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#部下を育てる「ものの言い方」 (集英社ビジネス書)
kininaru-text · 7 months
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フディーズとセックスピストルズ。
というお題で1年ほど前に拙ブログで書いたことがあるが、ついにファッション界のパンク・リバイバルの波が地方の末端ティーンズにまで到達した感のある昨今、本当にフディーズとパンクが合体したとしか言いようのない少年たちが街を歩いているのを見かけるようになった。
革のライダースジャケットの下に黒のパーカー(フードは常時被る)、昨今ではスキニーと呼ばれているらしい(おばはんの時代の用語で“黒のスリム”)細身のジーンズを半ケツが出る高さまでずり下ろしてパンツのゴムを見せながら履き、腰回りにはシルバーの鎖をじゃらじゃら下げつつ、しかし足元はラバーソウルでなく軽快にハイカットのスニーカー。
この21stセンチュリー・パンク・ボーイズを最初に見た時、わたしは爽やかな感動すら覚えた。過去20年ばかり、いにしえのパンクに憧れてそれらしい格好をする若者たちは後を絶たなかったが、これほど70年代から剥離した着こなしは見たことがない。もはや彼らにはヴィヴィアン・ウエストウッドの“クチュール・パンク”は必要ではなく、そこら辺のスーパーで売っているパーカーと半分出した尻がクールのポイントなのである。実にブリリアントだ。リバイバルというのは、このようにある種のダウトと諧謔をもってオリジナルを憧憬しリスペクトするものでなくてはならない。
というわけで個人的に鼠男系パンクたちには弱いので、先日底辺生活者サポート施設の“ボランティア・デイ”でまさにそれ風の若者が隣に座った時にはどぎまぎしたのだったが、そんなことよりも真の問題はこの“ボランティア・デイ”であった。大変に濃厚なイベントであると聞いていたし、ハードコアな無職者が集うらしいので昨年はパスしたのだが、種々のしがらみがあって今年は逃げ切れず、グループディスカッションの時間帯に参加させられることになったのである。
円形に配置された椅子の一つに嫌々ながら腰かけると、右隣りに鼠男系パンク、左隣りにはあろうことかニックが腰かけてきた。この人は70年代のパンク時代にバンド活動をしていた御仁で、周囲がパンクだのバンドだのを卒業して就職したり、結婚して父親になったり、会社で昇進したりして行く中で、いつまでも革のライダースジャケットを着続け、黒のスリムことスキニージーンズを履いて25年間も無職を貫いてきたおっさんだ。
このように、いわばオールドパンクとニューパンクに挟まれて、「なぜ私はボランティアとして働くのか」というテーマでのディスカッションに参加せねばならなくなった我が身の不運を呪っていると、のっけから進行役の女性がわたしに質問をふってきた。
「あなたは、どうしてボランティアとして働いているのですか?」
「保育のコースを受けようと思ったんですが、無給、有給にかかわらず、どこかですでに子供相手に働いている人でないと当該コースを受ける資格はないということが判明したので、とりあえずここでボランティアすることにしました」
みたいな面白くもなんともないことを喋ると、よせばいいのに進行役は同じ質問を隣のニックにふる。
「俺がボランティアとして働くのは」
と言って彼はもったいぶって深いため息をつき、意気揚々と演説を始める。
「俺は25年間ボランティアとして労働してきた。対価を貰って労働している人間が、世界や人間のためになる仕事をしているとは思えないからだ。企業がやっていることを見てみろ。みんな環境を破壊することしかしていない。企業の社会貢献なんてことが騒がれるようになって、どこの企業もプロパガンダとしての社会貢献ゲームをするようになったが、所詮イメージづくりのための貢献は長期的に見れば世界にとってダメージになることばかりだ。営利を目的にした途端に、ビジネスは全て人間のためにならないことになる。だから自分は営利を目的とせず、対価を貰わずに労働するんだ」
英国(特にブライトンのようなリベラルな街)にはこのタイプの長期無職者がけっこうおり、彼らが中心となって運営されているチャリティー団体がある。彼らはLibertarian(自由意志論者)又はアナキストと呼ばれ、集団で畑を所有して無農薬野菜を作り団体の中で流通してそれを食べて生活したり、フェミニズム、同性愛、環境問題、難民問題、動物愛護などの問題に関して極左的立場から流血の抗議運動を繰り広げたり(ということは近年めっきり減り、ラディカル本のライブラリー経営、オーガニック食品の販売などのソフトな方向に活動の軸が変化しているので、旧ヒッピー&旧パンクな高齢メンバーは怒っているようだが)しており、そうした団体で働いている人々は全て無給のボランティアである。ブライトンのロンドン・ロードにカフェを持つ某C・Club(Oxfamと1ポンドショップの間にあると書けばローカルな方々はもうおわかりだろう)などはその格好の例だ。
無職。というと、何もしないでだらだら家にいる人のイメージが強いが、こうした人々の場合はそうではなく、毎日きびきび労働している。が、それが利潤を生み出す企業・団体のための労働ではないので還元される賃金が存在しない。英国にはこの種の無職者がけっこう存在し、彼らは“ミリタリー系”無職者と呼ばれている。何故ミリタリー系なのかというと、軍隊の軍人並みに毎日しゃかしゃか熱心に働いているし、社会や政府を相手に“戦っている”意識が強いからだ。
そんなわけで放っておけば何時間でも熱く喋り続けそうな“ミリタリー系”ニックの話をなんとか終わらせ、進行役は他の人々にも同じ質問をした。
「無職の年数が長過ぎて、働く自信が無くなりました。それを回復するためにボランティアしています」「無職でずっと家にいると他者とのコンタクトに餓えます。それを何とかするためにボランティアを始めました」等のよくある発言が出回った後で、わたしの右隣りに座っている(おそらくグループで最年少の)フディーズ・パンクの番になった。
「あなたは、どうしてここでボランティアしているのですか」
進行係に尋ねられた鼠男系パンクは、ふふん、と不敵な笑いを浮かべ、喋り始めた。
「俺がボランティアをしている理由は、世の中のためではなく、自分のために何かをしたいからだな。実際、無償で働くっつったって、人間は金がなきゃ食っていけないんだ。で、どこからその金が出ているかって言ったら、政府だろ。そこの、ヴィンテージのライダースジャケット着た人も、失業保険貰ってるんだろ?じゃなきゃ、25年もボランティアなんてふざけた生き方、できねえよな」
わたしは左脇のオールドパンクの肉体からどよどよとした気炎がたちのぼるのを感じながら右脇に座っているニューパンクの傲慢な横顔を見ていた。
ああもうほんとにろくでもない場所に座ってしまったなあと思いながら。
「俺は働かないで政府から金もらいながら好きなことやってるんだ。ま、自分の場合、やりたいことって音楽なんだけどね。ボランティアしているって言うと失業保険事務所で係員と喋るときの印象もアップしてすんなり金が貰えるし、将来音楽で生計が立てられなかった場合に、ここでボランティアしている経験が役に立って金を貰える仕事にありつけるかもしれないじゃん。一石二鳥。って感じかな。俺がボランティアしている理由はごくプラクティカル。失業者に思想はいらねえ」
鼠男系パンクがはきはきと吐くその発言に、ニックの顔がぎりりと歪む。
「自分、自分、自分、って。貴様らはいつもそうだ。他人のことはどうでもいいのか! 世界に何が起きているかなんて貴様らは考えてもみないんだろう」
ニックが言うと鼠男系パンクは答えた。
「世の中って、MEの集団だろ。あんただって、自分はあくまでもMEで、社会の一部であるよりもかけがえのないこのMEでありたいと願うから、政府に税金を払わないで、他人の税金を還元してもらって好きなことやって生きてるんだ」
「俺は好きなことをやっているのではない。そういう次元のことではなくて、世の中の役に立つことをやっているんだ」
「リサイクリングや無農薬野菜栽培が?環境問題で世の中が救えると本気で思っているあんたは、とんでもなくナイーヴな人だな」
くすくす、と笑う鼠男系パンクにいよいよぶち切れたらしいニックは、がたんと椅子を後方に倒しながら立ちあがる。
ひいい、頼むから人の頭の上で殴り合いだけはやめてくれ。
と思いながら身をかがめていると、
「貴様のようなガキに何がわかる!パンクってのはなあ、ファッションじゃないんだ、生きざまなんだ。あくまでも世に警鐘を打ち鳴らし、オーソドックスを疑い、否定し、迎合することを忌み嫌う、その絶えることのない不変のアティテュードなんだ」
と大声でニックが怒鳴った。わたしの頬に彼の唾が打ちかかる。
と、その時、「大きな声を出すのはやめてください」と涼しげな声で言いながら近づいてきたのはアニー(レノックス似の底辺託児所責任者)だった。彼女は付設託児所だけでなく、底辺生活者サポート施設全体の責任者の一人でもあるので、このイベントを仕切っているのだ。
「このセンターには、様々な理由でボランティアを行う人々が来ています。そして、当センターのモットーは“寛容”です。自分とは違う認識や考え方を持つ人々を認め、リスペクトするというのが我々の信条の一つなのです。私はこの考え方を5歳以下の子供たちにも教えていますよ。それが大人に徹底されていない���は、悲しいことですね」
鶴の一声。みたいな感じでニックは静かになった。
「議論はたいへんに結構です。が、あくまでも冷静に、他者をリスペクトしながら行ってください」
にっこり。と柔和ながらも凄味のある微笑を浮かべてアニーは去って行く。さすがにこういう人々の扱いに慣れているというか、底辺アダルトの対応もプロである。
「ふん。所詮あいつは学校の先生なんだよ」
アニーの姿が遠ざかってから、ニックが小声で言う。その姿はまさに先生に叱られた子供のようだ。鼠男系パンクのほうは、くすくすくすくすフードの陰でおかしそうに笑っている。
あまりにも分が悪いな、この状況は。と思った。
これではあまりにも新パンクがクールで、旧パンクがアンクールだ。
ニックだって、戦うパンクが格好いい時代にはけっこうクールだったのかもしれず、鼠男の“音楽(または文学、芸術)やりたいけどそれだけじゃ食えないから失業保険もらう”にしたって、何も新しいライフスタイルではなく、UKでは古典的な生き方なのであって、ニックだって若い頃は同じ地点にいたのだ。
鼠男から見れば、ニックみたいなおっさんはどうしようもないルーザーに見えるだろう。音楽をやりたいという“ドリーム”の諦め時、引き際、というものを知らずに、ずるずる失業保険もらって生きていたら、いつの間にか何らの換金可能スキルもない雇用不能な中年男になってしまい、そんな自分を直視するのが辛いので社会が悪いのだと考えることにして、流血の抗議活動などに夢中になっていたら、頼りにしていたアナキスト団体ですら時代の流れと共にソフト化し、“戦うより地球にやさしくなりましょう”ってんで、気がついたら革のライダースジャケットにゴム長はいて畑を耕すじいさんになっていました。などという人生は、希望に燃える若者から見れば、あまりに侘し過ぎる。
