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#勇将の下に弱卒無し
38nakao · 12 days
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2024.04.04(日) ぼくはプータロー
 3/15(金)に「しごやめ」してから3週間が経った。そして、本日はお給料日であ〜る(補足:3/29に書き始めた)。残業代が基本給の1/4くらいあるし、外勤手当とか通勤手当もプラスあるのに、税金でもろもろ引かれて、もらえるのは基本給くらい。やってらんねー!!!税金死ね!!でも給料はあと2回でる!有給最高!!
 こういうのは今年度は自分でやらねばならぬ。保険、税金、経費、もろもろろろろろろ…ぜんぶ自分でやらんといかん!まあちゃんとできなかったら損するだけなので、死にはせんよ。でも自分でやるのは大変だぞう?だーい丈夫でしょ(ヤーレンズ)。
 しごやめ最終日は「こんなに!?」ってくらいプレゼントをもらった。本当にもらいすぎなくらいもらった。こういう時に泣けないのが悲しい(悲しいと泣く)。ヤンヤンつけボーのパーティーセット、カンカンに入った紅茶、ちいかわグッズ、かわいいねこちゃんのハンカチ、焼酎と棒サラミ・ホタテ紐のセット、京都のクラフトビールセット。
 一番嬉しかったのは花束で、配色がミシガンだった!(ナカオが冬になると着だすアウターだ!) 花束をあげるのにそういう発想になるのが思い浮かばなかった。みんな忙しいのに、わたしのことを考えながら選んでくれたのだと思うと、本当に嬉しかった。本当に嬉しくなると照れ臭くなって、感情をうまく出せなくて、喜びが伝わらなかったら嫌だなあ。
 そーいや、フリーランスの屋号を「すなおなデザイン研究所」みたいなストレートな屋号を考えているのだけど、わたしは本当にすなおなのだろうか? 以前「さやちゃんは素直じゃないよ」と言われた。「ひねくれてるけど、それが顔に出ちゃうし分かりやすい。」「ある意味すなお。」と続く。一応「それが面白い」とのことなので、褒められているというか、その通りわたしの面白いカオなんだと思う。
 
 最近自我は芽生え出しましたが、自分の軸というか個というか……とにかく自分が分からないよ〜〜〜ッ!!!
 とにかく面倒臭い人間で、面倒臭いとは思われたくない。気弱なくせにナメられると腹が立ち攻撃する。面倒臭がりなくせに聞き分け良いが、間違ったことは嫌いで、窮屈・束縛と感じると争いたくなる。頑張りたくないから頑張りを評価されたい。
 自分に自信はないけど自分に価値を感じていたい。だから褒められたい、でも
自分自身の評価以上になにかを与えてもらうと、申し訳なくなってしまう。
 返さなきゃ!と無意識に思っちゃうんだろうか。「そこまでわたしに価値はない」と思ってるから、イコールになるようにしようとする。そして、物的にお返しができない・したくない場合は「申し訳ない」と謙虚な”風”を装ってるんだろう。
 素直に喜ぶ方がみんな喜ぶ!というのも知ってるから、みんなの前では喜んでるし本当に嬉しくはある。たぶん、コミュニケーションが演技になっちゃってるんじゃないか?「理性」が先で「感情」を後付けして、それに準じた「行動」を、結構やってしまっている(でも演技が下手なのか、他人をそれで魅了できてない)。
 これでは、初めて「人間失格」を読んだ時に「これはわたしだ!」と勘違いしたあの頃と変わらんではないか!!! とってもダサいよ、ナカオさん!
 
 認めたくなかったけど、わたしって結構なメンヘラでモラハラ野郎って最近思う。ひとりで悲しいときはメンヘラに、ふたり以上で分からなくなるとモラハラになる。要は「欲しがり」なんだと思う。
 でもねえ、子どものわたしは「山も谷もない穏やかな人生」を望んでいた。将来のことを聞かれても世間知らずで、未来のことなんて考えたことがないので、「そんな先のことなんて分からん」「なりたいってよく分からん」だった。幼稚園~小学校の頃は「ペットショップの店員」「動物園の飼育員」といっていた。動物に関しては本当に好きだった。でも資格とか進路とか、それになるために調べてみようと思ったことがなかった。高校は荒れてなきゃどこでも良かったので親が薦めるところに行った。なんとも受け身な人生。
↑↑↑ ここまで03.29に書いて放置 ↑↑↑
 そういうとこがダメなんだとずーーーーっと思ってました。流石に大学は自分で決めたけども、強いてあげればイラスト描くのが好きだからという弱い理由で、「イラストレーター」を目指して美術大学に行ってみたりした。結果的に行ってよかったけど、本気でイラストやデザインで食おうと努力してないくせに、一丁前に自分は「特別な何者」かであると思っていたし、そのくせ才能はないとは思ってもいたから、まーーー中途半端だった。
 それを今でも引きずっている。中途半端。特別に得意なことも、特別に熱中できることも、特にない。
(絵の下にもまだまだ日記は続く)
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 わたしは!!なにも!!したくない!!!プータローのままでいたい!!めいっぱい遊びたい!ずっとあったかい布団で眠っていたい!おいしいお菓子をたくさん食べたい!面白い漫画とお笑い番組を観てゲラゲラ笑ってたい!そんだけでいい!!!それが出来さえすれば、なんでもいい!!
 最近やっとそれを認められるようになった。成りたいものになれなくたっていいし、それを引け目に感じて下手に、謙虚通り越して卑屈にならんでも良い。ババアになったら野垂れ死ぬかもしれないけど、それくらい呑気にならないと、友だちと一緒にいろんなこと楽しめない。今、楽しめない。そんな気がする。
今のわたしとその周辺は、とにかく呑気。お笑いの養成所も始まるし、5月末の給与振込が終わると本当に収入がなくなっちゃうので死なない程度の食い扶持探しもしないといけない。ちょっとっつ忙しくはなると思う。あと、お母さんのこととか保険のこととか、色々ね(シャムキャッツの名曲!)。
 ただ、ひょんなことから出会ったおじさんが雑用の仕事をくれるし、りんご屋さんもあるし、しばらくは平気かなと思う。
 03/13の日記で書き忘れたことだけど、ブランキー(浅井健一の詞)と小沢健二は本当にすごい。えらい。立派。なんでかって、わたしみたいにみんな大人になったらブレちゃうのに、子どもの時に大事にしてることをずっと大事にしてるから。描き方とか視点とかは変わってるけど、歌ってることの本質は変わってない気がする(ごめん、でもブランキーほとんど知らない、ただめちゃくちゃ好きな曲が数曲ある)。
 大抵の自称ロック・ミュージシャンは、若い頃すごく尖ってて、もちろん恋愛視点での愛の曲はあるけど、ぶっ壊してやる!とかやつれてたりする期間を経て、本当に大人になったら、諦めるなとか負けるなみたいな他人の背中を押すような、博愛的な曲にシフトしていく。考えが変わることはよくあるし、結局いろんな人にとってソレが一番大事なんだよね。わたしもそう思う、思うのだけど。
 いわゆる一番ブレイクした、全盛期の曲を越えてないように思う。中学の時に大好きだったポルノグラフィティは、「メリッサ」とか「アポロ」もあるけども、「サウダージ」や「アゲハ蝶」みたいな離別・失恋の曲が一番有名で売れてるはずで(そん時はCDの時代だし、今の流通とうまく比較はできないんだけど)。
 わたしが高校2-3年時に昭仁さん・晴一さんが結婚してから、なんとなくだけど、歌詞のテーマから「特定の人物に対する恋情」が少なくなっていった、気がする。当時はポルノグラフィティの鬱屈とした曲が結構好きだったので、なんか熱が冷めてしまって、全然曲を追わなくなってしまった(なので、歌詞のテーマについてもテキトーな解釈です)。
 鬱屈としたテーマの曲があっても「いやアゲハ蝶とか音のない森とか、もっと良い曲あるしな」となる。そんでもって新しいテーマの曲にはなんか入り込めずに、ポルノグラフィティは卒業した。ミスチルもそんな感じ。ちょっと違う例えかもしれないけど、ブラマヨは民放にすっごく出るようになってから漫才が下手になったのと、コンビでの掛け合いもいつも同じ感じで、惰性を感じて見なくなった。たぶん卒業しちゃうのはどれもそんな感じ。
 その点、小沢健二はえらい。本当に言いたいことについての題材が変わってないし、鮮度があまり落ちてないように思う。わたしも少し賢くなって、歌詞とか人物について分析できるようになったのもあるけど。大切にしてるものは同じで、表現をいろいろ変えて、惰性でなく工夫しながらやってる感じ。うまく言えないけど(とか言って、最近の小沢健二の曲は、強い気持ち・強い愛とかその頃の曲ほど聴いてない)。
 あとブランキーの浅井健一さんもえらい。勝手に強面のひとたちから支持されてる近寄りがたいひとたちだと思ってたけど、歌詞がものすごく可愛い。対象の人への愛情とか、自分を脅かすものへの怒りとか、自分の感情と言葉がオリジナルで、純度が高く感じる。「あーだからヤンキーになったんだ」となんちゃってお利口さんだったわたしは、その芯の強さと早熟さを羨ましく思う。
 わたしは頭が悪い(弱い)し、そそっかしいし、ガサツなのでお二人のようにはなれない。崇拝できるほど、二人のことも知らないし。けど立派だなと思うし、真似できるところは真似したい。同じものを信じたいし、そ���勇気も欲しい。
 自分だからできることは何かなと思う。きっとこう考えてるうちはできないんだと思う。
 そういえば、将来なりたいの思い出した。駄菓子屋のババアです。
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manganjiiji · 6 months
Note
万願寺さん、初めまして。いつも日記を拝見させていただいてます。突然の質問で申し訳ないのですが、よろしければご意見いただきたいです。
まず私についてですが、27歳女独身実家暮らしです。ADHD、バセドウ病があり、双極性障害までいきませんが躁鬱が激しいです。趣味は絵を描くことと洋裁で、絵に関しては年に数件ですがお仕事をいただくこともあります。
元々メンタルが弱く、就活の時にかなり鬱っぽくなっていました。新卒で仕事に就くも長く続かず、完全に鬱になり退職。精神科に行きADHDと診断されました。あまり実感がなく(信じたくなかったのもあると思います)、手帳などは取らず自立支援で投薬だけしながら、度々鬱になったりしつついろんな仕事を転々としていました。(現在転職回数は5回です)
絵だけはずっと描いていたこともあり、自分の病気や適性を考えて、ある時、絵を本業にしたいと思って専門学校に行くことを決意。派遣で働きつつ夜間の学校に通い始めました。しかし3ヶ月後、徐々に具合が悪くなり思うように動けず、バセドウ病と診断されました。嘔吐や筋力の低下、動悸息切れ震えなど酷く、電車にも乗れず仕事も辞めて、貯金もなく学費が払えないので学校も行けなくなりました。これが現在です。
私は今まで金融、アパレル、医療事務等、営業や接客、事務関係の仕事をやってきてどれも長く続きませんでした。職場の人間関係も苦手でした。5年かけて実体験で学んだ自己分析の結果、今度こそ…!絵の仕事なら…!と思って頑張ろうとしましたが、もはや頑張ることも叶わないのかと絶望しました。向いてない仕事を無理してやって生きていくなら死んだほうがいいという希死念慮がありますが、いざとなると死ぬ勇気がないです。本当に何もできないんだなと悲しくなります。
親は実家にいさせてくれるので優しいと思いますが、ADHDであることは絶対に信じてくれず甘えだといわれます。WAISの結果を見せても「脳の中身を見る検査をしなければわからない」といいます。精神科にひとりで行ったことも「勝手に行くなんて」とすごく怒られました。新卒までは反抗もあまりせず親の言うとおりに進んできましたが、新卒で入った会社を辞めて、好きなことを仕事にしたり学校に行こうとしたりするのはあまり気に食わないようで、「今までかかった学費1000万返せ!」と言われたこともあります。こんなこともあり、一人暮らしをしたこともありますが、鬱になってしまって半年も経たないうちに結局実家に帰りました。
自立がしたいです。ちゃんと一人暮らしをして自分で自分のことをできるようになって、仕事も毎日できるようになりたいです。でも貯金もとても苦手です。障害者手帳や障害年金を申請したら少し生きやすいのかなと思うのですが、診断書が高いので申請が通らなかったらと思うと不安です。私の生きづらさが病気のためなのかただの甘えなのかわかりません。
私は文章を読むのも書くのも苦手なので、読みづらい文章で申し訳ありません。万願寺さんから、よろしければアドバイスをください。
質問主さん、こんなに丁寧なメッセージ、お体やお心がただでさえ儘ならない中で、私に送ってくださってありがとうございます。そして本当に、本当に、生きること、とっても!とっても!お疲れ様です。質問主さんがなぜそこまで頑張れるのか、私には途方もないことに思え、心から感嘆し、尊敬します!まず、たくさんのご病気に苛まれ、ご家族の理解も得られない中で、それでも仕事や自分の将来のために、前進をつづけていること、そのこと自体がほとんど奇跡的な、私などにはとうてい得難い努力に思われ、感動しています。
でも何より、何よりも、そんなに大変な中、本当に頑張って生きてきてくれて、私の日記にも出会ってこうして声をかけてくださって、ありがとうございます。本当に、生きていてくれてありがとう。そして、世界が質問主さんに、たくさんの酷いことをして、本当にごめんなさい。世界に代わって、私がまず謝ります。なぜなら質問主さんは、私よりもずっと若く、私よりもずっと後にこの世界に来たのに、私がもたもたしていたせいで全然質問主さんのことを助けられるような社会をまだ作れていないためです。ほんとうに、申し訳ない…。でも、生まれてきてくれて、がんばって今日も生きていてくれてありがとう。とても嬉しいです。
私からの意見やアドバイスが貰えたらいいなということですが、私から言えることはとても少ないですね。でも、どうにか質問主さんを励ましたい。少しだけなんと声をかければいいか考えてみます。
※以下、とても長い文章になりますので、好きな飲み物など用意し、疲れたら休みつつ、読んでください。
まず、ご家族のこと。とてもつらい状況なのですね。ADHDという脳の障害を認めてもらえないこと。そして、学費を返せと言われてしまうこと。質問主さんはご家族を「優しい」とおっしゃっていますが、私は、まったく優しくないと思いますし、人間として倫理観に問題がある方だなと感じています。でも、質問主さんはたぶんご家族をあいしていらっしゃる。ただ、私は質問主さんに辛い言葉を投げかけるご家族は、質問主さんのことを、ていのいいサンドバッグにしているように感じてしまいます。ご家族も質問主さんを愛していらっしゃるのか、そうではないのか、それはわかりませんが、大人が大人にしていい言動の範囲を超えています。非常識であり、ハラスメントであり、精神的な暴力です。しかし、おそらく質問主さんはご家族を愛していて、なかなか切りがたい縁があると感じているのではないかな、と思います。
私個人としては、無理にご家族から離れる必要はないと思うのですが、同時に、質問主さんの心を守ることも必要だと考えます。そして今の病状から察するに、住処や食料の蓄えがある場所を離れるのも、まだ現実的ではないのかなと感じます(もちろん、離れてもどうにかすれば何とかなります、大丈夫)。ですから、今はまだご家族と同じ場所に住んで、しかし、心は少しずつご家族から離れる訓練をしていくのはどうでしょうか。「甘えだ」と言われても、心の中では冷静に「診断は降りており、ADHDによる症状は、甘えなどという精神論とは関連がない」と、その都度、自分で自分を肯定してください(既にしているかも)。もちろんご家族に対して、元気があれば「ADHDは(精神障害者保健福祉手帳が交付される条件となる)障害だよ」と、淡々と事実を言い続けることも、たとえ無駄でも、必要なことなのかもしれないと思います。または単に無視してもいいと思います。とにかく、ご家族の言動は、人間が人間に取る態度として間違っています。精神疾患や発達障害への理解の不足からくる無理解を、直接当人にぶつけて責めることは、たとえば職場では許されることなのか、と考えてみればすぐにわかると思います。血縁者だから許されるということは絶対にありません。社会的に、忌避されるべき言動です。
それから、質問主さんの教育にどのくらいの金額をかけるのか、決断して実行したのはご家族のはずです。質問主さんがご家族のお金を盗んで勝手に使い込んだ訳ではありません。もう一度言いますが、それをやると決めて、実際に行動したのはご家族なのです。質問主さんは「返す」という行動がそもそもとれません、なぜならそのお金を使ったのは、ご家族だからです。だから、「返して」ほしいのは、おそらくお金ではないのでしょうね。
そもそも、血縁者の大人が子供を育てると決めてそれを実行したことに関し、子供が取るべき責任のようなものは、一切ありません。親(にあたる人)が勝手に産んで勝手に育てて、勝手に金を使ったのです。子供がひとりでに生まれて育って親の金を勝手に使ったわけではありません。どのような大金を使ったとしても、使ったのはご家族であり、質問主さんではありません。全て大人が、大人の責任において実行したことで、それを悔いるのなら、過去の自分を責めろ、としか言いようがありません。それは単に、質問主さんに八つ当たりをしているだけで、例えばその「1000万円」は、質問主さんには全く関係ありません。ご家族のお金の使い方の問題です。
ただ、もしもご家族に歩みよる元気があるなら、「1000万円をかけて、私にして欲しかったことはなんですか? お金以外で今の私からあなたにしてあげられることはありますか?」という趣旨のことを聞いてみるのも手かもしれません。でもこれはかなりエネルギーのいることですし、質問主さんのなかですでに答えが出ていることかもしれません。私は、質問主さんがご家族に、何かを「返す」必要はないと思います。何かを施す必要もないと思います。私達が受け取ったものは、私達より後に生まれた人達に、渡すべきものです。(たとえば介護とか、老齢の親を養うとかは、基本的には下の世代から上の世代への「善意」です。基本料金には含まれていない、無料サービスです。)先に生まれた人から貰ったものは、後に生まれた人に流していくことしかできないと私は思います。このことは質問主さんも分かっているかもしれませんが、改めて申し上げました。ご家族のおっしゃることは、全くもって正当性を欠いており、質問主さんは何も負い目を感じる必要はない、ということを強調したかったためです。
愛しているご家族を否定することは難しいことだと思いますが、質問主さんはなんの負債も背負っておらず、間違っているのはご家族であることを強く認識してほしいです。大人として、間違った大人の意見を受け入れることはやめてください。他人と他人として、ご自分とご家族の間に、しっかりと線を引いてください。線を引いた向こう側の相手でも、間違ったことを言う大人でも、その上でその人を愛することはできます。でもまずは、線を引いてくださいね。
長くなりましたが、次に、お仕事のことです。���話を聞いていて、いま質問主さんに必要なのは、健常者と同等の働きを求められる就労よりも、まず休息であるように思われます。ご家族とご一緒に暮らしている状況で、完全に「休む」ことは難しいかもしれないのですが、1ヶ月でもいいので、一旦、どこに行く義務もない、仕事で人と話す義務もない、という、自分にとってストレスを最小化した状況を、どうにか作り出せないでしょうか。(ご家族を納得させるために、主治医と話して現在の症状では就労が難しく休養が必要である旨の診断書(5000円はかかると思いますが)を書いてもらう等)
また、絵の学校に通いながら昼間は派遣のお仕事をされていたということで、これは完全にオーバーワークだったと思います。健康な健常者だとしても、そのようなことは、かなり体力のある人にしか難しいのではないかと思います。質問主さんの症状を聞く限り、絵の勉強をする時は働くべきではなく、絵の勉強のみの活動量が限界だと思いましたし、何よりお体を大切にしてほしいです。そのような「限界を超えた」ことは、続きませんし、症状を悪化させてしまいます。それは回復に時間がかかるということもそうですが、なによりも質問主さんが「苦しむ」ということです。苦しむことはもうやめてください。つらいことは、もうやめましょう。絶対にそんなに苦しまなくても、生きていけます。つらいことをしなければ幸せになれないともし考えているのならば、それは違います。
今既に、プロとして絵のお仕事をしていらっしゃるということですから、本格的に絵の勉強をしたいというお気持ちはとても強いと思うのですが、まずは独学でやれるところまでやってみるという選択肢もあると思います。または、リモートでも受けられる講座を何度か受けてみる、など。おそらく通学というのが難しい面があるのではないかと思うので、学校に通うよりもお金をかけずに上達できないか試してみて、その上でお仕事を増やす努力(自分から営業・宣伝したり、つてを当たるなど)も試してみる、なども思い浮かびました。学校に通うことが、質問主さんにとってかなり魅力的なことなのだとは思うのですが、学校は後日(来年、再来年)またチャレンジするとして、その前に他の様々な方法で、絵のお仕事を増やすことを模索してみませんか。そしてその間、ほかのお仕事をしないということが、可能であればそれが一番いいのでは、と思います。(ご家族のことがあり、難しいとは思うのですが)また今後絵の学校に通いたいと思った時のお金の工面はどうするのか、と思うかもしれませんが、そのことは、今は一旦保留にしておいてほしいです。お金を手に入れるやり方はいろいろありますが、今は省略します。
そして、最後に、障害者手帳と障害年金のことです。
障害者手帳を取得すれば、障害者雇用枠で企業に雇用してもらうことができ、そのための就職活動も、無料で就労支援施設(様々な企業が運営しています)のスタッフさんがサポートしてくれます。障害者手帳の取得には3ヶ月ほどかかりますが、質問主さんは、障害者雇用で働く方が、もしかしたら安定して働けるかもしれません。
どちらにしても、障害者手帳取得のための診断書だけなら、そこまで(何万円も)するわけではありません。障害者手帳を取得すれば、いつでも映画を1000円で観られますし、いかがでしょうか。
また、障害年金の受給資格の取得は、質問主さんのうつ病や躁鬱エピソードがどの程度のものかによりますので、これは正直、申請してみないとわかりません。主治医がたまたま質問主さんと同程度の症状の方を診察していて、その方が障害年金を受給されているという経験がない限り、主治医のほうでも受給の可否は分からないと思います。また、障害年金の申請には、診断書の料金が必要になったり、年金事務所で説明を受けたり(年金事務所に何度も行く必要が生じることもあります)、申立書を書いたり、とさまざまなステップ(ハードルと感じることもあるかもしれません)があります。しかし、申請が受理されれば、初診以降から申請日までの5年分は遡って受給できますので、もし質問主さんの初診が22歳以前であれば、初回の受給で基本的に300万円以上が振り込まれることになります。その後も月5万円以上の年金が受給できますので、頑張って申請をするだけしてみる、というのも、気力や体力がある時ならば、是非おすすめしたいです。
しかし、現在の質問主さんの状況、心情や絶望感を推察すると、やはりまずは休息してほしいです。(バセドウ病については詳しくないのですが、まずはその症状を緩和させることが第一に思われます)
私の個人的なおすすめは、まずは市役所や区役所の窓口申請で済ませられる、障害者手帳の取得です。
絵の仕事と並行して、自分の無理のないペースでの就労をしたいと思うのならば、手帳取得後に就労支援施設(無料)に通い、自分の特性や障害への知識を深めてから、障害者雇用の専門スタッフとともに、採用試験を受けるという選択肢もあります。
手帳取得については、お住まいの自治体の市役所や区役所などで、福祉に関する課の窓口(障害福祉課など、名称は自治体によって違う)へ行けば、申請の仕方を教えてもらえます。私は今まで5ヶ所以上の自治体にお世話になりましたが(もっとかも)どの職員さんも優しく誠実な人なので、安心して行ってみてください。
ご家族とご自身との間に線を引くこと、(絵の学校に行くことを念頭に起きつつも)独学や独力で絵の仕事を増やす道がないかを模索すること、障害者手帳を取得し障害者雇用を目指すこと、障害年金を申請し受給できるか確かめること、さまざまなことを一気に申し上げてしまいましたが、とにかく、質問主さんの前には、今とても多くの選択肢があります。
そして、苦しむことやつらいことは、もうしないでください。次の行動を起こす前に、できれば1ヶ月以上(何ヶ月でも半年でも一年でも、動けるようになるまで何年でもいいです)、「療養」のために休職・休養してください。
質問主さんは、病気(うつ病や、躁鬱を繰り返す状態)のまま働き続けてしまったことで、かなり大きなダメージを受けている(バセドウ病も発症されていますし)と思います。まずは、その回復からです。ご家族はそれを「甘え」と言って責めるかもしれませんが、診断書を書いてもらったり、身近で、ご家族と同等に渡り合えるような人を味方につけて説得を手伝ってもらったり、どうにかして休んでほしいです。
そして、ADHDという特性を持ちながら、どうやったら安定して活動していけるのか(絵の仕事でも、学校に通うことでも、ほかの仕事でも)、ぜひ専門家(主治医や、就労支援施設のスタッフなど)の方の力を借りて、より深く考えてみてはいかがでしょうか。ちなみに就労支援施設は、障害者手帳を持っていれば無料ですが、持っていなくても有料で利用できる施設やサービスがあります。企業によるので、気になったらぜひお調べください。(ただ、障害者雇用自体は、障害者手帳を持っていないとできません)
とても長い文章になってしまって、お読みいただくのに疲れてしまったと思います。すみません。どうか、一気に色々考えずに、紙に書いたり、メモを取ったりして、【自分のやりたいこと】【それを阻んでいること】【その解決方法】など、いろいろなことを、1つずつ整理することから始めてみてほしいです。
なにか考えや状況が進展したり、またお話したくなったらいつでもメッセージでお話しください。まず休息、回復。自分を守る。質問主さんには味方がいっぱいいると思いますが、私もその一人です。ぜひ周りの色々な人に、遠慮せず頼ってみてください。
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20kitan · 1 year
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貞本喜久二/エガキナマキナ 追記に詳細設定(テンプレ元)
◆身上調査書
「ダメ!ボツ!やり直し!」 「御託はいいからさっさと描けボケ!」 「てめぇ〜〜この貞本喜久二の前で『こんなもんでいいか』みてぇな原稿あげやがって!!誰が掲載するか!!ケツに生原稿ブチ込むぞコラ!!!」 「だははははは!!!見ろ俺のが一着だ!!」 「何年かかってもいい、俺は描きたいんだ」 「漫画家に社会性なんてあるわけねぇだろ」 「恋人にフラれても親が死んでも親友に泣いて電話もらっても原稿だけは絶対に上げろ!!」 「じゃあてめぇもうページやんねえぞ!!打ち切りでいいんだなァ〜〜!?」 「てめぇではじめた仕事だろうがッ!!」 「感動の前じゃ読者は正直だぜ」 「絵なんて描いてりゃうまくなる。ぐだぐだぬかさずとにかく描け。悩んでないで描け。駄作を30本描いてりゃ一本は傑作になる!」 「面白い!採用!」
姓名:貞本喜久二/さだもときくじ 愛称:貞ちゃん 年齢:35歳 血液型:B型 誕生日:12月2日 星座:射手座 身長:178cm 体重:72kg 髪色:灰みの青系の色 瞳の色:赤 視力:右目失明、左1.0 きき腕:両きき(元は右) 声の質:icvBASARA石田三成のときの関智一 手術経験や虫歯、病気:右目、右腕、両足の没被害による手術 身体の傷、アザ、刺青:顔の右側、腕その他に火傷痕 その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):体脂肪率が低く常に胸を張っている 声と足音がでかい セックス体験、恋愛、結婚観:同性愛者。良いと思ったら単刀直入に誘いワンナイトで終わることもしばしば…… 尊敬する人:今の父、原哲夫、藤田和日郎、荒木飛呂彦 恨んでる人:前の父 出身:富山 将来の夢:自分用の漫画喫茶作る 恐怖:腕が動かなくなること 癖:貧乏ゆすり 酒癖:悪い アル中になったことがあるので控えている
*交流向け 一人称:俺 二人称:お前、てめぇ 呼び方:○○先生(作家)、名前呼び捨て
*概要
 出版社「貞本書房」の社長兼編集長。認可作家。傍若無人で自信過剰な男。「録音して創務省に送られたら即アウト」というほど非常に口が悪い。元漫画家で認可作家だったが、没討伐中の負傷から重い後遺症があり、政府の「非戦闘認可免許」を発行されて没との戦闘を免除されている。  普段は杖をついており短時間の戦闘しかできない。現在は編集業に力を入れ、創務省ともうまく付き合いながら後続の漫画家たちを育てている。
*性格
 傍若無人で自信過剰な男。強引で派手好きで自分勝手。誇り高く気が強く傲慢で非常に口が悪い。直感が鋭い理想主義者。何にでも興味を示しじっとしていられない性質。刺激やチャンスが得られるのなら危険なことにも飛び込む勇敢かつ無謀な性格でもある。熱が入れば入るほど歯に衣着せぬ物言いをし、人をざっくり傷付けることもしばしば。ギャンブラー気質で失敗も多いが当たるとでかい。実際にギャンブルや競馬も好き。自身の作風とは違う色々なジャンルにも手広く手を出している。  根本的に快楽主義なところがあり、人生をおおいに楽しむために生きており、波乱万丈な人生のなかで疲れを知らぬバイタリティを絶やさない。若い頃は飽き性でもあったが、特に漫画に関しては描く・描かせるためのストイックな努力を欠かさない一面も。
