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killsmells · 3 months
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天使たちは地獄にて待つ 
ーAries killed cancerー
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killsmells · 7 months
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郷土無い
私には地元というものがない。ついでに実家もない。親戚の縁も薄い。今でも交流があるような幼馴染といえる人もいない。義務教育時代の同級生たちは恐らく私の生死すら知らないと思う。幼稚園から高校卒業まで京都で暮らしていたがその間家は2回引っ越し、いずれも借家であった。父も母も京都の人間ではない。2人とも住みだして長いが、三代住まねば京都人と言えないらしいのでうちは末代(おれ)までよそさんである。生まれたのは母の地元・島根県である。それも限りなく山口県に近い。確か最寄りのコンビニは山口県だった気がする。母ですら松江には中学の部活の大会でしか行ったことがないという。
早くから協調性ゼロ・言う事聞く耳持たずの自閉的お絵描き少女だったので両親には猪か山犬の子として育てられてきた。しかし彼等もまたかなり前衛的な人間であった。専門職で休日も本に埋もれた机に向かう友達0人の父に対して庭でインパクトドライバーや鉋を繰り出すDIY主婦の母、そんな2人の新婚旅行はタイとネパール、結婚当初は福井県の田舎で職場の同僚に貰ったジープを乗り回し、これまた貰い物のカワハギを台所で捌いていたという。母曰く「新婚なのに今までの人生で1番隠居のような暮らしをしていた」。確かに私の記憶でも当時の時間の流れは緩やかで、人生の終末に近いものを感じる。そんな若隠居の両親の下、幼い私は車道に横たわり、猿よけの電線を掴んで感電し、スイカを皮ごと喰らうなどして天真爛漫に過ごしていた。そんな穏やかな日々は長くは続かず、訳のわからぬまま京都に引っ越すこととなる。
京都の日々は正直なところ記憶から抹消したいことばかりだ。思春期の毒気が充満する精神状態に加えて己の出自が若干複雑で(ここで詳しく書くことは控えるが戸籍上イレギュラーな問題がある。ただ私の場合さほど差し障りなく生きて来れたのは時代と運が良かったと思う)どこの誰として振る舞えばいいのかわからなかった。中学生の時「男はつらいよ」を全部見たが(勉強もできない、運動もできない、周りと馴染めず友達がいないスクールカースト下層部の人間は他にやることがないのである)寅さんがフーテンできるのは帰る家があるからだと羨ましかった。京都に馴染めたらそれでここが故郷だと納得して楽になれたかもしれないが、それもできなかった。一番ネックなのは言葉だった。主に母や母方の親戚に育てられ、古い漫画を読み漁って言葉を覚えたのでべらんめえ調の標準語と中国地方の訛りが私の基本だった。関西弁が主言語の地域では私は異邦人なのである。前衛的精神の両親とも幾度となく衝突した。彼らは自分たちの思い通りにならずどんどん山犬になっていく娘に対して心の整理が追いついていなかった。人と暮らすことに不信感が募り、全てを振り切るように広島に進学した。島根に近いから関西弁を喋れなくても済むだろうと思ったのである。
来年とても円満な形で一家離散する。田舎暮らしに憧れて島根の母の実家に居候する父、京都でまだやりたいことがあるため残る母、5年前に広島に出てったきり帰る気配のない私というように西日本3拠点に散ることとなった。
それぞれが三叉路に立って「じゃっ!」と手を振り合い、それぞれの道を行くような清々しさである。バラバラで神経質のベクトルが全員違うような家族だ。共に暮らすことはそれなりに無理があったのかもしれない。今、ようやく信頼に満ちた我々にとっての家族のスタンダードができたと思う。どうだろうか。
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killsmells · 10 months
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「liquid flow」
2022.10〜2023.5
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killsmells · 1 year
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人と居る方がさみしい。普通に話がしたいのに早口になったり言葉が出てこなかったり突っ張った態度が出たり説明不足になるから人に喋るのは恥ずかしくて難しい。人と居るのは自分にとって総じて難しい。当たり前だけど人は自分の思い通りにならないから。人と目を合わせるのが怖いから。1人で暮らすのが好きだから。自己肯定感の無さからくる、降りかかる全ての出来事に対する被害者意識によって人にすぐ牙を剥いてしまうから(それもせいぜいレッサーパンダの両手バンザイする威嚇ぐらいの威力しかない)。そして時に独りでいたいことなんか棚に上げて人の手による甘い体験を欲しがる自分が惨めだから。
人と過ごす(暮らすように長時間一緒にいる)時間は「自分のこの憂鬱と神経質さがなければあったかもしれない柔らかい日々」という悪夢を見ているようだ。だから毎度、人と別れて家で1人になった時の離脱症状がきついのかもしれない。
それでも誰かに抱きしめられた柔らかい記憶が、独りで居る時に自分のことを守ってくれることが多々あることは認める。
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killsmells · 1 year
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もうずっと前から「死にたい」が息をするように口をついて出てくる。そんな根暗が20代前半という狂おしい季節を、全力で傷つき惑いながら生きております。
「死にたい」という事自体に悩み苦しんでるわけではなく、「死にたい」と思わせるほどの精神の状態になることが苦しい。日々生きている中で現れる気分、身体の不調、出来事などがトリガーとなって回り出す思考が「死にたい」という結論に至ることが苦しいわけである。そのような思考パターンに陥ることが多い奴のことを世間一般ではメンヘラというのだろう。これは自嘲という自傷。多くの自傷行為についての本や文献でよく序盤に書いてある"リスカ死にたいからやってるんじゃない"説と概ね一緒なので、案外当たり前のことなのかもしれない。しかし実感としてこう思ったのはつい最近のことである。
死それ自体なんかより「死にたい」という結論を抱いたまま元気に生きていかねばならない日々の方が何倍も怖いのである。
