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#縁石遊び
m12gatsu · 9 months
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無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの缶ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、徐々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い蝋燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼまっすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語ってくれた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に、坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
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flamingo-rex · 2 months
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2024.01.26
真夜中のラッキー🐕散歩
いつもの、この格好。愛くるしい(^^)
それを毎日、感じて思える存在は
凄いよなとも思う
子は鎹とは言うけど
犬も鎹だよ
鎹(かすがい)とは、木材と木材を繋ぐ
コの字型の釘みたいなヤツね。
縁が繋ぎ保たれる様や、愛情を形容した言葉らしい
お正月のお餅(鏡餅)の上に乗せるのは
みかんぢゃなく、だいだい なんだって!
先祖から代々繋がる様にとの願いと
言葉遊びから来てるらしい
継承ね。
軽傷では無い事を祈る
石垣島のお土産を頂きました
レジンのサーフボード(^^)
お店と自宅に飾りました〜
ありがとう😊🏄
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taquasb · 4 months
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MEET YOUR HEROES: RICK HOWARD (Good case of IBS)
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Rick Howardの長いキャリアの中において、彼は様々なことに関わっている―EMBのイノベーターであり、90年代のスーパー・チームの一員であり、そしてスケートシューズのパイオニアとして、最も重要なことは彼が「楽しむこと、友情そして創造性が他の何よりも大切である」と気づいた点である―特に冷酷なスケートボード・ビジネスにおいて。彼はサッカーボールをあなたの顔にぶつけ、あなたのシャツをトイレットペーパーに使う。しかしこれは1993年以来初となるThrasherのインタビューなのであります。ここにお集まりの皆様、カナダからやってきたRick Howardの登場です。 -Michael Burnett
-君はいわゆる「すべてのトリックを最初の6ヶ月で習得した」っていうSean Sheffeyタイプの一人だったのかな?
そうかもね。13歳で始めてスポンサーがついたのが16歳。これって早い「学習曲線」なのかな?オレらはただオーリーでなにか飛び越えたり、ジャンプランプやってたりして、その後ウォールライドが流行ったのかな?そんな感じだったよ。だから今あるトリックを身に着けていく状況じゃなかった。ハンドレールもまだ広まってなかったし。だから「学習曲線」で言えば全然緩やかな感じだったと思うよ。例えるなら「360サランラップ」対「今あるトリックすべて」みたいな感じじゃないかな。
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-かなり早い時期にカルフォルニアに来たよね?初めてのカルフォルニアでの冒険はどんな感じだった?
その時のトリップが動画で残ってることに驚いてるんだ―友達の一人で一緒にスケートしながら育ったKevin Chan、それとこのトリップに一緒に行ったBen Chibber。Kevin は片手で持てるビデオカメラを持ってたんだ。オレらはグレイハウンドバスでサンフランシスコまで行った。なぜかっていうと、Sick Boys(1988年リリースのスケートビデオ)に出てきたスポット全部を回るって目的があったから。消火栓に縁石、あのビデオに出てた全部をね。オレらはスケートボードを持って聖地を回る観光客みたいなもんだった。 85年だったと思うけど、その時Mike(マイク・キャロル)に会ってるんだよね―直接ではないんだけど。笑っちゃうことに彼のミニランプを無断で滑ってたんだ。その後、ちゃんとした形で会うことになるんだけど、記憶だとオレらが勝手に自分のランプを滑ってるのを観てたんだ。彼は寝室の窓から見ていてムカついてる…。彼は絶対そんなことないって言うけどMike独特の表情を知ってるよね?だから、ね…。
-当時、スポンサー契約っていうのは頭にあった?
あったね。そういう状況はローカルのパーク―Richmond Skate Ranchでも時々起きていたんだ。友達のPeter SullivanはSchmitt Stixから商品をもらってたり。Powellのチームが来たことがあって―たしかLanceとTony Hawkだったと思うけど、それって大事件で「ボーンズブリゲードが近所のパークに来たぞ!」ってことだから。結局、ローカルの何人かがPowellのライダーになった―Colinとその兄貴のCaseyのMckay兄弟とか。それを見てて「マジか。バンクーバーのキッズだよね。そんなことあるんだ」みたいに感じてたわけ。その後、自分でもBlockheadのDave Bergtholdからデッキをもらうようになった。それが人生を変えたよね。
-話をちょっと戻したいんだけど、Richmond Skate Ranchでの最高の思い出ってある?
すごいいっぱいあるよ。あの頃はむちゃくちゃ楽しかった。憶えてるのは地元に戻ってくるのが夜遅くになった日があって、たしか最終バスに乗り損ねたんだよね。その時期って、ちょうど皆がいろんなものを壊して回るのが流行りだした頃で―のちに彼らは自分たちをRed Dragonsって名乗りだすんだけど。で、その1人が小さな磁器の破片一つでどんな窓ガラスでも割ることができるって発見したんだよね。それでスパークプラグから磁気の破片を取り出して、ちっちゃなスリングショットを持ってたやつが車の販売店の窓めがけて発射したんだ。窓ガラスが割れ落ちていくのを目にして!?ってなった。「マジかよ?バスもないのにオレらなにやってんだ?」ってなって、地元までほとんど走って逃げ帰ったんだ。あの頃は「悪ガキ行為」がたくさんあったね。誰かがセブンイレブンで「襲撃だ!」って叫ぶわけ、で20人ぐらいのキッズが菓子だったり宝くじを盗んだりとかね。のちに何人かはCrime Stoppersってテレビ番組に出たりしたよ。だから、ものすごく楽しかった時期。めちゃくちゃ忙しくやらかしてた頃だけど、楽しかった。
-どういう流れでBlockheadからプロになったの?
Daveにサンフランシスコの"Back to the City"プロ・コンテストに出る気ある?って言われて。めっちゃ緊張したね。Tony Hawkの後、Mark Gonzalesの前だった記憶なんだけど、出場前に裏で吐いちゃったんだ。「ダメ。できない」って感じ。憶えてるのがSheffeyがちょっとした安心する一言をくれて、「オーライ。もういいや。なんでもこい。戻ってスケートするだけだ」ってなったんだ。
-Blockheadからリリースされたデッキ「スカンクとルートビア」のグラフィックは、なにを意味してたの?
それはたぶん、オレがIBS(過敏性腸症候群)のすごく良い例だからじゃない。オナラがすごく出る。それが「スカンク」。で、たぶんよく「ルートビア」を飲んでたから、(グラフィックを担当した)Ron Lemenが使ったんだと思う。あのグラフィック、実際気に入ってるんだよね。
-君はある意味、IBS(過敏性腸症候群)で有名だよね。聞いたところではBlockheadのビデオでシミのついた短パンで滑ってるシーンがあるとか。
あるね、EGで。たしか「Splendid Eye Torture」(1989年リリースのスケートビデオ)でちょっとしたシミが映ってると思う。スクショで送れるよ。
-履いてたLimpies(90年代のアパレルブランド)に?
LimpiesだかT-Bagsにね。 嫁Meganとの最初のデートで―彼女は君にこの話した?当時、World Industriesに勤めていた彼女のことが好きになったんだ。普段から見かけていて、ある日デートすることになった。Redond Beachに遊びに行くことになってちょうどIBSがはじまって-クソしたくなったら「どこでする?ここでなにが起きる?!」ってなるだろ。で、車を停めた。この頃彼女はなんも知らなかったけど、オレはかなり焦ってた。「そうだ、ビーチまで下りていけばトイレがあるよな」って思いついた。だけど、トイレは閉まっててオレはシャツも靴下もない状態で戻っていった。トイレの脇で済ませてシャツと靴下をトイレットペーパー代わりに使ったよ。その姿をを見て「なにがあったの?」ってなってたけど、彼女はオレとの最初の夜を乗り越えたんだ。そこで思ったよ、「オッケー、彼女なら間違いない」って。
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-90年代のEmbarcadero(EMB)のスケートシーンがどんな感じだったか説明してくれる?
それか。そうだな、最高の毎日だった、それは確実だね。当時Mikey(マイク・キャロル)の家に寝泊まりしてたから毎日あそこに滑りに行っていて―Henry Sanchezが新しいトリックをメイクしたりとか、なにかしら新しいことが起きてた。すごかったね。Kelch(ジェイムス・ケルチ)や皆があの場所をどうやって取り仕切っていたかも、振り返ってみるとすごかったなって思う。だから、彼らと一緒にスケートしてあの楽しい日々を送れたってことに感謝してる。あの場所が今みたいに有名になるなんてビックリだよ。後から聞くことになったんだけど、国中からスケーターが集まってきて、彼らを有名にしたトリックを「ザ・セブン」でやりだす前―その頃には俺はもうそこにはいなかったんだ。それは後の話だね。だから有名になる前の、ちょうどいい量のEmbarcaderoについての思い出がある。あそこは特別な場所だったんだ。
-君がPlan B結成を一番初めに知ったのはいつだった?
1989か90年の夏にヨーロッパのMünsterでコンテストがあったんだ。そこで、Danny(ダニー・ウェイ)が「見ろよ、これが始まるんだ」って、関係者のリストを見せてくれて、そこに俺の名前も候補として入ってたんだ。「え?うそでしょ。なんでこのリストに?」ってなったよ。Mikeyに(彼がこの件について)なにかしら関わっているのかどうか質問しないわけにはいかなかったね。間違いなく関わっていたと思うけど。
-あのビデオ(「Questionable」1992年)撮影時、新しいアプローチの作品になるのは君の中では明白だった?
そうだね、正解。H-Streetがすでにビデオをリリースしてたし、その内容は今まで見たことのないトリックの連続だったよね。Mike T(マイク・ターナスキー)の話からもその方向になるってわかってた。カメラの前で初めてメイクしたトリックも多かったよ。今になってみると「うわーめっちゃグラついてるしクオリティ低い」ってなるけど、今までやったことなかったり見たことのないトリックだったらその当時はクールだった。楽しかったよ。
-Matt Hensleyが(Plan Bの)最初のビデオで引退したことは良く知られてる話だね。
それからSal(サル・バービエ)が次だったよね?
-そうそう。当時、「わー、歳とってスケートしてたら自分の意志じゃなくてもリタイアさせられるのかも」みたいな感覚はあった?
うーん、あった。そういう雰囲気はかなり漂ってたね、もし君がその時23歳だったらそう思ったかも。なんていうか、クレージーな話だけど。その頃って「古いものはアウト、新しいものが正解」みたいな感じだったよね?そんな空気はたしかにあった。それがオレたちがGirlを設立したひとつのきっかけになってるかもしれない―(自分たちで会社を立ち上げれば)意志に反してリタイアすることないなって。おかしな時代だったね。
-Girlのチーム内でロゴについて反発はあった?
いや、記憶にないね。
-それとかブランドネーム自体?
