Tumgik
emilylikestennis · 4 years
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T-DRAGON
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
 それぞれの対談から徐々に浮かび上がってきたバンド像。エミリーライクステニス 二万字インタビュー、最終回はドラマー T-DRAGON。日頃から自らのプライヴェートをブログに書き散らす彼の消化試合によりこの企画も穏やかに予定調和的終幕を迎える…かに思われた。しかし、そこで語られた言葉により、これまでの物語に揺らぎが産まれ始める。それは視点によって真実は一つではなくなるという歴史の必然。
 どんなに言葉を紡ぎ、交し、弄し、探り合っても、結局のところ僕らが辿り着く真相は藪の中、なのだろうか。
 ならば、エミリーライクステニスとは一体何だったのか?そして、彼らは何処へ行くのか?
 その答えは貴方自身が確かめるしかない。このインタビュー達がその羅針盤となることを願うばかりだ。
(聞き手・早瀬雅之)
完全にどん底ですよね
「いや、ほんと、すいません、なんかこんな変なこと(インタビューなんか)させてしまって。冷静に考えて1人一時間半近くはかかかりますよね」
●そうだね、一時間以上なんだかんだ…かかるんだよね。
「四人やったら相当な時間ですよね(笑)」
●そうだね(笑) エンリケはともかく、赦さんとビーストがね…なんか…思った以上に全然、自我がなくて(笑) なんか、意外と自分の意思で何かを始めたことがないみたいな(笑)
「(笑) 流されてるというか?」
●そうそうそう。『周りの影響で〜』みたいなのばっかり (笑)
「エンリケさんと赦さんはもう僕も原稿見せてもらったんですけど、ビーストはまだ書き起こししてないんで…」
●ビーストが今の所ね、一番支離滅裂な感じになってたから。
「あんまり脈絡がないんですかね(笑)」
●なかったねえ(笑)
「それ面白そうだなー(笑) 結構メンバー同士、長いけどあんまりちゃんと真面目に話さないんですよね」
●あー、改めて自分のことっていうのはねえ…。
「そうっすねえ、あんまり皆プライベートの話しないってのもあるので」
●そうだよね、なんかこれもエンリケが面白いエピソードとか喋りたい企画なんだろうなと思って…。
「(笑) あ、でもこれ提案したのは僕なんですよ、実は」
●あ、そうなの?
「なんか2万字インタビューって、僕らがこれからお願いされること絶対ないだろうから、自分らでやらないと出来ないですよね。だからやりませんかって」
●確かに(笑) メンバー全員ってのはなかなか無いから…でもエミリーだとやっぱT-DRAGON(以下、T)君がなんか一番闇が深そうな感じが。
「いやーちょっとねえ、その辺も言いたいことあるんですけど(笑) 正直言って…なんだろうなあ、エンリケさんとか赦さんがそういうキャラ付けにしたがるんで」
●そうそう、『あいつはヤバい』みたいな感じでよく言ってる。
「僕そんなに酷いこと…最近は言わないですからね」
●酷いこと(笑)
「大学一年の頃とかちょっと口が悪かっただけですから」
●ああ、ビーストがそんな話してた。「あいつは変わった」って。
「変わったかもしれないです(笑)」
●じゃあ、その辺も含めて聞いていこうかなと。
●まずは生い立ちから…出身はどこなんだっけ。
「出身は兵庫ですね。兵庫ってわかります?」
●関西?
「めっちゃ関西ですね。姫路ってとこなんすけど…要するにめっちゃ田舎でもないけど都会でもないくらいのとこです」
●なんか、あんま…こう、『姫路城』以外の情報がパッと湧いてこないというか
「あーもうほんと姫路城のために存在しているみたいな町ですね」
●(笑) なんかあんまりT君は関西っぽくはないよね、イメージ的には。
「そうですよね、そもそもこっちじゃ関西弁じゃないですしね。地元帰ったり親と電話するとすぐ関西弁になりますけど…」
●あ、ほんとに。兵庫の辺っていうのも関西弁ってのは結構きついほうなの?
「きつい人は結構きついですね。もうなんか下手したら大阪とかより汚いみたいな言葉があったりして発音的には」
●へーそうなの。
「ローカルおばあちゃんとかは結構やばくて何言ってるかわかんない話し方したりするんですけど、まあでもやっぱ個人差あって僕はもともとそんなに強くなくて。なんで今はもう全然関西弁で抜けちゃいましたね」
●ああそうなんだ。すごく意外だね。
「なんか人格的に流されやすいんでこっち来てほんと一週間ぐらいで標準語マスターしましたね。すぐ馴染んじゃった感じで、なんか恥を捨てたらすぐ喋れました」
●なんか関西の人ってこう、東京とか関東に対してちょっと対抗意識っていうのかわかんないけど、敵対意識みたいなのある人いるじゃない?そういうのは?
「あれはですね、すごい理解はできて。やっぱ僕も来る前はもう本当に標準語しゃべるやつとか…言葉選ばないといけないですけど…ちょっとなよなよしているイメージでしたね。『男がだよねーとか言うらしいで』って。『男でも?気持ち悪いなそれ!』みたいな会話をした思い出があります」
●(笑)
「最初はそんな感じだったんですけど今はもう何も思わないです」
●へーそうなんだ。すぐ対応したんだね。
「周りに地元の友達もいなかったから、あまり恥も無かったんですね」
●家族構成とかはどんな感じなのかな
「家族構成は妹が一人であと両親って感じで、それで近くに両親のおじいちゃんおばあちゃんどっちも住んでました。なので古き良き田舎の実家みたいなのはないんですよね」
●遠出して行く感じではない?
「そうですね」
●エンリケとかはさ、兄弟と仲いいけど妹とは?
「たぶん平均的に見たら結構仲良いと思います。別に遊んだりとかしないですし思春期めちゃめちゃ喧嘩はしましたけど、それ以外は…というか家族みんな仲良い方だと思うんですよね。定期的に帰るしいまだに誘われたら家族4人でディズニーランドに行くことあります」
●うわーすごいなあ、それ結構仲良い方だね!
「やっぱ珍しいですかね」
●子供の頃とかはどんな子供だったと自分で客観的に見て思います?
「どうですかね。まあ確実に暗い子供だったでしょうね(笑)」
●(笑)なんかこうクラスのスクールカースト的には?
「完全にどん底ですよね」
●どん底(笑)
「小学校の間ずっとかな、基本的に一番どん底。なんだろう僕もともと小学校の時は肥満児だったんです。だからこう学年一の選ばれし本当のトップオブ肥満児の次のネクスト肥満児だったんで、めっちゃ虐められるわけじゃないけど嫌がらせはされるし常に日の当たらない位置にいるって感じでしたね」
●なるほど。勉強とか運動とかは?
「運動はもう全然できなくて全部一番ビリみたいな感じだったんですけど」
●いや、なかなか筋金入りだね。
「だから本当僕もう休み時間とかみんなドッジボールしてる中、一人校庭の端っこで本読んでましたからね」
●一応外には出るんだ(笑)
「いや出る意味無いんですけど、なんか外に出ろって先生に言われて。教室でずっと本読んでたら注意されるんで、本持って校庭に出てました。そしたら今度はなんか先生が校庭の周りを歩いて回って一人ずつお前遊べって言ってくるんすよ」
●うわー。
「ドッジボール入れ!みたいな。だから俺はちょっとずつ、座って本を読んで、ちょっと移動してまた座って読むみたいな。楕円形の校庭の先生とちょうど反対側を、ハリーポッターとか分厚い本を持って移動してたの覚えてます。先生に会わないように」
●なかなか暗い時代だなぁ(笑) なんかその頃はその、将来の夢的なものとかはあったりしたの?なんか文集とかあったりするよね。
「いや、将来の夢全然なかったですね。なんかサラリーマンとか書いてたと思います」
●夢ない(笑)
「なんかそういう『現実的なことを書いたら面白いかも』みたいなひねくれた考えみたいなのがあって」
●ああ、でもそういう面白いんじゃないかっていう意識はその頃からあるんだ。
「そうかもしれないですね。目立ちたいとは思ってな��けど、ふざけて面白いって笑ってもらいたいみたいのがあったんじゃないですかね。ちょっとシュールな感じとかが好きだったし」
●友達とかはいた?
「ちらほらいました。でも小学校の高学年辺りはすごい仲良い友達はいなかったかもしれないですね。そんな感じだったんで」
●なるほど…中学以降とか部活は?
「中学高校どっちも吹奏楽部です」
●担当は?
「中学はバリトンサックスで。めちゃめちゃでかい低音の」
●はいはい。
「高校上がってからパーカッション(打楽器)をやるようになって、本当は僕は軽音部に入りたかったんですけど、中学にも高校にも無かった。だから代わりに吹奏楽部に入ってただけでクラシックは全然好きじゃなかったです(笑)」
●でもその頃は楽器やりたいみたいなのはあったの?
「いや、中学で吹奏楽部入った時は『親に音楽好きなんだから入れば?』って言われただけですね。何も考えてない。だから高校ぐらいです。自分の意思で始めたのは」
●音楽はその頃にはもうすでに自主的にいろいろ聞いてたりしたの?
「たぶん中学入る前後ぐらいで好きになってたのかな。アジカン聴いてたのは覚えてます」
●ちょうど流行りだしたころなのかな?
「たぶん。君繋ファイブエムを買った記憶があるので。初めて買った CD それですね」
●うわーそれすごい良い世代ですね(笑) そこからバンド最初に組み始めるのは?
「高校入ってからですね。最初、ドラムが叩けるようになりたくて。というか、ギターを中学の時にちょっとやろうとして。父親がめっちゃギター弾けるんですよ」
●へえ!
「だから家にでかいアンプもあるし、ギターも普通にフェンダーのストラト?のなんかいいやつがあって。超、練習できる環境なんですけどエフェクターがマルチエフェクターしか見当たるところに置いてなくて。結構放任主義だったんで、エフェクターの知識も無いからギターを練習するんすけど歪ませ方が全然わからなくて、『俺が弾いたらなんか上品なアコギみたいな綺麗な音しか鳴らない!』ってなり。『アジカンはもっとこうジャキジャキした音が出るのに、俺には才能がない。面白くない』って」
●あはは(笑)
「 F コード弾けるようになる前に止めちゃったんですよ。まあアジカン、 Fコードいらないか。それで高校に入る時に『俺は他人に強制されないと何もできるようにならないな』って思って、『パーカッションを選べばドラムできるように勝手になるんじゃないか』と思ってそれで吹奏楽部また入ったんですよね。まあでも結局誰も教えてくれないから DVD 見て練習して叩けるようになりました。その辺りで同級生のゆずに憧れてるやつみたいなのが登場して、しかもそいつ酒屋の息子っていう漫画の主人公の設定みたいなやつで」
●それいいな(笑)
「そいつが『お前ドラムやってるんやろ』みたいな感じで話しかけてきて『文化祭一緒に出ないか』って言うので『いいよ』って言って出たのが一番最初に組んだバンドですね
● でもそういういわゆる陰キャと言うか、スクールカースト下の方の人が文化祭とか出るというのは結構勇気いるよね。
「本当にそうですね。自分の中ではかなりそこは一歩踏み出した感じでした。人前で演奏するなんて発想もなかったし自分からやろうとは思わなかったですね。それは今思うと酒屋の息子に救われた感はあります」
●見出してくれた人がいたんですね
「と言うかまぁ他にドラムが叩ける奴が見つからなかったんでしょうね(笑)」
●それはコピーバンド的な?
「そうですね、コピバンですね。本当にそいつの趣味だったんでゆずのバンドアレンジをやったようなことは覚えてます。あとミスチルのくるみとスピッツのスターゲイザーと。自分の趣味とは離れてますね」
●割とアコースティックの要素があるものね。
「結構メンバーも変で、ベースが弾けるやつが見つからなかったらしくてコントラバスが入ったりとか、なぜか他にギターも見つからなかったのか、トランペットとトロンボーンとキーボードの女の子が入って。ていうか女の子と一緒にバンドやるって言うのもかなり個人的には下克上ですよね」
●あははは(笑) 自分で中高の時に好きで聞いてた音楽はどういったもの?
