Tumgik
#九十九里町
maturium · 2 years
Link
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
chikuri · 8 months
Text
関東大震災時の朝鮮人犯罪の報道禁止(事態の鎮静化の為)から45日後に精査検証を経て発表された、朝鮮人の多数の凶悪犯罪とテロ活動について、今朝の小坂の書き込みの資料です。
 記事の一部になりますが、是非、じっくりとお読み下さい。
 こうした事実が現場に有ったことを我々は忘れてはなりません。
(以下、画像とテキストは神戸大学新聞記事文庫から引用です。東京時事新報大正12年10月22日の記事です)
 関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
 翻刻九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない
掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた
放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した
婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順 避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
 九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団 柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明
掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した
放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲
強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走
少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した
Tumblr media
荒川区議 小坂英二 / X
17 notes · View notes
moko1590m · 8 months
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ダウンフォール作戦(ダウンフォールさくせん、英語: Operation Downfall、没落作戦[要出典])は、太平洋戦争時のアメリカ軍やイギリス軍を主力とする連合国軍に���るハーグ条約違反であるサリン等の化学兵器・生物兵器・原爆の使用を前提とした 日本本土上陸計画の作戦名である。作戦実施前に日本が降伏したため、この計画は中止された。 ダウンフォール作戦は、1945年11月実施を前提に計画された「オリンピック作戦」と、1946年春に実施を前提に計画された「コロネット作戦」に分かれており、オリンピック作戦では九州南部を占領し、コロネット作戦では関東平野の占領を目的としていた。仮にこの作戦が実行されていたなら、1944年6月に行われたノルマンディー上陸作戦を遥かに超える史上最大の水陸両用作戦となった[7][8]。
オリンピック作戦
オリンピック作戦は九州南部への上陸作戦であり、目的は関東上陸作戦であるコロネット作戦のための飛行場を含む拠点確保であった[22]。作戦予定日は「Xデー」と呼称され、1945年11月1日が予定されていた。上陸作戦前に重視されたのが、航空戦力の撃滅であった。そのため、アメリカ軍は沖縄戦の戦局の見通しがついた1945年6月には、作戦機を沖縄周辺での任務から、南九州、宮古島、八重山列島への空襲や制空戦闘に振り向けており、日本軍飛行場に加えて高射砲陣地や各種航空関連施設を徹底的に叩いた[23]。同時に、鉄道や道路などの交通インフラの破壊も重視された。
コロネット作戦
同作戦は後に最終調整が行われず複数の作戦計画が存在していた。 各案に共通するのはオリンピック作戦で得られた九州南部の航空基地を利用し、関東地方へ上陸する点であり、上陸予定日は『Yデー』と呼ばれ、1946年3月1日が予定されていた。コロネット作戦は洋上予備も含めると25個師団が参加する作戦であり、対日作戦で最大の上陸作戦となる予定であった。上陸地点は相模湾の湘南海岸(相模川沿いを中心に北進し、現相模原市・町田市域辺りより進路を東京都区部へ進行する計画予定)と九十九里浜から鹿島灘沿岸にかけての砂浜海岸が設定され、首都を挟撃することが予定されていた。相模湾には第8軍、九十九里浜には第1軍が割り当てられていた。この内主力は相模湾に上陸する第8軍でYデイ初日に投入される兵力は後方支援要員も含めて301,104人と、九十九里浜に上陸する第1軍の241,326人を上回っていた[47]。
(ダウンフォール作戦 - Wikipediaから)
13 notes · View notes
kennak · 1 month
Quote
15日午前0時14分ごろ、福島県沖を震源とする地震があった。最大震度5弱、マグニチュード5・8と推定される。 千葉県内の各地の震度は次の通り。 ▼震度2=東金市、旭市、香取市、山武市、神崎町、多古町、芝山町、千葉中央区、千葉花見川区、千葉稲毛区、千葉若葉区、千葉美浜区、市川市、船橋市、松戸市、野田市、成田市、千葉佐倉市、習志野市、柏市、市原市、流山市、八千代市、鎌ケ谷市、浦安市、四街道市、八街市、印西市、白井市、富里市、栄町 ▼震度1=銚子市、匝瑳市、東庄町、九十九里町、横芝光町、一宮町、長南町、千葉緑区、我孫子市、酒々井町、館山市、木更津市、鴨川市、君津市、富津市、鋸南町
【速報】最大震度5弱の地震 震源は福島県沖 千葉県は東金、千葉市など震度2(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース
4 notes · View notes
rosysnow · 4 days
Text
ハニーライフ
Tumblr media
 たぶん、もう半年も残っていないでしょう。
 闘病してきたおばあちゃんの余命宣告は、あたしが一番最初に受けた。力が抜けて椅子を立てない。そんなあたしを、看護師さんが労わりながら立たせてくれた。
 廊下の長椅子に移っても、なおも茫然としていた。待合室の雑音と、消毒液の匂いに、意識がゆらゆらしている。
 おばあちゃんには、半年も残っていない。
 こみあげた涙をこらえる。両親に連絡しなくては、とやっと気がついた。一応、グループでなく個別のトークルームに、『おばあちゃんのことで話がある』とメッセを送る。でも、相変わらず仕事がいそがしいのか、だいぶ待ってみたけど既読すらつかない。
 こんな両親だから、あたしを育ててくれたのは、おばあちゃんだった。おじいちゃんは、あたしが生まれる前に亡くなっている。もう一方の父方の祖父母は、あたしが母方であるおばあちゃんにばかり懐くので、次第に疎遠になった。
 窓からの七月の夏陽がかたむき、病院のひんやりと白い壁は、暖かみのあるオレンジに染まっている。その夕射しにこもった熱に、軆は汗ばみかけている。
 入院生活が長くなったおばあちゃんは、最期の時間は、家で過ごしたいと言っていたっけ。「でも、玖鈴に介護なんかさせるのもねえ」と目をくしゃっとさせて苦笑していた。