Carrollがあの名前を思いついたんだ。反発があったって誰かから聞いたの?
-じゃなくて、個人的に気になってたんだ。19歳ぐらいのタフになろうとしている連中が「ロゴは女子トイレのマークにする」って言われたらどう思ったんだろうって。
だね。それってつまり、Carrollがどういう脳の使い方をするかってことだよね。人をおちょくるようなことが大好きなんだ。そう、だから反発はなかったよ。ロゴはもっと後にできたと思う。Mikeは「コンテストで『さあ、次は『女の子のためにスケートしている○○』ってアナウンスされたら笑えるよな」みたいな感じ(※通常、"skate for ~"の~にはスポンサー名がアナウンスされる)。彼はそう聞こえたらおもしろいよなって思ったんだ。特に長い間深く考えたネーミングじゃなかった。いろんなアホみたいなアイディアがあわさって、あの女子トイレマークがロゴになってツアーに出たんだ。
-GirlとChocolateって「スケート業界の老兵」にはどんな風に受け止められたの?
Girlをやり始めた頃はたくさんいる友だちを加えることができなかった。で、Girlが回りはじめた頃にChocolateをスタートさせた。だけど老兵には理解できないわけ。「こいつらなにやってんだ?また別の会社始めるだと?」みたいな感じ。で、老兵が集結するような感じでオレらを材木加工業者から締め出したんだよ。当時は2、3の業者しかスケートボードデッキを受注してくれなかった。Schmittはオレらのデッキを生産してくれたんだけど、老兵が彼に詰め寄ったんだ。「アンタがやつらを許すってことはスケートボーディングを滅茶苦茶にしてるってことなんだぞ」みたいな感じでね。Paul(ボール・シュミット)は協力的だったけど、周りに脅されたんだと思う。Fausto(ファウスト・ヴィテッロ)に出会った時ことを覚えてるんだけど、彼はとっても興奮してくれて支持してくれた。オレらのウィールを生産してくれるって言ってくれて、それからもいろんなアドバイスやヘルプをできる限りしてくれたんだ。素晴らしい人だよ。彼の協力には本当に感謝してる。なんだけど、そうオレらは家具メーカーのTaylor Dykemaにデッキを発注するしかなかったんだ。理由は君が言ったように老兵が「ダメだ。おまえら他のことやってろ」って態度だったから。まあだから、困惑したよね。
-ヤバいね。Spike(スパイク・ジョーンズ)とはどうやって繋がったの?
オレらはただバカやって遊んでただけだよ。なんていうか、彼は今でも大きくなった子どもで「遊ぶこと」が好きなんだ。探求するのが大好き。今でもなにかを学んでる、そういうところが好きだね。出会えてすごくラッキーだと思う。しっかりした人間だし、最高の一人。
-たぶん無計画に方向づけされたんだとは思うんだけど、今までにオフィスで働くことで自分自身のスケートキャリアを犠牲にしたって感じたことってある?
Mikeがその話したの?
-いや、これはオレ自身からの質問だよ。
その質問は興味深いな。Mikeと共有した経験だからね。そうだね、苦しい思いになることもあった。でも、「ノー」だね。オレらの仕事は、一緒に働いている皆の喜びの為だし、それってかけがえのないことだから。まあでも、なにかを成し遂げるには時間がかかるだろ。もちろんそういう出張だったり、時期は当然あったよ―「ああ、みんなとスケートできたのになあ。もったいないなあ」なんてね。でもね、聞いてほしんだけど、結局は正当な理由があるからなんだよね。だから、キャリアを犠牲にしているとは考えないようにしてる。そんな考えが出てくる時って不思議だよね―オレはオフィスに一晩中ってわけじゃないけど「いる」。それは「その分、時間が経過した」ってことになる。でも、振り返ってみても「スケートすることだけ頭にあって、(現在の)責任ある立場にいない」という選択をしていても不思議じゃないからね。うん、どうなってたんだろうね。
-DC(スケートシューズ会社)とスケートシューズのゲームに乗り出した時の話を聞かせて。
素晴らしかった。すべての工程に関わらなきゃなくて、それからオレが一足作ることになったんだけど、その当時のオレたちの好みにはまるのがなかったんだ。だから現行のシューズと違うものを作り出さなきゃならなかった。クレージーだったよ。最終的には家を一軒買えるぐらいの経済的恩恵に与れたと思う。はじめは、正直乗り気じゃなかったんだ。自分のモデルのスケートシューズを出すなんて「陳腐で安っぽい」って思ってたから。でも誰かに「やったほうが良いぜ」って言われて、実際にやった自分を褒めたいね。Huf(キース・ハフナゲル)やDanny(ダニー・ウェイ)のような一緒に旅行に行きたいと思う連中すべて、憧れていた全員と過ごすことができたから。楽しかったけど、次第に何人かは別の道を選ぶことになったんだ。
-GirlとChocolateには「90年代初めの重たい状況」から出てきたパイオニアたちであり仲間同士の「バイブス」があった。そこから君たちはオリジナルのクルーではないスケーターを加入させていったよね。それって難しいプロセスだった?
自然とそうなっていった感じなんだけどね。何人かは以前よりスケートしない時間が増えていったり、別の興味を追求しだして―まだコンテストが重要視されていて頃だよね、McCrank(リック・マクランク)とBrian Andersonの2人がどんな大会でも入賞してヤバいビデオパートを残してたんだ。何人かに「このMcCrankとか���うヤツ、聞いたことないな!」みたいに言われたことを憶えてる。彼の加入は何人かの機嫌を損ねることになったね。
-その時期って、君がTy Evans(フィルマー・ディレクター)と作品に取り組み始めたのと同じ頃でもあるよね。なにが君のスケーティングを「再点火」させたの?
オレたちがPlan Bから離脱した時には、みんなもう疲れ果ててたんだ。最終地点まで、かなりの激務だったからね。それからGirlをスタートしてからは「なんでもいいから撮る」みたいな感じで、ボロいカメラでお互いを撮影してた。「Goldfish」はかなり経費がかかったけど、楽しかった。だからいくつかビデオをを作って、何年か楽な感じで過ごしてた。その後、Mikeに火がついたのに気がついたんだ。「このビデオパートにトライする、マジでやる」みたいな感じで。で、それから彼らと一緒にスケートするようになって、うん、あれは特別な状況だったね。楽しかった。Tyと一緒に作ったビデオは驚異だね。言い訳ができないんだ―彼はどんなものも「スケート可能」な状態にしちゃうんだ。「照明を点けろ!」なんて言ってね。それがオレたちをハードにトライさせる状態に持っていったんだ。
-その時にいたキッズたち、P-Rod(ポール・ロドリゲス)、Biebel(ブランドン・ビーベル)やSherm(ジェレム・ロジャースのニックネーム)はどんな様子だった?実際の10代をツアー・バンに詰め込むのはどんな感じだったのかな?
あれはホント楽しかった。JeremeとPaulはヘッドフォンをシェアしたりしてたね。キッズ、若いやつらと一緒にいるのって、自分がバンでツアーしていた頃を思い出させてくれるんだ。Biebelはヤバかったね。最高の時間だった。彼とサクラメントで過ごした週末?最高だったね―川でただプカプカ浮かんでみたり、昼も夜もスケートもして。それとヤツのエネルギー。たぶん君も体験したことあるだろうけど、あのエネルギーには誰も勝てないね。
-00年代を通して、本当にヤバいくらい積み重ねられたチームライダーたちが出てくる重要なビデオを作ってきてるよね。妥協しなければならない場面もあったと思うけど、チームライダーが去っていくベスト、またはワーストの状況ってどんな感じ?
なんていうか、家族みたいなものだから悲しいことではあるんだけど、場合による。初期はマジで今まで経験したことないもない最悪な出来事だった。実際の友達でもあったわけだから。いつどのタイミングでプロとしてデッキをリリースするべきかをチームライダーと話し合う、そういう立場になることにオレは同意してなかった。今はそんなことはないけど、スタートした頃は本当にラフな感じだったんだ。Mikeがいつも言うのは「くだらないことを言ったやつらが、少ない額で解雇されてきた」なんだ。誰かに去ってもらわなきゃならない場合、良い気分のはずないよ。オレらと一緒にやってきたこと以外に、彼ら自身の創造性を伸ばしたいとか何かを新しく始めたいとかであれば、それは別のシチュエーションになる。最悪なのは、その後の人生で繋がりや友情を失ってしまうことだよね。今まで仲良くしていた皆と、いまだに友達であり続けられているオレは幸運だなって思う。たとえば、New Yorkに行くならBrianがいるのを知ってるからいつも連絡するみたいに。すごいことだよ。この一連のできごとの最良の部分、それって「繋がり」なんだ。だから関係が悪化したときは悲しいし辛い。さらに、時には手に負えない状況もある。オレはただ単に、皆になにかをやるチャンスがあることが嬉しいよ。スケートボーディングには違う側面もあるよね。つまり、大金が流れ込んできたことで人生が一変した人たちもいるから。
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-オレたちが2004年にKIng of the Road(Thrasherの名物企画)に行った時、オレはBrian Andersonがゲイであることを知ったんだ。だから君たちの間では共有されていた話題なんだと思う。それから数年後、彼は公にカミングアウトすることになる…。
その時点で知っていたかわからないな。
-ある人物から聞いたんだ。
了解。それってオレらがZeroに負けたとき?
-オレたちはいつもZeroに負けてるよ
知ってる。クソ、Jamie Thomas(ジャーミー・トーマス)め!オーケイ、そうだな、オレたちは他の機会で(その件について)話したことがある。オレたちはBrianと最高のカミングアウト・パーティーをすることになったからね。
-どんな感じだったの?
オレらはSpikeのパーティーにいて、近くに滞在してたBrianもやってきた。たしか最初Meg(嫁)と話してて、それからこう言ったんだ。「ヘイ、俺がゲイだって知らせておきたかったんだ」。これが笑えるんだけど、彼女から聞いたのは、その時振り返ってオレをみたらオレは誰かの肩に乗ってダンスしてたみたいで、彼が「次はRickに伝えてくる」ってなったんだって。でも彼が話してくれた時、すごく楽しかったのを覚えてる。裸になってプールに飛び込んだかって?オレたち最終的にHollywoodのいくつかのバーに流れ着いた。まあでも、楽しい夜だったよ。もっと友達があんな風にカミングアウトしてくれたらいいのにって思う。そしたらお祝いできるからね!楽しい時間だった。
-うん、なにしろ90年代初頭なんて「黄色いTシャツを着てスケートしたから」って理由で周りから追放されたからね。だからこの件に関して君たちに躊躇いがなかったのはクールだった。
でしょ?うん、たしかにそんな風潮だった。それか「適切じゃないズボンを履いてる」とか、そんなのでしょ?まさにね、あの時代はすごく偏見も派閥意識みたいなものも強かったよね。
-君が故意に、あるいはアクシデントで最悪に誰かを傷つけてしまった経験は?