「その頃初めてSUM41が好きになって、ラジオで偶然かかったのを聴いて一発でメロコアパンクが最初好きになって。でもそういう音楽をどうやって掘っていけばいいか全く分からなかったんです。別に誰かに勧められたわけでもないですし、父親もエアロスミスとかビートルズとかなんで周りとかはちょっと難しいじゃないですか。もうほんとその時はラジオで聞いたやつとか、TSUTAYAを知ってからはアジカンに関係するやつを安い日に借りて聴いてみたりとか。それでストレイテナー 、ELLEGARDEN とかそういうロキノン系を聞いてて。洋楽だとSUM41からの繋がりが本当全然見つかんなくて New Found Glory とか」
●あー懐かしい!(笑)
「今めちゃ思い出しましたね。New Found Glory 10年ぶりぐらいに言った気がする(笑)」
●今言わなかったら一生思い出さなかったね。
「そういえば漫画のBLEACHの最後のページに載ってるキャラ紹介に書いてあった、 Bad Religion とかも聞いてました」
●あはははは(笑)
「BLEACHの作者が決めた、主人公のキャラクターのイメージソングみたいなのがあるんですけど。それの主人公のキャラのテーマ曲がバッドレリジョンなんですよ。おかしくないですか?今思うと」
●へー、バッドレリジョンが好きなんだ、一護。
「よくわかんないですけど、わかんないから聴いてみようと思って。ちょっと古いけど何かありだなと思って聴いてましたね」
●それをきっかけにちゃんと聴く人がいるんだ(笑)
「そうですね。それくらい本当に情報がなかったです。家にパソコンなくてインターネットとか全然見てなかったし」
●当時はそれほど普及してなかったぐらいの頃だもんね。
「そうですね 。YouTube とかMyspace とかは高校辺りからでした。中学の時はそのまま TSUTAYA でひたすら棚を見るだけみたいな感じでしたね。ゆらゆら帝国とか怖くて手を出せなかったなあ」
●まあ最初ちょっと勇気いるよね。
「ジャケットだけ見るとすごい古そうだし、名前もひらがなでカッコ悪いし(笑) 今すごい好きですけどね、名前も含めて。その当時、すれ違ってた音楽いっぱいありますね。あの時に聴いとけばみたいに未だに思い出す時あります。 『そういえばナンバガ手にとったけど、聴かなかったな』って。
 そういえばその後、もう一回文化祭出たんですよ。その時はもうちょっと進んでアジカンとかバックホーンのコピバンを組んだんですけど」
●おー、今度はちょっと音楽偏差値が上がって。
「その時は自分から仲良い友達に声かけて、陰キャだけでバンドを組んだんです。それで、同じ学年にめちゃめちゃモテる奴らのバンドもいて。バンドの名前がメンバー全員の彼女の名前を一文字ずつ組み合わせたっていう噂があって」
●うわ、絵に描いたようなバンドだなぁ(笑)
「ほんと、スポーツ漫画とかの第一話に出てくる極悪ライバル校みたいな感じですね。全員バスケ部とかバレー部とかサッカー部とかで。『地元のライブハウス出たことあるらしいよ』つって、それで演奏も結構上手い人達みたいな感じだったんで、それで『絶対あいつらより上手くなる』みたいな。めちゃめちゃ練習したの覚えてますね」
●グミ・チョコレート・パインみたいだな(笑)
「勝っても何もないんですけどね。勝つとかないですしね。懐かしいなあ。その年だけ応募が多くて6組ぐらいいたんですけどオーディションで半分落とされて。俺らとそいつらはちゃんと残れてステージに立ったって言う」
●漫画みたいだねー、それ。
あのサークルは落伍者の受け皿なんですよね
●なるほど、そんな地元での学生生活も終わって大学に進学すると思うんだけど、進路とかどういう風に決めたのかな。
「大学決める時にちゃんとバンドやりたいなーと思って。でも僕の中で本当に情報がなくて。京都行けばバンドはできるじゃないですか」
●そうだね、近いとこだと。
「ライブハウスとかも充実してるし、今思えば京都辺りで全然良かったんですけど、なんか 『どうやらアジカンとかは下北沢とかいう街でライブをしてて、有名なライブハウスは東京にしかないらしい』みたいな感じになって、僕の中で」
●バンドやるなら東京だ、みたいな?
「そうですね。関東の大学ならなんかその、どこでもいいかなって。まぁ結局、横浜になったんで東京じゃないんですけど。あと単純に将来の夢とか全然なくて、何がしたいとかもなくて、その時SF映画が好きなのもあって宇宙系のところ行きたいと思って。それで物理学科だと思って、浪人して勉強レベル的に横浜に落ち着きました」
●音楽系のサークルって言っても何個かあると思うけど、エミリーのメンバーと出会ったサークルに決めたポイントは?
「あれは決めたっていうか、あのサークルは落伍者の受け皿なんですよね(笑) エンリケさん多分この話めっちゃしてると思うんですけど、大きい軽音サークルと小さい軽音サークルがあって、でかいところは100人ぐらいいるんですけど基本的に何ていうか縦社会というか体育会系で、酒飲みまくるやつが強いみたいな。遅れて来たらウォッカイッキさせられるとか。僕酒弱いのに。一応、見学行って入部したんすけど」
●入ったんだ。
「入りました。他にないのかなと思って。部費2万円も払って、新入生お披露目ライブみたいなの一回出て。アジカンのコピーをやったんですよ。エレファントノイズカシマシ(ELEPH/ANT)のシグマ君がいて。一緒に『君という花』をやって。あの曲、すごい細かい話ですけど途中でブレイクが入って、そこでライブだと客が叫ぶみたいな曲があるんですよ。『ラッセーラッセー』て」
●ああわかるわかる。
「それを軽音サークルの先輩がマイク取って叫んだんすよ。盛り上げようとしてくれたんだと思うんですけど、それがすごい嫌でやめようってなっちゃったんですよね。その後の歓迎飲み会行って唐揚げ食べまくった後でやめちゃって。それで他にサークルなかったんでどうしようかなと思ったんですけど、そこの先輩に他にサークルがあるって教えてもらって。『ヤバい奴らしかいないサークル』って言われて見に行ってみたら、ROOKIESの部室みたいな感じで。煙草の煙がすごい漏れててドアの穴とか隙間から。何これ?みたいな」
●かなり荒廃してたんだ。
「めちゃめちゃ怖かったです。めちゃめちゃ怖いサークル。めちゃめちゃ壁に落書きあるし。もう廊下にまであるんすよ。不良かよって。すごいめちゃ狭い部屋でファミコンやってる人とか、変な大量の VHS とか、その当時の先輩も皆見た目怖かったんですよね。エンリケさんすら当時顔怖かったです。今もうなんかアパマンショップみたいになってますけど。当時は怖かったです。映画のタクシードライバーみたいでした」
●当時はそういう恐い人が集まるところだったんだ。
「そうです。なんか自由な人たちが多かったですね」
●その時はもうエンリケはエミリーをやってた?
「僕が入った時はもうやってました。新歓ライブで演奏見たの覚えてます。3人編成で。 確か、サークル入ってすぐ誘われたんですよ。ドラムやってるんだったら叩いてよって焼肉屋で軽く誘われて。ちょっとやってみたいなとは思ったんですけど自信なかったから『いや僕全然下手くそなんで』みたいな感じで断ったのは覚えてます。僕の同期のK君という子がそのエミリーのドラマーになるんですけど」
●その時外から見てるエミリーはどんなイメージだったの?
「僕は結構最初っから割と好きだったんですよ」
●お、初めてそういう意見が出てきた(笑)
「そうですか(笑) いや結構好きで。わざわざ都内のライブハウスまでライブも観に行ってたし。ただめっちゃ下手くそだったんですよ、本当に���あの、考えられないぐらい下手くそで。僕が文化祭の時に出た時ぐらい下手くそで。『よくこれでライブハウス出てるな』っていう。下手っていうか練習してないんですよ」
●そうなんだ。
「曲とか演奏してる音とかメロディーとかで『このリフ、こういう風なことをやろうとしてるんだろうな、出来てたらかっこいいな』って聴きながらめっちゃ脳内補完していくみたいな楽しみ方をしてました」
●なるほど(笑)
「前のベースの人とかもライブ中にケーブルが抜けたりとか。上手い下手以前の話ですよね。ドラムも普通に演奏上手い人なのに、めっちゃ曲構成間違えるとか。多分ね…精神的な問題があったような気がするんですけど。ライブ入れすぎとか、練習全然する暇ないとか。あの時多分ちょっと体育会系だったのかな、今思い返すと。ここで言っちゃっていいのか分からないですけど。
 最近ちょっと昔のエミリーの動画とか見直したりするんですけど、ビーストが入った直後くらいの時のエンリケさんはまだまだかなり体育会系の先輩だったなと思います。野球部だし」
●ああ、そうなんだ。それはメンバーに対して?
「うーんそうですね、ビーストに対して。『これ恥ずかしいからやりたくない』って言っている事をやらせてましたね」
●(笑)
「ストイックなスパルタではないんですよ。練習してこいとか、こんなんじゃ駄目だとか、きついことは言わないです。意地悪ではないんです、いや意地悪かな。なんか部室の前でパーティーピープルがBBQをやって音楽流してるところで横でなんか即席で野外ライブをやるみたいなことがあって。 パーティーピープルはエンリケさんの友達なんすけど、ビーストからしたら年上の先輩とかがいっぱいいて、あそこでなんかのあの感じで叫ばないといけないわけですよ。当時まだおもしろ系というよりパンクな感じというかハードコアなやつですよ。ライブハウスとかじゃない、野外で晴れの日の真昼間とかにそんな叫びたくないじゃないですか(笑)だからもう、一曲やった時点で『バイトあるから俺帰ります』ってビーストが言うんですけどエンリケさんが『いやいや~(笑)』みたいな。『いけるっしょ?いけるっしょ?』って言ってるんですよ。
●うわあ (笑)
「あの動画は結構衝撃ですよ (笑) まあそれで今のビーストが産まれたんですけど。ビースト誕生秘話? 」
●へえそんな時代があったんだ。
「それで旧体制の時の話に戻りますけど、ベースの人も後輩なのにかなり毒舌で言い返したりするもんだから、割と現実がパンクな感じになってるように傍目には見えて。だから『勿体ないな』って思ってましたね。音楽的にはニューウェーブっぽいけど、ギターフレーズは全然聴きやすいから、普通にかっこいいなと思ってたので余計に見てて歯がゆい感じでした」
●やりたいことがやれてないって感じだったのかな。
 ビーストは同期なんだっけ。仲良かったりしたの?
「同期ですね。でも、サークルの皆でライブの後、ご飯食べに行ったり、部室で喋ったりとかはありましたけど、ビーストは社交的だけど群れない方でした。部室で飲んでてもダラダラせずすぐ帰るし、ずーっとスタジオ入ってるけど、実際サークルの内輪のライブとか定期的にやってるやつには出ないから何してるのか誰も知らないみたいな奴でしたね」
●ああ…変な奴っていうか…(笑)
「めっちゃももクロとか全然流行る前から推してきて。『すごいアイドルがいる!』みたいな、彼は流行るアイドルを見つけるのが当時すごい上手かったですね。むしろそれしかイメージなかったですけど」
●ははは(笑)
「ビーストは入部した直後に確か、9mmのコピバンをやってて。『すごい、9mmのギターを弾けるなんて上手いじゃん』みたいに当時なったんですけど(笑) そのあとはあんまりバンド活動してなかったんじゃないですかね」
●謎だな(笑)
「たぶん、だから誘われた時はビーストもバンドとして何をやるか、まだ見つけてなかったというか、まあそもそもやる気があったのかわかんないですね」
『あ、エミリーやりたいです』って即答で
●エミリーが今の編成になるまでの流れを聞いても良いですかね?加入のきっかけというか。
「旧編成を辞めた理由はよくわかんないですけど、まあ僕視点ではさっき言った通りかなりギリギリの感じで続いてたっぽい状態の中で、一回遊びで適当なサークルのメンバーでAt The Drive-inだかJR Ewingのコピーをやろうぜって言われて。僕はドラムで。今思えばそこでビーストがなぜかボーカルやったら、ハードコアパンクっぽいシャウトがすごい良くて。それがきっかけなんだと思ってるんですけど、ちょっと後くらいに『エミリーのドラムやってくれない?』って誘われまして、俺はK君のドラムも好きだったので自分から言ったりしたことはなかったですけど、まあやってみたかったんで『あ、エミリーやりたいです』って即答で」
●その4人編成になってからだいぶイメージが変わった感じはある?
「えーそうですね…あのー…エンリケさんのボーカル…かなり好みの問題はあると思うんですけど、まあニューウェーブぽい曲に寄せてる感じで、そんな歌が前に出てくる感じじゃないというか、あんまり聞こえない…鶏が首絞められてるみたいな声で歌うんで…と殺場みたいな…」
●ははは(笑) 声が高いよね。
「その時の形態って早瀬さん観られたことはありますか?」
●いや、3人の時はないですね。
「その時と比べれば、ボーカルはかなり変わって、動きますし…あと僕のドラムもスネアをバシバシ叩くのが好きなのとか、パッチワークみたいに曲を展開していくようなのもその時にガラッと変わりましたね」
●曲作りにはT君が自分からアイディアを出したりはするの?
「アイディアは結構出してると思ってます。曲の話とか採用されることもありますし。ベースの人が『象が鼻を振ってるようなイントロで』ってイントロのアイディアを出したとき、じゃあこれどういう曲にする?ってなって、かわいそうなぞうってでも普通にかわいそうだから『象がサイボーグになったら面白くないですか』って僕が言った記憶があるんですよね」
●おお、結構肝となるところを。
「そうですかね。ストーリー的なことは皆全員平等に介入してますね。曲の展開とかも、『この後どんな曲にするか』みたいなのとかも。なんかどんどん後ろに繋げていって並び替えたりして曲作るんで、そういうのも皆意見出してますね。ビーストが前に『うちは民主主義なんで』って言ってて割とそうだなって」
●皆の意見ってことだね。
「多数決で決まりますしね。『僕はそうは思わないけど、じゃあそれで良いですよ。喧嘩はやめとこう』って。皆、良い意味で執着してない気がしますね。普通、ギターの人とかが家で一生懸命考えてきた曲、何回も却下されたら『じゃあもうやめてやるよ』ってなる場合とか多そうじゃないですか(笑)」
●あー、普通そうだよね。
「エンリケさんは『あー…、じゃあいいや』みたいな」
●(笑) こだわりないんだ
「いや、でもたまにちょっとしたら却下されたのをもう一回出してくる時とかもあって(笑) 自分のフレーズに愛情はあるみたいです」
●普通の曲って繰り返しが多くて、エミリーの曲って同じ繰り返しがないじゃない?俺は覚えるのが大変だと思うんだけど、メンバーみんな簡単ですよって言うんだけど、T君はどう?
「簡単っていうか、作りながらだと覚えやすいです。例えばメンバーが途中加入して覚えるってなったら超面倒臭いと思います。赦さんとか大変だったでしょうね」
●あーなるほどねえ。
「でもまあ他人のバンドコピーするとそれも面倒臭いと思いますね。繰り返しの2番のここだけフレーズが違うとか、構成が違うとか、そういうのドラムは結構多いんですよね」
●ドラムのプレイ面では影響受けてる人っている?
