Tumgik
masao-ohba · 4 years
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2020年、6月、東京。
 いよいよオリンピック開幕まで50日を切った。連日、テレビのニュースやワイドショーはその話題で持ちきりで、今朝も金メダルを狙うブラジルサッカー代表が遠野のカッパ淵を訪れたことが報道された。ワイドショーなども、お決まりの各競技の見どころや各スポーツのOBをゲストに招いて日本のメダルの可能性について議論していた。
 「国民的」と言う言葉が廃れて久しく思っていたが、一億総「躁」状態である。観光業や宿泊、飲食でのインバウンドの増加もあって東証株価も連日高値を更新。昨秋の消費増税による景気の減退も、年明けから徐々に回復。政府や財務省の思惑通りとなった。未だにオリンピック自体に批判的な声もあるものの、かき消され最早風前の灯火である。それよりも、オリンピック後の景気後退について、早くも話になっている。
 マラソンの件であれ程IOCなどと火花を散らしていた小池都知事も、入梅前からの暑さに、都独自の観戦熱中症予防対策を発表。都としての存在感を打ち出すのに躍起だ。
 職場での話題は、専らどの競技を観戦するかという事で、観戦当日が有給扱いになるのか上司と相談している。働き方改革も相まって、今回かなり認められそうな雰囲気ではある。
 自分はチケット取らなかったけど、少し後悔してる。スタジアムや会場で、知らない人とでも一緒にワーキャー叫ぶのはやっぱり何物にも変えがたいから。それでもTVで色々見れて楽しみだなぁ…と、少し湿気を帯びた6月の夜風に吹かれながらボンヤリ思った。
 
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masao-ohba · 8 years
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そこに愛はあるのかい?
この間、ほんとうに怒ってしまった。怒髪天を衝くとは正にこの事…その理由は「僕(の人生)に対して余りにもリスペクト(=敬意)が欠けている」と思ったからだった。 正直、最近付き合ったりとか、結婚って話にかなりナーバスになっている。ただそんな事情は、他人には預かり知らぬ事ではある。まあ、人同士のコミュニケーションなんてそんなもんだろうし。だから、別に話題になっても構わないんだけど… しかし、こないだのは大いに問題ありだ!まあ、言われるのは構わない。しかし、ハナから「ネタにしてやろう」って感じで、それでもって場を盛り上げようとしてるのがミエミエだったしね。そこにリスペクトがないように思われた。その話題に対してネタの当事者がどんな思いを抱いてるのか全く勘案せず面白おかしく話されてるのをハタで聞いてて自分(ととある女性)の人生に土足で入り込まれたようで凄く厭な気分だった。 似たような話は直後にF先生にも言われた。だけど全く厭な気分にはならなかった。だってそこには相手に対する敬意ってものが感じられたからさ。それなら豊かに笑えると思った。 やはり人間、コトバに出す時にはそこに人として相手を真に想う気持ちがなければならない。硬くいうと、ポリティカル・コレクトネスがなければならない。それが無いとしたら、コトバは単なる記号にしか過ぎなくなる。上っ面な耳当たりの良い多くのコトバと愛想が良い事が、「コミュニケーション能力」ではないと思う。 大事なのは、あんちゃんじゃないけど「そこに愛はあるのかい?」ってこと。 仮に、異性と付き合ったり結婚している事が人間本来のあるべき姿で正しい事だとしたら、それから漏れるひとたちは、負け組なんだろうか?無価値なんだろうか? 世間一般に「普通」な人とそうで無い人との人生に貴賎なんてあるんだろうか? 人は等しく様々なものを抱えながら生きている。総理大臣だろうがテロリストだろうが医者だろうが風俗嬢だろうが。 伊集院静曰く、「人はそれぞれ事情を抱え、平然と生きている」。 だから、他者に想像力を働かせる事なく、僅かな一面だけで以ってバッサリ切り捨てる人を見ると、狭い世界で生きてんなと思う。お目出度い人なんだなと思う。