 あたしはスニーカーの爪先を見つめていたけど、おばあちゃん本人に言わなきゃいけない、と思った。どうにか膝に力をこめて、その場を立ち上がる。そして、もう一度先生と話ができるか、通りかかった看護師さんを呼び止めた。
 おばあちゃんは、自分の余命宣告を飄々と受け止めた。「ホスピスでも行きますかねえ」なんて言うから、「何で? うちで過ごしなよ」とあたしは割って入った。おばあちゃんの痩せて皺だらけの顔に、わずかにとまどいが浮かんだ。
「でも、久里子も錫也くんも、おばあちゃんの介護なんて──」
「あたしがするよっ。大学なんて休学すればいい」
「……あのねえ、そんなこと簡単に、」
「あたしだって、おばあちゃんときちんと過ごしておきたい」
 おばあちゃんはあたしを見て、困ったようなため息をついた。例の女医の先生は、介護士さんや訪問サービスなどの力も借りながら、おばあちゃんが望むように過ごしていいと諭した。
「おばあちゃんは、あたしと過ごすの嫌かな」
 あたしがしゅんとうつむいてしまうと、「……バカなこと言って」とおばあちゃんの声が涙ぐむ。
「玖鈴がいいよ。最後は、玖鈴と過ごしたい」
 ──両親がおばあちゃんの余命を知ったのは、翌日になってからだった。おまけに、おばあちゃんの希望も聞かずに、ホーム行きに���ようとした始末だ。あたしがおばあちゃんの意思を伝えると、「ほぼ寝たきりの人だぞ」「プロに任せたほうがいいわよ」と情のかけらもなく言った。
「ヘルパーさんの力を借りないとは言ってない。寝たきりになったら他人なの? 死ぬ前のお願いも聞いてあげないの?」
 あたしに睨めつけられ、両親は厄介そうな面持ちを隠さなかったけど、「おばあちゃんとも話そう」とようやく譲歩した。おばあちゃんは、昨日あたしには弱気だったくせに、両親には「私は帰りますよ、自分が選んだ場所で死にますから」と我を張っていた。
 そんなわけで、長らく病院生活だったおばあちゃんが、久々に一軒家の自宅に帰ってきた。ほとんどベッドに横たわっているけど、精神的にはゆったりできているようだ。
 大学に休学届を出したあたしは、おばあちゃんの食事、着替えやお風呂を手伝った。おむつもやる気だったけど、素人では手際が悪くて、ヘルパーさんに手伝ってもらった。
 おばあちゃんの病状は、当然ながら良くなかった。けれど、さいわい認知症は出ていなかったので、ベッドサイドに腰かけたあたしと、想い出話を楽しんでくれた。
 幼稚園の送り迎え。よく一緒に作ったホットケーキ。お互い気が強くて、わりと喧嘩もしたこと。
「ああ、大人になった玖鈴を見守れないのは寂しいね。どんな男を連れてくるか、楽しみにしてたのに」
 おばあちゃんは窓を向いて、目を細めた。カーテンが残暑の日射しを抑えていても、じゅうぶん明るい。
「玖鈴はいい母親になるよ。だから、元気な子さえ生めば大丈夫」
「……うん」
「今、本当に彼氏もいないの?」
「いないなあ」
「そっか……。こんなかわいい子を放っておくなんて、見る目がない男ばかりだねえ」
 あたしは曖昧に微笑んで、クーラーの風にそよぐ自分のロングヘアに、緩く視線を泳がせた。
 あたしのことを受け止めてくれる人は、本当は、ちゃんとそばにいる。でも、それは家族には、特におばあちゃんには、絶対に言えないと思っている。
 嘘つきだ、あたしは。大切なおばあちゃんに、大切な人の存在がいることを隠して。きっと、すごく罰当たりだ。
 だとしても、打ち明けることがすべてではない場合もあると思う。
 那由多は、あたしがおばあちゃんっ子であることを知っている。というか、那由多があたしのことで知らないことなんて、たぶんない。おばあちゃんの介護が始まって、日中はなかなか会えなくなったけど、夜にはしっかり会っている。那由多は無論おばあちゃんに会ったことはないけど、今、最期を過ごしているのを心配してくれている。
「おばあちゃん、やっぱり、ひ孫に会いたかったのかな」
 彼氏のことを言われた日の夜、那由多の肩に寄り添ったあたしは、そうつぶやいて、甘い桃のお酒に口をつけた。レモンサワーを飲む那由多はうつむき、「ごめんね」とあたしの髪を撫でる。
「え、何で」
「僕が女の軆だから」
 あたしは咲い、「男だったら、まずつきあってないから、那由多はこれでよかったよ」と那由多の白くて柔らかい頬に軽くキスをする。グリーンのメッシュが入ったボブショの那由多も小さく咲って、あたしに寄り添い返す。
 那由多はあたしの五歳年上で、二十五歳だ。社会人として働き、このワンルームを借りて暮らしている。室内は雑然としているけど、けして汚部屋ではなく、あたしにとっても居心地がいい。
 この部屋で、こうして那由多の温柔を感じていると、生きててもいい、とあたしは自分を許すことができる。
 那由多と知り合ったのは、六年前だ。あたしは十四歳、那由多は十九歳だった。知り合ったきっかけはネット。SNSではなく、近年ではめずらしく掲示板だった。
 お互いを「相手」に決めたのは、隣り合った町に住んでいて、合流しやすかったから。あたしと那由多がアクセスしていた掲示板が置かれていたのは、一緒に死んでくれる人を見つけるための場所、いわゆる自殺サークルのサイトだった。
 あたしたちは、一緒に死ぬつもりだった。メールを交わしながら、身の上話はしなかった。相手のことは、深く知らないほうがいいと最初に決めておいた。
 なのに、いざ顔を合わせて、那由多が裏ルートで購入した青酸カリの小瓶を取り出して、でも沈黙したままふたを開けられずにいるうち、死にたくなるほどの理由から、今までのろくでもない人生を、とめどなく吐き出し合っていた。
 あたしは、同性にしか恋ができなかった。男の子とは、どんなに仲良くなっても友達でしかない。親友だからと思ってカムした同級生の男の子は、あたしの話に表情をゆがめ、「俺は玖鈴が好きなのに」と言って無理やりのしかかってきた。
「エッチしたら、これが普通だって分かるから」
 セーラー服と学ランを着たまま、あたしをつらぬいた彼はそう言って、息を荒くして中に出した。内腿に血が流れて、どろりと白濁と絡みあって流れる。
「ね、俺のこと、好きになったでしょ?」
 彼は恬然とした笑顔で、そう問うてきた。あたしは急にせりあげた嫌悪感で、その頬を引っぱたいた。押しのけて逃げ出して、家まで走りながら、どうしよう、と泣き出した。
 あたし、妊娠したかもしれない。だとしたら、ひとりぼっちで生むより、誰かに話して堕ろすより、一刻も早く子供もろとも死ぬしかないと思った。
 那由多も女の子に惹かれる人だ。それと、自分の性別が分からない人だった。女じゃないなら男、なんて単純なものではないらしい。男女の中間でもないし、男であり女でもあるという感覚もない。しいて言えば、どちらでもないというのが一番しっくり来る。
 それは自分の正体がつかめないようで、ひどい恐怖をともなった。女の子とつきあっても、自然と自分が「男役」になっているのがすごく気持ち悪かった。服装はラフが好みで、フリルやレースは着たくないのだけど、「男」に分類されても違和感しかない。
 男じゃない。女でもない。性そのものがない。まるで幽霊みたい。そんな自己を抱えて過ごしていくなら、生きることをやめてしまおうと那由多は決めた。
 気づいたら、ふたりともしゃくりあげるほど泣いていて、強く手を握り合っていた。「もう生きたくないよ」と言いながらも、「このまま死にたくない」とも言っていて、すがりつくように抱きしめあった。那由多はあたしの頭を撫で、あたしは那由多の軆にしがみついた。
「初めて……こんなに、自分のこと話した」
「ん……僕もだよ」
「聞いてくれて、ありがと」
「ううん、こっちこそ」
 那由多の心臓の音が聴こえた。死んだらこの音がなくなってしまうんだと思うと、やっと自分たちが飛びこもうとしていた淵に恐ろしくなった。