「難しいですね…何なんでしょうね…それめちゃくちゃ難しいですね(笑)
 かっこいいと思うドラマーはいますけど、影響は受けてないっていうか。あんまり真似してやろうとかはないんですよ。自分の中にある手癖ってたぶんコピーしたアジカンとかバックホーンとかで。でもコピーもあんまりしたことないんですよね。何なんだろ俺」
●聞いててもなんか『これっぽいな』っていうのもあんまりないから。
「無宗教の人っぽいですよね」
●無国籍な感じがするね(笑)
「ちゃんとどっかのレストランで修行してないコックなんですよね。料理研究家みたいな?まあでもなんかロキノン系なんじゃないですかね?」
●全然感じないけどね(笑)
「ロキノン系になんかマシマシしましたって感じだとおもってます。力技っていうか。エミリーの前のベースの人と一緒にガレージバンドをやってて、それがまあ普通にカバーっていうかパクリみたいな曲をやってたんですけど、その時になんかどんどんどんどん作る曲のBPMが速くなっていって…」
●対応できるようになっていった。
「ベースの人はエミリーの旧編成時代でもエンリケさんと二人で曲作ってて。エンリケさんも音楽めっちゃ詳しいですけど、ベースの人も詳しくて。ドイツのプログレとか俺にはよくわかんないの聴いてて。ガレージバンドもなんか日本のミッシェルとかじゃなくてもっと源流の方で。その人の要求に応えてるうちにドラムのスタイルが出来たのかもしれないです」
●音楽の趣味的には最近はどういうの聴いてるの?そもそも普段、聴いたりする?
「エミリー始めてからハードコアパンクを聴くようになりましたね。At the Drive-inとか。Marsvoltaが結構好きですね。でもまた最近ロック!なバンドっぽいの聴かなくなってきて、歌モノを…。BUMP OF CHICKENの6年前のアルバム良いな、とか。昨日きゃりーぱみゅぱみゅを聴いてました」
●なかなか影響がどっから来てるのか分からないな(笑)
「(笑) たぶん一緒に組んだ周りの人の趣味の影響を受けてるんだと思います。『こういう風に叩いてよ』みたいに言われたりするんで。だから、僕はそんなに聴いたことないけど例えばキングクリムゾンとかのエッセンスが僕の中にちょっとあったりするのかもしれないです」
●なるほど。一緒にやっていくうちに入っていってる感じなのかな。
「そうですね。直接でははなく間接的に何かの影響を受けている」
●バンドやってなかったら何してたと思う?バンドやりたくて大学行ったとかっていうのもあるだろうけど。
「全然実家帰ったりとかもありえますね。バンドも、もし今エミリー無くなって組めるかっていうと、コロナとか関係なく、新しいバンドの組み方とか全然わからないです。サークルの延長でやってるので…。何も所属してない状態からやる気力があるかっていうと…誘われたりしないと出来ない気がしますね」
●あーはいはい、なるほどねえ。
「そうすると実家帰って…ずっとゲームしたり映画観たりとかになっちゃうと思います」
●そういうコロナの状況とかもある中で、エミリーって色々アイディアとか溢れてると思いますど、またライブとかできるようになったらこういうのやってみたいなとかありますか?
「まず、自粛中にどうしようってめっちゃ思ったんですけど、ていうか僕ら正直、こういう時だからこそ色々アイディア出して出来るかもなと思ってたんですけど…結構みんなやってるじゃないですか、色んなバンドとかアイドルとかが、ライブできない分、配信とか中継ライブとか、色々やってる中…実際僕らほぼ何もやってないんですよね(笑)」
●あははは(笑)
「だから僕ら、結構アナログバンドだったんだなって気付いたんですよね。ライブハウスに頼ってたんだなあって…。
 だから自粛明けたら、まずはとりあえずはCD出したいですよね」
●おっ、新しいのを。
「ていうか全然最近出してないんですよ。曲は全然あるので…ミックスは今やってるんですけど全然進んでないのでそれを早くやってレコ発をやりたいですね。ライブハウスで」
●おお��。
「ネットで宣伝して…ていうのもありますけど、CDっていう形のあるモノを作るならライブハウスでやっぱレコ発やりたいですね」
●なるほどねえ…リリースの形態もエミリーは特殊だったりするけどその辺の次のアイディアとかは?エンリケとかはDLコード付きの土地を出したいとか言ってたけど(笑)
「あー、でも現実味ないですよねそれは実際…」
●(笑)
「そう言ったなら本当にやってほしいですね。エンリケさん、家を売ったり買ったりするのが好きなイメージあるんで、是非エンリケさんの家の壁にDLコード貼らせてもらって、それを売りたいですね」
●壁にDLコード貼るだけでできるもんね(笑)
「でもあの、エレファントノイズカシマシが石の音源出してたじゃないですか」
●ああ、やってたね、石(笑)
「石やられたらもう終わりじゃないですか、その大喜利は。もう概念に行くしかないじゃないですか、もう、なんか、気持ちとか…」
●気持ち(笑)
「電子的なのとか…でもエミリーコイン作ろぜって話も技術が追い付かなくて、結局ただの紙幣で電子マネーじゃなかったし…まあでも、なんかそういう屁理屈でもいいから変わったことをやれたらいいなっていうのはありますね。なんかずっとそんな話を練習スタジオでやってるんですよね」
●大喜利みたいな。
「そうですね、『次こうやったら面白い』みたいな、出し抜くことだけ考えてるみたいな感じなんですよね…」
●色々やってるもんね。
「まあでもそういうしょうもないことでもなんか笑ってくれる人がいたら良いなって思いますね」
ある意味、俺は音楽に救われたのかもしれない
●そういえばビーストが『T君はすごく変わった』って言ってたんだけど、自分でもそういう自覚はある?
「あー、それは���りますね。結構あります」
●それは、明るくなった、に近い感じなのかな。
「そうかもしれないです。まともな社交性が身についたっていうのがあるかもしれないです」
●それは何かきっかけみたいなものはあった?
「なんだろう。中学も高校も友達はいたと思うんですけど、大学が一番ちゃんと友達たくさんできたんですよね………それかなあ?」
●ははは(笑)
「学部とかサークルでまともに人と交流をしてたのがセラピーみたいになったんじゃないですかね(笑) 大学2~3年目くらいから精神的な変化があった気がしますね。たぶん大学受験落ちて予備校通ってた時が一番精神的に歪んでて。当時のミクシィ日記とか本当に人を不快にするようなことしか書いてなくて、まあ自分で読んだら今でもめっちゃ面白いんですけど、こいつやべえなって自分でも思うような…意味不明だけど中二病っぽい厭世的なことばかり書いてて、それを乗り越えて今思うのは『ああこいつ寂しかっただけだな』と」
●(笑)
「サークル入って、バンドやって、『ドラムやってよ』って言われて居場所が出来てみたいな…そうやって真人間になれたんですかね」
●ああ、良い話だね
「良い話ですね。音楽に救われたんですね。(笑)」
●インタビューっぽいな (笑)
「あ、これ太字にしますね」
●syrup16みたいだな(笑)
「『ある意味、俺は音楽に救われたのかもしれない』…あ、僕今回のインタビュー中に藤原基央の『それっておもしれえなと思って』を言いたかったんですよね、忘れてましたね(笑)」
●言うポイントなかったね (笑)
「面白いポイントなかったですね(笑)」
●(笑)
「そういうパロディみたいなの好きですね」
●ああ、それはメンバー共通してるかもね。
●これまで4人、メンバーと話してみて共通してたポイントとしては割と『クラシカルなロックスター的なもの』にちょっとこう、なんていうんだろう、寒気がする瞬間があって…。
「ちょっと斜に構えてるというか」
●そうそう。
「いやそれは、絶対そうでしょうね、こんな音楽やってるし…」
●それがエミリーの色んな発想と繋がってるなって気がして良かったです。
「そうかもしれないですね。結構メンバーみんな正直な人間なんじゃないかって思うんですよね。なんかある意味で嘘をつきたくないというか…綺麗事に対してそれは嘘だろって告発する子供のような…ピュアなバンドですね」
●(笑) エミリーって捉えどころとしては「面白いバンド」ではあるじゃない?ライブとかで笑えるものとして捉えられることについてはどう思う?
「いや、むしろそうあってほしいですね。それは狙ってるところだし…あんだけビーストが喋ってて『僕らを面白いだけのバンドとして認識してほしくないです』っていうのは『お前らマジか』ってなると思いますし(笑)」
●(笑)
「段階的にはまずパッと見て『あーボーカル面白い』ってなってほしくて、その後で『あ、ちょっと演奏良いかも』って思ってくれる人がちょっといればいいかも。映画のBGMぐらいの立場で全然良いですね」
●ストーリーもあるしね。
「そうですね。エンタメであれば良いかなって思いますね」
ビーストは『何なんだろう?』が深まっただけだった
●なるほど。質問したいところは以上になりますね。
「名言的なのも出たしちょうどいい感じですね」
●良い感じにまとまりましたね
「ありがとうございます。お疲れ様です本当に」
●いや、面白いなーこれ。
「ていうかこれ『俺たちのことのインタビューしてくれ』って言ってる奴にインタビューするってもう、…これ精神科の診察に近くないですか?」
カウンセリングみたいだよね (笑) いやでも面白かったなこれは。
「お世辞でもそう言っていただけると。僕が言い出しちゃったので…しかも自分らで編集するのもおかしいですからね、本来は」
●そうそう(笑)
「まあ、僕、結構昔のブログとかぼかして書きますけどインタビューはちゃんと現実に即して書きます」
●そういえばブログはあれどういうマインドで書いてるの?
「マインド(笑) いやーあれはなんだろうな、少なくとも満たされてるときにブログ書こうとは思わないですね。ストレスの捌け口ですね」
●あれはフラストレーション的なものがあって書いてるんだ (笑)
「はい。楽しくてしょうがない時にブログ書こうと思わなくないっすか。(笑) 居酒屋とかで『一人飲みが一番楽しい!』って写真でツイートする人の気持ちを俺は疑ってしまうんですよね。他のこと考えちゃってるじゃんって。本当は誰かと来たいんだろって」
●確かにそう言われるとそうだな(笑) でも4人インタビューしてきてみて、ビーストだけ謎が深まったな。
「あーやっぱりそうですか。僕も未だに割とビーストだけ価値観が掴めない時あります。なんか妙にストイックというか隙を感じないというか…自己完結してる感じがして。だって彼、休みの日に自宅でグラタン作ったり明太子仕込んだりしてるんですよ。それはヤバいですよね」
●(笑) なんか他の三人は話していく中で『ああ、この人は意外とこうなんだ』って言うのがあったんだけど、ビーストは『何なんだろう?』が深まっただけだった。余計に訳わかんなくなった (笑)
「彼が一番変わってるのかもしれない。周りに『ライブ中は変なことをしてるけど実際は一番常識があるんですよ』って言うことがあるんですけど、たまに『いやでもよく考えたらやっぱ変だぞ』ってなります。
●彼は一番社会に適応してるのかなって印象がある。
「ああ、そうですね、彼は演技するのが一番上手いんですね。プロだな」
●そうそう、今までその振りを見てたんだなっていう。
「という訳で我々はまあ、ライブハウス無いと何も出来ないバンドなんで今後ともよろしくお願いします」
●あはは(笑) お疲れさまでした。
「お疲れさまでした」
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emilylikestennis · 4 years
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獣―ビースト―
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
エミリーライクステニス二万字インタヴュー企画第三回。獣―ビーストー。ステージ上ではダンボールアニマルに身を包み、意味のない言葉を大声で繰り返す。彼の本心とは、果たしてどこにあるのか。そして、この一頭の獣はどのように生まれたのか
ダンボールのヴェールに包まれた素顔にせまる。(聞き手・早瀬雅之)
次男は責任感がないんですよね
●3人目は獣|ビースト|に話を聞きます。まずは生い立ちを聞かせてください。出身はどこなんだっけ?
「北海道です。札幌の隣の隣くらいの街ですね」
●栄えてるの?
「街は全然栄えてませんよ。北海道は札幌以外栄えてませんからね。空港と自衛隊があるくらいです。一番栄えてるスポットが空港で、街に映画館はないけど空港にはあったり、街にアニメイトはないけど空港にはあったりって感じです」
●じゃあ空港を中心とした街って感じなんだ?
「そう言われるとそうでもない。別に空港には行かないですけどね。みんな札幌に行くので」
●家族構成は?
「今実家に住んでるのは両親と祖母です。あと北海道に兄と弟がいます。三人兄弟の次男です」
●飯田くんと話してて、兄弟の真ん中は変わり者になりがちなんじゃないかという話が出たよ
「やっぱり責任感のなさがそうさせるんでしょうね。やっぱり長男はなんとなく『長男』って目でみられるだろうし、末っ子は甘やかされてなんとなく大事にされますからね。真ん中って気楽ではあると思いますね。何しても大丈夫というか、一番良いポジション。次男は責任感がないんですよね」
●どんな子どもだったの?
