Tumgik
niwaharu-blog · 6 years
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夢で見た場所とは遠からず 僕は都市の粗探し 路地には会える人がいる 立体と平面の駐車場がそこかしこ 迷うはずもなく日々は打刻され 薄い紙はある日のイレギュラーで 強い雨に打たれ使い物にならなくなる 公園の草花は何の香りもしない 仕方ないから煙草を一本 どうして四季は巡るだろう 巡礼者が巡礼地を食べちゃった 芸術は近からず 僕には君がいる 時間を潰す相手だ 退屈にしても女の肉体がある 一生では長すぎるが 騙し騙し終えれそうな気もしている 夏が来たらどうした事か 僕は春の陽射しにすら怯えてる 色んな命の奔放 だんだん見過ごせなくなる 街は主張で溢れる そうなれば僕の居場所はなくなるんだ 黄昏の心を傾けてしまえば どうなるか分かるだろう
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niwaharu-blog · 7 years
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ムジカのてるてる坊主
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niwaharu-blog · 7 years
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「晩安」を聴いて
黒岩あすかの一枚目のアルバム。
発売から少し経ってしまったけど昨日、それを聴いた。
昼過ぎにamazonから届いて、部屋でいざCDを手にして見ると色々と感慨深かった。何故ならそれは僕が今まで何枚も買ってきたCDと同じ格好をちゃんとしていたから。
聴くのは夜中にしようと決めていたのでCDや歌詞カードをしばらく仔細に眺めたりしていた。
気づいたのは、歌詞カードやCDの裏の文字、CD盤面全ての文字はあすかさんが手書きで書かれていた事。
何故だか、彼女が今まで出してきた何枚かの自主制作の紙のジャケットの事を思い出した。
CD���もちゃんと彼女は手を出せる所には全て手を出して手作りされていた、そんな印象。
さて、夜中になり絵を描きながら聴き始める。(たまたまその時絵を描いていたのでそうなりました。)
僕は何度かあすかさんのライブに行っているし、お友達だからか最初は「うわ〜、CDプレイヤーからあすかさんの声がしっかり聴こえてる」という感じがしたんだけれど、それと同時にきちんと録音された上で聴くあすかさんの声とクラシックギターの音はとても生々しく、歌声のない「間」の中にくっきりとそこに無いものが浮かんでくる様な不思議な感じがした。
それは、きっと各々が抱く生活というものではないだろうか。そして、その生活は限りなく空虚で侘しく孤独なのだろう。きっと語弊などない。今の若者はそんなものです、私も例外なく。
歌とギターの間に挟まれる生活の音。何ともヒリヒリとさせられる演出。明快で静かで反復で単一で、ひたすら遠くからそれを眺めている様な。
これは孤独を讃える演出だろうな。少なくとも僕にはそう聞こえた。
アルバムを聴き終えて思ったのは売れるとか売れないとかではなく、彼女は間違いなく今の音楽シーンに必要な人間だという事。
今、彼女の歌を聴くという事にとても意味を感じる。
資本主義(利益の為の生産)の末期にいる我々は、消費する事に甘んじて心さえも潰された。あらゆるものは細分化され、屁理屈のようなものにも価値観を見出したフリをして多様化を進めた。しかし、その大木は既に朽ち果てており、先の先の小枝のそのまた切っ先に我々はいるのだ。どうやら、我々はもうすぐこれまでのやり方では通用しない時代に突入する様な気がしている。黒岩あすかがこの時代に提出したアルバムはこの時代の末期の声であり、新たな時代の産声でもある。
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