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#藁まぶし作り方
gupaooooon · 1 year
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日本語圏のオタク界隈の、トランス差別/LGBTQ+差別について、憤りの吐き出し、雑記。🤮
日本語圏のMoonKnightのファンダムのTransphobiaの酷さについても、吐き出し🤮
Twitterで何度か書いてきたことだが、Tumblrにも投稿する。長いし、雑だし、纏まりがなさ過ぎるが、こちらでも吐き出す。
日本におけるトランスジェンダー差別。LGBTQ+差別。
右翼/極右/宗教右派やアンチフェミの差別主義者の糞共だけでなく。所謂“左派”や“リベラル”と言われる人達や、反差別を表明している筈の人達が、続々と、トランスヘイトをぶち撒けて、“極右”と合流し始めている。陰謀論を鵜呑みにして、LGBTQ+差別を拡めていっている。
差別主義者の屑どもの与党政治家達(とそれに追随する一部の野党気取りの只の与党傘下政党)も、著名人達も、大々的に差別を煽っていく。“素朴な疑問”“ただの議論”の体裁で、続々とその差別扇動に、あらゆる人々が加担していく。
有名なクリエイター達、イラストレーターや漫画家や小説家やアニメイター達も、続々と、(ただでさえ、日本のオタク界隈の有名クリエイターは、その大多数が、右翼かつアンチフェミニズム/女性差別主義者/セクシストの糞だらけであるのだが)transphobeとして本性を現していく。
フェミニズムに対する理解があると思われていた一部の人達も、デマや陰謀論を信じてトランス差別に加担していくばかり。
「女性スペース」「防犯」といった用語をキーワードにして、マイノリティの属性そのものを犯罪者と同一視して、排除し、偏見を拡めていく……典型的な差別言説を鵜呑みにし、同調し、続々とトランスヘイトをぶち撒けていく。
(まともな性教育もない日本では、いつまで経ってもマイノリティを「消費対象」としてしか見なしていない人々が“クリエイター”として影響力を持ち続ける日本では、SNSによる差別の影響力の酷さと、その差別に“対抗”する人々の“少なさ”が圧倒的で、つらい)
(大多数の著名なクリエイター達は、反差別の表明などは一切せず、現実のマイノリティにはまるで興味がない……どころか、ノンポリ気取りに、毎日のように、SNSでは差別をぶち撒け続ける/差別主義者(特に「表現の自由戦士」なるものを名乗るコミックスゲート/ゲーマーズゲートと同じような、セクシスト/インセルの集団による差別扇動、それに賛同する最低最悪な有名クリエイターがうじゃうじゃいる)の取り巻きとして差別扇動に貢献するばかりである。彼らの作品がさも“クィア”や“フェミニズム”で“反差別”であるかのように、国内外から無批判に評価されたり消費されたりしてるのをみると、そのギャップに目眩がする)
二次創作界隈/ファンアート界隈でも、どこもかしこも、トランスヘイトがどんどん蔓延って、それに周囲の人間もどんどん加担していく。
Twitter上の日本語圏のMoonKnightのファンダム、fanart界隈も酷い状況で、しんどい。
数年前から、ずっと、トランスジェンダー差別やLGBTQ+差別をぶち撒け続けて、Twitterの有名な日本語圏トランスヘイターによる差別発言や陰謀論を拡め続けているアカウントが……ムーンナイトのファンアカウントとして運用してるヘイター/transphobeがいる。
そのアカウントは、「トランス差別に反対しています“しかし”一部に過激派がいて、陰謀があり、自分達はその過激派な“TRA”や陰謀を批判しているだけ……」という手口で、反差別を唱えながら、典型的な藁人形論法と陰謀論をぶち撒けて……トランスジェンダー差別/LGBTQ+差別/陰謀論をずっと拡散し続けている。
「トランス差別に反対しています」という言葉を書きながら、ずっとトランスヘイト/陰謀論を拡散し続けている。
酷い手口に、反吐が出る。
(そして、この手の、一見すると……“反差別”を訴えているようでいながら、実態は全く違うアカウントが。「“TRA”“トランスジェンダリズム”“TGism”“性自認至上主義”“トランスカルト”」などの酷い差別語/デマに基づいた酷い単語を用いて、トランスヘイト/LGBTQ+差別を繰り返して……陰謀論の拡散を続けるアカウントが、この1年くらいに日本語圏のオタク界隈にどんどん増えていると感じる)
(「差別ではなく区別!」 「ただ過激派を批判しているだけ!」 「“身体性”を無視しない“議論”をしてるだけ、“素朴な疑問”を言っただけなのに差別と言われた!」 などという醜悪な言い訳を述べれば、何年間も酷い差別言説を拡めていても、日本語圏で有名なトランスヘイター/transphobe達や酷い極右の差別主義者をRTし続けていても、ミスジェンダリングや差別語使用を続けていても、「〇〇さんがやってるのは差別ではない!」と、周りもヘラヘラ同調して、同じように差別をぶち撒けたり、差別行為を擁護したりする。本当に、反吐が出る光景だ。)
MoonKnightがMCUドラマ化されたことで、案の定そのヘイター/transphobeのアカウントがフォロワーを増やし。多数のMoonKnightのファン/二次創作作家が、その差別主義者と無批判に繋がっており、その一部はどんどん差別言説と陰謀論に共感し、そのアカウントが拡散する差別扇動などをイイねやRTをしているのがわかる。
信頼できる人達(差別反対を表明し、かつ何がどう差別なのか理解している人)以外、日本語圏のファンダムにはもう近付きたくない。
日本語圏以外でも差別的なアカウントはいるかもだろうが。自分が理解できる言葉/それに気付ける範囲である以上は、差別に加担したくないし、あまりの酷さに、もう、本当に無理だ。
この1年だけみても、そしてここ数ヶ月だけみても、どこもかしこも、オタク界隈におけるトランス差別拡散が、本当に悪化している。
あのトランスヘイター/transphobeのアカウントと、無批判に積極的に繋がっている周囲のアカウントも、“差別行為に気付いてない”……というのは無理があるし、無関心が過ぎる。
差別言説や陰謀論に共感しているか、気付いたとしてもオタクとしての繋がりの楽しみや情報共有が“最優先”なんだろう。以前から、あのトランスヘイター/transphobeと繋がっているアカウントに対してはミュートを使っていたが、もう、ブロックに変更した。
(あのヘイター/transphobeと仲良く交流しながら、自分のことをフォローしているアカウントも数人いたが、一体どういうつもりだったんだろうか。反差別記事をRTしたり、差別的なアカウントの手口を批判する自分を、滑稽なありさまだと眺めていたのだろうか。差別を、ちょっとした意見の違い程度と思ってるんだろうか。まあ、此方のツイートなんてまるで見ていなかった、自分はただのお絵描きマシン扱いされてたんだろうなと思いますが)
今の日本語圏Twitterのトランス差別/LGBTQ+差別の酷さ、本当にこわいし、しんどい。(この二つは当たり前に異なる用語ですが、決して切り離せるものではなく、当たり前に地続きの差別問題であること、強調したい。ここを切り離した語りで、「LGBとTは別である」などと言いながら、自らのマイノリティ属性を強調しながらも差別を拡げていく差別主義者のアカウントが本当に多い。怒りしかない)