が、そんなニックを笑う鼠男だって、現在は自分の好きなことで生きて行こう、駄目だった時には見切りをつけてきちんと社会人になろう、と思っているかもしれないが、25年後はニックになっている可能性だってないとは言えない。思っていることと現実とはいつでも食い違うものだからだ。
失業保険給付はいつの間にか生活保護給付へと切り替わり、その気になってうまく立ち回れば政府から金をもらいながら半永久的に生きていけるこの国で、“ドリーム”に見切りをつけるのがどれだけ大変なのかは、夢に生きている若者にはわからないことだろう。
オールドパンクとニューパンクは親子のようなものなのだ。
同じコインの、思いきり錆びた裏面とぴかぴかの表面のようなもので。
その後も新旧パンクたちの意見の衝突はあったが、アニーが部屋の角から目を光らせていたせいか大事には至らず、ピースフルにディスカッションは終わった。
互いを牽制し合いながら椅子から立って行った2人であったが、某スーパーから寄付された賞味期限本日付のパンが食堂で無料配給されていることを知ると、オールドパンクもニューパンクも我を忘れたようにカウンターの前に駆け寄り、公営団地ジャージ系シングルマザーや、全身から尿とアルコールの匂いを漂わせている天然ドレッドロック系ホームレスなどに混じって食パンやロールパンの配給を受けている。
縦横無尽に生きているはずのパンクもパンが欲しくて並ぶのだ。
まじめに勤労している人々からすれば、しょうもない屁理屈をこねている暇があったら、働いて自分の金で賞味期限の切れてないパンを買え。と一喝したくなるような話だろうが。
ふと窓の外を見下ろせば、付近にあるオフィスビルの窓から、紅茶片手に新聞を読みながら欠伸しているスーツ姿のおっさんと、死んだ鯖のような目をしてぼんやりと空を見上げている若者の姿が見える。
まじめに働いている気配はそこにもあまり無いように感じられたのは、たぶんわたしの気のせいだろう。
時間を売ってパンを買う人と、時間を潰してパンを貰う人。
同じコインの、裏表裏表。
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qsfrombooks · 3 years
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人から教わった経験が少ない人は、教え方に戸惑うのではないでしょうか。
部下を育てる「ものの言い方」 (集英社ビジネス書) / 井上健一郎
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ari0921 · 2 years
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「#宮崎正弘の国際問題解題」
【書評)】田村秀男 v 渡部悦和『経済と安全保障』(育鵬社)
経済と安全保障は密接不可分の関係にあり
  国民の意思、国家理性という測定しがたい要素も国力に加える
**************************
 二宮尊徳の遺訓は「経済なき道徳は戯れ言だが、道徳なき経済は犯罪である」。
 日本の経済人の多くは、この警句を忘れて全体主義国家と、その人権無視、ジェノサイドには目を瞑り、ひたすら目先の利益をはじき出すビジネスの拡大に血道をあげた。いずれ手痛い打撃を受けるだろう。
 国家の衰亡とは、歴史的地理的に、経済が大きく絡んだ。たとえば、古代「筑紫君磐井の乱」は、大和朝廷にまつろわぬ九州豪族の叛乱としてだけ片付けられる問題ではない。
 古志の大王だった継体天皇は新羅との貿易で財を成し、のし上がった。即位後も、大和のような港に遠い都へ移る意志なぞなく、淀川水系が経済の血脈であるという認識から戦略的拠点の確保のため樟葉、筒城、乙訓に行宮を置いて西国(西日本)ならびに外国との交易を奨励し、監視していたのだ。歳入の源でもあった。
 継体天皇二十一年、新羅と独自の交易をする北九州の大豪族、磐井から玄界灘ルートを取り上げるために兵をおこし、一年半かかって、ようやく退治した。磐井の息子葛子は玄界灘利権を献上し、以後はヤマト朝廷の国造(くにのみやつこ)として存続した。
 戦後の歴史学者は、この経済���側面をわすれて議論をしている。
 本書の肯綮は、経済と安全保障は密接不可分の関係にあること。国力はGDPだけではなく、「国民の意思」と「国家理性」という測定しがたい要素も加味して「国力」を測定しなければならないという原則である。
 だからこそ田村氏というエコノミストと元陸将の渡部氏の対談という異例の顔合わせが実現した。
 現在の国防論議に経済の視点が希薄で、国防と経済の密接不可分関係という認識が薄い。『国民の生命と財産』を守るだけが国防ではない。
 本書の冒頭で「強くてしなやかな国になってほしい」と願う渡部氏(元陸将)が、レイ・クライン博士の「国力方程式」を提示している。
この方程式はワシントンのシンクタンクの一部から「国際政治学のアインシュタイン理論」と高く評価された。
評者(宮崎)、じつに懐かしい想い出がある。
この世界国力ランキングの翻訳日本語版のアレンジは、評者がお膳立てし、以後のクラインの著作はすべて裏の根回しをした。クライン博士は、日本に来る度
にお目にかかったが、新宿の裏路地から赤坂の韓国飲み屋街などを案内したことも思い出した。またこの本の出版記念会も評者が加瀬英明氏と一緒に準備して開催した。岡崎久彦、法眼晋作(外務次官)、三原朝男(防衛庁長官)、二階堂幹事長らが出席し、大盛会だった。ワシントンでも何回か会って、とくにクライン・コネクションで議会の大物の紹介や、ボルシェグラーブ(NEWSWEEK編集長)との会見も設定してもらったことがあった。
 閑話休題。クラインの国力方程式とは、
 「P=(C+E+M)x(S+W)」
 
 というもので、Pが国力、Cは人口+領土、Eが経済力。Mは軍事力
 測定不可能だが、S=国家戦略目標、W=国家意思、となる。
  当時(日本版刊行は1981年)、日本のランクはGDP世界二位だったが、総合国力で八位とクラインは査定した。いま? S(国家戦略も公卿)とW(国家意思)がない日本は二十位にも入らないのではないか。 
 というのも、田村秀男氏は「国力」の重要度を「経済力」として、次の日中経済力比較を展開しているからだ。
 「日本がどこまで落ち込むか。底が見えません。主因は1990年代後半から始めってきた物価・賃金の下落、すなわちデフレ圧力による(中略)。実質実効相場と名目GDPともにめざましい増勢基調を保ってきたのは中国です」。
 日本の政策失敗により、GDPでも中国に追い抜かれた。
「2020年は1997年に比べ(中国の)名目GDPは12・7倍、実質実効相場が28・7倍上昇しています。対極にあるのが日本です。それぞれ0・9%減、29・2%減です。この間の日中のギャップは実質実効相場では57%にもあります。ドルベースでみた中国の名目GDPは1997年で日本の21%でしたが、いまや約三倍になります。しかも対外購買力を日本に比べて五割以上高めています」
 だから中国は「安い、安い」と叫び、日本の戦略的要衝を買い占め始めた。国家安全保障にとって、これほどの危険はあろうか?
 本書はそうした危機意識を基底として濃密に書かれた憂国の書である。
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xf-2 · 4 years
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支持率急上昇の理由
「武漢肺炎」問題は、いまや世界最大の問題だ。そのなかで小国・台湾の動きが光っている。   本稿では、組織の固有名詞や引用以外では「武漢肺炎」で統一した。台湾では、政府が公式に略称として「武漢肺炎」を使い、一部の親中メディア以外は「武漢肺炎」と呼称している。香港やマレーシアの中国語メディアでも、親中派を除けば「武漢肺炎」が一般的である。   台湾では政府の武漢肺炎対応が国民からも強く支持され、政府、政治家の支持率が急上昇している。2月24日に公表された台湾民意基金会の調査では、蔡英文総統(大統領)の支持率は、前月から11ポイント強増え68・5%に、なかでも防疫政策については、75.3%が「80点以上」と回答した。   衛生福利部長(厚生労働大臣に相当)の陳時中が指揮する中央流行疫情防治中心(中央伝染病予防センター)に対しても、平均84・16点という高い評価がなされた。ちなみに副総統の陳建仁と行政院副院長(副首相)の陳其邁、さらに衛生福利部の次長(次官)も公衆衛生の専門家である。つまり、蔡政権は最初から感染症対策に適した布陣なのだ。
国内感染者が1人も出ていない時点で「法定感染症」に
対応は迅速だった。   昨年12月31日に、中国・武漢市衛生健康委員会が「原因不明の肺炎の症例」に関する発表を行うと、衛生福利部(厚生労働省)が即日に注意喚起を出し、武漢からの帰国便に対する検疫官の機内立ち入り検査、空港等での入国時の検疫強化を実行した。   ちょうど日本ではカルロス・ゴーンの逃亡が騒がれた頃で、筆者は台湾政府の反応を見て、武漢肺炎の深刻さを知った。日本の厚労省が注意喚起を行ったのは、6日後の1月6日だった。   台湾は国内で感染者が1人も出ていない1月15日の時点で、「法定感染症」に定めている(日本の「指定感染症」の閣議決定は1月28日)。さらに、米国と同じく重大な感染症に対応するための衛生福利部疾病管制署(CDC)も整備されており、1月20日には「厳重特殊伝染性肺炎中央流行疫情指揮中心」(以下、指揮センター)を正式に立ち上げている(日本の対策本部立ち上げは1月30日)。   しかも「法定」の根拠法である「伝染病防治法(対策法)」では、各官庁に強い権限が認められている。以下の対策は、主に同法に基づくものだ。
中国人の全面入国禁止措置
台湾政府は早い段階からヒトからヒトへの感染は排除できないとして、武漢地区への危険レベルを引き上げた。WHO(世界保健機関)の情報を鵜みにして、しばらくの間は「持続的なヒトからヒトへの感染の明らかな証拠はない」としていた日本の厚労省とは明らかに異なる。   1月24日、台湾の指揮センターは他の省庁と協力して、「マスクの輸出禁止」をいち早く実施。マスクが不足し始めた民間情報をキャッチしての素早い対策で、「高値転売などへの処罰」 「政府備蓄マスクの放出」 「政府買い取り保証」なども日本政府より1カ月以上も早い対応だった。   2月6日からは国内で生産されるマスクをすべて政府が買い上げ、実名制で配給した。1人当たり週二枚の配給だが、ICチップ入りの健康保険カードで認証するため、国民のほか居留資格がある外国人も利用可能だ。3月12日からは「マスク実名制2・0」と題して、国民認証が必要なスマホアプリを使い、一定の枚数をネットで注文し、コンビニなどで受け取れるようにした。   中国からの入国制限も早かった。1月19日には、中国渡航者で肺炎の症状があれば、国籍に関係なく隔離を開始。1月26日には、中国人の訪台制限を強化して武漢市からの入国を禁止し、その後も対象地域を次々に拡大して、2月6日には中国人の全面入国禁止措置を講じた。
