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##旧ソ連構成国
ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月22日(木曜日)
   通巻第8144号
 アルメニア、はっきりとロシア離れを宣言 ウクライナ戦争に反対
   ナゴルノカラブフ自治区を取られた敗因、ロシアの不作為と逆恨み
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2月19日。ミュンヘン。アルメニアのパシニャン首相は「ウクライナ問題でアルメニアはロシアの仲間ではない」と爆弾発言を口にした。これはアルメニアがロシアとの明確な距離を示し、ウクライナ侵略に反対する立場を表明したことになる。旧ソ連構成国に留まっていた筈のアルメニアのロシア離れが鮮明になった。
 ナゴルノカラバフをアゼルバイジャンに取られた逆恨み、ロシア兵が最盛期には1900名ほど駐在していたにもかかわらず、ウクライナ戦線を優先して、そそくさと引き上げ、アゼルバイジャンの軍事行動を黙認したというのがアルメニアの言い分である。
 
 ナゴルノカラバフの領有を巡るアルメニアとアゼルバイジャンの軍事衝突は1994年に住民が「アルツァフ共和国」を宣言してから政争の種となった。
同国は国際社会が認めない「未承認国家」だが、カスピ海と黒海の間のコーカサス地域に位置する地政学的要衝であり、アゼルバイジャン人にとっては「聖地」である。
2014年の軍事衝突はロシアが背後にいたためアルメニアの勝利となった。
2023年10月のアゼルバイジャンの軍事作戦は背後にトルコの支援があった。アルメニアが敗北し、2024年1月1日をもってナゴルノカラブフ自治区は消滅した。およそ10万人のアルメニア人は避難民としてアルメニア本国に逃れた。
もとよりアルメニアの米国内でのロビィ活動は顕著で、米議会はアルメニア支援議員が多い。アルメニアはトルコとは犬猿の仲、聖地アララット山がトルコ領内に編入されていること、そして今回のアゼル軍の背後にトルコが武器供与をなしていたことなどが挙げられる。
首都のエレバンでは敗北の批判を政権にむけたが、もっと激しく反発したのがロシアへの感情だった。アメリカはほくそ笑んだ。以後、アルメニアは親西路線、とくにアメリカへの接近を露骨に示していた。
西側の究極目標はグルジアとアルメニアのNATO加盟である。
●余滴●アルメニアが民族の矜持を誇示しがちなのはユダヤ人同様に世界各地に散って米国やエルサレム、イランにもアルメニアタウンがある。イスタンブール(コンスタンチノープル)から伝播した東方正教会を最初に受けいれ、アルメニア正教会はエレバンに総本山。ロシア正教より古いのが自慢。またキリル文字の魁がアルメニア文字で、「アルメニア文字公園」がある。中国の亀甲文字記念館のようなものだ。
 もうひとつの自慢は世界の絶品とされるコニャック(アルマニャック)。じつは筆者も家内とアルメニアへ行った折、ふたりで六本、土産に買ってきました。
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reportsofawartime · 1 month
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これは、フランスの雑誌マリアンヌに掲載された非常に珍しく興味深い記事で、マリアンヌはウクライナ情勢に関するフランス軍からの「いくつかの機密防衛報告書」を入手した。 https://marianne.net/monde/europe/guerre-en-ukraine-endurance-russe-echec-de-la-contre-offensive-ce-que-cache-le-virage-de-macron… ウクライナにとって状況は非常に暗いようであり、これがウクライナへの派兵に関するマクロンの最近の宣言を部分的に説明している可能性がある。記事の重要な部分を翻訳しました。 「ウクライナの軍事勝利はもはや不可能に見える」 マリアンヌが調べた報告書には、ウクライナの反撃は「徐々に泥と血で行き詰まり、いかなる戦略的利益ももたらさなかった」と書かれており、キエフと西側の参謀が考えたその計画は「悲惨な」結果となった、と書かれている。ひとたびロシアの最初の防衛線が突破されれば、戦線全体は崩壊すると考えていた[...] これらの基本的な準備段階は、防衛における敵の道徳的力、つまり、ロシア軍兵士が守り続けようとする意志を考慮することなく実施された。地形」。 報告書はまた、「ウクライナの兵士と将校の訓練が不十分であること」も強調している。将校の不足とかなりの数の退役軍人のため、ウクライナからのこれら「2年目の兵士」は訓練期間が「3週間以下」であることが多い。難攻不落であることが判明したロシアの要塞線への攻撃が開始されました。 いかなる航空支援もなく、旧ソ連製のものよりも効率が劣る異種の西側装備(「時代遅れで保守が容易で、劣化モードでの使用が可能」と報告書は述べている)を使用していたウクライナ軍には突破の望みはなかった。 。これに加えて、「電子妨害の分野におけるロシアの超優位性が、ウクライナ側にドローンと指揮システムの使用を罰する」こともある。 「ロシア軍は今日、防御方式を考え実行するための『戦術的・技術的』参考となっている」と報告書は書いている。モスクワには防衛施設の建設を可能にする重土木設備があるだけでなく(「ウクライナ側にはこの資材がほぼ完全に欠如しており、西側諸国が迅速に供給することは不可能」)、ソウロコヴィネ線として知られる1,200キロメートルの前線もある。 (ロシアの将軍にちなんで)大規模に採掘されています。 報告書はまた、ウクライナとは対照的に、「ロシア軍は作戦の持久力を確保するために予備軍をうまく管理した」ことも強調している。この文書によると、モスクワは部隊が完全に疲弊する前に増援し、新兵と経験豊富な部隊を混合し、後方での定期的な休憩時間を確保し…そして「予期せぬ事態に対処するための一貫した予備部隊を常に備えていた」という。これは、ロシア軍が数えることなく軍隊を虐殺に送り込むという西側諸国で広く普及している考えとは程遠い。 この機密防衛報告書は、「現在までのところ、ウクライナ軍参謀本部は、ロシアの相手国に防衛線を突破するよう挑戦できる軍団レベルでの軍間機動が可能な陸上戦力を十分に保有していない」と結論づけている。 「分析と判断の最も重大な誤りは、敵対行為を止めるためにもっぱら軍事的解決策を模索し続けることだろう。」フランス将校は、「駐留兵力を考慮すると、ウクライナが軍事的にこの戦争に勝つことができないのは明らかだ」と要約した。 「紛争は12月に重大な段階に入った」 「ウクライナ兵士の戦闘力は深刻な影響を受けている」と、2024年に向けた前向きな報告書は言及している。「ゼレンスキー大統領は月に3万5000人の兵力を必要とするが、その半分も徴兵していないのに対し、プーチン大統領は月に3万人の志願兵の中から集めている。 」とキエフから帰国した軍人は語る。装備の面でも同様にバランスが崩れており、2023年の攻撃失敗によりキエフの12戦闘旅団の半数が「戦術的に破壊」された。 それ以来、西側援助がこれほど低額になったことはありません。したがって、今年はウクライナの攻撃が開始できないことは明らかである。 「西側諸国はドローンや徘徊兵器を製造するために3Dプリンターを供給できるが、人間を印刷することは決してできない」とこの報告書は指摘している。 「状況を考慮すると、ウクライナ軍を戦闘機ではなく後方支援部隊で強化し、ウクライナ兵士を前線に解放できるようにすることが決定されたのかもしれない」と上級将校は認め、「ランプ」を認めた。私服を着た西側軍人のアップ」。 