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#アメリカの鱒釣り
sobajima · 2 years
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「アメリカの鱒釣り」
リチャード・ブローティガンのベストセラー(なんと200万部も売れたらしい)
買った時は(30年ぐらい前)途中まで読んで挫折したまま、本棚に眠っていた。
挫折した理由は、当時は内容がまったく理解できなかったからである。
しかし、先日、本棚から取り出してページをめくってみると、そのまま少し読み耽ってしまった。
書かれた時代も文化も違うのに、どこか懐かしく物悲しくも可笑しくもある詩のようである。
今も理解できてるとは思わないが、読んでる時間がなんだがとても心地よかった。
(木を叩いて その2)
ヴァーモントでお婆さんを鱒のいる小川と見まちがえ、謝罪するはめになったのだ。
「いやあ、失敬」とわたしはいった。「あなたを鱒の川とおもってしまって」
「人違いだよ」と、そのお婆さんはいった。
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straycatboogie · 9 months
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2023/07/31
BGM: BarbWalters - Love
今日は休みだった。月に1度の通院日である。朝、総合病院に行きそこで先生と会い、そして自分の状態を話す。もらう薬の内容も変わらず、先生と話すこともこれといって前進も後退もなく、つつがなく終わる。その後薬局で薬をもらい、そしてイオンに行きそこで沢木耕太郎『246』を読み終える。沢木耕太郎の文からはいつもジャズが聞こえてくるかのような印象を受けるのだけれど、今日は何だかジャズの気分でもなかったのでSpotifyからテキトーに"Future Funk"と題されたプレイリストの曲を聴く。実に「音のおもちゃ箱」といった趣のサウンドに浸る。スクリッティ・ポリッティのサンプリングが施された曲があるのが気に入り、今年の盛夏はこれを聴いて過ごすことになるかなと思った。1度しかない48歳の夏も、こうしてバカンスとは無縁に読書や仕事で過ぎていく。今年はたぶんそれらに加えて日々コツコツ詩作を続けたりもするのだろうけれど、なんにせよ実に地味な夏なのは変わりがないのだった。せめて読む本の内容を変えたいと思ったりする。またあのマルカム・ラウリー『火山の下』のような「粘っこい」「しつこい」本を読むべきか。それともあっさりした「淡白な」本……例えばリチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』のような本を読むべきか。
昼食を摂り、その後朝に時間がなくて書けなかった昨日の日記を書く。それが終わった後、池澤夏樹『詩のなぐさめ』を読み始める。この本は彼が古今東西の詩集(シェイクスピアや谷川俊太郎、西脇順三郎や現代詩に至るまで)に触れて書いたエッセイ・批評で、読みながら彼が実に「アクティビスト」「行動派」の書き手であると唸らされる。いや、日本にはそうした書き手は珍しいものではないかもしれない。夏目漱石や森鴎外、二葉亭四迷の昔からそうして国境を超えて自在に移動する知識人は数多と居たはずだ。だが、彼の面白いところはそうして諸外国の文物を自在に取り込みながら劣等感・ルサンチマンを感じさせるネガティブなところが見当たらず、実にオープンマインドを保ち続けられているところだと思った。だからこそ、アメリカやヨーロッパといった国々の文化(敢えてイヤな言い方をしてしまうと「白人男性」が生み出したスマートな文化)のみならずもっとマイナーな国々の肥沃な文化にも目を向けられ、そこから謙虚に学べるのだろうと思う。彼の政治観・文学観には異論もあるが、その謙虚さとグルメなところは見習うべきだなとも思わされた。彼の作品『マシアス・ギリの失脚』『スティル・ライフ』を読み返すべきかもしれない。