追加特別予算案は人口比で日本の4倍
学校閉鎖も先行している。   春節(旧正月)休みに入っていた2月2日、台湾政府教育部(文科省)は、同月10日までのところ24日まで延長する措置を命じた。2月20日には、今後は一斉休校は行わずに、教職員や生徒で感染者が1人出れば学級閉鎖、2人以上なら学校閉鎖との基準を改めた(安倍首相が一斉休校要請を行ったのはほぼ3週間遅れで、台湾が方針を変えたあとの2月27日だった)。   共働きの家庭などに配慮した対策も台湾では早かった。労働部(省)は1月22日には、労働者自身はもちろんのこと、発症した子供の世話のために、有給休暇の取得を可能とし、それを拒否した雇用者に対しては法に基づいて処罰するとした。   行政院(内閣)は2月13日、総合的な対策特措法「厳重特殊伝染性肺炎防治及困振興特別条例」案、および追加特別予算案600億台湾ドル(約2200億円)を作成、立法院が25日に可決した。日本が緊急対応策として計上した予算案は2700億円、人口比では台湾は日本の約4倍になる。ちなみにシンガポールは約5000億円規模で、人口比では日本の40倍を超える。   また、日本では実施されていないものとして、デマなどの「インフォデミック」への処罰と、医療関係者の6月までの出国禁止令(2月26日)が台湾では出ている。
世界が注目する若手天才大臣の活躍
マスク供給など台湾の対策は日本の国会やテレビでも話題となったが、特に注目を集めたのは、自身もプログラマーで起業家でもあるデジタル担当の政務委員(大臣)を務める唐鳳だった。   IQ180、38歳の若手天才大臣として知られる唐鳳(オードリー・タン)は、台湾各地の薬局のマスク在庫状況をデータ化し公開、それによって民間のエンジニアたちがボランティアで「マスク在庫マップ」などを次々と開発していった。   唐鳳は男性として生まれたが、女性に転換したトランスジェンダーであり、遺伝子鑑定でも性別は中間とされ、入閣時、性別欄には「無」と記した。子供のときからプログラミングで名を馳せ、15歳でIT企業を起こすなど、米誌『フォーリン・ポリシー』の「2019年のグローバル思想家100人」にも選出された世界が注目する若手政治家だ。
国民から厚い信頼を得ている厚生大臣
唐鳳以外にも台湾国民から厚い信頼を得ているのが、先述した衛生福利部長(厚生大臣)で指揮センタートップの陳時中である。台北生ま���の66歳。歯科医出身だが、前の民進党(陳水扁)政権時代にも衛生署副署長(厚生副大臣)として国民健康保険制度の中心人物であり、公衆衛生にも明るい。1日1回は記者会見を行い、国民に丁寧な説明を行う姿勢も高く評価されている。
秀逸な情報公開
情報公開の仕方も秀逸だった。   台湾CDCのホームページはデザインも優れていて非常に見やすい。トップ画面の一番上には、目立つように黄色の背景で箇条書きした注意事項、その下には世界地図と全世界の感染・死者合計、台湾国内の検査数、陽性確定数、隔離解除、昨日の検査、確定などが並ぶ。ビジュアルが多用されており、国民が一目で分かるような工夫が見られる。   台湾の政府系通信社「中央通訊社」をはじめ、民間メディアでも、中国人の入国拒否を実施した世界の国の一覧、東南アジアをはじめ欧米中東の症例のまとめなど、様々な情報が公開されている。こうしたことから、台湾国民は台湾を世界やアジアのなかで位置付けて、中国や他国への警戒ができるようになっている。   一貫した政府の意思は、第一に「自国民を守ること」 「そのために適切かつ簡潔で具体的な情報公開、そして分かりやすく伝える工夫」である。
中国に忖度するあまり、親日国台湾からの信用を失ったら……
一方、日本の厚労省のホームページは文字ばかりで、発表資料を機械的にアップしているだけ。利用者である国民の便宜がほとんど考えられていない。そもそも政府が中国からの入国を延々と認めていたように、自国民を守ろうとする意思が欠けていると言わざるを得ず、何よりも世界からそう見られてしまう。   実際、3月13日時点で35カ国・地域が日本からの入国を制限した。入国後の行動制限を設けたのは76カ国・地域に上る。日本の感染者数はドイツやフランスより少ないにもかかわらずである。 大の親日国家として知られる台湾でも、日本への信用が低下している。ネットでは「日本はどうなっている?」 「失望した」などという声が飛び交っている。もっとも執筆時点では、「中国との往来を早期に遮断しなかった日本政府の優柔不断さ」が槍玉に上がっており、大本はやはり中国不信にあって、日本人そのものには及んでいないように思える。とはいえ、台北にいる知人は、日本語で話していたところ、マンションの住人に「日本人だ。困ったことだ」と避けられた、と話している。 政府が手をこまねいていると、日本および日本人全体のイメージ悪化に波及するかもしれない。中国に忖度するあまり、親日国台湾からの信用を失ったら、今後、日本外交のボトルネックになりかねない。   一方で、台湾政府は東南アジア、とくにベトナム、シンガポールとは密接な情報交換をしていると推測される。フィリピン、インドネシア、マレーシアとも情報交換を行っていると見られており、台湾と国交を維持し感染者ゼロ(3月13日時点)のパラオでは、トミー・レメンゲサウ大統領が、「台湾政府の支援に感謝する」という声明を発表したことからも、台湾と緊密な情報交換を行っていることがわかる。
未だにWHOに加盟できていない台湾
台湾がWHOに加盟できない点が、今回の場合は幸いしたとも考えられる。再三の要望にかかわらず未だにWHOに加盟できていない台湾は、独自の情報収集や近隣諸国との連携にも余念がなく、先手を打った迅速かつ的確な対応を主体的に実施した。   2016年に蔡英文政権が登場してから、中国と距離を置く政策によって、中国政府があてつけのように台湾への団体旅行を制限したため、中国から台湾への人の流入が減る傾向になっていたことも幸いした。   もちろん、台湾の事例がそのまま日本で可能かというと、両国には本質的な違いもある。公衆衛生などの専門家チームに権限を与えて指揮させるのは、台湾が大統領を直接選挙で選ぶ大統領制であるがゆえだ。
世界で成果をあげる対中警戒感の強い政権
だが、日本が台湾から学べることは多い。   第一には対中警戒感だ。他のアジア諸国を見ても、武漢肺炎対応で成果を上げているのは対中警戒感が強い政権、あるいはそうした国民が多いという特徴がある。   ベトナムは政府がホームページで公開している対策も見やすくよく作られているし、実際に感染者数の抑制に成功している。シンガポールは感染経路を特定したり、感染者の所属先、病院、経路などを公開したりしている。台湾を含めてこの3カ国の対応や情報公開の仕方は、大いに学ぶべきだ。   香港やマレーシアも、中国との交流の深さの割に感染者拡大は抑制されている。モンゴル、インドネシア、フィリピンは、国内の医療水準やシステムには不安は残るものの、それでも早期に中国との往来を制限し、拒否したことで、現時点で爆発的な感染者拡大にまでは至っていない。   シンガポールでは中国からの郵便物を全面拒否し、インドネシアでは食材の輸入も禁止したという。 いずれも中国と国境を接していて歴史的に中国から痛い目に遭っているか、または中国系住民(華人)がいるため中国政府の邪悪な意図を先読みできるという共通点がある。
国民を鼓舞した蔡英文の宣言
話を台湾に戻すと、台湾も日本と同じくお人よしは多い。だが、戦後初期に中国人政権を直接経験しているためか、中国社会に本能的に警戒感を持っている。日本人は中国に対して、あまりにも警戒心がなさすぎる。   何よりも、いまの日本に根本的に欠けているのは、「国家・国民を守る」という前提と強い意思だ。  新型ウイルスという、未知の見えない相手に対応する場合には、ウイルスを外敵の一種と捉えて、国家を守るという姿勢が欠かせない。   その点で台湾がはっきりしていたのは、「台湾の国家としてのプライドと国民の健康と安全などの生存権を守る」ということである。   1月11日の総統・立法委員選挙で、反中国的な民進党の蔡英文が総統に再選され、また立法院でも民進党が過半数を超える多数を死守できたことが大きい。   蔡英文は再選直後、英国BBCのインタビューでこう述べている。 「いかなる時も、戦争の可能性は排除できない(中略)。しかし重要なことは、自分自身が備えをして、自分自身を守るための能力を身につけることだ」 「(中国が)台湾を侵略すれば、非常に大きな代償を払うことになるだろう」   中国に対してきわめて強硬な姿勢、かつ台湾が独立国家として自信を深めていることを宣言した。
71%が対中強硬姿勢を評価
今回、台湾が世界に先駆けるように、昨年末から武漢肺炎に対して警戒感を持ち、いち早く手を打った背景には、そうした台湾のプライドと、中国への警戒感や反感が大きく作用したと言える。   台湾民意基金会の世論調査でも、自分たちを「中国人ではなく台湾人」と考えている割合は、過去最高の83・2%に上った。昨年末にビジネス雑誌『天下』が発表した世論調査では、年齢層別の数字もある。若い世代ほど、「自分は台湾人」だと思う割合が高い。台湾の現在の正式国名は「中華民国」だが、20~30代においては63・6%が「台湾」と呼ぶべきだとして、「中華民国」の30・5%を大幅に上回っている。   蔡英文の対中強硬姿勢についても「満足」 「まあ満足」の合計が71・5%に達しており、中国共産党の武漢肺炎に対する処理能力については67・3%が「能力はない」とし、中国の状況について88・2%が「きわめて深刻」と考えている。   つまり、中国共産党への不信感の強さと台湾に対する自信と誇りこそが、蔡英文政権の武漢肺炎対応と対中強硬姿勢への支持の高さを支えているのである。
バッタ200兆匹が中国襲来!疫病に蝗害こそ中華帝国崩壊の予兆
日本のメディアではほとんど報じられないが、中国には現在、東アフリカで大発生して、2つの海をわたってインドに襲来し、農作物に甚大な被害をもたらしたサバクトビバッタの大群も迫っている。その数は4000億匹だが、6月には200兆匹に増えるとの予測もある。    疫病に蝗害(こうがい)は、これまでの中華帝国の王朝崩壊の予兆として歴史的にも知られている。加えて、米中戦争でファイブアイズ(諜報活動についてUKUSA協定を締結している米国・英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド5カ国の通称)から一斉にバッシングを浴び続けている中国経済は、昨年の時点で青息吐息である。   アジア諸国がウイルス発生源の中国と次々に手を切ろうとしている今こそ、安倍首相が従来から提唱している価値観外交の原点に回帰すべき時ではないか。武漢肺炎は「脱中国」の契機と捉えることもできる。日本が台湾から学ぶべきことは多い。(初出:月刊『Hanada』2020年5月号)
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genron-tomonokai · 5 years
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[友の会メール]『テーマパーク化する地球』6月11日発売!絶賛予約受付中!