「ニューヨーク・タイムズ紙がCIAキャンプを訪問することを許可したアメリカ人のほかに、かなりの数のイギリス人がいる」とある軍人は口を滑らせるが、彼はフランスの特殊部隊、特に訓練任務のための水泳選手の存在を否定していない... 「ロシアの躍進のリスクは現実的だ」 2月17日、キエフはそれまで要塞拠点であったドネツク北郊外のアヴディウカ市を放棄しなければならなかった。 「それはロシア語圏ドンバスにおけるウクライナ抵抗の中心であり象徴でもあった」と、「アヴディウカの戦い」に関する報告書は強調し、一連の忌まわしい教訓を引き出している。 「ロシア人は都市を区画化し、特に初めて大規模に滑空爆弾を使用することで手口を変えた」とこの文書は述べている。 155 mm 砲弾が 7 kg の爆薬を搭載している場合、滑空爆弾は 200 ~ 700 kg を投射するため、厚さ 2 m を超えるコンクリート構造物を貫通することができます。 1日あたり1,000人以上の兵力を失ったウクライナ防衛軍にとっては地獄だった。さらに、ロシア人は地上の音響探知システムを阻止するために軽歩兵兵器に消音装置を使用している。 この最後の報告書は、「ウクライナ軍による撤退の決定は驚きだった」と述べ、「突然のことと準備の欠如」を強調し、この選択が「ウクライナ軍の決定よりも耐え忍ばれた」のではないかと懸念しており、発症の可能性を示唆している。 「混乱」の。 「ウクライナ軍は、攻撃者の努力にさらされる前線の一部を維持するための人的・物的能力を持たないことを戦術的に示した」と文書は続けている。 「アヴディウカでのウクライナ軍の失敗は、『精鋭』旅団――第3アゾフ航空強襲旅団――を緊急配備したにもかかわらず、崩壊した戦線の一部を局地的に回復する能力がキエフには無いことを示している」とこの最後の報告書は警告している。 この戦術的成功をロシア人がどうするかはまだ分からない。前線全体を「かじってゆっくり揺さぶる」という現在のやり方を続けるのか、それとも「深層突破」を目指すのか。 「アヴディウカの背後の地形がそれを可能にしている」とこの最近の文書は示唆しており、西側筋はロシア人自身も「マスキロフカ」の練習に熟達しており、「強いのに弱いように見える」傾向があるとも警告している。この分析によれば、2年間の戦争を経て、ロシア軍は「ウクライナ軍の継続的な消耗に基づくゆっくりとした長期にわたる戦争」を遂行することを可能にする「作戦上の持久力を開発」する能力を示したという。
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kennak · 8 months
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音���は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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aikider · 2 years
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[書評]現代ロシアの軍事戦略 小泉悠
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ウクライナ侵攻の影響で最近メディア露出が多いロシア軍事の専門家による、ロシア軍事戦略の一般向け解説書。ソ連崩壊後、弱体化したロシア軍で行われた一連の改革や、西側に対して遅れる科学技術とそれをカバーする知恵、ロシアが想定する各種の戦争とそれに合わせた演習、そして拡大するNATOに対抗するための戦略を概観することができる。あまり難解・マニアックになりすぎないように抑制されつつも、以前から話題になっていたイスカンデルやアヴァンガルド等にも触れるなど、抑揚の効いた内容になっている。2021年初頭の発行のため2022年のウクライナ侵攻は触れられていないが、背景を理解する上で有用である。
本書で繰り返し触れられるのが、ロシアおよびロシア軍は、自らがNATOに対して劣勢であることを強く自覚していて、なかでもとくにNATOの空爆能力、とくに精密誘導兵器を脅威と見做しているということだ。このため、NATOとの戦争が始まった場合、ロシアの空中・海上巡航ミサイル発射プラットフォームは速やかに潰されてしまうと想定している。航空機も艦船も自由に動くことはできるが、いずれも空港・港が必要で、基地にいるところを狙われたらただの置物なのである。したがってロシア軍は、NATOにある程度攻め込まれることを覚悟した上で、爆撃を広範囲に分散させ、消耗させると同時に、指揮系統に攻撃を与えて混乱させることで、自軍の損害を限定的なものにとどめるという「損害限定戦略」を考えている。攻め込まれても自国領内に深く引きずり込み、相手の息切れを狙うというわけだ。そのためには航空機や艦船よりも、むしろ地形に身を隠しながら攻撃できるイスカンデルのような地上発射型の弾道ミサイルや巡航ミサイルのほうが信頼できる、というのがアメリカと真逆の発想で興味深い。考えてみれば、ロシアに攻め込んだナポレオンは、戦闘には勝利を続けたものの、ロシア領内に深入りしすぎた結果兵站が続かなくなって敗れたわけであり、損害限定戦略はその延長線上にあるものと言えるかもしれない。
※余談ながら、「地形に身を隠しながら移動するミサイルプラットフォーム」というコンセプトは、KONAMIが発売していたゲーム「メタルギア」シリーズに登場する架空兵器メタルギア、およびメタルギアのプロトタイプという設定のピースウォーカーと共通する。メタルギアやピースウォーカーは戦略ミサイルのプラットフォームで、車両ではなく歩行兵器という設定ではあるが、それらを脇に置けば、元ネタはこれらロシアの地上発射型巡航ミサイルなのかもしれない。ゲーム中の設定では、ピースウォーカーは戦略原潜の陸上バージョンという設定で、「地上では潜水艦に比べて衛星から身を隠せないのでは」という疑問があったのだが、案外リアリティがあるのかもしれない。
それにしても自国領内に侵攻されることを前提とした防衛戦略というのは、中国やアメリカのそれとは真逆である。米中は対立しているが、互いに海を挟んでいるため、防衛の上でも長距離ミサイルが主体となっている。しかしロシアはほとんどの国と地続きであるという地政学的条件があるため、「戦略縦深」を陸に設定せざるを得ないわけである。かつてソ連が存在した時代は、ソ連構成国を戦略縦深として活用することができたが、ソ連崩壊後はそれらの国々が次々にNATOに鞍替えしてしまったため、戦略縦深を大幅に失った。
西側諸国はそうしたロシアの事情を理解しているのかしていないのか、いわゆるカラー革命において民主化運動を後方から支援してきた。ロシアはこうした西側諸国の動きを、ロシアに対する情報戦争あるいは非線形戦争と解釈している。そして、これらの西側諸国の動きを「抑止」する目的で、アメリカ大統領選に介入してみたり、サイバー攻撃や情報戦を仕掛けている。
しかしながら、西側諸国は民主化運動への支援を攻撃とは認識していないから、ロシアが「抑止」のつもりでやっているサイバー攻撃や情報戦を、ロシアによる西側への攻撃であると認識する。このため西側諸国はロシアの脅威度を高く認識し、「抑止」の手段を強める。当然ロシアはこれを攻撃とみなして…という悪循環が発生する。2014年のウクライナへの介入はその一環である。
ウクライナへの介入は、ロシア軍の直接介入は少なく、基本的には民兵の訓練・支援、サイバー戦や情報戦と組み合わせるという戦術が用いられ、これを西側はハイブリッド戦争と読んだ。しかし興味深いことに、そもそもロシアから見れば、西側諸国が旧ソ連加盟国の民主化を支援してNATOに組み込んだこと自体がハイブリッド戦争であり、ロシアはやられたことをやり返しただけ、ということらしい。ここにも悪循環を見て取ることができよう。