*人間関係
 態度と口の悪さを生来の社交性とコミュニケーション能力でカバーしている。大人の落ち着きがあるとは言い難いが、自分が感情をむき出しにすることによって他人の本音と感情を引きずり出す性質がある。他人を振り回し好き勝手に振る舞う一方、組織の中の雰囲気や特に弱っている相手を敏感に察知し、惜しみなく手を差し伸べる。
*家族関係、幼少期体験    子供の頃から漫画が大好きな少年だったが、アル中の父親に母親ともどもよく殴られ、金銭的にも不安定な家庭に育った。だが黙って殴られているような性格ではなかったため反骨精神たっぷりに育ち父親とも殴り合う日々。母親が出会った優しい男性との仲を応援し、元の父を置いて母と母の恋人とともに夜逃げ。新しい父との関係は良好で、安心して漫画家という夢を追いかけるにいたった。  高校卒業間近に雑誌で大賞を取ってから漫画家デビュー。意欲的に作品を書き続けていたが、26歳のころ全身に大怪我を負い連載を断念。父親と同じアル中になって落ちぶれた時期を越え、壮絶なリハビリの果てに漫画家として再始動。もとは自身の作品のために出版社を立ち上げ、今では若い漫画家を育てることにも注力している。父母ともに関係は良好。元父のことはまだ怒っている。
*能力
 すでに大手も多かった出版社業界に現れた超新星。大胆な作戦と優れた経営能力で小さな会社ながら売り上げは好調。そのため誌面に載せるものには厳しく、漫画家や作家たちは編集会議での貞本の「ボツ!」を恐れているが、才能ある美しい作品を作者を含めプロデュースする手腕に長け手塩にかけた作品はよくヒットしている。  
*著作、作品の評価
 ベタと力強い筆致の写実的な絵柄が特徴。漫画家としての実力は画力・物語構成ともに完成度が高く堅実。どんなテーマでも一定のクオリティを保てるが、やはり特に向いているのは戦記ものや大河もの。男性的な話が多いが女性キャラの人気が高い。和洋を問わず骨太な戦記ものを得意とした漫画家。ウィスタリア・サーガの連載中に負傷し、現在は雑誌掲載をせず1〜2年に1冊というゆっくりとしたペースで発行している。
「麒麟御伽草子(貞本版コミカライズ)」  小説「麒麟御伽草子」を原作にし認可基準に直しつつも原作を踏襲し、人気基準を満たしつつも貞本のテイストがふんだんに盛り込まれたコミカライズ版。現在も書店で購入できる。ちなみに貞本の子供の頃にもコミカライズが存在したが、認可基準引き上げにより不認可となった。
「獅子ども獣ども」  戦国時代、山中深くに忍とも山賊ともつかぬ一族が人目を避けながら歴史を重ねていたが、一人の青年が天下統一を目指し国取りを開始する物語。神話をベースにした展開がいくつかあり、コアな歴史ファンがついている。
「往けよ赤き海」  地球が砂漠と化した世界を題材にしたSF作品。過酷な状況で特殊能力が開花した人間たちが唯一残った資源の源「赤き海」を目指して旅をする群像劇。どの陣営が勝つかわからない展開に読者が翻弄された。 「牡丹籠」  初の短編集。デビュー前の読み切りや連載の間に掲載された短編を集めている。異種間、同性間の恋愛もテーマになったものも多く、この短編集に出てくるキャラクターの同人誌がけっこうな数出ているとの噂。
「魔弾」  世界大戦中に銃ひとつで戦場を駆け抜けたスナイパーの物語。明らかに第二次世界大戦をベースにしているあまりにリアルで地味な話であったため、あまり売れず2巻で打ち切り完結した。貞本本人はお気に入り。
「ウィスタリア・サーガ」  西洋ファンタジー大河もの。「ウィスタリア」という半神半人の一族が薄れゆく神の血と能力を嘆きながらも人間として国家を形成していき、世代を変えるごとに国の形を変えていく物語。連載中に貞本が負傷したため10年近くの連載規模となり、現在も1~2年に一冊のペースで刊行されている。
*好きなもの 食べ物:レバー、いくら、白子、数の子、その他魚卵や肝系 飲み物:芋焼酎、コーラ 季節:冬 色:ベージュ、ブラウン 香り:ビュリー/ニンフとさそり 甘みのないムスク、シャボン、温泉のようなかすかな香り 書籍:漫画、雑誌、歴史書 動物:犬 ファッション:上質なスーツ、ピカピカの革靴 場所:編集部、漫画喫茶、古い喫茶店、タバコ屋 愛用:黒い杖 趣味:漫画、映画、音楽鑑賞、演劇、ハングライダー、ダイビング、釣り、フィギュア集め、歴史書集め
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herbiemikeadamski · 3 years
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(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 4月24日(土) #先負(壬寅) 旧暦 3/13 月齢 12.0 年始から114日目(閏年では115日目)にあたり、年末まではあと251日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に行き💪夜を感謝に眠ろう😪💤 睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 夜が来ない朝は無い(笑)朝が来ない夜はありません💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 36協定って何の為にあるんですかね😅💦品人が合意 してするんだったら別に構わないじゃないって気が 私はしますψ(`∇´)ψケッ!って事で今月の請求は 時間外労働(休日出勤含む)を79時間までに(?_?) . してくれろと言われたんだけどψ(`∇´)ψケッ! じゃあ残りの60時間はどうするの?って聞いたら 翌月回しでとウソッ(lllノ゚Д゚)ノデショって来月も同じ 様に残業が嵩んだらドンドンつけが溜まる気が😅💦 . 終いには無しねwなんてなってら結局サービス残業 ってならなきゃ良いのだが。。。_| ̄|○... 私らフリーランスクリエーターは何も保証がないのでその月で 精算して欲しいですよね✋36協定って企業がお金 . 出し渋る為にあるような気がするんだけど😅💦 まるで一人で稼げないように上限を押さえてる じゃないのかな(?_?)仕事嫌いでやりたくない 奴にとっては良いがね😅💦今月はヤッパリ一本超🚀 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛なさって❤️ モウ!頑張るしかない✊ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! お過ごし下さいませ🙋‍♂ ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■ #桜木町事故(#桜木町事件).  1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線の桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。  死者106人、負傷者92人に及ぶ被害を出した。  東海道本線支線とは京浜線で、現在の京浜東北線及び根岸線の一部である。 . 出火原因は電気工事作業員のミスにより垂れ下がっていた架線に列車が接触してショートしたことである。  乗客は非常時にドアを自力で開けることができず、また隣の車両へ移ることも、窓から脱出することもできなかったために炎上する車両に閉じ込められた。  また桜木町駅周辺は開かずの踏切の発生を恐れて高架線になっていたため、消火活動に難航したことが多数の被害者を出す要因になった。 .  この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法令が改正された。 . #スカイラインの日.  日産自動車に吸収合併される前のプリンス自動車工業によって1957(昭和32)年4月24日に誕生。  今年で62周年。  日産スカイラインは1957年の登場以来、人気を博しているスポーツセダンです。  2014年2月に13代目へモデルチェンジし、2017年12月20日にマイナーチャンジされ内外装ともより高級志向なハイソカーになっています。  ハイブリッド車と次世代ターボ車の二本立てが設定される事となり、かつてのキャラクターとは大きく変化したものの、日産がスカイラインに込める想いは健在です。 尚、現行スカイラインが今年で5年経過して2度目のマイナーチェンジがあるかも知れませんが2021年には14代目のスカイラインが用意されているそうとか? . #植物学の日.  1862(文久2)年、植物分類学者の牧野富太郎が高知県佐川町の豪商の家に生まれました。  94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やして、新種・変種約2500種を発見・命名し、「植物学の父」と呼ばれました。 . #日本ダービー記念日.  1932(昭和11)年、目黒競馬場で第1回の日本ダービー(東京優駿競争)が開催されました。 . #しぶしの日.  2006年1月1日に鹿児島県内の松山町、志布志町、有明町の合併により誕生した志布志市が制定。 . #国際盲導犬の日. 1989年4月26日に国際盲導犬学校連盟が発足したことを記念して、1992年より国際盲導犬学校連盟が制定。 . #秘書の日(#米国). . #ニジェール和平記念日. . #ネパール民主化記念日. . #アルメニア虐殺の犠牲者の記念日. . #ガンビア共和国記念日. . . ■今日のつぶやき■. #勇将の下に弱卒無し(ユウショウノモトニジャクソツナシ) 【解説】 強く勇ましい将軍の下に、弱い兵士はいないことから、上に立つ者の力量が部下の力量をいかに左右するかと云う事。 . . 1993年(平成5年)4月24日 #新矢皐月 (#あらやさつき) 【元アイドル、歌手、タレント】 〔青森県〕  . . (副都心線 北参道駅近辺) https://www.instagram.com/p/COB0zognR1za3rmxywHeJzQUX_KwDGk_iECwhU0/?igshid=zipqppmmvjjk
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tecchaso1988 · 3 years
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#読書 #野村四録 戦略の書  去年読んだ志の書に続き2冊目。  野村四緑シリーズ 4冊それぞれ目次数ページを読むだけで深い学びがあります!  #読書メモ #リーダーの器以上に組織は大きくならないリーダーこそ自らが弱者であるという認識を持つべき #満は損を招き謙は益を受く #敵を外部に求めている間は進歩することはなく監督が選手に勝てず本当の的に勝てるわけがない #勇将の下に弱卒無し監督は自分自身に負けてはならない #リーダーにもっとも必要な資質は深沈重厚そしてリーダーに求められる見るは部分的に見る長期的に見る多面的全体的に見るの3つ #監督に必要なのは采配力ではなく準備力と未来創造能力 #戦いに勝つは易し勝ちを守るのは難しであり大差で勝っていても連勝が続いていても勝負である以上どんなときにも危機は充満していて危機感に気づかなくなったときは監督の座を降りると�� #責任はすべて監督にあり手柄はすべて選手にある #困ったときほど女性の発想に耳を傾けよ特に男性はしばしば思考が硬直化してしまいがちになる生き物である #監督の最初の仕事は人間づくり #どれほど完璧な技術を持ち合わせた選手でも必ずミスをするのだからこそ失敗を恐れない勇気と自信を持って試合に挑まなければならない #監督とは常に選手よりも一歩先を進んでいなければならない存在であり優秀な監督かどうかは念を押せるかどうかで決まる #選手が好成績を残したときほど厳しい苦言を呈する勇気が必要 #情にもとづく理と理にもとづく情があってはじめてチームも人間関係も円滑に機能する #君子は和にして同ぜず小人は同じて和せず優れた人物は他人と協力し合うがむやみに群れずつまらない人物ほど簡単に同調するが真に他人と理解し合うことがない #和とはみんなで手を繋いで輪になったり互いに見つめ合う仲良しなイメージなものではなく本当の和とは全員が同じ方向を見ることである #プロの世界は結果がすべて言われるがその結果に至るまでのプロセスをどれだけ重視するかによって次の結果が大きく変わってくる #野球とは9つの守備位置と9つの打順が有機的に結びつく化学だ #個々を把握することはチームづくりの最低条件だ適材適所は才能集団に勝る #功ある者より功なき者を集めよ #結果は誰でも欲しがるがそれ相応の手段で手に入れなければならない #強者と対等に戦ってはいけない弱者が強者を倒す原理原則は目に見えぬ無形の戦力集中にあり #勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし #大きな試合であるほど勝負は実力以外のところで決まる技術的限界の先にプロの世界がある #勝利の方程式というものは無いなぜ勝てたのかよりなぜ負けなかったのかを考える方が大切 #データは万能ではないがデータを活用できない者は勝者にはなれない #バッターボックスの中で捕手になれお前が捕手だったら自分をどう攻めるか考えなさい https://www.instagram.com/p/CKsd5qzrjZH/?igshid=onttqo7mhn0u
#読書#野村四録#読書メモ#リーダーの器以上に組織は大きくならないリーダーこそ自らが弱者であるという認識を持つべき#満は損を招き謙は益を受く#敵を外部に求めている間は進歩することはなく監督が選手に勝てず本当の的に勝てるわけがない#勇将の下に弱卒無し監督は自分自身に負けてはならない#リーダーにもっとも必要な資質は深沈重厚そしてリーダーに求められる見るは部分的に見る長期的に見る多面的全体的に見るの3つ#監督に必要なのは采配力ではなく準備力と未来創造能力#戦いに勝つは易し勝ちを守るのは難しであり大差で勝っていても連勝が続いていても勝負である以上どんなときにも危機は充満していて危機感に気づかなくなったときは監督の座を降り#責任はすべて監督にあり手柄はすべて選手にある#困ったときほど女性の発想に耳を傾けよ特に男性はしばしば思考が硬直化してしまいがちになる生き物である#監督の最初の仕事は人間づくり#どれほど完璧な技術を持ち合わせた選手でも必ずミスをするのだからこそ失敗を恐れない勇気と自信を持って試合に挑まなければならない#監督とは常に選手よりも一歩先を進んでいなければならない存在であり優秀な監督かどうかは念を押せるかどうかで決まる#選手が好成績を残したときほど厳しい苦言を呈する勇気が必要#情にもとづく理と理にもとづく情があってはじめてチームも人間関係も円滑に機能する#君子は和にして同ぜず小人は同じて和せず優れた人物は他人と協力し合うがむやみに群れずつまらない人物ほど簡単に同調するが真に他人と理解し合うことがない#和とはみんなで手を繋いで輪になったり互いに見つめ合う仲良しなイメージなものではなく本当の和とは全員が同じ方向を見ることである#プロの世界は結果がすべて言われるがその結果に至るまでのプロセスをどれだけ重視するかによって次の結果が大きく変わってくる#野球とは9つの守備位置と9つの打順が有機的に結びつく化学だ#個々を把握することはチームづくりの最低条件だ適材適所は才能集団に勝る#功ある者より功なき者を集めよ#結果は誰でも欲しがるがそれ相応の手段で手に入れなければならない#強者と対等に戦ってはいけない弱者が強者を倒す原理原則は目に見えぬ無形の戦力集中にあり#勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし#大きな試合であるほど勝負は実力以外のところで決まる技術的限界の先にプロの世界がある#勝利の方程式というものは無いなぜ勝てたのかよりなぜ負けなかったのかを考える方が大切#データは万能ではないがデータを活用できない者は勝者にはなれない#バッターボックスの中で捕手になれお前が捕手だったら自分をどう攻めるか考えなさい
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推し、再燃
久しぶりにみた。
数年前に見た彼はクルクルとパーマを当てて大学生のような茶髪になっていた。メンバーの人数もあの頃とは違う。
懐かしい曲と、彼らを見て迷わず画面を連打する。生ぬるいオープニングトークがぬるっと始まった。流行りの曲から、懐かしの曲まで、アーティストを招いて一発どりをするチャンネルだったから、彼らが出ているのはさほど驚くことではなかった。
トークもそこそこにドラムが鳴る。ギターの音とベースの音も一緒に。
全てが懐かしかった。
それが苦しかった。今20歳の終盤を迎えようとしている私は中学生の頃を思い出す。午前三時、湯船の中で殴られたような衝撃で頭がグラグラした。何も残ることのなかった高校時代、コロナと自分の環境を言い訳に何もしていない大学生活を過ごしてきた私にとって中学時代は濃密だった。
練習で吐いたり、疲労骨折を何回もするまで追い込んで励んでいたダンス部。学年リーダーとしてわからないながらに気が強いメンバーをなんとかまとめようとした姿勢が認められたのか、500人も見にくるという大舞台の最前列で踊れることになった。結局1年生の初舞台の3日前に前十字靭帯断裂する大怪我をしたけど。幸い動けるものの、怪我の心配もあったせいかダンス部での選抜には選ばれることは無くなった。足をひきづりながら副リーダーを務めた二年目。
本当に苦しい1年だった。家族とは元々そりが合わなかったものがさらに摩擦が増えた。マイルールが多く粗雑な私とは合わない過保護な母親、両親に一切逆らうことがなく私を見下している妹、母の言い分のみを鵜呑みにする父。大嫌いだった。ちょうどその時期に私を心配した母親に連れていかれた精神科でADHDが発覚した。幼い頃から、落ち着きもなく忘れ物が多かった私だったが、能天気でテキトーなキャラも相まってクラスでは笑い話にすることができていた。それでも、ダンス部では嘲笑の対象だった。踊れもしないのに副リーダーを務めなくてはいけなかった。居場所もないのに指示はしなくてはいけない、針の筵だった。5時50分に家をでて夜8時に帰ってくる、土曜日の1日練習なんかもっと苦痛だった。
そんなこんなでやっと1学期が終わると次は夏休み練習だった。朝から晩までなんとか息をして、同期たちが軽やかに踊っているのを横で見るだけ。1時間のお昼休憩になると息が詰まりそうだったが必死に話題について行こうとしたのは覚えている。今になってはなんの話だったかすら覚えてないけど。リーダーを務めたあの子に言われたことは今でも忘れない。「なんでそんなこともできねえんだ、カス。」「もっと頭を動かせよ。」それでも、その頃の私は確かにそうだよなあ、なんでできないんだろうと思いながら生きていた。みんなの前で土下座もさせられた。正確に言うと部のメンバーから副リーダーとしての責任不足だと口々に言われた際、どうしていいかわからず土下座をしたのだ。直後「あんたの謝罪、嘘くさっ」と言われた時どうしていいかわからなかった。何度もその夢を見た。これはいまだに誰にも言えてない記憶だ。
そんな時だった。夏休みがやっと明け、9月。席替えがあった。近視でメガネを無くしまくったせいでメガネが買ってもらえなくなったため席を前の方にしてもらった。2列目、教壇の目の前の左側が私の席。机をひきづりながら向かってきたのが彼女だった。右側に座った彼女とは話したことがなかったが、4月にみんなから親しげに名前を呼ばれているのを見ていた。そこからなぜ仲良くなったのかは覚えていない。弱さを見せられなかった1年生の頃のいつメン(古いかな。。?)には話せなかった部活のことを話した。家族との諍いは自分がどう思われるのか不安で話すことができなかったけど。軽音部だった彼女も周囲のメンバーとの温度差に苦しんでいた。二人で口悪くふざけたり、数学の授業中の突然二人で泣き出したこともあったっけ。そこから、私もバンドを聴き始めたのだ。
彼女の推しは4人組のバンドで当時は知らない人はいないほど有名な曲があったり、日本を代表するアニメの主題歌を担当したりとノリに乗っていた。彼女は愛ゆえに冗談まじりに推しを批判したり、はたまた買ったばかりの新しいスマホでのインスタグラムのチェックなどしていた。正直にいうと私は彼らの曲は数曲しか好きではなくCDを貸してもらっても流しききしたくらいだった。それでも、私と彼女は連れ立ってフェスやコンサートに行った。周りは大学生や社会人ばかりでさぞガキくさかっただろうと思う。それでもお台場の暑い砂浜を音楽に乗せて跳ねた夏はいまだに私の大切な思い出の一つだ。
”シルエット”はそのうちの一つだった。何回も何回も繰り返し聞いて歌詞も空で言えるようになった。当時の私には心の支えだった。同期が何十回もたてる舞台で、部活を必死にやっても結局ただの一回も立つことができなかった。家族とも辛かったことしか思い出すことができなかった。抜きたくもない髪で頭が禿げても、食べすぎて気持ち悪くなり吐きすぎて吐瀉物に血が混じったこともあった。なんとか生きていて一呼吸するだけでも必死だった私は、この曲を聞いて今よりマシな未来を想像しながら寝ていた。多分、本当にその当時の私は音楽がなかったら死んでいた。
中学3年生に上がって彼女とも離れた。中学一年生の頃のイツメンのうちの数人とクラスが一緒になった。私はつくづくついている。部活はやめようとしたところを顧問の先生に引き止められ、女子校にはなかったマネージャーとしての立場でダンスに関わることになった。リーダーのあの子は5月に辞めた。だいぶ心が軽くなったが、それでも2年生の時に発症した抜毛症と過食嘔吐は治らなかった。今思えば、大問題だが当時の私は気にしていなかった。同性を好きになったのもその頃。それも別に悩んでもいなかった。でも絶対に伝えないと心に決めていた。1年が楽しくてしょうがなかった。マネージャーとして割り切れば1週間の部活も渦中の外にいることもできた。ダンス競技に復帰しないことも決まっていたから、病院を理由に何度もズル休みをして、中二の時のあの子の家に行った。ベースをひく彼女がひどく眩しかった。秋の文化祭では、発表のためのダンス部の練習はあったが、1時間の休みを使って地下室まで息を切らしながら走り彼女のライブを見た。音も空気もこもっている室内でいくつも声援を贈られている彼女が羨ましかった。その頃もちょくちょくバンドの話をして、なぜだか私までファンクラブに入っていた。
家では相変わらず不仲だったが、自分の部屋に引きこもるか、図書館で本を読み漁っていた。正直にいうと家では母親や父親から怒鳴られたり殴られたこと以外何をしていたのか記憶になかった。母とはそりが合わなかったものの、彼女は本当にいつも私のことを気にしてくれていた。海外に行ったほうがいい!とこれまた何もわかっていない私を留学説明会に行かせ、合格対策用の塾に行かせ、精神科にも通院させた。今となっては本当に感謝しかないが、当時の私はいかに親と縁を切ることができるかをずっと考えていた。
そんな時父の転勤が決まった。海外だった。部活に一切の未練はなく、部のメンバーからは申し訳程度の送別会と色紙を渡された。どうでもいいが、後輩たちの色紙の方が何倍も心がこもっていた。クラスの友人たちとも小学校からずっと一緒だったため寂しかったものの未練はなかった。
全く英語も喋れないままインターナショナルハイスクールに通い、友達も最初の一年は全くできなかった。それでも全く辛くなかった。それでも家庭環境は最悪だった。それでも妹と少しずつ喋ることになったのがよかった。過食嘔吐は止まらず、部活で消費していたカロリー分は贅肉になっていった。妹は学校の保護者の間でも噂になる程、美人で贔屓目なしでも目を引く存在だった。彼女はそれを鼻にかけるでもなく飄々としていたのが私にとっての救いだった。引っ越ししてからは、家族が一緒にいる時間がより多くなり私は母の目につくことが多くなっていった。「オバハンみたいな体型、いい加減痩せたら?」「障害だか、頭の問題だか知らないけどなんとかしなさいよ」心の支えは音楽で、その頃には邦ロックはもちろん、洋楽、ミュージカル、ボカロ、アニソン、オペラまで聴くようになっていた。祖父がギターをくれたが、飽き性で練習は続かず、fコードで挫折したというありきたりすぎる理由でひかなくなった。
2年目からは、学校で大親友ができ、自分の居場所も増え好きになってくれる男の子もいたりと学校では順風満帆だった。でも家族とはすれ違うことしかなかった。
将来どうなりたいのか?これがその頃、いや今もだが母のもっぱらの関心ごとだった。母の親友にはジャーナリストがいた。彼女は世界中を飛び回っていて、母は私も彼女のようになってほしいというのが薄々感じ取れた。小学生の卒業文集ではジャーナリストになりたいと書いた。書くことも好きではなく、ただ本を読むのが好きなだけだったが、母に強く勧められ当時の私がその気になって書いたものだった。中学生の頃漫画やアニメにハマった時、編集者になりたいと言った時、いい顔はされなかった。仕切りに辞めた方がいいんじゃないの?と薄々匂わせてきていた。高校生になってからは音楽しかなかった私は音楽に携われる仕事がしてみたい、と勇気を出して伝えてみた。「ギターもすぐ辞めたし、楽器も弾けもしないのにそんなのどうするわけ?」と一刀両断だった。私はひたすら心を閉ざした。息が詰まりそうで、母や父の話をすると涙が出た。私は日記帳にひたすら音楽のこと、アニメ、漫画のことをかき、それと同じ日記帳にどうやったら親と縁を切れるのかを書き連ねていた。勝手に日記帳を読んだ母がそのページを切り取り、のちの数年間ことあるごとに自分は傷ついたのだと掘り返していた。あまりに家族と喋らないため、スマホ依存だと決めつけ、スマホの中身を全部見られた。高校2年生だった。父親と母親に全てのアプリを開かれ、アニメの絵や二次創作などを保存していたアプリを見つけられた。普段全く喋らず、私の話に返事すらしない父が一言「気持ち悪い」。自分のお小遣いやお年玉で買ったアニメ雑誌の付録でついていたポスターを貼りたかったが、怖くて貼ることができなかった。引き出しの奥深くにしまっていたアニメ雑誌はいつの間にかなくなっていた。日記と同様、勝手にみられ勝手に捨てられたのだと思う。家族といる時間が嫌で嫌で苦しかった。
ひたすら音楽を聴いた。中二の頃の親友の推しを聴くことは無くなった。メンバーが脱退したことを小耳に挟んだことを最後に彼らのことを忘れていた。代わりに、高校の友人とともに洋楽を聞くことが多くなり、過去のスーパーボウルのライブ映像なども身漁ることが多くなった。
大学生になった。一人暮らしが始まった。最初の頃はやる気に満ち溢れ、活動的で自分が誇らしくてしょうがなかった。離れてからは、家族と仲が良くなり、電話も高頻度でするようになっていった。それでも、2年生になってからは、結局何もできない自分が腹立たしかった。学生の頃は笑い飛ばせていたミスも成人してからは笑えなくなってきた。国民保険の滞納、寮費も滞納、授業でも寝坊が続いた。留年はしなかったし、落単もしなかったが、成績は芳しくなかった。自分が心底惨めで、それでも友人たちにもそんなことは言えなかったし、両親にはもちろんそんなことを言えるほど心は許せていなかった。友人たちといると楽しくなって口が止まらない、夜もハイになって眠れないことが増えてきた。反対に夕方まで眠りベッドから動かずスマホだけを見て食事も取らない日もあった。薄々自分が双極性障害なのではないかと思った。でも私はメンタルを理由に自分を弱く見せることだけは死んでも嫌だった。ましてや精神科から診断が下されたわけでもないのに、一丁前に自分が精神疾患持ち面している人が大嫌いだったから自分もそうなりたくなかった。
今月引っ越しがあった。なかなか引っ越しの片付けも進まず、生理も苦手だったから母親にアドバイスをもらおうとした。つい数週間前に就職の話で揉めたのもあって話を逸らしたかった。専業主婦だから他にすることがないのかもしれないのだが、成人した今でもひどく過保護だった。就職に不安があった私は1年の頃からインターンシップにアンテナをはり色々調べていた。それでもなかなか進まない自分にイライラしつつ、久々に中学の頃の友人たちに会う機会があったのだった。体育会系に入っていたり、将来が安泰な彼氏がいたりとみんなが眩しくてしょうがなかった。そんな折に母から電話がかかってきたのだった。「私よりもみんな頑張っていないのに体育会系だからとかで就職が決まるのはずるい、私の方が使えるのに」イライラしながらそんなことを電話越しの母に愚痴った。「そんなこと言ってもしょうがないでしょ。」その後だった。
「あなた、何もやってないでしょ、やばいよ。」と告げてくる電話越しの声は2年ぶりに耳の奥がザワザワとした。母は地元で特に何もせず就職、父は体育会系の花形で就職には全く困らず、私の就活の悩みなんかうんともすんともわからないだろうと思ったのに口を出してくるのか、とイライラした。でもこれは全部私の八つ当たりだった。母の言う通りだった。大学での勉強に追われて特に何もできていなかった私が悪い。それでも、母の口から自分ごとのように就職を語られるのは釈然としなかった。
引っ越しの片付けの際も母の命令口調にイライラして途中やめにしてしまった。部屋が汚いとやる気も起きず、3日間ろくに食事も取れなかった。自己診断だとこれがセルフネグレクトらしい。落ち込んで、午前3時になんとかよろよろと湯船に浸かった。
いつも通りスマホを開いてぼーっと画面を見つめていた。その時だった”シルエット”の文字を見つけたのは。
一瞬で中2の頃を思い出した。苦しかった。苦しかったけど必死に生きてた。なんだ今の体たらくは。覚えていないこともたくさんある。それでも、鮮やか��、良いも悪いも含めて全て自分を形作っていたものだった。思い出したら辛かったことも過去で、シルエットだった。お台場の砂浜の日差しの強さやダンス部の体育館の匂い、音楽をききながら布団に突っ伏していた体の強張りも全て覚えているけどもう遠いもので完全に思い出に過ぎなくなっていて切なくなった。たかだか6年前だけど、6年後の私は今の自分を思い出して懐かしくなったりするのだろうか。思い出すものすら今の私にはないのかもしれないと焦った。