「小学生の頃のことを思い出そうと思ったんですけど、あまり思い出せないんですよね。田舎の学校の中では勉強はできたから、勉強については特に困った記憶はないです。病弱ではあったかもしれない。まあそれは今でもですけどね。後はサッカー少年団に入っていて、別に強かったわけではないんですけど、練習が月曜から金曜まで週5であって、土日に試合があったから、あまり遊んだ記憶がないですね。雨が降るとサッカーが休みになるけど、雨が降っているから遊べないという」
●サッカーやってたんだ。そのエピソードだけでスクールカースト上位なんじゃないかって感じがするよね
「サッカーはやってたんですけど小学生の頃は太ってたし足が遅かったんですよ。いくらサッカーをやっていようと足が遅いとカースト最上位には食い込まない。小学校はそういう世界ですから。でも賢かったので、運動ができなくても別ルート扱いされるみたいなところはありましたね。うまいポジションをゲットしていた。みんなからはまあまあ好かれるし、先生からは怒られない。当時から『これ以上やると怒られるな』っていうのを見極めて生きていました。今考えると嫌な子供ですね」
●そこはちょっと今のビーストの片鱗を感じるね。中高でもサッカーやったの?
「飽きたからやりませんでした。2年生から6年生まで週に5日以上サッカーやったら飽きますよね。中学生のときは、一緒にサッカーをやっていた友達が男子ソフトテニス部に入るって言ってたんで一緒に入ったんですけど、最終的には幽霊部員でした。中3のときに小学生の時に全国大会に出てた子達が1年生で入ってきたので、彼らに頑張ってもらったほうが良いだろうと。『頑張ってね!』って応援してました。適材適所って大事だと思うんですよ。3年生だから威張っても良いことないですから。なので僕は友達の寺で毎日遊んでました。」
●寺で(笑)
「ちなみにその寺の子は去年ツイッターにヘイトスピーチをツイートして、個人情報を特定されて叩かれてました」
●寺の子何してんだよ(笑)
「絶対葬式上げてもらいたくないですね(笑)」
●(笑)なんだかんだ楽しく過ごしてたんだね
「エンリケ先輩みたいなくらいエピソードは特にないですね」
●砂食わされたりとかしてないんだ(笑)
「しいていうと小学生のときにサハリンでロシア人の家にホームステイしたんですけど、その時松ぼっくりは食わされました。ロシア人たちが日本語の本を見ながら「タベル!タベル!」と言って袋いっぱいの松ぼっくりを渡してきて食わされたんですけど、まあ、おそらくあれはいじめじゃなくて食文化の違いなので」
●いじめとかではなくね(笑)
「おれに何を食わせる気だ?とたじろぎましたが、文化の違いです」
いくら僕が練習しようと、さんまのからくりテレビに出てた子供のほうが上手いんで、彼らと同じ土俵で戦う必要がないなと思って
●次に音楽との接点について聞きたいんだけど、音楽はいつくらいから自発的にきいてたの?
「いくつくらいでしょうね。最初に買ったCDはKinKi Kidsのアルバムです。そして一番最初に買ったMVはブラビデオ」
●世代的にはおかしくないね(笑)
「あとはラジオをカセットテープに録音して聞いてました。AMじゃなくてFMで音楽が流れてる番組です。北海道にAir―GっていうTOKYO FM系列のラジオ局があって、夜に東京の番組をネットしていたのを聞いてました。確か曜日ごとに、アジカンとか山崎まさよしとかケツメイシとか、あとはガラの悪そうな人が出てました。ガラの悪そうなラジオで育ちましたね」
●誰なんだそれは(笑)
「なんかレゲエの人です。でも僕の音楽的ルーツみたいなテーマを掘り下げようと思っても、他のメンバーほど特にエピソードがないんですよね。正直そこまで音楽に対して強烈な思い入れがない」
●ボーカル、っていうかわからないけど、ボーカルだから楽器エピソードもないか。楽器ってやるの?
「中学のときテニス部のテニスをしない先輩が『やっぱテニスより音楽だよな』みたいな感じでギターを弾き始めて、今考えるとめちゃくちゃ大学のテニスサークルの先輩みたいですね。それで真似して「じゃあ僕も買います!」ってギターを買いました。質屋に質流れ品のアコースティックギターが売ってたんで、缶の貯金箱崩して。今思うとめちゃくちゃネック反ってましたよ(笑)」
●バンドやってたの?
「高校のときはやってましたね。文化祭とか。でも忍耐力がないから練習したくない」
●根気がない?
「ないですね。あと楽器が上手くなりたいという気持ちにならない。なんか楽器上手くなると、特にかっこよくないけど難しい曲を弾くじゃないですか。そういうのも全然理解できなかった。楽器が上手いのとかっこいいのはイコールじゃないですね」
●なるほどね。良い話っぽく聞こえるね(笑)
「それにいくら僕が練習しようと、さんまのからくりテレビに出てた子供のほうが上手いんで、彼らと同じ土俵で戦う必要がないなと思って」
●あーギターキッズの子たちいたね(笑)
「あいつらめちゃくちゃ上手いじゃないですか。僕がやってもたかが知れてますから」
●ハマってたものとかないの?
「高校生の時ハマってたのはPerfumeですね。めちゃくちゃ好きでした。2008年にツアーでPerfumeが北海道に来たんですけど、その日が模試で行けなかったのでかなり落ち込みましたね。あとPerfumeがフライデーに出たときも落ち込みました」
●それはどういう対象なの?(笑)
「いやなんか、え?えぇ~…?ってなって。『の、のっちって、ストレイテナーと付き合ってんの…?ストレイテナーと…?』って。なんとも形容し難い感情ですね。そのフライデーはのっちが複数人で飲みに行ってる写真が掲載されてたんですが、ストレイテナーは顔出しされてるのに、目に線いれられて隠されるも髪型のシルエットがわかり易すぎる9mmのボーカルがめちゃくちゃおもしろかったんですよね。いやー、それにしてもフライデーは効きました」
●そういえばその後もアイドル好きだったよね?アイドルは最近どうなの?motion(早瀬が勤めていたライブハウス)の昼間のイベントに来てたじゃん
「あれは早瀬さんにばれないようにと思ってコソコソ行ってました」
●いやビースト来たら分かるでしょ(笑)
「すぐにばれましたね。でも最近は全然行ってません。アイドルはやっぱりライブに行けないと楽しくないんですけど、忙しくて行けないんで。あと何年もアイドルを見てて、やっぱアイドルってハッピーエンドが存在しないという結論に達したんですよね。だいたいメンバーに彼氏ができてやめるか、赤字でグループが消滅するか。一世を風靡して解散するでもないし、ライフワークみたいに長く続けるでもないし。それで嫌になって、よくライブに行っていたアイドルネッサンスというグループが解散したのを機にほぼ行かなくなりましたね」
●じゃあ今はもう完全に離れてるんだ
「今はアイドルではなく赤い公園のファンです。バンドキッズなんで。2018年赤い公園のファンデビューです」
●あれ?赤い公園ってアイドルネッサンスの子が入ったんだっけ?
「いや、僕はバンドキッズとしてのファンなので、そこら辺はちょっとよくわかんないです」
大学生って楽することしか考えてないけど、まあまあ学費払ってるんでちゃんと話聞いたほうがいい
●エミリーは大学のサークルで結成したって聞いてるけど、進学はどうやって決めたの?
「僕が入った学部が飯田さんと一緒なんですけど、センター試験だけで入れたので単純に楽だなと思って。北海道から試験受けに行くのも大変だし、センター試験だけなら1月で終わるから楽勝じゃんと思って。めちゃくちゃ頑張らなくても良いところという選択ですね。ただ未だに腑に落ちないのは、メンバー全員同じ大学なんですけど、僕以外のメンバーはもっと頭良い大学を目指してたらしくて、昔エンリケ先輩に『俺らはもっと上を目指してたからお前が一番頭が悪い』みたいなことを言われたんですけど、いやお前ら結局受かってないからな?と」
●(笑)
「目指しただけだからな?」
●確かにね(笑)
「まあでもそんなにめちゃくちゃ大変ではなかったですね。塾とかも行かなかったし。東京の難しい大学だと、北海道の公立高校の授業だけじゃ対策できないんでしょうけど、センター試験なら学校の勉強の範囲を飛び出ないから教科書で乗り切れるんですよ。それに帰宅部で暇だったから普段からもちょっとは勉強してたんですよ。成績良いとちょっと悪い事しても先生に怒られないじゃないですか。学校の先生ってそんな崇高じゃないですからね。成績が良ければ友達と同じことしても僕は怒られない。打算的に勉強してましたね。いまのところ嫌な子供過ぎて高校生までに良いエピソードがないですね」
●ないね(笑)。大学では何勉強してたの
「ざっくりいうと会社についてって感じです。勉強は好きでしたよ。というか友達がいな��ったので勉強するしかなかった。友達がいる人は先輩から試験の過去問が回ってくるらしいんですど、友達がいないから自分で頑張るしかない。結果的に良かったですよ。大学生って楽することしか考えてないけど、まあまあ学費払ってるんでちゃんと話聞いたほうがいいじゃないですか」
●急に真面目になった(笑)
「やっぱり根が真面目なんですよね。勉強は好きだったので、その後大学の先生になりたいと思って大学院を受けたんですけど、大学院受験が夏って知らなくて、学部卒業後一年間NHKのあまちゃんを見て勉強するだけの無職生活を送りました。普通受験って冬じゃないですか?なんで大学院だけ夏なんだよ。トラップですよね」
エンリケ王子は口に花火を加えてdoorsみたいな(笑)それ見て入りました
●サークルはどういう経緯で?
「僕が一年のときに、エンリケ先輩が大学構内の道でエミリーライクステニスのライブをやっていたんです。クロアチア人と組んでた時期ですね。最初ドラムセットの前に留学生が座ったと思って、すげえドラムが外国人なのかよ絶対うまいじゃんと思ったらめちゃくちゃ下手だった。普通白人男性すわったらすごいの始まると思うじゃないですか」
●なんとなく上手そうな気はするよね
「そしたらめちゃくちゃヘタで。エンリケ王子は口に花火を加えてdoorsみたいな(笑)それ見て入りました(笑)」
●エンリケにそんな時代が(笑)エンリケがビーストは一人でスタジオに籠ってたって言ってたのは?
「それは一人でテニサー音楽を作ったりしてました」
●テニサー音楽ってジャンルなんなの?(笑)
「バイトしてた居酒屋がすごい店で、普通の居酒屋を出禁になったテニサーばっかりくる店なんですけど、彼らのコールを録音してトラックに乗せるみたいな感じです。すごいんですよ。『な~んで持ってんの?(笑)「』とかそんな生ぬるいもんじゃない。あいつらのコールは腹の底から声出すんですよ。そのコールを録音してビートを載せて、大学の外で流してました」
●ちょっとよくわからないけど結構アバンギャルドな活動をしてたんだね。それは何をしたかったの?
「『お前らは気に留めてないけど、歩いてるお前らの声なんだぞこれは』というのを一人で感じて、誰も気づかないのを楽しんでました。でも本当にあのテニサーの声はみんなに聞いてほしかったんですよね。本当にすごい声。乾杯に際して腹のそこからヴォーって叫び出すんですよ(笑)うちの大学は教育学部があったんで、こいつら居酒屋でこんな声出しているのに学校の先生になるんだなと思うと、その大学時代の一瞬のかがやきを記録しておきたかった。俺はちゃんと覚えておくからな、みたいな」
●結果的にちょっとよくわからないよね(笑)他のメンバーとの関係性は���うだったの?T―DRAGONは同期なんだっけ?
「そうです。僕らは毎日部室にいたから毎日顔を会わせていました。昔ベースをやってた泉さんっていう人とドラゴンが部室でずっと誰かの悪口を言ってるのを見てる」
●エンリケは先輩なんだよね?ビーストが加入する前の3人のエミリーを見ていたときの印象は?
「昔いたベースの女の人に頭につばを吐きかけられてすごい嫌だった。その人がいなくなったあとは、エンリケ先輩が大きい声を出して頑張ってるという印象」
●すごいざっくりしてるな(笑)大きい声出して頑張ってるのはどのバンドにも当てはまるだろ(笑)
「音楽的にどうとかいう感想がぜんぜんわからないんですよ(笑)あとその時はエンリケ先輩がまだ若かったんで、ドラムセットに突っ込んでたんですけど、あれは危ないからやめたほうが良いと思ってました」
●まっとうな意見だな(笑)
「痛そうだし怒られそうですからね」
●その印象でなんで入ったの?きっかけは?
「最初はAt The Drive-Inみたいなバンドをやると言われて、ATDIは高校生のときから好きだったからいいかなと思って。それにその時は今より15kgは痩せてて髪も長くて、僕天然パーマなんで髪が長いともじゃもじゃになるから見た目はATDI感があったんですよ。完全にビジュアル採用ですね。でもATDIだと思って入ったら変なことをやらされるバンドだった」
●入ったら全然違った(笑)
「おかしいなと思いましたね。口車に乗せられた。その時は泉さんっていう先輩がベースで、その人に変なことをやらされ続けた。その人は関西人なんですけど、まあ関西人といっても神戸のあたりなんで、今考えると笑いの本場みたいな空気を出してきたのも意味分かんないんですけど、なんかやると『それおもんないで?』って言ってくるんですよ。関西人って『おもんないで』って本当に言ってくるんだなって思って怖かったです」
●絵に書いたような関西人ね(笑)
「そうです。それでその人にああせいこうせいって言われてやってるうちに恥ずかしいという感情が死んで、今のスタイルに落ち着きました。慣れるというより、恥ずかしいという感情が死んだ」
●最初やめたいなとかはなかったの?嫌ではなかった?
