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mninmt · 4 months
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ロブ=グリエの映画について
いつだったかヌーヴォー・ロマンについて冊子を作ろうと思っているという話を友人から持ち掛けられて、それならロブ=グリエの映画なら観ているからと紹介文を書いたのだが、残念ながらその件はなくなってしまったらしい。せっかく書いた文章なので載せたい。
『不滅の女』 "L'immortelle"(1963)
異国情緒溢れる音楽と叫び声から始まる、その時点で、なんだかこれからすごい映画が観られそうだ!と思わずにはいられない。メーキャップのはっきりとした、目力の強い女性(フランソワーズ・ブリヨン)が、まるで“死んでいる”かのように横たわっている。窓際でじっと外を眺める主人公(ジャック・ドニオル=ヴァルク)は終始、目に光がない。斜めの線が意識されたような完璧な構図と柱のように立っている人々。またその人々の視線を再現するようにゆっくりと横移動するカメラワーク。何度も同じようなシーンが差し込まれるように思えるが、すこしずつどこかが異なっている。ジャンプカットで物語はどんどん進んでいくが、時系列はめちゃくちゃで、今まで観ていたものはいったいなんだったんだろう…?と思わず頭を抱えてしまう。響く虫の鳴き声と、船のエンジンの連続音が不穏な雰囲気をかもしだす。“夢に見たトルコ”で起こしてしまった事故に憑りつかれ、妄想を続けるうちに、主人公は女性と自分を重ねてしまったようだ。終盤、窓にカメラが近づくシーンで、主人公の視線(主観)がはじめてカメラワークによってあらわされ、映画を観ている私たちも主人公と重なり、もうこの物語から引き返せなくなるのだ。
“夢に見たトルコ”…ボイスオーバー「夢に見たトルコで 異邦人のあなたはさまよう 偽の監獄や要塞に デタラメな物語 もう引き返せない 逃げようとしても偽の船しかない」
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『ヨーロッパ横断特急』 "Trans-Europ-Express"(1966)
題名の通り、ヨーロッパ横断特急に乗り込んだ一行は、同じく乗り込んでいたジャン=ルイ・トランティニャン(本人役)を主人公に、ノワールものの映画製作をしようと、脚本をレコーダーに録音している。あらすじはさておき(!)、こんな格好いい映画を作れるんなら、こういうのずっと作ってよ!と思ってしまうほどには、ロブ=グリエ節が他の作品より薄め(といっても拘束趣味は全開)である。前作の『不滅の女』の東方正教会やモスク、脚本した『去年マリエンバートで』での洋館のように、本作においてもそういった、ある種、荘厳なロケーションでのシーンはお得意であるものの、匿ってくれるギャルソン(ジェラール・パラプラ)の部屋の窓や、パリ東駅というロケーションは、少年らしさ(また少年たちの憧れる格好よさ)を感じられて楽しい。ラストのチャーミングさも必見。
以下余談ーー。
昔は一番つまんないよ~と思っていた作品であったものの今は一番面白いと思えて、当時ロブ=グリエの映画作品の物語の大半を、わけが分からないまま、だけれど映像のアバンギャルドさやエロティックな雰囲気を楽しんでいたものを改めて観て、しつこいくらいに趣味嗜好を提示され、こんなんばっかやな…と思っていた時に、本作はその"ロブ=グリエ節"が抑えられていて、より一層のこと面白く観たのだった。
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『嘘をつく男』 "L'homme qui ment"(1968)
同時期の日本には、勅使河原宏が阿部公房の小説を映画化したものがいくつかある。それらの音楽(ほぼ効果音といってもよい)は現代作曲家の武満徹が担当しており、非常に特徴的なものとなっているが、ロブ=グリエの作品の多くもミシェル・ファノという作曲家が担当していて、その音響効果が非常に絶大なものになっているという点で、勅使河原の作品たちを思い起こされた。また酒場のシーンで、客達がカメラ目線で次々と話す様子は、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を彷彿とさせ、常連の集まるただの酒場が裁判所にでもなったかのように、観ているこちらを緊張させる。そして女性をオブジェクトとしてしか扱わない、(ロブ=グリエの)大好きな目隠し遊びのシーンの長いこと長いこと…。
本作品は主人公(ジャン=ルイ・トランティニャン)の語りで映画が進んでいくので、他の作品よりも物語がわかりやすくはあるのだが、タイトル通り“噓をつく男”の語りであるので、わかったところで…という気持ちにはなってしまう。村の英雄ジャン・ロバン(Ivan Mistrík)の親友ボリス・ヴァリサだと彼は名乗るが、誰も信じちゃいないし、映画の途中でボリスの名の書かれた墓が写っていたり、知っているはずの医者に、初めましてと言ったりする始末。噓をつきながら多くを語るこの男が、結局のところ何者なのかはまったく明かされず、最初のシーンへ戻るこの無理矢理な円環構造に驚くだろう。