かつての彼女の推しはメンバーが抜けても、休止しても帰ってきて変化し続けている。声も、少年のような声から大人があの頃を思い出すような歌い方になっていた。変わらないものはあるけど、それは変化し続けた先に見つけられるんじゃないだろうか。
家族との関係も、中学の頃の思い出も、変化したから変わったわけで、それでも心のざわつきはいまでも変わらない。その思い出も私を大人にさせたもので。今の私は何自分を変化させることができるんだろうか。まだ歌詞のように過去を笑い飛ばすことはできないけど、今の自分をまた助けてくれたような気がした。
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xf-2 · 5 years
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その生涯において、3度もの「奇跡」を起こした樋口季一郎。彼はどんな状況においても、「日本人として大切にすべき人道」と「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を失うことはなかった。樋口を通して見えてくる、当時の日本の「真実」とは何であったのか。
樋口季一郎は、なぜ「3つの奇跡」を成し遂げられたのか
 日本はなぜ「あの悲惨な戦争」に突入したのか――それについて戦後の日本人の多くが暗黙の前提にしていたのが、「陸軍悪玉論」でした。日本陸軍こそが暴走と謀略を繰り返して、日本を「泥沼の戦争」へと導いたという見方です。しかし、歴史をそんな単細胞的な「悪玉論だけ」で語ること自体が、そもそも間違いです。ようやく多くの日本人がそのことに気づいてきたようで、歴史の真実を見直そうとする動きが、今あちこちで現れています。
 当時の日本陸軍、あるいは当時の日本の「真実」とは何だったのか。それに迫ろうとするときに、非常に価値ある大切な「歴史の素材」となるべき人物がいます。終戦時に第五方面軍司令官を務めていた、樋口季一郎中将です。
 樋口季一郎の名は、あまり知られていないかもしれません。しかし彼は、まさに「奇跡」ともいうべき3つの事例に関与しています。
 1つ目は、昭和13年(1938)、満洲のハルビン特務機関長在任中に、シベリア鉄道経由で欧州から逃れてきたユダヤ人難民を、満洲国に働きかけて救出したこと。2つ目は、昭和18年(1943)、北方軍(後の第五方面軍)司令官在任中に、圧倒的なアメリカ軍の包囲下、玉砕を目前にしていたキスカ島の日本軍守備隊6千名弱の将兵を隠密裏に撤退させるという「奇跡の作戦」を成功させたこと。3つ目は、昭和20年(1945)、日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦し、終戦後にも侵攻を続けたソ連軍に対して「断乎反撃」を命じ、その野望を砕いたことです(北千島の最北端の島・占守島での勝利、そして樺太での奮闘によって、北海道は辛くも護られたのです)。
 いずれも、容易に成し遂げられることではありません。なぜ、樋口にはそれが可能だったのでしょうか。
 樋口は明治21年(1888)、淡路島に生まれます。家業の廻船問屋が零落したこともあって学費の安い陸軍幼年学校を経て、明治42年(1909)に陸軍士官学校(21期)を卒業し、陸軍将校としての道を歩み始めます。その後、歩兵第一連隊での勤務を経て、第一次世界大戦中に陸軍大学校に入学しています。
 樋口はドイツ語など多くの言語に通じ、終生語学を得意としましたが、陸軍大学校ではロシア語を割り振られます。これは樋口の生涯にとって、きわめて重要な意味を持ちます。なぜなら当時、陸軍の主敵はロシア(ソ連)であり、しかも陸大在学中(1915年~1918年)にロシア革命が起きているからです。さらに、彼が陸大を卒業した月(1918年11月)に、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれます。つまり、その後の日本の歩みに重くのしかかってくる「世界革命と総力戦」の時代に、樋口はその圧力を最も鋭く受け止めざるをえなかった陸軍のロシア畑を歩むことになったのです。
 陸大卒業後、樋口は情報将校としてインテリジェンスに携わり、大正14年(1925)から3年間、ポーランド公使館付武官を務めます。その時、ダンスを学んで名手となり、社交界で人気者となったことで、大いに人脈を広げました。西洋人との社交界での付き合いを苦手とする日本人も多いなか、樋口一流の柔軟さが見て取れる逸話です。
 当時、ソ連とドイツに挟まれたポーランドは、インテリジェンス活動に大変な力を入れており、ポーランド陸軍はソ連・ドイツ両国の暗号解読に大きな成果を挙げていました。実は樋口のポーランド在任と時を同じくして、樋口と陸軍士官学校の同期である百武(ひゃくたけ)晴吉がポーランドで暗号研究に取り組んでいます。これにより日本陸軍の暗号技術はきわめて高度なものとなりました。
 大東亜戦争中、ミッドウェー海戦の大敗でも明らかなように、日本海軍の暗号は連合軍にほぼ完全に解読されており、海軍の作戦計画はすべてアメリカ側に筒抜けでした。これこそ日本の敗戦の最大要因といってよいでしょう。一方、日本陸軍の暗号は最後まで解読されず、逆に陸軍はソ連の軍事暗号をかなりの程度解読できていたのです。
 樋口が広げたポーランドでの人脈が、このような優秀な陸軍の暗号システムを築くことになる百武の活動を支え、また日本とポーランドが暗号解読を含む機密情報をやりとりできる関係――国家間で最も探い信頼関係――を結ぶ大切な素地となったのでした。
 樋口の柔軟さは、淡路島に生まれ育ったことと無縁ではないのかもしれません。関西出身の私は、淡路島の出身者と聞くと、社交的でまろやかで、常識に長けていて明るい人物をイメージします。零落した商家の一人息子という点も重要です。樋口の慎重さや理性的な側面、また組織の壁にも挫(くじ)けない独立心と自我の強さは、この境遇に由来するところも多いはずです。
 そんな樋口が、高い知性と合理的な思考を求められるインテリジェンスという仕事に就き、多くの人的交流の機会に恵まれ、豊富な海外経験を積んだことは、きわめて重要なことだと思われます。あの時代のワルシャワや、樋口がよく訪れたウィーンなどの中欧(中部ヨーロッパ)には、近代西洋文明の最後の輝きがありました。日本人としてこのような「場」に触れた感受性の高いエリートは、翻って「日本はどうか」「日本の大切なものとは何か」を考えるようになります。強固な愛国心と共に、必ずや、日本人が失ってはならない普遍的な「人間性」や「人としての心」に目を向けることになるのです。
 このような経験のなかで自らを磨いていくことで、樋口は「広い視野」と「日本人として大切にすべき人道」、そして「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を身につけていったのでした。
「人道主義の名において、私は衷心悲しむ」
 昭和12年(1937)、樋口は「関東軍の情報部長」ともいうべきハルビン特務機関長になります。そしてこの地で、ユダヤ人難民救出事件――いわゆる「オトポール事件」に直面することになるのです。
 当時、ナチスの迫害が吹き荒れる欧州からシベリア鉄道経由で逃れてきたユダヤ人難民の満洲への入国を、ナチス・ドイツの顔色を窺(うかが)う日本の外務省への遠慮から満洲国が渋り、満ソ国境の町オトポールで多くのユダヤ人が立ち往生していました。その窮状をハルビンの極東ユダヤ人協会から訴えられた樋口は、満洲国に働きかけて入国を認めさせ、彼らの脱出ルートを切り開いたのです。これは有名な杉原千畝(すぎはらちうね)の「命のビザ」の話よりも、さらに2年ほど前のことです。また樋口は、ハルビンのユダヤ人たちが開いたこの事件への謝恩大会で、「今日、世界の一隅においてポグロム(ユダヤ人虐待)が行なわれ、ユダヤに対する追及または追放を見つつあることは、人道主義の名において、また人類の一人として私は衷心悲しむ。ユダヤ追放の前に彼らに土地すなわち祖国を与えよ」と演説しました。
 これらは、当時の状況では、決して容易なことではありません。当初、満洲国や外務省が入国を拒んだのは、ナチス・ドイツと防共協定を結ぶ関係にあったことを慮(おもんばか)ってのことで、現に、ナチス・ドイツは樋口を名指しして日本に公式に抗議していますし、陛軍内部でも樋口の処分論が高まります。
 また、もう1つ忘れてはならないのは、当時日本でも「ユダヤ陰謀論」が根強く唱えられており、陸軍内部にも四王天延孝(しおうてんのぶたか)将軍などをはじめとして、それに加担する一派が存在したことです。これは事実として誤っていただけでなく、日本の進路にとって大いに問題のある議論でもありました。というのも当時、日本のマスコミ界ではとくに「ユダヤ金融資本の陰謀」を書き立てる傾向が強く、それがまた、「反英米」感情の火に油を注ぐ結果となっていったからです。さらに、そもそもベルサイユ会議(1919年)以降、「人種平等」を国是のように唱えていた日本が、本来ならば最も唾棄(だき)すべき「人種差別主義者」ナチス・ドイツと手を結ぶ下地にもなってしまったのです。
 このような状況下で、「日本も満洲もドイツの属国ではないのだから、ドイツの(ユダヤ人差別という)非人道的な国策に協力すべき理由はない」と明言した樋口の勇気ある姿は、その人物の大きさと共に、日本人としての誇りを感じさせてくれます。
 ハルビン特務機関長の任を終えた樋口は、陸軍のインテリジェンスを手掛ける参謀本部第二部長や、金沢の第九師団長を務めた後、昭和17年(1942)に札幌の北部軍(後に北方軍、第五方面軍)司令官に赴任します。これは決して軍の中枢とはいえないポストですが、この軍司令官時代に、樋口はアリューシャン列島のアッツ島・キスカ島の戦い(昭和18年)と、占守島の戦い(昭和20年)という重要な局面に立ち向かうことになるのです。
 それぞれの戦いの詳細は別稿に譲り、ここではその意義を述べたいと思います。
 アッツ島・キスカ島は、昭和17年6月に、ミッドウェー作戦の陽動作戦として、海軍の要請で占領したものです。しかし、海軍はミッドウェー海戦で大敗。そして翌年5月には、アリューシャン列島でも米軍の本格的な反撃に直面します。樋口は、アッツ・キスカからは早急に撤退させるか、そうでなければ強力な増援部隊を送るように大本営に強く働きかけますが、この申し出を、海軍が「燃料不足」などの理由から蹴るのです。
 当時、海軍大佐として軍令部作戦課におられた高松宮宣仁親王も、昭和18年5月22日の日記で、「熟田(引用者註 : アッツ島の和名)ノ守備(隊)ヲ犬死サセル必要ハアルマイニト思フ」と嘆いておられます。このお言葉は、重く響きます。これは戦後あまり指摘されませんが、海軍は当初、陸軍に派兵を要請しながら、結果的に見殺しにしたのです。ミッドウェーですっかり自信をなくした海軍の上層部は、当時まだ十分な(空母)機動部隊を有していたにもかかわらず、むやみに損害を恐れてアッツ救援のための出撃を拒否したというのが真相です。
 大本営からアッツ島守備隊への玉砕命令が下ったとき、樋口は号泣したといわれます。もちろん、現場の指揮官として2千6百名の部下を玉砕させることへの強烈な自責の念であったでしょう。しかしそれだけでなく、海軍の不条理さによって増援部隊を送れないことへの怒りの涙、そしてそれを撥ね返せない陸軍参謀本部の不甲斐なさへの悔し涙でもあったのではないでしょうか。
 樋口はそこで、「アッツ島の将兵を見殺しにするのならば、せめてキスカ島からの撤収作戦には海軍が無条件の協力を約束せよ」と大本営に頑強に迫ります。キスカ島の将兵6千の約半数は海軍陸戦隊でしたから、海軍も「身内可愛さ」から必ず覚悟を固めるはず、という読みもあったからです。この樋口の強硬な主張があったからこそ、「世界戦史上の奇跡」ともいわれるキスカ撤退作戦が実現したのです。
 そしてもう1つ、樋口が第五方面軍司令官として最後に下した決断が、「北海道の占領」をめざし終戦後にも国際法を破って侵攻を続けるソ連軍に対する、断乎たる反撃でした。
 そもそも日本は終戦時、「整然たる降伏」にこだわりすぎました。停戦後に一番危険なことは、丸腰になった味方が殲滅され虐待されることであり、武装解除した後に行なわれる敵の不法な行為によって、決定的に国益が侵されてしまうことです。簡単に武装解除せずギリギリまで条件交渉すべし、というのが世界の常識なのです。
 にもかかわらず、大本営は8月16日に戦闘行為の即時停止を命令、そして「8月18日午後4時以降は、自衛目的の戦闘行動も全て停止」と命じます。「自衛目的の戦闘も停止」など、本来ありえないことです。自衛権は、いつ、いかなる時でも許される「人類普遍の自然権」だからです。戦後日本の「倒錯と自虐の精神」の萌芽が、すでにこの時点で現われているかのようです。
 それゆえ、広い世界的視野に基づく合理的思考に立脚してその誤りを排し、正面から反撃を加えてソ連軍撃退をやってのけた樋口は、やはり「独りよがりの世界観」から一歩抜きん出た存在だったといえます。日本を「分断国家の悲劇」から救った樋口のこの判断に、すべての日本人は感謝すべきでしょう。
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neu-ve · 4 years
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Stay Home
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4月になりましたね 新型コロナウィルスにより世界中で外出自粛・禁止要請 衛生品の入手困難が続いているなか 出無精在宅ワーカーで潔癖症な私と 非常時こそ強制出勤な肉体系公務員の夫の生活は 今の所なにも変わっていないのですが…
本来は、各世帯様々な理由で 外出自粛はフラストレーションが生じることではないかと思います これから家づくりをされる方は、インドア派でもアウトドア派でも家での時間を思い切り楽しめるよう、どんな環境であればより快適なのか、どうか熟慮して建築計画を… インドアな我が家の場合 室内にいながらにして屋外の空気感も常に楽しめるよう 内と外との繋がりを強く意識した家づくりにしてあります 内側からは、中庭や公園の木々で季節を感じられるように 外側からは、風と光を心地よく取り込む計算を入念にしました これは、ウィルス以前に普段からの体調や精神衛生、家自体(木材など)にも密接に作用してくることで 多くの家に対して良い効果が出ることだと思います 風を通す・光を当てる・水分と温度を最適にする・汚れたら清潔にする
私はこの単純なことを大切にしていて 人間、動植物、菌、家自体に対しても、共通して心がけるようにしています
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家の前の公園の桜が、今ちょうど満開です 窓を開けると花弁がふわふわ入って来る…(そして捨てる😂) 木々のラインナップに魅了されて借景出来るこの土地を選びました 都市計画も調べたし、公園なので基本的になくなることはないんですが あくまで借りているだけの景色なので永遠のものではないと覚悟しつつ 今年も見られたこの光景に感謝だけして いつか変わるかもしれない景色も窓越しに見つめていこうと思っています
ポエミーじゃん…
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少し前は、枝物の桜を飾っていました 卒業シーズンで本来売られるはずだった切花😭
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デスクまわりです 差し込む光と季節に合った少しの植物があれば… 大丈夫…豊かな気持ちになる…充分なるなる…… (借景がなくなった時のための自己暗示)
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通年通り、家の中で春を楽しむのが好きです この家が好き過ぎるんだ…
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1Fのフリースペース どう使うかあえて用途を決めていないSOHO部屋で 将来的には民泊やテナント等、基本的に収入を見込んでいますが 最近、イートイン出来る数量限定のおにぎり屋さんとかやりたくなってきました…空いた時間でロゴとか名刺のデザイン考えちゃってる… ちょこちょこあれやりたいこれやりたい言うと思うのでユーザー様も私の迷走を見守ってください… 迷走するビジョンを見られる部屋です😂 こちらにはミモザを買っておきました
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春告げの花^^ ミモザにも色々あるけど、これはギンヨウアカシアかな 南側のバルコニーではサンカクバアカシアとパールアカシアの苗を育てていて そちらも苗ながら少し花をつけてくれました
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寝室から見る北側の小さいバルコニー 一点置きしているモミジが芽吹き始めています
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私は趣味が少なく、衣食住を追求するくらいしか興味がないのですが 家での主な娯楽は映画鑑賞です!(クソど定番だった…) 使っているのは、SONYのポータブル超単焦点プロジェクターLSPX-P1 明るさが100ルーメンで高額なのがウィークポイントだったんですが 販売終了が心配だった&価格が予算内になった(ま〜たAmazonアウトレット張り込んだ)ことで、昨年勇気を出して買いました 結局日没後しか真剣に映像を観ない生活になったので明るさは特に問題もなく(日中の場合はポスター感覚) 今では後継機種が出てくれなかったらどうしようと既に不安な程に我が家に必要不可欠なツールです 1日4時間の使用で5年程が寿命らしいコワイ 壁にピッタリつけるとテレビのようなサイズ感で 壁から少し離すと非日常の大画面になります また、本体を回転させるとテーブルなどにも映せるので 投影場所を選ばず気軽に使えます! 超単焦点で人影が写る心配もなく、充電式でポータブル、設定も操作もスマホで簡単に出来るし、何より意匠性が群を抜いて好き 単体でも使えますが音がザラつくのでBOSEのポータブルスピーカーに繋いでいます ガジェット感覚なので、本気でシアタールームにしたい人には映像が未熟だし定価10万の商品としては高すぎると思いますが もし低価格で売られたら(売らない)教材レベルで全国民持って欲しいアイテム これがあれば時の概念など消える…
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プロジェクターに絡めていつか話したいな、と思っていたのですが テレビ(地上波)を観なくなって3年経ちました
今まではある程度テレビをBGMに暮らしてたのが 新居でアンテナ設置のタイミングが合わずテレビなしで生活がスタートし 音も情報も自分で精査するようになったのがきっかけです その後、久々にテレビをつけた時に放送内容の多くが自分の価値観に合わないことに気付きました 今後は多様性の時代であること 性別・人種・年齢・見た目・人生設計そのどれもがセンシティブなことで 自他境界線を守るのが大切だと私は思っているのですが 私自身も過去に得た偏見から抜けきれない所がまだまだあって それは次世代のために早急にアップデートすべきだと思っています そんな中いまだにメディア側が、時代に逆行した同調圧力・偏見の再生産をしていたり 問題に対して不安を煽るだけだったり、本質を取り違えていたりするので ワイドショーやバラエティはもちろんニュースも違和感ばかりになってしまいました 逆に地上波の外で倫理観ゼロの人もいれば、地上波の中で真摯に発言をしている人もいる でも第三者を挟んで切り貼りする放送では、それが正しく捉え辛いです どんな思想の人が、どういった目的で発信してるのかを意識した時 無意識にメディアを観ることは怖く、情報源として扱えなくなってしまいました 非常時の今はまさにそれが顕著だと思うので 日々状況が変わる中でも自分で選んだ情報を迅速にとるようにしています
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先ほど自他境界線の話を少ししましたが どんな人間も否定はしないけど、加害性だけは批判の対象なので買い占め転売ヤーは滅んでという気持ち😇 ちなみに私は潔癖症なので衛生用品のストック(1つ使い切ったら1つ買い足すルールで)の絶対値を決めています その他にも非常時に役に立つものは大体ローリングストックしています 建築計画中から何をどこにどれだけ入れるか逆算して必要な分だけ収納を作って頂きました 潔癖症って“そんなに気にしても死なないよ”くらいの印象持たれがちだし パートナーにすら理解してもらうのに時間がかかったのですが “気にしないと死ぬ”今の状況下になってこのストックが役に立っている皮肉…
でもこれは結局、潔癖の人間にとって精神安定剤のようなものだし多分めちゃくちゃ菌に弱いので、ストックなくなった瞬間に心も体も病むから最終的に意味はない ただ、コロナをきっかけに人類の衛生概念がアップデートされて 外食時に手の洗い方がガチだったり座席やその他共用部を除菌シートでめちゃくちゃ拭きまくってる人(私だよ)がいても“自分はそこまでしないけど、あの人はそうなんやな”くらいな世界線になってて欲しい…
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こんな感じの意識の中、私は家での時間を過ごしています 今はいつも通りの我が家も ここから状況はどんどん悪くなるはず 出来ることから粛々とやろうと思います 不安な中ですがどうか皆様も お家の中では少しでも楽しい時間を過ごされますよう…
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kerokeroaino · 4 years
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12月いっぱいで浅草quluquluを退職することになりました。1年弱、本当にたくさんの人にお世話になりました。ありがとうございました!
2019年の8月3日に、西永福ジャムでもえさんが当時やっていたユニットとPYON²で対バンして初めてもえさんと出会いました。
まみくんがやっている浅草buttobi系列でカフェバーをオープンする事は知っていて、あんなドピンクのお店で私が働いてたら最高にかわいいんじゃないかなって乙女心一心で妄想してた中quluquluオーナーのもえさんと出会い、ライブ後「ここで働かせてください!」とちんちくりんだった私は千と千尋の神隠しのセリフを言ってしまいました。もえさんは、「え!働いて欲しい!ライン交換しよ!」って言ってくれて、働くことになりました。もともと飲食店で働いていたのでおおまかな仕事はすぐ覚えることができて、「私一人体制でもシフトいれてほしいです!」とお願いすると、快く任させてくれました。お店を一人体制で営業することを任せていただけたことは私にとってがんばる力にもなったし、成長できるすごく良い機会でした。
始めたての頃はお客さんが少なく13時から23時の間、一人で営業することが始めは自分からお願いしたにもかかわらずとっても心細かったこともありましたが、(トイレに行きづらい)もえさんはいつも連絡をくれたり話す時間をたくさんとってくれたりもえさんが入っていない日でもドーナッツ買ってお店によってくれたり営業中に喘息が止まらなくなってしまった時、駆けつけてくれて病院に行かせてくれた事もあったり、心強すぎるオーナーで本当に親身になっていつも接してくれました!
お店の改装が1月に入って行われ、天井一面にお花が吊るされるとたちまちお客さんは増えて、もえさんの勇気と決断は本当にすごいし目に見える形で最高のカフェになりました。
来てくれる女の子達みんな「かわいいー!やばいー!!」って言って入ってきて、ワッフルとかパスタ出してもおいしいね!かわいいね!って声が聞こえてきたり、ほんとそういうのがうれしかったです!
クリスマスやお誕生日や平成最後の日などたくさん、イベントを一緒にやってくれてそこで出会ったもえさんのファンの方達ともいっぱい話したり仲良くなれて、今では私の営業日でも飲みに来てくれる方もいたり、ツイッターとかでも気にかけてくれてたりくるくるで出会った人がライブに来てくれたり!本当にずっと心の支えです!今でもずっと!みんな大好きです!出会えてよかったって本当に思います!
私はなんでも自分でやりたいもん!って思って色々やるけど根本的な自信が常になくて、もえさんやなちゅを困らせてしまったことが何度もあったと思います。将来を考えて音楽をやめて、OLとか普通の仕事したいって思った時にもえさんに話を聞いてもらったこともありました。でもその時「あいのの歳の頃は一日寝たらすーぐ真反対のことがしたくなったり、コロッコロ気持ちも感情もやりたい事も変わってた。だけどそれで良いし全部あいのがやりたいと思った時にやりたいことをやれば良いんだよ」って言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しくて少し経ってから音楽活動またちゃんとやりたい!って思った瞬間にもえさんの言葉のおかげで、絶対にやってやる!し、自分の為にやりたい!って気持ちになったし、色々曖昧にしてきた人生を、割と自分に合った形で、しっかり言いたいことは言うやりたいことをやる!っていう風にできるようになってきました!あと、もえさんは「こんなにしっかりしてるハタチはいないよ」「私の人生にあいのが出てきてくれて本当に良かった」「いつも本当にありがとう」って言葉を何度も何度もかけてくれました。なんかこうやって書くと恥ずかしいけど、いつも自信が無くて誰かに認められたい感情だけで生きている情緒不安定な私にとってはもえさんがこういう風に言ってくれることは本当に心の支えだったし、いっつも私も大丈夫だ!って気持ちになっていてずっと心の支えでした。
お店の経営がもえさんから栗原ゆうさんになる段階で私は浅草quluquluを退職することになりましたが、浅草quluquluで学んだことを生かし、いつか私は立派な洋食屋さんを開きたいなっていう夢ができました。資金も知識も何もないので、これから音楽とは別に、こっちの夢にも向かってたくさん修行したいと思っています。浅草quluquluで働けたことが私の誇りだし自信だし、働いたことによってまた一つの夢ができたので、感謝しかないです!!
もえさん、なちゅ、しのぶさん、ゆうなちゃん、ジョゼさん、まみくん、とりっぴー、フジオ、quluquluをお手伝いしてくれてた方々、もえさんのファンの方々、私の音楽が好きでquluquluにも来てくれたお客さん、quluqulu常連さんになってくれた人、来てくれたお友達、イベントやってくれた人、あともえさんのお母さんともえさんの妹さんのさやさん!みんなにいっぱいいっぱい感謝しています。大好きしかありません!ありがとうございました!!
これからはquluquluとは別��飲食のお店で働いて、料理の勉強や経営を学ぼうと思っています!落ち着いたらいろんな人に来て欲しい!!バイトを普通に教えちゃうバンドマンですが私は自分の作ったお料理を食べて欲しいし夢はかわいい洋食屋さんの小さいおばさんなので、是非来てくださいにゃん
でもくるくるには11、12月まだいるしこれからも、もえさんと一緒にイベントやったり、私一人でイベントやったり時々BAR営業やらせてもらったりするのでこれからも引き続き、かみやあいのと浅草QULUQULUをよろしくおねがいします!
1月21日で私21歳になるんだけど、25日の土曜日にお誕生日&卒業パーティするので絶対きてください!
以上、本当文章へたっぴで読むの大変だったと思いますが呼んでくれてありがとうございます。ほんと小学生みたいな文でごめんなさい!笑 今日のお昼から書いててずっと書き直したけどやっぱ下手くそだな!笑
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2ttf · 12 years
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kkagneta2 · 5 years
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幻想の一年、夢のやうな将来。
おっぱい!!!!
今日は志望校の模試を受けると云うので、色々尽くしてきた訳なのであるが、まさかこうも簡単に心がかき乱されるとは思っても見ていなかった。それもこれも全部、隣で黙々と試験を受けている制服姿の、――恐らくは母校からもう少し北に行ったところにある進学校に通っている女生徒の、その胸元、――つまり「おっぱい」が原因であつた。――
明らかに異常としか言いようがない。白い夏用のセーラー服を弾けさせんばかりの膨らみは、大きさにしてバスケットボールぐらいであろうか、横にも縦にも30センチは彼女の胸元から飛び出している。それに引っ張られて制服にはシワが出来ていたり、脇のあたりなどに変に折り目がついていたりしているのであるが、彼女の本来の体格には合っていないのか、お腹の辺りはダボダボと生地が余っている。彼女が消しゴムをかけると、それに合わせて揺れる揺れる。机の縁に当たれば、その形に合わせて柔らかく変形する。下に何枚も着ていないのか、パンパンに張った制服には薄っすらとブラジャーと思しき四角い模様が浮かび上がっている。時として彼女が肩を揉む仕草をするのは、やはり途方もなく重いからであろうか。
しかし、俺にはそんな光景が信じられなかった。
――女性の乳房がここまで大きくなるのか?
