Tumgik
shigerunakano · 16 days
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ここ数日来、頭から離れなかった旅行の件が、どうやら、しだいに現実のものとなっていくようです。ファラディ様のあの立派なフォードをお借りして、私が一人旅をする—もし実現すれば、私はイギリスで最もすばらしい田園風景の中を西へ向かい、ひょっとしたら五、六日も、ダーリントン・ホールを離れることになるかもしれません。
-カズオ・イシグロ「日の名残り」
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shigerunakano · 16 days
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10年代の終焉を描く
台詞を吟味すれば分かることだが「ボクが修学旅行に行けなかった理由」は文字通り極限を描いている。日本の漫画全般に見られるような休息エピソードであり、外伝(スピンオフ)だが、しかし、そのようなものにありがちなエロスとみなされる穏当な趣は一切なく(主人公グループがアイドルである必然)、死に限りなく接近したホラー的とも言える背徳感だけが羅列されていく。そして彼女たちはそのような物語に積極的に向き合おうとする。なぜか。今日が修学旅行であるからだ。これらは動物なのだと気付かされる。修学旅行は動物のために行われたのだ。彼女たちはそれを知っている。動物に-なること(ドゥルーズ)はこんなにも人間的なのだと気付かされる。そのまま場所と時間を共有する。それが役者の仕事である。空間を情熱的に提示すること。そこにおいて彼女たちが常に微妙な、フラグメントな場に身体を置いていることが重要である。これはアイドルによる戦国時代ではなく、アイドルによるフランス革命だったのだ。彼女たちは死ななくてはならない。あぼーん。というインターネットミームと共に。そのような墓場とともに。この物語の時点で、それとともに。創作物の独立と独立性を守るために。そしてそのようなものとしての国家の独立を守るために(どの国家?)。
「動物化するポストモダン」はフランス革命を招いたと述べねばならない。すなわち詩への回帰が生じているのだ。あなたのすぐ横で(スピノザ、東)。これはまるで「最も偉大なるアイルランド映画」ベケットの「フィルム」のような革新性を備えている。すなわち、我らの時代20世紀……。
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shigerunakano · 1 month
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秋山康の射程と吉本ばななのそれ(エス)
秋元康の歌詞の特徴は常にある一定の抑制状態を示しているということで、「会いたかった」という簡単な日本語は、彼の尊敬し理想とする阿久悠の微妙さが極まった文体、そして何よりも厳密には詩性へのこだわりがパターナルな規範意識そのものに接続された形態との乖離そのものとなって現れている。彼は「学校でひとりで、文章をつづる」ような陰キャを見下し、馬鹿にするような不良性を初期の頃から備えており、そのことに気付くか否かで、吉本ばななのような「ポップ文学」のギョーカイとの距離というよりも組長の息子がおこづかいをもらうような「養分摂取」(彼女は誰もが知るレベルの批評家の娘だ)のありさまに敏感でありうるか、ということに繋がる。これは韻文の特質であり、なぜ「メンヘラ」がSNSで文字をつづるのか、という問いに連なる。彼女は典型的な「お嬢様」であり、そのことに気付かない限り「女子グループ」の洗練はない。これは当然レヴィ=ストロースの限界にも関わる。吉本ばななのスキャンダルが出た時はレヴィ=ストロースのような構造主義からの逸脱は誰の目にも明らかとなるだろう。拷問という儀礼制度の再開である。そしてTwitterのつぶやきといったものはまさしくナルシスティックなそして何より、先ほども述べたパターナリズムの発露としての形態にほかならず、パンチラインの連なりである。実に退屈で愚かだ。私は今あえて「在日文学」については語らないが、秋元康というよりは吉本ばななこそが、「かまとと女」の振る舞いなのだが、そのことにお気づきだろうか、陰キャたちは(カモフラージュの問題)。
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shigerunakano · 2 months
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新世紀の福音
 2ヶ月前巨大怪獣が日本に到来。3月11日のことである。横浜みなとみらいに上陸した際政府は30分前から緊急事態宣言を出し、近隣住民および来訪者への注意をマスコミおよび情報端末向けのサービスを用いて発する。東京湾沿岸特にその北部地域への注意を発したが、実際に巨大怪獣がみなとみらいに10時15分に上陸した際、地域一帯の建築物・電気水道含むインフラ・住民および来訪者への甚大な被害が発生。建築物の倒壊と火事の被害は南海トラフの被害予測を大きく上回る結果となった。そのまま巨大怪獣は西にほぼ直進し、横浜市含む人口密集地に同様の被害を引き起こしながら進んでいった。相模原を過ぎた辺りで進路をやや北に変え、蛇行しつつも直進。2日後の3月13日の午後11時45分には山梨県北部の八ヶ岳連峰の南方麓において動きを停止させ、潜伏をはじめる。
巨大怪獣は1日おきに北西部に位置する諏訪湖に向かい、3時間ほど停止した上、水中に顔をうずめるような動作を繰り返す。その区間の住民の避難はおおかた済んでいた。巨大怪獣はその動作をすでに1週間と1日繰り返していた。
対応に迫られた政府は国内の防衛省含む機関に任せるよりも、国外のリベラルな知識人に頼った方がいいとして、ブラジルの機械工学の第一人者であるミゲル・グティエレスが偶然巨大な鉄板を用いた圧力装置を開発途中だったため、彼に巨大怪獣への対応を依頼することにした。すなわち政府は博士との協力のもと諏訪湖にいる巨大怪獣を巨大な鉄板を下方に降下させる圧力装置(それも直径100メートルを超えるものである)を用いて湖の底に押し付けた上、窒息させることにしたのである。圧力装置はプロトタイプがすでに完成し世界中の研究所を交えた実証実験に入っていたが、本当にそのまま巨大怪獣がその場に潜伏と諏訪湖への移動を続けるのか。それから巨大な圧力装置をどのようにして現場に運搬するのかという疑念は残った。
なにはともあれその案を聞いた政府関係者は談笑した。
「これってひょっとして」
「巨大ロボットだ!」
つづく
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shigerunakano · 3 months
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無題
メルヴィル、ドストエフスキー、トルストイ、すなわち19世紀の文学傾向において見られるのは、プラトン的な観念論もしくはモーツァルトにおけるような古典派的な様式主義への軽視と無神経である。これは「パリ万博」に見られるような生産力の発展と人文主義的多民族間の調和という理想と目標とは大きく趣を異にする。そこにおいて、西洋的理想なるものと、雑多な現実が混ざりあっている。「あれもこれも」といった具合に、すなわちヘーゲルが思弁的にみずからの哲学を基礎づけるのとは「違うしかたで」、ふと喩えを思いつくのに近い偏在がある(*1)。これはひとつの「白人の病」と呼ぶべきものであり、モーツァルトの「リンツ」がたった4日で書き上げられたにもかかわらず、圧倒的な洗練と様式美を誇っていることとは対極に位置付けられるだろう。すなわち、モーツァルトのような才能に対して19世紀の文学作品とその特徴はある一定の限界を有しているし、「子ども」であると喩えられる。