本書では発行時期の関係で触れられていないが、その後に西側がロシアに対して行った経済制裁、NATOとウクライナの個別的パートナーシップ行動計画、そして2022年のウクライナ侵攻も「悪循環」の文脈で説明できるであろう。ロシアにとって、ウクライナは最後の戦略縦深であったから、ウクライナのNATO加盟は脅威である。ウクライナが正式加盟してしまうとロシアは手出しできなくなるから、その前に直接侵攻してしまおうというのが現在継続中のウクライナ侵攻である。
筆者が指摘するように、現在の西側とロシアの関係性には「安全保障のジレンマ」を見出すことができる。現在のウクライナ侵攻はその帰結と言うこともできるのだろう。抑止力を高めるはずの方策がかえって危機を招くという逆説は、第一次世界大戦が典型例であるが、それから1世紀が経過した現在でも同じことが起きているわけだ。
筆者はもともと軍事オタクなのだそうだが、研究者・学者として極めてまともな視点を持っていると感じる。軍事オタクの多くが米軍の言うことを丸呑みして、米軍基地問題や安保問題になるとやたら攻撃的になる向きが見られるが、そもそもアメリカに独自の戦略と言い分があるように、ロシアにも日本にもそれぞれの戦略と言い分がある。この筆者は単なる兵器マニア���とどまらず、ロシアの軍事戦略や政治にも目を配ることで、ロシアにもロシアの言い分があり、まずはそれを(我々日本とは異なるにしても)理解しようということである。このあたりが素人のミリオタと本物との違いということであろう。この書評で引用したのは本書の中でもごく一部に過ぎず、ロシアの内政・外交まで広くカバーした好著である。米露関係や新冷戦に興味のある方は是非読まれたい。
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kafka1989 · 2 years
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[補遺/隣人論] ウクライナの隣人としてのポーランド
『現代思想』(2022年6月臨時増刊号 総特集=ウクライナから問う)に拙稿が掲載されました。
「ウクライナの隣人としてのポーランド――戦後ポーランド知識人の思想と行動から辿る二国間関係――」というタイトルの小論で、イェジ・ギェドロイチ、ヤツェク・クーロン、そしてヘンリク・ヴイェツの三人のポーランドの戦後を支えた知識人らによる「ウクライナ支援・協力」の歩みを辿ることで、今日のポーランド・ウクライナの協力にみる「友好関係」の来歴を捉え直すという主旨のもと執筆しました。
奇しくもロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始した時分、日本に滞在しており、日々日本での報道を追っていました。その際、報道各社がポーランドに中継拠点を設け、ポーランドでのウクライナ難民支援の様子が多く報じられ、「良き隣国」としてのポーランドについて、ウクライナの「支援者」としての面が強調されることもあったように思われます。しかし、ロシアとウクライナのような直接的な軍事衝突に結びつくものではなかったにせよ、ポーランドとウクライナの間にも歴史問題(ないしは歴史認識問題)は存在しています。そして、その問題の苛烈さは、時にウクライナがロシアとの間に抱えている/いた問題と同程度に両国関係に困難をもたらしてきました。特に「記憶の政治」の問題は、近年の両国関係を考える上で非常に重要な問題であり、そうであるにもかかわらず、「ではなぜ、今、こうした友好的な関係を保ち得ているのか」という点をこそ説明する必要があるように、ポーランドの歴史研究に携わる人間の一人として感じたことが、執筆の背景にあります。
とはいえ、構成の関係などで含められなかったこともあり、校了後、不十分と思われる点に多く気づきました。特に、「記憶の政治」に関する問題については、言及しなかったことで論点が十分に伝わらないのではないかと考えています。そうした点について、こちらで補足の追記を行っています。
以下、本論の構成に沿って、書き足りなかった点に言及しています。適宜、脚注ではなくテキスト内のハイパーリンクで関連の文献なども紹介しています。
(2022年5月10日執筆・13日加筆)
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1.「隣人論」
タイトルにあるように、この論考はひとつの「隣人論」として書き始めました。国家関係ではなく、二つの国のあいだにあった、個別具体的な人間の活動を紹介したいという思いもあり、「隣国」ではなく「隣人」という言葉を使用しています。(これはまた、ポーランドが、あるいはウクライナが独立した国家として成立していない時期であってもポーランド人とウクライナ人とのあいだに、当然のことながら関係があったということも念頭に置いての語の選択です。)
この側面は(深く掘り下げることができませんでしたが)、キリスト教(カトリック)がきわめて重大な役割を社会・政治的にもつ国であるポーランドにおいて、「隣人愛」の原則をどのように考えるのかというのは、今般の協力という文脈においても重要なのではないかと思います。それは、宗教分布においては、ポーランドよりも多様なウクライナという国のありかたと対比させると、さらにその同質性が強化される点でもあるでしょう。
また、「隣人(Sąsiedzi)」という言葉を用いると、歴史社会学者ヤン・グロスの、同名の歴史書が思い浮かびます。同書は、第二次大戦下のポーランドで起こった、ポーランド系住民によるユダヤ系住民の虐殺(ポグロム)についての研究です。2000年に出版されて以降、ポーランド国内外のユダヤ人コミュニティ、そしてポーランドに関係する歴史学者の間で大きな論争を巻き起こしました。この前後から、第二次世界大戦中の、あるいは戦前の、ポーランド人による、他民族・他集団への加害の歴史が、その否定論も巻き込みながら、検証へと晒されていくきっかけになりました。(グロスの著作とその反応について言及した論考もあります。)
同書における「隣人」やユダヤ系の住民ですが、同様の加害関係について、ウクライナもきわめて複雑な関係にある隣人であるのは、本誌の「はじめに」でも触れたとおりです。
(*本文中では鉤括弧をつけた表現とつけない表現を用いていますが、いわゆる「隣国」と近いニュアンスで表現している箇所は括弧をつけず、上記のような隣人観の検討とつながりそうな部分は括弧をつけて記しています。)
2. 「記憶の政治」の問題、両国関係の歩み
ウクライナとポーランド双方の「記憶の政治」の問題も二国間関係を考察する上で欠かせない点でありながら、考察が及びませんでした。両国の記憶と和解、歴史認識、そして記憶の法制化を巡る応酬は、特に近年、大きく研究が進展した分野と言えます。(昨年末には英語での専門書も出ています。)
誌面では、社会主義時代のポーランド・ウクライナ関係や、ポーランドの民主化、そしてウクライナの独立以降の両国の公的なレベルでの和解の歩み、その揺り戻しについて一言でも触れていなかった点は(あるいはそうしたことに言及しない旨明らかにしなかった点は)、論考の最大の瑕疵であったと認識しています。
同時に、これらの点はそれだけで十分な検討を要するテーマであり、実際に多くの論考が出版されています��で、いずれにせよ、また別の機会にじっくりと考えてみたいと思っています。(一例として、ウクライナの非共産化の法制化について論じた論考など。)
ここでは、補足として、拙論の関連する範囲での公的な両国の歴史とその問題について簡単にまとめます。