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『エデン、その後』 "L'Eden et après"(1971)
始まった瞬間から赤青白…とゴダールの『メイド・イン・USA』や、小津の『お早よう』のように、色彩による主張が眩しい。主人公のヴィオレット(カトリーヌ・ジュールダン)のファッションが絶妙で、白シャツに黒のセーター、プリーツのミニスカートは赤を選びたくなりそうなところを青に。それと黒のロングブーツを履きこなしており、非常に可愛く参考にしたいのだが、ペイズリーのサテンワンピースは、それで街歩くの!?とびっくりするくらい短い。下着の赤い色にも、この作品の色のこだわりを感じるほどだ。そして、ギャルソンでさえも迷いそうな、モンドリアンルックで、幾何学的な雰囲気のカフェ、エデン。ヴィオレットたち演劇サークルはここをたまり場にしており、センセーショナルだが、ほぼお遊びのような演技をして暇をつぶしている。もしこんなお洒落な(可笑しな)コンセプトのカフェがあるのなら(襖みたいに壁が稼働したり、鏡張りだったり)、絶対にくつろげる雰囲気ではないので、演劇を試みるにはもってこいの場所だろうから、たまり場になるのもわかる。中盤の巨大工場のシーンも含め、観ているうちに『エデン、その後』“ごっこ”がしたくなっていく(!)。
一体、どこからどこまでが彼らの妄想で、演劇の設定で、“幻覚”なのか“現実”なのか、果たして謎の男Duchemin(ピエール・ジマー)の生死は?作中の「エデンとその客達がそう見せかけているのか」という言葉通り、あれさっきみたような…というシーンやモチーフが回収されていきラストに繋がる、ミステリー/ドラッグ/トリップムービー!
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『快楽の漸進的横滑り』 "Glissements progressifs du plaisir"(1974)
快楽の漸進的横滑り(ぜんしんてきよこすべり)。いちばん口に出して言いたい邦題。当時はこの邦題の意味の分からなさと単語そのものが魅力的で、早く観たくて仕方がなかったものの、年代の古い順に観るくせがあり、わざと後回しに、5作品目でやっと観たとき、初っ端からロブ=グリエの大好きなモチーフたちがたたみかけられ、興奮したのを覚えている。今回改めて観ると、その露骨さには思わず笑ってしまった。“主題は割れた瓶”だという始末。他の作品にも再三使用されている、登場人物たちがカメラ目線で正面を向き、首を横に振ったのち、また正面を向くといったようなカットの他に、本作には手による表現も追加されており、その点は目新しさを感じるし、アーティスティックな画面作りには、よっ!真骨頂!と言いたくなるが、正直なところ、こんなのレズビアンもの好きの変態の妄想じゃん…!とうんざりしてしまうこともしばしば。神父(ジャン・マルタン)が気持ち悪すぎて泣けてくる。ミシェル・ロンズデール(判事)の十八番とも言える呻き声(あるいは叫び声)をあげる長回しや、みんな大好きジャン=ルイ・トランティニャン(刑事)のどんな役でもこなしている様子は見もの。“類似・繰り返し・置き換え・模倣”、とロブ=グリエの手法が抜群にきいた官能アート作品が観たい気分のときにおすすめしたい。
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『危険な戯れ』 "Le Jeu avec le feu"(1975)
美しい娘カロリナ(アニセー・アルヴィナ)との近親相姦的妄想を繰り広げながら語る父や、娼館に来る様々な客の役をこなすフィリップ・ノワレの気持ち悪さたるや…!娘のみた、いくつかの悪夢の中の一つである、太った男に身体を洗われる夢、もはや恐怖である。出演女優たちは惜しげもなく服を脱いでいくのだが、それぞれの身体すべてがマネキン人形のように(腰から脚にかけてのラインや胸の大きさなどが)似通っていて、ロブ=グリエは、フェリーニのそれとはまったく違った美学で女性を見ていることが感じられる。
女たちの名前の書かれた寝室のドアを開けるたびに繰り広げられる、異色なプレイの数々には思わずカロリナもあんぐり。アニセー・アルヴィナのあの口元の緩さ加減はそれとして魅力的である。コメディタッチなシーンも多く楽しいし、広い館のたくさんのドアをすべて開けてみせてくれる、ゲーム脳的思考の持ち主(RPGではアイテム入手のために、部屋という部屋すべてを確認しないと気が済まないたち)には嬉しい映画。
『囚われの美女』 "La Belle Captive"(1983)
