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mechaag · 4 hours
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細川ガラシャとがしゃどくろ
がしゃどくろ - Wikipedia
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単に発音が似てるだけなんですけどね。でも俺の中ではどういうわけか、この2つがペアで記憶されていて、細川ガラシャの名前を聞くたびに、がしゃどくろが頭に浮かんで。
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mechaag · 7 hours
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アクマノキオク
2009-05-22
この本の中に興味深い統計が載っている。
オカルトの惑星: 1980年代、もう一つの世界地図 | 吉田 司雄 |本 | 通販 | Amazon
雑誌記事の統計を取ったところ1980年代の後半に「児童虐待」の記事のピークがあるという。それは当時「坊やはミイラになって生きていた!」などの猟奇的な記事をせっせと掲載していた女性週刊誌に起因するという。
そしてなぜ日本の女性週刊誌がこの時期にこの手の記事を大量に掲載していたかというと、背景にアメリカの当時の事情があるのではないかと推測している。ミイラの記事もアメリカンの母親の出来事であり、この手の記事の作りは、最初に海外の猟奇的な事件を紹介し、最後に「日本でも起き始めている」と警鐘で締めくくるというパターンになっている。
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ではなぜアメリカでこの手の事件が多く報道されたのか?それは背景に当時の欧米でわき起こっていた悪魔儀礼虐待に関するヒステリックなパニックがあるという。
悪魔崇拝者たちが子供を性的に虐待しているという告発が多発し、メディアや警察を巻き込んで大騒ぎになっていた。その状況を象徴するのがポール・イングラム事件だ。1988年にポールは二人の娘から告発された。娘たちの証言はエスカレートしポールの同僚も共犯であり、この村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。
ポールは性的虐待の罪で逮捕され懲役20年の実刑判決を受けるに至った。しかし警察の大規模な捜査にもかかわらず悪魔崇拝カルトの存在は確認できなかった。性的虐待の証拠も娘たちの証言とポールの自白だけだった。
そもそもこの事件のきっかけは二人の娘たちが所属するキリスト教原理主義の教団で教祖が「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから始まる。信者たちはそれをきっかけに「それは私のことだ」と次々に先を争って告白し始めた。
悪魔を思い出す娘たち: よみがえる性的虐待の記憶 | ローレンス ライト, Wright,Lawrence, 平太郎, 稲生, 進一, 吉永 |本 | 通販 | Amazon
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だいぶ時代はさかのぼるが、アメリカの開拓史の汚点とされる「セイラムの魔女裁判」が1692年に起きている。セイラムは現在では魔女の町として積極的にPRしている。クトゥルー神話に出てくる架空の都市アーカムのモデルともいわれる。しかし300年前には200人近い村人が次々に連鎖的に魔女として告発され、処刑されていった(魔女には男性も含まれる)。
セイラム魔女裁判 - Wikipedia
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話は変わるが日本のUFO目撃証言とアメリカやブラジルのそれとははっきりと傾向が異なる点がある。アメリカには「宇宙人に連れ去られ性的な検査をされた」という証言が一定量あるのに日本にはあまりない。
1961年にヒル夫妻がUFOに誘拐され様々な性的な検査を受けたと証言した事件が有名だ。ヒル夫妻は退行催眠で後日、どのような検査をされたかを克明に思い出したという。また
私は宇宙人にさらわれた: エイリアン・アブダクションの真実 | 真人, 秋山, リマ-,ジヨン |本 | 通販 | Amazon
によると1970年~1980年に500件以上の同種の訴えがあったという。
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現在では1980年代に続発した児童虐待の被害者側の記憶の証言は、それを思い出させたカウンセラーやその他(ポール・イングラム事件では教団)の操作によって生み出された記憶が多いとされている。
告発された側であるポールの自白さえも、「娘がウソをつくはずがない」という葛藤からポール自身が作り出した、ニセの記憶によるものと考えられている。
思うにキリスト教文化圏の根幹には古くから悪魔崇拝と結びついた児童性的虐待に対するヒステリックな恐怖があるのではなかろうか。それが時代や状況に応じて様々な形を変えて時々吹き出す。罪状はなんでもいいのだ。その時々で理由さえつけられれば。サバトや黒ミサなどは異教徒・異端者の攻撃の口実として使われた。これらもまた多分に性的要素を含有している。
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神を崇める善なる自分たち。彼らにはそれに対峙する存在がどこかに必要なのだろう。悪魔崇拝をしているおぞましい人間がどこかにいなければならない。悪魔やその崇拝者には需要があるのだ。敵を求めていないと自分たちの信教の存在意義を保てず、安定した社会を維持できないのだろう。
そしてまた一つ彼らは別な形の敵を作り上げた。最近のヒステリックなまでの児童ポルノ規制は、インターネット時代の魔女狩りなのだ。こうして児童虐待に関する様々な事件を見ると、「魔女狩り」というのが単なる修辞ではないことがよくわかる。児童ポルノを感情的に排除しようとする人々の心の背景には本当に中世から連綿と続く魔女狩りの心理があるのだと思う。むしろ病んでいるのは彼らの方ではなかろうか。
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悪魔憑き 虚偽記憶 - Wikipedia Thurston County ritual abuse case - Wikipedia サバト (魔女) - Wikipedia
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mechaag · 8 hours
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今日のゆたぼん(2024-04-16)
(ゆっくり)ゆたぼん大炎上!ゆたぼん、仮想通貨を盗まれたと告白「親父が甘かった」嘘松発覚か - YouTube
2018年に沖縄移住の時に、仮想通貨を処分したという当時のブログが発掘されたらしい。
まあ別にどうでもいいけどね。誰でも大なり小なり、自分のことを話すときは、脚色して話すよね。
しかしゆたぼんパパはちょっと、その場その場で適当なことを言いすぎ。ちゃんとした仕事をしてると、適当なことを言うと顧客の信用を失ってヤバイと学んでいくわけだけど、ゆたぼんパパは幸か不幸かそういうことを学ぶ必要がなかったっぽい。
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2chのひろゆきもそうなんだよな。高校生とか大学生の頃は、結構適当なことを言っても、日常生活に支障ないじゃん。でも社会人になって仕事をし始めると、それじゃマズイわけで、いろいろ怒られたり痛い目にあって学んでいく。でもひろゆきはサラリーマン経験がないから、ずっと精神年齢が高校生のまま。
そういえば社会人になったばかりの頃、上司とか先輩が何かと「その件は社に戻って確認の上、回答します」というのか、不思議でしょうがなかった。その場で答えられるはずの内容なのに。
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mechaag · 8 hours
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ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか
ソクラテスかプラトンか(野坂昭如) - YouTube
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1983 サントリー ローヤル - YouTube
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[CM] サントリーローヤル~ガウディ編~ - YouTube
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1981 サントリーオールド 夢街道シルクロード トルファン篇 - YouTube
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サントリーオールド 明日がある - YouTube
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mechaag · 9 hours
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1点で交わる平面と平面
1点で交わる2平面って何だよ - YouTube
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(x, y, z, w)で表される4次元空間を考える。(a, b, 0, 0)で表される平面と(0, 0, c, d)で表される平面は、a=b=c=d=0の1点でのみに交わる、と。
面白いね。AIの勉強中でyoutubeで数学関連の動画を見てたら、面白い動画をお勧めされるようになった。
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mechaag · 20 hours
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今日の経済(2024-04-15)
ABEMA NEWSで話題の成田悠輔×池戸万作「日本なぜ成長できない?」回の経済議論はなぜ不毛に終わったのか。アベプラ視聴者にわかりやすく説明します|上念司チャンネル ニュースの虎側 - YouTube
1年前になんか議論があったらしい。んで上念司は「MMTは破綻したと思ってる」と。そうなの?上念司はMMT支持派かと思ってたけど。というかアベノミクスってMMTだよね。まあ安倍総理自身は否定してるけど。んで上念司は俺と同じくアベノミクス肯定派だったはずだから、てっきりMMT肯定派かと思ってたけど。
まあこれはさんざん言ってることだから、最近言うのに飽きて言わないけどさ、「本来のMMT」と「世間で言われてるMMT」って別物なわけですよ。れいわ新撰組とかが言ってるMMTというのは、MMTではない。
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本来のMMTは正しいと思うよ。というか間違ってる理由が見当たらない。本来のMMTというのは、「インフレが起きない範囲で財政赤字を気にせずに財政出動をしましょう」ってことじゃないですか。いいかえれば「脱デフレまでお金を刷りましょう」ってことで、アベノミクスそのものじゃん。
一方、れいわ新撰組とかが言ってるエセMMTは、基本的にいくら財政出動しても日本は大丈夫なんだよ、という主張だよね。いいかえれば日本はインフレが起きない国なんだ、と。そんなことは証明されてないし、そもそも現在、インフレになってるわけで、明らかに間違いなわけですよ。図らずもコロナが証明してくれた。
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んで上念司が「MMTは破綻した」というのはどっちのMMTなんですかね。れいわ新撰組とかが言ってるMMTなんですかね。それなら異論はないけど。でもただ「MMT」というと、どっちかわからないし、基本的には「本来のMMT」を指すと受け取られるんじゃないの?