プロのクリエイターが差別をぶち撒け続けるその影響力とは、また別に
SNSのオタク仲間/二次創作作家というコミュニティ、ファンダム側における差別扇動もどんどん常態化して。「オタク活動の楽しみ、繋がり」優先に拡がっていくさま、差別主義者が影響力を増していく様を見せつけられること。繰り返される差別扇動に“寛容”でい続ける人々の姿。本当にしんどい。
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tenaraichou · 1 year
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眼鏡を模ったしめ縄は岡山のほうの形だそうですが、「先を見通す」「見通しが良い」という謂れが今の気分に合いすぎる!ということで作りました。 右綯いと左綯いの、捻りの向きが異なる三ツ縄を合わせることで中央に表われるパターンが好き。左右の合わせ方でパターンの向きが変わり、印象がだいぶ変わるところも好き。 昨年末から始めたアシュタンガヨガにとても助けてもらった一年だったのですが、鼻の頭や眉間に目線を置いて集中する練習を続けていて、そのせいもあるのか、とてもこのしめ縄の形に親近感を持ちます。 ほんとうに、今、好きな形! 自宅に飾れないのが残念ですが、いくつか作ることでかなり心が満たされました。 #藁細工 #しめ縄 https://www.instagram.com/p/CmvkNqTrrty/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 7 months
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埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイトデモクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」と��うコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
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patsatshit · 8 months
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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2comlog · 1 year
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週報2023-04-02
今日は火曜日
そうだね。
ところで、今更!?という感じですが、お週報をFANBOXでの更新に換えようかなと思っています。 画像投稿がそっちのが楽なんだよな~…リンク埋め込みもありがたいし…
もちろん、今まで通りの内容ですし、有料記事にする気はありません。 試験的に並列更新やってみてもいいですか? もし合わなかったらいつも通りタンブラーのみになると思います。
かみねぐしまい第一話掲載!
やべっ!言うべき事があったな!サブカル行動ダイジェストやるつもりだった。
まんがタイムきらら2023年5月号にて若鶏にこみの最新作である「かみねぐしまい」の第一話が掲載されました。
【きらら5月号】新連載・センターカラーで登場、若鶏にこみ先生「かみねぐしまい」! こちらが新連載1話目の扉絵です。どうしてこうなった。 D☆V4コマ誌のDVはドキドキビジュアルだったはずですが。 お口直しにモノクロの作品ビジュアルも載せておきます。って、こっちもか! #kirara pic.twitter.com/0sf8RfnEEe
— まんがタイムきらら編集部 (@mangatimekirara) April 6, 2023
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開幕クロスカウンタードキドキビジュアル4コマガジン、まんがタイムきらら。 担当さんはまんがタイムきららの人なので、最初は「やめなよ…こんな扉絵…」と止めてくださいましたが、 「コレやれないならこの話じゃなくていいです」と押し切りました。ひどいよ…
(そうなんです、実は二本(いや…案だけで言ったら実質4本くらい?)程ネームを…数話書いてて、そこから担当さんに選んでもらう風にしました。 へへ…すごく大変でした… あの時期は週替わりくらいのスパンで毛色もすべてが全然違う漫画のネームを…かわるがわる描いてて… 頭ぶっ壊れるかと思った。
…かみねぐと戦い、最後まで残ったもう一本も、良いんじゃない?という出来なため、 どっかで出せるといいですね~と思っていますが…少なくとも、近いうちには絶対出てこないです。 マジでかみねぐとは全然違う話で、もっとお色気…というかガッツリと主題からもう百合モノでした。 とりあえず今はコレを出せてよかったなと思ってます。)
長めな余談をしてしまった。 まだ読んでないよ~という方もいらっしゃると思うのであまり内容の話はできませんが、かみさまとぐしまいの話です。
【きらら5月号】小森くづゆ先生「Vドルあーかいぶ!」! Vドルユニット「フラグメイト」として活動を開始したヒカリたち。 早速ユニット内コラボ、ヒカリとユメで配信です! コミックス第1巻絶賛発売中! ≪きららベースで振り返り連載中!≫https://t.co/LC6wQyDLlc #kirara pic.twitter.com/69Ca05LNDC
— まんがタイムきらら編集部 (@mangatimekirara) April 6, 2023
Vドも継続でお手伝いさせていただいています!
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鍋の作画をするシーンがありました。 タソチャンもそうですが、小森先生も本当に優しい方なので、コマ端にラクガキしても許してくれるため、描きがち。 仕事に集中しろよ。 …し………してるよ!
サブカル行動ダイジェスト
・ス展2週目行ってきたよ!
タソチャンと!また! タソチャンは徹夜した翌日で、私は自原稿RTAの最中という双方最悪のコンディションだったのであんまり記憶がない。 展自体の話は前回のお週報でやり遂げているから…!いいか…!
ヒカリエでごはん食べて帰りました。 お茶漬けのお店だったのですが、テーブルに出されていた「お好みで振りかけてください~鰹節~」の瓶の上にさかなの絵が書いてあってかわいかった… 「明日✘✘社に隕石落ちてきて仕事なくなったら何の職業になる?」みたいな不謹慎な話とかしました。 デザイン職は知識量バトルなので無理だな~と言いました。
・ロリコンなのだろうか。私は…
直近のおポケ幼女がそんな刺さらなかったので、もうロリコンじゃないのかも…と不安に思っていたが サワビさんは出会いタイミングがウォーグルとの邂逅という一大イベントの最中ゆえキャラ萌えとか言ってらんなかったし、 アーマーガアが大好きなのでポピーさんを愛でるのは難しい、しゃーないな… 幼女よりアーマーガアが好き!なんて誠実なポケモントレーナーなんだ……
・よっしゃ~!人生においてやりたい事リスト50個書けたぞ!