ルネ・マグリットの同名作品『囚われの美女』を含む作品群に着想を得つつ、ロブ=グリエの好きなモチーフやテーマがたくさん組み込まれている本作品を観ていると、ロブ=グリエって本当にこういうの好きだね…!と思わざるを得ない。割れたガラスと赤い血(のような液体)や、拘束された女性が横たわる姿は必ずといっていいほど出てくる、もはやそれらを待ち望んでさえいる。
主人公のヴァルテル(ダニエル・メスギッシュ)が、聴く音楽といえば、シューベルトの『死と乙女』か“とらわれの女”だと言うのだが、劇中に流れている曲は弦楽四重奏曲第15番で、『死と乙女』と呼ばれている曲(弦楽四重奏曲第14番)とは異なるし、“とらわれの女”という曲も実在しない(弦楽四重奏曲第15番が“とらわれの女”と呼ばれているといった話も聞いたことがない)。また『囚われの女』といえばプルーストの『失われた時を求めて』の第5篇だが、これも劇中でプルーストの名前は出されるものの、この文学作品を映画化したというわけでもない。アケルマンにも『囚われの女』という作品(これはプルーストに関連する)があるが、この劇中でも、シューベルトの楽曲が使用される。こうして“囚われる”という言葉になんらかの様々な事柄を想起し、この物語にアプローチしていこうとする自分もロブ=グリエに“囚われ”てしまっていることには間違いない…。
毎度のことながら、ラストに向けて畳み掛けるように、幾重にもかさなった構造が明かされていくのだが、この題名の通り“囚われて”いるのは美女なのだろうか?とまたしても思考が止まらない。ロブ=グリエのフェティシズムに、心霊と夢と退廃的な世界観が足され、繰り返し挟み込まれる象徴的な映像にドキ!とさせられながら楽しめる作品だ。
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mninmt · 4 months
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2023年に観てよかった旧作映画の感想など
○洋画&邦画(順不同)
ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @新宿武蔵野館
ずっと苦手意識を持っていたファスビンダー。これを観る前にオゾンのリメイクを観たので、物語を追う必要がそこまでなく画に集中できたことによって、ファスビンダー作品の"凄み"みたいなのが感じ取れたのかもしれない。これまで男性同士の恋愛映画はいくらか観てきたが、女性同士の物語はというと、性愛を含まないシスターフッドが銘打たれていたり、女性たちをエンパワーメントするような作品は好んで観るものの、私自身に差別意識はないつもりでも、なんとなしに遠ざけてしまっていたのだろう。先にも書いたようにオゾンがリメイク版で主人公とその相手役も男性のキャラクターにしていたから、個人的に取っかかりやすくなったことは否定出来ないが、作品としては全くの別物であったし(オゾン版は大大大コメディ映画)ファスビンダーの作る画は、その映画の物語とは別のところでも魅力が発揮されていると思う。そして完膚なきまで室内劇であることに大興奮だった。
偽れる装い(1945)ジャック・ベッケル @シネマヴェーラ渋谷
自分で制作した洋服にこれまで関係をもってきた女たちの名前をつけていくような、変質的(だがカリスマ性のある)主人公が、アトリエの中をぐるぐると回るカメラワークとともに狂っていく様子が素晴らしい。(性愛による)狂いの先に死がある物語も大変好み。というのは建前で、別ジャンルの推しがパリに洋裁で留学しているという設定なので、パリで洋裁をするということに対してのディテールが深まり大変良かった、同担はみんなこの映画観て~!(オタク)
ショコラ(1988)クレール・ドニ @新文芸坐
とにかくクレール・ドニの映画にでてくる黒人男性はかっこよすぎる(昨年に挙げた『パリ、18区、夜』(1994)も同じく)という言葉に尽きるのだが、主人公の幼い頃の記憶として描かれていながら、危なげで、そして艶やかなところもある彼らを写す数々の場面に魅了された。暗い部屋に佇む人の存在の緊張感とその熱を感じられるのはドニの映画特有のものなんじゃないかと思う。
ラストエンペラー(1987)ベルナルド・ベルトルッチ @シネマ・ジャック&ベティ
満を持して観た…!ちゃんと大きめのスクリーンで…!名作すぎて多くを語りたくないのだけれど、マジで映画を観て眩暈がすることってあるんだなって。世界観に浸り、酔うことができて、いい映画体験だった。
赤線地帯(1956)溝口健二 @配信 / 流れる(1956)成瀬巳喜男 @配信
吉原の女たち。芸者の女たち。同時代に2人の監督が、一つ屋根の下で支え合って生きる女たちを異なる形で作品にしていることに純粋に驚いた。『赤線地帯』を観れば、京マチ子の演じる明るさや若尾文子の強かに生きる賢いキャラクターに力付けられる。『流れる』を観れば、田中絹代の表現するなんとも形容し難い表情や、山田五十鈴の薄幸な演技、その作品のまとう物哀しさに涙する。ここにあげていない他の女優たちの演技も素晴らしくて、それを演出する監督の作品ももっと観たい。けど、成瀬作品を見ると毎回夜も眠れないほど悲しい気持ちになるので、どうしたものか!