その読書の後、詩を書き始める。書きながら、ぼくがやっているのは「詩作」というより「ポエムメイキング」だなと思った。たぶんぼくの書く詩は純金で作られたピュアなものではなく、プラスチック製というかチープなものだとも思う……そんなことを詩に書いてしまった。だが、そうしたチープな詩にはチープなりの味があると信じる。X(元Twitter)では『バービー』と『オッペンハイマー』の話題が喧しい。ぼくは深くその騒動について知らないのだけれど、深刻な出来事がミームという「やんちゃ」で「面白おかしい」表現技法に呑み込まれてしまう現象(むろん、ぼくはそうした一面的・暴力的な「面白さ」には懐疑的だが)について考えさせられる。ぼくの友だちも過去にヒトラーについてミームをぼくのDiscordのサーバに投稿したことがあって、ぼくは「いかがなものだろう」と異論を投げかけたことがあったのだけれど語弊を恐れずに言えばそうしてヒトラーをミーム化・ネタ化してしまうことはすなわちナチへの有効な批判につながりうるのか、ならないのか……政治を「ミーム」にすることが「面白さ」至上主義だけに終わらない有益なメッセージにつながる、そんな地点を目指せないかと思った。
夜になり、何もする気が起きない。だが早寝するにも昼寝をしてしまったせいか目が冴えて眠れない。それで松浦寿輝『青天有月』を拾い読みする。そこで松浦寿輝が、西脇順三郎の詩集を携帯することの至福について書いているのを知る。ぼくは本はボリュームがあれば得した気分になると考えてしまう非常に貧乏性な人間で、だから分厚いフェルナンド・ペソア『不安の書』を好んで読み耽るのだけれど確かにそうして「ポータブル」な詩やエッセイの文庫本をカバンやポケットに入れて持ち歩き、さまざまな場所で読み返すことは面白いなと思った。ここのところぼくは沢木耕太郎『246』を持ち歩いていたのだけれど、宮澤賢治や萩原朔太郎の詩集を持ち歩くのもいいのかな、と……前にも書いたけれど、自分にとっての「ソウルフード」「ホーム」になりうる本があればいいなと思った。そう考えていくとぼくにとってはリルケ『マルテの手記』がそうした本かなとも思う。いや、これから背伸びをしてディケンズやコンラッド、フォークナーを読んでみるのも一種の「生きがい」につながりうるのかなとも思うのだけれど……そんなこんなで今日が終わる。明日から8月。盛夏・猛暑が続くが、秋の到来もこれに応じて早まるのだろうか?
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tinytable-blog · 1 year
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藤本和子「イリノイ遠景近景」
 自分にとっては、なんといってもブローディガンの訳者である藤本和子のエッセイ集を読んだ。ブローディガンの「アメリカの鱒釣り」は、個人的にとても大切な本の一冊。  内容はまあタイトルの通りなんだけど、やはり文章というか、素っ気ない語り口がいい。
 やはり翻訳家の岸本佐知子が文庫版解説を書いているんだけど、いわく、この本を読むかどうか迷ったら、45ページの会話部分をまず読んでほしい、とのこと。自分はそういうことはなかったが、目次でわくわくした。
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タイトルの次の行に、本文の一部が抜き書きされているんだけど、それだけでもう「えっ、なにそれ」となってめっちゃ読みたくなる。ドーナツ屋の話とか面白かった。ちょっとビル・ブライソンの「ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー」を彷彿させる。
 たのしい本でした。
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sika0728 · 1 year
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日記
土曜日働いたので代休。昨日帰って来てすぐさま寝たが、眠りが浅くて途中で目覚めずに眠れない。困っている。毎日困っている。
もち食べたい。人生は自分でしかどうしようもないという当然のことを思い知る日々。もう知っていると思っていたこともほんとうは知らないの、なぜなのだろう。砂糖醤油で。
ブローティガン『西瓜糖の日々』を読み終わる。とってもよい。感想を言葉にするのがむずかしいので、ひとがこの作品について書いた言葉を引用する。後書きの柴田元幸さん「大切なのは、言葉によって、ここにひとつの世界が定着しているかどうかだろう。(中略)決して書き込みの多いとは言えない文章から、独自の空気を感じさせる世界が立ち上がってきていると思う」。責任編集諏訪部浩一『アメリカ文学入門』(2013, 三修社)より、別の作品『アメリカの鱒釣り』について書かれた一節。「通常の意味では「何がいいたいのかよくわからない」としかいいようのないこの奇妙な作品も、しかしそのような時代であったからこそ逆に多くの人に「よくわかる」ものであり得たのである」。
よくわからんけどよくわかることを現実に表象させるすべてに尊敬を送っている。