よっしゃ!よっしゃ!よっしゃ! 結構長い事30くらいで止まっていたのですが、ちょっと手が空いたので続きかいてたら案外50は!突破できたな! よかった!うれしい! でも100はちょっとムリくない!?こんなにくだらない事ばかりを優先して書いてるつもりなのに100は絶対出てこないなと思いました。 何が書いてあるの? 例えば…新小岩のルノアールでかつ丼食べたいとか…ビデボのポイントでオナホ貰いたいとか…
・推し、成仏出来てるのかもしれない
死んだ公務員男性推し、 死んで久しいというのにここに来てまさかの二週間連続で、成仏ロール成功情報が積み重なっていく… どうやっても今後とも妄言は続けていくと思いますが、よかったね…2021年の私も…
・縄跳びって、すげー!
体が痛いしダルすぎてヤバかったのだけど、藁にも縋る思いでエア縄跳び1分5セットやったら全部楽になって嘘みたいだった… 湯舟につかる以上の効能を感じた… これは絶対継続したい!と思いましたが翌日の筋肉痛が常軌を逸していたので、これを継続できる人生にすることを先の目標にします。
お散歩とかしました。
天気がいい!春という感じ! 私は南武線ユーザー(要出展)、つまりは都民ではないので週末に選挙がありました。
投票所は家からほど近く… とはいえ、せっかく外に出たのだからそのままお散歩をした方が…人生に有益だよな…と思い、しばらく歩く。 ちょっと歩くと公園があったっけなあ…と思いつつ、道すがら見つけたコンビニで肉まんを買い、 そのまま見知った公園の、好きなベンチを求め…
適度に湿っていて、苔むした石畳の先のベンチ。 時折ねこが集会を開いていたはずです。 ここの公園はやたらねこファーストであり、路上のど真ん中に突然、キャットフードと思しき粒の入ったどんべいの空き容器が置き去りにされていたりもする。 道のど真ん中はやめなよ! いやまあ…それ以外でも、ダメといえば…ダメだけど。
とはいえこの日は特にねこ集会はありませんでした。選挙に行っているのかな。そうかもしれない。
そして木漏れ日の中、肉まん食べつつセリフ考えたりして、これでいいんだよこれで…と思った。
なんだか最近「楽しい事」ばかり探してて、それって高刺激なわけだけど、 もっとこう…「これでいいんだよこれで」…詳しく言語化致しますと… 「知ってる良さ」を再現することも幸せの一つよなと思った。
一回しかない日々を違うように生きる事ももちろん楽しいけれど、 一回しかない日を、「過去やったことあるような日」にすることのが、贅沢な気がする。老いか?
じゃ、エモい話もしたので下ネタで終わらせていいですか?
どの地域にも「下ネタが描かれてる壁」が近所にあると思います。 みなさんのご近所にもありますよね。 ない!?じゃあ…今日は解散…ごめん…来週のお週報も…お楽しみに…
さて下ネタウォールです。 大抵はうんこまんこしっこおっぱいちんちんの通称「UMSOPC」の何れかがたくさん書いてある壁になっているかと思いますが、 私の近所の…一つだけ、なぜか半歩…いや一歩だけ高度なんだよな…
コレで住居バレしたら最悪なので例えで恐縮ですが「HARD SM play…」みたいなことが描かれている。UMSOPから、一歩前! (そういえば、この「下ネタウォール」の創作者って小学生中学生がメインかと思われるのですが、 私が当事年齢だった頃、クラスで「SMごっこ」と評して、かわるがわる制服のベルトを鞭としヒトを叩きあう行為が流行し、 先生はいじめと認識し止めに入ったのですが、 こちらの「SMごっこ」は各々自身の性趣向自認の助けをも含んでいた神聖な行為でもあったかもしれず、 本当に参加者全員が「鞭を打つ側」「食らう側」を両方行っていたため、 先生にも止める術がなく、頭を抱えていたな。 もしかして案外小中学生にとってSMってメジャーなのかもしれない。本当かよ。)
で、こんな気軽に一歩前の下ネタウォールがあるのだとしたら、もっと歪んだ下ネタウォールもあるんでないか。
何が描かれていたら嫌だろうか…と考えてみました。 真っ先に浮かんだのが「小指の爪」であったが…… いや「ペディキュア」のが怖いな…確かに「ペディキュアじゃなきゃ無理な人」は居るだろうから…という部分も含めて… (小指の爪がいい人は本命はそれ以外な気がするが、ペディキュアはココが本命な気がする)
「ハイレグ」とかもメジャーなだけあって「それじゃなきゃ無理な人」が多そうで嫌だな…
みなさんのご近所の下ネタウォールはどういう仕上がりですか? もし尖ったウォールがあれば、箱等を通し、お教えいただけたら、単純に私が嬉しいです。
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスの���ェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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nyantria · 2 years
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ストローマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 09:59 UTC 版)
��源
語源は不明である。比喩的な用法は、容易に倒せそうな藁人形、ダミー、かかしなどを示唆する[2]。 アメリカではポリティカル・コレクトネスの見地から、字義的に「藁の男」を意味する「ストロー・マン」を言い換えて、性別を問わない「藁の人」を意味する「ストロー・パーソン」を使用する場合がある[3]。
概説
相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁である。
しばしば、感情に訴える論証やチェリー・ピッキングのような他の誤りとともに用いられる。相手の発言を元の文脈を無視して引用し、本来の意味とは異なる印象を与えるよう提示することをクオート・マイニングと呼ぶが、クオート・マイニングに基づいて批判すればこれもストローマンの一種である。 また、倫理的に問題のある行為を抑止する場面などで多く使われる藁人形論法の一種に、滑りやすい坂論法[4]がある。Aという行為に踏み出すと類似の行為が連鎖的に行なわれ、最終的には破滅的状況になるため、そもそもAを行うべきではない、という論法である[3]。
マスメディアにおいても、対抗意見を充分に取材せず、独自に解釈した反論を両論併記などの形でしばしば報道に取り入れている。[要出典]
論法
相手が示した意見を歪め、あるいは一部のみを取り出して解釈し、それを相手が発言したかのように言い返す。
さらに発言を引用する形で一見では否定しがたい持論を作り出し、自らの発言の正当性を補強する。
相手の意見に同調する不完全な擁護意見を持ち出し、充分な主張・再反論がされたようにみせかける。
発言の中から一見関係ありそうな問題や考え方を取り出し、さも相手側の意見はこれを象徴するものとして非難する。