ラヴ・ストリームス(1983)ジョン・カサヴェテス @横浜シネマリン
いままでどうしてもカサヴェテスの映画をフィクションとして捉えられなかった。打ち出される邪悪な男性性を、あまりにもリアルに感じてしまい、まるでドキュメンタリーを観ているように、コメディだと思えないからだ。本作品は、いつも通りジーナ・ローランズの演技の素晴らしさはさることながら、これまでのわたしの観てきたカサヴェテス映画にはなかった、いい意味でふざけた演出(劇中オペラ)が、”この映画はフィクションである”と言ってくれたような気がしたのだ。カラックスの『アネット』(2021)を想起したのだけれど、この作品は関係しているのだろうか?激動する映画。
ママと娼婦(1973)ジャン・ユスターシュ @ヒュートラ渋谷
もうレオーといったらドワネル…というのは否めない、というかレオーもトリュフォーの映画じゃなくても、放浪青年役=ドワネルとして出演してるんじゃないの?とも感じてしまうくらいなのだけれど、それが嫌だとか、一辺倒でつまらないということはなく、バチバチにかっこいい映画。あらすじを簡単に言ってしまえば三角関係のお話(というかわたしの好きな映画はほとんどが痴情の縺れのお話)だが、主人公が居候している、タイトルでいうところのママの部屋が、レコードプレーヤーなどの色々なものが部屋の低いところに置いてあって(それも布団から寝ながら手を伸ばせるような位置に)、雑然としていて、とても綺麗だとは言えないが、その堕落した生活感のある部屋で起こっていることを登場人物の皆が皆、おおごとにみせていて、吸い込まれるように見入ってしまったし、別に、登場人物の誰にも感情移入はしなかったけれど、それぞれにとにかくこの三角関係をなんとかするんだという気概が台詞の端々に感じられて見応えのある映画だった。
ヘカテ デジタルリマスター版(1982)ダニエル・シュミット @配信
この映画を観たという人と話したときにどうでしたかと聞いたら、微妙な反応と共に「あんまり好きじゃないと思いますよ。」と言われ、"自分は好きだけどあなたには合わない"なのか、"自分は好きではなかった、ただそれだけ"だったのかはわからないけど、いつも"好きじゃないと思うよ"と言われると、勝手に決めんじゃねー!と思ってしまう質なので、帰って即座に観る。大抵それは外れていて(まあ関係の浅い人から言われることなんかそりゃそうなんだけれど)外交官が駐在先の灼熱の土地で出会った謎の女に狂わされるやつなんか好きにきまってんの!真っ白なスーツに、しっかり固めた髪の毛の、いかにも精悍な男が、服も髪の毛もどんどん乱れ薄汚くなっていく、汗でべたつく額と、必死に女を探すその表情が何とも馬鹿馬鹿しくて良い。姿を消してしまった人がいるであろう思いつく限りの場所を探して回る、やっとのことで見つけても、その相手にはぞんざいに扱われ、また苦しめられる…最初からやめとけって忠告されてたのにね。
利休(1989)勅使河原宏 @配信
利休と豊臣秀吉、三國連太郎と山崎努の、静と動の相対する演技。山口小夜子の出ている映画を観て(伴睦人『杳子』@国立映画アーカイブ)、他の出演作品はも観たいなと思った、きっかけはただそれだったためそこまで期待はしていなかったが非常に面白く観た(まあ勅使河原作品は元々好きなんだけどね)。学生時代、日本史なんか全然勉強してなかったから(他の科目も特段勉強したわけではないが)時代劇(や大河ドラマ)を観てて、たくさん人達や合戦にポカーンとしてしまうことが多いのだけれど、この作品は二人の張りつめた関係性、空気感が丁寧に、冗長することなく描かれていて集中して観れた。時代劇のやんごとなき人の出てくるシーンや描写が好きだ。今年は母に連れられて大友啓史『レジェンド&バタフライ』(織田信長)、北野武『首』(豊臣秀吉)も観て、図らずも安土桃山時代に…(?)