19世紀の謎を解き明かす上でフーコーの「臨床医学の誕生」は実に優れた構造(主義)を有しているといえる。第1章のタイトルが「空間と分類」であり名辞イスラエルは空間と分類が存在する記号‐シーニュとして認識されよう。そして第2章のタイトルは「政治的意識」になっており、空間と分類に対し政治的意識を投入するというパラドキシカルなジレンマを投影する。「カインド・オブ・ブルー」あるいは「アクエリアスの時代」。ジャズ。ロック。これはイスラエル人の生命を象徴化しなおかつ宙吊りにする「カス」の手口である。「臨床構造を出現させろ」と言っているのである、彼らに対し。これはダビデとソロモンの関係に似ている。ダビデ‐ソロモンを記号バーで結ぶことはひとつの学術的かつ論理的意味を形成する。それが先ほど説明したことである。いわばそのようなものは「文系の発想」であり世界史の神秘化である。医学との差異であり強度の条件である。「歴史を楽しもう」とのことだ。これはドイツ・ロマン派に代表されるヨーロッパ的憂いと熱狂に通底する。すなわちロマン主義は知的な冒険であるというヒューマニティーのことである。そのようなヨーロッパの伝統と呼ぶべき知的営為と想像力に接続されているのがイスラエルであるいえる。良くも悪くも。
これは柄本佑‐柄本時生という結びつきで考えてもよいだろう。柄本佑は父である柄本明の子として日本の芸能界デビューしているが、必ずしもそのような記号‐シーニュを示しているのではなく、彼の現在の地位が芸能界において最上のものであるという「トリッキー」な見立てが庵野秀明の「シン・仮面ライダー」には含まれている。そして彼は同時に柄本時生の「兄弟である」(強烈なエクスキューズが必要!!!これはアメリカ的なユーモアである)。
アメリカにおけるようなプラグマティズムに関して、戦争のような人為的なるものだけではなく、天災であっても、単なる科学的偶然であり、一神教における神や天使や幽霊のようなものを含む超越的なるものの審級に破産宣告を行うこと。災害等によって生じた人的・物的被害を喜び、賛美することもいまや我々にはできる。これは坂口安吾の戦争である。愛知県民ならそう判断するであろう。彼らは特に陰湿で「あいつが嫌な思いをしたからそれでいい」というように経過次第的かつ遂行論的にプラグマティズムを活用する。それはひとつの厭世観だが同時にもろもろのホーリアーな「生の欲動」への絶賛と畏敬が込められている。いわばそれは「民族主義の裏側」とでも呼ぶべきものであり、かつてのスーパーナショナリズムを踏まえた「東海道本線の結果」のようなものである。これは静岡県のことであり、しかしたしかに静岡県のことではない。いわば列車は流れ‐切断(ドゥルーズ、ガタリ)である。すなわち大阪(流れ)であり、大阪は「現代哲学」の名をはく奪されることになるであろう。「そうではない」と。そのようなライン(東海道本線)においては、赤子が死んでいても、何かの被害に遭い利用されても、誰も気に留めないであろうと直観によりまなざされる(メラニー・クライン)。よって大量生(東浩紀)と呼ぶべき事態では新聞報道に見られるような悲惨な出来事こそが賛美されるべき喜びである、と考えられることになる。いわばこれは認識論的エアーポケットであり、目の前に突然零式艦上戦闘機が現れるようなものである。「自分は兵士である。否、ギリシャの軍隊である」と。なおこの言及は「21世紀の哲学」と呼ぶにふさわしい洗練さを備えている。そもそもそのような美辞麗句を用意するまでもなく、ランドが「暗黒啓蒙」と銘打ちリバタリアニズムの可能性を極限化してみせ、マラブーが近年の書物でクリトリスにアナーキズムの様式を見出したことはアナーキズムのより一層の台頭を示すと同時に「思いやりとやさしさ」といった古めかしい規範の失効を裏付けてもいる。私の話をたんなる模様と断ずることはかまわないが、過剰なサイケデリックへの傾倒はより一層の不摂生を招くゆえご注意を。
(*1) 晩年のドゥルーズがそして近年のアップルとスティーブ・ジョブズが露悪的なまでにそして、嘘くさくインディ・ジョーンズやそれからハムナプトラを提示してみせた、という類型もしくは定型であり、逆説的にはあの日本の英語教育課程においてたびたび登場する「ミスター・ブラウンの誘惑」がそれに該当する。
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shigerunakano · 3 months
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森川葵のポスト構造主義以降の位置付けについての試論
「劇場版 零〜ゼロ〜」、もし身体表現が人間の脳を含む身体のみによって構成されるならば、ここに映る森川葵は必ずしも演技という枠組みによって捉えられるべきものではなく、森川葵が身体を屈曲しなおかつ硬直させている光の反射と色のあんばいであると指摘される。彼女は生気論的とみなされる二次元表象とは異なる三次元表象として、屹立しているのだ。非常に明治時代的かつ神経症的な物体と液体の複合的流転と流動(三次元的物語)含め。このような技術到達点、すなわち、アルトーの栄光と呼ぶべきスクリーン文化の輝きの中で中村ゆりと浅香航大のカフカ的もしくはユダヤ的姉弟だけがやたらと色褪せて見える。これこそが「直観的愛知」とでも呼ぶべきもので、ここに映る森川葵が、科学技術的で脱魔術化的(マックス・ウェーバー)な三次元表象であると同時に彼女の暮らす愛知県という場所の記憶に他ならないと確信させる。すなわち、彼女にとっての山村のミッションスクールという舞台設定は、ロケ地でのエピソードとして文字通り科学技術的にカメラの前で話していい事物なのである。すなわちそれが愛知という健全であり、日本列島という健全なのだから(「ヨーロッパを一匹の亡霊が徘徊している」)。
いわば、ここにおいて撮影機材は監視カメラであり、社会主義的ドキュメントを目論むセクトを形成している。特にメソッド演技がソビエトの政治状況との親和性を有したことを忘れるべきではない。しかし、それは撮影スタッフの恩寵であり、観客に付与され、割り振られるものではない(作家性の問題)。映画「桐島、部活やめるってよ」における台詞「先生はロメロ観たことありますか」という神木隆之介の台詞は、切実なものであると同時に、神木隆之介が物理的に、すなわち、音波論的に発話した内容に他ならない(自白の定義)。最後のシーンで森川葵が心霊写真を激写することは理論上の蓋然性を有しており、差異の哲学そのものである。アルトーは言った。「器官なき身体」と。彼は創造者として作品を作り、上演する者だが、同時に見られ、映される存在でもある。純粋な客体としての宙吊り状況は真の作家性であると気付かなくてはならない。それはこの森川葵が到達しつつも到達出来ていない美学的水準である。彼女は自分が映し、描き、創造する側であるという誤解あるいは傲慢を吐露し物語を終わらせる。すなわち彼女は役者としてアルトー未満であり、アルトーに対し備給を果たす役割である(roll model, acting person)。彼女はexileを知ることになるであろう(これはフランス的な言いまわしであり、まさしくオイディプスの運命のことである)。