「単体のライブでは嫌なときもあったけどトータルだとそこまで嫌じゃなかったです」
●今は長くやって確率されてきたけど、ビーストのスタイルって最初の頃はお手本もないし、大変そうだよね
「そうなんですよ。『ここは何もしなくて良いから』とか言われて2分間インストが続くみたいなのがありましたしね。何もしなくて良いって言われてもね。どうして良いかわからなくて手持ち無沙汰でした。ステージの真ん中に立たされて何もしなくて良いって言われる人の気持ちが、楽器持ってるお前にわかるのか?と思いました(笑)」
●それはきついよね(笑)難しいパートだよね
「このスタイルも、僕が他のメンバーと違って音楽大好き!みたいなタイプじゃないから成り立つんでしょうね。僕は音楽をやっているという感覚でバンドやってないですから」
●そんな人がいるんだ(笑)
「いや、バンドは確かにやってるんですけど、ダンボールのゾウをかぶって変な動きをする人が『自分、音楽やってるんで』とはなりませんよ(笑)」
バンドのグループラインに「ニューソングのアイデア思いついたんですけど、ガーナに秘宝館を建てる曲にしましょう」って送って、みんなに頑張って考えてもらう(笑)
●ダンボールとかを使うのはどこから出てきた発想なの?
「ゾウの曲ができたとき、当初は身体でゾウを表現してたんですね。例の関西人のベース人に手ぇ振ったらぞうにみえるやろって言われて、わかりましたってこう、片腕をゾウの鼻に見立てて、もう片方の手を丸く曲げて耳みたいにしてゾウっぽい動きをしてたんです。でもそうすると、ゾウっぽい動きをするためには体勢を前かがみにしなきゃいけなくて。イメージつきますか?前かがみになって右腕を鼻みたいに振って、左手が耳。そうするとどうなるかっていうと、まあフロアからみえないですよね(笑)。低いステージで前かがみになってノシノシ歩いてるんで(笑)。それで特に相談するともなく、ある日急にダンボールでゾウを作ってライブに持っていった。あ、今日これ被るんでって言って」
●なんでダンボールだったの?
「ちょうど引っ越したばかりで、家に立派な硬いダンボールがあったっていう、それだけです。金かかんないから」
●それ急に持っていってメンバーの反応はどうだったの?
「いやー、どうだったかな。でもエンリケ先輩は僕がいろいろ作って持っていきまくるのについては、最初ちょっと嫌そうだった気がしますね。俺たちバンドだからね?って。そこまでオモシロに振り切りたくない感じがまだ彼の中にあった」
●それでもまだちょっとかっこいいバンドでありたいみたいな?
「そうですね。まだ全員二十代前半でしたから。ただ僕はもう最初から音楽としてかっこいいのが良いとか、演奏が上手いのが良いとか、そういう発想が全くなかったんですよね。わざわざ金払って見に来てくれる人がいるんだから、面白い気持ちで帰ってもらったほうが絶対良いじゃんと思ってそのまま使い続けました。その後も特に相談するでもなく、作りますんでって感じで勝手に作って増やしていきました(笑)。そのうち次第にダンボールでこれを作るからこういう生物が登場する曲にしましょうみたいな感じになりましたね」
●ダンボール発信の曲があるんだ(笑)
「サメがそうですね。その時ちょうどサメが流行ってたんですよ。深海ザメとか。なんかココリコの田中さんの番組とかでよく深海ザメ取り上げられてて、サメ流行ってるしダンボールで作ります!サメの曲で行きましょう!ってなって。ダンボール以外でも最近曲作る時はそういうテーマの決め方が多いですね。こうこうこういう曲が面白いと思うので、とにかくあとはお願いしますみたいな(笑)」
●曲作るときのアイデアはビーストがだすの?
「みんなで話し合って考えるんですけど、最初のテーマだけ勝手に考えて、じゃお願いしますみたいなのもありますね。音楽自体にはなんのイメージも湧いていないんですけど、とにかくテーマだけ勝手に決める(笑)バンドのグループラインに「ニューソングのアイデア思いついたんですけど、ガーナに秘宝館を建てる曲にしましょう」って送って、みんなに頑張って考えてもらう(笑)」
●変わった作り方だよね。俺がメンバーだったら嫌だわ(笑)
「歌詞とか歌うパートとか寸劇パートみたいなのは僕が考えてるので、そもそも面白いと思うテーマじゃないとすべるんですよね。ギターリフとかから作られても面白い気持ちが浮かばない。いや~かっこいいギターリフかもしれないけど、それどう面白くなるの?って。かっこいい曲を作ることが目的なら、当然かっこいいギターリフから作ってかっこいい歌と歌詞を考えていっても良いんでしょうけど、かっこいいギターリフを面白くしようとしても『いや全然面白くならないぞこの譜割りは』みたいになる。かっこいいフレーズを考えてもボツになるってみんな嘆いてますけど、もうこういうバンドになった以上仕方ないんですよ!」
●譜割り(笑)なるほどね。言葉がはまらないと難しいだろうからね
「もちろん話し合ってテーマ設定という曲も多いですけどね。なので、さあ曲を作ろうという時期になると、スタジオに入っているのに楽器が鳴っている時間より何が面白いのか話し合っている時間の方が圧倒的に長い。3時間中2時間近く大喜利してますね。僕はスタジオに行っても、そういうコーナーだけ参加して、タイトルとかテーマが決まったらあとはやることないからじっとしてる」
●なるほどね。テーマとかネタ先行で曲を作ってるバンドなんだね。ちなみにライブ中は何を考えてるの?
「もう完全にうけてるかうけてないかしか考えてないですね。暴れたり変なことを言いながら客席を観察している。僕は微妙に言っちゃいけないことをいうスタイルなので、今日のお客さんはどのくらい許してくれるかなと言うのを観察してます。あとちょっと難しいっぽいこととか、ニッチな話題をまくしたててもちゃんと笑ってるかなとか。その他は特に何も考えていません。ライブ中に話す小芝居とかも、前は事前に考えてからやったりもしていたんですけど、最近はほぼその場の口からでまかせですね。その場の思いつきでまくし立てているんで、感想で「○○って言ってたところが面白かった」と言われても正直全然覚えてないんですよね(笑)『はい!ありがとうございます!』しか言えない(笑)」
●メンバーの演奏は耳に入ってる?
「それは大まかには聞いてます。音にあわせて話したり音の合間で話したりするので、全体の流れとか、タイミングとか、音量とかは聞いてます。でも演奏を間違ったとかそういうのには全く興味がない。練習よりペースが速くなったとか遅くなったとかも関心がない。ちゃんと始まってちゃんと終われば」
●他のメンバーの意識とかなり分離してるね
「そうなんですよね。なのでバンドっぽい音楽のこだわりみたいなのを聞かれても特に言うことがないんですよね。聞こえやすければいいんですよ」
疲れるのであまり練習に行きたくないです。どうせ練習行ってもやることないんですよね
●平日は何してるの?
「普通に働いてますよ。でも今はコロナでリモートワークになっているのでほぼ家にいます。今日1ヶ月以上ぶりに仕事で電車乗る用があって、電車に乗っただけでちょっと楽しかったです(笑)。僕は神奈川県に住んでるんですけど、いま神奈川県で一番コロナリスクから遠いと感じるくらい本当に外に出てないです」
●そんなに家にいるのか(笑)。仕事とバンドの両立は大変?
「大変ってほど大変には感じてないですけど、平日は活動が無理なのと、メンバーの中で僕だけ住んでいるのが東京じゃないので、都内までの移動がちょっと面倒ですね。あと疲れるのであまり練習に行きたくないです。どうせ練習行ってもやることないんですよね(笑)」
●行きたくないんだ(笑)。でも他の3人が演奏の部分を作ってるときは一応スタジオにいるんだよね?
「まあそれはいたりいなかったりですね」
●いないときもあるんだ(笑)
「ちょこちょこ土日も仕事があるんですよね。それに行っても、ライブの前であればみんなで通して練習しようってなりますけど、そうじゃなかったら3時間スタジオ入ってて出番は25分とかそういうときが多いんですよ。曲作り初め段階とかだと、本当にぽつんと座ってるだけなんですよ(笑)。なのでそういう段階で仕事が入って来ると仕事優先で練習は休みますね。で、ある程度曲ができてきたら行ってダメ出しするみたいな。「いや~、それちょっと面白くないですよね」みたいな。めちゃくちゃ嫌な奴ですよね(笑)」
●何もしてなかったやつが急にダメ出し(笑)
「作ってる途中に聞いて都度言えばいいのに、聞いてないですからね。まあまあ出来上がってから、『いやちょっとその構成は…』みたいな」
●一緒にやってたら腹立つね
「そうですよね。みんな心が広いんですよ」
まあでも、やっぱり延々とポスト・パンクとかやってても全然面白くないですからね
●普段音楽ってきくの?
「最近は家で仕事してるんで、BGMとして辻井伸行さんが弾いてるドビュッシーのやつを聞いてます」
●それはどういう感情で聞いてるの
「僕は岩井俊二チルドレンなので、大学のとき部室でリリィ・シュシュのすべてを3回位みたんですよね。リリィ・シュシュってドビュッシーがBGMなんですよ。そこからドビュッシーのフォロワーになっていったんで」
●ドビュッシーのフォロワー(笑)ボーカルなのに(笑)
「あとはやっぱり赤い公園を聞いてますね。バンドキッズとして」
●聞いている音楽から影響を受けたりするの?
「普通に音楽を聞いても影響を受けようがない芸風��はあるんですけどね(笑)。しいていうと何年か前に友達の家が引っ越したときに、その友達のお母さんが仕事の関係でもらって放置されていたというEARTH WIND & FIREとかのLP盤をたくさんもらってきたんですよ。やっぱ僕は顔が濃いのでこういうところから影響を受けようと思ってもらってきました。影響を受けたというか受けようという能動的なやつです。全然詳しくないんですけど歌い方が楽しそうなんで良いと思います」
●それは最近のエミリーにつながる部分があるね
「そうですね。あれは飯田さんがそういうベースを弾けるというのもあるんですけど、ああいいう歌い方でみんなで歌ったら楽しいじゃないですか。なので曲作りながら、ここでファンクを歌いましょうということにして。それでファンクとかヒップホップとかそういうのが導入されて行きました。やっぱみんなで歌うのは楽しいですよね。バンドを初めた当初からは、もともとエンリケ先輩が曲作ってたんですけど、エンリケ先輩はファンクとかヒップホップとかはもともとそんなに聞いてないからそういう要素が入った曲はなかったんですね。飯田さんが入って幅が広がったのは良かったと思います。まあでも、やっぱり延々とポスト・パンクとかやってても全然面白くないですからね」
●厳しい(笑)
「面白くあることを重視するとってことですよ(笑)そういう視点だとずっと聞いてても面白いプログレとかないじゃないですか」
●まあね
「なので組み合わせて飽きないようにしている。全然そういう流れじゃないのにヒップホップとかファンクを急にやり始めると面白い。それでやってます」
昔ライブのあとにメンバーと話してたら、『あ、ボーカルの人も喋れるんですか!』って言われて(笑)喋れるんですかってなんだよって(笑)
●このバンドの印象はビーストの目線から見ると変わってきている?
「どうでしょうね。自分でやってることだから、だんだん変わってきたという感じなのでわかりにくいですね。初期から比べると間違いなく変わってはいますけど。ここが明らかに変わったとか、いつから変わったとかについてはあまり実感がないですね。個人的に変わったことと言えば、昔のほうがライブで疲れてました(笑)。手持ち無沙汰さや無策を暴れてごまかしてた。これについては腰がヘルニアになったのできつくなりました(笑)。あとあまり暴れすぎると本当に危ない人だと思われるので。
●そういうふうに思われたくないって気持ちはあるんだ(笑)
「昔ライブのあとにメンバーと話してたら、『あ、ボーカルの人も喋れるんですか!』って言われて(笑)喋れるんですかってなんだよって(笑)」
●素でああいう人だと思われてたんだ(笑)
「そう思われたらそれはそれで面白いんですけどね(笑)でも素でやばい人だと思われると期待に答えないとみたいな気持ちになっちゃって。根がエンターテイナーなので。そうすると生活が崩壊する」
●でも音楽性は別として、今まで他のメンバーの話も聞いてきたけど共通していることは、全員サークルの先輩が醸し出すような「ロックな感じ」みたいなのに触れたときに「ださい」と感じることだよね(笑)
「まあそれはそうでしょうね。(笑)そうじゃないとこんなバンド我慢ならない(笑)やらないとかじゃなくて我慢ならないですよ(笑)そういう意味ではよくこのバンドをやろうと思う人が集まりましたよね。募集したって集まらないですよ」
面白いのほうが『狙い通り』って感じがする。でしょ?って。
●じゃあバンドをやってなかったら何してたと思う?
「たぶんYou Tubeに一人で変な動画を上げたりしてたかもしれないですね。俺の音楽で世の中を変えてやるんだ!みたいな気持ちはゼロなんですけど、自分発で何かをやって「おもしろいね」って言われるのは好きなんですよ。とにかく色んな人におもしろいねって言われたい(笑)」
●おもしろが重要なんだ
「かっこいいより面白いがいいんですよね。面白いのほうが『狙い通り』って感じがする。でしょ?って。なのでYou Tubeに変な動画を上げて面白がられて喜び、リアルの知人には陰口を叩かれる生活をしていたかもしれないですね」
●かつてテニサー音楽を作っていた経歴を考えるとありえるね
「そうですね。それでテニサー音楽をYou Tubeにアップして炎上して怒られる。テニサー音楽って今考えると本当にすげえ陰湿ですね(笑)陰湿なやつだな。根が陰湿なんですよね」
今後は完全に『みんなのうた』に舵をきるしかないかもしれない
●今後挑戦したいことって何かある?