「あたし……」
「うん?」
「あたし、那由多さんといられるなら、今までみたいに嘘ついて生きなくていいかもしれない……」
 那由多の服をぎゅっとつかみ、それに応じるように、那由多もあたしを抱く腕に力をこめた。
「僕も、玖鈴ちゃんがそばにいてくれるなら、まだ生きられるかもしれない」
 あたしはぐちゃぐちゃの泣き顔を上げて、「そばにいるよ」と誓うような気持ちで言った。那由多も泣き腫らした瞳であたしを見つめ、「じゃあ」と言葉を選ぶ。
「一緒に、生きてみる?」
 あたしはうなずき、何度もうなずき、那由多の胸に顔をうずめた。那由多はあたしの髪に、濡れた頬を当てる。
「……婦人科は、行かないとね。僕が付き添うよ」
「できてたらどうしよう」
「まだ、それって何日か前だよね。アフターピルあると思うから」
 那由多の柔らかくて温かい腕に守られ、あたしはびっしょりの睫毛を伏せる。優しい心音が、鼓膜からあたしの傷に染みこんでいく。この人があたしのものなら死ななくていい。もっともっと、いつまでも、抱きしめていたい。
 ろくな人生を歩まなかった。そう思ってきたけど、これからそれが変わるなら、あたしは生きられる。ううん、そんなふうに思わないように、あたしは生きていきたい。
 アフターピルも飲んだおかげか、あたしは妊娠しなかった。でも、セックスに対する恐怖心はどうしても残った。那由多は急かすように求めたりしなかった。おかげで、あたしはあたしが那由多が欲しいと思えたとき、やっと那由多と結ばれることができた。
 あたしたちのあいだで、その行為が子供を生み出すことはない。しかし、確かに愛を育んでいると思うのだ。もしもこの愛が老い、朽ちてしまったら、今度こそあたしは、この世を追い出されて土に還る。
 ──おばあちゃんが亡くなったのは、年越し前の冬だった。あたしは、何度か悩みつつも、自分のことを何も伝えなかった。年末におばあちゃんのベッドが撤去され、剥き出しになった青いたたみに寝転がると、これでよかったんだと天井を見つめた。
 受け入れてほしかったなんて、贅沢なことは思わない。いつかあたしが死んで、七色の虹を抜けたあとに、黒い針山を歩く罰を受けたとしても、やはり言わなくていいこともある。
 おばあちゃんの最期をかきみださず、穏やかに見送ることができた。あたしは、それでいい。
 男と結婚して、子を生むことが、「女の幸せ」なんて思わない。女として、しのごの言わずに生きろと言う人もいる。けれど、その声がどんなに大きくても、あたしは那由多と生きていく。それが、あたしにはかけがえのない蜜なのだ。
 おばあちゃんは、無垢な白昼夢に包まれて亡くなった。幸せに眠りつくことができるだろう。
 それを見送れたあたしは、もうこの家庭に未練はない。遅かれ早かれ、荷物をまとめて那由多の元に飛びこむ。
 生み出すことが生きる意味なら、あたしは那由多と愛を生み出そう。生み出すこということは、お腹を痛めて出産する子供だけではない。人によっては、パートナーがいなくてはならないわけでもない。
 ただ、ひとさじでも、甘い蜜がある人生であるように。
 カーテン越しに、窓で冬陽が透けている。おばあちゃんとの最期の日々をゆっくり思い返す。その時間は、白い光がきらきら広がっていて、巣箱から春に飛びこむための勇気になる気がした。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 白昼夢/杉野淳子 『生きる』収録
2 notes · View notes
tutai-k · 9 months
Text
わたしはいつも、まにあわない
先日、注文していた本が届いたから取りに来いと、いつもの書店から電話があった。小学生のころからずっと通っていた地元の本屋は、安定した収入が得られるようになってからは、月給の一割ぶん、かならず本を買うようにしていた。この日もその注文の品が届いたという電話だった。いつものように、「はいはい、行きます」と返事をして、そこで電話が切れるかと思ったら、「今月の末で閉めます」と言われた。 「えっ」という声は出たが、何を言えばいいのかわからなかった。「e-honで頼んである本があるから、また行きます」そう言って、電話を切ってしまった。
外食に行く金があるなら本を買ってくれと言っては親の機嫌を損ねるような子どもで、お小遣いをもらえばすべて本につぎこんでいた。
「なかよし」やコバルト文庫を買いに通った日々。 小学六年生のころ、お年玉で国書刊行会の「黄金の夜明け魔術全書」を買った。「こどもが一万円を超える本を注文するなんて、怒られたらどうしよう」と思いながらした注文はすんなりとできて、一ヶ月後、分厚い箱入りの本が届いた。 そこから興味が広がって、あの頃はまだ背表紙が黄色くなかった河出文庫の『黒魔術の手帖』を買った。あれが、長く付き合うことになる澁澤龍彦との出会いのはじまりだった。 中学生のときには、新聞の書評欄で見た高原英里の『無垢の力』を注文した。この本が紹介している本を全部読もう、と注文できる本は全部注文し、やっぱりそこから興味が広がって――森茉莉の『薔薇食い姫/枯葉の寝床』の講談社学術文庫を取り寄せてもらったとき、1000円を超える「文庫本」が存在することに衝撃を受けた。いまでは文庫も1000円を超えるのが当たり前だけれど、当時は4~500円で買えたのだ。 十代半ばは、熱心に投稿をしているころでもあった。コバルト本誌に詩や小説を投稿していたから、投稿作が採用されているかどうかをたしかめにもかよっていた。自分の作品や名前が載っているコバルト本誌を買って帰るとき、いつも、「いつか小説家になって、この書店にも本が並ぶのだ」と思っていた。
車、カメラ、服飾品、三ヶ月に一度のアフタヌーンティ……それなりのものに金を使ってはきたけれど、わたしは、人生でいちばんなにに金を使ったか、それも「どこに」金を使ったかと聞かれれば、きっとこの書店に違いない。それくらいに、とにかくここで本を買いつづけてきた。 生活費を除く可処分所得のほとんどが、この書店で買う本に変わった。
地方の書店で本を注文して届けてもらうと、一ヶ月はかかる。新刊本は、発売日には届かない。Amazonで本を買えば、取り寄せなんてしなくてもいい。インターネット書店も充実していて、一ヶ月近く待ってどうしてそこで本を買っているのか、と言われれば、���たしはただもう、「この町から本屋がなくなってほしくなかったから」としか言いようがない。 インターネットを使いこなして本を買うことは、だれもができることではない。子どもや、老人。本が欲しいと思ったら、書店へ行かなければならないひともいる。わたしもそういう「子ども」だった。Amazonというシステムが自由に使えるようになったのは、大学生か、社会人になってすぐか……それくらいだけれど、それまではわたしは本へのアクセスは、実際の書店へ行って本を買うしかできなかった。そんなひとはまだこの土地にはたくさんいて、そんなひとたちが「本を買う場」を、保ちたかった。わたしは本を買いつづけた。
今日は給料日だった。今月の給料の、「使える金」はすべてこの店で本を買うために使おうと思っていた。薄っぺらい給料袋を持って店に行き、本を腕に積み上げた。『トランスジェンダー男性学』と『これからの男の子たちへ』が面陳されていて、最後まで誠実な書店であろうとしているのだなと思う。地元の島を描いたルポルタージュが刊行されたときも、この書店は、丁寧に丁寧に、好奇心に抵抗するようなPOPをつけて売っていた。 レジに並んだ。 わたしのまえに並んでいたひとが、「高校生の頃から通っていたから、なくなってしまうのがさみしい」と店主のおじさんに話していた。だから、わたしは、なんだか何も言えなくなってしまって(二連続でそんな話をされたらおじさんもきっと困るだろうと思って)いつものように、ただ黙って本を買った。 「しおり、ほしいだけ持ってって」とおじさんに言われた。たくさん本を買った。いつもだいたい、1冊の本につき、3つくらいしおりを入れてくれる。今日もおじさんはひとつかみくらいしおりをいれてくれて、わたしはレジの横にならべてある、きれいなしおりを1枚だけもらった。
