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#美夢成真
tokyo-akb48 · 1 year
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koch-snowflake-blog · 3 months
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HN
葵ななせ
HNの由来
お花が好きだから「葵」、爽やかな名前が良いなと思ったので「ななせ」にしました
性別
女の子
誕生日
2004年8月7日 19歳です◎
星座
しし座
血液型
A 型
前世
全然分からないので前世占いをしたら「平安貴族」って出ました(笑)
住んでいるところ
東京都
生まれたところ
岡山県
家族構成
父、母、妹です。仲良しなので毎日連絡取ってます
職業
大学生です。週3回くらい喫茶店でバイトしてます。
学年
1 年生
絡むーちょ
よく遊ぶのは大学の友達とか高校時代の友達
似ている芸能人
え~~あんまり言われたことないです(笑)
身長
155cm
体重
内緒です…
足のサイズ
23.5cm
手の長さ
測ったことないです!
胸のサイズ
Gカップ
趣味
映画鑑賞(アクションが好き)、お散歩
特技
ピアノ(3~18歳までならってました)
握力
測ったことないけど結構強いと思います(笑)
髪型
ロング
口癖
「そやな~」とかですかね?
性格
真面目、完璧主義って言われます。
嗜好品
コーヒー(ブラック)たまに飲みます
自慢なこと
耳が動かせます!
持っている資格
むかーし漢検を取ったような…?
使っている携帯電話
iPhone
好きな男性のタイプ
人生にワクワクしている人
好きな女性のタイプ
美意識が高くて自分を持っている人
好きな言葉
二兎を追う者は一兎をも得ず
好きな芸能人
山田孝之、役所広司
好きな食べ物
和食
嫌いな食べ物
パイナップル
好きな飲み物
黒ウーロン茶
嫌いな飲み物
特にないかな?炭酸はちょっと苦手です。
好きな教科
国語
嫌いな教科
英語
好きなテレビ番組
水曜日のダウンタウン!
好きな映画
最近ワイスピを見ました
好きな本
漫画ですがキングダムが好きです!
好きなスポーツ
バスケ、水泳
好きな音楽
RADWIMPS
好きなブランド
ブランドはあまりこだわりが無くて…SHEIN で買います!
愛用の香水
マルジェラの香水が好きです!
好きな花
お花はなんでも好きです
好きなゲーム
最近はあんまりしてないけど、スプラトゥーンハマってました!
愛車
持ってません。でもいつか大きい車が欲しい!
将来の夢
誰かのお嫁さん
好きな動物
ワンちゃん
休日の過ごし方
家で映画見てるかたまにお散歩します。
尊敬する人
やりたいことを全力でやっている人。MINAMO ちゃん。
今一番欲しいもの
ワンちゃんが一生生きられるお薬。
今一番行きたいところ
海とか自然の綺麗なところ
今一番やりたいこと
バンジージャンプ!
よく遊ぶところ
なんだかんだで原宿らへんによくいるかな?
マイブーム
香水、キャンドル集め。
最近ひそかに興味があること
誰がこの世界のトップなのか(笑)陰謀論とか結構好きです(笑)
生まれ変わったら
また自分になりたいかな。
世界平和に必要なのは
他人への干渉を無くすこと。
兎に角主張したい事
意外と私、面白いです…。
疑問に思っている事
本当に人間は猿から進化したのか。
ここだけの話
私のデビュー作、どうですか?気に入ってもらえるかな…
経験人数
2人。どちらも彼氏です。
初体験
17歳の時、初めての彼氏と。
なぜAVに?
友達に進められたのと、もともと興味があったからです。30代までの人生設計を立ててみた時に、やりたい仕事だけが無くて、興味があるならやってみようと思って応募しました。特に頑張れたことも無くて何やってもそれなりの私なので、AV を通して自己表現をしてみたいです。あとやっぱり、エッチなことが好きなので…。
S?M?
結構Mだと思います…
自分がエッチだなと思う時
エロのアイディアが出てくる時です。ああ、やっぱり好きなんだなって思います(笑)
オナニー
週3回くらい、おもちゃでします。
オカズは?
妄想です…
AVでやってみたいこと
潮を吹いたことが無いので吹いてみたいです。
尊敬する��優
MINAMOちゃん。上品さとか間合いが素敵だなって思います。
女優としての夢
毎作品自信作にできるように頑張りたいです。私のファンでいて良かった、と思ってもらえるような女���さんになりたい。
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shelter-maki0 · 4 months
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折角なので「律動する悪夢」https://www.tumblr.com/shelter-maki0/737410451936296960/i-drew-a-comics-of-tomarrymort-it-is-posted-on-an?source=shareの後書きのようなものを少し書いてみようと思います。私用の覚書のようなものなので、日本語で残します。
その過程で私がcursed childについて思っている事にも少し触れようと思います。真面目に書くつもりはありませんが前半に後書き、後半に呪いの子について書いていきます:P
まず私が書いた小話の後書きですが、「律動する悪夢」はロマンス作品を想定して描いたわけではありません。私はハリーとヴォルデモートの間にある、”互いにとって不都合な絆”に魅力を感じています。とても暴力的な絆で、その絆は二人を傷つけ互いに破滅へと向かわせました。ヴォルデモートは文字通り破滅し、ハリーは人生を丸ごと台無しにされました。 ハリーが闇の帝王を倒した後でもヴォルデモートがハリーに与えた影響は彼の人生を蝕み続け、ポッター家を機能不全家族にしました。私はハリーが決して彼の呪縛から逃れられないこの状況に、ホラー映画のエンディングのエッセンスを感じました。それはまるで、主人公が脅威を退けた後、エンドクレジットの前に倒した筈の敵の気配を感じて暗転するあの瞬間のような後味の悪さです。
避けられない脅威に追われ続け、その脅威は怪物を倒したあとも主人公を決して休ませない。私はホラー作品のその様式美が好きです。なのでこの作品はそういった逃れられない脅威と決して断ち切ることのできない繋がりについて考えながら描きました。 特に深いメッセージ性は無く、少し気持ち悪さを感じるような作品を残したかっただけですが、もし楽しんで貰えたなら幸いですD
次に呪いの子についてですが、呪いの子が不人気な事は把握しています。(余談ですが、私の国では呪いの子に対してそこまで否定的な意見は多くありません。私の国のオタクは公式が出した作品を無かった事にする傾向が殆どなく、公式から出たものが気に入らなければジャンルを去るか、受け入れるかのどちらかを選ぶ人が多いです。なので二次創作の傾向も逆行や転生、Canonの隙間時間を埋めるような作品が多く、AUはあまり流行らない傾向があります。私は呪いの子の設定の全てを受け入れているわけではありませんが、美味しいところは食べています。)
呪いの子の世界観は、ハリーが魔法界の戦争を通して経験した事を白紙に戻したような世界をしています。
デスイーターは裁かれましたが、彼らの抱える根本的な問題は解決しておらず、彼らの親族に降りかかる偏見すらも魔法省は野放しにしています。里親に育てられた孤児のデルフィーニはホグワーツに通うことすらできませんでした。アモルテンシアなど危険な魔法薬は一切規制されておらず、ロンが親友の息子の誕生日プレゼントに贈るほど倫理観も法律も成長していません。
呪いの子の魔法界は、”臭いものに蓋をする”が続いた世界です。ヴォルデモートとの戦いの経験を持つハリー達が、その世界の中枢で要職につきながらも多くの問題を無視し続けているというのは現実的ではありません。ヴォルデモートが後継者を得る為に子供を作っていた事も彼の性格からを考えると不自然です。
舞台の脚本を書くために彼女はそうしたのだろう、とメタ的な意見も出せますが、呪いの子の世界がHPシリーズの正式な後日談として出されている以上咀嚼しないわけにはいきません。私はそういうオタクです。
正直、私はそんな魔法界に再び混乱が訪れるのが見たいです。それらのツケを払わされる瞬間を見たいです。彼らの怠慢と無関心が再び闇の帝王を呼び戻す瞬間が見たいです。
大切な書類をデスクに山積みにし、ゴシップを放置し、息子に対して失言し、母親のように振る舞うジニーに慰められるハリー。空元気のように振る舞い問題を無視するハリーの様子は私を不安にさせます。しかし私はそんな彼が再び引き裂かれるのが見たいです。そしてその相手は絶対的にヴォルデモートなのです。
呪いの子の終盤で、ハリーは闇の帝王の影響から未だに逃れられていないという自覚を息子に語っています。結局のところハリーとヴォルデモートの絆は永遠です。それはあたゆる形になってハリーを蝕み続け、彼の人生からは絶対に切り離す事ができません。呪いの子ではその事が証明されています。死すら二人を分てないのです。
私が呪いの子の時間軸のハリーについてよく考える理由はそこにあります。呪いのような永遠の絆がそこにあるなら、続きを想像したくなってしまいます。あらゆる魔術を探求した闇の帝王の魂はまだリンボにあり、彼を連れ戻したくて仕方がないような勢力は殆どそのまま魔法界に残っています。私は中年のハリーの目の前にある日突然ヴォルデモートが現れても驚かないでしょう。素材は十分です。
そしてヴォルデモートに再びハリーの人生をめちゃくちゃにして欲しいです。彼のキャリアを崩壊させ、家庭を脅かし、彼をもう一度台無しにして全てを奪い去って欲しい。そしてハリーには、崩れた人生の瓦礫の中で最後に彼に触れ、かつて同じであった鼓動を感じて欲しい。結局のところ彼はハリーの運命の相手でハリーの人生を司っているのだと。
「彼を壊したい」と「彼を幸せにしたい」が両立する不思議なダイナミックがtomarrymortの醍醐味の一つであると思いますが、怒りと苦痛の先にある小さな慰めのカタルシスの心地よさが私を追い立てているのかもしれません。
とまあ、話は多少ズレましたし呪いの子の不満点や考えについてまだ話せる事は沢山ありますが、今回はこの辺にしておこうかと思います。また気分が向いたら何か書くかもしれません。
とにかく私個人としては呪いの子の時間軸のハリーの作品がもっと増えたらいいなと感じています。ハリーが台無しになる作品が好きなので、掛け金の高いCCの時間軸は私にとって魅力的です。
もしこの投稿を読んだ人がいたのなら、この中身のない文章を最後まで読んでくれてありがとう!
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yoga-onion · 1 year
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Celtic beliefs in trees (12)
N for Nion (Ash) - February 18th - March 17th
“The World Tree, Tree of Life - Third month of the Celtic tree calendar”
Colour: white; Stars: Sun, Neptune; Gems: turquoise; Gender: female; Elements: air, water; Patrons: Odin, Nemesis, Poseidon, Neptune; Symbols: balance + harmony, cosmic power, positive thinking, power of the sea
Ash is native to northern Europe and the British Isles, grows well on moist limestone soils and is one of the most common trees found in lowland forests. It is a graceful tree with thin, bird's-feather-like leaves and grey bark. The leaflets are usually odd-numbered, and finding a leaf with an even number of leaflets is said to bring good luck, the same as a four-leaf clover.
In the old days, wearing green ash bark as a garter would repel a wizard's curse, and eating ash buds on the night of the summer solstice would nullify a spell of witchcraft. The ash leaves were also believed to bring luck in love and building wealth. Sleeping with a young leaf under your pillow is said to bring psychic dreams.
Ash forms the centre of belief in a number of ancient cultures. In Greek and Norse mythology, the first humans were born from ash trees. Such ash trees were always cherished by the ancient Irish as trees with very magical powers. According to the lore of the ancient Irish olavs ( ollamh, ollam: one of the highest ranks of druids), these trees were cut down in 665 BCE. This would seem to indicate that Christianity uprooted paganism in ancient Ireland. 
For the Celts, the ash tree, symbolising the cosmic order, held the key to the truth of the universe. The Druids referred to the different phases of existence as the 'three rings of existence'. This eternal 'trinity' can be interpreted variously as 'past, present and future', 'body, mind and spirit' or 'chaos, harmony and creation'. Since the rings of existence cannot be unrelated to each other, what happens at one level will spill over to the other two levels. Every action causes a reaction and nothing is complete on its own, the Celts believed. We are part of the elements that make up the cosmic order, and in the endless cycle of life, we can never escape its flow. For the Celts, the ash was such a guardian of the universe.