Carrollに聞くべき話題。オレとしてはだんだん落ち着いてきたと思ってるんだけど、一番最近だと、あるツアーでのこと。空気の抜けたサッカーボールがあってさ、それをピント(※フットボールで両手で持ったボールを落として蹴る動作のこと)したら、それが完璧なカーブを描いて50ヤード先のMikeの顔面にヒットしたんだ。で、彼は今までみたことないぐらいキレた。終いには「こんなことがファッキン30年間あったんだぞ!」って叫んだんだ。それを聞いてさ、わかるかな?彼が言ってることは正しいんだ。オレはずっとこんな調子のバカなんだよ。たぶん彼には「いつ痛めつけられるかわからない状況への耐用年数」みたいのがあって、そこにプラスしたような感じ。Mikeの「ちょっかいを出された場合の耐用年数」を越えちゃったんだね。
-自分で自分を痛めつけた経験は?もしかして間違った薬で、あるいは正しい薬を大量に摂取して有害な影響が出たことってある?
うわ。落ち着かない気分にさせる質問だな!まあでも、あるよ。本当に若い頃、たしか14か15の時に間違って大量のアシッドをキメちゃったんだ。いつ素面に戻るかわからなくなって怖かったね。数日後、医者のところというか病院に行ったんだ。その医者には「うーん、大丈夫でしょう。温かいミルクを飲んで安静にしてください」って言われた。その後再診を受けたら「言いたくはないのですが、あなたと同じことをして元に戻れなかった人たちもいます」って言うんだ。おそらくそれが今のオレである原因。良い気分じゃなかったね。たしか3、4日間ぶっ飛んでいたと思う。あれはクールじゃなかったね。
-Girlのビデオに出てくるスキット(寸劇)で好きなのはどれ?
Owen Wilson(俳優)があのセリフを練習して現れた時は、度肝を抜かれたよ。その時初めて「Hard Out」って業界用語を知った。たとえば、「Owenは20分でHard Outしなくてはならない」みたいな感じ。彼はあれを1、2回で撮り終えたんだ。Meza(Aaron Meza ディレクター・プロデューサー)があのセリフを書きだして「この男、どうやってこんなにスケーターみたいに喋れるようになったんだ?」って昂奮してたよ。彼の最初の演技を見てオレらは抑えきれなかったね、大爆笑。まあでも、Spikeとの仕事はいつでも楽しいんだ。スキットをやるだけでも彼とふざけまわってるのは楽しいからね。実を言うと今、ちょうどLakai用にもスキットを撮り終えたところ。口ひげとカツラをつける時はいつだって楽しい日になるんだ♠
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kennak · 8 months
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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ikkotaniuchi · 6 months
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【絵の具舞踏】10/21 三宅町
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10月21日(土)は奈良・三宅町『三宅小学校』にて絵の具舞踏の上演です。是非、お集まりいただきたいです。
今年は有難いことに春にも伺わせていただき、2度目の三宅町での上演となり、ご縁に大感謝です。
協賛は御馴染み「ターナー色彩株式会社」様、いつもありがとうございます。
そして!この日のメインイベントはみんなで創り上げるキャンドルナイト「光のパレード」です。幻想的で素敵な光の回廊を一緒に創りましょう!
皆様にお会いできる事を心から願っております。
____ [ まちアート三宅町 2023 夕方からは... 光のパレード! ] 子ども達とアートをつないで学び遊ぶ昼から夜のアートフェスティバル!
日時: 2023年10月21日(土)11:00~20:00 入場料: 無料 ※雨天中止
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🕯️キャンドル並べ(12:00〜16:00) ※18時からの「光のパレード」に向けて、約1,000個の水の入ったガラス瓶にキャンドルを入れていき、みんなで並べよう!お子様からどなたでもご参加いただけます。奮ってご参加ください。
🕯️光のパレード(17:00〜20:00) 三宅小学校の校庭にて、幻想的で素敵な光のパレードをお楽しみください。
✎ ライブ 谷内一光(14:00〜)/小澄源太 × Dotput(15:00〜)/近田和久(18:00〜)/CHARHAN(18:30〜)
✎ ワークショップ(11:00〜16:00) こぴょ(似顔絵)/九龍堂(缶バッチ制作)/植田なつき(革造形アート)/アトリエスタ(スライム理科実験)/千葉幸輝(マジック)
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会場: 三宅町立三宅小学校(奈良県磯城郡三宅町伴堂766) ・近鉄田原本線「但馬」駅より北へ徒歩10分 ・近鉄田原本線「黒田」駅より北へ徒歩15分 ・近鉄橿原線「石見」駅より西へ徒歩25分
*お車でお越しの場合 ・西名阪自動車道法隆寺 IC より10分 ・西名阪自動車道郡山 IC より15分 ・京奈和自動車道三宅 IC より7分
*お問い合わせ TEL 0745-43-3580(三宅町健康子ども課) ※予定プログラムは変更の可能性があります。 ※汚れてもいい服装でお越しください。
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oka-akina · 6 months
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1013
 外で誰かが歌っている。若い男の人の声で、何人か集まっている。酔っ払っているのかもしれない。こんなに早い時間から?とは思うけどそういうこともあるだろうとも思う。スケボーのごおーっという音も聞こえる。うちのマンションの前は川で、ジョギングしたり犬の散歩をしたりする人たちをよく見かける。夜のジョギングのおじさんたちはヘッドライトや腕のライトをつけてトットットットッと走っていく。川沿いのまっすぐな道で、もう少し下ると広い公園があり、そこには芝生の広場やスケートパークもある。川の向こうも同じようなマンションが並んでいるのでちょっと谷っぽい。誰も騒がなければ夜はとても静かで、対岸で誰かがくしゃみするとうわんうわんと響く。  子どものころ住んでいたマンションでも酔っ払いの声を聞くことがしばしばあって、あれは二階の部屋だったからもっとうるさかった。家のすぐ前が駐車場で、マンションの駐車場ではなく月極の駐車場でどこどこ不動産とか看板が立っていて、そこに酔っ払いたちはいた。  辺りは駐車場が多く、子どもの目から見れば砂利敷きの空き地だった。駅ができたばかりで田んぼや畑だったところが急に住宅地になり、マンションやアパートが少しずつ作られてはいたが、追いつかず、とりあえず駐車場にして放っておかれていた感じ。何もないのに用途は決まっていて立ち入ると叱られる空っぽの地べたで、ドラえもんの空き地とはちがう。あれは本当にはないものなのだとうすうす知りつつあった。  酔っ払いの人びとはわたしの入れないところへどんどん入っていき、歌って踊って騒いでいた。暗いからあまりよく見えなかったけれど、いつも彼らは輪になっていて、輪は小さいときもあれば大きいときもあった。近くに大学があるからそこの学生たちだろうと母が言った。たまに父が「うるせえぞ!」と怒鳴った。ベランダから大きな声で怒鳴るので、石でも投げられるんじゃないかと思ったが、そういうことはなかった。  父と母の仲人さんがよみうりランドの近くに住んでいて、正月休みには挨拶に行った。ごちそうを振る舞われ、お年玉をもらう。仲人さんの家には大学生の息子が二人いて、ちょっと遊んでくれる。彼らはおせちはあまり食べなくて夜にカレーを食べた。じゃがいもがごろっと大きい、黄色っぽい辛いカレーで、祖父の食べるカレーやドライブインのカレーもこうだった。他人の家のカレー。  当時のわたしの中で大学生というとあの二人だったので、真っ暗な駐車場で輪になって騒ぐ人びとの顔は彼らの顔になった。背の高いおとなしい兄弟で散歩に連れて行ってくれた。彼らが酔っ払う姿を見たことはなかったが、暗闇を見ようとすると知っている顔がはめこまれた。正月の兄弟は二人とも黒い長いコートを着ていて、ぜんぜんちがうデザインだったとは思うが子どもの目から見れば黒い長いコート。わたしには二人の区別がついていなかった。  兄弟とベルディ川崎の練習場を見に行き、冬枯れの芝生は風が強くてとても広かった。母が「ラモスいるかな?」と言ったが、フェンスの向こうのサッカー選手たちはとても遠く、小さくて、わたしには誰が誰だかわからなかったし、サッカーをやっているのかどうかもよくわからなかった。サッカー自体に興味も薄かった。兄弟はフェンスに寄りかかったりちょっとだけよじのぼったりし、シュートの真似っぽいこともしていたが、彼らもべつに熱心なサッカーファンではなかったと思う。遊んではくれるけどわたしと妹にはあまり話しかけなくて、いつも二人で何ごとかひそひそしゃべって笑っていた。  その後仲人さん夫妻は亡くなり、しばらく父は兄弟たちと連絡をとっていたようだったが、彼ら二人とも統一教会に入信してしまったそうで、縁を切ったと言っていた。「あれはもう駄目」といつか父は吐き捨てるように言った。
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 夜、疲れているんだけどなんか眠れないときこれを見ていて、きのうはこれを流しっぱにしながら小説を書いていた。これというか、こういう動画、こういう動画で一番気に入っているのがこれ。韓国のだから知っている景色ではぜんぜんないんだけど、いつかの子どものころの風景と重なる。あるいは以前旅行したどこか? こういうので羽田空港から湾岸線を走るやつとかもあって、それも好きなんだけど、よく行く道は「知ってる道」なので郷愁とか記憶とはちょっとちがう。今日もたぶんこういうのを見ながら小説を書くつもり。
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ichinichi-okure · 6 months
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2023.9.29fri_yamanashi
こんにちは。マリンバ&ビブラフォン(木琴と鉄琴)奏者でシンガーソングライターとしても活動している 影山朋子といいます。
今回このような日記を書く機会を頂けてとっても嬉しい。最近文章を書いていきたいなと思っていたのでした! さて、初めに鷹取さんから日記のことでお声かけてもらったのは7月末のこと。2年前から突如ご縁ができて毎年通わせてもらっている大好きな能登半島のイベントに出演する日が候補日だったので、これは!と思い是非書かせてくださいとお返事し意気込んでいたところ、出発当日になって発熱しはじめ、抗原検査は陽性。泣く泣くイベントを欠席する事になりました。 それでも、日記は書きます!と申したものの、どんどん熱が上がり動けなくなり、コロナ舐めてましたごめんなさい!! ということでまた後日にとお願いしたのでした。
-コロナ罹患の思い出- 初めてのコロナ、3、4日寝続けるなんて何年ぶりだろう。熱が上がってだんだんと苦しくなってくるにつれて、 多分これまで何十年と溜め続けてきた、”ああ、私なんて・・” みたいな笑っちゃうほど自虐的な惨めな気持ちや不安が奥から奥からぐろぐろ出てきて( 笑 すみませ ん、、) 自分ネガティブキャンペーンがピークに達した頃、突如「あ、そういえば鬼滅の刃の新しいのまだ見てなかったな、何もできない今こそ見るのにぴったりやん」と思い立ち、 ネットフリックスで鬼滅の刃の刀鍛冶の里編を一気観したのでした。 そうしたらば、どうでしょう、最後に出てくる上弦の鬼が、それはそれはみみっちい人(鬼)格で、自分は悪くないのに何故咎められるんだろう、自分はなんて可哀想なんだろうと、ずっと泣いているのでした。人を殺めるようなことをしても「私が悪いのではないです、この手が勝手にやったのです」と泣いているそのどうしようもなさ・・。