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anamon-book · 3 years
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アメリカの鱒釣り リチャード・ブローティガン、藤本和子・訳 晶文社 ブックデザイン=平野甲賀
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findareading · 4 years
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ある日の午後、わたしはこの本屋でスツールにすわって、聖杯をかたどった本を読んでいた。その本のページはジンのように透明で、第一ページには、こうあった。
リチャード・ブローティガン著/藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』(平成29年8月7刷、新潮文庫)
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palakona · 3 years
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紅葉のミタライ渓谷管理釣り場(天川村)
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どうも、こんにちは。令和2年11月14日、howellsさん(仮名)にお誘いいただいて、天川村のミタライ渓谷の管理釣り場に連れて行ってもらいました。10年ぐらい乗ったレガシィは5月の車検のタイミングで廃車というか売却したので、今は乗る車がないんです。ジムニー を発注したんですが、納車に半年かかると言われてますw
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howellsさんには朝6時に迎えに来てもらって天川村に向けて出発。howellsさん情報では、"じょっ"さんやHRKさんも来るとの事。道中、黒滝村の道の駅でこんにゃくを食べたりしながら8時過ぎに天川村漁業協同組合に到着。受付で料金3000円也を支払うと、僕らは18番と19番でした。
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釣り場に着くと、紅葉真っ盛り。綺麗やな・・・
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対象魚はニジマスなので、ロッドはアメリカのウィンストンのバンブーロッドを持ってきました。久しぶりに振りましたが、やっぱ良いですね。
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"じょっ"さんは、クルマ置き場のすぐ近くで釣っておられたのですぐに合流できました。いつも多忙なHRKさんは、この日も忙しくて結局時間を作れなかったようです。互いのロッドを振ったり、積もる話をしたりで楽しい時間を過ごしましたが、肝心のお魚はさっぱり釣れません(悲)お魚は川底をウロウロしているのですが、ドライフライとウェットフライには見向きもしない。でも、良いんです。howellsさん、"じょっ"さんの猛者二人が釣れてないんだから。僕が釣れる方がおかしい(ドヤッ)と、思っていたら、howellsさんが裏切ったw。ビーズヘッドで虹鱒を釣らはりました。howellsさんがビーズヘッドを結んだロッドをそっと握らせてくれたので、恥も外聞もなくw他人様のロッドでキャストを始めたのですが、僕が投げると釣れない・・・orz。なんでや?ごそごそしていた"じょっ"さんもプリンスを結んでルースニングを開始し、隣に立って見ているとインジケーターがスーッと沈んだ。"じょっ"さんも出家を回避して僕だけが剃髪を待つ身になったw"じょっ"さんもご自身のロッドを僕に握らせてくれたので、またまた他人様のロッドでキャスト、キャスト。そして、ついにインジケーターがクッと沈んだ・・・キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