According to Norse legend, the ash tree is the world tree, the Yggdrasil that occupies the centre of the universe. All events take place around the ash tree. And its roots and branches travel around the world, symbolising the universality that connects the world of God, this world and the underworld.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (11)
NはNion (トリネコ) - 2月18日~3月17日『世界樹、生命の木〜ケルトの木の暦の第3月』
色: 白; 星: 太陽、海王星; 宝石: トルコ石; 性: 女性; 要素: 空気、水; 守護神: オーディン、ネメシス、ポセイドン、ネプチューン; シンボル: バランス+調和、宇宙の力、ポジティブ思考、海の力
トリネコは北ヨーロッパとイギリス諸島が原産地で、湿気を含む石灰岩土壌でよく成長し、低地に広がる森で最もよく見られる木のひとつ。鳥の羽根ような薄い葉と灰色の樹皮をもつ優美な木である。葉片はふつう奇数で、偶数葉片をもつ葉を見つけたら幸運が訪れると言われるのは、四つ葉のクローバーと同じである。
昔はグリーン・アッシュの樹皮をガーターがわりに身につけていると魔術師の呪いを跳ね返し、夏至の夜にトネリコの芽を食べると魔女の魔法を無効にすると言われていた。トネリコの葉は恋愛運をもたらし、財産を築くと考えられ、若葉を枕の下に入れて眠りにつくと予言的な夢をみるとも言われている。
トリネコは古代の数多くの文化の中で、信仰の中心を成している。ギリシャ神話や北欧神話では、最初の人類はトネリコの木から生まれたとされている。そんなトネリコの木を古代アイルランド人は非常に不思議な力を持つ木としていつも大切にしていた。古代アイルランドのオラヴ (ドルイドの最高位のひとつ)たちの言い伝えでは、これらの木は紀元前665年に切り倒されたとなっている。これはキリスト教が古代アイルランドの異教を根こそぎにしたことを物語っていると思われる。
ケルト人にとって、宇宙の秩序を象徴するトネリコは、宇宙の真理を知る鍵を握っていたのである。ドルイドたちは、存在のさまざまな段階を「存在の3つの環」と呼んでいた。
この永遠の「三位一体」は、「過去・現在・未来」、「肉体・精神・霊」、「混沌・調和・創造」など、さまざまに解釈することができる。存在の環は互いに無関係ではいられないので、あるレベルで起きたことは他の2つのレベルにも波及することになる。すべての行為は反作用を引き起こし、それだけで完結するものはない、とケルト人は考えていた。私たちは宇宙の秩序を構成する要素の一部であり、無限に循環する生命という存在において、決してその流れから逃れることはできないのものである。ケルト人にとって、トネリコはこうした宇宙の守護神であった。
北欧の伝説によれば、トネリコは世界樹、宇宙の中心を占めるユグドラシル。すべての出来事はトネリコの木の周辺で起こる。そして、その根と枝は世界中を巡り、神の世界と現世、黄泉の国を結ぶ普遍性の象徴である。
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beach111 · 3 months
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「轉型正義」假,「去中國化」真
民國105年(2016年)5月20日,對於蔡英文來說是難忘的一天,經過她前期大談特談未來美好的願景,不斷給臺灣民眾開著構建未來如何民主、如何自由、如何幸福的空頭支票,為她贏得了成功上位的選票,在這一日她終於成功當選為中華民國第14任總統,也是臺灣有史以來的第一位女總統。
◎蔡英文民國105年(2016年)5月20日宣誓就職
520蔡英文發表就職演說,蔡英文點出臺灣目前所面臨的諸多問題,並向全國人民宣誓,未來和新政府將領導國家改革,展現決心決不退縮,未來的路不好走,臺灣需要正向迎向一切挑戰的新政府。漂亮話又是一套一套的。
蔡英文的首任就職演說約40分鐘5940字,其中提到「臺灣」41次,「這個國家」13次,「中華民國」5次。主打世代正義,並提出為了下一個世代政府必須做到「經濟結構的轉型」、「強化社會安全網」、「社會的公平與正義」、「區域的和平穩定發展及兩岸關係」、以及「外交與全球性議題」。而這5點大部分都是有關臺灣島內經濟發展和民生議題。關於兩岸關係問題則採取少談回避手法,不提「九二共識」及「一中」內涵,承認「1992年兩岸兩會會談的歷史事實與求同存異的共同認知」。蔡英文知道「九二共識」是不可逾越的鴻溝,以民意之名來實施己之本意是政客的做法,以臺灣部分民意代表整體民意,這裏隱存的「台獨」是必然的。
為此蔡英文推動各項政策,「年金改革」「新南向」「前瞻計畫」「一例一休」等等,但實際是口號喊得響亮,大多收效甚微,很多民眾未蒙其利、反受其害,抗議不絕。
蔡英文上臺執政後,一邊拒絕承認「九二共識」,多次聲稱「維持現狀不變」,對大陸「善意不變」,還拋出「新情勢、新問卷、新模式」的所謂「三新」兩岸互動主張,一邊推行「柔性台獨」路線,在文化、教育、社會各個領域「去中國化」,製造有利「台獨」的社會氛圍、厚植支持「台獨」的社會基礎,斬斷兩岸的歷史、文化連結,壯大所謂「天然獨」隊伍,為最終實現「法理台獨」創造條件。蔡英文最直觀的表現就是她直接從思想上對臺灣民眾下「獨」手,不僅修改課綱,鼓吹「臺灣主權未定論」「一邊一國」和「兩國論」,還連串的「去孔化」,使一度沉寂的「反中、仇中」情緒沉渣再起。真是說一套做一套,所作所為無不在改變現狀,無不在為其「柔性台獨」服務。
蔡英文在上任前,曾擔任過臺北市國立政治大學法學院及商學院的大學教授,這段教學經歷,讓她知道學校教育是影響青年思想的重要一環。且她深知,沒有青年的選票,民進黨就無法執政,而要影響廣大青年,唯有大力推行「去中國化」的文化與教育,所以她對教育、文化的「重視」程度,堪稱首屈一指。因此前任馬英九放棄擔任臺灣中華文化總會會長後,蔡英文就迫不及待指使下屬為其抬轎,很快奪回了會長職位。
民國105年(2016年)蔡英文上臺執政,迫不及待第一道行政命令就是廢止馬英九時代「課綱微調」,蔡英文當局「行政院」5月31日正式公告「教育部」廢止令,廢止民國103年(2014年)2月10日號令修正發佈之「普通高級中學課程綱要」語文、歷史、地理、公民與社會課綱,並自民國105年(2016年)起,地理、公民與社會科目恢復民國97年(2008年)1月24日公佈版本。緊接著蔡英文當局就強行推出「史上最獨」課綱與教科書。並且民國108年(2019年)8月30日,此教科書公然進入高中課堂。蔡英文當局這一「教育台獨」「獨招」就此從青少年下手。
蔡英文當局不僅廢除馬當局對課綱的微調,還在原來李登輝尤其是陳水扁主政時期編制的「台獨媚日」教科書基礎上,持續推動「台獨媚日」課綱,以建構「以臺灣為主體的下一代史觀」。它於民國106年(2017年)6月炮製臺灣「12年公共教育社會領域課程綱要」草案,在歷史部分,新課綱將略古詳今,重點放在臺灣最近500年脈絡,強調臺灣是多元族群,並將「原住民族」單獨成項。新課綱刻意將鄭成功、清政府、「國民政府」跟荷蘭、西班牙、日本,都歸於「外來政權」;用起了「中華文化只是臺灣文化一部分」的表述,把原住民文化、荷蘭文化、西班牙文化、日本文化與之並列,以淡化中華文化對臺灣文化的影響。同時,新課綱將不再明確區分臺灣史、中國史、世界史,而是將中國史併入東亞史學習,變成臺灣史、東亞史、世界史,不僅淡化、矮化、邊緣化中國史,而且割斷臺灣與大陸的歷史聯結。
臺灣執行的「108課綱」歷史課減少、教材刪減、主題式編寫。對中國史作出如下安排:小學沒有中國史。初中歷史18個單元,與中國相關的只有3單元,占1/6,一個單元就從商、周講到隋、唐、宋、元;一個單元從明、清的東亞,到晚清的東西方衝突;至於「中華民國」的建立與發展只占0.5個單元;高中的中國史更是碎片式的嵌入東亞史,單元如「從漢、晉到宋、元時期東亞人群移動的特色與影響」等。
有的歷史課本終審版出現所謂「臺灣主權未定論」提法,否定《開羅宣言》、《波茨坦公告》的效力,為「臺灣獨立」預留法律空間。臺灣有一版高一《臺灣史》第136頁:「我國現今領土主要由臺灣、澎湖群島、金門群島、馬祖列島、太平島、東沙島等島嶼所組成……」
◎臺灣「108課綱」歷史課本上出現「臺灣主權未定論」
而為切割兩岸血緣關係,建構「血緣」上的「去中國化」,教科書內煞費心機地加入「南島語族」與「有唐山公,無唐山媽」等概念,杜撰「臺灣民族論」。他們先是創造「只有唐山公,沒有唐山媽」的謊言,然後再用粗糙與錯誤的數據,力主臺灣近85%以上的人都有平埔族的「南島語族」血統。這種「臺灣國族血統論」自然經不起遺傳學的科學檢驗,但是卻被蔡英文當局拿來作為「教育台獨」「文化台獨」的依據。
蔡英文在民國106年(2017年)出訪南太平洋時,即別有用心地定名為「尋親之旅」。在蔡英文的眼中,太平洋島國的原住民才與臺灣是一家親。進而想盡辦法杜撰了莫名其妙的「臺灣民族論」,認為:「臺灣原住民屬於南島語族」,強調臺灣是該語族地理分佈的最北端,並配上一張圖把大陸與臺灣完全劃開;講大坌坑文化時不再提及與祖國大陸的關係;在教師手冊則直接寫明「臺灣原住民人種屬於馬來人,語言屬南島語系」。她無視許多學者認為的,南島語族源於華南的論述,以及亮島人被發現於馬祖的事實。這樣做的玄機何在?蔡英文當局幻想用「南島語族」取代「中華民族」地位,甚至從遺傳學角度否定兩岸同胞同根同源,試圖從民族角度「去中國化」。另外還無厘頭地認定清朝治臺初期,以渡臺禁令限制移民,女性家屬不得同往,因此推斷漢人開拓者皆與原住民女性通婚,血緣已與中國大陸相異。此種觀念古籍上均未提及,實在是配合捏造「台獨」理論的重要支撐——「臺灣民族論」。
同時教科書內還以「轉型正義」貶損國民黨。課程中凡提到國民黨當局治臺,全面負評:官員貪污腐化、濫用特權,管制民生物資、限制經濟活動,導致引爆「2·28」事件,最終以軍隊鎮壓民眾。緊接著「戒嚴」,實行白色恐怖,壓制反對意見,數十年人心惶惶。反對國民黨統治的幾次學運如「野百合」「太陽花」都納入教科書,並予以高度評價。
蔡英文如此一古腦兒、變本加厲地持續推動教科書「去中國化」,她的政治目的就是:誤導臺灣學生樹立「台獨」意識,擴大和夯實認同和支持蔡英文當局推行「台獨」路線的「天然獨」民意基礎;增加臺灣學生對兩岸交流「被統戰」的疑慮,降低兩岸交流的正面效應,掩飾蔡英文當局處理兩岸事務無能表現,減少民進黨在兩岸議題上的失分;強化臺灣學生對大陸推動兩岸統一的擔心與恐懼感,認同和支持蔡英文當局增加防務預算,實行「倚美抗中」戰略,以及「抗中保臺」的2020「大選」主軸。
教科書是年輕人學習文化、認識社會、瞭解歷史的重要載體,中學階段更是形塑正確人生觀、價值觀和歷史觀的重要時期。蔡英文當局看到了教科書具有其他任何載體無法替代的作用,把政治黑手伸進校園,把「台獨史觀」和「皇民化史觀」塞進教科書,從割裂中國史與臺灣史的聯繫著手,踐踏中華民族歷史,解構中華文化,破壞臺灣民眾的「民族認同」與「歷史認同」,進而改變他們的「國家認同」,妄圖以此為其「台獨建國」奠定基礎。
蔡英文不僅從教育上「去中國化」,還從文化上以「去孔」的政治表演到達「去中國化」。
蔡英文當局大搞所謂「轉型正義」,不僅引起社會紛爭,就連孔子這樣的歷史人物也未能倖免。
◎ 2017年臺北故宮博物院舉辦名為「萬世師表——書畫中的孔子」的展覽
2017年7月臺北故宮博物院打算舉辦一個展覽,名為「萬世師表——書畫中的孔子」,角度不錯,應該有個不錯的內容。但是問題來了,該院負責人忽然以「部分民眾質疑孔子與臺灣的關聯」為由,聲稱「為免產生對立」,不排除拿掉「萬世師表」四個字。
超好用的「部分民眾」!凡是想要推動但又怕擔上罵名的事情,蔡英文當局就拿「部分民眾」當擋箭牌,仿佛他們在充分傾聽民意。只是,既然謂之「部分」,自然只是少數,甚至是極少數,否則以綠營的脾性,早就大肆渲染。那這「部分」能代表多大的民意呢?憑什麼讓絕大部分人被一小部分人耍得團團轉呢?憑什麼為了讓一小部分人爽,就置更多人的選擇與喜好而不顧呢?說是為了避免「對立」,那這對立又是誰挑起來的?不能因為「獨派」氣焰囂張,就認為他有理吧?
那這「民眾」,又是誰呢?
毋庸諱言,就是那些深綠的「台獨分子」。他們藏身於市井巷陌,做著分離主義的「美夢」,亦或因為蔡英文上臺而雞犬升天,成為權傾一時的綠營「新貴」。
只是,這一小撮激進的深綠人士,能量何其之大,使得蔡英文當局的官員不得不顧及他們的想法。亦或是,雙方本就沆瀣一氣,一方在明面,一方在暗面,大家唱的都是同一出戲!美其名曰的「轉型正義」,不過是「去中國化」的一環。
◎以「轉型正義」為名,行「去中國化」之實
蔡英文當局此舉是以「避免造成對立」為立場,企圖回避孔子所代表的中華文化與臺灣的聯結,甚至還想與近年中國大陸在全球設立的「孔子學院」切割。然而,少了中華文化的臺北故宮還剩下什麼? 若所有來自中國大陸的都要被排除在外,那麼媽祖、關公是否也不必留在臺灣,各地廟宇都要「轉型」?三國演義、水滸傳、紅樓夢,甚至金庸、古龍的武俠小說,也和臺灣沒關係,要不要把這些書籍、影片都變成禁書、禁片?臺灣的下一步是否要廢漢字,改羅馬拼音?
現在臺北故宮所藏的文物,是否也應返還給中國大陸?