俺は彼女が席についた時から、純粋にそんな気持ちを抱いていた。どう考えてもありえない。彼女の顔よりも、俺の顔よりも、まだまだずっと大きい胸の膨らみは白昼夢のレベルである。現実に存在していい大きさではない。もし、ほんとうに存在するのなら、確実にネットだとか、テレビだとかで話題になっているはずである。受験のプレッシャーに負けて頭のおかしくなった女生徒が、詰め物をしている、――そうに違いない。このおっぱいは偽物である。もしくは俺は今、幻想を見ている。――
そう思わなくてはこちらの頭がおかしくなりそうだった。そもそも一体何カップなのかも検討がつかない。P カップ? U カップ? Xカップ? いやいや、Z カップオーバーと云われても何も不思議ではない。
しかしもしそうだとして、ならば一体どうやったらそんな大きさになるのだろう。小学生の頃から大きくなったとしても、一年に5カップ弱は大きくならなければ、こんな暑い時期にZ カップを超えることは出来ない。すると、中学を卒業する時点で少なくともP カップは無くてはならない。……いやいや、今の大きさもそうだが、中学生でP カップだなんて、そんなばかなことはありはしないであろう。しかし、現実にこの大きさになるにはそのくらいの成長速度が必要である。やはり偽物としか思えない。……
いや、そうでなかったとしても、こんな可愛らしい女子高校生に、こんな大きなおっぱいを与えるなぞ、神はあまりにも不平等である。彼女を初めて見た時、その巨大すぎる胸の膨らみに脳が麻痺したのか、まず俺が眺めたのは彼女の顔だった。黒い艷やかなセミロングの髪の毛を軽く後ろで束ね、ふんわりとした目元に、指で摘んだような鼻に、すうと真横に伸びた唇、白い肌、長いまつげ、……まさに完璧な瓜実顔と云ってもよかろう。おっぱいがまるでなかったとしても、他の女性とは一線を画している。――
もうこれ以上問題を解くなんて出来ないと判断した俺は、まだ開いてすらいない化学の問題用紙を一瞬間眺めた後、取り敢えず物理の回答を見直すことにした。チラリと目を向けると、彼女は胸に邪魔をされながらも一生懸命に問題を解いている。普段なら焦る心地ではあるけれども、もう今日は何もかもを諦めてしまった。俺は机に突っ伏すと、隣で繰り広げられているであろう蠱惑的な光景に、残り時間いっぱい思いを馳せることにした。
  例の模試からまる二ヶ月、俺は予備校へ通いながら何の進展のない日々を過ごしていた。結局彼女はあの後、俺が放心しているうちに試験会場を後にしてしまっていたから、連絡先も交換できていないし、そもそも声すら聞いていないのである。それでも制服から高校が判明したから、友達からは校門で待ち構えろと云われたのだが、そんなストーカーまがいのこと、冗談でも俺にはできない。ただただ悶々とした日々を過ごしている一方であった。
で、いま何をしているかと云えば、この時期から、――ちゃんと云うと8月のとある週から、この予備校では夏期講習が行われるから、浪人生である俺は必ず出席しなければならない、――と、ここまで云えば分かるだろうか。そう云えば去年も行ったような気がするので、恐らくは現役生も交えた講習である。高校生からすると、中々新鮮味があるだろうが、毎日をここで過ごしている俺からすれば、全くもって面白くない。――
と、思いつつ、昨日から解きかけで残しておいた数学の問題を解こうとノートを取り出したのだが、ふと隣の席に座ってくる人影が視界の隅に見えた。授業開始にはまだ時間はあるので、空いている席はたくさんある。前にも後ろにもある。そんな中でわざわざ俺の隣に座ってくるのは、一体誰だ……? と思って見てみると、――
――彼女だった。
見間違えようがない。相変わらず、風船でも入れているのではないかと思うほどセーラー服をパンパンにさせ、髪の毛を後ろで束ね、あの可愛らしい顔を若干こわばらせている。同じようにテキストとノートを取り出した彼女は、下敷きで顔を軽く扇ぎながら、何をするわけでもなく黒板をぼんやりと眺めていた。
――それにしても大きい膨らみだ。真横に居るものだから以前よりもその膨らみは大きく感じられる。今日はブラジャーの跡こそ見えないけれども、セーラー服が破れてしまわないかこちらがハラハラするほどに、胸の頭だとか、脇のあたりだとか、背中のあたりだとかが張っている。彼女が顔を扇ぐ度に、机に当たってふにふにと形を変えるおっぱいは、見ていても心地よく感じられる。それに、何とも重そうに揺れるのである。もはやここまでされては、決して詰め物だとは云えない。確かに俺の真横には、途方もない重量を持つ塊がある。
「おはよう」
もうどうしようもなくなった俺は、意を決して彼女に話しかけた。
「お、おはようございます」
とおどおどした声が返ってきたので、出来るだけ朗らかに、彼女と再開した時に備えて練習した言葉を云う。
「何ヶ月か前の模試に居なかった? ほら、O大学の、……」
「はい。たしかあなたは、……私の隣に居ました、……よね?」
と、首をかしげる、その顔には笑みが。
「そうそう。あまりに一生懸命解いてたから、なんか面影があるなーって思ったけど、やっぱりそうだったんだ」
「ふふふ、私も隣で一生懸命解いてる姿は良く憶えてますよ」
「隣に座ったのは偶然?」
「いえ、実は誰も知ってる人が居なくて心細かったんです。……」
と彼女は恥ずかしそうに笑った。
話はそれから自己紹介の流れになったのであるが、とにかく胸元の存在感がすごくて、何度も何度も目をやりそうになった。聞くと彼女の名前は沓名 楓(くつな かえで)と云う。苗字は珍しいから名前で呼んで欲しいとのことだけども、初対面の女子高生を下の名で呼ぶ、その気恥ずかしさと云ったらない。が、彼女はほんとうに気にならないのか、むしろ言葉に詰まる俺を見てくすくすとこそばゆく笑っていた。
物理選択と生物選択で俺たちは分かれることになったのであるが、離れ離れになるのはそれくらいで夏期講習のコースは凡そ一致していたから、その後も一緒に受けることになった。その外見に似合わず、意外にも楓はお茶目で、授業中にもしばしば筆談で会話をした。中でも面白かったのは彼女は絵が上手く、教壇に立つ先生の似顔絵を描いては笑わせてくる事で、それが唐突に見せてくるものだから、授業中に何度も何度も吹き出すハメになってしまった。
純粋に楽しかった。もちろんおっぱいは気になり続けてはいたけれども、再び数学の問題に向かう余裕ができるほどに、彼女と授業を受けるのは楽しいと感じられた。だから俺はつい楓に、
「大丈夫?」
と云っていた。もう何度も彼女が肩に手をやるから気になったのである。
「へ? 何がです?」
「いや、肩が痛いのかなって」
と云うと、楓の顔は一気に真っ赤になる。
「あ、えとですね。……その、重くて、……」
「え?」
「お、おっぱいが重くてズレちゃうんです。……」
と二つの膨らみを抱えながら小さな声で云う。分かってはいたが、デリカシーのなさすぎる問いに、後悔が募る。
「ごめん。今のは無神経すぎた。許してくれ���
「いえ、云ってくれた方が、お互い気が楽になりますから。……」
しばらく無言が続いた。俺は居心地の悪さにまたノートに向かってまだ解けきっていない問題に向かうことにした。楓はぼうっと黒板を眺めていたのだが、いつしか同じようにノートに向かって、何やら一生懸命に書いていた。
もう残すところ授業は後一つである。いつのまにか予備校でも屈指の変わり者と評判の高い数学のS 先生が教壇に立っており、気がつけば受講カードが配られてきた。
その時間、彼女と目を合わせたのは結局、受講カードを手渡した時だけであった。
「柴谷さん」
と、テキストを片している俺に、楓が声をかけてくる。
「今日はありがとうございました。あのまま声をかけられなかったら、心細さで死んでしまったかもしれません」
「ははは、生きててよかったよ。俺も今日は楽しかった」
「それで、これを、……」
とノートの切れ端を折り曲げたのを俺に手渡して、………こなかった。途中であの豊かな胸に丸め込まれる。チラリと見て唸る。
「………やっぱり、これは明日にします! さようなら!」
と云って、楓はぱぱっと教室から出て行ってしまった。残された俺は彼女が何を渡そうとしたのか気になったけれども、それよりも彼女とお近づきになれた嬉しさと、中々上手く事が運んだ安堵にほっと息をついて、体から力を抜いた。自習室に行くのはそれから30分もしてからであった。
  結局、楓があの時何を渡そうとしていたのか分からずじまいであった。明日にしますと云っていたのが、また明日にしますになって、そして明くる日も、また明日にしますになり、それが続いてとうとう夏期講習も最後の日となってしまった。とは云っても、俺たちはそのあいだ、朝来てから帰るまで、時には自習室で夜遅くまで籠もる時もほとんど一緒に居たからあまり気にはなっていない。気になる気にならないと云う話なら、楓のおっぱいの方がよっぽど気になっている。
彼女は胸の大きな人にありがちな、太って見えることを非常に気にしているようで、歩く時には必ずと云っていいほど制服のお腹のあたりを抑えていた。それが却って扇情的になっていて、俺はいつも目のやり場に困っているのであるが、確かに抑えていないと二回りは横に広がっているように見えてしまう。それがなぜかと云えば、恐らく巨大な胸を入れるために自分の体格に合わない制服を着ているからであろう。バストはもとよりお腹周りに余裕があるせいで、いわゆる乳袋が出来てしまっている。それに袖もブカブカで、しかもその余った袖が胸に引っ張られるせいで、横から見ると一回りも二回りも腕が太く見えてしまう。要はおっぱいのせいでせっかくのセーラー服を上手く着こなせていないのである。着る物一つにしても、楓は苦心しているようであった。
彼女のおっぱいについて気になったと云えば、もう一つある。それは一緒に自習室に行った時のお話で、楓は至って真面目に勉強を進めるのであるが、その日は疲れていたのかよくあくびをしていた。眠い? と聞くと、めっちゃ眠いっす、……と云うので、寝てもバチは当たらないから一眠りしな。起こしてあげるからと云うと、うぅ、……いつもは逆なのに。……と云いながら机に突っ伏してしまった。
……おっぱいを枕にして。気持ち良さそうな顔を、少しだけこちらに向けて。
俺もあのおっぱいを枕にしたらさぞかし気持ちがよいだろうと云う想像はしていたが、まさか本人がするとは思ってもいなかった。テキストやらノートやら全てを押しつぶしてなお余りあるおっぱい枕は、彼女の顔を柔らかく受け止めていた。しかもうつ伏せなものだから、絶対にいい匂いがする。あのおっぱいで出来る谷間に俺も顔を突っ込んでみたい。――俺はそんなことを思いながら、写真を撮ろうとする手を止めて参考書に向かったが、今度は机に重々しくのるおっぱいに手が伸びようとする。なんせ彼女はすっかり寝息を立てて寝ているし、今は周りに誰も居ないし、ちょっと突いてもバレることは無い。あのブラジャーの模様をちょっと触るだけ、なぞるだけ、……
もちろん、思うだけで終わった。何度かトイレに行くフリをして気を紛らわせていたら、楓が起こしてと云った時間になっていたので、その日はそのまま背中をトントンと叩いてやった。体を起こす時にストン、ストンと地に向かって落ちるおっぱいを見られただけでも俺には充分であった。
「とうとう今日が最後なんですね」
と、帰り際に楓が云った。
「だなぁ。あっという間だったなぁ。……」
「あの時話しかけてくれて、ほんとうにありがとうございます、柴谷さん。夏期講習がこんなに楽しくなるなんて思ってませんでした」
「俺もだよ。この調子で一緒に大学に行こうな」
とんでもないことを云ったような気がするのであるが、楓はにっこりと笑って、
「行けますよ、私たちなら。きっと」
「俺は一度失敗してるからなぁ、……ま、頑張ろう」
「ふふ、柴谷さんなら大丈夫ですよ。……あ、そうだ。渡したいものが」
楓は例のノートの切れ端、……ではなくルーズリーフを数��手渡してくる。今度はちゃんと俺の手に渡った。
「えっと、あ、今は見ないでくださると嬉しいです。……色々書いちゃったので。………」
「分かった。家に帰ってからゆっくり読むよ」
「お願いします」
俺たちはそれから一緒に駅まで歩いて行って、楓の乗る電車が来るまで待って、これほどにない寂しい別れに涙を飲んだ。
  楓から渡されたルーズリーフを読んだのはそれから一週間後の深夜であった。何度も何度も渋って渡してくれなかった上に、いざ渡してくれたときの真剣な眼差しを思うと、どうしてもそのくらいの日数は経たないといけないような気がしたのである。しかも書き出しがこうなのである。――
 柴谷仁士様へ
ここに書いてゐる事柄は母にも、姉にも、友人にも明かしたことの無い、私の胸に関することです。本当は直接口で云へると良かつたのですが、恥ずかしさに負けてしまひました。回りくどい方法をご容赦ください。なにぶん初めて人に打ち明けるので、ひどく恥ずかしいのです。ですが、柴谷さんならきつと許していただけると信じてゐます。
さて、夏の日差しが強い中、―――
 それからしばらくは恋文とも取れるような文章が並んでいるのであるが、二枚目からようやく本題に入ったらしく、彼女の生い立ちから順にいわゆる「成長記録」が記されている。原文のまま写すとこうである。
 初めて私の姿を見た時、どう思ひましたか? 柴谷さんも驚いたことでせう。ええ、もう初対面の人にも、同じクラスの人にも、昔から気心の知れる幼馴染にも驚かれてゐるのですから、きつとさうに違ひありません。初めてお会ひしたのはO 大学のオープン模試でしたよね。私の姿を一目見て、目の色が変はつたのはよく憶えてゐます。その後すぐに視線を前に向けて、机の上にあつたポレポレを取つてゐましたね。ああ、怒つてゐるのではありません。安心してください。
それでもう一度問ひますが、二週間一緒に過ごしてみて、私の体についてどう思つてゐますか?  これを読む頃には忘れかけてゐるかもしれませんから、スリーサイズを記しておきませう。上から148-54-72 です。どうです? すごいでせう? ウエストも、ヒップも、倍にしたところでバストには敵はない。……これが私の体なんです。胸だけが異常に発達した決して美しいとは云へない体、……それが沓名楓なんです。
ちなみに、アンダーバストはぴつたり60センチとなつてをります。カップ数は日本だと2.5センチ刻みで、A カップ、B カップ、C カップ、……と云ふ風に変はります。さて、バスト148センチ、アンダーバスト60センチの私は一体何カップでせうか? 5分以内に答へよ。
せうもありませんでしたね。すみません。正解は7Z カップです。聞き慣れないかもしれませんから、一応云つておきますが、7Z カップとはZ カップからさらに6つ上のカップ数で、アルファベットで云ふと二週目のF カップとなつてをります。どうです? すごいでせう? 私にとつて、Z カップは小さいのです。先程試したところ、そこらぢうからお胸のお肉がはみ出してしまひました。一応Z カップのブラジャーでも、顔はすつぽりと包めるくらゐは大きいのですけどね。……
さて、こんな異常な胸を持つてゐるせいで、私はこれまで何度もいぢめに会ひました。小学生の時、中学生の時、――高校生の今ではみんな黙つてゐますが、陰口はたまに聞きます。あ、何度もと云つた割には多くて三回でしたね。すみません。
最初のいぢめは小学生の時でした。私の胸の成長は早いもので確か小学5年生か6年生かそのくらゐの時に始まりました。私もその時は普通の女の子でしたから、当然嬉しかつたです。同じやうに大きくなり始めた友達もゐましたし、それに成長したと云つても、可愛らしい大きさですから、少し羨ましがられるだけでした。
けれど私の胸は異常だつたのです。確か小学校を卒業する頃にはK カップか、L カップと云ふ大きさにまで成長してゐました。もちろん、今からすればしごく可愛らしい大きさには違ひありません。ですが、AAA カップにも満たない子がほとんどの小学生の中に、L カップの小学生が紛れてゐる場面を想像してみてください。……どうでせう? いくら恥ずかしがつて隠さうとしても、目立つて仕方ありませんよね。今でも集合写真やら何やらを眺めると、すぐに私の姿が目についてしまひます。あ、機会があれば見せませうか。すごいですよ? ほんたうに一人だけ胸が飛び出てゐますから。
で、本題に戻ると、そんな目立つ子がいぢめのターゲットにされるのは当たり前のことで、しかも私の場合胸の大きさと云ふ、女の子からも、男の子からも標的にされやすい話題でしたから、一度ハブられると、もう止まりませんでした。身体的な特徴が原因のいぢめは止めやうがありません。具体的な内容は、女の子からはハブられ陰口、男の子からは胸の大きさを揶揄するやうな行動や仕草、――例へばボールを胸に入れてどつちが大きいか比べたり、……さう云ふ感じです。
両親には云つてません。――いえ、ちやんと云ふと、恥ずかしさから何も云ひ出せませんでした。先生もまた、私を妬んでゐたのでせう、こちらは勇気を出していぢめを訴へたのですが、特に行動を起こしてくれませんでした。ただ、中学までの辛抱だから、とは云はれましたね。問題を投げたのでせう。けれども、昔の私はその言葉を信じてひつそりと絵を書いて日々を過ごしてゐました。だから絵はそこそこ上達してゐるのですよ、褒めてくれるのは柴谷さんが初めてでしたが。……
それで中学に上がつて何か変はつたかと云へば、何も変はりませんでした。あ、いや、お胸だけはすくすくと成長してゐましたから、「何も」と云ふのは違ひますね。大きくなる波がありますからはつきりとは云へませんが、だいたい2、3ヶ月に1カップ程度は成長してゐました。ですから、中学1年の夏にはバスト98センチのM カップ、秋にはバスト103センチのO カップ、冬の記録はありませんから飛ばして、中学二年に上がつた時の身体測定では、バスト107センチのQ カップ、……とそんな感じです。どうです? すごいでせう? 柴谷さんは男性ですからピンと来ないかもしれませんが、O カップだとか、P カップだとか、そんな大きさになってもこの速度で成長して行くのは、はつきり云つて異常です。でも止まらないのです。日々食べるものを我慢しても、どんなに運動をしても、何をしても、この胸はほとんど変はらない速度で大きくなり続けて行くのです。周りの子たちがC カップとか、D カップになつたと沸き起こる中、私だけM からN へ、N からO へ、O からP へ、P からQ へ、どんどんどんどん大きくなつて行くのです。優越感も何もありません。ただひたすら恐怖を感じてゐました。このまま胸の成長が止まらなかつたらどうしよう、もう嫌だ、嫌だ、普通の大きさになりたい、普通になりたい、……さう思つて毎晩ひとしきり泣いてから床についてゐました。
ブラジャーに関しては、姉が(世間一般で云ふところの)立派な乳房を持つてゐますから、この頃はまだお下がりでなんとかなつてゐました。尤も、私の方が華車な体つきをしてゐますから、カップ数的には小さめのブラジャーでしたが、兎に角、アンダーバストの合わないブラジャーに、無理やりお胸のお肉を詰め込んで学校に通つてゐました。しかしそれも中学二年の夏前には終はりましたが。
何せ6月になる頃には私のバストは113センチにもなつてゐましたからね。カップ数はT。姉はP カップでしたから5カップも差があると階段を降りるだけでも溢れてしまひます、仕方ないんです。私は初めて母親に連れられてランジェリーショップでオーダーメイドのブラジャーを注文しました。別にT カップのブラジャーは海外では市販されてゐるやうでしたから、それを購入しても良かつたのですが、グラマーな方向けしかないらしく、私の体には絶対に合はないだらうと、それに胸にも悪いからと、さう店員さんに云はれて渋々購入した、とそんな感じです。なんと云つても高かつた。母は決して値段を教へてくれませんでしたが、一度に三つ四つは買はないと日々の生活に間に合ひませんから、父に早く昇進して給料を上げてくれと云つてゐる様子を何度も見ました。
ですが、オーダーメイドのブラジャーを着けた時の心地よさは、何事にも例へがたい快感がありました。……あ、それよりも、夏だから水泳の授業がどうなつたか気になりますか? ふふふ、これについては上手く行つたのですよ。何せ見学が許可されましたからね! 私の居た中学では7月の第二週と第三週が水泳の授業だつたのですけど、もうそのころには私のバストは129センチのV カップになつてましたから、合ふ水着なんて、――況してやそんなV カップが入るやうなスクール水着なんて、全国どこを探しても無いのですから仕方ありません。一人プールサイドでこの忌々しいお胸を抱きながら、体育座りをして楽しさうな光景を眺めてゐました。ま、さうやつて見学してると、後からサボつてるだの何だのと嫌味をたくさん吐きかけられたのですけどね。
結局、私は中学生の時は一人ぼつちでした。これで胸が少しでも普通なら、――せめて姉のやうにP カップ程度で成長が止まつてくれてゐたなら、そんなに目立つこともなく、後々、あゝさう云ふ人も居たよね、で済んだでせう。しかし、中学を卒業する頃には、先のV カップが可愛く見えるほどに私のお胸は大きく成長してしまひました。記録を乗せませう。中学二年の秋になるとバスト122センチのW カップ、冬はそれほど変はりませんが、三月になる頃にはバスト126センチのX カップ。恥ずかしながらこの時やけ食いをしてゐまして、少々アンダーバストが大きくなつてゐます。ですが、お医者様から健康になつたねと云はれたので、今でもその時の体重を維持してゐます。もちろん、体重と云ふのはこの醜いお胸以外ですけどね。あるのと無いのとでは10キロ15キロは違ふのですよ。で、中学三年の身体測定ではバスト129センチのY カップ。夏にはたうとうバスト134センチとなり、晴れてZ カップになつてしまひました。さう云へばこの時から成長が鈍化したやうな気がします。冬にはバスト137センチの2Z カップ、卒業する頃には138センチの3Z カップ。どうです? すごいでせう? Zカップオーバーの女子中学生なんて、私以外に居ますか? 居てもK カップ程度でせう。そんな小さなバストなんて小学生の時にすでに超えてゐます。いやはや、かうして書いてみると自分でもすごいですね。3Z カップの中学生なんて、今懐かしくなつてアルバムにある写真を見てゐるのですが、もう物凄いです。妊娠してゐるみたいです。隣の子の腕が私の胸で隠れて、この写真をみたあの人達に、……ああ、泣きさう。……嫌だ。もう思ひ出したくもない。……
ああ、さうだ、昔ほんたうに辛かつた時、カッターで胸を切り落とさうとしたことがありました。ですが、もちろんそんな度胸はもちろんなく、見ての通り未遂で終はつてゐます。安心してください。一応胸の付け根のあたりに2センチくらいの跡はありますが、それくらゐです。私は大丈夫です。ふふふ、見たいですか? 私は見せたい方ですから、いつでもおつしやつて下さい。もちろん人気のない場所でお願いします。柴谷さんだけにお見せしてあげますから。
一人ぼつちが辛かつたことは云ふまでもありません。しかし良かつたこともあります。絵は描けましたし、勉強は出来ましたし、そのおかげで県内で一番の進学校へ通うことが出来ました。高校の入学式の日のみんなの視線は痛かつたですが、次第に慣れたのか、誰も何も云ひはしなくなりました。みんなどこか引いたやうな目で私を見てくる。胸の話はタブーとして扱われてゐる。……中学の時のやうに強烈に無視されたりする方がまだ居心地は良かつたのかもしれません。私はここでもまた一人ぼつちです。誰も何も話題にしない。自分が幽霊になつたやうな感覚を感じながら過ごしてゐます。ほんたうはみんなと喋りたい、別に胸のことを話題にしてもいいから楽しい雰囲気に混ざりたい、……さう思ひながら過ごしてゐたら、いつの間にかあと半年で卒業となつてゐました。もう無理なのでせうか。……
あ、湿つぽくなつてしまひましたね。いけないいけない。それで最後に聞きますが、私の姿をご想像して、どう思つてゐますか? 柴谷さんは、こんな醜い体の私を受け入れてくれますか? 私はあなたが思つてゐるよりも小心者です。心も醜いです。ですけど、これからも仲良くしてくれると大変嬉しく思ひます。
いえ、此処まで読んで頂いたのなら、もうそれだけで嬉しいです。ありがたうございました。
 あんなにけろりとして話すものだから、夏期講習に来たのに知り合いが居ない、と云うのは変だと思っていた。その原因があの大きなおっぱいにあると云うのは、うっかり楓が寝ているときにおっぱいに触って気が付かれでもしたら、恐ろしいことになっていたかもしれない。俺はこの文を読み終わった時、自然に携帯へと手が伸びていた。もちろん、彼女に読んだことを伝えるためである。
――が、その時やっと気がついたのだが、俺達は連絡先を交換してなかった。いつも早めに席に着く俺を見つけた彼女が隣に座って、そして電車に乗るまでずっと一緒に居るものだから、傍には楓が居るのが当然のようになっていたのだった。俺は今すぐにでも駆け出したかった。今すぐあの憐れな少女のもとに行って、抱きしめてやりたい衝動に駆られた。だけど名前と特徴しか分からないからどうしようもなかった。俺は手紙を読み直すことしか出来なかった。もう一度携帯に手が伸びたが、出来るのはそれだけだった。
  思えば楓は���う少し上の大学、――と云っても、日本にはあ��二つほどしか無いが、話を聞いていると、それを目指しても良いくらいには勉強は出来ているようであった。ならば俺が出来ることは彼女が同じ学校を志望していることを信じて、自分も合格できるように勉強にはげむことである。それに気がついてからは、これまでのだらけた生活から一転して、勉強をした。と、云うよりしてゐる。模試の結果は相変はらずであったけれども、楓を思うと全く気持ちはめげなかった。
だがそうやって頑張っていると、月日は思いの外早く巡って寒さに震える季節になっていた。するとまず訪れるのは忌々しいセンター試験である。俺は今、そのための冬期講習へと向かっている。センター試験など四分の一程度に圧縮されるから出来は気にしなくてもいいのだが、あそこでコケると自分の士気に関係するので、決して侮ってはいけない。
いつもの教室に入った俺は、一年ぶりのカリカリした空気に身を漂わせていた。焦る者、余裕のある者、黙々と自分の道を突き進む者、まだ現実味の無い者、……色々居るが、俺はどちらかと云へば不安で押しつぶされそうになっている者である。あの手紙は肌身離さず持ち歩いているけれども、自分の実力不足を感じてしまうとやはり挫けそうになる。……
と、そこで、隣の席に座ってくる者が居た。席は他にも空いているのだから他のところへ行けばいいのに、と思った。一目見て知り合いじゃなければ席を移動しようと思った。それとは別にそんなやつの顔を見てみたくなった。俺は顔を上げようと決した。と、その時、
「お久しぶりです、柴谷さん」
と云う声が降りかかった。
――楓だった。相変わらず黒い冬用のセーラー服をパツンパツンに押し広げ、可愛らしい顔をこちらに向け、軽く手を振りながら微笑んでいた。夏に会った時と違うのは、髪が少し伸びたのと、胸元の膨らみが一回りか二回りほど大きくなったことであろうか。もうこちらの席にまで届こうとしている。……
「久しぶり、楓。元気だった?」
「まずまずですね。柴谷さんは?」
「ダメダメだな。ダメダメ。もうあれから全然偏差値は上がってないし、泣きそう。助けてくれ。楓になら頼める」
と、本音を吐き出した。それは例の文に対する返事でもあったが、楓にはそれが何となく分かったようであった。脱いだコートを自分の体にかけて、体ごと俺の方へ向くと、
「ちょっと失礼します、――」
と隣に居るのに、さらに距離を詰めてくる。
「か、楓?」
「下からならたぶん分かりませんよ?」
とお腹のあたりで手をもぞもぞと動かす。見ると制服の裾を軽くめくっていた。
「い、いや、それは、……それはダメだ。歯止めがかからなくなってしまう。ほらほら、あっち行った」
俺は彼女を向こうへ押しやろうとしたのだが、力を入れれば入れるほど、グイグイとこちらへ密着してくる。
「ふふふ、やーい、へたれー」
「うるさい。……ほら、早く、――」
と、その時、肘のあたりを中心に、腕がギュッと、途方もなく柔らかい何かに押し付けられる。
「まって楓さん、マジで、マジであかんから、……うおお、やばいやばいやばい」
だがそんな必死な俺を他所に楓は、
「柴谷さん、柴谷さん、私のおっぱいなんですけど、あの日からまた大きくなっちゃって、今大変なことになってるんですよ」
と明るい声をかけてくる。
「このあいだも制服が破れちゃったし、大きすぎるのも大変ですよね。しかも今朝測ったらまた大台に乗ってまして、……」
「楓、それまた後で、後でお願い。今聞いたら、……まって、落ち着いて、楓、ちょっと楓!」
「もう、柴谷さんのせいなのに。また成長するの早くなったんですからね、ちゃんと分かってます? 責任取って下さいね? 云いますよ?」
と口を俺の耳の近くへ。
「160.2センチの12Z カップ、つまりアルファベット二週目のK カップ、……になっちゃってました! どうです? すごいでしょう? 身長よりも大きくなったおっぱい、味わいたくないんですか? ほれほれ、何とか云ってみなさい」
と、楓はぐにぐにと俺の腕をその12Z カップのおっぱいに押し付けてくる。しかし一体何なんだそのバストサイズは。160センチだって? 冗談としか思えない。いくらなんでもありえなさすぎる。嘘だ。そんな大きなおっぱい現実にあるはずがない。そうだ、幻想だ。いま腕に感じている感触も、今目の前に見えている少女とバルーンのような塊も、全て幻想だ。ほら、頭がクラクラしてきた。ようやく目が醒める。それにしてもいい夢だった。――と、あまりにも気持ちの良い感触に、俺の頭はすっかり焼け焦げてしまい、彼女の支えを失うと同時に机に突っ伏してしまった。
そうやって俺たちは久しぶりに再開したのであるが、やることは数ヶ月前と何も変わってなかった。唯一離れ離れになる物理生物の授業以外は常に一緒に行動をともにした。さすがにセンター試験前だと云うので、冬期講習は夏期講習よりも人が多く、並んで座れないときが時としてあったが、そういう時はさっさと予備校の外へ出てサボった。近くには何も無いが、楓となら一緒に街を歩くだけでも楽しいものであった。
冬期講習はそうやって過ごした。お互い大きな試験前だと云うのに、のんびりしているように感じられるが、気持ちの面で落ち着けるなら無駄ではない。不安は失敗の種である。
「あの手紙についてなんだけどな、……いや、内容については何も云わないことにして、一つ聞きたいことがあるんだが」
そんなある日、俺はどうしても聞きたかったことを、電車を待っている時に聞くことにした。
「なんです? ――うわ、寒い!」
服を着こなせないというのは昔語った通りであるが、冬でも例外ではなく、ひどい冷え込みだと云うのに彼女はコートをただ軽く肩にかけているだけだったので、風が吹く度に寒がっていた。
「何で歴史的仮名遣ひで書いたの?」
「へ? ああ、それはですね、最初の導入を書く時に恥ずかしすぎて、……で、仮名遣ひを変えて書いてみたら筆が乗っちゃって、……とにかくあんまり深い意味はないです。あ、柴谷さんの電車来ましたよ」
楓の向く方を見てみると、確かに黄色いストライプの刻まれた電車がホームに入ってきていた。
「なるほどね。じゃあ、またね楓」
「ええ、また明日も、よろしくおねがいします」
と俺は折良く開いた扉の中へ入った。中まで進んで窓から楓を見ると、彼女も俺を見ていたらしく手を振られる。それを見て、俺も手を振り返す。そうやっているうちに電車が出発して、彼女が見えなくなってしまったが、まだ手を振っているような気がして、ホームが消えてしまうまで俺は、他の乗客に見えないよう小さく手を振り続けていた。
   あっという間である。このあいだ楓と一緒に冬期講習を受けていたかと思ったら、センター試験がいつの間にか終わって、心の準備が出来ていないと云うのに今日は二次試験である。しかももうあと10分もしないうちに終わってしまう。一年と云う長い期間をかけても手応えが去年と全く一緒であった。今年もダメだと云う悲愴感が俺の頭に渦巻いていた。
そう云えば楓はどうなんだろうか。冬期講習の時に志望校が同じO 大学だと判明したから、行きがけによくよく周りを見ながら試験会場の棟まで来たのだが、あの異常な膨らみを結局見つけることができなかった。尤も、俺は坂道の方の門から入ったから、もし彼女がモノレールの駅からやって来たと云うなら、十中八九会えないであろう。とすれば、後期試験なぞ無いから本当に一生会えずじまいで終わってしまうかもしれない。また連絡先を交換せずに最後の別れをしたのだから、俺が滑ればもう二度と会うことはなかろう。
まったく、この一年間は幻想を見ていたような気分であった。沓名 楓と云う頭はいいし、可愛いし、おっぱいはこの世の誰よりも大きな女子高校生と会って、仲良くなって、ついにはその膨らみに触れて、これが幻想でなくては何なのだろう。願わくば、答案用紙が回収されていくこの光景も幻想であってほしいが、今までいい思いばかりであったからたぶん現実である。
俺はトボトボと試験会場を後にした。外はすっかり暗くなっているけれども、地元と比べてかなり明るい空が広がっている。地図上ではこの大学は府の中でもかなり北の方に位置していて、一方は山、一方は世界でも有数の大都市が広がっているそうだが、なるほど確かにそちらの方向はかなり明るい。月すらも白い霞となって見えづらくなっている。
変わらずトボトボと歩いていると、三人の親子連れが目についた。父母は平凡そのものであるが、恐らく今ここで試験を受けた人の姉であろうか、楓と同じ艷やかな黒い髪の毛に、楓と同じような目鼻立ちをして、それに、――これだけは楓には全く及ばないが、それでも普通の女性にしては物凄く胸が大きい。自然に涙が出てくる。恐らく今この場で偶然彼女と再開しなければ、もう声すらも聞けないと思うと、この楓にそっくりな女性にすがりつきたくなってきた。もうさっさとホテルへ帰ってしまおう。そしてぐっすりと眠って、今日のことはひとまず忘れて、明日近くに住んでいる友達と目一杯遊んで、気分を一新しよう。――
「仁士さん?」
と、歩き始めた俺に声がかかった。それは今年一年間で、合わせて一ヶ月ほどのあいだ聞いた、そして今俺が待ちわびている、意外とお茶目な声であった。
涙を拭って振り向くと、彼女は居た。後ろから光が差しているから、はっきりとは見えづらいけれど、胸のあたりの丸いシルエットと、こじんまりした背は確かに楓である。
「もしかして、泣いてたんですか? ――ああ! ほら、やっぱり! これ使ってください」
とハンカチを手渡してくる。