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証拠写真は露出オーバーwww。撮影モードのダイヤルが知らない間に回ってしまって、「絞り優先」から「SS優先」になったようです。ニジマスが薄らと見えてます。良く見てくださいw。釣れなさすぎたし、お昼になったのでクルマに戻りました。お弁当を食べたり、"じょっ"さんにコーヒーをご馳走になったり、Fさん御一行と邂逅したりして楽しい時間を過ごしました。ところで・・・Fさんのお連れさんはCI(キャスティング・インストラクター)の腕前で、Fさんも競技会に出ておられるのだとか。みんなキャスティングが上手い(驚)。疎外感を感じた僕は、思わずキャスティングが下手そうな人を探してしまいましたw。ということで、令和2年11月14日は、ニジマス1尾でした。では、また。
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lvdbbooks · 4 years
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2020年7月31日
【新入荷・古本】
村田圭司『趣味の水石百科』(樹石社、1969年)
松浦寿夫+岡崎乾二郎『絵画の準備を!』(朝日出版社、2005年)
オルガ・トカルチュク『逃亡派』(白水社、2014年)
リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(晶文社、1975年)
ジョン・アップダイク『農場』(河出書房新社、1969年)
ルイ・アラゴン『断腸詩集』(新潮社、1957年)
サラ・サリー『ジュディス・バトラー』(青土社、2005年)
『北園克衛詩集』(思潮社、1981年)
『海外の詩人双書3 カミングス詩集』(書肆ユリイカ、1958年)
橋本健『霊感術入門』(池田書店、1968年)
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boooooooooooook · 5 years
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2018年10月読んだ本
「日本文学1永井荷風」中央公論社 「世界の歴史15 ファシズムと第二次大戦」 中老公論社 「テレビ快男児」藤田潔 小学館文庫 「私だけの放送史 民族黎明期を駆ける」 辻一郎 清流出版 「もの思う葦」 太宰治 新潮文庫 「海を抱く」 村山由佳 集英社文庫 「アメリカの鱒釣り」 リチャード・ブローディガン 新潮文庫 「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」 加瀬英明 祥伝社文庫 「植物のあっぱれな生き方」田中修 幻冬舎新書 「ケンブリッジの天才たち」 小山慶太 新潮選書 「日本文学全集49 現代ん名作選 上」新潮社 「日本文学全集50 現代名作選 下」新潮社 「フィネガンズ・ウェイクⅠ・Ⅱ」ジェイムズ・ジョイス 河出書房新社 「フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ」ジェイムズ・ジョイス 河出書房新社 「シェイクスピアへの架け橋」高田康成、河合祥一、野田学編 東京大学出版会 「騎士団長殺し 第一部顕れるイデア編」村上春樹 新潮社 「騎士団長殺し 第二部 遷ろうメタファー編」村上春樹 新潮社 「インストール」綿矢りさ 河出書房新社 「ZOKUDAM」森博嗣 光文社 「原典 イタリア・ルネサンス人文主義」 池上俊一監修 名古屋大学出版会 「ちくま10月号」 「なぜ天使は堕落するのか 中世哲学の興亡」八木雄二 春秋社 「世界文学全集別巻1 世界名詩集」河出書房新社 「泥棒日記」ジャン・ジュネ 新潮文庫 「英語に強くなる本」岩田一男 ちくま文庫 「英単語記憶術 語源による6000語の征服」 岩田一男 ちくま文庫 「最後の秘境 東京藝術大学 天才たちのカオスな日常」二宮敦二 新潮社 「ジョン・レノン全仕事 ア・ハード・デイズ・ナイト」 小学館文庫 「ジョン・レノン全仕事 イマジン」小学館文庫 「こころ」夏目漱石 新潮文庫 「三四郎」夏目漱石 新潮文庫 「ミーナの行進」小川洋子 中央公論新社 「BC級裁判を読む」半藤一利、保坂正康、井上亮、秦郁彦 日本経済新聞出版社 「若きサムライのために」三島由紀夫 文春文庫 「エクソフォニー 母語の外に出る旅」多和田洋子 岩波現代文庫 「仏教聖典」 「ムツゴロウの素顔」畑正憲 文春文庫 「りすん」諏訪哲史 講談社文庫 「2001年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫SF 「ヴィトゲンシュタイン家の人びと 闘う家族」 アレグザンダー・ウォー 中央公論新社 「マウス アウシュビッツを生きのびた父親の物語」アート・スピーゲルマン 晶文社 「ゼロからはじめる生命のトリセツ」長沼毅 角川文庫