羅智強嘲笑,「林佳龍和林正儀寫的中文也與臺灣沒有關係,要不要去電擊自己的腦袋,看可不可以把中文忘了;這群綠朝新貴「去中國化」去到走火入魔、神志不清,也是臺灣一絕。」
然而面對文物來自大陸這一點,臺北故宮院長林正儀僅以「文物流通保存」全球皆然一筆帶過。
雖然這些文物留在臺灣,但蔡英文不斷地將中華文化剝離的作為,文物還能剩下什麼?展現在書畫中的孔子,若不能予以相應的文化定位,那麼世人所見不過是老者的身影,何以理解儒家文化圈對亞洲乃至西方的影響? 蔡英文當局的「去孔化」,其實就是「去中國化」的核心部分,她是要借助這一過程為「台獨」做政治鋪墊
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「ボーはおそれている」を観た。 以下ネタバレあり。
前に「哀れなるものたち」を観に行った時予告編を観て気になっていた映画。でもアリ・アスターといえば「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」なので、ホラーがあんまり得意でない自分はどうかな…と思っていた。 というような話をXに書いていたらアリ・アスターの短編"The Trouble With Mom"というものを教えていただいて、おそらくアリ・アスターはこのテーマです、とのことだった。 まあ短編だしと軽い気持ちで見てみたら、これがものすごくよかった。自分がちょっと親(特に母親)が苦手なのが大きいとは思うけど、短編映画でこんなによかったのは久しぶりだし、今年観た映画のなかでもトップくらいによかった。短くてセリフのない映画でこれだけやるとはアリ・アスターすごいな…。
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というわけで俄然「ボーはおそれている」も気になって観ようという気持ちにはなっていたものの、急に仕事が忙しくなってしまってなかなか行けず、なんとか先週末ようやく行けた。日曜最後の回だったのでガラガラだったし、ど真ん中のいい席で観れた。
で、「ボーはおそれている」の話。
基本的にはTrouble With Momなんだけど、長いだけあって親子以外にも家族の話や、子供を持つことや、あまり自分は分からないので下手なことは言えないけど、精神的な病気やADHDというようなことも描かれていたと思う。なので入れたい要素が多すぎてこの3時間なんだろうな。
3時間はたしかに長かったし、最初は90〜120分くらいにカットしてもよかったんじゃないかなと思ったけど、今はこれはこれで意外とよかったのかなという気もする。3時間なんだけど、4パートくらいに結構はっきり別れていて、なんとなく海外ドラマを4本立て続けに見たような感じかな。そもそも長いのは事前に分かっていたし、長い割には意外と観やすかった気はする。それに、意外と最初の方も覚えている。
最初のボーの自宅のパートはあんまりいらないんじゃないかなと思ったけど、「ボーにとっての現実」をしっかりインパクトを持たせて打ち出すには必要だったのかな。全身タトゥーで真っ黒のカラコン(?)の人がやばかった。というかボーの近所がポストアポカリプスすぎる。Fallout級。でもそういう風に見えているってことなのか。
2つ目の謎のファミリーの家に転がり込む所はいわゆる「表面上いい人たちだけど実は…」というホラー映画の定番のパロディみたいな感じなのかな。この家族は一人息子を戦争で亡くしていて、そこから両親も妹もおかしくなってしまった、というボーとは別の「家族、親子」の話が描かれていて、戦争の多いアメリカだとある話なのかなあと思ったりもした。ファミリーやマイホーム、軍隊に入る愛国心というのはアメリカの良き象徴みたいになってるけど、実際には問題山積みなんだろうな…。お母さんはなんでここで家族っていいよねと思わせようとしたのか…。
3つ目のヒッピー劇団(?)のパートは一番好きなパートだった。また別の映画の話になってしまうけど、このパートを担当したクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの「オオカミの家」という映画が友人に勧められて気になっていて、でも結局見れずじまいだった。本人たちの映画ではないけど、ここでその一端が見れてよかった。演劇の舞台からという導入もよかったし、書き割りのセットのような、手書きのような不思議なアニメーションはとてもよかった。この時のナレーターというか語り手はやっぱりお母さんだったのかな…? この時のホアキン・フェニックスがボーとは全くの別人という感じで、やっぱり役者さんってすごいなあと思った。目がもう全然違う。
4つ目は意外とあっさり実家に帰り着いてからのお母さん、そして父親(?)との対決、さらに初恋の終わりとなかなか盛りだくさんだった。自分的にはやはり母親との対決シーンが良かったかなあ。Trouble With Momは短篇だしセリフがなかったけど、ボーは尺もあるし台詞もあって、母親の言い分もあるのがよかったと思う。いやほんと親子とか家族ってホラー映画より怖い呪いだ…。その後の兄と父(?)のシーンといい、ここは自分の恐怖と向かい合うパートだったのかな。
5つ目、というか4つ目のパートに入れてもいいのかもしれないけど、スタジアムのシーンはまさか最後こうなるとは思わずびっくりした。恐怖と向き合ってみたけど、結局母親からは逃れられないという…。そして結末はTrouble With Momと大体同じ。
全体的に、かなり色々やりすぎにしてあって笑ってしまう感じで、ホラー要素はほとんどなくてよかった。そして単純にボーが被害者で虐げられてるだけ、とかではなく、決められないこととか、自分が悪いと思ってしまうことを悩んでいたり、母親には母親なりの自分が親からもらえなかった愛情を子供に注いでやりたいという気持ちがあったりとか、誰にでもどっちもある、あるいは色々ある悩みや考えや恐れをしっかり出しているのはよかった。 "Guilty"という言葉が劇中度々出てきたけど、これはキリスト教を信仰しているとまた意味があるのかな。自分は特に信仰はないけど、なんとなく自分が悪いと思ってしまうことがあるのでなんとも言えない気持ちになった。 色々決められなかったり、必要以上によくないことを想像してしまったり、ちょっと心配になるとすぐネットで(信頼性の低そうな情報を)検索してみたり、結構自分にも当てはまるなと思う所があった。Trouble With Momもだけど、なんだかアリ・アスターには勝手に親近感を持つなあ。
そういう人間の中の複雑な気持ちの表現が全体的にすごく過剰なので、真ん中あたりでヒッピー劇団〜アニメーションの見やすいパートを入れたのは構成として上手いなと思った。あれがなくてずっと過剰な表現続きだと疲れるし飽きてしまいそう。 ただ、アニメーションパート以外の映像や音楽、美術などはわりと普通かな…という印象だった。悪くはなかったけど…。まあそこを見る映画でもないかな。
音楽といえばヴァネッサ・カールトンやマライア・キャリーといった懐かしの名曲が突然かかって(しかもかかるシーンがまた可笑しい)、結構笑いそうになった。少し調べてみた所、歌詞にもかなり意味があったらしい。お母さんキモすぎる。
公式サイトに見た人向けの解説があったので読んでみたけど、やはりいろんな映画のオマージュというか引用があるらしい。サンセット大通りは好きな映画だけど気が付かなかったなあ。監視カメラの所はたしかにリンチの「ロスト・ハイウェイ」を思い出したけど、同じA24の「アンダー・ザ・シルバーレイク」っぽい雰囲気もあった気がする。
自分的にいちばん思い出したのは「未来世紀ブラジル」だった。
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よく「オーウェルの1984的な統制社会の恐怖を…」とか説明されるけど、結構親子、それも母と息子の話なんだよな。主人公のサムが夢と現実の区別がつかなくなっていく感じもボーにちょっと近い気がするし、父親が出てこない点も似ている気がする。 あと、ブラジルのエンドロールとボーのエンドロールが似ている気がした。どちらも暗くグレーな広い空間の真ん中に死んだ主人公がいて、その画の上にクレジットがでてくる。なんか共通するものがありそうな気がするなあ。
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あと、もうひとつ思い出したのはデヴィッド・フィンチャーの「ゲーム」。
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これはたしか最終的に主人公の"ゲーム"は弟が全て仕組んだものだった、というオチなんだけど、全てを母親に仕組まれていたボーに近いかもなと。CRSという会社がちょいちょい出てくるのもお母さんの会社が色々なところに出てくるのに少し近いかも。見たのがずいぶん昔なので詳細は覚えていないけど、また観たいなあ。でもこの手のネタは他にもたくさんあるか。
ボーはおそれている、総合的にはまあまあといった感じだったけど、なかなか面白い映画だった。親子も家族も色んなものへの恐れも、永遠のテーマなんだなあ。どうしたらいいという答えはないけど、あれこれ考えるきっかけになる映画な気がする。この内容で3時間の映画を作って世界に配給されるというのはとてもいいことだな。ヘレディタリーとミッドサマーも怖そうだけど観てみよう。
<余談>
自分の持っていたクレジットカードの一つがサービス終了とのことで、自動的にSaison Gold Premiumというカードに切り替わった。普段、カードの優待とかはあまり気にしないんだけど、このカードの優待で「映画のチケットがいつでも1000円」というのがあって今回それを初めて使ってみた。
対応している映画館が限られているけど、自分がよく行くTOHOシネマズは使えた。ちょっと面倒なのは、まず映画のチケットが無料になるクーポンを1000円で買う→そのクーポンを使って無料でチケットを取る、という二段階の手間がかかるのと、購入の12時間後にクーポンが送られてくるという所。自分は仕事の都合で今なら行けそう…と急に行くことが多いので、これは少し残念。でも、クーポンの有効期限は3ヶ月くらいあるようなので、観たい映画がある時は事前に購入しておけば突然行くこともできそう。
最近はわりと映画行くようになったので、これはありがたいな〜
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yasuderland · 4 months
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後半戦、はじまりはじまり。後半戦?なんぞや?という方は、ぜひひとつ前の投稿に目を通してみてくださいな。
7月
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約一年ぶりの主演舞台、少女都市からの呼び声。新宿歌舞伎町、THEATER MILANO-Zaにて幕開けでした。儚くて、恐ろしくて、でもどこか美しくて。なんとも不思議なおはなし。僕の大好きなアングラの世界に触れていただけたこと、この上なくしあわせです。よかった?今度はまるがこちらのステージに立つみたい。仲間の活躍はなによりもうれしいね。
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せっかくやからかわいい妹分のお仕事もご紹介しましょ。KOSÉさん「米肌」のキャンペーンキャラクターに就任したようで。この子たち、気が付いたらスキンケアブランドのお仕事まで勝ち取ってました。どこまでいくのでしょう。僕たちも負けていられない。そして萌え袖の安子ちゃんがやっぱりいちばんかわいい。
8月
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8月は今年いちばんに濃くて、この先ずっと忘れられへんやろなと感じる出来事の連続。まずはこちら、ベリーズでのお写真。過去の病の経験から、僕にとってなくてはならないと思うほどたいせつな海にまったく触れられなくなってしまって。昔のように深くまで潜ることができないだけで、浅瀬くらいなら大丈夫やったんやけど、どうしてかそれすらもできなかったんです。あんなに好きやったのに。たぶん、悲しいからなんやろね。浅瀬に足を浸からせてみたら、もっとその先へ行きたくなってしまうやろうし、大好きだった青色の景色をこの目で見たくなってしまう。ほしいものはこの先もう自分に与えられることはないと分かっていたから、きっとどこかで避けてたのかな。でもね、ようやっと弱さを克服することができたんです。特別なベリーズの海に、自らの足で勢いよく飛び込んだの。もちろん深くまでは無理やけど、夢に見るほど大好きな透き通る海の色にもう一度触れることができて、あの瞬間だけはきっと世界中の誰よりもしあわせでした。弱さも、涙も、感動も、むきだしの僕の心をあたたかく受け入れてくださったアナザースカイさん。僕にとって海がどれだけ大切なものだったか改めて教えていただけたこと、感謝しかございません。いつの日か恩返しができますように。
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そしてもういっちょ。49枚目のシングル、オオカミと彗星の発売。未完成とは打って変わって狂気と色気をふんだんに詰め込んだこの楽曲、最高にイカしてますぜ。音楽番組では毎回スーツで歌って踊っておりました。なかなか珍しいかもしれないね。MVもこのジャケ写通りスーツでびしっとキメていますので、気になる方はぜひ。
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まだあります。無事にロッキンリベンジを果たせたのも8月でした。本当は去年初出場の予定やったんやけど、台風にその予定ごと掻っ攫われまして。僕たちよく台風呼ぶからなあ。今年もピンポイントで近付いてきたりとすこし危うい瞬間があったものやから気が気ではなかったけど、無事にやり遂げましたよ。憧れのステージです。達成感。ここから怒涛のフェスつづき!
9月
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WANIMA主催の1CHANCE FESTIVALにお呼ばれしまして。もちろんパフォーマンス中はずっと楽しかったんやけど、裏側でもWANIMAのみんなとわちゃわちゃして大盛り上がりやったのよね。WANIMAがベースを募集しようか考えてるって僕たちにおはなししてくれたんやけど、それを聞いたまるがかるーく立候補したの。そしたら「いや、お忙しいでしょうから…。」ってやんわりお断りされてたのがほんまにおもろくて未だにくすっと笑ってしまいそうになる。まるもそのあとちょっと凹んでたから尚更おかしかったなあ。思い出がたくさん。
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最後のフェスは、僕たち関ジャニ∞だけで。バンドはもちろん色気たっぷりのダンス曲も、しっとりなバラード曲も、幅広く披露いたしましたのよ。しかも途中僕のお誕生日サプライズなんかもあったりして、会場にいるeighterのみなさまからは青色のペンライトでうつくしい祝福が。あっという間にしあわせ空間のできあがりやったね。改めて大きな愛に触れた一日。夜空に打ち上げた大きな花火、また来年みんなで見たいなぁ。
10月
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またもや妹分の登場です。なんと少女漫画雑誌のりぼんさんにて、連載がはじまりました。おそろしい。ほんまにどこまでいくつもりなんやろう。どんなもんか気になって、僕と安子ちゃんがメインの回を買ってみたんやけど、胸きゅんがいっぱい詰まってて楽しかったよ。盛ってないからね。ほんまのはなし。39歳のおじさんも少女漫画片手にレジへ並びます。疑ってるでしょ。マジやで。
11月
11月と12月は個人の仕事というよりも、仲間たちとレギュラー番組の収録等でいつも通りに過ごす時間が多かったものやから、実はここに載せられる出来事はもう残ってなくて。でももったいないよね。せっかくやから、いままで画像の枚数制限で泣く泣くカットしていた音楽番組のおはなしを載せていこうかな。まずはベストにヒットした歌謡祭。
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いくつになっても様子がおかしい。たのしかった。毎年いつもカウントダウンライブでみなさまの初笑いを狙いに行ってたんやけど、今年はそれが叶わんのでこの場をお借りして。アイドル界の様子がおかしい担当であり続けたいと思ってしまうのはどうしてでしょうか。めい、かわいい?隣にいるのはたつと言う名のトトロです。
12月
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12月はFNSさんとMステさん。白と赤、衣装も冬という感じがするね。並べてみて思ったけどみんな同じような顔してない?おもしろい。こんなところにまでまた愛おしさを見つけてしまうのです。こうして自分たちの音楽を届けられることも、なにひとつ当たり前ではなかったんだなと改めて実感した月でしたな。もちろん当たり前だなんて思ったことはないけれど、またこうして素敵な機会をいただけるようにこれからも一所懸命がんばるぞ!の気持ちです。ふう、なんとか年内に間に合った!ここまで読んでくださった子はどれくらいいるのかな。お付き合いいただいて本当に本当にありがとう。疲れたでしょう、ゆっくり目を休めてね。あなたにとって、素敵な年末年始になりますように。そして来年からも僕たちをよろしくお願いします。たくさん笑わせるぞ。
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kanininaritai · 6 months
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holy basil au stuff
.this AU is based on bad ending .Main characters are Basil and Sunny .written in Chinese The day he decided to become a priest 事不過三,他是這麼認為的。 第一次是在她落下後,第二次是輪到他。 「為什麼我們身邊總是發生這樣的事?」Kel的質問直到現在Basil依然無法解答,他也放棄去思考了。已經沒有去探尋的必要,他選擇自力扭轉這種沒人樂見的淒慘結局。 而身邊熟睡的,比他個子還小一些的黑髮男孩,就是他努力至今的成果。
「對,這樣就好。」 要是Sunny第三次的離開自己,像這樣的可能性他想都不敢想。為了不讓自己心死,他這次也完美欺瞞過自己的認知。
這是faraway小鎮,某個不願接受命運而企圖違抗的神父的美夢。
即使他和朋友們用最快的速度趕到醫院一樓,等待著他們的只有破碎四散的事實。落到地面的軀體四肢扭曲、頭顱變形,腥紅肉末和鐵鏽味影響人們的理智,難以辨別這灘肉原本是什麼東西。 但Basil很清楚,他的朋友們也是。
Basil不是第一次想自我了結,這次也是。只是刀尖稍微劃破肌膚時他又會想起自己這條命是誰救的,這樣的想法和本身的破滅願望產生矛盾成為了日復一日的延命手段。
他睜開眼時Sunny的輪廓好像烙印在角膜上,到哪都讓他不禁想伸出手挽留,觸碰到的瞬間卻又一再把他的夢撕裂。不想看了選擇閉上眼,當時空氣中瀰漫的他的味道和碎肉又從記憶底層浮出,不願給他一絲安寧。
Aubrey不再來教堂了。 那天之後就不再來了,取而代之是Basil天天都會來探訪Sunny和Mari的墓。 有時給他們倆換上鮮花,有時像是開三人茶會那樣談天說地,有時只是什麼也不做的待在一旁。
「你今天也來了呢。」 已經把自己給記住了的某個神父率先出聲打招呼。即使多麼虔誠的信徒也不至於來的如此頻繁,偶爾甚至待上一整天,像這樣特別且面容憔悴的孩子吸引了神父的注意和關心。
他收起剛使用過的鑰匙。「是要去後面對吧,剛才已經打開門鎖了,隨時都能進去。」為了總是一大清早來探望親友們的男孩,神父總是會提早幾分鐘將進入墓園的門鎖打開。 「有你這麼關心朋友們的孩子在,他們真幸福呢。」
Basil想反駁,可話全卡在咽喉吐不出來。 像那樣的結局怎麼能稱得上是幸福。
這次帶上了給Sunny和Mari的花——鬱金香和鈴蘭花。 不會有這兩種以外的選項。 幾天前放在墓前的花已經開始泛黃乾枯,他拿出包包裡的小鏟子挖了個坑埋進去。 他們兩人被埋在冰冷土裡會難受嗎?會責怪自己嗎?像這樣和凋謝花朵同樣的下場,最終被分解成塵土回歸世界的一部份。
「你總是帶上這兩種花啊,因為他們喜歡嗎?」 多事的神父因為一大早沒人上門,偶爾會像這樣來搭話。 「我不知道。」 「真好,重回上帝的懷抱後又總是能收到美麗的鮮花。」 「……」 那祂可真是殘忍,總把自己重要的東西奪走。
神父注意到Basil身上的新傷痕,這不是第一次了。「為了不讓逝去的人有掛念,活著的人要好好過生活啊。」 不料似乎是重重踩在Basil的地雷上,他得到的是比死人還難看的眼神。 「那樣做難道他們就能回來嗎?」 「沒辦法呢。」 「那就閉嘴。」
話一出才意識自己有失禮節的Basil這才後悔。 「……我很抱歉。」 「沒事的,是我不顧你的感受說了不妥的話。」
他讓Basil出來坐坐,倒了杯水給他稍作休息。 作為神父他總要面對來自不同人的情緒。這裡匯集了人們的感情、身離死別,像Basil這樣的人也不是沒見過。
「……其實的確有讓逝者回歸的相關紀錄。」 坐在一旁的神父思考了一會兒,他不確定是否該向這孩子說這種事,也許會給予他多餘的希望。 但若能稍微給他生活的動力那何嘗不是件好事,至少比現在好多了。
在這半年不間斷來訪教堂,這次的聊天起頭終於是引起了Basil的注意。
