今日の鍼灸治療は、眼底出血後の治療。目の周りの視野に網がかかったような感じに見えるとのこと。脈は沈んでいる。血圧も前ほど高くはない。腎不全。ギリギリ透析を免れてるご様子。
半年ぶりの再診だったので、その間の様子などを聞く。あまりに体調が悪くて起き上がれないような状態が続いていたようだ。最近その不調が目の症状が現れてきたあたりから、全体の調子が改善してきたご様子。血圧も下がっているが、少しお痩せになっていた。食べるのが億劫になっているご様子。
全体的に柔らかではあるが、臍周囲の腹部硬結と部分的なツボの硬さが気になる。
目に対するアプローチは、私の流派は直接目を刺激しないし頭部も刺激しなかった。
手足末端のツボを使い、腹部の硬い部分を柔らかくするアプローチ。
施術後は沈んでいた脈は力を取り戻している。顔色も良い。鍼を使わずてい鍼と手技のみでの治療でしたが、それでも久々の施術で少し刺激が強かったのか、しゃがみこまれていたので、少し施術ベットで休まれてからのご帰宅。
目や頭部を一切触らずの治療でしたが、視野に網がかかったような感じが改善したとのこと。定期的に治療を再開することにされたご様子。
とりあえず、今回は治療効果がすぐに表れてくれて良かった。
患者さんはレーザー治療は嫌だと仰っている。主治医との連携が取れれば良いですが、私は全身の調子を整えるようなアプローチに徹したいと思う。
変化が現れてすぐに、早めに来て頂けた為か、改善したと声が聞けて本当に良かった。
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Mourning a dear friend (verse)
My dear friend A passed away.
We are close in age and met in our early 20s.
A and his friends were eating at a certain natural food restaurant.
I heard someone say, ``Trihalomethane (*1) ...''
Since that was my specialty, I called out to him from behind.
That's the encounter.
He is an acupuncturist, and his girlfriend who was also present
After that, I started working at a botanical garden. The strongest couple.
He is someone who cannot fit into one profession.
Most of the work he has been involved with
Now he can do more than a professional job.
He called me a ``genius,'' but he was a ``super genius.''
If I were to compare him to an animal, you could say he was a ``capable four-legged beast, a bear.''
There were a lot of things going on, and the happy times outweighed the sad ones.
But I said goodbye to him twice.
I thought plants, especially wildflowers, were precious, but
He had a strong air of disdain for wildflowers.
"I'm not as versatile as you think.
If I were to be reborn, I would like to become a chickweed.”
I wrote a letter to him.
A few years later, I contacted him and we resumed our friendship.
However, I wrote my book ``Eating Wildflowers - Nourishment (JIMI)!!''
When I tried to write it, I used the comfrey (*2) item as a sample.
When I sent it to them and asked for their opinions,
“Comfrey is a poisonous plant, people who irresponsibly published it and ate it
Will you be held responsible if they get poisoned? "and.
(Even wild plants with the same poison will not addict you unless you overeat them.)
That's what I thought. Listening to Mr. A's words,
"That's enough," I said and hung up.
After that, I stopped contacting him.
If someone says, "It's too young, Morishita," that's all that matters.
I thought, ``At the time of Chickweed,'' I realized that nothing of A had changed.
I was disappointed.
So I stopped dating. Even so, he still gave me New Year's cards.
Mr. A has left this world.
"Thank you for your hard work, Mr. A. Let's meet again in another world."
BGM: Self-Portrait (Ryuichi Sakamoto)
(*1) Trihalomethane: A carcinogenic substance contained in tap water as a result of chlorination.
(*2) Comfrey: An herb native to Russia. Contains vitamin B12.