書店がなくなるのだ。わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう。――新しい職場が書店なので、本は買おうと思えばそこで取り寄せてもらえる、だからこんなことを思わなくてもいいのに、「わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう」とずっと考えている。 町から本屋がなくなってしまう。本が欲しいと思ったとき、インターネットにアクセスできず、この書店に行って「あの本が欲しい、この本が欲しい」と言っていた子どものわたしが途方に暮れる。
書店を出る。車に乗る。 まにあわなかったな、と思う。 今年の九月に、同人誌じゃない本が出る。日本全国、いろんな書店にこの本は旅立っていくのだろう。だけど、どこよりも、この本を、わたしはこの書店に並べてもらいたかった。 わたしの本との出会いを支え、そして、わたしの小説の資料を、物語の血肉を、つねにわたしに与え続けてきてくれたこの書店に、「わたしの本ができたんです」と言って帰りたかった。 わたしの本を、きっと丁寧に丁寧に売ってくれただろう書店に、わたしは間に合わなかった。
もう一週間ある。 なんとかお金の算段をつけて、もう一度ここで本を買いたい。
18 notes · View notes
oldkwaidan · 3 months
Text
龍が執着する石
 関の奥の黒嶽に滝谷明神という神社がある。  その社前にかつて一つの石があった。  高さ七尺ほど。卵のように丸く、青黒い色の光沢のある石だった。  祭のときなど、近在の若者たちが集まってその石で力比べをした。  しかし数十人がかりでも、その石はビクともしなかった。
 何年前だったかの十月のことである。  その日はひどい嵐だった。雷雨と暴風で大木は倒れ、石壁が崩れる中、一筋の雲龍が渦を巻きながら降りてきた。  それがあの重い石を空に巻き上げた。  龍巻は北西に進みながら、神社から半里ほど離れた沢に石を落とし、そのまま去っていった。
 その翌年の九月のこと。  やはり激しい嵐の日、再び龍があの石を空に巻き上げた。  そして五、六町離れた山麓の修善寺という禅寺の後ろに落とした。  石の落下の衝撃で山は震えた。大水が境内に溢れ、平らな部分には半時ほど水位一尺ほど水が溜まった。  僧侶や村人たちが寺の裏に行ってみると、まさしくかつて滝谷明神の社前にあり、去年、龍巻で沢まで運ばれた石が落ちていたので驚いた。 「龍はこの石にずいぶんと執着しているようだ」 「このままここに放置しておくのは危ないな」 「とはいえ、この人力で動かせるようなものでもないぞ」  どうしたもんか、と皆で悩んでいると、和尚が言った。 「これはきっと龍種に違いない。打ち砕いて捨てるしかあるまい」
 そこで石工が呼ばれた。  石工は石の脈を探し、油を差し、楔を入れ、一日中石を打ち続けたが、ついに砕くことはできなかった。  翌日、石工は数十人の仲間を連れてやってきた。  大勢で作業を続けると、やがて金石が砕けるような音がして、石は真っ二つに割れた。  石の中には小さな空洞があり、そこから蛇が四匹這い出てきた。  驚いた石工たちが打ち殺そうとしたので、和尚はそれを制止し、蛇は四匹とも捕らえて、川に投げ捨てた。
 (橘崑崙『北越奇談』巻之一 「龍種石」)
2 notes · View notes
atelierdehors · 2 years
Photo
Tumblr media
二人展@furacocoにお越しくださった皆様、お買い上げくださった皆様、ありがとうございました。 ありがたいことに、完成品ストックが殆どありません。 10月9日からの「くらしずく」で、多数の新作をご覧いただけるよう制作を進めます。 ・ 9月25日 TAWOO MARKET2022 (※ライブイベントでの物販 アクセサリー販売のみ) 場所:浅草公会堂 ・ 10月9日~10月10日 くらしずく 場所:千葉県・九十九里の杜(Sghr 菅原工芸硝子) ・ 10月28日 ヨルタノシイトヲカシ 場所:ジャンクアーク  千葉県山武市殿台 229-1 ・ 11月12日~11月20日 個展 場所:Purveyors 群馬県桐生市仲町2-11-4 ・ #atelierdehors #woodturning #木工 #woodworking #woodcarving #camping #camp #キャンプ #キャンプギア #アウトドア #アウトドア用品 https://www.instagram.com/p/CizHIm3vrJz/?igshid=NGJjMDIxMWI=
19 notes · View notes
medickalmalpractice · 9 months
Text
混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響��受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
4 notes · View notes
minatokucarpet · 1 year
Text
ウェブサイト ペルシャ絨毯買取専門店港区
ペルシャ絨毯買取専門店 どこよりもペルシャ絨毯を高く買います。| ウェブサイト ペルシャ絨毯買取専門店港区
( 国内でどこでも、絨毯販売 や ペルシャ絨毯買取 , 絨毯買取をします。) 絨毯専門店として、ペルシャ絨毯買取 絨毯買取 絨毯専門 ヘレケ絨毯買取 絨毯下取り ペルシャ絨毯 アンティーク絨毯買取 シルク絨毯買取 絨毯 買取 じゅうたん買取 中古絨毯買取 汚れた絨毯 じゅたん買取 絨毯 買取 ペルシャ絨毯買取 ペルシア絨毯 買取 クム絨毯 買取 絨毯買取 絨毯販売 ペルシア絨毯買取 絨毯クリーニング ペルシャ絨毯クリーニング ペルシア絨毯買取があれば体調しますので、よろしくお願いします。 ウェブサイト ペルシャ絨毯買取専門店港区
Tumblr media
  無料出張 対応エリア 全国の出張購入をサポートします。 ショッピングブーストゾーン全国からカーペットを集めています! ショッピングをサポートするエリアは、 東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、軍馬、愛知、静香、新潟、長野、 山梨、京都、大阪、福岡、山口、大分、佐賀、福井県、熊本です。 ペルシャ絨毯買取専門店港区 ペルシャ絨毯を高く買取します。 全国でもご利用いただけますので、上記以外の方も大歓迎です! 無料評価をご利用ください。 ペルシャ絨毯買取なら買取実績豊富な港区絨毯買取へ ペルシャ絨毯を買取に出したい ペルシャ絨毯の価値を知りたい ペルシャ絨毯を売る���ら港区絨毯買取をお選びください。 売りたいけれど重くて持ち運べないという方は、ぜひ港区絨毯買取の出張買取をご利用ください。 重いペルシャ絨毯を持ち運ばず楽に売却できます。査定料、出張料などの手数料は無料です! 絨毯に熟知している査定員が多数在籍していますので、安心して港区絨毯買取にお任せください。 ( このサイトを閲覧されているということは、「ペルシャ絨毯を処分したい ) 土日・祝日も休まず営業!どしどしお問合せください!