レースを編む女(1977)クロード・ゴレッタ @アテネ・フランセ文化センター
ヴァカンス先での出会いはもういっそのこと割り切って、ひと夏の恋として終わらせるに限る!(エリック・ロメール信奉者)ふたりがまた会えるかもしれないという淡くロマンティックな気持ちを抱きながら、ぐるぐるとお互いを探すシークエンスがとても長く感じ、このあと幸せな展開にはならないだろうなと、なんとなくうっすらと気付いてしまったわたしは、ふたりが再会できたとき、とても悲しくなってしまった。フランソワは自身のコミュニティの範囲で様々なところへポムを連れていくけれど、その行く先々でのポムの馴染めなさ。ポム自身はその場をありのままに楽しんでいるのにも関わらず、フランソワはその馴染めていない様子に居心地の悪さを感じ、またその居心地の悪そうなフランソワをみてポムの居心地も悪くなっていく。しまいには、君は大学に行くことには興味はないか?と聞き出すしまつ。おめ~が惹かれたポムという人間をなんもわかっちゃいね~!君は勉学に励めるような環境で育ったかもしれないけど、ポムはそうじゃない。そうじゃないから、手に職をつけるために(または、あなたと一緒にいるために)今自分にできることを精一杯頑張っているんですけど…!?運命の人かもしれないと勝手に期待したのはそっちなのにね、なんか違かったとか言っていろんな理由つけて離れていくんだ。ポムにうんざりしてもう別れたいと言うフランソワをみる友人たちの目も痛い。心の壊れてしまったポムを見舞いにきた(見舞いくるなよ)フランソワのセリフの端々から滲み出る、まだ自分のことを思ってくれているかという確認の浅はかさ。ダセーからやめな~!
不安は魂を食いつくす/不安と魂(1974)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @横浜シネマリン
『苦い涙』以降すっかりファスビンダーへの苦手意識が払拭され、半ば楽しみにしていた気持ちを裏切られることなく、なんて美しく純粋な物語なんだろうと思った。ふたりが一緒にいることの意味、お互いを愛する気持ちと、取り囲む人々からの見る目との齟齬が大きくなり、どれだけふたりが幸せだと感じていても不安が募り精神/身体を蝕んでいく様子が濃密に明示される。このあとに本作品の下敷きとなったダグラス・サークの『天はすべてを許し給う/天が許し給うすべて』(@早稲田松竹)を観たとき、ファスビンダーのこの完成されたメロドラマをあそこまで自分のものにし、昇華させたのかと思わず比較して再度感動してしまった。
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mninmt · 11 months
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mninmt · 11 months
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mninmt · 1 year
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2022年に観てよかった映画の感想など○旧作 洋画(順不同)
シモーヌ・バルベス、あるいは淑徳(1980)マリー=クロード・トレユ @配信+ジャック&ベティ
今年の初めに配信と、秋に劇場で計2回観た。なんか文句ある?って感じでずっと良い。ドアの開け閉めの音と、館内音楽なのか、劇中音楽なのか、いい具合にわからなくて、人物も狭いロビーを歩き回るので、目が回る。引き込まれていく。それにしても、ウサギの話するおじさん、ウサギそっくりすぎでは?「禿山の一夜」の謎ロックアレンジが素っ頓狂。そしてフェミニスト・ロックンロール、最高にイケてた。ナンパおじさんがフォーレの「トスカーナのセレナーデ」で涙するの絶妙に気持ち悪いし、だんだん顔色が悪くなっていくその肌の色が生魚みたいでこれも気持ち悪くて面白い。わたしをナンパしたのが運の尽きだよって具合にエグい話をかましたものの、最後は優しくしてあげてて偉いよね。自分を守るために女らしくしないのよ〜。最後のシーンは何回でも観たい。
エヴァの匂い(1962)ジョセフ・ロージー @配信