あああ~、私にも、こういうところがあるので、鬼を見ていて自分の悪いところそ っくりだなと思っていたら、炭治郎が鬼の首を切ったところで、自分の中の鬼も成敗されて付き物が取れたかのような爽快さとともに、コロナから回復して行ったのでした。 なんだかそれが面白かった初めてのコロナ体験でした。 うちは夫と猫二匹と暮らしているのですが、夫も同時にかかったので、かかる前と後で二人ともなんか取れた(浄化された)みたいで家庭の空気もすっかり良くなった のでした。 大変な思いをされた方が沢山いらっしゃる中で、ちょっとふざけた文章でごめんなさい。今も患っていらっしゃる方、後遺症などで苦しんでおられる方のご回復をお祈りいたします。
-河口湖猫LIFE- さて、前置きが長くなりましたが、今日、9月29日の日記を書いていきたいと思います。 昨年、八王子から山梨の河口湖に引っ越しをしました。週に2、3日、夫と一緒に東京方面に行き八王子に住んでいた時にしていたお仕事 (音楽療育やマリンバのレッスンをしています)を続けながら、それ以外の日はライブなどが無ければ山梨の家 で自分の仕事(音楽の作業)などをしています。
今住んでいるお家は山の入り口辺りにあり、目を覚ますと 一日の始まりに緑が揺れる素敵な光景を見ることができます。
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今日は曇りで見えませんが、ありがたいことに富士山がよく見える場所です。 最近少し涼しくなってきて嬉しいのは、起きた時、大概猫ちゃんが体の上に乗って いることです。
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今日は休みの日にしては早起きして、朝近所のカフェに用事に行き、帰りに河口湖浅間神社にお参りに行きました。
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こちらは杉の木が、ほんとにすごいんです、大き~な杉の木がたくさんそびえたっておられます。 神社の奥にまた立派な杉の木が並んでいます。
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鎮爆の文字。この地域ならではですね。
本当はこの神社から少し登ったところに 母の白滝、父の白滝という素敵な滝があってそこまで行けばとっても気持ち良いのですが 今日は作業があるのであきらめました。
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いつも行くわけではありませんが、今日はせっかくの日記の日なので、河口湖の人気のパン屋さん レイクベイクに寄ってパンを買って帰りました。なんだか優雅な気持ち。 天気が良ければパン屋の小窓から富士山が見えるみたい。
。 家に帰って、最近新しくできたルーティーン “もみ散歩” 飼い猫の紅葉(もみじ)の散歩に付き添います。
これはなんだかとっても、いい すごく癒される時間です。
今のお家に引っ越してから最近まで猫ちゃんは室内飼いにしていてお外には出さないようにしていましたが、 1ヶ月ほど前に外出を解禁したのです。(前の家では自由に外に出してあげていたので二匹ともお外大好き)
二匹のうち三毛の紅葉(もみじ)は、気高くナワバリ意識が強くて、喧嘩っ早く、 紅葉の娘猫の心(ココロ)は気ままでマイペース、外の猫ちゃんに遭遇しても臆病ですぐ逃げ帰ってきます。
お外に出すようになって二日目のこと、紅葉が外の猫ちゃんと喧嘩しめちゃめちゃにやられてゼーハー言って帰ってきたのでした。 お腹と脇の下が傷だらけになってそれはそれは可哀想な状態でした。 とても心配でしたが、1日静かに寝てから動物病院に行き、抗生物質を飲ませて3日ほどすると回復し始めてもう薬を飲まなくなり、 1週間くらいで大分元気になりました。
もうお外に出すのは無理かなと思っていたら、懲りずに、、外に出たくて窓のところでドアを開けようとするのです、 傷がすっかり消えたところで、また外に出してあげる事にしました。 でも外猫ちゃんと遭遇したら、また喧嘩しかねない・・ プライドの高い紅葉はきっと・・危ないなと思い、 紅葉の散歩は毎回付き添う(というか見張るというか様子を見る)事にしました。
まずお外に出てプラプラ、日向ぼっこしてごろごろして、お気に入りの場所と縄張りを一通りパトロールして、 そして、草を食べます。(可愛い・・)
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(手頃な草を探す紅葉)
( 実は、紅葉が草を食べ終わったくらいのところで、「もみちゃんそろそろおうち 戻るよ。私仕事しなくちゃいけないからね」 と言って抱っこして無理やりつれて帰ろうとしたら シャーって怒られて噛みつかれて逃げられました、、 その後に、おトイレをしてから自分で家に戻ったのでした ) ああやっぱり大人の(人間の)都合で動かそうとしたらダメなんだなぁ。 待つことや ちょっと遠目で見守ること 大事なんですね~ (人間の子どもと同じですね~)
おかげで紅葉の散歩ルーティンや行動パターンがわかってそれはよかったです。安心しました。
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(お外やベランダで気ままに過ごす猫ちゃんたち) ああ可愛い。
ギターとシタール演奏のほか映像作家もやっている旦那さん(田井中圭)が、細かい 作業を手伝ってくれてめちゃくちゃ助かりました。 ありがとう!!!
家で仕事をしていると猫ちゃんたちがそばで応援してくれる時もあります。
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時々ベランダに出て休憩していると見たこともない綺麗な虫たちをよく見ます。 この辺りの虫はだいだいキラキラ光っていたり、透明に透き通っていたりして、綺麗です。
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そうして夕方、またお外に行きたい猫たち。
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私も体がガチガチになってきたので、家の周りを一周歩いたり走ったりしにいきます。 すぐ近くに川が流れているのでそこに行くとすごくリフレッシュできます。
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大分日が暮れてきました。 家には、浅間神社のコノハナサクヤヒメのお札(というのでしょうか・・?)と、 夫がインドで買ってきた���ラスヴァティーと 能登半島の天日陰比咩神社のハガキを飾って(祀って)います。
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夜、旦那さんが外で草を摘んできて紅葉にあげていました。 可愛い・・
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さて、もうそろそろ寝る時間です。
とても平和な1日でした。 読んでくださりどうもありがとうございました。
本当は、河口湖や富士山周辺のおすすめスポットもご紹介したかったです。 忍野八海や、樹海や、道の駅や、温泉・・ 楽しいところがいっぱいあります。
そのうち、家で自然療法(蒟蒻湿布や石の温灸やよもぎ蒸しなどでの身体のあたため)と楽器の音でのサウンドセラピーのようなことと、 山や川、河口湖周辺の散策などをするリトリート的なことをやっていきたいなと思っています。 ご興味ある方いましたら声かけてください。 まだ準備中ですが、ひっそりと、”森のおとリトリート”というインスタグラムアカウントを作りました。 https://www.instagram.com/morinootoretreat/
こちらに引っ越してから、だんだんとやりたいことが自然とできるようになってき ました。 ありがたい。 カバー動画もやっていきたいし、 音楽以外にも、やりたいことが沢山あり、デザインやグッズ制作、文章も書いてい きたくてnoteも始めようと思っています。 楽しみ。
とりあえずは!! 11/15に、マリンバの弾き語りでのセカンドアルバム(8曲入り)をリリースいたします。 ゲストミュージシャンに夫のシタールの田井中圭と、クラリネット奏者の渡邊一毅 さんを迎え一曲ずつ参加してもらいました。 よかったらこちらSENSAさんに詳しく情報掲載いただいているのでご覧ください。 https://sensa.jp/news/20230927-kageyama.html
リリースパーティは!!ゲストミュージシャンのお二人と、シンガーソングライター のkiss the gamblerちゃんを迎えて 恵比寿リキッドルーム二階のKATAで開催します。 世田谷の美味しい硴とお酒のお店 アリク が 硴めしや、炊き込みご飯などで参加してくれます!! ぜひ遊びにきてください♪ 詳細こちら https://t.livepocket.jp/e/tampopo
ええと、こんなことを書いている今。夜寝る前。 ふと見ると室内にいるはずの紅葉がベランダに・・! 窓の網戸用鍵はかけてあるのになぜ?! と思ったら、なんと網戸を破いて外に出ていました。 恐るべし・・
-プロフィール- 影山朋子 1982年6月 神戸生まれ 11年間の東京生活の後、昨年より山梨県富士河口湖町在住 マリンバ・ビブラフォン奏者、シンガーソングライター、 風と木の音楽教室主宰(八王子と河口湖でマリンバのレッスンをしています) ときどき療育のお仕事にもたずさわっています。 HP https://www.tomokokageyama.com twitter https://twitter.com/momotukituki instagram https://www.instagram.com/tomoko_kageyama632/ 風と木の音楽教室 https://kaze-to-ki-music.webnode.jp
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fatuispolaris · 1 year