と同時に、おまえの人生がどんだけ偉いんだよとも思う。 一度口に出したコトバは記憶に残る限り、消える事はない。ずっと残ってしまう。たった一言のコトバが人の心に灯りをともしたりもするし、逆に奈落の底へ突き落としたりもする。コトバは力だ。それだけに扱い方には注意を要する、車の運転と同じように。下手をしたら、人をも殺しかねない。 我々はコトバを業にしている以上コトバの大切さを認識すべきだし、また和敬清寂を旨とする業界に関わるならば相手を慮るのは当然の事のように思える。 だからこそ、今回の件はただひたすらに残念でしかならない。 高邁な理想を掲げたトコロで、「そんなん理想と現実はちゃうやろ」と思う向きもあるかもしれない。ただ、それを目指さなければ人ではなく、獣と何ら変わらなくなる。 かつて、パンクロッカー、ジョー・ストラマーは云った「“月に手をのばせ”っていうのが俺の信条なんだ。たとえ届かなくてもね。そのほうがよっぽどマシだよ」と… *「笑い」は相手の存在を肯定する事で生まれるれっきとしたコミュニケーションです。僕はそれが解らない人の事を「この田舎者!」と切り捨てますがね(^_^) 2013年2月12日記
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masao-ohba · 8 years
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ファンタジスタは永遠に。
【ラグビートップリーグ2013-14 SS第7節】 サントリー:22ーヤマハ:19 それは、何ともほろ苦い、切ない幕切れだった。サントリー監督を辞してヤマハ監督に就任して三年、限られた資源の中で着実に結果を残してきた清宮克幸にとってプレーオフ進出もかかる負けられない試合だった。 試合開始からヤマハは相手陣に入っても、ペナルティからの五郎丸のPGという得点源を封印した結果、同点になったときには75分も経過していた。同点のまま80分になりホーンも鳴り、あとはプレーが切れたら終了の場面、敵陣深く攻め込んでSO曽我部が選択したのはガラガラの逆サイドへのキックパスだった。結果、ボールは相手に渡りそれが元でPGで3点上乗せされ敗北を喫する事となる。 わかり易い戦犯は明らかに曽我部だった。時間とエリア、状況判断をすると選択肢はただ一つ、パスのみ。しかし、彼が選んだのはギャンブルとも言えるキックパスだった。 啓光学園〜早稲田〜サントリーとファンタジスタ系司令塔として日の当たる場所を歩んできた彼はサントリー入部二年目、ピッチから遠のいていった。スタメンに定着する事なく五年経ったのち、会社から引退を勧告され一サラリーマンとして生きようと決心して御礼の電話をかけたところ、そのココロを翻意させたのは大学・社会人の恩師、清宮その人だった。 ここ数戦リザーブにも名を連ねていなかった曽我部を古巣のサントリー戦のリザーブに指名したのは清宮なりの心意気でもあったに違いない。 試合後、清宮は「プレーの選択に関して言えば、あの場面はパスを選択すべきです。ただ、プレーヤーに関して言えば、ああいうこともして、自分でラインブレイクもして、アシストもして、というのが曽我部。トータルに『曽我部のプレー』をしたと思います」 サントリー監督時代、曽我部を使わなくなったのは清宮であったし、引退に追いやられそうになった曽我部に手を差し伸べたのもヤマハ監督になった清宮だった。 曽我部の特徴は攻撃時での、高いスキルに裏打ちされた閃きに満ちたプレーだ。それは良くも悪くも言えることで、人によっては軽いと評するに違いない。その事がもっと将来を嘱望された彼のキャリアを阻害したのは想像に難くない。 試合後のコメントを読む限り、非難する事なくプレーヤーとしての曽我部を理解し信頼した様子が伺える。プレーとしては実に曽我部らしいものだったけど、そんな結果も想定の範囲内とでもいったコメントっぷりだった。 ホントはキックパスが成功してはしゃぐ曽我部と歓喜するヤマハフィフティーンが見れたら素敵だったんだけど。 人を信頼して使い続ける技倆と心意気はそう簡単な事ではない。
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