まず、社会主義時代の両者の関係については、ウクライナがソ連の一共和国であったということで、「ウクライナ」と「ポーランド」という枠組みでの取り組みは多くはなかったことが知られています。(他方、こちらで紹介している史料のように、ソ連側が「ウクライナ」とポーランドの友好を演出するような特殊な事例もありました。)戦後すぐにウクライナ系住民の移動がポーランド政府によって強いられたこと、そしてその過程でポーランドにウクライナ系住民の教育活動を行う文化機関が、ポーランド人民共和国内で活動を許可されていたことなどが公的なレベルでの重要な事実にあたるかと思います。
次に、共産圏の崩壊以降の関係については、公的には和解に向けた取り組みを開始するものの、2010年以降は、それぞれの国の歴史に関する事象の法制化に伴い、いよいよ対立が深まっていたところです。
両国は、1997年、歴史問題に取り組むことを表明した共同声明を発布し、追悼式典などを共同で開催するため尽力してきました。2003年と2013年には、ヴォルィーニで追悼式典(それぞれヴォルィーニの虐殺事件より60周年、70周年の節目に開催)が、2007年には「ヴィスワ作戦(戦後初期ウクライナ系住民の強制移住)」に関する記念式典が開催されました。これらの式典全てがスムーズに行われたわけではありませんが、公的な「和解」を目指していたことが確認できます。
しかし、直近の十年の間に、状況は大きく悪化します。それぞれの国で「自国の歴史」に関する法制化の動きが見られ、時の政権のもとで「記憶」が政治の争点となっていったからです。
2015年、ウクライナ議会は、自国の独立とそれに貢献した「英雄」たちの地位の尊重を定める法律を制定しましたが、その中には(今回のロシアのウクライナへの軍事侵攻で日本でも名の知られることになった「バンデラ主義者」などの)民族主義的な思想のもとにポーランド系住民の虐殺を行なった集団もあり、ポーランド側はこれに激しく抗議しました。
ポーランド側も、同様の法制化を急速に進めていきます。2016年、ポーランド下院は、ウクライナ民族主義者によるジェノサイドを恒久的な犯罪とする法を成立させました。(ベラルーシに対しても同様の法律を2017年に制定しています。)さらに、2018年、ポーランドにおける第二次大戦時の記憶についての法案の、その改正案で、「ウクライナによるポーランドへのジェノサイドを否定すること」に対し刑事罰を課す点が盛り込まれました。(なお、ホロコーストに関しても、「ポーランドによる加害性」を事実に反して主張した場合、同様に刑事罰が課される法律が施行された結果、既に欧米の歴史学者の著作を対象とした裁判が起こっています。)
こうした記憶の「政治資源化」の問題は、旧東欧諸国で広く見られる現象ですが、ポーランドの事例も合わせた紹介として、『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題――ナチズムと社会主���の過去をめぐる葛藤』(ミネルヴァ書房、2017年)が網羅的です。
ユーロマイダン(マイダン革命)以降は、こうした法制化が顕著になっていきましたが、論考のヴィエツの支援の意味は、こうした点からも考えなければいけないものでしょう。
こうした流れを踏まえつつ、ウクライナでも、ポーランドでも、歴史に関する法制化、歴史・歴史研究の政治資源化に対して、批判的な声はあり、左派系知識人を中心としつつもひろく専門家集団一般に及ぶ問題として認識されていた点も重要かと思います。
3. 本件に関する”現代の”ポーランド知識人の反応、国内世論など
この点については、「自由と平和のための京大有志の会」のこちらのリンクを参照していただければ、とても早い段階で彼女ら彼らがどういう反応をしていたのかが分かるかと思います。以下にリンクを紹介します。
●ポーランドの知識人・文化人による「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」に寄せて(2022/02/23) (訳者である小山哲氏の解説)
また、ポーランド国内にも、当然ながらウクライナ支援に関するさまざまな意見があります。ただし、それでも世論調査などを見ている限りでは、この戦争に関する個々人の関心は強く、そして、ポーランドが現在行なっている支援をおおむね支持している傾向にあるようです。
第三次世界大戦が起こるのではないかという不安も、第二次世界大戦の最初の舞台となったポーランドではさかんに議論されていた話題です。実際に、三月後半以降、ロシア政府関係者がポーランドを名指しで批判する(メドベージェフ国家安全保障会議副議長・前大統領のTelegram投稿。ここでも、ポーランドを含むスラブ世界の歴史ということが問題になっていました。)といった報道もあったため、こうした懸念も妥当なものでしょう。
他方、それでもウクライナへの支援を止めるべきである、支援を止めれば標的にならずに済む、といったような声は耳にしません。ポーランドの現政権に対して不満があるか否か、2.で述べたような問題に対してどういう意見を持つかを問わず、多くの人が支援を当然と考えているという点は特筆すべき状況かと思います。
*****
以上が主要な補足点ですが、以下、論中に名前が出てきた人物などについても、一部付け足す内容があります。
ギェドロイチの出身地:ギェドロイチの出身地はミンスクで、彼自身がUBLにあたるポーランド東方領土の出身であるということ、それゆえ、彼の議論はそうした自分の郷里を捨ててでもポーランド、そしてULBの三カ国が自主独立の道を歩むことを訴えたものとして読まれる必要があります。また、彼はモスクワで十代を過ごしており、ソ連の現実についての知見が深かったという点も重要な事項です。
現ポーランド首相(モラヴィエツキ首相)と「連帯」:現在の二国間関係において、戦禍のキーウ訪問を各国と調整するなど、重要な役割を担うモラヴィエツキ首相も、その父親とともに、かつての「連帯」の徒でした。彼もまた、クーロンやヴィエツ同様、「連帯」運動の理念の中に、ウクライナの自由を支えることが大きな使命になっていることを示す一例かもしれません。
ウクライナ「60年世代」:本論で触れた「ウクライナ60年世代」の詩人に、Vasyl Holoborodkoというルハンスク出身の詩人がいますが、ゼレンシキー・ウクライナ大統領がコメディアン時代に出演して話題になった『国民の僕』の主人公の名前はVasily Petrovych Goloborodko(ロシア語読みGはウクライナ語でHになる)で、おそらくこの作家の名から来たのだろうと思われます。
*****
また、まったくの余談ですが、入稿の前後、Twitterで国際政治学と歴史・文学研究とで、対象とする国や地域にどう向き合うかが異なり、そこに違和感を感じるか否かといった話題がタイムラインに漂着してきたことも後々気にかかりました(本当に締め切り前で時間がなく詳しくは追っていませんが、後からそういう話だったのだと理解しました)。というのも、「はじめに」で自分も、”安全保障上の関心じゃなくて歴史的に見れば”というような文言を挟んでいたため、安全保障の研究に取り組む人から「やっぱり歴史学方面の人間はそういう風に専門領域で括って語るのか」と思われもするのだろうかなと考えたからです。特にそういう意図があったわけではなく、「(文学などと比べても)歴史学の反応は腰が重い感じがするな、もっと皆んなこういうときに何かすべきじゃないかな」という想いがあったため、寧ろその点を意識して入れた文言であったということも追記しておきます。
現実には、この戦争の前には、ポーランドでもウクライナ人労働者を差別するようなことも頻繁に聞かれましたし、隣人としての真価が問われていくのは今後なのではなかろうかとも思うのでした。
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imassamayr · 23 days