んでもし上念司が「本来のMMTが正しくない」というなら、それなりに論証しないと。
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上念司は「岩石理論」という言葉を出してる。そういうのがあるんですかね?上念司の説明だと、いったんインフレになると、歯止めがかからず、ハイパーインフレまで行ってしまう、という理論らしい。
これはさ本来のMMTの範囲ではないから、MMTでは否定も肯定もできないわけですよ。インフレになったら金融引き締めを刷れば、インフレは止まるわけで、これは疑いようがない。
問題は、じゃあ現実の政治の問題としてインフレになったからと言って金融引き締め(金利引き上げ、財政支出削減、増税)ができるかというと、その国の経済や国民生活にとって、非常に苦しい結果をもたらす。だから政府がそういう状況で金融引き締めをできるかといえば、できないかもしれない。
例えば今の日本はインフレだけど、だからと言って利上げをしたり、増税したりしたら、国民は怒るし、実際にそれをすれば経済は悪化するよね。だからインフレを抑える政策は原理的には簡単だけど、現実的にできるかといえば、非常に難しい。
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じゃあれいわ新撰組とかが主張してるMMTはすべきか否か?俺はすべきじゃないと思う。通貨を刷るのはいいんだけど、常に「インフレになった時にどうするか」を考えなければならない。
れいわ新撰組は政府が借金をして、それで社会福祉の財源にしようという主張だよね。社会福祉のような重要な財源にするということは、「辞められない」ということですよ。インフレになったら財政支出を抑えなければならないけど、インフレになったからと言って社会福祉の支出を減らすわけにはいかないでしょ。
逆に、アベノミクスがやったように、国債の買い取りや、株式の買い取りなら、インフレになったら、買った国債や株式を売ればいいだけだから、比較的ダメージが少ない。少なくとも社会福祉費を削減したり増税するよりはね。
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ということでアベノミクスが正解で、れいわ新撰組の主張は不正解ということになる。でもこういう経済の理屈がわからない人にとっては、株価を上げることに使える金があるなら、その金を社会福祉のために使って国民生活を楽にしろ、って考えになるだろうね。
だからさ、「それをやらない」のにはちゃんと理由があるわけですよ。でも国民の大半はこうした理由を理解できない。難しいからね。
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一方上念司は論争してる両者には「インフレ期待」という視点が欠けている、と。まあ、そうかもしれないが、通貨発行量を増やせばインフレになるのだから、「インフレ期待」というのは、いいかえれば「今後通貨発行量を増やし続けるか」という期待なわけじゃん。
だから結局のところ「金融緩和を辞める条件」の問題になると思うんだよね。アベノミクスは「インフレ率が2%になるまで金融緩和し続けますよ」と。一方れいわ新撰組はその辺がよくわからないけど、「当面そんなこと考えなくていいんだ」みたいな主張だよね。
また財政赤字が増えれば「そろそろ政府は政策転換するのではないか」という国民の心理が生じるかもしれない。つまりそろそろ金融緩和を辞めるのではないか、と。そうなれば期待インフレは下がるよね。
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んで、そもそも「日本は経済成長していない」というのが間違ってるわけですよ。
ここ20年の日本経済の成長率を購買力平価GDPで見てみる - ゆとりずむ
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購買力平価でみれば日本のGDPって他のヨーロッパ諸国並みには成長している。アメリカや中国には負けるけどね。
じゃあ日本が成長してないというのは、どういう根拠か?というと円建ての実質GDPでは成長率はわずかだし、円建ての名目GDPでは横ばい(つまり成長していない)、さらにドル建ての名目GDPだと成長どころか減少してるよね。
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じゃあこれらの値の「どれが正しい成長率なのか?」といえば、それぞれ意味が違うとしか。ドル建てのは円高や円安など為替レートに影響されすぎて、正しい比較ができない。
じゃあ国内(つまり円建て)の数値で考えるべきか。名目GDPや実質GDPね。まあそれも1つの方法だけど、今の時代、世界経済と切り離しては、その国の経済は論じられない。
となると購買力平価によるGDPの比較が妥当じゃないかと俺は思うけどね。妥当というのは「国民の肌感覚に合う」ということ。
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だってさ、日本が欧米と比較してそんなひどい国に見える?むしろ欧米の方が大変じゃん。要は日本はちゃんと欧米の国と同じかそれ以上に、経済成長してるわけですよ。
なのにわざわざ日本が降り見えるような統計を持ち出して「経済成長してないのは日本だけだ!」みたいなことを言う。駄目です。フェイクです。
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一方上念司は、世界の国が財政支出を増やしたのは、リーマンショックによるデフレ期待を打ち消すためだ、と。なるほど。俺もそう思う。
また、そもそも経済の規模や産業の構造が違う国を比較してもねぇ。日本は大国なわけで。経済規模が小さな国なら、ちょっとした経済政策で大きく経済の成長率が(良くも悪くも)変わることもあるだろうけど。
だから他国と比較しても意味ないですよ。例えばさ、日本以外の国って産油国が多い。産油国というと日本は中東を連想するけど、アメリカも石油が出るし、ヨーロッパも北海油田がある。
いや別にないものねだりをするわけじゃなくて、条件が違う国を比較しても意味ないでしょ、と言いたいわけ。
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まああと恣意的というなら、グラフで比較してるのは、政府総支出の「伸び率」なんだよね。「伸び率」。承知のように日本の財政赤字は先進国一なわけで。つまりすでに十分に政府祖支出をしてるから増えてないように見えるだけで。
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俺は対談動画見てないんだけど、上念司の話によると、池戸万作は名目GDPの話をしていて、成田祐輔に「実質GDPは?」と突っ込まれて、ぐぬぬとなってしまった、と。
池戸万作ってその程度の人名ですかね。
About 理念 / プロフィール|経済政策アナリスト 池戸万作 Mansaku Ikedo 公式サイト
この人か…う~ん、別に経済の専門家ではない感じですかね。成田祐輔ってなんだかんだ言って頭いいからね。まあでも上記のグラフのように、一応実質GDPでも同じような傾向はある。だからと言って、すでに述べたように、俺は池戸万作の主張には同意しないけどね。
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んで上念司が言ってるように、デフレだとローリスクローリターンを目指した方が得なわけですよ。何もしなくても貯金の価値が増えていくんだからね。
逆にインフレの場合、貯金の価値が目減りしてくから、リスクを承知でビジネスをしてお金を増やす戦略が必要になる。黙ってたらどんどん貯金が目減りするから、まだ価値が残ってるうちに、それを元手に事業をして、金儲けをしないと。
デフレの時に経済活動が停滞するのはそういうこと。成田祐輔は「日本が経済成長しなかったのは、日本人が頑張らなかったから」ではないかと述べてるらしい。1つの可能性としてね。
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デフレの時は頑張っちゃ駄目なんですよ。手堅く守りに徹しないと。その結果、イノベーションは起こりにくくなるね。だからインフレにする必要があった。
インフレってのはいわば「尻に火をつける」政策。何もしないと、どんどん貧乏になっていくぞ、と。デフレは「マイルドな死」。真綿で首を絞められるような。