Tumblr media
お客様に信頼・ご満足いただける買取値段をご提示致します。 ※買取強化エリアおよびスピード引き取り対応可能エリア 【東京23区】 千代田区 中央区 港区 新宿区 文京区 台東区 墨田区 江東区 品川区 目黒区 大田区 世田谷区 渋谷区 中野区 杉並区 豊島区 北区 荒川区 板橋区 練馬区 足立区 葛飾区 江戸川区 【東京都下】 八王子市 立川市 武蔵野市 三鷹市 青梅市 府中市 昭島市 調布市 町田市 小金井市 小平市 日野市 東村山市 国分寺市 国立市 西東京市 福生市 狛江市 東大和市 多摩市 稲城市 羽村市 あきる野市 出張費、鑑定料一切無料 日本全国買取出張いたします!下記地域は即日出張可能です! ※他のご依頼の状況、時間帯によって不可の場合がございます。 北海道 札幌市東区・札幌市北区・札幌市・札幌市中央区・札幌市豊平区・札幌市西区・札幌市白石区・札幌市南区・札幌市手稲区・札幌市厚別区・札幌市清田区・旭川市・函館市・苫小牧市・釧路市・帯広市・小樽市・北見市・室蘭市・江別市・千歳市・岩見沢市・恵庭市・北広島市・石狩市・登別市・北斗市・音更町・滝川市・網走市・稚内市・伊達市・名寄市・根室市・七飯町・幕別町・美唄市・新ひだか町・紋別市・留萌市・富良野市・中標津町・深川市・遠軽町・美幌町・士別市・余市町・釧路町・白老町・砂川市・芽室町・八雲町・当別町・森町・芦別市・別海町・倶知安町・岩内町・浦河町・日高町・栗山町・斜里町・長沼町・赤平市・上富良野町・美瑛町・夕張市・厚岸町・三笠市・洞爺湖町・湧別町 青森県 青森市・六戸町・大鰐町・弘前市・八戸市・十和田市・むつ市・五所川原市・三沢市・つがる市・黒石市・平川市・おいらせ町・南部町・東北町・五戸町・七戸町・板柳町・階上町・野辺地町・鶴田町・平内町・中泊町・鰺ヶ沢町・三戸町・六ヶ所村・藤崎町 岩手県 八幡平市・矢巾町・陸前高田市・山田町・雫石町・洋野町・金ケ崎町・大槌町・岩手町・一戸町・岩泉町・軽米町・盛岡市・一関市・奥州市・花巻市・北上市・宮古市・滝沢市・大船渡市・釜石市・久慈市・二戸市・紫波町・遠野市 秋田県 大仙市・由利本荘市・大館市・能代市・湯沢市・北秋田市・鹿角市・男鹿市・潟上市・仙北市・にかほ市・美郷町・三種町・五城目町・羽後町・秋田市・横手市 山形県 新庄市・上山市・南陽市・長井市・村山市・高畠町・庄内町・河北町・遊佐町・白鷹町・山辺町・中山町・尾花沢市・川西町・山形市・鶴岡市・酒田市・米沢市・天童市・東根市・寒河江市 栃木県 芳賀町・茂木町・塩谷町・市貝町・宇都宮市・小山市・栃木市・足利市・佐野市・那須塩原市・鹿沼市・日光市・真岡市・大田原市・下野市・さくら市・壬生町・矢板市・上三川町・高根沢町・那須烏山市・那須町・野木町・益子町・那珂川町 宮城県 仙台市太白区・仙台市泉区・仙台市若林区・仙台市宮城野区・石巻市・大崎市・登米市・栗原市・名取市・気仙沼市・多賀城市・塩竈市・富谷町・東松島市・岩沼市・柴田町・白石市・亘理町・利府町・角田市・加美町・大和町・美里町・大河原町・七ヶ浜町・仙台市青葉区・仙台市 福島県 いわき市・郡山市・伊達市・白河市・二本松市・喜多方市・田村市・相馬市・本宮市・福島市・須賀川市・会津若松市・南相馬市 茨城県 結城市・小美玉市・鉾田市・阿見町・北茨城市・稲敷市・桜川市・常陸大宮市・下妻市・つくばみらい市・かすみがうら市・行方市・東海村・茨城町・高萩市・潮来市・境町・八千代町・城里町・大子町・大洗町・利根町・美浦村・河内町・五霞町・水戸市・つくば市・日立市・ひたちなか市・土浦市・古河市・取手市・筑西市・神栖市・牛久市・龍ケ崎市・石岡市・笠間市・鹿嶋市・常総市・守谷市・常陸太田市・坂東市・那珂市 新潟県 新潟市・新潟市中央区・新潟市西区・新潟市東区・新潟市北区・新潟市秋葉区・新潟市江南区・新潟市西蒲区・新潟市南区・長岡市・上越市・三条市・新発田市・柏崎市・燕市・村上市・南魚沼市・佐渡市・十日町市・五泉市・糸魚川市・阿賀野市・見附市・魚沼市・小千谷市・妙高市・胎内市・加茂市・阿賀町・聖籠町・田上町・津南町 群馬県 高崎市・太田市・前橋市・伊勢崎市・桐生市・渋川市・館林市・藤岡市・安中市・富岡市・みどり市・大泉町・沼田市・玉村町・邑楽町・みなかみ町・吉岡町・中之条町・板倉町・東吾妻町・榛東村・甘楽町・千代田町・明和町・嬬恋村・下仁田町・昭和村・草津町・長野原町 埼玉県 三芳町・寄居町・宮代町・皆野町・さいたま市・さいたま市浦和区・さいたま市南区・さいたま市岩槻区・松伏町・さいたま市緑区・さいたま市大宮区・さいたま市桜区・上里町・川島町・富士見市・春日部市・上尾市・熊谷市・吉見町・嵐山町・滑川町・桶川市・蕨市・鶴ヶ島市・志木市・鴻巣市・加須市・北本市・杉戸町・鳩山町・神川町・越生町・小鹿野町・新座市・ときがわ町・美里町・蓮田市・伊奈町・東松山市・行田市・飯能市・八潮市・本庄市・和光市・秩父市・入間市・深谷市・三郷市・戸田市・吉川市・ふじみ野市・坂戸市・日高市・羽生市・幸手市・白岡市・小川町・狭山市・朝霞市・久喜市・さいたま市中央区・さいたま市西区・川口市・川越市・所沢市・越谷市・草加市・さいたま市見沼区・さいたま市北区・毛呂山町 千葉県 千葉市中央区・佐倉市・浦安市・習志野市・流山市・野田市・我孫子市・木更津市・成田市・茂原市・鎌ケ谷市・君津市・千葉市緑区・船橋市・富里市・大網白里市・館山市・富津市・南房総市・いすみ市・栄町・勝浦市・九十九里町・松戸市・印西市・四街道市・香取市・銚子市・千葉市稲毛区・千葉市若葉区・千葉市美浜区・市川市・柏市・市原市・八千代市・匝瑳市・鴨川市・横芝光町・酒々井町・八街市・旭市・東金市・袖ケ浦市・白井市・山武市・千葉市・千葉市花見川区 東京都 品川区・東久留米市・昭島市・稲城市・東大和市・あきる野市・狛江市・国立市・墨田区・目黒区・文京区・渋谷区・港区・中野区・豊島区・三鷹市・立川市・東村山市・多摩市・青梅市・武蔵野市・江戸川区・杉並区・板橋区・江東区・葛飾区・日野市・世田谷区・練馬区・清瀬市・武蔵村山市・大田区・福生市・瑞穂町・羽村市・日の出町・足立区・北区・新宿区・荒川区・台東区・中央区・千代田区・国分寺市・小金井市・八王子市・町田市・府中市・調布市・西東京市・小平市 神奈川県 寒川町・厚木市・小田原市・鎌倉市・秦野市・座間市・海老名市・伊勢原市・綾瀬市・逗子市・三浦市・横浜市金沢区・横浜市保土ケ谷区・横浜市都筑区・横浜市南区・横浜市緑区・南足柄市・愛川町・大磯町・葉山町・二宮町・川崎市・川崎市中原区・川崎市宮前区・川崎市高津区・川崎市多摩区・川崎市川崎区・川崎市麻生区・川崎市幸区・相模原市・相模原市南区・相模原市中央区・相模原市緑区・横須賀市・藤沢市・横浜市・平塚市・横浜市瀬谷区・横浜市栄区・横浜市西区・茅ヶ崎市・大和市・大井町・湯河原町・開成町・箱根町・山北町・松田町・中井町・横浜市磯子区・横浜市港北区・横浜市青葉区・横浜市戸塚区・横浜市鶴見区・横浜市旭区・横浜市神奈川区・横浜市泉区・横浜市港南区・横浜市中区 静岡県 静岡市・島田市・裾野市・沼津市・浜松市・袋井市・藤枝市・富士市・富士宮市・三島市・西伊豆町・松崎町・南伊豆町・河津町・東伊豆町・小山町・長泉町 ・清水町・函南町・伊豆の国市・牧之原市・焼津市・熱海市・伊豆市・伊東市・磐田市・御前崎市・掛川市・菊川市・御殿場市 山梨県 甲府市・甲斐市・南アルプス市・笛吹市・富士吉田市・北杜市・山梨市・甲州市・韮崎市・都留市・中央市・大月市・上野原市・富士河口湖町・昭和町・市川三郷町・富士川町・身延町・南部町 長野県 軽井沢町・下諏訪町・辰野町・長野市・上田市・飯田市・佐久市・松本市・茅野市・千曲市・塩尻市・伊那市・安曇野市・飯山市・大町市・東御市・駒ケ根市・小諸市・中野市・諏訪市・須坂市・岡谷市・箕輪町 石川県 能登町・珠洲市・中能登町・宝達志水町・穴水町・川北町・七尾市・加賀市・野々市市・能美市・津幡町・輪島市・金沢市・白山市・小松市・かほく市・内灘町・羽咋市・志賀町 富山県 上市町・朝日町・舟橋村・富山市・高岡市・射水市・南砺市・氷見市・立山町・砺波市・魚津市・黒部市・滑川市・小矢部市・入善町 愛知県 名古屋市・名古屋市中区・名古屋市中村区・名古屋市東区・名古屋市西区・名古屋市北区・名古屋市千種区・名古屋市昭和区・名古屋市瑞穂区・名古屋市天白区・名古屋市熱田区・名古屋市緑区・名古屋市名東区・名古屋市守山区・名古屋市中川区・名古屋市南区・名古屋市港区・一宮市・あま市・稲沢市・幡豆郡・