ジャンヌ・モローの、魔性の女そしてどこか影があるような…そんな感じの演技が大好き。そういう役どころのモローは、ドゥミの「天使の入江」、ブニュエルの「小間使いの日記」、他にもたくさんあるけれど、とにかくモローが好きなので全部好き。今年は「エヴァの匂い」のモローが、LINEのアイコンにしちゃうくらい最高だった。
ジャック・ドゥミの少年期(1991)アニエス・ヴァルダ @配信
とにかくヴァルダのおおきなおおきな愛。「ドキュモントゥール」を観た後に(これは残念ながら寝てしまったので、ほぼ観たとは言えないが… @ジャック&ベティ)レクチャーを聞いて、なるほど…ということもあったが、まあそれにつけてもおおきな愛故ですよね。ドゥミの身体(顔の細かいパーツ)、ひいては愛する人の輪郭をズームして撮る手法(?)はヴァルダならではなんじゃあないかなと思ったりする。
冬の旅(1985)アニエス・ヴァルダ @国立映画アーカイブ
先述のように、ヴァルダの作品を観たとき、いつも愛情に溢れていて、あったかいような気持ちになることが多い。けれど、この作品はモナ(サンドリーヌ・ボネール)のかかえている恐怖と緊張感の描写が鮮烈で、最後の最後まで幸せには終われない物語に、観終わった後強いやるせなさを感じた。ただ、端的に不幸な物語だとは言い切れないほどモナが強く、潔いほど自由で(だからこその恐怖と緊張ではあるが)、すがすがしくも思えた。
《ジャンヌ・ディエルマン》をめぐって(1975)サミー・フレイ @ジャック&ベティ
アケルマンの「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン」はベストムービーのひとつなので、このドキュメンタリーも非常に楽しく観た。セイリグがインタビューをされるシーンで、何故フェミニストになったかという問いに対し、長い話になるけれど、と前置きをし、ぽつりぽつりと言葉を選びながらも、“女性はみんなフェミニストである。そうでなければ死ぬしかないでしょう。”と言う。その返答に頭の中はずっと、Oui! C’est ça! Exactement!って感じだった。笑 わたしはフェミニストであるということが理由で、色々な人たちと、それにまつわる議題についての喧嘩をした経験が何度もあるが、このセイリグの言葉には100%同意する。ただ、ここでわたしがフェミニストであると言うことを、”強い”意見に捉えてほしくなくて、なぜなら、少しでも、女性の活躍を応援したり、身近な女性たち(また自分自身)の受けてきた酷いセクハラ被害に強い怒りを覚えたり、過去の偉大な功績である、女性の参政権のために働いた人たちを讃えられるなら、特段、フェミニストとしてなにか"活動"をしていなくてもフェミニストと名乗っていい、というか名乗る必要があると考えているから。まずはそうしないと何も変わらないと考えているから。
たぶん悪魔が(1977)ロベール・ブレッソン @ジャック&ベティ
ブレッソンの映画は、めちゃ良かった!と思うのと、眠いわ!というのがちょうど半分ずつある。これは超良かった、主人公(アントワーヌ・モニエ)がイケメンだったから!浮気相手の女の子(レティシア・カルカノ)の、ラベンダー色?群青色?のキャミソール、その着こなしが可愛くって、物語も面白く観たけれど(正直自分には絶望だったり、希死念慮だったりとか、自身の”死”について意識が向いていないために、この物語や主人公の気持ちに寄り添うような気持ちは湧かなかったので)、それというより、俳優たちとファッションの色彩感が好きだった。
北の橋(1981)ジャック・リヴェット @ヒュートラ渋谷
全体的にずっと”変”で面白い。正直おかしすぎるので、観ている間ずっと頭の中で は?やばすぎる~笑 って感じだった。極めつきには、謎の怪獣(あれはおおきな滑り台のように見えたがわざわざこの映画のために作ったのか、どこかの公園にある遊具なのか?)が出てきて、口から炎を吐き出すものだから、思わずツッコミを入れたくなる。しかも思っているよりすごい量でる!めちゃくちゃあつそう。主人公(ビュル・オジエ)でさえも、台詞で「イカれてる…!」的なことを言うのでウケちゃう。わけがわからなすぎて途中気絶しそうになったけど(とくになんか汚い小屋の2階で謎の繊維状のものにぐるぐる捕らわれている辺りはなんだったんだあれ)、最後の最後でKARATEの型の指導がはじまったりするのが最高すぎた。とにかく楽しそうで。ステヴナンおじさん良い~!
