Tumgik
nextsummerraika · 3 years
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call me my ghost ライナーノーツ
call me my ghost のあとがき、というか作業中なにを考えてたか的なやつです。長い。
・もともと、もっとくらい話になる予定だった(死ネタだった)んだけど、ジャンル初で投稿する話で死ネタ……あまりにハードル高すぎでは…になったので変更になりました。(たしか急性トラップ反応を起こして死にかける依織と、そこに居合わせた匋平との間の「約束」をテーマにした明るい地獄のはなしだった) ・書いてる最中「これはこのふたりにとってのイニシエーションなんでは……?」と思いました。「一時停止ボタンを押されてそのままになっていた関係が、再生ボタンを押されたことによってまえに進まざるを得なくなったけれど、こどものままの距離感ではいられないので、なにかしらの通過儀礼が行われる」みたいなことがメモに残っていた、ので、そういう感じです。
1章 ・「幽霊」
 BGMに関わってくるんですがthe engyの『funny ghost』をそのときめちゃくちゃ聞いていて、そこからの発想だった気がする。依織が自分を「ゆかいなゆうれい」として認識している、みたいな。三枚目演じてるし。 なんの気なしに書き始めたこの幽霊の設定が、後半でわりとバチっとはまってきたので、書いててたのしかった思い出があります。(もともと1、2章と4章の海に行くシーンを先行して書いてた) ・ピアノ
 最初依織が酒を呑みながら匋平を「ええ男になったなぁ」って眺めてるだけの章だった。でもせっかくなのでピアノを弾いてもらったら、即興でセッションしだすし、イチャコラするので書いている人間はびっくりした。でもおかげで物語のモチベーションが出来てよかったな~と思います。ブルーノ・マーズの選曲はなんとなく。だけど、4章で「たからもの」というワードが出てくるフックになったかなと思う。 なおわたしは全然洋楽くわしくない。 ・ジン
 冷凍庫でも凍りません。(実体験) ・依織の劣情  ピアノと匋平の実質セックスを目の当たりにしたので、ムラッときた。えろいことをなにもしていないのにえろい雰囲気になる文章を書きたかったけどいまいち実力が伴わなかったなというかんじ。 ・匋平の欲情
 後述予定だけど、まあ、自分の内側をみせまいとするタイプの男に、そんないとおしそうな目で見られたらワンチャンあるか?くらいは思うだろう。というか、「おまえはまだそんな目で俺を見てくれるのか」って思っていたと思う。依織のそういうちょっと迂闊なところがかれのかわいげだなぁと思います。 ・デュポンのライター  実際のところ、匋平のライターはデュポンではないと思っているんですが、わたしがデュポンのライターを使っている描写が好きなのでデュポンということになりました。 2章
・過去編  すべて幻覚。一から十までわたしの幻覚。書いてる当時、「ありもしない過去の幻覚をもう五千字も書いてる……」ってTwitterで呟いていた。結果、五千字どころではなくなった。  依織はたぶんこどものころから馬鹿みたいに頭がよくて、まわりの人間が頭悪くてしょうがないみたいに思ってみてたと思う。でもそんなことを言ったら波風立てるだけだしな~と思いながらもバカばっかりの世界に嫌気がさして衝動的に暴力ふるったりしていた。依織にとって、親父は当時自分の知る中で一番頭が切れる大人だった、かもしれない。  匋平のことは、まじで後先考えねぇなこいつ…と思いながらも、根は良い奴で、情にあつくて、馬鹿なところがかわいい、と思っていた、かもしれない。 ・夕暮れの部屋
 制服のスラックスを脱ぎ落す依織とそれを眺めてても許される匋平、エモ。  学校行きながら仕事して、って相当なハードワークだと思うんだけど、(組の)部屋住みってわけではなかったのかな?部屋住みだったにしては家事がからっきしそうなので、どこに住んでるとは明言しない書き方にしました。むしろ匋平のほうが部屋住みだったのか?  バディ時代の匋平と依織はたましいのふたごだったと思ってはいるのですが、この話においては、ありったけの夢と希望を詰め込んで、過剰なくらいの信頼関係があったと仮定して書きました。  依織は自分のことまじで大事にできないタイプだよな~って聴き始めたころから思っていました。自分のこと二の次だよなこの人。  依織のさみしさ、というのは、頭が良すぎるので自分が周囲とは隔絶されているような孤立感があった、というかんじかな。かれもまだ若かったので、その孤立感をどうしていいのかわからなかったんじゃないか。だから無茶ができた。そういう依織のさみしさを埋めたのが匋平の存在だったらいいな~。健全なたましいを持つ男に、ばかみたいにまっすぐに信頼をむけられたとき、ようやくその孤独をわすれることができたんじゃないか。知らんけど。
 大人になった依織の孤独は、頭の良さが要因というより、立場由来のもののような気がします。
・組抜けのあれこれ
 この物語における最大の幻覚ですよね。  書けなかったけど、親父は事前に依織から匋平が組抜けたがってる旨を聞いていて今回の沙汰をくだしています。匋平の想像通り、依織はここで裏社会で生きていくことに腹くくったと思う。後がなくなったというか。
 「目を見れば相手のことがわかる」 過剰かなぁとは思ったけど、まあ、いいか……って。たましいのふたごだし。  「めっちゃゴキゲンだぜ!」似非関西弁で虚勢はる匋平(依織の手前、自分があっさり音をあげられないので)、その内心を悟って「アホやなあ」と思ってバディの双方を憐れんでしまう先代翠石。殴ってるうちにどんどん歯止めの利かなくなってくる依織。三者三様思うところがあったんだろう。 ・歯  呑んだはいいけど、血肉にもならない。  思いついたとき「天才か?」と思った。匋平が一生知ることのない、依織の巨大感情発露シーン。※不衛生ですので決して真似はしないでください。 3章 ・1章の匋平視点。依織は「そんな甘ったるい顔を自分にみせないでほしい」って思ってたけど、自分もたいがい甘ったるい顔してたんだよ。まあ、匋平に引きずられた部分は確実にある。
・組抜け後のあれこれ。  特に意識はしてなかったんですけど、バーの居候第一号は匋平君ということになっていました。4/7はオーセンティックバーなのかなっていうイメージでいます。どうなの。でもファンブックの感じ見てるとそれっぽい気がする。 ・椿のピアノ  匋平にピアノ教えたのは椿だと思うので、師弟っぽさがでるようにラヴェルのはなしをいれてみた。匋平にとって、音で世界を描くということ(ひいては幻影ライブへ)の原体験が椿のピアノにあるんじゃないかな。
・依織のまぼろしと愛のはなし  4章で、依織は匋平の名前を呼ぶことを固く戒めているという描写と対比して、匋平にとって依織の名前を呼ぶことはむしろ自分を鼓舞することだったし、それ自体が愛だったっていう話をしておきたかった。  なんというか神林匋平という人間、どんなきつい目にあっても、そのこと自体を(もちろん傷つくし、悲しむし、トラウマにもなってるけど)自分を成長させる機会だと認識できるタイプの人間にみえる。ものすごく健全な魂の持ち主って感じ。なので、これまでのすべてのことは「祝福」だとはっきり言える。 ・マルボロのブラックメンソール  書いてて「天才か?」になった第二弾。依織ばっかりが巨大感情を拗らせてるわけではなくて、この人もわりと平然とした顔しながら拗らせてる。まあもともとヤクザなので虚勢を張るのは得意ということで。  西門が煙草のことに言及したのは、匋平の部屋にたまたま飲みに来ていた時に、いつもと違う銘柄があることに気付いてちょっとつついてみたら「あ゛ー……昔のツレが吸ってたやつ」みたいな、ものすごーく不本意そうな顔で言うのでそれ以上は突っ込まずに「愛だね」とだけ言ったみたいな遣り取りがあったと仮定しています。なので依織のことは知らなかった。JUSTICE戦後、依織とよく飲みに行くようになった匋平を見て、たぶんあの煙草は依織のものだったんだな~って気が付くかんじ。でも別に言わない。愛だねって思ってる。 ・バディ時代の依織と匋平の関係  昔のこの人たちには肉体関係は発生しなかったけど、恋は発生していたと思う。ただふたりともホモソーシャルな世界で生きていたので、余計に一線踏み越えられなかったんじゃないかな。(ヤクザ世界の性行為は暴力だと思っているので) ・ライトマイファイア
 とは書かなかったけど、3章のラストはハートに火をつけてってかんじの流れだったな~と思います。匋平は腹くくったら強いと思う。ぶれない。ので、そういう相手にまっすぐ気持ち向けられた依織はかわすの大変だろうな。しかも憎くて別れたわけじゃない元カレ(元カレではない)相手に。 4章 ・桃色吐息と煙管と月  ピアノ弾きに自分のからだを奏でて欲しいっておもうの、めちゃくちゃえっちだなあと思う。依織が地で手フェチとかじゃないのに旦那相手にしたときだけめっちゃ手ェ見そうだなっていう印象があります。  依織にどーしても煙管を吸わせたかった。持ち物一覧(ファンブック)に煙管が入ってるので携帯しているんだとは思うけど、ふつうに灰皿つかうのかな~?謎。 ・バディ時代の距離感  ここも夢と希望をありったけ詰め込んだ。このはなしのひとつのテーマとして「越境」というのがあって(というかわたしが書いてる話はだいたいそう)、バディ時代に一度とけあったお互いの境界線が、別れてふたたび引き直されて、再会してお互いのそれをどこに設定するのか、をもだもだやっているというかんじ。バディ時代はべたべたしていてほしい。 ・翠石組  まーじでこのコンテンツにおいてめちゃくちゃ謎過ぎて是非詳しい設定を教えてほしいところナンバーワン。悪漢のメンバーの台詞なんかからも「任侠」っていわれてるので、人情味のある組織なんだろうとは想像してるのですが、まあそれはそれとしてもし本当に2年前の時点で依織が「若頭」だったとしたら、年齢が若すぎるし、絶対内部で反発あったでしょという思いからいろいろ書いてみた。整合性とかしらん。 ・善と匋平
 外堀を埋められている依織。まさか旦那がそんな手を使うと思っていなかったので、若干後手に回っている。昔の旦那の素直さがなつかしいな~。  匋平が、依織についての気持ちを先に善に告げたのは、いちおう筋を通したかったからなのだけれど、見方によっては思いっきり喧嘩売ってるよな…。匋平は筋を通したかっただけです。いちおうここのふたりの遣り取りも考えてたけど書けるかどうかはよくわからない。善はいまのところ依織に全幅の信頼をおかれていない(と感じる)ことにコンプレックスがあるので、匋平に対して複雑な思いがあるだろうけど、結局のところ「若が決めたこと」を尊重するのかなぁとは思う。善は良い男だし、依織もちゃんと信頼をしてるので心配しないでほしい。依織は用心深くて責任感が強すぎる男だからそういうムーヴしちゃうんだ。そして匋平の存在は依織にとってイレギュラーなだけだ。(し、組関係のはなしは匋平にはぜったい口外しない) なお、善の依織に対する感情は現状性愛をふくまない(うちの善はという話です)ので恋情ではないかな~。(どう転ぶ��はわからない) ・教授の車
 たぶんレクサスのRXクラス。昔はアルファロメオ乗ってたって匋平がいってました(独自設定)。匋平をのせる必要が出てきたので車変えて以降も、四季やリュウが増えたのでスポーツカーは乗らなくなったらしい。たぶん教授は実家が太いのではないかな。学生身分でバーのオーナーやってたわけだし。 ・海
 具体的な地名も一応考えたけど、ようするに「どこでもないところ」です。どこでもないところでだれでもないだれかになることでしか、口にすることのできない本音がある、っていう。  「幽霊」の伏線回収。あなたとわたしは違う世界の存在です、という宣誓。あるいは懺悔かな。匋平は組を抜けたことで転生したし、依織は翠石の名前をもらって転生してしまったみたいな。依織の覚悟というのは、主に「翠石」の名前によるところが大きくて、しかもそれを捨てたりないがしろにすることはアイデンティティの喪失につながるから絶対にできない。でも、だからこそ匋平は懲りずに何回でも手を伸ばすんだろうな~という気がします。それでこそ健全なたましいを持つ男。 「幽霊でもキスできただろ」  このラストを書きたいがためにこの話を書いたと言って過言ではない。畢竟、そういうことなんですよ。どれだけ屁理屈並べたって、いまここに自分たちがいることは事実で、触れ合うことも、愛し合うこともできるんだよって。その形がどんなものになるかはこれから模索していくしかないにしても、「できる」んだっていう可能性の提示。匋平のそういうひたむきさがずっと好きだったし、これから先もきっとこの瞬間を思い出して依織は救われたような気持ちになるんだと思う。あの夕暮れの匋平の言葉と一緒に。
エピローグ
 これねえ、ほんと割と本気でキャプションに「エピローグは蛇足です」って入れようかどうか迷ったんですよ。読まなくていいよって。だったらのせるなって話になるのでキャプションには書きませんでしたけども。  唐突にコメディがぶち込まれたことによって温度差で読んでる人が風邪ひくんじゃないかと思ったんですけど、もしもこの物語のふたりに続きがあるとしたら、その「接続詞」としてのエピソードがあってもいいかな、と思ってつくりました。  蛇足ではあるけど、最終的にはうまいこと伏線(?)が回収できてきれいにおさまったんじゃなかろうかという自画自賛をしておきたいと思います。  ここでも外堀埋められてる依織ですけど、弟たちはリュ四季とあそぶために4/7に行ってるので匋平とは普通にしゃべってるという感じ。おやつとかジュースとか出してもらってる。兄貴の昔なじみの、気の良い兄ちゃんという認識。玲央だけが匋依の間にあるなにかに気付いているかな。弟たちはたぶん兄貴が匋平と深い関係になったことを知っても嫉妬とかはない。「別にあなたがいなくても兄貴は自分たちが守るけど、兄貴があなたがいることですこしでも救われるなにかがあるなら、あなたの存在を容認します」みたいな。兄貴に対しては「兄貴が惚れてるっていうんならそれでいいのに。そんなに気を張ることないのになあ」って思ってます。でも依織は大人だからいろいろ思うところがあるのよ。  今回、バディ以外のひとたちの心情には触れなかったんだけど(話が膨れ上がるので)、たぶんみんなそれぞれ思うところはあるんだと思う。
「ほんまにアホなやっちゃなあ!」と、旦那を心の中で呼ぶシーンは、は3章ラストの「おまえはほんとうに馬鹿だよ、匋平」に対応していました。「匋平」と呼んだのは、依織にとってかれがもう自分の半身ではないという宣言でありかつ匋平がもはや「他人」となったことの証だったので(この物語においては)、旦那と呼ぶことは何らかの関係の回復を意味している、はず。依織に家族以外の、心のよりどころになり得る相手が出来てよかったな、みたいなラストです。お互いが幽霊であることを認めたうえで、またあたらしい関係を築こうとしている。それってたぶん希望なんだと思う。 タイトル
call me my ghost ・「俺の幽霊」に向かって「俺を呼んでくれ」と告げる、あるいは、相手に向かって「自分を幽霊と呼んでくれ」という、二重の意味になるように句点はうちませんでした。匋平からとも依織からともとれるタイトルになったんじゃないかな。 というわけ備忘録としてのこしておきます。長いわ!
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nextsummerraika · 6 years
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2017年ライナーノーツ
2017年更新分のライナーノーツです。
◆硝子戸とゆりの花の憧憬(http://privatter.net/p/2105450) おそカラ。診断メーカーさんの要請に従って書いたやつ。 雷火さんは手向けの花束を用意した日、実家の硝子戸の中、板張りの廊下でゆりの香りを嗅ぐきみがすごくきれいだった話をしてください。#さみしいなにかをかく shindanmaker.com/595943 短いですが割と耽美を目指した気がする(耽美とは) ◆土星の海の骨(http://privatter.net/p/2106602) カラおそ掌編。 診断メーカーさんの要請に従って書いたやつそのに。 衣子:さんは雨が十日続いた翌日の朝、熱水吹き上げるエンケラドゥスで手首の骨は案外飛び出ていると気がついたときの話をしてください。 #さみしいなにかをかく 温度の低い肌と、沸騰するような空気を書きたかった気がする。 ◆鼓膜に棲む神(http://privatter.net/p/2135447) マフィアおそ松と神父カラ松。おそカラ。 フォロワさまのお誕生日お祝いに、当時呟いていらしたネタを踏まえて書かせていただいたお話。とても調子よく(特に会話のノリが)書けたな~と思います。神父さんは多分、マフィアおそのよく知った男とは別人なんだろうなと思う。 BGM:People In The Box『ユリイカ』(余談ですが、先日ライブでこの曲のアウトロのよくわからないコーラス部分の歌詞が「hurry up to the hospital」であることに気付いてホワ~~~と思いました。ちょっと入手しづらい曲なのですがめちゃくちゃいいです) ◆明日のきみにやさしい歌を(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7769318) カラおその日記念、突発短編LOG。 普段あんまりやってない派生CPとかを書いた短編集。あと、自作で珍しくバズったヒラレス(『ふしぎなともだち』)の後日談も最後に書いたのでした。架羅ジャスと、マフィアカラおそが楽しかったな~と言う感じです。架羅ジャスの歳の差のある、楽曲提供ネタは掘り下げたいとおもいつつそのままになっている… ◆錆びた地図の国(http://privatter.net/p/2150483) 診断メーカーさんの要請に従って書いたやつ (衣子は地図地区の魔術師です。愛読書は錆びた本。軟派な性格で、闇を切り出した黒髪と青と金の瞳を持っています。パートナーは着飾ったマネキン。愛する人がいます。#図書の国) なんかずるずると3作も書いた上に、主人公の性別が不明というか雌雄どっちでもあるみたいなややこしい感じに。思ったよりするすると書けてよかったね。 ◆クレイジー フォー(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7869798)  観覧車のシーンが書きたくて始めたヒラOSO。たしか当初めちゃくちゃ短い文章で書いたときCPは逆で、OSOヒラ(おそカラ)だったはずなんですが、OSOくんに不感症という設定をつけたあたりからヒラOSOに変わらざるをえなかった。  ネタ帳を読み返していたら、ほんとはOSOくん失踪ENDを想定していたらしい(なおこの場合OSOくんは死にます)。生きててよかったね!OSOくん!つづきを書けるなら玄関フ○ックをやりたいなと思いながらなかなか手が付けられていません。  あと、観覧車の配置は御当地ネタなので、同地域になじみの深いフォロワ様がたには温かい突っ込みを入れていただきました。ありがとうございます。作中出てくるライブハウスのモデルはUM○DAシャ○グリ・ラと、U○EDAクラブクワ○ロの一階部分、A○ASOをイメージしていたと思います。 BGM:女王蜂『金星』 ◆花の降るまち(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7923459)  前述の「クレイジー フォー」とほぼ同時期に、並行して書いていたやつ。(まじで正反対のやつをやってた)  書き始めたきっかけはハナレグミとレキシのおじさんのライブに行たときに(たしか2016年末の事務所10周年記念ライブだと思う)『家族の風景』という曲を聴いたからです。夕暮れの台所でおしゃべりをするレン(その時彼に名前はまだなかったけど)とおそ松のシーンが浮かんで、そこから帰りの電車でウワーっとネタをツイッターに流していた気がする  なおコンセプトは「わかりやすい話を、わかりやすく書こう」でした。要するに、分かりやすく感動しやすい話、というのを一度ちゃんとやってみたかった(というと怒られそうなんですが、ずっと忌避していたことをもちいて書いたので、それ以外に形容の仕方がない)。でもいざやってみるとちゃんと感動できる話って難しいんだなとも実感しました。  あとこの話は成長過程による人称変化がやりたかったので意図的にそれをやっています(年中松の一人称変化のことを結構考えてた時期ともかぶってた)。レンの一人称形で進む物語なんですが、地の文の、幼少期の自称は「ぼく」、中学生以降は「僕」になり、反抗期を迎えて言葉が荒れると「おれ」という呼称が出てきます。二人称もしかり。荒れるレンに「あんた」と、おそ松兄さんのことを呼ばせたかった、みたいなのがある。  そして個人的な思い入れも詰め込んだんだよなっていうか、多い入れが強すぎていくらでも話せるんだ花の降るまちに関しては…。  ちなみにエピローグでレンが「蓮『太郎』」という名前を受けるのは、レンがカラおそにとっての長子である、という意味を込めていました。  5月家宝で同人誌にした際、追加エピソードをいくつか書いたんですが、とあるエピソードで「これ一松とレンがCPになるやん…」と思ったのを覚えている…。いやならなかったけど…。ならなかったけど、レン一レンだったな…と思います。 BGM:ハナレグミ『家族の風景』 大橋トリオ 『the day will come again』 ◆心臓は貫かれる歓喜を待っている(http://privatter.net/p/2246133)  マフィアカラおその首絞めセッ 掌編  首絞めと浴室というネタが好きなんだという、性癖を詰め込みまくった話。 ◆nightwalking is good(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8177922)     夜中のまちをぶらぶらと、夜明けまで散歩する長兄のお話です。  5月家宝で無配にして、あと3作昏い続けようと思っている短編なんですが、ずるずるとそのままになっている…。書きたい気持ちはあるんだ…。 ◆アンバーカラードシティ メランコリックVer.(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8367070) ◆アンバーカラードシティ マンダリンVer(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8367108)  カジノカラ松×チャイナおそ松。  ショートバージョン(メランコリックVer)と、一応完全版(マンダリンVer)。  くるりの『琥珀色の街、上海蟹の朝』を聴いていて思いついた話。旧疎開に住む殺し屋チャイナおそ松と、そこへ兄弟六人で強引に商売をねじ込んできた実業家のカジノカラ松とのなんやかんやというネタでした。上海蟹を食わせてやるおそ松と、まるで自身の墓標みたいな高級ホテルで死ぬことを画策するカラ松の交情を書きたかったです。 BGM:くるり『琥珀色の街、上海蟹の朝』 ◆スウィートファミリーレコード(http://privatter.net/p/2450634)  オメガバースというものをほとんど書いたことがないのですが、珍しくやってみようという気になった話。カラおそなのか、おそカラなのか濁して書きました。べつにどっちでもいいかな、と思って…。  ものすごい分かり辛いんですが、オメガバ長兄の間にできた、堕胎されたふたご視点の話でした。誰得なのこの話…。 BGM:People In The Box『JFK空港』(そもそもこの曲のイメージがかなり強い) ◆OUR BLUE(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8374719)  架羅OSO R18 オフ本。  6月大阪家宝で出したやつです。R18と銘打っていますが「丁寧な前戯では…?」とわたしの中でもっぱら話題に。光のR18をコンセプトにしていました。  血縁のカラおそはラブラブにはできないが、他人同士のカラおそはラブラブにしてよい、という個人的な線引きがあり、これは他人設定なのでラブラブにしてよいほうのカラおそです。webでこの話をアップしたくないという一心で本にしました。それなりにお気に入りで、まだ在庫もあるんですが今後松のイベントどこで出るかわかんないから持て余し気味である。 BGM:雨のパレード『feel』、Ballon at dawn『Our Blue』 ◆レイニーブルーはつづきの夢(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8461548)  カラおそコインランドリーアンソロさまへの寄稿作。  雨の話も、はつこいの話も書くのが好きなので楽しく書かせていただきました。会話文にめちゃくちゃ気を使った思い出があります。(兄弟であることをかなり意識していた) ◆ロンググッドバイ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8534636)  ひさびさのOP作品。  ドレスローザ編の後、いろいろ落ち着いた世界線でのお話。お盆の時期に、コラさんの礼が戻ってくることがあるかもしれないな、と思って書きました。作中の描写に関しては、スーフィーのダンスとかを若干モデルにしてはいるんですが、適当なので…。アッ石は投げないで…。  ローくんにおいては、あとはクルーと自分の命を大切にして、のんびり生きてくれないかな、と思っています。あんまりおもいつめるんじゃないよ。  ちなみにこんなタイトルつけてますがわたしはチャンドラー未読です。 ◆真夏のレプリカ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8576973)  カラおそ。っていっていいのか微妙なんですけど、カラおそです。  タチアオイの花の唐突さがおそ松に似ている、というイメージから書いた話。おそ松の死後の世界で、花の精となったまぼろしの少年と、30代のカラ松のグダグダした交情…という完全に趣味が煮詰まってる話だったな、と思います。このあたりからえろをフヮ~~~~としか書けなくなっている感じがある…。  あまりに読む人を選ぶ話でしたが、ブクマやいいねしてくださった方には感謝しかない…。 BGM:People In The Box『親愛なるニュートン街の』(この曲は定期的にどのジャンルでもテーマにしているので好きなんだろうなと思います) ◆いのりの果てにて君を待つ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8715331)  妖怪・転生松。烏天狗カラ松と、天孤おそ松を中心とした、平安エセファンタジー。という誰得物語でした。まじで、本になって、よかったと思います。(力強く句点を打つ)  もともと、序章のみを遊びのように書いていて、これで話を作るならこんなプロットだな~…と楽しく妄想していたものを、なぜか本にしてみよう、というところから発生した、とんでもお気楽企画だったはずなのにどうしてこうなった(最終八万字ちかくまで書いた)。  物語を構築することの難しさと、自分の勉強不足と、力なさを、存分に味わい、終盤ほぼ涙目で校正して入稿した味わい深い作品です。とにかく登場人物(オリジナルキャラを含め)が今まで比べて段違いに多いのと、メインストーリーが3本くらい交錯していて、その処理に困った。長編を書くには長編の書き方の訓練が必要だな、と思いました。もう二度と書くか、と思いましたが、機会があればこのスケールの話は書いてみたいです。(どM)  悪いところだけでなく、個人的によかったところは、カタルシス部分(というのか、大団円というのかユーカタストロフィというのか)のところはめちゃくちゃ気持ちよく書けたな…、というあたりですかね…。筆はのっている。すごいのっている。  全体として「もっとおれに力があればこの話はもっと面白くなったのに…」みたいな、後悔が尽きない話でもあります。  へこんだけど、次をがんばろうと思えた、貴重なお話でした。  あ、そうだ、エンディングにはこっこさんの楽園を聴いてほしい作品でもあります。【空が落ちてだって、青が焦げちまって、切っ先に、宅即はなくて、時が過ぎるだけ、傍にいて。】という歌詞に、かなり影響されていると思います。 BGM:高木正勝『山咲き唄』『あおはる』『花風―暮れつ方』mol-74『hazel』『light』宇多田ヒカル『FINAL DISTANCE』Cocco『楽園』