「你能夠再多和我說一些嗎,剛才你提到的。」 Basil本來如同死水的眼眸多了一分以往不曾有的希望和執念。
OOOO年,faraway小鎮有了新上任的神父,名為Basil。
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cozyaliensuperstar7 · 3 months
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Justin 👑😍
marieclairetw:
#MCman ✨錢裕揚Justin Chien ✨在台北出生、香港長大,12歲回來台灣念國高中,18歲再到美國讀大學和發展,好幾年前你或許曾經在電視廣告上看過他,多年後他主演了一部好萊塢製作的 #Netflix 作品和全球的觀眾見面,他是《#孫家兄弟》(The Brothers Sun)的男主角── #錢裕揚(Justin Chien)。這部以台灣為背景的黑幫動作影集,Justin在劇中飾演楊紫瓊的兒子,身為家中長子的他,在家族成員成為目標時,受命飛往洛杉磯保護從小分開的媽媽,並在過程中思考幫派的未來和生命的意義,也與媽媽和弟弟建立未曾有過的家人情誼。《孫家兄弟》全劇以「保護家人」這四字貫穿,而提到自己跟角色的相似性,家人絕對是不可忽略的一個元素,「爸媽總是以身作則教會我如何做個努力、善良、正直的人,加上我們都很重視家庭,我非常愛我的家人,跟爸媽、弟弟妹妹都很親,還有我們的保護欲都滿強的,所以不管是我們關心的人,或者是身旁的團隊,我都會想支持跟保護他們。」身為家中四個兄弟姐妹長兄的 Justin,是個好兒子、也是位好哥哥,希望能成為榜樣,在弟弟妹妹需要指導幫助時,能夠適時給予協助,因為這個家是他最堅強的後盾,也是形塑他最主要的原因. 「我曾經看到有個人說『你養我長大,我陪你變老。』這句話令我很有感,也因此我真的是沒辦法想像無法跟家人在一起的生活,所以我預設自己十年內應該會搬回台灣。」眼神裡沒有一絲遲疑,一如他劇中角色的堅毅,在未來許諾自己能回家鄉發展,並且長伴家人左右,盡己所能照顧爸媽。錢裕揚Justin Chien ♡ 不一般的軌跡 🔗全文專訪 ➠ https://mctw.io5kdzus Talent/錢裕揚 @justin_chien Chief Feature Editor/JuJu Chen @you.hapig Text/JunYen Ke @junyen_ke Photographer/Hazel chiu @hazel_chiu \nPhotographer Assistant/Vita liu @miliumimm 、ZO @zooohu \nDigital Content Director/Ren Chen @pojuichen/Film Editor/Milky Lin @milky_the_poop Styling Director/Kris Lin @beloveapril Makeup&Hair/Sunny Hsu @sunnyhsu734
追蹤 @marieclairetw 時髦好玩的都在這#marieclairetw #juju #豬編 #JustinChien #Justin #TheBrothersSun @netflixtw @brotherssunnetflix
Justin Chien ✨ was born in Taipei and grew up in Hong Kong. He came back to Taiwan to study in high school at the age of 12, and then went to the United States to study at university and develop his career at the age of 18. You may have seen him in a TV commercial a few years ago, and he starred in it many years later. A Hollywood-produced #NETFLIX work has been introduced to the global audience. He is the male protagonist of "# Sun Jia Brothers" (The Brothers Sun)── #Justin Chien. In this gangster action series set in Taiwan, Justin plays Michelle Yeoh's son. As the eldest son of the family, when family members become targets, he is ordered to fly to Los Angeles to protect his mother who has been separated since childhood, and in the process he thinks about gangs. future and the meaning of life, and also established an unprecedented family bond with his mother and younger brother. The whole drama of "Brothers of the Sun" is run through with the four words "protect family". When it comes to the similarity between myself and the characters, family is definitely an element that cannot be ignored. "My parents always set an example and taught me how to be a hard-working and kind-hearted person." , upright people, and we all value family. I love my family very much. I am very close to my parents, brothers and sisters, and we are very protective, so whether it is the people we care about, or I want to support and protect the team around me." As the eldest brother of four brothers and sisters in the family Justin is a good son and a good brother. He hopes to be a role model and can provide timely assistance to his younger siblings when they need guidance and help, because this family is his strongest support and the main reason for shaping him. "I I once saw someone say, "You raise me and I will grow old with you." This sentence really touched me, and because of this I really couldn't imagine a life without my family, so I assumed I should move back to Taiwan within ten years." There is no hesitation in his eyes, just like the perseverance of his character in the play. In the future, he promises that he can return to his hometown to develop, stay with his family, and do his best to take care of his parents. Justin Chien ♡ Unusual trajectory 🔗Full-text interview
#MCman ✨錢裕揚Justin Chien ✨ 從小就喜歡表演的 #錢裕揚,國小開始站上舞台,高中下定決心追求當演員的夢想,而申請了兩家美國的表演大學,從此也開啟了他與許多台灣演員截然不同的演藝道路,「我在大學畢業後繼續住在洛杉磯,大概拼了五年,才得到這次《#孫家兄弟》演出機會,算是一個漫長的過程。」深耕演員��志多年,也曾遇到低潮的他如此雲淡風輕坦言。如此在好萊塢脫穎而出的 Justin 在這個與他不謀而合的角色人物中,除了放入自己人生經驗的親情體悟,更特別同時挑戰了武打和喜劇類型題材,發揮了他擅於武術的矯健身手,百分之百一如以往認真地投入劇情故事,「每天備戲並且苦練打戲,在開拍前每週會有至少11次特技與重量訓練。」17歲曾在台灣學泰拳,近年還拿下巴西柔術藍帶的他進而分享,「會講中文、英語、廣東話的我,未來也希望能挑戰一下自己的語言能力,同時期盼日後能在台灣拍一部本土製作的戲劇。」除此,在劇中大秀好身材的他,也有意在未來挑戰需要改變身型,去更貼近劇情的角色,「滿想接演可以在身材上有巨大變化的角色,變得非常壯,或是很瘦很瘦,我覺得這是演員要挑戰一下的人生角色。」他接著笑說,��我以前其實是想歌手,若有機會演出音樂相關的戲劇經驗,不論是會彈吉他或是唱歌,應該會滿有趣的。」 隨著《孫家兄弟》劇集上映引發的討論,Justin 倒是沒有預設往後的日子,「我就是想一天一天的過生活,不要給自己太多壓力,不要想太多珍惜每一天所發生的事情。」擁抱所有可能,珍惜所有經歷,唯有如此才能在機會來臨之時從容應對。「我私下滿愛吃愛玩,只是不同於劇裡角色喜歡烘焙甜點,熱愛料理的我最拿手的菜是海膽義大利麵與牛排。」他如此大方道述。看似淡淡的態度是經年累月的修練,在這個有實力只是基本,機運和時間才是成功要素的產業,被問到為什麼還是想當演員?Justin 彷彿回到小時候首次站上舞台的表演時光,「我就是很喜歡讀故事,瞭解為何我讀了一個故事會讓我感動,然後盡量去塑造一個角色來感動觀眾。」在他真摯又堅定的神情裡,始終懷抱對演戲純粹的初心與熱忱,這個信念動力彷彿注入血液,《孫家兄弟》只是起點,他已經準備好擁抱更多可能。♡ 錢裕揚Justin Chien ♡ 不一般的軌跡
🔗全文專訪 ➠ https:\mctw.io 5kdzusTalent/錢裕揚 @justin_chien Chief Feature Editor/JuJu Chen @you.hapigText/JunYen Ke @junyen_ke\Photographer/Hazel chiu @hazel_chiu \Photographer Assistant/Vita liu @miliumimm 、ZO @zooohu Digital Content Director/Ren Chen @pojuichen Film Editor/Milky Lin @milky_the_poop Styling Director/Kris Lin @beloveapril Makeup&Hair/Sunny Hsu @sunnyhsu734 追蹤 @marieclairetw 時髦好玩的都在這\#marieclairetw #juju #豬編 #JustinChien #Justin #TheBrothersSun @netflixtw @brotherssunnetflix
Justin Chien ✨ Justin Chien has loved acting since he was a child. He started to stand on the stage in elementary school. In high school, he made up his mind to pursue his dream of being an actor, and applied to two acting universities in the United States. From then on, he started to interact with many Taiwanese actors. Actors have completely different acting paths. "I continued to live in Los Angeles after graduating from college. I worked hard for about five years before I got the opportunity to perform in "#孙家哥". It was a long process." He has been working hard as an actor for many years. He had also encountered a low point and spoke so calmly and frankly. In this way, Justin, who stands out in Hollywood, not only puts his own life experience and family experience into this role that coincides with him, but also challenges the martial arts and comedy themes at the same time, giving full play to his martial arts skills. I am 100% devoted to the plot and story as before, "I prepare for scenes every day and practice hard on my fighting scenes, and there will be at least 11 times a week before filming starts."
Stunts and weight training. ” He learned Muay Thai in Taiwan at the age of 17, and recently won a blue belt in Brazilian Jiu-Jitsu. He further shared, “I can speak Chinese, English, and Cantonese. I also hope to challenge my language skills in the future, and I look forward to the future.” I can film a locally produced drama in Taiwan." In addition, he showed off his good figure in the drama, and he also intends to challenge roles in the future that require him to change his body shape to be closer to the plot. "I really want to take on roles where I can change my body shape. I think this is a life role that an actor needs to challenge." He then laughed and said, "I actually wanted to be a singer before. If I had the opportunity to perform music, Relevant theater experience, whether it's playing guitar or singing, should be very interesting." With the discussion caused by the release of "The Brothers" series, Justin did not predict the future, "I just Don’t overthink and appreciate what happens every day. ”Embrace all possibilities and cherish all experiences. Only in this way can you calmly deal with opportunities when they come. "Privately, I love eating and playing. It's just that unlike the character in the drama who likes to bake desserts, I love cooking and my best dishes are sea urchin pasta and steak." He said generously. The seemingly indifferent attitude is the result of years of practice. In this industry where strength is only the basic and luck and time are the key factors for success. When asked why you still want to be an actor? Justin seems to have gone back to the time when he first stood on the stage to perform as a child. "I just like to read stories, understand why I read a story that moves me, and then try to create a character to move the audience." In his sincere and determined words In his expression, he always has a pure original intention and enthusiasm for acting. This belief and motivation seem to be injected into his blood. "Brothers of the Sun" is just the starting point, and he is ready to embrace more possibilities. ♡ Justin Chien ♡ An unusual trajectory
#MCman ✨錢裕揚 Justin Chien ✨\n#錢裕揚(Justin Chien)登上世界最大舞台,主演 #Netflix 影集《#孫家兄弟》(The Brothers Sun)與楊紫瓊飆戲。赴美築夢多年終於迎來果實,談及挫折依然堅信自己,看似輕鬆其實是多年的生命累積。聊及自己的演戲生涯,Justin 在大學時期即大量參與舞台演出,「我的夢想當然是希望能在電視劇影集跟電影表演,並期望可以在品質高的作品上表演;我知道如果要爭取到這些機會的話,就需要先培養好自己的技術跟實力,也因而覺得以舞台劇為開始,是對演技最好的磨練機會。」在舞台劇作為基礎打磨多年,他回想起說長不長、說短也不短的演員生涯能遇到一個對的角色,是用生命的累積 然而,命運也領著他在2021年歷經了懷疑的一年,曾有六、七個角色到最後一輪都沒被選上,但 Justin 選擇不怨天尤人而是相信自己,「因為我知道自己是有實力的,記得那時候其實有兩個選擇,一是對宇宙生氣,或者是決定相信未來會有更好的機會。」保有自我信念堅持的他,或許也真的是命中註定使然,Justin 在一個月後收到《孫家兄弟》的試鏡邀請。長達近兩個月的試鏡過程,從線上到實體與團隊見面,經過三四輪的選拔無不用盡全力的他,在得到角色的當下,百感交集忍不住哭了出來,「何況作為一名演員,一年如果有三到四個劇本試鏡,基本上引發出對角色的共鳴,就已經算多了。這次《孫家兄弟》查爾斯這個角色則是我在美國表演這麼久以來,參加過好幾百個角色試鏡之中,最讓我感動的。」♡ 錢裕揚Justin Chien ♡ 不一般的軌跡 🔗全文專訪 ➠ https: mctw.io/5kdzus Talent/錢裕揚 @justin_chien\Chief Feature Editor/JuJu Chen @you.hapig\Text/JunYen Ke @junyen_ke\Photographer/Hazel chiu @hazel_chiu \Photographer Assistant/Vita liu @miliumimm 、ZO @zooohu \Digital Content Director/Ren Chen @pojuichen\Film Editor/Milky Lin @milky_the_poop\Styling Director/Kris Lin @beloveapril\Makeup&Hair/Sunny Hsu @sunnyhsu734\追蹤 @marieclairetw 時髦好玩的都在這\n\n#marieclairetw #juju #豬編 #JustinChien #Justin #TheBrothersSun @netflixtw @brotherssunnetflix