大学生になって一人暮らし&バイト始めるなどして軽めに社会に出てみたところ、いよいよ取り繕えないほどボロが出てきた。それまでのトリガーであった家族や学校の人間関係から初めて問題が自分に移った。限界を感じて自分のことを理解していく勉強(受診、通院、本、就労準備支援)をして謎が紐解かれたり対処法がわかったのはよかった。ただ、それによって何がトリガーになって自分に作用するかが明確になってしまった。それらを避けることに神経を使うようになったため悲しいかな差し引きゼロ感が否めない。具体的にはまず人混みを歩くと気分が悪くなること。初対面の人と話すのが嫌いなこと。周囲の音が全部耳に入ってくるから多くの話し声のような不規則な騒音があると混乱すること。そのつもりがなくても人に対して心を閉ざしていること、それに自覚的になったこと…今までのように無意識で自分が消耗していくことも嫌だが、はっきりとした恐怖もそれなりに辛いものだ。
感受性が強すぎるからいい出来事も悪い出来事も全て同じぐらいの感動として受け取ってしまう。そうすると当然やたら疲れるので、意識的に休むことも覚えた。しかし休んで漆をやっていない日が3日目くらいになると禁断症状ばりに焦り始める。
今の仕事は嫌いじゃないが、仕事に自己実現を求めてないからこういうことが起こる。一般就労をすっかり諦めていたせいで家から徒歩5分の会社に正社員で拾われた時は騙されてんじゃないだろうかと思っていたが実は自分が会社を騙していたのかもしれない。
手を動かしていてもいなくても、自分の軸は制作なのだった。居ても立っても居られないときは重い腰を上げて作業場に行けばいいのだから単純だ。といいつつ酒が、煙草が、カリモクのソファが離してくれない夜が多い。ただ、それも含めて充実していると言える。逃げてる間だって楽しいことしかしてないからね。今、たびたび現れる「死にたい」と付き合うことを選んでいるのは、こうした意識のある上でしか楽しめない一人遊びを続けていきたいということだと思う。
シンプルな日々を続けよう。keep on rockin' blues.
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killsmells · 2 years
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「feu follet」
2022.2〜2022.6
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killsmells · 2 years
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去年、今年と一つ作品を仕上げる度に確信が大きく強くなっている。自分はこの煌めきを得るために生きていくのだと。この時間だけは何としてでも守らないといけないこと。即ち自分の生きる意味とも言えることに直結すること。人間一個体とは産み落とされた存在そのものだけで意味を成すほど立派なものではないと思っているが自分が未来を選択する理由はこれしかないのだと否が応でも気付かされる。
曇りがちな頭の中や認識に必要以上に苦しみ死を願って泣いていた頃居た場所からは先に進んでいた。今も十分後ろ向きで根暗なので生きててよかったと思うことはないが、これだから生きるのやめられないんだよなとは思う。工程の先にたどり着く小さな煌めきにまるで傷つくように打ち震えて泣いている。
こちらの状態がどうであろうと籍を置いていれば作品を提出するという義務と、作品について言葉で誰にも伝わるように説明する責任がつく組織に深い考えなく身を置いた事は想像以上に自分を苦しめることとなった。大学に入ってからは締切を年明けに控えた12月は毎年御乱心の季節である。今年度も例に漏れず。
とはいえ視界を曇りガラスで覆われたようなちっぽけな高校生が制作を続けるには進学の他に方法はなかったので仕方のないことだ。今更過去の自分自身に恨み言を言う気はない。コロナ元年を3回生で迎え、それ以降なにかと運が無かったことは気の毒だったが。
ところで去年の夏の終わりに転院して始めた漢方が身体に合って効いているのか以前よりフラットにやってけてると感じる。腹に毒蛇を飼っているようなじっとりとした苦しさはまだあるにしろ、たまに襲われる焦燥感が速攻型の攻撃にならなくなった。今年は自分のメンタルヘルスの諸問題が表面化しだしてちょうど10年になる。あの秋の寂しい空の色を今でも覚えている。多少の人生経験を経て今、何とかテコ入れしてやりやすい方向に舵を切ってやるから安心しろよと伝えたい。
もうすぐ学生時代が終わる。本当はこの期間を括って青春と呼んでしまいたくはない。だって自分はこれからも同じことを続けるから。
これからは時間を守るために日銭を稼いで生きていくだけだ。そりゃ上手く乗りこなせるようになるまで大変なことの方が多かろうが、目的があるから大丈夫。シンプルで、温かい血の通った日々であると信じている。
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killsmells · 2 years
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卒業制作 「海の銃創」 
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killsmells · 3 years
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「Cell No.8」
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killsmells · 3 years
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「座敷牢の春」
テーマ制作展2021「ユートピア」 (学内展示)
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killsmells · 4 years
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break on through to the other side!
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killsmells · 4 years
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killsmells · 4 years
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killsmells · 6 years
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killsmells · 7 years
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第38回 美工作品展
2017/10.12~15 @京都市美術館別館 卒業制作「情念」
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killsmells · 7 years
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killsmells · 7 years
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「継往開来」 2016 夏
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