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[友の会メールvol.322]『テーマパーク化する地球』6月11日発売!絶賛予約受付中! (2019年5月21日配信)
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こんにちは、スタッフの宮田です。 『テーマパーク化する地球』がまもなく発売されます!Amazonやゲンロンショップでぜひご予約くださいね! また、6/14(金)には東浩紀による『テーマパーク化する地球』刊行記念イベントがゲンロンカフェで開催されます!会場チケットは売り切れとなりましたが、当日は生放送もございますので、ぜひご覧ください! また、梅原猛さんへのインタビューを電子書籍にて販売しております。こちらもぜひご覧ください。
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★『テーマパーク化する地球』6月11日 全国書店にて発売!ただいま予約受付中!★
ゲンロン叢書 第3弾 東浩紀著『テーマパーク化する地球』が、来る6月11日(火)にいよいよ販売開始となります! 『テーマパーク化する地球』はAmazonおよびゲンロンショップにて絶賛予約受付中です! Amazon: https://t.co/ruJvGJE0HT ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/224
批評家として、哲学者として、そして経営者として、 独自の思索と実践を積み重ねてきた東浩紀。 その震災以降の原稿から47のテクストを選び出し、 「世界のテーマパーク化」「慰霊と記憶」「批評の役割」を軸に配列した評論集。 世界がテーマパーク化する〈しかない〉時代に、人間が人間であることはいかにして可能か。
平成��併走した批評家が投げかける、令和時代の新しい航海図。
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ゲンロンショップでは、送料無料キャンペーンを実施しています! 6/10(月)24時までのご予約で国内送料無料! たくさんのご予約をお待ちしております! https://genron.co.jp/shop/products/detail/224
★『テーマパーク化する地球』を手に入れるなら、ゲンロン友の会 第9期への入会が圧倒的にお得!★
ゲンロン友の会 第9期会員のみなさまに、批評誌『ゲンロン』1冊と、対象となるお好きな単行本2冊をお届けします! また、月刊ウェブ批評誌『ゲンロンβ』を9期会期中に発行された計12号を読むことができますし、ゲンロンカフェ、スクール優待など、特典盛りだくさんです! 『テーマパーク化する地球』発売直前の今だからこそ、ぜひゲンロン友の会 第9期への入会をご検討ください! https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
★『テーマパーク化する地球』刊行記念イベント開催決定!★
『テーマパーク化する地球』祝刊行記念!「ゲンロンを経営してきたこの8年間」の軌跡について、東浩紀が語りつくします! 大変ご好評につき、本イベントの会場チケットは発売日に即日完売となりました。当日はイベントの模様をニコニコ生放送にて完全中継いたします!ぜひ『テーマパーク化する地球』をお手元に、放送をお楽しみください!
◆6/14(金)19:00- 東浩紀 「東浩紀がいま考えていること ――『テーマパーク化する地球』刊行記念」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320111785
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★梅原猛インタビュー電子書籍販売開始!★
2019年1月、哲学者の梅原猛氏が93歳で亡くなられました。 東日本大震災の翌年、東浩紀が聞き手となって梅原猛氏のインタビューが収録されました。 震災と原発事故に対する思いに始まり、梅原氏の哲学的来歴、そして洋の東西を超えた「人類哲学」の構想について、46歳の年齢差を超えて交わされた対話。そこには氏の思想の根底にある人間観・文明観が語られています。
2万字のロングインタビューに加え、東浩紀による追悼文と著作紹介を収録。ぜひご覧ください。
『草木の生起する国: 梅原猛インタビュー』梅原猛、東浩紀 https://amzn.to/2wbu0j8 定価250円+税
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★『新記号論』絶賛販売中!!★
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』 石田英敬+東浩紀(ゲンロン叢書002)
ゲンロンカフェ発 伝説の白熱講義を完全収録! 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」
『新記号論』はこのたび3刷の発行が決定いたしました。3刷出来は5月末を予定しております。
[物理書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 [電子書籍(ePub)版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/220
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』特設ページはコチラ! https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/
本書第2講義の無料試し読みページもございます! 「デジタル時代の夢と権力――『夢の危機』と『夢見る権利』」 https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/no1/
『新記号論』のベースとなった石田英敬氏によるゲンロンカフェのイベント全3回のVimeoアーカイブ動画を、 お得なセットで販売中! 通常レンタル価格¥1,800→¥1,500(ご購入は¥3,600→¥3,000)とたいへんお買い得です!
書籍と相互補完する超充実の内容です。お見逃しなく! https://vimeo.com/ondemand/genronshinkigou
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★ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 終了!★
ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 は先週5/17(金)に、第3回 ゲンロンSF新人賞選考会(最終講評会)が行われ、これをもってすべての課程が終了いたしました!受講生のみなさま、1年間お疲れさまでした! 第3回 ゲンロンSF新人賞 正賞は、琴柱遥さん「父たちの荒野」に決定いたしました!おめでとうございます! また優秀賞は斧田小夜さん「バックファイア」、東浩紀賞は伊藤元晴さん「猫を読む」、大森望賞は進藤尚典さん「推しの三原則」にそれぞれ決定いたしました!おめでとうございます!
琴柱遥さんの最優秀賞作品は、『ゲンロン11』(2020年刊行予定)に掲載されます。こちらもお楽しみに!
受講生が提出しました最終課題は以下のサイトからご覧になれます。 最終課題:ゲンロンSF新人賞【実作】 https://school.genron.co.jp/works/sf/2018/subjects/11/
当日の講評会の模様は、以下のリンクからご視聴いただけます。 ニコ生: http://live.nicovideo.jp/watch/lv319950244 Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=BZi1_HbUdDQ (ニコニコ生放送は5/24(金)まで、Youtubeは無期限で、それぞれ無料でご視聴いただけます。)
第3回 ゲンロンSF新人賞選考会(最終講評会) https://genron-cafe.jp/event/20190517/
ゲンロンスクールは今年もたくさんの受講生、聴講生のご応募をいただきました。ありがとうございます。 マンガ教室、SF創作講座ともにただいま開講準備中です。開講までいましばらくお待ちください。
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/22(水)19:00- 堀内進之介×塚越健司×柳亨英 「どのヒーローが称賛に値するのか? ――『アメコミヒーローの倫理学』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/653185
◆5/23(木)19:00- 大山顕×石川初×速水健朗×東浩紀 「大山顕のすべて ――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウンイベント」 https://peatix.com/event/639485 こちらのイベントの生放送は以下のページからご視聴いただけます。 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319709160
◆5/29(水)19:00- 菊地成孔×高見一樹×松村正人 「『前衛音楽入門』刊行記念イベント」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #18】 https://peatix.com/event/651395
★New!★ ◆6/4(火)19:00- 五十嵐太郎×加藤耕一 「ノートルダム大聖堂をいかに再建するか ――リノベーションの創造性を考える」 https://peatix.com/event/669684
★満員御礼!★ ◆6/14(金)19:00- 東浩紀 「東浩紀がいま考えていること ――『テーマパーク化する地球』刊行記念」 https://peatix.com/event/679300 こちらのイベントの生放送は以下のページからご視聴いただけます。 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320111785
★New!★ ◆6/19(水)19:00- 平倉圭×大谷能生×山縣太一(オフィスマウンテン) 「俳優の身体には何が宿るのか? ――『身体と言葉:舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド』刊行記念イベント」 https://peatix.com/event/666370
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/22(水)19:00- 【生放送】堀内進之介×塚越健司×柳亨英 「どのヒーローが称賛に値するのか? ――『アメコミヒーローの倫理学』刊行イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319820527
◆5/23(木)13:00- 【再放送】大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築 ――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 (2017/2/15収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163057
◆5/23(木)19:00- 【生放送】大山顕×石川初×速水健朗×東浩紀 「大山顕のすべて ――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウン」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319709160
◆5/24(金)13:00- 【再放送】川島素晴×木石岳×藤倉大 「現代音楽のポピュラリティ」 【現音カフェ #2】 (2018/10/30収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163143
◆5/24(金)18:00- 【再放送】菊地成孔×佐々木敦 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #10】 「音楽/時/空間」 (2018/8/30収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163203
◆5/28(火)18:00- 【再放送】平沢進×斎藤環 「平沢進・徹底解剖!」 【ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA #16】 (2019/2/13収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163726
◆5/29(水)19:00- 【生放送】菊地成孔×高見一樹×松村正人 「『前衛音楽入門』刊行記念イベント」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #18】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319822665
◆5/30(木)13:00- 【再放送】津田大介×東浩紀 「あいちトリエンナーレと芸術の現在」 【ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA#3】 (2018/1/28収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163320
◆5/30(木)18:00- 【再放送】勝川俊雄×鈴木智彦「ゆれ動く日本の水産業と食文化を考える ――豊洲市場移転、漁業法改正…そして、サカナとヤクザ」 (2019/1/29収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163436
◆5/31(金)13:00- 【再放送】五十嵐太郎×海野聡「建築にとって日本とはなにか ――海野聡『建物が語る日本の歴史』(吉川弘文館)刊行記念イベント」 (2018/8/3収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163488
◆5/31(金)18:00- 【再放送】五十嵐太郎×さやわか×大澤聡+東浩紀 「メディア/都市/コンテンツ ――『1990年代論』から考える」 (2017/10/6収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv320163545
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/21(火)23:59まで 【生放送】片山杜秀×岡田暁生 司会=山本貴光 「クラシック音楽から考える日本近現代史 ――『鬼子の歌』刊行記念イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319568843
◆5/22(水)23:59まで 【再放送】糸谷哲郎×佐藤天彦×戸谷洋志 「将棋、哲学、人間(あるいは人工知能) ――『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』刊行記念」 (2019/2/25収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319951556
◆5/23(木)23:59まで 【再放送】大山顕×東浩紀 「都市と道の写真論」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #6】 (2018/4/22収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319952192
◆5/23(木)23:59まで 【3刷決定!緊急再放送!】石田英敬×津田大介×東浩紀 「脳とメディアが広告と出会うとき ――『新記号論』刊行記念イベント第2弾」 (2019/4/20収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319951916
◆5/24(金)23:59まで 【再放送】小川哲×飛浩隆×東浩紀×大森望 「日本SFの新たな地平」 【大森望のSF喫茶 #26】 (2018/7/6収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv319952849
◆5/26(日)23:59まで 【チャンネル会員限定・生放送】堀浩哉×黒瀬陽平 「作品を作る1 ――展示指導4」 【ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 #5】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv319698470
◆5/28(火)23:59まで 【再放送】井上智洋×楠正憲 司会=塚越健司 「仮想通貨と人工知能 ――技術は経済を変えるのか?」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv320162983
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入いただけるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】さやわか×黒瀬陽平×東浩紀 「ゲームとアートは出会うのか ――『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント #3」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #11】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180913 (2018/9/13収録)
◆【vimeo】佐々木敦×綾門優季×小田尚稔×額田大志 「現代日本演劇の新潮流 ――テクストと、その上演」 【ニッポンの演劇 #11】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180402 (2018/4/2収録)
◆【vimeo】大澤真幸×吉川浩満×東浩紀 「いま、人間とはなにか? ――『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』刊行記念イベント」 https://vimeo.com/ondemand/genron20181009 (2018/10/9収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://bit.ly/2sybMGS
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエでは、次回展示企画の準備中です。 五反田アトリエの最新の展覧会情報やアーカイブは、カオス*ラウンジの公式webサイトをご確認ください。 http://chaosxlounge.com/
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★東浩紀『テーマパーク化する地球』予約受付中! 「平成に併走した批評家が投げかける、令和時代の新しい航海図。」 Amazon: https://t.co/ruJvGJE0HT ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/224 ゲンロンショップでは、送料無料キャンペーンを実施しています! 6/10(月)24時までのご予約で国内送料無料です!