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すべての既知の航空法則によると、ミツバチが飛ぶことができるはずはありません。その翼は小さすぎて、太った小さな体を地面から離すことができません。もちろんミツバチはとにかく飛ぶ。ミツバチは人間が不可能だと思うことを気にしないからです。」配列番号75-「INTRO TO BARRY」INT。ベンソンハウス-デイアングルオン:地面にスニーカー。カメラが上に移動して、バリーベンソンのベッドルームアングルを表示します。バリーの手がクローゼットの中でさまざまなセーターをめくっています。バリーイエローブラック、イエローブラック、イエローブラック、イエローブラック、イエローブラック、イエローブラック...うーん、ブラックとイエロー...アングル:バリーが選んだセーターを着て、鏡を見て。バリー(続き)ええ、少し振りましょう彼は黒と黄色のものを選びます。彼はそれから流しに行き、蜂蜜の容器を外し、髪に蜂蜜を入れます。彼は口の中でいくつか潮吹きしてうがいをします。それから彼はボトルの蓋を外し、デオドラントのようにいくつかを転がします。カット:INT。ベンソンハウスキッチン-継続的なバリーの母親、ジャネットベンソンがバリーに怒鳴り響きます。 JANET BENSONバリー、朝食ができました! CUT TO: "Bee Movie"-JS REVISIONS 8/13/07 1. INT。バリーの部屋-継続的なバリーがやってくる! SFX:電話着信音。バリーのアンテナは、電話のように鳴るときに振動します。バリーの手は濡れています。彼はタオルを探し回っています。バリー(続き)ちょっと待って!彼はセーターで手をふき、触角を耳と口まで引き下げます。バリー(続き)こんにちは?彼の親友、ADAM FLAYMANが反対側にいます。 ADAMバリー?バリー・アダム? ADAMこれが起こっていると信じられますか?バリー信じられない迎えに行きます。バリーは針を研ぎ器に刺します。 SFX:スティンガーがシャープになるので、音が鳴ります。彼は彼の指で鋭さをテストします。 SFX:ビング。バリー(続き)鋭く見えるANGLE ON:バリーが廊下をホバリングし、階段の手すりを滑り降りる。バリーの母親、ジャネットベンソンがキッチンにいます。ジャネットベンソンバリー、階段を使ってみませんか?あなたのお父さんはそれらのためにかなりのお金を払いました。 「Bee Movie」-JS REVISIONS 8/13/07 2. BARRYすみません。バリーの父、マーティンベンソンが入社します。彼はヘッドラインで新聞を読んでいます、「女王は千のタプレットを産みます:安らかに休む」。 MARTIN BENSON卒業生です。息子を誇りに思います。そして、完璧なレポートカード、すべてのBです。ジャネットベンソン(バリーの髪をなでる)非常に誇りに思っています。バリーマ!ここに行く物があります。バリーは彼の髪を再調整し、去り始めます。 JANET BENSONファズに毛羽立ちがあります。彼女はそれを選びます。バリーわぁ、それは私です! MARTIN BENSON Waveをお届けします。私たちは列118,000になります。バリージップオフ。バリーバイ!ジャネット・ベンソンバリー、家で飛ぶのはやめた! CUT TO:SEQ。 750-卒業生への運転蜂の郊外-ガレージのドアの朝が開きます。バリーは車で車を運転します。 「ビームービー」-JS REVISIONS 8/13/07 3. ANGLE ON:バリーの友人、ADAM FLAYMAN、縁石のそばに立っています。彼はヘッドラインで新聞を読んでいます。「フリスビーヒッツハイブ:インターネットダウン。ハチ立ち:「私は音を聞いた、そして次に知った...ワオ!」バリーが車を運転し、アダムの前で停止します。 Adamが飛び込みます。BARRYおい、Adam。 ADAMねえ、バリー。 (バリーの髪を指しています)それはファズジェルですか?バリー少し。特別な日です。いよいよ卒業。 ADAM自分で作るとは思ってもみなかった。バリーうん、小学校3日、高校3日。 ADAMそれらはとても厄介でした。バリー3日間の大学。ある日真ん中に離陸してハイブの周りをヒッチハイクしただけでよかったです。 ADAMあなたは違って戻ってきました。彼らはジョギングをしているハチのそばをドライブします。 ARTIEハイバリー!バリー(ハチの歩行者に)ねえArtie、口ひげを生やしてる?いいね。バリーとアダムは郊外から街へ車で行きます。 ADAMねえ、フランキーについて聞いたの? "ハチの映画"-JS REVISIONS 8/13/07 4.バリーうん。 ADAM彼の葬式に行くの?バリーいいえ、彼の葬式には行きません。誰もがあなたが死んだ誰かを刺すことを知っている、あなたはリスにそれを無駄にしない。彼はとても暑かった。 ADAMええ、私は彼が邪魔にならないだけだったと思います。ループデループによるDRIVE。バリーとアダムおっと...ええと...ええと!! ADAM遊園地を私たちの通常の日に組み込むことは大好きです。 BARRYだから休暇は必要ないと彼らが言うのだと思います。 CUT TO:SEQ。 95-卒業EXT。卒業式-バリーとアダムが止まりました。彼らは車を降り、群衆を飛び越えて席に着きます。 バリー(再:卒業式)男の子、状況下でかなり豪華... \*彼らは自分の席に着陸します。バリー(続き)さて、アダム、今日は男性だ。 「ビームービー」-JS REVISIONS 8/13/07 5. ADAMあります。バリービーメン。 ADAMアーメン!バリーハレルヤ。バリーはアダムの額に当たります。アダムは携挙に入る。 PAでアナウンスが行われます。アナウンサー(V.O)学生、教職員、著名なミツバチ...ようこそ、ディーンバズウェル。角度:ディーン・バズウェルが表彰台に上がります。ポッド
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❝ this is why everyone hates you. ❞
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chouchouyell · 10 months
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ララアップ6月の出店情報
こんにちは!
先日のララアップ体験会、雨の中たくさんの方が遊びに来てくれました~。ご縁がつながり、ますます今後が楽しみになってきました。
ほんとララアップ使うと、お顔だけじゃなく運気も上がりますね♡
興味あるけどまだ試せていない、という方はいつでもラインからメッセージくださいね。折り返しご連絡させていただきます♡
さて6月のイベント出店情報はこちらです。
☆Coco Beauty(ココビューティ)
6/25(日)10:00~16:00 
@ココソレイユ 横浜市青葉区新石川2-13-18
☆アラカルトマルシェ
6/29(木)11:00~16:00
@季節織工房 東京都世田谷区池尻2-37-15
☆Share A month(シェアマンス)たまプラーザ
6/30(金)10:00~16:00
@メ���チェカフェ 横浜市青葉区新石川2-4-10
全部都合がつかないよ~😢って方はメッセージお待ちしてますね。
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tutai-k · 1 year
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『魔女の選択』試し読み(『山梔の處女たち』収録
2023年1月15日(日)に開催の文学フリマ京都にて刊行予定の書物『山梔の處女たち』の通販予約を開始しました。
BASEよりご注文いただけます。 122ページ/B6版/フルカラーカバー/1300円 BASEのクーポンが12/16~18までご利用いただけます。 クーポンコード「base10xmas」入力で、20%オフになりますので、ぜひご利用ください。
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電子書籍版をご希望の方はこちらへどうぞ。
表紙の写真は、高校時代からの友人мärさんです。
収録作『魔女の選択』の試し読みを掲載します。
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 オド魔法女学院は早春、卒業旅行を控えていた。行き先はカリクシュマンテ。オド魔法女学院最初の卒業生にして、はじめて女性で万象にえらばれ司となったマトゥーヤが、卒業試験のおりに学院の裏森と門をつないだ異界である。 「いま、いそがしいってわかってるよね」  教員室の窓からうんざりした顔を出しているのは三年生の担任のウタ。外には、エプロンを身につけたふくよかな女がひとり。野薔薇を一輪、ウタに差し出している。 「知ってる。だからきた。俗世の労働からさらってやろうと思って」  野薔薇は受け取ったものの、ウタの顔は渋い。 「あいにく、わたしはこの賃労働が気に入っているので、理の司にして大魔女マトゥーヤの迎えはおことわりするわ」 「なぜ。手をこんなに荒らして。紙ばかりさわっているからだ」  マトゥーヤと呼ばれた女は丸っこい両手で、野薔薇を受け取ったウタの手を包む。 「わたしのところへおいで、働かなくていい。あなたの大好きな本を好きなだけ読み、詩を書き、寝たいときに寝て、起きたくない朝は起きなくていい。なにもしなくていいんだよ、わたしには司の不労所得がある」 「その言いかた、いちいち癪にさわるわね。詩作は楽しいし、読書は人生の糧だけど、教員の仕事はわたしには大事な生きがいなの。帰ってちょうだい。卒業旅行の用意で忙しいんだから」 「つれないねえ」マトゥーヤはしらじらしくため息をつく。「わたしだって卒業旅行の準備のために呼ばれているっていうのに」 「だったらさっさと学院長室へいきなさいよ」  年に一度、この学院の卒業生たるマトゥーヤは卒業旅行のために招聘される。カリクシュマンテは、マトゥーヤだけが門をひらくことができる異界だった。 「まあ、門ならもう開き終えたんだけどね」 「学院長先生への挨拶は?」 「表敬訪問ならいましている、われらがオド魔法女学院のウタ先生に」 「わたしにしてどうするのよ」 「学院長の話は長くてあくびが出るよ、大昔から」  マトゥーヤは肩をすくめて、ぺろりと舌を出した。マトゥーヤとウタがこの学院の生徒だったころから学院長は変わっておらず、当時もいまも、講話はうんざりするほど長かった。 「マトゥーヤは仕事を終えた。もう帰ってもいいはずだ。あなたを連れて、ね」 「わたしは三年生の担任よ。いなくてどうするの」 「教師がいなくとも、旅行はできる。そう異界を調整しておいた。教師なんていないほうが生徒たちも楽しめるよ」 「もしものことがあるかもしれない。――あなたは忘れているかもしれないけど、十八歳はまだこどもよ」 「使い魔をえらんだんだろう。ならば立派な魔法使いさ。自分のことは自分で決められる。生涯のパートナーを、もうえらんだんだから」  その台詞にウタはさらに顔をしかめた。 オド魔法女学院の卒業試験は、各自で門を開き異界へゆき、使い魔を獲得することが卒業要件だ。使い魔は魔法使いにとっては必要不可欠な存在で、持たずに社会に出ることはできない。  ウタのクラスは、全員が使い魔を獲得し、卒業要件をきっちりと満たしていた。  それなのに、使い魔、とマトゥーヤが発したときにウタが表情をけわしくしたのには理由がある。 「どうしたの?」マトゥーヤは首をかしげたが、ウタが問題の核心を話してしまうまえに、次の台詞を次いだ。「わたしがえらんだ使い魔はオーガだった。ブタがブタをえらんだと担任は笑った」 「あの担任は最悪だったわ」 「あなただけが笑わなかったね」  ほんとうは、ウタは頭を抱えたい。なにもかもぶちまけてしまって、逃げ出したいと思っている。 「生徒がどんな使い魔をえらんでも、笑ったり否定したりしないのが教員の誠実さだ」  マトゥーヤが低く、厳しい声でつぶやいた。  そんなことは、門外漢である理の司に説かれなくても、教師なんだからウタはじゅうぶん、わかっている。わかっていてもなお、ため息をつき、頭を抱え、ときに否定の言葉が口をつきそうになってしまう。毎日毎日、それにたえている。  オド魔法女学院の卒業要件はただひとつ、自力で使い魔を獲得すること。そして、その使い魔がどんなものであったとしても、獲得したのならば、卒業を認めねばならない。もちろん、卒業要件を満たした生徒は、卒業旅行へゆく権利もある。卒業旅行は、みんなが楽しみにしている。――特定の生徒だけを参加させないとか、参加に特別な措置をとる、なんてことは、できないのだ。  それでも。 「ねえ」  古くからの友人――この学び舎でともに魔法を学び、使い魔をえらび、卒業旅行へいった学友に、ウタが重い口を開いて相談事を持ちかけようとする。  マトゥーヤはふっと軽く笑った。揶揄するようにも、悩みを聞くのを拒絶するようにも思われた。 「花が咲いたらまたくるよ」 「こなくていい。会いたくなったらこっちからいくから」  重い相談を口にせずにすんだ安堵と、言えなかったことによる消化不良で、ウタの声は親しさを欠いていた。 「転移術の天才は、ここから理の庭まで瞬時に飛べるものね。夜這いはいつでも歓迎だよ」 「花はありがとう。おなじ卒業旅行にいったものとして、今季の生徒たちの旅行も、つつがなく終わることを祈っておいてちょうだい」 「つれないねえ。