◆forget me not(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8740828)  ハイローにはまって、二作目、かな?  スモーキーと雨宮広斗の友人シリーズです。  2016年、金ロー版レッドレインに阿鼻叫喚の地獄絵図となったTLから興味をもち、劇場に足を運んだEOS。その後、勢いで円盤を買ったThe MOVIEとレッドレイン、背中合わせのさんさんめヴォーカリストと、村を焼かれた窪田正孝…………  まあ、こんなことになるとは、誰もわからなかったですよね。  わたしだってこんなドシャメシャになると思ってなかったんだからな!!!!!!  というかんじです。みんな、ハイローを見るんだ。あらゆるガバガバな設定に突っ込みを入れながらも、自身の推しがいつの間にか発生している不思議な事態にあなたもまた、脳味噌が焼かれる………!  ドラマ版で、よくはわからないまま放置されている謎鉱石がある問う話を聞いて(当時ドラマ版は見てなかった)、書いた話なのですが、まさかFMであんなことになると思わないじゃないですか。あんなことになった上に、パンフレットの演者さんたちのコメント、あんなことになるとおもわないじゃないですか、わたしだって想定外だよ。という話でした。 ともだちやってる、広斗くんとスモーキーはどこかの世界にいると思います。 ◆Iron biotope(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8886521)  広斗くんとスモーキーの友達シリーズ二作目。  スモーキーの死生観のお話。  FMを見る前に(というか公式のスモーキーの死生観を知る前に)、どうしても自分で整理して書いておきたかったやつ。でもやっぱり、公式の強さはすごかったよ…。  スモーキーというひとのことを考える時、弱音やネガティブなことを誰に対して吐くことができただろう、ということを考えます。たぶん、あまり他者にそういう話をしなかったんじゃないかな。自分にかけられた期待のことを知っていればなおさら。雨宮広斗という人間は、スモーキーにとって、自然現象というか、まったく、自身や無名街にとっては関わりのない「最強の権化」みたいな人間で、庇護の対象でも自分たちに危機をもたらすものでもなかった、というあたりが、フラットに付き合える要因だったのではないかと思います。自分と対等、あるいはそれ以上の存在。だからこそ、告げられた本音があるのでは、と。スモーキーは、あの街で生きたからこそ、生きることの厳しさ、優しさを知っているひとだと、そう、思いたいです。  なお、かれらの会話の中の元ネタは、岩井俊二監督の『ヴァンパイア』から。蒼井優演じるミナに対して、主人公が語りかける言葉をもとにしています。  【総括】  オフ本を当社比たくさん出した(というか、はじめて出した)年でした。  本をつくるということは、いろんな選択肢があってめっちゃまような~いろいろためしてみたいな~とおもった一年でした。装丁とかデザインとか、全然わからないまま駆け抜けた一年だったので、今年はオフ活動することがあれば、装丁デザイン勉強したい。  2016年末の抱負は「えろと和解する」だった���ですが、官能表現と自分の書きたいものの齟齬の間でだいぶ悩み、結局、フワヮ~~~~と書く方向へ舵を切りましたが、もうしょうがないかな、とも思います。物語の要請と、自分の萌えの折衝点がそのあたりにあったんだろう、えろいのは書きたくなったときにがんばりゃいいか、という結論に達しました。 2018年は、引き続き長い文章をだれずに書くということ、コンスタントに作品をアップすることを目標に頑張りたいと思います…。 
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nextsummerraika · 7 years
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2016年ライナーノーツ
2016年執筆作一挙ふりかえり(ぼっち)企画~~(ドンドンパフパフ) めちゃくちゃ長いです。
と、いうわけで。 ついこの間12月になったかと思えばあっという間に年の瀬になりましたね。皆々様いかがお過ごしでしょう。どうも、衣子です。 えー、去年も年の瀬に今年一年書いた話の解説というのか、蛇足コメントというのかと延々流し続けるというはた迷惑な企画を(個人的に)(あくまで個人的に)催していたのですが、一年経って心境も変わり、年の瀬に人様のTLを荒らすこともあるまいという気持ちになりましたのでこういう形でね、まとめようかということに相成りました。お暇な方は是非ともおつきあいくださいませ。 ◆夏と嵐  2016年年明け一発目の更新は田舎の生活シリーズでした。意外。というか、真冬に夏の話更新するのは趣味かなんかなのか?(正解:夏ごろに書き始めた話がまとまるのが大体半年後)  たしか一作で二万字超える話を書いたのがこれで2作目か3作目だったのでめちゃくちゃテンションをあげていた気がする。あと、並行して松にはまり始めていて(後述)、危機感を抱きながら書いていた思い出……まあ、その悪い予感は的中したわけですが、それはそれとして個人的に反省の多い作品でもあり、今読み返しても、ああ、苦悶しながら書いてるな……と過去の自分の苦しみが瞼の裏に浮かびます。  多分シリーズとしてキャラクターの登場が最多で、某三人組のキャラがつかみきれず苦労していた。課題が多かった作品です。 BGMはthe band apart『月と暁』 ◆夜涙は零れず  初、松二次はからいちでした。 タイトルがお気に入り。やるいはこぼれず、と読みます。 なんかこう、キャラがまだつかみきれてなかったんだな~という感じがしますね。文章自体は割とお気に入り。当時なにを考えていたのか分からなかったので、書いてたメモを読み返してたんですが、『<title>だのにお前は最後までこのくちびるを塞いではくれないのだ</title>これが自作htmlページだったら、このようなポエムをタイトルに入れただろうなって(解説)』って書いてました。多分自分の中のからいちはわりとポエティックなCPなんだと思います。 ◆群青縊死  タイトルが物騒なわりにお気に入り。 途方もない祈り、に見せかけた呪いの話 。このあたりから長兄に傾いてきているのが分かる。笑えるほど数字が付かなかったんですが(わたしは今だにキャプションをどういうテンションで書いていいのかわかりません)、終わり方がけっこういい感じなんですよ。内容は、昔書いてたナマモノのネタのリメイク。 ◆愛を憶える  満を持しての初カラおそ。どこかでも触れましたが 松はこの話で切り上げるつもり だったので、とにかくその時好きだった要素を詰め込めるだけ詰め込んだ性癖まみれの話。結果、かなり分かり辛い話になりました。真っ白なパズルをやるのは殺人鬼かサイコパスだってこの話を書いた後にどこかで見かけて、おそ松ごめんな、って思った。  ふたりの間にあるものを、情であると解釈しているおそ松と、そんな兄の気持ちを立てて自分が抱えた思慕に名前を付けないでいる(そうした途端におそ松が自分を切り捨てるだろうと理解している)カラ松とが『恋人』になるまでのめんどくさい(ほんとうにめんどくさい)話で、『恋人』になったからといって手放しで幸せになるわけでもないという残念なかんじ。ぶっちゃけると、最終パート(紅松のやりとり)が一番書きたかった(ビスコ)。あと、あれだ。長年セフレだった二人が手をつなぐ、というのがもえる、とおもっていた。余談ですがこの話の二人は数年後別れる。  BGMが残念ながら思い出せない…。 ◆ほうき星にのって  松は『愛を憶える』でしまいだ! とおもっていたのに、しまいきれずずるずる書いていたカラおそ第二弾。たしかこの話を書き出す前に古川日出夫の『あるいは修羅の十億年』を読んでいたので、文体がめろめろになっている。BGMが先行した話で、最初に、流れ星を探して夜の街を駆けている二人のイメージと、この短文があって、そこから物語を膨らませていったはず。で、群像劇みたいなのをやろうとして、この構成になったんだと思います。  両片思いのふたりで、おそ松が長年カラ松を牽制し続けて「兄弟であること」に固執していたのに、しびれを切らした次男にあっけなくほだされてしまうという(でも抵抗は続けるという)、やっぱりめんどくさい話だな!  個人的に「おれを諦めるのはそんなにつらいか」「聞くんじゃねぇよクソ松」の応酬がお気に入り。(当初は「辛いに決まってんだろ」とか言わせていた気がする) BGMはスピッツ『スピカ』『夜を駆ける』『流れ星』『けもの道』 the band apart『forget me not ep.2』 my hair is bad『ドラマみたいだ』 Trademark『月の光を待って』 ◆世界一清らかな錆  お題サイトさんでタイトルを選んで話を書こう企画(個人的なやつ)で書いた話。当社比かなり甘めではなかろうか。  ちなみにうちの長男、なぜだかめちゃくちゃ次男のことを尊いと思っている(というか不可侵の存在だと思っている)節があり、その要素がもろに出ています。作中に出てくる「欲望のパンデミック」って、今振り返ってもよく思い付いたな…と思う。(そこ)  そんなに迷わずかけたのでBGMはなかった、はず。 ◆ペトリコール  これも多分BGMが先行してたやつじゃないかな。大体どのジャンルでも雨の話と、駆けまわる話を書くことで定評があります。疾走感のある話が書きたかったんだな~。地の文でけっこう遊んでいる感じがする。 BGM:雨のパレード『1969』『In your sense』ついでに雨パレにはタイトルのペトリコールという曲もあります。 ◆さよならって魔法の言葉  診断メーカーさんで遊んで作った話。「くん」 時代のネタで、次男が八百屋に婿入りするってふわっとした記憶をもとにしています。長男がめめしい。  これもさくさく書いたのでBGMはなし。 ◆六畳半の王国   「そうだ。 夏だし長兄セックスさせよう」で始まった話。あまり思い悩まずにさくさくかけた(つまずいたのはRシーンのあたり)と思います。要素としては「真夏に六畳半のぼろアパートでセックス」と「主人公によるキーアイテムの破棄」でした。そこから舞台設定をたてたんですが、松のなにもかもがフィクションであるかのような世界観だと突拍子もない設定がまかり通るのでとても助かった(おそ松があの部屋を手に入れる経緯とか)。あと六畳半は気に入った言い回しが多かったですね。  おれの錯覚ならいい。勘違いならそれでいいんだ。でもそれはいったい誰の錯覚で、誰の勘違いだっていうんだろう。お前がおれにやさしく笑いかけているという錯覚は、お前がおれのことをどうにか思っているからそうなっているのか、それとも、おれがお前を、そう、思っているから、そうされたいと願っているから、  やめてくれ。 とか 「カラ松、お前さ、なんかお兄ちゃんに言うことない?」  カラ松はしばらく思案したのち、言った。 「ない」  がちゃん。  こうして王国への扉は閉ざされた。 とか。あと、ラストシーンがうまいことはまってとてもよかった。よくあんなの思い付いたな自分。まあ、R部分が文字通りお粗末すぎたんで、プラマイゼロみたいな…。  BGMはくるりの『PEARL RIVER』だったんですが、エンドロールに椎名林檎の『本能』が流れたら爆笑ものだな(主におそ松の未練がタラタラすぎるところが)と思っていた。 ◆逃避夢  岩井俊二監督作『 PiCNiC 』のようなことをする長兄の逃避行話。実はこれには続きがあり、関西までやってきたふたりが六甲山でロープ―ウェイにのり植物園などを散策した後、下山途中に青姦首絞めセックスみたいな展開になる予定だったんですがあらすじを書いてるだけでも胸糞のわるくなるような話でして書けなかったんですよね。あっはっは。幸せになれない長兄を拗らせていたんだな、夏のわたし、という感じ。BGMはなし。 ◆人間になりたかった星屑のはなし  アスタカ~~~~!成長したアストンがみたいよ…ぜったい美人になってる…。鉄血終わってもきっとずっと言い続ける…。  アストンとタカキの間にある感情のことを、こねこねこねこねした話。たぶんアスタカはセックスできるしお互い好きなんだと思うけど、恋人のような関係になるかといわれればそうではなく、むしろアストンとフウカがどうにかなり、三人仲良く暮らしました、というのがいいんじゃないかと思います。自分でも何を言ってるんだと思いますが、それがベストだと思います。  アストンが自分たちに危害を加えるもののイメージが具体的な顔ではなく『手』として連想されるところが結構お気に入りです。そこに具体性は必要なくて、概念的な存在なので『手』だけが想起されてる。鉄血は生臭い世界観だから書くのがたのしいなあ。 ◆ふしぎなともだち  わたしの書いた話がバズることがあるんだなと驚いたヒラレス。(未だにどうしてこの話こんなにバズったんだと首を傾げている)(そこそこ分量があってハッピーエンドだから?)(雑なマーケティング)  ついったでお世話になっているフォロワさんがヒラレスで盛り上がっておられて、じゃあ自分で書くならどうするかということを考えていた折「兄貴力がカンストしてそうなレスおそが酔っぱらうと男女見境なくホテルに連れ込む悪癖があるといい」「そしてヒラカラが被害にあうことで始まるヒラレス」みたいなネタから全てがはじまった。構成要素としては「優しいということ」「猫の死に目」「友達の定義」。猫の死に目の話をするシーンは初期からやりたかったので、それを中心にエピソード出しをしました。当人は無自覚だけど死にかけの猫みたいなおそ松と、社会にすりつぶされてぼろぼろになってるカラ松の相互救済みたいなことをやりたかった。結果レスおそは救われたけどヒラカラはあんまり救われなかった。続きがあれば彼のこともどうにかしてあげたい。  もともと用意していたラストはもっと軽い感じだったんですがレスおその過去が思ったよりヘビーになったので現在の形に変更。  三万字超えてテンションあがったのはいいんですが、台詞先行でプロットを書いたので、冗長になってしまったかなと反省する部分もありました。  BGMは雨のパレードの『YOU』『morning』『夜の匂い』 ◆ホームスイートホーム  コラロのシリーズが進まなくなった元凶のような(人聞きが悪い)作品。これは難産だった。ほんと難産だった。  たしかコラさんがサイン会で都会に行くという話はシリーズ構成した当初からあったんだけど、中身を全然決めていなくて、サイン会と、昔の友人に再会するのと、墓参りのエピソードだけ立てていた…と思います。サイン会のシーンの方をメインで考えていたのだけど、結局書いているうちに「これはコラさんが自分の過去と向き合う話」なんだと思ったので、方向性を見直したのでした(のでとても時間がかかった)。思い返せばコラさん視点で進むこのシリーズ、コラさんが自分の過去の話してる事ってほとんどないんですよね。というわけで、コラさん、自分の過去に向き合ってくれ、ほんで外科医と未来を築いていってくれ、と思いながら書きました。まあでも過去の清算なんて簡単にできるもんじゃないですからね! のんびりやってくれ。  BGMはぼくのりりっくのぼうよみ『black bird』、DAOKO『水星』 ◆松SSS LOG  短いのまとめ。簡単に行きましょう。(疲れてきた) ・モノクローム劣情  カラ一から長兄にメインCPが移行してる時に別名義のアカウントを立てて書いた話。この時はまだ長兄の上下が決まってなくてリバだった。 ・声のない声  普通にシビアな世界で生きてるマフィア松が見たかったし書きたかった(当時マフィア松とタグが付いている話を全てチェックするというとち狂ったことをしていました)。このあとはえろパートになる予定で、長男が自室に入った途端に高級なスーツをぽいぽい脱ぎちらかしながらバスルームに向かう(そしてその服を律儀に次男が拾う)というシーンが書きたかったんだけど、えろが書けないかったんだな。 ・真夏の脊髄  汗のしたたる次男の首筋には夢が詰まっている。 ・イノセント  喰種パロ。ふたりで兄貴をすると決めている長兄の関係がすきなんですよね(非公式)。そしてやっぱり長男が、次男のことをものすごく尊いと思っている。なんなの。 ・暁のフィラメント  PHYCO-PASSパロ。煙草のやりとりが書きたかった。あと次男の前でだけ泣く長男。次男、局長にこき使われてイライラしてくれ~~と思う。チョロちゃんはブチギレてる。 ・夢に散骨  タイトルお気に入り。もしこの話が続いていたら、お互いが死ぬ/死なない、近界民にさらわれる/さらわれないみたいな話に転がり、タイトルの意味も回収できたんじゃなかろうかという気がしますが今のところ続く予定がない。 ・グロテスク  DV長兄いいですよね…。みんなやって…わたしにめぐんで…。殴られてもなぶられてもうっすら笑ってる長男が好き。あいつそういう男でしょ。多分違うけど、ウチの長男はそんな感じ。「握りつぶされた花の花弁のような」という一文が気に入っています。 ◆HONEY  長かったシリーズの最終話です。こういう展開にしようということはもともと決めてたんですが、ほんとはもう少し長くなる予定だったはず(コラさんのお誕生日会を村の有志でやる予定だった)。とにかく急いで書いたので、不出来な部分もあるんですけど、まあ、やるだけやったなと思います。  ちなみに感慨深すぎてこの話あんまり読み返せないんだ…。  改めて振り返ってみると、作中に出てこない麦わらのメンツがあの世界で何をやってるのかとか、実は村にはサンナミちゃんがいたとか、外科医の過去編とか、なんかもうめちゃくちゃ書き残したことがあるなあ。またどこかで書けると良いですね。  と、いうわけで。  2016年総括すると「えろに苦手意識持ち過ぎでは…?」でしたね。やってる前提の話は多いのにどうして書けないんだ? もうちょっとフランクにえろに向き合ったほうがいいのでは?   まあそれはおいといて、松を書き始めていろんな方に繋がって頂いたり、本を出すと決めてコラロも更新出来たり、2016年、をたくとしては充実した一年でした。 コンスタントに2~3万字の話を書けるようになってきたのもいい傾向なのかなぁ。来年は5万字くらいの話を書きたいです。抱負。  今年も一年ありがとうございました。また来年もどうぞよろしくお願いいたします。  それでは。  衣子
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nextsummerraika · 8 years
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夏と嵐
 現パロ。コラソン×ロー。  田舎の生活シリーズ。  二人暮らし2年目の夏。あの三人組がやってくるお話。
   例年になく激しい嵐が過ぎたその夏、おれが出会ったのは、陽気な一人と、皮肉屋な一人と、打たれ弱い一匹だった。    おれの同居人に会いに来たという妙な来客たちは、人知れずやってきて、勝手に楽しんで、ちょっとだけ寂しそうに肩をおとし、結果的には満足して帰って行った。 いわば他人の祭りに巻き込まれたおれがその間どうしてたかって?  情けないことに、おれはその間 思春期のガキみたいに拗ねたり、悩んだりしていた。幼児後退もいいとこだよな。でもまあ、大切にしたい誰かが傍に居るってのは、楽しいことばかりじゃない。苦しかったり、妬ましかったり、そういう嫌な感情とも付き合っていくってことだ。  ひとりきりで暮らしていたらきっと経験できなかっただろう葛藤も、過ぎてしまえば若気の至りと苦笑してしまえる類のものだった。不惑に手が届きそうなおっさんが若気の至り、だなんて失笑ものだって?それに関しては否定しない。でも、いくつになってもガキみたいに融通の利かない部分は変わらないものだ。とりわけ、絶対に手放したくないものがかかってるていうんなら余計にな。あんただってそうだろう? 夏と嵐    台風が妙な進路をとって、この町の上を舐めるようにゆっくりと通り過ぎてから一週間が経つ。この町は台風の直接的な被害にあうことはめったにないのだが、今回は具合が違っていた。やたらと強い風と、1メートル先も見えないくらいの豪雨。普段は穏やかな流れの川が灰色の濁流になって渦を巻きながら海に流れ出していく。海の方も大荒れで、防波堤に打ち付ける波が建物の屋根に届こうかって位に跳ねていた。  ウチは屋根瓦が数枚飛んだくらいで他には大きな被害はなかったが、ご近所さんたちは、庭木が折れたり、その二次被害で車のフロントガラスにヒビがいったなんてことがあったようだ。だが、幸いなことに人的な被害は無し。何よりだ。  嵐の後は自棄になったような暑さがこの町にやってきた。碌に雨も降らず、風も吹かない、猛暑日と熱帯夜の連続だ。自然の多いこの町でこの暑さなのだったら、都会は一体どうなっているんだろう。触れただけで皮膚が焼け焦げていく殺人熱風。一時間も外で過ごしたらミイラが完成する灼熱都市。想像するだに恐ろしい。  かくいうおれも、ここのところのうだるような暑さには辟易していた。ここらで夕立のひとつも降ってくれないかと、個人的に雨乞いしてみたくらい。効果のほどは承知の通り。無降水記録は今日でちょうど7日。台風一過からこちら、まったく雨が降っていないことになる。  残念ながら、おれには雨を降らせる神通力はなかったみたいだ。まあそれは良いとしたって、農業用の貯水池すら底が見えかけているから、水不足は結構 深刻なんじゃないだろうか。ウチの細々とした家庭菜園脇の雨釜も一昨日ついに底をついてしまった。これからの水道代のことを考えるとちょっと頭が痛い。だけどまぁ、ひとりで暮らしてきた日々とは違って、もう一人、きちんとした現金収入のある同居人の存在を思い出してほっとしてみたりする。たかるようで申し訳ないが、おれのほうは売上の芳しくない専業小説家なんていう財布に一抹の不安が残る職業なのだから仕方ない。  そういえば件の同居人の方は、ここ数日の暑さに対して憤りを通り越し、ほとんど諦念を抱いているようだった。奴は暑さにめっぽう弱い。壊れかけている古びたウチのクーラーを買い換えようと、ほとんど毎日のようにおれに提案してくる。今のところ、おれは首を縦に振ってはいない。大きな金を動かすのが怖いのだ。甲斐性なしと罵られても、こればかりは性分だ。気の毒だが諦めてもらうほかない。  ダイニング――というとちょっと洒落すぎている、台所に併設したテーブルの上に、今日の晩飯の皿を置いた。今日のメインは鱚の南蛮漬け。同居人の好物は焼き魚なんだが、鱚はちょっと淡泊すぎるから、南蛮漬けにしてみた。あとは白米と、切り干し大根の味噌汁。調理するのが面倒になると、ついつい大皿の料理になっちまうよな。  台所から差し込む西日は7時を回ってもまだ十分 明るい。外の景色に目を細めているおれの耳に、大仰な音を立てながらこちらに向かってくるエンジン音が届く。どうやら同居人が帰って��たしたらしい。  おれは玄関に向かい、置きっぱなしにしている雪駄に足を突っ込む。擦り硝子の引き戸を開けて、年代物の軽自動車から長い脚を出した同居人に向かって声をかけた。 「ロー、おかえり」  窮屈そうな車内から、隈のひどい顔をした男が一人、映画の中の俳優みたいに洒落た仕草で姿を現す。身内の(とはいっても、ローはおれと血が繋がってるわけじゃないんだが)贔屓目を抜いても、ちょっと見惚れるくらいだ。車から出てくるというたったそれだけの動作がやたらと絵になるなんてちょっとずるいよな。是非おれにもそのやり方を教えてほしい。ちなみにこの男に出会ってから、おれは『天は二物を与えず』という言葉を信じなくなった。  車から降りたローは虚を付かれたように二、三度 瞬きをして、ただいま、と零した。おれがわざわざ玄関を出てまで迎えに来るなんてことはめったにないのだから、ローが戸惑うのも無理はない。おれは薄暗い夕景を背にしたローの向こうに視線を向けた。おれの胡乱な視線に気づいたのだろう、ローは背後を振り返りながら、こちらに向かって歩いてくる。 「……何かあったのか」 「いや、今日 エースから聞いたんだが、この辺で妙な三人組がウロウロしてるらしいんだよ。それでちょっと様を子見とこうかと思って」  エースは、この町の魚河岸で働く一人だ。ウチの同居人は大陸系の見かけに反して魚介類が好物なので、エースのとこの店によく世話になっているのだ。気のいい大将がスーパーより安く売ってくれるのがありがたい。  ローはちいさく嘆息して、掌の中で軽の鍵を鳴らした。 「そういえばトニー屋が騒いでたな。おれの聞いた話じゃ、身の丈三メートルもある怪物みたいなやつが三匹うろついてるってさ」  そう言って、背後を探るような視線を送る。でも臆病な同僚の話なんて大して信じちゃいないんだろう。御伽話めいた与太話を信じるなんて、どうかしてるって面だ。  でもおれには一抹の不安があった。2年前、ローがこの町にやってきた後、それを追いかけるように招かれざる客がやってきたことを思い出したのだ。そいつは、ローの元・ボスで、かつておれが縁を切った実の兄貴でもある。  おれの表情に浮かんだ緊張を見て取ったのか、ローはいつものニヒルな笑いを浮かべて、おれの肩を叩いた。 「大丈夫だよ、コラさん」  今更 あいつらが現れるわけねェだろ。そう言って、視線で中に戻ろうと促す。おれは妙な胸騒ぎを抱えたまま、結局 ローの後に続いて玄関に向かった。姿の見えない不審者の話はそこでおしまいになる。そのはずだった。だが現実は時に予想を大きく超える事態を招いたりするものだ。まあ、ほんの時々、だけどな。    翌朝も、腹が立つくらい、くっきりはきりの快晴だった。  絵の具をたらしたような、ぐっと外側に広がっていく空の青さに眩暈がする。  おれは固まった筋肉をほぐすように伸びをしながら、御影石の門をくぐり抜けた。少し歩いたところに、ご近所さんが使わなくなった畑を借り受けているのだ。この時期は次から次へと実るトマトやキュウリなんかを採っておかないと、翌日には笑えるくらいでかく育ったやつと対面することになる。とはいえ、この前の台風のせいで露地栽培をしているおれの畑の作物は結構なダメージを食らった。畑の半分は使い物にならなくなってしまったのだ。残念だけど、自然災害が相手だ。こればかりは運が悪かったと諦めるしかない。  蚊取り線香を腰にぶら下げて、竹笊を片手に畑に向かおうとしたところで、妙な気配がして家の方を振り返る。こういう勘は意外に侮れない。  かくしてそいつらは居た。おれ視線の先にあるのは小さい影が二つと、その間に挟まれるようにしている大きい影が一つ。ぎょっとしてその場で飛びあがる。声が出なかったのは、幸か不幸か。  三つの人影は、家の生け垣にぴったり張り付いて、中を覗こうとしているようだ。両端の二人組は目いっぱい身体を伸ばしている。  怪しい。  あからさまに怪しすぎる。  正直、こんなに堂々と怪しくて大丈夫なのかと不安になる程だ。そしてどうやらこいつらが、昨日話題に上っていた”怪しい三人組”らしい、ということにようやく気付く。大して金もなさそうな家に、盗みに入ろうってつもりなんだろうか。おれは覚悟を決めて腹にぐっと力を込めた。 「おい、あんたら、おれの家になんか用か?」  おれが声を張り上げると、奴らは一様にびくついて恐る恐るといった風情でおれの方を振り返る。声を掛けただけで既に及び腰だ。奴ら向かって一歩踏み出すと、蜘蛛の子を散らすように三人組は駆けだした。  やっぱり盗み目的か。おい、と言ってその背中を追いかけるが、奴らの逃げ足は速い。おれは不安定な雪駄を脱いで裸足で奴らの後を追う。  3人組は特にあてもなく駆けているようだった。両側に畑の広がる見通しのいい一本道を、ただひたすら走る。正直 身体がきつくてとても追いつけそうになかったが、途中で奴らの内の一人が足をもつれさせて転んだ。その隙に何とか追いつき、男の背中に馬乗りになる。後ろ手に腕をひねり上げ、膝で背中を抑えると身動きができなくなったようだった。あっけなく御用となった男は、それでも何とか逃げ出そうと力任せに身体を捩った。 「は、離せっ、いや、離してくださいっ!」 「離して欲しけりゃ、何で逃げんのか理由を言えよ」  収まらない呼吸をなだめながら地面の上で泳ぐように手足をばたつかせている男に向かって言う。それでも奴は頑なに口を割ろうとしない。  そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけたらしいローがもみ合っているおれ達を見て駆けてきた。 「コラさん、どうした」  その声を聴いて、膝の下の男は最後のあがきとばかりにさっきよりも激しく暴れ出した。  突然の抵抗にうろたえているおれに加勢するつもりだったのだろうローの腕は、けれど結局 宙を半端に泳いで、止まる。それ以上の動きを見せない腕を不審に思って後ろを振り仰ぐが、ローの視線は、おれではなく、おれの下で暴れている男の顔に注がれていた。  やがて、戸惑いを含んだため息交じりの声。 「……何やってんだ、シャチ」  その一言で、膝の下で暴れていた男はぴたりと抵抗する動きを止めた。うう、と情けなく唸る声がする。 「……お久しぶりです。ローさん」  状況についていけないおれを余所に、膝の下で男は呻くようにローの名を呼んだ。  町内で話題になった不審者三人の内訳は、正しくは二人と一匹。  おれに捕まった男がシャチ、目深に帽子を被った男がペンギンと言うらしい。これが”二人”。それに加えて、ベポというシロクマが残りの”一匹”だ。改めて見ても、目立ちすぎる面子だった。  大捕り物の後、ローと知り合いらしいシャチを解放すると、奴を置いて行った一人と一匹も観念したのか、おずおずと来た道を戻ってきた。道端で立ち話もなんなので、家に招くことになる。そもそも、この面子じゃ悪目立ちしすぎる。おれだってご近所さんに変な目で見られたくはない。  聞けば、この妙な組み合わせの三人組は、ローが首都で暮らしていたころつるんでいた連中らしい。おれは、悪い予感が的中したかと目を眇めたが、こいつらはドンキホーテファミリーとは無関係なのだという。他でもないローの口から語られたのだから、どうやら杞憂だったらしい。  三人組は行方をくらましたまま安否もわからないままになっていたローの消息を、最近になってどこかから聞きつけてきたというわけだ。何故か玄関先の板張りの廊下で正座をする三人組と相対しながらおれは小さく嘆息した。 「それで遥々こんな田舎までローを探しに来たのか」  呆れとも驚きともつかない言葉に、ペンギンと名乗った男は、ローの姿を確認したら大人しく帰るつもりだったと言ってうなだれた。「おれらみたいな半端モンが、ローさんや同居人さんに迷惑かけちゃいけねェと思って。生きてるのさえ分かれば、それでよかったんですけど」  事情は分からないが、こいつらも何かの事情持ちらしい。説明を求めて隣に居るローに目配せをするが、奴は腕を組んだ姿のまま、むっつりと唇を引き結んで三人を睨んでいた。 「気に入らねェな」  その嫌悪の突き抜けた低い響きに、三人組の肩がそれぞれに跳ねる。 「まあまあ、せっかくこんなところまで来てくれたんだしよ。怒るようなことでもないだろ」  無関係のはずのおれが、なぜよく知りもしない人間の事を庇ってやってるのかわからないが、遠路はるばるこんな田舎町までやって来て、目当ての人物に凄まれたんじゃあんまりにも不憫だ。  おれがとりなすように言ったのが更に気に入らなかったのか、ローからは恐ろしいひと睨みが返ってくる。かなりご立腹の様子だ。  その怒りの矛先がこっちに向く前に、それとなく話題をそらしておく。 「おい、ロー。そろそろ出かけねェと時間、間に合わないんじゃないか」  今日もローは診療所の仕事がある。  だがローはおれの言葉を無視して、三人組に鋭い視線を向けたまま不機嫌に言い切った。 「おれが腹を立ててんのは、こいつらが黙ってここに来た事じゃねェよ。こそこそと盗人みたいな真似してんのが気に食わねェんだ。堂々としてりゃいいだろ」  身のやり場をなくして小さく縮こまっている三人組のつむじを睥睨しながら奴は続ける。 「お前らの事を迷惑だと、一度でもおれが言ったことがあるのか」  萎れていた三人組は蜘蛛の糸に縋る様な視線をローに向ける。  