Tumgik
maffielog · 6 months
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Lost Dairy 2018/?
大学の夏休みだった。私は東京芸大の音楽環境創造学科の受験に落ちて、名古屋にある芸術大学に進学してから、学校の近くにある寮で一人暮らしをしていた。東京に戻る必要も特に感じていなかったが、夏休みになると親に実家に戻るように言われ、東京の実家に深夜バスで帰ってからというもの、自分の部屋で毎日本を読んだり、犬と遊んだり、妹と話したり、古い友人に会ったりといった日々を過ごしていた。
その日、空はセピア色に染まっていて、私は渋谷のLOFTの中にあるカフェで独りコーヒーを飲んでいた。店内にはバッハの無伴奏チェロ組曲のどれかが流れていた。私はずっと、物語のことを考えていた。大学に進学してからの半年は、まるで宇宙空間に独り放り出されたようで、ほとんど無限に等しい孤独な時間だった。知らない土地、不安要素しかない大学生活、いとも簡単に清算される浅薄な人間関係...けれども、フィクションの中では寂しさを意識せずにいれた。授業以外では部屋でライトノベルやアニメばかり見ていたように思う。実家に戻ってからも、小説やライトノベルの登場人物のことばかり考えていて、心は常にここではないどこか別の世界にリンクしてしまっていた。自分の将来のことなんてまるで考えていなかった。
けれども、そんな生活もいつかは終わってしまう。ライトノベルもアニメも、そんなに長くは楽しめないだろう。だとしたらその先はどうなるんだ...?想像しただけでもゾッとした。何か行動を起こさなくてはならない。東京に、やはり戻ったほうがいいのかもしれない、と思った。
その年の秋、僕は大学に行かなくなった。横浜に住んでいる姉を説得して、渋谷にある美術の学校に通うことになった。
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maffielog · 7 months
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徒然に書く文 2023/10/11
はっきり言って特に書くことがないが、書かなければ何も記録に残らないだろうから、書く。
このところ音楽しか聴いてないような気がする。音楽から離れて、もっと小説を読んだり映画を見たりしたい、と思っているのに。最近は篠崎こころ主演のノイズという映画を見て、それっきりだ。映画を見るなら新宿に行かなくてはならない。K's Cinemaでは今何をやっているだろうか。渋谷のUPLINKは知らぬ間になくなってしまった。小説を読むにはまとまった時間が必要だが、そういう時間を取れる予定がない。
つい最近はCorneliusのsensousを聴いた。それからエスペラントの頃の坂本龍一、イギリスのバンドのMandy Indianaも聴いた。自分は音楽を聴くときに、ダンス、実験、ポップアイコン=アイドルと大体三項に分類して聴いている気がする。今の私には推しというかアイドルがいないから、必然的に音楽の聴取はダンスミュージックと実験音楽の二項に制限される。今年はエイフェックスツイン、クラーク、ジェイムズブレイクなど電子音楽では著名なプロデューサーによる新作リリースが相次いでいて興味深い。
明日のために、サンプラーの設定と、作曲のアイディアを練る。ベース用のエフェクターを通販で買う。就寝。
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maffielog · 8 months
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Lost Diary 2015/?