10月は運動会がありうちの工場は全体で12工場中5位。応援合戦2位でした。もう大分前のことのように感じます。 11月で食堂の清掃の係になって1年経ちます。毎日皿洗いと床の掃除をしています。その間に工場と居室の配食係にもなりました。今の工場はいろいろと機会を与えてもらっているので感謝しています。
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cellophanemaryjane · 2 years
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リチャード・ブローティガン-1
私の好きな作家はトルーマン・カポーティ、スチュアート・ダイベック、リチャード・ブローティガン、チャールズ・ブコウスキーにレイモンド・チャンドラーです。
アメリカの男性作家が好きだけど、例外的に森茉莉。
女性の作家、新しい作家は基本的に好きじゃありません。本屋の、年々狭くなっていく「外国文学」のコーナーで平置きされている、書店員の手製のポップと著名人のコメントや映画化決定の帯がついていて、おしゃれな装丁の本というものに対して、どうも微妙な嫌悪感があります。
人のおすすめほど信用してはいけないものはない。自分で選べないなら本なんか読まなくていいし、自分にピッタリくる作品というのはいつかむこうからやってくるものだと思っています。
ブローティガンの本の良さは藤本和子の翻訳のおかげが半分くらいはあるような気がするけども、私が好きなところはあのいつの時代だかわからないところと(厳密にというかリアルタイムで読んだ人たちには、あの空気感がヒッピー世代だとわかるようだけど)宗教の匂いのしない淡々としたところ、みんな貧しくよくわからない生活をしてはいるけれど、消えてしまいそうな儚い人々ではなく案外しぶとく暮らし続けていきそうなところ、そんなところです。
でもいちばん好きなのは、なにかメッセージを込めているようで、実は書いてあること以上のことは書いてないようなところです。
「アメリカの鱒釣り」のなかのいくつかの短編(「ヘイマン・クリークに鱒がのぼってきた最後の年のこと」や「クリーヴランド建造物取壊し会社」など)について、一部の読者や���論家の間では環境問題に警笛を鳴らしたものだということになっていました。しかし藤本和子の名著「リチャード・ブローティガン」の中で、そうでもないのではないか、本当に鱒達は爺さんが死んだから行くのをやめようと思ったのではないか、と書かれています。
私がこの本を読む前に、「アメリカの鱒釣り」を読んで同じ感想を(鱒達の意思で面白くないから行かなくなったということを)シンプルに抱いていたので、そうだろうそうだろう!と思いました。
いつの時代も評論家だろうといち読者だろうと深読みやこじつけばかりしてる人たちがいるもんだなぁと思います。
かといって、「アメリカの鱒釣り」でページをびっしり埋めるのも難しいことかもしれません。だって「なんかいいなこれ」で終わっちゃうんだもん。
私が特に好きなのは、「アメリカの鱒釣り」のなかでは「クールエイド中毒者(ワイノ)」「アメリカの鱒釣りテロリスト」「せむし鱒」などの釣りについて書かれたもの、「芝生の復讐」のなかではタイトルの「芝生の復讐」、「1/3 1/3 1/3」です。好きではないけど身につまされるのは「年寄りバス」。読み返してみたらもっとあるかもしれません。
ブローティガンの入門編のように紹介されがちな「西瓜糖の日々」は好きではありません。ていうか全部が傑作あるいは秀作という作家ではないです。
「西瓜糖の日々」で個人的にいいと思うのは、別れた恋人が板張りの道を歩くときに、他の人が絶対に踏まないところを踏んで軋んだ音がするので彼女がいるのがわかる、というところだけです。
「芝生の復讐」はキレキレな一本ですが、とにかく大好きなのは「1/3 1/3 1/3」です。この短編の良さを知るには読んだ方が手っ取り早いのですが、私はこういう、椅子に座って読んでいたら、最後の1ページでその椅子の向きをぐるっと回されたような気分になる、そういう短編小説が大好きです。
ブローティガンの小説には「おもしろうてやがて悲しき」といった雰囲気があり、そこが日本で読みつがれている理由のひとつだと私は思います。
書いてある以上のことは書いてない、というのはポップアート的でたまらないものがあります。そんなになんでもかんでも意味がなくたって、ただ「この時こうだった」というだけで、文学やアートにしてはいけないとは全然思いません。受け取る方も、「あ、そうだったんだ。でもいいね」という以上のことを、語る必要はない時だってあるのです。