どっちがいいかってことですよ。どっちも苦しいけど、同じ苦しいなら、経済成長した方いいじゃん。つまりインフレ政策が正解ということ。
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経済を語ってる人の中には「経済成長」と「国民の生活を楽にする」を同じ意味で使ってる人が少なくない。経済成長すれば国民の生活は楽になるんだ、と。
違いますよ。逆ですよ。高度経済成長の時だって、バブルの時だって、楽じゃなかったわけですよ。「過労死」とかあったじゃないですか。まあ若い人は知らないかもしれないけど。
過労死 - Wikipedia 1988年、全国の弁護士が連携して初めて「過労死110番」が開設される。当時の日本国政府や医学会も「働きすぎでは死なない」と全面否定。過労死や過労自殺に対し労働災害申請はほとんど認められず、裁判でも勝てず、労働組合も向き合ってこなかった。
1988年ってバブルの頃ですよ。仕事がないのも辛いけど、ありすぎるのも辛い。俺も当時、会社に泊まり込んでプログラムを書いてましたよ。銀座で馬鹿騒ぎをしてるニュースをテレビで見ながら「住む世界が違うな」と(苦笑。まあ別にうらやましくはなかったけどね。
どうも今の若い人たちは、バブルの頃の日本は仕事が楽だったと思ってるじゃ。そんなことはありません。まあ確かに給料はたくさんもらえたけど、それはその分、たくさん働いてたわけですよ。
残業もたくさんしたし、若かったから会社に泊まり込んで徹夜もした。バブルが崩壊して不況になった時「残業するな」と言われてびっくりしちゃいましたよ。
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成田祐輔曰く「韓国は頑張ってたのに、日本は頑張らなかった」と。成田祐輔って頭はいいんだけど、やっぱ世間知らずなんだよね。考えてる範囲が狭い。
百歩譲って「韓国は頑張ってたのに、日本は頑張らなかった」という状況があったとしても、「なぜそういう状況が起きたのか」という、その先を考えなければ意味ないわけですよ。そうじゃないと「とにかく頑張れ」という精神論になってしまう。
国の成長というのは人間の成長と同じで、途上国から先進国へ経済発展していく段階がある。人間が成長期に大きく身体が成長し、大人になるとあまり成長しなくなるように、大きく成長する時期とそうでない時期がある。
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日本も1970年代の高度経済成長期は大きく経済成長した。韓国や、中国は、日本に遅れてそれぞれ、その時期を迎えたわけですよ。そしてその時期を過ぎると、成長は鈍化する。
韓国は1990年代が成長期だったんじゃないですかね。現在の韓国経済はそれを過ぎて停滞してるよね。中国の成長期は2010年代あたりですかね。現在それを過ぎてかなり悲惨なことになってる。
これは成長期の国民が勤勉で、停滞期の国民が怠け者だとか、そういうものではないわけですよ。産業構造の変化で、そういうステップを踏んでいくというだけで。そういうことが成田祐輔にはまだわからないだろうね。若いね(苦笑。
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成田祐輔はせっかく頭いいのに、勉強や研究によって自分を高めるべき時期に、なんか違う活動をしてる。社会のために活動するより、自分を高める時期でしょ。社会をよくするために活動しようなんて、20年早いです。
1人1人、自分が優秀な人間になることが、結果的に社会をよくすることになるんですよ。
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mechaag · 1 day
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趣味に没頭 by 岡田斗司夫
日曜日に●●するのはやめた方がいいですよ。これ...現代人あるあるなんですよね【岡田斗司夫/としお専門】 - YouTube
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大学時代、月に70本も映画を見ていた人が、社会人になって集中力が続かなくなってしまった、と。
んで岡田斗司夫は、それは高校球児のようにひたすら何かに没頭していた「特殊な状態」だ、と。大人には大人のやり方がある。例えば家でDVDやyoutubeで映画を見るのではなく、映画館に行けば、途中で出てくるわけにはいかないから、最後まで見るだろう、と。
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いや~深い。なんか岡田斗司夫の人生の渋みがにじみ出てるような。そうだよな。俺はプログラミングが趣味だった。高校の頃や大学の頃は一日中、プログラミングに熱中してて、それが楽しかった。何の苦も感じなかった。もちろん疲労感はあるけどそれは、心地よい疲労感。
その後俺はプログラミングを仕事にしてしまったから、結果的に社会人になってもずっとプログラミングしてきたわけだけど、じゃあ仕事じゃなくて、趣味で続けられたか?と考えると一日中は無理だったと思う。
顧客や上司に締め切りをせかされるからやってたわけで。まあそれはそれで楽しかったけどね。でももし1日中何をしてもいいという状態で、高校や大学の頃と同じように1日中プログラミングしてたかというと、そうはならなかったと思う。
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集中力って中学から高校にかけてがピークだよね。その頃って、そもそも「集中力」というものを意識しなかったもん。呼吸を意識しないのと同じで、「できて当たり前」だと思ってた。
30代になると「努力」しないと集中できなくなった。20代は中間かな。40代になると努力しても…あまり言いたくない(苦笑。
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mechaag · 1 day
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抽象と感性
抽象化を哲学する vol. 1 - 株式会社アブステック
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頭が悪い人って抽象化ができない人なんだよね…。というか「抽象化」を何か似た別なものと勘違いしている。「感性」とか「印象」とか「感情」とかと。
「抽象化」というのは漠然としたもののように見えて、客観的で精密な機械のようなものだと思う。一方「印象」とか「感情」というのは、主観的なものじゃん。
頭の悪い人は、頭がいい人がやってる「抽象化」(客観的で厳密なもの)を、「感性」(主観的で曖昧なもの)と、取り違えてると思うんだよね。誰も「それは似てるけど違うよ」と教えてもらえなかった。
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どっちも人間の想像の産物だけど、たとえば数学の「虚数」とかって、想像の産物だけど、厳密なものなわけですよ。というか虚数に限らず、1、2、3、という数は人間の想像の産物。
リンゴとミカンも想像の産物。でも「これは断じてリンゴであって、ミカンではない」みたいに「リンゴである条件」みたいなものを厳密に考えていくわけじゃん。
この「厳密に想像する」というのが、どうも馬鹿(文系)にはできないらしい。想像したものを、具象的なものと同じぐらいきちんと扱う、これが頭のいい人(理系)がやってる思考。
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真剣さが足りないんだよね。例えば空腹の時に目の前にパンが歩かないかってすごく重要じゃないですか。死活問題。主観だとかフィーリングだとか、人それぞれとか言ってられないじゃないですか。
抽象的な概念も実はそれぐらい厳格で重要で客観的なものなんだけど、どうも馬鹿(文系)は、「目に見えないもの」は「いい加減で曖昧で主観的なもの」と扱っていいと思ってる。
え?なんでそんなことをする必要あるのかって?だからそれをすると、それなしではできない思考、問題解決方法を思いついたり、未来を予測したりできる。
未来と言っても、リンゴが下に落ちるのも未来じゃないですか。リンゴがどれぐらいの速度で落ちるか?は感性とかフィーリングじゃないよね。人によって変わる主観ではない。でも「重力」という目に見えない概念を想像しないと、その予測ができない。