「ありがとう、楓。でも、ごめんな。今年もやっぱり俺はダメだったよ。ごめん、ほんとうにごめん。……」
「いいえ、そんなことありません! まだはっきりと分かった訳ではないんですから、諦めないでください!」
意外と大きな声に、俺も周囲も驚いた。楓は本気で怒っているようで、キッと睨みつけている。
「ああ、そうだな。そうだよな、楓」
「そうです。仁士さんは肝心なところでへたれるんですから。……ほら、邪魔になってますから行きましょう」
と楓に手を取られて歩き始めたのであるが、残念なことにすぐ手を離されてしまった。けれどもすぐに手をつなぎ直されて、小声で、
「仁士さん、私たちは恋人同士ですからね? 分かってますよね?」
と云う。何が何だか分からないうちに、楓はまた歩き始めて、先程まで俺の目に写っていた三人の親子連れへ向かって行く。……
「どうしよう楓、今が今日の中で一番緊張する。助けてくれ」
「くすくす、……大丈夫ですよ。お母さんたちにはよく話をしてますから、いつも通りの仁士さんでいてください。――」
そう云って楓は俺の手を強く握ってくれたのであるが、何の心の準備が出来ていない俺は、やっぱり緊張してコチコチに固まってしまった。それを見て、彼女はくすりと笑う。俺もおかしくなってきて笑う。――幻想はまだ、続いているようであった。
 (をはり)
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monqu1y · 3 years
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国を護るアイデア  戦の上策は損害を出さない、次策は敵を破る、下策は城攻め(コスパ最悪)。具体的なアイデアを使って国を護る
 市営住宅集会所へ講演会を聞きに行った。  演題は「 兵法書 ( へいほうしょ ) を読んで『生き方』を考える」。内容の要点は次の通りだった。   孫武 ( そんぶ ) は、今から2500年ほど前に、 楚 ( そ ) の王城を 陥落 ( かんらく ) させた 呉 ( ご ) の 軍師 ( ぐんし ) 。
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 呉の軍師として採用される就職面接でのエピソードが有名。  呉王:就職論文は読んだ。実戦の手腕を見せてもらいたい。宮中の婦人相手でも、軍の指揮を執ることはできるか?  孫武は、これを了承した。宮中の美女180人を集合させて二つの部隊とし、武器を持たせて整列させ、王の寵姫二人を各隊の隊長に任命した。  孫武:左右前後がわかるか?  美女軍団:わかります。  孫武:前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ。  美女軍団:わかりました。  孫武は、将軍の印の鉄斧を置き、太鼓を打って「右!」と号令した。  宮女たちはどっと笑った。  孫武:命令が不明確で徹底しないのは、将の罪だ。  孫武は、太鼓を打って「左!」と号令した。  宮女たちはどっと笑った。  孫武:命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪だ。  孫武が隊長の二人を斬首しようとしたので、壇上で見ていた呉王は驚き「斬るのはやめろ!」と止めた。  孫武:一たび将軍として任命を受けた以上、陣中にあっては君命でも従いかねることがございます。  孫武は、呉王の寵姫を二人とも斬ってしまった。そして新たな隊長を選び号令を行うと、今度は女性部隊は命令どおり進退し、粛然として声を出すものは居なかった。  孫武:兵は既に整いました。降りてきて見ていただきたい。水火の中へもゆくでしょう。  呉王は、大いに不愉快な表情をしたが、孫武の軍事の才を認めて将軍に任じた。 以下は、就職論文の要旨。 第1.始計  〔戦の五条件〕   1_道:民が統治者と心を同じにし、死生をともにすることをためらわない   2_天:陰陽、寒暖などの自然現象   3_地:遠近、険易、広狭、死生などの地勢   4_将:智、信、仁、勇、厳などの将軍の能力   5_法:編制、服務規律、装備  〔優劣判断七要素〕   1_どちらの王様がよい政治をしているか?   2_どちらの将軍が有能か?   3_自然現象と地勢はどちらに有利か?   4_法令はどちらがよく行われているか?   5_軍はどちらが強いか?   6_士卒はどちらがよく訓練されているか?   7_賞罰はどちらが明確に行われているか?  〔敵をあざむく駆け引き〕   1_能力があるのに能力がないように   2_ある戦法を用いているのに用いていないように   3_近くにいるのに遠くにいるように   4_遠くにいるのに近くにいるように   5_利益を見せて敵を誘い出して混乱させ   6_戦力が充実していても慎重策を取り   7_強いのに敵の攻撃を避け   8_敵を脅してその勢いをくじき   9_下手に出て敵を驕らせ   10_楽をしている敵を疲弊させ   11_敵の同盟国と親しくして敵国との離間を謀り   12_敵の備えがない所を攻め敵の思いがけないことをする 第2.作戦    戦で、快速戦車千輌、輸送車千輌、武装兵十万を千里の遠くに遠征させ、これに糧秣を送れば、国の内外での軍費、外交費用、武具の膠や漆の購入費、武装兵や馬を養う費用などのために、一日に千金を必要とする。    長期戦になれば、国費は不足し、兵力を弱め士気を衰えさせる。    遠征して輸送距離が長くなれば、軍が買う品物の値段が上がり、戦費は嵩む。    城攻めは戦力を消耗させる。    戦が長引けば、勝っても損失は大きくなる。 第3.謀攻  〔戦の上策〕   1_国に損害を与えない   2_軍に損害を与えない   3_旅師団に損害を与えない   4_卒に損害を与えない   5_隊伍に損害を与えない  〔次策〕   1_敵国を破る   2_敵軍を破る   3_敵の旅師団を破る   4_敵の卒を破る   5_敵の隊伍を破る    最上の戦い方は、武力行使前に敵の謀略を見抜く    その次は、敵国を孤立させる    その次は、武力を使って攻める    下策は、城攻め(コスパ最悪)    自軍に損害受けることなく謀をもって敵を攻める戦法を考えなければならない。    戦力が敵の十倍あれば包囲戦、五倍あれば圧倒戦、二倍あれば分散戦、同等ならば兵法駆使、戦力不足ならば逃げ、かなわないと思ったら最初から戦わない。小兵力で大兵力の敵に戦いをしかければ捕虜になる。    軍政を知らない王様が、将軍の軍政に干渉すれば、将兵は迷う。    用兵を知らない王様が、将軍の用兵に干渉すれば、将兵は疑う。    全軍が迷い疑えば、諸侯はこの隙を見て反乱を起す。  〔戦を有利にする五条件〕   1_戦ってよいときと戦ってはいけないときを知る   2_彼我の戦力比に応じた戦法を使う   3_上下が利害を共有する   4_情報と作戦で相手を上回る   5_有能な将に遂行を任せて、王様が干渉しない  〔結論〕   1_敵を知り己を知っていれば、百戦しても危ういことはない。   2_己を知っていても敵を知らなければ、勝敗は半々。   3_敵を知らず己も知らなければ、必ず敗れる。 第4.軍形    敵が勝てないよう備えるのは、自分のやり方次第。    敵に隙ができるかどうかは、敵のやり方次第。    名将は、自分の努力で負けないようにすることはできるが、敵に隙を作らせることができるとは限らないと知っている。だから、不断に観察し続け、敵が見せた隙を見逃さない。    名将は、勝ちやすいようにしておいてから勝つので、名作戦という評判や手柄を立てることがない。    勝つ軍は、勝つ見通しをつけてから戦い、敗れる軍は、戦いを始めてから勝つ見通しをさがす。 第5.兵勢    少数の兵を統率するのと同じように多数の兵を統率できるのは、編成がよくできているから。    少数の兵を戦わすのと同じように多数の兵を戦わすことができるのは、命令系統がよくできているから。    軍が敵の攻撃を受けても絶対に敗れないようにするのは、奇と正の使い分け。    軍を敵に差し向けると、固い石を卵にぶつけるような威力を発揮させるのは、虚と実をよく見分けること。    戦いは正をもって敵にあたり、奇をもって勝ちを決すもの。    奇に熟達した者は、次々と妙手を出して、天地が万物を生み出すようであり、黄河や長江の水のように尽きることが無い。    終わったと思えばまた始まるのは月日のよう。    死滅してまた生起するのは春夏秋冬の変転のようであり、音は五音にすぎないが組み合わせによってできる曲は無限。    色も五つにすぎないが、組み合わせによってできる色は見���められない。    味も五つにすぎないが、調理によってできる味は無限。    戦の基本は奇正の二つにすぎないが、その組み合わせは無限。    奇正が生じ、その変転循環して終わるところが無く、    その終始は誰にもわからない。    激流が石を浮かし流すようなことができるのは勢い。    猛鳥が軟らかい羽で小鳥の骨や翼を砕くことができるのは、打撃の時機が適切であるから。    このように名将の攻撃は、勢いが激しく、瞬間的な威力を発揮する。    勢いは張っている弓矢のようであり、好機を狙ってその一瞬に発射するようなもの。    戦で自軍は非常に入り混じり混乱しているように見えるが、    その実は統制がとれているから、円を画いて陣を展開するから破られない。    乱と治、怯と勇、弱と強は元来同じもので、容易に変わりやすい。    治乱は編成の良否によって決まる。    勇怯は軍勢の有無によって決まる。    強弱は軍形の状態によって決まる。    敵を動かす名将は、敵をこちらの動きに応じて動かせ、こちらが利益を示せば敵は必ずこれを取ろうとする。    ゆえに利を見せて敵を誘い出し待ち構えた本陣がこれを討つ。    名将は勢いよって勝ちを得ようとし、将兵の努力ばかり依存しない。    すなわち個人をあてにしないで、集団としての勢いを重視する。    このような名将が軍を動かすと、木石を転がすように自然であり、軽快。    木石というのは、安定すれば静止するし、傾けば転がり、方刑にすれば静止し、円刑にすれば転がる。    名将が円石を高い山から転がすように軍を動かすのは、勢いの活用を知っているから。 第6.虚実    名将は、自分の思うように戦況を動かして敵に動かされない。    先んじて戦地に到着し敵を待ち受ければ、遅れて到着し戦力消耗した敵と戦うことができる。    自軍に有利なところでも敵が好んでやってくるのは、利益をかざして戦うから。    自軍に不利なところでも敵がやってこないのは、損害を与えるようにしむけるから。    敵を苦労させ、満腹でいる敵を飢餓に落としいれ、平静にしている敵を動揺させる。    敵の必ず行く所へは先手を取り、敵の予期しないところへ行って意表をつく。    敵の抵抗のない所を行けば、消耗は少ない。    敵が防御の備えをしていない所は攻撃し易い。    敵が攻撃できない所に居れば防御し易い。    撤退が迅速なら、敵は追撃できない。    城壁を高くし堀を深く掘った敵に、それを棄てて出撃させるためには、敵がどうしても救わなければならないところを攻めるべき。    敵の作戦を暴露させ、自軍の作戦を秘匿すれば、自軍は戦力を集中して分散した敵を攻めることができる。自軍がまとまって一となり、敵が分かれて十となれば、自軍の十をもって敵の一を攻めるようなもの。すなわち自軍は衆で、敵は寡となる。あらかじめ戦の地を知り、戦う日を決めて、主導権を握れば、敵を寡にして自軍を衆にすることができる。    軍の形を敵に分からなくさせれば、深く侵入する間者も情報を得ることができず、敵の知恵者も策の立てようがない。    水が地形によって流れを決めるように、軍は抵抗の多いところを避けて抵抗の弱いところを攻め、敵の変化に対応して軍を動かす。 第7.軍争    先んじて戦地に到着し敵を待ち受ければ、遅れて到着し戦力消耗した敵と戦うことができる。    しかし、全軍を挙げて前進すれば行動が遅くなり、先んじて戦地に到着することはできない。    軍を各部隊に分ければ、速度の遅い輸送部隊は置き去りにするしかないが、糧秣を集積した倉庫がなければ戦えないもの。    甲冑を捨てて昼夜かまわず走り続け、行程を倍にして強行軍をして百里も前進すれば、三軍の将は敵の捕虜となり、体力の弱い者は脱落し、十人に一人しか残らない。    五十里の行軍で先を急げば、前軍の将は戦死し、兵の半分は脱落する。    三十里の行軍で先を急げば、三分の一が戦場に到着できない。    諸侯の考えていることが分からなければ外交はうまくできない。    山林、険阻、河川湖沼などの地勢を知らない者は、軍をまとめることができない。    道案内を使用しない者は、地形を有利に活用することができない。    敵よりも回り道を進むときは、利益で釣って敵を遅らせたり、出発が敵より遅れても敵より早く到着するような策略を用いるべきである。    用兵の要点は自分の作戦を敵に察知されず、有利な状況を求めて動き、状況に応じて兵力の配分を行うこと。    軍の行動は、風の如く迅速に移動し、林の如く整然と静かに構え、火のように激しく攻撃し、山のように泰然として動かない。姿や計画を暗闇のように分からせず、雷鳴のように激しく行動する。    物資を調達するときには軍を分散し、土地を占領したときには各部隊に有利な地を守らせ、兵力を分散させない。    戦場では、指揮官の声は遠くまで届かないから、鐘や太鼓を信号とする。指揮官の位置、行動は遠くから見えないから、旗で合図をする。鐘や太鼓、旗は将兵の情報を斉一にし、意図統一をはかるもの。    将兵の心気を専一にすれば、勇者も一人で勝手に進まず、卑怯者も勝手に退くことをしない。これが多数の人間を指揮する方法。    戦いは敵の気と敵将の心を奪うことが肝心。    人の気力は、朝は新鋭で、昼は鈍り、夜は衰える。善く兵を用いる者は敵の気の新鋭なときを避け、衰えるときに撃つ。    夜の戦いには松明や焚火を多くし、昼の戦いには旗を多く用いるのは、敵の耳目を疑わせるため。    近くに布陣して遠くからの敵を待ち、安楽にして疲労した敵を待ち、給養をよくして悪い敵を待つ。    正正と進軍する敵を撃ってはならない、堂々と構えている敵陣を攻めてはならない。    高地に陣する敵を攻めてはならない。高地を背後にしている敵を攻めてはならない。    いつわり逃げる敵を不用意に襲ってはならない。餌兵につられてこれを攻めてはならない。    鋭気のある敵を攻めてはならない。整然と戦場を去ろうとする敵を攻めてはならない。    敵を包囲してもわずかに逃げ路を空けておかなければならない。死にもの狂いの敵に迫ってはならない。 第8.九変    戦では、作戦困難な地に宿営してはならない。    交通上の要地は外交によって支配下に入れる。交通連絡が不便な地に軍をとどめてはならない。    山川に囲まれた地に入ったら、脱出する工夫をせよ。    危ない地に入ったらただ戦え。    道があるからといって、進まねばならないというものではない。    敵を見たからといって、戦えばよいというものではない。    城があるからといって、攻めればいいというものではない。    戦略上の要地だからといって、取ってはならないものもある。    君命も状況によっては、従わないこともある。    地形をよく知っていても、その利用法を知らない将は、地形の利を知っているとはいえない。利用法をよく知っていても、実行する術をもたない将は、兵を率いて戦うことはできない。    智者は何事をするにも必ず利害を合わせて考える。不利なときでも、有利な点はあるから、これを伸ばし活用する。有利なときでも、不利な点はあるから、万全な対策をとる。    諸侯を思うようにするには、従わない者に害を与え、諸侯を働かせるには仕事を与え、諸侯を誘うには利をかざせばよい。    兵を用いるとき、楽観視は禁物。敵が攻めてこない理由はない。  〔弱将の性格とリスク〕   1_必死⇐戦死   2_生に執着⇐捕虜   3_激情⇐無分別   4_廉潔⇐侮辱で平静さを失う   5_厚情⇐民兵の労苦で戦意喪失 第9.行軍  〔地形〕   1_山地を通過するには、谷沿いに進め。   2_敵に近づいたら、高所を占領して有利な態勢を整える。高所の敵を登りながら攻めるようなことをしてはならない。   3_河を渡ったら河岸から離れ、河岸に直接布陣しない。敵が渡河してきたら、これを水上で攻めてはならない。半分渡らせてから攻撃する。   4_上流に向って進軍してはならない。   5_沼沢湿地帯は速やかに通り過ぎる。もしその中で戦うことになったら、水草のある所を選び、林を後にして布陣せよ。   6_平地では行動容易な所を選び、高地を右背にし、不利な地を前に置き、有利な地を後ろに置くように布陣せよ。   7_軍は高所を選んで低地を避け、陽のあたる南面を選んで北面を避け、給養をよくして気力体力を充実させておけば、病気や災害を防ぐことができる。丘陵や堤防のあるところでは必ず陽のあたる所に布陣し、高い所を右後に置け。   8_上流で降雨のため水流が増してきたら、渡ろうとせず、鎮まるのを待つべき。   9_両側が断崖である深い谷川、井戸のような低地の湿地帯、牢獄のように山に囲まれた狭い土地、草木が繁茂して動きが取れない土地、大地の割れ目のような谷地は、留まらず速やかに通り過ぎる。   10_このような地形は、自軍は遠ざかるが、敵軍を近づけるようにし、自軍はこれを前面にし、敵軍はこれを背後にさせるようにする。   11_付近に険阻の地、沼沢地、芦などの繁茂地、森林、草木の密生地があれば、敵の伏兵が隠れていることが多い。  〔敵陣〕   1_自軍が近づいても静かでいる敵軍は、布陣している地形に自信を持っている。   2_自軍が近づく前に挑戦してくる敵軍は、自軍を誘い込もうとしている。   3_敵が進むのか退くのかはっきりしないのは、自軍を誘い込むつもり。   4_動く気配のない敵軍は、現在の地に何かよいことがある。   5_多くの樹木がざわざわ動くのは、敵が潜行している。   6_鳥が飛び立つのは、伏兵がいる。   7_獣が驚いて走り出るのは、敵部隊が隠れている。   8_草木によって視界をさえぎっているのは、自軍に疑念を抱かせようとしている。   9_戦車を先頭に出し、側に歩兵を配備するのは、戦うつもり。   10_敵が右往左往しているのは、何かをしようと決めている。   11_進めば有利なのに進まないのは、敵兵が疲労している。   12_夜、敵の人声が高いのは、将兵が不安にかられている。   13_敵の軍営が乱れて騒がしいのは、将の威令が行われていない。   14_旗がむやみに動くのは、敵軍の秩序が乱れている。   15_幹部が怒声をあげるのは、敵兵が戦意を失っている。   16_炊事具を使っておらず兵が宿舎に帰っていないのは、窮迫している。   17_敵兵が武器を杖にして立っているのは、食糧不足。   18_馬を殺してその肉を食べているのは、敵の食糧はつきている。   19_水を汲んですぐ飲むのは、敵の水が欠乏している。   20_幹部がねんごろに部下に話しかけているのは、信頼を失っている。   21_賞が多すぎるのは、軍の動きが取れなくなり、将が苦しんでいる。   22_罰が多すぎるのは、兵が疲労している。   23_将の言動が、最初は乱暴で後に部下を恐れるようになるのは、統率を知らない。   24_鳥が集まっているのは、すでに敵兵は去っている。   25_敵が決戦する勢いを見せながら、長い間動かないときには、必ず敵情判断をせよ。  〔砂塵〕   1_高く舞い上がって尖っているのは、戦車が来る   2_低く広がっているのは、歩兵が来る   3_散らばって細長いのは、敵の小部隊が炊事用の薪を集めている   4_少なく往復移動するのは、敵が野営準備をしている。  〔敵の軍使〕   1_敵の軍使の言葉はへりくだっているが、背後の軍が戦闘の準備をしているのは、攻撃するつもり。   2_条件もなしで講和を請うのは、敵が何かたくらんでいる。   3_敵の軍吏が低姿勢で接してくるのは、敵軍が休息を欲している。   4_敵の軍使の言葉が強硬で、背後の軍が進撃の気勢をしているのは、退却するつもり。  〔自軍〕   1_軍は、兵力が多いのを貴ぶのではない。多数を頼んでの暴進ではなく、よく統率し、戦力を統合発揮するとともに、敵情を判断して勝つことに努めなければならない。配慮が無く無謀な戦いをすれば、将自ら捕虜とされるだろう。   2_兵が将に親しんでいないのにこれを統率しても、兵は服従しない。服従しなければ、これを用いることはできない。   3_兵が将に親しんでいるが、将がこれを統率しなければ、使いものにならない。   4_まず法令をよく教えて��ら、威力をもってこれを守らせれば、民は服従する。   5_平素から法令が行われていなければ、民を教育しても服従しない。 第10.地形 〖類型〗  〔通〕   1_彼我両軍とも戦闘行動が自由な地を通という。   2_通形においては、よく見えて南面した高地に陣し、補給路を確保して戦えば、勝機がある。  〔挂〕   1_彼我両軍の間に密林などの障害があり、前進はよいが退却が難しい地を挂という。   2_挂形において、敵が戦備を整えていなければ、攻めれば勝てる。   3_挂形において、敵が整備を整えていれば、せめても勝てないし、退却が困難となる。  〔支〕   1_彼我両軍の間に河川沼沢などがあり、両軍とも前進が難しい地を支という。   2_支形において、敵の誘いに乗って、先に攻撃に出てはならない。   3_戦場を去り、敵がつられて出てき���兵力が分散されたところを撃てば有利。  〔隘〕   1_隘形において、自軍が先に到着したら、必ず十分な兵力を配置して、敵を待ち受けるのがよい。   2_敵が先に占領している場合は、戦わないほうがよい。   3_しかし敵が十分に兵力を配備していなければ、戦え。  〔険〕   1_険形において、自軍に先に進出できたら、南面の高い地を占領して、敵の出てくるのを待つ。   2_敵が先に進出していたら、戦場を去って、敵の徴発にのってはならない。  〔遠〕   1_遠形において、戦力が同等であれば、戦いを挑むことは不利。 第11.九地 〖戦場分類〗  〔散地〕自国領内で戦う場合の戦場   自国領内への敵軍の侵攻を防げず、散地で戦うこととなったときは、将兵の心を戦うことに専念させる。  〔軽地〕敵国領内であり、国境に近い戦場   軽地では陣頭に立って部下の掌握を確実にし、敵国領内の奥深くに進軍するよう努力する。  〔争地〕彼我ともに占領すれば有利であり、争奪戦が起きやすい要地   争地では陣後に立って軍を後方から追いたて、敵より先に占領するよう努力する。  〔交地〕彼我ともに進撃しやすい戦場   交地では守りを厳重にし、補給路を絶たれないようにしなければならない。  〔衢地〕諸侯と国境を接しており、先立って占領すれば諸侯を制することができる地   諸侯国の国家戦略を知った上で、親交工作で味方に付けるよう努力する。  〔重地〕敵国領内に深く侵入し、後方に城邑が多くある地   1_敵国に侵攻すれば、自軍は戦いに専念できるが、敵は帰郷の心が強くなるため勝ちにくくなる。   2_侵攻軍は豊穣な土地を占領し、将兵の給養を十分にしなければならない。   3_戦力を貯えて持久を図り、攻勢に出られる力を保持する。   4_作戦を練り、敵が対応できないような戦法をとる。   5_将軍の態度は、冷静で奥深く、厳正で適切でなければならない。   6_兵士の耳目を利かせないようにし、意図を悟られないようし、作戦内容や変更を知らせないようし、駐屯場所や進路などを知らせないようにする。   7_戦いに臨んでは、乗ってきた舟を焼き、釜を壊し、背水の心境にして死地の覚悟を決めさせる。   8_羊の群のように飼い主の意のままに駆り立てられ、自らはどこへ行くのか知ろうともしないようにして全軍をまとめ、行き所ないところに投ずる。  〔ひ地〕山林、湿地、湖沼など行動困難で、軍を消耗させる地   ひ地は早く通り過ぎるに越したことはないが、山林・険阻・沮沢の地を知らなければ、軍を進めることはできない。  〔囲地〕入る道は狭く、出る道は遠回りで、少数の敵に苦しめられるような地   囲地ではあえて逃げ道をふさいで将兵を必死にさせることができるが、地元民の知識を借りなければ、地形を利用することはできない。  〔死地〕すぐ戦えば活路を見出すことができ、戦わなければ全滅する地   兵士は窮地に陥るとかえって恐れなくなり、脱出するところがなければかえって固く守り、敵国に深く侵入すれば団結し、他に方法が無ければ必死に戦う。占いや迷信は、決心を削ぐので、厳しく取り締まる。 問:敵の大部隊が整然と進軍してきたら、どうする? 答:敵がすてておけない急所をつく。 第12.火攻 〖攻撃対象〗   1_住民地や兵   2_集積した軍需品   3_輸送部隊の軍需品   4_倉庫内の軍需品   5_軍隊    火攻めは、空気の乾燥したときに行う。    火攻めは、月が箕・壁・翼・軫の星座の方向にあって、風が起こる日に行う。    昼に吹き続けた風は、夜になると止む。    火攻めとともに、適切に兵を用いる。   1_敵陣内で火が出たら、速やかに外からも敵を攻める。   2_敵陣内で火が出ても、敵兵が騒がないときは、しばらく攻撃を待ち、   3_火の効果をよく確かめ、敵に隙ができたと判断したら攻撃し、敵に動揺がなければ攻撃を止める。   4_敵陣外に火を放つ場合は、敵陣内のことを考慮することなく、ただよい時を選んで行う。   5_風上で火が出た時は、風下から攻撃してはいけない。   6_「火は両刃の剣」であることを知る。 第13.水攻    水攻めは即効性は無いが強力で持続性がある。    水は交通を遮断するものであるが、敵そのものを破壊することはない。    戦に勝って土地を取っても、土地を疲弊させたら、国費の無駄使いとなる。    勝機あれば動き、勝機無ければ戦をやめる。    滅亡した国をまた興すことはできず、死者を生き返らせることもできない。 第14.用間    十万の大軍を動員し、国を出て進攻すること千里になれば、国民の費用、国家の出費は一日千金にのぼる。そのため家の内外は大騒ぎとなり、輸送に使役されて道路で動けなくなったり、本業に携ることができない家は七十万にも達する。戦の日々は少ないほど良い。    まず敵情を知ることが重要だが、敵情は、祖先の霊に祈っても、占いでも、日月の位置によって判断しても、得られない。必ず人間を使って敵情を確かめなければならない。 〖間者の種類〗   1_郷間〔その地の住民〕   2_内間〔敵国の官吏〕   3_反間〔敵の間者を逆用〕   4_死間〔偽情報を敵に与える者〕   5_生間〔得た情報を持ち帰って報告する者〕    間者ほど、連絡を密接にする者無く、重い賞を受ける者無く、仕事を秘密にしなければならない者は無い。    優れた智恵と洞察力をもっていなければ間者を用いることはできず、愛情と判断力に優れていなければ間者を使うことはできず、人心の機微を知らなければ間者の利益を得ることはできない。    間者を発する前に、そのことが人の噂になるようであれば、間者とその噂をしている者を皆殺さなければならない。    自軍が攻撃しようとするとき、城を攻めようとするとき、要人を殺そうとするときは、まずその主将、側近、取次役、守衛、雑用者などの姓名を知らなければならない。間者による諜報が必須である理由がここにある。    敵間者の潜入を察知し、利益を約束して優遇し、反間として用いることも重要。郷間や内間として使える人物の敵情を得る。反間の協力を得て、死間は偽りの情報を敵に伝えることができ、生間は予定の時期に帰ることができる。他の四間は、反間の協力を得なければ活用できない。    間者は軍の要であり、軍の行動はこれに依存するところが大きい。
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herbiemikeadamski · 4 years
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(^_^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_^) . 10月22日(火) #友引(壬辰) #即位礼正殿の儀 旧暦 9/24 月齢 23.4 年始から295日目(閏年では296日目)にあたり、年末まであと70日です。 . . 朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠ろう(^_-)-☆ 睡眠は明日を迎える為の未来へのスタートですY(^^)ピース! でお馴染みのRascalでございます😅. . Amebaのサイトで「本日のネタ」で「朝起きたら最初に何をする?」 こんなのが目に入ったので折角だからお答えしようかと(;^_^A 先ずはでしょ?私は歯を磨くのが最初にしますが当たり前かなw . それをしながらSNSのネタ整理と準備をしますσ(^_^;)アセアセ... もうSNS依存症って云われても否定できないかも知れない↴ SNSって昔は陰険なイメージ?今でもかな?そんなだったけどw . 今では情報収集するに��最適ではないかと思います。 使い方次第なんでしょうけどね(^^;)(;'∀');アセアセ. では、本日は「即位礼正殿の儀」を心よりお喜び申します。 . 「天皇陛下バンザーイ!☆バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!☆彡」  今日一日どなた様もお体ご自愛なさってお過ごし下さい(^^ゞ “本日もご安全に参りましょう(^^)v” . . ■今日は何の日■. #即位礼正殿の儀. 即位の礼の中心となる、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式である。 諸外国における戴冠式、即位式にあたり、皇居宮殿・正殿松の間で執り行われる。 10月22日(火)から31日(木)までの期間に国の儀式として行われます。 今年に限り本日は休日となり、天皇皇后両陛下のパレード(祝賀御列の儀(シュクガオンレツノギ))は11月10日(日)に延期。 https://www.gov-online.go.jp/sp/gosokui/index.html  https://dwl3.gov-online.go.jp/video/cao/dl/public_html/gov/sp/gosokui/live.html . #キャットリボン(猫のピンクリボン)の日.  埼玉県所沢市に事務局を置き、動物のがん治療の質と治療成績の向上を目指す一般社団法人日本獣医がん臨床研究グループが制定。 . #ドリップコーヒーの日.  神奈川県横浜市に本社を置き、コーヒーなどの通信販売を手がける株式会社ブルックスが制定。 . #アニメの日. 一般社団法人日本動画協会「アニメNEXT100」が制定。 . #あんこうの日.  茨城県北茨城市平潟港温泉で「あんこうの宿・まるみつ旅館」を経営する「株式会社魚の宿まるみつ」が制定。 . #図鑑の日.  福岡県福岡市などでこどもの歯科医院を運営する「医療法人 元気が湧く」が開設した絵本と図鑑の民間図書館「絵本と図鑑の親子ライブラリー」(ビブリオキッズ&ビブリオベイビー)が制定。 . #パラシュートの日. 1797(寛政9)年のこの日、フランス人アンドレ・ジャック・ガルネランがパリ公園の上空、高度900メートルの気球から飛び降りました。  直径7メートル、数十本の骨組みにカンバスが張られた傘のようなものを着け、世界初のパラシュート降下をしたといわれています。 . #平安遷都の日.  794(延暦13)年、桓武天皇が長岡京から山背国葛城郡宇太村の新京に移りました。 . #絹婚記念日.  日本ネクタイ組合連合会と日本スカーフ協会が制定。 . #席を譲る日.  中国の北京市が定���た日。 . ●禁煙の日(毎月22日). ●ラブラブサンドの日(毎月22日). ●デルちゃん誕生の日(毎月22日). ●夫婦の日(毎月22日). ●カニカマの日(6月を除く毎月22日). . #肉フェス®︎ 国営昭和記念公園 2019.  10月18日(金)~10月27日(日) 国営昭和記念公園 ゆめひろば https://www.nikufes.jp/_tags/%E8%82%89%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E5%9B%BD%E5%96%B6%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%922019 . ●国際吃音理解啓発の日. ●エジプトのアブ・シンベル神殿の奥に陽が届く日. . . ■今日のつぶやき■ #勇将の下に弱卒無し(#ユウショウノモトニジャクソツナシ) 【解説】 上に立つ者が優れていれば、その下につく者も優れているということ。 強く勇ましい将軍の下に、弱い兵士はいないことから、上に立つ者の力量が部下の力量をいかに左右するかということ。 . . #1952年10月22日 #タケカワユキヒデ (#たけかわゆきひで) 【#ミュージシャン、#シンガーソングライター、#作家】 〔#神奈川県〕  《元 #ゴダイゴ》 . . (学芸大附属中小前) https://www.instagram.com/p/B35re67FOoxj0hbSVefO3rCPu8e9qAdLJenM6c0/?igshid=u09k7swax6xv
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hoge-page · 3 years
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架空のマドンナ、ついにビジュアル化
マドンナ【Madonna】
-古イタリア語 "ma donna"(「我が淑女」の意) -彫刻・絵画における聖母マリア像 -憧れの対象とされる女性 -主演女優、ヒロインのことを指すこともある
 皆さんの周りにマドンナはいますか?