Tumblr media
  ペルシャ絨毯買取専門店 当店は東京都港区、埼玉県川越市、神奈川県横浜市を拠点に 関東全域にてペルシャ絨毯の出張買取を致します。 お引越しや模様替え、リフォームや家の解体などで使わなくなります ペルシャ絨毯、高級絨毯、ブランド絨毯、ブランドラグの買取を行っています。 また、織が良い物は絨毯ほかキリム・ギャッベも買取致します。 お住まいが遠方の方は便利な宅配買取をご利用ください。(下部参照) 当店はリビング用の絨毯から玄関用の小さな絨毯まで幅広く取り扱っております。 併せまして高級家具や高級時計、ブランド品、エルメスやクリストフル マイセン、リヤドロやラリックなどの西洋アンティーク、銀製品なども買取致します。 私どもはペルシャ絨毯買取やアンティーク買取に自信を持っております。 満足いただけますよう精いっぱいで査定させていただきます。 ぜひペルシャ絨毯買取はペルシャ絨毯買取 専門にお任せください。 Read the full article
6 notes · View notes
asa-wt0 · 2 years
Text
あさの約100冊
エラリー・クイーン/オランダ靴の謎 エラリー・クイーン/ギリシャ棺の謎 エラリー・クイーン/エジプト十字架の謎 エラリー・クイーン/災厄の町 エラリー・クイーン/十日間の不思議 エラリー・クイーン/九尾の猫 パット・マガー/四人の女 パット・マガー/七人のおば 有栖川有栖/ダリの繭 有栖川有栖/スイス時計の謎 北村薫/空飛ぶ馬 北村薫/鷺と雪 宮部みゆき/ステップファザー・ステップ 宮部みゆき/心とろかすような マサの事件簿 宮部みゆき/ぼんくら 宮部みゆき/我らが隣人の犯罪 宮部みゆき/小暮写眞館 今村夏子/星の子 三浦しをん/風が強く吹いている サリンジャー/ライ麦畑でつかまえて サリンジャー/フラニーとズーイ サリンジャー/ナイン・ストーリーズ カズオ・イシグロ/わたしを離さないで ウィリアム・アイリッシュ/幻の女 堀江敏幸/雪沼とその周辺 綾辻行人/十角館の殺人 ローラ・インガルス・ワイルダー/大草原の小さな家 島田荘司/占星術殺人事件 サマセット・モーム/月と六ペンス 絲山秋子/袋小路の男 彩瀬まる/あの人は蜘蛛を潰せない 西加奈子/ふくわらい 西加奈子/炎上する君 谷崎潤一郎/春琴抄 佐藤多佳子/しゃべれどもしゃべれども 田牧大和/花合せ 濱次お役者双六 千早茜/あとかた 津村記久子/この世にたやすい仕事はない 津村記久子/ミュージック・ブレス・ユー!! 加納朋子/ななつのこ 朝井リョウ/もういちど生まれる 瀬尾まいこ/卵の緒 瀬尾まいこ/あと少し、もう少し 庄司薫/赤頭巾ちゃん気をつけて 本谷由紀子/嵐のピクニック 小川洋子/猫を抱いて象と泳ぐ 中島京子/小さいおうち 辻村深月/ぼくのメジャースプーン 辻村深月/スロウハイツの神様 円城塔/これはペンです 川端康成/眠れる美女 三崎亜記/バスジャック 飛鳥井千砂/はるがいったら 吉田篤弘/針がとぶ―Goodbye Porkpye Hat 梨木香歩/春になったら苺を摘みに 川上弘美/センセイの鞄 中山七里/さよならドビュッシー 桜庭一樹/私の男 恩田陸/夜のピクニック 時雨沢恵一/アリソン 江國香織/流しのしたの骨 山崎ナオコーラ/昼田とハッコウ 東野圭吾/悪意 冲方丁/光圀伝 最果タヒ/死んでしまう系のぼくらに 森絵都/風に舞い上がるビニールシート 司馬遼太郎/燃えよ剣 北方謙三/三国志 角田光代/八日目の蝉 近藤史恵/にわか大根 いしいしんじ/トリツカレ男 いしいしんじ/麦ふみクーツェ 木原音瀬/美しいこと 西川美和/ゆれる 米澤穂信/遠回りする雛 アガサ・クリスティ/春にして君を離れ ハリイ・ケメルマン/九マイルは遠すぎる 多和田葉子/百年の散歩 サン=テグジュペリ/人間の土地 穂村弘/本当は違うんだ日記 ミヒャエル・エンデ/モモ 中勘助/銀の匙 ボリス・ヴィアン/日々の泡 古谷田奈月/リリース 長嶋有/ねたあとに 皆川博子/開かせていただき光栄です 桜庭一樹編/江戸川乱歩傑作選 獣 ネイサン・イングランダー/アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること トルーマン・カポーティ/ティファニーで朝食を ジョン・ディクスン・カー/火刑法廷 ジョン・ディクスン・カー/皇帝のかぎ煙草入れ クリスチアナ・ブランド/招かれざる客たちのビュッフェ シャーリイ・ジャクスン/ずっとお城で暮らしてる カレン・マクマナス/誰かが嘘をついている フランシス・ハーディング/嘘の木 Roald Dahl/The Witches Louis Sachar/Someday Angeline ジル・チャーチル/ゴミと罰 ルシア・ベルリン/掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集 佐藤亜紀/スウィングしなけりゃ意味がない ジェフリー・ディーヴァー/ウォッチメイカー リアーン・モリアーティ/ささやかで大きな嘘 藤野可織/ピエタとトランジ サラ・ウォーターズ/荊の城 M・W・クレイヴン/ストーンサークルの殺人 ドロシー・L・セイヤーズ/学寮祭の夜 シャーロット・マクラウド/納骨堂の奥に P・J・トレイシー/沈黙の虫たち
9 notes · View notes
myonbl · 2 years
Text
2022年7月12日(火)
Tumblr media
私の住まいは松尾大社の氏子地域、<夏越の大祓>を町内会経由でお願いしたら、その報告と<撒餞の品>が届いた。つまり、一定額以上の<初穂料>を収めると家庭用の茅の輪がいただけるのだ。早速玄関ドアに飾り付けて、<無病息災・延命長寿>をお願いする。政治に信頼が置けない以上、神頼みも宜なるかなである。
Tumblr media
5時起床。
日誌書く。
Tumblr media
貝割れ納豆そば+そば湯+ヨーグルト。
可燃ゴミ、30L*2。
Tumblr media
先週弁当箱を忘れたので、タッパで代用する。
ツレアイは自転車で出勤、私はO姉と一緒に車で出勤。
Tumblr media
途中から激しい雨、駐車場からの数十メートルで結構濡れてしまった。
火曜日3限・4限は「スタディスキルズ(看護学科)」、前回の続きでレポート発表会。私のクラスでは今日も1名欠席、発表用スライドも提出されていない。次回は最終週、果たしてどうなるだろう。
IM嬢来室、キャリアセンターで模擬面接を受けてきたとのこと。
千里中央経由で帰路へ、九条大宮でO姉を降ろしてから帰宅する。何とか雨も上がってくれた。
西大路七条・ライフで買い物、レタス・キュウリ・鮭切り身。
キュウリを漬物に仕込む。
Tumblr media
息子たちの夕飯は、昨日の見切り品のローストビーフ、味噌汁はタマネギと薄揚げ。ツレアイには冷蔵庫掃除、冷やしたワインで慰労する。
録画番組視聴、100分de名著
“太平記” (2)「時代を読み切れないリーダーたち」
初回放送日: 2022年7月11日
天皇を中心とした「建武の新政」という新しい政治がいよいよスタート。だが時代を読み切れなかった後醍醐天皇に対して武士たちの不満が爆発。果たして時代はどう動くのか? 