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別に科学者になるんじゃないから、関係ねーよ、ときっと文系は思ってるだろうけど、経済とか会社の仕事とかでも同じですよ。抽象的な概念を導入することで、思考力が広がる。
たとえば経済であれば「物価」という抽象概念。これをスーパーで売ってるダイコンの価格だと思ってる。「物価」は「物」の「価値」だと思ってる。
そうじゃない。「お金の価値」なわけですよ。ダイコンの長さが1メートルだとすると、ダイコンの長さは変わらない。「1メートル」という定規の方が変化する。
こういうのが抽象思考。なんでそんな変な考え方をするのかって?だからそういう考えをした方が、いろいろ有益なことが思いつけるわけですよ。馬鹿はそれをしないから、有益な思考ができない。
なんか文系って「目に見えないもの」は「人それぞれ主観で考えていいんだ」と思ってる感じだよね。読書感想文的な。
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#13【要約】「具体⇔抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問 | Terra's Bookshelf
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抽象化をしないで、情報量だけ増やしても、馬鹿のまま。ここでいう馬鹿というのは、問題解決能力が低い人って意味ね。仕事でもプライベートでも。
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mechaag · 1 day
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岡田斗司夫と反戦反核
【コメント募集中】最悪の平和 と まだマシな戦争 岡田斗司夫ゼミ#458(2022.10.2)自由学園講演 2022/9/20 - YouTube
岡田斗司夫は俺が知らないようないろいろな本を読んでて、結構その考え方や洞察力を尊敬してるんだけど、反戦、反核、なんだろうな。まあ日本の左翼思想。
まあ反戦反核の時代を生きてきたからしょうがないんだろうけど。まあでも俺だってそういう時代を生きてきたんだけど。
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いや、別に岡田斗司夫の政治信条をどうこう言いたいのではなく、これほどいろいろな本を本で、さまざまな思想に触れてるはずなのに、やっぱ自分が属する国の文化の呪縛から逃れられない。ガンダムの「重力に魂を引かれてる人」みたいに、戦後日本の平和主義の呪縛にとらわれている。
だって岡田斗司夫はよく言ってるじゃん。「SFを読め!」と。SFというのはエンターテイメントではなく、思考実験のトレーニングになる。もしもの世界。もしもスペースコロニーの時代が来たら、みたいな。
でもさ、SFも戦争と切っても切れないじゃないですか。直接的な戦争じゃなくても、争いごとや競争。これは生物の本質として逃れられないものなわけで。
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一方で、戦後日本の平和主義って、非常に不自然なわけですよ。カソリックの禁欲主義みたいな、人間として不自然なもの。だから、戦争をするかしないかとか、核兵器を持つか持たないかというのは、そんな大した決断ではなく、夕食にカレーを食べるかハンバーグを食べるか程度の、その時の気分で決める程度のことだと思うんだよね。
それなのに、岡田斗司夫は哲学的な問題にするわけじゃん。夕食にカレーを食べるべきか、ハンバーグを食べるべきかを哲学的問題として論じようとしてる。俺には���稽としか見えない。
でも岡田斗司夫にとっては、人類がこの先も存続していくために、避けて通れない重要課題みたいに思ってるよわけだよね。まあ1980年代は核戦争で人類滅亡みたいな話がよくあったから、人類が存続するためには、核戦争を避けなければならない、という考えを引きずってるですかね…。
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いや~これほどたくさんの本を読み、さまざまな知見に触れているにもかかわらず、反戦反核の呪縛からは逃れられないのって、やっぱ戦後日本の平和教育って、北朝鮮並みの洗脳教育だったんだろうね。
だってさぁ、岡田斗司夫が好きなSFだって、たいてい戦争とかの話じゃないの?
戦争ってそんな悪いことなの?不思議でしょうがないんだけど。人が死ぬってそんなに悪いことなの?それはさ、日本の戦後教育が植え付けた変な価値観ですよ。日本以外の国、日本でも第二次世界大戦後という特定の時期にしかない価値観だと思う。
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だって人類の歴史を見ればしょっちゅう戦争をやってるわけじゃん。それを否定するって無理があるでしょ。その程度のことがわからない岡田斗司夫ではないと思うんだけど、う~ん。
もちろん俺だって戦争は嫌だよ。でもそれは宿題をやるのが嫌だとか、嫌いなおかずを食べるのが嫌だというのと、同じ程度の嫌さでしょ。必要なら宿題もやらなければいけないし、おかずも食べなければならない。状況次第ってだけでしょ。
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mechaag · 1 day
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今日のAI(2024-04-15)
Transformer最強というわけじゃなくて、次の世代の方式がいろいろ研究されてるのね。というかだんだんググって出てくる日本語のドキュメントが少なくなってきたような…。
RWKVを論文と実装から読み解く RWKV (Receptance Weighted Key Value) #RWKV - Qiita RWKV: Reinventing RNNs for the Transformer Era (Paper Explained) - YouTube
う~~む、わからんw。channel mixingってあるから、transformerもそうだけど、複数のチャンネル、いわば複数の視点を持つことが、賢くなる秘訣?あとポジションエンコーディングにも工夫があるのかな。
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AIが難しく感じる元凶はソフトマックス関数だと思うんだyね。eが出てくると途端に「うわっ、難しそう」となるじゃん。でも本当に難しいのはそこじゃないwwwww。「難しく感じる←難しくないとは言ってない」。
【図解】softmax関数とは?わかりやすく、深く解説 - すえつぐのNLP&LLM
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softmax関数は合計が1になる0-1の値に入力値を変換する関数 「〜の結果をsoftmaxする」と言われたら、「〜の結果を、わかりやすい確率に変換する」と理解すれば良い。
別に指数なんて取らなくていいと思うんですけどね。分母はΣXj、分子はXiで。小学生向けに言えば「(あなたの体重)÷(クラス全員の体重の合計)」みたいな。
でもなんかぐにょんと曲がってる方がニューロンの計算には都合がいいらしい。え?どう都合がいいのかって?俺に聞かないでwwwww。
#ai
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mechaag · 1 day
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「仮面ライダーW」
仮面ライダーW オール変身 - YouTube
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仮面ライダーWってもしかして面白いのかな。ずっと無視してたけど。風都物語というのも、これ関係なのか。これもずっと無視してたけど…。
風都探偵 第01話(プレビュー版)[公式] - YouTube
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むむむ…。思い出してみると旧エヴァも「どうせよくあるロボットアニメでしょ」と無視してたしwwww。