言外に、そんなことは無かっただろうと言うローの顔は相変わらず不機嫌そのものだが、おれは気が抜けてつい吹き出してしまった。再び、恐ろしいひと睨みがこちらを向く。  悪い悪いと片手を振って、締まりのない顔を片手で隠す。心配して損をした気分だ。  多少 空気が軽くなったところで、おれはローを促した。診療所の主であるくれはさんは、性格こそざっくばらんだが、礼儀にはうるさい。遅刻なんてしようものなら大目玉を食らうだろう。 「そうは言ったって、こいつらどうすんだよ」 「そりゃ、ウチに居てもらえばいいさ。ローの客なんだから、ウチでもてなすのが道理だろ?」  ローは難しい顔をして、言葉を探していた。でも、結局 奴の方が折れた。時間がせまっていたせいかもしれない。たいがい不遜そうにしているくせにローにも恐ろしいものがあるのだろう。おれだってくれはさんの見事な蹴りを受けることを考えたら身がすくむからな。  ローは、兎に角 面倒を起こすな、じっとしてろ、と言い残して橙色の軽自動車に颯爽と乗り込むと、診療所に向かった。仲間というか、上司と部下みたいな関係だ。おれの隣で、去っていく軽自動車に手を振る三人組を見ながら、おれはそんなことを考えていた。   「そんな、仏像みたいにかしこまらなくてもいいぞ。おれに気にせず、のんびりしてくれ」  ローが診療所へ向かい、残された三人と一匹は家の中に戻った。  もてなすと言った手前、茶の一つでも出さないといけないだろう。だけど、シロクマって、茶なんて飲めるんだろうか?  解けない疑問は当人――いや、当熊というのがいいのか――に尋ねるのが妥当だろう。  『じっとしてろ』の命令を律儀に守り続ける二人と一匹は、居間の端に正座をしている。奴らはどれだけ進めても居間のソファに座ろうとしなかったのだ。 「おい、ベポ。お前、茶は飲めんのか?」 「あ、ほんとにお気遣いなく」 「そうは言ってもなァ……」  煙草をくわえたまま首を傾ける。お気遣いなく、なんて言葉をクマが神妙そうにしゃべってるなんて、随分と不思議な光景だ。  この気の良い奴は、おれが「どうやってクマが喋ってるんだ?」と素朴な疑問を投げかけた後「クマなのにしゃべってすいません……」といきなり影を背負ってうなだれていた。ローの説明によると、よくわからないスイッチで、打たれ弱くなってしょげるらしい。付き合いの長い連中ならある程度のタイミングは図れるらしいが、おれにはお手上げだった。 「絶対にコラさんに迷惑かけるな、ってローさんから言いつかってるもんで」  こちらはペンギンと名乗った、目深に帽子をかぶった男の発言だ。どうもこいつらはローの命令には絶対服従であるらしい。ベポの年齢はわからないが、ペンギンとシャチはローと変わらない年頃だろう。なんだかよくわからない関係だった。 「あー…その、聞いてもいいか」  こちらに視線を向けたペンギンが、どうぞ、と水を向けてくれたのを幸いに、おれは切りだした。 「お前ら実際のところ、ローとはどういう関係なんだ」  昔の連れだっていうローの言葉を疑ってる訳じゃなった。奴はそういうところは律儀だし、信頼もしている。だからそれを訊ねたのは純粋な好奇心からだ。  ふたりと一匹はお互いに顔を見合わせて、言葉を探してるようだった。あー、とかううん、とか意味をなさない音が三人の間をひっきりなしに飛び交い、しばらくの間、視線の会話が続いた。 「あー……、その、なんつーか、ローさんは命の恩人です」  やがて落としどころを見つけたのか、シャチが唸るようにそう言って、笑う。  表情こそ苦笑の形を作っていたが、放った声はどこにも迷いがない。途方もない信頼を込めた声だった。自分の命���全部預けてしまえるだけの、そういう全幅の信頼をよせていることがありありと分かるくらいに。シャチの言葉に残りの二人も得心がいったのか、力強い笑みが同意をする。  少し裏切られた気持ちで眺めた奴らの笑みには曇ったところがひとつもない。それだけ、ローのことを信じているのだろう。  眩しい笑みに目を細めながら、おれは手元の灰皿にふかし終わった煙草を擦り付けた。  どうやら、おれとローの成り行き程度には複雑な関係らしいと悟り『じっとしてろ』の命令を律儀に守り続ける二人と一匹を眺める。ローの過去は、確かに気になるけれど、奴の居ないところでそれを尋ねるのはやっぱり反則だろう。興味は引かれるが、この話は本人に聞くことにして話を切り上げる。 「なるほどな。だけどそんな風にかしこまられたら、おれも気ィつかうしさ。できればもうちょっと気安くしてくれると助かるんだが」  おれの言に、何か思うところがあったのだろう。三人組は再びお互いに顔を見合わせて視線の会話をする。しばらくして再び意見を取りまとめたらしいシャチが正座の姿勢のままこちらを見上げて言う。 「だったら、なんかお役に立てること、させてもらえないっすか」  はたして、その言葉の通り、奴らは最近滞りがちだった家の掃除をおれが頼むと、一つ返事で了承した。情けない話だが原稿の締め切りがやばいのだ。三人組は掃除道具の場所を訊ねると、後はひたすら作業に没頭する。  特に奴らの手際の良さは特筆すべきだろう。なんというか、プロだ。奴らの仕事の進め方には一種の潔さがある。  おれはしばらく、無言で働く二人と一匹の仕事ぶりを眺めていたが、思い出したように自分の仕事に戻る。  ローの元知り合いとはいえ、個人的にはなんのかかわりのない見ず知らずの他人に家の掃除をさせてしまう状況を申し訳ないと思いつつ、おれは次々片付いていく家事に安心して、白いところの目立つ原稿に向き合った。ぎりぎりだった締め切りの原稿が何とか形になる頃には、外では日が暮れ始めていた。   出版社の担当宛に原稿をメールし、掃除を終えた三人組と茶を飲んで一息ついていたところに、年代物の軽自動車の苦し気なエンジン音が響く。  玄関先まで迎えに行くと、帰宅したローの両手にはビニール袋を抱えられていた。今日は鍋にしようと原稿の合間にメッセージを送ったのはおれだった。夏に鍋なんて暑いだろうが、大勢でつつくならこっちの方が楽しくていいだろうと思ったのだ。  三人組の手腕のおかげで見違えるほどぴかぴかになった我が家に何を言うでもなく、その頃には随分 打ち解けてリビングで寛いでいた二人と一匹に視線を向けてから、ローはおれに視線で問いかける。  何も問題なかったという意味を込めて、おれは笑みを返したが、ローは半眼になって眉を寄せる。あからさまに信じていないという面だ。おれの渾身の笑みは、大体においてローには信用がないのだ。まったく心外だよな。  おれたちは、適当に切った食材を入れた鍋を囲み、暑い、暑いと言いながら飯を食った。そうしていると、今朝のちょっとしたわだかまりも、少しずつほどけていくようだ。やっぱり同じ釜の飯を食うってのは、いいコミュニケーション方法なんだろう。もっとも、おれたちが食っているのは釜で炊いた飯じゃなく、鍋ではあったんだが。  鍋の粗方が片付いても、宴会は続く。  アルコールも進み、今朝に引き続き不機嫌だったローに対して気後れしていた風の三人の舌も少しずつ饒舌になってくる。ローの方も酒が入って、ようやく意地を張るのをやめることにしたらしい。三人組が語る近況に、楽し気に(というのはわかる人間にしかそれと悟らせないが)耳を傾けている。  こいつらは現在、ナースマンを目指して看護学校に通っているそうだ。  学校の規則でバイトができないらしく、遊ぶ金が無いというのが最近の悩みらしい。  そうして話を聞いているうちに、学費はローが置いて行ったものだってことが分かる。  おれは自然と、ローが家の前で倒れていた時に持っていた黒い鞄の中身のことを思い出していた。おれが生涯を通して二度とみることはないだろう大量の札束たち。あれはどうもローの稼ぎのほんの一部だったらしい。奴はその大半を、残していくこの三人の為に置いて行ったのだろう。  突然姿を消したローと、そいつが残していった金。この三人は一体どんな気持ちでそれを前にしたんだろう。行方は知れない、安否もわからない。積上げられた札束は、ローが戻ってくる意志のないことの、なによりの証左に思えたのではないだろうか。  それでもこいつらは、ローから受けた恩に報いようと、看護師を目指して勉強しようという気概があったのだ。並大抵のことじゃない。こいつら自身の性根の強さも、こいつらにそうさせたローへの信頼も。  ローの無事を知った時のこいつらの喜び様を見てみたかったものだ。おれはそんなことを思った。  おれの隣で、ローは時折 相槌や茶々を挟みながら、三人の話を聞いていた。もうすぐ実地研修が始まるのだと、戦々恐々とする面々を見る目はほんの少し優しげに見える。素直じゃない奴。授業の最中に寝てやしねェだろうな、と釘を刺しているローを横目に、煙草に火を付ける振りをして、おれは笑いを噛み殺した。    いよいよ宴もたけなわって頃に、おれは一言断って手洗いの為に中座した。  背中で酔っぱらったシャチが「ほんとにあんたが無事でよかった」と、ローの手を取りながら涙交じりに言っているのにを苦笑しつつ、廊下に進む。  日が落ちてずいぶん経つが、まだ昼間の熱気が大気に残っていた。寒いのは嫌いじゃないのだが、暑いのはどうにも苦手だ。今晩も熱帯夜になりそうだ。寝苦しいのはごめんだなぁと思いつつ、手洗いを済ませて隣の風呂場に向かう。風呂の用意をしておこうと思ったのだ。  シャチの奴は随分と酔いが回っているようだったけど、ペンギンはそこそこいけるクチのようだったし、風呂に入るくらいはできるだろう。おれの方も原稿明けの身体を熱い湯でゆっくりと温めておきたかった。今朝は無駄に全力疾走するはめになったしな。こういうことをいうのは癪なんだが、年を重ねるごとに確実に体力がおちているのには自覚がある。ケアくらいはしっかりしておきたい。  湯沸しの準備をして、さて宴会に戻ろうかと思ったところで、台所の方から聞きなれない男の声が聞こえておれはその場で身を固くした。 「このまま、二度と戻らないつもりなんですか」 ペンギンの声だった。  がちゃがちゃと、何かを探すような音がしているから、あらかたローが足りなくなったビールをとりにきたのだろう。ペンギンはその手伝いといったところか。  おれは洗面所の流しの前で硬直する。耳に飛び込んできたのがあまりに不穏な内容だったからだ。  ペンギンはおれが便所に立ったことを失念していたのだろうか。それともおれの耳に入るかもしれないことを分かったうえで、あえてこんな近くでローに話題を振ったのか。  息を殺して聞き耳を立てているおれをよそに、ローは目的のものを取出し終わったようだ。ぱたん、と冷蔵庫の扉を閉じる音がした。呆れたふうな嘆息とともに、ペンギンの問いかけに返事をする。 「戻れるわけねェだろ。よしんば戻ったとしてそれからどうするんだ。あの街にはドフラミンゴが網を張ってる。見つかれば良くて叩き出されるだけだし、運が悪けりゃ今度こそ命はねェだろう」 「でも、」 「一度、拾ってもらった命だ。無駄にはできねェ。コラさんに申し訳が立たないからな」  ローはそう言って、この話題を切り上げるつもりらしかった。まだ何か言い募ろうとするペンギンをあしらって、ローが缶ビールを持ってベポとシャチの待つ客間に戻る足音がする。  おかえりぃ!というシャチの陽気な声を聴きながら、おれはまだ動けずに、ただ手洗い場の鏡に映る自分の顔を見ていた。鏡の中には年甲斐もなく狼狽えて青い顔をした男が一人映っているだけだった。  翌日は、診療所の定休日だ。  だからもちろん、ローの奴もオフということになる。  いつもならのんびりと縁側や部屋で本を読んでるローが、どこか遠慮がちに奴らと海に行ってくると行った時の表情は忘れがたい。いつも泰然としている奴にはあまりに似つかわない、それくらい珍しい表情だったから。  実のところこのあたりの海は海水浴くらいはできるものの、とりたてて絶景というわけでもない。それでもわざわざ海を見に行く、という。昨日の夜はみんなで鍋を囲んだ後、ローは客間に布団を敷いた三人組一緒に眠ると言っていたから、その時 話題に上ったのかもしれない。遠慮の原因は、おれをひとりをのけ者にしていると気が咎めるからだろう。  おれは一つ返事で了解の意を伝えた。見慣れない表情をするローの肩を叩いて、楽しんで来いよ、と笑う。今度はうまくいったようだ。ローの表情がわずかに綻ぶ。その表情を見て、おれは自分の対応が間違っていなかったのだと答え合わせをする。まるで夏休みの宿題をしてる小学生みたいな気分だ。バツかマル。それだけで単純に決まる問題だけだったら、世の中 生きやすくていいよな。でもそれだけじゃないから、生きてるってのは楽しくもあり、苦しくもある。  おれのイエスを聞いて、ローは三人組を連れ立って家を出た。橙色の軽自動車にそれぞれが乗り込むのを、おれは笑顔で見送ってやる。あのメンツを詰め込んだ車は相当  窮屈そうだ。  舗装されていない道をガタゴトと、にぎやかに遠ざかっていく丸っこいフォルムの車の後ろ姿が見えなくなるまで見送って家の中に戻ると、タイミングを計ったかのように尻ポケットに入れていた携帯が震えだした。  通話主は、ちょうど今連載しているエッセイの担当者からだった。  電話に出ると、溌溂とした若い女性の声が耳元で弾ける。彼女は前職で仲の良かった同期の、その後輩にあたるのだそうだ。世間ってのは広いようでいて案外 狭い。まあその伝手のおかげで仕事がもらえてるんだからえらいものだ。  最近の天気のことから始まった話題は、徐々に仕事のそれに代わっていく。掲載しているおれのエッセイが好評なんだと彼女は言って、屈託なく電話の向こうで笑い声を弾ませている。この調子なら年内には単行本にできるって話が出ているらしい。ありがたいことだった。 「それで、サイン会を開催してみないかっていう話が来てるんですけど……」  電話口でいくつか大きな書店の名前を列挙される。勿論知った名前ばかりだった。正直おれには荷が重いんじゃないかってくらい。  そこでおれは、閑散とした会場でひとりぽつねんと座っている自分の姿を想像して、ぞっとした。道行く人の「コラソン?って誰?知ってる?」なんていう声を聴きながら、イベントの終了時間までを必死に耐え抜くのだ。想像するだに恐ろしい。ちょっとおれのメンタルには酷に過ぎる。  結局、有難い話なんだが、自信がない。一度、考えさせてくれ、そう言って通話を切る。  携帯を右手に、そのまま畳の上に大の字に寝転ぶ。知らないうちに息を詰めていたのだろう、倒れた傍からふー、と大きくため息がこぼれる。  前職を辞めてから8年。知り合いの伝手を借りて細々と続けてきた仕事だが、最近になって徐々に認められてきたんだという実感はある。ナントカ賞って名前の付くやつにも、名前がのりはじめてるしな。だからまあ、正直なところサイン会なんてのも予想外の事態、というわけではなかった。ただ、どこか他人事のように感じられるだけだ。 「あちぃな……」  独り言が漏れるのは、心細かったせいかもしれない。  ふと、今頃 海で遊んでいるだろうローたちのことを考えた。  二年前、ローが死を決意した時、最後にみたいと願った海。おれとローを結び付けてくれたもの。今日の波は穏やかだろうか。ベポが流されたりしなきゃいいんだが。  そうして染みのついた天井を眺めながら、おれは三人組の顔と、ローのことを考えた。  連れ戻しに来た、というわけではないんだろう。昨晩、台所でローは はっきりとペンギンに戻れないと告げた。たとえローがどれだけ望んでも。あの街に戻ることは出来ないはずだ。ドフィはそんなに甘い男じゃない。  それでもどうしようもなく不安を覚えてしまうのは、あの三人組がやってきたというその事実に、しれず狼狽えていたからなのかもしれない。  これまでのローの口ぶりから、あちらでの生活はつらいだけのものなのだと思っていた。楽しい思い出など何一つなかったのだと。思い出だけを糧に、そうやって生きてきたのだと思っていたんだ。  でも、そうじゃない。それだけじゃなかった。  少なくともローは、たった一人、孤独に沈んで生きてきたわけじゃない。奴を信じ、慕ってくれる奴らがちゃんと傍に居たのだ。  そんな仲間を置いて、ひとり、見知らぬ土地で死を迎えようとした、2年前のローの心中を思うと、悲しくて仕方なくなる。偶然にしろ、おれが関わったことで、奴の意識を生きる方に向けられたことは、まさに僥倖だったのだろう。  戻りたいと、思ったりするのだろうか。思わないはずはないだろう。  あたりまえのように、傍にいる。あたりまえのように、一緒に暮らす。  この2年、その『あたりまえ』を疑ってみたことはなかった。  だけどローがずっとここに居る、なんて保証はどこにもない。元いたところには戻れないから、仕方なくここで生きているだけだと言われてもおかしくはない。  一度は絶望し、死に向かうだけだったローのこころは、それを乗り越えて、今を生きてる。おれが居なくとも、奴は自分の足で歩いて好きな所に行けるのだ。たとえ元いた街に戻れなかったとしても、あいつらと別の場所で暮らすことはできる。  どうしてそんな単純なことを忘れていたんだろうか。呆然としたまま、おれは天井を見上げた。古い畳から、乾いたイグサの香りがほんのわずか空気に溶けだしている。  扇風機もつけないままの部屋は、日に焼けた空気だけが出入りしてひとつも涼しくない。  上手くまとまらない考え事は頭の隅に刷きよせて、瞼を閉じた。  軒先に吊るした風鈴がちりん、とさびしげに音を立てる。暑い。こめかみを一筋の汗がながれる。  いつまでも夏は終わらない。そんな錯覚をしてしまいそうになる。夏は、その終わりの予感すら寄越さずにこの部屋に居座り続けている。   「海ってスゲーなぁ!」  初めて海を見たのだというベポは、興奮気味に今日の出来事の一部始終を語ってくれた。ほんとに一面、水ばっかりなんだ!舐めてみたらしょっぱかった!と一生懸命に語る姿が微笑ましい。  中でも特に波が寄せて返すのが余程 不思議だったようで、浜辺にいる時も、家に戻ってくる車中でも、ずっとローに質問攻めをくらわせていたようだ。その一々に付き合って、ローは懇切丁寧に答えを返していたらしいが、ベポの方は複雑な自然現象についてはあまりなじみがないらしく、結局、「ともかく、不思議だなぁ!」ということで納得したものらしい。 「コラさんも海に行ったことあるのか?」 「ああ、そりゃ何度も行ったことあるぜ。なんせ何年もここに住んでるからな」  庭にバーベキュー用のコンロを出すおれに手伝いをしながら、ベポはそう尋ねた。  ベポは生まれてからずっと、街から出たことがなかったらしい。所謂 箱入り、ってやつです。ペンギンは苦笑しつつそう説明した。だからこの町に来る道すがらも、初めて見るものばかりで、始終 興奮しっぱなしだったそうだ。それをペンギンと二人で宥めるのに苦労したとシャチが横から教えてくれた。 「気に入ったんなら、また来いよ。ローも喜ぶだろ」  そう言ったおれに対して、ベポは「そうだなキャプテンに会えるの、嬉しいし!」と声を弾ませる。  無邪気な様子を見ながら、おれは内心で自嘲するしかない。また来いよ、なんて、虚しい牽制してどうするんだ。ローは絶対ここに居るってことを、決してお前たちの傍には戻らないんだってことを確信したような狡い物言い。まったく年甲斐もなく、なにを不安がっているんだろう。そう思ってはみるものの、一度言ってしまったことは取り消せはしない。  もやもやとしたものを抱えたまま、バーベキューが始まる。  案の定、というか、おれは炭火で食材を燃やし、服を焦がし、とドジを連発した。いつもはこんなに多いことないんだけどな、なんてローは不思議そうにしていたが、おれの方も、精神的な不調がドジという形でこれほど顕著に表に出るなんて思いもよらなかったのだからローが首をかしげるのも仕方ない。  火傷こそなかったが、服は結構な範囲で燃えてしまい、悲惨な有様になってしまった。結局、着替えがてらそのままひと風呂浴びてきたらどうだというローの提案を飲んで、おれは中庭からぼろぼろの格好で退散することになったのだった。   「はー……」  重い溜息がこぼれる。  とぼとぼと短い廊下を抜けて風呂場に向かい、所々が焦げて穴の開いてしまっているシャツを洗面台の上に投げ置いた。おれは再び深いため息をおとして、風呂場の扉を開ける。 おれのドジはいつものことだから、別に落ち込むようなことじゃない。焼け焦げた服の始末だとか、中々消えない打身の痣だとかは、確かに面倒だけどな。だけど今は、只管に自分が情けなかった。  ともかく気分を変えようと、風呂場に足を踏み入れる。  そして、おれはここでまたしても持ち前のドジを発揮した。  つまり、水で濡れたわけでもない床に足を取られて、その場で思い切りすっ転んだのだ。  次の瞬間、視界に入ったのは風呂場の白い天井。足元には腰掛け用の椅子があったはずだ。転んだ、という自覚はもちろんあったがいざ体勢を立て直そうにも、その頃にはおれの足は両方とも地面からさよならしてしまっていた。強かに尻を地面にぶつけ、更には背中で打ち据え、しまいにはその反動で降り上がった足がシャンプーなんかを仕舞ってある棚に当たって中身が転げだす始末。最後の意地で、何とか後頭部を打つのだけは回避した。これだけドジを踏んでいれば、それなりに越えてはならない一線を守る術には長けているということだろうか。そんなことが得意になるくらいならドジを回避する技の方を授けてほしかったものだと神様を恨んでみたりする。恨んでみたところで、相手の耳には入りはしないんだろうが。  再び静けさを取り戻した風呂場に、カコン、という軽い音が鳴る。恐らく、さっきおれが足を引っかけた棚から落ちそこなったせっけんだか何だかが床にぶつかったのだろう。その音で途端に気が抜けて、いでぇ、という濁った声が風呂場に虚しく響く。 「コラさん、大丈夫か」  擦りガラスの向こうからローの声。  さっきのでかい音に気付いてやってきたらしい。いつまでも全裸で転がっている訳にはいかないので、あちこちが痛む身体をなんとか起こしガラス戸の向こうにいるぼんやりと黒い影に向かって返事をする。 「……大丈夫だ」  さっきの今でなんとなく顔を合わせ辛くて端的にそう言ったのだが、ローは一言断ると、制止も聞かずにさっさと扉を開けた。  腰をさすっているおれを見て、大体のところは悟ったものらしい。扉の脇にもたれかかると腕を組み、口の端をわずかに吊り上げた。 「どこ打った」 「ケツ」  ぶっきらぼうに答えたおれのことは、ドジ続きで機嫌が悪くなっているのだと判断したんだろう。ローはそれ以上 揶揄うでもなく、ふと表情を真面目に変えて、視線だけでおれの身体を検分した。 「一応、火傷がないかだけ確かめておこうと思ってな」  そう言うと、裸足で洗い場に入ってくる。とはいえ、ローの方は服を着たままだ。裸のおれと、着衣のままのロー。  比べてみると、おれは何とも間抜けな姿をさらしていることになる。そんなおれの心中を知ってか知らずか、ローは勝手におれの背中や尻の打ち身の具合を確かめて、ひとり頷いている。 「問題なさそうだな。特に痛みむ所はあるか?」 「いや……」 「そうか。なら良かった」  ふ、と薄い笑みをこぼして、褐色の掌が肩を軽く叩いた。  それがどうして事の契機になったのか、自分でもわからない。  ただ、ずるい、と思った。それはおれのドジを甘く揶揄うそぶりに対してではなく。まして一人で嫉妬している自分を余所にローが悠然と笑っていることに対してでもなく。 「ずるいよなァ」  吐息をこぼすようなその笑みたったひとつで、ささくれた心をなだめてしまうこの男のことが、とてもずるいと思った。  まだ乾いたままの手で刺青の入った腕をとると、ローは怪訝そうな顔をしておれの顔を見上げた。 「コラさん?」  おれは今、おれがもどかしく思うこの気持ちの全部を、ローの責任にしてしまおうとしている。とてつもなく卑怯者のやり方で。その傲慢すら許されるだろうと、なんの疑問も持たないまま。  掴んだままの腕を引くと、予想するような抵抗もなく細身の身体が寄る。そのまま顔を近づけると、遅まきながらおれの意図に気付いたらしい。僅かに逃げた腰を引き寄せると、諦めたのかじっと動かなくなった。  鼻先を掠めた硬い黒髪。ひらいた唇の奥からはさっきまで食っていたバーベキューのソースの味がした。  唇が離れると、じっとおれを見上げている瞳と視線が絡む。琥珀色のそれが何かを確かめるように一度 瞬いた。不審でも、嫌悪でもない。ただ、こちらの真意を確かめようとする目だった。  試されているのかもしれない。おれはもう一度確かめるように唇に触れた。ローは何も言わなかった。  だが体温が離れた後で、琥珀色はゆっくりと伏せられる。 「あいつらが怪しむから、もう、戻る」  悪い。そう言ってやんわりと押し返される身体。  ローはおれから視線をそらして、これ以上はないってことを言葉以外でもはっきり提示してみせた。 「着替え、置いといたから後で使ってくれ」  そんな一言を残してローは風呂場を離れた。    とっぷりと日が暮れ、日付の代わろうとしている今頃になっても蝉の泣く声が止まない。  風呂から上がった後、うまく取り繕える気がしなくて、のぼせたと嘘をついてすぐに部屋に上がった。  ロー以外は、お大事に、なんて言って宴会を続行するつもりらしかった。そうしてくれた方がおれとしても助かる。  そうしておれはローとうまく目を合わせられないまま、逃げるように部屋に戻ってきたのだった。それももう数時間前の話だ。それからずっとおれはこうしてベッドに寝そべって悶々としている。  部屋は昼間の日差しの余韻を拭えずに、夜になってもずっと暑い。古びた扇風機が大業そうに首を回して、頑張って風を送り続けている。その健気な様子をよそに、おれはひとり、なんだかがうまくまとまらない心中を持て余しながら、天井を見上げる。途方に暮れると上を向きたくなる性分なのだ。下を向くよりはまだましだからな。  暗闇に慣れた目に映るのは、いつもと同じ木目、所々雨漏りをした後にできた染みのついた天井板だった。  目を瞑ると蘇ってくるのは、風呂場の光景だ。 「あーあ」  もう何度目か分からない、重い溜息がこぼれる。  失敗した、んだろう。  その自覚は十二分にある。  年甲斐もない振舞いだった。思春期のガキだってもうちょっと上手くやるだろうに、あの時のおれはそんな事にも頭が回らなかったのだ。情けない。  何より、自分の情けなさを、他でもないローのせいにしようとしていたことが何よりも不甲斐なかった。  たまらなくなって頭を掻いていると、階段を上ってくる足音がする。この時間、ローとおれの自室しかない二階に上がってくる相手なんて、ひとりしかいない。さっきの今で一体なんの用があるのだろう。なんにしても、今 顔が合わせづらいのはおれのほうに違いなかった。  一応 気を使っているのだろう。襖はごく遠慮がちに開く。  ローが入ってきたのはわかっていた。だがそちらに顔を向けるのも癪で、意固地になったように入口に背を向けると、今度は襖の閉まる音がする。その後に部屋の奥に据えられたベッドに向かって歩いてくる、足音。 「コラさん」  熱帯夜の暗闇の中で、聞きなれたテノールが響く。どうにも釈然とせずに返事を返しあぐねて黙っていると、重ねるようにローの声がした。 「コラさん、起きてんだろ」  ローはベッドの端に腰かける。人間一人分の重みを受け止めたスプリングが軋んで、自然とマットがローに向かって傾く。  それでも黙っているおれの髪を梳いていく、堅い指先の感触。 「なあ、何 拗ねてんだ」 「……拗ねてねェ」  ようやくそれだけ返事をすると、吐息に紛れたちいさな笑い声がおちてくる。子供の我が儘を、仕方ないと呆れている親のような調子だった。気に食わない。だが実際のところ、子供みたいな拗ね方をしているのは真実なのだった。  髪を梳いていた手が止まり、揶揄うようなあまい声が再び落ちてくる。 「風呂場の続き、しないのか」 「そういうんじゃねェし」 「へえ?ならあいつらのとこ、戻るかな」 「ああ、そうしてやれ。お前が居なくて寂しがってんだろ」  どうしてもつっけんどんな言い方になってしまう。相手が譲歩してくれていると分かっているのに、まったくままならないものだ。  年齢で言えばローの方が一回りも下なのだが、こういう時には奴の方が随分と年上じみた対応をする。妹がいた経験からなのだろう。おれの方は下の兄弟がいたことなんてないから、お兄ちゃん面するのは得意じゃない。 「聞いてたんだな。昨日の、晩飯の時」  おれがどう落としどころをつけようかと悶々としていると、ローはさっきまでの気安い口調を改めて真剣な調子でそう言った。  昨日のこと。台所で、ローとペンギンが話していた、あの話題。  おれの様子がおかしかった理由を、ローは粗方 悟っているらしかった。なら、もう隠しても仕方ない。おれが動揺した理由も、今もこうして意地になって不機嫌を貫いている理由も。  観念して身体を起こしたおれの顔を、ローは真っ直ぐに見据える。 「聞いてたなら分かってんだろ。おれは、あっちには戻れない。状況が許さねェし、何よりおれ自身にその意思がない」  窓から差し込む微かな月光がローの顔を青白く照らしていた。  意思、とローは はっきり言った。奴は選んでここにいる。ここに居続けると、選択したのだと。 「あんたに黙って居なくなったりしねェよ」  最初からそうだったろ。口の端を持ち上げてローが言う。  確かに、自分の過去を打ち明けてくれたあの日、ローは背後に���った危険のことを察知したうえで、おれに別れを告げて姿を消した。だが、あれはそんなに自慢されるようなことじゃないだろう。おれはあの時も、あの後も随分と肝を冷やした。あんな思いをするのはもう二度とごめんだ。  おれの心中になどさほど興味がないのか、先ほどとは打って変わって強引な仕草でシャツの端を引っ張るとローは自分の方から唇を寄せてきた。  慌てるのはおれの方だ。風呂場であんなことをしておいてなんだが、一応 分別ってものくらいはある。 「いいのかよ、下。寝てんだろ、あいつら」 「気付きゃしねェよ。それに、万一気付いたってとやかく言うような奴らじゃねェ」  そうは言うが、奴らに悟られるって事態はさすがに勘弁願いたい。おれにも守りたい体面ってのがある。そんな心中を余所に、ローの手はおれの肩を押した。再び布団の上に転がる身体。おれの顔を覗き込んだローはいつもの人を食ったような笑みを浮かべている。 「望み通り甘やかしてやる、って言ってんだ」  相手にここまで言われて、断るなんてのは野暮ってものだ。せっかくお誘い頂いたのを無碍にしたんじゃ男がすたる。おれは貰えるもんはあんまり遠慮しないたちだ。  かなり苦しい言い訳だが、なんとか自分を納得させ、覆いかぶさる身体を受け止める。