(つづく)
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紹介
近年、自らの創作と翻訳を「飴と塩せんべい」に譬える村上春樹の一見独特なアプローチが注目が集めている。その一方で、村上を育てた1970年代の文化的土壌、言い換えれば、ポストモダニズムが急速に浸透していった転換期日本の翻訳文化についてはほとんど解明が進んでいない。当時、発話困難に陥った村上が独自な自己表現を試みる際に参考にしていたアメリカ小説家の作品群の翻訳・受容は、学術界や文壇よりも、60年代のカウンター・カルチャーの旗手たちや産業化するSF翻訳業界によって担われていた。70年代における文化状況の地殻変動を考えると、村上と彼の影響源の間には同質性に由来する一種の「密な���ながり」があったことが指摘できるし、70年代のアメリカ小説群の翻訳かつ受容の過程で形成された新たなスタイルがやがて村上文学の特徴となっていく。
 村上春樹という作家の文化的ルーツの一つには1970年代の翻訳文化がある。この時代の「新しさ」という視点から「新しい翻訳」、「新しい形」で出版された実際の翻訳書や若者文化の勃興のもとで誕生した「新たな」文化空間を、藤本和子、SF小説の翻訳家たちの翻訳についての研究を通して丹念に辿っていく。
▶︎津野海太郎、藤本和子、巽孝之、柴田元幸、岸本佐知子、伊藤夏実、くぼたのぞみ(以上敬称略)といった翻訳家、SF評論家、編集者の方々に著者がインタビューした内容も収録しています。
目次
インタビュー一覧表
序 章 七〇年代末頃の文学趣味の変革──村上春樹の登場
七〇年代の発話困難──翻訳を通しての自己発見
先行研究のまとめ──三つのアプローチとその不足点
同時代想像力とは何か──二つのの構想
第一章 七〇年代の翻訳を検討するための理論的枠組み
エヴェン=ゾハルと多元システム理論
トゥーリーと記述的翻訳研究
第二章 七〇年代の翻訳が置かれた歴史的な文脈
Youngsters come into being──日本の戦後社会史上における「若者」の登場
理想の時代──「太陽族」と呼ばれる戦後派青年像
夢の時代──若者の誕生に伴う「反乱」という形での激痛
虚構の時代──文化の再編成とサブカルチャーの細分化
七〇年代の大きなパラダイムシフト──近代読者から現代読者への転移
近代読者の歩み──先行する読者論
現代読者の肖像──「新大衆」という消費者層の台頭
文学全集と雑誌からみる読者層の二重構造
第三章 ケース・スタディⅠ:ひとりの訳者、複数の作者──藤本和子の翻訳
「エクソフォニー」の系譜に連なる翻訳家──「サブカルチャー」的な生き方
六〇年代の小劇場運動における藤本和子の参加(アンガージュマン)
演劇中毒──ふたりの演劇仲間
運動としての演劇──Concerned Theatre Japan の編集作業
地下という流れに惹かれて──対抗的姿勢
立ち上がるマイノリティ、女性たち──黒人女性の「声」の復元
差別問題のパラダイム転換のために──「報告」の力
聞書という言文一致体──もうひとつの地下の流れ
新たなる沈黙に「声」を──『死ぬことを考えた黒い女たちのために』の翻訳
強かな反逆、企てられた革新──日本におけるブローティガン文学の翻訳受容
七〇年代を代弁する小説家──作品群における「パロディ」の活用
ブローティガンのサンフランシスコ時代―対抗文化との関わり
The Tokyo-Montana Express ──時代の文脈(コンテクスト)からの考察
小説群が受容された経緯
『アメリカの鱒釣り』における「新しい形」の正体
『アメリカの鱒釣り』の日本語訳──文体(テクスト)の側面からの考察
ブローティガンの文体的特徴
『アメリカの鱒釣り』における「新しい翻訳」の正体
第四章 ケース・スタディⅡ:ひとりの作者、複数の訳者
──日本語で構築されたカート・ヴォネガットの世界
新しい小説の書き手カート・ヴォネガット
強い肉声の響きを持つ作品群──ヴォネガットの語り口調
アメリカ小説の崩壊──ニュー・ジャーナリストたちの奪権
Welcome to the Monkey House ──日本におけるヴォネガット文学の受容
六〇年代の黎明期──SFファンダム、共同体の形成
七〇年代の転換期──打ち寄せる「新しい波(ニューウェーブ)」、薄れゆく境界線
八〇年代以降の発展期──SFが豊かな文芸ジャンルへ
複数の翻訳家によるカート・ヴォネガット世界の構築
伊藤典夫と『屠殺場5号』(一九七三年)、『スローターハウス5』 (一九七八年)
池澤夏樹と『母なる夜』(一九七三年)
浅倉久志と『スラップスティック』(一九七九年)