 続く天皇の失政に対し武士たちのリーダーとして足利尊氏が立ち天下を分ける動乱が巻き起こる。一見「弱いリーダー」に見える尊氏はなぜか多くの人を巻き込む力を発揮し善戦。しかし、新田や楠木に支えられた朝廷側は、尊氏を九州へと追い落とすことに成功する。第二回は、時代を読み切れず失敗を繰り返すリーダーたちの姿を見つめ、その失敗に学びながら、新しい時代に対応したリーダーの資質がどんなものかを探っていく。
安田登と玉川奈々福の語りが見物。
入浴+片付け、就寝前読書で23時を過ぎてしまった。
Tumblr media
なんとか3つのリング完成、水分は1,800ml。
4 notes · View notes
summer4ever57 · 6 days
Text
Tumblr media
中学の友達と九十九里と銚子行ってきた!
写真がいい感じに馴染むのありがたい。
中1、2で夏休みに白子町で部活の合宿あってそこも行ってきた!ソフトテニス部!
2人とも何も覚えてなくてここに来たんだ〜ってなってワロタ。
でも行き帰りのバスで先輩が持ってきたオレンジレンジのCDが流れてたのは覚えてる。
これ友達は覚えてなくて、素振りしてから朝ご飯だったよねって言ってたけどそれ初耳だわ。
誠どこに住んでるんだろう
なんの仕事してるんだろう
1 note · View note
kennak · 24 days
Quote
千葉県は30日、九十九里町の弁当店「片貝弁当」の仕出し弁当を食べた24~68歳の男女14人が下痢や発熱などの症状を訴え、うち11人からノロウイルスが検出されたと発表した。山武保健所は食中毒と断定し、同店を30日から4月1日まで3日間の営業停止処分とした。全員が快方に向かっているという。
仕出しの「日替弁当」か「ハンバーグ弁当」食べた14人食中毒、11人からノロ検出 | ヨミドクター(読売新聞)
1 note · View note
kkv-main · 1 month
Text
Tumblr media
news - 2024.3.13
GROOVETUBE FES’24開催決定! 2024年5月12日(日)千葉県横芝光町屋形海岸 入場無料:寄付金制(1人1000円の募金協力をお願いしております)
LIVE サニーデイ・サービス、Summer Eye、Sugar plant、MEGA X、Strip Joint  
DJ 瀧見憲司、松田“CHABE”岳二、SUGIURUMN、YODATARO
LIVE PAINTING 植田工feat.新種のImmigrationsB
千葉県横芝光町屋形海岸で行う海辺のフリーフェスGROOVETUBE FES.'24を5/12 (日)に開催します。
今年はLIVEにサニーデイ・サービス、Summer Eye、Sugar Plant、MEGA X、Strip Joint
DJに瀧見憲司、松田“CHABE”岳二、SUGIURUMN、YODATARO
Paintingに植田工feat.新種のImmigrationsBを迎えます!
風薫る5月、九十九里浜のシーブリーズと最高の音楽、間違いのない週末を是非GROOVETUBE FESで!
2014 年より千葉県は横芝光町屋形海岸にて「海をバックに大好きな音楽を!」をコンセプトに開催してきましたフリーフェス GROOVETUBE FESは今年で9回目の開催となります。
今年は数年ぶりにDJステージを新設。ライブ、DJ共にアーティストは海を眺めてと演奏となり、お客様も自由に海と会場を行き来する事が可能です。
フェス開催の 5 月初旬、外房の海岸は天気がよければもう初夏の日差しが眩しい位に輝き、ステージから見えるのは太平洋、フロアの先には大きな砂浜がひろがる素晴らしいロケーション。オーガナイズ・チームは毎年オープニングから美しいサンセットまでそれぞれの時間にぴったりのラインナップを工夫してブッキングしています。
日中から日没まで光の変化に合わせて音楽を楽しんでほしいと思います。
また地元の特産を中心にフードやショップも充実、海水浴場に面した緑の広がる公園が会場となっていて家族連れでも一日ゆっくり楽しめるロケーションです。
後援:横芝光町・横芝光町商工会・横芝光町観光まちづくり協会
臨時駐車場をご利用のお客様は環境整備の為清掃協力費として一台に付き500円をお願いいたします。
0 notes
bearbench-tokaido · 1 month
Text
三篇 下 その三
上方者は、 「ハァ、ソンナラお前のお馴染みは何屋じゃいな」 と、意地悪く問うと、 「アイ、大木屋さ」 と、弥次郎兵衛がいう。 「大木屋の誰じやいな」 と、上方者がさらに問うと、 「留之助よ」 弥次郎兵衛が答えた。 上方者が 「ハハハ、そりゃ松輪屋じゃわいな。 大木屋にそんな女郎はありもせぬもの。 コリャお前、とんとやくたいじゃ、やくたいじゃ」  (やくたい…上方言葉で、らちもない、とんでもない、よくない、など広い意味に使う)
弥次郎兵衛は、 「ハテ、あそこにもありやすよ。ナァ北八」  (大木屋は実在の大見世の扇屋のこと。松輪屋はやはり実在の松葉屋のこと。留之助は松葉屋の抱えの名妓の染之助のこと。したがってこのやり取りでは上方男の勝ち) 北八、面倒臭くなってきて、 「ええ、さっきから黙って聞いていりゃ、弥次さんおめえ聞いたふうだぜ。 女郎買いに行ったこともなくて、人の話を聞きかじって出放題ばっかり。 外聞のわるい。国者の面よごしだ」
弥次郎兵衛は、 「べらぼうめ、俺だって行くってんだ。 しかもソレ、お前を神に連れていったじゃァねえか」  (神…取り巻き、太鼓持ち。遊廓付きの本職ではなく、客が連れ込んだ遊びの取り巻き仲間。落語の野太鼓がこれである) 北八、思い出して、 「ああ、あの大家さんの葬式の時か。なんと、神に連れたとは、おおげさな。 なるほど二朱の女郎の揚げ代はおめえにおぶさったかわり、 馬道の酒屋で、浅蜊のむきみのぬたと豆腐のおから汁で飲んだ時の銭は、みんなおいらが払ったじゃねえか」  (葬式くずれで繰り込むなら安い店にきまっている。揚げ代二朱なら宿場の飯盛なみのごく安い女郎。馬道は吉原に通ずる町。そこの酒屋のぬたも汁もごく安い庶民的な食い物である)
弥次郎兵衛は、 「嘘をつくぜ」 北八も、 「嘘なもんか。しかもその時おめえ、さんまの骨をのどへ立てて、飯を五六杯、丸呑みにしたじゃねえか」 「馬鹿言え。お前が田町で、甘酒を食らって、口を火傷したこた言わずに」 「ええ、それよりか、おめえ土手で、いい紙入れが落ちていると、犬の糞をつかんだじゃねえか、恥さらしな」  (土手…吉原に入る途中の山谷堀に添った日本堤の土手八丁、金持ちなら土手八丁を四ツ手駕で飛ばし、貧乏人なら歩く、いずれも弥次郎の自慢が嘘だと、北八が暴露したかたち)