控えめに言っても、暑い。やっぱりクーラーは買い換えよう。抱き合う度に逆上せてたんじゃ、まったく割に合わないからな。 「暑いな」  ローはそう言ったが、離れるつもりは無いようだった。  唇を寄せた首筋からは、いつもと同じ、ボディソープの香りと、ローの肌の匂いがした。  青々と茂った葉を水滴が打つ音が涼しげに響く。  空には雨雲の気配すらみえない。本日の天気予報も晴れ。これで9日連続、ピーカンの天気が続いていることになる。自然現象相手にこんなことを言うのもあれだが、まったくいい加減にしてほしい。  朝飯の前に畑に出るのはここのところの日課だ。いい気分転換にもなるし、熟れてしまった作物を慌てて朝飯のメニューにするなんてこともままある。特に今日は客人が帰京する予定なので、土産に持たせてやろうと思っていたのだ。 「おはようございます」  粗方収穫を終えて、トマト畑に水をやっていると背中から声がかかった。振り返った先にはペンギンがひとりで立っている。帽子を目深にかぶっているせいで、一体何を考えているのか分からない。相変わらず表情の読みにくいやつだった。用心深い人間なのだろう。シャチやベポの性格はこの二日で大抵知れたが、こいつは自分をはっきりと悟らせなかった。  その男が、土の匂い立ち上る朝の畑の上で腰を折った。 「すいませんでした」  飛び出したのは、案外 殊勝な台詞だ。だが、こいつに謝られる理由が分からない。首をかしげていると、補足するようにペンギンが言った。 「おふたりの邪魔しちまったみたいですね、おれ達」  その言葉の意図を咀嚼するのにしばらくかかる。 「あー……、いや、邪魔とか、そういうんじゃねェよ。気にすんな」  何とも気まずい沈黙の後、おれはやっとそれだけを言って、ペンギンから視線を逸らした。大概、こいつも鋭いらしい。 「それで、納得はしたのか」  そう水を向けてやると、ペンギンは苦笑を隠さずにバレてましたか、と零した。  こいつがおれに対して距離をとっているのに、気付いていないわけじゃなかった。頭の回転も速そうだし、ローからの信頼も厚いのだろう。だから、こいつが少し離れたところからおれのことを見極めようとしているのだということは、すぐにそうと知れた。  心配性なやつ。でもおれだって自分が大切に思っている人間が得体のしれない奴と一緒にいたなら、ペンギンときっと同じように振る舞ったに違いない。だから奴が納得のいくまで放っておくことにしたのだ。  疑ってたわけじゃないんですけど、とひと言断ってからペンギンはおれの顔を見た。 「ありがとうございました」  言って、深々と頭を下げる。問いかけの答えにはなっていないが、一方で納得もしていた。おれはどうにか、ちょっと心配性のローの昔馴染みのお眼鏡にかなったらしい。 「大体の話は、昨日、ローさんから聞きました。一緒に暮らしてるいきさつとか、その……、あなたがドンキホーテ・ドフラミンゴの弟だってことも」  静かな調子で言う男には視線を向けず、黙って水やりを続ける。さっきから間を持たせようと水を遣りすぎているせいで、畑の土の上に水溜りができ始めていた。  ペンギンの様子から、話が長くなりそうだと察してホースの元栓を閉めに戻る。おれの後をついて歩きながら、奴はぽつりと零すようにして言った。 「ずっと、不思議だったんです」  思い出話をするように、ペンギンは視線を空に向かって泳がせたようだった。帽子の上に突いている飾りが視界の端を動く。 「妹さんのことがなければ、一所にずっと留まるような人じゃなかったんです。ドフラミンゴとの契約あったから仕方なくあそこにいただけで。昔のあの人は。享楽主義っつーか……、むしろ自分も他人もどうでもいいって感じで、達観していた。あの人の生きる理由は、ひとり残った妹さんを生き延びさせることだけだったから」  そいつはローがいつか言った、『妹だけは幸せに』という言葉につながっているのだろう。あいつは唯我独尊的にみえて、自分より身内の方を優先する。そういう気質なのだ。  周りの連中にしたら堪ったものじゃないだろう。自分のために大切な誰かが文字通り、死に物狂いで何かに向かってゆくのだ。おれだったら耐えられない。  こいつらはきっとそんなローの傍で、そんなローの不安定な精神を支えていたのだろう。 「だから、あの人はここでアナタと暮らしていくって決めたんだって思うと……、こう見えてわりと感慨深いんですよ、おれ。まあ、こんなことローさんに聞かれたら、殺されそうなんスけど、」  あの人は、とペンギンは呟き、言葉を探すように、声が途切れた。 「アナタを選んだんだ」  それはおれに向かって発言したというより、むしろ自分に言い聞かせるような調子だった。だから多分、返事は要らない。 「ローさんが選んだ人つかまえて、疑るみたいな、野暮な真似してすいませんでした。でも正直言うとね、ほっとしたんですよ。あんたみたいなお人好しが相手で良かったな、ってね」  まあ面白いわけでもねェけど。その一瞬だけ、ちらりと刃物のように鋭い気配をよこす。  つまり、こいつもローに対して相当 複雑な感情をもってるんだろう。  たとえば昨日のおれが感じていた、あの薄ら昏い、ねっとりとした負の感情と似た、けれどきっともっと単純で、だからこそ厄介な感情。まあ仕方ないか。命の恩人だって言うくらいなのだから、それくらいの執着はあるだろう。 「なるほどな」  苦笑しつつ、尻ポケットから取り出した煙草に火をつける。  牙を剥いた同居人の元、仲間――といってみたがどうにもしっくりこない。いったい、こいつらの関係ってなんだったんだろう。今もって分からないままだ――相手に、苦く笑いながら、零す。 「お前、性格悪いな」 「そりゃどうも」 「褒めてねェっつーの。ほんと、良い性格してやがるぜ」 「あの人の直伝っすからね」  にやりと口の端を持ち上げた笑み。確かに、むかつくくらいよく知った面影がよぎる。 「やっかんだって代わってやんねェぞ」  ここは。この立ち位置は。誰にだって譲ってやるつもりなんかない。  若い奴にやられっぱなしは面白くないので、おれは精一杯の皮肉を投げてやった。ペンギンには効果てきめんだろうと踏んだのだが、奴の口元にはまだしっかりと同居人直伝の人の悪い笑みを刷いたままだ。 「おお、ついに保身に走りましたか」 「悪かったな!どうせおれァ心狭いよ」  やけっぱちになって放った言葉に、帰ってきた返事はごく簡素なものだ。 「なに言ってんすか」  からかいを含んだみたいな、声音。表情。どうしようもなく馬鹿にされている気がするのに、目深にかぶった帽子の視線から感じるものがある。伝わる、気持ちがある。  く、と喉の奥で笑いをかみ殺して、ペンギンはこちらを向いた。 「あんた、めちゃくちゃ器のでかい男っすよ」  行き倒れた見知らぬ人間を助けて自分から厄介ごとに巻き込まれ、何故かマフィア連中に睨まれたあげく殴られ蹴られしても、最後にはちゃんとふたり、五体満足で生き残ってる。その上、その相手を家族にして、一緒に暮らしてるなんてのは、確かにあんまり聞かない話だった。  お人好し、ともいうんでしょうけど。と要らない一言を付け加えて、ペンギンはようやくこの段になって、苦く、本当に苦いものを噛み潰した顔で、それでも笑ってみせた。 「正直、敵う気がしません」  一生かかっても。言い添えた言葉はひどく重たい。言葉を失うおれをよそに、奴はひとりでしずかに笑っている。  まったく、若い奴ってのは、ひねくれてるくせに時々妙に素直になりやがる。おれは半ばあっけにとられたまま、目深に帽子を被った男の顔を見返した。  そうしてペンギンは、おれに向かって深々と頭を下げた。 「ローさんのこと、これからも宜しくお願いします」  その声の真剣な調子に、おれは言葉に詰まった。ここで気の利いた台詞を返せれば、大人の余裕を見せつけられれたんだろうが、生憎おれは真面目な人間なのだ。ひねたガキから向けられる真っ直ぐには、同じように真っ直ぐを返すことしかできない。まかせとけ。おれはペンギンのかちかちに固まったその肩を軽く叩いてやった。  先に戻ると言い置いて、そのまま振り返らずに畑を後にしたんだがおれは間違ってなかったかな。ペンギンから文句は言われなかったから、まあ、そういうことにしておこう。    しっかり朝飯を食って、満足したものらしい。健啖家の三人組は各々元気よく挨拶をして、帰路についた。ベポは最後までローと帰れないのを悲しんで、泣き出すんじゃないかと思ったが、奴も男だ、涙は最後まで零すことなく、最後は笑顔で別れを言った。  おれの方は、無事 看護師になれたら、絶対に連絡して来いと念を押して、三人を送り出す。  嵐は去った。とびきり賑やかで、陽気で、人騒がせな嵐が。  おれの方はちょっと被害を受けたけど、同居人は多分、というかかなりの所、ほっとしたんじゃないだろうか。見かけによらず意外に心配性なのだ、この男は。  こちらに手を振りながら遠ざかる三人を見送るローの肩の線が下がっているのは、おれの見間違いってわけじゃないだろう。 「寂しくなるな」 「やかましいだけだったろ」 「一緒に帰んなくてよかったのか」  おれは茶化すようにそう言った。振り返ったローの表情は、元祖・人の悪いシニカルな笑みだ。 「ハ、それも良いな。でもおれが出て行ったら、あんた、自棄起こしそうだからやめとく」  どうやら相手の方が一枚上手だったらしい。  言ってろクソガキ、と髪をかきまわしてやっても良かったが、昨日のこともある。余計に墓穴を掘りそうなので、おれはむっつりと黙り込んだ。  三人の姿が見えなくなった道の向こうを見つめたままローは尋ねた。 「何話してたんだよ、ペンギンと」  どうやら、今朝の畑でのことは気付かれていたらしい。 「んー?まあ、その、なんだ。色々だ。いろいろ」 「怪しいな。なに隠してんだ、言えよ」 「なんにも隠してねェよ。ただの世間話だっつーの」  そう言って人騒がせなみっつの背中が消えた先をじっと見つめる。今日は診療所の仕事があるローに遠慮して、奴らは徒歩を選んだ。バス停までは、およそ20分弱。そこからまた何時間かをかけて、奴らは奴らの居場所に戻っていく。 「……なら、そういうことにしとくか」  おれがそれ以上を言うつもりがないと悟ったんだろう。ローは面白くなさそうに花をひとつ鳴らしただけで結局それ以上追求せずに、軽自動車に乗り込む。 「じゃあ、行ってくる」 「おう。いってらっしゃい」  手を振って見送ると、橙色の軽は砂埃を巻き上げながら国道に向かって走っていく。何の変哲もない、いつもの光景だった。  早朝の畑で、ペンギンがおれに最後に言った言葉を思い出した。深く頭を垂れて、宜しくお願いします、と言ったあのどこまでも真摯な声を。  まったく、ずいぶんと重いものを託してくれたものだ。  しかも最初から返品不可ときたもんだ。クーリングオフの期間だってもうとっくに過ぎちまってる。まあ、頼まれたって返すつもりもないから問題はない。ペンギンのあの悔し気な表情が脳裏をよぎる。悪いな、やっぱりおれはお前らにローを返してやれるほど、器のでかい男じゃなかったみたいだ。  今日も腹が立つほどの快晴だ。シャツはもう汗でじっとりと湿り始めている。ローが帰ってきたらエアコンを買い替える話をしないとな。橙色の軽自動車に背を向け、そんなことを考えながら、おれは我が家に戻る。  そうしてまた、新しい一日が始まるのだ。    END. (BGM: スピッツ『夏の魔物』『桃』、the band apart『月と暁』、SigarRos『All Alright』)  
#OP
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nextsummerraika · 8 years
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透きとおる血液(仮題)
 オルフェンズ / オルミカ十二国記パロ。  麒麟旗があがる前に、黄海で朱氏をしていたオルガをさがしにゆく三日月(廉麒)の話、の一部。前後関係を全く考えていないため、諸々ぼろぼろです。半眼でお読みください。多分続かない。
 どうにも落ち着かない。  彼は、再び外に視線を向ける。とはいえ、見えるものと言えば奇岩の黒い肌ぐらいのもので、気を宥めてくれるものなどありはしない。だが、その向こうに、やはり何かの気配がある。人でも、妖獣でもない。自分を害そうとする類のものではないのだ。むしろ、心が弾むような心地さえするものだから、困ってしまう。今すぐに駆けだしてしまいたくなる、そんな気配だった。  何か、ある。  廉麒――これは��の号であって、名ではないのだが――は、ゆるく息を吐き出した。気ばかりが急かされるのを、すこしでも宥めたかった。だが何度深呼吸を繰り返してみたところで、一度 気付いてしまったものは宥めようなどない。だって、これは本能が、麒麟としての性がそうさせているのだと、廉麒にはもう分かってたから。 あちらだ。廉麒は、奇岩の向こうに視線をむけた。あちらに、いる。目を閉じる。漠然とした感覚。だが、暗闇の中にあっても、顔を向けたその先に、光がある。そう、光だ。彼のたったひとりの半身。半身であるはずの、誰か。  廉麒は立ち上がった。  次の安闔日に開くのは令坤門。それは廉麒の生国に最も近い門だが、気配は明らかに別の方角にある。南ではない。北だ。  行かなければ。そう、強く思った。早く、見つけなければ。  気付けば、駆け出していた。  突然の挙動に狼狽える使令のひとつを呼ぶ。廉麒の影からするりと姿を現したそれの背に飛び乗ると、その姿を見ていたのだろう、どこからか女仙の悲鳴が上がった。当然だ。ここは蓬廬宮の只中で、黄海に出ていくにしても、せめて門まで歩いていくのが道義のはずだった。だが、それすら今の廉麒にはまどろっこしい。廉麒、どちらに行かれるのです、と狼狽しきった声を背に、廉麒は空を往く。行き先などわかるものか。廉麒はそれを今から探しにゆくのだ。 (もはやパロである必要を感じない)
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nextsummerraika · 8 years
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ことばのない国
 オルフェンズ / オルミカ  R15 / 例にならってさほどえろくはありません。  オルミカのえろの可能性について考えてみた。とてもみじかい。
   噛みしめたはずの唇の端から、それでも吐息はしぶとく逃げ道を探し出したらしい。ふ、と、それは ふいごのようにちいさく鳴って三日月の口腔から零れ落ちた。  仰け反らせた喉の、まだ幼い突起にオルガの熱い吐息がかかる。それは、ミカ、と呼んでいる。ミカ、と繰り返し、繰り返し呼びながら、オルガは熱にうかされた瞳に水気を湛えて、三日月の喉に舌を当てた。オルガ、くすぐったい。堪らず、喘ぎ喘ぎする呼吸の合間に抗議するが、オルガはただその金色の瞳を可笑しそうに細めただけだった。  揺さぶられ、繋がった部分から突き抜ける感覚に、思わずといったふうに三日月の身がよじれた。なけなしの理性は逃避など望んではいないのに、本能が逃げ腰になるのだ。それを、逞しい褐色の腕が強く縛める。いっそう強く、肌が擦れる感覚。熱い。熱い、と思いながら、剥き出しの首に腕を回す。それは、離れないという、オルガへの意思表示だ。ただ、それだけ。それだけのことだ。執着でも、ましてや恋慕などではない。    オルガ、と、その首に縋りながら言えば、やはり相手からも、ミカ、と自分の名を呼ぶ声がする。  まるでそれ以外の言葉をなくしてしまったかのように、吐息に似たうわごとの他に、それ以外の音は響かない。誰も訪うことのない格納倉庫は、時折こうしてふたりだけの繭になる。温かな密室。聞き分けのないこどもの、ひみつの温床。  上りつめようとするオルガの性急な動きに、三日月は身体を撓らせる。  瞼の裏に零れ落ちてくるひかりを閉じ込めるように、まぶたを閉じた。
  ことばのない国
    (エイハブ・リアクタの格納倉庫で密会するこどもたち)
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nextsummerraika · 8 years
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アルカディアに墓標を立てた
オルフェンズ / オルミカオル 腐向け要素は100倍くらい希釈してます。 ふたりがふたりであるために、三日月が捨ててきたもの、弔ってきたものは何かと考えてみたおはなし。 このふたりは恋仲ではない。
 三日月・オーガスにはかつて、火星の大地に埋葬したものがある。
アルカディアに墓標を立てた
 額をつけた場所から、オルガの心臓の音が肌を伝って響く。  消灯された部屋の寝台の上で三日月は目を開いたまま、その音を聞いていた��  いのちの音。  いのちの響き。  何時だって傍になければならないもの。  三日月は知れず、深く呼吸を繰り返していた。オルガの肌の、その剥き出しの香りを躰に取り込む。  そうしているとぬるんでいた神経が研ぎ澄まされていく感覚がする。オルガの傍にいる時、三日月は自分が一匹の獣になったように感じる事がある。彼の為の牙。そうありたいと願い、そうあるべきと身を研いできた。果たしてそれが上手くできているのだろうか。今も自分がオルガの隣を許されている、この状況が今のところの答えだろう。 「ミカ、まだ起きてんのか」  頭の上で、オルガが低く、呻くように声をだした。  歳星を出発して一日。オルガの部屋へ気まぐれに足を運んだ三日月を、馬鹿みたいに忙しいはずの彼の相棒は嫌な顔一つ見せずに招き入れ、何故かこうしてふたりで身を寄せて眠ることになった。路上で生活していた子供の頃ならともかく、CGSに入ってからはこれ程近い位置で寄り添って寝ることなどほとんどなかったから、相当に珍しい状況である。とはいえ三日月がオルガの誘いに否と答えることなどない。この状況をユージンあたりが見れば呆れた溜息と共に皮肉のひとつも吐き捨てるのだろうが、今は三日月とオルガのふたりだけしかいないのだ。  近すぎる、と周囲が言うこの距離に三日月は疑問を感じたことはない。あるべくしてこうある。三日月自身は変える必要を感じない。  オルガの問いかけに、三日月はうん、とちいさく返事をし、ブーツを脱いだ剥き出しの足でオルガの足に触れる。彼の足はすこし冷えていた。触れた場所から溶け合っていく体温。 「さっさと寝ろよ。いつ追手がかかるかわかんねぇんだからな」  そう諌めるくせに、オルガの声はまだ覚醒しきっている。もしかしたら眠りたくないのかもしれない。何か話すべきかと迷って、けれど一向に言葉は出てこない。なにかオルガに伝えたいことがある気がするのに。  ことばの速度は、三日月には遅すぎるのだ。体内に飼ったナノマシンが脳と直接やりとりをするモビルワーカの操縦の方がずっと早くて簡単だ。文字を習えばこの齟齬は解消されるのかもしれないと思っていたが、今のところその成果はないようだ。  救いを求めるように視線をあげると、薄闇の中でオルガの金色のひとみと視線があった。三日月が瞬きで返事をすると、金色はくつろいだ獣のそれのようにすうっと細められる。世界の底辺にあってなお、未来を見据えることのできる、オルガの目。 「いよいよ地球だな」  声は低く掠れていて、それはどうしようもなくオルガの声だった。三日月にあらゆるものを与え、伝えてくれた声。  三日月はやはりうん、とだけ返し、しずかに目を瞑る。  オルガの雰囲気は最近、すこし柔らかくなった。  それは表情だとか、物腰だとかの問題ではなくて、多分、こころが。オルガのこころが、柔らかくなったのだと思う。  オルガは今までずっと心を焼き締めてきた。それはオルガに限ったことではなく、兵士として生きると決めた少年たちすべてにいえることだ。柔らかなこころは傷付きやすい。身体の傷は生きていればいくらでも治せるけれど、こころについた傷を治すのは一苦労だ。ならば最初から傷付かない方法を選んだ方がいい。心に鋼を纏え。さもなくば、心の死を覚悟せよ。  けれどオルガは、その固く守ってきたこころを今、少しずつ ほどきはじめている。信じるに足る大人と出会ったことで。なにしろこれまでの三日月たちにとって、大人の大半は敵でしかなかったのだから。  オルガは変わろうとしている。  それが嬉しくて、ほんの少しだけさみしい。  喜ぶだけでいいはずだ。なのに胸を針で突かれるような思いがする。三日月にはその理由をうまく言葉にすることは出来ない。言葉にはできないから、こうして、隣に居る。でも、それだけじゃ足りない。足りなくなってしまった自分に、三日月はもう気付いている。 「オルガ」  三日月にはかつて、捨てたものがあった。オルガと共に生きてゆくと決めた時に捨てたのだ。  あの赤い星の、お世辞にも豊かとはいえな大地の上に、穴を掘って埋葬したもの。  たくさんの子供たちの骸と共に眠らせた、――三日月のことば。  三日月には、オルガの言葉さえあれば迷う余地がない。  迷うことは、無駄な空白ができるという事だ。それは隙になる。隙を突かれればあっけなく死んでしまう。それが戦場の道理で、三日月が知っているもっとも重要な真理のひとつだった。  だから三日月は自分のことばを葬ったのだ。迷わないために。 「どうした」  迷いたくない。それは、喪いたくないということと、同じだ。  オルガの声が耳朶を震わせる。三日月は目を瞑ったまま、息をひそめて額に感じる鼓動を数え続ける。  とっ、とっ、と奔る血の流れが規則的に額を打ち、今この時もオルガを生かし続けている。いのちの音色。  これを喪う時のことを思うと背筋が凍る。けれど、三日月が生きている限りは、そんなことは起きない。起こさせない。 「俺、頑張るからね。オルガ」  だから、見ていて。  その金色の瞳で。  そうすれば、いつだって三日月は、誰よりも研がれたオルガの為の牙でいられる。  オルガを、オルガが望む未来まで、必ず連れて行く。その先のことは三日月にはわからない。けれど、いつかあの痩せた大地――三日月たちが育ったあの火星の何処かで、殺し合いではなく、何かを育んで生きることが許されるなら。  願わくは、隣にこの鼓動があればいい。 「ああ、任せたぜ。ミカ」  オルガはそう低く笑った。  これまで幾度も交わしてきた約束。この先もずっと続く約束。  もしもこの先の未来に、再び三日月のことばが要るのなら。葬送の済んだそれをもう一度 掘り起こすことだってきっと成し遂げてみせる。永い眠りについていたそれがどれだけ衰えていても、もしかしたら腐り果ててしまっていたとしても。オルガがそれを望むなら。  三日月は今度こそ、というふうに息を吐き出し、オルガの左胸にしっかりと自分の額をつけた。彼に誓いを立てるように。今は声にはならない誓いのことばがとどくように。
※アルカディア…火星の平原のひとつ。古代ギリシアの地名で理想郷の代名詞。
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nextsummerraika · 8 years
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ヘルツシュプルングの祈り
オルフェンズ / オルガと三日月 CP要素はない、はず。
 月を、見てみたい。
 そんなことを、最近 三日月は考える。地球に行くと、決まった時から。  今はかすんでしまったという、地球の衛星。三日月の、名前の由来。 ――月。  息を吸い込むと、冷えた空気が肺を苛めた。火星の夜は冷える。とはいっても、三日月は他の星の事情など知りはしないのだけれど。つまりは、聞きかじりの知識だ。それを話してくれたのが、オルガなのか、ビスケットなのか、違いと言えばその程度のことだった。 「ミカ」  背中から、よく知った声がかかる。階段を昇ってくる足音には気付いていたから、別段 驚きもしない。歩き方の癖も、ちゃんと聞き分けられていた。 「オルガ。どうしたの、何かあった」  三日月の相棒は、このところひどく忙しい。  戦闘の後処理から、新しい組織の結成、クーデリアの護送依頼、資金の運用の話……。その一々の決定をオルガが下さねばならないものだから、今まで以上に動き回っていた。ともかく、目まぐるしい渦の中に彼は居る。助けてやりたいと思っても、読み書きのできない三日月は、残念ながらそうした仕事の助けにはなれない。それでこうして、破壊された管制塔の上で、敵襲がないかを見張っているのだ。せめて、オルガが眠っている間の平穏くらいは守ってやりたいと。 「いいや、問題ないさ。さすがに順風満帆ってわけにはいかねぇがな。煮詰まってきたんで、息抜きだよ」  と、オルガは言うが、言葉の通り受け止めてはいけない。ここの所、ずっと不寝番を三日月が引き受けているとビスケットあたりから聞いたのかもしれない。何と言われようと、三日月は見張りの勤めを放り出すつもりはなかったけれど。  そんな三日月の予想に反して、オルガは何を言うでもなく三日月の隣に腰を下ろした。  自然、三日月はオルガを見上げる形になる。昔はさほどでもなかった身長差は、いよいよ広がってしまった。三日月が背中に三本のヒゲを生やしている間に、相棒はすらりと背を伸ばして、三日月の見えないずっと遠くを見ている。 「地球に行ったら、月って見えるのかな」  オルガは外に向けていた視線を三日月に戻して、すこし驚いたような顔をした。それから、いつもの不敵な笑みを浮かべる。三日月は、オルガがこうして笑っているのが好きだ。オルガが、オルガである証。そんな気がして安心するのである。 「月か。そうだな、見えるんじゃねぇか」  オルガの呟く声が、しんしんと胸にしみこんでいく。それだけで、三日月は見たこともない母星の、その衛星をこの目にできるのだと確信できる。  オルガはいつもそうだ。  いつだって、未来を提示するのが、オルガの役目。  三日月に、未来を与えてくれるのはいつもオルガだった。だから、理由はいらない。オルガが決めてくれた結論さえあれば、どんな場所でだって三日月は一秒先の未来を生き残ることができる。 「なあ、ミカ。知ってるか。月ってのは満ち欠けがあるんだぜ」  ポケットから火星ヤシの干した果実を取り出した三日月に向かって、オルガは言った。知らないので、首を振る。大体において、三日月はものを知らない。それはここの少年兵の概ねに言えることだった。むしろ、オルガやビスケットの方が異端なのだ。学のある兵士は扱いづらい。それに、いつ死ぬともしれない弾除け程度の存在に、知識を教えることは無為なのである。  そんな三日月に苛立つでもなく、オルガは月の話をしてくれた。太陽の反射の角度で、光る部分が異なること。原理はよくわからないので、へえ、とつまらない返事しかできない。けれど、嬉しかった。オルガはちゃんと知ってくれている。三日月の、名前のもとになっただろう、遠い遠い星の、ちいさな衛星のこと。 「三日月、ってのは、すこし欠けた状態の月のことだ。――ほら、ちょうどこんな風に」  オルガは、三日月の齧った果実の、歯形の浮いたところを指さした���弧を描いて、欠けた果実。欠けた月。  その事実はひどく、三日月を納得させるものだった。  欠けている。足りないものがある。自分でも、ちゃんとわかっている。出来ることが少ない。オルガの助けになれないことも多い。  でも今更、そんなものは問題にならない。昔からそうだった。だからこれから先もそうなんだろう。  三日月の欠けたところは、オルガが埋めてくれる。  それで十分だ。  三日月は、手にした果実の残りを口の中に放り込んだ。オルガは口の端を上げて、笑っている。俺たちだけの場所。それを探しに行くと言ったあの日と同じように。
※ヘルツシュプルング=月の裏側にあるクレーターの名前
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nextsummerraika · 8 years
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拝啓、深海より
 ローの独白。CP要素なし。  やまもなく、おちもなく、いみもないとはこのこと。
   船は棺桶に似ている。  ふと、そんな事を思い浮かべる。
拝啓、深海より
 トラファルガー・ローは鬱々とした気持ちで、蟀谷をさすった。身体が重い。常ならば、人よりふたつ、みっつは先の事を予想して動く頭も、今は鉛の塊のように成り果ててしまっている。  船は、昨日の朝から潜水を開始し、浮上の時を待っていた。  規則的に唸るエンジン音。  籠る匂い。  いっそ固まってしまったのではないかと疑いたくなる、息苦しいほど圧縮された空気。  何度、何回、体験しても、身に馴染まない。  駄目なのだ。  この、酷く密閉された空間が。  海の中――正しくいうのであれば、潜水中の、この船の中にいることが。
 時折 視界を掠める一条の光すら差さない暗青色が、否応もなくこの場所が人の踏み入れてはならない場所なのだと本能に警鐘を鳴らし続ける。  まして海に嫌われた身の自分が、こんな海の只中にいるなどというのはひどく皮肉な話なのだ。しかし、だからだろうか、潜水中はいっかな気が休まることはないし、逆に神経が昂り、休息を取ることもままならなかった。  これは恐れ、だろう。そんな気がする。  けれども、それを周囲に悟らせない程度に偽ることは、昔からの得手で、そも、弱みを握られるような真似は――たとえ相手が仲間であろうと――決してできなかった。それは信頼���は別の、生物としての本能のようなものだ。人として、というよりは"悪魔の実の能力者"としての本能。
 丸窓の外で、遠く魚影がひとつ。  あれは海王類だろうか。孤高の旅人は空を泳ぐように優雅に海を渡る。  その影を横目でとらえて、再び手元の書籍に視線を戻す。つらつらと面白味のないそれは、けれども、ささくれた心を慰めるには十分すぎる退屈さで、自然  思考は別のところを幾度も巡る。  さきほどから一行も読み進められない本の頁を手持ち無沙汰に弄びながら、落ち着かない、と思う。  やがて諦めたようにローは肺から呼気を吐き出し、絶えず緊張しているせいで、凝り固まった筋を伸ばすように身体をひねった。      ごうん、ごうん、と鈍く響く騒音に上書きされていく、まがいものの静寂。  その中で持て余す思考の網は、この世界の海のごとくに広く、また、あてどない。  茫洋に広がった思考。しかし結局は、なじみ深い、けれどいまだに生々しい痛みを与える光景に辿り着く。  何度も瞼の裏に蘇るのは、白に塗りつぶされてゆくあのひとの躰。この目で見た訳でもないのに、嫌に鮮明にかたちを結ぶものだ。  そうして再び、ひどく胡乱な発端に思いを巡らせることになった。   船は、棺桶に似ている。  ならこの場所に居る自分は屍か。  知れず、口元が笑みの形に歪む。ああ、それはなんて皮肉めいた真実なんだろう。