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旧ソ連の中央アジア5カ国のうち、ロシアと正式に軍事同盟を結んでいるのは、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの3カ国である。
各国はそれぞれ個別にロシアとの安全保障協定を締結しているほか、集団安全保障条約機構(CSTO、このほかにベラルーシとアルメニアが加盟)と呼ばれる軍事同盟にも加盟している。
数の上で最も大規模なのは、タジキスタンに駐留する第201ロシア軍事拠点(201RVB)である。ここでいう「軍事拠点」というのは具体的な基地や駐屯地のことではなく、ある国に駐留するロシア軍部隊をまとめた概念であり、201RVBの場合は兵力約5000人、戦車約40両、装甲車約180両、ヘリコプター1個飛行隊などで構成される。決して大軍というわけではないが、タジキスタン自身の軍隊が総兵力わずか8800人に過ぎないことを考えると、装備と訓練の整ったロシア軍5000人というのはそれなりの軍事プレゼンスと言える。
(中央アジアにおけるロシアの軍事プレゼンスとアフガニスタン情勢のインパクト | nippon.comから)
タジキスタンにはロシア軍が多くいるのか。
アフガニスタン対策なのか。
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thefunkychicken · 23 days
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(CNN) モスクワ郊外のコンサート会場が銃撃され少なくとも139人が死亡した襲撃事件で、容疑者の男4人が24日夜、出廷した。テロの容疑がかけられている。
容疑者4人のうち3人は当局者に体を折り曲げられるようにして入廷した。4人目の容疑者は車いすに乗っており、反応がないようだった。
容疑者らは中央アジアの旧ソ連構成国タジキスタンの出身で、一時的にロシアで働くなどしていた。最大で終身刑が言い渡される可能性がある。
容疑者らは22日にコンサート会場に侵入し、民間人を銃撃し、建物に火をつけるなどした罪に問われている。
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atsutabiblog · 2 months
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アルメニア🇦🇲の世界遺産に行ってみた!(2024.2月)
みなさん、こんにちは! お元気ですか? アルメニア🇦🇲に関するBLOGも3つ目。 とはいえ、日本からは遠い国。 日本ではアルメニアに関することを耳にする機会も少ないと思います。 キリスト教を国教にした歴史上はじめての国 旧ソ連の構成国の1つ 隣国アゼルバイジャンとは対立が続く など、 ジョージア同様、複雑な歴史を持つ国、アルメニア。 今回は、そのルーツを知るべく、 アルメニア🇦🇲の世界遺産に行ってみた! というBLOGを書きます。 このBLOGを読めば、 アルメニアがキリスト教を国教にした理由 アルメニアの世界遺産について 知ることができます! なぜキリスト教が国教に? 301年、アルメニアでキリスト教が国教になりました。 これは歴史上、世界ではじめの国とされています。(2番目の国はジョージア🇬🇪) それ以前からキリスト教は布教されていて、2世紀ご…
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jaguarmen99 · 2 months
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仏パリ市内および近郊の建物に昨秋、「ダビデの星(Star of David)」が落書きされた問題について、当局はロシア連邦保安局(FSB)が関与したとの見方を示している。関係筋が23日、明らかにした。  イスラエルとイスラム組織ハマス(Hamas)の軍事衝突が始まってから数週間後の昨年11月、仏検察は、パリ市内および近郊の建物にダビデの星の落書きが60個見つかったと報告した。こうした行為はユダヤ人への脅迫と解釈されている。  事件をめぐっては、モルドバ人の男女2人が逮捕されている。捜査関係者は匿名を条件に、2人に指示を出していたとされる親ロシア派のモルドバ人実業家を特定したと明らかにした。モルドバは旧ソ連構成国だったが、1991年に独立した。  関係者は日刊紙ルモンドが最初に報じた機密書類の情報を引用し、仏内務省の情報機関、国内治安総局(DGSI)は、画策したのは、ロシア国外での作戦を担当するFSB第5部だと判断していると述べた。FSBは旧ソ連の情報機関KGBの主要な後継機関。
「ダビデの星」落書き、ロシア連邦保安局関与か 仏 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
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myblog-posts · 3 months
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【ライブ配信】JAXAの小型月着陸機「SLIM」 20日午前0時ごろから日本初の月面着陸へ
むむむ〜
😵‍💫😵‍💫😵‍💫
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ari0921 · 7 months
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この儘では米国の核の傘は破れるか
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          櫻井よしこ
今月18日、ワシントン郊外の大統領山荘、キャンプ・デービッドでの会見で、バイデン大統領はこう切り出した。
「もし私が幸せそうに見えるなら、それは私が幸せだからだよ。すばらしい、すばらしい会談だった」
左右の岸田文雄首相、尹錫悦大統領を見ながら、バイデン氏は満足そうだった。「ワシントン・ポスト」紙は日米韓三首脳による会談の意義は計り知れない、と論評した。
会談では中国についても論じられたが、キャンプ・デービッド会談は中国を念頭に置いたものではないとバイデン氏は取り繕った。しかし、首脳三人が集結したのは、まさに中国の脅威に単独では対処しきれないと考える米国が日韓両国にコミットさせるためだったはずだ。
「歴史的」な首脳会談では、日米韓の安全保障協力を新たな高みへ引き上げ、自衛隊と米韓両軍の共同訓練を毎年実施し、今年末までにミサイル警戒データのリアルタイム共有を開始し、経済的威圧に対抗するサプライチェーンを強化するなど多くの目標が並び、地域的脅威には日米韓の連携で当たる体制となった。
米国の切望する、軍事面を筆頭とした日韓の幅広い協力体制の形が、一応整った。米国には日韓双方を何としてでも協力させなければならない事情がある。一言でいえば、米国による拡大抑止、核の傘はこのままでは破綻しかねないのだ。防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が8月11日、「言論テレビ」で語った。
「米国が圧倒的な力を持っていた時代が終わりつつある。中国は2035年には1500発規模の核を持つ。米国の力が相対化され、米中間にMAD(相互確証破壊)と言われる状況が生まれたら、米国の核の傘の下にある同盟国はやや心配になる。これは1970年代に欧州の同盟国が感じたのと同じ不安です」