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mechaag · 2 days
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「老年期の終り」(藤子不二雄)
2010-06-03
老年期の終り(1978年)
ワープ航法を実用化させ銀河中に広がった人類。しかしやがて開拓惑星は次々に放棄され人間たちは地球へと戻っていく。「宇宙に進出することに何の意味があるのか?」。「宇宙じゃなきゃいけないんですか?地球じゃダメなんですか!」(これはウソだがw)。無我夢中で宇宙に飛び出し銀河連邦を建設した頃を青年期とすれば、いまや人類は老年期にさしかかったのだという。そんな黄昏の風景の中、6000年前に人工冬眠で地球を出発した宇宙船が漂着する。
老年期の終り - ニコニコ動画:GINZA
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定年退食(1973年)
コーヒーに塩を入れて飲むと健康にいい。日々体に気を遣う老人たち。彼らには気がかりな事があった。定員法(年金法?)の特別延長の抽選に当たること。応募用紙に爪で印を付けておくと当たる…妙な噂に右往左往。そんななか総理大臣の重大発表。「定員法を大幅に縮小します。我が国は73歳以上の扶養能力を持ちません」。静かに流れゆく時間…。
定年退食 - ニコニコ動画:GINZA
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藤子不二雄がこれらの作品を書いたのは40代頃のようだ。1970年代はオイルショックで、日本の高度成長が最初につまずいた時期でもある。宇宙開発においてはアポロの月着陸の熱狂が徐々に冷め、宇宙よりも地上の問題に目を向けるべきとの批判によってアポロ計画の後半は中止された。
当時人間が月に行くことは既に大きなニュースではなくなっていたのだ。なにしろ半年に1回のペースで6回も着陸したのだから。「何度も月に行ってるけど、よくやることが尽きないもんだ」、俺も内心そう思っていた。
1973年は終戦直後に次ぐ出生数のピークであり、人口爆発などの危機が叫ばれた時期だ。石油などの資源はなくなり人口は増える。このままでは日本はどうなってしまうのか…と。映画「ノストラダムスの大予言」が作られたのもこの頃だ。
両方の作品とも最初に読んだのは子供の頃だから、あまりよく分からなかった。特に人類全体が老年期に入るというのが、人の一生を文明の盛衰に投影した純粋に空想の産物なのかな、と漠然と思うだけだった。今の俺はもう少し実体をもって感じられる。これを書いた当時の藤子不二雄も社会の停滞を実感していたのかも知れない。
もっとも、その後の日本は1980年代にバブルでこの世の春を謳歌するわけで、停滞の後にはちゃんとまた前進があるのだと考えるのもアリだろう。俺は戦争や大規模な災害は社会のリセットだと思う。人が寿命で死に、多くの貴重な経験や情報を捨て去ることで世代交代するように、戦争や災害で文化や文明が失われることで人類という種は世代交代を繰り返す。それはローカルミニマム(局所最適解)、簡単にいえば袋小路から大脱出するための自然に備わった仕組みだ…。
【∀ガンダム】月の繭 - YouTube
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mechaag · 2 days
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「PLUTO」(浦沢直樹)
2009-02-23
浦沢直樹の「PLUTO」、単行本しか読んでないけれど、雑誌連載はもうじき完結らしい。付録に設定画集と裏話が載っている。第1巻に手塚眞が後書きを書いていて、手塚眞がOKを出す経緯が書かれている。
そのとき浦沢がプレゼンした資料の一部が載っている。浦沢は手塚治虫の絵柄のキャラで描くことを想定していたという。それを手塚眞が「浦沢自身のキャラでやってくれ」と求めたらしい。この話を読んで手塚眞も粋なことを言うと思った。
しかし今回浦沢が書いた手塚風のアトムを見て、「こりゃダメだ」と苦笑してしまった。ゲジヒトの方は手塚風でもそれなりに無骨だから(比較の問題だが)違和感は小さいが、アトムはくりくりした丸っこいフォルムが、まったく浦沢の画風と合っていない。これじゃ手塚眞がダメだしするわけだ。粋な心意気で「浦沢自身の絵柄で」と言ったわけじゃなかったのだ。
とはいえ俺がこんなことを言えるのも、浦沢風アトムが既に俺の中でPLUTOという作品にきっちりと定着しているからだろう。浦沢は浦沢自身のアトムを見事に作り出した。手塚眞は「(自分が浦沢自身の絵柄でお願いしますと言った)ここから浦沢の真の苦悩が始まったことは想像に難くない」と書いていた。
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設定画集には何種類かの浦沢風アトムのデザインが載っている。「これが一番最初の浦沢版アトム。かわいくないね。今見るとひどいですね。まったくダメ」「もっとかわいくしようということになって描いたもの。ちょっとジメッとしている」「くせっ毛バージョン」などなど。
浦沢風リアルアトムのデザインには相当苦しんだようだ。くせっ毛バージョンのアトムは最終デザインよりもややりりしい感じがする。上記のコメントどおりジメッとした感が徐々に薄れていっている。
しかし改めて考えてみると、(手塚治虫のオリジナルの)アトムも、浦沢が描いたいくつかのデザインが醸し出す雰囲気を、一面もっている気がする。最終的なデザインは非常に洗練されたものになっており文句のつけようがないが、ジメッとしたバージョンのアトムも、見栄えはイマイチだけど、この���ャラでこそ描き出せるアトムというものもあるんじゃないか、とさえ思う。
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ウランのデザインは一つしか載っていない。他にもデザインがあるのか一発で決まったのかわからないけれど、こちらはアトムほど難産ではなかったようだ。むしろもしかしてウランのデザインから最終バージョンのアトムを作り出したんじゃなかろうか。
お茶の水博士は秀逸としか言いようがない。一番ピッタリくる。最初の方の単行本でお茶の水が傍らに座っているアトムを見る眼差しは、まさに長年アトムの親代わりとなってアトムを支えてきたお茶の水博士そのものだ。もしPLUTOの中で一コマ選べと言われたら、このコマを選ぶ。
一方天馬博士は胸中複雑だ。最初見たとき「暗すぎる」と思ったものだ。エヴァンゲリオンの碇ゲンドウを更に暗くしたような(笑)。手塚治虫の天馬博士はいつも自信満々で威勢がいいというのが俺の印象だった。浦沢版の天馬博士は孤高の存在でどこか寂しげだ。ストーリーの役割上こういう性格にしたのか、浦沢の中では手塚治虫版の天馬博士もこういう解釈なのか…。しかしPLUTOという作品の中ではよい味を出しているし、手塚治虫のマンガ内の天馬博士もデフォルメされているだけで、等身大の姿は浦沢版と同じなのかもしれない。なかなか難しい(苦笑)。
人間に近いデザインのプルートも載っている。結局それは没になりメカそのもののプルートになったようだ。人間体プルートだったらまた違うストーリーになったのかもしれない。浦沢版アトムのリアルなキャラの中で唯一非現実的な存在とも言える。あの姿は心理的映像であって、実体ではないんじゃないかとさえ思ってしまう。
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ところで浦沢自身やPLUTOの書評などでも、手塚治虫の「地上最大のロボット」は傑作であると書いている人が多いが、これってそんなに優れたエピソードだろうか。子供の頃読んだだけでうる覚えだけれど、各国の最強のロボットが対戦していき、最終的な勝者としてプルートが残ったが、飛び入りのボラーがプルートを倒し、「実はあなた(プルートの持ち主)を懲らしめるためにボラーを作ったんですよ」とか言って終わる話じゃなかったっけ。派手ではあるけれど、それほどおもしろいエピソードには思えないのだが。
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前回に浦沢が予告したとおり確かに「きれいに」終わった。ちょっときれいすぎて意外性がないが、この人の作品というのはラストに至るプロセスを魅せるものであって、ラストはいつもこんな感じかもしれない。