街一帯があま雲を透過した光で淡く発光していた。このような日には決まって家でじっとしていることが出来ずに、一人で街に出て行くのが常だった。だから、思い出にある街の景色はいつも灰色だ。この日は、特にどこへ行こう、という目的もなく新宿を歩いていた。新宿のどこに何があるのか、自分の足で確かめていたのかもしれない。駅前や繁華街から遠くを歩いていて、並木もない通りに枯葉舞うこともなく、10月の街にはただ、通り過ぎる雑多な物の乾いた残響が鳴り響いていた。
高校を休学していた。あまりにも自由で放任主義な校風のアートスクールで、学校で何をすべきか自分で決める必要があったが、何も決められず、焦燥感を持て余した挙句に精神が壊れ、そのまま休学することになってしまった。魂の抜け殻のようになった体を引きずって一人街を歩いていても、この先どこへ向かうべきかわからない。社会人になって、ここへ戻ってくるという想像ができない。知らないことばかりだ。人はどうやって大人になるのだろうか。自分が今こうしている間も、同じくらいの年頃の人間は恋愛に勉強にスポーツ、趣味に明け暮れているんであろうか...早く学校に戻らなくてはならないと思いつつも、向かう方角への一歩を踏み出せないままだった。吹き来る風は、僕を責め立てるようだった。
ふと携帯を見ると、失踪したことになっている先輩から着信があった。
「元気?急だけどミーティングをやるから、学校の屋上に来れないかな?19時まではいる予定だから気が向いたら来て」
三件の着信とそんなメッセージの履歴がスマートフォンに表示されている。
先輩とは映画研究部で知り合った。その部活は映画を一切研究しない代わりにジャズバンドをやっていた。ジャズと映画は歴史的に深い関係があり、特に1950年代フランスのフィルム・ノワールでは...とかなんとか先輩が生徒会相手に長々しい講釈を垂れて無理やりバンド活動を認めさせたらしい。
先輩はトランペット吹きで、翻訳家を目指してイギリスと日本を行ったり来たりしていた。長い鳶色の髪を、ブレイズとツインテールを組み合わせて独特に結っていた。普段は古典的なものを読んだり聞いたりしていたようだが、最新のテクノロジーにもよく興味を示していた。よく一人で彫刻室に入って彫刻を作っていて、間に合わせの材料を集めて訳のわからないキメラに加工することを好んだ。「新宿のダダイストって呼ばれるのが夢なの」と、いつだったかの部室で冗談めかして語っていた。授業をサボってビジネス書や現代詩の本を読み漁っている僕と先輩とに、学校生活上の接点があるはずもなかった。映画研だと思って入部したジャズ研に入るまでは...
映画研には、通学路にある北欧家具の店を改装した喫茶店で働いている女の子(彼女は映画研の2年生だった)に誘われて入部した。自分は自主制作映画に対する情熱はなかったが、別に興味がないわけではなかったし、何より女に縁のない日陰者の男子高校生の僕に、そのような誘いを断れるはずもなかった。
「君、楽器は何を弾ける?」
入部の際の面談で、開口一番に先輩に聞かれた質問だった。
「あの、映画研って聞いたんですけど...」
「いいから。質問に答えなさい」
「ピアノなら昔少し習ってましたけど、上手く弾けなくて...」
「じゃあ決まりね。君はうちのバンドでオルガン弾きなさい。以上」
そんなわけで(?)僕は先輩たちのジャズバンドでオルガンを弾くことになった。小さい頃の僕は厳しい音楽家の母親にピアノを叩き込まれたが、しばらくすると思い通りに弾けなくなって辞めていたのに、先輩たちと簡単なコード進行を決めて即興していると、不思議なことに急に弾けるようになっていた。我々の部活は、一応映画研究部という建前を維持するため、文化祭では映画上映と一緒にバンド演奏をすることになっていた。先輩が失踪したのは、安部公房原作の自主制作映画を制作していたその渦中でのことだった。
to be continue...
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maffielog · 9 months
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LIFE FILE RANDAMIZED
2022年の夏。
僕の周りでは、訳のわからない事ばかりが立て続けに起きていた。僕は何も出来なかった。この世界で、今度もまた完璧に無意味だった。
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遠ざかるほどに、もっと近づきたいという衝動が増幅する。これは個人的な感傷の類ではない、化学反応的な心理現象である。ホワイトノイズの壁の向こうに何かを見ようとする、それはノイズにかき消された音像の元の姿か、それとも私が見たことのない、誰かの過去の姿なのか…?