◆『ゲンロンβ37』配信日変更のお知らせ 毎月第3木曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年5月配信の『ゲンロンβ37』を5月30日配信に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。
◆ウェブ批評誌『ゲンロンβ』配信日変更のお知らせ 毎月第3金曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年4月から、配信日を第3木曜日に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 →最新号『ゲンロンβ36』はこちら! https://genron.co.jp/shop/products/detail/223
★『新記号論 脳とメディアが出会うとき』3刷決定!&電子書籍版も販売中! 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」 [物理書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 [電子書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/220 →試し読みページはこちら! https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/no1/
★『マンガ家になる!――ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第1期講義録』絶賛販売中! 絵がうまいだけじゃダメ、マンガが描けるだけでもダメ。業界騒然のマンガ家育成講義録! https://genron.co.jp/shop/products/detail/193 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/20181125/16
★『ゲンロン9 第I期終刊号』絶賛販売中! 『ゲンロン』創刊から3年。第I期のあらゆる伏線を回収し、第II期の飛躍を準備する、第I期終刊号。 https://genron.co.jp/shop/products/detail/188 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/genron9issuu/36
★小松理虔『新復興論』絶賛販売中! 第18回大佛次郎論壇賞受賞! 「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン! https://genron.co.jp/shop/products/detail/178 →『新復興論』特設ページはこちら! https://genron.co.jp/books/shinfukkou/
★毎日出版文化賞受賞&朝日新聞社「平成の30冊」第4位!『ゲンロン0 観光客の哲学』絶賛販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →『ゲンロン0』特設ページはこちら! https://genron-tomonokai.com/genron0/
★友の会第9期への新規入会を受付中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。 最新の回答は、「『より良い憲法』を作るために必要なものとは?」です! https://tmblr.co/Zv9iRg2heIWYK ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中! 最新の記事は、東浩紀「令和は平成だけでなく昭和の負債も返さなければならない」です。 https://dot.asahi.com/aera/2019051500016.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆KAI-YOU Premiumに東浩紀インタビュー「なぜ今、批評なのか 連載全5回」が掲載されています!最新の記事はこちらです。 Vol.5 次の時代を虚しくしないために https://premium.kai-you.net/article/21
これまでの記事はKAI-YOU Premiumからお読みいただけます。 https://premium.kai-you.net/series/azumahiroki
◆FINDERSに東浩紀インタビュー「東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間 前後編」が掲載されています! 思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】 https://finders.me/articles.php?id=858 なぜ組織をゼロから再構築しなければならなかったのか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【後編】 https://finders.me/articles.php?id=859
◆河出書房新社より東浩紀『ゆるく考える』発売中! いつの間にか中小企業ゲンロンのオヤジ経営者になっていた。 人生の選択肢は無限だ。ゆるく、ラジカルにゆるく。東浩紀のエッセイ集! http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。 営業時間は、11時-20時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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nemosynth · 5 years
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくよ���になった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものと��いえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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mayumiura · 5 years
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一流コンサルタントが伝授する「一生モノの読書術」とは? 外資系コンサルの日本・アジアトップを歴任した、山本真司さんに聞く インタビュー一覧へ戻る 今回登場いただくのは、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)を経て、ボストン・コンサルティング・グループ、A.T.カーニー極東アジア共同代表、Bain & Company 東京事務所代表パートナーなど外資系コンサルティング会社の日本・アジアのトップとしてご活躍されてきた山本真司さんです。いまも現役のコンサルタントとして多数の有名企業に助言しているほか、最近では若手のベンチャー企業に出資されるなど、投資家としても活動中。日本屈指のブレーントラストの「読書観」に迫ります。 一流コンサルタントの読書術——本に読まれてはいけない! コンサルタントとして活躍するには、まず情報収集がキモだと思いますが、普段どのように本を読んでいらっしゃるんでしょうか? 山本真司さん(以下、山本):僕は昔からウルトラ積読派なんですよ。その時のアンテナにちょっとでも触れるような本があれば買っちゃいますね。執務室として使っている部屋は、壁一面が全部本で埋まってるくらい。 そんなにあるんですか! 山本:でも実は、最初から最後までキレイに読んだ本はほんのちょっとしかないんですよ。まったく手を付けてないものもたくさんある。 それには理由があって、僕は「本に読まれる」のが嫌いなんですよ。僕自身が問題意識を持って、その問題意識に関する情報だけを得たいと思っている。辞書のように、自分が関心を持っているものだけを主体的に読もうとしているんですよね。 例えば、この2、3年は金融を含めたマクロ経済が不安定で、先行きが全く見えなくなってしまったよね。そうすると、「アメリカの金融緩和はどうなるんだろう?」っていう世界経済の大局観についての本から、「円がヤバい!」みたいなもっと短期的なテーマを取り扱った本まで、感性に引っかかった本はとにかく全部買っちゃう。 そうやって買った本をザーッと乱読する。読むというよりも、ただめくっているっていう感じかな。読むときには付箋を貼るなんて生易しいものじゃなくて、ページの端を折ったり、ひどいときにはページそのものを破ったりしながら、必要な情報を抜き出すようにしているんですよ。 そうやって本を資料にしながら読んで、自分の考えをまとめるアウトプットを作る。ここまでが僕の読書ですね。 多忙なコンサルタントが情報収集源として本を活用しようとすると、そういう読み方が必然なのかもしれませんね。どんなジャンルの本を読むんですか? 山本:蔵書の分野はめちゃくちゃですね。ただ、ビジネスの本はあんまりないと思います。僕自身がビジネス・コンサルタントなので、ビジネス関係の本を頭に入れることがマイナスになるケースもあると思っているんですよ。僕は僕なりの、独自のコンセプトを考えないと、コンサルタントとしては商売にならない。自分の思考なりのアイデアを出さないとつまらないし���。ということは誰かの影響を受けたら終わり。僕は人の考えた理屈とか理論とかは、きわめて概念的なもの以外は読まないようにしています。 だから、僕が比較的読むことが多いのは、経済、政治、人文科学とかの教養モノが多い。そのなかから、そのとき関心のある分野を読んでますね。昔は相対性理論とか量子力学とかも読んだし、最近は心を科学するっていう手の本が多いかな。まだあまり読めていないけれど、新説の歴史書とかね。 今回上梓された『実力派たちの成長戦略』では、3つのテーマで読む本を選んでいると書いていらっしゃいました。 山本:僕はやっていることが3つあるから、読む本も3つのテーマで選んでるんです。 一つは、ずっとコンサルティングをやっているわけだけど、次の5年がどうなるのかってなかなかわからないじゃない。それに対して自分なりの考えを持とうと思って、政治と経済についての本はよく読んでますね。 オススメの書籍として挙げている『易経』なんかもそういう理由で読んでいて、要するに人生や歴史には、良いときも悪いときも両方ありますと。そういった循環の法則っていう点で興味があるんですよ。リーマンショックからちょうど8年たつじゃないですか。最近は7、8~10年の循環と言われているから、そろそろ次の危機は何なのかを考えないといけない。 超訳・易経 角川SSC新書 自分らしく生きるためのヒント 著者 竹村 亞希子 著 出版社 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) 本の購入はこちら 確かに、中国やヨーロッパ経済がちょっと不透明になってきた気がします。 山本:それに、もっと大きい流れというのがあるのかなと。日本は1995年くらいからROEとかの指標を重視する、マネー中心の世の中になってきたじゃないですか。20年かけてノンマネーからマネーの時代になったんだけど、いまや日本の企業って欧米以上に「分析」とか「計画」に偏っていて、欧米文化に対して過剰適応しちゃってる気がして。どこかで逆転するかもしれないと思ってるんですよ。そういうのを説明した本ってなかなか見つからないんだけど、最近は英国の産業革命後の歴史にヒントがないかと思って、関連する本を読んだりしてますね。そういうのを調べるためには、陰謀論すら読んでるよ(笑) 陰謀論まで(笑) でも将来を見渡すためにはそれだけ柔軟に考えることが必要なのかもしれません。 山本:二つ目にやっていることとして、経営層のお客さんに対して、コーチというか教育みたいなことをやっているんだけど、それに関連して経営者の本は読むようにしているね。経営書は読まないけど、経営者の生きざまについて語った本は生々しくて面白い。 古森重隆さん(富士フイルムホールディングス代表取締役会長兼CEO)の『魂の経営』とか、井上礼之さん(ダイキン工業代表取締役会長兼CEO)の『人の力を信じて世界へ』とか、非常に良い本だよね。りそな銀行会長を務めた細谷英二さんの『日経ビジネス経営教室 どんな会社も生まれ変わる』も良かったし、IBMを復活させたルイス・ガースナーの『巨象も踊る』とかも印象深い。アップルを一時期率いたジョン・スカリーの『スカリー 世界を動かす経営哲学』は、コンサル時代に読んで「わかった!」というひらめきがあったね。 魂の経営 著者 古森 重隆 著 出版社 東洋経済新報社 本の購入はこちら 人の力を信じて世界へ―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫) 著者 井上 礼之 著 出版社 日本経済新聞出版社 本の購入はこちら 日経ビジネス経営教室 どんな会社も生まれ変わる 著者 細谷英二 著 出版社 日経BP社 本の購入はこちら 巨象も踊る 著者 ルイス・V・ガースナー 著 山岡 洋一 翻訳 高遠 裕子 翻訳 出版社 日本経済新聞社 本の購入はこちら なるほど、経営者の本はたしかに刺激的ですよね。 山本:半分物語だからね。なにより、経営者やその候補の部長の方とお会いするときにはとても参考になるんだよね。 それから三つ目は、いま20代、30代向けのベンチャーの投資を始めているんだけど、これに関しては本は読まずに、インターネットから情報収集することが多いかな。朝起きたらいろんな記事を読み込んで、大事なものはPDFに保存して。1日あたり5~10つの記事を保存していて、もう5年くらいやっているから、1万3,000件以上の記事がある。Googleで検索するのもいいけど、僕の場合はこちらを調べた方が質の高い記事がまとまって出てくるんだよね。 新聞や雑誌のスクラップのような感覚なんでしょうか。 山本:そう、そうなんだよ。そういうのが情報源になっているね。さらに、後からしっかり読もうと思っているものはOne Noteで保存したり、これはと思うものは線を引いたりして。ジャンル別とかはめんどうなので、単純に日にち別になっているんだけど。 あとは、最近タブレットで電子書籍を読むようになったかな。 紙の本とはどう使い分けているんですか? 山本:付箋引いたり、マーカーを引いたりしないで読むというか、あまり真剣に読まなくても済むような本を読むときに使っています。ちょっと昔ベストセラーだったから一応目は通しておこうかなという本とか、ダイエット本とか、マンガ本とか。あとはニーチェが急に読みたくなったりね。