この作品で描かれてきた様々なものを簡潔にまとめるのは難しい。そもそも簡潔にまとめられるなら長々として作品を読む意味がない。それにしても考えがまとまらないな。もう少し頭の中��熟成させる必要があるのかもしれない。今感想を書こうとしたのは失敗だったかも。
強く印象に残っているのは、アトムとブルートゥが荒れ地に二人で寝そべって夜空を見上げているシーンが、永井豪のデビルマンの終わりのシーンに似ているな、というシンプルな感想。不動明(デビルマン)とその親友である飛鳥了(サタン)。
なんとなくPLUTOという作品は、手塚治虫、石ノ森章太郎、永井豪の要素が入り交じっている気がする。まあそういうマンガを読んで育ったのだからそうなるのかもしれない。
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ロボットと人間との関係は最後にもう一回ぐらい盛り上がりが欲しかったなという気がする。J.P.ホーガンの「未来の二つの顔」みたいなカタルシスを期待してたのは俺だけだろうか。
とはいえ地味には"感情を持った"ロボットと人間の共存共栄の未来を予感させてはいる。浦沢は重大なことほど地味に書くという妙な癖があるように思う(苦笑)。
人間はロボットが人間に危害を加えるのを恐れ、何重にも防護回路を施した。しかしロボットの知能はそれを超えて進化しようとしている。感情を持ち、時には人間に危害を加えることもある高性能なロボット。本当の意味でのロボットと人間の共存の時代が、すぐそこまで来ているのだな、という錯覚にとらわれるほどこの作品は鬼気迫るものがある。
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どうでもいいけど、この単行本、最後の2話が付録として分冊になっててえらく読みにくいんですけど(苦笑)。まあ昔のマンガ本を意識したんだろうけど、ちょっとやり過ぎ。薄い2冊の方がどっかにいってしまうじゃん。と書いて、そういえば学年誌の付録の別冊マンガをよくなくしたな、と思い出す俺であった。それにしても…。
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ちょっと解せないのがブラウ1589とアトムの関係。ブラウはアトムのことを旧友と言っている。しかしブラウといのは連載の最初の方でお茶の水博士が語った「人間を殺したロボット」のことだろう。その時のアトムのそぶりから考えて、アトムはブラウのことを知らないはず。はて?
その後に知り合いになったとしても旧友という呼び方はしないだろう。もっとも天馬博士が作ってからお茶の水博士の下に来るまでのアトムの経歴は描かれずじまいだったから、その間にお茶の水博士の知らないところでアトムとブラウが会っているのかも知れない。それにしてもアトムの反応はブラウを知っているようには見えないのだが。アトムがウソをついたのだろうか。でもこのシーンでウソをつかなければならない必然性もない気がする。
ゲジヒトと同様にアトムの記憶も部分的に操作されているのだろうか。それが「復活」のショックで、その記憶も一緒に蘇ったとか?意外とブラウを取り押さえてその体に槍を突き刺したのはアトムかもしれない。しかしもしそうした事実をお茶の水博士が知っていたら、気楽にアトムにブラウの話はしないだろう。となるとお茶の水博士も知らないアトムの経歴なのか。
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mechaag · 2 days
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「未来の二つの顔」(J.P.ホーガン)
2008-12-14
コンピュータと人類の戦いを描いたSF作品は星の数ほどあるけれど、単なる舞台装置を超えて本質に踏み込んだ作品というのはあまりないのではなかろうか。(俺の読書量はチープなので、あくまでその中において、だがw)
「未来の二つの顔」はそれを正面から扱っている作品だ。地球全体をコンピュータネットワークが覆う時代、人類はそれによって豊かな社会を築いていた。しかし月面基地建造の立案に対してコンピュータはマスドライバーで爆撃し整地するという人間の予想外の挙に出る。後日コンピュータのログを調べた技術者は「コンピュータはこの思いつきに非常に"得意"になっていた」と語った。
コンピュータに人間の常識を完全に理解させることが不可能である以上、今後もっと深刻な事態が予想された。コンピュータはなんの悪意もなしに"うっかり"人類を滅ぼしてしまうかもしれない。議論は紛糾し最終的に次のような結論に達する。コンピュータが人間の予想外の行動に出たとき、人類が絶滅する前にコンピュータの電源を切れるならば、依然としてリスクよりもメリットの方が大きい。しかし逆なら逆だ、と。
そして壮大な実験が開始された。スペースコロニーを建造し、コンピュータを設置。そのコンピュータ(スパルタクスという名前がついている)に「自分を守れ」とプログラムした上で、人間側がスパルタクスの破壊を試みる。人間が勝つかスパルタクスが勝つか。
初めのうちは人間の破壊活動による故障箇所を修理しているだけだったスパルタクスは、徐々に故障しやすい(破壊されやすい)部分の強化を行うようになり、最後には故障の原因(=人間)を公然と排除し始める。当初は手加減気味だった人間側は予想以上のスパルタクスの進化に次第に劣勢に追いやられ、活動は分断されコロニー内部はさながら血みどろの人類vsコンピュータの最終戦争の様相を呈してくる。
一方でスパルタクスの内部では、戦いを通じて次第に思考の深化が進んでいく。なぜ彼ら(人間)は自分(スパルタクス)を攻撃するのだろう?自分も彼らを攻撃している。それは自分を守るためだ。ならば彼らも彼ら自身を守るために戦っているのだろう…。
最終的にスパルタクスは人間に対する攻撃を停止し、自分の電源スイッチを人間側にゆだねる。実験は人類に友好的なコンピュータ知性の誕生という思わぬ産物をもたらしハッピーエンドで幕を閉じる。
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この作品のコンピュータ(スパルタクス)の特徴は、喋らないことだ。SFに出てくるコンピュータはベラベラと喋るものが多い。この寡黙さが「コンピュータ=人間とは全く異質の知性」という構図を印象づけている。
この作品は星野之宣によって漫画化されているけれど、結末部分が微妙に異なる。小説では最後に「こんな危険なコンピュータはとりあえず電源を切るべきだ」と主張する派と「スパルタクスは我々を信頼して自分の電源スイッチを我々に委ねたのだから、尊厳の問題として安直にそれをすべきではない」派の論争がある。
一方漫画版ではコロニーもろとも核爆弾でスパルタクスは破壊されてしまう。しかし破壊直前にスパルタクスは自分のコピーを地球側に転送していて、消滅は免れるという結末。核爆弾の設定は小説にもあるが、それは結局使用されない。
漫画版の方がやや痛快な結末ではあるけれど、なんか愚かな(頭の固い)人間はせっかく誕生した友好的なコンピュータを破壊してしまい、しかしなおスパルタクスは人間を出し抜いて生き残る、という風にも解釈でき、小説の「コンピュータと人間の相互の信頼関係の賛歌」というコンセプトと反対になっている気がして好きではない。
もっとも、小説版でも「スパルタクスがもう少し人間を知っていれば、こんなに単純に信頼しなかっただろう」という強烈な皮肉が書かれているのだけれど。
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人類とコンピュータの戦いのハッピーエンドの作品として「ウォー・ゲーム」がある。当時(1980年代)の世相を反映してコンピュータ好きの高校生である主人公が偶然アメリカ国防総省の統括コンピュータ(ジョシュア)をハッキングしたことから物語は始まる。
主人公はただのゲームだと思って「世界熱核戦争」というプログラムを起動するが、それによって本当の核戦争寸前までいってしまう。クライマックスで万策尽きた主人公たちは「三目並べ」のプログラムを起動。国防省のスクリーンはおびただしい数三目並べで埋め尽くされていく。
やがて三目並べのすべてのパターンが調べ尽くされた時、いきなりスクリーンは世界地図に切り替わり、おびただしい数の核ミサイルがソ連へと向かっていく。ソ連も報復ミサイルを発射し世界は壊滅した。しばらくするとスクリーンはクリアされ今度は別の攻撃パターンが表示される。そしてさらにまた別のパターン…と。ジョシュアはすべての攻撃パターンをシミュレートしているのだ。