「これが難しいんですよ。いままでは、不謹慎だけどギリギリ許してもらえるかなというレベルのところを狙っていたんですけど、コロナもあって世の中が停滞してくると不謹慎なこと言えなくなるんで」
●超えちゃいけないライン変わってきてるよね
「ラインは完全に変わってきてるんですよ。僕が今一番悩んでるところです。世の中の暗いムードの中でブラックジョークっぽいことをやるのってかなり難しい。今までも狙いすまして、ここまでならギリギリ怒られないラインを探ってたんですけど。今もうそのラインが見えないんで。今後は完全に『みんなのうた』に舵をきるしかないかもしれない」
●なるほどね(笑)
「マハラジャの歌うたうしかない。知ってます?ラジャ、ラジャ、マハラジャーみたいな。(笑)。あの歌すごい好きなんですよ(笑)。あれはみんなのうたなんで、差別的な歌なんかでは決してないじゃないじゃないですか。でも『インドの子供がなりたいものは、ラジャ、ラジャ、マハラジャー』って大人が全力で歌ってたらおもしろくないですか?(笑)そういう怒られないし不謹慎でもないおもしろコンテンツを模索する日々です」
●難しいね
「今ビーストは岐路にたたされてます。はやくブラックジョークで笑っても良い日々に戻って欲しい。今僕の平和を希求する気持ちが、平和への祈りがすごいです。ビーストかダライ・ラマかって感じです。」
●ダライ・ラマ級(笑)ちなみに今後ダンボールで作りたいものはある?
「それも最近考えてて、これはメンバーには言ったんですけど、名古屋の方でオードリーが変な一般人を呼んで話すだけの番組があるんですけど、それにゾウを持っていって、次ダンボールで何を作ったらいいかわからないという相談をしようと思ってます」
●なにそれ(笑)
「バンドの話は一切せずに、ダンボールで次つくるものが思いつかないという相談をする」
●やばい趣味の人だ(笑)
「ちなみに早瀬さんは何がいいと思いますか」
●動物じゃないものとか
「なるほど。新幹線とか…飛行機とかいいかもしれないですね。武漢チャーター便とか」
●だめでしょそれ(笑)
「そうですよ!こういうのやっちゃいけない世の中なんですよ今は。まあでも無機物を作るのを課題として考えておきます」
●でも今まで話を聞いてきたけど、その奇抜な発想はどこから生まれたのかが全然わからなかったね
「僕も不思議なんですよ。すごい普通の家庭で育ったし。めちゃくちゃ真面目に暮らしてるし」
●根が真面目ではあるよね。発想だけが急に突飛なのは何なんだろう
「何なんでしょうね。やっぱり小1から遊戯王の漫���読んでたからですかね。あれカードゲーム漫画って印象の人が多いでしょうけど初期の遊戯王はすごかったんですよ。手の甲に札束乗っけてナイフで刺して、ギリギリまで刺して金を多くゲットした方の勝ちみたいな」
●なんだよそれ(笑)
「それで負けると木の葉が札束に見える呪いをかけられる。そういう漫画なんです遊戯王は。あれで人格が形成されたのかもしれない」
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emilylikestennis · 4 years
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赦-forgive-
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
エミリーライクステニス二万字インタビュー企画第二回は、最後の加入メンバーにして最年長の赦-forgive-。個性がぶつかり重なり合うバンドの中で確かなベースの主張がありながら人間性はあまり見えてこない。同じベースプレイヤーかつ同年代という共通項で比較的フランクに行われたインタビューで見えて来たのは、彼の見えない人間性ではなく、そもそも人間性という型の無さであった。否が応でもこれまでの型を破り、これからを暗中模索しなければならない今日のわれわれにおいて、彼の型の無い人生観やベースプレイはひとつの糸口となるのではないだろうか
(聞き手・早瀬雅之)
●それではエミリーライクステニスのメンバーそれぞれの二万字インタビューということなんですが、今回は飯田君(赦-forgive)、始めて行きましょうか。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。俺、二万字も話すことあるかな。俺二千字で良いかなー(笑)」
●ははは少ねえよ(苦笑)
「まあ乗り気で頑張ります!」
●それでは生い立ちから訊きたいなと。出身はどこ?
「出身はちょっと色々引っ越してて説明がめんどくさくて」
●それは親の都合で?
「そうだね。親の社宅が色々転々と場所が変わっていって、生まれた時は千葉に住んでいて、2歳で渋谷区の恵比寿に引っ越して、小学三年生の時に川崎市の等々力競技場の近くに引っ越して、そっから長くて、高校を卒業したあたりで横浜へ。横浜は親が家を買って。川崎市が一番長かったかな」
●ああそうなんだ。まあざっくりいうと関東圏内を転々と、って感じだね。
「そう転々とっすねぇ。だからこれと言った地元っていう感覚が分からなくて、大学の時とか地方から来たやつが半分以上だったから『休みに実家に帰る』みたいな話を聞くと地元に帰るっていう一つの儀式みたいなものが羨ましかったりした。地元があるっていうことは自分のルーツがしっかりあって逆にそういうのがない自分はルーツはわからないから自���は何者なんだろうというフワフワした感覚が昔からあって。親の出身も二人とも関西だし。ずっと『ここは自分の居場所なんだろうか』っていう正体不明の違和感がずっと付き纏っていた。裏を返すと『ここも、ここも地元だよ』っていう風にどこでも出しゃばっているけど、とにかく地元があるやつはみんな羨ましかった」
だんだん距離感とかわかってくるんだろうね、近すぎず遠すぎず。
●家族構成はどんな感じなんでしょう?
「父親、母親、それで姉二人」
●姉二人か、へぇそうなんだ。兄弟の仲とかはいいの?
「あー、どうなんだろうね、自分の家族しかわかんないし客観的に考えたことなかったなあ。うーん、どうだろう。仲が良いっていうのはどういうことを言うんだろう。そういえば早瀬くんは兄弟いるの?
●俺は弟がいるよ。
「へえ、仲良い?仲良いっていうのは一緒に遊んだりっていう感じなのかな」
●子供の頃はそうだね。子供の時だったら一緒に遊んだりっていうのが仲良いってことじゃないかな。飯田くんは子供の頃どうだったの?
「そうね、小さい頃は結構、姉が友達と遊んでいる時に、一緒に遊びに連れてってもらって、まあ姉の友達に可愛がられたり、甘やかされたりしたよね。(だんだんと思い出して)ああ、でも真ん中の姉には小さい頃すげえいじめられてた気がしてきた。三人兄弟ってさあ、一番上はまあ親にとって最初の子供だからすごく可愛がられて、それで一番下はまあずっと甘やかされてチヤホヤされるじゃん。そうすると、真ん中の子って可愛がられる期間が短いし、末っ子は可愛がられてるしで、ひねくれたりするんだよね。
●なんかそういう傾向はあるよね、三人兄弟は。
「それでさ、小さい頃の家族の写真、俺泣いてて、隣で姉がにやけてたりすんの。大きくなってから何で俺泣いてんのかって思って親に聞いたら、写真撮る直前につねられたりしてたわよ、って」
●(笑)
「甘やかされてる弟にムカついててて、俺がなんか憎たらしいことを言ってそれを親に訴えたところで『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい』っって言われるだけだから、陰でこっそり俺にヤキを入れていたんだろうね。あるいは単純にいじめてたか」
●はいはいはい(笑)
「でも高校生とか、大人になってくるとそういうのは段々となくなっていって、いつも普段はそんな会話する方ではなかったんだけど、むしろ節目とかことあるごとに俺がどうしようとか悩んでると『おい、あのな、』と的確なアドバイスとかくれたりして、『え、何で俺のことそんな知ってんの。』って不思議に思いつつすげえなあってなったりして。あんまり喋りはしないのに。よく見てんだね、姉というものは。ああ、今まで生意気なこと言ってきてごめんなさいって。
●いやでもいい関係ですね、それ。
「だんだん距離感とかわかってくるんだろうね、近すぎず遠すぎず。人間関係は適度な距離が大事と言うことを学んだし、姉は偉大だと」
●なるほど。
●子供の時は客観的にどんな子供だったと思う?
「うーん、やっぱり客観的に考えるのは苦手だな、、、。まあ喋んなかったね。
●結構無口だったんだ。
「無口だねえ。自分の主張とか苦手だね。授業中手をあげたりしないし、友達作ったりとかも積極的にしないし。学校帰りとかに友達んちにゲームしに行ったりとかはまああったけど、家で一人でなんか一人遊びしたり図鑑を読んでたりしてるのが多かったなあ。
●積極的じゃなかったんだね、意外だなあ。
「え、そう?俺の中では今も全然変わった感じしないんだけどなあ」
●あ、そう?(笑)
「そう(笑)」
●内気な少年だったんだ。
「そうね、小心者だし。あまり目立ちたくないんだよね。何事も傍観していたい」
●将来の夢とかあった?
「それね、そういう質問になるよね!」
●内気な少年は何になりたかったの?
「無い!その時どきでみんながなりたいようなのになりたいっていうのはあったけど。プロ野球選手とか、パイロットとか、他色々。
●ベタなとこね。
「ベタなとこはあったけど、『絶対これになりたい!』っていうのはなかったねえ。多分、自分の将来を思い描いてなかった、描けなかったんだろうね。あ、これいいね。ここ使ってよ!『内気な少年は、見えない未来を思い描くことが、出来なかった・・・』」
●はいはい(苦笑)
こんな中学行きたくねえ、こんな世界絶対抜け出してやる!
●中学校の時とか部活何やってたの?
「そりゃ将棋部っすよ」
●あっ!本当に将棋やってたの!?
「本当に将棋部なんだよ!」(注:赦-forgiveは一時期「将棋部」と名乗っていた)
「話が脱線するんだけど、ビーストとかドラゴンが実名でやると名字が珍しいから仕事的にまずいかもみたいなのでステージネームを決めるって話になって、俺は全然支障ないし、ありふれた飯田と言う苗字だし別に飯田で良いんだけどなーって思っていたんだけど、飯田さんも揃えてつけましょう!って流れになって、それでビーストが『飯田さん、〈DJボカロP〉か〈囲碁部〉にしましょう!」って言ってきて。
●なんだよそれ(笑)
「なんだよそれだよな。まあ『DJボカロP』は無いじゃん。俺そんな面白い名前背負える自信ないし、そんな名前つけるほど派手な真似できないし」
●まあそうだね(笑)
「それで消去法で〈囲碁部〉が残るんだけど、実際に将棋部だった手前、それを名乗るのは俺は許せないわけよ。『いや、囲碁できねえし、将棋部だったし!』って感じで、『じゃあ〈将棋部〉でいいかな』って」
●そんな話だったんだ。
「それでまたね、一年かそこら将棋部でやってたけど、将棋で藤井くんって怪物が出てきて、将棋ブームがやってくるわけよ。俺、将棋部入ってたけど、全然部活熱心に行ってなくて、ほぼ帰宅部だったから、これまた背負えないわけよ、『将棋部』という看板を。おこがましすぎるじゃんよ。それで『将棋部』に似た音の、ショウギブ・・・・・フォーギブ・・・forgive(赦す)・・・・これだ!・・・っと」
●それが名前の由来だったんだ。それでも意味わかんないけどね。
「うちのバンドの意味のわからなさは今に始まったわけではなく。まあもう、飯田でいいんだけどね、なんでもいいよ。名前はただの記号だし」
●ちょっと話を戻して、中高の頃とかどうだった?やっぱり内気だったの?
「中高の頃は多少変わって喋るようにはなったかもしれない。友達も普通にいたし。そう言えば中学に入る前の、小学生の時もずっと内気だったかと言われると、そうではなかったかもしれない気がしてきた。まあ小さい頃は内気で喋んなかったんだけど、小学校入学してから三年生の時まで渋谷区にいるときは割と学校で騒いでたり積極的に喋ってたりしてた方かも。川崎市に引っ越してからガラッと変わったかもしれない。渋谷と川崎って距離は近いんだけど、結構雰囲気が違ってね。渋谷区って、渋谷駅の雰囲気はまた違うけど、そこで暮らしてる人たちってやっぱり余裕がある人が多かったりして、全体的に落ち着いていると言うかマセていると言うか独特の雰囲気があって。川崎の方は、一般的な工業的な川崎のイメージのある東の方の地域よりもっと西の陸の方に行って、イメージとしての川崎よりももうちょっと落ち着いているんだけど、でもなんか、等々力らへんの、都会っぽさと田舎っぽさが共存しているところで、まあ日本全体で考えると川崎の方で渋谷の方が特殊なんだけど、俺はそこで育ったから川崎に言った瞬間に空気が違うのを肌で感じて、嫌いじゃないし居心地が悪いわけではないんだけど、なんか萎縮してしまって、ちょっとからかわれたりするだけでヘコんで、気の許せる同級生とだけ喋るって感じで」
●ふーん。
「それで、しょうろくになるぐらいに中学のこととか段々意識するようになるけど、それで地元の中学が通学路にあったから毎日様子を見てたんだけど、『あ、やべえ、金髪のやついるし、なんかバット持ってるし』ってなって、もうぬくぬく育てられた気弱な俺はそんな中学で過ごしていく自信なんか湧くわけないから『こんな中学行きたくねえ、こんな世界絶対抜け出してやる!』っていうふうなことで中学受験を決意しまして。親も俺がそういう性格なのはもちろん知ってるから『じゃあ頑張んなさい』と」
●なんか初めて自我みたいなものが見えたね。
「あー。そういえば。いいこと言うね。それまで自我というか、自分で『これやりたい』と主張したことなかったな。初めての自我の芽生えかもしれない。それで、中学はなんかおぼっちゃまみたいなのが集まるような学校だったから、また水が合うのか自然にに過ごせるようになって内気では無くなったかもしれない。まあ中高は楽しく過ごしてましたね。
●ちなみに音楽はどのぐらいの頃から聴いてた?