出張のとき、新幹線で寝ながら読んでいるよ。 マンガも歴史漫画が多いんですね。『日本の歴史』とか。紙の本、電子書籍、PCときちんと使い分けて、しかもその目的が明確になってるというのは驚きました。 山本:言われてみれば、確かにそうだね。テーマ、用途によってツールを使い分ける、これはもう習慣だよね。 最近はフェイスブックが便利だなと再認識しているよ。みんな有益な記事があったらシェアしてくれるし、飲み会の代わりみたいなものだから、知り合いの生情報も手に入るしね。 20代に身に着けておくべき読書習慣、30代から読むべき本 ビジネスパーソンにオススメするとしたらどんな本を挙げますか? 山本:マニアックな本だからあまりウケは良くないかもしれないけど、僕がいまだに影響を受けているのは、ラ・ロシュフコーというフランスの貴族が17世紀に書いた『箴言集(しんげんしゅう)』。あれはものすごくインパクトがあったね。人間を非常にシニカルに見ていて、本質をえぐっている。有名なのは「人間は自己愛でできていて、自分が世界で一番だと思っている」という一文。だから相手とやり取りをする際には、こちらが相手を認めてあげないと、絶対に相手も自分を認めてくれない、とかね。そういう皮肉っぽい本なんだけど、これを読んで「ああそうなんだ!」と人間について分かった気がしたんだよ。 ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1) 著者 二宮フサ 翻訳 出版社 岩波書店 本の購入はこちら それから竹田青嗣さんという方の現象学の入門書は人生を変えてくれた本だね。僕は金融出身のコンサルタントだから、客観的=数字っていうのが頭にあったんだよ。だってほら、数字っていうのは誰もが疑わない客観的なものだと思うよね。だけど、お客さんになんでもかんでも「これは客観的ですよ」と言うと、怒られちゃう。この本が言っているのは「客観的かどうかを決めているのは人間の主観である」ということなんだ。だから実は価値観っていうのが非常に重要で、合意を勝ち取るためには数字でバンと出すんじゃなくて、一緒に議論してすり合わせをするっていう作業がとても大事なんだよね。 現象学の本を読んだことで「なんでわかってくれないんだ」っていう歯がゆさが解消されたと。 山本:そう、今になって思うと当たり前のことなんだけど、僕の場合はこの本のおかげでそれに気づくことができたんだよね。 それから参考になったのが、岩井寛という脳外科の先生が書いた『色と形の深層心理』で、世界中の歴史的建造物とかイコンと呼ばれるものが、どういうメッセージを発しているかっていうのを解き明かしている本。例えば、教会って三角屋根のものが多いけど、あれは上が天国で下が地獄を示しているんだよ。だから、コンサルタントとしてスライドを作るとき、三角形の上に目標を書いて、下に現実の問題点とかを書くようにすると、お客さんが理解しやすい。コンサルタントがよく「理由は3つあります」とかっていうけど、あれも釈迦三尊像とか三位一体とかから影響を受けているんだよね。 色と形の深層心理 (NHKブックス (492)) 著者 岩井 寛 著 出版社 日本放送出版協会 本の購入はこちら そういう本はおいくつの時に読まれたんですか? 山本:30代後半から40代のときに読んだ本だね。 あとは「聖書」もオススメ。ちょうど仕事でマネージャーとかパートナーになるときで、お客さんに大きな影響を与えたり、チームを率いたりするときだったかな。そのときにふと「人間の歴史のなかで一番大きな影響を与えてきた人はキリストかなぁ」と思ってね、聖書を読み始めたんだよ。モーゼの十戒とかは僕にはリーダーシップ論に見えるよ(笑) 僕は若い人にはリベラルアーツ、すなわち哲学・宗教・心理学・歴史といった本は30歳くらいから読み始めるように言ってるんだよ。早めに好きな分野を作っておいたほうがいいからね。僕の場合もそういうところからヒントをたくさんもらったよ。僕は色々読んだ結果、歴史は中国史、心理学はユング、哲学は現象学が好きだと分かった。 当時のボストン・コンサルティング・グループはクリエイティブ志向でね、ちょっとぶっ飛んだ人が多かった。だから『ゼロの発見』とか『大脳生理学』とかそういう本読んでる人が多かったんだよね。『易経』を教わったのもそのときの先輩からだね。 本はどこで買われるんですか? 山本:最近はインターネット通販で本を買うことも多いけど、昔は悩んだら本屋に行ってたよ。例えばある業界ですごく弱い会社があってね、どう分析しても答えが出てこない。そこで本屋で「弱いんだけど強い」っていうテーマの本はないかなと思って色んな本を眺めていたら、生物学のコーナーで「蚊」について書いた本が目に留まった。生物学事典を調べてみたら、「Strategy of Mosquito」っていうのが見つかったんだよね。 蚊は卵を産むとき「そこそこの大きさの水たまり」を狙うんだよ。大きすぎる池には魚がいるし、小さすぎる水たまりだと乾いちゃうかもしれない。だから、墓石にたまった水とかがちょうど良くって、それ以上水たまりが大きくなるようだったら逃げちゃうんだよね。「これだ!」と思って、「大手が参入してくる前の、そこそこのサイズのマーケットに固定費をかけずに参入して、他社が興味を持ち始めたらパッと切り替えて逃げましょう」っていう提案をしたら、これが当たったんだよね。お客さんにはとても「蚊の戦略です」とは言えなかったけれど・・・(笑) こういう経験って結構多くて、だから書店には結構行きますね。
一流コンサルタントが伝授する「一生モノの読書術」とは? | 本の要約サイト flier(フライヤー)
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qsfrombooks · 3 years
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部下を育てるために、本当にしなければいけないのは「やり方」レベルではなく、そのやり方をなぜするのか、という「考え方」レベルで情報交換をしなければいけないのです。
部下を育てる「ものの言い方」 (集英社ビジネス書) / 井上健一郎
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kdxn · 6 years
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ADFインタビュー(1998年)
 発掘原稿シリーズ。1998年に『ミュージック・マガジン』のために行ったエイジアン・ダブ・ファウンデーション(ADF)のインタビュー。
ADFはいわゆるUKエイジアン(イギリスの南アジア系移民)のバンドだが、音楽と政治、音楽とコミュニティについて、ロック・アーティストとはずいぶんスタンスが違うことがわかる。
 先月のフジ・ロック・フェスティヴァルに関しては、まるでプロディジーなど出演しなかったかのような記事を作ってしまったが(笑)、言うまでもなくトリはプロディジーであり、観客が最も集まっていたのもプロディジーだった。しかし、ある意味予定調和とも言えるプロディジーの盛り上がりとは対極に、未知なるものへの期待値という意味で最も注目を集めていたのが、この5人のアジア人達、エイジアン・ダブ・ファウンデーションだった。もちろん、それはボビー・ギレスピー効果もあっただろうが、おそらくその場の誰もがADFがプライマルのお勧めバンドだということなど忘れていたのではないか。彼らは小さい方のホワイト・ステージに出演したが、目測では二日間でおそらく最も多くの観客をホワイト・ステージに集めたように見えた。
 ステージは、アジテーションの嵐。しかし、想像していたような暴力的でアナーキーな雰囲気とは違う。ギタリストのチャンドラソニックが、言葉を区切るようにして、観客に1曲1曲の内容を説明し、自分達が何を歌っているのか、何をやろうとしてるのかを言葉で伝えようとする。ヘヴィなダブ・サウンドだけでなく、言葉の持つ力を信じている様子は、すがすがしくさえ感じられた。
 このインタヴューはフジ・ロック本番の前々日に行なったが、写真に4人しか写っていないのは“MIDIウォリアー”ことサン・Jが体調を崩して欠席したため。ベーシストでリーダーのドクター・ダース(DS)、まだ20歳のヴォーカリスト、ディーダル、ギタリストのチャンドラソニック(CS)、ターンテーブル担当のパンディット・G(PG)が、一斉に話してくれた(笑)。
来日してたくさん取材を受けてるでしょう。
DS そうだね。
DR 多すぎるよ。
ま、それだけ注目されているということで。
PG ま、そうだな。
さっそくアルバムの『Rafi's Reenge』についてお聞きします。このRafiは、Real Area For Investigationの略だということですけど、ラフィというのはインドの人によくある名前ですよね。
PG タイトルは、ムハンマド・ラフィのことも意識してる。パキスタンの有名なプレイバック・シンガーだよ。
ムハンマド・ラフィの歌は小さいときからよく聞いていたんですか。
PG ときどきレコードを聞いたり、映画で聞いたり。日本では聞けないと思うけど。
DS ムハンマド・ラフィに関しては、昔サンプルしたこともあった。未発表だけどね。
「RAFI」という曲の中では、"People Of Colour" と呼びかけてますけど、有色人種、つまりUKエイジアンを代表させる意味でラフィという名前を使っているんですか。
DS この曲については、そこまで考えてないな。僕らはすごく言葉遊びの多いバンドだから、いろんな言葉を組み合わせたりしてるうちにこの"Real Areas For Investitgation"という言葉を思いついたんだけど、それが僕らが音楽で言いたいことに非常に関係してると思ったんだ。
ディーダルさんはベンガル人ですよね。ほかの人はそれぞれどこの民族の人ですか。
DR チャンドラソニックは、イギリス人とインド人のハーフ。サンジャイはグジャラート人。
DS パンディット・Gはゲーリック・パンジャービー(笑)。僕はウェスト・ベンガルの出身で、ディーダルはバングラデシュ。
DR みんなイングランド生まれだけどね。
PG ていうか、僕はスコットランド生まれだけどね。
DS 彼だけがバンドの中でガイジンなんだよ。
みなさんは、お父さんお母さんの世代がイギリスに移民したんですね。
DS そうだね。イギリスで生まれた第1世代ということになる。
DR 2世で2級市民。
ご両親は、お互いインドの言葉で話してるんですか。
DS そうだね。
ということは、あなたたちもインドの言葉が分かるんですか。
DS メンバー全員じゃないね。僕はバイリンガルで育ったから、英語もベンガル語もわかる。ディーダルも少し話せる。サン・Jもグジャラート語がかなり話せる。
PG 僕はゲール語もヒンディも話せないんだ。
DR スコットランド語もダメだ(笑)。
DS 英語も何言ってるかわかんないね。おそらく日本語の方が得意だろう(笑)。
バンドができたのは、94年ですね。
PG 93年の11月。
ドクター・ダースさんがロンドンのコミュニティ・ミュージック・ハウスで講師をしていたということですが、コミュニティ・ミュージックってどういうものなんですか。
DS コミュニティ・ミュージックでは、大学やなんかと違って、普段音楽に触れる機会のない人のために、ユース・クラブや町の集会所なんかに行って打楽器を教えたりワークショップを開いたりしていた。後には、ナショナル・カリキュラムに組み込まれて、学校に教えに行ったりする機会も増えたよ。
DR 今はADFED(ADF Education)というのを始めている。
ADFEDではどういう活動をしているのでしょう。
DS ツアーやなんかで時間がなくて、今は僕ら自身がワークショップができないから、僕らのためにそれをやってくれる人、そういう能力のある人、音楽を作りたい人をまず集めようとしている。僕らが今までやってきたメソッドを利用して、あるいはADFを見てこういうのがやりたいと思った人達に機会を提供しようという意味で、まず教える側と学びたい側のデータベースを作る。僕らがこの業界で学んできたことを生かしつつ、何ができるかっていうことなんだけど、今の段階では、���だそれをパンフレットにまとめたりインターネットに公開したり、情報としてまとめる段階でしかない。
 僕らはまだコミュニティ・ミュージックと関わりを持っている。ADFEDとコミュニティ・ミュージックは同じビルにあるんだけど、今共同でジョイント・スタジオを立ててるところだ。僕らはミュージシャンとして、いわゆるロック業界で現実に機能しているという立場にいるから、師匠というか、大使というか、そういう形で実用的なアドヴァイスをしてあげられるような形に持っていきたい。あとは、実際にパフォーマンスしたい人にその場を提供したり。実際にそうやって教えた連中と、一緒にツアーに回ったりもしているよ。
ADFを作るときに、ダブという音楽を選んだ理由は何なのでしょう。
DS 僕らみんなダブが好きだったからな。
DR ダブの伝統を生かしたかったんだ。
PG ダブ自体は、音楽というよりはひとつのテクニックであり、アティチュードだからね。すごく実験的な音楽を、一般の人にもわかりやすい形でやれるというか、最小の機材で最大の効果を得ることができる。普通の人は、でっかいマーシャル・アンプやサンプラーや48チャンネルのミキサー卓がないと音楽なんて作れないと思ってるわけだけど、最初はもっとミニマムでいいんだ。そんなことよりも何を表現したいかということが重要だ。身の回りにあるものを使って自分の言いたいことを最大限に表現するというのがダブのアティチュードだと思うし、それが僕らのやりたいことでもある。
あなたたちの非常に政治的な歌詞やアティチュードを見てると、LKJに大きな影響を受けたんじゃないかと思ったんですが。
DR その通り。
ディーダルさんはまだハタチぐらいでしょう。LKJが一番活躍してた頃は、ダースさんとかパンディット・Jさんの世代じゃないかなと。
DR ちがーう! LKJは僕が最も影響を受けたアーティストだ。15歳のときに人に教えてもらって以来ね。
DS 今じゃ、彼のほうがLKJのレコードをたくさん持ってるよ。僕らはLKJと2回共演もしたことがある。
CS エイジアンの伝統として、世代間で影響を与えあうということがある。たとえば、僕らはディーダルにジャングルを教わった。ジャングルのすごさが、バンド内のオヤジ・メンバーのアイデアに影響を与えたってわけだ。
DR チャンドラは僕にパンクを教えてくれた。
CS そう。僕らは世代を問わず、過去の音楽に対してリスペクトを持っている。リスペクトするってことは、単なる過去の音楽のコピーではなくて、それに何かプラス・アルファしたものをやらないとダメなんだ。リサイクルするんじゃなくてね。要するに何が言いたいかというと、ブリット・ポップみたいなのはア・カ・ンということだ。
DR シット・ポップ!