簡単な例
A:私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。
B:そうは思わない。なぜなら子どもが屋外で遊ぶのは良いことだからだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。
「道路」としか言及していないことに対し暗黙的に「道路=屋外」であると誘導し、さらに「危険だと思うなら家に閉じ込めておけ」という言外の要素を過剰に拡大して解釈している。
X:私は雨の日が嫌いだ。
Y:もし雨が降らなかったら干ばつで農作物は枯れ、ダムは枯渇し我々はみな餓死することになるが、それでもX氏は雨など無くなったほうが良いと言うのであろうか。
Xの一私人としての感情を必要性の問題として解釈し、さらに「嫌いなら無くなったほうが良い」という言外の要素を過剰に拡大して解釈している。
ストローマン - ストローマンの概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書
straw man arguements/藁人形論法/屁理屈
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tori-utsuwa · 1 year
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. お休み振り返り、その2 先日の休みを思い出しながら、店を開けています さて、お腹いっぱいでかじや窯を後にして向かったのは熊本市内 熊本城の目の前、伝統工芸館で始まった注連縄の展示即売会へ 全国各地の注連縄や藁細工が展示された会場は、マスク越しにも藁の香りを感じて、素朴で力強い注連縄の神々しさに感動、しばらく立ちすくんでしまった 会場を何周か回って一番心に留まった鶴のお飾りを求めました(仕入ではありません)北九州と紹介されていて、もしかしたらあの方かな?と思い浮かぶお顔もあったりで…後で聞いてみたらやっぱり柳井佳さん作でした ということは、川棚の藁かな? いつかこの川棚の地で、佳さんの注連縄をご紹介できたらなと思ってます しめ飾りを特集した民藝12月号を読んだところでもあり、様々なしめ飾りを直に見ることができて勉強になりました 地震の跡がまだ残る熊本城、なんだかわからないけど一礼して、次の目的地へ出発しました つづく #桃李の休日#うつわとくらし桃李 (熊本県伝統工芸館) https://www.instagram.com/p/CmDgMXjOx4Z/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ophelia333k · 2 years
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2022年9月29日
 図書館を歩いていたら偶然、そこにフェルナンド・ペソアの『不安の書』があったから読んでいるのだけど、あまりにもよくてびっくりしている。
 〈確かにわれわれの創作する作品に何か価値があるとは思わない。確かにわれわれは閑つぶしのために創作を行なうが、運命から気を逸らすために藁を編む囚人とはちがって、ほかでもない閑つぶしそのもののためにクッションに刺繍する少女のようになのだ(フェルナンド・ペソア『不安の書』p19〉    〈夢のなかでは手に触れられるほど現実的なある種の現象が現実の空間にはありえない。現実の落日は測り知れないもので、束の間のものだ。夢の落日は固定され、永遠だ。筆のたつ者というのは、自分の夢をはっきりと見ることができ(実際そうしている)、夢で人生を見、人生を非物質的に見ることができ、幻想という写真機で人生の写真を撮ることのできる者だ。この写真機には、重いもの、有用のもの、限定されたものという光線は作用せず、心の感光板に黒く写る(フェルナンド・ペソア『不安の書』p27)〉    〈散文はあらゆる芸術を取り込める。その理由のひとつは、言葉は全世界を含むからであり、またひとつには、自由な言葉は全世界を表現し考えるあらゆる可能性を含んでいるからだ。散文は置き換えにより何でも表現できる。内面的な次元なしに絵画が直接そのものによって表現するしかない色彩と形を、それは表現できる。形のある実体も主題というあの第二の実体もなしに、音楽が直接そのものによって表現するしかないリズムを、それは表現できる。建築家が外界にある所与の固体で作らなければならない構造を、われわれはリズム、ためらい、絶え間なき流動性によって打ち建てる。後光も素材を変成させることもなしに、彫刻家が世界に残さなければならない現実を、それは表現できる。最後に、秘儀参入者のように詩人が、心から厳かにかしずく対象である詩さえも、それは表現できる(フェルナンド・ペソア『不安の書』p47)    〈現実の風景を眺めるのと変わらないほど鮮明にわたしは夢において風景を見る。夢の上に身を乗り出すなら、何か現実的なものの上に身を乗り出すことになる。実人生が過ぎゆくのを見るなら、やはり何かを夢見ているのである(中略)それぞれの生活――夢の生活と現実の生活――は、同じ固有の現実だが異なる現実をそなえている。近いものと遠いもののようだ。夢の姿はわたしにはいっそう近い、しかし(……)。(フェルナンド・ペソア『不安の書』p135)〉    ***  志人/玉兎の「懐胎 解体 Special Episodes」を聴いていた。その歌詞。    「きみは塩水 生きる意味を問う 涙の味は 辛い塩水 母なる地球とわたしとのへその緒切ったメトロポリタン、ウミガメの産卵後この帰り路を阻むテトラポット、銀河結合レールよりもインターネットが進化せど、ほとんどはきみの夢をまるごと強盗する絵空事」     やっぱり自分はこの頃の日本語ラップ(あるいはclassicな日本語hiphop)が好きで、漢a.k.a.GAMIの「紫煙」や刃頭の「野良犬」、志人/玉兎の「懐胎 解体 Special Episodes」(これは最近の曲だけど)、「門外不出」、降神の「SUIKA」や、BHUDDA BRANDの「人間発電所」、なんかをいつまでも聴いてしまう。    ***  夢について。何度も言っていることだけど、なぜか現実世界よりも夢の中の方が感情が鮮明でリアリティがあり、現実世界ではもはや何が起きても感情は曖昧なままほどけていってしまうのに対して、夢の中ではいつも強くて鮮明な感情を覚えている(そしてすべてを忘れてしまう)。  夢の中で覚えている感情というのは渇望であり、(存在しないものへの)恋であり、そして何よりも永遠の切なさだと思う。夢の中では、永遠に日が沈まないまま、夕焼けのような世界だけが続いている。切なさは持続し、消え去ることも解消されることもない。  数日前、夢の中で見ていた風景を覚えている。夢の中で目が覚めて(そこもまた夢の中なのだけど)、家の中の窓から外を見る。すると、雲は分厚く空は暗くもう夜になりかけているくらいなのに、時計を見るとまだお昼の14時くらいで驚く。  あらかじめ失われている夢の王国、ヘンリー・ダーガーの描いた『非現実の王国』と、ルイス・キャロルの『シルヴィーとブルーノ』について。