高橋氏はそもそもバイデン政権の安全保障の論理がおかしいと指摘する。22年10月にバイデン政権は核戦略文書、「核態勢の見直し」を公表した。安全保障環境はどの分野でも悪化していると分析しながら、核兵器の役割は減らすとしたのだ。
核弾頭の寿命は30年
「核抑止の専門家から見ると、米国内も含めて、大丈夫かという不安が拭えないのです」と高橋氏。
米国の核弾頭はいずれもかなり古く、一番新しいものでも1989年製、つまり34年前のものだ。ベルリンの壁が崩れ、冷戦が終わった後は新しい弾頭を作る理由はなかったからだという。だが、核弾頭の寿命は30年と言われている。
「ブッシュ政権のときに、それが大問題になった。で、オバマ政権以降、ピットという起爆装置など、部品の改修・更新を進めました。結果、弾頭の老朽化は今、それ程気にする必要はなくなった。むしろ問題は運搬手段です」と高橋氏は話す。
核戦力は大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と、戦略爆撃機の3つから成る。米国のICBM、ミニットマン3は70年代前半に配備が始まった年代物だ。SLBMのトライデントは80年代、戦略爆撃機で一番古いのはB52、60年代の飛行機だ。
米国は今、ICBM、SLBM或いは潜水艦の近代化を進めているが、完成は2040年の予定である。他方、ロシアの一連の近代化計画は26年の完成を目指す。ロシアが新START(新戦略兵器削減条約)の期限が切れる26年を目指してきたのに対し、米国が遅れをとったのだ。さらに、前述のピットという起爆装置の生産能力が今の米国は非常に小さい。弾頭を増やそうとしても増やせない状況が生じている。
参院議員の佐藤正久氏も語った。
「米国保有の核弾頭は基本的に戦略核です。米国は戦術核を持っていない。だから中国の戦術核に対応するために潜水艦から発射する低出力の核、つまり戦術核を持つべきだという議論が起きて、トランプ政権下で作り始めた。それをバイデン政権は凍結してしまったのです」
ロシアと中国の核に対峙できない状況に米国は立たされている。このような状況がなぜ生まれたのか。欧州ではかつて旧ソ連の通常戦力が圧倒的に強かった。米欧諸国はこれに対抗できないために集団安全保障体制の北大西洋条約機構(NATO)を創り、通常戦力の弱さをカバーするために米国の核を導入した。
他方、今、ロシアが核を使うのではないかと恐れられている。ロシアはウクライナ戦で通常戦力をかなり消耗し、それをカバーするために核に頼ろうと考えかねないのだ。こうして見ると通常戦力で劣勢に立たされた側に、核を使う動機がより強く生まれがちなのが見てとれる。
戦後の極東、日本周辺はどうだったか。米国の海空戦力、つまり通常戦力は圧倒的に強かった。それに中国はどう対処したか。中国が対前年度比二桁の軍事費増額を実践し始めたのは、ベルリンの壁崩壊以降だ。ソ連邦の解体で中国は旧ソ連に遠慮することなく通常戦力の増強に邁進できた。中国は当時すでに米国と国交を樹立し、米国は中国を敵視せず、逆に大いに援助した。
民主党政権は核を使わない
結果、中国は極東における通常戦力で圧倒的優位を築いた。そしてここに来て中国は核戦力も大増産中だ。
ということは軍事バランスの構造上、極東の戦域で台湾有事、日本有事が起きれば、核の使用を考えざるを得ないのは、中国よりもむしろ米国ではないのか。
だが、民主党政権は「絶対に」核を使わないと、高橋氏は断言する。
「すでにウクライナのように、友好国が戦場になっていても、核であれ、通常戦力であれ、(ロシア本土への)攻撃を米国はためらっています。その場合、自分たちでやるしかないですね、ということになります。それは僕たちの側から見れば、見捨てられるということですね」
佐藤氏が付け加えた。
「同盟イコール自動参戦ではありません。フォークランド紛争の時、同盟国のイギリスが米国に軍隊派遣の支援を求めましたが、米国は拒否しています。自分の国は自分で守るということに尽きます」
日本は戦後78年間、ひたすら現行憲法の悪しき平和主義の夢に浸ってきた。どんな時も米国に守ってもらえると考えてきた。いま状況は大きく変わりつつある。その中で、米国の対日観も大きく変化し始めている。日本も安全保障において自立し、米国にとって強い味方であり、支える力になってほしいという姿勢への変化だ。米国は戦後一貫して軍事的に日本の頭を押さえ続けてきた。その米国の日本を見る目が本質的に変わったいま、わが国は米国の意図を正しく把握し、如何にして共に守り合うかを考える時だ。憲法改正は固(もと)より、
安全保障で力強く自立するための方策を、核の共有や戦略的配備を含めてタブーなく議論し、真っ当な勇気ある民主主義国になる時だ。
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tumnikkeimatome · 6 months
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プーチン大統領71歳の誕生日はカザフ大統領と会談:中央アジアとの連携強化を図る【2024年大統領選にも注目集まる】
プーチン大統領とトカエフ大統領の会談 ロシアのプーチン大統領は2023年10月7日、71歳の誕生日を迎え、その日にカザフスタンのトカエフ大統領と会談を行いました。トカエフ大統領は誕生日の祝辞を述べた上で、両国の協力関係が多面的に発展していると強調しました。 他の旧ソ連構成国からの祝辞 ベラルーシのルカシェンコ大統領、アゼルバイジャンのアリエフ大統領、アルメニアのパシニャン首相など、多くの旧ソ連構成国の首脳がプーチン大統領に電話で祝辞を述べました。 ロシアの中央アジア戦略 プーチン大統領とトカエフ大統領、さらにウズベキスタンのミルジヨエフ大統領は天然ガスの輸出事業の開通式に出席しました。この事業は中央アジア諸国との連携を強化する手段として位置づけられています。 2024年大統領選への展望 2024年3月のロシア大統領選まで半年を切り、プーチン大統領の出馬表明にも注目が集まって…
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kennak · 2 years
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ザンギエフのキャラクター性が今のロシアとそぐわないという問題の次に、ザンギエフ自身にウクライナを連想させる要素が実は多い、という問題がある。 例えば、ザンギエフの「好きなもの」に「コサックダンス」があるが、これはウクライナ・コサック集団に由来する、ウクライナの伝統舞踊である。  つまりソ連崩壊前、ウクライナは「旧ソの構成国の一部」だったからこそ「ソ連キャラのザンギエフ」が趣味にしても許されたのが、今となってはウクライナ文化のアイデンティティに関わる形になっている。 これは単にキャラクター設定だけの問題ではなく、スト5の時点では「コサックマッスル」という技名にもコサック要素が取り入れられている。発祥の地域として南ロシアからウクライナにまたがる「コサック」の概念を、ロシア人のキャラ付けと結び付けていいかは、かなり怪しい。
【スト6】ストシリーズの香港、KOFの中国【KOF15】 - izumino’s note
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aikider · 2 years
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ウクライナ関係のエントリのまとめと私見のまとめ
今までに投稿したウクライナ関係のエントリをまとめておく。
ウクライナ侵攻について
「プーチンは狂人でもナショナリストでもない」 佐藤優が読み解く「暴君」の“本当の狙い”
ウクライナ侵攻について2
プーチンのウクライナ侵攻、実は25年前から「予言」されていた…!