ここまでの議論は「思弁的実在論」という大陸哲学の最新の思想潮流に関わるものであり、カントに代表される超越論的観念論を批判することは人間の内面を否定、否認することに関わる。これは「良心の呵責」といった観念論とその倫理的側面との結びつきを放棄し、廃棄する苛烈な試みとなる。それは認識論的に上記のものを想起し、なおかつ想定した態度であるから(批判行為の可能)。これは他者に内面がないとみなす行為の急進化もしくはそのような努力であり、物体ないしは肉塊に対する認識を道端やショッピングモールや博物館において生じせしめる。いわばヨーロッパの大地という根源的原理の喪失を見込む態度であり、メイヤスーの「有限性の後で 偶然性の必然性についての試論」が、過去数千年にわたるインド=ヨーロッパ語族の書き物の伝統における批判なるもののフォーマットを、露骨なまでに実直に、そしていとも安らかに再現していることに通じる。これは私が確認している近年の西洋人に普遍的な特徴といえるものである(「インターネットは独立国家である」)。いわばこれほどまでにアメリカナイゼーションが進捗した白人社会の必然といったところか。「さようなら、お母さんのまなこ。彼女は時に厳しかった」。
しかしながら、最近の学問である「表象文化論」などの一部の例外を除いては、アカデミックな人物ないしは研究者が日本の大衆文化や俳優、女優、すなわち文学と芸術以外を学術的に検討する機会はほぼ皆無であり、蓮實重彦がフランス文学の研究をリードしながら同時に表象文化論を日本に紹介し、なおかつ映画時評をコンスタントに行う第一人者であるとみなされている(その点東浩紀は似たような経歴を持つが、実際の先駆者は蓮實である)。このような試みは今後の発展に期待し、待つしかない状況が続いており、この投稿は単なるファンもしくはユーザーの考察ということになろう。付け加えるならば、森川が所属するスターダストプロモーションの独立性すなわち法的独立性に関しては、表象レベルの言説すなわちディスクールにおいて充分推察可能なものであると考えられる。これは「役者が仕事を選ぶ」という近年世界的に見られるリベラルな主体性擁護とみせかけつつも、殊更に労働者組合的なスタンスの変奏でしかないような場合とは異なるレベルの現象であり、法人側の徹底した自覚と社員への教育を伺わせる。これは当然週刊誌含む世間の目と演者側の不摂生両方により、「火車」(宮部みゆき)のごとくがんじがらめになってしまった、晩年の美空ひばりの対極に位置する。戦慄しつつも語らせてもらえば、おそらく表象というプラトン主義の一類型、生気論の名残りを残す領域、すなわち、現状に対し無垢なるものを望むという完璧主義のバリエーションからでは、過去の亡霊のごとくコンプライアンスとコンセンサスなるものを侵し、なおかつ汚すことになるであろう。いわば、表象から実在論へ、という現場主義とその道筋は可能なものである、とスターダストプロモーションは伝え続けていると思われる。
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shigerunakano · 4 months
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非モテとは何か
インターネットミーム非モテに関して以下引用。
一般的には異性にモテない状態や、そうした人を指す語。より具体的にどのような状況を指すかについては見解が分かれる場合もある。また、非モテに該当する人物に対象を絞ったソーシャルネットワーキングサービス「非モテSNS」の略として用いられる場合も少なくない。
いずれにしても、非モテという言葉はニーチェ的ルサンチマンに直接的に関わる上、ドゥルーズによれば、ニーチェの性愛に関わる欲望とその抑圧への理解は個人的暴力すなわち違法性に関わる国家機構への敵対によって全体性を付与される。インターネット空間はそのようなアナーキーとの親和性を有しているとみていいだろう。これはひとりの共同体の構成員の見解であるが。なお、以上に挙げた識者はそれぞれ異なる事物であり、���行研究への参照と呼ばれる事態である。
そしておよそもっとも重要な事実としてこの世は自然の秩序に基づいて成り立ち、かつ流動的に動き続けている。そのような観察に基づき判断した場合非モテというのは自然への正しい畏怖と敬意に他ならない。これは誰もが知るダーウィンへの賛意であり太平洋の死者たちへの敬意である。それからこの言葉を現在知らなかったり知れないことは共同体の構成員のアクセス権はおろか、自然淘汰の法則に関わるであろう。これは生物学的情報すなわち知覚を意味する。私はアナーキストである。「一刻も早くつがいを見つけ、パソコンを開け。片方でも怠れば生き残れないし、生き残る資格もない。これがデュオニュソスとアリアドネの婚礼であり、あなた方との約束である」。
参考文献:「非モテ(ひモテ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書
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shigerunakano · 4 months
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学歴社会の三段論法
テストでひとつでも点を落とせばヒト(進化生物学)ならざるものである
我々は学歴社会を生きている
テストを受ける我々は学歴社会を生きているヒト(進化生物学)である
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (7)
ヒールボールは捕まえたポケモンのHPと状態異常が回復するボールである。捕獲率はモンスターボールと同じとなる。プレミアボールは野生のポケモンを捕まえることができる、何かを記念した珍しいボールである。捕獲率はモンスターボールと同じ。フレンドボールは捕まえたポケモンの初期なつき度が200になるボール。捕獲率はモンスターボールと同じである。ムーンボールは「つきのいし」で進化するポケモンが捕まえやすいボールである。
モンスターボールは野生のポケモンを捕まえるためのボールであるといった具合に。
ラブラブボールは自分と相手が同じポケモンで性別が異なる場合、捕まえやすいボールである。リピートボールは一度捕まえたことがある(図鑑に登録されている)ポケモンが捕まえやすいボールである。ルアーボールは釣りで出現したポケモンが捕まえやすいボール。
レベルボールは戦闘に出ているポケモンのレベルより相手のレベルが低いほど捕まえやすいボールである。マスターボールは野生のポケモンを必ず捕まえることができるボールであるといった具合に。
 愛美は尋ねる。
「ポケモンボールの説明は終わった」
「うん」
「別の話にしようよ」
「俺がポケモンをやるのは家のすぐ近くって言っても二十分はかかる場所なんだけど、にある神社で冬以外はずっとそこに集まってポケモンやってたから、管理者に見つかった時にかなり怒られたんだけど、どうしても、ここで遊びたいんですとお願いしたら、じゃあ一週間に一回落ち葉とごみを掃除してくれるならいいよとと言ってくれて」
 落ち葉やごみを掃除するための用具がある小屋の鍵を渡してもらって友人の中の一人がそれを管理していた。基本的に週一回きちんと掃除は行っていたが、たまにさぼることもあった。するとなぜか、神社の管理者はそれに気づいて、真司たちを叱ったのだ。
 そうこうしているうちに砂丘に着いた。真司が何度も使っている駐車場である。