 ***  左翼は分裂症的(そして双極性障害的)なのに対して、右翼は偏執病(パラノイア)的、という話を聞いた。大雑把なのは間違いないけれど、実際、そうなのかもしれないと思う。浅田彰の『逃走論』はすべてから逃げ続けることを、分裂し続けることを肯定するわけだけど、右翼は逆にすべてを引き���けようとする。伝統を、国家を、天皇を、歴史を(だからこそ、右翼、と呼ばれる人間たちは『逃走論』を読むことでいらいらした心地になるはず)。
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gohanasahiruyoru · 2 days
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qofthequinine · 2 months
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美しさと綺麗について
父親にこんなことを言われた記憶がある。
「綺麗」と「美しい」は全然違うんだよ。例えば、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケは、綺麗ではない。むしろグロテスクな想像さえ掻き立てる。しかし、美しい。綺麗なものは、印象に残ることもない。こざっぱりとしていても、面白くない。さらにはこの「面白い」にも難しさがある。例えば、あるアイデアを「面白いやないか」と称賛したり、作ったものを「面白い」と評価すると、「バカにするな!」と怒る人に接したことがある。ここで自分が発話した「面白い」は「興味深い」「発展しそうだ」という意味であるんだが、「バカにするな!」と怒った人はおそらく、嘲笑しか知らない人なのだろう、と思うよ。
その記憶をさっき話した。「うん。たぶん言うたんやろうし、自分が思ってることと一緒やから、確実に話したと思う」と。
そして、映画を見ていても思う。どれだけ残酷な描写でも美しい瞬間があるし、愛が結ばれたように見えるキスシーンが綺麗なだけだった途端に興醒めする。
で、父は友人に一人や二人、そういう価値観を共有する人物がいると、話してくれた。
自分もまた、「綺麗やけどつまらん」「飲みやすいけど面白くない」「こざっぱりしてるけどダサい」「読みやすいけど芯食ってない」などの意見を共有できる友人が少なくとも3名いる。表向きには真っ当なんだが、対話を深めるうちに美学といえば大袈裟だが、なんだか見ている世界が一緒だなあと思う。おそらく、綺麗すぎる世界よりは美しい世界を見たいのだと思う。
ここからは、いろんな問題を掘りながら、結局内心の吐露になる。
綺麗すぎる場所には誰も住めないだろう。その人は綺麗の基準を満たさなければ排除されてしまう。汚すぎてもいけない。それは衛生学の専門だ。あるいは生理的嫌悪。でもこれを「嫌だから無くなってしまえ」と思うなら、我々が食べている畜産物を飼育している場所に赴くといい。動物の臭いが充満している。糞尿の臭いもする。しかし、この環境で飼育された肉を食わなければ、人間には無理が生じる。ヴィーガンとか言って動物性タンパク質を忌避する人もいるが、あれは南アジアの環境として宗教に衛生学がくっついたものだ。「動物を食べるなんてかわいそうに!」と言いながら、植物をものすごく残酷に扱う。桜の枝を手折るのは、本当にやめてほしい。綺麗な花を飾りたい気持ちは理解するが、その桜が来年咲かなくなったらどうしよう?その花が花を摘んだことによって死んでしまったら?弱肉強食までは言わない。食わねえと死ぬ。それだけである。知らなかったから美しいものを奪った、とは恐ろしいことである。
そうなってくると、「清い水には魚が棲めない」と話が発展する。
純水を思い起こして欲しい。全くの水だ。不純物はない。理科の先生が言っていたのは、「飲んでも害はないけど、めちゃくちゃ美味しくないよ」と。ミネラルウォーターにはある程度のミネラルが含まれているから飲める。硬水だとか軟水だとか、聞いたことあるはずだ。また、植物に水やりをする場合にも、おそらく純水では無理で、浄水器の水をやっても枯れてしまう。可能なら井戸水がいい。そうして、純水に放り込まれた魚は、割とあっけなく死んでしまう。そもそも酸素も二酸化炭素も含まれていない純水だから、水の中に生きる魚も呼吸が止まる。呼吸が止まるというよりも、いくら鰓呼吸してもしんどくなるばかりだ。実は今まさに、藻場を喪失した海では、これに近いことが起こっている。
藻場は、魚の産卵する場所だ。卵はやはり、酸素を必要とする。二酸化炭素を酸素に変換するあの場所がなくなれば、魚なんていなくなる。植物でさえ、酸素呼吸が必要だが、そこをうまいこと自己解決してしまった植物。しかし、彼らにも栄養が必要で、その栄養は窒素リンカリウムと覚えているように思うが、それ以外にもたくさんある。降雨とともに雨粒に含まれて土壌から河川に流れ、海に到達し、吸収される。
しかしまあ、そもそも山を管理する人はもう機能していない。林業はほとんどボランティアである。儲けようとすれば大量に伐採しなければならない。大量に伐採すれば山は崩れる。戦後すぐには、住宅の確保のために、まっすぐに伸びて資材として使いやすい杉の木を植えなければならなかった���致し方のないことである。
で、ここからは悪循環が始まった。戦後すぐに、蚊の多さゆえに殺虫剤を散布して蚊がいなかった時期があるらしい。しかし、蚊に刺される小児がいなくなったことで、若いころに形成されるべきアレルゲンへの抗体が少なくなった(真偽のほどは定かではない)と聞き及ぶ。蚊に刺されて痒いのは当たり前だ。しかし蚊はああいうアレルゲンを運びつつも少しずつ抗体を作り、蚊のみならずあらゆる害虫さえ、少量のアレルゲンを注入して慣れさせていたらしい。DDTを散布したらしく、即効性は虫に強くあったとのこと。花粉症は日本で初めて確認されたのだ。
もちろん全く良くなかった方法ではない。フェイタルな感染症は少なくなっただろう。衛生学として当時は正しい方法だったと思う。今度はコロナ禍である。
コロナ禍で、病原菌やウイルスは忌避された。手洗いとアルコール消毒とマスク。未知の病気に対する方法として、自明に正しい。ワクチンもちゃんと4回打った(5回目は都合がつかなかった)。マスクもしていたし、手洗いも入念にした。およそ三年間、無菌室にいたのと同様である。大人の振る舞いとして正しい。
じゃあ子供は?呼吸器がまだ不安定で、免疫を獲得する過程にいる。亡くなった子には哀悼を示すが、今生きている若い人たちは、もしかすると三年間、恋した人の顔を見なかったかもしれない。もしかすると両親の顔さえ、生まれてすぐに見れなかったかもしれない。こんなに悲しいことがあるだろうか?