「キエフ制圧」でもロシアの泥沼は続く、アフガン、チェンチェンの二の舞いに
ウクライナ侵攻について
対露戦略と対中戦略の齟齬
ウクライナの半導体製造用ガス2社が生産停止、世界供給の約半分カバー | REUTERS
ロシア・ウクライナ戦争の和平を実現するために「最も重要なモノ」
ウクライナ戦争は世界の経済覇権をどう変えるか
ウクライナ戦争の影で中国が手に入れる「利権」
ウ��ライナ侵攻、膠着の原因と今後の展開
ウラジーミル・プーチン
ウクライナの英雄に? 無人機「バイラクタルTB2」大活躍 “バイラクタルの歌”が愛国歌に
停戦の条件はどのあたりか
ロシア軍、キエフ周辺から2割近くを再配置 米分析: 日本経済新聞
ウクライナ情勢2022/04/01
ウクライナ戦争「アメリカが原因作った説」の真相 | ウクライナ侵攻、危機の本質
ウクライナ戦争「数年単位」 東欧での基地拡大を提案―米軍トップ
長引く戦火が世界の人々の生活に与えうる悪影響 | ウクライナ侵攻、危機の本質
プーチンの意図する「非ナチ化」とは
「プーチンは何も諦めていない」佐藤優が明かす「ロシアが狙うウクライナの急所」
[書評]現代ロシアの軍事戦略 小泉悠
ウクライナ侵攻状況2022/05/19
エマニュエル・トッド氏「第3次世界大戦が始まった」
エマニュエル・トッド氏「日本はウクライナ戦争から抜け出せ」
以下は自分の私見のまとめである。
今回のウクライナ侵攻に際して日本はロシア叩き一辺倒である。形式的にも実質的にも侵略戦争であり、ロシアを非難するのは当然である。しかしだからといって、ウクライナが絶対正義であるとか、ウクライナが単純な被害者だとかいう見方は正しくないし、ウクライナを後方から指示するNATOが正義というわけでもない。国際外交や歴史は複雑なものだ。いい大人がそういうことをわかっていないということは残念な話である。
そもそもウクライナ侵攻の火種はNATOの拡大にはじまる。冷戦終結期、ソ連のゴルバチョフは「NATOがドイツよりも東に拡大しないのならば」という条件で東西ドイツの統一に同意した。当時のNATO事務総長も、米国務長官も、独首相も類似の発言をしている。しかしこれは正式な条約ではなく、結局NATOはドイツより東に拡大しつづけることになる。かつてソビエト連邦に属していたバルト三国、東欧4カ国、バルカン諸国が次々にNATOに加盟していくわけだが、これに対しソ連崩壊後のロシアは安全保障上の危惧を抱いた。
そもそもNATOは強大なソ連軍に対抗するための軍事同盟である。したがってソ連が崩壊したならば理論的にはNATOは不要になる。しかし、実際にはNATOは存続した。理由はいくつか考えられる。NATOには他にも目的があった。ドイツの軍事力を抑え込むこと。アメリカが欧州をコントロールする手段を確保すること。また単純に、これほど大規模な同盟を作ってしまうと、解体するのにもかえって混乱を招くからあえて解体しないという消極的な理由もあっただろう。
しかし、これほど大規模な軍事同盟は多額の予算を食う。そんな同盟を維持するには何らかの目標、平たく言えば仮想敵が必要だ。そしてソ連なきあとNATOの仮想敵国になりうるのはロシアしかいない。したがってソ連崩壊後のNATOはロシアを仮想敵とした。のみならず、NATOは旧ソ連諸国を次々に加盟させて東方拡大していった。
NATOとしては、必ずしも積極的に東方拡大するという意図はなかったかもしれない。むしろバルト三国、東欧4カ国、バルカン諸国のほうが、ソ連から離れて軍事同盟を失っていたから、安全な庇護者としてNATOへの加盟を熱望していたという要素はあっただろう。しかもこれらの国々は、NATOに入ることでEU加盟、ひいては経済支援も期待できるのだから、当然といえば当然である。一方のNATOとしては単にオープンドアポリシーに則って彼らを受け入れただけなのかもしれない。90年代~ゼロ年代初頭には、NATOを構成する欧米諸国もロシアのことをさほど脅威とは認識していなかったようなフシもある。実際のところはNATOも一枚岩ではないはずで、その思惑は様々であっただろう。
ロシアは広大な国土を持つが、多くの国と陸続きである。したがって防衛するのがけっこう難しい。歴史的にもナポレオンやヒトラーに攻め込まれた経験を持つ。このため、ロシアは伝統的に戦略縦深を確保することを基本姿勢としてきた。具体的には、モスクワと他国との距離を確保し、一度攻め込まれても追い返せるだけの緩衝地域を設けることが必須条件であった。ソ連時代にはバルト三国、東欧、バルカン諸国が緩衝地域としての役割を担っていた。ところがこれらの国々がNATOに鞍替えしてしまうと、緩衝地域が敵の攻撃拠点となってしまう。モスクワを守る装甲が、モスクワを攻める銃に変わってしまったわけである。
したがってNATOの東方拡大は、ロシア側から見ればロシアへの敵対行動にしか見えなかった。だからロシアはNATO拡大に対して苦情を言い続けてきた。グルジア(のちジョージア)がNATO加盟を希望した際には、ロシアがグルジアを徹底的に叩き、同国のNATO加盟は棚上げとなっている。これはNATOへの警告でもあった。しかし、欧米はロシアの警告を無視し続けた。
最後に残ったロシアの緩衝地域が、ベラルーシとウクライナである。ロシアはベラルーシとの関係を強化することに成功したが、ウクライナはうまくいかなかった。ウクライナはもともと権威主義的な親露派政権だったが、欧米がウクライナにコナをかけ(ゼロ年代末以降、米独の政治家が何度もウクライナを訪れていた)、2014年のウクライナ危機が発生する。
ウクライナ危機では、ウクライナの親露派政権に対して、親欧米派が反政府デモを組織し、大統領が亡命するという事態になった。新たに大統領を選出したウクライナは、EUやNATOへの加盟を志向する。ウクライナがNATOに加盟するとなれば、ロシアに喧嘩を売るようなものだ。そのことはウクライナ側もわかっていただろう。
しかし、ウクライナは親欧米派一色に染まったわけではない。このときクリミア編入とドンバス戦争が発生する。
クリミア半島は帝政ロシア時代からロシア黒海艦隊があり、ソ連時代もソ連の軍港があったし、ソ連崩壊後もロシア海軍の軍港として機能していた。ロシアとしてはクリミア半島を失えば貴重な不凍港を失うことになるため、秘密裏に特殊部隊を送り込んで軍事拠点を制圧、クリミア半島の海軍司令官がすぐ投降してしまい、のちにロシア海軍にスライドする。さらにロシアはクリミア議会を掌握して独立宣言させたのち、ロシアへの編入を問う住民投票を実施させた。その結果、クリミアはほぼ無血でロシアに編入されてしまった。この編入は西側諸国からの非難を浴びたのだが、もともとクリミア半島はロシアの軍港として長らく機能してきたことから、ロシアへの編入に反対する住民は少なかったようである。要するにロシアの情報操作や工作がなくとも、当の住民が編入を歓迎していたわけだ。西側としては国際法の建前上、承認できないと言い続けるしかないのだが、住民の大半が歓迎している以上、現実問題としてはどうしようもないというのが実情である。
かたやドンバス戦争は複雑な経過を辿った。ウクライナ東部のドンバス地方はロシア語話者が多く、政治的にも親ロシア的な住民が多い。親欧米派政権に反発した東部の親露派住民は、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を名乗り、政府軍との内戦に発展する。背後ではロシアが兵器供与を行ったり、特殊部隊による訓練を行っていたが、戦争の主体はあくまでウクライナ東部の親露派が主体であった。つまりドンバス戦争は、ウクライナ国内の内戦であったということになる。