もちろん、後輩たちの旅行が楽しい思い出になることは祈っているよ」  マトゥーヤはついと宙に指をすべらせる。 「司とは不便な身分だよ。万象の許可がなければ、第十三階級……最下層の魔法しか使えないんだから」  あらわれた箒に横向きに座ると、空に舞う。エプロンの裾がぱたぱたとはためく。 「ウタ。あなたは魔法を封印されていないんだ。得意の転移術で庭に遊びにきてくれ。――いきたくなったら、と言うばかりで、一度もきてくれたことがないじゃないか。マトゥーヤはさみしいよ。……素敵な卒業旅行を!」  箒に乗ったマトゥーヤの姿が見えなくなるまえに、ウタは窓をぴしゃりと閉める。自席にもどろうとするのを、新任の教員がじっと見ている。 「なに? 本物よ」 「本物って……」  好奇のまなざしに、ウタは答えをやる。 「あの女こそ、世界ではじめて女性で万象にえらばれた大魔女マトゥーヤ」 「どうしてウタ先生にお花をくれるんですか」 「わたしと同級生なの。司なんてみんなご大層に言うけれど理と井戸端談義をしていればいいだけの無職よ。働いてるわたしたちのほうがえらいわ」  ウタは自席に着き、卒業旅行の心得を書き出していく。例年のものを、今年は流用できなかった。 「……そうですか?」  新任の教員はきょとんとしている。彼女もオド魔法女学院の卒業生だ。大先輩たる理の司マトゥーヤには並々ならぬ憧れを育んでいる。  十五年まえの卒業旅行の前夜のことだ。教員たちが開いた異界の門にいたずらをして、マトゥーヤがカリクシュマンテに門をつなぎなおしたのは。たくさん魔法石がほしい、とウタが強く望んだのが原因だ。カリクシュマンテは、だれにも発見されていない異界で、手つかずの魔法石の森があった。そんなところを見つけ出すことのできるマトゥーヤは、当時から規格外の魔法使いだった。 「そうよ」 「それ、ウタ先生だから言えるから、額面通りに受け取っちゃだめよ」と、横から別の教員が口を挟む。「ウタ先生、同級生なのよ。それもずっと仲良しで、大親友」  毎年この時期に同僚たちとするやりとりだ。学生時代から、マトゥーヤと親しくしていたのは事実だが。 「腐れ縁なだけ」 「それにしては熱心なお誘いだったじゃない」 「大魔女マトゥーヤにさらわれたら働かなくていいし、好きにできるし、最高じゃない」  教務だけでなく、���務方の雑務にも日々忙殺されている教員たちはうんうんとうなづきあう。 「わたしは教員が好きなので」  ウタはため息をつく。――と同時にチャイムが鳴った。次の授業は卒業旅行を心待ちにしている生徒たちに、今日はその説明と、予行演習。教室では目をかがやかせた生徒たちが待っている。 「トミューラさんのことだって、投げ出してしまえるのよ」  いつかは出ると思っていたが、その名が話題にのぼるとウタの気持ちも重くなる。 「トミューラは自分の意思で使い魔をえらんだまでです」  なるべく平静を装って跳ねかえすが、教員室の全員がトミューラの名が出た瞬間からこの雑談に耳をそばだてている。 「でも、それがサキュバスだなんて」 「親友のモモさんの使い魔は、ユニコーンなのに。――このふたりを連れて卒業旅行だなんて」  ガタン、とウタは席を立つ。 「教室へいきます。授業開始のチャイム、もう鳴りましたよ」  あわてて次の授業の用意をする同僚たちを横目に、ウタは早足で教室へむかった。
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halfmango · 1 year
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230413-230414
230413
昼まで寝て、昨晩作っておいたお弁当を食べた。奨学金の申請に疲れた友人と通話する。複数人から奨学金申請に詳しい人扱いされているのが正直面白い。
夢:ららぽーとで道に迷い、警備員さんに英語で道を尋ねるも伝わらずふにゃふにゃになる。
230414
レコードプレーヤー持ちの同期の家に遊びに行き、触らせてもらった。入門機は1万せずに手に入れられるらしい。ちょっと気になる。共通の学科と言えど普段全然顔を合わせる機会が無い3人がレコードという繋がりだけで集まっているのが面白かったし、不思議な縁を感じられた。R&B好きのオケ部員、コピバンのベース弾き、Internet kawaii pop好きのオタクと共通項が全く見つからない……と思いきや、後ろふたりが地下アイドル好きだと判明したのは衝撃だった。美味しい曖昧はまた聴いておきます。おうどん屋さんの内装がかわいかった。
7月の研修で東に行く際に、足を伸ばして仙台まで行こうかと目論んでいる。仙台まで行くと陸路より空路の方が早く便を選べば安いため、もういっそ飛行機を使ってしまいたい。しかし切符は一括で事務が買ったものを配布する仕組みらしく、特急券の払い戻しは可能なんだろうか。流石に現金支払いじゃないだろうし……こういう手続きでクレカを使えるのか?わからない。なにを用いて支払っているんだ。クレカ支払いだとややこしく、多分支払い主以外は払い戻しできなさそうである。私は新幹線を払い戻し特急券の区間変更をして仙台に行きたいんだよ!!!!
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namuahi-san · 1 year
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 馬無山(うまなしやま、馬に乗らなくても登れることからその名がつけられた山)が噴火し、補修者(ぶっ壊れてしまった世界を補修する者たち)も、オルタナ力士(ぶっ壊れた世界に順応して生きる者の総称)も皆、黒焦げ骨付き肉と化した。つまりジ・エンド(おしまい)だ。神が不在(いない)のだから仕方がない。じゃあ、マチ子は? マチ子は肉全般が嫌いだった。が、嫌いな食べ物を食べることで魂がより高いレベルに達する(実際、鳩にちくわをやるおばさんは鳩の魂をそうしているわけで……)ことを知っていたので仕方がなく黒焦げを口に入れ、いそいで川の水で流し込んだ(ところで、実家から電話が来ると聞いたことないような方言で訛る猫の話はしましたっけ?)。お金がなさすぎて塩(主食)を買うのに躊躇してたら海の水を焼いて塩(主食)を作ることを思いつくような人だって世の中にはいるのだ(それはマチ子)。あまつさえ、それを売って儲けようだなんて(原価はゼロ円ですね)! そう思ってマチ子、三十五年ローンで七階建ての塩御殿を建てたが結果、塩屋大赤字(主にガス代です)。塩御殿は売却されパルコ(塩)とかになりました。マチ子はね、悲しみのあまり、こう、猫背になったんですってよ。猫だけに(だけに?)。バスに乗るマチ子(バチ子)。窓から見えた細い道に『猫背矯正! 直します、すごく!』の看板を発見した。降車ボタンを押すと同時に両手をクロスしたまま窓を突き破り(そのとき、一陣の風がマチ子の頬を凪いだら……?)バスを降りた。件の猫背矯正医院では医者と看護師が互いをメフィスト(看護師)、ゼロ(医者)と罵り合っており、壁には、生のサメが『神さまアレルギーで神様がいない世界に行った人も、まあ……なかにはいますかねえ!!』とトゲ吹き出しで叫んでいるポスターが貼られていた。マチ子、いつまで経っても自分の番が回ってこないことに腹を立てて、裸(ら)、併設されている教会へと。奥の大きな十字架には肋(ろっ)の浮き出た男が磔(くつろい)でいた(あるいは、男は本当に存在するのではなく、皆(みーんな)の無意識が作り出した幻想、なのかもしれませんね)。そのうちの一人が、さみしい、という名前の子供だ。さみしい、は、墓場(常温)、というあだ名の女性と結婚し、戦争(うぉー)、というあだ名のバイト先のおじいさんを産んだ。戦争(うぉー)はいつも左手で右の脇腹をおさえているところからついた名で、名札にも、あっ、ここでニュースなんですが! 鳩にちくわをやり続けているおばさんを黒く塗りつぶしたら、鳩を黒く塗りつぶすおばさんに進化しそうだったので! 鳩おば(鳩をどうにかしようとするおばさんの総称)をマチ子(西暦のことをキリストの何回忌って数え方するタイプの女)が滅することで、未然に止めることができました。良かった……鳩は平和のシンボルですからね、なるべくむごたらしく殺した。表彰式を途中で離(り)するマチ子。おい主役は……マチ子はどこだ! 一方その頃、インター・ネットでは。おや、夫婦でそれを描き続けてる絵本作家の担当編集者が困ってるようですよ。夫婦はしきりにヤバい虚構の国(滋賀県付近)で鳩をむごたらしく殺す話を描きたいと言ってきかず、結局その話は自家製本(玩具屋の床に転がり、欲しい! 買って! と���限に駄々をこねている子どもの皮を集めて造ったものではありませんよ、あしからず)され各地の公民館や幼稚園、図書館といった公共施設に配られたということです(その頃の町の子どもたちの総数は、若干、ですが……減っていたそうです)。え? だからマチ子はどうしたかって? それどころじゃないんだよ! 世界では体の先端が壊死するタイプの奇病が大流行! 指先から発症して、第一関節、第二関節とそのたび切っていくしかないって、これ、どういうことかわかります? はい……自分(っぶん)、いいっスか……? 考えたら、怖くなってきたんっスが(震え)つまり、ね、最終的に人間は完全な球体になります(わあ……きれい)。そんな病気を鎮めるために祈り師は生まれた。税金の無駄遣いとの批判もあったが、彼らはシンプルに病気の鎮(ちん)を願った。祈り師たちの一日はこうだ。国から税金を貰う。ホテル暮らしで、好きなもの(湿らせたお麩等)を飲み食いし、ふて寝。で、時間が余り、尚且つ興がのったら激しく祈る。誰に? だから、まだいない、神に。一方マチ子(後にこの話をハッピーエンドで終わらせる存在)は、勤務先のスナックでいつだって常連のクソ客に絡まれていた。客はマチ子のことを姪だと思い込み、真(しん)には自分より年上のマチ子に対し、このタイミングで死することを勧め続けている。こんな調子だ。ヘイ、どうだろう、いま君は美しい……その美しさを永遠にするため死ぬという選択肢イェイ? マチ子はマチ子で叔父(叔父ではない)の顔に唾(だ)を吐きかけ耳たぶを思い切り捻り上げ部屋を後にした。バタン!(ヒュー!(口笛)) ドアが閉まる音。静寂(サイレンス)。マチ子の叔父(マチ子の叔父ではない)の、啜り泣く声。さて、君はこんなマチ子のことをどう思う? マチ子(苗字は川中島。浅くて広い川の中にある小島に代々住んでいる一族)はね、世界を救おうとしているんだ。嘘じゃあ……ない。現にマチ子はその足で叔父(叔父)の口座からありったけのお金を引き落とし、飲食店を開いた。店名はない。看板、いや、紀文のかまぼこ(赤、縁起が良さそうという理由で)の下に敷かれていた板が入口のドアの横に両面テープで貼ってはいるが……。食べログの唯一のレビューはこうだ『親兄弟を殺してでも食べたい名店の味!』。インター・ネットの効果だろうか。マチ子の店にはたちまち多くの人(じん)が並んだ! 並んだ数はあまりに多く、その行列は山(ざん)を越え、町(ちょう)をはみ出し、補修者も祈り師たちも踏みつけ、国(こく)を跨ぎ、海(かい)に浮かび、世界(ぜん)を繋いだ。そして食べた全員(みーんな)が、せーの、過激な食中毒! (もしくは)未知の病気! によってドラスティックに絶命した。巨大な両翼によって空に浮かぶオルタナ力士(本名)は、それをかなり満足そうに見ていた。するとどうだろう。『なにか』が集まり『なにか』が生まれた。やあ、俺さ。神は言った。こうして神は地上に降臨なさったのです(え? 話はこれで終わりかって……? いえいえ、本当のお話はここから、ですよ)。『それ』っぽいのがマチ子ひとりなことに神はひどく動揺(ヴァイヴ)していた。そして、マチ子に永遠の命を与えようと決めた。マチ子は口では文句を言いつつも満更ではなさそうで、むしろ(イェイイェイ)とさえ思っていた。神は、ひとりぼっちになったら正直……ちょっとキツいかな〜……と思っていたのだ。だが、それを知ったオルタナ力士がシュン!(音)と地上に舞い降り、神に反対した。神は突然の闖入者に驚き、多大なる衝撃を受けた(そう、神は反論とかに滅法弱いのだ)。