積極的にすることは無かった。私に気を遣ってくれていたのかもしれない。
結局のところ計画的に妊娠したわけではないのだが、言葉にせずともそろそろいいかななんて考えていたら直ぐに授かった。本当にすぐだったのでびっくりした。
そろそろいいかなと思うはっきりとしたきっかけがあったわけではないが、ぼんやりと考え始めたのは強いていえば祖父の死がきっかけだったのかもしれない。
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私は父と数年しか一緒に暮らしていない。悪い人では無かったし、アーティストだった父から学んだことは多々あるが、所謂浮世離れした人間だったので母と頻繁に衝突しており長い長い別居を経て両親は離婚した。
そんな私は幼い頃から祖父母の元で育ち、父親よりも長く共に暮らした祖父は私の誕生日に亡くなった。
私に覚えていて欲しかったのだろうか。
いつかの正月に姪をとろけた眼差しで見ていたのが私の記憶にある最後の祖父だ。
初孫として特別可愛がってくれた祖父に私は曾孫を見せられなかったなあと火葬��にふと思ったのだ。
その後旦那方の祖父も亡くなり訃報続きの中、夫婦や親子の在り方、子孫を残す意味のようなものについて考えたりした。何が幸せかは一概には言えないが、今1番愛する人と新しい家庭を作り上げていくのも悪くは無いなと思った。
旦那方の祖父の法要帰り、鼻水が止まらず熱っぽかったので疲れからくる風邪を引いてしまったと思った。気合いを入れるためにアルコール消毒!などと言いながら疲れきった身体に電車内でビールを流し込んだりしていた。が、どうにもしばらく倦怠感が抜けず、数日後に旦那が買ってきてくれた検査薬を試したら陽性。体調不良のくせに酒も煙草もかまわずやっていたのでとても焦った。当たり前だが良くないとされる嗜好品は全てその日にやめた。
健診に行き改めて妊娠を確認、モニターに映る点のようなものがこれから成長するらしいがあまりにも小さくて信じられなかった。
実感の無いまま悪阻に絶望する日々が始まる。
こめかみを釘打たれるような頭痛、激しい胃痛、今まで普通に食べていたものが全く食べられなくなる。からあげクンとフライドポテトとチョコスティックパンで生命を維持。生まれて初めて味わう生き地獄だった。
補助があるとは言え、定期的にある検診料も地味につらい。
悪阻で干からびたナマコのようになってしまった私に対して文句1つ言わずに色々な事を調べ、最大限のサポートをしてくれた旦那には随分助けられた。今も妊婦の身体の変化や新生児の事について私以上に調べており本当に凄いなと思う。私といえば沐浴の勉強すらまだしていない。
拷問のような悪阻が終わり、妊娠中期はそんな日々が嘘だったかのように気分爽快体調絶好調でご飯が美味しいこと美味しいこと。そして気がついたら10kg体重が増えていた。何事。羊水や増加した血液量、胎児の重さを差し引いても割に合わない…健診で叱られないか毎回ビクビクしている。そろそろやばそうである。
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あれよあれよと月日は過ぎて現在35週目、所謂妊娠後期。痩せ型だからそんなに大きくならないかもねーと言われ甘く見ていたお腹もしっかり出てきて、とにかく身体が重い。歩くのが大好きなのに直ぐに動悸がして立ってても座ってても色んなところがめちゃくちゃ痛い。
かと言って夜寝ようと横になると体内で大運動会が繰り広げられ、みぞおちと膀胱に激痛、急激に重くなった自重により下にしている方の腰骨にアザができたりして全く眠れない…。後期は後期でとても辛いが、毎日感じる胎動やまだ見ぬ存在を思いながら夫婦2人で過ごす時間、四六時中一心同体である期間もあと僅か、そう思うとなんだかんだ名残惜しく感じるものだ。
と同時に今度は出産への恐怖が襲ってくる。あまりにも怖い。新生児を見ると小さくてびっくりするが、人の身体から出てくるには大きすぎるので卵で産ませてほしい。
痛みもだがそもそも無事に産まれてくるのか、万が一なにか疾患があったらその時私は受け止められるのか。
考えても仕方の無いことだが気を抜くと狂いそうになる。
未知の経験の連続で疲れてしまう時もあるけれど逆に良かったこともそれなりにある。
今まで疎かにしていた自分の身体を大切にしなきゃと思えたこと、豆粒サイズの物体が心臓や脳をひとりでに形成して体内で育っていく人体の不思議を感じられたこと、自分がここまで大きな事件事故に巻き込まれること無く健康に生きてこられたことへの感謝。母親の偉大さ。
まだあるけれど特に強く感じたのはこのあたり。これらは改めて気がつけて本当に良かったと思う。
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以前は子供が産まれたら夫婦関係が変わってしまうのではないか、自由な時間はあるのか、私という存在が世の中が決めつけている母親像に飲み込まれないかなどという不安が染みのようにじんわり広がっていたが、我が子は守るべき存在ではあるけれど私の分身では無い。思い通りにはコントロールは出来ない。