CS そう。いまニュー・スクール・エレクトロとかいってやってるやつもいるけど、あれもただのリサイクルにすぎない。
DR ホワイト・ビッグ・ビジネス! ファッションだね。
CS 音楽を動かし続けないと。新しい組合せやアイデアをどんどん生んでいかないとだめだろう。
DR カルチャー・オン・ザ・ムーヴだ。
LKJが、去年うちの雑誌のインタヴューで、「音楽と政治には特別な関係がある」と言ってるんですが、あなたたちの意見はどうですか。
CS 政治にも二つある。一つはいわゆる、スーツを着た連中がコチョコチョやってる組織化されたやつで、これはあんまり意味がない。もうひとつは、人の暮らしと密着したもの。人と人とのかかわりあいとか、目の前の状況にどう反応すべきか決断を下すための政治というのがある。僕らが興味あるのは、そういう政治だね。
でもLKJはスーツ着てますよ。
CS あれはいいスーツなんだ。
なるほど。
CS さっき言った、生活に密着したものという意味では、どんな音楽もポリティカルだと言える。たとえば、ポップ・ミュージック、とくにロックはこれまで自己破壊といったような、非常にネガティヴなメッセージを発信し続けてきた。他人を憎め、女を殴れ、オレが一番といったね。そういうことが音楽に乗って広まるのは、ある意味、非常に政治的だよ。
DS そう、だから10歳の子供が街で女性に暴行したりということが起こる。
CS たとえ歌詞がないものでも、音自体がステートメントになってるんだ。
なるほど。でも僕が言う政治的というのは、もっと直接的にあなたたちの曲のテーマに関わることです。たとえば「ナクサライト」。これをアルバムの冒頭に持ってきて、シングル・カットもした意図はなんでしょう。
PG いろんな解釈ができると思う。特にヨーロッパではね。たとえば、今年はフランスで学生が蜂起してから30周年だけど、今では誰も学生が生活に影響を与え、社会的な役割をちゃんと演じているとは思ってない。それから30年後のインドネシアで、変革の中心にいるのが学生だなんて、誰も思ってなかったんだ。我々は何度でも立ち上がる、「ナクサライト」はつまり、そういうことが言いたい歌だよ。大衆はもうなんの変革も起こすことができないなんていう考え方は、まったくのナンセンスだ。
CS 気の持ちようだね。そういうことを訴えれば、訴えるほど、それを信じる人も多くなる。時流に反してると思いたければ思えばいい。でも、僕たちは誰もがみな無気力だなんて話はまったく信じてないんだ。メディアがそういうふうに言ってるだけだよ。
「ナクサライト」を作ったのはいつでしたか。
DS いつ? よく覚えてないな。
CS 95年の終わりか96年のアタマだったような…。
96年に、ナクサライト一派の過激派がインドのアーンドラ・プラデーシュ州で大規模なテロ事件を起こしています。それがきっかけになったのかとふと思ったんですが。
DS そういうのあったっけ?
CS 知らんなー。
PWGという過激派によるものなんですが。
CS ああ、あったあった。でもそれは…。
PG (語気を強めて)個々のテロリズムには関心はないね。それは、もともとのナクサライト運動とは違う。ナクサライトは、土地や資源を取り返すための広範囲な大衆蜂起だった。
DS 基本的権利を得るためのね。
PG そう基本的権利だ。でもインド政府は結局、人々に少しの土地しか返さなかった。南アフリカがアパルトヘイト体制でやったようにね。ナクサライト運動は個別のテロリズムに形を変えて終わっていったけど、それは僕達が興味をもつところではない。僕達が関心を持つのは、大規模な大衆運動であって、自分が大衆を代表していると思い込んでるテロリスト達ではない。
CS 「ナクサライト」の歌詞を見ればわかるよ。歌詞は「大地の兄弟たちよ、連帯せよ」というフレーズで始まるけど、これはあるナクサライト・グループから他のナクサライト・グループへの演説のような感じだ。自分達がもしその大衆の立場だったらという視点で書いてある。僕達は、なぜこういう運動が起こったかというところから説明していかないといけないんだ。特にヨーロッパでは、みんな平和主義者ぶって、暴力はいけないとか、そういうことばっかり言ってるだろう。なぜそういう運動が起きたのか、その状況を理解する必要がある。僕らは音楽を通して、それを説明しようとしているんだ。ナクサライト達のすべてに賛成というわけではないし、僕らがナクサライトの支持者というわけでもないけどね。
DS ナクサライトは、僕らにとっては率直な反逆の曲だね。たとえばボブ・マーリーが『サヴァイヴァル』で歌ったのと同じような方法だ。
ADFは自分達のことをデジタル・アンダークラスと規定していますね。単なる下層階級ではなくデジタルであるというところにどんな意味を込めているのでしょう。
CS デジタル・アンダークラスは…そうだな、特に若いやつらに、ロウ・テクノロジーを使って新しい音楽を作ってるやつらがいる、そういうやつらのこと。音楽だけじゃない、たとえばロンドンの貧しい地域では、14〜15歳ぐらいのやつらがビデオ・ゲームをタダで手に入れる方法を知ってるし、電話のプログラムを改造して…。
DR 電話を改造して、タダがけするんだよ。
CS そう、つまりデジタル・アンダークラスっていうのは、生き残るために新しいテクノロジーを使いこなすやり方を知っている。たとえそれが違法なことであってもね。
DS そう。そういう状況に置かれているのだから仕方ない。
DR ジャングルのプロデューサーたちは、みんなデジタル・アンダークラスだったよ。
DS これは経済の問題だ。どれだけ金があるかが、どんな機材を使えるかを決定するんだ。でも、「ああ、1万ポンド分の機材がないから、あれもこれもできねえや」って言うかわりに、「これだけの機材で一体何ができるのか」って考えるほうがいい。それは改革の力にもなるんだ。
DR 機材を“悪用”する。
DS そう。つまりこれはダブということにも関係してるんだ。古いところでは、リー・ペリーがその好例だろう。リー・ペリーが使っていた機材は、当時でさえ時代遅れだった。ジャマイカの他のスタジオではすでに8トラックや16トラックを導入していたのに、彼は4トラックのテクノロジーを使って、フレッシュなものを作り上げた。彼はこの4トラックの技術を“悪用”したんだ。僕達がやろうとしてることの基本にあるのはリー・ペリーだが、今ではもっとクールな“MIDIの戦士達”がいる。、手に入るものはなんでも使って、MIDIのテクノロジーで新しいエキサイティングなものを生み出すんだ。
ドイツのアタリ・ティーンエイジ・ライオットは自分達のことを“MIDIジャンキーズ”と言ってますが、彼らもデジタル・アンダークラスなのかな。
DS かつてはね。でも今は違う。でも日本のオーディオ・アクティヴはMIDIウォリアーだよ。
分かりました。ではあと100個ぐらい質問が残ってますが、時間がないのでこのへんで…。
PG マジ? じゃああと60個だけ聞いていいよ。
写真も撮らないといけないし…。
DS 分かった。んじゃ55個にしよう。
〔7月30日 池尻・ポリドールで。通訳=染谷和美〕
[オリジナル原稿註]
ムハンマド・ラフィ(Muhammad Rafi) 60年代に人気絶頂だったインドの映画音楽歌手。80年没。パンディット・Gはパキスタンと言っているが、実際にはパキスタン独立後もインドにとどまったムスリムである。インド映画は歌と不可分で、ヒーロー/ヒロインが歌う歌がそのまま流行歌になるが、その歌をふき替えで歌う歌手をプレイバック・シンガーという。
ウェスト・ベンガル カルカッタを首都とする西ベンガル州のこと。そのとなりの西ベンガル州とバングラデシュはどちらもいわゆるベンガル地方。パンジャブはインドの西部で、こちらはパキスタンにまたがる。かつてのバングラ・ビートはこのパンジャブ地方の音楽をベースにしたもので、バングラデシュとは全く無関係
LKJ(Linton Kwesi Johnson) 闘うダブ・ポエット、リントン・クウェシ・ジョンソンのこと。イギリスのダブ/レゲエの歴史の最重要人物で、70年代にはラディカルな政治団体Race Today Collectiveで活動するなど、アンチ・レイシズムを前面に掲げた政治的活動で知られる。昨年、6年ぶりに来日し、コンサートを行なった。代表作は『メイキング・ヒストリー』『ティングス・アン・タイムス』(アイランド)など。
ナクサライト(Naxalite) 67年の3月から8月にかけて、ダージリンのナクサルバリで起こった農民による大規模な蜂起をきっかけにインド全土に広がった運動。毛沢東思想の影響を受けた農村蜂起戦術を理論的支柱に、大地主から土地を奪取するべく武装闘争を行なった。現在も���ーンドラ・プラデーシュ州の人民戦争グループ(PWG)を中心にテロ活動が続いている。
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xf-2 · 4 years
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米ハーバード大学のローレンス・バコウ学長と妻が3月24日、中共肺炎(新型コロナウイルス肺炎、COVID-19)に感染したことが明らかになった。米で最も長い伝統を持つ名門校に中共ウイルスが侵入したことに世界が驚かされた。
過去20年間、ハーバード大学は中国共産党指導者の子弟を受け入れ、中国政府・軍高官向けの研修プログラムを立ち上げ、中国人富豪から巨額な支援金を受け取るなど、中国当局と親密な関係を築いた。
バコウ氏は学長に就任した翌年の2019年3月20日、中国を訪問し、北京の人民大会堂で習近平国家主席と会談した。中国共産党機関紙・人民日報電子版の同月21日の報道では、習主席はバコウ学長が初めての外国訪問に中国を選んだことについて、「米中間の教育交流を重視している表れだ」と称賛した。
当時、米中双方は貿易戦の真っ只中にいた。両国政府は互いにすでに2回の追加関税措置を発動し、3月初めに北京で第8回目の米中閣僚級通商交渉が行われたばかりだった。このタイミングのバコウ学長の訪中は物議を醸した。
同大学のファウスト前学長が2007年2月就任し、翌年3月に北京を訪問した。当時、習近平氏は国家副主席として、ファウスト氏と会談した。