 二度 死んで、二度 生まれ直した。  どちらも自分の意思から遠くかけ離れた、他人の勝手で引き起こされたことだ。けれどきっと人生というものはそういうふうにできているに違いない。  奪うものと奪われるものがいる事と同じに。  他者の運命を翻弄するものと、翻弄されるものがいるのだ。  かつての自分が世界の都合に振り回され、生きたまま、二度の転生を強いられたように。  世界は、理不尽にできている。  今、自分が立ち向かっているものは、おそらく、その理不尽そのものなのだろう。  生まれ直しても、忘れたいほどの痛みは決して消えない。前世から引き継いだ記憶はいつまでも鮮明で、忘却を許さぬどころか今の自分を突き動かす動機にまでなってしまった。   選んで、ここにいる。  その因果を思う。    ローが再び丸窓の外に視線を移したとき、海の旅人の影はすでに消え失せていた。  この海をゆく旅に、果てはない。  だから、終わりは望まない。いつまでも、いつまでも、苦い宿世の記憶を躰に刻み付け、繰り返す明日を選び取りながら生きていく。それが、あのひとの望んだ未来とは違っても。
(老獪な性格の男だから色々鑑みて母船を潜水艇にしたものの、海の中に居るのが妙に居心地悪い外科医とかいいなっていう話) (正直に言うと、タイトルが使いたかっただけ)
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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慈雨を待つ
コラソン×ロー。『白雨の飛礫』(コラロ前提キドロ)の対になるおはなし。現パロ。 ※微弱ながらキドロ的要素あり。ローが女々しい。コラさん故人で、死ネタですので苦手な方はご注意を。
(雨の日になると、自然と思い出す香りがある。
 柔らかな水の匂いに混じる煙草の香り。
 身体を重ねるとき、体温が上がって立ち昇る、深い森の奥にいるみたいな香水の匂い。
 まぎれもない、あのひとの香り。
 おれはそれが堪らなく好きだった。
 好きだったんだ。)
慈雨を待つ
 最寄駅についてもまだ雨は上がっていなかった。  昨晩から降り始めた雨は、日を跨ぎ、午後になってもまだ糸のような雫を降らせている。 今、おれの手元に傘はない。持ってこなかったのだから当然だ。何の面白味ものない蝙蝠傘は、今も出番を与えられずに玄関脇の傘立てに立てかけられていることだろう。  徒歩でも10分程度の距離にある自宅まで、タクシーを使う気にも、かといってビニール傘を買う気にもなれずに、結局 雨の中に足を踏み出した。何もないよりは、とおざなりにフードを被って手ぶらのまま歩く。アスファルトを叩く雨の匂いが肺を満たして、さっきまで吸っていた煙草の残り香を冷たく攫っていった。  踏みしめる足元は、雨に濡れて冷たい。日没が近かったが、雲が薄くなってきたせいか空はぼんやりと明るかった。  当然ながら、傘をさしていない人間はおれの他にはいない。かといって、おれの事を気にする奴なんてのも、ただのひとりだって居やしなかった。無関心に通り過ぎていくまばらな人の間を通り抜けて、家路を辿る。   再開発の進んだ街並みは、どこかの建築家がデザインしたという白を基調としたシンプルな作りだ。晴れの日ならともかく、薄暗い空の下で、それらはどこか無機質に冷たい世界を構築している。整いすぎているのだ。僅かな歪みすら許されない。例えば、雨の日に傘を持たない男の存在なんてものも、きっとこの街では不適合のレッテルを張られるだろう。  コートのポケットに手を突っ込んだまま、殊更ゆっくりと歩みをすすめる。雨に烟る視界はあまり現実味がない。だれかの夢の中を彷徨っているような心地がする。あるいは、屍者の視界はこんな風だろうか。灰色に濁った世界。だけど、あのひとの世界はきっと、死んでいたっていつまでもヴィヴィッドなままだろう。  ふ、と自嘲の吐息がもれた。冷たく濡れた足元は不快だったが、身体の奥に絡みつくような熱を冷ますには、今日の冷たい雨はうってつけだ。身体には、まだ、交わした熱の余韻が残っている。燻るように消えてくれない火の気が、この身体を別物に変えてしまうようだ。焼け焦げたリビングデッド。今のおれは”焼けていない”歩く死人だ。あまり大差はない。  おれを抱く時の感じが、あのひとに似ていたから。  身体の相手にユースタスを選んだのは、ただ、それだけの理由だった。似ている、とはいってもそう感じたのは最初だけだ。何度か関係を続けてみたが、その度に違和感が募る。それでも手放すことはできなかった。忘れてしまいそうだったから。あのひとがおれを愛したそのやり方、ひとつひとつの記憶が、忘却の霞に消えてしまうことが恐ろしかったからだ。  我ながら馬鹿なことをしていると思う。ユースタス屋も良くこんなことに付き合っているものだ。何せおれ自身ですら、自分の浅ましさに笑いすらこみあげてくる程なのだから。あのひとの代わりなんて、この世界のどこを探してもいるはずはないのに。  ぽた、  沈んでいた思考を引き戻すように、耳元で、一際大きく水滴がフードを打つ音が聞こえた。街路樹の葉にたまっていた雫が落ちたのかもしれない。  雨だ。  あの日も、雨が降っていた。  耳鳴りがする。  視界が揺れて、記憶の中の――決して自分が見た訳ではない光景、つまりは妄想と現実が交差していく。  幹線道路から一本内に入る交差点。ここからまだいくらも歩かなければ辿り着かないその場所が、まるで目の前に現れたように鮮明に網膜に浮き上がった。けれどこれも全て、妄想なのだ。  今日は、あの日じゃない。  だから想像するしかない。あの日何が起こったのか、どんな光景が広がっていたのか。あのひとが、何を思っていたのか。誰も答えは持っていない。何もかもが終わってしまった、今となっては。  再び沈みかけた思考を引き戻るように、コートのポケットの中でケイタイが震えた。  面倒だと思いながらも、一応 儀礼的にディスプレイを確認する。電話を鳴らしているのは、溜息が出るくらい厄介な相手だった。それでも、奴にはいくつかの借りがある。数分くらいなら相手をしてやってもいいだろうと思い、画面をタップした。  通話状態になると、ケイタイの向こうからは特徴のある低い笑い声が響いた。『ああ、ロー。生きてたか』と笑い交じりの太い声。 「何の用だ」 『そう邪険にするな。傷付くじゃねェか』 「用がないなら切るぞ」 『おいおい。せっかちな野郎だな。まあ、待て』  焦るでもなくそう言って、ドフラミンゴは一方的に自分の近況を話した。最近 軌道に乗りそうな商売の話、新しく迎えた仲間の話。おれは黙ってそれを聞いていた。この男は、相槌ひとつ打たずに黙っているおれに話をすることで、確かめているのだ。おれが、あのひとを忘れることを。あの人がいなくなった空白から少しでも目を逸らすことを。  独白にも似た近況報告が終わると、ドフラミンゴは最後に「今度、ふたりでゆっくり飲もうじゃねェか」と言ってあっさりと通話を終了させた。こちらのことは何一つ尋ねなかった。聞いたところで無駄になると思っているのか、そもそも興味がないのかもしれない。  重い息が漏れる。まったく、あの男は懐に入れた相手にはすこぶる甘いところがある。あのひとに対してもそうだったことを思い出して、また少し気が重くなった。  ドフラミンゴは、まるでもう遠い過去であるかのようにあのひとのことを話す。おれは、それが、堪らなく嫌いだ。  改めて携帯のディスプレイを確認すると、不在着信が4件。ベビー5とペンギンからそれぞれ一度ずつ、ドフラミンゴからは2回かかってきている。熱心な奴。ベビー5とペンギンからは着信とは別にメッセージが届いていた。妙に心配性のふたりの事だ。この天気を案じて連絡してきたのだろう。おせっかいにも思えるが、二人がそうするだけの理由が、この天気にはある。後で返事をすることに決めて、再びコートのポケットの中にケイタイを仕舞った。  キーケースから鍵を取り出して、真っ黒な金属製の扉を開くと、いつもの家の匂いがした。けれど、どこか濃度が薄い。雨の水気のせいで、洗い流されているのかもしれない。  少なくはない量の雨粒を含んだコートは玄関先のフックに吊り下げて、ブーツを脱ぐ。奥のリビングへ続く廊下を真っ直ぐに歩いて、擦りガラスの入った木目調の扉を開いた。ただいま、声はがらんどうの部屋の中で、ぽつりと響いた。返事はなかった。  部屋の中は、外出する前と同じでにわかに散乱していた。積み上がった段ボールの山。壁際の本棚はほとんど空だ。封をした褐色の箱が積み重なり、大物の家具だけがぽつんと残った光景は、雨模様の暗い色彩の中ではひどく殺風景に見える。ベランダの外には、水をやる人間がいなくなったせいで枯れてしまった観葉植物が、雨粒を受けてうなだれている姿が見えた。この光景とももうすぐお別れだ。  引っ越しの予定は今月の末。あと二週間と少しある。ドフラミンゴはこの部屋に住み続けることを勧めてくれたが、その申し出は断った。もともと二人で暮らしていたこの部屋は、おれ一人で住むには広すぎるし、その分の家賃だってばかにならない。もちろん離れがたかったが、それよりも、この部屋に積もった思い出の重さに押しつぶされそうだった。ふたつそろったマグカップも、殴り書きの下手くそな文字が躍るメモの類も、コーヒーを零したソファの染みも、寝室のシーツの無関心な冷たさも。吸い込む空気にすら、あのひとの影が潜んでいる。そんな場所でひとり、生きていくのは今のおれには到底 出来そうもなかった。  腹が減った気がして、入口の左手にあるキッチンに向かう。電気をつけるとシンクの冷たい銀色が鈍く光った。それ���見て、もう随分長いこと、料理なんてしていないことを思い出す。  試しに開いた冷蔵庫の中はほとんど空だ。それもそのはずで、ここ最近は何を食べても砂を噛んだように味がしないのだ。元々、それほど食に執着が無かった事もあって、ものを食べること自体が少なくなった。  あのひとがいた頃は、腹が減ったと甘える声が嬉しくて、ふたりしてよく飯を作ったものだ。生活の時間帯が違っていたのに、どうして毎日 差向って食卓を囲めていたのか。今は良くわからない。  多分、甘やかされていたんだろう。あのひとにそんな自覚があったのかどうかはしらない。それくらい、無意識のうちにおれを甘やかすのが上手い人だった。  わんわんとモーターを回し続ける冷蔵庫な無機質な白を眺めながら、ふと目頭が熱くなる。  ――おれが居ねェと、ほんとにお前はだめだなァ。  あのひとはよくそう言って笑っていたっけ。心外だと何度も抗議したけれど、あの言葉は、おれを見くびっていたわけでも何でもなく、本当に、真実を言い当てていた。  あのひとがいなくなってから、自分の欠けていることにばかり気が付く。それなりにまともに生きてきたと自覚していたのに、たったひとり、失っただけでこんなにも生きることに労力がいるのだと思い知った。  馬鹿みたいに、苦しい。息をするのも痛い。半身が欠けたような喪失感がいつまでも付き纏う。きっと自分は今、半分しか生きていないのだ。もう半分は、あのひとと一緒に死んでしまったのに違いない。  溜息のなりそこないのような吐息をひとつおとして、グラスに水をいれる。金属くさい水道水を流し込みながら、まだ片付けの済んでいない、分厚い木製のデスクに目をやった。雑多に積み上げられた雑誌や、書類の束。スタンドライトと、革製のステーショナリートレー。閉じられたままのノートブックパソコンと、その横にある、ガラス製の灰皿。――その中の、吸いさしの煙草。  殺風景な部屋の中で、その場所だけがあの日のままの姿を保っていた。  窓の外で、俄に雨足が強くなる。叩きつけるように大粒の雨が、ベランダの床を跳ねまわっている。  あの日もこんな雨の日だった。  突然のスコールにあって、駅前で立ち往生していたおれを、迎えに来る途中だった。  あのひとが――コラさんが死んだのは、雨の日だった。  その日の全国の交通事故の死者数は13人。コラさんはそのうちの一人になった。カーブで曲がりきれずにスリップしたトラックに巻き込まれ、荷台の下敷きになったのだ。ほとんど即死だったらしい。苦しまなくて良かったと、葬式の時に誰かが言っていた。何が良いんだ、とおれは怒り狂って叫ぶことが出来なかった。何もする気が起きなかったから。ただ、やらなければならないことだけを、儀礼的に、淡々とこなした。涙は出なかった。  その他はただひたすら、現実から逃れるように眠り続けた。何も考えたくない。微睡の世界の中にコラさんの影をさがした。だからなのか、あの日からひと月の間の記憶は曖昧だ。思い出せない、というより、思い出すことを身体が拒んでいるようだ。ペンギンに聞いた話では、雨が降るたびに事故現場に足を運んでは、供えられた花束やコーヒーの缶を黙って眺めていたらしい。傘もささずに。そのせいで、今でも雨が降ると、ペンギンたちから連絡が入るようになった。あのひとの後を追って、死ぬんじゃないかと思っているのだ。おれがいくら口先だけで否定したところで、信じられなかったんだろう。仕方ない。甘んじて受け入れなければならない厄介事のひとつだ。  コラさんがいなくなってひと月経ち、ようやくおれは人間らしい生活を再開することができた。飯を食うこと、大学に通うこと、人と会って話をすること。冗談みたいだが、ひと月の間でそんなこともできなくなってしまっていたのだ。  始めのうちは、一体 何を恨んでいいのか、分からなかった。もちろん、事故を起こした相手が一番悪いのに決まっている。でも、そんな単純なことじゃない。もっと、責められるべき人間がいることにおれは気が付いたのだ。  傘の在庫もろくに揃えていなかったコンビニの従業員?それとも、深夜から雨が降り出すとでたらめを言った天気予報士を責めればいいのだろうか。違う。おれは、おれ自身が許せない。あの日、あのタイミングで、あのひとを、あの場所に。  そうさせたのは、あの日、傘を持っていなかったおれなんだ。  グラスをシンクにおいて、コラさんが仕事場にしていたデスクに近寄る。片付けないとな、と一人ごちたことばが、床の上に力なく落ちた。 ふたりで暮らしたこの部屋を引き払い、引っ越しの日付が決まっても、あの日の姿を保った彼のデスクにだけは、どうしても手を付けられなかった。あのひとがいた頃、灰皿から零れ落ちそうになっている吸い殻にあれほど苛立っていたのが嘘のように、今のおれには煙草の一本すら、捨てることができないでいる。  ガラスの灰皿に手を伸ばす。  煙草は嫌いだった。煙たいし、服に匂いが付く。でも、煙草の味がするあのひとのキスは悪くなかった。だから、許せていた。  あのひとがいなくなってから、唇を合わせる相手からは煙草の味はしない。だから仕方なく、あのひとがストックしていたカートンから、ひと箱を抜き去った。あのひとの形見になってしまったデュポンのライターをもって、あのひとじゃない男に抱かれにいく。そんな馬鹿馬鹿しい日々も、もう半年経ってしまった。  だって仕方ないだろう。嫌いな煙草の匂いは、この身体の奥にふかく染みついていて、もう取れない。  せめて灰皿だけでも片付けられないかと触れたガラスの分厚く冷たい手触り。持ち上げようとして、できなかった。  耳鳴りがひどい。眉間に手を当てたまま、コートのポケットから煙草の箱と、ライターを取り出す。目を閉じてもちかちかとする視界には頼らずに、手探りで手元の箱から一本を引き抜いた。  瞼を押し上げる。紺色のラインが一本だけフィルタの端に描かれた煙草が指先に挟まれていた。使い込まれたライターに火を灯す。乾いた空気を裂く高い金属音。煙草は嫌いだったが、あのひとが鳴らすこのライターの音は好きだった事を思い出す。春の温んだ夕暮れや、夏の夕立の合間、秋の散歩の道すがら、冬の凍えるように冷たい朝の空気。ベッドの中に居ても。どんな情景にだっていつも、この音が傍にあった。  震える指で煙草を唇に持っていく。  反対の手で、空になった煙草の箱を握ると、フィルムが擦れる小さな音がリビングに響いた。窓の外はまだ激しい雨が降り続いていたが、掌の中の小さな箱の叫び声ははっきりとおれの耳に届く。手を開くと、あっけなくそれは掌から零れ落ちた。吸い殻の溜まったゴミ箱の、いちばん上に落ちたそれ。あのひとが好んで吸った銘柄の箱が、身を捩って息絶えている。  思い出したのは、指先に蘇る霊安室に横たわった冷たい皮膚の感触。  死んでしまいたい、と思った。  あのひとがいなくなって、何度も死んでしまいたいと思った。妄想の中で、何度も自分を殺した。誰でもいい。誰でもいいから、おれを一番惨たらしい方法で殺してくれ。そんな風に思いながら煙草を吸った。  今もおれは、そんな���想に囚われている。この煙草の捻じれた空箱のように、誰かおれの身体を無残に捩じ切ってはくれないだろうか。そうして苦しみ抜いて死ねば、少しは償えるだろう。あのひとを殺した罪を贖えるだろう。  救いを求めるように、ほとんどが空になってしまった書棚の、唯一 写真が立てかけてある方を見つめる。去年の年始に、あのひとが買ったばかりの一眼レフで、ふざけてお互いを撮りあった時の写真が硝子のフォトフレームの中に納まっていた。満面の笑みで、レンズの向こうにいるおれを見ているコラさん。  なあ、おれはあんたが居ない世界なんて想像したこともなかったよ。こんなに暗くて、色の無い世界だったんだな。小さな棚の中で穏やかにわらう男に向かって、何度目になるかわからない言葉を投げかける。 「あんた、今どこにいるんだよ。隠れてないで、さっさと姿をみせてくれねェか」  どれだけ願ったところで、いつまでも返事はない。  煙と一緒に吐き出された言葉は虚しく宙を舞い、受け止める先を見つけられずにいる。もう二度と戻らない日々を閉じ込める箱庭のようなこの部屋で、確かな形も持たずに揺蕩う煙は、あのひとの面影を探して亡霊のように彷徨う自分自身のようにもみえた。  雨の中で、雨上がりを待つ。おれは太陽のような笑みをいつまでも探している。
(蛇足的ライナーノーツ)  原作沿いでは出来なさそうなことをやってみようと思ったやつ。  ローが煙草を吸うのはこういう時間軸でないとできないですね。香りの記憶って呪いと一緒だとおもう。コラさん自身にそんなつもりはなくても、煙草の香りひとつがいつまでもローに対する呪縛になる。
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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空を泳ぐ
コラソンとロー少年。 CP要素なし。米津玄師さんの『Flowerwall』を聴いて書いてみたくなったお話。 ふたりの閉じた幸せの事を考えてみました。ファンタジーにしたかったけれど、ファンシーなかんじになってしまったというやつ。
 まっくらな中、自分の身体だけがぽかり、と浮いている。  視界は黒で埋め尽くされて、けれど、点々とちいさな光が黒い海の中に浮かんでは消えていく。  またこの夢だ。  ローは嘆息をひとつ。そうして幾度か瞬いて、くるりと首を回してみる。前にも後ろにも人影はない。それどころか目立った構造物ひとつなく、黒く塗りつぶされている。この場所が宇宙、というのだと、ローは見たこともないのに、知っていた。  宇宙。ローは無数の星たちが放つ光を遠くに見ながら、広大な空間を揺蕩う。  青、赤、黄色の光は確かに目に映るのに、虚空を彷徨う少年に、その姿を掴ませることは決してない。その孤独にも、もう随分と慣れてしまった。もとより、ローが信じられるものなんて、もうこの世界のどこにも存在していないのだから。  身体は落下を続けている。  否、落下なのか、上昇なのか、それとも単なる横滑りなのか、それすら分からない。実感の伴わない身体は、ただただ、星の海を進み続ける。  実体の伴わない浮遊感は、復讐を誓って固く焼しめた心を無遠慮にかき乱していくのが常だった。  ローはこの短く長い夢の遊泳の間、死について考える。  死。今、この時も、世界中のどこかで蔓延る死。  両親、妹、友達、シスター、美しく白い街の、故郷の人々。その上に降ったおびただしい数の死。そして、きっともう、背後に迫っている自分の死について。  自分が遅からず死ぬことに関して、あまり思うところはない。自分の病状はなにより自分自身が理解している。  ただ、この世界――無為に死ぬ必要のなかった人々を虐殺した、この世界を運用する誰かに復讐を遂げられなかったことだけが、心残りだ。  この命をささげて、その"誰か"を生き地獄に突き落とせるなら、きっとそうしただろう。  けれども、そんなご都合主義を叶えてくれる神はいない。  絶望を知る絶望にも、悲しいことに、彼は慣れてしまったのだ。  ローは思索の内に閉じていた瞼を押し開ける。景色は相変わらず、変わり映えのしない星空の黒い絨毯。  この場所には、出発点も、終着点もない。ただ、ひたすらの放浪があるだけだ。それは答えのでない死という問いかけをする少年の心中を反映したような空間でもある。虚無と螺旋。  命を燃やしながら、黒い海に光を投げ続ける星。何千、何万という年月を孤独に暮らす光たちの群れ。  無機質に輝くその光たちを、きれいだ、と言ったのは誰だったか。  あれ、おかしいな。ふとローは違和感に顔を顰める。知っていたはずの、知りすぎていたはずの、その名前を思い出すことができない。  口より先に手が出て、煙草ばかり吸っていて、根拠のない言葉で鼓舞して、肝心なところでドジばかり。そんな、そんな男がいたんじゃないか?  焦燥の中で手足をばたつかせたローの背中が、何かに当たる。向こうのほうが質量がおおきかったのだろう、ローの身体は擬似的な無重力の中でぽうん、と跳ねて、進行方向とは逆側に弾き飛ばされる。  狼狽は、すぐに恐怖に似た何かに代わる。  これまでの夢の中で、自分以外の何かに接触することなんて一度だってなかった。  一体なにが。猜疑に震える頭は必死に状況の確認を試みようとする。不自由な身体をひねって、元の進むべき方向へ視線を向けた。 「よぉ、ロー!こんなとこにいたのか」  振り返った顔には見覚えしかなかった。 「……コラソン」 「どこ行ってたんだよ、探しだぞ」  屈託なく言って、コラソンはまるで泳ぐように手足を動かして、黒い海をわたり、真っ直ぐローに向かってくる。長い腕が伸ばされ、いつの間にか推進力を失っていたローの脇を抱えた。 「どうして、」  ここに?その問いは無意味だろう。なにせここは夢の中だ。たとえ宇宙に居ても、顔見知りの一人や二人出てきたところで不思議はない。けれど、疑問を感じずにはいられないのだ。いつも一人で漂うこの黒い海。きっとこれは自分の内側に抱えた、否、抱えきれない何かを、ひたすら思索するための場所だと、ローはすでに理解していたから。 「いつまでたってもお前が帰って来ねェから、迎えに来たんだ」  半端な問いかけにも、コラソンは確信をもって答える。彼のお得意のスマイルを披露されてしまえば、ローにはその先を継ぐ言葉を見つけられない。コラソンの腕に抱えられ、ひとり と ひとりだったはずのふたりは、一塊になって黒い海を泳ぎ始める。  コラソンは、宇宙を泳ぎながら、星の名前を謳うようにつぶやいていく。  あれがポラリス。あっちがアルデバラン。向こうで光ってるのがレグルス。  そうして、ローが意味を持たないと割り切った光の礫同士を繋ぎあわせ、神話の時代の物語を紐解く。そのどれも、聞いたことがないようなものばかりだ。一体いつの時代の、どの場所で語られてきた物語なのだろう。それでも、ローは黙ってコラソンの声に耳を傾けていた。  やがて、黒く塗りつぶされた虚空の一点を、コラソンが指さす。促されるまま、ローはその先に視線をおくる。  黒い海の中、そこには蒼い宝石があった。  しっかり目を凝らしてみると、ローが宝石だと思ったものは、まるい形をした惑星だった。  ひとり と ひとりの一塊は、ぐんぐんとその惑星に引き寄せられてゆく。青い、底抜けに青いまんまる。  海だぞ、とコラソンは言う。海か、とローは答える。  そうだ、これは自分たちが生きている星なのではないか、とローは遅ればせながら気付く。それでようやく、迎えに来た、というコラソンの言葉の真意が分かった気がした。 「ローが迷子になるなんて、珍しいこともあったもんだよなぁ」  コラソンはあくまで呑気にそう言って、顔にかかる綿雲を必死に払いのけていた。  ふたりは、空を泳ぐ。  湿った雲をかき分け、渡り鳥たちと挨拶をして、地表に――ローが宝石と見紛うた青い海に向かって落下していく。  このまま海に浸かってしまえば、能力者のコラソンは、溺れてしまうのではないか。ローの不安をよそに、コラソンはほとんど確信めいた軌道で、空を泳ぎ続ける。黒い羽根のコートが、風にあおられて激しくはためいた。  速度はすでに遊泳を越え、自由落下のそれに成り代わっていた。コラソン、危ないんじゃないか。風の轟音に紛れてしまわないようにローは声を張り上げる。 「大丈夫だ」  そう笑って言った声は、妙にはっきりとしている。  そんなやり取りの間にも、ぐんぐんと海は近づいてくる。今やその白波の姿すら確認できるほどだ。  落下の速度も弱まらない。まるで海が二人を誘うように、紺碧に向かって引き寄せられていく。  コラソンの腕に抱えられていてもなお、ローのちいさな身体に重力の負荷がかかる。  空気に押し潰されそうになりながら、コラソン、と吐き出した声はもはや絶叫に近い。  対してコラソンは、穏やかに笑んだまま、ローを抱えていない方の手で、地表近くを指した。見えない形を持った空気の層に苦労しながら目を開くと、落ちてゆく先に、何かがある。色とりどりの、なにか。 「花畑だ!」
 ひとり と ひとりの一塊は、その島にたどり着く直前に、まるでパラシュートを広げたかのようにぐん、と失速する。  ローの体感でいうならば、落下傘というよりはむしろ、コラソンが、島の上に貼ってあったシャボン玉の膜に、いったん足をつけて、柔らかく跳ねた、という感覚だ。重力とは逆の何かに吊り下げられながら、ふたりはその島に無事 着陸した。  花の島。花畑の島に。 「上手く着地できてよかった」  コラソンはほっと息を吐いたあと、満足げに笑う。  二人を迎え入れたのは、とりどりの花を蓄えた小さな楕円形。小さな、といっても、もちろん街一つ分程度の面積がある。そこに、今が盛りの花たちの饗宴が催されているのだ。 「お帰り、ロー」
 コラソンは言って、腕に抱えたローの身体を、花の楽園の上に下ろす。踏みしめた地の下で、花たちは根を張り、今も呼吸を続けているのだろう。むせ返る生命の香り。肌の上を伝う、その蜜の香り。  それらを不快に思わなかったのは、ここが本来あるべき場所だと、ローの肉体が安堵した結果なのかもしれない。  ローは随分高いところにあるコラソンの顔を仰ぎ見る。彼はさっそく、いつものように煙草を吹かしている。紫煙とその香り。見慣れた光景のはずなのに、その光景がどうしようもなく懐かしく思えるのだった。 「コラさん」  名前を呼んで、ようやく、思い出す。  星の光の美しさも、海の恐ろしさも、咲く花のたおやかさも、教えてくれたのは、このひとであったこと。  黒い海の孤独の中、たったひとり、呼んでもいいと思える名前。呼んで、探してくれるという甘え。頼りないのに、どうしようもなく頼もしい。その、唯一。  コラさん、とローはもう一度 噛みしめるように言う。 「ただいま」  言ったその先で、コラソンはおかえり、と言う。笑う。柔らかな帽子をもみくちゃにされながら、ローはコラソンに見えない角度で笑顔を作った。  空には今、真昼の月が白く薄く笑んでいる。
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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こうふくの手前
コラソンとロー。 田舎の生活番外編。掌編。 プライベッターでアップしていたお話を少し修正しました。 14番目の月のお話。
 ぽっかりと、まるい月が空に浮かんでいる。  黄金色の、満月の時からその縁が少しだけ欠けた今日の月。請われて調べた月齢は14。  14番目の月だ。  空のいやに低いところを横切るその姿を、ローは中庭に面した濡れ縁で眺めていた。その手の中には、深紅の透明な酒が入ったグラス。隣には、煙草を片手に鼻歌を歌う同居人の影。  グラスを傾けると、深紅の飲み物が、舌の上にあまく絡まる。ベリー系の、鼻の奥をくすぐる香り。舌になじみのないそれはコケモモという果実を漬け込んだ酒なのだそうだ。  煙草と蚊取り線香、甘い酒と、まだ熱を含んだ夏の夜の香り。  さっきから同じところをループする歌は、濃紺の夜空の闇の中に溶けてゆく。  悪くない、とローは思う。まったく悪くない。  コラソンが歌っているのは、今日の月と同じ、14番目の月をモチーフにしたものだ。  喪失の手前、幸福未満の歌。  どこか臆病な願いは、きっと誰にでも覚えがあるもの。  失うのは恐ろしい。満月のように欠けたところのないまっさらな幸福を手に入れてしまうのは、いつか失うことへの、その道行きの切符をきる行為に他ならないから。  けれども、とローは、機嫌よく歌声を響かせる同居人の横顔を見て思う。  けれども、こんな幸せも、悪くないじゃないか。  月を眺めて時間を忘れ、甘い酒を飲み、煙草を吹かす誰かの、優しい歌声を聴く幸福。いつか終わりが来たとしても、いつまでだって思い出す。そうしてその先を生きてゆく糧にできうるだけの、幸福。そんなひと夜を過ごすのも悪くない。  歌は途切れない。  先ほどまでローと同じように深紅の酒を飲んでいたコラソンの唇は、その色が移ったかのように、ほのかに色づいているようだった。  触れたい。ふと、そう思う。  この幸福にもうひとつ、確かな手触りが欲しい。  そう思った呼吸の次には、掌に、馴染んだ体温。  乗り出した上半身は、ぬるんだ盛夏の夜の空気を横切った。  たどり着く幸福。ふたりの結び目はすこし冷たい。  耳朶を甘やかすようなうたごえが、ひっそりと更けてゆく夜を惜しむように柔らかく途切れた。
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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What a wonderful World!