私は私、子は子で全く別の個体であり何れは自分の事は自分で決める。それが出来るまで夫婦で見守れば良い。
私はお絵描き、ゲーム、飲酒、散歩が大好き。もちろん我慢する期間はあれど、別にそれらを子の存在により諦めたりする必要は無いのだ。そう思えてきた最近は、幾分か気持ちが楽になった。
未だに拭えない不安はあるし、我が子の成長日記のようなものを包み隠さず投稿している知り合いのSNSにどうにも興味が持てなかったりするのだが、本能なのか私の中に少しだけ、ほんの少しだけ母性が芽生えているのも事実。身体を動かしたり話しかけたりするとモニョモニョと動くお腹をとても愛おしく思う時がある。
今はとにかく無事に予定日を迎えることが目標。
まだ仕事も納まっていないし、実を言うと引越しもあるのだけど。
歳をとるにつれてまあどうにかなるよね精神が鍛えられているので今回もそう願ってなるべくリラックスして過ごしたいと思う。
そんな覚え書き。
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p1zzapi22a · 1 year
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tumblr開いたの3年ぶり
なんだかTwitterのサービス存続が危ぶまれてたけど大丈夫そうね
にしても過去の投稿はブラックな仕事にだいぶやられてるのを感じ取れるなあ…恥
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p1zzapi22a · 5 years
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以前と比べて本当に元気になったと思う。
根っこが暗いのは相変わらずでとんでもない絶望に泥のようになってしまう事も頻繁にあるのだけど
やはり
確実に元気になったと思う。
1番精神的に酷かった美術予備校時代、
講評終わりに酒を飲みながら頭を長机に打ち付けて死にたいと喚き散らし号泣しているのを見た講師が机と私の頭の間に手を入れて止めたりしていた。
地獄絵図だ。
絵に書いた様なメンヘラで今思い出しても吐き気がするような時期。
ある時予備校を休みがちの私にとある講師が手紙をくれた。
課題でCDジャケットをデザインするというのがあり、その講評会で各々作ったCDを返却された。
帰りに何気なしにCDケースを開いたら手紙が入っていた。
励ましの内容だったとおもう。
その出来事を急に思い出したのだが薄情な事に内容が全く思い出せない。
手紙はどこへやってしまったのだろう。
棄てた覚えも無いがしまった場所も見当がつかない。
覚えているのは私は人に迷惑ばかりかけていて情けないと心底落胆したこと。
先月仕事を辞めて半ば無職で専業主婦状態なので自責の念に襲われているところ、
ふとこの事を思い出した。
なんのオチもないが忘れたくないと思ったので直ぐに書いた自分用の備忘録。
もう二度と戻りたくない時代を蹴り上げて少し元気になった私は今日も1日無事でいられますようにと願ってベットから起き上がる。
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p1zzapi22a · 5 years
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仕事を辞めた。
本当に社会不適合者だと思う。
周りの人はそんな私を直接的に責めたりはしないけど、
きっと
「いい歳してだらしがない」
「今どき定職についてない嫁なんて」
「旦那さんがかわいそう」
と思っているに違いない。
私が1番そう思っている。
ごめんなさい。
誰に謝るでもなく毎日懺悔しながら生活している。
と同時にどうにかなる、どうにかしよう、大丈夫と思っている節もある。
めちゃくちゃである。
ただ、生きている。
��れなりに楽しく、自由に。
生きていればなんとかなる。
さて、お酒でも飲みに出掛けよう。
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p1zzapi22a · 5 years
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先日旅行先で撮った鳥籠から空ばかり見ていた九官鳥。
今日は職場の一個上の同期の女の子とお茶をしてきた。
職場の人とお互い休みの日に時間を作ってお茶に行くなんて何年もやっていなかったのでちょっと緊張してドキドキした。
アップルパイが美味しかった。
帰りは雨が降る中「風がすごいねえ」「海の家出来てるね」「海開きなのに台風だね」と笑いながら海沿いを歩いた。
明日は仕事で会う。
またね。
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p1zzapi22a · 5 years