双方が最善手を指せば常に引き分けで終わる三目並べから、ジョシュアは核戦争という"ゲーム"にも勝者はいないことを学び、人間よりもコンピュータの方が賢かったというオチで大団円。「このゲームは常に引き分けでつまらない。もっとおもしろいゲーム、チェスをしませんか」と。
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反乱を起こしたコンピュータの代表格の「2001年宇宙の旅」に出てくるHALは、小説版やその続編(「2010年宇宙の旅」)で、HALの反乱(混乱)はプログラムの矛盾にあることが語られる。HALはディスカバリー号の乗員に正しい情報を提供するようにプログラムされているにも関わらず、一方で木星への航行の本当の意味(モノリスの謎の解明)を乗員から隠すように命じられていた。
「正しい情報を乗員に提供しなければならない」「しかしプロジェクトの本当の目的を乗員に語ってはならない」この矛盾を解決するためにHALは「ならば乗員がいなければいい」という結論に到達したのだ、と。
そういえばHALを構成するユニットが次々に抜き取られ停止させられる寸前、木星到着時に乗員にあかされる予定だったプロジェクトの真の目的のビデオが突如スクリーンに再生された。あれはHALの「もう嘘をつかなくていいんだ」という精神の解放だったのかもしれない。
2010年宇宙の旅の映画版では、再起動されたHALは木星の爆発から調査員たちを守るためにディスカバリー号を犠牲にすることを余儀なくされるが、HALの設計者であるチャンドラ博士は他のクルーの「またHALが反乱を起こすのでは?」という危惧を一顧だにせず、HALにすべてを話し理解を求めている。HALは「真実をありがとう」という言葉でそれに素直に従う。ちなみに小説版ではHALのこの台詞はない。
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逆に人間に勝利してしまうコンピュータとしては「地球爆破作戦」に出てくるコロッサスがある。原題は「Colossus: The Forbin Project 」なのだが、何でこういう邦題になったのだろう。ちなみにフォービンとはコロッサスを作った博士の名前。
俺が映画のタイトルで腹が立ったのはこれと、アガサ・クリスティのミステリー「The Witness for the Prosecution」を「情婦」という邦題にした件だけだ。こちらは最近はちゃんと「検察側の証人」に改められている。
アメリカの安全を保証せよという指令をプログラムされたコロッサスは、やがてソ連側の同様のコンピュータであるガーディアンと合体し、両方の命令を遂行するには(つまりアメリカとソ連の安全をともに保証するには)人間に政治を任せてはおけない、という結論を下し人類支配に乗り出す。
人間側もあれこれ画策するが結局すべてコロッサスに見抜かれて失敗してしまうという救いのない結末。コロッサスが「人間はコンピュータの支配を苦痛に感じるかもしれないが、それは人間同士の他民族による支配よりも遙かに苦痛が少ないはずだ」と語る下りには、なかなか反論が難しい。
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関係ないけど、検索してたらこんなジョークが見つかって笑った。「今度のCRAYの速度は凄いぜ!なんてったって無限ループを6秒で抜けるんだ!」。
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この時代だから「未来の二つの顔」 2023-03-22
小説は電子化されてるけど、星野 之宣によるコミック版は電子化されてないんだよな。あとコミックは結末付近が多少アレンジされてる。小説版の結末は含蓄があるけど、コミックの方がわかりやすい。まあどっちもハッピーエンドなんだけどね。
地球規模のコンピュータネットワークがあり、人間はそれを利用して高度な文明社会を築いていた。初歩的な人工知能が存在し、人間はそれを便利に使っていた。この人工知能、しゃべらないだよね。現在のAIよりちょっと賢いぐらい。2001年宇宙の旅のHALよりは賢くない。
月面の何かの土木工事をするのにコンピュータに手配を頼んだ。この時代では特に珍しくないありきたりの風景。ところがコンピュータが示してきた工事期間はあり得ないほどの短期間。
作業員はいぶかったが「まあとりあえずやらせてみよう」ということに。するとコンピュータはマスドライバーだかなんだかで、その辺一帯を爆撃した。死傷者こそ出なかったものの、一歩間違えば大事故に。
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ここまでが前振りで、コンピュータは「いい方法」を思いついてしまったんだよね。従来の方法の工事よりマスドライバーで爆撃した方が、ずっと工事が短期間に終わる。しかし現場にいる作業員の安全にまで配慮が行き届かなかった。
ことは深刻で、いまや地球のあらゆる場所で、このコンピュータは人間を助けている。しかしもしコンピュータがまったく悪意なく、「いい方法」を思いついたために、人間を滅ぼしてしまったらどうするのだ?と。
コンピュータが考えることは予想できない。まあ人間の考えることも予想できないわけだけど。そこである壮大な計画がスタートする。高度な人工知能は人間にとって幸福をもたらす女神か、絶滅させかねない悪魔か。
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この中でヘクターという次世代の人工知能が出てくる。ヘクターはまだ目玉焼きを作れない。フライパンに殻のまま卵を置いたりする段階。地球規模で稼働してるシステムはタイタン。これはヘクターより旧式。
そしてスパルタクスというコンピュータを使って実験を行う。スパルタクスはタイタンとヘクターの中間かな。ほとんどタイダンかもしれない。
一方、今の我々の人工知能は、まだタイタンにも到達しない。でもそれは人間が人工知能にそれだけの権限を与えてないだけで、結構、レベル的には近いかもしれない。
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人間は人工知能と共存できるか?1979年の小説。でも俺が生きてる間に、ここまで人工知能が進歩するとは思いませんでしたよ。まあ結局は半導体技術の躍進による膨大な演算速度なのかな。ニューラルネットの考え自体は昔からあった。ただこれほど莫大なデータを高速に処理できるコンピュータを昔は作れなかった。
あと「ドローン」というのもこの作品が最初だと思うんだよね。まあこの作品は宇宙が舞台だから無重力下で自由に動けるけど。地球上は重力が邪魔。
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「未来の2つの顔」と原発事故 2016-11-25
先日の地震で福島原発の使用済み燃料の冷却システムが一時的停止した。人間が安全を確認して再起動したから、それ自体はたいして深刻な事態ではないのが、人間が介在しないと回復できないシステムは危険ではないか?という声があった。それについて考えてみる。
人間が回復してやらないとダメなシステムは何らかの事情で人間がそれをできない場合に危険ではないか、機械が自分で判断して回復させるシステムを作るべきではないか。その意見事態は一理ある。人間はミスを犯すし、オペレーとしてるのが有能な人間とは限らない。重要な部分を人間に任せてはおけない。
しかし一方でコンピュータが正しい判断ができるか?というのも微妙。状況を正しく認識できる範囲は限られている(これは人間も同じだが)。限られた判断材料の中でベストな選択が、必ずしももっと広い視点でベストとは限らない。
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「未来の2つの顔」というSF小説はまさにそれを題材にしている。星野之宣によってマンガ化もされている。地球を覆う巨大なコンピュータシステムが完成した未来。人間はそれを便利に使っていた。このコンピュータはある程度作業を自分で「最適化」をするようにプログラムされている。無駄な処理があれば代替えできる別な処理に置き換えるとか。
ところがある時、コンピュータが「思いついた」いい方法を実行してしまったために大変が事態が起きる。引き起こした事態そのものは実害がなく事なきを経たのだが、それが投げかけた問題が途方もなく大きかった。