飛田茂雄と『ヴォネガット―大いに語る』(一九八四年)
Translator as a Hero ──ヴォネガット受容の中心的な役割を担うSFの翻訳
翻訳一辺倒時代の『SFマガジン』──SF専業翻訳者の第一世代
「SFの鬼」福島正実の文学路線──SFの定義をめぐる論争
七〇年代における知的労働の集団化──SF界の翻訳勉強会の発足
終章 「若さ」に基づく文化的第三領域の生成──二つのケース・スタディが示すもの
ポリティカル・コレクトネスへ向かうカウンターカルチャー
文学的な地位向上を経験するSF
七〇年代の翻訳文化──ブローティガン、ヴォネガットとの共振
展望──文化的秩序の「脱構築(デコンストラクション)」のあとに
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ashiharashin · 4 years
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【映画コラム1】リバー・ランズ・スルー・イットRiver runs through It
お楽しみはまだまだあるさ Movie Time to Remember
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「リバー・ランズ・スルー・イット」(River runs through It)
「女なんていっぱいいるさ、あわてることないよ」  物語は1920年代のモンタナ州、フライフィッシングを通じて結ばれた父親と二人の兄弟をめぐる話である。原作者のノーマン・マクリーンは大学教授で『マクリーンの川』という原題の本を自費出版で大学の出版部から少部数で出した。ところが本の評判は口コミで広がり、隠れたベストセラーになったという。長老派教会の牧師だった父親は二人の兄弟に聖書の教えとフライフィッシングを教えた。やがて兄のノーマンは東部のエリート大学に進学し、卒業後はシカゴ大学の文学部に招かれる。一方、弟のポールは地元の大学に進み、新聞記者となった。知的で物静かな兄と行動的で野性味溢れる弟の対比は聖書のカインとアベルの兄弟物語を想像させる。独立記念日のパーティで出会ったジェシーにノーマンは一目惚れし、シカゴ赴任と同時に二人は婚約するが、それを聞いたポールが兄に言うセリフが上記のものだ。やがてポールは酒とポーカーに走り、莫大な借金を背負い、道を誤り殺される。すでに年老いた兄は、流れる川にかつての弟の天才的なキャスティングの姿をしのび、川の流れに真実が眠っていることを覚る。  スルー・イットの「It」が何を意味しているのか、長らく疑問だったが、今回見直してみて、それが「時」であり「時代」であったことに気づいた。川は家族の物語の間を、今も変わらず、黙々と流れているのである。  ロバート・レッドフォードが監督し、ブラッド・ピットを起用したことで、ピットはいきなり銀幕に躍り出た。激しくはかない線香花火のような人生を送ったポールの役はピットそのもので、その笑顔はいつまでもぼくらの心を捉えて放さない。ジェームス・ディーンがそうであった���うに永遠の青春の姿なのである。  モンタナへは二度行った。舞台となったミズーラの町の近くの牧場にホームステイしたことや映画のロケ地となったギャラティン川でもフライフィッシングをしたことを思い出す。映画を観て訪ねたわけではなく、いずれもフライロッドを携えての、釣りの旅のことだった。映画が上映されたのは1992年、ぼくの『地球鱒釣り紀行』(新潮社)が出版されたのは1997年だから、その頃ぼくは海外取材にかこつけてパックロッドをスーツケースにしのび込ませ、夢中になって地球を駆けづりまくっていた。  アメリカのカントリーサイドを舞台にした映画が好きだ。『モンタナの風に吹かれてThe Horse Whisperer』(ロバート・レッドフォード)、『アメリカ、家族のいる風景Don’t Come Knocking』(サム・シェパード)はモンタナが舞台、また雄大な風景をバックにした西部劇も多く『ワイルドレンジOpen Range』,『レヴェナントThe Revenant』(レオナルド・ディカプリオ)もモンタナが舞台だ。  抜けるような青い大きな空と澄み切った渓流の流れに心は洗われるようである。
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anc-fi · 6 years
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読む本リスト
小説
「アラバマ物語」ハーパー・リー
「スラップスティック」カート・ヴォネガット