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こういうの愛おしいよね。
よろしくお願いいたします、って、なんて丁寧なの。
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p1zzapi22a · 5 years
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2019.06.09
今日は職場で嫌なことがあった。
納得出来ない事を言われてすごく悔しくてずっと嫌な気持ちだったけど、夜ご飯を食べに行った沖縄料理屋さんが美味しかったりとか、いつもいる三毛猫が今日もいたりとか、お風呂に入れる入浴剤を選んだりしてたらあんなにざらざらしてた出来事のことは割とどうでもよくなってしまった。
明日はお休みだ。雨かなぁ。
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p1zzapi22a · 5 years
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2019.06.06
いたるところで夏が呼吸をはじめてる。
夏が来るのはとてもとても億劫だけど、夏の思い出を掘り返してみると良いものばかりだ。
今年はどんな夏になるかな。
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p1zzapi22a · 5 years
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2019.06.05
私が小さい頃の写真。
ちょこんと添えられた白靴下のあんよ。
名前はエムちゃん。おでこにMの模様があったから。
ある日父親に怒られてピャッと外へ逃げてしまった。
マンション付近には暫くいて、名前を呼ぶとニャーと返事をしたらしい。母親から聞いた。
家に戻っては来なかった。
幼かった頃の出来事だけれどずっとずっと覚えている。
時たまふとあの時の猫缶の匂いとかマタタビでくねくねしてるエムちゃんの姿とかを思い出しては、またあのからだに触りたいと思う。
会いたいな。この写真があって良かった。
しなやかで自由で賢い猫が大好き。
猫と暮らしたい。
猫になりたい。
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p1zzapi22a · 5 years
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2019.06.04
空がすごかった!
今日は仕事が休みだったので一日中音楽を聴いていた。
漠然とした憂鬱にまとわりつかれて誰でもない何かに助けてもらいたかった中学生時代の事をたくさん思い出した。
その時期は本当に本当に音楽に救われた。
聴きながら帰路に着けば嫌な気分は薄れて、帰ったら絵を描こう!と思えた。
プレイヤーにお気に入りの銀色の円盤をセットすれば私はどこでも最強になれた。
今思い返せばとんだ厨二病思考だけど今でもそういう感覚は変わらず持っている。
聴けば強くなれる曲や開けば自由になれる本、観れば優しくなれる映画、そういったものは何時でも幾つになってもあったほうがいい。
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p1zzapi22a · 5 years
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2019.06.03
先日結婚2年目を迎えた。
ここ数年は思い返せば怒涛の日々だった。
ある時期仕事へ行けないほど落ち込みがちになり、そこからは何もかも失敗続きでねじ曲がっていた私の人生。
生きようなんて思えなかった毎日からなんとか少しずつ軌道修正をしている。
「結婚を機に」と言うのはなんだかテンプレのようでかっこ悪いんだけど、そうかもしれないと思う。
自分を大切にしてくれる人との出会いというのはこんなにも自分の気分を変えてしまうものなのかと驚く。
最近は海のある街へ引っ越して朝日と鳥の声で目覚める毎日。
苦手な夏が来るのだけが億劫だけどなんとか楽しくやっていきたい。
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p1zzapi22a · 5 years
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2019.06.03
昔書いた日記を見つけた。
面白いことは書いていなかったけど思い出すことがたくさんあった。
記しを残すことは割と大切なことだと思ったので、好きなことを書く場所を作った。
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