と、遣り合っている二人に、上方者が 「ハハハハハ、いや、お前方は、とんとやくたいな衆じゃわいな」 弥次郎兵衛が、 「ええ、やくたいでも、悪態でも、うっちゃっておきゃァがれ。 よくつべこべとしゃべる野郎だ」 上方者は、関わり合いにならない方がいいかと、 「ハァこりゃご免なさい。ドレお先へまいろう」 と、そうそうに挨拶して、足早に行ってしまう。 その後ろ姿をみながら、弥次郎兵衛は、 「いまいましい。うぬらに一番へこまされた。ハハハハハ」   この話の間に、三ケ野橋を渡り、大久保の坂を越えて、早くも見付の宿(磐田市)にいたる。
北八、 「アァくたびれた。馬にでも乗ろうか」 ちょうどそこへ、馬方が、 「お前っち、馬ァいらしゃいませぬか。 わしどもは助郷役に出た馬だんで、早く帰りたい。 安く行かずい。サァ乗らっしゃりまし」  (助郷…東海道の交通の確保のために、沿線の村々に幕府がかけた役務で、人馬の徴発を含めて重いものだった)
弥次郎兵衛は、 「北八乗らねえか」 と、問い掛けると、 「安くば乗るべい」 と、馬の相談が出来て、北八はここから馬に乗る。 この馬方は助郷に出た百姓なので、商売人の馬子でないから丁寧で慇懃である。
弥次郎兵衛は、 「そうだ、馬子どん。ここに天竜川の渡しへの近道があるんじゃねえかな」 と、思い出して、聞いてみると、 「アイ、そっから北の方へ上がらっしゃると、一里ばかしも近くおざるわ」 と、馬方がいう。 北八が、 「馬は通らぬか」 と、更にとうと、 「インネ、徒歩道でおざるよ」 と、ここから弥次郎は一人近道のほうにまがる。
北八は馬で本道を行くと、早くも加茂川橋を渡り、西坂の墳松の立場に着く。 茶屋女が声をかけてくる。 「お休みなさりやァし、お休みなさりやァし」 茶屋の婆も声をかけてくる。 「名物の饅頭買わしゃりまし」 馬方が、その婆様に声を掛ける。 「婆さん、おかしな日和でおざる」 「お早うございやした。いま新田の兄いが、一緒に行こうかと待っていたに。 コレコレ横須賀の伯母どんに、言いついでおくんなさい。 道楽寺さまに勧説法があるから、遊びながらおいでと言ってよう」  (道楽寺は遊びながらおいでにこじつけた架空の寺の名) 馬方は、 「アイアイ、また近うちに来るように伝えときましょう。ドウドウ」 と、いうと、また歩き出した。
「この馬は静かな馬だ」 北八は、珍しく乗りやすい馬なので、つい、そういうと、 「女馬でおざるわ」 と、馬方が、こたえる。 北八は、にんまりして、 「どうりで乗り心地がよい」 馬方が、問い掛けてきた。 「旦那は、お江戸はどこだなのし」 「江戸は日本橋の本町」 と、北が答える。 「はあ、えいとこだァ。わしらも若い時分、お殿様について行きおったが。 その本町というところは、なんでもえらく大きい商人ばかしいるところだァのし」 と、昔のことを思い出しながら、話してくる。 「オオそれよ。おいらが家も、家内七八十人ばかりの暮らしだ」 と、またまた、くちか��でまかせ。 馬方もしんじているにのかいないのか、 「ソリャ御大層な。お神さまが飯を炊くも、たいていのこんではない。 アノお江戸は、米がいくらしおります」 「まあ、一升二合、よい所で一合ぐらいよ」 と、考えながら言うと、 「で、そりゃいくらに」 と、馬方は、よく分からない。 「知れたことよ、百にさ」 と、北八がいうと、 「はあ、本町の旦那が、米を百文づつ買わしゃるそうだ」 馬方は勘違いして、そういう。 北八、笑いながら、 「ナニとんだことを。車で買い込むは」 「そんだら両にはいくらします」 と、馬方。 「なに、一両にか。ああ、こうと、二一天作の八だから、二五の十、二八の十六でふみつけられて、四五の廿で帯解かぬと見れば、無間の鐘の三斗八升七合五勺ばかりもしようか」  (割り算の九九の二一天作の八は一二天作の五の間違い、途中から浄瑠璃の文句でごまかしている。米の値段も出でたらめ) と、何やら、難しそうな、計算をはじめる。 「はあ、なんだかお江戸の米屋は難しい。わしにゃァわからない」 馬方は、すっかりけむに負かれて、 「わからぬはずだ。おれにもわからねえ。ハハハハハ」 と、北八も自分でいっててわからなくなった。
この話のうちにほどなく天竜川にいたる。 この川は信州の諏訪の湖水から流れ出て、東の瀬を大天竜、西の瀬を小天竜と言う。 舟渡しの大河である。弥次郎は近道を歩いてここで北八を待ちうけ、ともにこの渡しを越えるとて、一首。
 水上は 雲よりい出て 鱗ほど 浪の逆巻く 天竜の川  (水、雲、鱗、浪、逆巻く、みな竜の縁語の竜づくしが趣向)
舟からあがって立場の町にいたる。 ここは江戸へ六十里、京都へも六十里で、東海道の振り分けになるから中の町(浜松市)というそうだ。
 傾城の 道中ならで 草鞋がけ 茶屋に途絶えぬ 中の町客  (ここを江戸吉原の中の町に見立てて、花魁道中の高足駄の代わりに草鞋、吉原の引き手茶屋と街道筋の茶屋、どちらも客が絶えぬと言う趣向)   それより萱場、薬師新田を過ぎて、鳥居松が近くなったころ、浜松宿の宿引きが出迎えて、 「もし、あなたがたァお泊りなら、お宿をお願い申します」 と、二人の呼びかける。 北八がそれに答えて、 「女のいいのがあるなら泊りやしょう」 客引きここぞとばかりに、 「ずいぶんおざります」 と、いうと、弥次郎兵衛が、 「泊まるから飯も食わせるか」 宿引き 「あげませいで」 北八、 「コレ菜は何を食わせる」 宿引き、 「ハイ当所の名物、自然藷でもあげましょう」 「それがお平の椀か。そればかりじゃあるめえ」 「 それに推茸、慈姑のようなものをあしらいまして」 「汁が豆腐に蒟蒻の白和えか」 と、北八が、客引きとやりあっている。
弥次郎兵衛が、 「まあ、軽くしておくがいい。その代わり百ケ日には、ちと張り込まっせえ」  (ここのやり取りは、宿引きの言うのが、野菜ばかり並べた精進料理なので、死人の法要の料理だと皮肉ったのである。法要では、当初と百ケ日には料理を張り込むのがしきたり) 「これは異なことをおっしゃる。ハハハハハハ。時にもうまいりました」 「オヤもう浜松か。思いのほか早く来たわえ」 と、弥次郎兵衛、ここで一首読む。
 さっさっと 歩むにつれて 旅ごろも 吹きつけられし 浜松の風  (松風の音の颯、颯と、さっさと歩くとにかけている。風に吹き送られて早く着いた意味も含む)
その横を宿ひきが駆け抜ける。
宿引きは、旅館に駆け込むと、 「サァサァお着きだよ」 と、置くに声をかける。 「お早くございました。ソレおさん、お茶とお湯だァよ」 それに、こたえて、この旅館に亭主が出てくる。 弥次郎兵衛が、 「イャそんなに足はよごれもせぬ」 と、いうと、亭主 「そんなら、すぐにお風呂にお召しなさいまし」 と、奥に案内しようとする。
つづく。
0 notes