 コンビニに立ち寄って、軽食を買った。砂丘に入って一分ほど歩くと本当に自分が砂漠にいるような気がしてくるから、不思議である。観光地なだけはある。さらに三分も歩いてみて、これ以上歩けば、愛美の車を停めてある駐車場が見つからなくなる可能性があるので、二人はその場に座り込んだ。
空は晴れており、砂丘は乾いていた。デート日和だ。彼は心からほっとして深呼吸した。ここまで来れば家族も大学の知り合いも省庁に努める国家官僚も千代田区の高級マンションに住む金持ちも追ってこないだろう。愛美とおしゃべりしながらパンとチョコレート菓子を食べ、二十分も経っただろうか。すでに冷めてしまった、フラ���ドチキンを咥えていたところをトンビに襲われた。真司は叫び声をあげたが、愛美は大きく笑っていた。
「帰ろう」
 冒険が終われば、家に帰る。
参考文献:東浩紀「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」 東浩紀「ゲンロン0 観光客の哲学」 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート「〈帝国〉 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」 鈴木謙介「カーニヴァル化する社会」 毛利嘉孝「ストリートの思想 転換期としての1990年代」 「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」(東宝映像事業部、©2019「DOCUMENTARY of 乃木坂46」���作委員会) ダイパリメイク攻略wiki|ポケモンBDSP Game8[ゲームエイト] - 【日本最大級】みんなの総合ゲーム攻略プラットフォーム ポケモンダイパリメイク攻略サイト|BDSP|ゲームエイト (game8.jp)
本作品における実在の団体・組織の名称は特定の行為を推奨するものではありません
  
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (6)
翌日二日にふたりは観光��所の鳥取砂丘に向かうことにした。あえて両親は呼ばなかった。さすがにそこまでかしこまった関係ではないし、二人きりで砂丘に行きたかったのだ。
 愛美の運転する車で移動する中、真司は言った。
「地元に楽しい思い出とかあんまないわ、いやリアルに」
 彼はそのまま話し続ける。
「俺が小学一年生の時にポケモンのダイヤモンドが発売されて、みんなやってたんだけど、俺もはまってよくやってた。めちゃくちゃ上達したんだけど、今となってはなんのための努力だったかよく分からんわ。もちろん楽しいからやってたんだけど。親や先生に言われた通り」
そのまま真司は語り続ける。
「ちょっと説明していい。まずはレベル上げの話なんだけど、ハクタイの森で一緒に行動することになるモミはバトル終了後に回復してくれるから、野生との戦闘でHPを気にせずレベル上げを行うことができる。ハクタイの森を抜けるとモミとは別れてしまうから、レベルを上げたい時はハクタイの森に留まったほうがいい。まぁこれはレベル上げの話だけど、友達との間でそういう対策の共有が行われてた、というよくある話。いわば、大学の講義ノートを見せ合うみたいな感じ。分かる。で、地下大洞窟では、高レベルのポケモンが出現するから、レベル上げに使った方がいい。レベル上げのついでに、ヘルガーやトリトドンみたいな主戦力として活躍できるポケモンをゲットすることができる。ジムリーダーっていうボスキャラっていうか準ボスキャラ的なやつと戦う時の対策ね」
 中盤になるとジム内にいるトレーナーが使用するポケモンのレベルが高くなってくるので、できるだけ全員のトレーナーと戦うようにした方がいい。メリッサのような答えに正解すればジムリーダーに辿り着けるジムでも、あえて答えを外してジム内のトレーナーと戦うことで、効率良く経験値を稼いでいくことができるといった具合に。星影の大空洞か輝きの空洞でバリヤードとキリンリキを倒すのがおすすめである。もらえる経験値に加え出現率も高いため、出入りしてスポーンさせることで効率よく経験値を稼げるといった具合に。
星影の大空洞と輝きの空洞は、いずれもカンナギタウンから地下に潜ることですぐ到着できる。
化石は、「地下大洞窟」で行える化石掘りにて確率で入手できる。壁の光っている部分を調べると開始でき、壁の中にカセキが埋まっていれば入手可能。カセキは出現率が低いため、根気強く掘り続けるべきである。地下大洞窟に行くには、「たんけんセット」を使って地下に行く必要がある。まだ入手していない場合は、ハクタイシティで地下おじさんから「たんけんセット」を入手しておくべきである。化石は、ダイヤ限定とパール限定で入手できるものが異なる。そのため、全国図鑑を完成させるためには、バージョン違いのフレンドとポケモン交換して入手する。欲しい化石をポケモンに持たせれば、交換した際に化石も入手できる。化石は、クロガネシティの北東にある「クロガネ炭鉱博物館」で復元できる。受付に化石を渡すと少し待つように言われるので、一度建物の外に出て戻ると復元が完了している。カセキから復元したポケモンは個体値が高く、確定で三つ以上のステータスが「さいこう!」になる。タマゴを作る際の親としても優秀なので、孵化厳選にも活用することが出来る。
モンスターボールの種類と特性に関しては、ヘビーボールは体重が重いポケモンを捕まえやすいボールであり、スピードボールは素早さの高いポケモンが捕まえやすくなるボールであるといった具合に。
「クイックボールは戦闘の一ターン目だけ捕獲率が高くなるボールでゴージャスボールは捕まえたポケモンがなつきやすくなるボールで捕獲率はモンスターボールと同じ。すごくない。よく覚えてるでしょ」
それに対し愛美は尋ねる。
「ていうか、まだ話続く」
「うん。スーパーボールは野生のポケモンを捕まえることができる。モンスターボールより捕まえやすい。ダークボールは夜または深夜の時間帯や、洞窟で出現したポケモンが捕まえやすいボール。で、ダイブボールは、水上や釣りで出現したポケモンが捕まえやすいボールで、タイマーボールはターンが経過するほど捕まえやすくなるボールちなみに十ターン目以降が一番確率が高いよ」
彼は説明を続ける。ネストボールは相手のレベルが低いほど捕まえやすくなるボールで、
ネットボールは水タイプと虫タイプのポケモンが捕まえやすくなるボールである。そして、ハイパーボールは野生のポケモンを捕まえることができるボール。スーパーボールより捕まえやすいといった具合に。
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (5)
九か月後
 鳥取県鳥取市内の真司の生家に腰掛けながら、彼の母親と話す真司と愛美はさながら、長年寄り添った夫婦である。しかし、彼らはお互いに籍を入れた夫婦ではないし、愛美に関しては真司の母親と顔を合わせたのは初めてなのだ。しかし愛美はにこやかにかつ流暢に話し続けており、真司の生家は彼が生まれる直前に改築され、明らかな洋館と呼ぶべき外観であり内実だが、田舎の普通の民家という条件を考慮しても、やはりこじんまりした印象を与える。部屋の一端に座敷が一区画、中二階とは異なる仕組みで八畳仕切りをまたいで設置されておりテレビとテーブル、そして座布団がしつらえられている。すなわちリビングである。キッチンに併設するダイニングのテーブルには名産のらっきょうと和食が並んででいた。かなり気を遣った様子である。父親は先ほど軽く顔を出していたのでもう大丈夫だろうと思われた。