「どうだっけな。最初は姉が買ってきたりしてたCD聴いたりしてたなぁ。あとは学校で流行りの音楽を聴いたり。特別深いものでもなく、普通にJーPOPを。小沢健二とかB’zとかスピッツとかミスチルとか奥田民生とか。初めて自分で買ったCDは、シングルはラルクだったかなあ。アルバムはTMレボリューションの『トリプルジョーカー』。
●ちょうどそのへん流行りだったね。TMレボリューションとかって小学生の時だっけ。
「いや、中学入ってからな気がするなあ。小学校のときはお小遣いはそんなにないしジャンプとかVジャンプとかドラクエのバトル鉛筆に消えてたから、お小遣いが増えた中学生の頃だったと思う。(注:赦-forgive-と早瀬は一学年の差があり、一九九八年のTMレボリューションやラルクアンシエルが流行った時期は赦が中学一年生、早瀬が小学六年生でお互いの認識はそれぞれ正しい。)
「中学のときも流行りの音楽を聴くだけで、意識して色々聴き始めたのは高校生になってからかな。友達たちもみんなそれぞれ音楽的に趣向が出てきて、情報交換、というか『これやべえいいぞ』とか教えてもらって、NOFXとかRED HOT CHILI PEPPERSとかRAGE AGAINST THE MACHINEとかRADIOHEADとか王道なのから、SLAYERみたいなスラッシュメタルだったりJOHN ZORNだったり、でもJUDY AND MARYめっちゃ聴いてたり。一番学校でやっべえぞってなったのが、AT THE DRIVE INで。そんで、高校ではいわゆるミクスチャーとかメロコアと呼ばれてるのが流行って俺もだいぶ聴いてたけど、高三になったあたりでUKロックがロックリバイバルになった頃で、このあたりが一番ダイレクトに影響受けたかもしれない。FRANZ FERDINAND、THE MUSIC、THE CORAL、がかなり大学生になってロック研究会とブルースサークルに入って、そこから一気に世界が広がったかもしれない。50年代とか60年代のロックやブルース、そしてソウルとかファンクとかの世界を知った感じ」
●親の影響とかは有ったの?
「父親はなんか、楽器はやってなかったけど音楽を聴くのはすごく好きだったみたいで、めっちゃ大量にCDを買い漁ってて、それがアメリカのカントリーとかサザンロックとか、ジャズとかクラシックとか大量に千枚とか二千枚とか家に有って。なんか馬鹿高そうなオーディオとか買ったりして。ロック系だったらオールマンブラザーズとかアルクーパーとかフェアポートコンベンションとかリトルフィートとか、あともちろんビートルズとかも。別に父親と仲が良いとかもなく、父親もそんなに会話する方じゃなかっし、音楽とかそういう話はした記憶がないんだけど、父親が高そうなオーディオで垂れ流してるのを俺は自然と聴いて、『あ、これ良いな。』とか心の中で思っていたり、思わなかったり。あとは、姉がエレクトーン習ってたりしたのと、俺の幼稚園の同級生のお母さんかおばあちゃんか忘れたけどピアノの先生をやってたから、それがきっかけで俺は幼稚園の時からなんとなくピアノ習ってて、引っ越す小学校三年生までやってたかな」
●あ、ピアノやってたんだ。ピアノってなんか音楽というかベースに役立ったりしてる?
「それね、めちゃくちゃ役立ってる。楽譜読むのとか基礎的な部分とか、和音の構成の知識がついて、それでベースライン考えられたり。この音出��たいなら、フレットをこんだけ移動スレばこの音になるんだなとか検討ついたり、ベースやるなら他の楽器もやった方がいいというか、他の楽器を始めてからベースをやった方がいいと思う。いきなりベースやると基本的に全体のことが良く見えなくて、無意識にコードがCだったらドを弾かなきゃみたいな。でもCだからってドを弾かなきゃ行けない訳ではなくて、他の音を弾いてもいいし、逆にここはドを絶対弾いた方がいいみたいな、色々考えるには他の楽器やってからの方がいいベース弾けると思う。それでその楽器の経験とか知識がベースに組み合わさって面白い発想のベースが弾けると思うし。俺のベースは変わってる、みたいなことを言われることが多くて、自分では『どの辺が?』と思うけど、これは多分俺はベース始めたときにギターを触ったことなくて、鍵盤をベースにしてたりするからかなあと。まあ音楽的な話はつまらないからこのぐらいでやめよう。
●ベースを始めたのはいつ頃になるの?
「人生のたいていのことはあんまりはっきり覚えてないんだけど、ベースを始めた時期はよく覚えていて、中学二年の時。さっきの話に通じるけど、俺は中学の頃は今で言ういわゆるキョロ充みたいな奴で、オタクな奴とも仲良いし、嫌いな言葉だけどスクールカースト的に上位の、流行の最先端を追いかけてる奴とかとも仲良くて、それで、上位の奴とかが『バンドやろうぜ』みたいなブームが中二くらいで出てくるのね。俺は、その時はもうピアノもやってないしそれほど音楽にも興味はなかったんだけど、どういう流れか忘れたけど『飯田もやれよ。』ということになって、それで『ベースいないから、お前ベースな』って言われて。『ベースって何それ?』という感じで。俺も、よくわかってなかったけど楽しそうだから『じゃあやるわ。』と。その頃は、バンドというのもよく知らないし、ギターとベースの違いとかも全然わからなかったんだけど、それで友達の家で、その友達は医者の息子で吹奏楽部に入ってて、千葉に豪邸が建ってて、当時は出たばっかりで高級品のソニーのMP3プレーヤーとか持ってて、『すげえ、いっぱい曲入ってるし!』って興奮したんだけど、そいつはNOFXとかハイスタンダードが好きで、そいつの家でハイスタンダードだったか忘れたけどミュージックステーションの録画でバンドが演奏しているのを見せてもらって、『このでかい方のギターがベースだよ。今度買いに行くぞ』って。『俺は深夜にこっそりエヴァンゲリオンとギルガメッシュナイトを録画したことしかないのに、こいつは音楽番組を録画して、MP3プレーヤーを持ってるし、なんてハイソサエティな世界なんだ!』と興奮しちゃって、ベースやるぞって気持ちがどんどん盛り上がってきて。ちなみに二〇年前のテレビなんか大して低音が聞こえないから、結局ベースの音が一体どういうものか全くわからなかったんだけど。それで数日後にお茶の水の楽器屋へ行って、三万か四万くらいのヤマハの初心者セットを買って、ベースを始めた感じ」
●(笑)じゃあ始めたきっかけは友達の影響って感じなんだ。
「うん。自我が基本ないからね。友達がやってて楽しそうだったらやる、みたいな」
●最初はどういうのやってたの?
「最初はHIDEとかハイスタとか、イエモンとか・・・」
●当時の流行りひと通りって感じだね。
「何かエンリケとかが毛嫌いしてそうな奴ばっかだな(笑)」
●高校に行ってもバンドを続けてたたの?
「俺、何事も自分からは始めることってあまりないけど、一回やり始めたらなかなかやめないからね。やり始めたら止まらない。っていうか学校が中高一緒だったんだよ。中学から同級生みんなそのまま高校へっていう流れがあるから普通にやってた。ベースやってみたら、『あ、結構楽しいじゃん』って、ずっとやってた。
●バンド組んだら、文化祭とか、発表の場とか、自分で作ったことはある?
「文化祭ライブは前からあったんだけど、うちの高校は軽音部みたいなのが元々なくて、ちょうどうちの代の人達が『軽音部作ろうぜ』ってなって軽音部を作ったね。俺はまあ傍観してただけだけど。スーパーガンバリゴールキーパーズの抜けたメンバーとか、同級生なんだけど、そいつらが積極的に動いてた。
●あ、同級生だったんだ。
「そう。実は」
●それが高校時代。そっから大学になると思うんだけど、進路とかどういう風に決めたの?
「いやー、進路が難しかったんだよね。何しろ将来の夢とか具体的になかったから。大学、学部どうしようって。
●大学に行こうっていうのは決めてたの?
「高校がみんな大学受験するって感じの高校だったから、大学受験する以外の選択肢は特に無くて、大学受験するっていうのだけ頭にあって、『とりあえず勉強頑張って、一番行けたところに行こう』と」
●高校の時って頭良かったの?
「学校の中で?」
●うん。
「いや、全然。二八〇人くらいいて、大体二五〇位とか二六〇位とか」
●低いね(笑)
「高二ぐらいまで五年間勉強はほとんどしないでゲームとバンドしかやってなかったからね。さすがに高三になって、『さすがに勉強しないとまずいな』って。自分の中で何も勉強しないで適当に卒業して適当に大学行ってたら人生に何も残らないで後悔するだろうなって危機感が湧いてきて。とりあえずやることはちゃんとやろうと思って。結局高三になってからそんなんじゃ現役では受からないから浪人することになるんだけど」
●すごいね。また自我らしきものが出てきたね(笑)
「そうなんすよ」
●それ以外は流されるままに生きてるね(笑)
「そうだね(笑)」
●やっとこう、自分の意志で、ていうのが出てきましたね。
「高三の時にね、学年のボスと同じクラスになって、なんか急に仲良くなって。野崎くんっていうんだけど。野崎は中学からマジ怖くてね。蹴られたりとかしてたんだけど、高三になって同じクラスになってから急に仲良くなって、一緒に学校帰りに自習室に行ったり。野崎が「俺は将来弁護士になりたいから中央法に行く」って言ってて。俺も影響されてめっちゃ勉強して」
●学部はどこ?
「経営学部ってとこで。これはなんでここかっていうと、ここはセンター試験の点数だけで良くて、俺はセンター試験でめちゃくちゃ点数とったから、センター利用でこことあと何個か合格して、行きたかった私立は滑って、結局まあ自分なりに頑張ったでしょとここに落ち着いて。経営学部は、まあ全然興味なくて本当につまんなかったね。もっときちんと学部を調べればよかった。
●サークル的なものは?
「最初、映画研究部っていうところに入って、これは単に部室が居心地良かったからなんだけど、これも映画が全然好きじゃなくてね。ここでも自我が無いな(笑)」
●バンドのサークルはどうだったの?
「最初入ってなかったんだんだけど、経営学部にやっぱり授業出てなかったりで友達いなかったんだけど、大学にマルチメディア文化課程っていうとこがあって、何するかよくわかんない学科なんだけど、まあ日大芸術学部みたいなとこなのかな。そこに入ってくる奴はもう変な奴しかいなくて、映画研究部にもマルチのやつがいっぱいいたからマルチのやつと仲良くなってって、そいつから『マルチのやつでバンド組みたいやつがいてベースいないらしいんだけど、飯田くんやる?』っていう流れになって。マルチのKくんっていうのが組もうと言ってて、そのKくん含めてマルチの三人と俺とでバンドやり出して、それでロック研究会に入りました。
●バンド組んだのが先だったのね。
「そう。でもこのバンド、そのKくんとは”音楽性の違い”でKくん以外の三人で活動するようになるんだけど(笑)」
●大学行ったらバンドを続けよう、あるいはやめようみたいな気持ちはあったの?
「あー、最初はやろうと思ってなかった!『バンドなんて将来の役に全然立たない』っていうのがあったから、いつやめようかなあって。最初は大学で勉強しまくるぞって。でもやっぱり大学は水が合わないし、学部は全然つまらないし、受験で燃え尽きてたし、でも、なんかバンドは楽しいじゃん。それ大学行かずにロッ研だけは行く、みたいな」
●バンドはどういう感じの活動だったの?
「最初は横浜のライブハウスに出たりしてて、そのうち下屋根のオーディション受けに行こうってことになって、俺はそん時仕組みをよくわかってなかったから『オーディション!?やべえじゃん何それ!」ってなってて、後から考えると屋根裏のはそんな大袈裟なものじゃないと気づいていくけど、俺たちはオーディション受かったぞ!うおおお!みたいな自惚れみたいなもので興奮して、屋根裏とかに出るようになって。そん時に太平洋不知火楽団とかオワリカラとか対バンで見てたりして。向こうは俺たちのことなんて何にも覚えて無いと思うけど。俺たちは謎の根拠の無い自信で調子乗ってて、もっといろんなバンドと交流しておけば良かったなと後悔してる。あとから三年か四年後とかに、太平洋とかオワリカラとかやべえぞ!みたいな。そん時俺は『同じようなところで出てた同世代のちゃんと頑張って活動してるカッコイイバンドはどんどん結果出してるじゃん。何やってんだ俺は。』ってやる気どんどん無くして行って」
●そのバンドはいつぐらいまでやってたの?
「いつまでやってたかな。他にもサークルで組んだりとかもあって・・・、四、五年くらいやって、自然にやらなくなっていったかな。あ、ちなみにそのバンドのやつ、放送研究会にも入ってて、エンリケの先輩になるんだけど、性格に癖が強すぎてエンリケがそいつをめちゃくちゃ苦手でね。まあ俺は同級生で同じバンドだからそいつのこと面白くて良いけど、確かにこいつが先輩だったらめちゃくちゃ嫌だろうなって(笑)エンリケが『バンドはカッコイイし、飯田さんは良い人なんですけどね・・・』って(笑)今は『飯田さんのベースは認めるけど、人間性はね・・・。』って、真逆のことを言われてるけど(笑)」
●エミリーライクステニスに入ったのはどういう流れ?
「前々からエンリケが『飯田さん、ベースやってくださいよ。ブボンペキペキってやつを』って言ってくれてたんだけど、俺はずっと断ってたの。先輩とやったらエンリケが遠慮して、自由に出来ないで堅苦しいだろうなって。そのあと、やってたバンドもやらなくなって、就職もしないでずーっとゲームとかして虚空を見つめて人生無駄な期間過ごしてて、ちょうどエミリーライクステニスの先代のベースが抜けて。『もう、飯田さんしかいません。』って。『じゃあやる。』って。二〇一三年だったっけな。もう七年くらい前か」
あれ?これはめちゃくちゃカッコイイぞ。
●それまでは、エミリーを外から見ててどんな印象だった?