Justin Chien ✨\n#Justin Chien has stepped onto the world's biggest stage, starring in the #NETFLIX series "#SunBrothers" (The Brothers Sun) opposite Michelle Yeoh. After many years of pursuing a dream in the United States, it finally came to fruition. When talking about setbacks, I still believe in myself. What seems easy is actually the accumulation of many years of life. Talking about his acting career, Justin participated in a lot of stage performances when he was in college. "My dream is of course to perform in TV series and movies, and I hope to perform in high-quality works; I know that if I want to achieve these If there is a chance, you need to develop your own skills and strength first, so I feel that starting with a stage play is the best opportunity to hone your acting skills." After years of honing the foundation of stage plays, he recalled that whether it lasts long, An actor's career, which is not short at all, can meet the right role. It takes the accumulation of life. There were six or seven roles that were not selected in the final round, but Justin chose not to blame others but to believe in himself, "Because I knew I was capable. I remember that I actually had two choices at that time. One was to challenge the universe. Angry, or decided to believe that there will be better opportunities in the future." He maintained his self-confidence and persevered, and perhaps it was destiny. Justin received an audition invitation for "The Brothers" a month later. The audition process lasted for nearly two months, from online to physical meetings with the team. After three or four rounds of selection, he tried his best. When he got the role, he had mixed feelings and couldn't help but cry, "Not to mention as an actor. For an actor, if he auditions for three to four scripts a year, it is considered too much if he can basically resonate with the character. This time, the role of Charles in "The Brothers" is the first time I have participated in acting in the United States for so long. Among hundreds of role auditions, this one moved me the most."♡ Justin Chien ♡ Unusual trajectory🔗Full-text interview
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kennak · 29 days
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国民的ゲームソフト「桃太郎電鉄」、通称「桃鉄」。目的地の駅を目指して日本各地を巡りながら地域の特産や名物の「物件」を購入して収益を上げ、総資産が勝敗を決するボードゲームだ。88年の第1作発売からおよそ35年が経ち、2023年11月には最新作「桃太郎電鉄ワールド」が発売された。  コナミは23年、この桃鉄を学校教育機関向けに無償で提供する取り組み(「桃太郎電鉄 教育版Lite ~日本っておもしろい!~」)を開始した。この教育版桃鉄をいち早く導入した大阪・枚方市立小倉小学校の6年生が2月7日、桃鉄制作者らを迎えてプレゼン発表会を行った。  プレゼンテーマは、「桃鉄に枚方を追加してもらおう」。枚方が桃鉄の駅として存在しないことに注目し、同校の6年生たちが枚方の魅力を全力でアピールした。  「ひらかたパークは明治45年に開園した日本最古の遊園地。アトラクション数は、USJや東京ディズニーランドを上回る40種以上もあります」と地元遊園地が持つ特色や強みを力説。地元ショッピングモールのくずはモールについても、「ショッピングセンターの満足度ランキング全国13位にランクイン。改装工事でフードコート付近がとても綺麗になりました」と写真を交えて紹介した。伝統文化や地元の工場、さらには食べログやGoogleマップで人気の飲食店を取り上げ、ランキングやグラフを用いた資料で説得力を���めた。  「枚方には子どもから大人まで楽しめる魅力がたくさんあります。教育版桃鉄に追加するしかありません」と力強く訴えた。 調べ方が足りない  「桃鉄に枚方を入れてくださいといろんな班の人が言いましたが、無理です」  プレゼンが終わり、桃鉄制作者からの講評は厳しいものだった。最初に「子ども扱いしない」と明言した、「桃太郎電鉄ワールド」監督/ゲームデザインの桝田省治(ますだ・しょうじ)さんだ。  「まず枚方に対して調べ方が足りない。どういう条件がクリアしないと入らないかということも調べられていない。なぜ選ばれて、選ばれていないかを言及している人がいません。なぜ近いまちが入っていて、枚方が入っていないか。実際の現実というのはライバルがいます。比べられます。それを押しのけた人が、自分の提案が採用されたり、されなかったりします」  「調べること、考えること、提案すること」には、時間はかかっても、お金はかからない。「採用されてから商品にするには、たくさんの人が関わってお金がかかるけれど、それまでの段階は、時間と根気、あるいは違う情報ソースを持っている友達さえいればタダです」  各班が提案した物件の多くが重複していたことを指摘し、「8割の人が同じことを言いました。これは採用されない。なぜなら、みんなと視点が同じだから」と語った。  また、ショッピングモールなどの短命な施設を挙げたことについて、「桃鉄の物件は、30年経っても8割は変わっていない。ということは、10年、20年持つ物件しか選んでいない。10年経っても今と同じようにありますか、というのを検討してください。点だけじゃなくて時間軸や面で考えた方がいい」と述べた。  桝田さん自身の若い頃も振り返った。「20代の頃、桃鉄のメインのゲームデザイナーのさくまあきらさんに言われたのは、お前ごときは100個考えて1個採用されればいい。99はボツだ。でもお前は才能があるから100のうち1個はいける。どんどん出せと。ゲーム制作だけじゃなくて、商品、サービスを作るのも全部同じ。ライバルがいて、コストがかかるし、採用できる人数にも限りがある。条件はいろいろあるけれど、たくさん調べて考える。いっぱい失敗すること。それしかない」と伝えた。  さらに、小学生の頃、地元新聞に短歌や俳句が採用された経験も語った。「岡山に住んでいて、山陽新聞に短歌や俳句を送り、採用されると5千円もらえた。図書館に行って、山陽新聞の過去10年、20年の採用された短歌や俳句を全部調べて、どんな傾向があるか、この審査員のときは何が採用されているかを調査した。それで、月に3、4本は採用された。人に採用されるには、自分だけがいいなと思っていることだけじゃなくて、周りの人たちにも認めてもらわなきゃいけない」 他の人と同じことをしていたらダメ  「ゲームが面白くないのは監督の責任。売れないのはプロデューサーの責任」  仕事の役割の違いを説明したのは、株式会社コナミデジタルエンタテインメントのシニアプロデューサーの岡村憲明(おかむら・のりあき)さんだ。「監督は作品を面白くするために全力投球する人で、プロデューサーはそうやって作られたものを世にどうやって届けるかを考える人です」  プレゼンについて、「より掘り下げた部分を伝えてくれた人がいて、それが印象的でした。他の人より前に出ていこうとするなら、他の人と同じことをしていたらダメ。他の人が何をしているのかを見て、自分なりの色を出していくことを考えてほしい」と述べた。  ゲーム制作者になるためのヒントにも言及した。「ゲームしかやっていない人は、正直に言うと、実際にはあまり使えないことが多いです。いろんなことに興味を持ってください。全然関係ないなと思っていることが、ゲーム制作に役に立つことがあります。ゲーム業界外の人と話していて、こんなのがあるんだと面白いと思うことが結構ある。なので、いろんなことに興味を持つことがゲーム制作につながっていく」  将来のアドバイスもした。「夢をずっと持っていてください。必ずかないます、思い描いて強く願っていれば。形は変わっても、この辺だったなというところにたどり着きます。夢をあきらめないで、いろんなことにチャレンジしていってほしい」とエールを送ったのは岡村さんだ。   逆に、「正直、夢は持たなくていいかなと思っています」と述べたのは桝田さん。「その代わりに持ってほしいのは目標です。夢は、どうやっていいか分からないけれど、なれたらいいなというもの。目標は、いつまでにこれになっているぞ、というもの。10年後になっていたい自分を想定し、そのためのスケジュール表をちゃんと作って、それに向かって何をやるべきかを考える。『いつまでにこうなっているぞ』は、目標であって夢じゃない」。目標は、成長に伴って変化もする。「知識が増えたら、何をやるべきかは変えてもいい。親は所詮応援しかできない。目標は自分で設定する。やり方を周りの大人やすでに目標を達成した人に相談するのもいいと思うけれど、最終的には自分で考えて、自分で動かないといけない」  最後に岡村さんは、「桃鉄の学校での使用に関して、いろいろ気付きがありました。皆さんが調査してくれたことを、教育版桃鉄にどう反映していくか。取り組みを進めていきたいです」と締めくくった。 知識ばかり教えていたらChatGPTに負ける  教育版桃鉄リリースの知らせをキャッチし、枚方市での導入をいち早く進めた立役者がいる。授業を参観していた枚方市教育委員会の浦谷亮佑(うらたに・りょうすけ)さんだ。   「4年生の社会科の都道府県の単元がどうしても暗記中心になりがちで、子どもたちが社会科を嫌いになるきっかけになっていた。教育版桃鉄を導入すれば、この問題を解消できるかもしれない」と考えたことが、導入の動機だという。現在では、枚方市の小中学校全63校に、教育版桃鉄のアカウントが配布されている。  導入に際して、不安を感じる教員たちを考慮した。月一で集まり、桃鉄を利用した授業案を共有する有志の研究会を立ち上げた。  「単に桃鉄で遊ぶだけじゃなくて、教科学習として先生がどう活用し、子どもたちがどう学びに変えていくかについて、きちんと研究しました。授業案は社会科が中心でしたが、国語科にも取り入れていました。ここ小倉小学校でも、6年生の『情報を適切に伝えよう』という授業で、自ら書籍とかインターネットで情報を集め、インタビューを行い、グラフ資料の作成などと関連付けました」  支援学級では予想外の効果が上がった。桃鉄で、所持金1千万円で500万円の物件を買ったとき、「残り500万か」と言えた。おはじきを使って教えても、数の概念や四則計算の理解が難しい子だった。  今回、桃鉄に枚方市を入れてもらうために説得するべき相手に実際に学校に来てもらった。「大人になると、相手の心を動かし、やってみたいと思わせ、アクションを起こさせなければならない時がある。クラスの友達に発表することも悪くないけれど、発表して『良かったね』と拍手をもらうだけでは不十分だと思っています。誰に何の目的で発表するのか、相手意識と目的意識が大事」。目指しているのは、「子どもたちがどれだけ本物に触れる体験ができるか」だという。  そのほかにも、枚方市ではICTを用いた積極的な取り組みが行われている。海外の日本人学校の子どもたちとオンラインで1対1の交流を行い、メタバース内に美術館を構築するためのクラウドファンディングにも挑戦している。枚方市の中学校が、文部科学省が進めるリーディングDXスクール事業「生成AIパイロット校」にも選ばれた。  「ICTはあくまでも子どもたちの学びを深めるためのツールです。本物に触れて、志とか夢とかをきちんと持ってもらいたいと考えています。今日の体験も、何人かに響けば、それだけで価値のあるものだと思います。先生方には、積極的に授業改善を進めていっていただきたい。これまでのように知識ばかり教えていたら、一瞬でChatGPTに負けますよ。あなただからできることは何か、子どもたちが学校に来るからこそできることは何かを考えてほしい」と訴えた。 悔しすぎたのでもう1回チャレンジしたい  ゲーム制作者からのリアルな講評を受け、6年1組担任の山本健斗(やまもと・けんと)先生は「先生も勉強になった」と授業を振り返った。  「授業の中での『物事を多角的に捉える』を先生もやった気になっていた。実際に学校の中で『それでいいよ』とされることと、社会で求められるレベルが違うと感じた。その分野で社会で活躍したいと思うなら、独自性を持ち、他と違うことをやってみることが大事。そんな話が、第一線で活躍している方から聞けた」  6年生たちにとっても、「一生に一度しかない貴重な体験」になったようだ。  資料の作り込みやプレゼンの練習を必死に行った分、「率直に『無理』は少し悲しかった」とショックを隠せない様子だった。だが、「プレゼンを作って、いいのできたなぁーとか思ってたから、だだの自己満足で終わっていたんだなと思った」「企画は、1回だけじゃ通らないという社会を知った」「自分たちが作ったプレゼンじゃあ説得できなかったし、もっと多角的に調べた方がよかった」「自分では調べたと思っていたけど、まだまだ調べる内容が薄かった」「辛口な講評が返ってきたけど、(他の班と物件の内容が)かぶりすぎているところとか、内容が薄いところとかが、その通りだと思った」と現実をしっかり受け止めていた。  「悔しすぎたのでもう一回チャレンジしたい」  「考えるのはタダだから、もっと頑張って大人の人でも納得ができるようなプレゼンをしてみたい」  「次はもっと詳しく、なぜそうなのかとかを調べてより説得力を上げたい」  「もっと調べて何回も提案して成功できればいい」  この悔しさこそが、次への成長のバネになる。
「桃鉄に枚方市を追加してください」 桃鉄ゲーム監督の前でガチプレゼン 大阪・枚方市小倉小学校の6年生(オーヴォ) - Yahoo!ニュース
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惡夢
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妳的身體是多麼的柔軟,他緊緊的抱著,他多麼想要保護懷中的愛人,但她的體溫逐漸冰冷。
路西法抱著妳,渾身顫抖,妳的脖頸有個矗目驚心的大窟㝫,鮮血泊泊,妳吃力看著黑髮惡魔,擠出一個虛弱的微笑
「嘿嘿...路西法哭了欸...」
路西法的眼淚和嘴裡的鮮血同時滴落在妳的身上,他不肯接受自己攻擊了妳。他的翅膀圍繞著妳,想要用他黑色的羽翼來守護那僅存的溫度。
他不知道自己為什麼失控了,在他舌尖上的鮮血是多麼的甜美誘人,但看著妳現在的模樣,路西法只覺得苦澀無比
「路西法...我好想睡喔...」
妳笑得是多麼的溫柔,但妳眼裡的淚水早已澿濕了妳的臉龐
「別睡!撐住!我不准妳睡過去!」
路西法顫抖的嗓音,平時的威嚴在此時消失無蹤。
妳緩緩抬起手,輕撫著他的臉
「魔界...七大統治者...傲慢的化身...長子...路西法...」
「別說話了...妳別說話了...求求妳...」
「路西法...我命令你...看著我...」
「...遵命...主人...」
傲慢的化身看著妳,眼裡全是滿滿的悔恨與懇求
「別離開我...求求妳別離開我...」
路西法破碎的聲音,顫抖的身軀,看起來是多麼的脆弱。
妳仍笑著,但眼裡的光芒逐漸淡去
「不!不!不!別死!妳不准死!給我回來!醒醒啊!別離開我!沒了妳我又是什麼?!回來啊!!」
路西法猛然睜眼,發現自己坐在床上,斗大的汗水和淚水混在一起,他重重的喘氣
這是什麼該死的惡夢?他憤憤的想著,下意識將手臂摸向妳的位置
空的...
空的...
明明才纏綿過後,就累倒在他床上的妳,消失了
想起剛剛的夢境,路西法恐慌的下床,難不成...他真的攻擊妳了...?
吚呀~妳推著房門,一跛一跛的走進來
「路西法?你怎麼了?」
妳疑惑的看著裸著上半身的黑髮男人,彷彿一隻找不到家的小鹿
路西法驚喜的望著妳,除了身上的咬痕和吻痕,妳平安無事
妳忍著腰痛,走到路西法面前
「你怎麼了?我只是去喝個水...嗚哇?!」
路西法緊緊的抱住妳,生怕妳又突然消失,。妳傻愣愣的貼著男人的胸膛,雖然不像比爾或迪亞沃羅那般寬大,卻也是相當結實、溫暖。聽他的心跳的同時,妳聽見了抽泣的聲音
「路西法...你在...哭嗎?」
「...別說話...」
路西法的傲慢試圖讓自己冷靜,但他哽咽的聲音出賣了他
「做惡夢了?」
不愧是妳,毫不留情的破壞他的台階,路西法哼一聲,便將妳打橫抱起,連同人一起摔在床上
「路西法你幹嘛呀?!我腰還痛著呢!」
路西法沒回應,看了妳一眼便將臉埋進妳懷裡
「路路路...路西法?!」
路西法突然的動作讓你害羞不已
「妳剛剛吃我豆腐,我要回敬妳」
「明明是你...嗚嗯!」
路西法吻住了妳的雙唇,撬開妳的牙關,靈活的舌頭在妳嘴裡肆意活動,彷彿要吸乾妳的甜美才甘心。
路西法終於放開了妳,妳大口大口的呼吸,鼓著腮幫子,腦怒的看著黑髮惡魔。
「你剛剛是為了什麼?」
「為了確認我剛剛只是做了惡夢...還有處罰妳剛剛嚇到我...」
語畢,男人又埋進妳懷裡
學小孩子耍什麼任性?!妳嘆了口氣,輕撫路西法的頭安慰道:
「要不要跟我說一說,你做了什麼惡夢?」
「...不要...妳也不准命令我說」
「好啦!好啦!不逼你,我親愛的傲嬌小孔雀!」
「...妳都和那些傢伙學了些什麼...」
或許是天色還早,路西法又很溫暖,睏意襲捲而來,妳打了一個哈欠,路西法溫柔的替妳蓋上被子,將妳摟在懷裡
「時間還早,睡吧」
妳閉上雙眼前,隱約聽到路西法呢喃了一句
「這樣妳就不會離開我了...」
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book final 2 pages (33-34) scan and transcription.
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とにかく、ガメツイのが印象深かった泉の精トリッシュ。イゴールと並んで皆勤賞?
Qテレビでときどきやっている「偶然見かけた、こんな人」に出てくる人たちは、いったい誰?
ゆ あの人たちは、私たちの大先輩、ってことになるのかな?
美 『女神異聞録ペルソナ』や『ペルソナ2罪』、『ペルソナ2罰』で活躍していた、ペルソナ使いの人たちだ。テレビの様子を見る限り、今は平和に過ごしているようだな。
風 そもそも、レポーターのトリッシユって人も、登場キャラクターのひとりなんだよね?体力回復の泉で、「痛いの痛いのとんでけー」ってやってたみたい。でも、すごい高額な謝礼取られるんだって。
順 オレたちゃ楽だよな~。エントランスに戻れば完全回復だからな。
真 しかし、彼らもペルソナ使いとしての力を持っているのに、今回の港区での危機には動く気配がなかったな······。
美 それは、彼らがペルソナ使いとは限らない、からじゃないだろうか。
真 どういうことだ?
美 企画担当者によると、本作では 「命の本質」を、時空間に何らかの変 化を与えようとする自発作用、 と定表している。 シャドウの能力とされる時空干渉作用は、つまり命あるものなら行使できる可能性がある。
真 力が不要な平行世界を望み······それを実現させた者がいる、と?