 彼らが来ている服は、地味な色味のフォーマル寄りのカジュアルといった趣の洋服であり、ヨーロッパの富裕層の子息を思わせた。お互いの打ち合わせでそうしたのではなく、偶然ルックスが似通ったのである。この頃の流行であると言えるだろう。よくよく考えてみると、愛美の様子はどこか空々しく感じられた。いやいや相手をしている。もしくは早くこの場を去りたいと思っているかのようだ。しかしこれは自分の気のせいかもしれないと思った。
正直年末という特殊な時期に交際相手を両親に紹介するのはやや気が引けたことは確かだ。しかし愛美には大学の授業や研究会でやりたいこともあるだろうし、アルバイトもしている。しょうがなかった。もっとも自分の仕事はウーバーの配達と翻訳業という融通の利くものの。そういうわけで、大晦日の今日着くように、車を走らせた。運転は免許を有する愛美が父親の車を借り、行った。名古屋市で一泊した。
これは一般的にそして全般的にみて幸せな時間なのだろう。自分の愛する女を母親に紹介できるのだ。しかし彼にはそう思えなかった。目の前にあるものはボタンの掛け違い、よもやすれば着る服を間違えた結果なのだ!そうとしか思えなかった。
両親が寝静まり、愛美と二人で第七十四回紅白歌合戦を見ていた。少し眠たい。こうしていると、未来のこと、過去のこと、更には自分が生まれるずっと前の百年二百年前の出来事がシームレスに繋がっているように思われた。直線もしくは線分が生じ、複数化しつつある。彼は恍惚としていた。
翌日、年が明けてのことだが、午後になって両親が仕事の関係者に挨拶をしにいくので、夕方まで帰らないと述べた。そこで元日ながら性交に及ぼうと思い至った。
お互い歯磨きをして真司が子ども時代に使っていた部屋に向かうと、すぐさまことに及んだ。舌を絡めたキスをする。お互い降雨ふんしているのが伝わってくる。早めに切り上げて、彼女の股間をまさぐる。喘ぎ声が聞こえる。随分相手のペースに合わせてやれるようになった。
「舐める」
 と愛美か真司のどちらか片方が言う。彼は服を脱ぎだす。そして彼女も。彼は思う。まるでこの時のために発明された物体を剝いでいるようだと。この感情はまさしく感動である。彼女が少しく遅れて脱ぎ終える。せわしなく手コキを3秒ほどした後に口に咥える。普通ならそっけないと感じるかもしれないが、それが逆によく感じた。はっきり言って上手いのだ。みるみる内に勃起した陰茎は自らが思考しているかのようである。彼女は口を離すと尋ねる。
「お願いしていい」
「何」
「目隠ししていい」
「え、どうやって」
真司は尋ねる。
「ブラ」
 と彼女は声を立てて微笑する。
「え、まじで」
 と、驚いたが、すぐに同意した。興味があった。
 彼女は、白の光沢感のあるブラジャーをしており、真司の頭に巻き付けると結びだした。ブラジャーは伸縮性に富む設計であり、真司は即座にゴムか何かの質感を察知した。襞のことである。そのまま愛美は片結びを施す。
「どう」
 愛美は尋ねる。
「エロい」
真司は答える。
「バックで入れて」
 両手を繋いでベッドにエスコートされる真司。真司はそのまま四つん這いになった愛美の腰に手を置き、彼女が陰茎を握り挿入を促した。
 気持ちよかった。今までで一番。彼は腰を動かす。出来れば彼女も楽しませてあげたいが、それにしても、がむしゃらな快楽である。目を覆うだけでこんなに違うなんて、と彼は察知した。彼はチャンスを無駄にしまいと思った。腰の動きを速める。まだまだいきたくない。ブラジャーの襞が気持ちよかった。そして、セックスしている自分と愛美の姿が見えた。そうだ、これは私と彼女だ。私と彼女だ。そのままフィニッシュした。
 真司は愛美の上にのしかかった。女の体はゆっくり体をどかす。ベッドにうつむけになった。一分。そして二分。時間は存在した。
「疲れた」
 愛美は尋ねる。
「うん」
 真司は答える。
「休もう」
 愛美は言った。
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (4)
真司は思った。これはチャンスじゃないのか。今自分は恋人がいないし、ちょうどほしいと思っていたところだ。もちろん相手の気持ちも確認しなければならないが、好みの人だったら、是非ともお付き合いしたいと考えた。
「はい、いいですよ。日付と場所と時刻はそちらで決めてほしいです」
返信が来た。
「わぁ、よかったです。三月十九日午後五時に渋谷ハチ公前で待ち合わせでいかがですか」
「それでいいですよ」
 真司はシャワーを浴びて、ウーバーの配達に出かけた。
帰宅して自炊をして、食事を食べながらテレビ番組を見た。いわゆるスタジオバラエティーといった趣でVTRを見た後に出演者がコメントをしていくという内容である。退屈になると、朝そうしたように、シャワーを浴びて歯磨きをして、眠ることにした。
 後日、約束された時刻に約束された場所に行くと、誰もいなかった。厳密には真司は愛美の顔を知らないのだ。そこで彼女に電話した。 
「もしもし、もう来てますか」
「あ、まだです。着きましたか」
「はい」
「じゃあ、そこにいてください」
「分かりました」
 数分後、真司は右肩を叩かれた。真司は驚いて尋ねる。
「あ、顔知ってるんですね」 
「はい、写真見せてもらってんで」
 目の前に立った愛美は思っていたよりも美しかった。かわいさと初々しさが目鼻立ちの端正さと見事なまでに調和しており、黒い川のジャケットにカーキのスカートという出立ちに包まれた体型は申し分のないものであり、身長は平均かそれ以下ぐらいだろうが、却って整った体型を際立てていた。
 あまりの衝撃に固唾を飲んだ真司はしばらく黙っていたようだ。
「大丈夫ですか」
 愛美が尋ねる。
「大丈夫です」 
数秒間、経った後に真司は答えた。
「じゃあ、行きましょうか」
愛美が言うので、そのまま向かうことにした。
「真司さんかっこいですよね」
 と、ホートーシネマズに向かう途中で愛美が言うので、完全にカウンターパンチを食らった気分だった。
「あ、ありがとうございます」
 と真司は答えたが、気が気ではなかった。こんなにかわいい女の子にかっこいい、といわれたのだ。当然である。自分は幻想を見せられているのでは、と思った。 
 ホートーシネマズに着き、映画のチケットとポップコーンとジュースを買ってからも彼は憔悴しきった気分だった。どうせだった、今日中にでも家に誘いたいと思った。先ほど彼女が言ったかっこいい、という言葉が誉め言葉もっと言えば愛の告白であったなら、十分に脈はあるだろう。結局彼は映画が始まって三十分ほどでそうすることを決めた。
 映画が終わって、彼は正直に面白かったと伝えた。さすがシェイクスピア研究会の会員だと思ったし、彼女への関心が尚のこと高まった。彼は今から家に来ませんか、と尋ねると彼女ははい、と答えた。たしかにはい、といった。
 神田駅を出て、マンションに向かう途中でコンビニに立ち寄り、コンドームを買うことにした。愛美はコンビニの外に待たせた。
 日曜日の夜の今は平日よりも人出が少ないと思われるが、田舎に比べれば、多い方だ。スイスやスウェーデンの地方生活者が見たら、色街の賑わいを連想するかもしれない。静謐ではあるが、静謐ではないのだ。度合いの問題がある。あれよあれよと閾値がそこここに潜んでいるのだ。おそらくすぐそこにスイスやスウェーデンの地方生活者がいる。白人がいれば目立つ。マンションに着いて時刻を確認すると、午後十時前だった。
「やろっか」
 と愛美に尋ねると、
「はい」
 と答えた。