 もしくは実在しなくても、あなたの心の中のマドンナはいるのではないでしょうか。
 我々には、います。
 他でもない、高千穂さゆりと佐伯琴葉です。
架空のマドンナキャラクターを創り出そう。
 前回のこちらの記事からおよそ四ヶ月たってしまったが、今回、メンバーであるさっちゃんが我々の奇談から高千穂さゆりと佐伯琴葉のビジュアルをイラスト化してくれたということで、急遽hogeはヨダレを垂らしながら集結することになった。
 設定のみでこれ以上ない位にはしゃいでいた我々だったが、ビジュアル化されることで彼女たちの更なる人間性が垣間見えるのではないだろうか。
 そろそろ読んでいただいてる皆さんにも高千穂派か佐伯派かも聞きたい。ぜひ記事を読んだ方は教えてね。
〜今回の参加メンバー〜
・ミワチヒロ(以下ミワ) 好きな朝マックはソーセージエッグマフィン
・コニシムツキ(以下コニシ)  好きな朝マックはベーコンエッグマックサンド
・さっちゃん(以下さっ) 好きな朝マックはソーセージマフィン
・けいてぃー(以下けいてぃ) 好きな朝マックは黙ってホットコーヒー、一杯
・福岡想(以下想) 好きな朝マックはステゴサウルス
以上のご機嫌なメンバーで行います。
それでは参りましょう。
コニシ:さて、前回と言っても少し懐かしいくらいの時間が経ってしまいましたが…架空の最強マドンナ、みんなで創りましたね。
けいてぃ:作りましたね。
コニシ:名前から部活、家族構成、ペットの名前や学校の成績まで決めたわけですが、みんなちゃんと覚えてますか?
けいてぃ:ぼんやり。
コニシ:無理もないですね。大分時間が経っていますから。     ではおさらいしておきましょうか。
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【高千穂 さゆり (たかちほ さゆり)】
家族 ・弟 ・おばあちゃん ・母親 ・でっかい犬(コタロー)
部活 ・二年生 ・帰宅部(一年の夏まで水泳)  →好成績だったが両親の離婚でバイトのため退部
髪型 ・部活止めるまでショート、部活辞めてからロング ・水泳部だった影響で少し茶髪気味
通学 ・チャリ
体格 ・161cm ・姿勢いい ・一般的な体格
好きな食べ物 ・白米 ・天津飯(バイト先の賄い)
得意料理 ・バイト先レシピのチャーハン
好きなアーティスト ・ジュディマリ(そばかす/オーバードライブ)
私服 ・ホットパンツ ・キャップ ・Tシャツ重ね着
休日 ・早寝早起き ・バイト
将来の夢 ・わかんない
成績 ・努力して上位 ・運動得意で部活勧誘が絶えない
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【佐伯 琴葉 (さえき ことは)】
家族 ・両親忙しい ・一人っこ ・文鳥(ぶんさん)
部活 ・三年生 ・弓道部(真剣に取り組み好成績)
髪型 ・部活始めたてはロング、部活始めてショート(邪魔だから切った) ・黒髪
通学 ・バス
体格 ・細身 ・姿勢いい ・165cm
好きな食べ物 ・グミ(果汁グミぶどう)
得意料理 ・特になし(全部できる)
好きなアーティスト ・ジュディマリ(クラシック)
私服 ・ロングスカート ・ワンピース ・モノクロトーン
休日 ・夜更かししゲーム ・午前寝てる
将来の夢 ・特になし
成績 ・上の下位。あまり勉強はしない ・運動は個人競技は得意
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コニシ:こんな感じですね。
ミワ:そうだった、そうだった。
コニシ:彼女たちが生まれる時はさっちゃんは現場にいなかったですけど、実際に情報をみたり描いたりしてみて「私はどっち推し」みたいなのってあります?
さっ:私は結構迷っていますね。    やはり私は彼女たちと同性なので、どういう立ち位置での目線で見ればいいのか難しかったです。    友達としてなのか、恋愛対象としてなのか…でも、あくまで”マドンナ“という話だったので、少し距離があるような、そんな感覚で書かせていただきました。
コニシ:すごくしっかりしている。
想:仕事できる子やね。
コニシ:前回野郎共で話していた時は、高千穂派にけいてぃー、ミワがいて、佐伯派に想、顕吉、コニシがいる感じで割れていましたね。     ちなみにお二人は今もなお、高千穂派で変わりないですか?
けいてぃ:そうですね。声を大にして答えられます。
ミワ:そうですね。一緒に過ごす時間が長くなればなるほど……積もっていくものがありますね……
コニシ:一緒に過ごしてたんですか…???
ミワ:一緒にいろんな景色を見たいなって思っています。
けいてぃ:思いの丈の差を見せつけられて僕はいま戸惑っています。
コニシ:確かに高千穂さゆりは雪降った日とか、すっごいはしゃぎそうよね。
ミワ:雪とか食べちゃうのよね……(笑)
けいてぃ:この人ほんまに過ごしてたんちゃうの
さっ:ではそんなさゆりのビジュアルの方発表させていただいてよろしいでしょうか。
【高千穂さゆりのビジュアル公開】
さっ:こちらです。
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ミワ:うわ、うわうわ、うわ!!!!
コニシ:ハイハイハイハイハイ!!!!!!!!
想:やば!!!
けいてぃ:……いいですねぇ……!!!!!
コニシ:今回の記事、だいぶ僕ら気持ち悪くなっちゃう可能性あるな。
さっ:まだ設定画のような感じですが、これをみてもらって「こういうカットが欲しい」とかを聞いてそれを書き上げたいなと思っています。
けいてぃ:そんなことまでしていただけるんですか?
想:お金払った方がいいんじゃないか?
コニシ:みんなすごいテンション上がっちゃってますけど、ゆっくり見ていきましょうか。     まずは高千穂さゆりの方ですね。これバイト姿描いてくれたの僕すっごい嬉しいです。かわい〜
さっ:そこは絶対描きたかったんですよ。中華料理屋でバイトしてるところね。
けいてぃ:靴下の長さまでディティールが凝ってるな。
さっ:そうですね。アバズレが履いてるようなくるぶし丈でもなく、陰キャが履いてる膝丈でもなく、ふくらはぎの真ん中くらいの長さです。
コニシ:靴下丈の説明だけでこんなに人を傷つけることってできるんだ。
さっ:でもその丈の靴下って下手すると脚が太く見えちゃうんですよ。だけどこの丈が履けるってことは、さゆりはちゃんと脚がすらっとしてるってことなんです。
コニシ:この「プリクラで損する美人」っていうのも少しわかる気がするな。
さっ:実物の方が可愛いんですよね。
けいてぃ:あ〜おるおる。変に加工されちゃってる感じになる子ね。
コニシ:さゆりがマフラー巻いてるところ見たいな〜〜〜
さっ:任せてくださいよ。そういうのドンドン言ってってください。
コニシ:高千穂さゆり派一筋だったミワくんは?
ミワ:……そうだな………これは………
コニシ:ミワくん、くらいすぎじゃない?????
ミワ:……いろんな思い出が……こう、いま……
さっ:やっぱ過ごしてるなこの人。
コニシ:居ないんですけどね。
さっ:そんなんいうたらあかん!!!
けいてぃ:これからさっちゃんが描いてくれるわけやから現実になるよ。
ミワ:…………二人で回転寿司に行ったんだけど……楽しかったな……    ……30皿くらい食べてたな……
コニシ:ちょっと心配になってきちゃった。
さっ:さゆり、サーモンばっか食ってそうだな〜!
想:いや、さゆりは好き嫌いそんななさそうだよ。
コニシ:でもワサビ苦手くらいの好き嫌いはあって欲しい気もするな。     間違えてワサビ抜いてない寿司がきちゃって、無言でこっちに押し付けてくるみたいな……
ミワ:ああ〜〜〜〜
さっ:でもそれ、だいぶ仲良くなってからのイベントじゃないですか?
コニシ:そっか〜〜〜〜〜〜〜…………
さっ:きっと、最初は見栄はって我慢して食べてるのに気づいて、そこでワサビ苦手だって知るわけですよ。    お姉ちゃんだしマドンナだし、きっとそういう弱みを見せるのになれてないんですよね、彼女は。そこでワサビ我慢して食べてることに気づいてくれたっていうことから、初めてさゆりと対等な目線で話せるようになるんですよきっと。
コニシ:なるほどな〜〜!!!
ミワ:頭付きのエビが注文レールを流れていくのを、ずっと見てそう。
想:それは何??
コニシ:ちょっと視力が悪くて目を凝らすと睨んでるみたいになっちゃうんじゃない?
さっ:ちょっと目つき悪いですからね、さゆりは。
けいてぃ:寿司屋の湯飲みとかは両手で持ちそうですよね。
想:ちょっとあざとくない?
けいてぃ:いや、さゆりのはきっと「こいつやってんな」っていう感じはしないのよ。自然な感じ。
ミワ:…………さゆりってさ………
コニシ:わ、びっくりした
ミワ:さゆりってさ……バイト先に黙って急に行ったら……どんな表情するんだろう……?
コニシ:(爆笑)
けいてぃ:それは僕も思いましたよ。
さっ:一瞬びっくりしながらも、ちゃんとバイト先やし「いらっしゃいませ」って言ってくれるの見たいね。
けいてぃ:やっぱ同級生に見られるの恥ずかしいだろうからね、ちょっと無愛想気味になりながらも、春巻きとかを黙ってサービスでつけてくれたりするんやろうね。
コニシ:「あれ、これ、注文してないけど……」
けいてぃ:「……うちからのサービスです」
コニシ:う〜れし〜〜〜〜〜〜〜
ミワ:水とか持ってくる時に、「はい、100万円」って言ってくる
コニシ:ミワくん勝手に一人でさゆりと無茶苦茶仲良くなってない????
けいてぃ:見たいシーンで言うと、このバイト着に着替えてるところみたいですね。エプロンしてるところ。
さっ:じゃあベタですけど髪結んでるところ描きましょうか。
けいてぃ:あ〜〜〜みたいですね〜〜〜〜
コニシ:俺、あれだな。さゆりがバイトしてるとは知らずにそのお店行って、「あれ、高千穂いる…?」くらいの感じ。向こうも「あ、来たんだ」くらいの感じ。     そんでカウンター席の向こうの常連が店長と一緒に「さゆりちゃんは彼氏とかおらんのか!」「こいつ居ないんですよ〜!」みたいなオジさんの会話をしているのを聞いて、俺は「あ、彼氏は、いないんだな…」って思いながら一人でチャーハン食べてたい。
けいてぃ:わかる。そっちに気を取られすぎて全然レンゲでチャーハン掬えてないよねきっと。
ミワ:いいですねぇ……
想:あの……甲子園に行ったんですよ。
さっ:え?
想:ここの学校。さゆりたちが通ってる。
コニシ:びっくりした。想さんまで無い記憶を語り始めた。
想:もともと運動部は強い学校だけど、野球部が甲子園までいくのは久しぶりで、さゆりも友達とかと一緒に応援しにいくわけですよ。さゆりは応援とか張り切ってするからちょっと目立ったのか、テレビ中継の時とかで可愛いのも合間ってカメラに抜かれるっていう。
けいてぃ:ネット上で一瞬盛り上がるやるね。スレが一本湧く程度のやつ。
コニシ:今回のこの企画楽しいなぁ……
けいてぃ:さゆりはこの「目つき悪くなっちゃう」って設定でワン���ーンみたいですね。例えばバイト先のビラ配りしてるところとか。
コニシ:一年生の時の水泳部時代もチラッとだけでいいから見れたら嬉しいな……
ミワ:たしかに…!    朝に寝癖がついてるところとかも見たいね。
コニシ:あとペットの犬と絡んでるところとかね。     きっと遅刻しかけてても玄関で犬撫でてから家出そうだね。
さっ:バタバタバター!って準備して靴履いて、家出る直前に「行ってくるね〜!」って犬のコタローの頭わしわししてあげるんでしょうね。
ミワ:かわい〜
コニシ:これコタローが一番幸せだな。バイト先で春巻きサービスしてもらうことよりも幸せだろ。
ミワ:コタローになりたい。
コニシ:きっとコタローがおったから、親が離婚したりとか色々した時もなんとか元気にいられたのかもしれないね……
さっ:そうですね……きっと弟にも弱音っていうのは吐きづらいでしょうしね……
ミワ:お母さんも弱ってたしね……
さっ:……今日さゆりの回でしたっけ?
コニシ:しまった。佐伯さんの方にもいきましょうか。
【佐伯琴葉のビジュアル公開】
さっ:では佐伯さんのビジュアルはこちらです。
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ミワ:うわ、いいなぁ…
さっ:さゆりの方は手が届きそうで届かないって感じのマドンナですけど、佐伯さんの方は声をかけることも難しいようなマドンナ像ですかね。
けいてぃ:これは声かけるの難しいなぁ。本とか読んでたら邪魔できなさそう。
コニシ:これさ、クールな佐伯さんが吊り目で、気さくなさゆりが垂れ目とかにしそうなところを逆にしてきてるっていうのが憎いよね。
想:確かに。そう思うと髪型もセオリーの逆だもんね。元気で気さくなさゆりがロングで、クールな佐伯さんがショートっていう。
さっ:ゲームで仲良くなりたいですね。
コニシ:普段全然喋らないのに、FPSでのボイチャではすっごいテキパキとチームメイトに指示とか出してくれそう。
ミワ:「クリア」って報告してほしい。
想:頼もしいな佐伯さん。
さっ:きっとスナイパーライフルとか持って、後ろにいる味方にボソッと「遮蔽塞いで」って指示出しそう。
想:アイテム分けてもらったらエモートとかじゃなくて、ちゃんとボイチャでありがとう言ってくれそう。
さっ:マッチングしたらちゃんと「よろしくお願いします」って言いそうな感じもありますね。
けいてぃ:その辺はやっぱり弓道部で礼儀を学んでるからね。
コニシ:だからスナイパーライフルうまいのか。
さっ:でもこれ、さゆりの時は結構シチュエーションがポンポン出てきましたけど、佐伯さんの場合はミステリアスな魅力っていうこともあって、どんな会話できるかとかあんまり想像つかないですよね。
コニシ:たしかに…ちょっと難しいな…
ミワ:わ……これ、弓道部姿の左腕、やば。    なんか見ちゃいけないところ見てしまってる気がする。
コニシ:これ部活の最中もいいけど、大会帰りとかに弓を布の袋にしまったやつを担いで電車乗ってる姿とかも見てみたいよね。
ミワ:うわ、見たいな。
けいてぃ:なんなら疲れてちょっと寝ちゃったりしてるのね。
ミワ:うっわ、いいなぁ〜
コニシ:試合前は一人でイヤホンつけて集中してそうだね。
けいてぃ:そこであれが生きてくるんですね。
想:ジュディマリね。
コニシ:それぞれが音楽を聞いている姿をシチュエーション込みでみてみたい気もするな。
さっ:その話をするなら、さゆりはiPhoneの純正イヤホンですけど、佐伯さんはちょっといかついヘッドホンで聞いてそうですよね。部屋ではゲーミング用でしょうし。
想:マイクついてるやつね。
さっ:「それでジュディマリ聞いてんの?!」みたいな感じでね。
想:さゆりの水泳部時代を描くなら、佐伯さんのロングヘア時代もみてみたいね。
さっ:髪色について、佐伯さんは黒髪ですけど、さゆりは髪質柔らかい人の栗色みたいなのいいかなと思ってます。
コニシ:あーいいですね。
さっ:色素の薄い、ほくろが目立つような肌でしょうし。
コニシ:ほくろね!
さっ:肌の色で言うなら二人とも色白でしょうけど、さゆりはイエベで佐伯さんはブルベの白さですよね。
コニシ:確かにね。     一個お願いなんですけど、佐伯さんの目元にほくろ付けてもらっていいですか……?
さっ:あ、佐伯さんはね、目元につけるか口元につけるか迷ってて描いてないんですけど、どっちがいいですか?
けいてぃ:口元もいいですね。セクシーぼくろね。
コニシ:うわ〜、口元もいいなぁ。
ミワ:…う〜ん、僕は口元派ですね。
さっ:よし、口元にしましょう。
コニシ:あ、あとペットの文鳥に餌あげてる佐伯さんもみたいな……
さっ:はい喜んで。    あ、一つ気持ち悪いこと言っていいですか。
コニシ:今日はみんな全体的に気持ち悪いんで大丈夫ですよ。
さっ:佐伯さん、弓道で弓引いてる時の手とかから、指の間にあるほくろとか見つけたいですよね。
ミワ:うわ〜〜〜!
さっ:さゆりは膝の裏とかにほくろ付けましょう。
けいてぃ:膝裏ぼくろね!
ミワ:…………すげぇな……
コニシ:すげぇなって何だよ。
さっ:この企画楽しいからバレンタインまで続けません?
コニシ:これ俺たちがわいわい騒いで描いて欲しい絵描いてもらってるだけになっちゃうけど、いいんですか???
さっ:シーズンごとに行きましょうよ。    少しずつ話を進めて最終的に彼女らとセックスするところまでこじつけましょう。
コニシ:そんな我が子を風俗に出すような真似やめなさい。
ミワ:でもそれぞれの卒業式はみたいな……
さっ:佐伯さん卒業後とか、進学先のミスコンとか出てそう。
けいてぃ:それちょっと辛いな……
コニシ:それ頑張って同じ大学目指しちゃうよな。
ミワ:あ、佐伯さん、ブンさん(ペットの文���)の写真をあげるためだけのツイッターアカウントがありそう。
想:生活感ないやつね。何ならアカウント名も「ブンさん」としてやってる。
コニシ:インスタも全然更新しないけど、たまにFPSゲームの戦績をストーリーにあげてそう。
ミワ:フォローしちゃうな。
さっ:佐伯さんは大学行った後ちょっと変わっちゃうかもしれないですけど、さゆりは大学行ってもそのまんまでしょうね。
コニシ:さゆりはね、変わんないよ。
ミワ:うん、うん。
想:結果さゆりも佐伯さんと同じ大学に行って、佐伯さんの下宿にご飯作りに行ったりとかね。
コニシ:ああ〜、卒業直前に二人はきっとジュディマリの繋がりを知るんでしょうね。     さゆりも「私もっと早く佐伯先輩と話してればよかった〜」みたいな。
想:これ、百合路線もいけますね。
コニシ:それはそれで全然良いな……
さっ:ええ〜!!!それは辛いよ!さゆりとデートしたいよ!
想:ごめんなさい。今のは編集が作品を殺す瞬間でした。撤回します。
コニシ:すみませんでした。     佐伯さんはのちにPCとか自分で組んだりとかしてそうだな。
想:ゲーミングPCね、ギラギラ光ってるやつ。
【二人のビジュアルを見て】
さっ:さゆりも佐伯さんもビジュアル見ていただきましたけど、これを見た上でどっち派かに移り変わりは皆さんあったりしますか?
コニシ:佐伯さん派とは言っていたけど……正直このさゆりのバイト姿見てだいぶ心惹かれてるな……
ミワ:どっちも大好きになっちゃった。
コニシ:そうなんよね……
さっ:じゃあ今の時点でさゆり派の人は?
けいてぃ:はーい!
コニシ:ちょっとさゆり派になってしまったかもなぁ…
さっ:お、鞍替えですか。    じゃあ佐伯さん派は?
想:悩むなぁ……
ミワ:悩みますね、これは。佐伯さんほくろ付くし。
想:でも佐伯さんのゲーマーとしてのバックボーンが解像度上がったし、そういう面も好きかな。
コニシ:そう考えると想さんは結構ゲームする人だし、hogeのメンバーの中だったら一番佐伯さんと仲良くなりそうな感じしますね。
想:やめてよ、もう〜〜〜〜!!!緊張する〜〜〜!!!
コニシ:佐伯さんFPSは強いけど、マリオとかはむっちゃ下手なんだろうな。
けいてぃ:逆にね。
ミワ:格ゲーとかは齧ってるくらいかな。
想:まあ一通りやってはいるけど、最終的に落ち着くのはFPSなんだろうね。弓道やってるからエイムも上手いし。
ミワ:「勇者ああああ」とか見てるのかな……
コニシ:ゲームでボコボコに負けて、ちょっと不機嫌になってる佐伯さんも見たいな。
ミワ:これはどっちかとか決められないよ……
コニシ:これは架空マドンナシリーズ第三弾のカット絵が楽しみですね。
さっ:お任せください。    私はこういうことがずっとしたかったんだよ…!
コニシ:助かってます、本当。
想:やっぱり僕らさっちゃんにお金払った方が良いだろ。
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 さて、さっちゃんのイラストによってさらにディティールが見えてきたマドンナたち。
 皆さんはどっち推しでしょうか。決められなくても、彼女たちのどんな姿が見たいでしょうか。
 Twitterの投票機能で皆さんがどっち推しかのアンケートなど取ってみようかと思っておりますので、ぜひ皆さんも考えてみてください。こんなカットがみたいなどもリプライでぜひ送ってください。
 次回、架空マドンナたちのシチュエーションカット。
…………
……………………
さっ:参考までに、こんな感じでカラーの絵の作業進んでます。
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コニシ:オイオイオイオイオイ!