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2018年。その年の春、僕は芸大の受験に失敗した。
心配性の祖父を安心させる為に電話で、これからは大学の力は借りずに独りで勉強するつもりだと言った。祖父は心底不安そうにしていた。
その当時は、意味ではなく形態としての文字と、音響的構造を結びつけるような表現に興味があった。北園克衛は知っていたが、新国誠一のコンクリート・ポエトリーは知らなかった。
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サン・ピエトロ大聖堂の群衆の前で、オルガンの即興演奏をするフレスコバルディ。音楽は旅であり、指先は地図を演奏する測量技師である。テンポをキープしながら、異なる音の景色を渡り歩いていく。
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蝉が鳴くのをもう随分聞かなくなった。夏は外には出ないから…と、君は言った。肌は白く体は痩せ細り、何歳なのだかわからないその姿。自分だけのサイバールームで、夏でも冬でもキンキンに冷えたコーラを飲みながら自分で作ったネットの掲示板を管理している。ここでだけ、私は神なの、と君は言う。僕は、その細い指先が、いつか人類全てを滅ぼしかねない核爆弾の起動スイッチを押しそうに見えて、小さく身震いする。
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maffielog · 1 year
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アメリカン・ルーツ・ミュージックの概観と考察
現代のアメリカンポップスの源流と言える、ブルース、ゴスペル、カントリーミュージック、フォークソングなどのアメリカン・ルーツミュージックの特徴は、様々な地域からの移民たちがもたらした、音楽様式の多様性によって基礎づけられると言えるだろう。
ルーツミュージックを形成してきた移民として、以下の例を挙げる事ができる。
①イギリスからの移民 ②アフリカから来た黒人奴隷 ③19世紀後半から20世紀前半にかけての東ヨーロッパ、南ヨーロッパ、アイルランドからの新移民 ④20世紀に入ってからのプエルト・リコ���どのカリブ海域からの移民 ⑤先住民族のネイティブ・アメリカン
こうした多民族性を背景として様々な音楽が生まれてきた。大別は以下のとおり
①ネイティブ・アメリカンの音楽 ②アパラチア山脈南部地域の白人、つまりイギリス(スコッチ・アイリッシュ系=イギリスにおけるプロテスタント長老派で英国国教会からの迫害を避けアイルランドに渡りその後アメリカに再移住した)からの移民の音楽 ③黒人のゴスペル ④黒人のブルース ⑤ヒスパニック(スペイン系)の音楽 ⑥ケイジャン(ルイジアナ州のフランス系移民)の音楽 ⑦ヒップホップ(1980年代以降新たな黒人系の都市音楽として発展)
この他ハワイの音楽など、占領支配の結果としてアメリカン・ミュージックに取り入れられる音楽もある。白人と黒人の音楽はそれぞれの独自性を保ちながらも互いに影響し合いながら発展してきた。例えば白人系の音楽でもバンジョーが広く用いれられるが、バンジョーはアフリカ起源の楽器である。時代が下るほど音楽における異種混交の度合いは深く、また複雑になる(ゴスペル→ブルース→ジャズといった黒人音楽の変遷などに顕著である)。ロックの基本的なリズム感覚もそうした白人系、黒人系の混ざり合いの中で生まれたものであって、アイルランドのリール、またポルカ、マーチなどの2,4ビートに、アフリカ起源のリズム感(スイング、跳ね、うねりなど)が加わった結果であるというのがおおまかな見方である。2、4ビートのリズム感覚はアフリカ系には存在しない。従ってアメリカ音楽のリズム感覚は本質的に白人系である。ジャズ、ブルースなどの黒人系の音楽は、時代が下るに従って寧ろ起源へと遡る、つまり本来の黒人的な音楽性を取り戻す方向へと進み、白人音楽もこういった流れを取り込む形で発展することになる。 次にアメリカのフォークソングの概観について述べる。
アメリカのフォークソングは、その起源によって白人系、黒人系に大別出来る。
白人系~イングランド スコットランド アイルランドの系統が代表的。この他、スペイン語系、フランス語系(ルイジアナ州のケイジャン)など。マイノリティだがオランダ、フィンランド系。 黒人系(アフロ=アメリカン) 