(2019.11.21)
畏友を悼む(韻文)
私の畏友・A君が亡くなった。
お互い年齢は近く20代初めに知り合った。
A君たちが某自然食レストランで食事中、
「トリハロメタン(*1)が・・」と話すのを耳にした。
それは私の専門だったので、背後から声を掛けた。
それが出合い。
彼は鍼灸師の卵で、同席していた彼の恋人も
その後某植物園で働くようになった。最強のカップル。
彼はでも1つの職業に収まらない人で
関わったほとんどの仕事で
プロ以上の仕事が出来るようになった。
彼は私を「天才」と呼んだが彼こそ「超天才」だった。
彼を動物に喩えると、「能ある四脚獣=熊」と言えた。
いろいろあった、楽しい時が悲しい時より多かったか。
でも私は2回、彼に別れを告げた。
私は植物、中でも野草を尊いと思っていたが、
彼には野草を蔑む空気が濃厚だった。
「僕は、君が思うほど万能ではない、
生まれ変わるならハコベになりたい」
と彼への手紙に書いた。
それから数年、私のほうから連絡し、再び交遊関係が復活した。
ところが、私が拙著『野草を食べる・滋味(JIMI)!!』
書こうとした時、サンプルとしてコンフリー(*2)の項目を
送って、意見を聞いたところ、
「コンフリーは毒草だ、無責任に本にして、食べた人が
毒に当たったら、責任は取れるのか?」と。
(同じ毒を持っている野草でも、過食しなければ当たらない)
と私は思ったのだ。そのA君の言葉を聞いて、
「もういいよ」と電話を切った。
以後、こちらからは連絡しなくなった。
「青いね、森下さん」と言われればそれだけのことなのだが。
私は「ハコベの時」と、A君はなにも変っていないことに
気付いたのだ。失望したのだ。
それで付き合うのを止めた。それでも年賀状をくれていた
A君はこの世を去った。
「A君、お疲れさま。どこかの世界でまた会おう。」
BGM: Self-Portrait (坂本龍一)
(*1)トリハロメタン:塩素処理の結果、水道水に含まれる発がん性物質。
(*2)コンフリー:ロシア原産のハーブ。ビタミンB12を含む。
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無題
家人が首を痛めていて、ツァイ・ミンリャンの河みたいになっている。ウケる。駅前に新しくできた鍼灸院に試しに行っ���みたところ、肩凝りが昂じて炎症を起こしているとかなんとか。皮内鍼といって、ごく小さな鍼を置いた上からピップエレキバンみたいなパッチを貼られて帰ってきた。肩に2箇所と、手の甲に1箇所。なんで手の甲? 経穴って神秘。河はずっと息の詰まるような苦しい映画だったけれど、確かラストシーンが、掃き出し窓からベランダに出ていく主人公を部屋の中から映す定点で、主人公が見切れたあとも、開けっぱなしの窓と、カーテンが昼間の光に揺れながら、綺麗だった、そのままエンドロールだった。首を寝違えたりすると、あの映画のことをいつも考える。
*
永い沈黙を破って、ようやく話しはじめた人のぎこちない口もと。乾いている傷、まだ血を流している傷、膿んでいる傷、ひとつびとつ数えるみたいに、たどたどしく、きれぎれに、ことばを選びながら、ことばを棄てながら、その人は話の穂を継ぐ、落ち穂を拾う。俺はそれをただ黙ってきいてやる。
*
過日、帰宅したら、直子と愛称している我が家のロボット掃除機がリビングの真ん中で事切れていた。見ると、ビニール袋を巻き込んだシリコン製のブラシ部分が捩じ切れて欠損していた! 俺は直子を抱き寄せて、泣き出したいような気持ちになった。保証期間はとうに過ぎている。修理費用はいくらか、そもそも直せるのか、サポートサイト見たら、ブラシ3個セット2,178円(税込)で売ってた。お前のプッシーも消耗品なのかい、直子。
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海と山のあいだの数年間
東京から海と山のあいだに引っ越してきて、仕事をやめて学校にかよったりして、また働きだしたりした。フラはひっこしてきた秋に初めていまも踊っています。しつこくいろんな教室に見学にいって教室をみつけて、いまはもう4年目かな。フラが大切な生活の一部みたいになって、ふしぎ。夫も去年から踊っている。いつも一緒になんにでもついてきてくれる男はつまらないと思う人もいるみたいだけど、わたしは���っぱり一緒にいたい人をパートナーとして選んだし、今のところ夫も楽しそうにしてくれていてよかった。そして、ねこたちはますますかわいい。わたしたちとの生活になれてきて、おなじ布団で眠ったり、ひざでくつろいだりしてくれるようになった。うまれてすぐに人間に拾われた(おそらくそのすぐ前には人間に捨てられた)いちばん幼いキジトラがあまえ上手で、不器用なソックス猫のいいお手本になっている気がする。黒猫は遊び相手がみつかってうれしそう。