コラロ『きみが笑うとき、きみの胸が痛まないように』のおまけです。
 煙草の香りが染みついたシーツ。本棚から溢れかえり、畳敷きの床に積まれたたくさんの古書のにおい。古い窓枠の隙間から入り込む夜明けの空気。馴染みのない他人の体温。  重たい瞼を開くと、うっすら青みがかった光が、薄いカーテンを透かしていた。  夜と朝のあわい。ふたつの境界は、とりとめのないものおもいに沈むための時間だ。  頭が重い。  昨日の夜は、うまく、眠れなかった。  首筋にかかる温かな息。いびきの混じる呼吸のせいではなく、この状況、全てが、ローの眠りを妨げていた。  回転数の鈍い、未だ浅い眠りを請う頭。それでも、起きなければ。のろのろと身体を起こす。その動きに合わせて、腰に回った腕がうすい布団の上にずり落ちた。  頭も、身体も、瞼も、ひどく重たい。視界は水気を含んでほんの少し歪んでいた。紫煙の残り香に満ちた空間にあって、それでも肺を満たす空気はどこかすがしい。生まれたての朝の匂いだ、と思った。  今日もまた、朝が来たのだ。  どだだだだ、  朝食の用意をしている台所で、ローはその音を聞いた。けたたましいそれは、おそらく、この家の持ち主が階段を踏み外して転げ落ちた音なのだろう。二週間にいっぺんは聞くその音は、すでに馴染み深いものだった。これだけ頻繁なのに、よく床板が抜けないものだと妙な関心をしながら廊下に向かう。案の定、階段の最下段で、コラソンが頭を押さえてうずくまっている。しかも身に着けているのは下着だけ。よほど慌てて布団から飛び起きたのだろう。一回りも年上の同居の人の素肌を見るのは別段 珍しいものでもないが、明るい所で見る彼の身体に、人知れず胸が鳴った。その肌の上に、ひとつ、悪戯心に付けた鬱血の跡があったからだ。目敏くそれに気付くのは、それを成したのが自分の他にないと知っているからかもしれない。明るい朝日のした、このひとのことを手に入れてしまったのだ、と思うと途方もない気持ちがした。 「大丈夫か」  そう言って、伸ばした手。むき出しの白い腕が、素直にローの手を取った。引き上げてやろうと力を込めた、瞬間。  がくん、とローの視界が揺れる。 「っ、おい!なにすんだ…」 「いなくなったかとおもった」  勢いよく引き寄せられた身体。絡みつくように身体に回された手足。その束縛の強さに抗議の声を上げたけれど、生憎と無駄に終わってしまう。耳元で響いた声が、普段の彼からは想像できないほどに、ひどく頼りなく揺れていたせいだ。 「…おれが?」  返事の代わりに、身体を抱く腕にいっそう力がこもる。 「昨日の晩、一緒に寝るの嫌がったろ。だから、いなくならねェように、って、つかまえてたのに、朝起きたらローがいねェから、」  この家を出て行ったんじゃないかと思った。  寝起きのせいかたどたどしく言って、それでも背中に回る腕の力は、ローを絞め殺さんばかりに強い。視界のなかで、朝の光を跳ね返す、金色の髪が眩しかった。ローの肩に顔を埋めたままのコラソンの表情は見えない。多分、かなり情けない顔をしているんだろう。見てみたい、と思うが、きっとかなわない。それに自分の方だってそうとう気の抜けた顔をしている自覚があった。  別に、嫌がったわけではない。ただ、大の男二人(しかも二人とも相当に体格がいい部類だ)が並んで眠るには、コラソンの部屋の布団は狭いので、気を使って自室に戻ろうとしただけだ。それをコラソンは、一緒に寝るのが嫌なのか、まさか出て行こうとか妙なこと考えてんじゃねェだろうなと騒ぐものだから、仕方なく、その場で一夜を過ごした。それだけならまだしも、がっちりと身体を抱きしめられ身動きの取れない状況で、である。おかげで昨夜はほとんど眠れなかった。まあ、恋人との事後で、別々に眠ろうとする自分も大概 淡泊だなと反省しなくもない。  回想にふけるローの心中などお構いなしで、腕の力は一向に弱くはならなかった。今にも泣きだしそうな、熱い吐息が肩を湿らせる。ず、と鼻を啜る音まで聞こえて、まさか泣いているのだろうか。ほんの少し不安が胸を騒めかせる。相変わらず、腕の力は緩まない。息苦しい。そうして初めて、自分が思うより、このひとが自分のことを好いていてくれているのだということに気が付く。この関係に踏み切るきっかけを作ったのは自分だったけれど、彼にも、彼なりの葛藤があったのだ���う。 「悪かったよ」  素直に謝ると、 「勝手にどっかいくんじゃねェ」  拗ねたようなこえ。これじゃあ、どちらが子どもかわからない。相手の機嫌をそこなわないように、口の端で嗤って、まさしく子どもを宥めるように、むき出しの背中をかるく叩いた。 「あんたに黙って居なくなったりしねェよ」  他愛ない、約束。いつか嘘になってしまうのかもしれない。そんな口約束だ。それでも、伝えたいと願ったから。それだけでも、これまでの自分からは、随分進歩した気がする。こんな優しい約束ごとをかわすのなんて、一体いつ振りだろう。いまだ慣れない体温を全身に感じながら、ローは観念したように、傷だらけの肩に顔をうずめた。  この世界には止まない雨はないし、明けない夜もない。どれだけ深い夜の暗がりも、いつか細い朝の光がさしこむ時はやってくる。  そうして、誰かの感傷なんて無関心に、また、朝が来るのだ。 What a wonderful World!
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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ひかりの漣
田舎の生活シリーズ コラソン+ロー(CP要素は少ないです) ふたりがデートする編。恋しちゃったんだ、なローくんのおはなし。
  ぽつり、と、気まぐれにスポイトで水滴をおとすように、無遠慮に胸の中をかき乱す感情がある。  音にすれば、陳腐で野暮ったいそれを、知らないわけじゃない。けれど、名前は付けないで、目を瞑った。気付いてはいけない。気付けば最後、自分だけではない、誰かを、手ひどく傷付ける予感があった。そしてきっとその相手は、自分をこの場所にとどめてくれた、たったひとりなのだろうと。  だから、今も目を瞑って、しらないふりをしている。 「なあ、ロー」  寒さもずいぶんと緩んだ春の夜。  洗面所でローが歯を磨いていると、ひょい、と気安い調子で廊下から同居人が顔をのぞかせた。鏡越しに目が合ったので、瞬きで返事をする。この生活も半年が過ぎ、初めのころのぎくしゃくとした関係は、ずいぶん気安いものに変わっていた。  同居人は何か思いつめた風に、ローの顔を見ていた。一向に話し出す気配がないのは、碌に喋れる状態ではないローのことを慮っているからだろうか。鮮やかな金色の髪から、水滴がこぼれる。呆れたことに、また、ろくに髪を乾かしていないらしい。いつもなら小言のひとつも言ってやるところなのだが、生憎とローの口は現在 歯磨き粉のあわで塞がってしまっている。  いつもよりいくらか短く歯磨きを切り上げて、口をゆすいだ。井戸水をひいているのだという、蛇口から溢れる水は、たしかに街いた頃よりもわずかにやわい気がする。フェイスタオルで濡れた口元を抑えて、ようやく、ローはコラソンに向かって話の続きを促した。 「なんだよ」 「次の休みなんだけどな、予定空いてるか」  あえて休みの予定を尋ねてくるなんて珍しいこともあったものだ。首肯をひとつかえして、なにごとだろうと、黙っていると、 「デートしようぜ」  ピースサインと共に、コラソンお得意のスマイルが返事をした。 ひかりの漣   海沿いの国道を蛇行しながら、色あせた橙色の軽自動車は軽快にすすむ。  全開にした窓から吹き込むのは、夏を予感させる力強い太陽のにおい。それと、家にいるときよりも濃い潮のかおり。海は近い。切り立った岩山に時折 隠れながらそれでも紺碧色をした海は、進行方向の右手に見え隠れしていた。快晴。絶好のデート日和だ。  ローは右肘を運転席の窓枠に掛けたまま、バックミラーを確認する。前にも、後ろにも車の姿はない。時々すれ違うのはトラックばかりだった。祝日でもなんでもない、いたって普通の平日だからなのかもしれない。リアシートを倒してできたスペースには、クーラーボックスと、古びたビーチパラソルが窮屈そうに収まっている。 「デートっつうか、ピクニックじゃねェのか、これ」  言って、助手席に座った男を、ちらりと横目で見やる。人の気もしらないで、デート、だなんて、男二人暮らしにはあまり聞きなれない言葉を、恥ずかしげもなく言ってのけた男は、さっきから狭い軽自動車の中でいまにも踊りだしそうなほど浮足立っていた。調子はずれの鼻歌なんて歌っている姿を見ていると、よっぽど今日の事を楽しみにしていたらしい。同居人のそんな様子横目にしてしまえば、ローだって、心中ではまんざらでもない、と思ってしまうのだから目も当てられない。最後の悪あがきとばかりに、彼の表情はごく、憮然としたものだった。  コラソンの膝の上には生成り色の帆布のトートバッグがひとつ。どこで手に入れたのかは知らないが、中には漆塗の重箱がはいっている。重箱なんて、独り者の、しかも男の家ではめったにお目にかからない代物だが、近所の誰かからもらったものなのかもしれない。こう見えて、コラソンは村の老人たちから随分と可愛がられているのだ。早朝から随分 張り切って用意していた、その中身を、ローはまだ見ていなかった。手伝おうかと提案したのだが、コラソンに断られてしまったのだ。 「まぁまぁ、良いじゃねェか。堅いこと言うなよ!」  声を弾ませた相手に向かって、どこが堅いんだよ、という突っ込みは結局、音にはならなかった。余計なひと言で、ご機嫌な同居人に水を差すのも気が引けたのだ。ここでむくれさせると、後が面倒くさい。コラソンとローの同居生活は、取り立てて長いものではなかったけれど、それくらいの予想はつくようになっていた。どんな時に相手が不機嫌になるのか、喜ぶのか、しょげるのか、スイッチの入るタイミングというのは、聡いローには大体飲み込めていた。せっかくふたりで出かけているのだから、わざわざ相手の神経を逆撫ですることもないだろう。  ローが黙って流れてゆく古いアスファルトの道路をにらんでいる横で、コラソンは煙草をくわえたまま、オーディパネルのデッキにCDを入れる。アナログだ、と、薄い円盤がのみこまれてゆくさまを見ながら、ローは思った。そういえばこの穏やかな町に来てから、携帯型のミュージックプレイヤに触れた記憶はなかった。コラソンの家にあるのはカセットとCDがセットになったデッキだったからだ。それでも別段、不便をしているわけではない。その気になればパソコンを触れば済む話だ。ややあって流れ出したのは、昔のロックナンバー。ローが子どもの頃、母親が良く聴いていたアーティストのアルバムだった。普段、コラソンが聞いている類の音楽ではない。 「こういうの、趣味だったか」 「んー?ドライブって言ったら、こいつだろ」  言いながら、ジャケットをこちらに向ける。ローが横目にちらと視線をむけると、随分新しいパッケージだ。どうやら最近リマスターされた、ベスト盤らしい。口元に笑みをたたえながら、コラソンはブックレットに目を通している。なにか思い出があるのだろう。気にならないではないが、どちらにしても、自分の預かり知らない、コラソンの過去の話だ。誰にでも、懐かしむべき青春時代というものはあるし、それにひたることだって悪いことじゃない。ただローにはあまり、馴染みのないものでもある。振り返ってみたい過去、というほどの思い出が、彼にはなかった。  「くれはさんとは上手くやってるか?」  手元のカードの歌詞をたどりながら、コラソンはなんてことない、という風に言った。それ自体、十分わざとらしく思えるのは、ことこの件に関しては、口が重くなってしまうという負い目があるせいかもしれない。ローは憮然と前を見据えたまま、短く言う。 「まあ、なんとか。相変らず人使いは荒いけどな」  ミラー越しにちらりとこちらを窺ったコラソンの、何とも言えない表情。予想したより、不愛想な響きになってしまったことを、ローは少しだけ後悔した。  今、こうしてのんびりとドライブに興じることができるのも、ともすれば、息をしていることすら、なにもかもがコラソンのおかげで、感謝しなければならないというのに、彼を相手にすると、どうしても対応が子どもじみてしまうのだ。自覚がある分、まだ救いはあるだろうか。他人に対して、甘えている自分、というのも、ローにしてみればぞっとしないのだけれど。  コラソンの言う、くれは、という人物は、この町で診療所を営む女性だ。ローはコラソンからの紹介で、現在その診療所で厄介になっていた。女性、と言っても、色っぽいことがあるわけではなく、相手は年齢不詳のハイミス(老人、などと言おうものなら、外見に見合わない鋭い蹴りが飛んでくる)である。患者の中には、彼女の事を魔女、なんて呼ぶ人間もいるそうだが、あながち間違いではないとローは思っている。老獪な物言いと、確かに裏打ちされた技術。弱っている患者に対しても容赦はないが、腕は確かで、ローをしても、学ぶところがたくさんあった。こんな片田舎にいるのが不思議なほどなのだ。女傑、と言っていいかもしれない。口では散々文句を言っていたが、ローがこの町で暮らしてゆけるだけの、手回し、口利き、その他諸々を担ってくれた。コラソンに次いで、ローはくれはにも、頭が上がらない。ローに恩を売る理由はないはずだが、あのひとのことだ、ただの気まぐれ、と言われても、納得出来る気がする。  彼女が魔女と呼ばれる所以は、その顔の広さにもある。一体どんな伝手があるのか知らないが、マフィアに囲われて闇医者をしていたローに、医師免許を発行までしてみせたのだ。正規の手続きでないことは確かで、ローがコラソンに彼女の話をしたがらない理由は、このあたりにある。実兄であるドフラミンゴがマフィアであることを嫌っている節があるコラソンが、いったいどうして裏のルートに繋がっている医者と知り合いなのか不思議ではあるが、尋ねてみたところで、飲み友達だ、とか、喫煙仲間だ、とか、はぐらかした答え(あるいは真実なのかもしれないが)しか返ってこなかったので、それ以上は踏み込まないでいる。  話したくないことは、触れられたくないこと。  ローにも、そういう過去の覚えがある。だから、コラソンが下手に取り繕う過去を、尋ねはしなかった。知りたい、とは思う。けれど、自分自身に負い目のあるローが、他人の、まして、恩人であるところのコラソンの過去に、土足で踏み入る様な真似は、到底できなかった。 「おれはまだお目に掛かったことはねェけど、優秀な弟子がいるんだろ。泣き虫だなんだって、扱き下ろしてたけど、随分 可愛がってるみてェだな」  コラソ���が楽しげに声を弾ませて言う。空気を変えようとしてくれたのだろう。ローはそれに返事をしなかったが、口元に小さく笑みを浮かべた。話題になった人物の、まだ幼さの残るまるい顔を思い浮かべる。確かに、泣き虫だ。けれど彼もきっといい医者になる。間近で彼の成長を見ているローには、その未来がはっきりと見える気がした。      道は一度、大きく弧を描く。ちいさな箱の中で、遠心力にならってローとコラソンの身体が、傾いた。  トンネルを抜けると、窓から吹き込む潮のにおいがいっぺんに濃くなった。目の奥を無遠慮に射抜く太陽のひかりに目を細めていると、隣から「次のカーブ曲がったあたりだ」と声がする。コラソンの案内に従って、道なりに車を走らせると、ややあって、道沿いに小さな駐車スペースが現れた。ウインカーを点滅させて、年代物の軽を空いたスペースに滑り込ませる。  目的のビーチは、地元の人間しかやってこないような、両側を切り立った岸壁に囲まれた小さな入り江だった。道路沿いの、所々 白線の剥げた小さな駐車場に車を停めると、コラソンはいそいそと車から出ていく。駐車場には、ローたちの車以外にも、白いワゴンが一台。釣りでもしている人間がいるのかもしれない。堤防の下に広がる白い浜をみやるけれど、所々に漂着物が流れ着いているだけで、人影はないようだった。波音が耳朶に優しく響く。海から吹き込んでくる風には淀んだ磯臭さはなく、それでもはっきりと潮の香りを含んで水気を帯びていた。 「ロー」  呼ばれて、あわてて後ろを振り返ると、コラソンはバックドアを開けて、荷物を取り出している。とはいえ、大きな荷物は礼のビーチパラソルと飲み物の入ったクーラーボックス、あとはレジャーシートくらいのものだ。コラソンの腕から、ネイビーとオフホワイトのパラソルを受け取ろうとしたところで、目の前に、ずい、と生成りのトートバッグが差し出される。 「おれがドジで転んだら台無しだから、ローは弁当もってくれ」  頓着なく言って、ローの腕にお重の入ったバッグを押し付けると、自分はビーチパラソルを担ぎ、反対の腕にレジャーシートを小脇に抱えて、さっさと浜に向かって歩いていってしまう。あっけにとられたローはそれでも、車に鍵をかけて、薄いシャツの背中を追った。  風雨にさらされて劣化したコンクリートの階段を下りながら、コラソンの足元で、年代物の雪駄がぺたぺたと間抜けた音をたてる。普段は何もない場所でも持ち前のドジで転ぶ男だけれど、慣れているのか、砂浜をゆく、その歩みは早い。  その足跡に沿って歩いてみるが、細かく砕けた砂に足を取られてどうにも歩き難い。サイズの合っていないビーチサンダルのせいかもしれなかった。自分の足にはすこし大きいそれはコラソンからの借りものだ。普段は気にならない体格の差が、足元の微妙な余白に現れているのが、どこか面白くない。 「ロー」  足元に気を取られていると、前方でコラソンがこちらを振り返っていた。漂着物のない、平らな場所がある程度確保できそうなスペース。そこへパラソルとシートを足元に置いて、喫煙家の彼は早速 ソフトケースから煙草をぬいている。呆れはするが、それももう、いつもの光景だ。ローは苦労してそこにたどり着くと、左手に下げていたクーラーボックスをまずおろし、その上に、コラソンの力作が入っているトートバッグをのせた。  そうして、改めて周囲を眺めてみる。海水浴にはまだ時期が早いせいか、砂浜にはローたち以外の人間はいない。大した波もたたないらしく、サーファーの姿もなかった。しずかな浜辺。腕まくりをしたローの肌をくすぐる風は、目に見えない飛沫をふくみ、ひんやりとしていた。浜辺に打ち寄せ、砕けた波頭が、中天に近くなった力強い太陽の光を跳ねかえして、きらきらと光を乱反射する。きれいだ、と素直に思った。穏やかで、鮮烈な、初夏の海。 「贅沢なもんだな」 「だろ。まあ、夜はガキんちょ共のデートコースになるんだけどな」  笑って、コラソンはビーチパラソルを砂浜に突き刺す。レジャーシートを広げ、風で飛ばないよう、あたりに転がっている石を四隅に置いた。サンダルと雪駄をそれぞれに脱いで、思わずシートの上に寝転がる。素足をくすぐる日に焼けた砂が、じんわりと温かい。気を抜くと眠ってしまいそうだった。 「ロー!飯食おう!」  隣で、コラソンが勢いをつけて起き上がる。そわそわと忙しない。黒いフェイスの時計をみると、昼食には少し早い時間だ。どうも、自信作をはやく見せたくて仕方ないらしい。まあ、いいか。べつに、何に急かされるでも、この後の予定があるわけでもないのだ。  ローは投げ出していた身体を起こして、クーラーボックスの上の鞄を、コラソンに渡してやる。紫のグラデーションがかかった風呂敷の包みを開けると、つややかな漆塗りの重箱が姿を現した。コラソンが、じゃーん!と効果音を付けて開いた重箱の中は、予想したような大雑把な――例えば一面が白飯で埋め尽くされたような――有様ではなかった。卵焼きの黄色、から揚げの茶色、トマトの赤、おひたしの緑。昨日の夕飯で味を褒めた、煮物も入っている。ローの視線の先にある正方形の箱の中身は、完璧に行楽弁当の体をなしていた。 「どうだ」  顔を輝かせる同居人。色彩まできれいに整った中身に、すこし虚を突かれて、言葉に詰まる。 「なんだよ」  黙り込んだローを訝しんでか、不安げに同居人が顔を覗きこんでくる。 「こういうの、写真でみたことある」 「ハハ、なんだそれ」 「…うまそうだな」  お世辞ではなかった。朝から慌ただしく、台所で鼻歌交じりに同居人がこしらえていた重箱に入ったそれ。意外というほかないのだが、普段の生活では大雑把で豪快な面が多いコラソンは、こと料理に関して(時折食材を焦がしたり、服に火が引火したりと失敗はあるものの)、非常にまめなのだった。  「弁当とか、初めて作ったな。上手くいってよかったよ」  言いながら、手渡されたのは水筒にいれていた熱いほうじ茶。受け取って、破顔する顔を見る。ぽつり、と心臓に滴る雫。それは一度、ローの鼓動を大きく鳴らして、あとは何事もなかったかのように静かになった。ローの視線には気づかずに、コラソンは重箱の二段目を広げている。俵型に結ばれたおにぎり。たぶん、梅干しは入っていないだろう。いただきます、とふたりで言って、コラソンの力作に箸をつける。彼が作った卵焼きは、すこし甘かった。    お重の中身を空にした後は、ふたりで食休みがてら、昼寝をした。やっぱり、デートと言うよりただのピクニックだ、とローは潮風に吹かれながら思う。元々、眠りの浅い性質であるローは、パラソルの影とはいえ、十分に明るいこの場所で大して眠れるわけでもなく、結局 手持無沙汰になって、隣で寝息を立てている男の顔を見るとはなしに眺めた。コラソンは、こんな場所でも深く寝入っているようだ。クーラーボックスの中身にあった、缶ビールを開けたのも関係しているかもしれない。眠りの端で、時折、色素の薄いまつげが震える。自分のものとは違う、明るい青色のビー玉みたいな目玉を縁どるその睫毛を見るのが、ローは好きだった。  ぽつり、  再び、胸の上に零れる一粒。  すき、という言葉の響きに、ふと、胸がくるしくなった。  涙とおなじ温度の雫は、温かで優しいのに、どうしようもなく無遠慮にローの胸をかき乱す。停滞を許さない、それは、いつもローの意識を騒めかせた。  これが、ただの家族愛に似たものなら、これほどローが悩むこともなかったのだろう。ただ大切にしたい、そう思うだけなら。けれど。  コラソンの顔を見て、くるしい、と思うようになったのは、いったいいつの頃からだったか。もしかしたら、最初から、予感はあったのかもしれない。あの日。空腹と、疲労で倒れた、夜明け。霞んだ視界を埋めた、心配そうに自分の顔を覗き込む男の顔。他意のない優しさを与えてくれたひと。家族のように、穏やかな暮らしの中に、自分を組み入れてくれたひと。感謝してもしきれない。けれど、感謝以上の感情を持つことは許されない。そう、思うのに。  触れたい、と思う。  触れてほしい、と思う。  彼の熱を求める感情は、必ず心の深い場所で淀んだものとまじって、昏い欲望を生む。執着にも似たそれを、世間の人々はまるで神様のように祀り上げるけれど、ローにはどうもそんなうつくしいものには思えないのだ。  彼が自分に与えてくれたもの。それとは違うところへ向かう感情。だから、くるしい、と思うその甘い毒を発する感情に、名前を付けてはいけない。無意味になると知りながら、まだ目をそむけたまま。ローは静かに、瞼を閉じた。   しばらくのまどろみから目覚めた同居人は、あくびを噛み殺しながら、ずいぶん傾いてしまったまろい光に目を細めていた。ああ、よく寝た、と伸びをするコラソンを横目に、ローはぬるくなった水筒の中身――ほうじ茶を飲んでいる。その頃には、すっかり暇を持て余していたローは、車から持ってきた文庫本の数冊を読破してしまっていた。海に来たのに、結局 弁当を食べて、昼寝をしただけだ。そうしたのは自分のくせに、コラソンは無為に時間を潰してしまったことを惜しみ、まだ冷たいはずの海水に触れてみたいと言い出した。せっかくだから、足くらい浸けてみよう。ローの制止もほとんど耳に入っていないのだろう。期待感に目を輝かせたコラソンの方こそ、聞き分けのないクソガキのようだ。 「ちょっと行ってくる!」 「あ、コラさん」  最後のあがきとばかりに、気をつけろよ、とその背中に声を掛けてみるけれど、結局それは無駄な忠告になってしまうのだろう。子どものように、あるいは、リードが外れた大きな犬のように、波打ち際に駆けてゆく背中を見つめる。はだしの足の裏で、細かな砂が跳ねた。  波打ち際、コラソンの足が波頭に触れるか触れないかのところで、案の定、間抜けな悲鳴と共に水飛沫があがる。ふたつのまばらな放物線を描いてゆく、水滴。きらきらと光るそれに気を取られたのは一瞬だけ。次の瞬間には、ばしゃん、と盛大な音を立てて、浜辺に転がる同居人の姿をとらえていた。金色の髪が、打ち寄せる波に巻き込まれて水中に揺蕩うのがみえる。無駄に背の高いコラソンも、ああなってしまえば、海辺を漂うクラゲや海藻と変わらない。他に誰も聞くことの無い溜息をひとつこぼし、ローはトートバッグの中からバスタオルを取出して、波打ち際に向かう。こんなこともあろうかと、用意していたのが功を奏した。これは数か月の間で身に染みた事実なのだが、コラソンのドジは、大抵、ローの予想を裏切らない。あらかじめ決められた不測の事態に、だからこそ備えられるというのは、身も蓋もないような気がするのだが。 「ロー!わるい!ドジった!!」  おおきな声で、真っ直ぐに自分を呼ぶ声がする。  腕を広げた薄いシャツから、金色の髪から、海水がこぼれていく。傾いてゆく太陽を背に、両腕を広げるコラソンの姿は、先鋭的な芸術品のようだった。逆光になっているその顔が、ローの姿を認めて、ゆったりと、わらう。 (くるしい)  また、胸の中を暴れまわる、それ。身体を痛めつけられるよりずっと、くるしくてたまらない。気付かないふりを続けて、目を瞑っても、煩く心臓を暴れさせる感情。知らないふりを続けるローを責めたてるように、鼓動は徐々におおきくなっていく。  胸を襲う苦しみは、どうしようもなく凶暴で、立ちすくんでいても、きっと引き摺り出される。光の中へ。その中で笑う、たったひとりのもとへ。  誰かが降参の声を上げている。でもきっとそれは、自分の声以外ではありえないのだ。  午後の光にひたひたとぬれた、金色の髪の色。射し込む陽光を背に、コラソンが笑っている。波打ち際に歩みを進めながら、ローは観念したように、目を細めた。  ああ、まぶしい。  ちいさく呟いた言葉がむかう先は、太陽の光を跳ねかえすひろい海に対してか。それとも、年甲斐もなく大きく手を振って自分を呼ぶ、蜂蜜色の髪をした男に対してか。   END   (BGM:『最後の青』関取花/『霧』笹川美和/『I Love You Wasted Junks & Greens』the band apart)
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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田舎の生活 3
・コラソン+ロー(CP要素が薄すぎ) 田舎の生活、本編最終話です。書いてる間、ずっと星野源さんの『下らないの中に』を聴いていました。歌の中のふたりみたいに、コラさんとローくんもなれればいいな、とおもいます。