「そうね、最初は三人でやってて、横浜のライブハウスとかに見に行ったりしてて、なんかまあ、俺もバンドやってるから、『エンリケのやりたいのはおそらくこうこう、こんな感じなんだろうな。』って頭の中で補正しながら見てて理解はできたんだけど、やってることは甲高い声でエンリケが叫んで、速いリフの応酬で、でも全然演奏がめちゃくちゃで、なんかMCだけはまあエンリケのことだから面白い、誰が見に来るんだ、みたいな」
●それはエンリケも言ってたね。『演奏は受けずにMCだけ受けてました』って。
「そんで、しばらくして、先々代のベースがいて、ビーストとドラゴンが入学して二人が入って、四人でやってるのを学祭で見た時に『あれ?これはめちゃくちゃカッコイイぞ。演奏はめちゃくちゃだがこのまま演奏が上達したら良い感じになりそうだな。』って印象になってきて」
●おお。
「でもね、先々代のベースが就職する時に『辞めます。』ってなって、先代のベースが入って。その時は俺は虚空を見つめてたから一回もライブ見てないんだけど。なんかいろいろあったらしいことをエンリケから相談というか報告されてて、それでさっきの話の通り俺が入ることになって」
●なるほど。飯田くんが入ってから、いろいろ幅が広がったし、やろうとしていることの再現度が上がったりしてきたと思いますけども。
「それは褒められてんのかな(笑)」
●そうですね。ライブ中は何を考��ていたりするの?
「そうだねえ。色々考えてるけど。むしろ早瀬くんはどういうことを考えてライブやったりしてた?」
●そうね、エンリケとこないだ話したことだけど、『ライブ中何も考えない時の方がいい時が多いよね。』って話をしてて。
「そういうのはあるなあ。でも何も考えないでやるって、昔はできてたけど、最近は、エミリーやってからはなくなったなあ。何かしら考えてやったりしてる。演奏、走ったりとかしないか、とかここでこのタイミングで音変えるぞ、とか考えなきゃいけないことが多くて。エミリーに入ってから無心で無邪気にできなくなったというか。昔は『俺が弾くものは全部ベースソロだぞ。』みたいな感じだったけどエミリーでは支えなきゃいけないなって意識が出てきて。先輩という意識もあったし、俺が演奏面で支えなきゃいけない自覚が出て。これは成長なのかな。まあ演奏以外では別に先輩みたいな威厳とかは全然無いんだけれども。演奏に関してはまあある程度矜恃はあるので。あとはステージの上は恥ずかしいよね。恥ずかしいからビースト全部任せたぞ、って感じで」
俺たちがやる意味あるんですか?
●曲作りの面では、どういった作り方とか、どういう役割?
「難しいよね。一曲一曲違うし、以前と最近ではだいぶ作り方変わってきて。最近はコロナがあってしばらくスタジオには入ってないから作ってないけど。ボツになるのも多いし。なんかいい感じのフレーズができても『こういうの俺たちがやる意味あるんですか?』とか、『面白いところがわからないから無しにしましょう。』とか」
●やっぱ基準が「面白いかどうか」になってるんだね(笑)
「そうだね。具体的には・・・スサノオ先生とかは、ビーストが『東京オリンピックの新しい種目の応援ソング作りましょう!』とか言って、『種目はスポーツチャンバラです。』って。まあ俺も最初は『???』だよね。最終的にブラジルの少年がスポーツチャンバラでヤマタノオロチを倒すみたいな感じで、『じゃあ曲調はサンバのリズムで作るか』とか、うーん、すぐ思いつくのは、スペースパワーで、俺が最初言ったのかビーストが言ったのか忘れたけど、『動物はもういっぱいやったから宇宙で行こう』見たいな感じになって、まあ宇宙って言ったら、Pファンクとか、あとはスペースカウボーイっしょ、って感じで、ジャミロクワイっぽい『ドゥンべべドゥンべべドゥンべべドゥンべべ』ってアシッドなベースを考えて、そっからどんどん肉付けして行って」
●最初にコンセプト的なものが生まれるってこと?
「ここ最近はね。最近スタジオ、二時間入ったら、一時間くらいは会話でずっと大喜利やってるもん。最近の面白いのあったけどまだ曲完成して無いからここでは言えないわ。映画制作みたいな曲の作り方なんじゃない?『このシーンはこういう感じで、次のシーンはこういう感じで・・』ってどんどん」
●展開が一方通行だよね。同じ展開が出てこない。
「繰り返さないね。俺もなんか心配になって『繰り返さないの?』て言ってみたら『いや、繰り返しません。』と」
●ハハハ(笑)一方通行って覚えるの大変じゃないの?
「それがねえ、よく同じこと聞かれるんだけど、むしろ逆で簡単。一方通行で流れがあるから一回覚えたらむしろ混乱がなくて、覚えられるよ。みんながイメージしてるより簡単。並列だと、繰り返しがあると数えなきゃいけないじゃん。例えば、イントロあってAメロが何小節でサビが何小節あって、またAメロで次はサビ二回あって、とか。『あれ?今どの部分引いてんだっけ?』とか、数えなきゃいけないじゃん。そっちのほうが断然頭使わなきゃいけないと思う。直列の方が間違えない。もし間違えるとしたらそれはもう技術的な問題。』
●その、エミリーの曲の作り方とか構造はみんな気になるよね。
「なるのかね。まあ俺もたまに『ん?ん?何言ってるんだこいつら』ってなってるけど(笑)」
●(笑)
「まあ俺はあんまり構成とかはなるべく意見しないようにしてるけど。俺あんま面白い人間じゃないし、三人の方が面白いこととか突拍子ないこととか考えてるから面白いことは三人が考えてればいいっしょって。俺はフレーズ、こここういう方がしっくりくるんじゃない?とかそういう細かいところとか、リフ一緒に考えたりとか」
●そういうところでも役割がいろいろあるわけですね。
●また次の質問に行きますけど、バンドとかやってるけども、最近、普段音楽どういうのを好きで聴いてる?
「あーそうね、最近は・・・。三〇代になると根気とかなくなってきて昔みたいに聴き漁ってはないけど」
●新しいのを掘ったりしたりしなくなってくるよね。
「もともと、他の、バンドやってる人たちに比べては漁ってないと思う。最近はこういうのかっこいい、とか発掘しないね」
●プレイの面で影響受けてるものとかは?
「この話面白いのか疑問だけど(笑)この種の話をしだしたら面白味もなくダラダラ二、三時間くらい続くけど(笑)まあベースに関してもいろんなもの影響してるので全部はあげられないから一番だけ挙げると、生で一番『やべえぞ、このグルーヴは。』ってなったのは、溝渕さん(注:ex.スイセイノボアズのベース)。まあ他にも挙げたらキリがないのでこの辺で」
●はい(笑)
●エミリーに入ってもう長いと思うけど、もしバンドをやってなかったら今頃何やってた?
「何やってたんだろうね。考えられないな。生活の一部だからね。うーん。まあ・・・・・ゲームしてるかなあ」
●あ、そう(笑)
「ゲーム・・・。マジで何してただろ」
●例えば、今(コロナの影響で)バンドできないで家にいるだろうからゲームするの?
「ゲームといえばね、俺さあ、ゲームばっかやってたから、もうかれこれ一〇年以上以上ゲーム買わないで禁止してたわけよ。ずっとやっちゃうから。
●なるほど。
「でもね、そこで今回のコロナよ。俺、久しく一人で旅行とかそういうのしてこなかったから、冬ぐらいに『なんか東京に疲れてきたしたまには一人でちょっと北海道でも行こうかな。』って思って、三月に飛行機と宿を予約したのよ。そしたら見事に北海道で『これコロナじゃないの?』みたいになり始めたタイミングで、『マジかよ。何でこんなピンポイントで。こっそり行こうかな。でも絶対怒られるよな。』って自問自答して。まあ結局行かないで正解だったんだけど。そんで飛行機代は損したけど、あっちで三、四万くらいパッと使うかーって考えてたから、『行けなくなっちゃったなあ。鬱憤ばらしになんか買うか。』って。『そういFF7リメイク出るじゃんか。これだ。』って。それでPS4買って、FF7リメイク予約して、ドラクエⅪとか買って。ちょうど四万くらいだし。三月からもうずっとゲームして。いやもうPS4やばいよ」
●(笑)。俺ゲームやんないからわかんないけどどうすごいの?
「スーファミとかPS1とかで止まってたとこからいきなりPS4になったらね」
●だいぶ飛んだね(笑)PS4になると例えばPS3とかと比べると何が違うの?
「PS3は全然わかんないんだよ。やってないから。でも多分、PS3でも、ムービーとかはすごかったと思うの。でも操作中とかは多分荒くなったり。PS4でさ、まずドラクエⅪやって、動いてる最中もずっと綺麗だから『うわあ、リアルドラクエだ。』って感動して、さらにFF7リメイクやったら、もうフルCGムービー状態で操作できんの。FF7リメイクはなんか賛否両論あるみたいだけど。いやもう没入感がすごかった。それで切れ目がないから、ずーっとエンドレスでやっちゃって、四日くらいでクリアして。五〇時間くらいだったから一日一〇時間以上か」
●えー。熱中しちゃうね。
「だから、バンドやってなかったらそんな生活してたと思う」
●廃人になってたところでしたね(笑)
「別に今も廃人みたいなもんだけど(笑)」
●ふふ(笑)
●なんかこう、今こういう状況ですけど、これが明けたら、なんか『こういうことしたい。』っていうのありますか?バンドとしても個人的にも。
「まあこれは普通にもうね、普通にライブしたい。さっきステージ出るの嫌だみたいな話したけど、やっぱり、生でやるのはいいですからね、バンドは。もう普通にバンドしたい。
●そうだよね。
「そのね、普通にライブできる状態にするには、ライブハウスが普通の状態に戻らないと行けない。でもなんか俺ができることって何なんだろうって。何にもねえなあって」
●いやまあ、このインタビューでもそうなんだけど、エミリーはいろいろアイデアに溢れてるから、状況問わず、面白い発信のしかたがありそうですけどね。
「うん。まあそういう面白いアイデアは三人が考えて、俺は『あ、それいいんじゃない?』って言ってるだけだけど(笑)まあそんな感じでなんかやれたらいいっすね」
●まあ、アイデア豊富なバンドを支える、ベース飯田くんって感じですかね。
「なんか綺麗にまとめようとしてるね(笑)」
●いやでも、一人そういう人がいないと収拾つかなくなると思うんだよね。
「まあバンドに一人はそういう人必要だけど、俺が支えてるかって言われると、うーん。そんな気はしないけど」
●まあ一人そう、受け入れ態勢のある人がいないと、結構ぶつかったりとかも増えると思うし、いいバランスなんじゃないですかね。
「そんなもんなのかね。まあ良いように言うとね。まあなん今回のインタビューで振り返ってみると、小さい頃から『受け入れてる』のかな・・」
●そうっすね。そういう感じがある。
俺ね、面白いやつと一緒にいないと何にも面白くなんないんだと思う。
●今こうバンドやってる上で、その辺の意識というか、バンドを最初始めたきっかけも、周りの影響で始めたとか多かったけど、なんかこう、自分の意志でやってるなって感覚はあります?
「やっぱりあんまない気がするよなあ。かと言って消極的にやってる訳でもないんだけど。俺、多分さ、『こういうのいいんじゃないすか?』って言われて、『それはいいんじゃないか』とか『よくないんじゃないか。』とか『それ面白そうだな。』とか『むしろこうしたらもっと面白くない?』とかが多くて。そんで『じゃあそれやってみよう。』って、やってそれが面白そうだな、って思ったら割と積極的にやってたりする」
●はいはいはい。0から思いつくっていうより、人から提示されたものを重ねて行ったりする方が得意なんだね。
「そうそう。確かにずっとそうだった。0から1にするよりも、1を2にしたり、10を11とか12にしたりは得意だな。改良したりアレンジしたり。
●そこが持ち味ですね。
「俺ね、面白いやつと一緒にいないと何にも面白いよね。俺一人だと全然なんも面白くない。面白いやつと一緒にいたらその面白いやつをさらに面白くさせられるとは思う。だからね、こういうインタビューは、大変ですよ(笑)」
●ハハハ(笑)そうだね。個人のインタビューはね(笑)
「そういうの含めて、自分の話好きじゃないんだよ。『俺の話なんかして、お前、なんか面白いか?』って」
●まあでも、今回は飯田くんの自我がどこにあるのかってい うのがポイントだったと思うけど、今の話でなんか見えた気がする。
「うん。まあ俺は金魚の糞ですよ。コバンザメ」
●ハハ(苦笑)
「なんか面白そうなやつにくっついて、なんか面白そうにしてるだけ。
●まあ、なんか面白そうなものを膨らませる可能性を持ってる感じですね。
「なんかやっぱり上手いようにまとめようとしてるね(笑)」
●いやまあ、この辺で質問ももうないし終わりに向かって行こうかなと(笑)
「いや、でも二千字で終わるつもりだったから思ったより長くなった(笑)」
●じゃあまあこのへんで(笑)ありがとうございました。
「ありがと��ございました」
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emilylikestennis · 4 years
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エンリケ後悔王子
※���テキストはPCでご��頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
 ●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
 ●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを��い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
 ●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
 橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
 ●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
  今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティ���だな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベント���なりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
  仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
 ●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲���アイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
 ●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
  記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は��ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」 
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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