美 まあ、あくまでひとつの可能性だ。それはさておき、偉大な先輩がたをちょっと紹介しておこう。どこかで逢えるときに備えて、な。
ゆ 気づいた人いるかな?会える日はすべてその人のお誕生日です。マークが帰国中なのも納得ってカンジ。ブラウン、黒須純、アヤセは残念。
トリッシュの「偶然見かけた、こんな人」 キャラクターファイル
「見るからに姉御肌の二十代の女性でぇす。お姉さんはカメラマンさんですって!愛用のカメラは師匠から託されたものだとか」
4/9に登場するのは、黛ゆきの。通称ユッキー。1作目から登場している女性だ。『罪』ではカメラマン見習いだったが、その後、無事に夢を叶えまた模様。
「黄色いキャップで目立ちまくりの二十代の男性でぇす。海外で、あーとを勉強中のお兄さん。一時帰国中に会えたのは奇跡かも?」
7/11は1作目に登場したマークこと稲葉正男。高校時代からアートとヒップホップを愛していた。『罪』、『罰』で はアメリカ留学中のため出番なし。
「ブロンドヘアーが眩しすぎる二十代の女性でぇす!お姉さんは元アイドルなんですって!そりゃ、信号待ちでもオーラ出まくりだわ!」
5/4に登場するのはリサ・シルバーマン。通称ギンコ。生粋のアメリカ人なのに、母国語はすっかり日本語。カンフー映画好きでインチキ広東語も操る。
「トリッシュの好みで声かけちゃいました!イケメンの二十代の男性でぇす。お兄さんみたいな刑事さんを目指しているんですって」
7/27に登場するのは『罪』の主人公、周防達哉。『罰』にも登場している。高校3年だった当時は兄に反抗していたが、すっかり素直になってようである。
「口元のホクロが魅力的な二十代の女性でぇす。お姉さんはセラビストなんですって。癒されたいですよねぇ」
6/4登場の園村麻希は、1作目から出演。高校時代は体が弱い少女だった。『罪』でカウンセラー見習いとして登場したが、その後、資格を取ったようだ。
「仏頂面の···もとい!え、営業マンの二十代男性でぇす。前髪で隠してるけどわかりますよ、額の傷。壮絶な少年時代がうかがいしれますね···」
8/18登場の城戸玲司は1作目から出演している。ワイルドな不良だったが『罪』では営業成績がよくないサラリーマンに。リストラされてなくて何より。
「サングラスと腰まで伸びた長髪がいかつい三十代のおじ···じゃなくてお兄さんでぇす。 お兄さんに職業をしつこく聞いたらすっげぇ怒られました。怪しいなぁ···」
6/13は、『罰』に登場したパオフウ。 本名は嵯峨薫。盗聴バスターやハッキングなどの裏の仕事を営んでいた。そりゃ、しつこく訊いたら怒られるだろう。
「個性的なショートカットが素敵な二十代の女性でぇす。帰国子女で英語ペラペラ。スタイルもいいし···リアル才色兼備ですね!」
9/21はエリーこと桐島理子。1作目から登場 で、『罰』では大学に通いつつフアッションモデルをしていた。モデルの仕事はまだ続けてるのだろうか?
「知的で勝ち気な雰囲気丸出しの二十代の男性でぇす。スカーフやジャケットの背中にかたどった“1”のデザインは、こだわりなんですって!」
10/2は大人気の南条圭。通称、南条くん。桐条の出自、南条財閥の時期総裁。1作目から出演し、『罪』ではオックスフォード大学に留学中だった。
「青い髪と化粧とギターケースでかっ歩してた二十代の男性でぇす。お寿司屋の修行とバンドを両立するお兄さんは、昨日お誕生目だったとか!」
11/16のお兄さんは三科栄吉。『罪』で登場し、ミッシェル、死神番長、バンツ番長などの異名を持つ。当時組んでいたバンド名は「ガスチエンバー」。
「目の下のホクロで大人の色香全開の三十代の女性でぇす。お姉さんはフラメンコの心得があるそうです。バラの花をくわえちゃったりするのかな?」
11/30 は『罪』『罰』に出演の芹沢うらら。下着メーカーの社員で、男運が悪い。結婚詐欺で自分を騙した男を殴るため、ボクシングジムに通っていた。
「スタイリッシュなスーツの着こなしの三十代の男性でぇす。お兄さんは、お菓子作りが趣味の刑事さんだそうです」
12/30は、『罪』の主人公達哉の兄で、『罰』に登場する周防克哉。熱血刑事だが密かにパティシエに憧れてたという過去がある。猫とカレーライスも好き。
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alaephoenicis · 8 months
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「答えは愛」
「で、質問は何でしたっけ?」
Dr. アリーナ・レセニヒによるインタビュー
ゲスト:サンユ
オリジナル動画:https://youtu.be/ZJSXAyWoPw8
【和訳】 ALAE PHOENICIS by Telegram
サンユとは
Dr.アリーナ・レセニヒが「サンユ」を紹介:
サンユは私にとってとても特別な人。4年半前に出会ってから、私の人生はとてつもなく変化し、良い意味でひっくり返りました。それ以来彼女と共に歩んでいます。あらゆるレベルでの学びがあり、そ��までの人生では想像も出来なかったことを実行できるようになりました。今やれていることは以前はとても出来ませんでした。私はとても怖がりな人間だったからです。特別な時代に、流れに逆らって泳ぎ、自分の顔を公に晒して啓蒙活動をし、多くの逆風を受けて…それでもって、結構楽しくしていられるなんて…誰も信じなかったでしょう。きっと叫びながら逃げ去っていました。
そして、考えたこともなかったような新たな人生の基準も得ました。
人との付き合い方や、自己表現の仕方はとても自由になり、彼女のおかげで濃い喜びを感じるようになったことで、人生が良きように代わりました。
本日、私のスピリチュアルな師であり、愛する友人であるサンユが来てくれてとても嬉しいです。
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アリーナ:こんにちは、チョコ・マウス(笑)
サンユ:こんにちは、愛すべき人(笑)
アリーナ:来てくれてありがとう。彼女には大方50回ぐらいお願いしたのよ、私の公開インタビューに来て「愛」と言うテーマについて語って欲しいって。だって、それがサンユ自身であり、サンユが人生で体現していることであり、彼女を構成するすべてを表現しているから。
彼女は常に断っていたのだけど、あるとき私は彼女が弱気になった瞬間を捉えたわけ。とっても嬉しいわ。でも、エンジェル、どうしてこんなに時間がかかったの?
サンユ:…愛とは、永遠から来ているもの。言語とは、限られたツール。ということは、何かを言葉にする度に、私は「これは完全ではない、何かが違う」と感じる。それは「大海を風呂桶に流し入れる」ような感覚がする。そして…(口ごもって)
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サンユ:それに...言語は、「味」を伝えることが出来ない。もし、私が今、あなたの知らないインドの果物の味を教えたくて、「想像してみてね、噛み心地はデーツとバナナを合わせたような感じで、甘みはラズベリーとキウイとパイナップル、でもそれほどジューシーではない」って描写するとします。…どれぐらい時間が掛かる?
アリーナ:決して無理な話ね。
サンユ:もし、果物の味さえも伝えることが出来ないならば、「たったひとつの味」をどうやって伝えられる?
一方で、言語はガイドにもなる。あなたが「塀を作りたいのだけど、どうすればいい?」と尋ねてきたとすると、「石、次に粘土、石、粘土…これを積んでいけば?」って伝えて、何が起こるか見てみましょう、となる。ここで私がどう思うのかはどうでもいいの。あなたが私を信じようが信じまいが、どうでもいい。要は、あなたが「この体験」に心を開けるのかどうか。そして、単純にまる一日、石と粘土を交互に積み上げてみれば、出来上がったものと「塀」とに結びつきを見つけられるのかどうか、あなたが自分自身のために知ることができる。こうして、「言語」は道標にはなる。
そうやって、あなたは私が弱気になる瞬間を捉えたわけ。
アリーナ:なんて、素敵!
でも…「愛」とはあなたにとって何なの?「とても言葉には出来ない」っていっているのはわかったけれど、それでも言葉にしてみようとするならば、どのように描写する?どういう意味で言っている?
サンユ:私のいう「愛」とは、二人の人間がお互いに「愛している」といい、それと同時に「他の人は愛していない、もしくはより少なく愛情を感じている、もしくは別の種類の愛情である」ということを示唆するものではないわ。私が話そうとしている「愛」とは、そういうジャンルのものではなく…
アリーナ:でもそれが、殆どの人が「愛」だと思っていることでしょ?
サンユ:そう。その通り。
私の云う愛は、ある種の、深くて普遍的な真実で、それは私たちの心の器の底の方に眠っている。そして、一つ一つの心は、巨大なダイヤモンドの一側面であり、神聖さを映している。すべての側面(ファセット)は、その神聖さを自分なりに映し出し、その他のあらゆる心を同じように照らす。なぜなら、それらも「自分なりの神聖さ」を映し出しているから。
つまり、私の云う「深い愛」とは、ひとつには「創造物全体の中に在る意識はたったひとつ、唯一の愛流である」ということ。そして私たちはこの愛を源泉として湧き出ているということ。愛という根源が私たちを織りなしてる物質。それが、私たちをここに生み出した意図だということ。
創造物は全体でひとつをなしており、人は誰でも、その「唯一の光」から生まれ出た。
私たちの身体は個性という差異のある世界に生まれ、その物質的なレベルにおいては多様性という原理がある。しかし、その物質的レベルの背後には、非物質的なもの、スピリチュアルなものがある。そして、そこにはこの、たったひとつの流れしか無い。
そして、ふたつ目の秘密。これは誰でも、望みさえすれば自分の中に発見できる。それは、私たちが永遠の存在だということ。生み出されたこともなく、死ぬこともない。私たちはスピリチュアルな精神的存在で、人間的な体験というのを80年とか90年間ぐらいをこの身体の中味わう。そして、身体が亡くなっても、私たちは未だそこに在る。つまり、私たちは永遠なる意識体として、時間制限付きで人間としての経験をしている存在だということ。
アリーナ:OK。ご説明ありがとう。でもね…
それは私たちが日常体験していることではないわ。だって、私たちはお互いに別々の存在としての体験をしている。分離され、孤立し、殆どの他人のことはどうでも良くて…なぜ、そうなのかしら?
サンユ:私たちにはある種の社会的に導入された催眠、心理的条件付けが施されている。「私は私の身体であり、私のマインドが考えているものであり、自分の過去を合計したものである」、そのように教育されている。いわゆる「ボディ=マインド・アイデンティティ」と呼ばれるもの。それはとても精鋭な輪郭を持っていて、形があり、顔があり、名前がある。「ここに居る私以外は、その他の世界」だと思っている。それを私は「分離のアイデンティティ」と呼んでいる。
エゴとはEGO - edged God out - つまり、普遍的な宇宙意識は自意識から追い出されている。まるでメルヘンにあるように、偽の王様(EGO)が王座に座り、本物の王様が追放されている状態。
アインシュタインは、こうして私たちが互いに分離していると思い込んでいることを「意識の視覚的錯覚」と呼んだ。
アリーナ:そうね… では何故、EGOと同一視するのをやめて「愛の意識」の中で生きることが大事なのかしら?
サンユ:量子物理学、そして古き叡智によると、私たちは自らの精神を以て、その現実・人生・世界を創造しているとのこと。イエス・キリストは「汝の信じる通りのことが、汝に起こる」「汝が考えるものに、汝はなるだろう」といった。
量子力学は「あなたの思考が、あなたの現実を創る」とした。
一日に、6万の思考がマインドに入ってくる。天才と統合失調症の人には一日8万にまで至ることも。
つまりそれは、まるで宇宙飛行士のヘルメットをかぶっているような感じで、その中では6万の思考が軌道に乗ってヒューヒュー飛び回っているようなもの。私たちは自己解釈の世界にいる、(頭を指して)これはストーリーテラーなわけ。これは毎秒毎秒、ストーリーを創り出していて、私たちはシミュレーションのような世界の中にある。
ここで、例え話をすると、真夏の暑い中、アイスカフェの外席に100人ぐらい座っているとして、そこへ想像を絶する驚くほど美しい女性がやって来る。ミニスカから覗く長くてスリムな足。豊満な胸。とにかく華麗そのもの。彼女は前列にあるすべてのテーブルの間を通り抜ける。最初のマインドが思うことは「ワオ!なんて美しいのかしら!…毎日鍛えてるの?どうしよう、私はもう半年もちゃんとトレーニングしてないわ。いい加減にジムに行こうとずっと思ってたのに。ああ、でも毎月の費用を払えるかしら…でももうイヤ、お腹はダボついているし、足だって…明日絶対に申し込みに行こう」。次のマインドはこう思う:「なんて女。あんなのと付き合いがなくてよかったわ」。その次のマインド:「まあ…60年前は私もああやって人生を楽しんだわ。人生の春は本当に良かったわ。でも正直なところ、80歳になった今は、あんな虚栄心市場で誰かと張り合ったりしなくていいので私は楽だわ。あの娘はせいぜい楽しめばいい」。次のマインド:「なによ、売春婦みたい。この世は売春宿じゃないのよ。もうちょっと肌を隠せないのかしら。親にしつけられていないの?破廉恥な」…等等。
あ、一つ忘れていた。もう一つのマインドは「おお!あの娘とベッド・インしたいな。でもあんな外見の娘が僕になびいてくれるはずがない」というやつ。
そこで、懸賞付きの質問。このアイスカフェの客たちは「誰」を見ているのでしょう?
アリーナ:誰もが、自分のことしか見ていない。
サンユ:その通り。誰もが、この美しい女性をスクリーンに���立てて、自分の価値観、自分が癒せていない心の傷…または自己の存在価値に残された傷、自分の夢や願望、世界観、人間観を眺めている。
彼女はスクリーン。(頭を指して)これはスライド投影機で、スライドを差し込む割れ目がここにある。そしてこれまで自分が溜めてきたすべての条件付け・刻印・プログラミング・パターン・過去が、このスライドに入っている。このスライドを通して、自分自身をこの女性に見ている。…ということは、私たちはかつて、自分自身以外をこの世の中に見たことがない、ということ。誰もがこの女性の中に別人を見ているだけではなく、誰もがこのアイスカフェという同じ場所に居るのに、そこには100種の世界があって、ひとつは爆発せんばかりの楽しい気分になっているのに、1,5メートル先の席では爆発せんばかりの憤りを感じている。誰もが、自分だけの世界に生きている。
そうなると、トランプについて、コロナについて…何に関しても、誰かの意見に耳を傾けたところで、世界についてそんなに多くのことはわからない。実際には、「世界とはこういうものである」と主張している人物のことが、本を開くように見せられているだけ。
私がまだ、診療所を営んでいたころ、多くの愛すべき患者さんたちがやってきた。コロナの期間に関していうと、ある人は人類史上最大の残酷で邪悪な黙示録を目前にしており、ある人はパラダイス・黄金時代へ移行する直前のように感じていた。そしてその中間には更に、様々な色彩があった。そして、全員が同じ惑星に住んでいるのに、そこには75億種類もの世界が存在しているのは驚くべきこと。
エゴ意識には、いくつかの強迫観念がある。
その内のひとつは、分極化という意識。こいつは常に審判しないと気が済まない。審判のひとつは、世界を善と悪に区分化することで、当然、善側は私だ、となる。
アリーナ:違う違う。善側は私よ!私の方が善側よ!
サンユ:あら…(笑)言っておくけど、あなたは邪道に走っているわ。私たちのどちらか一人が善側なのだとすれば、それはどちら?