囚われの女(2000)シャンタル・アケルマン @ヒュートラ渋谷
なんてったって、ラフマニノフの交響詩「死の島」との親和性よ…。最初から最後まで何度もしつこいほど流れるが、それがめちゃくちゃかっこいい。ラストシーンで主人公(スタニスラル・メラール)が、ずぶ濡れで船に乗って戻ってくる様子は、アルノルト・ベックリンの絵画「死の島」そのものだった。アケルマンの映画の選曲センス、絶妙。
プレイタイム(1967)ジャック・タチ @配信
今年はじめてタチの作品を、まずは「ぼくの伯父さんの休暇」から観てみたのが、ちりばれられたユーモアにクスッと笑えても、どうしてもユロ氏が好きになれず(…)タチはわたしは合わないのかもしれない…と悲しく思っていたのだけれど(センスのいい人が好きだといいがちなので)、「プレイタイム」は、洗練された画、また俯瞰して見ているようなショット、パリのモダンなデザインが目に焼き付いている。ユロ氏がソファに座るたびに鳴る、ある種の効果音が忘れられない。MOTでやっていたジャン・プルーヴェ展で、オフィスデスク、チェアが展示されているところがあって、そこではおもわず「プレイタイム」の新製品展示会のオフィス家具のシーンを想起した。
こわれゆく女(1974)ジョン・カサヴェテス @配信
本当~に最低最悪!大きい声を出さないで!相手の顔の目の前で何度も手を叩くなんて酷すぎるー!と、他のカサヴェテスの作品を見ても毎度毎度ほんと無理…と思ってしまうが、めちゃくちゃ面白い。悔しい。苦しい。カサヴェテスが好きだという人は、映画にでてくる男たちをどういう目線で見ているのだろう?とんでもないやつらばっかり出てくるんだもん。
冬の子供(1988)オリヴィエ・アサイヤス @新文芸坐
思い人の家に不法侵入する映画は良い映画!なんてことを考えているので(これはほぼウォン・カーウァイの「恋する惑星」が好きすぎるが故)、結構好きな話だった。映画が全体的に寒色で、その上女性たちの口紅の銅色が際立っていたのが印象的。あとは、涙をほんとうに綺麗に流すので、わたしもあんな風に涙を流してみたいものだ…と思うなどした。
パリ、18区、夜(1944)クレール・ドゥニ @ジャック&ベティ
主人公カミーユ(リシャール・クルセ)の、仕事先のナイトクラブでのダンスシーン、音楽、そしてある種の官能的な目線あるいは好奇な目線を感じられるカメラワークがあまりにも良く涙が出てしまった!暗い画のシーンが多いので、また映画館でかかる機会があったらもう一度観に行きたい。
ゴダールのマリア(1984)アンヌ=マリー・ミエヴィル/ジャン=リュック・ゴダール @Stranger
ミエヴィル「マリアの本」は、両親の夫婦関係のうまくいかなさの中で窮屈に過ごすマリー(マノン・アンデルセン)の不安定さ、そしてそのストレスの発散の表現が圧倒的だった。マーラーの交響曲9番。ゴダールの方は、ゴダールのこの年代の作品をちゃんと起きて観れた試しがないんだけれども(…笑)、これは比較的に面白く観た。ミリアム・ルーセルのお顔がかわいすぎる。もう他の出演作で観れるやつ観ちゃった。
パリところどころ(1965) @Bunkamura
今年色々なところで1回だけやる、みたいなのが多くて見逃してきたけど、やっと観れた。好きに決まってらあ!というに尽きるのだけれど、観てるとき、ふと、フランス映画の何が(どこが)好きって食事のシーンがたまらなく好きなんだということに気がついた。気怠げにゆで卵をスプーンで割り、大きなお茶碗でコーヒーを飲む朝。チーズや千切られたパン、果物がお皿に散らかっていて、ワインを飲みながらああでもないこうでもないと語り合うアペリティフの時間。メインディッシュで食べるステーキ、そんなちっちゃく切るの?とかスープをスプーンですくって口元に何度も持っていく連続性。等々(他の映画を思い浮かべてしまっている)。全話、面白く皮肉に満ちていて、特にゴダールの「モンパルナスとルヴァロワ」 はもうとにかくやれやれ…というか全体的に最悪で最高なんだけど、男が二人とも違う分野で鉄材を扱ってるってのが個人的にはめちゃくちゃ面白ポイントだった。
エドワード・ヤンの恋愛時代(1994)エドワード・ヤン @TIFF(シネスイッチ銀座)