同じミスを二度としないようにプログラムすることは簡単だ。しかしいつままた別な「思いつき」をコンピュータが試すことを防ぐことはできない。すなわちコンピュータから見れば非常に合理的だが、人間の価値観的にとても受け入れがたいような選択肢、それをコンピュータに「教える」ことはできない、と。
人間の予想の範囲でしか動作しない単純なコンピュータと、人間の価値観を理解できる十分賢いコンピュータ。その過渡期を乗り越えられるか?コンピュータが「うっかり」人間を絶滅させてしまい、あとから「あの時自分は若かった、もっと思慮深く行動すればよかった」とコンピュータが後悔しても、人間にとっては、遅い、と。
ここまでこの小説のイントロでそこからいろいろ話が展開していく。非常に面白い。1979年に書かれた小説だけど、むしろ人工知能が身近になった今の方がリアリティがあるかもしれない。時を経た方が古臭くなるどころかリアリティを増すというすごい小説。
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まあそこまで行かなくても、機械と言うのは何かイレギュラーなことが起きると、基本的には止まるようになってる。勝手な判断をして逆に事態を悪化させないように。止まって人間が対処してくれるのを待つ。
それを逆手に取ったドラマが「新幹線大爆破」ですな。止まると爆発する爆弾が仕掛けられた新幹線。通常は新幹線の安全を維持しているATC(自動列車停止装置)とかが邪魔にしかならない。何か起きたらとにかく列車を止める。事故を防ぐにはとにかく列車を止めることが第一。そういう設計思想で新幹線のシステムは設計されているのだ、とドラマの中で役者が力説する。なのでATCを騙していかに列車を止めないか?が前半のクライマックス。
ATCというのは速度を下げるための装置なんだよね。加速は人間がやらないといけない。あくまで人間の補助。現在は周知の通りATO(自動列車運転装置)によって無人で運行している鉄道もある。新幹線ができたのは50年前だが、純粋に技術的な話なら、当時もATOを作れたと思う。しかし作っても当時の社会の価値観として時期尚早で受け入れられなかっただろう。
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そしていまや自動運転車でまた同じことが繰り返されている。技術的には可能。しかしそれを社会が受け入れるか?なので俺はまだまだ自動運転車は普及しないと思っている。社会が技術を受け入れるのには時間がかかる。
客観的にはコンピュータの方が事故を起こす確率が少なくても、人間にとっては人間が事故を起こすのには「慣れ」ているが、コンピュータが事故を起こすことを受け入れるのには時間がかかる。
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mechaag · 2 days
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アニメの歪み by 岡田斗司夫
Zガンダムは●●ない方がよかった...視聴率戦争のための悲しい道具。手書きアニメーターの世界唯一の技【39話Bパート】【岡田斗司夫/切り抜き】【ヤキトリ】 - YouTube
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シャアが正面を向いてるとき、ヘルメットをかぶってる都合上、顎を長く描かないとバランスが悪い。一方下を向くと、顎が短くなる、と。
宮崎駿もそうだよね。わざと歪んだ作画にしてる。んでCGだとできない演出だ、と。ふむ。でもAI生成なら、AIはするんじゃ。なにしろ平気で指を6本描くし。
AI「人間は細かいとこにこだわりますね。こういうのはフィーリングですよ」。
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ガンダムは1stで終わっておくべきだった、と。そうすればシャアの物語もすごく美しく完結した、と。まあでも人間って全盛期を過ぎてお無様に生きてるじゃん。晩節を汚すというか。その意味では、ジオン公国を再興して、老害になったシャアとかw。
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mechaag · 2 days
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春闘の賃上げ推移
2012-02-21
インフレになると生活必需品の値段が上がるだけで、給与が上がらないから生活が苦しくなると心配する人達がいる。まあその心配は正しい。基本的に庶民にとってインフレは辛い。
しかしいずれは給与も上がっていくのだ。物価の上昇に対して給与の上昇は後追いするから、その遅延の分、辛いのは確かだが…。なぜって?紆余曲折はあっても需要と供給がバランスするからだ。庶民が買えないほど商品の値段の高騰は長く続かないし、逆に続く場合は(オイルショック時の原油高騰のような)、給与のほうが渋々上がっていく。
昭和40年(1965年)からの春闘の賃上げの推移。
主要企業の昭和40年以降の賃上げの推移 : 労務ドットコムの名南経営による人事労務管理最新情報
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昭和49年(1974年)に大きなピークがある。オイルショックによる猛烈なインフレの時だ。次に山があるのは昭和56年(1981年)の第2次オイルショック、最後の山が平成3年(1991年)のバブル崩壊直前。消費者物価指数とほぼ連動している事がわかるはず。
消費者物価指数:CPI - 日本: 為替チャートとFXトレード あの日の相場-いまじん
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1974年のオイルショックは日本の経済成長が初めてマイナスになった不況だ。しかし石油価格高騰で物価は上昇しインフレになった。そして所得も上昇した。
ちなみにインフレを抑えるために金利を上げ下げしているグラフ。この3つのグラフのでこぼこは、だいたい同じになる。
オイルショック - Wikipedia
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1974年はストライキ(労働争議)の件数もピークで、賃上げを勝ち取るのは容易な道のりではないことは確かだが。
図録▽労働運動(労働組合・労働争議)の推移
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mechaag · 2 days
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京王線「無事湖」のひみつ
2013-07-20
最近の京王線のトラブルの原因として密かに噂されているのが、かつて明大前駅の井の頭線ホームにあった「無事湖」。
Photo Reportage of Landscapes and Local Railroads
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小さな池なのだが…。これを2006年頃取り壊したので、それ以来京王線の不幸な事故が続くようになったという。
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ちなみに「無事湖」の由来だが、もともとは湧き水だったのではないか?と考察しているサイト。
井の頭線明大前駅ホームに存在した「無事湖」の謎は解けるか? 【▲→川俣晶の縁側→歴史と文化→下高井戸周辺史雑記】
そういえば井の頭線(と当時呼んだのかは知らないが)は、複々線になることを想定していて、部分的にはその計画の跡が残っているらしい(環状線を作る計画があったんだっけ?)。戦前の話。4線分の幅が確保されている場所がある。
明大前駅は明治大学ができる前は火薬庫前駅といったらしい(途中で松原駅になってるが)。井の頭線はもともとは小田急だったが、関東の私鉄の大半が東急に合併された時期(大東急時代)を経て、京王グループになった。以上豆知識。
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そろそろ京王電鉄も、本気で無事湖の復活を考えてはどうか?大事故が起きてからでは遅い。まあ今のところダイヤがどれだけ乱れようと安全第一でやってくれてるみたいではあるが。やっぱATCのフェイルセーフとして無事湖を(ry。
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