アリーナ:そう、それは私よ。善側は私。
サンユ:アハハハハ!じゃあ、こうしましょう。「私たち」は善側ね?OK?(アリーナ:OKよ!どっちにせよね(笑))
それで、「善良」だと謳ってきた者たちが残してきた血痕を辿れば…善良なキリスト教徒たち、善良な回教徒たち、善良な資本主義者たち、善良な植民地主義者たち、善良な共産主義者たち、善良な国家社会主義者たち… これらを振り返ると、私たちは本当に「善側」に属したいのかわからなくなってくる。そして意図的ではなかったことは確かであろうと、どうやら地獄への道というのは「善良」という名の石畳で張り巡らされている。
人類の歴史は、人類の歴史を何一つ教えてくれていない。今のところはね。でも、それはこれから変わるかも知れない。(アリーナ:今がチャンスよ)そうね(笑)。私たちには、自分自身と世界を別の形で眺めることが出来る。その別の形とは、創造物を全体として捉えることと、すべての小さなパーツは大きな全体を反映している。ラテン語の pars pro toto (一部が全体を代表)。小宇宙は即ち大宇宙である。イエスの述べていた、天界は即ち地上界、鏡の法則、アナロジーの法則。露の玉がどれだけ小さかろうが、それは創造物全体を反映している。どういうことかというと、私がこの世で目にするもののすべてを、私は自分の中に見出すことが出来るし、私が自分の中に見出すすべてを、私はこの世に見出すことが出来る。
そして…私は何に対して戦おうとしているのだろう。
そこで、あなたの「EGOから離れて「愛の意識」への移行がなぜ大事なのか」という質問だけど、アインシュタインの言葉を借りると「原因がつくられたレベルでは、その問題を解決することが出来ない」ということ。
アリーナ:つまり、憎しみは憎しみをもって解決できないし、怒りは怒りをもって解決できない、ということね?
サンユ:そういうこと。だって、不安・憎しみ・憤りといったものは、分離のアイデンティティから起こったものであり、この問題解決には、上位の階層へ移行しなければならない。それが「一体感」という意識。ワンネス、統合、愛���
そして…病んでいるマインド(意識)は、分離のアイデンティティという幻想の中にあり…つまりワンネスを破り飛び越えてしまっていて、断片化された世界を創造してしまう。
マインドが健全ならば、それは愛の意識の中にあり、愛に満ちた世界を創造することになる。
アリーナ:ここで、ちょっとプライベートな質問をするわね。あなたは心理セラピストであり、27年間いくつかの診療所を営んできたけれど、あの巨大な「C危機」がやってきたとき、あなたはあなた自身や何よりスタッフに、今後どのような規制が及ぶのかを懸念して、診療所を閉鎖する決断を下して、それまでほぼ500㎡の敷地にある大きな家に住んでいたのに、今後何をどうするのかわからないまま、ほとんどすべてのものを手放したわけだけど…
サンユ:でも知ってる?以前、私はいつも鍵を探しまくっていたでしょう?でも今は、この惑星で私の車の鍵はひとつしか無いのよ。なんという気楽さ!(笑)
アリーナ:それがまたあなたらしいわね。生活基盤のすべてを失ったのに、鍵が減ったって喜ぶなんて。でも、あんな形で自分の生活基盤を手放すよう強要されて、あなたにとってそれはどういうことだった?
サンユ:強要された?(アリーナ:ええ)
ねえ、ちょっとしたゲームをしない?(アリーナ:いいわよ)
私は思春期の娘で、あなたは私の母親ね。
あなたは娘に、自分の人差し指で自分の鼻を触らせたいの。
娘の私はそれを最高に馬鹿馬鹿しいと思っていて…だって子供が思春期になると親ってなんだか変になるのよね。私はそれが嫌で。母親のあなたは云うことを聞かせようと頑張って欲しいの。
アリーナ:わかったわ。
サンユ、人差し指で鼻を触ってご覧なさい、いい子だから。
…サンユ?…ほら、鼻を触ってよ。ねえ、触ってったら。今すぐに!
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指図を受けて、うつむくサンユ
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しつこく言われて、目をそらすサンユ
サンユ:OK。ちょっと待って。
では、云う通りにしなければ、どうなるの?
アリーナ:4週間テレビ禁止。3ヶ月間外出禁止。次の誕生会は3回なし。それとxボックスも3ヶ月間禁止。
サンユ:ちょっと待って…(上の条件を復唱すると、アリーナが肯定)。
ふーん…(しばらくうつむいて考えてから)
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ゆっくりと鼻を触るサンユ
サンユ:エンジェル、(満足そうに微笑むアリーナ)今、決断して行動したのは誰?
アリーナ:あなたね。
サンユ:(頷いて)正解。どこで強要されたのかしら。私がやった。自分の決断。
そしてあなたの質問は、それがCの時期にどのように反映されたのか、ということよね…(しばらく考えて)そうね、アジェンダ2030を取り上げましょう。ワーストケース(最悪の場合)は、信じがたい虐殺があり、生存者は皆バイオロボットに変身。
私はそれ同類のものを自分の中に見いだせるのだろうか?
長く探す必要はない。私も人生の最初の3分の1はお肉を食べていた。たった3センチの口内で味わう喜び。如何なる呵責も感じずに、敢えて…いえ、何も考えてさえいなかった。この3センチの喜びのために、誰かが動物を一生「収容所」で虐待し、苦しませることを容認していた。
ここで誰かが、「サンユ、だって人間とは違って、動物なんだから」って云うかも知れない。それは理解できる。けれど、動物の痛覚は人間と変わらないことも今は知っている。動物も人間と同じように愛情を感じること、そして自分以上に子供に愛情を掛けることも知っている。私にとってその点で、人間と動物の区別がない。やっぱり「感性を持つ存在」。その意味で、それを主義として自分の中に見出すのなら、何に対して私は戦闘をおこなうのだろう。それでも、だからといって私はそのアジェンダに自分を差し出すつもりはない。全くない。どちらかといえば、私はその主義を自分の中に再発見しようと決断し、自分の中で統合しても、今後はマニフェストしなくて良いということになる。これは他のテーマにも繋がってくる。
「お前はクリスマスも大晦日も、家族と過ごしてはいけない」と言われれば「はあ、そうですか。ご説明ありがとう。でも私のつもりは全然違って、当然クリスマスを家族と過ごすために会いに行きます」と言うでしょう。
そう。当時、私はマスク解除証明を発行していたことで、警察との対峙があった。そして、自分の中のどこに“警察”を見いだせるのか、自問した。すぐに明らかになったのは、彼らは「自分たちの世界」、つまり「階層構造と秩序で成り立っている法と規律と義務と権利の世界」を愛しているということ。そして、彼らは自分たちのやり方で、自分たちのツールを自分たちの世界のために駆使する。私は自分のやり方で、自分の世界を、彼らとは違う手段で確保しようとするわけで、そこには当然差異がある。それでも、自分の世界を確保しようとする主義主張を彼らは映し出していた。そこで私は争う必要がない。
私に言えるのは、「ご訪問ありがとう。当然、私は証明書を発行し続けますが、この問題をどう解決しましょうか」ということ。「私は罰金を払わねばならない?なるほど。私がそれを受け入れたいのか、よくかわからないので、様子を見ましょう。私の子供はマスクを着用すべきということですが、何故なのかご説明いただけますか?あなたの見解は興味深いですが、私にとってはそれは全くもって真実ではないし、重要でもありません。私の子供がマスクを着用せずにいられるよう、何でもやります。父兄イニシアチブを設け、動画を構成し、なぜマスク義務に反対なのか説明します。その他の組織に働きかけ、法律家に相談します。これらのすべてに効果がなければ、私は子供を学校には行かせません。そして、あなた方がホームスクーリングをさせたくないのであれば、私たちは国を去ります」。
「あなた方は、私にワクチン接種を受けさせたいのですか?なぜ?絶対にイヤですね。どうしましょうか?私は刑務所行きですか?OK。この転生では私はまだ刑務所に入ったことがないです。では、外からの条件に縛られないで自由に生きるための訓練を喜んでさせてもらいます。それは何時からスタートしますか?」
これらはひと言で言い換えると、「no war(戦争反対)」。
私は繋がり(connected)続けていたい(訳注:高次の自分と)。この、何事もジャッジしないという繋がり(connection)。ドイツ語のUrteil (音:ウルタイル/意味:審判・ジャッジ) という言葉は良く出来ている。Urーというのは原初・オリジナルなものを指し、Teilというのは「部分、分けた一部」と言う意味。原初の段階ではひとつだったものが、意識によって分割されているからジャッジが起きる。
そうして、審判・ジャッジするいかなるものにも、私はエネルギー的に連結しようと思わない。それは私を弱らせるので。
つまり、私は自分自身のエネルギーの中に留まり、そこと繋がり続けます。それは当然「民事不服従」ということになる。だって、私の世界で不正が正義として扱われるのなら、民事不服従とは「愛の行動」だということになり、服従こそが犯罪。私が愛に満ちた抵抗の道を選ぶのは当たり前じゃない?でも、そこには憎しみも分断もなく、戦争も起こらない。
アリーナ:わかったわ。そこにあるのは唯一、愛だけ、ということね。でも、それならばこの世の邪悪はどうなるの?
サンユ:(大きく頷いて)…うーんと。
同様のイメージとして… 「電流」をとってみましょう。ラジオに電流を流すと音が出る。電球に流すと明かりが灯るし、ヒーターを通すと暖を取れる。
このイメージをもって、「愛」という流れを想像すると、権力志向の人の頭に差し込まれたスライドのフィルターを通った結果、その愛は「暴君」という姿で映し出されるかも知れない。
別のフィルター、お金に執着する人のスライドの場合、愛の流れがやって来ると、その先の結果は窃盗犯かもしれない。
3つめのフィルター、3つめのマインドセットであるスライド。それは宗教的…もしくは政治的思想。愛の流れがその意識フィルターを通ると、果には狂信的なテロリストが表現されるのかも知れない。
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愛流は、どんなマインドセットによって濾過されるかで、最終的表現の形が異なるだけ
どんなスライドがフィルターになっているかによって、結果は歪み、果には倒錯的なものにまで至る。
だから、いわゆる「邪悪な人物」というのも、自分がやりたいようにやる権利がある…もしくは、それをするのが正しいことになるのかも知れない。…例えば自爆テロ…そうして他人を死の巻き添えにするとか。その者のマインドセットからは、それは正しい行動ということになっているか、もしくは「自分にはその行動を起こす権利がある」とみなされている。
改めていうと、私は彼らを正当化しているのではなくて、心というのはジャッジに興味がなく、ひたすら「理解したいだけ」なのです。
2000年前のベストセラー(訳注:聖書のこと)には「隣人を自分のように愛せよ」とあったけど、私には「隣人を自分自身として愛せよ」と聞こえてくるし、その声から更に「敵を愛せよ」とも聞こえてきた。
そして、ここであなたに質問するけれど、私は「隣人(訳注:原語では「最も近くにいる人)」そして「最も遠くにいる人」を愛すべきだという。では、この最も近距離の人と、最も遠距離の人、これら両者の間のどの辺りに切れ目があるのか?
どういうことかというと、ファウチだとか、ゲイツだとか、ドイツ健康相のラウターバッハだとか、シュワブだとかなんだとか…みんながこの中に含まれている。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」。
では、彼らは何故、知らないのでしょうか?
彼らは、自分たちが何者かを、知らないのです。
自分が永遠の意識体であり、しばしの間、短い体験をするために肉体に宿っているだけなのだ、ということを知らなければ、その無知から苦悩が生み出される。それは、無常のものにしがみつくことであり、死に絶えてゆく儚さへの恐怖がそこにあり、自身をそれと同一視していると、その他の創造物と自分とは分離しているという世界観にあり、そのために利己的考えに陥って、その他の世界と自分との繋がりは絶たれてしまっている。
この世の犯罪のすべては、加害者が被害者と自分を同一視しないことから起こる。
だからこそ、私たちは自分の意識に働きかけ、エゴという意識によって生み出される分離分断を手放し、ワンネスの意識に至ることに価値を置くことになる。
アリーナ:うん…それで、この世の行く先についてのあなたの予見は?終末の世がやってくるのか、それとも新世界の誕生へ向かうのか。
サンユ:…蛹にとっての「この世の終わり」というのは、この世にとっては「蝶の誕生」を迎えること。
私たちは今、本当に自分たちがどのようなプロセスの中の、どの地点にいるのか、わかっているのだろうか。
私にはわからない。
ただ、愛というのは「目的地点」にとらわれてはいない。
想像してみて。今日が月曜日だとして、木曜日にはこの世のすべての核爆弾が投下されるとする。どの島だろうが、逃げ場はない。そこで、あなたの玄関のベルがなり、開けてみると誰もいないので、ドアを締めようとした時、足元の玄関マットには赤ちゃんが寝かされていた。木曜日には世界が崩壊すると知っているあなたは、足元の赤ちゃんを有機ゴミに出すだろうか?それとも、抱き上げて栄養を与え、おむつを換えて愛撫し、木曜日に原爆が落とされたら、自分の身体で赤ん坊を覆い、守ろうとするのだろうか。
それはつまり、愛は「結果とは無関係」だということであり、結果は自ずと現れてくる、それだけのこと。
アリーナ:そう、そういうことなのよね。ありがとう。私は皆さんに、身体的健康について自分の知識をシェアしたいとは思っていますが、その他にすこしでも、感情面、そしてスピリチュアルな側面についても自分が学んだことを、皆さんんにシェア出来ればと思って。
〈2022年秋に開催されたワークショップ・セミナーの紹介〉
サンユ:私たちの核となるものは、永遠に神聖であり続ける、これは全く持って素晴らしいこと。どういうことかというと、私たちの奥深くにある自然は太陽であり、人生において何が起ころうと、この太陽は決して破壊されることはない。この核心は永遠に神聖なまま。
スクリーンに上映されているのはホラー映画だったり、アクション映画だったり、家族ドラマだったり。しかし、上映が終われば、スクリーンは真っ白に戻り、なんの破損もなく、焼き跡もついていない。全く変化はなく、壊されることはない。私たちの内なる太陽(光)とはそういうもの。
人生を歩む中には、転生という観念、つまり別の人生の存在と共鳴することがある。人生は今回一度きりと考える人たちは、スラグのようなものに撒かれている。つまり幻想が玉ねぎのような層になっていて、そうした「概念(コンセプト)」に覆われている。それは分離の意識という誤った知覚であり、傷心、被害者意識にまみれている。
私たちが取り組むべきことは、この覆われた殻を取り外していくこと。
これはミケランジェロの説明に通じるものがある。
「こんな、雑な大理石の塊から、君はどうやってこの世のものとは思えないほど美しい、あのダビデのような姿を掘り出すことが出来るのか」という問に、彼はこう答えた「ダビデは既に大理石の塊の中に居るんだ。私はそれを覆っている余分な部分を取り除いているだけ」。
私たちはみんな、まさにそれをやっている。私たちは、真実ではないものはすべて、幻想として見抜くようになり、時と共に内なる光は自ずとして輝き出してくる。
こうした概念を自覚していくワークは大事。
私たちはあまりにも多くのことを、信じ込んできた。
そしてもしかすると、信じてきたすべてのことが、真実ではなかったのかも。
それで、人類は自分が考えていることを信じてきたために、苦悩してきた。繰り返して言います:もし、私たちがこれまで考えてきたこと、これが嘘であったのなら、これを信じていれば私たちは苦悩することになる。
しかし、素晴らしことに、宇宙は私たちの内部にナビシステム、いわゆる「感情ガイドシステム」を設置してくれた。私の感情は、私にとっての方磁石のようなもので、毎秒の如く私の日常、そして私の人生に寄り添ってくれている。
そして、アインシュタインはこうも言った:「私は神の思考が知りたい。それ以外は二の次だ」。
では、神の思考とは?実際には神は思考をしておらず、存在そのものなだけだけど、イメージとして、神という存在が思考するならば、。それは愛という思考。
もし、私たちが宇宙に漂う愛の思考と一致して振動しているならば常に、私たちは感謝、感激、献身、結束、幸福を感じるはず。
しかし、もし私たちが宇宙の思考と一致して振動していないのならば。即、憤り、悲しみ、失望、傷心…いわゆるネガティブな感情に襲われることになる。
そして、そのようなネガティブな感情が降りてきたときこそ、高次の自分はあなたに向かってサインを送っている:「君は今、君の真実とは共鳴しない振動の仕方をしているよ、戻りなさい」。
私たちはこれを学ぶべき。〈部分的にワークショップの内容紹介〉
アリーナ:締めくくりに、何か私たちに向けて言っておきたいことはあるかしら?