ミワ:やっっば
さっ:これは一年生の夏の「あれ?きみって同じクラスの…」のシーンです。    詳しくは次回ですね。
コニシ:次、みんなしんじゃうんじゃないか……?
 
 次の架空マドンナ回をお楽しみに。
0 notes
tak4hir0 · 4 years
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サイボウズの社長が書いた本。なので、ポジショントークであることは考慮が必要だが、「会社とは何か」について本質的な指摘をしており、サラリーマンは一読の価値があると思う。 要約 「カイシャ」は実体も意思も無い 取締役がカイシャ(法人)の資産の使い道を決める権限を持つ 「代表取締役」の権限は特に強い 中小企業でも「社長(代表取締役)」に金持ちが多いのは、自分の給料を自分で決められるから 本来は会社は「株主のもの」だが、大企業になるほど株主が取締役を監視するのは難しい 日本は特に持ち株比率の少ない個人株主が多いので、株主全体が一枚岩になりにくい 団結して意見をまとめて代表を辞めさせる手間をかけるより、株を売ってしまった方が早い 大企業の代表取締役は、辞めさせられるリスクも低く、給料も増やせる、とても美味しい立場 カイシャの従業員は実際には「経営者=(代表)取締役」のために働いている カイシャのブランドではなく、生身の人間である代表取締役が本当に信頼できる人なのかどうかを見極めなければいけない イケてない代表の下で偉くなる人もイケてない ダメなリーダーは自分の立場を脅かす有能な人を抜擢しない 代表取締役まで「あがれば」美味しいけど、そこまでは我慢レース 我慢レースに耐え、昇進して権限が強くなった頃には、もうとっくにあなたの全盛期は過ぎている カイシャが作られた時は、はっきりした目的、ビジョン、理念があった 創業者が居なくなり、理念を強く持てないサラリーマン代表取締役がカイシャを引き継ぐと、目先の売上利益(=自己保身)に走り、カイシャは魅力と存在意義を失う 永続させるべきはカイシャではなく事業 カイシャで楽しく働くコツは、代表のビジョンと自分のビジョンを重ねること 自分のビジョンが会社の方針と合っていないと、仕事を楽しめない カイシャの方針を決めるのは代表なので、代表の方針と合ってるかが大事 例: 自分は将来、外国語を活かして海外でビジネスをしたい。でも、カイシャの代表はグローバル展開に興味が無い(ので、このカイシャで外国語を使ったり海外と関わる仕事をするのは難しい) 重ね合わせる作業はカイシャに入った後も延々と続く 代表の思いも自分の思いも変わっていくから 一人の人間として、好きな仕事をし、自分の心を満たす報酬を得る(お金だけでなく)、一度きりの人生を楽しむためにカイシャを選択する モチベーションが高い状態とは「やりたい」「やれる」「やるべき」の三条件が重なっている モチベーションが上がらない、仕事に納得できていない時は、三つのどれかが欠けているはず カイシャに違和感を覚えるようになったときにとりうる選択肢 カイシャの夢に自分の夢を重ねる 自分のゆめに合うビジョンを持つカイシャに転職する 自分の夢を実現する場所(=カイシャ)を新しく作る どんな選択肢も、自分で選び、責任を取る覚悟が大事 他人のせいにしているうちは、主体性から生まれる楽しさを享受できない 自分の意思で人生を切り開くのは楽しい 埋没しないスキルを身に着ける 世の中ですでに一般的になってしまったスキルを偏差値的な発想で伸ばしてもユニークさは得られない 悪い例: 英語が得意でもないのに英語ばかり勉強する 「掛け算」の発想 例: クラウド * 農業 スキルを掛け合わせるには、まず自分の強み・売りになるスキルを一つ見つけること 自分がモチベーション高く取り組めるものならなんでも良い 打算的に「ニーズ」を意識し過ぎない 一つのことに固執するよりも、自分の心の声に素直に耳を傾け、様々なことにチャレンジし、それらを掛け合わせてユニークな自分を作り上げていく 社会に出たら、自分の不得意なことをわざわざ仕事にしない。得意なことを活かして仕事をする 年功序列から成果主義を飛び越して市場主義へ 過去に出した成果ではなく、未来に対する期待値で評価される 従業員の数が多いカイシャは雇用を支える良い会社なのか 少子高齢化で労働人口不足に陥る今後の日本では、あるカイシャが多く雇いすぎることは、他のカイシャや社会全体にとって迷惑になる可能性がある カイシャが生み出す価値が同じであれば、従業員数は少ない方が(効率が)良い 「すごい雇用」と「すごくない雇用」がある 優秀な人を採用するのが「すごくない雇用」 優秀な人を雇うのは低リスクでマネジメントも楽 誰でもできることなので、すごくない 「すごい雇用」とは 他のカイシャでは採用されない人や、制限が多い人、採用するのに勇気がいる人、などを採用すること こういう人たちを活かすには高いマネジメント力が必要 少子高齢化社会では、「すごい雇用」で様々な人材を活かせるカイシャが生き残る 人間は、人工知能が思いつけない、新しい「やりたい」を見つけ出す必要がある 感想 この本が良いのは、「だからサラリーマンはダメだ起業しろ」みたいな乱暴な結論に至らず、充実したサラリーマン人生を送るためにはどうすれば良いか?ということを説いていることだ。世の中のサラリーマンの大多数は起業したりせず一生を終えるのだから、サラリーマンとしての生き方について論じる方が現実的で建設的だ。 一章と二章は痛烈だが示唆に富む内容で、サラリーマンは一読の価値があると思う(大事なことなので二度書いた)。 それなりに長年勤めた会社を辞めんとする身としては、グサグサと突き刺さる内容で心が揺さぶられた。「ビジョンを重ねる」、本当に大事だと思う。 小さい会社でも「社長」が金持ちな理由を齢四十にして初めて知って、自分がどれほど世間知らずだったか痛感した。 後半はややポジショントークっぽさが増した印象がある。「すごい雇用」のくだりなどは、一理あるものの、いささか浮世離れし過ぎでは、と感じた。 特にグサッときたフレーズ そして 、昇進して権限が強くなったころには 、もうとっくにあなたの全盛期は過ぎている 。あなたの考えは時代遅れになり 、若者たちの足を引っ張ることになる 。 我慢レ ースに耐え 、権限が強くなったころには 、もうあなたの全盛期は過ぎている 。 夢を強く持てない代表は 、夢を熱く語ることができないので 、そこに集まってくる社員は 、夢に共感できないまま何となく仕事を続ける だから 、 「このカイシャは違うな 」と思ったら 、早く辞めたほうがいいと思います 。 カイシャは楽しいですかと聞かれて 、即座に 「楽しい 」と答えて 、その理由をスラスラと言えるのなら 、その人は心から仕事を楽しめているのでしょう しかし 、その人が 「カイシャは楽しむところじゃない 」とか 、もしくは自分の楽しさのことを話さず 、カイシャの業績や戦略のことばかりを話していたら 、カイシャを楽しめているかどうか怪しいと感じます 。そして 、我慢レ ースを走らされているのではないかと推測します 。 例えば 、技術が好きなエンジニアがカイシャに新卒で入ってきたとします 。入社当初は 、自分自身でプログラミングをして 、 「やりたい 」仕事ができていました 。ところが 、彼はだんだんと管理職としての仕事を任されるようになり 、気がつけば毎日エクセルのシ ートを開いて 、プロジェクト管理や原価計算をするのが中心になってしまいました 。年功序列の大企業ではよくあることですね 。 「やりたい 」仕事でないのであれば 、モチベ ーションは下がります 。 自分の意思によって 、何かを選択し 、その結果を受け入れる覚悟をする 「やるべき 」仕事の中から 「やりたい 」と 「やれる 」の交点を探して 、選択する 。そして 、その選択は 、自分の意思によって決めたのだと覚悟する 。 英語が得意でもないのに英語ばかり勉強するとか 実際 、社会に出てみると気づきますが 、自分の不得意なことをわざわざ仕事にしたりしません 。それぞれの 「得意 」を生かして仕事をするのです 。 少子高齢化が進む日本は 、今後 、慢性的な人手不足になることが予想されています 。つまり 、あるカイシャが 「たくさん雇用する 」ことは 、他の様々なカイシャの採用活動の妨げとなります 。よかれと思ってたくさんの人を雇用しているにもかかわらず 、他のカイシャにとって 、また社会全体にとっては迷惑行為になる可能性もあるのです 。カイシャが生み出す価値が同じであれば 、従業員数は少ない方が 、周囲にとってはありがたいとも言えます 。 誰でも経験があるかと思いますが 、人の意見に耳を傾けられなくなったとき 、成長は止まります 。 「楽しい 」とは 、楽園のような職場という意味ではありません 。食べ放題 、飲み放題 、遊び放題 。ハンモックに揺られてゲ ーム三昧 。毎日そんな楽園に行きたいですか ?私には無理です 。楽園はときどき行くから楽しめます 。 日本の大企業は 、世界の中小企業に過ぎません 。 今からが人生の勝負です 。どうぞ残りの人生を最大限 、楽しんでいきましょう 。 ハイライト 多すぎるけど、 Kindle Unlimited で読んだので返却してしまうとハイライトも参照できなくなりそうな気がするので、全部転載する。 自分たちの人生をこの 「会社というモンスタ ー 」に捧げ 、毎日ストレスを抱え 、不満に耐え続けている 。 企業の規模にかかわらず 、世の中の代表取締役と呼ばれる人たちにお金持ちが多いのは 、自分の給料を自分で決められるからです 。 カイシャとカイシャ員の関係も同様です 。カイシャには意思がありません 。どんなに頑張って働いても 、カイシャが何か返してくれることなどありえないのです 。返してくれるとしたら経営者たちです 私たちは 、生きていないものではなく 、生きているものに注目し 、信頼できるかどうかを見極めていかなければなりません 私たちは誰のために働いているのでしょうか 。いくら 「カイシャのため 」と言っても 、実際にはそのトップにいる 「経営者たちのため 」に働いている つまり 、よく見ておかないといけないのは 、カイシャというモンスタ ーのブランドやイメ ージではなく 、生身の人間である代表取締役が本当に信頼できる人なのかどうか 。そこを間違えると 、知らぬ間に搾取されていたり 、仕事が全然楽しくなかったりしてしまうわけです 。 イケてない代表の下で偉くなっている人は 、たいていイケてない 次の代表としてイケてる人を選んでくれるといいのですが 、基本的にはそうならない 。イケてない人は 、自分にとって都合のいい人を選び 、自分の利益を脅かす人を選ばないからです 。 そして 、昇進して権限が強くなったころには 、もうとっくにあなたの全盛期は過ぎている 。あなたの考えは時代遅れになり 、若者たちの足を引っ張ることになる 。 ただ 、今のカイシャが楽しくないと思っているのであれば 、自分がこうした我慢レ ースに入り込んでいないかどうか 、少し距離を置いて考え直してみてもいいかもしれません 。 我慢レ ースに耐え 、権限が強くなったころには 、もうあなたの全盛期は過ぎている 。 これらの日本的な雇用形態のことを 「メンバ ーシップ型雇用 」と呼びます ちなみに 、米国では定年制度は年齢差別に当たるため 、憲法違反として認められていません だから 、楽しく働きたいと思ったら 、どんな人が代表なのかをよ���見ておいたほうがいい 。この代表のためだったら働いてやってもいいなという気持ちが持てないと 、我慢ばかりのつらい時間を過ごすことになってしまう 。 わざわざ団結して意見をまとめて代表を辞めさせる活動に時間を割くくらいなら 、サクッと株式を売ってお別れする方が早い 。ですから 、大企業の代表取締役は 、辞めさせられるリスクも低いし 、給料も増やせるし 、とても美味しい立場にいます 。 だから 、カイシャが作られたときは 、元々はっきりした目的があったはずです 。 創業者がカイシャを作って 、人を集めていったときには 、おそらく魅力的な目的が 、ビジョンが 、理念があったのだろうと思います 。それに共感した人が 「私もそれに協力したい 」と集まってくる 。 この状態のときは 、理念がまだはっきりしており 、楽しく仕事をしやすい状態にあります 。自分の活動が 、社会のどのニ ーズに応えているかの実感を得られるからです 。 企業理念を重視しないということは 、集まる理由が弱いということです 。集まる理由がないところで働いて 、楽しいはずがありません 。自分は何のために働くのか 。企業理念は 、働く一人ひとりにとって 、モチベ ーションの根幹なのです 。 そして 、創業者がいなくなり 、理念を強く持てない代表が 、その組織と口座を引き継ぐことになります 。 カイシャと事業は別物です 。継続すべきは顧客に必要な事業であって 、カイシャではありません 。 例えば 、 L i n u xという O Sを作っているリ ーナス ・ト ーバルズという人 。彼を中心にして構成された開発チ ームは 、無料でソフトウェアを提供していて 、 実際は redhat や suse のような営利企業に雇われてたりするけどな。 規模でカイシャを選ぶと 「楽しく働く 」から遠ざかる 売上が大きいカイシャを選びがちなのは 、世間から 「すごいカイシャに入ったね 」と言ってもらえるから 。そういうわかりやすい基準に頼りたいという自分がいるのかもしれません 。 VP とか CTO とか取締役とか、世間から「すごい」と言われたいから肩書が欲しい、という自分がいるのだということ。 楽しく働けるカイシャかどうかを判断する際には 、利益よりも 、どこにどれくらい分配しているのか 、というところを見たほうがいい 。 「どちらかというと従業員の給料のほうが目的で 、利益はあくまでもカス 。そのほうが少なくとも働く人には幸せですよ 」 私たちの答えはシンプルです 。 「サイボウズというカイシャを永続させる必要はない 。私たちの理念を実現するためにベストを尽くしたい 」ということです 。 国に任せるよりも 、私たちの方がうまく社会を動かす自信がある 。 ずいぶんだな。さすがに傲慢すぎやしないか? 夢を強く持てない代表は 、夢を熱く語ることができないので 、そこに集まってくる社員は 、夢に共感できないまま何となく仕事を続ける 代表のビジョンと自分のビジョンとの関係を考えよう 楽しく働くために最初に紹介したいコツは 、代表のビジョンと自分のビジョンを重ねることです 。 例えば 、あなたが 「ゆくゆくは外国語を使って海外でこんなビジネスをしたい 」というビジョンを持っているとします 。でも 、カイシャの代表が 「正直 、グロ ーバル展開には興味がない 」と考えていたら 、そのカイシャで仕事を楽しむことは難しくなります 自分が持っている夢を叶えられる場所なのかどうか 、これを確認することが大事です このカイシャの代表が何をやりたがっていて 、自分が何をやりたがっていて 、そこに交点はあるのか 、ということです 。 そこで初めて 、このカイシャの代表のことを意識しました 。そして 、自分の夢をカイシャのビジョンとうまく重ね合わせることが難しいことに気づき 、起業しました 起業した後 、半年間は給料を一円ももらいませんでしたが 、我慢レ ースから降りて 、気持ち良く働ける場所を得ました この重ね合わせる作業は 、カイシャに入った後も延々と続きます 。そのカイシャの代表の思いも 、自分の思いも 、年月とともに変わっていきます 。その思いの部分を重ね合わせられているか 。 自分が活躍している実感も減っていくだろう 。それは仕事を楽しめないことにつながる 。 。例えば 「気持ち良く働ける仲間 」も 、大きな報酬です 。一緒に働く仲間たちのことを信頼でき 、一生付き合いたい友人になるのなら 、どれだけ毎日を幸せに過ごせることでしょう 逆に 、お金はたくさんもらえるけれど 、すごくストレスフルなところに毎日出向いて行かなければいけないとなったら 、日々のストレスに耐えることに加えて 、ストレスを解消するために時間とお金を使わなければいけません 給料の金額が大きくても 、その職場だけで通用するスキルしか身につかないのであれば 、給料以外の報酬は少ない 、ということになります 。 我慢レ ースを耐え抜かなければいけないカイシャは 、給料の額面だけは大きいように見えるけれど 、じつは他の報酬は少ないのです 。 だから 、 「このカイシャは違うな 」と思ったら 、早く辞めたほうがいいと思います 。 カイシャは楽しいですかと聞かれて 、即座に 「楽しい 」と答えて 、その理由をスラスラと言えるのなら 、その人は心から仕事を楽しめているのでしょう しかし 、その人が 「カイシャは楽しむところじゃない 」とか 、もしくは自分の楽しさのことを話さず 、カイシャの業績や戦略のことばかりを話していたら 、カイシャを楽しめているかどうか怪しいと感じます 。そして 、我慢レ ースを走らされているのではないかと推測します 。 2019年の採用では、完全にこれだったな… 自分の人生ではなく 、カイシャというモンスタ ーの小間使いとしての人生を歩んでいるように感じるのです 。実体のないモンスタ ーに自分の人生を投影し 、本当に自分が生きたい人生から目を背け 、思考を停止したまま過ごしている気がします 一人の人間として 、好きな仕事ができている 。自分の心を満たすための報酬を得ている 。一度きりの人生を思い切り楽しむために 、カイシャを選択し 、そして実際に楽しめているかどうか 。 モチベ ーションが高い状態とは 、 「やりたい 」 「やれる 」 「やるべき 」という三つの条件が重なっている 、 例えば 、技術が好きなエンジニアがカイシャに新卒で入ってきたとします 。入社当初は 、自分自身でプログラミングをして 、 「やりたい 」仕事ができていました 。ところが 、彼はだんだんと管理職としての仕事を任されるようになり 、気がつけば毎日エクセルのシ ートを開いて 、プロジェクト管理や原価計算をするのが中心になってしまいました 。年功序列の大企業ではよくあることですね 。 「やりたい 」仕事でないのであれば 、モチベ ーションは下がります 。 人は 「やれる 」と思っていないことを楽しめるようにはできていません 。この仕事は自分に向いていない 、と思いながら働いても楽しめないし 、結果も出にくい 。結果が出ないと 、やはり楽しめないという悪循環に陥ってしまいます 。逆に 、自分の得意分野だと思っていて 、自分のスキル向上によって乗り越えられると信じているときは 、モチベ ーション高く取り組むことができます 「やるべき 」の難しいところは 、周囲からのどの期待にどれだけ応えるか 、という選択を迫られることです 。 自分の意思によって 、何かを選択し 、その結果を受け入れる覚悟をする て 、 「やるべき 」仕事の中から 「やりたい 」と 「やれる 」の交点を探して 、選択する 。そして 、その選択は 、自分の意思によって決めたのだと覚悟する 。 仕事を楽しくやり続けている人は 、世の中に無限に存在する 「やるべき 」仕事の中から 、覚悟を持って選択している人だと思います 。 こういうとき 、なぜ自分が納得していないのか 、深く考えてみることが大切です 。モチベ ーションが上がっていないということは 、 「やりたい 」 「やれる 」 「やるべき 」の三つのうち 、どれかが欠けているはずです 。 楽しく働きたいのであれば 、常に仕事を整理する 、考える 。こうした思考の習慣をつけることで 、改善できるはずです 。 カイシャの夢が見えないときに考えるべき 、三つの選択肢 カイシャが掲げるビジョンに共感し 、自分が活躍できる場所があると思って入社してみた 。けれども 、しだいに自分の理想とのギャップを感じるようになったり 、あるいはカイシャのビジョンにだんだん共感できなくなったりしていくこともあるでしょう 。カイシャで働いていると 、よく起きることです 。 ビジョンは壮大だけれども 、実際に現場でやっていることは目先の目標を追うことばかりで 、自分が思っていた理想とはずいぶん違うこともある 。 カイシャに違和感を覚えるようになったときこそ 、試練の瞬間です 。あなたがこの後も楽しく働けるかどうか 、試されるときです 。 「カイシャの夢に自分の夢を重ねる 」というのは 、言い換えると 「カイシャというモンスタ ーを動かせる子飼いの代理人 =経営者と夢を重ねる 」ということになります 。カイシャには実体がありませんから 、カイシャの代理人をしている経営者の夢と重ねることになります 。その人を信頼し 、未来も自分の夢を重ねていけると信じるのであれば 、現状を受け入れて残ればよいと思います 。 転職までいかなくても 、 「異動 」という手段で 、カイシャの夢と自分の夢を重ねる方法もあります 。異動すれば 、上司も仕事も変わります 。上司によって期待される 「やるべき 」も違うし 、仕事が変われば 「やりたい 」の合致度も変わってきます 上の方にいくと上司=社長で選択肢無いけどな これだけ情報があふれている社会において 、何も言わなくても誰かがわかってくれるということは期待できません 。情報を発信することは 、共感する人を呼んでくるための基本戦略です 埋没する人がやりがちなのは 、世の中ですでに一般的になってしまった指標ばかりを追いかけ 、偏差値的発想でスキルを伸ばそうとすることです 英語が得意でもないのに英語ばかり勉強するとか いかにユニ ークさを出すか 。一つの鍵は 「掛け算 」の発想です 。 事業の立ち上げを推進していましたが、自由に複業できるサイボウズの環境に魅力を感じ、転職してきました。 最初にイノベ ーションを経済学用語として使い始めたのはヨ ーゼフ ・シュンペ ータ ーだと言われています 。彼が初期に書いた著作では 、イノベ ーションではなくドイツ語の 「 n e u e K o m b i n a t i o n 」という言葉が使われていました 。日本語に直訳すると 「新結合 」となります 。 「これとこれを結合すると 、今までになかった新しい価値になる 」 イノベ ーションとは 、新結合である 。先ほどの 「掛け算 」と似ていると思いませんか 。 スキルを掛け合わせるには 、自分の強み 、売りになるものをまずは一つ 、見つけなければなりません 。自分がモチベ ーション高く取り組めるものであれば 、なんでもよいと思います 。 彼らが 「ニ ーズ 」をどれくらい意識していたかはわかりません 。ただ 、直接お話しした印象で申し上げると 、計算高くニ ーズを判断したというよりも 、人のつながりや自分の心の声に素直に応えていった結果のように感じます 。ニ ーズにとらわれると 、かえって常識に囚われてしまい 、掛け合わせに意外性が出てこなくなるのかもしれません 。 石の上にも三年 」と歯を食いしばって一つのことを頑張っても 、残念ながら昔ほど評価されない時代が来ています 。そうであれば 、一つのことに固執するよりも 、自分の心の声に素直に耳を傾け 、様々なことにチャレンジし 、それらを掛け合わせ 、ユニ ークな自分を作り上げていくほうがいい 実際 、社会に出てみると気づきますが 、自分の不得意なことをわざわざ仕事にしたりしません 。それぞれの 「得意 」を生かして仕事をするのです 。 そして 、もっとチ ームワ ークについて教えるべきだと思います 。日本の教育は基本的に個人戦を強いています 。どのテストも一人で受けます 。横の人と協力してテストの解答を作ったりしません 。多くの仲間と役割分担をしたり 、自分の得意なところに集中したりといったチ ームワ ークの機会は限られています 。 ところが 、カイシャに入った途端 、チ ーム戦をすることになります 。営業 、開発 、人事など 、様々な職種の人たちが連携しながら仕事を進めます 。それまで個人戦しかしてこなかった日本人は 、じつは多様な個性を生かしたチ ームワ ークが苦手です 。 そして何より 、自分らしく生きることは楽しい 。自分のやりたいことを 、相手のやってほしいことと重ね合わせることができれば 、相手も助かるし 、自分も役に立ててうれしい 。 逆に 、フルタイムで働く人しか採用できないカイシャは 、若者や高齢者 、育児や介護で制限のある人たちの力を借りることができず 、少子高齢化に伴う労働人口の減少とともに 、事業を縮小せざるを得ないでしょう 。 私は A社で課長をしていました 」と言ったところで 、市場にとってどれくらいの価値になるでしょうか 。 A社での価値は 、所詮 A社限定のものに過ぎません 。 年功序列から成果主義を飛び越して市場主義へ しかし 、私はこれからの社会では 、成果主義が主流にはならないのではないかと考えています 。 つまり 、過去に出した成果ではなく 、未来に対する期待値で年俸が決められるのです 。 う。あなた��カイシャの代表は、そのことに気づいていますでしょうか。 従業員の数が多いことを自慢する経営者がよくいらっしゃいます 。 「うちは 、これだけ多くの雇用を作り出している 。日本の雇用を支えている 」と言って 、とても誇らしげです 。しかし 、本当に誇らしいことなのでしょうか 。 少子高齢化が進む日本は 、今後 、慢性的な人手不足になることが予想されています 。つまり 、あるカイシャが 「たくさん雇用する 」ことは 、他の様々なカイシャの採用活動の妨げとなります 。よかれと思ってたくさんの人を雇用しているにもかかわらず 、他のカイシャにとって 、また社会全体にとっては迷惑行為になる可能性もあるのです 。カイシャが生み出す価値が同じであれば 、従業員数は少ない方が 、周囲にとってはありがたいとも言えます 。 なるほど、この発想はなかった。本は読んでみるものだね。 これからはスキルを掛け合わせる時代です 。副業を禁じるような会社に勤めることは 、スキルを磨く上で大きなリスクになります 。 さらに一つ予想をしておきます 。今まで 「雇用を増やしている 」ことを社会貢献だとアピ ールしてきたカイシャが 、これからは手のひらを返したように雇用を減らしていく 、という予想です 。 雇用には 「すごい雇用 」と 「すごくない雇用 」がある 優秀な人を採用するのが 、 「すごくない雇用 」 。 えっ?と意外に思う一文。 これは誰でもできることです 。ここでいう 「優秀 」とは 、どのカイシャでも通用する高いスキルがあるとか 、たくさん稼いだ実績があるとか 、健康でフルタイムで働いてもらえるとか 、賢くて何をやらせてもすぐ上達しそうとか 、どこのカイシャでも欲しがりそうな人のことを指します 。 こういう人を雇用するのは 、ある意味でリスクが小さい 。マネジメントが楽だし 、放っておいてもそれなりに活躍してくれそう 。 では 、 「すごい雇用 」とは何でしょうか ?それは 、 「他のカイシャでは採用されない人 」とか 、 「制限が多い人 」とか 、 「採用するのに勇気がいる人 」を採用することです 。 制限のある人たちを生かすには 、高いマネジメント力が必要です 。 社会全体のことを考えてそういう人を活かす雇用に価値があるという論はわかるが、自社の利益を追求するならわざわざマネジメント負荷が高い人を雇うメリット薄いよね。 社会という観点から雇用を考えるのであれば 、雇用の中身を見ていくべき まあ企業は社会の公器とはいうけども。 今までは 、経営者にとって使いやすい 「優秀 」な人だけが優遇され 、制限のある人たちは放置されてきました 。女性や高齢者 、障害者などを無理に活用しないほうが有利に戦えたのでしょう 。 少子高齢化による人手不足など社会的な状況が変わってきたことで 、 「すごくない雇用 」をしているカイシャは 、むしろ厳しい状況に追い込まれつつあります 。 ちょっと違うと思う。二極化していて、ごく一部の会社だけが優秀な人を雇える。 フラスコ理論は 、多様な個性を生かしてカイシャを経営するためのメソッドです 。 その仕掛けとしてのハブ ・オフィス 。オフィスにこそカイシャのお金をしっかり使って 、クリエイティブな空間を作り 、化学反応が起き続ける場所を作っていきたいと考えています 。 アドラ ー心理学とサイボウズの共通点とは ? 例えば 、サイボウズでは 「 『みんな 』という言葉を使ってはいけない 」というル ールがあります 。 「みんな 」と一括りにすると 、多様な個性の存在を見落としてしまうからです 。 『嫌われる勇気 』にも 、同様のことが書かれています 。 今日中に必ず意見をまとめてください 」と言われても 、品質の高いアイデアをすぐ出せるとは限りません 。 ところが 、日本の多くのカイシャでは 、 「人間は頑張ればなんとかなる 」という価値観が根強く 、無理をすればどんな困難も乗り越えられると考えがちです 。ですから 、無理をしないと達成できない目標を設定するのが大好きです 。 GMOスピリットベンチャー宣言「我々には解決できる課題しか発生しない」の真逆だな。 化学反応によって新しいアイデアを生み出してトライしようとするわけですから 、既存の活動による目標は下げざるを得ません 。足してほしいのは 、気合や根性による目標数字のストレッチではなく 、今までになかった新しいアイデアとチャレンジです 。 サイボウズでは 、このやり方が定着してきました 。新事業であるクラウドサ ービスがさらに面白い展開になるように 、様々なアイデアを出してトライしていくことが最優先です 。すると 、既存のパッケ ージ製品の事業目標は下げざるを得ません 。無理をせず 、限られたリソ ースの中から達成可能な数字を現場感覚で設定します 。 も、現場に心の余裕を持ってもらい、化学反応を起こすことにモチベーションを高めてもらうほうが効率的だと 量の経営 社会の確実性が下がって 、先に何が起こるか読みにくくなっているのですから 、実験的アプロ ーチに切り替えたほうがいい 。 誰でも経験があるかと思いますが 、人の意見に耳を傾けられなくなったとき 、成長は止まります 。 その通り。 自分にとって都合の悪い意見 、厳しい意見と正面から向き合うとき 、自分の思考が活性化され 、自分自身の考え方に磨きがかかり 、飛躍的な成長を遂げることがあります 。 そして 、学びの早さは 、視点の高さへとつながります 。 様々な人から学べる人は 、視点が高くなり 、それまで思いつかなかったアイデアが湧いてきます 。 「楽しい 」とは 、楽園のような職場という意味ではありません 。食べ放題 、飲み放題 、遊び放題 。ハンモックに揺られてゲ ーム三昧 。毎日そんな楽園に行きたいですか ?私には無理です 。楽園はときどき行くから楽しめます 。 カイシャが職場として提供できる楽しさとは 、仲間と同じビジョンに向かう一体感 、個性を生かした貢献 、そしてお互いの感謝 。活動が顧客の喜びを生むとともに 、その先にある社会貢献への広がり 。それらがカイシャという仕組みを生かして得られる 「楽しさ 」だと思います 。 日本の大企業は 、世界の中小企業に過ぎません 。 日本企業は残念ながら四〇位まで見ても一社も入っていません 。 私たち人間は 、人工知能が思いつかないような 、新しい 「やりたい 」ことを見つけ出す必要があるのです 。自分の心の欲求に従って 、やりたいことに邁進できる人が必要なのです 。 今からが人生の勝負です 。どうぞ残りの人生を最大限 、楽しんでいきましょう 。 残念ながら 、既得権益を持った大企業の変化は遅いと言わざるを得ません 。大企業が変わってくれることを 、首を長くして待ち続けるのは 、今の時代にあまりにもったいない この問題は数十年にわたって議論されており 、国連から何度も改善勧告を受けているにもかかわらず 、国会議員は立法を怠ってきました 。 そうなのか、知らなかった。おれが小学生くらいの頃から夫婦別姓の議論てあったよな。 会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。 作者:青野 慶久発売日: 2018/03/09メディア: Kindle版