医療を否定したいわけではない。医療は与う限りの尽力をして、命を救い、そのために自分自身が不安定になるリスクさえ犯している。人間、わからないことに飛び込むのは怖いことだ。よほどの胆力がなければできないし、もし間違えば診察室で対面している彼の命が明日費えてもおかしくない。命がけのルーチンワークだ。その精神力に敬意を表する。
最近の子供を見ていると、真っ直ぐ歩いていないような気がする。軌道の予測ができない。顔が右を向きながら足は左に向かうような。理解できるだろうか?
と、防疫と救急の違いを述べてみた。防疫は行政が行い、医療は医療法人の管轄だと理解している。研究は国立機関か製薬会社だ。
ブルーハーツの曲に『人に優しく』がある。人に優しくある以前には、人を守らなければならない。その「人」とは誰だろうか?と考えると、小生意気なガキである。気に食わない。が、守らなければ、と思う。理由はない。考えもない。ひとつだけ感覚するならば、「自分たちより不幸にならないでほしい」。
この言葉を発するためだけに長ったらしく書いていたのだ。こんなバカっているんだろうか?頭ハッピーなヒッピーだったとしてもこんなことは言わないだろう。「色即是空」とは言うものの、全部虚しいと悟るのは死に際であってほしい。全部楽しかったと思うのも、最期の瞬間であってほしい。
美しい瞬間をずっと覚えていてほしい。苦労した記憶も、悲しかった記憶も、楽しかった記憶も、怒り散らした記憶も、どこか美しいはずだ。随分前に亡くなった曽祖母が言っていた。「冬は凍えるようでなあ、藁草履に服着て半纏着て、みんな鼻水ズルズルやから袖なんてカピカピでなあ、でもあのとき一緒に行きよったみんなはよう覚えとるなあ、苦しいけど楽しかった」
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boskflowers · 2 months
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とっとり春のパンまつり、ありがとうございました!
お隣のくじらさんとのツーショット、写真家のひらぎさんhttps://www.instagram.com/____hiragi/?hl=jaが撮ってくれました!
今回もブースから一歩も外に出られないまま終わったパンまつりでした。写真も全然撮れなくて、毎回写真とお客さんの感想でしか知らない樗谿の行列もまたもやこの目で見られずです。全部のお店に行きたいのに、お隣のお店すら行けない笑 会いたかった人、ゆっくりしゃべりたかった人とも会えずじまいだったり、反対にまさか!の人やいつもの人たちに会えて嬉しかったり。結果、嬉しい残念と嬉しい再会で嬉しい一日でした。
昨年の秋からおやすみ入ったので、春先は何も手元になく、八ヶ岳から板村さんの元気いっぱいの苗を取り寄せました。私的苗の紹介文は毎回ちょっとずつ書き換えて張り出しています。イベント向きではないなと思いつつ、ダーーーっと貼り付けましたよ~。
雑草のブーケ。自生する植物たちをコツコツ集めて干してブーケに。雑草って言葉が好きだけど、雑草たちの魅力を伝えるにはほかの言葉が必要なのかもしれませんが伝わった気がする~
麦のブーケはパンまつり直前になんか突然作りたくなったもの。麦はいつもの通り、友人花農家より八ヶ岳産です。ティーツリーやハゼ、セージ、ミシマサイコやラベンダーを収穫してきてあわせました。
無心で作れるものを作りたくて作った魔除けのしかくとさんかく。麦はこのために取り寄せたもの笑 ヒンメリも作りたいけどどう考えても外イベントむきでないし、パンまつりにヒンメリはお客さんの手荷物にはそぐわなさすぎるので断念して平たいものを作ろうとたどり着いたのです。
そしてもはやナニっていう意味のない麦藁の三つ編み。魔除けを作ったあとにでる半端な麦藁を割いてみたらきれいだし楽しくて、さいたもののタッセルにするのは難しかったので三つ編みにしました。でもなんとなくパンまつりならお嫁に行く気がしていた。
パンまつりがなかった5年の間に心境、環境、ともに変化がありました。特に息切れした昨秋、せっかく休んだんだから色々見なおそうとか思いました。でも結果、ブーケから先に売り切れていって、自分が今までしてきたことが浸透してるというか、ベースになってるんだなと実感しました。自分がやってきたことを自分がもっと認めるべきなのかもしれません。
私は目の前の景色しか見れなかったんですけど、主催陣の単純なやりたいから始まったパンまつりに、年々いろんな念?が重なり合ってすごい渦になって、参加者の私や会いに来てくれるお客さんを巻き込んでいるのがすごいことだと思います。すごい!そういうところが稀有でパンまつりの熱気の正体なのかもなって思います。イベント中に熱い気持ちが何度も訪れる不思議。
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5年ぶりの今年も相方にお手伝いしてもらいつつ。ありがたや。
あの場にいたすべての皆さんと、パンまつりを応援してくださった皆さんに感謝でいっぱいです。ありがとうございました!