 真司は口づけする。二回舌を絡めずに。そのあと舌を入れた。激しく興奮した。服の上から乳房を揉みしだく。愛美は喘ぎ声をあげた。彼は揉み続けた。普段からそのようなことをイメージしていても現実はまったく異なる。少なくとも何かのスイッチが、彼にそう判断させているようだ。それに飽きると、彼は服を脱ぐように要求する。愛美は革ジャンを脱ぎ、その下の黒いブラウスも脱いだ。緑と紫の植物が巧みに描かれたブラジャーを着用しており、真司を尚のことわがままな状態に陥らせる。下も脱ぐとブラジャーと同じ製品であった。
 ベッドにエスコートすると、愛美は笑った。
「早すぎるよね」
と言う。
真司は押し黙ったまま、彼女のまたぐらに頭を突っ込んでいく。クンニリングスを試みようというのだ。舌を這わせると彼女は激しく喘ぎだした。そのありさまは完全に不規則であり、彼女は女なのだ、と彼は思った。先ほどから考えていた通り、彼女は女なのだ。
仰向けの愛美に挿入する前に真司は尋ねた。愛美が同意するや否や挿入を試みる。挿入(はい)った。愛美が喘ぎ声を出すものの真司は自分の快楽と欲望に意識が完全に向かっていた。自分の喘ぎ声が、ヘ��ドフォンから流れる音楽作品のように、くぐもって聞こえてくる。そこに愛美の喘ぎ声がカオシスティックに交わり、正常位のまま腰の動きを速めると、快楽により、意識が遠くなる感覚を覚える。はっきりと自分は感じていると思った。真司はセックスしているのだ。そして、果てた。
彼は理解した。あっという間だ。あっという間に終わった。気持ちよかった。彼は言う。
「気持ちよかった」
 と。
 愛美は言った。
「ん」
 と。
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (3)
時刻は、午前一時。先ほどの女に声をかけることにする。
「ひとりですか」
「あぁ、はい。ドタキャンされました」
 女はいたずらな笑みを浮かべた。
「僕も一人なんで、ちょっと出ませんか」
 真司は尋ねる。
「え、ナンパですか。ちゃら」
「いいじゃないですか。行きましょうよ」
「うーん、どうしようかな」
 女は考え込んでいるが、たしかに自分への嫌悪感は抱いていないようだった。
「あ、はい、いいですよ」
女は答える。
「え、なんですか」
 真司はよく聞こえない。
「いいですよ」
「じゃあ、出ましょうか」
 コンビニに向かう道すがら、女は一実(ひとみ)と名乗った。大学生らしい。コンビニで弁当を買う間にお互いの素性を話したが、真司は「会社員」と名乗っただけである。しかし一実は訝しいんだりはしていない。場数を踏んでいるのだ。
 打ち合わせの通り、カラオケボックスに向かうことにする。正直デレデレしすぎじゃないか、と思うほど一実は穏やかなムードのように思われた。
 カラオケボックスに着くと二時間の予約を入れ、ドリンクバーも頼む。彼女にそれでいいかと尋ねると、いいと答える。
 想像していた様子とは異なり、一実はいわゆるオタクが好むようなアニメソングやキャラクタ��ソングばかりを予約して歌っていった。正直面食らったが、どうやらそのような縛りを選曲に与えているのだ。しかし彼はキャバクラや風俗ならいい値段するに違いないと得意になってしまったこともたしかである。
 一実が弁当を食べている間、雑談していたが、特にめぼしい情報は無く、社交辞令のような印象を受けたし、向こうもそう思っているに違いなかった。ナンパなんてこんなものかと安堵したほどである。 
 結局、時間を一時間延長してその終盤、美空ひばりの「川の流れのように」を一実が歌ったところが真骨頂だった。誰もが知るアンセムだ、当然である。真司はもう一度歌って、とリクエストした。彼女は快く受け入れた。
 最後に一実が安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE」を歌い終えたところで自然とお開きになった。先ほど彼女のメールアドレスと電話番号は聞いていたので、会おうと思えばまた会えそうだったので、解散という運びになった。すなわちそのような申し合わせがあったのだ。
 彼は彼女に別れを告げ、始発から三本目の在来線に乗って帰っていった。
 その日、十一時過ぎに起きた真司は食パンを食べた後、午後一時にマンションを出た。荒川に向かうのだ。彼が最初を訪れたのは、大学一年生の六月で、研究会の先輩とそれから同期とシェイクスピア演劇の観劇に向かった時だった。演出を行ったのが大学と研究会のOBで、蜷川幸雄と一緒に仕事をしたこともある優秀でハンサムな人物で直接対面した時は三十五歳に見えなかったことを覚えている。公演も素晴らしく、かつ新鮮味に溢れたものだった。東京にはなんと華やかな文化があるものかと思ったものだ。そのあとで一人で向かったのが、荒川である。いわば誰とも群れずに都心の清風を眺めに行ったのだ。自分を見つけた、と思った。そう、そこにはたしかに自分がいた。川を眺める自分が。
 そして今、彼は再び荒川河川敷に立っている。赤羽駅を出て、かなり歩いた。完全ワイヤレスイヤホンからはキング・クリムゾンの楽曲「クリムゾン・キングの宮殿」が一曲リピートで流れている。もちろんあえてこの楽曲を聴こうとしてである。
 彼はシェイクスピアその人を思う。書く人であるシェイクスピア。「ハムレット」のことだ。これはよりベタな表象への接近、すなわち専門家にとってのライミングになるが、「生きるべきか、死ぬべきか、それこそが問題だ」“To be or not to be, that is the question. ”というセリフはジークムント・フロイトが提起した「死の欲動」的には、主人公ハムレットの家系にまつわる悩みが死への衝動として現れたものと見なされるが、これはいわば、後付けである。彼らは同時代人ではない。なぜそんなことが可能なのかといえば、西洋においてシェイクスピアのテキスト(文)は検討可能な内容である、という暗黙の了解があるからで、それは文学研究において批評と呼ばれる。逆になぜそれが西洋的であるかといえば、仏陀や親鸞、はたまた空海にまつわるテキストは検討可能な内容とはみなされないからである。宗教的に。
 彼はキング・クリムゾンを聴きながらそのようなことを考えていたら、いたたまれず、涙を流していた。彼はただただ河川敷の美しさに見とれていた。
 朝起きて、スマートフォンの電源を付けると、愛美からメールが来ていた。
「件名:ありがとうございます。
以前相談した件ですが、区の人権擁護委員に相談し、弁護士を紹介していただきました。弁護士立ち合いのもと、取りうる法的処置を懇切丁寧に説明していただきその内容を彼氏にメールで教え、交際の解消を要求しましたところ、渋々ながら同意していただけました。正直ほっとしています。誠にありがとうございました。
あの、お礼といってはなんですが、来週公開の映画にお誘いしたいです。タイトルは「長ぐつをはいた猫と9つの命」です。よろしければで構わないので、なにとぞお願いします。」
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け (2)
彼は男の相談をされると思っていなかったので少々面食らったが、それだけ自分のことを信頼してくれているということだろうと思い、少し誇らしくなった。思えば在学時代から大学という場所は人間関係の治外法権のような部分があって、個人的に所属したうえで活動する部活やサークルはその坩堝のようなものだった。それゆえの問題も多くあるのだろうが、個人的には好きな環境であった。
「分かりました。その交際相手のことを教えてください」
 数分後、早くも連絡が来た。マメなのだ。
「ありがとうございます。しかし、現在の状態を説明するのは難しく、大変厄介なので、明日にでもまとまった内容のメールをお送りすることになると思います。それでよろしいでしょうか。ひょっとしたら、明後日になるかもしれません」