そうして神は、喉越しの良い麺類しか喉を通らなくなる……。反抗したオル士(おるし、オルタナ力士の略称)もこれには驚き、甲斐甲斐しく風の強い島に行き本格的な歯応えとするりとした喉越しを両立させた素麺を自ら作るなどして永い時間(あいだ)尽くしていたが、その心にはある計画を秘めていた。オル士はそれを、鹵(ろ)と呼んでいた。床に伏せる神の前に出された素麺は、その日だけ特別なものだった。おお、いつもすまないねえという神に、オル士は何も言わず椀を差し出す。口を開くと余計なことを言ってしまい��うだった。神はそれを気にする様子もなく箸を持ち、以前よりもゆっくりとした動作で麺を口に運ぶ。ああうまい、と神が言おうとしたそのとき、素麺は意思を持っているかのように神の口蓋垂に絡みついた。別の麺が、口蓋扁桃、舌根扁桃をバウンドし気管に飛び込んでいく。それは賭けだった。神の身体の構造がマチ子と同じかはオル士には分からなかった。ただ、神は一瞬驚いたようにオル士を見たあと、胸の上あたりを押さえ、ゆっくりと目を細めると何事か唇を動かし、上半身を起こしたままの姿で動かなくなった。享年およそ四十四億歳であった。オル士はそれを見届けると、(手の代わりだろうか)両翼を自身を包むように前へと持っていき、静かに合わせた。オル士が立ち上がると、終わったの? と無邪気な声がした。オル士はやけに長い睫毛を二、三度瞬かせると、緊張した面持ちでマチ子の方へと手を伸ばした。マチ子はいつか祈り師の上着からくすねたハンカチで自分の手を拭き、差し出された手のひらを見た。水でもどしたばかりのどんこのような、ふっくらとした手。数十億年ぶりの神のいない世界。太陽の光はどこまでも白く、マチ子はその手を伸ばした(人類が誕生する、何千年も前の話だ)。え? マチ子たちはその後どうしたのかって? どうしたもこうしたも、あんたの知っての通りだよ。オル士は神との戦いを、一対一(タイマン)で、武器も持たず、だが局部だけは隠した格好で行ったと後世に伝えた。その結果、神は倒れ、世界に再び混沌(リアル)が戻ったのだと。当初、素の姿で舞うことで素舞(すまい、すまう)という名だったものは、やがて相撲(すもう)と呼ばれるようになった。戦う者は、オルタナ力士の本名から、力士と名付けられた。彼らは皆一様に、オル士のような肉体を目指した。素麺作りのための毎日の島への往復によって作り上げられた、豊満ながらも無駄のない肉体を。ん? だからマチ子はどうしてるかって? マチ子なら今日も海に出てるよ。今は砕けたガラスの破片が海の流れのなかでいい感じに丸くなったものを透明石と呼んで、ふらっと遊びに来た人に売りつけているのさ。
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rakuhoku-kyoto · 1 year
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装幀を担当したご本。『たまふりの人類学』石井美保[著]青土社[発行]
 小社刊行の本ではございませんが、装幀を担当したご本を、ここで紹介させていただきます。  青土社から刊行されます。
『たまふりの人類学』 石井美保 著
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カバー銅版画┃ イシイアツコ
仕 様┃ 四六判 並製 272頁
発 行┃ 青土社
刊行日┃ 2022年11月21日ころ
 装幀を担当させていただきました。
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「文化人類学者は、世界の隙間のさらに奥深くへ――。ガーナの村の精霊、インドのトラ保護区、京都の借り暮らし、東北の津波跡、感染症と禁忌、ウクライナの国境、日本兵の面影と記憶……。  ふるえながらめぐりながれ、この世に現れては過ぎ去っていくものたちにことばを与え、一回性と偶然性に満ちた人間の生の営みを書き記す22篇。」
詳細は 青土社 をご覧くださいませ。
著 者 石井美保(いしい・みほ) 1973年、大阪府生まれ。文化人類学者。北海道大学文学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。宗教実践や環境運動をテーマにタンザニア、ガーナ、インドで調査を行う。現在、京都大学人文科学研究所准教授。主な著書に『精霊たちのフロンティア』(世界思想社、2007年)、『環世界の人類学』(京都大学学術出版会、2017年)、『めぐりながれるものの人類学』(青土社、2019年)、『遠い声をさがして』(岩波書店、2022年)などがある。第14回日本学術振興会賞受賞(2017年)、第10回京都大学たちばな賞受賞(2018年)。
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目 次  まえがき  Ⅰ
花をたむける
アンフラマンス
世界する流儀
贈与と顔
 Ⅱ
石を積む
都市の縁側
あいづちと変身
うつつの向こう側
借り暮らし
 Ⅲ
数式と神話
センザンコウの警告
センサスの内と外
空の飛び方
 Ⅳ
少女たちの残像
声と現れ
地べたの民俗誌
風の祠
国境の森で
 Ⅴ
たまふりとふるえ
羽をもつもの
シャマンのうた
いしぶみと署名
 あとがき
   * * * また、同じ著者、石井美保氏の『めぐりながれるものの人類学』も、かつて(2019年に)装幀を担当させていただきました。
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『めぐりながれるものの人類学』  石井美保 著
カバー銅版画┃ イシイアツコ
仕 様┃ 四六判 並製 224頁
発 行┃ 青土社
刊行日┃ 2019年6月刊
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「フィールドで、文化人類学者が見たものとは? 学界の気鋭が書き下した27の文章は、タンザニア、ガーナ、インドから、60年安保の水俣、京都大学の「立て看」撤去問題まで、時間と空間を越えてめぐりながれる。  異なっていながら同じものに満ち、分かたれていながらつながっている私たちの生のありようを鮮やかに描き出すす27篇。」
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目 次  まえがき  I
「人」からの遊離
小人との邂逅
水をめぐるはなし
循環するモノ
道の誘惑
 Ⅱ
���形の者たち
鳥の眼と虫の眼
ふたつの問い
科学の詩学へ
 Ⅲ
敷居と金槌
公共空間の隙間
フェティッシュをめぐる寓話
隅っこの力
 Ⅳ
まなざしの交錯と誘惑
現実以前
流転の底で
Since it must be so
 Ⅴ
世話とセワー
ささやかで具体的なこと
台所の哲学
リベリア・キャンプ
追悼されえないもの
 Ⅵ
凧とエイジェンシー
島で
サブスタンスの分有
神話の樹
言霊たち
 あとがき    * * * また、こちらのご本は、装幀を担当していませんが、同じく石井美保氏の著作で、同じくイシイアツコ氏による装画の――、 『遠い声をさがして:学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録』
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発 行┃ 岩波書店
仕 様┃ 四六判 並製 338頁
刊行日┃ 2022年6月刊
「小学校のプールで失われた命。なぜ、どうして、事故は起きてしまったのか。  受容と忘却の圧力に抗い、「その時」に迫ろうとする両親と同行者たちの苦悩と行動。  そこから浮かびあがる学校や行政の姿。  同行者の一人として出来事にかかわった文化人類学者が、多声的な語りから亡き人とともに生きることの意味と可能性を考える。」
   * * *
 そして、11月11日の「朝日新聞」朝刊(2022年11月11日 金曜)の「折々のことば」に、『めぐりながれるものの人類学』(石井美保 著、青土社)から、引用がされています。
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※ 画像は、文章の一部分を隠しています。全文は「朝日新聞」「折々のうた」をご覧くださいませ。
以上、2022年11月17日 記
 .
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nihongoseito · 1 year
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vocab pt. 5 from シュナの旅!
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we’re getting nearer to the end...! i expect maybe one or two more lists in this series :) 頑張ってね!!
nouns:
山羊(やぎ) = goat
罠(わな) = snare, trap
縁(ふち) = brim, edge, brink
小石(こいし) = pebble
薬包(やくほう) = chartula (for medicine), cartridge*
最後尾(さいこうび) = tail end, backmost part
銃弾(じゅうだん) = bullet
轟音(ごうおん) = thunderous roar
閃光(せんこう) = flash (of light), glint
対岸(たいがん) = opposite shore
浮遊(ふゆう) = floating, drifting, suspension
密雲(みつうん) = dense clouds, overcast
下降(かこう) = descent, decline, fall
手(て)がかり = clue, key, lead, trail; handhold
見通し(みとおし) = unobstructed view, visibility; forecast, outlook
岸壁(がんぺき) = rock cliff, cliff face
verbs:
食い止める(くいとめる) = to hold back, keep at bay
うつむく = to hang one’s head, look down
振り返る(ふりかえる) = to turn one’s head, look over one’s shoulder; to look back on, reminisce
掘る(ほる) = to dig, excavate, hollow; to delve into
潜める(ひそめる) = to hide, conceal
打ち抜く(うちぬく) = to punch; to pierce, bore into
締め上げる(しめあげる) = to constrict
慌て(あわて)ふためく = to panic, be flustered
よぎる = to go by, pass by, cross, flash across
穿つ(うがつ) = to drill, bore, pierce
遮る(さえぎる) = to interrupt, obstruct, block
adjectives:
足早(あしばや)な = fast, brisk, quick (walking)
青白い(あおじろい) = pale; bluish-white
垂直(すいちょく)な = vertical; perpendicular
無数(むすう)の = innumerable, countless
adverbs/onomatopoeiae:
太古(たいこ) = ancient times
expressions:
へと = literary version of へ
浮遊塵(ふゆうじん) = floating garbage, refuse (塵 is the kanji for ゴミ!)