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bunshinovel · 4 months
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雑記24.01.29
 たびたび思い出すのは、チェーホフの「学生」という短編のことで、この話は神学大学の学生であるイワン・ヴェリコポーリスキーが田園を猟の帰りで歩いているところから始まる。急に寒くなったことやあたりが荒涼としている風景だったこと、家に帰っても出てくる前は何の煮炊きもしていなかったからひだるく感じてい。そうしていると彼は、「リューリクの時代にも、ヨアン雷帝の時代にもピョートルの時代にも、これとそっくりの風が吹いていただろうということや、彼らの時代にも、これとそっくりのひどい貧しさや飢えがあっただろうということを考えた。こういう穴だらけの藁屋根や、無知や、憂愁や、こういう周囲の荒れ地や、暗闇や、重苦しい感じ――こうした恐ろしさはみな、昔もあったし、今もあるし、これからもあるだろう。そしてなお千年たっても、暮らしはよくならないだろう。そう思うと、家へ帰りたくなかった。」
 それでも歩いていくと野菜畑があり、その畑は後家さんたちのと呼ばれていて、そこには夕食を終えたらしい後家のワシリーサとその娘のルケーリヤがいた。彼らは少し話したのちに、『「ちょうどこんなふうな寒い晩に、使徒ペテロも火にあたってたんだろうね」と学生は両手を火にかざしながら言った。』それから最後の晩餐のときにイエスはペテロに、雄鶏が鳴かざるうちに三回私のことを知らないというだろう、と告げる。その夜にイエスはユダに裏切られて彼らの迫害者へと連れ去られてしまう。
『「人びとが司祭長のところへやってきて」と彼は続けた。「イエスを尋問し始めた。作男たちがそのうち中庭で焚火をし始めた、寒かったので暖まろうとしたんだろうね。その連中といっしょに、焚火のそばにペテロも立ってあたっていた、今の僕の���うに。すると、一人の女が彼を見てこういった。「この人もイエスとともにいたり」って。つまりペテロも尋問に引き立てるべきだと言ったんだ。そこで、焚火の周りにいた作男たちが、きっと、胡散くさそうに険しい目つきで、じろじろ見たんだろうね。というのは、彼はどぎまぎして、つい言ってしまったから――「我は彼を知らず」って。』
 こうしてペテロは三回、イエスの予言どおりに、知りませんと言ってしまう。そうしてイエスの言ったことを思い出して、中庭から出て激しく泣き出した。こういう話をしたところ、後家のワシリーサはほほえみを浮かべたまま、いきなりしゃくりあげ、大粒の涙を流した。  彼は彼らにおやすみと言って歩き出した。歩きながら、彼はあの話を聞いて泣き出したということは、ペテロに起こったことは彼女と何らかの関わりがあるんじゃないか。 「老婆が泣き出したのは、彼の話しぶりが感動的だったからではなくて、ペテロが彼女に身近なものだったからだろう。」
「すると喜びが急に胸に込み上げてきたので、彼は息つくためにしばらく立ち止まったくらいだった。過去は、と彼は考えた、次から次へと流れ出る事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている、と。そして彼には、人はたった今その鎖の両端を見たのだ――一方の端に触れたら、他の端が揺らいだのだ、という気がした。」
 俺はこの話がすごく好きだ。「学生」はとても短い話で、岩波の「子どもたち、曠野他十篇」という文庫にまとめられているんだけど、その中でも4ページしかない。でも、この話はとても大事なことが書いてあると思う。久しぶりに昔聞いてた音楽を聞いていたら、この話のことを思い出したので書きました。
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tobiphoto · 4 months
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『Medieval Dynasty』感想と攻略
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↑遠くから見た、私の街。
 中世の一市民となり、一つの小さな“谷”の中で税を納めながら生活するというなんだか「シビア」なこの作品。いわゆる、素材収集・クラフト・基地建設(基地というかホーム?)・(村民を使った)自動化…と、私の好きな要素が詰まっており、のめり込むように遊んでしまいました。  ただ、ゲーム内での説明は少なく、攻略Wikiはあるものの、プレイレポート的なものはあまり上がっていない様子なので、記してみようと思いました。
 このゲームは新しい知識を解放するのに「コイン」が必要になるのですが、納税期に税を納めることができなかったり、村人たちから嫌われ過ぎると谷を追い出されてゲームオーバーになってしまうそう。
 以下は序盤攻略、かつネタバレになります。
■『Medieval Dynasty』で生き残るまで  先ず、自分の家→井戸→ほかの家、農業小屋、狩人小屋…など建てていく。  ウサギ用の罠を覚えることができるので、ウサギ用の罠は必ず毎日チェックすること。ちなみに、自宅側に置いておくと、チェックが楽になる。  家を建てる際「Civilizationなら川の側重要だろう」と何も考えず、序盤の街の近く川の側に建てた私。屋根を作るのに<藁>が必要で、それが水場でしか収集できないのでそれが役に立ちました。
 おそらく1年目は冬の厳しい寒さに対して、体制がとれる服の制作ができない可能性が高いので、<松明>の原料ともなる<藁>の存在は重要でした。川側と言わずとも、何らかの水場の近くに建物があると素材集めは楽かもしれないです。
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●◀地図▶  ◀ ▶が飾りだと最初思い、ずいぶんと長い間地図の中身が変更できることに気づきませんでした。  地図には行った場所に出現する獣情報なども収集されていくので、この情報を元に借りやすい獣を狙って、生肉・干し肉を大量に生産・販売するとコインを集めやすい。  (裏技的な情報ですが、一人オフラインモードの場合季節の変わり目に夜更かしして生肉などを乾燥させておくと翌日必ずベッドで目覚めてくれるので、おススメだったりする)
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↑村人との会話風景。商人の居場所や個人のスキル(得手不得手)などを話しして知ることができる。
●住民  町の焚き火周りに座っている人の中には、ピクトグラムの人のマークがついて居る人がいて、その人は誘ったらプレイヤーが作る町に住んでくれる住民候補。先ず話しかけてスキルを確認。序盤は材木小屋(木材小屋だったかな)で丸太・小枝・石などをとにかく集めて貰うと楽になるので、「何かを集めるのが得意です」と言っている住民がいれば探す。  もしくは、「何かを追いかける楽しみが…」と話す狩りが得意な住民も生肉、生肉加工で干し肉、後に金策になる革などを集めてくれる。住民には苦手な仕事もあるので、それもちゃんと確認しておく。
 住民は住居となる家があれば取りあえず定住してくれます。家・食料・飲料が揃っていないと不満度が上がっていくので注意。男性と女性が揃っていると、夫婦になってくれることがある。夫婦になってくれれば住居の一つが開くので、新しい住民を住まわせることも可能。  母親となる住民は子どもを妊娠した後、2年間育休をとる(その間仕事はできない)。プレイヤーも夫婦になり、自分の子に引き継いでいくことが可能な様子ですが、まだそこまで遊んでいません。
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↑こういうのが各職場に設置されている。この箪笥の中に各職場で必要なアイテムを入れておくとそれを使って仕事をしてくれる。反対に言えば、必要なアイテムを入れていないと仕事ができない。