 ローがこの家を飛び出して二日。  方々を探したが、ローの姿は見つからなかった。  田舎のちいさな町で、余所者は目立つはずだ。なのに、誰も、ローの姿を見ていない。  途方に暮れたおれは、それでもじりじりと焦る気持ちを押し殺しながら、真っ白の原稿と向き合っていた。こんな時でも締切は待ってはくれないのだ。  苛立ちが煙草の本数を増やすせいで、灰皿から吸殻が零れ落ちそうになっている。舌打ちをひとつ。こんな状態じゃ仕事なんて手につきそうもない。だが、打てる手がない以上、奴の無事を祈る他にできることはなさそうだった。  苛立ちを紛らわすように、あたらしい煙草に火をつける。  濃淡をつけながら、宙をまう煙。  ローは追手を振り切るために、もうこの町を出てしまったのかもしれない。だとしたら、これ以上 奴を追いかける方法は残されていないんじゃないか。  二日前の夜、奴が言った言葉を思い出す。  『奴らはもう、おれを見つけた』  ローは、自分に時間が残されていないことを、はっきりと自覚していたはずだ。
 夕日の残滓が細く影を纏って机の上を横切っていく。ゆっくりと、けれど確かに、あるかったはずの時間をじわじわと侵食しながら。  また、夜がやってくる。  今、この瞬間、ローは一体どこで何をしているんだろう。最悪の結末になっていないことだけをひたすら願った。
 出口の見えない葛藤が爆発しそうになったとき、ピンポーン、と何処か音程のずれた間抜けな電子音。  玄関の古い呼び鈴の音だった。  不審に思いながら、おれは席を立つ。ご近所さんたちは、普段、呼び鈴なんて鳴らさず、鍵のかかってない引き戸を開けるか、縁側から声をかけるのが常だったからだ。
 玄関の擦りガラスの向こう側。  うっすらと人影が浮かび上がっている。目を凝らすと薄暮の薄暗い中でも確認できる、  人型の黒色、と どこか見覚えのあるピンク。嫌な予感に、心臓が脈を打つ。  おれはつっかけを素足にひっかけて、タイル張りのたたきにでた。おそるおそる引き戸を引くと、最悪の――それでいて、予想したとおりの光景。
「よお、久しぶりだなァ、ロシー」
 引き戸の前には、東の空の夜を従えて、不敵に笑う男がひとり 立っていた。
田舎の生活 3
「ドフィ」
 ドフィは悠々と玄関のたたきに入ってくる。  血を分けた、たった一人の兄弟は、記憶の中と同じように、口角を吊り上げた笑みをおれに向ける。
 6年前、もう二度と戻らないと決めて、生まれた街を離れた。それ以来 一度だって顔を合わせることはなかった、兄が目の前にいる。懐かしさに胸が締め付けられそうでくるしいのに、懐古とは裏腹に、背筋がすっと冷えていくのが分かった。  ドンキホーテ・ドフラミンゴ。この男は、国内でも有数の巨大マフィアのトップだ。たぶん、警察のブラックリストにも名前が載っている。この男は遺産目的に養父を殺し、裏の世界でのし上がった。おれはそれがどうしても許せず、高校を出た後は、ずっと疎遠にしていたのだ。  たたきに並んだ、ぴかぴかに磨き上げられた革靴には、砂埃ひとつ ついていない。  フルオーダーの光沢のある滑らかな黒の素材のスーツ。きっとおれの年収くらいするんだろう。マフィアのボスなんてこの男くらいしか知らないが、相手を威圧する、隙の無い装いだった。
「変わりなさそうだな。安心したよ」
 表情を読ませない、サングラスの奥の瞳が、舐めるようにおれの全身を眺める。  フッフッフ、と特徴的な太い笑い。  どうしてここにいるんだ、と 尋ねようとしたその瞬間、ドフィのピンク色のコートの向こう側で、見慣れた帽子が視界に飛び込んでくる。――それはこの二日、ずっと探していた男の、数少ない持ち物のひとつだった。
「ロー…!」
 思わず大声を上げてしまう。  ローは囚人のように、男二人に両側から拘束されていた。男達の風貌はとても堅気には見えない。ドフィの部下なんだろう。  よくよく目を凝らしてみると、海でローに話掛けていた女もいる。たっぷりとした黒髪と、��舎に似合わない赤いハイヒール。  なんてことだ。ローが話していた、両親を殺したマフィアってのが、まさかドンキホーテ・ファミリーだったなんて。  おれの狼狽えた声に気が付いたのか、ローは力なくうなだれたまま、初めて出会った日のようにのろのろと顔を上げた。虚ろに揺れる視線がおれをとらえて、苦く歪む。
「なんだ、知り合いか?奇遇じゃねェか」
 ドフィはローを振り返るが、奴はドフィからも、おれからも顔を逸らした。その顔が傷だらけなのは、ここに来るまでに少なからず暴行を受けたからに違いない。  ぼろぼろのローの様子を気にも留めずに、ドフィは至極 明るく言ってのける。
「ウチの医者が行方不明になったってんで、迎えに来るついでに寄ったんだが、随分と面白ェことになってるみたいだな」 「……」 「つまり…、お前がローを匿ってた、ってことか」
 問いかけには答えず、太い笑みを浮かべたままの兄の顔を睨む。   「ローをどうするつもりだ」 「さて、どうしたもんかなァ。何にしても、誰が主人か分からない犬には躾をし直す必要があるだろうな」
 ついでに、首輪の一つも付けてやらなきゃならねェ。ドフィはそう言って、再び後ろを振り返った。  光を跳ねかえすグラス越しでも、ドフィの目がギラギラと凶悪に光っているのが分かる。この後でローが一体どんな目に合うのか、ドフィの残虐性を知っているおれには、容易に想像できた。心が折れるまで痛めつけられて、一生飼い殺しにされる。それは言葉にするより過酷な仕打ちのはずだ。きっと、ローも分かっているのだろう。奴は口を噤んだまま俯いていた。
「ドフィ、待ってくれ」
 この事態をどう切り抜ければいいのか。  おれの脳みそは音を立てて回転を始めていた。目まぐるしい情報交換が行われる。  だが、もちろん、こんな事態に、突然いいアイディアなんてすぐに思い浮かぶはずもない。おれはとんちのきく小坊主じゃねェんだ。誰かに文句を言いたかったが、生憎と八つ当たりの矛先は見当たらない。  煙草の苦みが口の中にないことが、さらにおれを苛立たせた。  煙草を探して、シャツの胸ポケットを探る。いつもそこに入れているはずのフィルムの感触は無く、代わりに指先にあたったのは、取材用のレコーダの堅い感触だけ。くそ、と心中で吐き捨てて、ダメもとでジーンズの尻ポケットに手を突っ込んだ。  ビンゴ。  藁にもすがる気持ちでつぶれて薄くなった箱の中を見る。最後の一本。くしゃくしゃになったソフトケースから、それを引き抜いて口にくわえる。駆け出しの頃、恩師にもらったデュポンのライターで火をつけた。こんな時でも、高級なライターはキン、と小気味いい音を立てて空気を切り裂く。  ひとくち。  慣れた香りが肺の中に満ちていく。  ふたくち。  血管が収縮する感覚。  玄関先で、マフィアの男達はいかつい顔をしておれを睨んでいた。こんな時に、なにを悠長に煙草なんて吸ってんだ、こいつ。おれは心中で苦笑した。  これはただの煙。それだけだ。でも、おれにとっては、猫型ロボットのポケットから出てくる不思議な道具と同じくらい、頼れる代物なのだ。  ふう、と煙を吐き出すと、ようやくおれの頭の中に、一本のストーリーが出来上がっていた。なけなしのピースをかき集めたにしては、悪くないだろう。  最後にもう一度、願掛けのように胸ポケットを撫でた。もちろん、煙草の箱のフィルムの音はしない。  おれは一言いいおいて、思いついたように居間に戻った。  ローが置いて行った黒い鞄を、ドフィに向かって放る。口が開いたままになったそれから、札束がいくつか飛び出す。でも、かまいやしなかった。   「一体なんのつもりだ、ロシー」 「全部お前にやる。だから、ローを離してやってくれないか」
 たたきの上がりに腰を掛けたドフィはおもしろそうに口元を歪める。何もかも分かってる、っていう強者の笑みだ。
「コラさん、これ以上 おれに関わるな!」
 散らばった札束と黒い鞄を見て、床に抑えられたままのローが、ドフィの背中越しに叫んだ。
「まったく…相変わらず、甘い弟だ。それがお前のいいところだがな…」
 まるで珍しいもののように薄紙で束ねられた札束を眺めているドフィは、相変らず余裕の濃い笑みを崩さない。色の濃いサングラス越しに寄越される視線。
「だが、おれの商売に口を出すなんて、百年早ェぞ。ロシー」
 ドフィの目の奥が、一瞬、ぎらりと音を立てて光る。  途端に背中をびりびりと電流が走った。  さすがに、一代で巨大マフィアのボスにまで上り詰めた男の覇気は凄まじい。  ドフィの言葉が鬨の声になったらしく、奴の背後から、猫背にしても背の高い男が一人、のったりとした動きで歩み出てくる。そこらの人間に比べればドフィだって十分 規格外の偉丈夫だが、その男はさらに背が高かった。  おれは身構えていたが、予備動作なく、振りぬかれる足の動きの方が早い。  男の足の動きはスローモーションのようにはっきりと見えていた。だが、防御は間に合わない。肉がぶつかる鈍い音の後、おれは玄関の板の間に転がる。  おれを蹴り倒した男は、土足のまま家に上がると、おれをサンドバッグ代わりに蹴り始めた。  喧嘩なんて久々だ、といっても、おれは一方的にやられているだけ。  最初の背の高い男に加えて、ローを拘束していた男――髪の毛を剣山のようにセットしている――と、素足ににホットパンツの女…だか男だかわからない奴が、リンチに加わった。  奴らは、おれの背中だとか腿だとか、命にかかわらなさそうな部分ばかりを狙って蹴りを叩き込んでくる。痛い。でも、相手は暴力のプロだ。どこをどうすれば人間が死ぬのか、熟知しているはずだった。これは、ただの脅しに違いない。おれは腹を抱えるような格好で、ひたすら奴らの蹴りに耐えた。
「やめろ!コラさんは関係ねェだろ!」
 おれがサンドバッグにされている向こうで、ローが叫んでいるのが聞こえた。
「なあ、ロシー。おれがこんな はした金で、こいつを諦めると思うのか?」
 ドフィは、札束を振りながら笑う。
「ローは金の卵なんだよ。いくら積まれたって離すつもりはねェ。おれの為に生きて、おれの為に死ぬ。その為に、ここまで育ててやったんだ」
 なあ、と呼びかけられて、ローは今度は黙り込んだ。  頭を庇った腕の間から、おれはローの顔を見る。  初めて出会った日と同じ、空虚で、底の見えない、ふかい沼みたいな目。  おれは、マフィアの男達の蹴り��受けながら、ローが飛び出していったあの日の事を思い出していた。
 ローは、自分以外は何も信じないで生きてきたと言った。その言葉と裏腹に、おれを最後に映した瞳が、揺れた。  その理由くらい、おれにも分かる。  何も信じないんじゃない。これ以上 何かに裏切られるのが嫌で、誰にも心を許せなかっただけだ。  でもほんとうは、ずっと、何かを、誰かを、信じたかったんだろ。  その相手が、もしかしたらおれなのかもしれないって、おれはあの時、そう思ったんだ。  お前は自惚れんなって笑うかもしれないけど、あの時 その目が揺らいだのは、最後に手元に一本だけ残された細い命綱すら、自分で手放すのを躊躇したからなんじゃないのか。  ひとりで暗い穴の中に再び落下していく恐怖。それを思い出したんだろ。首都で生まれた少年が、あの夜に突き落とされた先。戻った先で、なにが起こるか、ローならわかっていたはずだ。
 そうして、ドフィに殉じる為に生きていく?
――そんなこと、させてたまるか。
 時間にすれば数分間。  ドフィが制止の声を上げると、男達は肩で息をしながらおれから離れていった。
「これに懲りたら、余計な口は噤むことだ。じゃあな、ロシー」
 引き戸にもたれて、おれがリンチされているのを眺めていたドフィは、低く笑い声を漏らして部下たちに言う。
「そろそろ引き上げるぞ」
 もちろん、このままドフィ達を大人しく帰すわけにはいかない。  おれは蹴り倒されてボロボロだったが、ロボットみたいにぎこちない動きで立ち上がる。自分の身体じゃないみたいだ。抵抗しないからって好き勝手しやがって。中学の部活で使われてるサッカーボールだってもっとましな扱いを受けているだろう。  でも、そんなことは気にならなかった。全力で駆けた後みたいに、心臓がうるさい。殴られたせいだけじゃないということは、おれが一番良くわかっている。   「ドフィ、待て」
 ドフィは訝しんでおれを振り返った。  頼む、壊れてるなよ。祈るような気持ちで、胸ポケットを探る。いつかの縁側で、ローの声を録音したボイスレコーダ。  ディスプレイは、一秒ごとのカウントをきっちりと続けている。7分46秒。おれは指先で録音を終了させた。  その場の誰もが、おれの手の中のちいさな機械に注目していた。ドフィも、おれを殴った男たちも、海岸でローに声をかけていたあの女も、もちろん、ローも。  おれは、ローに向かって、口元を緩めた。お前ひとりを、向こう側に連れて行かせやしねェぞ。  おれは録音した音声ファイルを適当に早回しし、赤いボタンと対になっている、三角のマークがついた銀色のボタンを押す。
『ぐ…ッ』『加減しろよ、グラディウス。死んだら面倒だ』
 レコーダーから流れ出す声。  ホットパンツのキャハハという狂ったような笑い声をBGMにして、情けないおれのうめき声に混じる、鈍い打撃音。
『…あいつは、もう…、ドンキホーテ・ファミリーとは関係ねェだろ、』『関係ねェわけあるか!』『ウ…!』『殺されたくなきゃ大人しくしてろ!』
 おれは黒いボイスレコーダーを左手に、尻ポケットに入れていた携帯を右手にして、相手に見えるように持ち上げてやった。余裕の色が濃かったドフィの顔が、一瞬にして凍りつく。
「田舎だから誰も聞いてねェだろうと油断したな。  ここにある携帯で、今からこれをお巡りに通報する。頭のいいお前なら、どうなるか分かるだろ、ドフィ」
 ファミリーは、もちろん、警察にもマークされているだろう。近頃の法律じゃ、一般人を脅せばすぐに手が後ろに回るはずだ。脅迫罪というやつ。実のところ、この会話だけで、ファミリーの犯罪の立証ができるのか、不安なところはあった。だがドフィの顔色が変わったところを見ると、かなりやばいラインのようだ。  警察では録音ぐらいはしているだろう。もしここでレコーダを奪われたとしても、通報さえできれば証拠は残るはずだった。警察の奴らだってそこまで間抜けじゃない。報復におれを攫って海に沈めたとしても、結果は相打ち以上だろう。  おれの指先のボタンひとつ。それだけでドミノ倒しに幹部の連中までお縄になる。これはファミリーを崩壊させる爆弾のスイッチと同じだ。狡猾なドフィにしてみれば、痛恨のミスだったろう。  歯噛みしたドフィの額には青筋が浮かんでいる。ロシー、とおれを呼ぶ声。
「家族を裏切るのか」 「前に言ったろ、ドフィ。おれたちはもう、家族でも何でもないって」
 苦々しく歪んだ表情は、最後の記憶の中の兄がしていたのと同じだ。
「出来るわけがねェ。ローだって無事じゃすまねェぞ」
 ドフィの言う通りだった。  ローがファミリーでどういう位置に籍を置いているのか詳しいことはわからない。だが、闇医者だったという時点で、おそらく医師法だかなんだかに引っかかるはずだ。罪だって軽くはないだろう。  それでも。
「だけど、ドフィ、お前からは離れられる」
 若、と誰かがドフィを諫めるような声を出す。確かに、一般人に脅し返されるなんて、やつらの矜持に悖るんだろう。  おれは力を込めて、もう一度サングラスの向こうにある目を見据えた。
「ローを解放してくれ。そうすりゃ、おれもコイツをお前に渡す」
 ドフィとおれの視線が、サングラス越しに交錯する。  沈黙は長くはなかった。  軽い溜息をひとつ。ドフィは引き戸の向こうを振り返って言う。
「分かった。そのレコーダーと交換だ。ピーカ、離してやれ」
 その一声で、ローを拘束していた男が、腕をほどいた。忌々しそうに、立ち上がったローの背を思い切り突き放す。ローはよろめいて、玄関の段差にぶつかった。辛うじて倒れずに、上がり框に腰をつく。  おれはドフィに視線を戻した。
「金輪際、おれとローに関わらない、それでいいな」 「ああ。その代り、おれたちの商売のことは他言するな。言えばどうなるか…、まあ、お前もローも良く分かってるだろうがな」 「分かってる」
 おれがレコーダーを放り投げると、黒革の手袋をした手が、それをキャッチした。  田舎町には似合わない、派手な格好をした連中が、面白くなさそうに門をくぐって出ていく。  ドフィは、部下たちが居なくなってもしばらく、おれとローを見ていた。  面白そうに、あるいは、腑に落ちないという風に。  でも、結局 ドフィは最後まで何も言わなかった。  じゃあな、と言って最後にこちらを振り返ったドフィの顔は、もう焦りの色などかけらもなく、いつも通りの余裕をたっぷりと含んだ太い笑みだった。
 黒塗りの高級外車の扉が閉まる音がして、ドフィたちの姿が見えなくなり、ようやく、おれはたたきに続く床に身体を投げ出した。  まだ心臓の音が煩い。  夢の中にいるみたいに、ふわふわとした気持だった。   「なんとか、なったか?」
 気が抜けたのか、おれと同じように、床に倒れたのローの顔は、おれの位置からは見えない。怪我の具合は大丈夫なんだろうか。痛む身体を持ち上げようとしたところで、ローは口を開いた。
「……なんであんな無茶したんだよ」
 不満げに掠れた声。どうも雲行きが怪しい。せっかく助けてやったってのに、ローの声はおれを責める色を含んでいる。
「さあ…、何でだろうな」
 実際、あの時は頭が真っ白だったし、反射だったとしか答えられない。
「ま。いいじゃねェか。こうして無事だったんだし」     無事、というにはお互い満身創痍だったが、おれはなんとか最後まで強がってみせた。多分、ローにはばれているだろう。  冷たい床の温度が心地いい。随分 体温が上がっているみたいだ。さっき殴られた傷が熱を持ち始めているのに違いない。  興奮していたせいで忘れていた痛みが徐々に身体の力を奪っていく。指先ひとつ動かすのもひどく億劫だった。明日には身体中 色とりどりの痣でひどい有様になっているだろう。  煙草が吸いたくて、胸ポケットを探る。生憎、ライターひとつ入っていなかった。そうだ、さっき吸ったのが手持ちの煙草の最後の一本だったと、おれは舌打ちをした。  そうしてふと、あの黒いのレコーダーの事を思い出した。威勢よく、あるいは思い切り格好をつけて、放り投げた、仕事道具。
「…ああ!やべェ!ドジった!!」
 突然大声をあげたおれに向かって、何だよ、と大業そうこちらを向く隈のひどい顔。おれはそれを途方に暮れたまま見返す。
「あのレコーダーにゃ、新しいネタが入ってたんだよ…。クソ!ドフィの野郎、今からでも返してくれねェかな」 「紙のメモはどうしたんだよ」 「…この前 煙草の火ィつけて燃やした」
 ローは呆れてものも言えないのか、深い溜息をひとつ。  でも、そのあとすぐに、く、と息を吹き出す音。  震えるような笑い声が、徐々にこらえきれなくなって、扉をあけ放ったままの玄関に響く。  おれも、ローにつられて、笑い声をあげた。ボロボロの顔で、ふたりして大笑いする。笑うのに合わせて、身体中の傷が痛んだが、おれは気にしなかった。乾いた秋の空気が開け放ったままの扉から吹き込んでくる。最高にきもちのいい夜だった。
「コラさん」 「なんだ」
 いい加減 呼吸が苦しくなったところで、ローが改まった様子でおれの名前を呼んだ。  ありがとう、と響く穏やかな声音。
「どういたしまして。なんか、素直なローって、違和感あるな」 「余計なお世話だ」
 今度は不貞腐れたような声が響く。  なあ、コラさん、ともう一度、おれを呼ぶ声。なんだ、と返事をすると、ローはかすかに息を呑んだ。ローの躊躇が空気を伝って、おれを緊張させる。だが、おれの心配をよそに、ローは意外なことを口にした。
「…おれを、ここに置いてくれないか」
 声はひどく真面目な調子で、堅い。その一言に込められたいろんな感情のことを考えた。でも、考えてみたところで、おれの結論はひとつだ。
「宿無しどころか、無一文だもんなァ、お前」
 そういえばあの黒い鞄の中身は、ドフィの部下たちが回収していた。きっちりしている、というのか、抜け目ないというのか。
「ま、おれもひとりに飽きてたとこだしな。もちろんオーケーだ。これからよろしく頼むぜ、相棒」
 言って、ローに向かって拳を突き出す。
「勝手に相棒扱いすんなよ、おっさん」
 口では可愛くない憎まれ口をたたいていたが、ローはおれが突き出した拳に、自分の拳を軽くあてた。刺青の入った、褐色の拳。おれはそれをみて、声を立てずに笑った。  そういうわけで、ローは正式におれの家の居候になった。
 たたきにはおれのつっかけと、田舎に似合わないごつい黒色のブーツ。何日もかけてこの場所にたどり着いた、あの日の汚れは、おれがぬぐってやったからぴかぴかだ。  相変わらず、ローは、朝に弱い。  知らない人間が見れば飛び上がりそうに恐ろしい顔をして、それでも、立てつけの悪い雨戸を開くのは、ローの仕事になった。  おれはあくびをかみ殺して、今日も味噌汁をつくる。  せまい台所に並んだふたり分の朝飯。そういえば、ローはパンが苦手なのだそうだ。だから、これから先、家の飯は米しか出せなくなってしまった。まあ、だからといって困ることはない。おれも、米の方がすきだしな。
「おーい、ロー。朝飯できたぞ!」
 おれが呼びかけると、洗面所のほうから、すぐいく、とローの声がした。しばらくすると、タオルを首にかけたスウェット姿のローがよろよろと台所にやってきた。椅子を引いて、席につく。  おれたちは、いただきます、とふたりで手を合わせる。  今日も、田舎町の、平凡な一日がはじまった。
END
#OP
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nextsummerraika · 9 years
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田舎の生活 2
・コラソン×ロー 相変らずCP要素薄いです。あと一話
 テレビのリモコンより一回り小さい、黒いプラスチックの機械。RECと書かれた赤いボタンを押すと、録音時間のカウントが始まった。集音機能が抜群なのはわかっていたが、おれはふざけて、無数に穴の開いたマイクに向かって声を出した。 「アー、テステス。…ほら、なんか言ってみろ」 「……」 「ロー」 「嫌だ」  思い切り顔をしかめたローは、ふいと顔をそむけてしまう。  おれはローの声を録音するのは諦めて、手の中に納まったボイスレコーダーの録音を終了させる。むっつりと口を引き結んでローはおれを睨んだ。縁側で暇そうに寝転がっていたから、かまってみたのだが、どうもお気に召さなかったらしい。  再生ボタンを押すと、さっきの短いやり取りが流れ出す。会話とすらいえない応酬。  ローはものすごく面倒くさそうな顔をして、おれの顔を見た。これのなにがそんなに楽しいんだ、と顔に書いてある。短い付き合いの中で、ローの表情を読むのにも随分 慣れてきた気がする。  ピースサイン。ついでにスマイルもひとつ。いっそう不機嫌になる隈の濃い顔。 「そもそも、なんでレコーダーなんだ。取材って、メモじゃねェのかよ」 「紙のメモもあるけど、ドジって燃やすと困るだろ。だから外出るときには一緒にこいつも持っていくんだ」 「……」  視線が痛い。あんたどんだけドジなんだよ、とその目が語っている。言い訳のしようがないので、おれはもう一度 満面の笑みを浮かべた。渾身の笑顔だと思うが、なぜかローは胡散臭そうな表情で黙っているだけだった。
田舎の生活 2
 朝飯の後、ローはいつもと同じように玄関のたたきで靴を履いていた。脇には、いつものおにぎり入りの袋と、古びた文庫本。今日も海に向かうのだろう。  おれが小説家だと告げた日から、ローはおれの本棚から本を持ち出すようになった。どうも縁側や、海に持っていっては、読んでいるらしい。最初はおれの書いた本だけだったが、その内、近代の作家のものや、外国文学、最近の作家のやつにも手を出しているみたいだ。  そうして時折、ふたりで飯を食っているときなんかに、本の感想を零すようになった。おれ一人が喋っていた頃に比べると、大きな進歩だ。  珍しいといえば、おれのペンネームをみたときのローの反応は、短い付き合いのおれから見ても、随分おかしなものだった。  ハードカバーの背表紙に書かれたコラソンという文字。コラソン、と言葉をなぞるように呟いたきり黙り込む横顔。  おれのペンネームだ。と答えると、難しい顔をしてしばらく固まっていた。かすかに強張った表情。あれはいったい何だったんだろう。聞いても答えてくれたかどうかはわからない。何か縁のあることばだったのだろうか。なんにせよ、おれの知っている数少ないローの表情の中ではめっぽう珍しい部類のものであることには違いなかった。  出口のない思案に沈みそうになっていると、視線の先のローがすっくと立ち上がる。おれはあわててその背中に声をかけた。 「気をつけてな。溺れたりすんなよ」  振り返ったローは意地悪く微笑んでいた。余裕たっぷりで、人を食ったような笑み。 「いくつのガキだと思ってんだよ。大体、あんな浅い海で溺れるのなんて、あんたくらいのもんだ」  そう言って、擦りガラスの入った引き戸を閉める。線の細い背中に向かって、ガキじゃなくても、お前は危なっかしいんだよ、とは言えなかった。  ローを拾って、二週間。  初めて会った日には、焦点が定まっていなかった視線も、今や不敵な笑みを浮かべるに至っている。ローは徐々に回復してきているみたいだ。その内、この家から出ていくんだろうという、漠然とした予感はある。  喜ばしいことのはずなのに、ローが居なくなることにさみしさを感じてしまうのは、慣れたと思っていた長年の一人暮らしに、おれも少し辟易しているせいなのかもしれない。  ローの背中を見送った後、おれの口からは小さな溜息が漏れた。  相変わらず、おれたちは表面上の会話しかしていない。おれはローの事情を聞かないし、ローのほうも、話さない。家族のこと、この町にやってきた理由、この町に来る前の生活のこと、――毎日、海に向かう理由。  ひょんなことから面倒を見ることになったが、ローは赤の他人だ。別に、奴の事情に首を突っ込む必要はないだろう。そう思う一方で、あの日のローの表情が忘れられないでいた。家の門の前で倒れていたローの、あの空っぽな目。すべての光が抜け落ちた、深い穴のような目だった。一体 何に絶望すれば、あんな目ができるんだろう。  そうして思い知らされる。おれは、ローのことを、まだ何も知らないのだ。  だからその日の 買い物の帰り道、海岸に足を向けることにしたのは、気まぐれ、と言い訳するにはすこし不純だったかもしれない。毎日飽きもせずにローが海に通う理由が分か れば、すこしは奴のことを理解できるかもしれないと思ったのだ。ローの秘密を暴くようで、後ろめたい気持ちはあったが、それより好奇心が勝った。   スーパーのビニール袋を片手に、堤防の上から浜辺を覗くと、特徴的な帽子はすぐに見つかった。ローはポケットに手を突っ込んで、なにをするでもなく、ただ 白い波頭を眺めているように見える。ああやって日がな一日 海の様子を眺めているんだろうか。おれは落胆の溜息をひとつ。冷静になって考えてみれば、こんな人目に付く場所でローが妙なことをしてるはずはない。で も、なにかひとつでもヒントがあるんじゃないかと、藁にもすがるような気持だったのだ。  どうやら期待していたような収穫はなさそうだ、と背中を向けようとしたところで、ふと、ローの隣に人影が並んだことに気が付く。  背格好をみると、若い女みたいだ。長くのばされた黒髪が、潮風に吹かれてたなびく。見慣れない女だった。足元はヒールの高い赤いパンプス。あんなのでよく砂浜を歩けるな、と感心する。  ふたりは何か会話をしている様子だったが、やがて女のほうがその場を離れた。短いスカートの裾が揺れている。その足で防波堤沿いにとめてあった黒塗りの車に乗り込んだ。こちらも、田舎町に似合わない高級外車だ。  買い物袋を提げたまま首をかしげていると、砂浜にひとり立っていた人影も動きをみせた。浜から延びるコンクリートの階段を上る途中で、ローはおれの姿に気が付いたらしい。  驚いた様子でおれの顔を見る。 「どうしたんだ」 「お前の様子見に来ただけだ。それより、さっきの女の子、知り合いか?」  尋ねると、首を横に振る。 「道を尋ねられただけだ」  今度はおれの姿を見て、あきれた風に言う。 「あんた、またどっかで転んだのか?」 「ん?ああ、またドジっちまった」  ローがため息をつく。それもそのはずで、おれの服は、幼稚園児と一緒になって泥んこ遊びをした後のように土埃で汚れていた。 「汚れるから、いいぞ」