ドンバス地方がクリミア半島と違ったのは、ロシア語話者の割合がクリミアほど圧倒的ではなかったこと、ロシアがドンバス地方の編入を望まなかったことである。最終的にはロシアとフランスが停戦を仲介し、ドネツクとルガンスクを自治共和国とするミンスク合意が締結された。ロシアとしては、両共和国が「ウクライナ国内の自治共和国」という扱いになれば、ウクライナのNATO加盟に反対してくれるので、ロシアの安全保障上のメリットが大きい。ドンバス地方の親露派としては、自分たちの政治的立場が認められる。一方で親欧米派政権は、停戦のため一度はミンスク合意を受け入れたものの、外交上の自由度を制約されることになることを嫌って履行を先送りしていた。親露派とロシアはこれに不満を蓄積させ、結局ミンスク合意は履行されないまま大統領選を迎える。
新たに大統領に選出されたゼレンスキーは、ウクライナの大学で法学を専攻しながらコメディアンになり、テレビで政治ドラマを作って人気を博したという異色の政治家である。それが前の親欧米派政権を徹底的にこき下ろして大統領になったわけで、わりと典型的なポピュリズム的な政治家と言えるだろう。ゼレンスキーは当初はロシアとの対話を意図したようだが、ロシアは再交渉ではなくミンスク合意の履行を迫ったため、ゼレンスキーも強硬路線に切り替えることになった。
そして2022年、ロシア軍のウクライナ侵攻を迎えることになる。
ロシア軍は当初、速攻でドンバス地方とキエフの制圧を狙ったが、ウクライナの防空網を潰しそこねたことで制��権を取れなかった。さらにウクライナの穀倉地帯が雪解けで泥濘化し、さらにウクライナの橋落とし等で移動ルートを制限されたロシア陸軍は、ウクライナの無人攻撃機による爆撃、さらにラジコン式マルチコプターを活用した誘導兵器、欧米から供与された携行対戦車ミサイルにより足止めされ、キエフ攻���を断念する。逆にロシア語話者の多いドンバス地方はほぼロシアが制圧し、ロシア軍はドンバス地方・クリミア半島を拠点として黒海沿岸を奪取する方針に切り替えている。ロシアが黒海沿岸の占領に成功すれば、ウクライナは海軍の拠点と貿易拠点を失うこととなり、穀物の輸出が難しくなる。ウクライナは世界の胃袋を支える穀倉地帯であり、そもそも今年の作付けが怪しくなっているところだから、世界の食糧事情も大きな影響を受けるだろう。
日本を含めた西側諸国は、経済制裁を発動しているものの、欧州がロシア産天然ガスに依存しているために部分的な制裁にとどまっており、ロシア経済はさほど影響を受けていない。かといって軍事介入ができるかというと、ロシアは核保有国であり、核抑止論の観点で言えば「核保有国同士は戦争ができない」ので、NATOは軍事介入することができないし、今からウクライナをNATOに加盟させることは不可能である。ことここに至って、NATOは身動きできない。
以上を振り返ってみれば、問題は以下の2点に集約できるであろう。
①NATOが東方拡大し、ロシアが脅威を感じたこと
②ウクライナが国内問題を解決できなかったこと
①についてはすでに述べたとおりであるが、②については捕捉しておこう。ウクライナはエマニュエル・トッドが「問題は英国ではない、EUなのだ」(文春新書)で指摘したように、「ウクライナは、国民国家として半ば崩壊している社会」であった。要するに、親欧米派が反政府デモで政権を奪取したとはいえ、国内にロシア語話者の親ロシア派住民が生活していることは確かで、正反対の意見を持つ人々が同じ国で生活しているのだ。両者が何らかの合意をするしかなかったのは確かで、ミンスク合意は妥当な落とし所であったのだが、そこで妥協できなかった。
とはいえ、今回の戦争は形式的にも実質的にもロシアによる侵略である。したがってNATOもウクライナも、ロシアの行動を認めることはできない。しかしウクライナは戦争が長引くほど自国の農業、工業、経済が疲弊していく。一方、ロシア軍はグダグダっぷりをさんざん晒されているが、それなりの戦果を上げているし、経済制裁もろくに効かないから、ロシアが兵を引くとは思えない。時間はロシアに味方するから、停戦協議に応じる可能性は低い。そうなると今後の予想としては、この戦争は停戦もない恒久戦争になり、ウクライナはじわじわと締め上げられていくだろう。予想できないのは、ウクライナの重要拠点であるオデーサ(オデッサ)がどうなるかだ。オデーサが維持できればウクライナは戦えるが、陥落すれば戦争の継続が困難になるだろう。いずれにせよウクライナ有利で終わるということは考えにくい。ウクライナが有利になるためには、たとえばプーチンが急死するようなイレギュラーな事態が起きるくらいのことが必要である。
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moko1590m · 7 months
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三菱重工業は7日午前8時42分、日本初の月面着陸を目指す小型月着陸実証機「SLIM(スリム)」とX線天文衛星「XRISM(クリズム)」を搭載した大型主力ロケットH2A47号機を、鹿児島県の種子島宇宙センターから発射した。二つの機体は約50分後までに予定の軌道に投入され、打ち上げは成功した。H2Aの打ち上げ成功は2005年の7号機から41回連続となった。  SLIMは宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発した探査機。独自の画像処理技術などを駆使して、月面の狙った場所に誤差100メートル以内の高い精度で降り立つピンポイント着陸技術の実証に挑む。順調にいけば約3~4カ月で月の周回軌道に到着し、その約1カ月後に着陸準備に入る。旧ソ連と米国、中国、インドに続く5カ国目の月面軟着陸を目指す。  XRISMは、16年に宇宙空間で交信が途絶し復旧を断念したX線天文衛星「ひとみ」の後継機。地球の上空約550キロを周回しながら、宇宙の形成に関わるとされる暗黒物質(ダークマター)の性質などを調べる。
H2A打ち上げ成功 探査機SLIM搭載、日本初の月面着陸なるか(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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omiznewsviews · 8 months
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インド宇宙研究機構(ISRO)は23日、無人月探査機「チャンドラヤーン(サンスクリット語で月の乗り物の意味)3号」が月面の南極付近に軟着陸したと発表した。月面着陸は旧ソ連、米国、中国に次ぐ4カ国目で、南極付近は世界初。氷の状態で眠っているとされる水資源の情報収集などが期待されている。
インドが月面着陸に成功 4カ国目 南極付近は世界初 | 毎日新聞
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