「猫のゆりかご」カート・ヴォネガット
「タイタンの妖女」カート・ヴォネガット
「アメリカの鱒釣り」リチャード・ブロティーガン
「芝生の復讐」リチャード・ブロティーガン
「レモンケーキの独特なさびしさ」エイミー・ベンダー
「日の名残り」カズオイシグロ
「マリーについての本当の話」ジャン=フィリップ・トゥーサン
「ムッシュー」ジャン=フィリップ・トゥーサン
「うたかたの日々」ボリス・ヴィアン
「博物誌」ルナール
「白夜」ドストエフスキー
「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー
「We Should All Be Feminists」チママンダ・アディーチェ
「騎士団長殺し」村上春樹
「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹
「空の中」有川浩
「輝ける闇」開高健
「猫を抱いて像と泳ぐ」小川洋子
「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦
「はやさのはやさ」円城塔
「門」夏目漱石
「女たちよ!」伊丹十三
詩集
シモーヌ・ヴェイユ
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
ルイ・アラゴン
レナ・リカール
もう一回
「キャッチャーインザライ」サリンジャー
「異邦人」アルベール・カミュ
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eventsantjordi-blog · 4 years
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119 アメリカの鱒釣り  (深川部長)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%B1%92%E9%87%A3%E3%82%8A-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AC%E3%83%B3/dp/4102147020
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ootoyadokusyokai · 6 years
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第17回 / 2018年04月
リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』藤本和子訳
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310kori · 5 years
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ドッペルゲンガーに出会ったら
ちょっとした人生の迷いとして、自分にしか書けない文章とはなんぞやと思っていた時期があった。過去形だ。でもまだたまに、明るい真昼にサッと雲が太陽を隠すように、不安になることがあるけれど。しかしいちおうの解決は着いた。この世界に私という人間がひとりしかいない以上、何をどのように書いたところでそれは私にしか書けない文章であるということに落ち着いたのだった。
今のところ、この世界に私はひとりきりしかいないわけで、他にもいたならそれはびっくりする。
もしも何かの偶然でもうひとりとばったりどこかで出会ったなら、いっしょにゲームセンターに行ってポップンのバトルモードで遊ぼうと思う。
雪は昨夜、自宅付近ではまだ溶け切っておらず、まさかのまさかで凍結していた。
完全に油断していたので、勢いよくすべった。だが転んではいないのでセーフだ。まさか3月中旬にこんな目に遭うとは。
先週末に買った「アメリカの鱒釣り」を読んでいる。中扉のますの絵がものすごくかわいい。
ケニー・ドーハム「ウナ・マス」の「ストレイアヘッド」を聴いている。聞くたびにトニー・ウィリアムスのドラムがものすごく上手くて驚愕する。
私が持っているCDはリマスター版なのでボーナストラック 「イフ・エヴァー・アイ・ウッド・リーヴ・ユー」がついている。たまにそれが余計だと言う人もいるけれど、個人的には、あのメンバーがスタンダードを演奏したらどうなるのかという興味を満たすことが出来る1曲なので、とてもいいと思う。
今日は金曜日です。来週もいいことがありますように。
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