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xf-2 · 6 years
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ペンス副大統領の中国政府政策に関するコメント、Google翻訳です。
変なところもありますが、海外ニュースでは「中国への最後通牒」とか言われてるのに、日本の新聞がつまみ食いでしか報道していないので、ここにはっ付けておきます。10分程度で読めます。1万文字。
↓原文 
https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/remarks-vice-president-pence-administrations-policy-toward-china/  発行日:2018年10月4日 menuALL NEWS ハドソン研究所 ワシントンDC。 11:07 A.M. EDT 副会長:Kenさん、ありがとうございました。理事会のメンバー、Dr. Michael Pillsbury、私たちの著名なゲスト、そしてこの場所でのあなたの使命に真実である、「未来的な方法で未来を考えてください」 - それは名誉ですハドソン研究所に戻る この研究所は、半世紀以上にわたり、「世界の安全保障、繁栄、自由の育成」に専念してきました。ハドソンの故郷は長年変わってきましたが、常に変わったことはありません。アメリカ人のリーダーシップが光ります。 そして今日、リーダーシップについて言えば、私は、アメリカ国内のリーダーシップの偉大なチャンピオンである国内外のリーダーシップの挨拶から始めることができます。私は第45代米国大統領、ドナルド・トランプ大統領から挨拶を取ります。 (拍手。) この政権の早い段階から、トランプ大統領は中国と大統領のXiとの関係を優先させました。昨年4月6日、トランプ大統領は西大統領を3月に迎え入れたことを歓迎しました。去年の11月8日、トランプ大統領は中国の指導者が暖かく歓迎した北京を訪れました。 過去2年間に、大統領は中華人民共和国大統領との強い個人的関係を築き、共通の関心事、最も重要なことに、朝鮮半島の非核化問題について緊密に協力してきました。 しかし、アメリカ人は、政治的、経済的、軍事的なツールやプロパガンダを使って政府のアプローチを採用し、その影響力と利益を高めることを知っておく必要があるため、私はあなたの前に来ます米国への利益。 中国はまた、これまで以上に積極的な方法でこの権力を適用し、影響力を行使し、この国の国内政策と政治を妨害している。 トランプ大統領のリーダーシップの下で、米国は、アメリカの行動で中国に対応するための決定的な行動をとって、これらのホールで長く提唱された原則と政策を適用した。 トンプル大統領が去年12月に発表した国家安全保障戦略では、「大国の戦い」という新たな時代を描いた。外国の国々は、「地域や世界の影響力を再確認する」ようになってきており、米国の地政学的優位性を強調し、国際秩序を変えようとしている」と述べた。
この戦略では、トランプ大統領は、米国が中国に対して新しいアプローチを採用したことを明確にした。私たちは、公平、相互主義(reciprocity)、主権の尊重に基づいた関係を追求し、その目標を達成するために強力かつ迅速な行動を取ってきました。 大統領が昨年、中国を訪れた際に言いましたように、「両国の関係を強化し、市民の生活を改善する機会があります」と述べています。将来のビジョンは、私たちの過去、アメリカと中国が開放感と友情の精神でお互いに出会った時代。 私たちの若い国家は、革新的な戦争の結果、輸出のための新しい市場を探し求めた時、中国人民は朝鮮人参と毛皮を積んだアメリカの貿易業者を歓迎しました。 中国がいわゆる「屈辱の世紀」の間に侮辱や搾取によって苦しんでしまったアメリカは、中国と自由貿易を持ち、主権を守るために加盟を拒否し、「開放扉」政策を提唱した。 アメリカの宣教師が中国の海岸に良い知らせをもたらしたとき、彼らは古くから活気のある人々の豊かな文化に動かされました。そして、彼らは信仰を広めただけでなく、中国の最初で最高級の大学を創設しました。 第二次世界大戦が起こったとき、私たちは帝国主義との戦いにおいて同盟国として立ち上がった。そして、その戦争の余波の中で、米国は、中国が国連の創立メンバーとなり、戦後の世界の偉大な作り手となったことを保証しました。 しかし、1949年に権力を掌握した直後、中国共産党は権威主義的な膨張主義を追求し始めた。朝鮮半島の山々や谷間で戦ってから5年しか経っていないと思うのは驚くべきことです。私の父はその自由のフロンティアで戦闘を見た。 しかし、残忍な朝鮮戦争でさえ、長い間国民を結びつけてきた絆を取り戻すという我々��相互の希望を弱めることはできません。中国の米国からの疎遠は1972年に終了し、すぐに外交関係を再確立し、経済を互いに開放し始め、アメリカの大学は新世代の中国のエンジニア、ビジネスリーダー、学者、役人の訓練を開始した。 ソ連の崩壊後、私たちは自由な中国が避けられないと仮定しました。 21世紀に入って楽観論を持ち、米国は北京に経済を開放することに合意し、中国を世界貿易機関(WTO)に導いた。 これまでの政権は、中国の自由が、古典的自由主義、私有財産、個人的自由、宗教上の自由、家族の全面的な尊重など、あらゆる形で拡大することを望んでこの選択をしました。人権。しかし、その希望は満たされていません。
Deng Xiaopingの有名な政策は今や空洞化している。
過去17年間、中国のGDPは9倍に成長してきました。それは、世界第二位の経済大国となっています。..この成功の多くは、中国のアメリカの投資によって駆動され、中国共産党も、一貫性のない政策の武器庫を使用しています関税、クォータ、通貨操作など、自由で公正な貿易、で、技術移転、知的財産の盗難、および外国からの投資にキャンディーのように配られ、産業補助金強制これらのポリシーは、競合他社を犠牲にして、北京の生産拠点を構築しています。 - - 特にアメリカ。
社長トランプとして、当社のグローバルな貿易赤字の半数近くは、彼の言葉には、ちょうどこの週述べ、最後の25の上に、「我々は中国の再建」 - 。中国の行動は、昨年は$ 375億実行されたことを米国との貿易赤字に貢献してきました年。
さて、「中国2025年に作られた」計画を通じて、共産党はロボット工学、バイオテクノロジー、および人工知能など、世界で最も先進的な産業の90パーセントを制御するに照準を設定している。21世紀経済の指揮の高さを獲得するには、北京は、官僚や企業に対し、必要な手段でアメリカの知的財産、つまり経済リーダーシップの基盤を得るよう指示しました。
北京は現在、中国でビジネスを行うための費用として、その営業秘密を引き渡すために、多くの米国企業が必要となる。また、彼らの作品の所有権を得るために米国企業の買収を調整し、後援。すべての最悪、中国のセキュリティ機関が卸売盗難を首謀していますアメリカの技術の - 最先端の軍事青写真を含めそして、その盗まれた技術を使用して、中国共産党は、大規模に剣に鋤を回します。..
中国は現在組み合わせる他のアジア諸国との軍事上のできるだけ多くを費やし、そして北京は、土地の上にアメリカの軍事的優位を浸食する能力を優先しており、海で、空気中で、スペースインチ中国は米国をプッシュするよりも何もしたくありません西太平洋からアメリカを奪い、私たちが同盟国の援助を受けないようにしようとしますが、失敗するでしょう。
北京はまた、中国船が日常日本で投与される尖閣諸島、周りを巡回している。これまでにないようなそのパワーを使用している。そして、中国の指導者は、2015年にホワイトハウスでバラ園に立って、彼の国が持っていたことを言った、としながら、私が引用します、「militarizeする意図は」南シナ海は、今日、北京は人工島に建設軍事基地の列島の上に高度な対艦および対空ミサイルを配備していません。
中国海軍の船がUSSディケーターの45ヤード以内に来たとき、それはすぐに衝突を避けるために操縦するために、私たちの船を強制的に、南シナ海の自由-のナビゲーション操作を行ったとして、中国の侵略は、このような無謀な嫌がらせにもかかわらず、ディスプレイに今週ました、アメリカ海軍は、帆を飛行し続け、そして国際法が可能になり、私たちの国益を要求どこに動作します。私たちは、脅迫されることはありません、我々はダウン耐えられないだろう。(拍手)
アメリカは、経済の自由化は、私たちとのより大きいパートナーシップをし、世界と中国をもたらすことを期待していた。その代わり、中国が今度はその成長軍を勇気づけた経済侵略を選択しました。
私たちが望んでいたように、北京は自国の人々のために大きな自由に向かった。しばらくの間、北京はより大きな自由と人権の尊重に向かっている。しかし近年、中国は自国の民主化と抑圧に向けて急激なUターンを行っている。
今日、中国は比類のない監視状態を構築しており、しばしば米国の技術の助けを借りて、より広範かつ侵入的な状況になっています。彼らが「中国の偉大なファイアウォール」と呼んでいるものは、同様に、中国の人々への情報の自由な流れを大幅に制限して、ますます高くなっています。
そして、2020年までに、中国の支配者は、人生のあらゆる側面、いわゆる「ソーシャル・クレジット・スコア」を支配することを前提としたオルウェリアン・システムを実現することを目指しています。そのプログラムの公式の青写真の言葉で、「信頼できる人はどこでも天下で、不信任者が一歩を踏み出すのを難しくしている」
宗教上の自由になると、中国のキリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒たちに新たな迫害が波及しています。
先月、北京は中国最大の地下教会の一つを閉鎖した。全国的に、当局は十字架を裂き、聖書を燃やし、信者を投獄している。そして、北京は現在、無神論者である共産党にカトリック司教の任命に直接的な役割を果たすバチカンとの契約に達している。中国のクリスチャンにとって、これは絶望的な時です。
北京はまた、仏教を解明している。過去10年間で、150人以上のチベットの仏教徒の修道士が中国の信念と文化の鎮圧に抗議するために火をつけた。そして、新疆では、共産党は、真実の洗脳に耐える政府のキャンプに100万人ものイスラム教徒ウイグル人を投獄している。キャンプの生存者たちは、ウイグルの文化を絞め殺し、イスラム教徒の信仰を打ち消すための北京の意図的な試みとしての彼らの経験を述べている。
しかし、歴史が証明するように、自国の人々を圧迫する国は、そこではほとんど止まりません。そして、北京はまた、より広い世界にその範囲を広げることを目指しています。ハドソン自身のマイケル・ピルスベリー博士が書いたように、「中国は米国政府の行動と目標に反対している。確かに、中国は、北京の平和的あるいは生産的な意図に反する米国の同盟国や敵国との独自の関係を構築している。
実際、中国はいわゆる「債務外交」を利用してその影響を拡大している。今日、その国は、アジアからアフリカ、ヨーロッパ、さらにはラテンアメリカへの政府へのインフラストラクチャーローンに何十億ドルもの資金を提供しています。しかし、これらの融資条件は最高で不透明であり、利益は常に北京に圧倒される。
中国の国営企業が疑わしい商業的価値のある港を建設できるようにするために大規模な借金をしたスリランカに尋ねてください。 2年前、その国はもはや手当てを受けることができなかったので、北京はスリランカに新しい港を中国の手に直接届けさせるよう圧力をかけた。間もなく、中国の青海海軍育成のための軍事基地になるだろう。
私たち自身の半球の中で、北京は、ベネズエラの腐敗した無能なマドゥロ体制に生命線を広げ、自国の人々を圧迫しています。彼らは、油で返済される疑わしいローンで50億ドルを約束した。中国はその国の最大の債権者でもあり、民主化がなくなっても、ベネズエラの人々に500億ドル以上の負債を抱かせている。北京はまた、中国の戦略目標を達成することを約束した当事者と候補者に直接的な支援を提供することによって、いくつかの国の政治に影響を与えている。
昨年だけでも、中国共産党は、中南米3カ国に台北との関係を断ち、北京を認識させるよう説得している。これらの行動は台湾海峡の安定を脅かすものであり、米国はこれらの行動を非難する。そして、私たちの政権は、3つの共同声明と台湾関係法に反映されているように、中国の政策を尊重し続ける一方で、台湾の民主主義の抱擁は、すべての中国人にとってより良い道を示すと常に考えています。 (拍手。)
現在、これらは、中国が強固で洗練された戦略的利益を世界に広げようとしている方法のほんの一部に過ぎません。しかし、これまでの政権はすべて中国の行動を無視した。そして、多くの場合、彼らはそれらを虐待しました。しかし、その日は終わりです。
トランプ大統領のリーダーシップのもとでは、米国は、新たなアメリカの強みを持って、私たちの利益を守ってきました。
私たちは世界の歴史のなかでも最も強力な軍隊をより強くしています。今年の初めに、トランプ大統領は、ロナルド・レーガンの時代からアメリカ軍の強みをあらゆる領域にまで拡大するために、716億ドルという国防の最大の増加を法律に署名しました。
我々は核兵器を近代化している。私たちは新しい最先端の戦闘機と爆撃機を守備し開発しています。私たちは新しい世代の航空会社と軍艦を建設しています。われわれは今までにない軍隊に投資しています。そして、これには、宇宙の支配を継続するために米国宇宙軍隊を設立するプロセスが含まれており、私たちは敵対者に対する抑止力を構築するためにサイバー世界における能力の向上を認める措置を講じています。
トランプ大統領の方向では、中国製品に2500億ドルの関税を課しています。特に、北京が獲得し管理しようとしている先進工業を対象とした最高関税が適用されます。そして、大統領が明らかにしたように、我々は公正で相互的な取引が行われない限り、その数を実質的に倍増させる可能性を伴って、さらに多くの関税を課すであろう。 (拍手。)
これらの活動 - アメリカの強さでの練習 - は大きな影響を与えました。中国の最大の証券取引所は、今年の最初の9カ月間で25%減少した。これは、わが政権が北京の貿易慣行に対して強く立っていたためである。
トランプ大統領が明らかにしたように、我々は中国の市場が苦しむことを望んでいません。実際には、彼らは繁栄してほしいです。しかし、米国は自由で公平で相互に貿易政策を追求したいと考えている。そして私たちは引き続き立って、彼らに求めています。 (拍手。)
悲しいことに、中国の支配者たちはこれまでにその道を踏み出すことを拒んだ。トランプ大統領が強く支持したことに対応して、北京は、大統領、議題、国民の最も大切な理念に対する支持を損なう包括的かつ調整されたキャンペーンを追求している。
ここでは中国の行動を自分で知っていることをお話したいと思います。その中には情報査定から得たものもありますが、その中のいくつかは一般に公開されています。しかし、すべてが事実です。
先ほどお話したように、北京は、影響力を強化し利益を得るために政府全体のアプローチを採用しています。それは、この国の国内政策を妨害し、米国の政治を妨害するために、より積極的かつ強制的な方法でこの権力を採用しています。
中国共産党は、アメリカ企業、映画スタジオ、大学、シンクタンク、学者、ジャーナリスト、地方、州、連邦当局者に報いるか強制する。
そして、最悪の場合、中国はアメリカの世論、2018年の選挙、2020年の大統領選挙につながる環境に影響を与える前例のない努力を始めた。それを鈍くするために、トランプ大統領のリーダーシップは働いています。中国は異なるアメリカ大統領を望んでいる。
疑いの余地はない:中国はアメリカの民主主義に干渉している。先週Trump大統領が言ったように、我々は彼の言葉で、「中国が我々の次期中期選挙に干渉しようとしていることがわかった」
諜報機関は、「中国は米国の州政府と地方自治体および関係者を対象に、連邦政府と地方政府の間のあらゆる部門を政策に活用しようとしている。これは、北京の政治的影響を促進するために、貿易関税のようなくさび問��を利用している」
6月には、北京自体が「宣伝と検閲の通知」と題した重要な文書を回覧した。中国は言い換えれば、合衆国内の異なる国内グループを分裂させて、正確かつ慎重に攻撃しなければならないと述べた。
その目的のために、北京は、アメリカ人の中国政策に対する認識を転換するために隠密俳優、前部グループ、宣伝アウトレットを動員した。私たちの諜報機関のシニアキャリアメンバーが今週ちょうど私に言ったように、ロシア人は中国がこの国を横切って何をしているのかと比較して何をやっていますか。そして、アメリカ人はそれを知っている必要があります。
中国の上級管理職はまた、中国での事業を維持したいという欲求を利用して、貿易行動を非難するよう、ビジネスリーダーに影響を与えようとした。最近の一例では、中国は、米国の大手法人の事業免許を否定すると脅した。
また、中間に影響を与えることについては、我々の対応に応じて北京の関税を見るだけでよい。これまでに中国が課した関税は、2018年の選挙において重要な役割を果たす産業と州を特に対象とした。中国をターゲットとする米国の郡の80%以上が、2016年にトランプ大統領とIに投票し、現在、中国はこれらの有権者を我々の政権に向かわせたいと考えている。
中国は米国の有権者にも魅力的です。先週、中国政府は、デモイン登録簿に複数の補足物を挿入するために支払った - 中国大使の本国の記録であり、2018年と2020年の重要な州である。ニュース記事は、われわれの貿易政策を無防備で、アイオワンに有害なものにしている。
幸いにも、アメリカ人はそれを購入していません。たとえば、アメリカの農家はこの大統領と立っており、今週の米メキシコ - カナダ協定をはじめ、米国のマーケットへの北米市場を大幅に開放したことを含め、彼が取った強力な立場から実際の結果を見ている。 USMCAは、アメリカの農家やアメリカの製造業者にとって大きな勝利です。 (拍手。)
しかし、中国の行動は、私たちの政策や政治に影響を及ぼすだけではない。北京はまた、経済的活用と大市場の魅力を利用して、アメリカ企業への影響力を高めるための措置を取る。
北京は現在、企業内で「党組織」と呼ばれるものを確立するために中国で活動する米国の合弁企業を必要とし、共産党に雇用と投資の決定に声明を表明します。
中国当局はまた、台湾を別個の地理的実体として描写している米国企業や、チベットに関する中国の政策から逸脱している米国企業を脅かしている。北京はウェブサイト上で台湾を「中国の省」と呼んでいないことを公に謝罪するよう、デルタ航空に強要した​​。そして、それは単にチベットについてtweetを好んだ米国の従業員を解雇するためにマリオットに圧力をかけた。
そして、北京は、ハリウッドが中国を厳しく肯定的に描写するよう、日常的に要求している。それはスタジオとプロデューサーを罰します。北京の検閲官は、中国を批判する映画を編集するのは簡単ではない。映画「World War Z」のために、彼らは中国で起きたのでウイルスの言及を切らなければならなかった。映画「レッド・ドーン」はデジタルで編集され、中国人ではなく北朝鮮人になった。
しかし、ビジネスとエンターテイメントを超えて、中国共産党もまた、米国と、率直に言って世界中の宣伝拠点に何十億ドルも費やしている。
中国ラジオ・インターナショナルは現在、30以上の米国のアウトレットに、北米に優しいプログラムを放送しています。中国のグローバル・テレビジョン・ネットワークは、7,500万人以上のアメリカ人に達しており、共産党の巨匠から直接行進命令を受けています。中国の最高指導者がネットワーク本部への訪問中にそれを載せたので、私は言います。「党と政府が運営するメディアは宣伝の面であり、党を姓として持たなければなりません。
それは、先月、司法省がそのネットワークに外国の代理人として登録するよう命じた理由とその現実のためです。
共産党はまた、深く憂慮しているアメリカのジャーナリストの中国家族を脅し、拘束している。そして、それは米国のメディア組織のウェブサイトを妨害し、私たちのジャーナリストがビザを取得するのをより困難にしました。これは、ニューヨークタイムズ紙が一部の中国の指導者の富についての調査報告を発表した後に起こった。
しかし、中国共産党が検閲の文化を育てようとする唯一の場所ではない。学界全体でも同様です。
つまり、アメリカのキャンパスには150以上の支店がある中国学生と奨学生協会だけではありません。これらのグループは、米国で勉強している43万人以上の中国国民のための社会行事を組織するのに役立ちます。また、中国人学生やアメリカの学校が共産党から逸脱したときに、中国領事館や大使館に警告する。
メリーランド大学では、中国の学生が最近彼女の卒業式で講演し、アメリカでは「自由な言論の新鮮な空気」と言いました。共産党の公式新聞は速やかに彼女を懲らしめた。彼女は厳しく管理された中国のソーシャルメディアに対する暴力の犠牲者となり、家族の家には嫌がらせを受けた。大学自体については、中国との交流プログラムが急激に洪水から洪水に変わった。
中国は他の方法でも学問的な圧力をかけている。北京は、共産党が危険または不快に思う考えを避けることを理解して、大学、シンクタンク、学者に寛大な資金を提供している。中国の専門家は、特に、彼らの研究が北京の話し合いの点と矛盾する場合、彼らのビザが遅れたり拒否されることを知っている。
また、ハドソン研究所が直面しているように、中国の資金援助を避ける学者や団体でさえ、その国が対象としています。あなたが北京が好きではないスピーカーを主催するように申し出た後、あなたのウェブサイトは上海から発せられた大きなサイバー攻撃を受けました。ハドソン・インスティテュート(Hudson Institute)は、中国共産党が学術の自由とアメリカでの言論の自由を損なうことを、今日より多く知っています。
これらの行為やその他の行為は、アメリカの世論と政策をドナルド・トランプ大統領の「アメリカ第一の」指導力から切り離す努力を強めている。
しかし、中国の支配者への私たちのメッセージはこれです:この大統領は退くことはありません。 (拍手)アメリカ人は揺れることはありません。北京との関係改善を望んでいるにもかかわらず、我々は安全保障と経済のために強く立つ。
私たちの政権は、アメリカの利益、アメリカの雇用、そしてアメリカの安全保障を守るために決定的に行動するつもりです。
私たちは軍隊を再建するにつれて、引き続きインド洋全域でアメリカの利益を主張します。
中国の貿易慣行に対応するにあたり、我々は引き続き、自由で公平で相互的な中国との経済関係を求めていきます。我々は、北京が貿易障壁を打破し、義務を履行し、経済を完全に開放することを要求する。
私たちは、アメリカの知的財産の盗難が一旦終わるまで、引き続き北京に対して措置を講じます。北京が強制的な技術移転の略奪的慣行を止めるまで、我々は引き続き強固な立場を保つだろう。私たちはアメリカ企業の私有財産権を保護します。 (拍手。)
また、インドからパトナムへの自由かつオープンなビジョンを��めるため、インドからサモアへの価値観を共有する国家との新たな強力な債券を構築しています。私たちの関係は、支配ではなくパートナーシップに基づいて構築された尊敬の精神から流れます。
我々は、二国間ベースで新たな貿易取引を鍛造している。先週のトランプ大統領が韓国との改善された貿易協定に署名したのと同じ��うに、日本との二国間の自由貿易協定の歴史的交渉をすぐに開始する。 (拍手。)
また、国際開発金融プログラムを合理化していることを報告して嬉しいです。私たちは、外国の国々に、中国の債務トラップ外交に対する公正で透明な代案を与えるつもりです。実際、今週、トランプ大統領はBUILD法を法律に署名する予定です。
来月、シンガポールとASEANとAPECのパプアニューギニアで米国を代表することは私の特権です。そこでは、私たちは、自由でオープンなインドパシフィックを支援するための新しい措置とプログラムを発表する予定です。そして、大統領を代表して、私はインド太平洋へのアメリカのコミットメントが一度も強くなかったというメッセージを伝えます。 (拍手。)
私たちの利益を守るために、私たちは最近、外国投資委員会であるCFIUSを強化し、北京の略奪行為から国家安全保障を保護するための中国への中国投資の監視を強化しました。
また、北京の悪影響やアメリカの政治や政策への干渉については、形式にかかわらず、引き続き公開する予定です。私たちは国益を守り、理想を大切にするために、あらゆるレベルの社会のリーダーと協力していきます。アメリカ人は決定的な役割を果たすでしょう - そして、実際にはすでに存在しています。
私たちがここに集まるにつれて、新しい合意がアメリカを超えて上昇しています。さらにビジネスリーダーは次の四半期を越えて考えており、知的財産権を譲渡したり、北京の抑圧を煽ったりすることを意味するならば、中国市場に潜入する前に2度考えている。しかし、それ以上のものは従わなければならない。例えば、Googleは、共産党の検閲を強化し、中国の顧客のプライバシーを侵害する「Dragonfly」アプリの開発を直ちに終了する必要があります。 (拍手。)
恐れや賛成なく真実を報告するジャーナリストが増えているのを見て、中国が私たちの社会をどこに妨げているのか、そしてその理由を深く掘り下げて調べることは素晴らしいことです。そして、アメリカとグローバルなニュース組織がこの取り組みにますます増え続けることを願っています。
学者の多くは強制的に学問の自由を宣言しており、大学やシンクタンクの多くは、すべてのドルに対応する需要があることを認識し、北京の簡単なお金を払拭する勇気が必要です。そして彼らの階級が成長すると確信しています。
そして全米では、米国の人々は、政府の行動と、米国と中国との経済的および戦略的関係を再設定する大統領のリーダーシップに対する新たな感謝の気持ちで、慎重に成長しています。アメリカを先頭に立てている大統領の後ろにはアメリカ人が強い。
そして、トランプ大統領のリーダーシップの下で、私はあなたを保証することができます、アメリカはコースを維持します。中国は、アメリカ人と両当事者の選出された当局者が解決されたことを知るべきである。
私たちの国家安全保障戦略は次のように述べています。「競争は必ずしも敵意を意味するわけではない」、あるいはそうする必要があります。大統領は明らかに、我々は、繁栄と安全保障が一緒に成長する北京との建設的な関係を望んでいる。北京はこのビジョンからさらに遠ざかっているが、中国の支配者は何十年も前にこの関係の始まりを特徴づける改革開放の精神に変わり、コースを変えることができる。アメリカ人は何も望みません。中国の人々はそれほど価値がない。
偉大な中国語ストーラーの魯迅(Lu Xun)は、しばしば彼の国は、「外国人を野蛮人として、あるいは聖人として見ている」と書いているが、決して「同等」ではないと嘆いている。中国。そしてすぐに、北京は、言葉ではなく、アメリカに対する新たな敬意をもって行動してくれることを願っています。しかし、中国との関係が公平、相互主義、そして主権の尊重に根ざしされるまで、我々は寛容にならないだろう。 (拍手。)
「人間は現在しか見ることはできませんが、天は未来を見ます」という古代中国の諺があります。私たちが進むにつれて、決意と信仰によって平和と繁栄の未来を追求しましょう。トランプ大統領のリーダーシップとビジョン、そして彼が中国大統領と偽造した関係における信仰。アメリカ人と中国人との永続的な友情を信じる。そして、天が未来を見る信仰 - そして神の恵みによって、アメリカと中国はその未来を一緒に満たすでしょう。
ありがとうございました。神のお恵みがありますように。そして、神はアメリカを祝福します。 (拍手。)
終わり
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