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↑例えば猟師は何らかの「ナイフ」が常に職場箪笥に入っていないと仕事ができない。また、その他の作業には他のアイテムが必要な場合がある。それは各仕事を選択した時、下部に表示される。
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↑ハンマーを装備した状態で右クリックした時、ハンマーや袋は右クリックでできることが変わる。
 Steamのコミュニティには本当に美しい街並みを再現するプレイヤーがいたりして、なるほどそういう遊び方ができるゲームなのか。と感心しながら眺めています。DQの村を1から作る村長の気分で遊ぶのも楽しいと思います。
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tepota-nanako · 8 months
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2023年10月 てぽたのお茶
今月のてぽたのおまかせ定期便は、久しぶりの本山茶です。静岡市を流れる安倍川と藁科川流域は本山(ほん��ま)地区といわれ、その地域で生産されたものですが、徳川家康に献上茶を生産していたとも言われる歴史ある茶産地です。今回選んだお茶は、生産者森内さんの畑で昨年から摘み始められた新品種「しずかおり」で、わたしも初めて飲ませていただきました。名前の通り、香りが特徴の煎茶で、てぽたの全体としては小さ目ですが注ぎ口は大き目の茶器に、茶葉をたっぷりいれ、70℃に冷ましたお湯で蓋をしないままで抽出したら、花のような良い香りが立ち込めてきて、思わず「うわぁ」と声がでてしまいました。普通煎茶ですので、細く揉まれた茶葉も美しく、水色は薄目ですが、味わいはしっかりとして旨みもありながらスッとした爽やかさも感じます。質の高い上品な「本山茶 しずかおり」をお楽しみください。今月のお茶も皆様のお口に合えばうれしいです。
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【ご報告とお礼】 9月22日~24日まで福岡市薬院で開催した「てぽた作品展2023 in Fukuoka」を無事終えることができました。初めての地元開催でしたので、大同窓会のようでした。懐かしい方々にも久しぶりにお会いできたり、ほんとうに幸せな3日間でした。ありがとうございました。 また、今回はじめて企画・実施した“てぽたCafé”も大好評でした。この企画は東京でもぜひ実現したいです。 終わったばかりでもう次を考えている落ち着きのないわたしですが、引き続きよろしくお願いします。
補足(写真について):「しずかおり」は普通煎茶で茶葉がしっかりしているので新作の「魚の子」で淹れてみました。なかなか良い感じでした😊
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komogomo-blog · 8 months
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最近の事
最近喧嘩が多くて自分のふらつく心に参っている。ふらふらふわふわと漂う心にアルコールを掛け合わせるともう目も当てられない。喧嘩の始まりだ。
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この前もよく前から来ていたロシア人たちと喧嘩をした。前からUZUによく顔を出し、Jamsession��一緒にやってきていた仲なのだが、その日もだるい熱気が辺りを夕方八時以降まで包み続け、自分はその暑さの中でビールを飲み続けていた。二階の茶室にて、そ奴らと飲んでいた。するとジョージア人の女の子が二人上がってきた。今日初めて来た子達でその子らも輪に入れてあげようとしたのだが、向かいに座る奴らは一向に気にせず、ロシア語で何かペチャクチャ喋っている。 階段を下りていくジョージア娘たち。と共にイライラしていく自分。階段を降り切ったとき、自分は抑えきれなくなって言ってしまった。「もうお前らにはがっかりだ」と。 鬱陶しい暑さと腹いっぱいにため込んだ燃料で収まることを知らず、爆発してしまった。思い返せば、自分が日本に行く前からこんな状況だったようにも思えてきて、流れるように怒りの言葉を出し続けた。案の定奴らもキレはじめる。そらそうだ。久しぶりに日本から帰ってきて、遊びにきたのに切れられるとか気分が悪いに決まってる。それでもお互い下がらず喧嘩し続け、自分は最後に爆弾を落とした。「そんなこと続けてるからロシア人は嫌われてるんじゃない?」って。 これには向こうも驚きの表情を見せた。UZUなんてずっとやってた自分がだいぶ差別的なことを言い放ったことに対してだと思う。 向こうも「それは差別じゃね」と武器を手に入れた様に反撃してくる。燃料は十二分、自分は「差別だろうが何だろうが関係ねえ、お前らの事が気に食わねえっつってんだ」と続けていった。 この喧嘩は後日一応の仲直り的なことがあった。この喧嘩の主題は一応違うところにある。UZUの使われ方や、もう常連となった今、いつまでただの客で居続けるのか。またもう一度話し合いをしようと自分は思っているのだが‘、話を少し戻して、
ロシア差別の匂いは町全体にじわじわと広がり続けている。ジョージア人でオープンな奴もいるが、バカなロシア人と馬鹿なジョージうア人が絡むと喧嘩は避けられない。一応棲み分けされているようで、あまりぶつかって喧嘩なんてこともないのだけども、街で見かける「fuck russia」の文言は増えている。聞き込みによると頻度の差はあれど、皆差別されているようだ。ヨーロッパ人でさえ、ロシア人だと思われて被害に会う人も多いようだ。それだけジョージア人は見た目でロシアだと思い込み差別してるようだ。 基本的には優しい国民性だとおもうのだけども。
それとまた自分が思ったことはロシア語という言語は二百年ものソビエト体制と共に英語と似通った性質を持っていると感じられた。 アメリカ人が海外に出てきてずっと英語をしゃべり続けるのと同じようにロシア人も外国にてロシア語をしゃべり倒しているのだ。 日本人の自分からすればロシア語に甘えてるように見えるし、それはムカつきも覚える。ジョージア人もでかい声でロシア語で喋ってるのを聞いて嫌に感じているようだ。 とは言えそんな話は置いといて。 最近、後悔というか考えさせられる事が多い。久しぶりに健史さんの横について仕事をしているようにも思えるが、自分がいてることによる掛け算ができているのかまだ不安である。 UZUは表面上、やはり自分の色はなくなっていて、先輩らがうまくやっている。自分はUZU外でのパーティーを作ったり、UZUの至る所を直したり、きれいにしたり、あと自分の金儲けもゆっくりやっていきたいと思っている。 いや、後悔についてはすべて女の子の事なんだけども。最近、好きになってきた女の子がいるんだが、その子はもう好きじゃないとかで、一足、いや二足も三足も遅かった。一年前辺りから体の関係はあったんだけども、自分は別に好きでもなくて、適当にしてて気がついたらこっちが(だいぶ遅いけれども)惚れてて、そんな話が合っても時すでに遅し。女の子からしてもとうの昔に過ぎ去った男のことなんて未練のかけらもない訳で。自分は今回に限って言えば、取り付く島も縋る藁さえないようだ。あー終わったわ。 そんな子に最近は骨抜きにされ、心は落ち着かず、不可能な事を情けなくその子に頼み込んでいる。「改善するからあともう一度だけチャンスを」とか「あと一か月だけ」とか。「あと一か月だけ」とかもうよくわからない。理由にもなっていないことを情けなく半泣きになりながら電話で頼み込む夜中の二時。どこで何を間違ったのだろうか。 前までは一緒にいるのが鬱陶しく感じる時期もあったし、別に好きでもなんでもなかった。お互い利用しあってるという建前に胡坐をかいて甘えていただけなのだ。そんな男と別れたほうがいいと、自分もそう思います。 後悔を背負い、自分を呪って最近生きています。
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