白人系民謡は大部分がイギリス起源であり、概ね以下のような種類がある ①バラッド ②ソング
(1)ラブソング
(2)仕事の歌(ワークソングなど)                     
 (3)宗教的な歌                             
(4)ダンスソング(ダンスチューン)
③楽器演奏のダンス音楽 ※元々歌との関係性が密接であるのでダンスも広義での民謡に含まれる
次に個別の歌の様式を詳説する。
・バラッド ~ イギリス系の民謡で最もよく知られる。個人的な感情表出よりは、情報伝達の手段としての物語歌としての機能が重要。例えばラブソングの類とは対照的���そのメディア的性格ゆえ曲よりも内容が重視され、いろいろな旋律で歌われる「バーバラ・アレン」も歌詞が同一起源と認められれば、同じバラードの派生系とみなされる。バラードの内容は語り継がれていく中で変遷し、様々な派生系(ヴァリアント)を生み出す。                         カウボーイ・ソング ~ 西へ西へと開拓を進める中で、鉄道が普及するまでの間牛の大群を輸送したカウボーイたちによって歌われた歌。 ワークソング的な機能を持ったが、曲の性格は様々。 ホーボーの歌 ~ 鉄道が普及し、フロンティアを目指して鉄道で放浪する日雇い労働者が増加。こうした移動浮浪者を題材にした民謡。 ・仕事の歌 ワークソング ~ 労働時の作業効率を上げるために、労働者達によって歌われる歌。19世紀中頃のアイルランド移民の鉄道坑夫の歌が重要。実際に作業時に使われる歌ばかりではなく、当時の各職種の労働者たちの心情が反映された歌も多い。黒人のワークソングには、コールアンドリスポンスなどオリジナルな黒人音楽の要素が入り込んできている。 シー・シャンティ ~ 船乗りの歌。実際の作業の場面に応じて幾つかの種類がある。(1982年の英米戦争時から機関船が海上を支配する19世紀中頃まで。) チェイン・ギャングソング ~ 南部の黒人専用の刑務所の囚人が、労働作業時に歌った。奴隷制廃止以後断絶した黒人ワークソングの原型を今に伝える。 ・レリジャス・ソング (スピリチュアル)宗教歌の発展 初期(17世紀入植当時)においては世俗音楽とはっきり区別されていた。ラブソングやダンス音楽、仕事の歌といったものと対比して、一方にスピリチュアルを置くというのが初期アメリカンの基本的な考え方であった。      
レリジャス・ソングの大衆化 
セイクリッド・ハープ・シンギング ~ 18世紀頃、極めて民衆的な形で発達した南部の讃美歌。入植当時讃美歌は大衆的には普及していなかった。 →1721年、ジョン・タフツの「讃美歌歌唱法入門」とトーマス・ウォルターの「音楽の基礎及び法則」がボストンで出版。宗教歌を教会の外から一般家庭へ導き入れる端緒に。 →18世紀後半、各地を巡回する牧師や音楽教師が居酒屋などを臨時の教室とし(シンギング・スクール)、レリジャス・ソングの類を歌わせることで啓蒙が進む。→新しい教育法の普及 シェイプ・ノート ~ 音符の符頭を各階名ごとに異なる形を与えて(例えば菱形はミ、三角はファ、丸はソなど)、音高をわかりやすく示す記譜法。→19世紀中頃になるとシェイプ・ノートを使った通俗聖歌の楽譜が次々と出版される(シェイプ・ノート・ブック)。「ケンタッキー・ハーモニー」、「サザン・ハーモニー」、「セイクリッド・ハーモニー」などが有名。このようなシェイプノートを使った楽譜によって、次々に新しいレリジャスソングが作られ、広まっていった。シェイプ・ノート・ブックの4声部の編曲法では、もとの讃美歌に平行5度を加えるほか、フーガの形をとるものも少なくない。 黒人霊歌
イギリス人の牧師ジョン・ウェズリー(1701~92)が渡米し、メソジスト派を起こす→大規模な信仰復興運動の展開。讃美歌の歌詞をイギリスのよく知られた民謡のメロディーにあてて民衆に広める。→ワッツ聖歌など。 18世紀後半のグレイト・アウェイクニング(大いなる覚醒)と呼ばれる信仰復興運動により、各地でキャンプミーティングなどが行われ、民間へのレリジャスソングの浸透がますます深まる。→19世紀始めのデイヴィット・サンキー(1840~1909)による新しい聖歌集も重要。 黒人霊歌はワッツ聖歌、サンキー聖歌を基礎としながら、黒人音楽独自のニュアンス(シンコペーション、ポリフォニー、アクセントの移動、音色の質的変化、特有のヴィブラート効果、ブルー・ノート・スケール)などを加えながら発展。 ニグロ・スピリチュアル(黒人霊歌)〜1870年代のフィスク・ジュビリー・シンガーズを端緒として白人の間に広く認知されるようになった、コンサート・スタイル化した黒人の宗教歌。 ゴスペル・ソング ~ 対して、讃美歌が黒人共同体内に残り発展したのがゴスペル。シャウトする歌い方と、強烈なビートが特徴的な黒人独自のキリスト教音楽。 