数年間大病もなくおおむね健康ではあったが、昨年12月末から体調が悪いということを認識する間もないくらい体調がわるかった。一年前に仕事を再開したのでまあつかれていたのだろう。ほんとうはアーユルヴェーダに行きたかったのだけど遠いし予約もなかなか取れなくてその場しのぎとして行った近所の鍼灸院がとても合っていた。それから通うごとに身体がよくなっているのがわかる。あと水をいちにち2リットル飲むようにした。むくみがとれて3キロくらい落ちた。整体でやせるなんかうそだと決めつけていましたが、ほんとうでしたね。これまでも毎日1リットルくらいは飲んでいてじゅうぶんなつもりでしたが足りてなかった。あとにがりとか入れて飲むと良いと教えてもらった。マグネシウムを摂るのが重要らしいよ。
仕事は家から職場が遠くて疲れることが以外は気に入っている。フルフレックスであるところと、外国籍の社員が多いところが特に良い。ジョブホッパーのわたしに合う環境はなかなかないので、よほどいいところがない限りは続けたい。あともうすこし在宅勤務の割合を増やしたいのと、もうすこし仕事に役立つ知識を付けたい。ただあんまり集中しすぎて胃が痛くなったりするので、適度にサボりたい。相変わらずあたりまえに仕事より人生が重要なので。心から望んでやりたいことが仕事だったり、偶然好きなことでお金を稼ぎやすかったりする人がうらやましいのに、だんだん自分がなにをしたいのかわからなくもなってくる。生活できるお金がもらえて、健康で、わたしのすきなひとや猫とと暮らしたいよ。考えるいとまもなく働いている。数年後くらいまでには、趣味みたいな仕事を見つけたい。
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おとといの日記。夏至の晩。冬至から数えて今日が一年の折り返しだなんて信じられないなと思った。早すぎる気がする。1月に義父が亡くなってバタバタしていたというのはあるけど、別にそういうのがなくてもそう思う。
冬至は12月の後半なので冬だなあという感じだけど、夏至の6月の半ばというのは梅雨であってまだ夏ではない…という感覚がある? 冬至と夏至で一年を半分に切り分けるとなんかアンバランスな感じがする。
ただまあ、12月が冬というのはイメージの問題だよなと思い直す。実際12月を過ごしているときはまだあんまり寒くなくて、秋の終わりが長々続いている感じだと思う…このあたりの、最近の気候では。銀杏がすっかり黄色くなるのは12月に入ってやっとだし、クリスマスとか年末の慌ただしさで冬感が強いだけのような気がした。そして冬というのは、本当にとても寒いのは1月と2月の始めくらいで、2月の半ばくらいからなんとなく春っぽい感じになるなあと思う。
まだ夏でもないな、冬ってほどではないな、冬ももう過ぎたなあみたいな、季節と季節に片足ずつ突っ込んでまたがるようなグラデーションの期間は案外長い。7月だってほぼ梅雨だし。ずっと前に勤めていた会社、やめる直前は体調を崩しがちだったんだけど、周囲の人がよく季節の変わり目だからねと励ましてくれて、でも季節はずっと変化してるじゃないですか…と思っていた。ずっと体調悪くてもしょうがないってことかとか思っていた。
夕方。会社を出たら涼しくてちょうどいい感じだった。どこまでも歩いて行けそうな、冷たいビールにぴったりの晩。夕飯は一人で済ませていい日だったので何か食べて帰ろうかと思ったけど時間が早かった。いったん家に帰って洗濯機を回し、たまっていた皿洗いをして、その間ロボット掃除機も動かした。掃除機は道に迷っているのか廊下の同じところを行ったり来たりしていて、こっちだよと手で持ち上げて掃除してほしい場所に連れて行った。動物を相手にするみたいに声をかけてしまう。
いくら夏至だからってこんな時間に洗濯物を干すこともなかなかないな…と思いながらベランダにTシャツやタオルを干した。日没すれすれのまだ明るさの残る時間で、夜風が涼しかった。平日に洗濯ができると達成感がある。
いろいろ家事を片付けて、近所のブロンコビリー(ハンバーグのファミレス)に歩いて行き、道が暗いからかやけに遠く感じた。動物病院、寿司屋、鍼灸院、何かの事務所。みんなもう閉めていて暗かった。寿司屋は定休日かもしれない。家事をぱぱっとやって徒歩で外食に行くの、村上春樹の僕みたいだな…と思った。
ブロンコビリーはサラダバーに力を入れていて、チキンとパクチーのサラダとか切り干し大根と夏野菜のサラダとかおからと柚子のサラダとか、そういうデパ地下のデリっぽいものがいつもずらりと並んでいる。ポテトサラダとかマカロニサラダとかレタスとかトマトとかそういう定番のも。オレンジやグレープフルーツやコーヒーゼリーも。