(心の中で)唸るほど画(構図)がよくて、登場人物2人ずつがフレームの中で永遠に掛け合いをしており、ほんとこういう会話劇って大好きで、もう感無量だった。出てくる登場人物みんなが良くも悪くもステレオタイプで、その性格、人となり どおりのファッションで、非常に面白く観た。映画の感想と関係ないけど、映画祭の雰囲気が良くて、ケラケラ笑って観れたのもすごく良い思い出で、みんなでよかったね〜って言いながら会場を後にする感じってすごく幸せだなあと思うなどした。
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mninmt · 1 year
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2022年に観てよかった映画の感想など○旧作 邦画(順不同)
乳房よ永遠なれ(1955)田中絹代 @配信
新聞記者 大月(葉山良二)の目に映る、ふみ子(月丘夢路)が美しすぎる。特に病室に“やっと”入れたときのシーンが印象的。美しさが輝いてた。抱いてほしくて胸が痛くなった。後半、観ていて頭の中ずっと早くキスして…って感じだった。おでこじゃ嫌、けどそれが優しくてまた苦しい。ふみ子が「抱いて」と言ったときボロボロ泣いてしまった。
他人の顔(1966)勅使河原宏 @シネマヴェーラ
武満徹が音楽を担当した映画という特集にて。激アツだった、もう少し通えばよかったと後悔している…。病室/手術室のセット、あまりにも謎でかっこよすぎるだろう。医者(平幹二朗)が看護師(岸田今日子)とどうやら不倫関係にあることは話の本筋と関係はないけれど、それの表現がなんともいえず良い。ビヤホールのシーンで武満が客として写っていたりするのがキュート!
砂の女(1964)勅使河原宏 @シネマヴェーラ
“砂”ってこんなにも怖くて、それでも引き込まれてしまう魅力のある物質なんだ、と思った。レネの「二十四時間の情事」を連想して、なぜかと思ったらどちらも主人公が岡田英次でした。でも主人公が女(岸田今日子)の家で一晩明かして目が覚めてうつる、その女の砂にまみれた肌の質感と、先の映画の、一瞬何が映っているのかわからないがしばらくすると情事だとわかるあのシーンの質感はすごく似ていると思った。それにしても岸田今日子が妖艶。諦めている、けどそれでもここでやっていくしかない、だから全て仕方のないことだ、みたいな全部を含んだ喋り方と表情と、忘れられない。
きらきらひかる(1992)松岡錠司 @国立映画アーカイブ
トヨエツかっこよすぎるっ…。もちろん主人公の薬師丸ひろ子も超可愛い、酒に酔ってリビングで(が)めちゃくちゃになっていくシーンが好き。笑子が誰に対しても、つっけんどんな感じが良い、だから睦月もこの人なら、ってなったんだろう。"おもしれー女"的な感じともまた違うけれど、それと似ている気がしている。原作未読だし、観てから原作小説なんだ…とか思ったくらいなにも知らない状態だったけど、めちゃくちゃ良かった。
avec mon mari アベック モン マリ(1999)大谷健太郎 @国立映画アーカイブ
タモツ(小林宏史)みたいな男が好きすぎるのですが、どうしたらいいですか?お伺いを立てる系の男性。フランス映画の食事シーンが好きなのだけれど、中崎(大杉漣)のアトリエでの食事シーンも同じものを感じてすごく好き。あと大杉漣のぶりっ子が見れて良い。みんな原色の洋服を着ていて、全員の思いが交錯しているのも、ロメールの「友だちの恋人」みたいで良い。会話劇だ〜いすき。恋愛の映画、または登場人物の言動に対しての"わかる""わからない"でその映画の良し悪しをあまり語りたくないのだが、こういった会話劇系ラブコメ映画(?)に出てくる女性全員(!)の気持ちに寄り添えてしまうので、”全然わからなかったから、わたしには合わない!”ってことがないのだろう。濱口竜介の「偶然と想像」を観たとき、3つの短編それぞれ、それこそ三者三様の女性たちが出てきたけれど、全部の話に自分の気持ちが乗っかってしまって号泣したくらいなので…。
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