習近平氏の娘、習明澤氏は2010年5月~2014年まで、同大学心理学部に在籍したと伝えられている。
ハーバード大は「第2の党校」
ハーバード大学ケネディ政治大学院は1998年以降、中国共産党政権の高官を対象にした研修プログラムを実施した。過去20年、1000人以上の高官が同校に留学した。この人数の多さから、ハーバード大学は、中国共産党の「第2の党校」と呼ばれるようになった。
2001年、ケネディ政治大学院は、中国の清華大学や国家発展改革委員会と共同で、中国高級官僚研修プログラムである「中国公共管理高級研修班」を始めた。毎年、中国の中央政府や地方政府の幹部約60人が、ハーバード大学に派遣される。数カ月の滞在中に、行政学などの授業を受けるという。
中国時事評論家の横河氏によると、1998年に当時の中国最高権力者である江沢民が、ハーバード大学と国家発展改革委員会らの研修プログラムの構築を主導した。横河氏は2017年5月、中国語ラジオ放送「希望の声」の番組で、「1997年、江沢民が訪米中、ハーバード大学でスピーチを行って以降、江沢民とハーバード大学が急接近した」と話した。
横河氏は、江沢民が同大学での研修プログラムを推し進めた結果、李源潮・元国家副主席、李鴻忠・元天津市党委員会書記、楊衛澤・元江蘇省南京市党委員会書記を含む多くの江沢民派の高官がハーバード大学に短期留学したと指摘した。
米ニュースサイト「スレート(Slate)」は2012年5月23日の報道で、李源潮氏はハーバード大学で研修を受けた最初の党中央政治局委員であるとした。
李氏は2002年、江蘇省南京市党委員会書記に着任した直後、党中央組織部の派遣でハーバード大学ケネディ政治大学院に留学した。
江沢民の孫、江志成(34)氏はハーバード大学経済学部を卒業し、金融大手のゴールドマン・サックスに入社した。江沢民派の薄熙来・元重慶市党委員会書記の息子、薄瓜瓜氏は2012年5月、ケネディ政治大学院を卒業した。
「中国の高官らはほとんど英語が話せないので、ハーバードに行っても、中国語で研修を受けていた。だから、実際に高官らにとって、ハーバード大学での研修プログラムは、福利厚生の一部で観光旅行のようなものだ。この研修プログラムを受ければ、箔がつくから、帰国後に昇進の機会が増えるという利点がある」
また、横河氏は、中国政府の高官がハーバード大学に留学することは、共産党の対外統一戦線工作の一環でもあり、特に外国の学術機関における共産党の影響力拡大に有利だとの見方を示した。
「中国共産党は設立以来、絶えず統一戦線工作を続けてきた。各時期にその特徴があったが、ハーバード大学が中国共産党の第2の党校になったのは、江沢民政権と直接、関係する」
2009年10月中旬、前述の李源潮氏は党中央政治局委員兼党中央組織部の長として、米国を訪問した。この訪問には2つの目的があった。1つ目は中国当局の海外人材招致計画、「千人計画」を米国で推進することにあった。2つ目は、李氏の留学先だったハーバード大学で講演することだった。
中国当局は、「千人計画」に参加した海外の学者や技術者を通じて、海外のハイテク技術を盗んできた。
米上院調査小委員会(Senate Permanent Subcommittee on Investigation)が2019年11月18日、報告書を公開した。調査では、過去十数年間、中国当局は千人計画によって、米国科学者や専門家7000人以上を招致し、米の科学研究成果を不当に取得した。
今年1月28日、米司法省は、ハーバード大学の化学・化学生物学部長、チャールズ・リーバー教授を、中国当局との関係について虚偽報告をしたとして刑事起訴した。リーバー教授はナノテクノロジー研究の第一人者だという。
肖建華氏による巨額寄付
米ラジオ・フリー・アジア(RFA)によれば、米政府は中国当局による学術界への浸透工作に対する危機感から、今年2月、ハーバード大学とイエール大学について調査を開始し、両大学に過去8年間に受け取った外国からの寄付金に関する書類や金額の明細を要求した。
米教育省が出した声明の中で、特にハーバード大学について、外国から受け取った資金を管理する体制を整えておらず、米政府に全部報告していなかったと批判した。教育省は、同大学に対して、中国政府や通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)、中興通訊(ZTE)、孔子学院の運営機関である中国国家漢語教育指導弁公室などを含む資金提供者との金銭のやり取りを詳しく報告するよう要求した。
米非営利組織(NPO)「クラリオンプロジェクト」が米教育省の公開情報を分析した結果、2012年以降、中国当局は、米の87の大学に計6.8億ドル(約729億円)を提供したことがわかった。ハーバード大学が受け取った金額は約7927万ドル(約85億円)で、各大学の中で最多だった。
資金提供者に中国富豪の名前が連なる。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は2017年4月に調査記事を掲載し、中国最高指導部や軍当局と深いつながりを持つ中国人富豪で実業家・肖建華氏のハーバード大学への寄付について紹介した。
2017年1月27日、中国当局は香港滞在中の肖建華氏を本土に連行した。肖氏は、共産党内の江沢民派の金庫番とされる。習近平政権は、反腐敗キャンペーンの実施や金融セクターへの締め付けの一環で、肖氏を拘束したとみられる。
WSJは、数百件の会社間取引記録を調べ、情報筋を取材した結果、中国軍系の武器取引企業、保利集団(China Poly Group Corp.)が近年行った3件の巨額取引はすべて肖氏と絡んでいたと報じた。その中の1件は、ハーバード大学への寄付だった。
WSJによると、2014年、肖建華氏はハーバード大学ケネディ政治大学院のアッシュセンター(Ash Center for Democratic Governance and Innovation)に対して、2000万ドル(約21億4384万円)を寄付すると申し出た。その後、肖氏は、資金は自身ではなく、第3者側が支払うと示した。これに対して、ハーバード大学側が出資者の身元を不安視したという。
WSJは、アッシュセンターの2014年春の通信記録を入手した。この中で、同センターは、香港の嘉泰新興資本管理有限公司(JT Capital Management、以下は嘉泰新興)から総額1000万ドル(約10億7204万円)の「高価な贈り物」を受けたとの内容があった。WSJは、嘉泰新興は、保利集団傘下の子会社だとの見方を示した。
ハーバード大学側はWSJの取材に対して、「嘉泰新興は、肖建華氏が発案した中国幹部養成プロジェクトを支持している。同プロジェクトが提示した参加者には、中国政府の官僚と某銀行の上級幹部1人が含まれる。この銀行の一部(株式)は、明天系が保有している」と述べた。
言い換えれば、肖建華氏は、ハーバード大学に中国当局の高官や自身の企業の幹部を研修させるために、嘉泰新興を通じてハーバード大学に1000万ドルを寄付した。
「明天系」とは、肖建華氏が設立した投資会社「明天控股集団」のことだ。
しかし、最終的に肖建華氏が嘉泰新興の名義で寄付したのか、それとも保利集団が寄付したのかは不明だ。
教職員200人が中国と関係
一方、ハーバード大学ケネディ政治大学院は、将来中国最高指導者に登り詰める高官とのパイプ作りを重要視している。横河氏によれば、中国高級官僚向けの研修プログラムが発足後、肖建華氏らの中国人や香港富豪によるハーバード大学への寄付が増えた。富豪らは、中国高官を受け入れているハーバード大学に寄付することで、将来中国市場でビジネスを展開する際、高官に便宜を図ってもらうことを狙った。
「同大学では、少なくとも200人の教職員が中国、または中国高官研修プログラムに関わっている。明らかに、この研究プログラムが、教職員の生活に影響を与えている。だから、大学側にとって寄付金はありがたいものであろう」と横河氏が述べた。
欧米側では当時、中国高級官僚を人材育成プログラムに受け入れることで、官僚に西側の民主主義の思想に順応させ、最終的に中国の民主化を推し進めていくという期待感を持っていた。横河氏は、「ここ20年間の経験から、欧米側のこの考えはただの片思いにすぎなかったと言える」とした。
世界各地の「党校」
ハーバード大学のほかに、他の欧米名門校が中国共産党の高官に研修プログラムを提供した。香港誌「鳳凰週刊」が2011年9月に掲載した記事では、中国当局は今まで約10万人以上の官僚を海外の大学に送り込んだと表示した。
同誌は、共産党の高級幹部を育成する国家行政学院(中国共産党中央党校)が1992~2005年にかけて、海外の大学との間で締結した双方研修プロジェクト協議42件の内容を入手した。最も多いのは米国の大学で、8件にのぼる。欧州では、英国3件、スイス2件、フランス2件、ポルトガル2件と、ドイツ、スペイン、イタリア、ギリシャ、ロシアなどは各1件。アジアでは、日本3件と韓国2件、トルコとモンゴルは各1件。他には、オーストラリアとニュージーランドは各3件。カナダは2件だという。
「鳳凰週刊」によると、共産党の高級官僚は米ハーバード大学などの名門校に集中する一方で、地方政府の幹部はシンガポールの南洋理工大学や他の国立大学を好む傾向がある。最高級の官僚の研修プログラムは、党中央組織部が管理し、派遣を行っているという。党中央組織部は党の人事を担当し、人材育成も担っている。また将来、要職への抜擢を見据える海外研修は「省レベルの官僚から県レベルの官僚まで、みな先を争って参加している」という。
中国メディア「網易新聞」の報道では、シンガポールの南洋理工大学は1992年から、中国地方政府の幹部に研修ブログラムを提供した。すでに8000人の幹部が同大学で研修を受けた。
米ニュースサイト「スレート」は、中国当局は、日本の東京大学の研修プログラムに高級官僚を送っているとした。
3月24日までに、ハーバード大学の教職員18人が中共肺炎のウイルス検査で陽性反応が出たという。
(翻訳編集・張哲)
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