サンユ:アインシュタインの引用だけど、「人は、最初から実現不可能に思えるかどうかで、その思想の良し悪しを見極めることができる。それゆえ私は、希望するすべての人たちとともに、愛の思想、愛に満ちた世界をあえて夢見るのである」
そして、ヴィクトル・ユゴーの引用:その時が訪れたアイデアほど大きな力を持つものはない。そして今、約1万3500の戦争と36億人の死者を経て、ついに愛の時が来た。
安全を守るために自由を放棄すれば、自由も安全も失いかねない。
そして、安全とは港に停泊する船でもある。しかし、船はそのために造られたのではない。
そして今、変化の風が吹くとき、私たちは何を望む��だろうか?
防護壁を作りたいのだろうか?それとも風車を作るのか?
防護壁とは、抵抗すること、コントロールすること、しがみつくことを意味し、風車は手放すことを意味する。
そして時には、自分らしくいられるようにするため、私たちは自分らしさを手放さなければならないこともある。
そして、ケーテ・コルヴィッツ(ドイツの女流版画・彫刻家)はかつてこのように言った:私たちの才能は、使命である。(ドイツ語で才能は「ガーべ」、使命は「アウフガーべ」)
そして、私たちのガーべが誕生時に託されるものならば、今私たちはどうすべきなのか。闇について嘆きたいのか、それとも明かりを灯したいのか、そして、私たちのガーべを昼の光に晒し、大いなる全体に捧げ、私たちが己の道を行くことで愛の意識へと到達することを望んでくれる人たちのために、どんな明かりを灯すのか。
なぜなら、きっと今こそ人類史上最も重要な革命の時代が訪れているのだから。政治革命ではない。経済革命でも、社会革命でもない。
起ころうとしているのは、自己の意識変容。分離のアイデンティティから、愛の愛テンティティへと移行しようとしている。
マハトマ。「偉大なる呼吸」と言う意味。
マハトマはこう言った:「あなたがこの世に見たいと願う変化、あなたがその変化になりなさい」。
彼は、何故そのように言ったのでしょう。
それは、私たちはひとつであり、分離した存在ではないから。
そこにあるのは大きなひとつの意識という大海。
私たちは人間という意識領域の中に、互いに繋がり合いながら集団として存在している。
あなたが成し遂げる如何なること、どんな針穴をあなたがくぐり抜けようと、それは何処かの誰かに何かをもたらし、この誰かも、自分なりの針の穴をくぐり抜けている。
そして、何処かの誰かが自分のためにくウォンタム・リープを成し遂げたとして、それはあなたに跳ね返ってきて、もしかするとあなたは自分にとっての新しいレベルへとジャンプすることになるのかも。
一人は万人のために、万人は一人のために。
そして…危機というものが来るのは大抵、ある種の生き方がもう耐え難くなった時。
そして、問いかけるべきことは「すべての社会には、それ相応の革命が起こる」ということ。そして今、私たちは愛の革命を望むに値しないだろうか?
アリーナ:私はそれにイエスと答えるわ。そして、その道へ向かおうとする誰もを、喜ばしく思う。
サンユ:そして、その道へ向かおうとしない誰かをも、喜ばしく思っていいのよ。彼らが己の道を往き、自分の魂が求める全てを得ていけるよう、願いましょう。
アリーナ:その通りね。私のエンジェル、一千回、感謝を述べさせて。
サンユ:ありがとう。百回分の感謝をお返しするわ。
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keredomo · 8 months
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愛の完成
 あなたが殺してくれと言うので、それなら一緒に死のうよ、と返した。  その即座の返答が、あなたには意外だったのだろうか。少しだけ悩んだそぶりを見せてから、そうするかあ、と返事が来る。あなたがその返事を打ち終えるまで、「……」と表示されるメッセンジャーのトーク画面を見つめていた。ようやく覚悟が決まったらしい文面に、「やった、念願の心中だ」とわたしは無邪気に喜んでみせる。あなたの数秒のためらいはなかったことにしながら、努めて無邪気に。「ようやく一緒に死ねるね」と。たった数秒かけて打ち込んだだけのあなたのしょうもない覚悟、その覚悟なんかに何の意味もないことを察しながら、それでも努めて無邪気に、無表情のまま、文面だけは無邪気ぶって同調し、あなたのそのか細い不安の尻尾を捕まえて自分のものにしようとする。  それは醜悪な独占欲の行使だったが、やっと、やっと捕まえたと思ったのだ。死の匂いのする愛の場処に、ようやくこの人を引きずり降ろしたのだと。
 *
 「殺してくれ」と言われて、「一緒に死のう」と返す。その姿ははたから見ればまるで幼い茶番のようだが、まったく笑えも救われもしないのは、私たちがこれらの言葉を至極本気で言い交わしているからだった。  われわれの交わす言葉に嘘も虚飾もない。それは、数年来、知力の限りを尽くして言葉によってやりとりしてきた関係の守ってきた、唯一の約束だった。ほかに何も交わせないからこそ、それだけは決して破ってはならない約束。言葉という、そもそもが虚飾になることをまぬがれないツールにおいてその約束を結んでしまった以上、われわれは言葉の粗さによって生の実を歪めることを受け入れ、それによって隙のない盤石な関係を築き、「われわれの倫理」という誰にも踏み込むことのできない倫理領域を作り上げた。われわれはその倫理の国の薄い空気のなかで必死になってのたうちまわってきた。いよいよ酸素も足らなくなり、死んでしまおうと計画し始めたのだった。
 息も絶え絶えになってしまった私たちは、本気でこんなことを言い交わして、しかし心に飼っている理性は、われわれがこの心中計画をどうしたって実現し得ないことを知っていて、あからさまに失笑してみせる。互いの頑強な理性がストッパーを担っていることを、本当は互いにわかっていた。どんなに苦しんだところで、理知に従って生きている私たちは恋愛のためには死ねない。この甘い甘い心中計画は永遠に果たされない。わかっていながら、われわれの築いてきた強固な倫理の要求にあらがえず、一緒に死のうと言い交わすことになってしまった。  なんてやるせない愛の睦言だろう。システマティックに煽られた感情にすぎないこの睦言には、けれど倫理を成立させるだけの情熱と真意がたしかに燻っている。社会的な倫理と私的な倫理の相剋は、私たちを無様に苦しめた。どんなにこの愛の深みに沈み込んでみたところで、死をもって完遂することはできないだろう。関係が袋小路に入ったところで、信じたいはずの互いの言葉が空虚なものとして舞う、苦しいばかりの中途半端な共依存関係がわれわれをずたずたに傷つけていた。二つの倫理に引き裂かれているがゆえの、中途半端な共依存関係。
 睦言が睦言に過ぎないことを知っている大人同士の、けれどもその寂しさがゆえに成り立つ、これは「完成された恋愛」だった。私たちのためだけに築いた二人だけの倫理が成り立たせる、何の澱みも、緩みも、破綻もない恋愛だった。言葉を拠り所として紡いできた関係は、それゆえ、互いの言葉への信用がなくなればあらがいようなく終わってしまうのだった。  一緒に死のうだなんてあからさまに陳腐でみっともないことを言い交わす羽目になってすら、私はまだあなたとの恋愛の甘い夢から覚めることができないのだった。関係して6年。交わしてきた膨大な言葉たちが溶け合って、私はとうに自分を見失っている。自分の大きな一部を、大きすぎる一部を、あなたに明け渡してしまっている。おのれの足だけではもう、立てなくなってしまっている。  わが半身となった者なしにはすでに歩くこともままならず、ようやく一緒に死のうと言い交わせても、言葉にすることでそれが土台不可能であることを理性でもって再確認するだけだった。一人で立てもしないが、二人で死ねもしない。おのれの一部を明け渡していると自覚することは、同時に、おのれの全てをあなたに明け渡すことができないと了解することであった。  あまりにも似すぎている者同士の、相互理解の深さが私たちを悲しみに追いやった。相手が私のために死ねないことなど、はじめからわかっていた。私が相手のために死ねないことも、わかっていたはずだった。
 あなたは言う。「あなたはこの先、誰と恋愛をしたってどうせ深く傷つき続けるだろう。だったら、その相手はわたしであってほしいと、身勝手ながら、そう思うんだ。どうせ誰かに傷つけられるなら、わたしが傷つけたい。わたしでいいじゃないか。わたしに、傷つき続ければいいじゃないか」。  あなたは言う。「あなたが恋愛で傷つく相手は、これからもずっとわたしであってほしい。一生、わたしであってほしい。どうせつく傷ならば、その傷はわたしによるものであってほしい。でなければ、わたしは気が狂ってしまう。あなたがほかの男に傷つけられることを考えると嫉妬に狂ってしまう、暴力でもなんでも行使してあなたを独占してしまおうという虚妄に身を灼かれてしまう」。
 あなたの言うことには一理ある、と思う。一理どころではなく、このわれわれの倫理に則るのなら、それだけが真実だと思う。あなたのその嫉妬心も独占欲も、人が抱くものとして、真っ当なものだと思った。それらは人が人に向ける感情の中でもっとも狂おしく、もっとも切実で、もっとも真剣なものだ。そして、あなたがそれを発揮できるのは、われわれの倫理の内側でのみだ。私はあなたの吐露したその切実さに絡め取られて、思う、確かに私にとっても、これからも傷つき続けるのであれば、その相手はあなたがいい。暴力的に独占されるのであれば、その相手はあなたがいい。  けれど、そうか。私はこの先も、傷つき続けるのか。私のもう一つの倫理がそれを拒もうとする。この叫ぶような痛みを受け取り続ける生を送るのか。あなたは、私が傷つき続けるこの世界から私を救い出してはくれないのか。そんな生を、私はずっと生き続けるのか。
 あまりにも強固なわれわれの倫理に絡め取られて、すでにこの身は牢獄の囚人のよう。あまりにも寒く、あまりにも惨めだ。けれど実のところ、どちらかといえば、私のほうがあなたを牢獄に引きずり込んだのだった。私はそれに気づいていた。その責任を果たさねばならないと思って、あなたよりも数年早く、私は二人で死ぬことについて静かに腹を括ったのだった。この結末は死にしかないだろうと結論づけたのだった。  括った腹の、括った紐が緩めば、臓器が汚い床にぶちまけられるだろう。赤黒い腸が跳ね、痛めつけられて穴だらけになった胃がべしゃりと形を崩し、膵臓がそこに黄濁して積み重なる。そのグロテスクな光景を見てもまだ、あなたは私を愛するだろう。破裂した私をも尚、あなたは愛するだろうと思えるほどの骨がらみの恋愛を、私はしていた。渾身でもって。そうしてようやくその汚濁にあなたを引き摺り込んだ。
 *
 ぼんやりと、視力の落ちた目で自分の暮らす一人きりの部屋を眺める。輪郭は揺らいでしまって掴めないが、それでも色彩だけは判別できる。本棚に差す書物の色を選べないせいで、夥しい色が自室にあふれかえっているのがゆらゆらと揺蕩って見える。これらの色々の、すべてに生気が宿っているような気もするし、すべてが死んでいるような気もする。この景色がそのまま私の存在にも反映されていることだろう。私のすべてに生気が宿っているような、私のすべてが死んでいるような――こんなマージナルで危うい生を、これからもまだ、生きるのか。とうに限界を迎えているというのは、どんな言葉で訴えても誰にも正しく伝わらない。私だけが知るところだった。私だけが、つかみどころのない人生に膿んでいた。それはすでに、生ではなく死であるように感じられた。  このぼやけた景色は「完璧な恋愛」の代償だった。愛は命を削る。私の命は削られていた。あなたの命もまた、削られた。
 心中の相談をしながら、あなたと私の感情はけっしてそこに乗ってはいない。ただ、理屈の上だけでの話をしてお互いを慰め合っているのだった。「死ぬの、どこがいい?」「東尋坊でしょう。遺体が見つからない場所がいい」「私もそう思ってた。身投げですね」「うん、そうしましょう」。  なんて空虚な会話だろう。私は��の片方だけを吊り上げて笑う。ここにあるのは形式だけだ。私たちは間違いなく、何があろうと間違いなく、東尋坊で身投げなどしない。一緒に海の藻屑になることを選びはしない。倫理の強制力に従って口にしているだけだ。この会話すら、「あなたを深く深く、深く愛している」と告げるためのメタファーにすぎなかった。そこには形式だけがあった。  これほど陳腐でこれほど切実なメタファーもない。私たちは確かに、そのメタファーに乗せて、互いの思いを伝えあっていた。けれど、そもそもそこに載せるべき感情は、本当に存在しているのだろうか? わかっている。これは、心中というロマンティシズムに淫することもできないまま、ただ会話をつなげているだけの空虚なやりとりなのであった。愛と呼ばれる美しい交歓はすでに散ってしまって、私たちのあいだに残されているのは、責任、けじめ、矜持、昇華願望、そして諦めだけなのだとすれば、どうしよう。――愛って何だっけ?
   *
 私は知っている、あなたという人は、あまりにも歪なやりかたで、「本心」というものを置き去りにしながらこの世を生きてきた。その場の、場当たり的な誰かの要望に無我に応じることで生をやりすごしてきたあなたは、ここにきて、私の切なる終わりに対しても、いよいよ同じ態度をとっているのではないか。そして、私もまた同じであるからこそ、それに気づいてしまうのではないか。  当事者の私たちですら拾いきれないほどの数多の言葉を交わしてきたから、改めて語られずとも、あなたの生き様についてはよくわかっている。私が送ってきたのとは真逆の生をあなたは生きてきた。奇跡的なことに、互いの「愛」の定義だけが同じだった。だから愛をやれた。完成するまで、愛をやれた。愛は完成した。完成した愛は、そののちに、壊れようとした。
 完成とは「それ」が永遠になることだと、語義の上で、経験の上で、ずっと信じていた。それなのに、完成した愛も齟齬によって破綻しうるのだとすれば、一体何を目指してゆけばよいのだろう。  私はすでに、何によってその完成した愛が罅割れたかを理解している。互いに抱えてきた二つの倫理の矛盾がそこに歪(ひずみ)を生じさせた。その罅を修復するだけの力が、もう私たちには残されていなかったのだ。6年という歳月で、あなたも私も、おそろしく老いてしまった。私たちにはもう、愛のために無理を押し通す力が残されていないのかもしれない。
 私は言う。「あとはあなたを地獄に道連れにすることしかできない」と。その最後通牒に、あなたはもう何も言えなくなってしまう。  私は思う。人を愛することはこんなにも苦しいことだったかと。人を愛することは、人に愛されることは、こ��なにもままならないことだったかと。それでもあなたを愛していると。愛する人の手を離すことはこんなに苦しいことだったかと。あなたを愛することができない日が、もう二度と、こないでほしいと。一緒に死のうと言った時に、理性をかなぐりすてて、感情のままに、お互いだけを見つめあって、一緒に死ねればよかったのにと。
 私たちが築き上げてきた美しい倫理によってすらそれが叶わなかった生を、これからどう生きてゆけと言うのかと。
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2015mai24 · 26 days
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
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MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アルバム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
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この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげか、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと。トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライトが点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウンドが炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
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「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レゲエのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガーベラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら楽しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。細部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
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「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
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「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。憎しみと怒りもこもったレゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップライトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、おかしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
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こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左右に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合唱になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
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アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終列車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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kenyi1969580708 · 1 month
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