「はい、それでいいですよ」
真司は返信を行った。思ったよりハードな展開になったなと思いつつもまぁ、いいかと少しのんきだった。
彼は弁当を買ってきてからテレビのバラエティーを眺めながら食べ、翻訳の仕事に取りかかった。真司は明治学院大学の文学部英文学科イギリス文学コースを履修卒業しており、英語の発話スキルはネイティブの高校生に及ぶほどであり、西洋文学への理解は専門家レベルに達しているだろう。
 彼が翻訳を担当するのは都内ある映像制作会社が配給を請け負う最新の映画やドラマであり、主にアメリカ合衆国が製作しているものである。最新のコンテンツに触れたうえで金が得られるというのはおいしい職業だと感じていたし、彼はもともと国内外の映像作品を好んでよく見ていたのだ。さらに自己表現の機会をも得られることはありがたかった。彼は文学は作家性に他ならないという理念を持って大学で文学を学ぶことにしたのである。ただし、雇用形態は派遣社員であり(所属先が映像制作会社ではなく人材派遣会社)、ウーバーの配達員という現在の仕事含め、いささかだらしのない風じんに思われてもしかたないであろう。
 ウーバーの配達業務が終わり、千代田区神田のマンション、ガーラ・グランド神田に帰ってきたのは午後五時半ほどだった。家賃は十三万円でトイレと風呂が別で、それからキッチンが玄関に鎌の柄のように手前に配置されており、とスタジオと呼ばれる縦に長い十畳のリビングダイニングがあり、そこにベッド、ソファー、テレビ、書棚といった諸々の家具、家電を置き生活している。立地と周辺住民の生活レベルから考えると非常にに安いマンションであるといえるだろう。それに彼は読書量が尋常ならざるほど多い。特に海外文学や洋書が多く蔵書として保管されていることが、やや、悩みの種だ。貸し倉庫が必要かもしれない。
 先ほど来ていることを確認したメールを開く。
「2023年2月14日16時32分 件名:昨日の件です。
彼氏からのハラスメントに悩んでいます。彼とは一年前から交際していますが、たびたびの性差別と手のひらであたまをはたくといった勢い任せの行動が常態化しています。更に嫉妬深く男性と会ったと分かれば、その人との関係を事細かにに詮索してきます。友達に相談しましたが、自分で何とかするしかない。それか別れればいいのでは、と問うてきます。そういうのがうんざりで、あまり親交の深くない真司さんに相談した次第です。どんな簡単なアドバイスでも頂ければ幸いです」
 真司はやや思案した。これはたしかに厄介な問題を打ち明けているようではあるものの、あまりにも陳腐な内容でありそれほど差し迫った案件でもないと感じた。これはオードリー・ヘップバーンであり、フィフティーズ調のわざとらしさなのだ。やはり知り合いがスパムメッセ―ジを送ってきているのだろうか、と思った。しかし重要なのはそのようなスパムメッセージを送ってくる人物の頭の中身だろう、ということになる。なので大丈夫だ。彼はそこまで考えた。
以前から知っていた問い合わせ先を紹介することにする。
「例えば僕が住む千代田区ならば、人権擁護委員が設置されているので、そのような行政サービスに頼むのも手だと思います。あるいは親御さんに相談するなりしてみてはどうでしょうか。お住まいはどちらですか
(URL)」
 数分後返信が来た。
「現在、実家のある葛飾区で両親と祖母の四人暮らしです。なるほど、ご返信の件、考慮に入れさせていただきます。わざわざありがとうございます。なお、このことはくれぐれも内密にして頂きたいです。よろしいでしょうか」
 真司は返信した。
「はい、他言しません」
 彼は昨日と同じく、翻訳作業に取り掛かる。アメリカ合衆国のテレビドラマの翻訳である。締め切りが一か月後で、すでに半分ほど終わっているので、余裕で間に合うだろう。
 渋谷駅の改札をくぐると、人がごった返している。これは多くの国民が知ることだが、実際にその場に居合わせると、ここには不思議な秩序があると思わさせられることになる。それはたしかに不思議さなのだ。すなわちここにある喧騒の性質が、である。駅前の大型ビジョンや大量の照明で照らされた広告群を見ていると「ブレードランナー」のような近未来的表現が思い浮かぶが、それはまんざら連想止まりではなく、実際にそのような都市開発がなされているのだ。いわばそれがこの自治体のスタミナであり、よもすればこの国のスタミナでもある。政権与党の一部の者が采配すれば、街の風景を変容させることなどたやすい。あるいは特定個人の人格でさえも。法的規制と予算配分業務の力は未来を切り開く。実際のところ、少なくとも真司が務める某映像制作会社はそのような荒唐無稽とも思えるイノベーション指向と、軽薄さで運営されているのだ。実際にこの街は前世紀九十年代に、エポックな発展と影響力を成し遂げ、かつ実現した。今でも国民はその恩恵を受けている。これがこの渋谷という街の理論的な実情である。「チルドレンオブメン」ならぬ「チルドレンオブエルディーピー」かな。
 すでに日も暮れており、夕食も済ませた。目当てのクラブイベントは十時に開場開演なので、109横のハンバーガーチェーンロッテアリに入る。ここで一時間ぐらい潰そうか。
 彼は渋谷のクラブ後方に敷き詰められるように設置された茶色の���ファーに腰掛けながら、先ほどからDJブースとそれから、テーブルのそばに立ちながら、酒もしくはドリンクを少しずつ、しかし軽快に飲む女を交互に眺めていた。DJは曲を流し続けており、表情は見えないが、まんざらでもないといったところだ。さながら公民館の出し物である。
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shigerunakano · 5 months
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満天の朝焼け
カントにおけるほど強力にロマン主義が表現されたことは、それまで一度もなかった。超越論的なものの必要性、あらゆるかたちでの無媒介的なものの不可能性、存在がその理解力と行動において示す活力に満ちたあらゆる形象を厄介払いすること―これが、カント哲学のライトモチーフなのである。このような視座からすると、アルトゥール・ショーペンハウアーを、カント主義とそのロマン主義的身振りをもっとも明瞭に見抜いた読者とみなすべきであるかもしれない。〔ショーペンハウアーは、カントを次のように読み解いたのだった。すなわち、〕事物の仮象と物自体を再結合することが不可能ではないにしても困難であるということは、苦と窮乏に満ちたこの世の災いのもとである。また、それゆえに、高貴かつ高尚な力が繁栄しうるようには、この世界はできていない、と。言葉を換えるなら、ショーペンハウアーは、人文主義的革命を決定的な仕方で清算するものとして、カント主義を理解したのである。-アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート「〈帝国〉 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号 特許庁総合庁舎7階〇〇課〇〇室
知っているな、と思った真司はウーバーイーツの配達車両に乗り込んだ。三年前に新品で買ったヤマハのトリシティ155である。彼はこれを愛着を持って使っており、北関東に遠出することもある。ちょっとした小旅行と呼ぶべきものではあるが、一流と呼ばれるような場所に泊まったこともある。すなわち一泊三万円を越えるような宿泊プランであった。