意(い)を決する(けっする) = to ready oneself, make up one’s mind
*this is the dictionary definition, but shuna seems to use 薬包 as (or to make) landmines, so maybe it means like cartridges for gunpowder instead of medicine powder in this case.
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abraxas174 · 1 year
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『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート 高月園子 訳
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「二〇〇〇年のある日、ローリー・スチュワートは故郷のスコットランドを散歩していて、ふと、このまま歩き続けたらどうだろう、と考えた。それがすべての始まりだった。その年、彼はイランを出発し、アフガニスタン、インド、パキスタンを経由しネパールまで、アジア大陸を横切る全長九六〇〇キロを踏破する旅に出た(「訳者あとがき」より)」。だが、タリバンに入国を拒否され、アフガニスタンは後回しにするしかなかった。翌年にタリバン政権が倒れると、彼は大急ぎでネパールから引き返してきたのだ。
通常アフガニスタンの西の都市ヘラートから東のカブールに行くには、ヒッピーたちが旅したように南のカンダハールを経由する。それなのに、あえて最短距離のルートを選択し、積雪三メートルに及ぶ冬の山岳地帯を抜けて歩き通した苛酷な旅の記録だ。誰からも冬季に山岳地帯を行くのは無謀だと説得されるが、南はまだタリバンの勢力下にあり、��こを通るのは危険だ。彼は一刻も早く踏破したかった。歴史学者でもある男はムガール帝国初代皇帝バーブルの日記を通して、彼が同じルートを冬に踏破したことを知っていた。
邦題には「犬と歩く」とあるが、はじめは犬は登場しない。その代わりに武器を携行した男三人が旅のお伴だ。なにしろ、タリバン政権が崩壊してたったの二週間だ。外務官僚のユズフィは言う。「きみはアフガニスタンの観光客第一号だよ。(略)護衛を連れて行きなさい。これは譲れない」。彼は市場で手ごろな木の棒を買い、鍛冶屋に行って両端に補強用の鉄を取り付けてもらう。この杖は「ダング」と呼ばれ、山道を歩くとき重宝するが、いざというときは武器にもなる。
この本のことは、ロバを連れてモロッコを旅している邦人のツイッターで知った。本の影響を受けてのロバ旅らしい。モロッコではマカダム(村長)が行く先々についてきて、次の村まで同行し、そこのマカダムに引き継ぐ。イスラム教の喜捨の精神で、旅人は大事にされるのだ。この本のなかでも、日が暮れて村に着いた旅人は一夜の宿と食事を提供され、翌日次の宿を紹介してもらって旅を続けている。一日の旅程が終わる頃には次の村で休めるようになっている。今は荒れ寂れているが、かつては通商のために人が通った道なのだ。
もっとも、当時のアフガニスタンは、まだ各地でタリバンが戦っており、宗派間、部族間の抗争も続いていた。武器を携行した男たちが同行していては、村人も投宿を拒否できまい。喜捨といえるのかどうか。食事といってもパンとお茶がやっとで、時にはパンさえ出ないときもある。どの村も貧しく自分たちが食べるのもやっとなのだ。旅はおろか、女たちは村から離れることができず隣村のあることさえ知らない。
そんななか、泊まった一軒の家で、犬を連れていけと勧められる。大型のマスティフ犬の一種で、オオカミ対策に飼われているという。ただ、餌代にも事欠く有様で、彼が貰ってくれれば餌にもありつけるだろうという。彼はためらったすえ、その犬を引き受ける。皇帝にあやかって「バーブル」と名づけられた、この犬がいい。イスラム教の国では、犬は不浄な動物とされ、ペット扱いされない。ただ使役されるだけだ。当然、犬の方も飼い主に愛着も示さなければ、遊びにつきあうこともない。だが、スコットランド人はちがう。
はじめは居場所を離れることを嫌がり、歩き出してもすぐに地べたに座り込んで動こうとしない。パンで釣ったり、紐を引っ張ったりしてやっと動き出す始末。ところが、そんなバーブルが少しずつ彼に心を開き出す。雨や雪の中を苦労して歩き、村にたどりつくと、彼は嫌がる村人に頼み込んで、犬をどこか屋根の下で寝させてくれるように頼む。それをすませるまで自分も家の中に入ろうとしない。食事に肉が出ると、犬にも分けてやる。旅が終わったら、スコットランドに連れ帰るつもりでいる。
どこを向いても厳しい自然と貧しい人々の暮らしがあるばかり。そんなある日、険しい山の中で尖塔を発見する。伝説の「ジャムのミナレット」だ。「細かい複雑な彫りの施されたテラコッタにターコイズブルーのタイルが線状にはめ込まれた細長い柱が、六〇メートルの高さにそびえている」。塔の首のあたりにはペルシアンブルーのタイルでこう綴られている。「ギヤースウッディーンはヘラートにモスクを、チスティシャリフに修道僧のドームを建て、失われた都ターコイズ・マウンテンをつくったゴール帝国のスルタンだ」
彼はその辺り一帯の司令官の家に誘われ、塔についての話を聞き、地中から掘り出したものを見せてもらう。何人もの考古学者が訪れながら、遂に発見することのできなかった、失われた都ターコイズ・マウンテンの遺跡は、盗掘者の手で掘り出され、二束三文の値で売り飛ばされていた。かつて、チンギス・ハーンに焼き尽くされた伝説の都は、ずっとイスラムの遺跡として守られてきた。しかし、タリバンが追いやられた今、僻遠の地ということもあり、新政府の目も及ばず、せっかくの文化遺産は荒らされ放題になっている。
地下に貴重な文化遺産を蔵しながら、ヤギが食べる草も生えない高地に暮らす人々は、掘り出した遺物を売って暮らすしかない。皮肉なことだ。遺跡を見る目は歴史学者のそれで、この部分は明らかに他とは筆致が異なる。だが、その後、旅は苛酷になる。赤痢に罹り、下痢で体力を奪われながら雪の山道に踏み迷う難行が待っていた。さすがの彼も凍った湖を行く途中で力尽き、もうここで旅を終えてもいい、と雪の中に倒れ込んでしまう。彼を救ったのはバーブルだった。首に吐息をかけて起きるよう促すのだが、それでも動かないでいると、歩いて行って振り返り越しに一声吠える。その姿に彼は自分を恥じ、再び立ち上がる。
バーミヤンの石仏が象徴するように、過去に偉大な文化を擁しながら、行路にはかつてを偲ぶよすがとてない。荒れ寂れて人も通わぬ道も、かつては隊商が駱駝に乗って通った道である。歴史家として彼はそこに何を見ていたのだろう。果たして人類は成長したといえるのだろうか。著者は声高に語ることはないが、書かれたものを読めば、その思いは読者の胸に迫る。淡々とした筆致で綴られた手記には、最後に物語のような思いもかけない幕切れが待っている。この旅に出ることで、彼はバーブルと出会うことができた。これを縁といわず何といえよう。原題“The Places in Between ”を『戦時のアフガニスタンを犬と歩く』とした訳者の思いがわかる気がした。
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oniwastagram · 2 years
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📸花畑記念庭園 / Hanahata Memorial Garden, Adachi-ku, Tokyo 東京都足立区の日本庭園『花畑記念庭園』が素敵…! 昭和年代に開園した足立区立の日本庭園は数十年後の“東東京の隠れた名園”候補…庭石や滝石組にこだわりを感じる回遊式日本庭園に、庭園を眺めながらの“桜花亭カフェ”も。春にはお花見スポットとして人気! . 東京・花畑記念庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/hanahata-kinen-garden/ ...... 「花畑記念庭園」は昭和年代に開園した足立区立の公園『花畑公園』内にある池泉回遊式の日本庭園。 庭園の一角にある『桜花亭』内には喫茶や軽食のある“桜花亭カフェ”☕️、ギャラリー、茶室“不断庵”、和室“普賢象”“滝匂”等があります。 . 2022年5月に初めて訪れました。埼玉・越谷の日本庭園『花田苑』と同じく東武伊勢崎線🚃が最寄駅のこの庭園、いざ東京に住んでいた頃には縁が無いエリアだった…。 . この公園のある足立区花畑一帯はかつては武蔵国足立郡花又村と呼ばれ、緑と水が豊かな農村風景が広がっていたそう。 . やがて東京府・東京市に編入され足立区が誕生。 この公園・庭園は足立区の区制50周年を記念した区画整理によって造園され、1984年(昭和59年)に開園しました。時期も経緯も『花田苑』とそっくり。バブル期には公共の日本庭園ブームがあったのかな…。 . 公園としての面積は14,000平方メートルもあり、広い芝生の広場が主体の公園東部には遊具やじゃぶじゃぶ池など子供向けのエリアも。 そして周囲には約100本の桜の木(ソメイヨシノ)が植栽され、春には足立区のお花見スポット・桜の名所の一つになっているそう🌸 . 公園西側、約9,000平方メートルの広さの日本庭園が「花畑記念庭園」。現代の都市公園系日本庭園の中でも珍しいのが、城郭のよう��石垣・堀を再現していること。 この堀も池泉庭園の一部で、なんだか福岡県柳川市の国の文化財庭園『御花(立花氏庭園)』のような構造。 . 元は平坦な地形だった場所に緩やかな芝山や敷地の北部には築山を築き、その築山を利用した三波石の崩れ石積による三段の滝(大滝)がこの庭園の見所。 . たびたび引き合いに出してしまうけど『花田苑』と比べると花畑記念庭園は“石へのこだわり”に重きが置かれたように感じる庭園で、大滝の前の沢飛び石などにも銘石・巨石が使われていて、園内北東部の“待合”からの流れの護岸石組もすごく良い雰囲気。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifultokyo #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #landscapedesign #建築デザイン #アート #ランドスケープ #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #東京庭園 #庭院 #庭园 #足立区 #tokyotrip #谷塚 #おにわさん (花畑記念庭園 桜花亭) https://www.instagram.com/p/Cf-jLZAPOiR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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