 そう言って止めてみるが、ローは頓着なくシャツの袖でおれの顔についているらしい泥を拭ってくれる。  よし、とひとつ唸った後に、ふ、と 口元に ちいさな笑み。 「ちょっとは見られる顔になった」   意外なものを見た気がして目を丸くしていると、戻ろうぜ、と言ってローがおれの手から買い物袋を抜き取っていく。振り返りもせずに帰路に向かう後姿。遠ざ かっていくその背中がかすかに強張っていることに気付けなかったのは、ローの笑顔なんて珍しいものを見たせいで、浮かれていたからだ。気付いていたところ で、おれにはどうしようもなかっただろうが。  晩飯のあと、ローは、改まった調子でおれを呼んだ。 「あんたには世話になった。そろそろ、ここを出ようと思うんだ」 「そりゃよかった。でもお前、行くあてあんのか?」 「ある」  ローは はっきりとした口調で言い切る。嘘なんじゃないだろうかと、その顔じっと見つめた。だが、奴の表情は読めない。  おれが不審がっていることに気付いたのだろう、ローは軽く息をつくと、本当だ、と重ねるように言う。そのあとで、客間から何かを持って戻ってきた。初めて会った日、ローが唯一持っていた、黒い鞄。ローはそれを乱暴にひっくり返す。  とたんに、どさどさ、と重い音を立てて、鞄の中から紙の束の雨が降ってきた。  厚さ数センチの紙の束。誰かのハンコが付かれた、白い帯がかかっている。おれには縁の薄い、茶色い紙片たちだ。驚いてローの顔を見つめる。 「おい、ロー。なんだ、…これ」 「やる」 「やる、って、お前。これ、どういうことだよ」  狼狽えたおれに向かって、そっけなく、礼だ、と低い声。 「礼、ってお前…」 「気を悪くしたんなら、謝る。でもこれはおれには、もう、必要のないものだ。だから、あんたが使ってくれ」 「あのなぁ、ロー。こんなの受け取れるわけがねェだろ。それに、必要ないってどういうことだよ。ちゃんと説明してくれ」 「正真正銘、おれの稼ぎだ。逃げてくるときに、持ってきた」  見たこともない大金と、『逃げてきた』という現実味のない言葉に、おれがひとり目を丸くしていると、ローはようやく吐息のような笑い声をたてた。  嫌な予感のせいでで鼓動が激しい。  自棄になったのか、薄く笑いながらローは、どっから話したもんかな、とコーヒーカップに手を伸ばす。白い陶器の肌に触れる指先が微かに震えていた。けれど結局、ローはそれを口元に運ぶことはなかった。  そこらの三文小説より面白くない話だ、といって語りだした、ローの話は、おれが書く小説より現実味のない、ひどいものだった。  それは首都で生まれた少年の話だ。  医師だった両親と、少年と、妹。何不自由なく、家族4人で平和に暮らしていたこと  十数年前のある日。一家の元に傷を負ったマフィアが現れ、両親に協力を求めてきたこと。  誇り高い両親はその申し出を断り、報復で殺されたこと。  そうして遺された幼い兄妹はマフィアの連中に連れ去られたこと。  両親に似て優秀だった少年は、妹を盾にされ、マフィアの闇医者として働かされるようになり、長じて後、トラファルガー・ローという名前を捨てて、コラソン、という名前で生きてきたのだということ。  ――そして、少年が大切にしていた妹も、今年の夏の終わりに、病気で亡くなってしまったのだということ。  ぽつりぽつりと、零すように語り終えたローの瞳は凪いでいた。  怒りでも、悲しみでもない。諦観、というよりは、何もかもに絶望して、かえって澄みきってしまった目の色だった。  それは初めて出会った日の、あの空っぽな瞳の色、そのもの。 「父様が命を懸けて守った誇りを、踏みにじって生きてきた。自分以外は何も信じないと決めて、碌でもねェ連中の中で。せめてラミーを、妹だけでも幸せにしてやりたいと思って。でも、おれのしてきたことは、結局、何もかも無駄だった」  ローの目には光がない。門の横で倒れていた、あの日と同じ、空っぽな目。ローはまだその深い穴の中に身を置いているんだろう。ずっと見ていると、ローの体験した絶望に引きずり込まれそうになる。 「妹を墓に入れたその日に、ファミリーを抜けると言って、逃げてきた。おれにはもう、何も、ないから。あの場所に生きている理由もなくなったしな」  苦りきった顔が、弱々しくおれを見る。 「たったひとりでいい、救いたかった。おれなんかどうなったっていいから、妹だけは、って。でも、それすらおれには出来なかった。  この世界はクソで、救いなんてものは甘ったれた夢物語で、だから、おれひとりが喚いたところで、何も変えられない。変わらない。  たったひとりすら救えない、連中とおなじ碌でなしのおれを、この世界で生かし続けている天の上にいる誰かに復讐するつもりで…、お前が生かしたのはただの屑だったんだ、ザマーミロって笑って、最後は唾を吐いて、死んでやるつもりだったのに、」  ふいに口元に浮かぶ薄い笑み。  普段、あれだけ口数の少ないローにしては、随分とりとめのない話し方だった。壊れたラジオのように、思いついたことを、ただひたすら、思うに任せて話しているようにみえる。  おれは相槌ひとつうてずに、ただ、その声に耳を傾けていた。それ以外、できることがなかった。  ふ、と小さく息を吐いて、ローは続ける。 「…最後に、一度だけ、海が見たくなったんだ。子供のころの、おぼろげな記憶しか無くてな。家族がいたころは、よく遊びにいったんだ。  まさか、こんな田舎で、あんたみたいなお人好しに出会うと思わなかったよ。余所者の、薄汚れたガキなんて、煙たがられるだけで、誰も見向きもしないだろうって、なのに、」  なあ、なんでだよ。 「なんであんた、おれなんかを助けたんだよ」  言葉の端が、震えて。 「コラさん、」  ローがおれを呼ぶ。  穏やかなローの声が、その口からは一度も聴いたことのない、おれの名前をなぞる。  ああそうだ。今初めて、ローがおれの名前を呼んだんだ。頭ではそう思うのに、身体の方は痺れたように動けない。 「それでも、感謝してるんだ。得体のしれない人間だろうのに、優しくしてくれた。あんたが居なきゃ、おれは、きっともう、死んでた」  言葉を選んで、途切れる、声。 「あんたが、おれに、もう一度、呼吸の仕方を教えてくれたんだ」  告げられたローの言葉に、本当なら安心していいはずなのに。  その言葉が、不安を掻きたてて、胸が苦しい。まるで最後の別れを告げているような穏やかな声。おれはなんとかローを引き止めようと必死になって言った。 「なら、ずっとここに居ればいい。お前が息の仕方を忘れたってんなら、おれが何度でも思い出させてやる。だから、」  だから、そんな顔をするなよ。おれは、本気で思ってそう言ったが、顔は、半端に歪んだ笑みしか作れなかった。 「それは出来ない」  低い声が絞り出すように言う。 「奴らはもう、おれを見つけた」  直にここも嗅ぎ付けてくるだろう。最後通告のように、冷たく響く言葉に、おれは絶句した。 「本当はこんな話…、するべきじゃないと分かってた。でも、どうしてもあんたにちゃんと礼が言いたくて」  すまない、悲しげに言って伏せられる視線。反対におれの声は、どうやったって、意味のある言葉にならずに、小さなテーブルの上に落ちる。冷めた紅茶とコーヒーが、しん、とおれたちの間で沈黙を守っていた。  吐息に似た声が静かな部屋の空気を微かに震わせる。ローが苦笑したようだ。 「心配すんな。もう、死ぬつもりはねェよ」 「死ぬつもりはないって、だって、お前、そんな、連中が、お前をどうするかなんて、わかってるんじゃないのか」  狼狽えたおれの声は随分 滑稽だったことだろう。ローはおれに向かって、もう一度ゆったりと笑みを作ってみせた。こんな時でも、奴の顔は余裕たっぷりで皮肉気にみえる。 「向こうに戻っても、あんたの話、探して読むよ。だから、ちゃんと有名になってくれ、コラさん」  古い木製の木の椅子を引いてローは立ち上がる。予定調和のような会話だった。  スローモーションのように、ローとおれの視線が合う。隈の酷い目の、濃い琥珀色の瞳の奥が微かに揺らいでいだ。  ロー、というおれの声がスタートの合図になったようだ。ローは身を翻して駆け出していく。慌ててその背中を追うが、スタートダッシュで負けているおれがローに追いつくのは至難の業だった。  街灯もろくにない、暗い夜道を駆け抜けていく背中。その背中に言ってやりたいことがあるんだ。 「うわっ!」  こんな時にも、おれのドジは相変わらずだった。つんのめって、砂埃を立てながら地面に倒れる。その間にも、ローとの距離はどんどん離れていくってのに。 「ロー!クソッ」  おれが顔を上げたときには、もう、その背中は見えなくなっていた。
つづく
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nextsummerraika · 9 years
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田舎の生活
・コラソン×ロー 売れない小説家のコラソンが、家の前で倒れていたローをひろうおはなし。 ちょっと続く予定。本編はCP要素低いです。
田舎の生活 
 立てつけの悪い木の雨戸を、ギイギイいわせながら引くと、朝の白んだ陽光がたっぷりと縁側に差し込んだ。ついでに硝子戸も引いて空気を入れ替える。ひんやりと湿った朝の空気に交じって、日に焼けた土の香ばしい匂い。吹き込んでくる風からは、微かに潮の匂いかする。  海と山しかないこの町に越してきてから、毎日 嗅いでいる朝の匂いだ。  秋。葉が落ちるには早いけれど、朝は冬の気配を潜ませて冷えるようになっている。庭に生えた名前も知らない草や、色づき始めた広葉樹の葉っぱの匂いが、夜のうちに空気にとけているみたいだ。深呼吸。朝の匂いは身体の中の悪いものを拭い去ってくれる気がする。朝も昼も夜も、空気なんて同じだと言われればそれまでだが、おれはこの匂いがすきだった。ぐっと伸びをひとつ。ふと人の気配を感じて振り返ると、障子の向こうで誰かの動く気配がする。 「おはよう」  障子越しに声をかけると、しばらくの沈黙の後、寝起きの掠れた声が、唸り声みたいな返事をする。  雨戸を仕舞っていると、背後で障子が開く音。振り返れば、目の下に濃い隈を残した男が、半分眠ったままの顔で立っていた。どうも夜型の生活が長かったようだ。男はよろよろとおぼつかない足取りで客間から出てくると、おれの顔をみて改めて、おはよう、とちいさく零した。 「まだ眠っていていいぞ?」  おれの声は、妙に浮き足だっていた。朝起きて『おはよう』を言う誰かが、家に居るなんてことがしばらくなかったのだから仕方ない。もっとも、その相手は、縁もゆかりもない、全くの他人なのだが。 「……いや…、起きる」  ぼそぼそと口の中で言って、洗面台に向かって歩いて行ってしまう。その背中に向かって苦笑をひとつ。なんだか昔からここに住んでいるような堂々とした振る舞いだ。  今しがた洗面所に消えた男は、トラファルガー・ローと名乗った。本名かどうかは知ない。長身痩躯の男で、目元には濃い隈。上半身にはでかでかとタトゥー を彫っている。もしかしたら、全身そんな風なのかもしれない。どうひっくりかえして見たって堅気には見えない、明らかに怪しい人間を、家に上げることに なったのは、不可抗力。  弱っているところを家の前で拾ったのだ。  いや、人間に対して『拾った』という言い方はよくないだろう。実際には『行き倒れていた彼を介抱した』のだ。
 一週間ほど前のとある朝、家の門をくぐろうとしたおれは、御影石の門構えの横に、足を投げ出した人間がいることに気が付いた。   ぎょっとして思わず飛び退り距離をとったが、慌てていたせいで、勢い余って庭先に転る。おれのドジはいつもの事だから、それはいいとして、転んだ拍子に随 分 大きな音が鳴ったにもかかわらず、相手は目をつぶったまま動かない。まさか、死んでいるのかと、嫌な予感に動悸が激しくなったが、なんとか身体を起こし、 門にもたれて目を瞑っている男に、おい、と声を掛けた。  反応はない。よもや自分が死体の第一発見者になるなんて思いもしなかったおれは、縋るような思いで、男の肩を揺すった。  触れた肩は、想像していたより暖かい。  ふるり、と隈の濃い目元で睫毛が震える。どうやら、生きてはいるらしい。 「なあ、おい。大丈夫か?しっかりしろ」  何度か強く揺さぶっているうちに、その男は、ようやく目を開いた。  虚ろに視線が揺れて、その後で、のろのろと顔を上げる。ようやく焦点を結ぶ視線。おれと目が合ったそいつは、かすれた声で言った。 「…わるい」 「大丈夫か?見かけねェ顔だが、どこから来た?救急車呼んだほうがいいか?」   おれの矢継ぎ早の質問を聞いて、奴の目に徐々に光が戻ってくる。頭が回転し始めているようだ。緩く首を横に振るのは、否定のポーズだろうか。男は、力の 入っていない身体で立ち上がろうとする。生まれつきドジのおれが言うのもなんだが、男の足取りは随分あぶなっかしいものだ。  男の持ち物は鞄一つだけ。田舎の舗装されていない道を歩くには具合の悪い革靴は土で汚れていた。  男は大丈夫だと繰り返したが、おれはその肩を横から支えてやった。ほっそりとした外見だが、意外に筋肉質な���体だ。頭ひとつ、と、もう少し下にある男の顔色は、青を通り越して、灰色になっている。  倒れていた理由を尋ねても、なんでもない、もう大丈夫だ、そう言っておぼつかない足取りで去っていこうとするのを、おれは無理やり引き止めた。  ローのありさまは立派な不審者だ。普通なら、警察に通報しただろう。でもおれは、そうしなかった。  おれは男の手を強引に引いて、家にあげた。お人好しが過ぎるって自覚はある。でも、魂を半分どっかに忘れてきたみたいなローの顔を見て、そのままハイさよなら、なんて言えなかったのだ。  何とかローを家に上げたはいいものの、行き倒れた人間の介抱なんてしたことの無いおれは、いったい何をしてやればいいのか、さっぱり見当がつかない。  ローは茫然としたままで、おれがすすめた椅子に座ったきり、ずっと黙ってテーブルの木目を睨んでいる。  やつれた頬をながめて、おれは、兎に角なにか食わさなきゃならないと台所を漁った。 「ほら、食え」  差し出したのは、昆布と、おかかのおにぎり。ちょっと形が崩れているのは、ご愛嬌だ。  ローはしばらくそれを黙って見つめていたが、ようやくのろのろと手を伸ばし、三角のてっぺんにかじりついた。  食欲はあるみたいだ。ほっと息をついて、茶を淹れようとした時だった。  突然、う、と押し殺したような声が聞こえる。  米を喉にでも詰まらせたのかと、慌てて振り返った先。ローは机にうつ伏せになる勢いで身体を丸めている。おい、と声をかけて震える肩に置こうとした手を、とめる。  テーブルに散る、水滴。  ローの尖った顎の先から、雨みたいにテーブルを打つ雫が、小さな音をたてていた。  鼻をすする音に混じって、小さな嗚咽が聞こえ始める頃には、おれは静かにテーブルを離れた。やかんが音を立てて、湯が沸いたのを知らせていたからだ。  背中でローの気配を窺いながら、わざと茶をゆっくり淹れる。すこし覚ました湯を、急須に注ぐと、ふわり、香ばしい茶の香りが立ち昇った。  おにぎりを平らげて、一息ついたローはありがとう、とゆっくり言って、続けて、なにも返せるものが無くて、とすこし申し訳なさそうにした。涙の跡が残っているが、初めて見たとき石みたいに灰色だった顔には、いくらか表情が戻ってきている。それでもまだその顔色は青白い。  その顔を見ながら、気にすんな、と背中を叩く。ほっとけなかったのは、おれの都合だ。その言葉を聞いて、ローはもう一度ありがとう、と繰り返したあと、じゃあ、と言って玄関に向かう。   おれにはローの涙の理由も、こんな田舎で行き倒れている事情もわからない。でも、ローが何かに打ちのめされていることだけは分かった。できれば、力になっ てやりたい。赤の他人相手に、どうかしていると思う。でも、あの灰色に落ち窪んだ顔を見たら、どうしても放ってはおけなかった。  たたきで靴を履く背中に、「あんた、行く場所にあてはあるのか」そう声を掛けるが、返事はない。 「あてがないんなら、体調が回復するまで、ここに居ればいい」  あんなに頑なだったローが、どうしてその時だけは素直に首を縦に振ったのか、理由はわからない。でも、それ以来何も言わず、ローはこの家に居ついた。野良猫みたいなやつ。
 庭付き一戸建て。築30年は経とうかという家が、おれの城だ。  隣の家はキロメートル単位で離れているという具合。人より、山から下りてきた動物に出会うほうが頻繁で、夜なんかは虫の鳴く音でうるさいくらいだ。  1階は和室が3部屋。そのうちのひとつが客間で、ローが寝起きしている。2階は洋間になっていて、おれの部屋があるのだ。  ここに住むと決めた時、水回りがどうにも不便で、台所と風呂、それからトイレを改装した。だから水回りが集まるこの一角は古びた外観の雰囲気からは浮いている。  台所には、小さなテーブルと椅子が二脚。普段の飯はここで食う。  今日の朝飯は、白米と、じゃがいもの味噌汁。それに、近所のばあちゃんがくれた、漬物がたくさん。いつもの我が家の食卓だ。違うのは、膳がふたつあることだろうか。  ローは黙って飯を食うのに集中している。ひどい隈の浮かんだ顔だったが、その原因は、寝不足にあるのではないらしいということは、少ない付き合いの中でも心得ていた。それでも、出会った日に比べれば、人間らしい顔色に戻ってきているように見える。 「今日はタナカさんとこに電球変えに行ってくるな」  おれが言うと、ローは瞬きで返事をする。ここ数日の付き合いだが、ローは非常に無口に男だった。無愛想だし、顔も怖い。   だがそんな見た目の恐ろしさに反して、ローは常識的な人間らしかった。食事の前には、険しい顔のまま、いただきます、と手を合わせているし、食べ終わった 後は、おれの分の食器も一緒に洗ってくれる。朝が弱いのと、シャツの腕から覗くタトゥを除けば、ごく普通の人間だと思う。 「ローは、今日も海にいくのか?」  テーブルを片付けながら訊ねると、問題あるか?と短い返事。低い声で告げられたそれは、自分のことに立ち入られたくない、というよりも、純粋な疑問の色の方が濃かった。 「いや、ねェよ。気を付けてな」   片付けを終えたローの手に、ちいさな包みを持たせてやる。中身はおにぎりだ。ローは一旦出かけると、日が暮れるまで戻ってこない。それだけなら、問題はな いのだが、どうやら食に執着がないタイプらしく、ほっておくと飯を食わないのだ。そこで考え出したのがこの方法というわけ。  ローは毎日、海を見に行っている。おれが奴を拾ってから、一週間、飽きることなく毎日、家から20分ほど離れた浜辺に向かう。  面白いもんがあるのか?とそれとなく尋ねてみたが、返事は、別に、というそっけないものだった。だからおれは奴が一体なにを目的に海に向かうのかわからない。ただ、毎朝その背中を見送って、日が傾く頃におかえりと言って出迎えるだけだ。  今日も、ローは大人しくその包みを受け取ると、いつもとおなじように海に向かって出かけていくのだった。  タナカさん家の電球を変えるという、おれのほうの用事は10分ほどで済んだ。  電球をけるだけだ。そりゃあ、10分もあればことたりる。だが問題はそのあとだった。タナカのばあちゃんは、世間話が長いのだ。   午前中に戻ってくる予定が大幅に遅れ、結局 昼飯までごちそうになったおれの肩には、茶色い米袋が乗っている。お礼、といってタナカさんがくれものだ。元々この町の住人でなかったおれに、閉鎖的な町 の人たちは、最初こそ不信感を隠さなかった。でも、どこからか、しがない小説を書いて暮らしているという話が出回り、信用を勝ち取ったらしい。田舎町とは いえ、このご時世、ネットでなんでも手に入る時代だからな。作家先生、なんて呼ばれるのはむず痒くてごめんだが、知ってる人に自分の話を読んでもらうの は、不思議な嬉しさがあった。今では折に触れて小さい頼みごとをしては、お礼に、と言って食材を恵んでくれるようにまでなった。悪いから、と最初は断って いたのだが、次第に断りすぎるのも申し訳なくなり、最近では有難く頂いて帰る事にしている。自分一人が食いつなぐには十分な量だ。細い収入のおれには、有 難いばかりの話だった。  肩に乗った米袋を落さないように気を付けながら、片手で煙草に火をつけた。久々のニコチン。タナカさんのところでは遠慮していたのだ。ふかく息を吸い込むと、きゅうと血管が収縮する。とはいっても、感覚の問題だ。音がするわけじゃない。   川沿いにはソメイヨシノの並木道。少しずつ深まっていく秋の匂いに混じって、微かに桜の匂いがした。色気のない言い方をすると、桜餅みたいな香り。オレン ジ色の紅葉に混じって、深紅に色が変わっている葉が混じっている。もうすぐ木々は葉を落して、道いっぱいに錦色の絨毯を広げるだろう。  季節のう つろいが、はっきりと目に映る。この町に移り住んで良かったと思う事のひとつだ。この町にやってきた時は、前の暮らしから逃げてきたような後ろめたさが あったが、そんな気持ちはすぐに吹き飛んだ。なんてことはない風景のひとつひとつとじっくり付き合っていると、街に住んでいた時とは違う感覚が生まれてく る。もちろん不便なことも多いが、おれはここの暮らしを気に入っていた。  おれは煙草をふかしながら、気分よく家路をたどる。スキップでもしてみようかと思ったが、多分、ドジってすっ転ぶのが目に見えていたから、我慢した。  事件と言えない事件が起こったのは、晩飯の準備をしている最中だった。   炒め物用に用意していたキャベツを切ろうとしたところで、掌を切ってしまったのだ。深くはないが、掌を横断するようにぱっくりと皮膚が裂けている。傷口か らは少なくない量の血が流れていた。おれが慌てているのに気が付いたのだろう。その時には既に家に戻ってきていたローが台所を覗き込んだ。  シンクに滴っていく血を見てもローは焦る事もなく、救急箱は?と尋ねた。おれが電話台の上の棚を指さすと、緑色の箱を取り出しながら、心臓より上に手ェあげろ、と続けざまに言う 「なんか…慣れてんだな」  手当をされながらそう言うと、ローはあっさりとした調子で返事をした。 「ああ。医者だったからな」  予想しなかった答えに、濃い隈の浮いた顔をまじまじと見つめてしまう。  こんなに不健康そうな男が、医者だった?まさか、と言う前に、ローは手当を終えて、さっさと立ち上がる。 「そんな手じゃ、料理は出来ねェだろ」  そう言って、ローは台所に立つ。その背中がなんだか頼もしく見えて、おれはちょっと笑ってしまった。家族が居たら、こんな風じゃないかと思ったんだ。一週間前に拾った、見ず知らずの人間相手なのに、おかしな話だ。  おれの後を引き継いでローが用意してくれたのは、豚コマと野菜の炒めもの。あとは豆腐とわかめの味噌汁と白米。案外 手際よく調理していたから、一人暮らしが長かったのかもしれない。食ってみたら、味もなかなかのものだった。  ちょっと塩がききすぎている味噌汁に口をつけて、おれはローの顔を見つめた。   最初に見たときは、骸骨が生きているならこんな感じか、と思うほど、やつれた横顔をしていたが、随分 顔に生気が戻ってきている。この調子で回復してくれればいい。ここを出た後ローがどうするのかは、おれが立ち入っていい話でもないだろう。またどこかで行 き倒れるようなことにならないことを祈るばかりだ。 「あんた、ずっとここでひとりなのか」  食後の紅茶を、お約束通り噴き出したおれを呆れた目で一瞥してから、ローは唐突に言った。差し出されたティッシュを受け取りながら、まじまじとローの顔を見つめてしまう。こいつが自分から話を振ってくるなんてことは、この一週間でほとんどなかったからだ。 「そうだな、…もう6年になるか」 「この辺りの生まれなのか」  矢継ぎ早に質問が返ってくる。本当にめずらしいこともあったものだ。おれは灰皿に預けていた煙草を抓んで口に含む。煙をふう、と吐き出して、古い板張りの天井を見上げた。  煙の向こうで、ローはおれの様子をうかがっている。別にそんな神妙な顔をする必要はないと思うんだが。 「いや、生まれは首都だ。大昔の話なんで本当かどうかは知らねェが、おれの先祖はこの辺の地主だったらしい」  記憶をたどるように、宙に視線をやる。  穏やかな海を臨むこの土地に住んでいたらしいご先祖様たち。でも、何かのきっかけでこの土地を離れたらしい。時の権力者に疎まれたのか、はたまた別の理由か。なんにせよそういう所縁があって、この町に来ることを決めた。 「ここは元々、遠い親戚の家だったんだ。持ち主が亡くなって、後に住む人間もいないってんで、譲り受けたんだ。気楽な暮らしだよ。好きなことして、飯食って、寝る。そんだけだ」  短くなった煙草を灰皿に押し付けていると、ローはしばらく何かを思案しているふうだった。おれは冷たくなった紅茶をすする。今度は吹き出すことなく赤茶の液体を飲み込むことができた。 「…家族は」 「兄貴がひとりいるよ。いろいろあって、今は疎遠だけど」  そう返事をすると、ローはそうか、と言って押し黙った。伏せられる視線。濃い睫毛が生えた目元に影が落ちる。   そういえば、ローと家族の話をするのは初めてだった。真っ先に尋ねるべき内容だったんだろうが、いかんせん、状況が状況だ。ローになにか事情があることぐ らいは分かる。だからこいつが自分から話すまでは、踏み込まないでいようと思っていたのだ。でも、これはいい機会なのかもしれない。しばらくの葛藤の後、 おれはようやく発音した。 「ローは?家族だっているんだろ」  ローは一度おれの顔を見て、それから視線を伏せる。 「居ない」 「え?」 「家族は居ないんだ」  そう言って、一瞬、ローは顔を歪ませた。ほんの一瞬だけだから、見間違いかと思うほど、微かな変化だった。  その顔に過ったのは、負に向かう表情だ。だからおれはそれ以上を尋ねることができずに、黙ってしまう。勘当でもされたのか、他の理由なのか、ともかく、家族の話はタブーのようだ。 「それ、あんたの仕事なのか?」  一瞬の嵐のあとで、ロ���はいつもの通りの、不愛想な顔にもどっている。おれは内心安堵の息をついた。  話題を変えようとしたのか、ローが指差したのは棚の上に載っている紙の束。でかいクリップでとめたそれは、後で確認しようと思っておいていた原稿の束だった。 「ああ、そう。言わなかったか?売れねェ小説家をやってる」  ローの前に差し出してやると、指先が確かめるように表紙をなぞった。  けれど結局、その指は頁をめくることはない。代わりに、琥珀色の目がおれを真っ直ぐに見つめる。 「あるのか?」 「ん?」  主語のない質問に首を傾げると、今度は、琥珀色がその指先に視線を移す。  一瞬の躊躇のあと、ローはふたたび視線を上げて言った。 「あんたの、その、本」 つづく
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