 ここ、ピーザラ神田店から霞が関までは15分で着くだろう。多くの国内の者が想像するほど国の中核たる千代田区は交通量が多くなく、スクーターの運転はスイスイと終えることができる。そこらの県庁所在地よりは空いているほどである。それに彼は霞が関の省庁が立ち並ぶ雄大な眺めを愛してもいたので、上機嫌になってくるほどであった。天気は昨日から曇りが続く。
 スクーターに乗る彼は動きやすい格好に黒の薄手のジャンパーである。そもそもこの国では私服の配送業者が目を引くことになる。
 信号が赤になったので、スクーターを停める。右側の歩道を眺める。50代ぐらいの中年女性が歩いており、しかめ面を浮かべている。彼女とすれ違う作業服姿の40代ぐらいの先ほどよりは明らかに若い男性。すれ違った。こういう時に当該の人物群に何も起きなかったことを真司はときどき意識することになる。彼らは道端でぶつかりもしなかった。それは一つの可能性である。そして、一つの不可能性でもある。通り魔で実刑判決を受けた人物が、囚人が、一度は思い浮かべるであろう不可能性のことだ。
 うかうかしてはいられないので、前を向く。信号は赤のままだ。機械は大人しくプログラムをこなしてくれる。さながらたまたますれ違った二人に何事も起きないように。現在配達するピザは汁物のようにこぼれたりする心配が少なく、彼はほっとしていた。
 霞が関、特許庁前。省庁の中には入ることもできるが受付の許可を得たうえで、持ち物検査を義務付けられるので、受付までで、配達業務を終えることにしている。こういう時に自己判断と現場の様子で仕事を終えられるのが、ウーバーであり、自由の国アメリカらしさといったところだろうか。
 受付に近づく。
「こんにちはぁ、ウーバーイーツですがぁ」
少しフレンドリーに振舞ってみたつもりだ。
「どちらの階にお届けでしょうか」
 女性の声が応じる。
「七階の、えぇ」
スマホの情報を確認する。
「〇〇課〇〇室の~さん宛ですね」
「はい、いいですよ」
 女性の声がうなずく。
 終わりか、と思い、配達物を置き、引き返すことにする。
「毎度、ありがとうございます」
 建物を出て、腕時計を確認する。十一時五十五分。このまま、三件は回れそうだが、先に昼食にすることにする。麺類が食べたい。
 家についてシャワーから出ると、もう午後六時だった。テレビを付けて、スマホの電源を入れる。テレビのボリュームを下げた。
 スマホにメールが来ている。
「件名:ご質問です。」
 件名に。(句点)を付けるのか、と真司はふと思った。
「個人的な悩みにお付き合いしてもらうことは可能でしょうか」
 個人的な悩みか、何だろうと彼は思う。ところでこの女性は誰だたっか……。彼はこの女性の名前をした人物のことをよく覚えていないし、姿かたちもさだかではないのだ。名前は流川愛美(るかわまなみ)である。やはり、知らない人である。勢いで悩みに付き合ってやろうかとも思ったが思いとどまった。スパムメッセージの可能性もある。
 テレビを五分ほどぼーっと眺めていたら、やはりあの時か、と思い当たる節があった。大学のシェイクスピア研究会の白井が紹介してくれた在学生の会員の内の一人であった。何度思い直してもそうである。
ならば、と思いメールに返信することにした。
「なんのごようでしょうか。シェイクスピア研究会の在学生ですよね」
数分後返信が来た。自由にスマホを操作できる状態なのだ。
「件名:枕詞が古臭くてちょっと笑ってしまいました(笑) 知り合いには相談しづらいことなのであなたに相談した次第なのですが、現在交際している男性のことです。厄介ごとに足を踏み入れたくなければお断りしていただいて構いません。シェイクスピア研究会所属でOBの白井さんの知り合いです」
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shigerunakano · 5 months
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器官なき身体というテーマの最近の出版物〔=『アンチ・エディプス』〕のことです。器官なき身体というテーマが、スキゾフレニーと呼ばれるある特定のものを解明するひとつの方法であるということは明らかです。その意味は、スキゾフレニーでは言語が〔身体を〕浸食することに成功していないということです。すなわち、やはり身体はそれほど器官なきものではないので、そこには少なくとも言語であるような一つの器官がある、というわけです。というのも、スキゾフレニー者がそのなかに浸るような何かがあるからです。-「エトゥルディ」1972年、ジャック・ラカン
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shigerunakano · 5 months
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BBAとは何か
インターネットミームBBAに関して以下引用。
「インターネット掲示板「2ちゃんねる」でユーザーが書き込んだことが発祥といわれています。その後、インターネット動画「ニコニコ動画」でコメントに頻繁に使われるようになりました。 ニコニコ動画では下品な言葉や汚い言葉のコメントが非表示になります。差別用語である「ばばあ」も非表示の対象となるので、「ばばあ」以外の表現で、蔑みつつもコメント欄にちゃんと表示される「bba」をユーザーが使っていったことでこの言葉は有名になりました。
「bba」という言葉は、「ばばあ」が略された言葉です。同時に、ある意味差別用語ともとらえることができる言葉です。さらに、差別していることを暗にほのめかす言葉でもあります。 どれだけ相手を侮辱しているのかは時と場合によりさまざまです。軽いジョークで使われることもあれば、愛称で使われることさえある言葉ですので、前後の文脈や状況で言葉の意味を判断する必要があります。 しかしながら、由来が「ばばあ」ということに変わりはありません。この言葉の意味がわかる人で、「bba」と言われて好印象に感じる人は少ないでしょう。うかつに使うことは危険です。」   
引用元において、BBAは「差別」に該当しうるとされるが、シスヘテロ女性を示す元の言葉「ばばあ」は政治力学的マイノリティーとも伝統的に見た周縁事象とも異なる(柳田国男の山人やその弟子である折口信夫がみずから洗練させたまれびとのように)ゆえにレトリックを用いた記事を構成している(文脈の提示)。引用元の素性は知れないが、海外において特にヨーロッパにおいても「女性に年齢を聞くな」「女性の前で話すことではない」といわれたりするように、シスヘテロ女性への配慮は権威主義に接近する構えであるし、年老いた男性の伴侶である年老いた女性は豊かな資産を形成している可能性が大いにあることも忘れるべきではない(社会主義思想に接近するプチブルという社会現象)。これらのことはフェリックス・ガタリの唱える分裂分析において「モル的」と呼ばれる(臨床)機制もしくは性的現象であり、引用元含め神経症の規定に関わる用いられ方をしているインターネットミームである。「この会合を取り付けたのは誰!?」。
もっとも、中国当局への対応のために北米の外資系ソーシャルメディアは検閲(censorship)もしくは疑似検閲(fake censorship)の見境がつかなくってきているため、SNS以外ならば用いていいだろう。
参考文献:ネット用語のbbaの読み方と意味/bbaと似た用語/使い方-言葉の違いを学ぶならMayonez
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