ディナータイムは料理プラス500円でこのサラダバーがついてくる。すごい。買うより安い。値段もそうだしこんなにたくさんの野菜を使ってこんなにたくさんいろいろ作るなんて自分ではとてもできないと思う。野菜不足を感じていたので今日はブロンコだな…と思ったんだけど、そういうふうに考える人が多いのか、平日の夜だけど人の入りは多かった。近くのテーブルで男の子と父親とおばあちゃんぽい三人組がハンバーグを食べていた。べつにどうってことないし余計なお世話なんだろうけど、おばあさんがリュックを背負ったまま食べていたのがちょっと心配になった。下ろしたら背負うのが大変とかあるのかな、息子手伝ってやれよとか、ちょっと視界に入っただけなのにほんとに大きなお世話なんだけど、勝手に思った。こういう自分の覗き見根性がときどきとても恥ずかしくなる。いい子ぶってるわけでもなく、覗き見の何がしかが小説を書くことにつながっているのは否めないこと、わかってやっていることを含め、恥じ入る気持ちがあり、ありつつ、こういうふうに書いてしまう。
ハイボールを頼んで、大根サラダやポテトサラダをつまみながら読みかけの本を読んだ。正確にはわしわし食べた。メインはチキンステーキ。いつもハンバーグばかり頼んでいるのでたまにはと思った。読んでいた小説の人びとが、この中だったらなんとなくチキンを食べそうだなと思ったのもあった。「やったぜ今日はチキンステーキだ」というのは『ラスベガスをぶっつぶせ』だっけ…。
読んでいたのはジャッキーケイ『トランペット』。著名なジャズミュージシャンが亡くなり、死後彼はトランスジェンダー男性だったと暴露される。知っていたのは妻だけ。息子もバンド仲間も誰も知らなかった。妻や息子や周囲の人びとがかわるがわる語る形式の小説。息子は「親父は男ではなかった」と戸惑い、混乱する…。
死後アウティングされる。死後もなお男・女を行き来させられ、説明を求められ、過去をほじくり返され、暴かれる。「そういえば」これまでの生活でいろいろサインがあったなと「検証」され、あらゆる言葉で揶揄される。
おそらくは前フリ的なものだろうとは思いつつ、そういうシーンがきつくて読むのを中断していた。再チャレンジしてみてやはりきつかった。トランスジェンダーやノンバイナリー等当事者はちょっと注意が必要かもしれない。1998年の作品で、邦訳は2016年。作品の舞台も1997年。ちょっと古い。今だったらこういうふうには書かないかもという箇所もあった気がする。
ただ本作は悪意を持って書かれたものではないと思う。計算づくで書かれている。息子の暴言も、記者の下世話な野次馬根性も、ろくでもないものだと読者にわかるように書かれている。こういう人がこういう状況になったらこんなふうに考えるだろう、こういうひどい言動をやるだろうというのが書かれている。それはすごくわかる。わかるけれどもとてもきつい。わたしはフィクション慣れしている方だと思っているけど、読んでいてけっこう落ち込んだ。
死んだ人だからというのはあるかもしれないなと思った。本人は何も語れないのにあれこれほじくり返すのはフェアではない…これは物語の中の話だけでなく。不在の人物について周囲の人たちがかわるがわる語るみたいな物語はたくさんあり、「死後にトランスジェンダー男性だったとわかった」という話をその構造で書くとこうなるんだろうけど、現実で起きている「本人が言い返せない(言い返すすべをもたない)のに他人が勝手なことを言いまくる」というひどさを物語でもやるのは、このように書きたいのはなぜだろう? このように書かれるとおおぜいの人が読もうとするのはなぜだろう? みたいなことを考えた。
いやなぜだなんて問いはズレているとは思う。物語がどうしてそのように書かれているかは、効果をたくらんでというものでもない…。また、ろくでもない内心を小説が書けなくてどうするというのはほんとに思う。わたしもさっき近くのテーブルを覗き見したじゃないかと思う。それとこれとは関係ないかもだけど。だからこの小説がひどいとか有害だというわけではない。ただわたしとしては読んでいてきつかったという感想がある。ということ。また本作は実在の人物をモデルにしている。完全に埋没して生活していたミュージシャン。
長くなるのでまた改めて書くけど、本作はめちゃめちゃきついシーンはありつつ、彼がなぜトランスジェンダーなのかについては語らないのがとてもよかった。周囲の人間がいくらほじくり返しても、内心で悪態をついても、本人の内心には至れない。そこが本作の肝だと思った。
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