ジュビリー・ソング~男性四人の楽器伴奏無しのアカペラ。40年代以降都市化。      
エヴァンジェリスト~ソロシンガーの弾き語りスタイル      
サーモン~歌唱を伴う説教を行う牧師      ※アメリカでは白人のレリジャス・ソングもゴスペルと表現する場合が多い。黒人のゴスペルはソウル・ゴスペルと呼ばれる。
ブルース ~ 19世紀後半の奴隷制廃止以後発展した、歌い手の実体験と、そこから個人的な感情を反映する黒人の歌。すべてのブルースは固定的なフォームを持つ。 ブルースの基本構造 ・第三音、第七音、(第五音)をほぼ半音下げたブルー・ノート・スケールを用いる。 ・歌詞は三行詞(あるいは前半一連の繰り返しを伴う二行連とも言える)で、一行につき4小節を与え、3行で計12小節がワン・コーラスの長さ。 ・ワン・コーラス12小節内のコード進行は基本的に次のような定型を持つ →C C C C (4)/ F F C C (4)/ G G C C (4) ※ 最初の一行の後半、二行目の前半にセブンスを用いることが多い(つまりドミソシ♭→ファラドミ♭)また三行目で、G F C C のドミナント→サブドミナント→トニックという西洋和声においては禁則とされる進行をとる例も少なくない。 次のコーラスに移行するときもセブンスを用いることが多い。
例 ロバート・ジョンソン/ アイ・ビリーヴ・アイル・ダスト・マイ・ブルーム
(First chorus) I'm going get up the moning.I believe I'll dust my broom. I'm going get up the morning.I believe I'll dust my broom. Girlfriend the Blackman you've been love'in. Girlfriend can get my room. (Second chorus) I'm gonna write a letter. Telephon everytown I know   I'm gonna write a letter. Telephon everytown I know   If I can't find her in West Helena, she must be in East Monroe I know ........................... 訳例 (コーラス1)朝起きたら 俺はすぐに家を出る 朝起きたら 俺はすぐに家を出る あんなに愛した女なのに 俺の友達とねんごろさ (コーラス2)手紙をかくよ 全ての街に電話する 手紙をかくよ 全ての街に電話する あの女 ミシシッピにいなけりゃ きっとイーストモンローにいるだろうさ ....................... 考察   
今回アメリカのルーツ・ミュージックをざっと俯瞰してみて思ったのはバックボーンとして白人系の要素が非常に濃いこと(つまりはベースとしてのキリスト教音楽というものが深く底流している)。そのキリスト教音楽の源流がイギリスにあったとすると、イギリスの教会が清教徒革命以後音楽を弾圧してきた歴史から、アメリカのダンス・ミュージックやレリジャスソングが教会の外で発展するという特徴を説明することの一端にはなるかもしれない。(そもそもダンスは色恋沙汰に結びつきやすいから、礼拝時の楽器使用すら禁じる教会にはもっての他だったろう。)様々な大陸の音楽の要素が、場の要請に応え、地域性を帯び、その時々の局面で変容していく様は、「アウトドアの文化 」としてのアメリカ音楽の多様性を伝えている。   
参考文献 〜『アメリカン・ルーツ・ミュージック:楽器と音楽の旅』/著者:奥和宏/出版:音楽之友社/出版年:2004
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